温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年02月29日

残り1週間! 表紙画展


 <一冊の本が完成するまでのご苦労が伝わってきました。>
 こんなメールが届きました。
 現在、前橋市の戸田書店前橋本店で開催中の拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の出版1周年を記念した巡回展 「栗原俊文 表紙画展」 を観に行ってくださった方からです。


 おかげさまで、昨年夏の戸田書店高崎店が盛況だったため、県内の書店をめぐる展示会を行っています。
 会場では著書の販売に併せて、表紙画と装丁を担当したイラストレーター&デザイナーの栗原氏による原画と制作過程を解説したパネルの展示をしています。
 著者からの依頼から始まり、打ち合わせ、ラフによる候補画の選出、決定、そして装丁デザインにいたるまで、時系列に紹介しています。

 今回、栗原氏にイラストレーターとして表紙画を依頼したのは初めてでしたが、デザイナーとしては長年、仕事でパートナーを組ませていただいています。
 上毛新聞社から出版している“群馬の温泉シリーズ” のほとんどは、彼のデザインです。
 そんな彼のデザイナーとしての力量はもちろん、イラストレーターとしての才能に触れることができるチャンスだと思い、この展示会を企画しました。

 いよいよ、残り1週間です。
 ぜひ、お見逃しなく!



   「ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台」
       栗原俊文 表紙画展

 ●会期  開催中~3月7日(土) まで ※観覧無料
 ●会場  戸田書店 前橋本店 (前橋市西片貝町4-16-7)
 ●問合  ちいきしんぶん TEL.027-370-2262
   


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(2)著書関連

2020年02月28日

旅のめっけもん⑦


 このカテゴリーでは、現在、ブログ開設10周年を記念して不定期掲載をしている 「源泉ひとりじめ」(2004年4月~2006年9月に 「月刊 ぷらざ」 で連載されたエッセー) に併載されたショートコラム 「旅のめつけもん」 を紹介しています。
 温泉地で見つけた旅のエピソードをお楽しみください。


 ●旅のめっけもん 「千明(ちぎら)牧場」

 腰まである残雪の中、かろうじて門柱に書かれた 「千明牧場」 の文字が読めた。
 加羅倉館(からくらかん) のオーナーが経営する牧場である。
 1周1,600メートルある馬場は、今はただ一面の銀世界が広がるだけだ。
 案内された管理棟の壁に掛かる一枚の写真に、彼はいた。

 父はトウショウボーイ、母はシービークイーン。
 彼の名は、ミスターシービー号。
 1983年の皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞の三冠を制し、歴史に残る三冠馬の1頭に名を連ねた名馬である。
 彼は1980年4月に、北海道で生まれた。
 翌年、オーナーブリーダーの千明大作氏が経営するここ千明牧場に移され、育てられた。

 千明牧場の歴史は古く、サラブレッドの生産を始めたのは昭和初期のこと。
 戦前には 「マルヌマ」 で帝室御賞典(現・天皇賞) を、「スゲヌマ」 で日本ダービーを制覇している。
 戦後になってからは、「コレヒサ」 で天皇賞優勝、そして 「メイズイ」 で皐月賞と日本ダービーの二冠を制した実績をもつ。
 個人経営の小さな牧場でありながら、ダービー馬を何頭も輩出している全国的にも類のない伝統ある牧場である。

 2000年12月、ミスターシービーは蹄葉炎による衰弱のため、千葉県の千明牧場で死去した。
 享年21歳(数え年) だった。
 今でも競馬ファンが、この地を訪ねて来るという。
 <2005年4月 白根温泉>


 ●旅のめっけもん 「瀬戸の滝」

 「あっ、滝だ!」 と思ったのも束の間、そのまま通り過ぎてしまった。
 国道144号沿い、長野原町から嬬恋村へ向かう途中のことだった。
 国道まで水しぶきを散らす勢いで、突如と現れた姿に一瞬、ブレーキを踏みそうになったくらいだ。

 宿の主人に訊くと、「瀬戸の滝」 と教えてくれた。
 なんでも冬場の渇水期には姿を現さない “まぼろし” の滝らしい。

 翌朝、滝つぼまで行ってみた。
 と言っても、国道脇の駐車スペースに車を停めて、徒歩0分の距離。
 車窓からも見られるが、やはりじっくりと観賞したい。
 見上げると、細い樋状の落ち口から吹き出した水が、岩盤の上を二度三度と跳びはねるように滑り落ちてくる。
 最後は、すそを広げながら岩の切れ目で、そり返るようにジャンプして、滝つぼへ。
 そのまま国道をくぐり、吾妻川へ流れ込んでいる。

 目測で30メートル以上はあるように見えたが、調べた資料によれば10~50メートルと、その落差の表記はさまざま。
 これもまた、“まぼろし” の名にふさわしい気がした。
 <2005年5月 つま恋温泉>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:54Comments(0)旅のめっけもん

2020年02月27日

いつも真実は闇の中


 <この国のメディアはおかしい。ジャーナリズムが機能していない。>

 始まって、わずか5分。
 気がついたらスクリーンが涙で、ゆがんでいました。
 「なんでだろう?」
 自分でも分からないぐらい動揺しています。
 熱い思いが胸の奥の方から湧き上がり、目頭を熱くしていたのです。


 遅ればせながら映画 『i 新聞記者ドキュメント』 を観てきました。
 主人公は、映画 『新聞記者』 の原案者としても話題を集めた、あの官邸記者会見で鋭い質問を投げかけることで有名な東京新聞社会部記者の望月衣塑子。
 監督は、ゴーストライター騒動の渦中にあった佐村河内守を題材にした 『FAKE』 などで知られる映画監督で作家の森達也。

 カメラは時に監督自身をも映しながら、ノートとペンとスマホを手にキャリーバッグを転がしながら全国を飛び回る記者を追い続けます。
 辺野古埋立地、もりかけ問題、そして官邸記者会見の場へ……

 真実は、どこへ?
 政治家や官僚の圧力と忖度を追究する彼女は、時には仲間である新聞社という組織へも歯向かいます。


 僕も同じ記事を書くライターですが、ジャーナリストではありません。
 追いかけているテーマは温泉や民話や地酒などですから、世の中に無くても生活には支障のない娯楽性の高いものばかりです。
 それでも 「真実を伝えたい」 というジャーナリズムのような感情は、いつも持ち合わせています。
 だからでしょうか、数々の弊害や妨害にはばまれながらも、それに屈することなく全速力で駆けずり回る彼女の姿に、涙が流れました。


 はて、タイトルに付いている 「i」 とは?
 映画館を出てから考えました。

 <あなたが右だろうが左だろうが関係ない。保守とリベラルも分けるつもりはない。メディアとジャーナリズムは、誰にとっても大切な存在であるはずだ。だから撮る。>
 これは、新聞記者と映画監督のガチンコバトルなのです。

 だから 「i」 は一人称の 「i」、「私自身」 のことではないかと?
 組織の中の記者とフリーランスの映画監督が、巨大な国家と闘うドキュメントなのだと……


 日本という国に暮らす、すべての人たちに問うテーマです。
 ぜひ、観て、考えて、悩んでみてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:07Comments(0)つれづれ

2020年02月26日

一年に一度、落ち込んでみました。


 個人事業主のみなさん、お疲れさまです。
 一年に一度のイヤ~な季節がやって来ましたね。
 それは、“大人の通知表” とも呼ばれる確定申告であります。

 もう、お済みになりましたか?
 僕は今日、無事に終えました。
 だから落ち込んでいるのです。

 今年こそは、今年こそはと言いつつ、やっぱり昨年度の稼ぎも例年並みでした。
 ま、計算するまでもなく、現在の生活水準を見れば、一目瞭然なんですけどね。
 それでも、「もしかしたら」 なんて思いながら電卓を叩いてみるわけです。
 
 でも結果は同じ……
 だから、こうして一年一度、落ち込んでいます。
 好きな仕事しかしないという、我がままゆえの自業自得なんですけどね。
 甘んじて、受け入れています。


 毎年、この時季になると、死んだオヤジの口グセを思い出します。
 「これで金があったらバチが当たる」
 オヤジは生前、何かに付けて自分を戒めるように、そう独りごちていました。
 唯我独尊、聞く耳を持たず、好き勝手に生きてきたオヤジらしいセリフです。

 若い頃は中学校の教師をしていましたが、意見の相違から校長をぶん殴ってクビになったと聞いています。
 それからは、人に使われるのも、人を使うのも嫌い、たった1人で学習塾を営んでいました。
 細々と、そして悠々と……

 だもの、僕が学校から帰って来ると、必ずオヤジは家にいました。
 仕事は、平日の夕方からの4時間だけです。
 それ以外は家にいて、毎日毎日、ただ本を読んで過ごしていました。
 楽しみといえば、週末の山登りぐらいでした。

 晩酌はしていましたが、ほとんど外へは飲みに出かけませんでした。
 ただ、まれに、ぷらりといなくなる日があり、ベロベロに酔っぱらって帰って来ました。

 ♪ 一年一度、酔っ払う

 まるで 「時代おくれ」 という歌の歌詞のように、不器用なオヤジでした。


 「これで金があったらバチが当たる」
 オヤジは、自分が選んだ人生に責任をとろうとしていたのかもしれませんね。

 僕も今日1日だけは落ち込んでみせますが、また明日からは自分が選んだこの道を歩み続けたいと思います。
 バチが当たらないように……
   


Posted by 小暮 淳 at 15:57Comments(3)つれづれ

2020年02月24日

源泉ひとりじめ(17) 浅間高原で総天然色の歴史(ゆめ)を見た。


 癒しの一軒宿(17) 源泉ひとりじめ
 北軽井沢温泉 「地蔵川ホテル (現・御宿 地蔵川)」 長野原町


 「権田」 から国道を離れると、新緑が目に痛いほどに車窓にあふれていた。
 こっちが角落山(つのおちやま) で、あっちが鼻曲山(はなまがりやま) だ。
 その独特の山容は、眺めていて飽きることがない。
 やがて浅間隠山(あさまかくしやま) 登山口を過ぎて、二度上峠(にどあげとうげ) へ。

 「あっ、」 眼前に現れた浅間山の迫力に、思わず感嘆の声がもれる。
 噴煙たなびく姿は、古い映画のシーンそのままだった。

 昭和26(1951)年に封切られた日本最初のオールカラー映画 『カルメン故郷に帰る』 は、この雄大な浅間山をバックに始まる。
 青い空、白い雲、そして人気若手女優の高峰秀子が演じるダンサー、リリー・カルメンの派手な衣装……
 総天然色の名にし負う映像は、戦後日本が迎えた新時代への象徴的な作品だったに違いない。
 そのメガホンを取った木下恵介監督率いるスタッフが滞在していた宿が、ここ 「地蔵川ホテル」(当時は地蔵川旅館) だった。

 高原の緑の中にたたずむ赤い三角屋根に、古き良き時代の優雅さが漂う。
 “ホテル” という響きも、ここ北軽井沢の地で聞くと、どこか昭和の浪漫を感じるから不思議だ。
 「当時は子供だった」 と言うご主人と、3代目の若旦那が出迎えてくれた。
 大きな明り採りのガラス窓、高い天井にシャンデリアのあるロビーで、昭和17(1942)年創業以来、北軽井沢の歴史とともに歩んできた同ホテルの今昔物語を、ひとしきりご主人から聞いた。

 部屋へ向かう階段の踊り場から、ベランダ越しに中庭が見える。
 百花繚乱、千紫万紅の花園は、今を盛りと天然色の色合いで咲き誇っていた。

 さっそく、昨年新設されたばかりの庭園岩風呂へ。
 無色透明の湯は癖もなく、肌触りも柔らかい。
 何より窓をすべて開け放たれた内風呂と露天風呂が一体化した開放感は、湯あたりすることなく存分に湯を堪能できる。
 ときおり清涼な風が、洗い場まで入り込んで来る心地よさは格別だった。

 夕げの席は、畳の部屋でテーブルとイスという和洋折衷スタイル。
 カラフルな障子窓も印象的だ。
 特筆すべきは、デザートの手作りアイスクリーム。
 練乳のような濃厚な甘味が、懐かしさとともに口の中で広がった。


 ●源泉名:地蔵川の湯
 ●湧出量:22ℓ/分(動力揚湯)
 ●泉温:10.4℃
 ●泉質:メタけい酸含有泉

 <2005年8月>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:31Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月23日

老神温泉 「びっくりひな飾り」


 年々スケールアップする老神温泉(沼田市) の 「びっくりひな飾り」。
 昨日、オープニングセレモニーに温泉大使として参加してきました。


 第1回の開催は平成26(2014)年。
 人形の生産地として有名な埼玉県鴻巣市から500体のひな人形が老神温泉へ寄贈されたのが始まりです。
 鴻巣市は、すでに “日本一のピラミッド型ひな壇” で知られていました。

 その後、交流を続けるうちに沼田市と鴻巣市は、ある共通の人物で結ばれていたことが判明します。
 沼田城初代城主・真田信幸の奥方・小松姫は、元和6(1620)年に、鴻巣の地で亡くなりました。
 小松姫の遺骸は火葬され、鴻巣勝願寺、沼田正覚寺、上田芳泉寺に分骨されました。
 この小松姫が縁となり、両市はますます親交を深め、友好協定を結びました。

 そして今年は、ちょうど小松姫の没後400年の年に当たります。
 会場には、小松姫の人形と位牌が祀られ、7,000体におよぶひな人形が、所狭しと集められました。

 とにかく、圧巻!

 僕は第1回を開催した年に、1年間かけて老神温泉を取材しています。
 そして第2回の年に、『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) という老神温泉と片品村10温泉を紹介した本を出版しました。
 あの頃と比べると、「よく短期間で、ここまで大規模なイベントに成長したな」 と、ただただ、ため息をついて眺めていました。


 開催中は、小松姫の人形芝居や紙芝居、小松姫人形の絵付け体験など、没後400年ならではのスペシャルイベントが盛りだくさんです。
 ぜひ、足をお運びください。
 もちろん、入浴もお忘れなく!



     2002 老神温泉びっくりひな飾り
     「小松姫 (没400年) を偲んで」

 ●期間  2020年2月22日(土)~3月29日(日)
 ●開館  9:30~16:30 ※運営協力金 100円
 ●会場  沼田市利根観光会館(メイン) および老神温泉参加旅館・南郷曲屋ほか
 ●問合  老神温泉びっくりひな飾り運営委員会 TEL.0278-56-3013 (老神温泉観光協会)
  


Posted by 小暮 淳 at 12:05Comments(0)大使通信

2020年02月21日

線香が燃えつきなくて


 ♪ 私のお墓の前で 泣かないでください
   そこに私はいません 眠ってなんかいません ♪


 もちろん泣きもしませんし、そこにいないことも知っていますが、命日だもの、墓参りに行かないわけにはいきません。
 昨日2月20日は、オヤジが亡くなった日です。
 早くも1年が過ぎました。

 ひと言で、この1年を振り返れば、「介護から解放された自由な1年」 だったと言えます。
 ただ、家の中のそこかしこにオヤジの残り香があり、「ああ、よくここで、うたた寝をしていたな」 とか、「夜中に何回もトイレに起こされたな」 と、何かにつけて思い出すのですが、悲しくはありません。

 もしかしたら10年という長い介護生活が、悲しみという感情を麻痺させてしまったのかもしれませんね。
 “介護が長ければ長いほど、亡くなった後の悲しみは反比例する” ようです。


 花と線香と水桶を手に、両親が眠る墓の前に立ちました。
 家族や親族は一周忌に集まることにして、昨日は僕とアニキと2人だけの墓参りです。

 「じいさん、久しぶり! もう1年が経っちまったよ。そっちは、どうだい? 暮らしやすいかい? でも、さみしくはないよな。追いかけるように、すぐに、ばあちゃんも、そっちへ行ったからさ。また一緒にケンカしいし仲良く暮らしているんだろう? そうそう、マロには会ったかい? 去年の秋に、そっちへ行ったんだけど。まだ会えてないかな? そうか、じいさんは犬が嫌いだったからな、マロもなついていなかったし。じゃあ、マロは、ばあちゃんのところへ行ったね。ばあちゃんは、マロを可愛がっていたから……」

 とかなんとか、墓前で手を合わせていると、
 「うちもさ、ああいうのがあるといいね」
 突然、アニキが隣の墓石を指さしました。
 「あれ、本当だ! あれなら線香が最後まで燃えつきるね」

 見れば左右の墓も、その隣の墓も、見渡せば、そのほとんどの墓の線香立ての中に、金属の網を張ったトレーのようなものが置かれています。
 墓石の線香立ては、そのほとんどが線香を寝かせるタイプです。
 そのため線香が燃えつきずに、途中で消えてしまうのです。
 それが雨風にさらされて、散らかって、とても汚らしいのです。

 「来月の一周忌までには、うちも、あれを置こう! で、どこで売ってるんだ?」
 「仏具屋じゃないの?」
 「ホームセンターじゃ、売ってないのかな?」
 「どこでもいいから、墓守の長男に任せるから買っといてよ」


 オフクロが亡くなったのは令和元年の初日、5月1日です。
 だからオヤジの命日との間をとって、彼岸に合同の一周忌をとり行うことにしました。

 また一族が集まり、にぎやかな日になりそうです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(0)つれづれ

2020年02月20日

源泉ひとりじめ(16) とろんとした湯が、ゆっくりと滑り落ちた。


 このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念して、2004年4月~2006年9月にわたり 「月刊ぷらざ」(ぷらざマガジン社) に連載 (全30回) されたエッセー 『源泉ひとりじめ』 を不定期にて掲載しています。
 ※地名および名称は連載当時のまま表記し、その後変更があったものは訂正を加えました。尚、現在は休業もしくは、すでに廃業している宿もあります。



 癒しの一軒宿(16) 源泉ひとりじめ
 塩河原温泉 「渓山荘」 川場村


 「あっ、思い」
 手ですくって、そう思った。
 実に存在感のある湯だ。
 湯舟から出した腕の表面を、ゆっくりと滑り落ちて行く。
 源泉名に、いつわりのない 「美人の湯」 である。

 昔から 「かっけ川場に、かさ(皮膚病) 老神」 と言われるほど、良質の温泉が湧き出ていた地である。
 知られざる名湯に、めぐり合えた。


 ペットも泊まれる宿と聞いて、少なからず危惧をしていた。
 何を隠そう、私は無類の犬嫌いなのである。
 でも、それは杞憂だったようだ。
 ワンちゃんは別館、人は本館という配慮は、純粋にに温泉を求めるものには嬉しい限りである。

 「何もブームに便乗したわけではありません。これからの温泉旅館の形を提案しただけです。キーワードは “コミュニケーション” “アクセス” “コンタクト”。新しい情報を発信する場でありたい」
 と、ご主人は、ペットの泊まれる宿という位置づけを否定する。
 あくまでも顧客サービスの一環なのだと。
 会員を募り、写真や水彩画の教室、ワインやビールのパーティー、絵画等の作品展、さらには著名人を招いてのトークショーなど、各種イベントを館内で開催している。

 何はともあれ温泉旅館であるかぎり、湯を堪能したい。
 数百年前から自噴しているという源泉は、代を替え、名を替え、今日まで守り継がれて来た良質の湯であるはずだ。
 まずはヒノキで組まれた内風呂に身を沈める。
 ぬるめだが、粘着性をもって肌に貼り付いてくる独特の湯感に、しばらく声がでなかった。
 まるで片栗粉を溶いて流し込んだような、とろみ具合である。
 それまで私が抱いていた単純温泉の概念を、完全に変えられてしまった。

 露天風呂は、武尊(ほたか)石を配した野趣あふれる造り。
 石段を下りる際は、濡れた足裏で踏むと、ぬるりと滑りやすいので注意が必要だ。
 そんな所にも、この湯の温泉力を感じる。

 せせらぎの音がする。
 川瀬が近い。
 そういえば昼間、訪ねる途中、薄根川に架かる橋の上から眼下の河畔に宿を見つけて驚いたことを思い出した。
 「川場」 の地名にふさわしい宿である。


 ●源泉名:美人の湯
 ●湧出量:23ℓ/分 (自然湧出)
 ●泉温:27.8℃
 ●泉質:アルカリ性単純温泉

 <2005年7月>
   


Posted by 小暮 淳 at 13:05Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月19日

いまだ林住期は訪れず


 ひょんなことから1冊の本と、めぐり合いました。
 なかのまきこ著 『野宿に生きる、人と動物』 (駒草出版)

 著者は、ホームレスと暮らす犬や猫たちを、無償で診察するフリーランスの女性獣医師です。
 「誰かがきっとなんとかしてくれる……その誰かとは、つまり自分自身なのではないか」 と、河川敷や公園で暮らす野宿仲間 (著者は野外で暮らす人と動物たちを、そう呼びます) を訪ねて日本全国を東奔西走します。

 なぜ、そこまでして?
 読んでいて、そう思ってしまうのは、僕が無関心だったからなんでしょうね。
 どこかで、誰かが、なんとかしてくれているものだと、勝手に思い込んでいたのです。
 だからこそ、まるで日常生活を綴ったエッセーのように、やんわりと語られる彼女の言葉は、深く心の奥へと突き刺さります。


 彼女が交流する野宿仲間の一人に、「カタヤマさん」 という60代の男性がいます。
 彼はある日、威力業務妨害の罪で逮捕されてしまいます。
 この日、カタヤマさんは、ほかを追い出されて住むところのない野宿仲間をかくまうために、公園にテントを設置しようとしていました。
 それを公園事務所の人たちに注意されたため、野宿仲間や彼らを支援する活動家たちと抗議行動を行ったのです。

 著者は、獄中のカタヤマさんを訪ねたり、手紙のやりとりを始めます。
 もちろん、カタヤマさんの飼っていた2匹の愛犬を保護しながら。
 やがて、そろそろ釈放という時、カタヤマさんから手紙が届きます。

 <便りありがとう。四月二十日に釈放で二人出ました。僕は、釈放は拒否しました。理由は、「月がとっても青いから遠回りしておうちに帰ろう」 と思ったからです。六十歳を二つ越えて、バカがおおっぴらにできるようになったので、その記念に釈放を拒否しました。>

 なんとも粋な理由ですが、本音は別のところにありそうです。
 保釈するには、お金がかかります。
 そのお金は、彼らを支援する活動をしている人たちで出します。
 カタヤマさんは、自分のために皆のお金を使わせたくないと思ったようです。


 さらにカタヤマさんから、こんな手紙が届きます。
 <インドでは古くから人生を四つに分ける 「四住期」 という考えがあって、それに従って生きることが理想とされてきた。「学生期」 二十五歳位までは、よく学び体を鍛える。「家住期」 五十歳ぐらいまでは、結婚し仕事に励み家庭を維持する。生活が安定したところで 「林住期」 となり、ここでなんと家出をするのだ。仕事を離れ家族を残し、自分ひとりで旅に出て勝手気ままに暮らすのだ。真の生きがいをさがすのだ。存分に自由時間を楽しんだ後、家に帰り元の生活を再開する。ところが、まれに旅に出たまま戻らない者がいて、彼らはそのまま 「遊行期」 に入って行く。>

 カタヤマさんは、すでに遊行者なのだろうか?

 今の僕と同世代なのに、かなり達観して生きていらっしゃる。
 遊行期までは、たどり着けなくても、せめて林住期は迎えたいものだ。

 でも僕は、まだ林住期を迎える条件を1つ、クリアしていないのであります。
 “生活が安定したところで”
 この一文です。

 凡人には、なかなか実践できそうもないインドの教えであります。


 ところで、ひょんなこととは、著者が、このブログの読者だったということです。
 縁とは、異なもの不思議なものであります。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:30Comments(0)つれづれ

2020年02月18日

源泉ひとりじめ(15) 和みの風が、湖面を渡っていった。


 癒しの一軒宿(15) 源泉ひとりじめ
 赤城高原温泉 「山屋蒼月(やまやそうげつ)」 前橋市


 左が 「手の湯」 で、右が 「島の湯」。
 湧き出る泉が、ここで一つになる。
 左は鉄イオンを含み、右はメタけい酸を含む。
 そして、混合の源泉が生まれる。
 
 本館の裏手にある源泉小屋を下った細流沿いから、遊歩道が始まる。
 アジサイに囲まれながら湿地帯を行く木道は、さながらミニ尾瀬の雰囲気だ。
 「素人が暇をみてやっているので、整備が遅々として進まない」
 と言う主人は、ここにミズバショウを飢える計画らしい。
 やがて、湖畔に着いた。

 地元では 「原沼」 とも 「ひょうたん池」 とも呼ばれる貯水池だが、なかなか、おもむきのある景色である。
 時折、湖面を渡る風が、ゆっくりと私を追い越していく。
 遠方に市街地と関東平野を望み、振り返ると本館を有する5,000坪という敷地が、視野いっぱいに広がった。
 アジサイ250株、ツツジ5,000株、ヤマユリ400株、モミジ50株……
 四季折々の顔を見せる花の庭は、県外から多くの客を呼んでいる。

 自慢の露天風呂は、長い階段の渡り廊下の突き当たり。
 川の流れを引き込んだ庭園の真ん中で、三日月型をした湯舟が、夕空を映していた。
 風の音、水の音に耳を澄ましながら、ぬるめの湯の中で時をやり過ごす。
 くせのない、まろやかな湯である。

 やがて浴槽から上がり、思いっきり背伸びをすると暗い湖面の向こうで、街の灯りがキラキラと輝いているのが見えた。

 まずは、湯上がりのビールをいただこう。
 夕食の後は、もう一度、部屋にある昔なつかしい木の桶風呂に浸かりながら、熱燗もいい。
 夜景を眺めながら、そんなことを考えていた。


 ●源泉名:手の湯・島の湯
 ●湧出量:測定不能 (自然湧出)
 ●泉温:14.5℃
 ●泉質:鉄イオン・メタけい酸含有泉

 <2005年6月>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月17日

スマホをやめただけなのに


 昨年暮れに “スマホ断ち” をした人の話を書いたところ、たくさんの反響をいただきました。
 ※(当ブログの2019年12月16日 「さよなら時間泥棒」 参照)

 コメント欄のみならず、ブログを読んだ人からも 「私もスマホをやめました」 等の声が寄せられました。
 また、上手にスマホを使い分けている人が、多く存在することも知りました。
 僕の仕事関係のサラリーマンの方々は、会社からスマホを持たされているため、個人ではガラケーしか持たない人が、かなりの人数いました。

 確実に、“スマホ断ち” が進んでいます。

 では、なぜ、今、人々はスマホをやめようとしているのでしょうか?


 新聞の投稿欄には、たびたび “スマホ断ち” した読者からのコメントが:掲載されています。
 昨日の毎日新聞にも、40代男性会社員からのこんな投稿がありました。

 <私もスマホを2年で卒業した後、5年以上ガラケー生活です。分からないことや困ったことがあるとすぐにスマホが解決してくれるため、自分の思考力や探究心が失われていくような恐怖に駆られてスマホをやめました。確かにスマホがないと一定の疎外感はあります。しかし、SNSなどでの 「つながり」 には幅広さがある一方、案外薄弱であることが多いような気がします。そもそも電源を落とせば、それは一瞬にして無に帰すのです。>

 便利ゆえに薄弱になる生活や人間関係に、気づき出したのかもしれませんね。
 でも、そう気づいたのは、スマホが無かった時代を知っている大人たちです。


 全国の都道府県では、未成年者に対してネットやゲームの使用に対して、制限する条例の制定案まで浮上しています。
 依存防止のための有効策なのか、それとも、子どもの人権侵害なのか?
 賛否は分かれるところですが、「スマホ中毒」 は人類が初めて遭遇する事案なので、一朝一夕には答えが出そうにありませんね。


 さてさて、それにしても 「たかがスマホ、されどスマホ」 であります。

 依然、スマホを持たない僕にとっては、まったく無縁な話なのですが、やっぱり気にはなるのです。
 スマホをやめただけなのに、なんで、こんなにも話題になるのでしょうか?
   


Posted by 小暮 淳 at 11:33Comments(0)つれづれ

2020年02月16日

旅のめっけもん⑥


 ●旅のめっけもん 「長寿の泉」

 浴室へとつづく廊下の途中に、飲泉所があった。
 ①蛇口を少しあけ、ボタンを押す。
 ②10秒ほど流してから汲む。
 ③持ち帰りは2ℓまでにして、酸化する前に飲む。
 ④鉄泉なのでタンニンを含むお茶等は、飲泉の前後は避ける。
 ただし書きのとおり、ボタンを押してみた。
 蛇口から出てきた源泉は、無色透明だ。
 さっそく、コップ一杯の源泉をいただく。
 確かに鉄の味がするが、違和感なく飲めた。
 おちょこ一杯の量で、ほうれん草100g相当の鉄分が補給できるという。
 それもそのはずで、適応症として鉄欠乏性貧血が日本で初めて認められた大変貴重な温泉なのである。
 「このコップを見ててごらん」 と、ご主人が源泉にお茶を注いでみせた。
 すると、あっという間に真っ黒に変色した。
 驚いた私の顔を見て 「天然の鉄イオンが生きている証拠だ」 と笑った。
 空気に触れて時間が経つと、鉄は酸化して変色してしまう。
 だから入浴よりも飲泉のほうが、はるかに効能は高い。
 県下で唯一、特殊成分を含む療養泉として 「薬師飲泉所」 の許可がされている。
 <2005年2月 五色温泉>


 ●旅のめっけもん 「ホタルドーム (ほたる山公園)」

 まず駐車場からの眺めに、しばし目を奪われた。
 名峰・妙義山を正面に、西上州の山々に囲まれた下仁田の町並みを一望していた。
 振り返ると、御岳山の中腹に遊具や展望台、樹木園、遊歩道が整備された公園が広がっている。
 「こんな季節にホタルが? それも昼間に?」 と驚く私に、宿の若旦那は 「ええ、一年中ホタルが観られるんですよ。ぜひ、寄っていってください」 と、公園までの道を教えてくれた。
 その、ホタルを通年観察できるという飼育施設 「ホタルドーム」 は、公園の入口に建つ管理棟の中にあった。
 懐中電灯を手にした解説員の女性について入った部屋は、昼間だというのに真っ暗闇。
 人工的に夜をつくり、勘違いしたホタルが飛ぶ、ということらしい。
 室内の温度を24~25度、水槽の水温も19~20度に保つことにより、一年中繁殖させている。
 闇に目がなれてきた頃、ひとつ、ふたつと小さな光がフワフワと動くのが見えた。
 ピークの夏季には約200匹が乱舞するというが、訪れたのは冬。
 それでも10数匹の平家ボタルたちの、けなげな浮遊美を堪能した。
 <2005年3月 下仁田温泉>
   


Posted by 小暮 淳 at 11:54Comments(0)旅のめっけもん

2020年02月15日

人の中の仙人


 「小暮さんは、人たらしだからな」
 唐突に、そう言われて、ドキリとしました。
 先日の新年会でのことです。

 確か、以前にも誰かに同じことを言われたことがあるな……
 何十年も前のことだ。
 それも2回。

 「ジュンは、人たらしだからさ」
 まだ20代の頃、音楽仲間との雑談で言われた。
 「編集長は、人たらしですから」
 40代の頃だ。
 雑誌の編集をしていたスタッフに言われた。

 “人たらし”

 広辞苑によれば、<人をだますこと。また、その人。> とあります。
 「男たらし」 「女たらし」 など、“たらし” にはネガティブでマイナスのイメージを持っていた僕は、過去の2回とも不快感を抱いたことを覚えています。


 ところが今回、会話の流れから察するに、決して、さげすんだ言い方ではありませんでした。
 「小暮さんのまわりには人が集まってくるよね」 「人徳だよね」 というニュアンスに聞こえたのです。
 もしかしたら、これって、ほめ言葉なのかしらん?

 歴史をなぞれば、かの豊臣秀吉は 「稀代の人たらし」 「人たらしの天才」 と呼ばれていたそうです。
 このことからも分かるように、必ずしも、さげすんだ言葉ではないようです。


 かれこれ30年ほど前のことです。
 雑誌のインタビューで、さる彫刻家を取材したときのことでした。
 その作家は、こんな謎めいたことを言いました。
 「僕は “人の中の仙人” になろうと思うんだ」

 “仙人” といえば、人里離れた山奥に住み、悟りを開いて質素に暮らしているイメージです。
 なのに、その人は、人の中で仙人になるといいます。
 実際、アトリエは街の中にあります。
 家族やたくさんの友人、知人に囲まれて暮らしています。
 ともすれば、一般の社会人よりも、にぎやかで華やかな日常を送っているようにも見えました。

 どこが、仙人なのだろうか?


 30年経って、おぼろげながら、その答えが見えてきました。
 今になって思えば、その人は、,根っからの “人たらし” だったんですね。
 人が好きだから、人の中に身を置くけれど、心はいつも仙人のように達観した世界を求めているということなのではないでしょうか。

 遅ればせながら、僕も今、そんな心境です。
 人たらしと言われれば、言われるほど、思いはつのります。

 “人の中の仙人” になりたいと……

   


Posted by 小暮 淳 at 11:54Comments(0)つれづれ

2020年02月14日

源泉ひとりじめ(14) みどり色の湯のなかで、満天の星を仰いだ。


 癒しの一軒宿(14) 源泉ひとりじめ
 つま恋温泉 「山田屋温泉旅館」 嬬恋村


 幸せだなあって思う時
 たべてる時
 ねてる時
 温泉つかってる時

 相田みつをを彷彿する、ご主人のほんわかした言葉たちが、訪ねる風呂のそこかしこで、湯気にゆらめいている。 
 男女別の内風呂・露天風呂、貸切露天風呂の樽風呂・石風呂・釜風呂、個室風呂も入れると、風呂は全部で9つ。
 本館を出て、通りを渡った向かいにある貸切風呂にいたっては、ご主人の手造りと聞いて驚いた。
 館内には、テーブルや飾り棚など、玄人はだしの作品が目を引く。

 以前からこの地で旅館業をしていた先代が、悲願の温泉を掘り当てたのは平成5年3月のことだった。
 突如、中空高く音をたてて吹き出したという。
 「あの時の感動は、忘れられない」 と、今でも目を細めて述懐する。
 地下384メートルから自噴する源泉の湯量は、1日ドラム缶約800本分にもなる。
 道路端の側溝から、もうもうと立ち昇る湯けむりを見れば、かけ流しされている湯量の豊富さがわかる。

 客室の窓からは、吾妻川や三原の町並みがよく見える。
 遠くには 「日本百名山」 の一つ、四阿山(あづまやさん) が、ひと際高くそびえている。

 さっそく浴衣に着替え、丹前を羽織って、露天風呂を目指した。
 お湯は手ですくうと薄黄色をしているが、湯舟全体は光の加減か、深い緑色をしている。
 マグネシウムが多く含まれているからだろう。
 ほのかに鉄臭もある。
 半透明のにごり湯につかると、膝まではうっすら見えるのだが、その先は見えない。

 思いっきり手足を伸ばして、大きく深呼吸を一度。
 「よーし、明日の朝までに、すべての風呂を制するぞ!」
 満天の星の下で、ひとりごちた。


 ●源泉名:貴乃湯
 ●湧出量:110ℓ/分(掘削自噴)
 ●泉温:42.3℃
 ●泉質:ナトリウム・マグネシウム-塩化物・硫酸塩・炭酸水素塩温泉

 <2005年5月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月13日

終われない人


 <定年って生前葬だな。>
 そんなショッキングな書き出しから物語は始まります。


 遅ればせながら、映画にもなり大ヒットした内館牧子著 『終わった人』(講談社文庫) を読みました。
 大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられ、そのまま定年を迎えた63歳の男が主人公です。
 まだ60代は、頭も体も元気だ。
 なのに、ある日突然、“終わった人” となってしまう。

 それが 「定年」 だという。

 仕事一筋だった彼は途方に暮れ、生きがいを求め、居場所を探して、迷い惑い、あがき続けます。
 彼と僕は同世代。
 ただ違うところは、僕は 「定年」 のない人生を送っています。
 それでも読んでいて、他人事とは思えないんですね。
 家族や社会から、だんだんに “不要” とされているんではないかという恐怖心はありますから……。


 著者は、あとがきで、こんなことを書いています。
 <定年を迎えた人たちの少なからずが、「思いっきり趣味に時間をかけ、旅行や孫と遊ぶ毎日が楽しみです。ワクワクします」 などと力を込める。むろん、この通りの人も多いだろうが、こんな毎日はすぐに飽きることを、本人たちはわかっているはずだ。だが、社会はもはや 「第一線の人間」 として数えてはくれない。ならば、趣味や孫との日々がどれほど楽しみか、それを声高に叫ぶことで、自分を支えるしかない。>
 こういう男を主人公にした小説を書きたいと思ったといいます。

 でも、ちょっと、待って!
 そのイメージって、かなり “老人” なんですよね。
 そして、そこが問題なんです!

 イメージと現実のギャップに、60代は苦しんでいるわけです。


 小説を読み終わって感じたことは、ひとこと 「うらやましい」 であります。
 確かに、やる事のない日々は苦痛かもしれないけど、それでも生きてはいられるのですから。
 世の中には、終わっても生きていける人と、終わった時点で生前葬ではなく、本葬が待っている人がいるということです。
 悲しいかな、僕は後者です。


 内館さん、ぜひ続編は、『終われない人』 を書いてください。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:00Comments(2)つれづれ

2020年02月12日

ブログ開設10周年


 このブログを開設したのは、2010年2月13日です。
 今日で、ちょうど丸10年となりました。
 これも、ひとえに読者のみなさまのおかげであります。
 心より、お礼を申し上げます。

 ブログを始めるきっかけは、現在も大変お世話になっている高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) 社長の吉田勝紀氏からの勧めでした。
 当時、パソコン音痴の僕は渋っていたのですが、「ファンのために書いてください」 と手取り足取り熱心に指導してくださり、なんとか開設にこぎつけました。

 気が付けば、10年です。
 たかが10年、されど10年……
 その間に、10冊の著書を出版することができました。
 また、観光大使や温泉大使など県内6ヶ所の自治体や団体より “大使” の任務を仰せつかったのも、この10年間です。
 そう思うと、ブログとともに歩んできた10年間だったことが分かります。


 そんな僕にブログを書かせた張本人である吉田氏が、「ちいきしんぶん」 で企業向けに発行しているニュースレターの新春号に、「続ける力」 という題で僕のブログについて、こんな記事を書いてくださいました。
 一部を抜粋して、掲載させていただきます。

 <ちいきしんぶんでも大変お世話になっているフリーライターの小暮淳さん。新年最初のちいきしんぶん(1/10号)の1面でも小暮さんの連載 「ぐんまの地酒 ほろ酔い街渡(ガイド) 」 が載っています。ブログ 「小暮淳の源泉ひとりじめ」 は、今年の1月でまる10年、2月から11年目に突入です。ほぼ2日に1回くらいの割合で更新されています。このブログから仕事や講演の依頼はもとよりテレビやラジオの出演、新聞や雑誌への執筆依頼まで来るとか。また小暮さんのファンとの交流もこのブログがきっかけだそうです。>
 <まさに日々こつこつ積み上げている行動に対して素晴らしい結果が出ているという事実。さて気になるのはどうやって続けてきたか?ご本人に直接聞いてみました。「秘訣としては、写真を一切使わず文字のみのブログであることかもしれません。視覚にとらわれず、筆者目線で日々を切り取ることができるから」 とのことでした。今やSNSは文字より写真の方が優先されがち。写真1枚あれば文字での表現を大いに補ってくれますが、逆に写真がなければ文章に集中できる。目から鱗の回答でした。>

 社長、なんとも面はゆい記事をありがとうございました。


 このブログも、いよいよ明日から11年目に入ります。
 末永くお付き合いのほどを、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:40Comments(3)執筆余談

2020年02月11日

源泉ひとりじめ(13) ゴボゴボと音をたてて、良質の湯が吹き出していた。


 癒しの一軒宿(13) 源泉ひとりじめ
 白根温泉 「加羅倉館(からくらかん)」 片品村


 「鹿肉、食うかい?」
 本館へ渡る橋の上で、唐突に、そう言われた。
 「この山で、近所の猟師が撃ってきたんだ。ふだんは出さないんだけどね、特別だよ」
 宿人の指さした裏山は、見上げると、まだ雪深く、森閑としていた。

 片品村鎌田から国道120号を日光方面へ向かい、約7キロほど行った丸沼との中間。
 赤沢山と日光白根山の加羅倉尾根の谷間を流れる大滝川沿いに、一軒宿はあった。

 国道をはさんで、本館と対峙するように古い木造の別館が建っている。
 昭和5年(1930) の創業というから、国道のほうがあとから敷地内を通り抜けたことになる。
 その別館の2階に、昭和27年に当時、皇太子殿下であった天皇陛下(現・上皇) が御来遊した際に泊まられた部屋が、今もそのまま残されている。
 6名以上であれば、宿泊も可能とのことだ。

 別館の並びに、一風変わった形をした半地下の建物がある。
 ここが浴室だ。
 本館の部屋で浴衣に着替え、タオルを手に寒風吹き抜ける国道を渡る。
 通りの端で乗用車やバスをやり過ごす間の、なんとも乙なこと……。
 旅情があって、実にいい。
 浴室棟に上がると、廊下が床暖房のように暖かい。
 これは、真下に源泉が湧いているためだという。

 360年前に湧き出たという源泉は13本、そのうち現在は4本を使用している。
 その湯量は、とにかく圧巻である。
 8畳分はある大浴槽からは、あふれ出た湯がかけ流されている。
 湯口から打たせを兼ねて注がれる湯を見て、半地下構造になっている意味が分かった。
 自噴している源泉を、そのまま動力を使わずに流し込んでいるのだ。

 さらに贅沢なことに、シャワーも専用の源泉を1本使用している。
 それでも湯が使い切れず、半分は川へ流れてしまっているというから、もったいない話だ。

 熱めの湯に浸かり、ポカポカに温まった体で宿にもどると、天然鹿の刺し身が皿に山盛りで待っていた。
 滅多に食せない上質の肉は、臭みがまったくなくて実にやわらかい。
 なんたる幸せ、至福を存分に味わった。

 旅を重ねると、運まで付いてくるようになるらしい。


 ●源泉名:上乃湯
 ●湧出量:600ℓ/分(自然湧出)
 ●泉温:62℃
 ●泉質:単純温泉

 <2005年4月>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月10日

だからなんだと思うのは僕だけだろうか?


 物の価値観は人それぞれですから、僕がとやかく言うことではないのでしょうが、「車なんて動けばいい」 くらいにしか思っていない僕にとっては、なんとも信じがたい話を聞きました。


 その男性(30代) は、超が付くほどの高級外車を乗っています。
 先日、市内の某ショッピングモールに駐車したときのことです。
 彼の車の横を、自転車に乗った少年(小学生) が通り過ぎました。

 バサッ!
 運転席に乗っていた彼は、とっさに車外に出て、少年を呼び止めました。
 「おい、待て! ミラーに当たったぞ!」

 彼の話によれば、少年が車の横を通り抜ける際に、ジャンパーの裾がミラーに接触したのだと言います。
 少年を待たせ、ミラーを確認すると、わずかですが傷が確認できました。
 ジャンパーのファスナーの金属部分が当たったようです。


 さて、この後、どうなったでしょうか?
 僕には、到底信じられない展開となります。

 なんと、彼は警察を呼びました。
 そして事故調書を書かせ、少年の親を呼び、修理をさせたといいます。


 「そこまで、しましたか?」
 の僕の問いに、
 「俺、車をすごく大切にしているんですよ」
 と彼は答えました。

 人それぞれ、物の価値観が異なることは分かっていますが、僕にとっては 「だからなんだ」 という程度の事柄なので、なんとも後味の悪い会話となってしまいました。

 そんなに大切な車ならば、乗り回さないで、家の中で大切に保管しておけばいいのにね(笑)
   


Posted by 小暮 淳 at 11:42Comments(0)つれづれ

2020年02月09日

源泉ひとりじめ(12) 山あいの離れ家で、瀬音の子守唄を聴いた。


 癒しの一軒宿(12) 源泉ひとりじめ
 下仁田温泉 「清流荘」 下仁田町


 紅梅が咲いていた。
 冬木立の中で、そこだけ明かりが灯っているようだった。
 橋の向こうに、宿が見えた。
 田舎の親戚を訪ねるみたいで、なんだか懐かしい気持ちになった。

 通された離れの部屋に荷物を置いて、まずは7,000坪という広大な敷地を散策することにした。
 滝や流れが配された美しい庭園内に、本館と離れ、浴室棟、露天風呂が点在し、それらをつなぐ渡り廊下が池のまわりを半周する。
 どこに居ても、やさしい水の音が聴こえてくる。

 宿の裏手にまわると、ただならぬ気配が……
 イノシシがいる、シカがいる、キジがいる!
 ここが名物 「猪鹿雉(いのしかちょう)料理」 の食材飼育園のようだ。
 シカのつぶらな瞳と目が合ってしまった。
 食べる前に会わないほうが良かったかも……と少し後悔をした。

 たっぷり1時間は歩いた。
 疲れた体を癒やすべく、まずは露天風呂へ。
 巨石を積んだ野趣あふれる豪快な造りだ。
 脱衣所も石の上に籠が置いてあるだけ、というのが開放的でいい。

 湯舟の縁に白く鍾乳石のような固まりが付着しているのは、カルシウム含有量が多い証拠だ。
 湯は無色透明だが、ほんのりと化粧乳液のような香りがする。
 アルカリ性のカルシウムイオンが、皮膚の角質をやわらかくして、しっとりとした肌になるという。

 個人的には、この気泡が肌に付く炭酸泉がありがたい。
 ヨーロッパでは「心臓の湯」 といわれ、毛細血管を広げて心臓に負担をかけずに血圧を下げる効果があるという。
 高血圧ぎみの私としては、家にまで持って帰りたいような湯である。

 夕げの膳は、離れまで部屋出しされた。
 広い庭内を電気カートで配膳してくれる労に頭が下がった。
 ボタン鍋やキジのお吸い物などの猪鹿雉料理に加え、下仁田ねぎのかき揚げ、こんにゃくの刺し身、コイのあらい、ヤマメの炭火焼と、山と里のものに徹底してこだわった味は、最後まで飽きることなく、箸と酒がすすんだ。

 やがて炬燵(こたつ) のぬくもりの中で、瀬音を聴きながら眠りについた。


 ●源泉名:清流の湯
 ●湧出量:測定不能(自然湧出)
 ●泉温:12℃
 ●泉質:含二酸化炭素-カルシウム・ナトリウム-炭酸水素塩冷鉱泉

 <2005年3月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年02月08日

おかげさまで200回


 2015年4月にスタートした群馬テレビの謎学バラエティー番組 『ぐんま!トリビア図鑑』。
 おかげさまで来月、放送200回を迎えることになりました。
 僕は、この番組のスーパーバイザーをしています。

 3ヶ月に1回開かれる番組の企画・構成会議に出席してきました。
 会議室に集まったメンバーは、番組のプロデューサー、ディレクター、構成作家、制作会社のスタッフら10人。
 「いよいよ来月の放送で、200回を迎えます。取り立てて特番(特別番組) は作りませんが、ますます充実した、より良い番組作りを目指しましょう」
 とかなんとか、プロデューサーからのあいさつがあった後、いつものように、みっちりと3時間にわたる白熱した会議が始まりました。


 僕は毎回、感心しながら会議の様子を伺っています。
 歴史あり、文化あり、人物あり……民俗、伝説、食やミステリーにいたるまで、みなさん、本当に調べてきているんです。
 ネタ元の話を聞いているだけでも楽しいのですが、これらが構成作家の手により物語となり、ディレクターの演出により番組になるのですから、ワクワクしてしまいます。
 今回も、あっと驚くトリビアの数々が飛び出しました。

 たとえば、オリンピック!
 今年の夏、いよいよ東京五輪がやって来ます。
 では前回、1964年の東京五輪では、群馬県からは、どんな選手が出場したのでしょうか?

 56年前のことですものね。
 僕だって、まだ幼稚園児です。
 「前畑がんばれ」 「東洋の魔女」 なんていう言葉は記憶に残っていますが、それだってリアルな記憶ではありません。
 その後の映像で、すり込まれたものだと思います。
 だもの、群馬出身の選手なんて、誰も知りません。

 ということで、番組では 「群馬と1964東京五輪」 と題して、オリンピックに出場した選手の所在と足跡を追うことにしました。
 これぞ、トリビアです!


 会議では他にも、「いちご大福は群馬が発祥なのか?」 とか 「もつ煮定食って、なんで群馬だけなの?」 など、バラエティーに富んだネタが、いくつも提案されました。
 さて、どのネタが番組で採用されたのでしょうか?
 それは、テレビを観てのお楽しみに!



     『ぐんま!トリビア図鑑』

 ●放送局  群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●放送日  火曜日 21:00~21:15
 ●再放送  土曜日 10:30~10:45 月曜日 12:30~12:45
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)テレビ・ラジオ