2025年04月28日
どう生きる? どう生きた?
「人生は、何をするかではなく、どう生きるかだ」
死んだオヤジの口ぐせでした。
10代に家を出て、夢を目指して東京へ向かう僕にも、やはりオヤジは、この言葉で見送ってくれました。
今、この歳になり、やたらとこの言葉が反芻されます。
「オヤジは、どんな意味を込めて、僕に告げたのだろうか?」
そして息子として、今になってオヤジの生涯を振り返ることが増えました。
常にオヤジは、一匹狼でした。
終戦後、語学力を買われて、進駐軍の通訳として働きました。
撤収後は、地元の中学校の英語教師になりましたが、校長とトラブルを起こし、わずか数年で退職。
その後は、たった一人で細々と私塾の経営をしながら、晩年まで暮らしました。
一見、唯我独尊のオヤジでしたが、正義感も強く、困っている人を放っとけない、やさしさも持ち合わせている一本気の人でした。
ただ最期まで、世間や他人に流されることなく、長い物に巻かれることなく、“自分” を貫いた一生だったと思います。
いま僕は、すでに当時のオヤジの年齢を越えています。
「何をするかではなく、どう生きるか」
という教えも、過去形として受け止めなくてはならない歳になりました。
「何をしたかではなく、どう生きてきたか」
とりあえず60数年間を、生きてみました。
常に、何かをしながら生きていたと思います。
では、どう生きたか?
日々、自問自答をくり返しています、
何かはしてきたけど……
その生き方までは、無頓着だったような気がします。
あと何年、生きられるのでしょうか?
オヤジの年齢まで生きられるとしたら、まだまだ30年近くもあります。
残りの人生、何をするかでなく、どう生きるか?
まさに、これからが真価を問われそうです。
Posted by 小暮 淳 at 11:38│Comments(2)
│つれづれ
この記事へのコメント
親父様の血を立派に受け継いでいますね!
Posted by お〜 at 2025年04月28日 20:02
お~さんへ
立派かどうかは分かりませんが、オヤジが残した家訓を胸に、残りの人生も思うままに生きて行こうと思います。
立派かどうかは分かりませんが、オヤジが残した家訓を胸に、残りの人生も思うままに生きて行こうと思います。
Posted by 小暮 淳
at 2025年04月29日 10:14
