2024年10月17日
無味無収
以前、「趣味がない」 ことを書いたところ、ブログを読んだ、さる著名な方からコメントをいただきました。
「私も同じです」 と。
(2024年9月10日 「無趣味は七難隠す」 参照)
いえいえ、滅相もありません。
僕とその方では、地位も名誉も財産も違い過ぎます。
同じは同じでも、たぶん、その方は、“仕事が趣味” になられたんだと思います。
一方の僕は、“趣味が仕事” になった人間です。
正確に表現するならば、趣味を仕事にせざるを得なかったのです。
30~40代の僕は、それはそれは思い出すのもおぞましいほどの貧乏でした。
子だくさんの銭失いで、仕事と育児とローンに追われる毎日。
働けど働けど、一向に暮しは豊かにはなりませんでした。
そんな中で唯一のレジャーが、登山でした。
金のかからない遊びを探した結果、握り飯だけ持って、自分の体力だけで一日楽しめるのですから好都合でした。
よって我が家の子どもたちは、3歳になると “山デビュー” をさせました。
目標は、「我が家から見える山は、すべて登る」。
赤城山や榛名山の全峰から遠く埼玉の山々まで制覇しました。
だから登山は、趣味ではありません。
金のない我が家の、苦肉のレジャーだったのです。
それが、のちに新聞の連載となり、著書として出版され、いつしか趣味が仕事になったように報じられたのです。
温泉もしかり、民話もしかり、地酒もしかりです。
趣味にすると、お金がかかります。
でも仕事にしてしまえば、お金になるのです。
「無 (趣) 味 無 収 (入)」 ゆえの生きる術だったのです。
無趣味なのは、収入が無いことの裏返しなんですね。
まあ、貧しかったからこの仕事に就けたのですから、今となっては無趣味に感謝しています。
やっぱり、無趣味バンザ~イ! \(^o^)/
Posted by 小暮 淳 at 11:49│Comments(0)
│つれづれ