2025年04月18日
思い出と希望の詩人
昔、といっても20歳の頃だから、半世紀近くも大昔の話です。
当時、僕は東京のとある私鉄沿線の街に暮らしていました。
そして、同じ沿線の街にある小さな書店で働いていました。
60代の老夫婦が営む書店には、通いで来る50代の経理のおじさんと、住み込みの10代の男子がいました。
僕は、配達だけを任されたアルバイトでした。
店がヒマになると、決まって主人 (社長) は、僕を向かいの喫茶店に誘いました。
「小暮君、ちょっと一服しよう」
そして、決まって主人は、生まれ故郷の話をしてくれました。
長崎です。
「小暮君は歌を歌っているんだよね」
「はい」
「じゃあ、さだまさしを知っているだろ?」
「もちろんです」
「彼は天才だね。長崎の誇りだよ」
と毎回、必ず、さだまさしの自慢をするのでした。
もちろん僕も10代の頃には、グレープ (さだまさしのいたグループ名) のレコードを聴いていました。
ソロになってからも、何枚かは買って聴いた記憶があります。
特にデビュー曲の 『精霊流し』 には、衝撃を受けました。
「なんだ、この歌詞は!」
と、今までの歌謡曲にもフォークソングにもなかった、まるで一編の小説を読んでいるような物語性に、文学を感じたことは言うまでもありません。
その後も、さだまさしさんは、数々のヒットを飛ばしました。
さらなる衝撃は、山口百恵さんに書いた 『秋桜』 でした。
秋桜と書いて、「コスモス」 と読ませたのです。
詩の内容も、嫁ぐ日の娘と母の心情を歌うという、やはり従来の歌謡曲やフォークソングにはなかったドラマに仕立て上げてありました。
そんな才能豊かな、さだまさしさんですから、小説を発表した時も驚く人はいなかったと思います。
2002年に発表した初小説の 『精霊流し』 が、いきなりベストセラーになりました。
むべなるかな、であります。
その後も彼は、シンガーソングライターと小説家の二足の草鞋を履き続けています。
いつか読んでみたいと思いつつ、20年以上の歳月が流れてしまいました。
最近、新聞記事で、さだまさしさんについての書評を読みました。
その中で、 『解夏』 を挙げていました。
解夏(げげ)とは、夏が終わること。
陰暦の7月15日、季語は秋。
さださんらしいタイトルです。
表題作 『解夏』 を含む4編の小説集です。
もちろん、映画にもなった表題作も胸を打つのですが、他の3篇も秀作です。
僕的には最後の 「サクラサク」 に涙腺をやられてしまいました。
日に日に記憶が遠ざかる父親と家族を連れて、父親の幼児期の記憶をたどるエリートサラリーマンの話です。
認知症の介護に携わった者だけに分かる、辛くやるせない心情描写が胸に迫ります。
解説を作家の重松清氏が書いています。
<このひとは思い出と希望の詩人だ。ずっと思っていた。さだまさし氏のことである。>
から始まる解説文も一読の価値があります。
うららかな春の宵に、ページをめくってみたらいかがでしょうか。
Posted by 小暮 淳 at 15:05│Comments(2)
│読書一昧
この記事へのコメント
カラオケで『案山子』を歌うと泣いてしまいます。さだまさしの小説ですか。読んでみようと思います。
Posted by まいちゃ at 2025年04月19日 00:38
まいちゃさんへ
まさに本屋のバイトで配達中に、ラジオから 「案山子」 が流れて来て、涙した記憶が今、よみがえって来ました。
カラオケでは 「檸檬」 を歌っています。
まさに本屋のバイトで配達中に、ラジオから 「案山子」 が流れて来て、涙した記憶が今、よみがえって来ました。
カラオケでは 「檸檬」 を歌っています。
Posted by 小暮 淳
at 2025年04月19日 10:12
