温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2024年01月19日

妖精の棲む町


 シューーーーー!
 アレが現れるときは必ず、スプレーを噴射しているような音が聞こえます。

 その後、地上3~4メートルの高さを、ロケット花火のような火の粉を散らしながら僕を追い越して行きます。
 そして突然、パン!という音を立てて、消えてしまいます。


 僕はアレを、5回も目撃しています。
 季節は様々ですが、時刻は夜です。
 何よりも不思議なのは、目撃する場所。
 すべて、我が家から半径2~300メートルの範囲内なのです。


 謎の発光体の正体とは?
 分からないでいると、ある日、友人が教えてくれました。
 「それは妖精だよ」

 冗談でしょ?
 でも、とりあえず呼び名が付きました。
 以来、僕は “アレ” のことを 「妖精」 と呼ぶことにしました。


 「小暮さん、絶好調ですね。その運気、あやかりたいな」
 昨年夏、さる社長から言われました。
 「やっぱり、妖精を見る人は違いますね」

 驚きました。
 その社長は、僕のブログを読んでいたのです。
 しかも、5回目の目撃談を。

 そのブログを書いた直後、東京のテレビ局から出演依頼がありました。
 社長は、そのことを言っていたのです。


 妖精が現れると、いいことが起こる?
 気になり、過去のブログをチェックしてしました。

 過去の目撃談は、下記の5回です。
 ① 2010年11月16日 「妖精目撃」
 ② 2018年8月15日 「妖精ふたたび」
 ③ 2021年4月23日 「三度目の妖精」
 ④ 2021年5月21日 「妖精多発地帯」
 ➄ 2023年7月25日 「妖精のいる夏」

 言われてみれば、本の出版や著書フェア、大使の任命など、何かしら節目となる年に現れているようです。


 さて、今年は現れるのでしょうか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:22Comments(0)謎学の旅

2023年12月03日

羊をめぐる謎学の旅


 高崎市民に朗報です!(笑)

 2018年8月に出版した 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)。
 この著書には、2007年11月から2018年7月まで 「ちいきしんぶん」 に掲載された記事が収録されています。
 その後、シリーズは休載していました。

 が!
 このたび、5年5カ月という長い眠りから覚め、“続編” が復活することになりました。


 ということで、続編の第1話にふさわしい伝説の舞台を探しに行ってきました。
 場所は、高崎市吉井町。

 『昔を語る 多胡の古碑』

 ご存知、「上毛かるた」 に詠われている日本三大古碑の1つであります。
 また、山上碑、金井沢碑とともに 「上野三碑」 と呼ばれ、ユネスコ世界記憶遺産にも登録されています。


 昔から多胡碑は、謎の多い碑とされてきました。
 特に諸説紛々なのが、碑文の中の 「羊」 という文字。
 はたして、これは何を意味するのか?

 それゆえ、土地の人々は多胡碑のことを 「ひつじさま」 と呼び、信仰の対象として祀り、今日まで守り続けてきました。
 それにより生まれた伝説や民話が数多く残されています。


 続編の第1話は、この 「ひつじさま」 にスポットを当て、主人公ゆかりの舞台をめぐります。

 出生秘話のカギを握る不動明王、愛馬の産地と調教場、居城跡など……
 99%の創り話の中に潜む1%の真実を探して、ふたたび僕は謎学の旅に出ました。


 乞う、ご期待!
 第1話の掲載は、今月29(金)発行の 「ちいきしんぶん」 1面にて。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:57Comments(0)謎学の旅

2023年09月28日

なぜムジナは人を化かすのか?


 むじな 【狢・貉】
 ①アナグマの異称。②混同して、タヌキをムジナと呼ぶこともある。
  (広辞苑より)


 昨日の続きです。

 ここ数年、民話をテーマにした講演を依頼されることが多くなりました。
 民話の世界には、カッパや天狗、座敷わらし、竜神、雪女、巨人など、現代人には荒唐無稽な主人公たちが登場します。
 講演では、映像や写真を使いませんので、受講者には話だけで想像していただくしかありません。
 でも、みなさん、カッパにしても天狗にしても、子どもの頃に見た絵本やテレビ、雑誌などで描かれているイラストをイメージされているので、話の解釈に支障はありません。

 ところが、意外と 「ムジナ」 を知らない人が多いんですね。
 直接、「ムジナってなんですか?」 と訊いてくる人もいます。
 決して、若い人とは限りません。
 僕よりも年配の婦人から訊かれたこともありました。


 ムジナとは、一般的にはアナグマのことをいいます。
 時代や地方によっては、タヌキのことをムジナと呼ぶことがありますが、この場合は、ただのタヌキではありません。
 何百年と生き続け、人間を化かす術を身に着けた古狸のことです。

 では、なぜムジナは人を化かすようになったのでしょうか?

 昨日紹介した高崎市倉賀野町に伝わる2つのムジナ話で検証してみましょう。
 養報寺が舞台の 『かみそりムジナ』 では、ムジナは豆腐屋の夫婦や和尚さんに化けて若者を騙します。
 一方、JR高崎線の倉賀野駅をはさんだ永泉寺に伝わる 『おばけ汽車』 という民話では、列車に化けて人間を脅かします。
 話の内容もスケールも違い、まったく別のムジナのようですが、実は同一のムジナ、もしくは一族ではないかと思われます。


 その謎を解くカギは、2つの民話が作られた時期にあります。
 明治17(1884)年、上野~高崎間に鉄道が開通しました。
 同時に、倉賀野町にある2つの寺は鉄道の敷地にかかり、ヤブも林も伐採されてしまいました。

 すみかを追われたムジナたちは、仕返しとして人間たちを次々と化かしたのかもしれませんね。


 すべて独断と偏見による勝手な解釈ではありますが、舞台があれば、民話が誕生した謎も解けると思うのです。
 いや~、民話って面白いですね!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:34Comments(0)謎学の旅

2023年09月27日

民話の舞台が消える!


 突然、ショッキングなニュースが飛び込んできました。
 高崎市倉賀野町の 「むさしや豆腐店」 が、今月いっぱいで閉店するそうです!

 えっ、その、どこがニュースなのかって?
 知らないの?
 民話の舞台ですよ!
 しかも、“生きた化石” ですよ!

 言い換えれば、「登録有形民話文化財」 に認定してもいいような存在であります。


 そこまで話せば、勘のいい読者なら分かりますよね。
 そう、拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の58ページに掲載された 「倉賀野のムジナ」 に登場する民話の舞台です。

 JR高崎線 「倉賀野駅」 をはさんで、2つの寺院があります。
 養報寺と永泉寺です。
 どちらの寺にもムジナの話が伝わりますが、「むさしや豆腐店」 が登場するのは、養報寺に伝わる 『かみそりムジナ』 という民話です。


 明治時代になって間もない頃のこと。
 倉賀野よりも高崎寄りにある矢中 (現・矢中町) の若者たちが肝だめしをすることになりました。
 「倉賀野の養報寺の雑木林を抜けて、豆腐屋で油揚げを買って帰ってくるってぇのはどうだ?」
 「そりゃ、おもしれぇ。やってみんべぇ」
 ということになり、一番手の仙吉という若者が出かけて行きました。

 このあと、仙吉は豆腐屋で大変なものを見てしまい、あわてて養報寺まで引き返したとき、さらに災難に遭います。
 その結末は、いかに!
 (続きは、拙著をお読みください)


 その、代々倉賀野の宿場通りで商いを続けてきた “伝説” の豆腐屋が、姿を消してしまうというのです。
 こんなショッキングなニュースがありますか!?

 ぜひ、高崎市の教育委員会には、「民話 『かみそりムジナ』 ゆかりの地」 の記念碑を立てていただきたいものです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:38Comments(0)謎学の旅

2023年08月03日

謎の飛行生物を追え!


 読者のみなさんは、覚えているでしょうか?
 “空飛ぶネズミ” を見たという話を?
 (当ブログの2019年1月13日 「謎の空飛ぶネズミ」 参照)

 僕は、たびたび “妖精” を見ています。
 (当ブログの2023年7月25日 「妖精のいる夏」 参照)
 が、妖精を目撃するのは、すべて夜です。
 でも、“空飛ぶネズミ” を見たのは昼日中でした。

 何よりも妖精との違いは、その大きさ!
 「ネズミ」 と思ったくらいのサイズですから、決して昆虫ではありません。


 そして昨日……
 ヤツは、また現れました!

 正午前のこと。
 我が家2階の仕事部屋の窓を開けた、その時です。
 ちょうど僕の目線の高さを、一直線にスーッと水平移動しながら通り過ぎる物体がありました。

 「あっ、ヤツだ!」
 と思い目を凝らすと、なんだか記憶の中のヤツとは少し違います。


 まず、サイズが違います。
 前回は20~30㎝もある大型の鳥のようなフォルムでしたが、今回は10~15㎝ほど。
 半分の大きさです。

 それと、形が違いすぎます。
 前回は、羽のない鳥のような流線型で、ヘビのような尻尾が付いていました。
 だから僕は、「ネズミだ」 と思ったのです。


 でも今回は、長方形です。
 たとえるならば、トノサマバッタのような形。
 もちろん、羽のようなものはありません。
 色は黒または、こげ茶色でした。

 そして、季節も違います。
 前回は冬、今回は夏です。


 昨日見た生物は、“空飛ぶネズミ” の仲間なのでしょうか?
 それとも、まったく別の生き物なのでしょうか?

 何よりも、羽のない生物が空を飛べるのでしょうか?
 そんな生き物が、地球上にいるのでしょうか?


 ヤツは何者?
 妖怪? 小型のUFO?

 知っている方は、ご一報ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:12Comments(2)謎学の旅

2023年07月26日

河童は忘れた頃にやって来る


 <「ありがとうございやした」 と返してもらった腕を抱えたカッパは、飛び上がりながら川へと帰って行ったが、クルリと振り向くと大きな声で、こう言った。「けど、7年に1度は出てやるぞ!」。>
  (『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 より)


 夏休みになり、海や川での水難事故が増えています。
 先週、福岡県では痛ましい事故が起きてしまいました。

 ≪小6女児3人溺れ死亡≫
 ≪夏休み初日、普段着姿≫

 県警や女児らが通う小学校によると、夏休みの初日の21日正午過ぎ、死亡した3人を含む女児7人と男児1人の6年生計8人で川に向かったといいます。
 前日の終業式では校長先生が、「子どもだけで川に行かないように」 と呼びかけていました。


 テレビの報道番組では識者が、「支流と本流の合流地点では川底がV字にえぐれ水深が増す」 とか、「この時期は農業用水確保のために川を堰き止めるため水かさが増す」 など、川の危険性を説いていましたが、子どもたちは知る由もありません。
 遊びに夢中になるがあまり、深みへとはまっていったのでしょう。

 もしくは……


 最近は見かけなくなりましたが、僕が子どもの頃には、川や沼や池の周りには必ず、こんな看板が立ってました。

 『およぐな! きけん』

 そして、カッパの絵が描かれていました。
 その意味は?


 水の中には、魔物が棲んでいるからです。
 その魔物は、ふだんはおとなしいのですが、ある日突然、牙をむきます。

 それは、7年に1度のこと。
 “7年” とは、人間の記憶が消えかかるころ。
 忘れた頃に魔物は、人間への戒めのために現れます。


 僕が取材した県内の河童伝説が残る川では、今でも水難事故が起こると 「今年は7年目に違いない」 と言って、子どもたちには川遊びをさせないといいます。

 暑い夏が続きます。
 水の中には魔物がいることを、お忘れなく!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)謎学の旅

2023年07月25日

妖精のいる夏


 またまたまたまた、妖精を見ました。
 これで、5回目になります。


 最初に見たのは15年ほど前の冬の夜。
 自転車を漕いでいたところ、頭上を光の帯が飛んで行きました。

 2回目は夏、我が家の庭でした。
 3回目は春、我が家2階の仕事場の窓から。
 4回目は初夏、雨の夜に仕事場の窓からでした。


 過去4回の目撃談は、当ブログの下記の日付から閲覧することができます。
 ① 2010年11月16日 「妖精目撃」
 ② 2018年8月15日 「妖精ふたたび」
 ③ 2021年4月23日 「三度目の妖精」
 ④ 2021年5月21日 「妖精多発地帯」


 ここで読者には、お断りしておかねばならないことがあります。
 それは、“妖精” の解釈です。
 僕が目撃したのは、一般に伝わる羽を持った小さな女の子ではありません。

 たぶん、昆虫です。
 大きさは、カナブン~カブトムシくらい。
 飛翔しながら尻 (後方より) 光の筋 (ロケット花火の火花のような) を噴射しています。

 ただ目撃の季節は、まちまちです。
 また天候も関係ありません。
 はたして、そんな昆虫が日本に存在するのでしょうか?


 5回目の目撃は、昨晩の午後9時頃でした。
 スーパーの帰り道、僕は自転車を漕いでいました。
 (1回目の目撃時と条件は似ていますが季節が違います)

 我が家から300メートルほど西にある中学校の跡地前を通過中でした。
 突然、「シュ―――――ッ」 という音がして、頭上を見上げると、またしても妖精が火の粉を散らしながら飛んでいました。
 「あっ、また出た!」
 と思った瞬間、妖精は驚くべき行動に出ました。

 突然、方向を変えたのです。
 しかも、かなりのスピードでヘアピンカーブのようなUターンをしました。
 光の帯も、ハッキリとUの字を描くのが見えました。

 そして、次の瞬間、「パン」 と小さな音を立てて消えてしまいました。


 1回目の目撃時、友人に話したところ “妖精” であることを知りました。
 ただ本当の正体は、いまだに不明です。
 図鑑やネットでも調べてみましたが、そんな生物は日本にも世界にも棲息していないようです。

 読者のみなさんへ
 同じ生物を目撃したことがあるという方は、ご一報ください。
 また、正体を知っているという方は、個人的にお会いしたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:48Comments(0)謎学の旅

2023年07月02日

上州もつ煮対決


 もつ煮は、「つまみ」 なのか 「おかず」 なのか?

 たびたび論争になるテーマです。
 というのも、群馬県では普通に食堂で、「もつ煮定食」 がメニューにあるからです。
 そのことの、どこがおかしいのか県民には分かりませんが、なぜか全国ネットのテレビ番組でも取り上げていました。
 「群馬県民は、もつ煮をおかずに飯を食う」 って。

 僕がスーパーバイザー(監修人) を務める群馬テレビの番組でも過去に、このテーマを取り上げました。
 (当ブログの2020年4月22日 「もつ煮定食って群馬だけですか?」 参照)

 個人的には、昼ならば 「おかず」、夜ならば 「つまみ」、というところでしょうかね。
 まあ、それくらい “もつ煮” は、群馬県民にとっては食生活に根付いたソールフードなのであります。


 ここに、興味深い記事があります。
 僕も、たびたび記事の連載等でお世話になっている高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) が、企業や関係者だけに配付している 「ニュースレター」 です。
 毎月1回、スタッフが各々、近々の出来事を顔写真入りで書いていて、とても親近感のわく内容になっています。
 6月16日付の 「ニュースレター」 で、編集長のY氏は、こんな記事を書いていました。

 <永井VS日の出 上州もつ煮対決>

 群馬のB級グルメ好きならば、ご存知ですよね?
 Y氏の言葉を借りれば、「群馬で有名なもつ煮の二大巨頭」 「西の永井食堂」 「東の日の出食堂」 ということになります。


 永井食堂 (渋川市) は、たびたびテレビでも紹介されているため、全国ネットで有名になりました。
 土日になれば、駐車場は県外ナンバーの車であふれ、店の前には行列ができるほどの人気ぶりです。

 一方、「日の出食堂」 (伊勢崎市) は、知る人ぞ知る穴場的な名店です。
 もつ煮と言えば、ここを挙げる食通は多いのです。

 記事では、この2つの食堂の 「もつ煮定食」 を写真入りで併記し、料金、配膳時間、おみやげ (料金と容量)、定休日、所在地、駐車場 (台数) が比較されています。
 また特筆すべきは、特記事項に記されている 「持ち帰り専用売店」 の有無であります。
 永井食堂は富岡市に、日の出食堂は前橋市に存在することを、僕は初めて知りました。


 気になるのは、味の比較ですよね?
 これについてY氏は、こう述べています。
 「味は個人の好みもあるので除外しました」

 ズル~い!
 そこが一番知りたいのよ!
 ということで、僕は本人に直接、電話で聞いてみました。
 すると、Y氏いわく、
 「それがですね、食べるたびに変わるんですよ。永井を食べると 『こっちが旨い』 と思い、日の出を食べると 『こっちのほうが旨い』 って。一度、両方同時に食べてみないとだめですね(笑)」


 ごもっともです。
 甲乙つけがたい味、ということですね。

 えっ、僕ですか?
 えーと、えーと、両方食べたことはあるんですが、どちらも美味しかったという記憶しかありません。


 読者のみなさん、ぜひ、食べ比べてみてください。
 あなたは、永井派? それとも日の出派?
   


Posted by 小暮 淳 at 13:14Comments(2)謎学の旅

2023年04月23日

チャンコロリンは忘れた頃にやって来る!


 先日の講演会場にて。

 「先生には以前、一度お会いしたことがあります」
 講演終了後、著書を購入してくださった方から話しかけられました。
 恰幅のいい、スキンヘッドの中年男性です。

 「取材を受け、一緒にテレビに出演しました」
 「……?」

 記憶をたどってみますが、思い出せません。
 ところが次のひと言で、この男性が誰か、瞬時に思い出しました。

 「チャンコロリン石で……」
 「ああ、あの時の住職ですか!」


 チャンコロリンとは、“妖怪チャンコロリン” のことです。 

 今から約200年ほど昔のこと。
 中山道の宿場町で栄えた安中で、夜な夜な草木も眠る丑三つ時になると、「チャンコロリン、チャンコロリン」 と音を立てて大きな石が街道を転がるため、人々は雨戸を閉ざし、恐ろしさに震えていました。
 旅人も気味悪がって、安中宿に泊まらなくなってしまったため、安中藩の侍が、刀や槍、弓矢、鉄砲で立ち向かったのですが、一向に効果はありませんでした。
 困り果てた町人たちは、大泉寺の和尚の法力にすがりました。
 和尚が転がる石に向かって法を唱えると、さしもの妖怪も寺の台座の上で動かなくなったといいます。
 ※(詳しくは拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 参照)


 も、も、もしかして~!
 あの妖怪チャンコロリンが、法力が解けて200年の眠りからよみがえったのではないか?
 そのことを知らせに住職は、わざわざ僕の講演会場まで来てくれたのではないか?

 あの時、妖怪チャンコロリンを法力により台座の上に封じ込めたのは、大泉寺十三代目住職の獅絃(しげん)和尚でした。
 もし今また、妖怪チャンコロリンが暴れ出したら?
 同じ法力を使えるのは、今僕の目の前にいる二十四代目の現住職しかいません!

 「お願いします! チャンコロリンを鎮めてください。さもないと安中の町は壊滅してしまいます。いや、その被害は群馬全域に広がるかもしれないのです。お願いします! あなたの法力にすがるしかないのです」
と、ここで僕は妄想から現実へ戻りました。

 「今日は、いいお話をありがとうございました」
 そう住職は言って、会場を出て行かれました。


 ふぅーーーーーっ!
 と長い溜息を一つ。
 よかった、何事もなくて。

 でも油断は禁物です。
 いつなんどき妖怪チャンコロリンは、目を覚ますか分かりません。

 チャンコロリンは、我々人間が忘れた頃にやって来ます。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:45Comments(2)謎学の旅

2023年01月21日

5つの神社に同一の神様


 高崎市民のみなさん、こんにちは!
 「ちいきしんぶん」 の1月20号は、もう、ご覧になりましたか?

 「ちいきしんぶん」 は、高崎駅を中心に10万部配布されているフリーペーパーです。
 僕は長年、このタウン誌に 「謎学の旅」 という紀行エッセイを連載しています。
 すでに一部は、2018年に出版された 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん出版) に収録されています。


 昨年11月より、このエッセイの中で 「消えた東村をゆく」 というシリーズが始まりました。
 たびたびブログでも話題にしているので、ご存じの方もいるかと思いますが、もう一度簡単に、ご説明します。

 群馬県にはかつて、5つの 「東村」 がありました。
 群馬郡東村、利根郡東村、佐波郡東村、勢多郡東村、吾妻郡東村です。
 しかし昭和と平成の大合併により、次々と消滅しました。

 なぜ群馬県には、こんなにも 「東村」 が存在したのか?


 第1話では、一番最初、昭和29(1954)年に前橋市との合併により消えた群馬郡東町を訪れました。
 そして第2話となる今号は、2番目の同31年に消えた利根郡東村を取材しました。

 すると……

 第1話で見つけた小さな疑問が、さらに大きくなりました。
 旧村内に点在する5つの神社の祭神 (その神社に祀ってある神) が、すべて同一人物だったのです。

 さらに、突き詰めていくと、「あづま」 というキーワードにたどり着きました!


 いよいよ、謎は核心に迫ります。
 次回は、佐波郡東村を訪ねます。
 ご期待ください。


 ※謎学の旅 「消えた東村をゆく」 は、「ちいきしんぶん」 のHPより閲覧できます。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)謎学の旅

2022年12月10日

2つ目の東村


 “東村ファン” のみなさん、こんにちは!
 謎学ライターの小暮です。

 僕は現在、かつて群馬県内に存在していた5つの 「東村」 について調べています。
 東村は町村制施行による明治の大合併とともに誕生し、昭和と平成の大合併により次々と消滅しました。
 ※(当ブログの2022年3月9日 「父の遺書~消えた東村~」、2022年7月23日 「消えた東村を追え!」 参照)

 ①なぜ、群馬県内には、5つも東村が存在したのか?
 ②なぜ、東村はあるのに、西村と北村と南村はないのか?

 この2つの謎を解き明かすべく、僕は5つの消えた東村を訪ねることにしました。


 高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) の11月4日号で、「消えた東村をゆく①」 と題して、昭和29(1954)年に最初に姿を消した 「群馬郡東村」 を紹介しました。
 群馬郡東村は現在の前橋市、利根川右岸エリアにあたります。

 そこでは、旧東村役場跡を探し出し、隣接する滝川に架かる 「東大橋」 の旧親柱を見つけました。
 現在の 「東大橋」 の読み仮名は 「あずまおおはし」 ですが、昭和12(1937)年竣工の旧親柱には 「あづまおほはし」 と刻まれていました。

 “ず” と “づ” の違いは何なのか?

 これが②の謎を解く、キーワードになりました。


 ということで僕は昨日、2番目に姿を消した 「利根郡東村」 へ行って来ました。
 利根郡東村は昭和31(1956)年に利根村となり、平成17(2005)年に沼田市に合併され、沼田市利根町となりました。

 で、取材の成果は?
 謎を解くカギは見つかったのか?

 はい、大収穫がありました!

 まず旧東村役場の跡地を探し出し、旧村内に点在する5つの神社をめぐりました。
 なぜ神社なのか?
 実は、この5つの神社は社名は違っても、祭神 (その神社に祀られている神) がすべて同じなのです。

 どうして、こんなにも同一の神様が祀られているのか?
 そして “東村” との関連は?

 この神様、実は 「あづま」 という言葉と深いかかわりがある神様だったのです。


 近々僕は、3つ目の東村へ向かいます。
 謎学の旅はつづく……
   


Posted by 小暮 淳 at 12:02Comments(0)謎学の旅

2022年08月30日

丑の刻参り


 ≪プーチンわら人形に五寸釘≫

 そんな見出しを付けたニュースが新聞やテレビをにぎわしたのは、今年5月の中頃でした。
 千葉県松戸市の神社の御神木に、プーチン大統領の顔写真を貼り付けたわら人形が、五寸釘で打ち付けられていたという事件です。

 事件?
 と呼ぶには、あっけない結末に終わってしまった珍事でした。
 市内に住む72歳の男性が、すぐに逮捕されたのです。
 まぬけにも、賽銭泥棒防止用の防犯カメラに顔が映っていたため、御用となりました。


 で、この場合、逮捕容疑って何罪?

 呪詛(じゅそ)罪なんてないし、殺人未遂でもありません。
 脅迫? 名誉棄損? でもありませんよね。
 たぶん、プーチン大統領は、被害届を出していないと思いますから。

 逮捕容疑は、建造物侵入と器物損壊でした。


 この、ご時世ですからね。
 容疑者の気持ちも分かります。
 戦争を止めないプーチンが、憎かったんでしょうね。

 でも、やり方が、まずかった!
 彼は、いくつかの過ちを犯しているのです。


 彼が、やろうとしてしていたのは、「丑の刻参り」 です。
 「丑の刻参り」 とは?
 「呪い釘」 とも 「呪い人形」 ともいわれる、日本に古来伝わる呪詛の一種です。
 人の寝静まった “丑の刻” (午前1~3時) に、神社の境内の樹木 (特に御神木) に、板か藁(わら) で作った人形を呪う相手に見立て、釘を打ち込む儀式です。

 この場合、「呪い釘」 は古釘であること。
 大きいもの (五寸釘) を使用すると効き目があるとされています。


 すでに、ここで容疑者は、2つの過ちを犯しています。
 犯行時間帯が昼間でした。
 そして、使用した釘が新しかったのです。

 これでは、完璧な呪詛は成立しません。


 さらに、「丑の刻参り」 には、絶対に守らなければならない鉄則があるのです。
 ●釘を打つ現場を人に見られてはいけない。
 ●打ち込んだ釘を後日、人に発見されてはいけない。
 というものです。

 これを仕損じると、効果はなくなり、「恨み返し」 といって本人に返ってくるのだといいます。


 容疑者は、バッチリと防犯カメラに映り、しかも、すぐに釘もわら人形も発見されています。

 ということで、すべては 「丑の刻参り」 を真似た素人の犯行だったというわけです。
 だって、プロは違いますもの!

 えっ?
 なんでプロの手口を知っているのかって?

 ええ、以前、取材をしたことがあるんですよ。


 では、つづきは、またの機会に……
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(2)謎学の旅

2022年08月27日

河童神社


 「だったら、河童神社を知っていますか?」

 先日のさる会合で、カメラマンのFくんが言いました。
 彼が、「だったら」 と言ったのは、それまで延々と僕がカッパ伝説の話をしていたからであります。

 このところ、カッパがマイブームとなっています。
 数年前に民話の著書を出版して以来、なんだかんだと講演会に呼ばれるようになりました。
 そのネタとして、群馬県内のカッパ伝説を調べたのがきっかけでした。

 つい先日も、玉村町のカッパと妙義山のカッパの話を紙芝居用の原稿に書き下ろしたばかりです。


 ひと口に、群馬のカッパ伝説といっても多種多様です。
 人間にいたずらをする話が最も多いのですが、なかには恩返しをする殊勝なカッパもいます。

 これらをエリアに分けて分布すると、南毛 (県南部) は、人間や家畜を川に引きずり込んだり、いたずらをする悪いカッパ。
 一方、北毛 (県北部) は、助けてくれたお礼に、万能薬の処方箋を教える良いカッパの話が多いのです。


 そんな話をしていたら、突然、Fくんが言ったのでした。

 「河童神社? なんだい、それ?」
 「いえ、あるということは知っているんですが、行ったことはないんですよ」
 と言われれば、僕の中のミステリーハンターとしての血がうずくではありませんか!

 もう、居ても立ってもいられません。
 百聞は一見に如かず!
 行くっきゃ、ありませんって!


 ということで、大ざっぱな位置情報を頼りに、ひとっ走り行って来ました。
 場所は桐生市。
 市街地から桐生川沿いを北上すること、約30分。

 ここ梅田地区は、昔からカッパ伝説が多い所で知られています。

 車道は、どんどん細くなり、ついには対向車とは、すれ違えないほどの狭さに。
 やがて、目印のT橋が見えてきました。
 たもとに車を停めて、下を覗き込むと……

 ありました!

 何が?

 …………

 ええ、謎の巨石群です。
 大きな岩と岩の間に、なにやら人型の物体が見えます。
 よーく、目を凝らして見ると……

 カッパです!
 それも2体。
 男のカッパと、女のカッパです。
 (男のカッパはイチモツがあり、女のカッパはオッパイがある)

 さて、どこから下りて行くのか?

 あたりを見渡すと、河原に下りる道はありません。
 ただ、個人のお宅の庭からハシゴのような階段が続いています。
 しかし、ロープが張られて、立ち入り禁止となっていました。

 もしかして、この神社って、個人の所有物?
 そもそも神社なのかも分かりません。


 帰ってからネットで調べてみると、かつては鳥居もあり、「河童神社」 の看板もあったようですが、手入れがされていないため、風化して、朽ち果ててしまったようであります。
 残念!
 ぜひ、再建してほしいものです。

 これも後日、分かったことですが、桐生川には 「河童淵」 というカッパが棲んでいた淵があったそうです。
 もしかしたら、あの巨石群があるあたりが、河童淵だったのかもしれませんね。

 謎学の旅は、つづく。
    


Posted by 小暮 淳 at 13:47Comments(2)謎学の旅

2022年07月23日

消えた東村を追え!


 きっかけは、オヤジが残した一冊の本でした。
 ※(当ブログの2022年3月9日 「父の遺書 ~消えた東村~」 参照)


 かつて群馬県には、5つの “東村” がありました。
 群馬郡東村
 利根郡東村
 佐波郡東村
 勢多郡東村
 吾妻郡東村

 しかし、昭和と平成の大合併により、すべて消滅しました。


 なぜ、群馬県には同じ名前の村が5つも存在したのでしょうか?
 調べてみると、全国でも同名町村が、こんなにもあった都道府県は珍しいことが分かりました。

 なぜ、存在したのか?


 一般にいわれているは、その郡の東端にあった村だからという説。
 でも、これは信憑性に欠けます。
 だって、西村も北村も南村もないからです。

 なぜ、東村のみ存在したのでしょうか?

 ということは、“東” は東西南北の方位ではなく、別の意味があるのではないか?
 “別の意味” とは何だ?
 現地へ行けば、その謎が解けるかもしれない。

 だったら、5つの東村を片っ端から訪ねてやれ!


 ということで、僕の謎学の旅が始まりました。

 まずは最初に消えた東村へ。
 昭和29(1954)年に、群馬郡東村は前橋市に編入されました。
 場所は、現在の利根川の西。
 古市町、新前橋町、小相木町、光が丘町、朝日ヶ丘町、江田町、上新田町、下新田町、川曲町、稲荷新田町、大利根町、箱田町、前箱田町、後家町の14町です。

 どの町から歩けばいいのか?

 こういった場合、まずは、現在の中心地からスタートします。
 箱田町には、その名もズバリ 「東公民館」 があります。
 しかも公民館には、前橋市立図書館の分館が併設されています。

 取材の勘は、的中しました!

 分館には、中央の図書館では蔵書されていない、地元の人が書いたローカルな本にめぐり合えるからです。
 手にした本のタイトルは、『あずま・てくてく』。
 編集と発行は、東公民館と東地区自治会であります。

 重箱の隅をつつくには、これ以上のバイブルはありません。

 さっそく、この本で仕入れた情報をもとに、旧東村の歴史を残す名所を歩くことにしました。
 神社仏閣はもちろん、現在でも “東” の名を残す場所をめぐって来ました。


 残る東村は、4つ。

 はたして、5つの東村に僕が立てた仮説は、当てはまるのでしょうか?
 次の東村を訪ねたいと思います。

 謎学の旅は、つづく。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(2)謎学の旅

2022年06月27日

今日の朝日新聞 “海ないのに 「珍百景」 で話題”


 「浦島太郎伝説」 の話題が止まりません!

 火付け役は、今月6日に放送されたテレビ朝日系のバラエティー番組 『ナニコレ珍百景』。
 “海がないのに竜宮伝説がある”
 と、群馬県伊勢崎市の 「龍神宮」 が話題になりました。


 実は僕、17年前から雑誌や新聞、著書などで、この摩訶不思議で奇妙奇天烈な伝説を取材し紹介してきました。
 そして昨年からは紙芝居にして、地元・伊勢崎市の神社で上演も行っています。

 コツコツ、コツコツと地道な活動ですが、どこで誰が見ているのか分からないものです。
 しかも、よりによって全国ネットの人気番組が取り上げてくれるとは!

 そのことが、今日の朝日新聞群馬版でも大きく取り上げられました。


 《伊勢崎に浦島太郎伝説》
 《海ないのに 「珍百景」 で話題》
 《江戸時代の古文書にも記述》

 記事では、まずテレビ番組 『ナニコレ珍百景』 で放送されたことに触れ、SNSなどで話題になっていると報じています。
 次に、伝説の舞台を写真入りで紹介。
 僕のコメントも掲載されました。

 <「ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台」 (ちいきしんぶん) の著者でライターの小暮淳さんはこう語る。「地下に深い淵があり、竜宮城へつなかっているといわれているのです」>


 続いて、物語のあらすじを紹介。
 テレビ番組放送後の反響にも触れています。
 そして最後は、僕と一緒に毎月、伊勢崎神社で紙芝居 『いせさき宮子の浦島太郎』 を上演している紙芝居師の石原之壽さんのコメントで締めくくられています。

 <「海なし県の浦島太郎伝説はとても面白く、地元の子どたちも紙芝居を毎回楽しんでくれる」 と話している。>


 海のない群馬県で誕生した浦島太郎伝説。
 さて、今後はどんだけ話題になるのでしょうか!?

 世に出した一人として、その行く末が楽しみでなりません。


 ※次回の 「神社かみしばい」 は、7月9日・10日の開催です。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:45Comments(0)謎学の旅

2022年06月06日

ついに出た! 「ナニコレ珍百景」



 苦節17年、やっと世に出ました!

 昨夜、放送されたテレビ朝日の 『ナニコレ珍百景』。
 ご覧になりましたか?
 ついに、口承は伝説となり、一地方の民話がテレビで全国に紹介されました。

 海のない群馬県に伝わる竜宮伝説です。


 僕は今からさかのぼること、17年前。
 2005年10月に、自身が編集長を務めるタウン誌に、こんな記事を書きました。

 <いつも車で通るたびに、気になっていた。伊勢崎市宮子町、オートレース場の先に 「龍宮」 という信号がある。その交差点から程近く、広瀬川に架かる橋の名は 「龍宮橋」 である。>

 この記事のタイトルは、「浦島太郎の墓が伊勢崎市にあった!?」。

 ついに僕は、海のない群馬県で、浦島太郎とおぼしき人の墓を探し当てたのです。


 2011年5月。
 高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に連載された 『民話と伝説の舞台』 というシリーズの中で、僕はまた伊勢崎市の竜宮伝説を取り上げました。
 記事のタイトルは、「竜宮へ行った男が持ち帰った3つの品」。

 この記事では、地元の 「龍神宮を守る会」 から古文書のコピーを預かり、男が竜宮城から持ち帰った物が現在どこにあるのかを探りました。


 2018年8月。
 連載されたシリーズは 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ライフケア群栄) として書籍出版されました。


 そして昨年の1月。
 伊勢崎市の竜宮伝説は、紙芝居になりました。
 作/小暮淳、画/須賀りす、演/壽ちんどん宣伝社
 題名 『いせさき宮子の浦島太郎』

 毎月、伊勢崎神社の境内で開催している街頭紙芝居は、昭和レトロブームに乗り、マスコミにも取り上げられ、話題となりました。
 もしかしたら、このウワサが赤城おろしの空っ風に乗って、江戸の都まで届いたのかもしれませんね。

 ついに群馬の浦島太郎は、全国デビューしました!


 苦節17年……
 昨晩は、ただただ嬉しくて、涙なしではテレビを観れませんでした。

 ありがとうございます。

 と誰に言ったらいいのか分からないのですが、この伝説を世に出そうと書き続けて来た者としては、お礼を言わずにはいられません。
 どこのどなたかは知りませんが、本当にありがとうございます。

 “継続は力なり”

 苦労が報われた瞬間でした。


 ※次回の 「神社かみしばい」 は、6月18日(土)・19日(日) に開催します。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:30Comments(2)謎学の旅

2022年05月05日

エイ舞う形の群馬県


 「つる舞う形の群馬県」

 と言えば、群馬県民なら誰でも知っている郷土玩具 『上毛かるた』 の 「つ」 の札。
 そして、『上毛かるた』 の札の中でも最も有名な札ではないかと思います。

 確か競技会では、同点の場合は、この札を取ったチームの方が勝者となるルールでした。
 それほどの肝になる札であります。
 ので、群馬県民は、幼少の頃から何の疑いを抱かずに育ってしまいました。

 そう、群馬県は 「鶴の形をしているんだ」 と……


 ところが他県民に言わせると、
 「どこが鶴やねん!」 (なぜか関西弁)
 と突っ込まれます。

 言われてみて、改めて地図で群馬県の形を見てみると……
 鶴と言われれば鶴ですが、白鳥と言えば白鳥だし、鴨と言われれば鴨のようにも見えます。

 いったい、いつ、誰が、「鶴」 に見立てたんでしょうか?


 と思っていたら先日、興味深い新聞記事を見つけました。

 《県の形の例え 昔は 「エイ」 》

<本県の形の例えに、魚のエイが持ち出された時期があった。NPO法人 「日本郷土かるた協会」 の山口幸男理事長によると、1883~1914年版の県統計書には 「海鷂魚(かいようぎょ) (エイ)」 に似ているとある。>
 (2022年5月2日付 読売新聞群馬版より)

 なぜ、海なし県なのに魚類の発想があったのでしょうか?
 山口理事長は、こう推測します。

 <明治初期の県上層部にはエイが身近な西日本出身者が多かったため>


 そう言われて、改めて群馬県の地図を見てみると……
 うん、うん、見えます!
 それも鶴とは逆向きに泳ぐ、エイの姿に見えます。
 いわゆる鶴の首 (東毛地区) が、エイでは尾になるわけです。

 では、なぜ、「エイ舞う形の群馬県」 にならなかったのか?
 山口理事長は、こう推測します。

 <県内の学校は明治初期から 「県は鶴の形」 と教えてきており、山口理事長は、県内出身者が県政の中心を担うようになり 「鶴」 に変わったとみる。>


 いや~、「鶴」 で良かった!
 そのまま西日本出身者が上層部に居残っていたら、「つ」 の札は別の札になり、「え」 の札の 「縁起だるまの少林山」 は無く、代わりに 「エイ舞う形の群馬県」 になっていたのですからね。

 待てよ……
 ていうか、エイも鶴も群馬には棲息していませんって!

 もっと群馬らしい動物に例えた方が良かったんじゃありません?
 同じ鳥でも、県の鳥 「ヤマドリ」 とか?


 でも、もはや手遅れです。
 僕らの脳には、しっかり “つる舞う形” として、すり込まれていますものね。
 悲しい群馬県民の性(さが)であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)謎学の旅

2022年05月01日

白い糸の伝説


 《人は生まれながら 赤い糸で結ばれている
  そして いつかは その糸をたどって めぐり会う
  しかし その糸は 細くて 弱い》
   (NSP 「赤い糸の伝説」 より)


 “赤い糸” といえば、それは、運命的な恋の相手との出会いのこと。
 その相手とは、小指と小指が見えない糸で結ばれているそうです。

 なーんて、若い頃は、理想の相手を夢見ていたものです。
 でもね、そんなロマンチックなものじゃ、ありませんって!(笑)
 たとえ結ばれていたとしても、引っ張れば切れちゃうし、グチャグチャに絡まるし、気が付いたら色が変わっていたりしますからね。

 “あばたもえくぼ” で、本当は黒い糸が赤く見えていただけなのかもしれません。


 閑話休題


 実は先日、呑み屋のカウンターで常連客らと、ひょんなことから 「白い糸」 の話になりました。
 話の発端は、こんな感じです。

 「夜泣き、疳(かん)の虫、宇津救命丸」
 「なに、それ?」
 と比較的若い客。
 「昔の薬のコマーシャルだよ」
 すると年配の客が、
 「あったね、子どもに飲ませる薬」

 「夜泣きは分かるけど、疳の虫って何?」
 「疳の虫、知らないの?」
 「いや、聞いたことはあるけど、見たことはありません」
 すると、
 「見たことあるよ」 「俺も見た」 「私もある」
 そして、誰かが、
 「昔、出して遊んだよな?」
 と言えば、
 「遊んだ!」 「やった!」 「出した!」
 と、大いに盛り上がりました。


 疳の虫とは、いわゆる赤ちゃんの 「ぐずり」 のこと。
 昔は原因が分からなかったので、赤ちゃんや小さな子の体の中には、疳の虫がいると信じられていたのです。
 だから、どこの町にも、ちょっと、うさん臭い 「まじない師」 がいて、「虫切り」 「虫封じ」 「疳封じ」 なんていう儀式が行われていました。

 その時に用いられたのが、“塩” でした。


 「手に塩をすり込んでな」
 「そうそう、するとニョロニョロって」
 「ええ~、何が出て来るの?」
 「糸だよ、白い糸」
 「そう、それが疳の虫の正体なんだよ」

 でも、あれって、何だったのでしょうか?
 白い糸の正体って?


 ということで、この歳になっても僕の体の中に疳の虫がいるのか、実験してみることにしました。
 やり方なら覚えています。

 ①まず石けんで、よく手を洗う。
 ➁両手に適量の塩を塗り、よく揉む。
 ➂きれいに塩を洗い流し、タオルで水分を拭きとる。
 ④親指を中に入れて、両手を強く握る。
 ⑤そのまま約3分待つ。
 ⑥両手をゆっくりと広げる。

 すると不思議や不思議、両手の指の先からニョロニョロと白くて細い糸のような物が、揺れているではありませんか!
 長いものでは1~2cmほどありました。


 というのは、子どもの頃の話です。
 今回、同じようにやってみましたが、僕の手の指先からは、何も現れませんでした。
 大人になって、疳の虫もどこかへ行ってしまったようです。


 ぜひ、みなさんも挑戦してみてください。
 もしかすると、まだ疳の虫が棲んでいるかもしれませんよ?

 え、疳の虫じゃなくて、そりゃ、「癇癪(かんしゃく)の虫」 だって!?
 お後が、よろしいようで……
   


Posted by 小暮 淳 at 11:41Comments(0)謎学の旅

2022年03月09日

父の遺書 ~消えた東村~


 “遺書” とは、遺言書のことではありません。
 故人が遺した書物のことです。


 「生きている者には、ときどき、死者が必要になることがあるんだ。」

 宮部みゆきの小説 『小暮写眞館』 の中に、こんな一節があります。
 確かに、ときどき、そう感じることがあります。


 オヤジは晩年、認知症を患い、10年間の介護生活の末に他界しました。
 享年94歳でした。
 大往生だったと思います。

 オヤジを見送って、丸3年が経ちました。
 一昨年の夏、三回忌を前に、僕とアニキで遺品を整理することになりました。
 衣服や雑貨類はすべて処分することになり、問題は膨大な量の蔵書です。
 無類の読書家だったオヤジは、その生涯を本に囲まれて暮らしていました。

 「お前が必要な本だけ、持って行け。残りは、俺が目を通して、適当に処分するから」
 そうアニキに言われて、興味のある本だけ十数冊もらって帰りました。


 1年半もの間、その書籍類は、部屋の片隅に積まれたままになっていました。
 先日、仕事で調べごとをしているときに、フッと思い出しました。
 「確か、オヤジの遺書の中にあったような……」

 探すと、ありました!
 『群馬の地名 ―郡名から大字名まで―』 (みやま文庫)
 昭和46年の発行ですから半世紀前の本です。

 すでに背表紙は剥がれ落ち、表紙は色あせて、セピア色に変色しています。
 それでも裏表紙に残るオヤジのサイン (マジックで名前が書かれていました) だけは、ハッキリと読めます。


 調べようと思っていたページを開いて、ビックリしました。
 オヤジも調べていたようで、鉛筆による書き込みが多数されています。

 <明治二十二年第一次町村合併一覧表>

 いわゆる明治の大合併による群馬県内の町村名の一覧です。
 この一覧にオヤジは、その後の合併年と合併後の郡名を追記しています。

 「ほほう、オヤジも好きだね。っていうか、オレと同じことを調べていたんじゃねーの?」
 なんて考えながら、ペラペラとページをめくっていた時です。
 「あれ? こんなに東村ってあったっけ?」

 今は無き、“東村” の多さに目を見張りました。

 僕が知っいる東村は、平成の大合併で消えた3つだけです。
 ●佐波郡東村 → 現・伊勢崎市
 ●勢多郡東村 → 現・みどり市
 ●吾妻郡東村 → 現・東吾妻町

 ところが、この本によれば、僕が生まれる以前に消えた東村が、あと2つあったのです。
 ●群馬郡東村 → 現・前橋市
 ●利根郡東村 → 現・沼田市


 なぜ群馬県には、こんなにも “東村” が多かったのでしょうか?
 ちょっと気になり、調べてみると……

 ギェギェ、ギェギェギェ~!
 嘘か真か、5つの地域に共通する信仰と伝説が浮上しました。
 これは、もう、追いかけるしかありませんぞ!

 オヤジ、ありがとう!
 オレは、謎学の旅に出るぜ!
  


Posted by 小暮 淳 at 10:32Comments(0)謎学の旅

2022年02月05日

座敷わらしの足音


 「小暮さん、ついに出ました!」

 開口一番、興奮気味に、そう言いました。
 声の主は、ご存じ、新聞記者のKさんです。
 このブログでは、もう、お馴染みですね。


 彼は妖怪や未確認生物など、不思議なものが大好き。
 群馬に赴任早々、僕の著書と出合い、強引に面会を求めてきたほどのガッツの持ち主です。
 その彼が、今、夢中になっているのが 「座敷わらし」 です。

 <さて私が泊まった部屋は、座敷わらしがよく出るといわれる廊下のすぐ近く。深夜3時。私はもう一度風呂に入った。わらしはいるのだろうか。>
 <出会った人には幸運をもたらすという座敷わらし。目撃した宿泊客は 「可愛いです。お菓子をあげるとすごく喜びます」。私はついぞ会えず、残念な気持ちで帰路に就いた。>
 (2022年1月4日付 朝日新聞群馬版 「座敷わらし 会えるかな」 より)


 場所は群馬県猿ヶ京温泉 「わらしの宿 生寿苑」。
 温泉ライターとしてはもちろん、テレビ番組のミステリーハンターとしても、たびたび僕が紹介してきた温泉宿です。
 K記者は、この話に俄然、奮起!
 カメラを片手に、意気揚々と出かけて行ったのであります。

 ところが、ICレコーダーに 「ピクニッ」 という謎の言葉を残しながらも……
 <でも恥ずかしがり屋なのかなあ。姿は見せてくれなかった。次回は絶対に会おうね。>
 というエンディングに終わってしまったのです。
 ※(このブログの2022年1月8日 「ピクニックに連れてって……」 参照)


 そして、リベンジの時が来ました。
 彼は、宿に再取材を申し込んだのです。

 「ご主人も、あの声には驚いていましたよ。こんなにハッキリと聞いたのは初めてだと」
 「で、ついに出たって?」
 「そうなんです。夜中ですよ。私の部屋の前の廊下を、タタタッて、足音が聞えたんです」
 「足音?」
 「ええ、あれは絶対に子どもの足音です!」
 「ということは?」
 「座敷わらしです!」

 彼の興奮は、ピークに達したようです。
 これは、クールダウンをさせねば……

 「足があるということは、幽霊ではない」
 「座敷わらしは、妖怪ですから」
 「……」

 「でも足音は聞いたけど、姿は見てないんだよね?」
 「そこなんですよ、残念なのは」
 「座敷わらしは、見た者だけが出世をしたり、お金持ちになったり、幸運をもたらすんだよね?」
 「ええ」
 「前回は声、今回は足音。なかなか会えませんな」

 少しはクールダウンしたかと思いきや、
 「もう一度、行って来ます!」


 この懲りないところが、根っからの記者魂なんですね。
 いいぞ、Kさん! 行け行け~!

 次回は、座敷わらしとのツーショット写真入りの記事を待っています。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:47Comments(0)謎学の旅