2012年01月09日
ハタチの自分に会う
今日は、「成人の日」 であります。
ハタチ・・・
もう、昔々の話です。
ざっと33年も前のことです。
思い出というものは、とかく美化されますから、「あの頃は良かった」 とか 「あの日に戻りたい」 などと、ついついノスタルジーにひたりがちですが、僕の場合、物書きを生業にしているわけですから、そんなアバウトな記憶を元に感慨にふけることはできません。
きっちりと、20歳の自分に会いに行きます。
と、いうことで、今日は久しぶりに朝から納戸に忍び込み、段ボール箱を1つずつ取れ出して、“ハタチの自分” を探し出してきました。
ジャーーーン! タイムマシーン!
ウソです。日記です。
以前にも、このブログで明かしたことがありましたが、僕は13歳から日記を付けているのであります。
で、ありました!
僕が、20歳を迎えた年の日記が。
1978年、8月・・・
当時僕は、東京都中野区のアパートに暮らしながら、音楽の専門学校へ通っていました。
<8月15日(火) はれ>
短い夏休みが終わり、ここ東京のアパートへ帰ってきた。
昨晩は、Eたちと前橋の街で飲んだくれた。
つらい目覚めとダルイ体のまま、沢山の荷物とともに帰ってきた。
EとKとGと I (全員、中学の同級生) に駅まで見送られての前橋脱出。
そのせいか、電車の中で物さびしさに襲われた。
「ふるさとは、いいなぁ」 という気分にひたっていただけに、とても別れがつらかった。
真っ暗闇を電車が突っ走っていた。
ひと時の盆帰りを終えて、ふたたび上京したときの気持ちをつづっています。
僕の誕生日は、8月8日ですから帰省中に “ハタチ” を迎えたことになります。
残念ながら、日記は東京のアパートに置いてあったようで、記述がありません。
この1つ前の日記には、帰省の前日のことが記されていました。
<7月30日(日) はれ>
11時頃、Eさんのアパートへ麦茶を持って行く。
Tさんが来ていた。
(中略)
本当にオレは幸せ者です。
Eさんと知り合って(Eさんは音楽学校の同級生)、Tさんを知って(TさんはEさんの音楽仲間)、オレの人生は大きく変わるでしょう。
話は少しずつ進み出し、“新しく音楽を求め出そう” という話が出てきたのです。Tさんも 「一緒にやりたい」 という言うし、スタジオを借りて録音する話も・・・
やっぱり、オレには音楽しかない。 オレの夢はでっかいのだ!
明日、早い電車で前橋に帰る。
そして、そこで再度、オレの音楽を確かめてくる。
おお、素晴らしきかな、我が人生は!
と、かなり熱く語っていますから、自分の誕生日のことなんて、忘れていたのかもしれませんね。
とにかく、この年の日記は全編にわたり、若さと情熱がほとばしっています。
さて、年が明けて迎えた「成人の日」、 僕は何をしていたのでしょう?
当時は確か、成人の日は1月15日でしたよね。
でも、その日の日記は抜けていました。
記憶では、式典には出席していません。
でも、ちょうど33年前の今日の日記が残されています。
<1月9日(火) はれ>
どうしたのだ、暖かい日がつづく。
今日、バイトは遅刻した。
起きたのは9時、何度か目が覚めたが、なかなか床から抜け出せず、ついつい寝過ごした。
(中略)
A子(元カノ) から年賀状が来ていた。ちょっぴり気になるが、今はもう追いたくない。
今は、E子(今カノ) がいるのだから。
とかなんとか、しっかり恋はしていたようであります。
でも、淳青年のもっぱらの興味は、恋よりも音楽だったようであります。
その明後日、ビッグニュースに歓喜してしています。
<1月11日(木) はれ>
中野まで来て(アパートは東中野にあった)、学校へ行く気にはなれず、Eさんを訪ねたが留守だったので、駅前でパチンコをやっていると、彼もやってきた。
そして、ビッグニュースを告げた!
Tさんの知り合いの人がレコード関係にいて、我々のレコードを作ることに話が決まったそうだ!!!!
ウッヒャァ~!
2月にレコーディングだそうです。
夢に見た、レコードであります!
そして、その年の4月に、キャンディーミュージックというレコード会社から 『扉の向こうに』 というタイトルのオムニバスLPを発売したのでした。
なんだか、33年前も今も、あまり僕の人生は変わっていないようですね。
これを進歩がないと取るか、若さを持続していると受け取るか ・・・
なんとも、微妙であります。
ま、人間は変わらなくても、生きていけるということの証明にはなりますね。
成人を迎えた皆さん、こんな大人もいますから、安心して生きてくださいね。
とりあえず、おめでとう!
Posted by 小暮 淳 at 16:22│Comments(0)
│つれづれ