2020年02月17日
スマホをやめただけなのに
昨年暮れに “スマホ断ち” をした人の話を書いたところ、たくさんの反響をいただきました。
※(当ブログの2019年12月16日 「さよなら時間泥棒」 参照)
コメント欄のみならず、ブログを読んだ人からも 「私もスマホをやめました」 等の声が寄せられました。
また、上手にスマホを使い分けている人が、多く存在することも知りました。
僕の仕事関係のサラリーマンの方々は、会社からスマホを持たされているため、個人ではガラケーしか持たない人が、かなりの人数いました。
確実に、“スマホ断ち” が進んでいます。
では、なぜ、今、人々はスマホをやめようとしているのでしょうか?
新聞の投稿欄には、たびたび “スマホ断ち” した読者からのコメントが:掲載されています。
昨日の毎日新聞にも、40代男性会社員からのこんな投稿がありました。
<私もスマホを2年で卒業した後、5年以上ガラケー生活です。分からないことや困ったことがあるとすぐにスマホが解決してくれるため、自分の思考力や探究心が失われていくような恐怖に駆られてスマホをやめました。確かにスマホがないと一定の疎外感はあります。しかし、SNSなどでの 「つながり」 には幅広さがある一方、案外薄弱であることが多いような気がします。そもそも電源を落とせば、それは一瞬にして無に帰すのです。>
便利ゆえに薄弱になる生活や人間関係に、気づき出したのかもしれませんね。
でも、そう気づいたのは、スマホが無かった時代を知っている大人たちです。
全国の都道府県では、未成年者に対してネットやゲームの使用に対して、制限する条例の制定案まで浮上しています。
依存防止のための有効策なのか、それとも、子どもの人権侵害なのか?
賛否は分かれるところですが、「スマホ中毒」 は人類が初めて遭遇する事案なので、一朝一夕には答えが出そうにありませんね。
さてさて、それにしても 「たかがスマホ、されどスマホ」 であります。
依然、スマホを持たない僕にとっては、まったく無縁な話なのですが、やっぱり気にはなるのです。
スマホをやめただけなのに、なんで、こんなにも話題になるのでしょうか?
Posted by 小暮 淳 at 11:33│Comments(0)
│つれづれ