2022年08月25日
ぐんま湯けむり浪漫 (19) 川古温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
川古温泉 (みなかみ町)
偉人たちに愛された渓谷の湯治場
猿ヶ京・三国温泉郷の一つ、川古(かわふる)温泉は赤谷川の渓谷にたたずむ一軒宿。
古くから神経痛やリウマチなどの湯治と療養の名湯として知られてきた。
湯の起源については不明だが、江戸の後期にはすでに温泉が存在し、大正時代には食料を持参で湯治客が入りに来る湯小屋があったという。
大正5(1916)年、木材を切り出して酢酸などを造る旧日本酢酸製造赤谷工場が、温泉の下流に設立された。
当時、酢酸は火薬の原料としても使われていたようだ。
この工場に勤めていた現主人の祖父が、温泉の湯守(ゆもり)から仕事を引き継ぎ、旅館を創業した。
川古温泉をこよなく愛した偉人の一人に、法学博士の廣池千九郎がいる。
昭和5(1930)年8月に初めて入湯して以来、翌年にかけて4回、計139日間も滞在している。
当時、千九郎は大病にかかり、発汗に苦しんでいた。
その療養に通っていたようだ。
また彫刻家で詩人の高村光太郎も昭和4(1929)年5月に訪れ、「上州川古 『さくさん』 風景」 という詩を残している。
詩の中に登場する
<ひつそりとした川古のぬるい湯ぶねに非番の親爺>
とは、
「私の祖父ではないか」
と、3代目の林泉さんは言う。
全身を泡の粒が包む新鮮な湯
≪川古のみやげは一つ杖を捨て≫
と言われるほど、昔から湯治場として親しまれてきた。
現在でも県内外から訪れる長期滞在の浴客が多い。
温泉の温度は約40度。
加温されないため、「持続浴」 と呼ばれるぬるい湯に長時間入浴する独特な入浴法が昔から続けられている。
リウマチの療養に年4~5回来ては10日間滞在しているという老人は、
「日に8時間、湯に浸かる」
と言った。
見れば、湯舟の中にペッボトル持参で、水分補給を欠かさない。
と思えば、石を枕に昼寝をする人や、本を持ち込んで読書をする人の姿も……。
思い思いの入浴スタイルで、現代の湯治を楽しんでいた。
熱い湯は自律神経系の交感神経を刺激するため覚醒作用があるが、逆にぬるい湯は副交感神経に働くのでリラックス効果があるという。
また長時間湯に入っていられるため、薬効成分が肌から吸収されやすく、皮膚病などに効能があるとされる温泉が多い。
なによりも、
「ふだんの生活から離れ、自然環境に恵まれた温泉場に滞在することにより、心と体のバランスが整えられる」
と林さんは、温泉の持つ “転地効果” の魅力を語る。
浴槽の底に小石が敷きつめられた内風呂に身を置いてジッとしていると、数分で全身に小さな泡の粒が付き出した。
足元から源泉を出しているため、空気に触れる前に人肌に触れるので、露天風呂に比べて泡の付きがいい。
湯が新鮮な証拠である。
<2019年5月号>
Posted by 小暮 淳 at 12:28│Comments(0)
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