2022年09月06日
ぐんま湯けむり浪漫 (20) 磯部温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
磯部温泉 (安中市)
避暑地として栄えた屈指の温泉地
温泉の発見は古く、鎌倉時代にはすでに湧出していたともいわれるが、諸説ある。
一般には天明3(1783)年7月の浅間山の大噴火の際、大きな地鳴りとともに、恐ろしい音を立てながら数丈の高さに鉱泉を吹き上げたと伝わる。
また浅間山の噴火による降灰で、それまで湧いていた泉口が埋まってしまい、その圧力で新しい源泉が噴出したともいわれている。
当時、この付近一帯は碓氷川に沿った盆地状の湿地帯で、塩辛い水が湧き出ていたことから、この湯を 「塩湯」、地名は 「塩の窪(くぼ)」 と呼ばれていた。
しかし浴用として使用されたのは後のことで、幕末になり小屋が建てられ、鉱泉を温めて湯治用にしたところ効験があったという。
明治時代になると数軒の旅館経営が始まり、明治18(1885)年に高崎~横川間の鉄道 (現在の信越本線) が開通すると、東京方面からの利用客が増大し、群馬を代表する温泉地として発展した。
まだ軽井沢の開発がされていない当時、環境の良さと交通の便利さが評判となり、都会の富裕層たちの別荘地となった。
初代群馬県令の楫取素彦(かとりもとひこ)も、県の観光PRに力を入れていた。
磯部温泉が避暑地として優れている点に着眼し、同じ長州藩 (山口県萩市) 出身の政治家・井上馨をはじめとする新政府の高官たちに呼びかけ、自身も別荘を建てた。
しかし、のちに横川~軽井沢間が開通すると、軽井沢が避暑地としてクローズアップされるようになり、やがて磯部からは別荘が姿を消していった。
日本で最初の温泉マーク
昭和になり、温泉の起源について新たな史実が確認された。
万治4(1661)年に記載された 『裁許絵図(さいきょえず)』 (磯部地区で起きた土地争いの判決文) が発見されたのだ。
この判決文の絵図の中に描かれた2ヶ所の 「塩の窪」 に、現在の温泉マークに似た符号が記入されていたのである。
これが磯部温泉が 「日本最古の温泉記号発祥の地」 といわれるゆえんである。
磯部温泉組合では、温泉マークの湯気の部分を3つの 「2」 に見立て、2月22日を 「温泉マークの日」 として登録し、平成28(2016)年よりイベントを行っている。
また同30年からは 「温泉マークカレー」 と名付けた、ご当地カレーライスを温泉街の飲食店で販売。
ライスを温泉マークにかたどったユニークなデザインが、“インスタ映え” すると評判になっている。
磯部温泉の昔ながらの名物といえば、鉱泉を利用した 「磯部せんべい」 だ。
温泉街には今でも一枚一枚、手焼きの実演販売をする店が軒を連ねる。
サクサクとした独特の歯ごたえがたまらない。
戦時中は重曹の代わりに、この鉱泉が 「ふくらし粉」 として利用されたり、浅草の 「雷おこし」 が、ここで作られていたことは、あまり知られていない。
平成8(1996)年、温度の高い新源泉が掘削され、現在、旅館と日帰り入浴施設、足湯などに供給されている。
湧出量の少ない旧源泉は、せんべい専用に使用されている。
<2019年6・7月号>
Posted by 小暮 淳 at 12:09│Comments(0)
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