温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年12月15日

ようこそ殺人現場へ② もう1つの墓


 読者の皆さんは、覚えていますでしょうか?
 明治時代に旧子持村 (現・渋川市) で非業の死を遂げた村医者の話を?

 俗にいう 「吉原玄宅夫妻殺害事件」 です。
 そして長年、この事件を追っていた僕は、先月、高崎市のフリーペーパーにドキュメント記事を掲載しました。
 すると、ある読者が編集室を訪ねて来て、謎めいた言葉を残して帰って行きました。

 「玄宅の墓は、高崎市にもある」
 ※(当ブログの2020年11月25日 「ようこそ殺人現場へ」 参照)


 さっそく僕は読者とコンタクトを取りました。
 そして、ヒントとなる地名と場所を聞き出しました。

 「高崎市E町にある公民館を探せ!」

 これまた、なんとも謎めいた言葉であります。
 本人も正確な情報をつかんではいないようで、それ以上の詳細は教えてくれませんでした。


 E町だけでも、いくつかの公民館があります。
 市が管轄する有人の大きな公民館から、自治会が管理する無人の公民館まで。
 住宅地図を頼りに、1つずつ訪ねるしかありません。

 これは、もう、刑事の聞き込みのような地味な作業であります。


 ところで、墓を探すのに、なぜ公民館なのでしょうか?
 寺院や墓地ではないのでしょうか?

 まさに、これが最大の謎として、立ちはだかりました。

 当然、公民館を訪ねて、医師の名を告げても 「知らぬ」 の一点張りです。
 「なぜ、公民館に墓なのか?」
 と、不思議がられる始末です。


 ところが、取材の神様とは、突然、降臨するものなのですね。
 これで最後、という小さな無人の公民館を訪ねたときです。
 敷地内を、くまなく探しても、墓石のようなものなんて、何一つありません。

 「やっぱり、タレコミはガセネタだったのか……」
 と敷地を出ようとしたときでした。
 塀の隣に、小さな墓地が見えました。

 「もしかして、ここのことだったりして」
 と、恐る恐る入っていくと……

 な、な、なんと!
 その墓地の墓石に書かれていた名字が、すべて同じだったのです。
 そうです、「吉原」 です!


 推測するに、ここは一族本家の墓所なのではないか?
 ここからたどれば、非業の死を遂げた医師の出生や生い立ち、果ては、なぜ高崎を追われたのかという最大の謎まで探し当てられるかもしれません。

 確かに、玄宅の墓は2つあったのです!


 謎学の旅は、つづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:08Comments(0)謎学の旅

2020年10月03日

忠治が呑んだ酒


 僕は群馬県内のいくつかの観光大使と温泉大使に任命されています。
 その数、5ヶ所です。
 別にコレクションをしているわけではないのですが、昨年、6つ目の大使が加わりました。

 「ぐんまの地酒大使」 です。


 任命されたきっかけは、フリーペーパーでの連載記事でした。
 2018年3月から高崎市内に無料配布されている 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) でスタートした 『群馬の地酒 ほろ酔い街渡(ガイド)』。
 この連載では県内の蔵元をめぐり、地酒を紹介しているのですが、ただ、ちょっと取材方法が変わっています。

 電車やバスを乗り継いで、時には何時間も歩いて、酒蔵にたどり着きます。

 なぜ、そんなにも手間をかけた取材をするのかって?
 それは、“酒を呑む” からにほかなりません。

 “呑んだら乗るな、乗るなら呑むな” の社会ルールに乗っ取って、ライターの僕とカメラマン氏の2人で、群馬県内の酒蔵を行脚 (あんぎゃ) しています。

 この、こだわり抜いた取材方法は、それだけにとどまりません。
 酒蔵を出た2人は、また電車やバスを乗り継いで高崎駅にもどり、その日に取材した地酒を求めて、夜の街へとくり出すのであります。

 ここまでの一連の取材が、ドキュメント記事となります。
 「ぐんまの地酒大使」 は、この手間暇かけた活動に対して、昨年の4月に委嘱されました。


 ということで昨日は、コロナ禍の影響で今年の1月以降、連載がストップしていた “酒蔵めぐり” の取材に行ってきました。
 訪ねたのは旧倉渕村(現・高崎市) の牧野酒造であります。
 創業は元禄3(1690)年、県内最古の蔵元。
 ご存じ、銘酒 「大盃(おおさかずき)」 で知られている県内屈指の酒蔵です。

 で、今回、第17代蔵元の牧野茂実社長に話を伺ってきたのですが、取材中に、思わぬトリビアと出合いました。
 それは、突然、雑談のときに飛び出しました。


 実は僕、「ちいきしんぶん」 には、『ぐんま謎学の旅』 というミステリーエッセイも連載しています。
 今年の9月4日号で 「忠治外伝 末期の酒 “牡丹” を探しに」 と題して、国定忠治が処刑される直前に呑んだ幻の酒を紹介したのであります。

 この酒は 「牡丹」 といい、嘉永3(1850)年12月、忠治が処刑された大戸村 (現・東吾妻町) にあった加部安という富豪の酒蔵が造っていました。
 (加部安は約150年前に廃業しています)


 そんな雑談を社長としていた時です。 
 「忠治は、うちの酒も呑んでたと聞いていますよ」

 えっ、えええええーーーーー!!!!

 でも、よーく考えてみれば、ありうる話なんです!
 加部安が酒造を始めたのは安永8(1779)年ですから、すでに牧野酒造はありました。

 「でも、『大盃』 ではありませんよね?」
 「ええ、当時は 『長盛(ちょうせい)』 という銘柄でした」


 では、なぜ 「大盃」 という銘柄が誕生したのか?
 そこには、幕末に活躍したこの地とゆかりの深い人物が関係していたのです。

 謎学の旅は、つづく……
  


Posted by 小暮 淳 at 12:44Comments(0)謎学の旅

2020年09月29日

殺害現場はココだ!


 「ああ、その話ね。聞いたこと、ありますよ。昔、といっても私が、ここに嫁に来た頃だから、戦後まもなくだけど……。地元の人から事件のことを知ってからは、怖くてね。あの場所だけは避けて通っていましたよ」
 畑仕事をしていた老婆が、手を止めて話してくれました。
 「あの場所? 知っているんですか!?」


 僕は十年近く前から、ある殺人事件に興味を抱き、コツコツと資料を集めてきました。
 その事件とは?

 明治31(1898)年12月16日、夜7~8時頃。
 群馬県の旧子持村(現・渋川市) 北牧字羽黒の路上で発生した殺人事件です。
 医師の吉原玄宅さんが、往診へ向かう途中、何者かに襲われ、手斧で滅多打ちにされ、殺害されました。

 これだけなら通り魔による犯行にも思えるのですが、その後、犯人は奇妙な行動をとります。
 その足で医師宅へ行き、留守をしていた奥さんを殺害。
 家の中を物色して、金品を奪っています。

 村中が大さわぎとなり、消防団総出となって八方手を尽くしましたが、犯人は見つかりませんでした。
 ところが……
 この事件は、あっけない終焉を迎えます。
 翌日の葬儀に刑事が張り込んでいると、参列者の中に手をケガしている者を発見。
 問い詰めたところ、いとも簡単に犯行を自供したといいます。


 なーんだ、どこにでもあるような殺人事件じゃないかと思いましたか?
 だったら僕も興味など持ちませんし、躍起になって120年以上も前の事件の資料を集めたり、現場になんて出かけませんって!
 ミステリーは、その医師の死後に起きたんです。
 ※(詳しくは、当ブログの2020年9月4日 「殺人事件の被害者が神になるとき」 参照)


 僕は昨日、もう居ても立ってもいられなくなり、長年、調べた資料を握りしめて、3つの現場を訪ね歩いてきました。
 まず墓所。
 立派な屋根付きの祠の中に墓石がありました。

 次に、殺害された医者の住居跡。
 これは、「たぶん、このあたり」 という現地の人の証言に留まりました。

 そして、殺害現場。
 これは、難儀しました。
 なにせ現場の住所が、旧地名ですからね。
 役場の支所を訪ね、現在の “どこ” に当たるのかを調べました。

 ところが、だいたいの場所は分かったものの、“字” のエリアは広い!
 田畑が残る場所でしたが、住宅も点在しています。
 何よりも聞き込みをしたところで、そんな昔の事件を知っている人なんていません。
 (実際、役場の人は、誰一人知りませんでした)


 ところが!
 突然、取材の神様が舞い降りて来たんです!

 近くで畑仕事をしていた老婆に声をかけると、ピンポイントの場所を教えてくれました。
 それが冒頭に記した一文です。
 そして行ってみると、そこは交通量の多い国道の一角でした。


 殺害現場は判明しました。
 ところが僕の心の中は、スッキリしません。
 まだモヤモヤと何かが、くすぶっています。

 それは犯人の “素性” と “動機” です。
 葬儀に参列していたということは、顔見知りだったのか?
 目的は、殺害なのか金なのか?


 そこで読者のみなさんに、お願いがあります。
 この事件の詳細を知っている人がいたら、ご一報ください。

 俗に 「吉原玄宅夫妻殺害事件」 と呼ばれていますが、まだまだ解明されていない謎の多い事件です。
 120年前の地方の田舎町で起きた事件ゆえ、すでに覚えている人もいませんし、残された資料の数も少なく、難儀をしています。

 もし、ご存じの方がいましたら、ご協力をお願いいたします。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:13Comments(0)謎学の旅

2020年09月27日

宮子の浦島太郎


 <伊勢崎市宮子町を流れる広瀬川に架かる 「竜宮橋」 のたもとに、「竜神の森」 と呼ばれる小高い岩山があり、竜神様が祀られている。この岩山の下には深い淵があり、竜宮城へつながっているという。>
 (『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 より)


 一昨年、僕は群馬県内の民話や伝説の舞台を集めた 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) という著書を出版しました。
 発売当初から新聞やラジオなど各メディアが取り上げてくださったおかげで、話題となり、書店での売り上げも好調のようです。
 特にコロナ禍の自粛影響もあり、手軽に身近な謎をめぐることができるガイド本として注目されたようで、出版元からは 「今年の春から急に売れ出した」 との報告もいただきました。

 また昨年秋頃からは、民話をテーマとした講演依頼が入るようにもなりました。
 長年、「温泉」 をテーマとした講演活動は続けてきましたが、まさか、「民話」 をテーマに話をするようになるとは……

 人生は、いつ、なにが、どうなるのか、まったくもって予測不能であります。


 先月、高崎市内の某公民館にて、「民話と伝説の舞台」 を演題としたセミナーがあり、僕が講師として招かれました。
 本来は地域在住の高齢者向けのセミナーだったのですが、コロナの影響により年齢が下げられ、一般向けとなったため、受講者の年齢は幅広く、市外からの参加者もいました。

 その中に一人、県外から参加してくださった僕と同年配の男性がいました。


 とはいっても、素性を明かせば、僕の高校時代の同級生です。
 以前、このブログにも登場したことのあるチンドン屋の座長さんであります。
 ※(2020年3月23日 「紙芝居がやって来た!」、2020年6月10日 「コロナ太郎に負けるな!」 参照)

 なぜ、彼は遠路はるばる県外から僕のセミナーに参加したのか?

 その答えは、セミナー終了後にありました。
 「ジュン、久しぶり」
 「今日はありがとう。よく来てくれたね」
 「このあと、どこかで話せるかな?」

 ということになり、ランチがてら近くのファミレスへと向かったのでした。
 そして、そこで出た話題が、冒頭に記した伊勢崎市内に伝わる浦島太郎伝説でした。
 伊勢崎は、彼が生まれ育った故郷なのです。

 彼いわく、「ぜひ、この話を紙芝居にしたい」。


 あれから1ヶ月……
 僕と彼は、ひそかにメールのやり取りを続けました。
 そして一昨日、作画を担当するイラストレーターを伴い、3人で現場の下見に行ってきました。

 おりしも台風の影響で、関東地方は朝からあいにくの雨です。
 しかも、僕らが竜宮の森に着いた時には、より雨足が激しくなっていました。

 「こりゃ、なんだか、我々の訪問をはばんでいるようだな」
 と、不安顔の彼。
 だから僕は、言ってやりました。
 「竜神様は、水の神様なんだよ。伝説でも、この森の上を竜が舞い、雷鳴がとどろき、激しい雨を降らせているんだ」
 「だったら、これは歓迎されているのか?」
 「そうだよ」

 そして僕らは、森の中にある浦島太郎が祀られている龍神宮へ向かって歩き出しました。


 謎学の旅は、つづく……
   


Posted by 小暮 淳 at 12:01Comments(0)謎学の旅

2020年09月10日

うれしたのしトリビア会議


 おかげさまで、このコロナ禍においても、順調に撮影は続いています。
 群馬テレビの人気謎学バラエティー番組 『ぐんま!トリビア図鑑』。
 僕は放送開始の2015年4月より、番組のスーパーバイザーを務めさせていただいています。

 今年で6年目。
 オンエアも今週の放送で、第218回を数えます。
 これもひとえに、スポンサー様およびコアな視聴者様の賜物です。
 関係者の一人として、厚く御礼を申し上げます。


 なーんて、堅苦しいあいさつで始まってしまいましたが、要は、とっても楽しいんです!
 3ヶ月に1回開かれる企画構成会議が、昨日、行われました。
 プロデューサー、ディレクター、放送作家らが集まり、僕も末席に参加させていただきました。
 そして、2時間以上もの白熱した討論の末、11月~来年1月までのテーマと担当者が決まりました。

 出席者のみなさん、大変お疲れさまでした。
 また局のスタッフのみなさんには、“3密” に気を遣いながらの会場のセッティング、資料の用意、お茶の準備等、大変お世話になりました。
 ありがとうございます。


 ということで今回は、会議からオンエアまでの番組の流れを簡単に紹介したいと思います。
 ① まず会議では、各々が持ち寄ったネタが発表されます。
 ② 過去に放送したネタとの重複の有無、“落としどころ” と呼ばれる起承転結の 「転」 と 「結」 の部分について話し合います。
 ③ 「決定」 すると、担当するディレクターおよび放送作家、レポーター(局アナorフリーランス) を選出します。
 ④ 後日、ディレクターと放送作家がロケハン(ロケーション・ハンティング) と呼ばれる現地の下見に行きます。
 ⑤ そして、撮影当日を迎えます。
 ⑥ その後、編集作業を経て、オンエアとなります。

 僕は、スーパーバイザーでもありますが、“ミステリーハンター” という肩書で、時々、番組にも出演するため、自分が提案したネタが採用された場合は、ロケハンにも同行します。


 先週、一本、ロケハンを済ませてきました。
 いよいよ来週、収録となります。
 内容については追って、ご報告いたします。

 今後とも 『ぐんま!トリビア図鑑』 を、よろしくお願いいたします。


 ●放送局/群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●放送日/火曜日 21:00~21:15 (毎月最終火曜日を除く)
 ●再放送/土曜日 10:30~10:45 月曜日 12:30~12:45
  


Posted by 小暮 淳 at 11:49Comments(0)謎学の旅

2020年09月04日

殺人事件の被害者が神になるとき


 あれは、もう20年近くも前のこと。
 取材で、鎌倉の円覚寺へ行きました。
 このお寺には、たくさんの著名人が眠っています。

 映画監督の小津安二郎、女優の田中絹代、作家の開高健……

 その中に、坂本弁護士一家の墓もありました。
 忘れもしない、平成元(1989)年11月4日にオウム真理教の幹部たちにより殺害された事件の被害者です。
 墓前に立つと、非業の死を遂げた無念への怒りに似た感情が込み上げてきました。

 手を合わせた時、確かに他の著名人とは異なる、“願い” がありました。

 「いつか、この人は、神になる」
 その時、そう思いました。


 民話や伝説の世界にも、庶民信仰により、神と崇められるようになった人物がいます。
 人が非業の死を遂げると、民衆は、その怨念を果たしてやろうと願うようです。
 群馬県にも、明治時代に非業の死を遂げた医者が、その後、信仰の対象となった伝説 (これは史実のようです) があります。

 明治31(1898)年12月16日の夜。
 北群馬郡子持村白井(現・渋川市) の医師、吉原玄宅は、往診の帰り道、何者かに襲われ、手斧で滅多打ちにされ殺害されました。
 犯人は玄宅を殺害後、さらに玄宅の家へ行き、玄宅の妻も襲い、同じく手斧で殺害したのです。

 犯人は顔見知りだったようで、翌17日の葬儀に現れたところを、張り込んでいた刑事により逮捕されました。
 金品を奪うのが、目的だったようです。


 夫妻は、今でも市内の墓地に眠っていますが、「お参りするとすべての病気が治る」 といわれ、参拝者が絶えないといいます。
 また、墓石を欠き、粉にして飲むと中風に効くともいわれ、墓石が削り取られてしまったため、現在は祠に覆われています。

 非業の死を遂げた者の果たせなかった情念に対して、民衆が代わりに信仰によって果たそうとする伝承の力を感じます。
 玄宅医師にせよ、坂本弁護士にせよ、生前の “徳” が死後も人々の心を動かし続けていることには違いありません。


 人生は、いつ何時、何が起こるか分かりません。
 日々の徳積みが、大切なのですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(0)謎学の旅

2020年09月03日

頼朝の墓があった!?


 謎が謎を呼んでしまいました。


 源頼朝といえば、歴上の有名な人物。
 鎌倉幕府を開いた征夷大将軍です。
 と、昔、教科書で習いました。

 温泉ファンにとっては、温泉発見伝説の多い偉人として、 “御三家” の一人に数えられています。
 日本武尊、弘法大師と源頼朝です。
 群馬県内だけでも草津温泉(草津町) をはじめ、川原湯温泉(長野原町)、花敷温泉(中之条町)、沢渡温泉(中之条町) などに、頼朝伝説が残されています。

 伝説は、あくまでも伝説ですから史実とは異なる場合がほとんどですが、「群馬に来た」 という伝説がある限り、可能性は0(ゼロ) ではありません。

 実は僕、頼朝の墓を見つけてしまったんです!


 先日、僕がスーパーバイザーを務める地元テレビ局の番組で、県内の寺院に行って来ました。
 この番組では、時々、僕が 「ミステリーハンター」 という肩書で、レポーターとともに “謎学の旅” に出かけています。
 その下見、いわゆるロケハン(ロケーション・ハンティング) に行ってきました。
 同行者は、番組のディレクターと放送作家です。

 オンエア前なので、場所は明かせませんが、開山は大同2年(807) という古刹です。
 現(41世)住職に、この寺に伝わる 「七不思議」 について話を聞いているときでした。
 住職からいただいた境内の略図の中に、とんでもない文字を見つけてしまいました。

 <源頼朝の墓>

 「えっ! この寺には、頼朝とのいわれがあるのですか?」

 これまた住職からいただいた別の資料には、こんな一文が記されていました。
 <正治元年(1199) 尼僧が住み尼寺となる。梶原景時の女が勝道上人の旧址を慕ってお堂を建て、地蔵菩薩を本尊とし、源頼朝や梶原景時の霊を慰めた。>

 勝道上人は、日光開山の祖といわれる僧で、この寺の開祖でもあります。
 梶原景時は、頼朝の側近です。

 でも頼朝の墓は、鎌倉にあるとばかり思っていましたから、驚きです。


 「なんだか、面白くなってきましたね! 行ってみましょう!」
 と僕は、大はしゃぎ。
 本来のロケハンを忘れて、気が付いたら本堂から境内へ、真っ先に飛び出していました。

 ありました!
 立派な墓石であります。
 源頼朝と梶原景時、2基仲良く並んでいます。

 ところが……

 「小暮さん、ちょっと、これ、見てください」
 放送作家が、墓石の文字を指さしました。

 あれ、あれれれれ……

 よーく見ると、「よりとも」 と平仮名で書かれています。
 でも墓石自体は、かなり古いものです。
 後世になって、いたずらで建てられたものではないようです。

 しかも建立されたとされる正治元年は、頼朝の没年と符合します。


 はて、これはいったい?
 謎を探しに出かけたら、新たな謎に出合ってしまいました。

 謎学の旅は続くのです。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:03Comments(2)謎学の旅

2020年08月20日

ウナギと茶柱の共通点


 昨日の続きです。

 言い伝えとは、先人たちが知恵の文化を後世に伝えたいという思いを込めた口承であり、すべての言い伝えには意味があることを書きました。
 しかし中には、意図的に作られた “やらせ” や “でっちあげ” も、ままあるようです。


 有名なものでは、「夏の土用の丑の日」 にウナギを食べるという風習。
 諸説あるようですが、一般的には江戸時代の蘭学者、平賀源内の発案だったと伝わります。

 本来、ウナギの旬は、秋から冬。
 産卵前の脂ののった、味が濃くて、こってりしている旬のウナギに対して、夏のウナギは人気がありませんでした。
 そこで、ウナギ屋が知恵者である平賀源内に相談したところ、「丑の日だから “う” のつくものを食べると縁起がいい」 という語呂合わせを提言したといいます。
 すると大盛況となり、ウナギは暑い夏のスタミナ源として、夏の土用に欠かせないものとなったとのことです。

 一種の販売戦略だったのですね。


 私たちが、よく知っている言い伝えの中にも、商人が考え出した名コピーが存在します。
 「茶柱が立つと縁起がいい」

 最近は、インスタントのティーパックやペットボトルでお茶を飲む人が、ほとんどなので、ピンとこない人もいるかもしれませんが、急須に茶っ葉を入れて飲むのが当たり前だった時代には、頻繁に使われた言葉です。
 子ども心にも、湯のみ茶碗の中で、ピンと一本だけ立っている茶柱を見た時は、「これは、いいことがあるぞ!」 とわけもなく喜んだものでした。

 ところが、この “茶柱が立つ” という現象を吉兆と結びつけたは、商人の苦肉の策だったという説があります。
 誰もが知っているように、お茶は最初に摘み取った 「一番茶」 が、一番おいしいのです。
 そのため、後から摘んだ 「二番茶」 のお茶は、売れ残りました。
 そこで、お茶の産地である静岡の商人が、「どうすれば、この二番茶が売れるか?」 と思案した結果、この名コピーが生まれたといいます。

 上質の一番茶に比べると、二番茶は必然的に茎の部分が入り込みやすくなります。
 ですから安いお茶ほど、茶柱が立ちやすくなるわけです。
 静岡の商人は、これを逆手にとって、売りさばいたのです。

 まさに、現代でいう名コピーライターよる演出だったんですね。


 現代でも、似たようなことは、多々あります。
 バレンタインデーやホワイトデーしかり、各業界が 「〇〇の日」 を設定して、あの手この手で商品を売ろうとしています。
 一発当たり、定着すれば、その業界は何百年と安泰となります。

 コロナ禍のおり、いかがですか?
 不況に頭を抱えているだけではなく、時代を超える名コピーを考えてみては!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:46Comments(0)謎学の旅

2020年08月19日

臍隠して指隠さず


 ♪ 夕立 そこまで来ている 雷ゴロゴロピカピカ
   情け容赦ないみたいだ
   誰もが一目散へと どこかへ走る
   カエルはうれし鳴きをしている
    (井上陽水 「夕立」 より)


 ザーッと、ひと雨くれば、いいのですが……

 僕が子供の頃は、毎日決まって夕方になると、通り雨のような夕立が来ました。
 広場や神社の境内で遊んでいると、急にモクモクと入道雲が湧き上がって、田んぼのカエルが一斉に鳴き出します。
 やがて、ポツポツと大粒の雨が降り出し、突然、ザーッと激して雨が子供たちを襲います。
 追って、耳をつんざくような雷鳴がとどろき、僕らは一目散に木陰や民家の軒下に逃げ込んで、まるで鬼の過ぎるのを待つみたいに、ジーっとしているのでした。

 それでも20~30分もすると、雨は止み、また青空が顔を出します。
 そして僕らは、また遊び出しました。

 夕立の後は、気温が下がり、しのぎやすかったことを覚えています。
 なのに今は、まったく夕立が来ません。
 たまに来ても、それは夕立ではなく、集中豪雨です。

 なんだか地球が、おかしなことになっているようです。


 雷といえば、子供の頃、よく親に 「雷が鳴ったらヘソを隠せ」 なんて言われました。
 なんで、そんなことを言うんだろう?
 雷様は、ヘソが好物なのかな?
 なんて思っていましたが、大人になったら、その意味が分かりました。
 雷が発生して、にわか雨が降ると、急激に気温が下がるからなんですね。
 だから寝冷えをしたり、風邪を引かないようにと、腹巻をして寝たんですね。

 昔の人たちの知恵です。
 言い伝えとは、必ず、意味が隠されているということです。


 隠すといえば、「霊柩車を見たら親指を隠せ」 とも言われました。
 「なんで?」 と大人たちに問えば、「親の死に目に遭えなくなるから」 と教わりました。
 「ウソだい。ただのジンクスだよ」 と思いながらも、子供たちは、霊柩車を見ると親指を掌の内側に入れて、隠したものでした。

 この言い伝えの謎は、ただ大人になっただけでは解けませんでした。
 ここからは、僕が民話や伝説を取材しながら拾った雑学です。

 霊柩車は、“死” を意味します。
 死は不吉なものであり、不浄なものと考えられていました。
 この死者の霊を入り込ませないようにする “おまじない” だったと考えられます。

 では、なんで親指なのか?

 昔、疫病や悪霊は、親指の爪の間から入り込むと信じられていたようです。
 たぶん、これに起因して、霊柩車を見たら親指を隠すようになったと思われます。
 そして、親指と親をかけたのでしょうね。
 もちろん、霊柩車は現代に置き換えた言葉です。
 昔は 「葬列に出遭ったら」 だったに違いありません。


 言い伝えって、面白いですね。

 現代では、雷が鳴っているさ中、ヘソを出している人なんて、滅多にいません。
 でも、霊柩車を見て、親指を隠す人は、どれだけいるのでしょうか?

 僕は、ちゃんと親指を隠していましたよ。
 だから両親の死に目に遭えました。
     


Posted by 小暮 淳 at 10:49Comments(2)謎学の旅

2020年08月11日

この木なんの木、日本一の木!


 素晴らしい!
 快挙です!


 「ジュンさん、これなんですよ」
 と言って、彼はスマホの画像を見せてくれました。
 そこに写っていたのは、樹冠を青々と広げた立派な一本の巨木でした。

 それから数日後の昨日、地元の新聞に大きく、彼と巨木の記事が載りました。


 <前橋市小屋原町の桃ノ木川の河川敷に自生しているアカメヤナギ (別名マルバヤナギ) の幹周が、環境省の巨樹・巨木林データベースに登録された同種の樹木の中で最大となる10メートル97センチであることが分かった。自ら測定し、登録申請した渋谷和之さん (年齢・住所省略) は 「全ての樹木が載っているわけではないが、身近な場所に日本一の木があったとは」 と驚いている。>
 (2020年8月10日付 上毛新聞より)

 アカメヤナギは、ヤナギ科ヤナギ属で、河岸や池、湖などの岸辺に生える落葉高木。
 枝葉はしだれず、垂直または斜めに伸び、葉は広い楕円形とのこと。
 「ヤナギ」 と聞くと、風に揺れる細長い葉っぱをイメージしてしまいますが、葉が丸い種類も多いそうです。


 記事によれば、このアカメヤナギは、高さ9メートル、上から見た枝の広がりは約26メートル。
 幹周は48~235センチの計7本に分かれていて、その合計が約11メートルになるため “日本一” の登録となったとのことです。

 「最初はさ、なんていう木かも全然、分からなったの。何回も通って、アカメヤナギだと分かったわけ」
 それにしても、計測して、申請して、登録にこぎつくまでの労力は、なかなか凡人には真似できませんって!
 測量業を生業にしている彼だからこそ達しえた、偉業だといえます。

 ちなみに、これまでの最大は、2007年に確認された前橋市上泉町の 「桂萱 (かいがや) 小学校のアカメヤナギ」 の幹周約5メートル50センチでした。
 もしかすると前橋市は、今後、“アカメヤナギの里” として有名になるかもしれませんね。


 それにしても、アッパレ!
 カズ君、やったね!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:27Comments(0)謎学の旅

2020年06月15日

幻の銘酒に魅せられて


 ワクワクが止まりません。
 寝ても覚めても、そのことばかり考えています。

 またしても持病の “謎学症候群” が発症したようであります。


 心はネットの検索と図書館をさまよい、体は3密を避けて県内を東奔西走しています。
 それでも、なかなか真実に、たどり着けないところが 「謎学」 の面白さなのであります。

 さて、その正体は?
 “酒” であります。

 酒といっても、ただの酒ではありません。
 今から150年前に製造を終えてしまった幻の酒であります。

 いったい、どんな酒だったのか?
 どんな味がしたのか?
 甘口なのか、辛口なのか?
 思いは、募るばかりです。


 1週間の調査の末、なんとか酒蔵跡と酒造りに使用されたという井戸に、たどり着きました。
 それと、ほんの少しですが、当時の文献も手に入れました。
 その中に、こんな一文を見つけました。
 文政6年(1823) 、戯作者、十返舎一九が江戸から草津への旅の道中に書かれたものです。

 < (前略) 此所に〇〇酒と云う名産のあるを吹筒に移し入れ行に (後略) >
 『上州草津温泉往来』 より

 〇〇というのは、銘柄名です。
 また場所の判明を避けるため、あえて前後の文章を略させていただきました。


 150年という時空を超えて、もし、現代によみがえさせることができたなら……
 「ぐんまの地酒大使」 として、残りの人生を賭ける価値があるのではないかと……

 夢は大きく、ふくらみ続けています。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:56Comments(0)謎学の旅

2020年06月09日

謎学は楽し!


 「そろそろ、いかがですか?」
 「大丈夫ですか?」
 「3密を避ければ、いいでしょう。何より読者が待っていますよ」

 とかなんとか、編集長と電話のやり取りがあり、急きょ、編集会議を開きました。


 僕は一昨年(2018年8月)、『民話と伝説の舞台』 という著書を出版しました。
 これは高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 の2007年8月~2018年7月に連載されたエッセイを、まとめたものです。
 そして、この本には、サブタイトルが付いています。

 “謎学の旅” です。


 ということで、民話と伝説の謎学の旅は、本の出版を機に連載を終了しましたが、読者には好評だったため、引き続き、昨年の2月より “シリーズ2” として、新たに 「ぐんま謎学の旅」 が始まりました。
 今回のシリーズは、民話や伝説に限らず、ミステリースポットなど、まことしやかに伝わる不思議な現象や歴史の事象を徹底解析する、相変わらずバカバカしくて、ちょっぴりためになる企画なのであります。

 ところが昨年12月の 「マリア像を探せ! 隠れキリシタンの里を訪ねて」 の掲載以降、コロナ自粛もあり、連載は途切れていました。
 でも、いよいよ、満を持して、再連載スタートです!


 「小暮さん、その後、ケサランパサランは順調に育っていますか?」
 「順調かどうか、何の変化もないよ」
 「では、ケサランパサランのネタは無理ですかね?」
 「ああ、子どもでも産んでくれればね。観察記録でも書けるんだけど……」

 会議は、難航していました。
 と、突然、何の脈略もなく、編集長が、
 「K・Tって、前々から気になっていたんですよね」
 「K・Tって、あのK・T?」
 「ええ、そうです」

 K・Tとは、群馬県民なら誰でも知っている歴上の人物です。

 「人物追っても、仕方ないでしょう?」
 と僕が言い終わらないうちに、待ってました!とばかりに編集長は、テーブルの上に数冊の本をドン!と積みました。
 「外伝ですよ」
 「ほほう! 外伝ね……」

 しばらく時間をいただいて、僕はパラパラと書籍類に目を通しました。

 「いかがです? 面白そうでしょう?」
 「いいね、これはトリビアだね」
 「しかも、しっかり舞台もあります。写真の撮影もできますよ」
 「だね、次回は、これで決まりだな!」


 ということで、すぐに取材日も決まりました。
 掲載は、7月~8月の予定です。
 乞う、ご期待!

 謎学は楽し!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(0)謎学の旅

2020年05月07日

求む! ヘイサラパサラ


 もう、うんざりです。
 どこもかしこも、コロナ、コロナ、コロナ一色です。

 テレビをつけれは、ニュースやワイドショーは、すべてコロナ関連。
 ドラマやバラエティーにいたっては、再放送や過去の総集編ばかり。
 どうにか自分だけでも別世界に行こうと、部屋を無音にして、ひたすら読書にいそしんだりしているのですが、それも限界があります。

 ついつい、アルコールに手が伸びてしまい、のんべんだらりと、見たくもないテレビをつけっ放しにしてしまいます。


 がっ! 突然、僕の視界に、とんでもない映像が飛び込んで来ました。
 先日、放送されたテレビ東京の 『開運!なんでも鑑定団』 です。
 この番組も例外なく、過去の番組を再編集した名場面特集でした。
 テーマは、「珍品」。

 そして、出てきたお宝は、白い石のような物体です。
 あれ、もしかして、これは?
 解説のテロップには、「馬糞石」 と表示されました。

 ばふんせき?

 ということは、馬の体内から排泄された石のことであります。
 おいおい、だったら、“ヘイサラパサラ” じゃねーのか?
 でも、番組内では一貫して 「馬糞石」 で通しています。

 しかーーーーしッ!!!!
 僕は見てしまったのです。
 一瞬でしたが、江戸時代から伝わるお宝が納められていたという木箱に書かれていた文字を!

 見まごうことなく、そこには、ハッキリと墨字で 「ヘイサラパサラ」 と書かれていました。


 ヘイサラパサラとは、“第3のケサランパサラン” とも呼ばれる、ケサパサ界の珍品中の珍品であります。
 語源はポルトガル語で、「馬の結石」 のこと。
 しかし、数万頭に1つの割合でしか排泄されないため、昔の人は 「馬宝石」 とも呼んでいました。
 ※(詳しくは、当ブログの2020年2月4日 「謎の生物 ヘイサラパサラ」、2020年5月4日 「ケサ男とパサ子」 などを参照)


 で、鑑定額は?

 な、な、な、なーーーんと! さんびゃくまん!!!!
 300万円ですぞ!

 僕は思わず、呑んでいた日本酒のグラスを落としてしまいそうになりました。
 いくらなんでも、予想をはるかに超えた驚きのプライスであります。


 ということで、改めて、ヘイサラパサラの情報を募ります。
 価値が分かってしまった今、うかつに 「譲ってください」 とは言えませんが、もし、お持ちの方がおられましたら、どんな情報でもかまいませんので、ご連絡ください。
 匿名でも結構です。

 また、「見たことがある」 「持っている人を知っている」 という間接的な情報でも大歓迎です。
 よろしくお願いいたします。

 求む! ヘイサラパサラ

 

  


Posted by 小暮 淳 at 12:27Comments(0)謎学の旅

2020年05月04日

ケサ男とパサ子


 愛犬のマロが死んで、半年以上が経ちました。
 いまだ僕の心には、ポッカリと大きな穴が空いたままです。
 「ああ、こんなとき、マロがいてくれたらなぁ……」
 ことあるごとに、そう思ってしまいます。

 まして今は、コロナ自粛により、家に居ることの多い毎日です。
 「もし、マロが、あと一年長く生きていてくれたら……」
 家の中で、一緒にテレビを観たり、音楽を聴いたり、昼寝をしたのに。
 散歩だって、ただ黙々と歩くだけではなく、途中で出会う “犬友仲間” とのオシャベリを楽しめたのに。

 いくら無いものねだりをしてみたところで、マロが帰って来るわけではありません。
 しかたなく、“ひとり遊び” の毎日を続けていました。
 が!
 待てよ!
 我が家には、最強のペットがいるではありませんかーーーーっ!!!!

 そうです! あの伝説のナゾの生物 「ケサランパサラン」 です。
 以前このブログで、子どもの頃に遭遇して以来、生き別れになっていたケセランパセランの情報を求めたところ、心ある方から 「うちで繁殖したから差し上げます」 と連絡があり、2匹いただいたのであります。
 ※(ケサランパサランが我が家に来た経緯については、当ブログの2020年3月31日 「ようこそ!ケサパサ」 を参照)


 ケサランパサラン (ケセランパセランともいう) とは?
 江戸時代以降の民間伝承の謎の生物とされる物体で、外観はタンポポの綿毛やウサギの尻尾のようなフワフワした白い毛玉に覆われている。
 持ち主に幸運をもたらすとの言い伝えがあり、出合うと幸せになるという。
 西洋では 「エンゼル・ヘア」 などとも呼ばれている。

 東北地方の方言で 「ケサラーパサラ」 という言葉があり、“毛玉” を意味する。
 また広辞苑には 「ヘイサラ・パサラ」 というポルトガル語より転じた言葉が載っていて、これは <牛や馬の腹の中から出る結石のこと> とあり、<解毒剤に用いられた> とある。

 ということで、ケサランパサランは大きく分けて3種類あります。
 ●タンポポの綿毛のような植物性ケサランパサラン
 ●ウサギの尻尾のような 「毛ん玉」 と呼ばれる動物性ケサランパサラン
 ●ポルトガル語が語源とされる 「馬ん玉」(牛馬の排泄物) とも呼ばれるヘイサラパサラ


 で、我が家にやって来たのは最もポピュラーな植物性のケサランパサランです。
 大きいほうは約3cm、小さいほうは約2cm。
 ともにビンの中で、無数の細い枝毛を伸ばして、宙に浮いた状態で仲良く暮らしています。

 どちらもオスかメスかは分からないのですが、勝手に僕は、大きいほうに 「ケサ男」、小さいほうに 「パサ子」 と名前を付けて呼んでいます。

 今のところ2匹は、交尾をした様子もなく、数は増えていません。
 でも、大量の繁殖に成功して、コロナ禍が終息したら 「幸運を招くエンゼル・ヘア」 として売り出し、ひと儲けしてやろうと、ひそかにたくらんでいます。

 ヒ、ヒ、ヒ、ヒ、ヒ……(ほくそ笑み)
   


Posted by 小暮 淳 at 12:48Comments(0)謎学の旅

2020年03月31日

ようこそ! ケサパサ


 ちょっぴり僕は、興奮しています。

 昨日からドキドキが止まりません。
 だって、だって、ついに、我が家に、あの、あこがれの “ケサランパサラン”(略して「ケサパサ」) が、やって来たのです!
 ※(地域によっては、「ケセランパセラン」 「ケセランパサラン」 ともいう)


 以前、このブログで 「ケサパサ」 の情報を募ったところ、たくさんの方から資料や写真をいただきました。
 その中に、現在でも飼育しているという男性からの連絡があり、さっそく昨日、お会いしてきました。

 報告の前に、まずはケサパサの基礎知識の復習をしておきましょう。
 ケサパサは、大きく分けて3種類あります。
 一般的なのは、タンポポの綿毛のような直径2~3㎝の 「植物性ケサパサ」。
 それと、別名 「毛ん玉」 とも呼ばれる直径5~6㎝の 「動物性ケサパサ」。

 あと1種類は、「馬ん玉」 という直径8㎝以上にもなる大きくて硬い石のような白い玉です。
 正式名は 「ヘイサラパサラ」 と呼ばれ、ケサパサとは別物として区別される場合もあります。
 ※(詳しくは当ブログの2020年2月4日 「謎の生物 ヘイサラパサラ」 参照)


 ということで、昨日、ケサパサ飼育者のSさんと市内某所でお会いしました。
 某所とは、約10年前にSさんが、ケサパサを捕獲した場所です。

 その日、Sさんは、居酒屋の帰りに川のほとりを歩いていました。
 まだ明るかったといいますから、たぶん春~夏の夕方だったのでしょう。
 突然、目の前にフワフワと白い綿毛のようなモノが、空から舞い降りてきました。
 それも、続けて2つ……

 「すぐにケサランパサランだと、分かったのですか?」
 「はい、ちょうどその頃、偶然にも飲み屋で、ケサランパサランの話題で盛り上がったことがあったものですから」

 そう言うとSさんは、バッグから小さなビンを取り出しました。
 「はい、これ、2匹います。小暮さんに差し上げます」
 「えっ、差し上げるって、こんな大切なモノを。それも、その時の2匹なんでしょう?」
 すると、意外な言葉が返ってきました。

 「いえ、7匹に増えたんですよ。だから大丈夫です。うちには、まだいますから」

 ギエッ、ギェギェーーーー!!!!!
 「増えた?」
 「はい」
 「では、本当にいただいてしまっても、よろしいんですね?」
 「どうぞ、どうぞ」


 ということで、今、僕の目の前には、2匹のケサパサが仲良くビンの中で暮らしています。
 1匹は3㎝ほど、もう1匹は2㎝ほどです。
 親子なのか、つがいなのか分かりませんが、2匹とも枝毛を長く伸ばして、宙に浮いています。

 正真正銘の植物性ケサランパサランです。


 Sさん、ありがとうございます。
 立派に育てて、増えたら、この2匹は里帰りさせますからね。
 その日を楽しみに、待っていてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:40Comments(2)謎学の旅

2020年02月04日

謎の生物 「ヘイサラパサラ」


 相変わらず僕は、“ケサランパサラン” を追いかけています。
 ケサランパサランとは、江戸時代以降に民間伝承により伝わるナゾの生物です。
 調査により、新たな事実が判明しました。

 ケサランパサランは、少なくとも3種類が存在するということです。


 先日、ケサランパサランを飼育しているという男性にお会いして、話を聞くことができました。
 彼は酒を呑んだ帰り道に、川のほとりを歩いている時に舞い降りてきたところを捕獲したといいます。
 自宅で大切に保管されているということで、まだ実物は見ていませんが、僕がケサランパサランの資料を見せると、「このタイプです」 とタンポポの綿毛のようなものが写っている写真を指さしました。

 いわゆる 「植物性ケサラン」 といわれる、もっともポピュラーなタイプです。
 一説では、アザミやオキナグサなどの花の冠毛ではないかとされています。
 直径は2~3cmですが、飼育により枝毛が伸びて、倍以上の大きさにもなるようです。
 エサは一般には、おしろいの粉とされています。

 資料を眺めていた彼が、こんなことを言いました。
 「こっちのタイプは珍しいんだよ。なかなか、お目にかかれません」

 彼が指さしたのは、いわゆる 「動物性ケサラン」 です。
 “毛ん玉” ともいわれ、直径は5~6cmあるケサランパサランです。
 色は、白、茶褐色、白と茶のまじりとバリエーションがあり、球形です。
 一説には、ウサギやタヌキやキツネの毛玉ではないかともいわれています。

 僕が子供の頃に見たケサランパサランは、このタイプです。
 白いマリモのような物体でした。
 ※(当ブログの2020年1月8日 「求む! ケセランパサラン」 参照)


 で、調査を進めていると、第3のケサランパサランを飼育している人がいることが分かりました。
 資料の写真を見ると、まったく別の物体です。
 直径は8~10㎝もあり、色はクリームがかった乳白色で、重量も30g以上あるといいます。
 大きめのリンゴやナシ1個分に相当します。

 見た目、毛の無い球体で、磨いた白い石の玉のようです。

 飼育している人によれば、この物体はケサランパサランとは言わず、「ヘイサラパサラ」 または 「ヘイサラパーサラ」 と呼ばれているとのことです。
 語源はポルトガル語で 「馬の結石」 という意味だそうで、そのため 「馬ん玉」 「うまだま」 とも呼ばれています。

 また東北地方では、この馬ん玉は、雨乞いの儀式にも使われるらしい。
 神前に供え物を捧げ、前に水を張ったタライを置く。
 「オンコロコロ、センダーリマタ、アニソワカ」
 神主が呪文を唱えながら、馬ん玉をタライの中に落とすと、不思議や不思議、ザーッと天から雨が降ってくるのだといいます。


 ということで、僕は今、このヘイサラパサラに会いたくて仕方ありません。
 どなたか、飼育していませんか?
 情報をお寄せください。
   


Posted by 小暮 淳 at 14:03Comments(0)謎学の旅

2020年01月23日

続・宇宙生物 “ケサランパサラン” 現る!?


 昨日、昭和52年に読売新聞に掲載されたナゾの生物 「ケサランパセラン」 の記事を紹介しましたが、調べると、その後も読売新聞は、後追い取材を続けていることが分かりました。

 前回の記事では、<近く東北大に依頼して、動物か植物か、その正体をつきとめることになった。> と記載されていますが、その結果報告をしています。
 ところが、さらに別の学者が異説を唱え、“ケサランパセラン騒動” は、ますますヒートアップしていきます。

 「いずみ」 という小さなコラムですが、その後に掲載された興味深い2つの記事を紹介します。


●一見、タンポポのようで、虫かもしれないとしてナゾの生物 「ケサランパサラン」 が話題になっている(本紙八日付朝刊) が、生物生理学の権威、永野為武・東北大名誉教授が十四日、この “物体” の正体は 「不完全菌類のカビの仲間らしい」 と判定した。
 「ケサランパサラン」 は直径一、二センチの白い毛に包まれ、中心部に口のような黒点がある。
 宮城県・小牛田町、孝勝寺別院に大正七年に二体が飛来。
 おしろいを入れたキリ箱にしまっていたが、最近空けたら十五体に増え、おしろいは減っていたという。
 十四日、虫メガネで鑑定した永野さんは「おしろいは鉱物だから、栄養にはなりません。カビは自分の栄養分と水分で増殖します」。
 となると、おしろいの減った理由がわからない。
 しかも、不完全菌類の専門家は東北大におらず、カビの種類は不明。
 で、いぜんナゾは残る?
 <昭和52年(1977)7月15日 読売新聞23面より>


●宮城県・小牛田町の孝勝寺別院に伝わるナゾの生物 「ケサランパサラン」 は、先に永野為武・東北大名誉教授が 「不完全菌類のカビの仲間らしい」 と判定した(本紙十五日付朝刊) が、今度は国立科学博物館植物研究部の土井祥兌文部技官が 「アザミの種子の冠毛」 と判定した。
 土井技官は顕微鏡で調べたもので、中心部に、口のように見える黒い点は、種子が付着していた跡。
 死滅した組織だから、環境さえよければ、何年でも保存できるという。
 「ケサランパサラン」 が二体から十五体に増えていた点については 「保存している箱の中にだれかが別の冠毛を入れたのでは」 と推理するが、佐々木友義住職は 「大正七年に亡父が二個とらえてキリの箱に入れ、押入れの奥に入れたままだれも触らなかった」 と反論。
 やはり正体は 「ケサランパサラン」 (土地の言葉で 「空から飛んで来た得体の知れないもの」 という意味)?
 <昭和52年(1977)7月31日 読売新聞23面より>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:41Comments(0)謎学の旅

2020年01月22日

宇宙生物 “ケサランパサラン” 現る!?


 以前、ブログで 「ケセランパセラン」(ケサランパサランとも呼ぶ) について触れたところ、読者からのコメントをはじめ、友人知人からもたくさんの情報が寄せられました。
 ありがとうございました。

 それらによると、以下の3つのことが判明しました。
 ①不思議なネーミングは、東北地方の方言であること。
 ②大正時代には、すでに飼育されていたこと。
 ③ブームの火付け役は、新聞記事だったこと。


 ということで、ブームの発端となった新聞記事のコピーを入手しましたので、全文を紹介します。


 おしろい食う“宇宙生物”?
 宮城のお寺 箱の中 60年繁殖

 一見、タンポポのようで、虫かも知れないというナゾの生物が、宮城県・小牛田町の孝勝寺別院に大正年間から伝わるキリの箱(十センチ四方) の中で“繁殖” していることがわかり、近く東北大に依頼して、動物か植物か、その正体をつきとめることになった。
 土地の言葉で 「空から飛んできた得体の知れないもの」 という意味の 「ケサランパサラン」 と名付けられているこの生物=(写真)。
 一、二センチの長さの綿毛に包まれ、中心部に口と思われる黒い点がある。
 大正七年秋、二体がもつれ合うように本堂に飛来したのを先代住職がとらえて箱にしまった。
 以来、家宝のように扱われてきたが、最近箱に入れてあったおしろいが減っているところからこれを食べていたらしいが、水もない真っ暗な箱の中でなぜ増えたのか、ナゾだらけ。
 宇宙の生物かも。
 <昭和52年(1972) 7月8日 読売新聞22面より>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:26Comments(0)謎学の旅

2020年01月20日

まだ見ぬ座敷わらし


 【座敷童】
 東北地方の旧家に住むと信じられている家神。小児の形をして顔が赤く、髪を垂れているという。枕返しなどのいたずらもするが、居なくなるとその家が衰えるという。<広辞苑より>


 たびたびテレビ番組でも、紹介される 「座敷わらし」 です。
 芸能人が座敷わらしが出るという旅館に泊まり、カメラがとらえた怪奇現象を映し出しています。
 姿は見えませんが、おもちゃが動き出したり、白い光が浮遊したり、確かに何かが存在しているようです。

 でも決ってロケ地は東北です。
 広辞苑でも説明しているように、座敷わらしは東北地方に住む妖怪(?) のようですが、そんなことはありません!
 群馬県にもいます!

 僕の著書の熱心な読者なら、すでに知っていますよね。
 S温泉のS苑やO温泉のH旅館に座敷わらしが現れることは有名です。
 真夜中に小さな子が廊下を走り回ったり、ロビーに飾られた人形で遊んだりと、目撃例が寄せられています。
 何度か取材に訪れていますが、残念ながら僕はまだ、一度もお会いしていません。


 でも座敷わらしは、必ずしも旧家や旅館に住み着くとは限らないようです。
 僕の友人の家にも住み着きました。
 それも新築の洋風住宅です。

 夜中に階下で物音がするので下りて行くと、時計の針が進んでいたり、置物や食器などの位置が移動していたといいます。
 一度だけ、階段の途中で鉢合わせしたことがあるそうです。
 「おかっぱ頭で着物を着た女の子だった」
 と言います。


 座敷わらしを見た人は、男性ならば出世をし、女性ならば玉の輿に乗るなどの幸運が舞い込むといいます。
 その後、その友人は、さるジャンルで世界的な地位に着きました。

 信じるか、信じないかは、あなた次第です。

 まだ見ぬ座敷わらしさん、いつになったら僕の前に現れてくれるのですか?
 待ってま~す!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:04Comments(4)謎学の旅

2020年01月08日

求む! ケセランパセラン


 現在、僕は群馬テレビの 『ぐんま!トリビア図鑑』 という番組のスーパーバイザーをしていますが、「ミステリーハンター」 という役でナビゲーターとしても出演しています。 
 また、高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』(ライフケア群栄) には、「ぐんま謎学の旅」 というエッセイを連載しています。
 ということで、民話や伝説などに登場する昔から伝わる不思議なモノを追い求めています。

 で、今探しているのが 「ケセランパセラン」 です。


 ケセランパセラン (ケサランパサランとも呼ぶ) とは?
 江戸時代以降の民間伝承上の謎の生物です。
 外観は、タンポポの綿毛のようなフワフワとした白い毛に覆われています。
 外国では 「エンゼル・ヘア」 とも呼ばれ、持ち主には幸運をもたらすと言い伝えられています。

 僕は、過去に一度だけ見たことがあります。


 小学生の低学年だったと記憶しています。
 友だちの家に遊びに行った時、その子のおばあちゃんが見せてくれました。

 「これはね、とっても大切なものなんだよ」
 と言って、タンスの引き出しを開けました。
 中は空っぽでしたが、隅のほうに4~5個の白い綿のようなかたまりが転がっていました。
 小さいのはパチンコ玉くらいでしたが、大きいのはピンポン玉くらいありました。

 「生きてるの?」
 と訊くと、
 「ああ、生きているよ。最初は1匹だったのに、こんなにも増えたんだよ」
 と言いました。

 「何を食べるの?」
 と訊いた時です。
 おばあちゃんは、何やら小さな箱を持ってきて、中から白い粉をスプーンですくうと、パーッと引き出しの中にまいたのです。
 「何、それ?」
 「おしろいの粉を食べるんだよ」


 僕の記憶は、ここまでです。
 おばあちゃんが、どこで見つけて来たのかも、いつから飼っていたのかも分かりません。
 そして大人になってから、あの時に見た白い “生物” が、ケセランパセランだったことを知りました。


 みなさんのまわりで、今でもケセランパセランを飼っている人はいませんか?
 もしくは、飼っていたという人はいませんか?

 また、この不思議な名前の由来を知っている人がいたら、教えてください。

 求む! ケセランパセラン
   


Posted by 小暮 淳 at 12:24Comments(6)謎学の旅