温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年04月21日

旅のめっけもん (最終回)


 ●旅のめっけもん 「蛇木(へびき)の滝」

 不思議な滝である。
 何が不思議なのかといえば、これは果たして “滝” なのか? という疑問が湧いてくる滝である。
 対岸の岩壁上に立って、眺めれば眺めるほど、その思いは強くなっていった。

 宿から数百メートル下流、国道299号の道路端に 「蛇木の滝」 の案内板がある。
 地元では “奥多野のナイアガラ” と呼ばれるほどの有名な滝だというので、行ってみた。

 駐車場に車を停めると、轟々(ごうごう) と勇壮な水の音が鳴り響いている。
 心躍らせて、川岸まで駆け寄って、驚いた。
 これが滝?
 滝の定義は定かではないが、どう見ても砂防堰堤(えんてい) である。
 神流(かんな)川の本流が川幅いっぱいに、そのまま約9メートル下の滝つぼへと水煙を上げながら落下している。

 コンクリートで造られた人工の滝であるが、では景観的にはどうなのか? と問われれば、これが文句なしに美しい!
 滝の周辺は 「蛇木渓谷」 と呼ばれる景勝地で、奇岩群が約900メートルにわたり続いている。
 その自然の渓谷美と妙に溶け込んでいるから、これまた不思議である。

 岩壁の上から覗き込めば、滝つぼ近くに釣り人の姿が見える。
 ヤマメやアユなど、渓流釣りのメッカとしても有名のようだ。

 <2006年7月 向屋温泉>


 ●旅のめっけもん 「忠治の岩屋」

 『赤城の山も今宵限り……、可愛い子分のてめえ達とも別れ別れになる首途(かどで) だ』
 江戸後期の侠客(きょうかく)、国定忠治は実在の人物ではあったが、謎の部分も多い。
 講談や芝居でお馴染みの名台詞も、後世に脚色されたものだが、いずれにせよ 「群馬を代表する人物」 のアンケートでは、今でもダントツの人気である。

 宿の前に、広い駐車場がある。
 不動大滝への登山道は、ここから始まる。
 忠治が隠れていたといわれる岩屋も、その途上にある。
 片道約1時間……
 徒行を思いあぐねていると、宿の主人が 「途中まで車で行ける」 と教えてくれた。

 前不動駐車場から約20分で、滝沢不動堂へ。
 ここからは岩場あり、丸太橋ありと沢歩きが楽しい。
 約10分で、滝との分岐点に。
 そこから、ひと登りで 「国定忠治のかくれ岩」 に着いた。

 天保11(1840)年の11月から信州路へ国越えするまでの3ヶ月間、忠治がここで子分たちと過ごしたという岩屋だ。
 階段を恐る恐る下りてみるが、中は真っ暗で何も見えない。
 洞窟内は太陽電池による照明が点灯するらしいが、「来場者人数により点灯しない場合もある」 との看板を見つけた。
 ひんやりと、吐く息だけが白く見えた。

 分岐にもどり、わずか5分で不動大滝に着いた。

 <2006年8月 忠治温泉>


 このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念して不定期連載をした「源泉ひとりじめ」 に併載されていたショートコラムを紹介してきました。
 ご愛読いただき、ありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:41Comments(0)旅のめっけもん

2020年04月11日

旅のめっけもん⑫


 ●旅のめっけもん 「花いんげん」

 夕げの膳に、さりげなく盛られた赤紫色した大粒の煮豆。
 一粒3㎝もある種皮は、光沢があり美しい。
 おいらん豆、オニマメ、高原豆、ハナマメと地域によって呼び方は様々だが、ここ六合村(現・中之条町) では 「花いんげん」 と呼ばれている。
 そう名付けたのは、六合村に住む一人の少年だった。

 大正10(1921)年、5月のこと。
 当時13歳だった大塚政美さんは、郵便配達をしていた叔父から1通のカタログをもらった。
 北海道の農作物を紹介した冊子だった。
 少年は北海道と六合村の気候が似ていることから、オニマメの種を取り寄せて畑にまいた。
 しかし花は咲くけれど、なかなか実がならない。
 「花いんげん」 の名は、そんな落胆した少年が付けた名前だった。

 試行錯誤を繰り返したすえ、6年後の昭和2年頃から収穫も安定し、商品化にこぎつけた。
 そして高原の清涼な空気と太陽をいっぱいに浴びて育った六合村の 「花いんげん」 は、六合村をはじめ草津温泉を代表する観光土産品となった。
 今では県内各地の山村に栽培地域が広がっている。

 口にふくむと上品な甘さが、ほんのりと広がった。
 群馬の観光地では良く見かける土産品だが、色、艶、味そして大きさの見事さは、やはり元祖六合村産が絶品である。

 <2006年3月 応徳温泉>



 ●旅のめっけもん 「湯湔薬師(ゆせんやくし)」

 今から20年前のこと。
 東京でボーリング会社を経営していた主人は、「絶対に出る」 という信念のもとに、資産を投じて源泉を掘り当てた。
 そして平成元(1989)年7月、念願の温泉旅館を当地で開業した。

 しばらく地元の人に経営を任せていたが、バブルの崩壊、乱脈経営が続き、この温泉を手放すかいなかの状況にまで追い込まれてしまった。
 しかし、その昔、湧き出ていたここの湯は、当時の里人が 「たまご湯」 と呼び、親しんでいた霊験あらたかな湯だ。
 2年半後、主人の会社で経理を手伝っていた女将は、一念発起して倉渕村(現・高崎市) に移り住んだ。

 そんな主人の夢と、女将の頑張りを見守るように、先人が残した湯湔薬師像が源泉櫓(やぐら) の脇に立っている。
 薬師如来は大医王仏とも呼ばれ、人間の苦悩を癒やし、ご利益を授けてくれる仏のこと。
 建立の由来は、この湯の霊験著しいご利益に対して、旅人たちが感謝を込めて御湯の守護を祈念して安置したと言い伝えられている。

 清流、長井川をはさんで、ちょうど露天風呂の対岸に立つ湯湔薬師。
 湯を浴(あ)む私たちの健康までも祈願してくれているようだ。

 <2006年4月 倉渕温泉>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:14Comments(0)旅のめっけもん

2020年04月03日

旅のめっけもん⑪


 このカテゴリーでは、現在、ブログ開設10周年を記念して不定期掲載中の 「源泉ひとりじめ」(2004年4月~2006年9月に 「月刊ぷらざ」 に連載) に併載されたショートコラム 「旅のめっけもん」 を紹介しています。
 温泉地で見つけた旅のエピソードをお楽しみください。


 ●旅のめっけもん 「赤城神社の御神水」

 赤城山の 「アカ」 は色の赤ではなく、仏教語の 「閼伽(あか)」 に由来するもので、特に仏や貴賓に献上する水を意味しているという。
 「ギ」 は囲いや器を意味し、赤城の語源は 「高貴な水の湧くところ」 にあるらしい──。

 鳥居をくぐるり石段を上ると、杉の巨木が林立する荘厳な境内に出た。
 左手に石の水槽があり、石樋から惜しみなく、とうとうと水が流れ出ている。

 そぼ降る雨の中、台車にポリ容器をいくつも載せた老夫婦が、水を汲んでいた。
 「今日は平日だから空いているね。土日はいつも行列ができるよ」
 と、奥さんが言った。

 コップが置いてあるので、一口飲んでみる。
 無味無臭、サラリとした軽い水である。
 「うちの嫁は、この水じゃないとコーヒーを淹れないんだ。それくらい味が違うらしい。毎日、汲みに来るそば屋の主人もいるよ」
 と、台車を押しながら、ご主人は言った。

 確かに、赤城山には湧き水が多い。
 太古の昔から、こんこんと湧き出している恵みの水は、我々の先祖が見つけ、そして残してくれた自然遺産のように思えてならなかった。

 <2006年1月 滝沢温泉>


 ●旅のめっけもん 「干俣の諏訪神社」

 若女将との雑談の中で、不思議な話に出合った。
 宿から少し下ったところに、深い杜に抱かれた村社がある。
 なんでも地元では、とにかく願い事が叶う神様らしい。

 同宿では毎年、繁忙期になると、アルバイトの募集をかけている。
 例年は断るほどの応募があるのに、なぜか去年に限って1人の雇用もなかった。
 困り果てた若女将は、昔から頼りにしている信州のとある寺の僧侶に相談した。
 すると僧侶は、この村社の名を告げてきたという。

 さっそく若女将は、酒と米と賽銭を持って詣で、願いを告げた。
 すると翌日、1本の電話が鳴った。
 アルバイトを希望する若い女性からだった。

 「うわさは聞いていたけれど、とにかく驚きました。正月の元旦には神主が来て、その年の農作物を占います。昔から実に良く当たると評判です」

 翌朝、行ってみることにした。
 モミの大樹に覆われた境内は静寂のなかにあり、本殿も村社とは思えないほど立派な佇まいをしていた。
 願い事が叶うと言われても、小市民の私には大それた野望も夢も浮かばない。
 とりあえず、家族の健康だけを祈願して帰った。

 <2006年2月 奥嬬恋温泉>
   


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2020年03月26日

旅のめっけもん⑩


 ●旅のめっけもん 「目の湯」


 源泉名を 「目の湯」 という。
 不思議な名である。

 江戸中期、安永のころ。
 作男が家路を急ごうと近道をした草むらで、偶然に湯だまりにカエルの群れを発見したのが最初と伝えられている。
 その後、囲炉裏や炊事の煙に悩まされた村の女たちが、この湯で丹念に目を洗ったところ、たちまち治り、村から村へその効能が伝わり、「目の湯」 と言われるようになったという。

 明治22(1889)年、浅間隠山(あさまかくしやま) の大洪水により、一瞬のうちに埋没してしまったが、昭和38(1963)年に再掘された。
 これまでに代は、いく度となく変わったが、この湯は守り続けられ、今でも地元の人たちは 「目の湯」 と呼んで大切にしている。

 泉質はホウ酸泉で、医学的にみても目の病に効く。
 入浴中、皮膚から極小の泡が出ているのを確認できるが、昔から泡の出る温泉は骨の髄まで温まると言われているとおり神経痛にも特効があり、10日間位の入浴で著効をあらわすという。

 宿から露天風呂へ向かう道すがらに、源泉の湯口がある。
 ペットボトルに湯を入れて帰る客も多いようだ。
 <2005年11月 温川温泉>



 ●旅のめつけもん 「猪豚 (いのぶた) 」


 夕食のテーブルには、丁寧にも 「本日のメニュー」 と記された品書きが置かれていた。
 前菜は芋串・沢がに・ふき・栗、造りは刺身こんにゃく、焼き魚は鮎、小鉢はそば粉と大豆を練って揚げた 「鬼揚げ」 と、野趣あふれる地場物をふんだんに使った郷土料理ばかりだ。
 そして極めつけは、猪豚鍋(夏季は陶板焼き)。
 ここでしか食せない、上野村の特産品である。

 猪豚は、メスの豚とオスの猪との交配によって産まれた家畜で、体は太くて丸く、鼻筋は猪に似て長く、体表は剛毛でおおわれ、オスは鋭い牙を持つ。
 怒ると毛が逆立ち 「怒り毛」 になるところなど、性格は猪に似ているという。
 ところが肉は柔らかくて、臭みがない。
 しかも豚肉と比べてタンパク質は1.2倍、鉄分やリン、ナトリウムについても約1.5倍と多く、脂肪はその逆に約半分と少ない。
 豚と猪のいいとこ取りした、栄養価に富んだ健康食品である。

 ロースやホルモンなどの肉自体も販売されているが、猪豚味噌漬け、猪豚カレー、猪豚汁などの加工品も村内の 「道の駅」 や 「ふれあい館」 で販売されている。
 なかでも猪豚生ラーメンは、上野村限定ということもあり人気商品だ。
 しょう油とみそ味のスープは、どちらも猪豚の濃厚なダシが利いていて、モチモチの太麺とよくからみ合う。
 一食の価値がある未体験の味である。
 <2005年12月 塩ノ沢温泉>
  


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2020年03月17日

旅のめっけもん⑨


 ●旅のめっけもん 「神秘の丸沼」


 片品村から日光金精峠へ抜ける国道120号を走ると、原生林の中に大尻沼と丸沼が現れる。
 さらに曲がりくねった道を上ると、菅沼に出る。
 これらの湖は、日光白根山(2,578m) の噴火によって造られた堰き止め湖で、吸い込まれそうなほどに澄んだ水は、県内屈指の透明度を誇っている。

 丸沼は、南北に長い湖である。
 なぜに丸沼なのかと疑問に思い、支配人に訊いてみると 「そもそもは丸かった」 という。
 昭和5(1930)年のダム建設で水位が上がったため、北の谷が水没して今の形になったとのことだ。
 それでも渇水期に水が引けると、元の丸い沼が姿を現すというから、一度見てみたいものである。

 宿名の 「環湖荘(かんこそう)」 からも確かに丸い湖であったことが分かるが、しかし創業は昭和8年である。
 すでに形は変わっていたことになる。
 では、なぜか?

 話は明治時代に、さかのぼる。
 当時、この沼の持ち主である千明氏が、客人をもてなすための別荘として建てたのが同荘だった。
 また氏は、水産講習所と共同して、丸沼にマスを飼養していたということだ。
 今でも丸沼は、ルアー、フライフィッシングのメッカとして人気が高い。
 ニジマス、ブラウントラウト、イワナ、ヤマメなどが生息しているが、80cm以上のモンスターが上がることも珍しくない。
 <2005年9月 丸沼温泉>



 ●旅のめっけもん 「小石仏群」


 部屋にもどると、浴室から眺めていた竹林の手前に、いくつもの愛らしい石仏が段上に並んでいるのが見えた。
 これが昔から 「薬師の湯」 の名で近在の人々に親しまれてきた名残である。

 観音山丘陵の山里に湧く坂口温泉の歴史は古く、開湯は約300年前と伝わる。
 医学の発達していなかった時代のこと、病を治す魔法の湯は、当時の人々にとって頼るすべだったに違いない。
 病を治してもらったお礼にと、奉納されたものが、この小さな石仏である。

 別名 「医王仏」 とも呼ばれ、人々の病を癒やす霊験あらたかな祈願仏としても守られてきた。
 現在は30体余りとなってしまったが、昔はその何倍もあったという。
 長い年月の間に、盗難や風化により数は減ってしまったが、残った石仏群は今も大切に保存され、柔和な表情で訪れる人々の心をなごませてくれている。

 医学が発達した現在でも、アルカリ度の高い重曹を含む食塩泉は、特に皮膚病に良く効くといわれ、評判を聞きつけた多くの人が、遠方からもやって来る。
 <2005年10月 坂口温泉>
   


Posted by 小暮 淳 at 14:25Comments(0)旅のめっけもん

2020年03月10日

旅のめっけもん⑧


 ●旅のめっけもん 「江口きち資料室」

 『瀬の色のめたたぬほとの青濁り ゆきしろのはや交りくるらし』
 薄根川に架かる吊り橋の西のたもとに、「女啄木」 とも言われた薄幸の歌人、江口きちの歌碑が立っている。
 橋からつづく遊歩道の先に、なんとも懐かしい木造の校舎が見える。
 現在は 「川場村歴史民俗資料館」 だが、建物は明治43(1910)年に建築された川場尋常高等小学校で、国の登録文化財になっている。
 江口きちも、この小学校を卒業した。

 大正2(1913)年11月、川場村に生まれたきちは、幼い頃から勉学に励み、昭和3(1928)年の川場尋常高等小学校卒業時には、答辞を読むなど成績優秀だったという。
 一時期、沼田郵便局に勤めるが、母の急逝により19歳で稼業の飲食業を継ぐことになる。
 この頃から文学に傾倒し、文芸誌に短歌を投稿するようになり、生活の懊悩や妻子ある人との許されぬ愛などをリアルに表現した。

 老いた父、病気の兄、4歳下の妹を抱えた苦しい生活の中で、歌を詠むことだけを生きがいとしていたきちは、昭和13年、自ら26歳の命を絶ってしまう。
 辞世の歌 『大いなるこの寂(しづ)けさや天地(あめつち)の 時刻(とき)あやまたず夜は明けにけり』 を残して……。

 きちが自分で縫ったという死への旅立ちに着た純白のドレスが、見る者の胸を強烈に締めつける。
 <2005年7月 塩河原温泉>



 ●旅のめっけもん 「旧北軽井沢駅」

 かつて、この地を高原列車が走っていた。
 草津と軽井沢を結ぶ 「草軽電気鉄道」 である。
 昭和37(1962)年の廃線まで半世紀にわたり、避暑や観光目当ての客に親しまれるだけでなく、硫黄や木炭などの貨物輸送にも使われていた。
 線路は等高線に沿って敷かれたため、カーブが多く、脱線を頻繁にしたという。
 また速度が遅いのも有名で、走行中に乗客が列車を降りて用を足して、また飛び乗ったというエピソードが残っているほどだ。

 草津~軽井沢間 (55.5km) にあった17の停車駅の中で、北軽井沢駅だけが今でも唯一、駅舎が現存している。
 昭和4(1929)年に建てられた寺社のような外観は、シンメトリーを成していて美しい。
 廃線後、電鉄OBにより喫茶・スナックの店舗として活用されていたが、現在は建物のみが残っている。
 その風格と保存状態の良さは、一見の価値がある。

 昭和26年に封切られた日本初のオールカラー映画 『カルメン故郷に帰る』 の中で、主人公のカルメンは、この駅に降り立ち、この駅から帰っていった。
 とりわけ、長いパンタグラフとL字型の車両から 「カブト虫」 の愛称で親しまれたデキ12型機関車に引かれた貨車の上からカルメンが手を振りつづけるラストシーンは、印象的である。
 <2005年8月 北軽井沢温泉>
  


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2020年02月28日

旅のめっけもん⑦


 このカテゴリーでは、現在、ブログ開設10周年を記念して不定期掲載をしている 「源泉ひとりじめ」(2004年4月~2006年9月に 「月刊 ぷらざ」 で連載されたエッセー) に併載されたショートコラム 「旅のめつけもん」 を紹介しています。
 温泉地で見つけた旅のエピソードをお楽しみください。


 ●旅のめっけもん 「千明(ちぎら)牧場」

 腰まである残雪の中、かろうじて門柱に書かれた 「千明牧場」 の文字が読めた。
 加羅倉館(からくらかん) のオーナーが経営する牧場である。
 1周1,600メートルある馬場は、今はただ一面の銀世界が広がるだけだ。
 案内された管理棟の壁に掛かる一枚の写真に、彼はいた。

 父はトウショウボーイ、母はシービークイーン。
 彼の名は、ミスターシービー号。
 1983年の皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞の三冠を制し、歴史に残る三冠馬の1頭に名を連ねた名馬である。
 彼は1980年4月に、北海道で生まれた。
 翌年、オーナーブリーダーの千明大作氏が経営するここ千明牧場に移され、育てられた。

 千明牧場の歴史は古く、サラブレッドの生産を始めたのは昭和初期のこと。
 戦前には 「マルヌマ」 で帝室御賞典(現・天皇賞) を、「スゲヌマ」 で日本ダービーを制覇している。
 戦後になってからは、「コレヒサ」 で天皇賞優勝、そして 「メイズイ」 で皐月賞と日本ダービーの二冠を制した実績をもつ。
 個人経営の小さな牧場でありながら、ダービー馬を何頭も輩出している全国的にも類のない伝統ある牧場である。

 2000年12月、ミスターシービーは蹄葉炎による衰弱のため、千葉県の千明牧場で死去した。
 享年21歳(数え年) だった。
 今でも競馬ファンが、この地を訪ねて来るという。
 <2005年4月 白根温泉>


 ●旅のめっけもん 「瀬戸の滝」

 「あっ、滝だ!」 と思ったのも束の間、そのまま通り過ぎてしまった。
 国道144号沿い、長野原町から嬬恋村へ向かう途中のことだった。
 国道まで水しぶきを散らす勢いで、突如と現れた姿に一瞬、ブレーキを踏みそうになったくらいだ。

 宿の主人に訊くと、「瀬戸の滝」 と教えてくれた。
 なんでも冬場の渇水期には姿を現さない “まぼろし” の滝らしい。

 翌朝、滝つぼまで行ってみた。
 と言っても、国道脇の駐車スペースに車を停めて、徒歩0分の距離。
 車窓からも見られるが、やはりじっくりと観賞したい。
 見上げると、細い樋状の落ち口から吹き出した水が、岩盤の上を二度三度と跳びはねるように滑り落ちてくる。
 最後は、すそを広げながら岩の切れ目で、そり返るようにジャンプして、滝つぼへ。
 そのまま国道をくぐり、吾妻川へ流れ込んでいる。

 目測で30メートル以上はあるように見えたが、調べた資料によれば10~50メートルと、その落差の表記はさまざま。
 これもまた、“まぼろし” の名にふさわしい気がした。
 <2005年5月 つま恋温泉>
  


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2020年02月16日

旅のめっけもん⑥


 ●旅のめっけもん 「長寿の泉」

 浴室へとつづく廊下の途中に、飲泉所があった。
 ①蛇口を少しあけ、ボタンを押す。
 ②10秒ほど流してから汲む。
 ③持ち帰りは2ℓまでにして、酸化する前に飲む。
 ④鉄泉なのでタンニンを含むお茶等は、飲泉の前後は避ける。
 ただし書きのとおり、ボタンを押してみた。
 蛇口から出てきた源泉は、無色透明だ。
 さっそく、コップ一杯の源泉をいただく。
 確かに鉄の味がするが、違和感なく飲めた。
 おちょこ一杯の量で、ほうれん草100g相当の鉄分が補給できるという。
 それもそのはずで、適応症として鉄欠乏性貧血が日本で初めて認められた大変貴重な温泉なのである。
 「このコップを見ててごらん」 と、ご主人が源泉にお茶を注いでみせた。
 すると、あっという間に真っ黒に変色した。
 驚いた私の顔を見て 「天然の鉄イオンが生きている証拠だ」 と笑った。
 空気に触れて時間が経つと、鉄は酸化して変色してしまう。
 だから入浴よりも飲泉のほうが、はるかに効能は高い。
 県下で唯一、特殊成分を含む療養泉として 「薬師飲泉所」 の許可がされている。
 <2005年2月 五色温泉>


 ●旅のめっけもん 「ホタルドーム (ほたる山公園)」

 まず駐車場からの眺めに、しばし目を奪われた。
 名峰・妙義山を正面に、西上州の山々に囲まれた下仁田の町並みを一望していた。
 振り返ると、御岳山の中腹に遊具や展望台、樹木園、遊歩道が整備された公園が広がっている。
 「こんな季節にホタルが? それも昼間に?」 と驚く私に、宿の若旦那は 「ええ、一年中ホタルが観られるんですよ。ぜひ、寄っていってください」 と、公園までの道を教えてくれた。
 その、ホタルを通年観察できるという飼育施設 「ホタルドーム」 は、公園の入口に建つ管理棟の中にあった。
 懐中電灯を手にした解説員の女性について入った部屋は、昼間だというのに真っ暗闇。
 人工的に夜をつくり、勘違いしたホタルが飛ぶ、ということらしい。
 室内の温度を24~25度、水槽の水温も19~20度に保つことにより、一年中繁殖させている。
 闇に目がなれてきた頃、ひとつ、ふたつと小さな光がフワフワと動くのが見えた。
 ピークの夏季には約200匹が乱舞するというが、訪れたのは冬。
 それでも10数匹の平家ボタルたちの、けなげな浮遊美を堪能した。
 <2005年3月 下仁田温泉>
   


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2020年02月07日

旅のめっけもん⑤


 ●旅のめっけもん 「アオバト」

 宿から3kmほど入った山の中。
 巨岩の間から、温泉が湧き出ていた。
 ご主人が造った観察小屋の中で、息を殺して待つこと1時間……。
 かすかな羽音がした。
 1羽、2羽……と数えようとした瞬間だった。
 突如、バタバタバタ、バタバタバタと激しい疾風が起こり、あっという間に目の前の泉が、何十羽という鳥の群れで覆われていった。
 その光景に、しばし呆気にとられていた。
 全身が緑色で、羽根のあたりがワイン色に赤い。
 胸元が黄色いところから、地元では 「キバト」 とも呼ばれている。
 その鮮やかな極彩色の容姿は、どう見ても南国の鳥である。
 海岸の岩礁に飛来して、海水を飲むことで知られる鳥だが、ここでは、しきりに温泉を飲んでいる。
 野栗沢に姿を見せるのは、5月から10月の半年間。
 冬期は温暖地へ移動する。
 1~2分間隔で群れは飛び立ち、入れ替わり別の群れがやって来る。
 まるでリーダーがいて、交替の合図を送っているかのようだ。
 5、6回繰り返されたところをみると、数百羽のアオバトの群れに囲まれていたことになる。
 小屋から出ると、周辺に淡緑色の羽根が散在していた。
 青い鳥に出合えた記念に、一枚もらって帰ることにした。
 <2004年12月 野栗沢温泉>


 ●旅のめっけもん 「仙人窟 (せんにんくつ)」

 関所跡のある 「大戸」 の信号から、県道を中之条方面へわずかに向かった左手。
 「仙人窟」 の矢印に誘われて、長い参道を上り始めた。
 たかだか200mの道程だが、あまりの急登に息が切れる。
 突然現れた洞窟は、入口の高さ8m、幅14m、奥行26m。
 魔物が大口を開けて、私を飲み込もうとしているかのように立ちはだかった。
 たしかに仙人でも住んでいそうな岩屋である。
 仰ぎ見上げていると、その巨石が覆いかぶさってくる恐怖心にかられる。
 一説には先住民族の穴居の跡ともいわれているが、洞内には江戸時代の修行僧が造ったとされる石像の十八羅漢や聖観世音像が安置されている。
 手前の分岐を左に行くと、ポッカリと岩肌に穴のあいた石門をくぐる。
 胎内窟を通り抜け、突き当たったところに 「奥の院」 と呼ばれる復窟がある。
 耳をすますと、真下を流れる温川(ぬるがわ) の瀬音が仙人窟に谺(こだま) している。
 往時の、信仰の盛んなりし頃を物語っているようである。
 <2005年1月 鳩ノ湯温泉>
   


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2020年02月03日

旅のめっけもん④


 ●旅のめっけもん 「おっきりこみ」

 縁側のある和室で、大女将がうどんを打っていた。
 来年、傘寿を迎えるとは思えない若々しさ。
 とりわけ肌の張りと艶は、大正生まれとは、とても思えない。
 やはり、温泉の美肌効果の恩恵なのだろうか。
 「顔は心の遊びどこ……、ここに美人がいるわけじゃないよ。わたしは心の美人だよ」
 そう言って、快活に笑ってみせた。
 地元農家で採れた小麦をひいて粉にして、清水でねる。
 寝かして、なじませ、手で打つ。
 「小さい時から子守をしながら、うどんをぶって (打って) たからね。かれこれ70年は、ぶってるよ」
 かど半旅館に嫁いで、50年。
 大女将の打つ 「おっきりこみ」 は、いつしか宿の名物になっていた。
 その味を、現在は息子さんが継いでいる。
 いんげん、にんじん、里いも、なす、みょうが……
 採りたての野菜が10種類も入った自然度100%のおっきりこみが、夕げの膳におふくろの味を添えていた。
 <2004年10月 川中温泉>


 ●旅のめっけもん 「索道(さくどう)」

 草津へ向かう国道から狭い急坂を下ると、左手に平地の駐車場がある。
 ここが湯の平温泉の玄関口だ。
 人はここで車を降り、徒歩で山道のアプローチを行くことになる。
 まず到着したら、駐車場脇のインターホンを押してみよう。
 宿の人の声がして、歓迎の言葉と、荷物の有無を訊いてくれる。
 その後の山歩きを考えれば、多少の荷物でも預けたほうが良いだろう。
 で、その荷物は……。
 駐車場の奥にあるロープウェーの荷台に乗せると、ひと足先に宿に着いているという仕組み(サービス) である。
 これは架空索道と呼ばれる鋼索(ワイヤーロープ) に搬器を吊るして物を運搬する設備で、鉱業や林業など深山での作業には欠かせない運材施設である。
 戦時中、ここ入山地区には鉄山があり、湯の平は採掘を請け負った軍需会社の保養宿舎だった。
 索道も、その頃に造られたらしい。
 今春、内風呂が真新しくリニューアルした。
 工事に使用したすべての資材は、この索道により運ばれた。
 <2004年11月 湯の平温泉>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(0)旅のめっけもん

2020年01月26日

旅のめっけもん③


 ●旅のめっけもん 「入浴熊」

 昭和25年頃、親を亡くしたまだ目も開かない2頭の子熊を、宿主が手塩にかけて育てあげたのが、熊との出合いだった。
 ある夏の盛りのこと。
 子熊を露天風呂へ連れて行くと、最初は前足でピチャピチャとお湯をたたいて面白がっていたが、そのうちスーッと温泉に入って泳ぎ出したという。
 それから熊と一緒に温泉に入ると、泊まり客がびっくりするやら、喜ぶやらで大騒ぎとなった。
 やがて、露天風呂に入る 「入浴熊」 のうわさは広まり、当時、テレビや新聞、雑誌等に取り上げられ宝川温泉は千客万来の大盛況となった。
 現在は条例により禁止されているため熊は入浴できないが、今でも敷地内の熊園で5頭の熊たちが客を出迎えてくれる。※(現在、熊園はありません)
 <2004年8月 宝川温泉>


 ●旅のめっけもん 「ざる豆腐」

 ひとさじ口に含んで、まず自分の舌を疑った。
 もうひとさじ、口へ……。
 ほんのり甘く、濃厚な大豆のコクと風味が、口の中いっぱいに広がった。
 薬味が添えてあるが、最後までしょう油を使わずに食してしまった。
 宿で夕食に出た 「ざる豆腐」 である。
 何とも言えぬ、なめらかな口当たり、芳醇な味わいが後を引く。
 これは何が何でも土産に買って帰りたいと思い、製造元を教えてもらった。
 国道からサエラスキー場へ抜ける道すがらにある 「尾瀬ドーフ」 の店内では、先客が数名、手作り生豆腐を食べていた。
 ジャムや黒蜜を添えれば、ヨーグルト感覚のデザートになる不思議な豆腐だ。
 お目当てのざる豆腐も、一人用から十数人用とサイズがいろいろあり、家族の人数によって選べるのがうれしい。
 片品の大地と湧き水が作った自然の味は、まさに旅のめっけもんとして、その日の我が家の食卓まで運ばれた。
 <2004年9月 座禅温泉>
  


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2020年01月17日

旅のめっけもん②


 ●旅のめっけもん 「道祖神(どうそじん)」

 道祖神は、「どうろくじん」 「さいのかみ」 などと呼ばれ、災厄の侵入を防ぐ神とされ、石像などに刻んで村境や辻に祀っている。
 また、子供の成長や子宝祈願の対象として、ほぼ全国に広く祀られている民間信仰の神である。
 中部地方から関東地方を中心とする地域では、この祭りとして小正月に火祭りを行うのが特徴である。
 特に猪ノ田のものは双体道祖神と呼ばれ、男女が仲良く酒を酌み交わしている珍しい 「酒器像」 が多い。
 正月十四日の夜には、子供たちが道祖神悪病除に回り、翌朝のどんどん焼で繭玉やスルメを焼いて食べる祭りが現在も残っている。
 <2004年6月 猪ノ田温泉>


 ●旅のめっけもん 「観音山のたぬき」

 『たぬきが時々、遊びに来ます。そっと見てください』
 展望風呂から庭を見下ろすと、そう書かれた看板とエサ場が目に付いた。
 ある春の夜のこと。
 部屋の床下から 「クンクン」 と動物の鳴く声がすると、宿泊客から苦情があった。
 野良犬が入り込んだのかと宿主が覗き込んでみると、それは、たぬきの親子だった。
 その後、餌づけに成功し、たぬきの一家は夜な夜な現れるようになった。
 が、たぬきの子どもは半年で親離れをしてしまうため、秋には親だぬきだけになってしまった。
 かれこれ5年が経つが、今でも時々、この夫婦だぬきは仲むつまじく観音山の奥の方から、けもの道を下りてやって来る。
 団地や道路の造成、観光やレジャー施設などの開発によって、住処(すみか) を追われているたぬきたち。
 もし運良く出合えたなら、湯舟の中から、そっと見守ってやってほしい。
 <2004年7月 高崎観音山温泉>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:47Comments(2)旅のめっけもん

2020年01月16日

ショートコラム 「旅のめっけもん」


 ブログ開設10周年を記念して現在、不定期にて掲載している 『源泉ひとりじめ』。
 2004年4月~2006年9月にわたり 「月刊ぷらざ」(ぷらざマガジン社) に連載された全30回を順次紹介しています。

 エッセイには、1話につき1編のショートコラムが併載されていました。
 温泉地や旅館で見つけた 「旅のめっけもん」 です。
 このコーナーでは、そんな旅で見つけたエピソードの数々を紹介いたします。
 エッセイと併せて、お楽しみください。



 ●旅のめっけもん 「筒描(つつがき)」

 「旅籠」 の館内を歩くと、藍色に染められたタペストリーが、所々に品良く飾られているのを目にする。
 これは 「筒描」 といわれる江戸時代の中頃より日本各地の紺屋で染められていた木綿布である。
 防染糊を筒に入れ、洒脱な図柄を自由奔放に描き、その文様を白揚げする。
 さらに、その中の細部の線を細い筒糊で縁取りしてから、顔料で絵画風に色挿しをしたものだ。
 この筒描は、婚礼のときにあつらえることが多く、嫁ぎゆく娘のための調度品として 「松竹梅」 や 「鶴亀」 などの吉祥文様が多く表された。
 蒲団や夜着、嫁ぎ先の家紋をあしらった風呂敷などに仕立てて、花嫁道具として持たせたという。
 <2004年4月 薬師温泉>


 ●旅のめっけもん 「木造校舎」

 国道17号から川古温泉へ向かう途中、高台に今では珍しい新築の木造校舎を見つけた。
 新治村立猿ヶ京小学校である。
 平成3年に景観条例に基づいて建設されたその美しい校舎は、新治村の伝統的建物である昔の養蚕農家を模した越屋根造り。
 校舎中央の多目的ホールには積雪加重を考慮した大断面集成材が使用され、ホール前の8本の丸柱は赤谷川源流から切り出された樹齢100年を越える地元産のスギが使われている。
 また、各教室の壁にもスギやカラマツを多用し、温かみのある素朴な空間に仕上がっている。
 鉄筋校舎の増築が進められている中、やわらかな感触を持ち、高い吸湿性等の優れた性質を備えた木造校舎の良さが、温かみと潤いのある教育環境づくりとして各方面から見直され始めている。
 <2004年5月 川古温泉>
   


Posted by 小暮 淳 at 12:22Comments(0)旅のめっけもん