2017年02月27日
ツィゴイネルワイゼンと青春の街
鈴木清順監督の訃報を聞いた日から、僕は頭の中で毎日、吉祥寺の町を歩いています。
といっても今の吉祥寺ではありません。
昭和55年(1980) の吉祥寺の街です。
当時、僕は22歳。
ミュージシャンになる夢を追いかけて、東京で暮らしていました。
ライブハウスや路上、レコード店や楽器店の店頭での人寄せライブ等に、夢中になっていた頃です。
彼女ですか?(誰も訊いてないって!)
もちろん、いましたよ。
1つ年下の大学生でした。
でも一般の女子大生とは、ちょっと変わった娘だったんです。
画家の卵でした。
週末のデートは決まって、吉祥寺。
なぜかというと、彼女が路上で絵を売っていたからなんです。
夕方、店じまいをする時刻を見計らって、僕は吉祥寺へ行きます。
「絵、売れた?」
「全然だめ」
「そうか、じゃあ、今日はオレのおごりだな」
「サンキュー!」
大きな画板を抱えた彼女と、吉祥寺の夜をあてもなくブラブラと歩きまわるのが、週末のお決まりでした。
その頃に上映されたのが鈴木清順監督の 『ツィゴイネルワイゼン』 でした。
上映場所は、映画館ではありません。
全国のデパートやオープンスペースに仮設ドームを造っての簡易シアターでの上映という、奇抜なスタイルでした。
吉祥寺のパルコ、といえば当時は若者の聖地。
パルコ主催のグラフィックアート展などには、足しげく通ったものです。
そのパルコの屋上に設置された特設会場で彼女と観た記憶が、訃報とともにフラッシュバックしたのであります。
原田芳雄、大楠道代、藤田敏八の3人が演じる摩訶不思議で妖艶な甘美の世界……
「清順美学」 と称された独得の映像美に酔いした夜でした。
あれから37年も経ったのですね。
吉祥寺の街も、ずいぶんと様変わりしたことでしょうね。
待ち合わせに使った 「くぐつ草」 という喫茶店は、いまもあるのでしょうか?
2017年02月24日
伊香保温泉 「ホテル冨久住」
恋ひ恋ひて逢へる時だに愛しき
言尽くしてよ長くと思はば
バスターミナルやロープウェイへ向かう八幡坂の途中に、3階建ての古いホテルがあります。
隣は、大きな大きな老舗旅館の 「ホテル木暮」。
ともすれば、気づかずに通り過ぎてしまいそうな小さなホテルです。
“伊香保で唯一のビジネスホテル”
“素泊まり歓迎”
昭和のにおいがプンプン漂うレトロなたたずまい。
この地で30余年、家族だけで商ってきました。
フロントを抜け、1階から2階へ。
狭く急な階段は、どこか懐かしさを感じます。
「あれ?」
踊り場ごとに、新聞記事が貼られています。
どの新聞にも、微笑みかける美しい女性の顔写真が掲載されています。
「なんだろう?」
と記事を読み出すと、女性の名前は富澤智子さん。
「ああ、ここの娘さんが何か話題になったときの記事なんだ。女将さんかご主人が、自慢の娘の新聞記事を張り出しているんだな……」
でも違いました。
記事の内容は、出版した本の紹介でした。
それも新聞記事の日付けは、平成12年11月と同20年8月。
朝日新聞と読売新聞、群馬よみうりが、こぞって掲載しています。
「17年前と9年前の記事じゃないか……なんでだろう?」
記事を読み進むに連れて、真実が浮き彫りにされます。
著書のタイトル は『伊香保の万葉集』。
そして著者の智子さんは、平成3年に他界していました。
この本は没後9年経ってから、彼女が師事した国文学の大学教授らを中心に上梓されたものだったのです。
教授は本のあとがきで、彼女のことをこんなふうに述べています。
<本書はこの世を余りにも早く疾走し、駆け抜けて逝った冨沢智子君の遺著であります。群馬県の伊香保に生まれ、伊香保をこよなく愛し、伊香保に散って逝った薄命二十五歳の才色兼備の冨沢智子君。(中略) 智ちゃんは美人だった。頭がよかった。そして何よりも気持ちの素晴らしい女性だった。神は二物を人に与えずというが、三物も四物も与えた上、手元に置きたくなったのか、その御手の元に連れて逝ってしまった。神の気紛れ、ふとそう思った。>
「それまでは、ふつうのホテルだったんですよ。私が厨房に入って料理を作って、娘が手伝ってくれて……。娘を亡くしたショックが大きくてね。私もダウンしてしまったんです」
母で女将の富澤ツネヨさんは、在りし日の娘の姿を思い出しながら、時に笑いながら、本当に嬉しそうに話してくれました。
群馬県内には、約600軒の温泉宿があります。
その一軒一軒に歴史があり、物語があるのですね。
一軒たりとも、取材をおろそかにはできません。
そう肝に銘じた取材でした。
※冒頭の歌は、智子さんが中学生の時に、最初に好きになった万葉集の歌です。
2017年02月22日
目指せ! 2.07
先日、新聞に 「合計特殊出生率」 というのが出ていました。
15~49歳の 「1人の女性が生涯に産む子どもの数」 を推定した数字だそうです。
これによれば2015年の合計特殊出生率の全国平均は1.45人で、少子化の現状が浮き彫りにされました。
ちなみに群馬県は1.49人で、全国平均を上回っているものの大差はありません。
なんでも1人の女性が2.07人産まないと、現在の人口は維持できないそうです。
でも、そうですよね。
単純に考えて、1組の男女が結婚して、生まれてくる子どもが2人以下では人口は減少します。
しかも生涯未婚だったり、出産を経験しない人もいますから最低2人以上は必要となります。
で、気になって全国の表を見てみました。
平均2.07人以上産んでいる県は、いくつあるのだろうかと!
すると、驚いたことにゼロなんです!!!
1位の沖縄県ですら、1.96人ですからね。
これでは、日本の人口は減る一方です。
まさに “少子高齢化” であります。
年寄りの寿命は延びていますものね。
でもね、群馬県内にはあるんです!
2.07人以上子どもを産んでいる村が~ッ!!
それは、上野村と川場村です。
上野村が2.29人、川場村が2.13人。
やっぱり都会より田舎の方が、子育てには環境が良いのかなと思ったのですが、そうとも限らないようです。
県内35市町村での最下位は、片品村で0.82人なのですからね。
ちなみに全国最下位は、やっぱりというか、東京都で1.24人でした。
でも、これってどういうことなのでしょうか?
都会より出生率の高い田舎と低い田舎があるって?
一概に子育て環境だけの理由ではなそさうですね。
2017年02月19日
トリビアを探せ!
毎週火曜日の夜9時から群馬テレビで放送中の 『ぐんま!トリビア図鑑』。
ご覧になってますか?
僕は、この番組のスーパーバイザーをしています。
番組がスタートしたのが2015年4月ですから、早いもので丸2年が経とうとしています。
すでに70話以上のトリビアを世に送り出してきました。
もちろん、構成作家やディレクター、アナウンサーの力に負うところが大きいのですが、僕も微力ながら制作に参加させていただいております。
スーパーバイザーとして以外にも、ときどき 「トリビア博士」 に扮して番組に出演したり、昨年暮れには 「温泉ライター 小暮淳の素顔」 という丸々僕が主役の番組まで作っていただき、フル出演しました。
でもね、肝心要のお仕事は、そんな表面に出て目立つことではないんですよ。
もっと地味で、とっても大切なお仕事があるのです。
それが、年に4回開かれる 「構成会議」 です。
作家、ディレクター、プロデューサー、時にはアナウンサーも加わり、たっぷり時間をかけて、番組の構成を練り上げます。
先日、今年最初の構成会議があり、僕も末席ながら参加してきました。
びっしり3時間半かけて、今夏までの番組内容を討論してきました。
歴史あり、文化あり、風土あり、民俗あり……(もちろん温泉ネタもね)。
それぞれが持ち寄ったネタを俎上に並べて、吟味していきます。
今回は、いくつか 「上毛かるた」 の話題がでました。
「塩原太助って、何した人だっけ?」
「天下の義人茂左衛門って、どこの人?」
素朴な疑問が、トリビアを生み出します。
そして、恒例 “真夏のミステリーツアー” の話題も出ました。
昨年の夏に、僕が 「ミステリーハンター」 となり県内をめぐった不思議探しの旅です。
プロデューサーによれば、とっても評判が良かったようで、「今年もお願いします」 と念を押されました。
さてさて、今後、どんなトリビアが飛び出すのか!?
ご期待ください。
火曜の夜9時は、地デジ3チャンネルで会いましょう!
あなたをトリビアな世界にいざないます。
2017年02月16日
「好き」 と 「得意」
「好きこそ物の上手なれ」 ということわざがあります。
はたして、これって本当なのでしょうか?
先日、その業界で成功を収めた著名な方のインタビューを聴きました。
彼いわく、「好きなことを職業にしたのではなく、得意だったことを職業にしたまでです」
思わず、その言葉に目からウロコが落ちてしまいました。
だって、僕は昔から好きなことが得意になり、得意なことは好きなことだと信じていましたからね。
まさか、キライなことが得意にはならないでしょうが……。
(でも、得意なことがキライになることはあるかもしれません)
改めて考えてみれば 「好き」 とは、感情・嗜好・興味であります。
一方、「得意」は、才能や技術まで伴います。
趣味として楽しむぶんには 「好き」 で充分でしょうが、プロの仕事としては 「得意」 でないと成り立たないかもしれませんね。
だって、「この仕事は好きなんだけど、あまり得意じゃないんだよね」 なーんていう大工さんには、あまり家を建ててほしくありませんもの。
で、じゃあ、自分はなんで今の仕事を選んだのだろう?
と、自問自答が始まってしまいました。
“ライター” という仕事も、“温泉” というテーマもキライではありません。
でも、好きで好きで、何がなんでもなりたかった職業なのか?と問われれば、違うような気がします。
「好き」 の範疇にあったものではあるけれど、一番ではなかったと思います。
では、「得意」 だったのでしょうか?
そう問われて、幼少期から少年期、青年期の自分を回想してみました。
すると、本を読むことは好きだったし、文章を書くことも好きだったことに気づきます。
でも “多少” であり、“他人よりは” 程度で、ズバ抜けて秀でていたは思えません。
よって、僕の場合、出た結論は……
“成り行き” でありま~す!
ていうか、モノにならないものを消去法により諦めていたら、たどり着いたのが今の職業だったというわけです。
目からウロコが出たわりには、自分の場合、実につまらない理由だったことに気づいたのであります。
みなさんは、なぜ、今の職業に就いたのですか?
2017年02月14日
前橋を愛するアートな面々
1988年5月、僕はフリーターをやめて、タウン誌編集の職に就きました。
入社早々、巻頭のインタビュー記事を担当することになり、テーマも自分で決めて、アポを取り、取材に行かされることに。
思案の末、県内の芸術家を訪ねて、話を聞くことにしました。
『ヒューマン・スクエア』(人間広場) と題したエッセイは、僕が退社するまで 7年間にわたり連載されました。
その記念すべき第1回に登場したのは、絵本作家としても知られる木彫・木版画家の野村たかあきさんでした。
そして第2回は、萩原朔太郎像などの街角オブジェで著名な彫刻家の三谷慎さんです。
あれから30年近く経った現在でも、おふたりとは交遊を続けさせていただいております。
ジャンルの異なる2人の作品が、同じ会場で展示されることは滅多にないことなのですが、今回、ファンにとってはサプライズともいうべきイベントが、前橋市のギャラリー 「アーツ前橋」 で開催中だというので、行ってきました。
『前橋の美術 2017 ~多様な美との対話~』
在住または出身の前橋ゆかりの作家ばかりが48人。
技法やジャンルを問わずに、独創的な作品を出展しています。
広い展示会場の中でも、おふたりの作品は、すぐに分かりました。
野村さんの大きな版画と三谷さんのブロンズ像は、見慣れていることもあり、探すまでもなく吸いよされました。
でもね、1つ1つ作品を見ていくと、「あっ、この人!」 と声を上げそうになることが、たびたびありました。
画家や写真家など、過去に仕事で関わった人が、何人もいたのです。
どの人も個性的で、信念を持ち、自分の生き方を曲げずに通している人たちです。
「ああ、僕は、こういう人たちから刺激をもらって、今日まで生きてきたんだなぁ~」
と、作品よりも作家自身に惚れ込んでいたことに気づかされました。
もし、生まれ変わったら、絶対に “芸術家” になろう!
そう心に決めて、会場を後にしました。
前橋の美術 ~多様な美との対話~
●会期 2017年2月3日(金)~2月26日(日)
11:00~19:00 (水曜休館)
●会場 アーツ前橋 (前橋市千代田町5-1-16)
●観覧 無料
●問合 TEL.027-230-1144 (アーツ前橋)
2017年02月12日
おかげさまで7周年
「ブログ、最初から読んでます」
そう声をかけてくださる人が、時々います。
「最初からって、開設した第1話からですか!」
と、僕のほうが驚いてしまいます。
このブログを開設したのは2010年2月13日ですから、明日で、ちょうど丸7年になります。
今日現在の記事総数は、1,965話。
我ながら続いていると思います。
でもブログなんて、読まれてナンボですからね。
読者あっての著者なのです。
ひとえに7年間も続けてこられたのは、みなさま、読者様のおかげであります。
いつも、ごひいきにしていただき、ありがとうございます。
心よりお礼を申し上げるとともに、大変感謝しております。
さてさて、7年とひと口で言っても、やはり長いのであります。
その年に生まれた孫が、今年の春から小学1年生になるくらい長いのです。
おかげさまで読者様に助けられ、たくさんの仕事を世に残すことができました。
この7年間に、温泉シリーズ7冊と登山本1冊の計8冊の著書を出版することができました。
そのほか、講演会やセミナー、講座、イベント、ライブなどに多数呼ばれ、このブログを通して出会った人たちもたくさんいます。
また、テレビやラジオの出演、新聞や雑誌からの取材も、ほとんどが、このブログが縁で舞い込んで来た仕事です。
なかには、雑誌の編集長がコラムで取り上げてくださったり、新聞記者が記事でブログの紹介をしてくれたこともありました。
極めつけは、やっぱり直木賞作家の故・邱永漢先生との出会いでしょうか。
なんでも先生が、このブログを読んでくださっていたということから事務所より連絡があり、1年間にわたり先生のコラムサイトに連載をさせていただきました。
“たかがブログ、されどブログ”
たくさんの出会いを生んでくれたこのブログを、これからも大切に育てていきたいと思います。
今後とも末永く、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
2017年02月10日
マロの独白⑳ 老化が止まらない
こんにちワン! マロっす!!
ここんちの飼い犬、チワワのオス、10才です。
夏に誕生日が来ると、11才になります。
ということは……、人間でいうと……、
わ、わ、わわわわ~! 完全に還暦超えですよね。
正真正銘の “じいさん犬” じゃありませんか!
いつしか、ご主人様の年齢を抜いてしまいました。
だからでしょうか、最近、ご主人様をはじめ、ご家族の対応がおかしいのであります。
オイラのことを、まるで腫れ物に触れるかのように……。
「おい、マロ! また寝ているのか?」
「あ、ご主人様。お帰りなさいませ」
「お帰りなさいじゃないよ。いつもなら玄関まで飛んで来るじゃないか? どこか具合でも悪いのか?」
「いや、べつに、あの……。ただ、眠いだけです」
すると、ご主人様の言うことにゃ、
「そりゃ、老化だな。じいさん(ご主人様の父上様) と同じだよ。飯食っているか、散歩しているとき以外は、全部寝ているからな」
老化!?
そう言われて、ドキッとしました。
我々犬族は平均17時間くらい睡眠をとるといわれていますが、確かに今のオイラは、それ以上寝ていますもの。
1日2回の食事と夕方の散歩以外は、だいたい寝ています。
さらなるショッキングな出来事がありました。
先日、嫁いだ長女様が遊びに来た時です。
次女様が告げた言葉に、落ち込んでしまいました。
「お姉ちゃん、知ってた? マロったらヨボヨボなんだよ」
「そうかな~、あんまり変わってないと思うけど」
「だったら見ててごらんよ。ソファーに上がれなくなっちゃったんだから」
えっ、あの、その、そんなこと、どうして知っているんですか?
オイラも気づいていたけど、毎回、ごまかしていたので、知られていないと思っていたのに……
「ほら、マロ! ソファーに上がってごらん」
オイラ、両手を突いて、思いっ切り後ろ足を蹴り上げるのですが、以前のようにお尻が上がりません。
「マジ、受けるんだけど~」
「ね、私の言ったとおりでしょう。マロ、おじいちゃんになっちゃったのよ」
2人の会話を聞いていた奥様が、見かねて台所からやってきて、オイラを抱え上げ、そっとソファーの上に乗せてくださいました。
ありがとうございます。奥様。
こんなはずじゃ、なかったんですけどね。
散歩をしていても、足がもつれて転んだり、側溝に片足を突っ込んだり、老化が止まりません。
このままでは今後、ご家族にご迷惑をかけそうで、我が身ながら心配でなりません。
とはいっても、寄る年波には勝てませんものね。
あーあ、イヤだ、イヤだ。
せめて、オシッコの粗相だけは、しないように気をつけるだワン!
2017年02月08日
大使、山に登る。
僕は現在、2つの “大使” に任命されています。
みなかみ町の 「温泉大使」 と、中之条町の 「観光大使」 です。
では、大使の任務とは?
いつも頭の中では、このことばかり考えています。
当然、イベント等があれば、率先して参加、参列するようにしています。
また、講演やセミナーの場では、優先的に2つの町のパンフレットやチラシを配布しています。
でも、まだほかにできることがあるのではないか?
みなかみ町の場合は温泉大使ですから、温泉に関わることならなんでもPRさせていただいています。
その甲斐あってか、昨年は 「みなかみ18湯」 が 「温泉総選挙 リフレッシュ部門」 の第1位に、また 「にっぽんの温泉100選」 で21位という輝かしい成績を残せました。
でも問題は、もう1つの中之条町観光大使であります。
昨年は同じく、四万温泉(中之条町) が 「温泉総選挙」 のリフレッシュ部門で第4位になりましたが、中之条町には他にも温泉があります。
大使としては、まだまだ力不足を感じていました。
何かほかにも力になれないものだろうか?
中之条町の場合、僕は観光大使ですからね。
温泉以外でも、お役に立たねば……
ということで今回、中之条町の霊山 「嵩山(たけやま)」(789m) を登り、記事にすることにしました。
僕が11年前から高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』(ライフケア群栄) に連載しているシリーズ 『里山をゆく』 であります。
※(すでに一部は上毛新聞社から 『ぐんまの里山てくてく歩き』 として出版されています)
このシリーズの鉄則は、マイカーを使わないこと。
必ず公共交通機関のみで移動することです。
今回もJR吾妻線、中之条駅より徒歩約1時間かけて登山口にたどり着き、残雪の嵩山を登り、絶景の眺望を満喫してきました。
もちろん下山後は、温泉に入り、お約束の湯上がり生ビールをいただいてまいりました。
中之条町観光商工課のみなさん、取材協力ありがとうございました。
嵩山登山の様子は、3月3日号の 『ちいきしんぶん』 1面にて掲載されます。
お楽しみに!
2017年02月05日
縁は万里を超えて
無頼派を気取っている僕にとって、このテの形式ばった儀式は、大の苦手なのであります。
でも今回だけは、仕方がありません。
出席する側ではなく、迎える側なのですから……。
腹をくくって、臨みました。
昨日は、長男の結婚式ならびに披露宴でした。
僕は、新郎の父という大役を務めてまいりました。
「緊張しますね」
控え室で、ペンギンのような格好をした新婦の父が言いました。
「ガラではありません。逃げて帰りたいくらいですよ」
同じ格好をした僕が言うと、ハハハと笑い合ったのであります。
式は、滞りなく終わり、いよいよ披露宴の始まりです。
初めて座る末席からの眺め……。
なんとも不思議な気持ちになります。
正面、高砂の席には、新郎という名の我が息子の姿があり、隣にはウェディングドレス姿の可愛らしい花嫁が座っています。
主賓のスピーチ、友人たちの余興など、聞き逃すまいと真剣になって身構えてしまいます。
スクリーンに映る息子との生い立ち映像……。
生まれたばかりの息子を抱えて湯舟に入る、若き自分の姿には、思わず笑ってしまいました。
「R(息子の名) の父です。この度は、ありがとうございます」
「Rの母です。息子がいつもお世話になっております」
瓶ビールを片手に、新郎側のテーブルをまわる僕と家内。
「息子さんは優秀ですよ。将来は我が社を背負って立つ人材です」
上司の言葉に苦笑い。
「Rは、本当に素直でイイヤツですよ」
友人の言葉に、ほっこり。
なかには 「私、温泉が大好きで、お父さんのファンなんです。一緒に写真を撮っていただけますか?」 なーんていう女子の同僚もいたりして、この時だけは息子から主役の場を奪ってしまいました。
そして披露宴は、クライマックスへ。
新婦から両親への、お手紙朗読の時間です。
隣を見れば、まだ読み出す前から家内は泣いています。
「新婦のお母さんが、まだ泣いていないのに……」
なんて思いながら、僕も必死になって涙をこらえていたのであります。
だって、この後に大役が控えているのですからね。
「それでは、両家を代表いたしまして、新郎の父、小暮淳様よりお礼の言葉をお願いいたします」
スーッと、僕の前にマイクスタンドが現れました。
いつもの調子で、いつもの調子で、と自分に言い聞かせていましたが、やっぱり講演やセミナーとは勝手が違います。
フリートークなら自信があるのですが、今日は立場が違います。
あくまでも、新郎の父なのであります。
「えー、小暮家・○○家を代表しまして、ひと言ご挨拶を申し上げます。皆様、本日はご多様中の折り、また遠方より、新郎新婦のためにご臨席をいただきまして、誠にありがとうございます。また、ご来賓の皆様方から心温まるお言葉を多数いただきまして、心よりお礼申し上げます」
えーーーーい! ダメだダメだダメだダメだーーーー!!!!
全然、僕らしくないって!
て、いうか、この調子で話していたら、いつか舌を噛んでしまいそうです。
えーーい! ヤメたヤメたヤメたーー!!!
ということで、この後からは得意なフリートークに変更。
気が付いたら5分以上もしゃべっていました。
最後、息子からは 「父の話が長かったので、短めに話します」 と新郎のあいさつで釘を刺されてしまいました。
でも、僕が言いたかったことは、人生のほとんどは “縁” でできているということ。
いくら“円” を持っていても縁だけは、買えませんものね。
ふたりが出会ったのも縁、両家が出会ったの縁、親類縁者、会社の上司や同僚、友人たち、そして我が子として生まれてきたことも、すべてが縁なのであります。
僕は、ただただ、そのことを、若いふたりに伝えたかったのであります。
“縁は万里の長城を越えてやって来る”
中国の古いことわざです。
縁のない人は、袖(そで)が触れ合っても行き違う。
でも縁ある人は、万里の長城を越えてやって来る。
R、Mちゃん、末永くお幸せに。
この縁を、いつまでも大切に。
2017年02月03日
ぐんぎん証券開業記念講演会
「証券? 投資家?」
僕の人生には無縁な言葉が、ポンポンと飛び出してくるのでした。
だもの、最初は間違い電話かと思いました。
でも、間違いではなかったのであります。
どこで、誰が見ているか、本当に分からないものですね。
群馬銀行のお偉い方からのご指名とのことで、大それた催事の記念講演会の講師をお受けすることになりました。
本当に僕なんかで、いいのでしょうか?
ま、いいって言うんだから、いいんでしょうね。
1人でも多くの人に、温泉の魅力を知ってもらうチャンスでもあります。
熱く熱く、温泉を語らせていただきます。
ということで、聴講を希望される方は、群馬銀行の本店・支店の窓口までお申し込みください。
群馬銀行 個人投資家向け会社説明会
ぐんぎん証券開業記念講演会
●日時 平成29年3月1日(水) 14:00~16:00 (13:30開場)
●場所 群馬銀行本店 営業棟3階大会議室
第一部 14:00~14:50 (主催:群馬銀行)
『個人投資家向け会社説明会』
説明者/㈱群馬銀行 代表取締役頭取 齋藤一雄氏
第二部 15:00~16:00 (主催:ぐんぎん証券)
『ぐんぎん証券開業記念講演会』
講師/小暮 淳 (温泉ライター)
●申込 群馬銀行の本店・支店に置かれている「申し込みカード」に
必要事項を記入の上、「群馬銀行の店頭」へお持ちいただ
くか、お取引いただいている「支店担当者」へお渡しくだ
さい。
●問合 群馬銀行 総合企画部 TEL.027-254-7051・9451(窓口)
2017年02月02日
魅惑の会合
僕は2ヶ月に一度、この上なく “うまい” 酒に酔いしれます。
えっ、毎日、酒は飲んでいるだろうって?
はい、毎日、おいしい酒をいただいています。
でもね、格別な酒の味というものがあるのです。
仕事でもなく、プライベートでもなく、娯楽でもなく……
なんとも表現しにくいのですが、しいて言うならば、“極上の湯” に浸かっているようなやさしさに包まれた居心地のよさでしょうか。
楽しいだけではなく、いつもいつも温かさに満ちている会合なのであります。
通称、「弟子会」。
僕のことを、「先生」 とか 「師匠」 と呼ぶ温泉が大好きな読者の集まりです。
始まりは5年前の夏。
前橋市で3日間にわたり開催された 「小暮淳の温泉講座」 と題されたセミナー初日のこと。
受付に、僕と同年輩の男性が現れ、差し入れと称してお菓子の詰め合わせを置いていかれました。
話を聞けば、2010年の開設以来のブログの読者で、拙著の愛読者だといいます。
彼いわく、この日は、「仕事の都合でセミナーは受講できないので、せめて、ご挨拶に伺いました」 とのこと。
それだけでも著者としては感動ものなのですが、その後も僕の本が出るたびに、書店に推薦文を書いて届けてくださるなど、陰で僕の活動を応援し続けてくれました。
彼は、Sさんといいます。
その数年後、僕が講師を務めるNHKの野外温泉講座に、受講生として入ってきたのがTさん(男性) とKさん(女性) でした。
僕の講座は平日に開講されるため、60歳以上の生活に余裕がある高齢者が多いのですが、TさんもKさんも働き盛りの50代です。
聞けば、2人とも休日を利用して受講してくださっているとのこと。
そして、長年の僕の読者でした。
そんなSさんとKさんが昨年、思わぬ席で出会ったといいます。
温泉好きの2人は、当然、温泉の話で盛り上がり、僕の話題になったようです。
「だったら一度、先生を囲んで飲みませんか?」 という話になり、僕にお呼びがかかったという次第です。
昨年の9月にTさんも含めた4人が集まり、2ヶ月に一度、奇数月に “弟子会” を開くことになりました。
先日、今年最初の会合がありました。
毎回、会場は異なり、その都度、安価で飲み食いできる昭和チックな店を探して、僕を呼び出してくれます。
「あけましておめでとうございます」
「先生、今年もよろしくお願いします!」
「こちらこそ、今年も楽しみにしていますよ」
乾杯の1杯目から話は、ずーーっと温泉三昧です。
楽しい時間は、あっという間に過ぎて行きます。
「では、次に行きますか?」
「はーい、行きま~す!」
二次会は、酒処 『H』 と決まっています。
なんだか読者の間では、H が小暮ファンの聖地と化しているようで、第1回目の会合の時に、3人をお連れしたのであります。
「わ~、ここが、あのHなんですね~! ここに来るのが夢だったんですよ」
と、はしゃいでいたKさん。
今では、すっかり店に馴染んでしまい、常連の顔になりつつあります。
「では、もう一度、カンパイ!」
「ママも一緒に」
「温泉に、カンパ~イ!」
魅惑の会合は、夜が更けるまで続いたのであります。
2ヶ月後、また “うまい” 酒を飲みましょうね。