温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年05月10日

湯守の女房 (5) 「炭酸泉には疲労物質を取り除く作用があるらしいんです」


 下仁田温泉 「清流荘」 (下仁田町)


 新緑に映える清流、栗山川のせせらぎ。
 部屋の窓から眺めるホタルの舞い。
 V字谷を染め上げる錦繍美。
 綿帽子を頭にのせ首までつかる雪見風呂。

 春夏秋冬、いつ訪ねても感動とやすらぎを与えてくれる。
 “秘湯” の名にふさわしい一軒宿である。


 車を降りて、橋を渡る。
 7,000坪という広大な敷地には、池や小川が配され、本館から渡り廊下で結ばれた 「離れ家」 が7棟。
 それに浴室棟と露天風呂が点在する。

 玄関前には 「日本秘湯を守る会」(朝日旅行) の提灯が風に揺れていた。


 「やはり秘湯ファンの方が多くみえます。全国から訪ねていらっしゃいますよ」
 と2代目女将の清水恵子さん。
 世情にあまり左右されず、温泉本来の楽しみを求めてやって来るという。

 恵子さんは下仁田町の隣、南牧村の出身。
 主人の雅人さんとは、高校の同級生だった。
 卒業後は東京のホテルに勤務していたが、昭和61(1986)に結婚と同時に旅館に入った。

 「大きなホテルとは勝手が違い、最初は難儀もしましたが、その分やりがいもあります。お客様が湯をほめてくださることが、何よりもうれしいですね」


 泉質は全国でも珍しい大量の二酸化炭素を含む炭酸泉。
 ヨーロッパでは、毛細血管を広げて血圧を下げる効果があることから 「心臓の湯」 とも言われている温泉だ。

 「あまり熱を加えると炭酸が抜けてしまうので、浴槽内の温度はぬるめに設定してあります。うちは、お湯の分かるお客様が多いので、その辺は理解していただいています」
 と “湯守の女房” としての心得を忘れない。


 宿の裏手には散策路があり、自家農園やシカ園、キジ園、イノシシ牧場、ヤマメ池などをめぐることができる。
 農園では随時20種類もの野菜が無農薬で栽培されている。
 名物の 「猪鹿雉(いのしかちょう)料理」 をはじめ、米以外の食材は、すべて自給自足。
 完全な敷地内の “地産地食” にこだわっている。

 「先代 (義父) が今でも畑仕事と家畜の世話をしています。汗だくになって働いて、毎晩、掃除をしながら温泉に入ります。炭酸泉には、疲労物質を取り除く作用があるらしいんですよ。温泉が元気の源ですね」


 ヒノキ造りの内風呂と露天の岩風呂がある。
 どちらも湯の中でジッとしていると、1つ2つと泡の粒が体に付き始める。
 さらに刺激を求める向きには、“源泉風呂” がおすすめ。

 ただし源泉の温度は約12度。
 意を決して浴すれば、炭酸泉の醍醐味を堪能できる。


 <2011年4月27日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:43Comments(0)湯守の女房

2021年05月09日

トラウマの風景


 「あの時と同じだ!」

 思わず全身に力が入り、新聞を持つ手が震えました。
 一瞬にして、あの日がよみがえり、苦しんだ日々がフラッシュバックされました。

 PTSD (心的外傷後ストレス障害) です。


 新聞の片隅に小さく載っていた記事。

 <自転車の高2男子 軽にはねられ重傷 前橋>

 記事によれば、6日午前8時10分頃、前橋市内の市道十字路で、自転車に乗っていた高校2年生 (16歳) の男子が、左から来た女子大学3年生 (20歳) の軽自動車にはねられ、高校生は首の骨を折るなどの重傷、大学生にケガはなかったといいます。

 あの日と、まったく同じでした。


 12年前のこと。
 長男が登校のため自転車で家を出て、30分ほどした頃でした。
 突然、僕のケータイが鳴りました。
 着信名は、長男です。

 なにか、忘れ物でもしたのだろうか?
 と思いながら電話に出ると、聞こえて来たのは見知らぬ女性の声でした。

 「高校生のお父様ですか?」
 なんとも意味不明な電話です。
 「私は、たまたま通りかかった者です。息子さんが事故に遭われ、いま救急車を呼びました。この電話は、このあと救急隊員に渡しますから指示にしたがってください」
 と、なんとも冷静でテキパキと話す女性です。

 これは後で分かったことですが、その女性は看護師さんで、息子が事故に遭ったときは医者と往診へ行く途中で、偶然、信号待ちをしていたのだといいます。


 それから僕はどうやって、たどり着いたかのか覚えていませんが、気が付いたら救急病院の一室で、看護師らに囲まれていました。

 「息子は、息子は、無事なんでしょうか!?」
 大声を上げる僕に看護師は、
 「お父さん、落ち着いてください。いま検査をしています」
 としか言ってくれません。
 なぜ、「大丈夫ですよ」 と言ってくれないのでしょうか?
 その、ひと言が聞きたいだけなのに……


 息子の意識は、3日後にもどりました。
 それまでの人生で経験したこともない長い長い3日間でした。

 いまだに長男は、事故当日と3日間の記憶はないといいます。
 こっちは寿命が縮む思いで過ごした “魔の3日間” だというのに。

 そして僕は、あの日以来、事故現場を通れなくなってしまいました。


 新聞記事は、あの日と、まったく同じだったんです。
 被害者の年齢も息子と同じ、はねた軽自動車を運転していた大学生の年齢も同じでした。

 ならば、あの時と同じように、事故に遭った高校生も無事であってほしいと、ただただ願うばかりです。
 親御さんの心中を察すれば、神にも仏にもすがる思いなのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:04Comments(0)つれづれ

2021年05月08日

「赤とんぼ」 のメロディーが聴こえる


 「谷内六郎」 という名を聞いて、すぐに 『週刊新潮』 を思い浮かべた人は、間違いなく “どっぷり昭和人間” であります。
 年齢でいえば、50代以上ですね。

 もちろん僕も、“どっぷり昭和人間” の一人です。


 谷内六郎は大正10(1921)年、東京府豊多摩郡渋谷町 (現・渋谷区恵比寿) 生まれ。
 幼少期から好きな絵を描き続け、昭和30(1955)年に第1回文藝春秋漫画賞を受賞。
 翌同31年に創刊された 『週刊新潮』 の表紙絵を担当。
 同56(1981)年に59歳で没するまで26年間に1,335枚の表紙絵を描きました。
 また表紙絵以外にも作詩、挿絵、装幀、舞台美術や福祉活動など制作活動は多岐にわたりりました。

 そんな昔なつかしい、谷内六郎の絵画展が開催されているというので、行って来ました。
 会場は富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館

 なぜ、富岡市で谷内六郎展を?

 実は富岡市と横須賀市は、世界遺産の富岡製糸場があることから友好都市関係にあり、昨年11月で提携5周年を迎えました。
 さらに今年12月には、谷内六郎の生誕100周年を迎えます。
 ということで、谷内六郎が描いた表紙絵のほとんどが所蔵されている横須賀美術館の協力を得て、今回、この企画展が実現したということです。


 会場に入るなり、独特の世界に引き込まれました。
 六郎が描く表紙絵の主人公は、すべて “子ども” たちです。
 六郎が思い出しながら描いた世界ですから、もちろん舞台は昭和です。

 影踏み、かくれんぼ、栗ひろい、水遊び、虫捕り、駄菓子屋、夏祭り、障子張り、遊園地、遠足、ポンポン蒸気、石切り、金魚すくい、海水浴……

 つくづく子どもは、遊びの天才だと思わされます。
 家の中でも、屋外でも、どこでも、なんでも、遊びに変えてしまうんですね。

 また描かれている昭和の街並みや風景が郷愁を誘います。


 会場には、創刊当時の 『週刊新潮』 が展示されています。
 それも展示されているだけでなく、自由に手に取って読めるんです。
 定価は、30円!
 僕が生まれる前の週刊誌です。
 1ページ、1ページ、丁寧にめくりながら拝読いたしました。


 <週刊新潮は明日発売です>

 空耳でしょうか?
 当時、童謡 「赤とんぼ」 のメロディーとともに、女性の声で流れたラジオCMが聴こえたような気がしました。

 きっと会場にいた年配の方には、聴こえていたことでしょうね。


 昭和の時代を知る世代はもちろん、若い人や子どもたちにも谷内六郎の絵と言葉を使った創作の面白さを知っていただけると思います。
 会期は残り1週間ですが、ぜひ、お出かけください。



    谷内六郎 ~絵あそび・言葉あそび~

 ●会場  富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館
        (群馬県富岡市黒川351-1)
 ●会期  開催中~2021年5月16日(日) ※月曜休館
        午前9時30分~午後5時
 ●料金  一般400円 大学・高校生300円 中学生以下無料
 ●問合  TEL.0274-62-6200
   


Posted by 小暮 淳 at 11:55Comments(0)ライブ・イベント

2021年05月07日

消えゆく子どもたち


 「昭和」 と 「令和」
 どっちの時代が、日本人にとって幸せなんだろうか?

 意見は分かれそうだが、僕らのように幼少期~思春期を昭和に過ごした者は、ついつい懐古的になり、美化して考えてしまいがちであります。
 「あの頃は良かった!」
 と、ため息をついた時点で、令和の世を現役で生きることはできませんね。

 でも、必ずしも昭和が良かったわけではありません。
 今は日常的に話題に上るジェンダー (性差) や マイノリティ (少数派) については、完全に差別されていた時代ですからね。
 “自由” という観点から見れば、断然に令和の世のほうが、幸せに近づいていると思います。


 でも、これだけは言えます。
 昭和のほうが、子どもたちは幸せだったんじゃないか?

 もちろん昭和の子どもたちだって、いろいろ言われましたよ。
 「お受験」 だとか、「塾通い」 だとか、「カギっ子」 だとか……
 でもね、今思えば、みんな外で遊んでいたんですよ!
 公園、空き地、神社や寺の境内、河川敷、放課後の校庭……

 今、町の中を見渡しても、子どもの姿が見当たりません。
 いえいえ、見当たらないのではなく、子ども自体が消えているんです。


 先日の 「こどもの日」 の新聞は、各紙一斉に現在の日本の 「子どもの数」 を発表しました。
 それによると外国人を含む14歳以下の子どもの数は前年より19万人も少ない1,493万人で、40年連続の減少。
 しかも昨年の出生率は過去最少となりました。

 子どもの数のピークは1954年の2,989万人で、以後、減少の一途をたどっています。
 令和の子どもの数は、昭和の半分ということになります。
 これだもの、絶対数が少ないのだから、見かける子どもの数だって少ないはずです。


 ところが、悠長に分析なんてしていられない大変なことが、今、日本には起きています。
 子どもたちの自殺です!

 同じ 「子どもの日」 の新聞には、由々しきニュースが!
 警視庁のまとめでは、昨年自殺した小中高生は過去最多の499人で、前年より100人も多かったといいます。
 若年層の自殺が年々増えていることについては、たびたび報道されますが、昨年の数字には特徴があります。
 月別で見ると1~4月までは前年とほぼ同水準で推移したものの、5月から急に増加傾向となり、8月に差が最大になりました。


 やはり、これもコロナ禍の影響なんでしょうか?
 きっと出生率も今年は、さらに下がるでしょうね。

 令和は、子どもたちにとっては “受難の時代” といえそうです。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:06Comments(3)つれづれ

2021年05月06日

湯守の女房 (4) 「温泉を残してくれた主人に感謝しています」


 大胡温泉 「旅館 三山センター」 (前橋市)


 不思議な話があるものだ。

 2004年、日本列島を 「温泉偽装問題」 が駆けめぐった。
 某温泉地の入浴剤投入発覚に端を発し、水道水や井戸水を沸かしていた事実が次々と報道され、温泉地の信頼が揺らいだ。
 ところが、ここ大胡温泉が知られるようになったのは、この騒動とは正反対のいきさつだった。


 女将の中上ハツヱさんが、農業を営む信一さんのもとへ嫁いだのは昭和31(1956)年のこと。
 商いに興味があったハツヱさんは13年後、現在地に飲食店をオープンした。
 さらに13年後、宿泊棟を増設して念願の旅館を開いた。
 この時、信一さんが 「水が足りないから」 と井戸を掘り、井戸水を沸かして大浴場で使った。

 「私の人生は、いつも13年ごとに転機がやってくるの」
 と女将は、ある夏の日の出来事を話し始めた。


 3人の女性客が3日間滞在し、日に4、5回入浴して帰って行った。
 1ヶ月ほどして、また同じ客が訪ねて来て、
 「ここの湯のおかげで神経痛が治った」
 と礼を述べた。

 「もうビックリ! 信じられませんでした。お客様は、うちを湯治場だと思って来ていたのですから。でも以前から 『湯冷めをしない』 とは言われていたんです」

 女将は 「だったら自分の持病のリウマチにも効果があるかも」 と、その日から毎日2、3回の足湯と朝夕の入浴を欠かさなかった。
 すると、2カ月後に腕の激痛が治まり、4カ月後には完全に痛みが消えた。
 医者から 「リウマチは一生の病だから、友だちのように付き合って」 と言われ、あきらめていただけに、奇跡に出合ったようだったという。

 「これは、ただの井戸水ではない」
 と県に検査を依頼すると、メタけい酸をはじめ、多くの成分を含む天然温泉だと判明。
 旅館を開業して、ちょうど13年目のことだった。


 この事実は、リウマチや神経痛に苦しむ人たちに口コミで伝わり、埼玉、東京方面からも、うわさを聞きつけて患者がやって来た。

 「温泉を残してくれた主人に、ただただ感謝しています」
 と目をうるませた。
 5年前、最愛のご主人が74歳で他界。
 現在は長男ら家族とともに、湯と宿を守り継いでいる。


 無色透明、無臭ながら実によく温まる湯だ。
 浴槽に敷かれているヒノキのぬくもりが、肌にやさしい。

 浴室の窓を開け放つと、目の前にため池が広がり、ぐるりと木々がめぐっている。
 ご主人が、女将のために植えた桜だという。


 <2011年4月6日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(0)湯守の女房

2021年05月05日

絶滅危惧温泉は守れるか?


 <公衆浴場や温泉で、混浴できるのは何歳までか?>

 厚生労働省は男女の混浴禁止年齢の基準を 「おおむね10歳以上」 から 「おおむね7歳以上」 に引き下げたとの報道がありました。
 これを受け、公衆浴場を規制する条例を定める都道府県や保健所を運営する一部の市では、条例改正に動き出したといいます。

 そんな中、群馬県は現条例の 「おおむね10歳以上」 を当面維持すると発表しました。


 なぜ、今になって、そんな論争が起きたのでしょうか?
 それは、時代の推移による “恥ずかしさ” への変化です。

 最新の混浴に関するアンケートによると、成人に聞いた制限すべき年齢で最も多かったのは 「6歳以上」 で、次いで 「7歳以上」。
 一方、児童が混浴を恥ずかしいと思い始める年齢でも 「6歳」 と 「7歳」 が多かったといいます。
 同省は、この結果を踏まえて、公衆浴場の混浴制限年齢を引き下げたようです。


 みなさんは、どう思われましたか?
 僕は率直な感想、「仕方ないかな」 と思っています。
 だって今の10歳って、男の子も女の子も発育が昔とは、だいぶ異なりますからね。
 子どもが恥ずかしいと思っているのであれば、混浴を強制することはないと思います。
 逆に強制することは、親の子への虐待にもなりかねませんものね。


 さて、公衆浴場の混浴問題は、お役人たちに任せることとして、由々しき現状は、温泉地での混浴風呂の減少問題です。

 その前に、なぜ、公衆浴場では成人男女の混浴は禁止されているのに、温泉地での混浴は許されているのでしょうか?
 講演やセミナーでも、よく質問されるテーマです。

 これって、早い話 「お目こぼし」 なんです。
 “混浴” という日本独特な文化は、法律ができる前から伝統的に存在していました。
 よって既得権益により認められているのです。
 ただし、これは “伝統” に限った特例ですから、新設または改修された場合には認められません。


 ところが、歴史と伝統のある混浴風呂が、年々温泉地から姿を消しています。
 それも新設や改修による理由ではありません。

 理由は、もうお分かりですね!?

 一番の理由は、「盗撮」 です。
 スマホの普及と同時に、混浴風呂でのトラブルが多発し、結果、閉鎖に追い込まれています。
 また、閉鎖されなくても伝統と文化を大きく覆す由々しき事態も……

 そうです!
 着衣問題です。


 本来、温泉場での混浴は 「全裸」 です。
 ところが最近、“湯あみ着” の着用を義務付ける温泉宿が増えています。
 これでは “混浴風呂” とは呼べません。
 温水プールに入っているのと同じです。

 やはり、この奇怪な現象もすべて、“盗撮” が理由です。


 もし、江戸時代の人が、令和の混浴事情を見たら、なんて言うんでしょうかね?
 「便利になるって、なんて不粋なんだ。風情も情緒もあったもんじゃねえ」
 そんな声が聞こえてきそうです。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:56Comments(0)温泉雑話

2021年05月04日

BOSAN ~平成とともに去ったあなたへ~


 かーちゃん、遅くなって、ごめん。
 命日は、仕事が忙しくてさ、来れなかったんだよ。

 わ~、花がキレイだね。
 こんなに、たくさんあるということは、みんな来てくれたんだね。
 アニキも M (長女) も R (長男) も……

 俺が一番最後っていうことだね。


 依然、下界はコロナが猛威をふるっているよ。
 去年の命日の日に、オリンピックが延期になったことは話したよね。
 一応、今年の夏に開催される予定だけど、どうかな……
 この勢いで感染が拡大すると、また延期になるかもね。

 そういえば、かーちゃんは 「オリンピックを見てから死ぬ」 が口ぐせだったよね。

 平成最後の2月にオヤジが死んだとき、
 「オヤジを愛しているからって、すぐに追いかることないからね」
 って俺が言うと、
 「おとーさんにオリンピックの話をしてあげるんだから」
 って言ってたのに、2ヶ月半後に追いかけて逝っちゃった。

 令和元年5月1日、午前3時43分。


 かーちゃんはさ、3時間43分しか生きなかったから知らないだろうけど、令和って、昭和よりも平成よりも、ますます生きづらい世の中になっているんだよ。
 便利になればなるほど、人と人との触れ合いが希薄になって、自分勝手な人が増えているような気がする。
 コロナ禍が、さらに拍車をかけて、人と人を遠ざけてしまっているんだけどね。

 うちかい?

 ああ、いろいろあるけどさ、まあ、みんな元気でやっているよ。

 俺?

 俺は相変わらず、かーちゃんの知っている俺のままだよ。
 貧乏ヒマなしだ。

 「徳を積んでいるか?」 って?

 また、その話かい。
 かーちゃんの “徳を積め話” は、耳にタコができるほど聞かされたからね。
 心がけてはいるけど、積んでるわりには報われないよね。

 「それでいいんだよ」 だって?

 まっ、気長に徳を積んで待ってますよ。
 とか言いながら60年以上も経っちゃったけどね。
 親の言うことは、素直に聞きます。
 死ぬまでには、何かイイ事があるんでしょうね。


 かーちゃん、風が強くなってきたから行くよ。
 日中は半袖で過ごせるくらいの陽気なんだけどね。
 朝夕は、まだ肌寒いんだよ。

 次、会えるのはお盆だね。
 それまでにコロナが収束していると、いいけどね。
 どうかな……
 一寸先が読めない世の中になっちゃったから……


 じゃあ、また! 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:26Comments(0)つれづれ

2021年05月03日

湯守の女房 (3) 「何十年と地中で練られた湯は、やわらかさが違うんです」


 松の湯温泉 「松渓館」 (東吾妻町)


 国道から離れ、沢沿いの山道を上ると、山肌に張りつくように一軒宿が立つ。
 「松の湯」 とは銭湯のような名称だが、実は地名で、松の木の根元から湯が湧き出ていたことに由来する。


 「湯が出ているのに宿をやめたら、私の責任になってしまうでしょ。湯が止まってくれたらいいのに、なんて考えたこともありましたよ。でもここの湯は 『すごい』 って、お客さんから教わりました。今は、お湯に感謝しています」
 と女将の小池すみ子さん。

 35年前、4代目湯守(ゆもり)の女房として嫁いできた。
 「たまたま嫁ぎ先が、温泉宿だっただけ。泉質とか効能とか、まったく疎いんですよ」


 創業は明治19(1886)年。
 それ以前は、医者が療養のために使っていたという。
 宿は代々、主人たちの副業として営まれてきた。
 宮大工、材木商、役場職員と受け継がれ、現主人の勝良さんも役場職員をしていた。
 1年半前に勤めを辞め、今は湯守業に従事している。

 「不思議なものですね。20年前に降った雨が地中で温められて、湧き出しているらしいんですが、何十年と湯量も温度もほとんど変わりません」

 毎分約100リットルという恵まれた豊富な湯が、裏山の中腹から、こんこんと湧き出ている。
 女将に案内され、急峻な斜面を登った。


 巨樹の根が露呈する窪地に、湧出地はあった。
 かすかに硫黄臭が漂う。
 あふれ出た湯が川となって、山肌を流れ落ちて行く。

 「使っている湯は7割だけ。全部引き入れると、脱衣場まで水浸しになってしまうんですよ」
 と笑う。

 贅沢な話だ。
 自然に湧出した湯を地形の高低差を利用して、そのまま浴槽まで流下させている。
 理想的な温泉宿である。


 浴室に近づくにつれ、水音が大きくなる。
 脱衣場から覗けば、浴槽の縁からは信じられない量の湯が、ザーザーと滝のように流れ出していた。
 源泉の温度は、体温より低い約32度。

 「『もっと深く掘れば熱い湯が出るのに』 という人もいますが、無理に掘ってくみ出すと、泉質も変わり、湯のきめが粗くなってしまう。何十年と地中で練られた湯は、やわらかさが違うんですって。みんな、お客さんに教えてもらったことですけどね」


 全国から温泉通や秘湯ファンが、最後にたどり着く 「ぬる湯」 と言われるほどの隠れた名湯である。

 その湯につかると、全身が無数の小さな泡の粒に包まれた。
 湯が新鮮な証拠だ。
 女将の言う 「すごい湯」 の意味を、一瞬にして知ることができた。


 <2011年3月9日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:18Comments(2)湯守の女房

2021年05月02日

ウィズエイジングは難しい


 <先生の写真が若い(笑)>

 こんなメールが届きました。
 送信主は、僕が講師を務める温泉講座の、かつての教え子です。
 彼女は、宿泊先の温泉旅館に置かれていた僕の著書を見て、思わずメールを送ってくれたようであります。

 察するに、その著書は 『西上州の薬湯』(上毛新聞社)。
 2016年5月に出版された本ですから、5年前になります。

 僕の著書をご覧になった人なら、ご存じだと思いますが、プロフィール写真以外にも全編にわたり、僕の “入浴写真” が満載されています。
 「おやじの裸なんて、見たくねーよ!」
 という批判の声に一切、耳を傾けず、独断と偏見にて掲載しています。

 ということで、取材当時の僕の姿が、まるでアルバムを開くように見て取れます。

 「たかが5年で?」
 と思われるかもしれませんが、今、この本を開くと、湯舟に入っている僕の頭髪は、“真っ黒” なんです!
 そう、まだ 「毛染め」 というアンチエイジングをしていた頃なんですね。

 確かに髪の毛の色1つで、実際の年齢より若く見えます。


 その翌年、僕は 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) という著書を出版します。
 この本の中では、「ゴマ塩頭」 と 「白髪頭」 の僕が、混然と掲載されています。
 ということは、2016~17年がアンチエイジングとウィズエイジングの過渡期だったわけですね。

 ウィズエイジングとは、老いを肯定して、ありのままの自分で生きること。
 僕の場合、その生き方に目覚め、まず最初に実行したのが、“毛染めを止める” ということでした。


 その昔、といっても10数年前のことです。
 僕は、40代で温泉のセミナーや講座の講師になりました。
 とある自治体が主催するバスツアーの温泉講座の講師に招かれたときのことです。
 集合時間に一番乗りしてしまった僕がバスに乗り込もうとすると、
 「ちょっとちょっと、まだ講師の先生が来ていないので、それまでは外で待っていてください」
 と運転手に止められてしまいました。

 「あ、あの……、私が講師なんですけど」
 と言ったときの運転手の驚きようはありません。
 「えっ、すみません。温泉の先生と聞いていたので、もっと年配の方かと思っていました」

 無理もありませんよね。
 すでに僕は40代の後半でしたが、ロン毛の黒髪でしたから、年齢よりもだいぶ若く見られたのだと思います。
 “温泉の講師” という肩書には、不釣り合いの外見だったのでしょう。


 これは最近のことです。
 さる熱烈なブログの読者から、知人を介して、「会いたい」 との連絡をいただきました。
 そして、会った時のその人の第一声は、
 「もっと、お若い人かと思いました。ブログのお写真と、だいぶ違うので」

 ですよねぇーーーー!!!

 ごめんなさいね、ブログの写真は、ブログを開設した2010年より、さらに以前に撮った写真なんですよ。
 更新するのが面倒くさくて、そのままになってまーーーす!m(__)m


 ということで、“年相応に生きる” ことに、戸惑っています。
 ウィズエイジングって、難しいですね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:15Comments(0)つれづれ

2021年05月01日

おかげさまで3,000話


 昨日、このブログの記事投稿数が3,000件に達しました!
 これも、ひとえに読者様のおかげであります。
 心より御礼申し上げます。


 いや~、驚きました。
 突然、パソコンの画面に表示されたのですよ。
 「3,000件」 って!
 でも、3,000件といわれても、ピンときません。
 ので、ちょっと電卓をはじいてみました。

 このブログを開設したのが2010年の2月ですから、ざっと数えて、約4,000日と2カ月です。
 これを3,000件で割ると……

 約1.35日に1話の割合で書いていたことになります。
 分かりやすくいえば、4日に3話の投稿を11年間にわたり行っていたことになります。

 ま~、なんてヒマな人生なのでしょうか!?(笑)

 振り返ると、よくも飽きずに、コツコツとしたためたものだと、我ながら感心いたします。


 で、どんな記事を書いてきたのか?と、解説しながら紹介したいと思います。
 まず 「カテゴリ」 の欄をご覧ください。
 現在、話のネタのくくりとして、26のカテゴリに分けられています。

 投稿数の多いベスト5は、以下の通りです。
 ①「つれづれ」 858話
 ②「温泉地・旅館」 550話
 ③「温泉雑話」 281話
 ④「著書関連」 205話
 ➄「執筆余談」 178話


 1位の 「つれづれ」 は、日々の出来事や日常に感じた事柄を、思いつくままに綴っています。
 読者の中には、「温泉は興味ないけど、『つれづれ』 を楽しみに読んでます」 なんていう方もいたりします。
 オヤジとオフクロの介護話も、このカテゴリです。

 2位の 「温泉地・旅館」 と3位の 「温泉雑話」 は、このブログの核であります。
 そもそもブログを開設した最大の理由は、雑誌や新聞では書けなかった温泉ネタを紹介するためです。
 ブログのタイトル 『源泉ひとりじめ』 は、20年前に最初に雑誌に連載した温泉記事のタイトルでもあります。
 “初心忘るべからず” の思いからネーミングしました。

 4位の 「著書関連」 は、そのものズバリ!僕の著書に関連する記事です。
 企画から取材、そして制作、出版に至るまで。
 また、出版後のイベントや新聞の書評なども紹介しています。
 おかげさまで、この11年間で10冊の著書を世に出すことができました。

 これも読者様のおかげと、感謝しています。

 5位の 「執筆余談」 は、著書以外に新聞や雑誌等に執筆した記事や連載に関する話です。
 温泉以外の民話や地酒など、多ジャンルにわたる著述について紹介しています。


 それ以外にも、期間限定のカテゴリも多々あります。
 ぜひ、お時間のある時にクリックして、過去記事をご覧ください。

 読者の皆さまには、今後ともお付き合いくださいますよう、よろしくお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(2)執筆余談