2022年08月29日
自問坂と無言館
今、僕の机の上には、一冊の新書本が置かれています。
『無言館ノート ──戦没画学生へのレクイエム』
表紙をめくると、達筆な筆文字で、こう書かれています。
<小暮淳へ>
<二〇〇一、七、一九>
<窪島誠一郎>
先日、日本テレビ系のチャリティー番組 「24時間テレビ」 内で放送された、劇団ひとり監督・脚本によるスペシャルドラマ 『無言館』 の主人公となった館長の著書であります。
「確か、本があったはずだ」
と、テレビを観終わった直後に、書架より探し出してきました。
いったい、いつ、どこで、この本にサインを書いてもらったんだろう?
記憶を呼び起こしました。
2001年といえば、僕は新しい雑誌の編集室を立ち上げた時期です。
そして、本の奥付を見ると、<2001年7月22日 発行> とあります。
ということは、発行より前に、本にサインをしていただいたということになります。
そんなことって、あるでしょうか?
さらに記憶をたどると、当時の交友関係が浮かび上がって来ました。
窪島氏は 「無言館」 の設立前から、長野県上田市で 「信濃デッサン館」(現・残照館) の館長を務めていました。
こちらの美術館では、若くして逝った夭折画家の作品を展示していました。
窪島氏が最も力を入れていた画家に、村山槐多 (享年22歳) がいます。
同館では毎年命日に、「槐多忌」 という追悼イベントを開催していました。
「淳ちゃんも一緒に行かないか?」
そう当時、付き合いのあった芸術家から誘われた記憶があります。
たぶん、それは2001年より前のことです。
当時、窪島氏からは、「今度、戦没画学生の作品を集めた慰霊美術館を設立する」 という話を聞いた覚えがありますから。
そして平成9(1997)年5月、「信濃デッサン館」 の分館として、「無言館」 がオープンしました。
僕の記憶が正しければ、場所は、高崎市のとある居酒屋。
呼ばれたのは、僕と彫刻家と版画家と新聞記者の4人でした。
窪島氏は、出版間近の著書を持って、わざわざ上田市から、やって来られたのでした。
どのようないきさつで、このような会が開かれたのか?
なぜ、はすっぱな僕が、この席に呼ばれたのか?
今となっては、不明です。
その時、窪島氏から手渡されたのが、この本でした。
「無言館」 設立から今年で、25年。
オープン以来、仕事やプライベートで何度か、足を運んでいます。
訪ねるたびに、画学生らの無念の声が聞こえ、胸が締め付けられます。
僕は毎回、駐車場から美術館までの坂道で息を切らします。
ちょっとキツメのダラダラ坂が、足にこたえます。
窪島氏は、この坂に 「自問坂」 と名付けています。
「戦争や平和以上に、自分はどうあるべきかを考える場所」
との思いが込められているとのことです。
まだ 「無言館」 へ行かれていない人へ
ぜひ、一度は足を運んでみてください。
戦争とか平和を考えるだけでなく、窪島氏の言うとおり、“自分” を見つめ直す場所であるからです。
Posted by 小暮 淳 at 11:43│Comments(0)
│読書一昧