温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2024年11月03日

舞台がある限り謎は解ける!


 民話や伝説は99%が噓である。
 しかし、舞台があれば1%の真実にたどり着ける。


 荒唐無稽な民話や伝説の世界。
 巨人や妖怪など、架空の生物が登場する話も多い。
 では、なぜ、そのような創り話が生まれたのか?

 その謎を追うため、僕は10年以上前から 「謎学の旅」 に出かけています。
 自称、謎学ハンターであります。


 現在、俗に言われる “入水伝説” を追っています。
 全国の湖沼に伝わる 「竜神伝説」 です。
 お姫様が、ある日、山に登り、湖に身を投げ、竜 (または大蛇) になってしまう話です。

 これらの伝説は、舞台は異なっても一様に物語は似ています。
 何のオチもありません。
 それが、民話や伝説だからです。


 でも、さらに深く調べ、時代背景や登場人物を考察していくと、ハッとする瞬間に出くわすことがあります。
 「もしかしたら……」 という自分の勘を頼りに、再度、物語を構築し直すと、思わぬ真実にぶち当たることがあります。

 鳥肌が立つ瞬間です。

 この一瞬の快感と達成感のために、僕は旅を続けています。


 昨日、降りしきる雨の中、群馬県東部の山中にある寺院を訪ねました。
 1200年前、弘法大師が東国遊化の折に、薬師仏を刻み開創したと伝わる古刹です。
 この寺に、赤城山中の小沼(この)で入水した娘の遺品が保管されているというので、第57世住職に話を聞いてきました。
 (関連ブログ=2024年10月12日 「身を投げた娘が沼に残した物」 参照)

 住職の話には、説得力がありました。
 なぜ、ここに娘の遺品があるのか?
 時系列に歴史の筋道をたどりながら、この寺に遺品がやって来るまでの過程を、ていねいに話してくださいました。


 でも、僕の中には、腑に落ちないものがありました。
 まだ、どこかに伝説のからくりがあるように思われるのです。
 だって、娘は入水したんですよね?
 だったら身に着けていた遺品は、湖底に沈んでしまっているはずです。

 誰が、湖底から引き揚げたんでしょうか?


 みなさんは、伝説だからしょうがないって思いますか?
 それも99%の嘘のうちだって?

 でもね、まだ1%の真実が見つかっていないんですよ!
 真実の扉は、たぶん、この遺品の出どころにあると思うんです。

 すると、住職は、こんなことを話しを始めました。
 「これは、異説なんですけどね……」


 エ―――――ッ !!!!

 「娘は死んでいない!? この伝説自体が、すべて、ねつ造だった!? それも、ある事実を隠すための偽装工作だった!?」


 謎学の旅は、つづく。
 (この真相は、12月20日号の 「ちいきしんぶん」 に掲載されます)
    


Posted by 小暮 淳 at 11:23Comments(0)謎学の旅

2024年10月12日

身を投げた娘が沼に残した物


 面白い! 面白過ぎる!
 これだから “謎学の旅” は、やめられません。


 僕は2018年8月、『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) という著書を出版しました。
 おかげさまで3年後の2021年7月には、第2刷が増刷されました。

 新しい帯には、こんなキャッチコピーが付きました。
 ≪ここから謎学の旅は始まった。≫


 なぜ、謎学の旅なのか?

 この本は、ただ単に民話や伝説を紹介しているのではありません。
 必ず、その舞台を訪ね歩いています。

 それは、舞台が分かれば、謎が解けるからです。


 なぜ、伊勢崎に浦島太郎の墓があるのか?
 なぜ、文福茶釜には蓋(ふた)がないのか?
 なぜ、カッパは七年に一度、現れるのか?
 なぜ、沼田は “天狗の町” になったのか?
 なぜ、妖怪チャンコロリンは安中の宿場に現れたのか?

 民話や伝説とは、ほとんどが創話です。
 だから99%がウソ (ねつ造) です。

 でも、なぜ、そのような荒唐無稽な話が誕生したのか?
 それなりの理由があるはずです。
 これが、1%のマコト (事実) です。

 この1%を探すヒントは、舞台にあります。
 これが 「謎学の旅」 なのです。


 昨日、赤城山の小沼 (この) へ行ってきました。
 
 戦国時代末期の永禄年間 (1558~1569) のこと。
 赤城山南麓にある赤堀村 (現・伊勢崎市) に住む長者の娘が、16歳になった年の4月8日に突然、「赤城山に登りたい」 と言い出し、下男と下女をお供に、赤城山へと向かいました。
 そして、小沼のほとりまで来ると、「水が飲みたい」 と言い、転げ落ちるようにして沼の端まで下りて行き、そのまま身を投げてしまいました。


 日本全国に存在する、いわゆる 「入水伝説」 です。
 著書の中でも、榛名湖に身を投げた 『木部姫伝説』 を紹介しています。
 ストーリーは、似ています。

 でも、今回訪ねた小沼には、とんでもない事実がありました。


 入水前、娘が沼のほとりに置いて行った “あるモノ” が、今でも大切に保管されているというのです。
 しかも、それは、下男下女が持ち帰ったものではありません。
 そのモノがあるのは、遠く離れた県北東部の村にある山寺でした。

 なぜ、誰が、何のために、持ち出したのか?
 その真実が分かれば、娘が入水した理由も分かるのではないか?


 近々、寺の住職に話を聞きに行ってきます。
 謎学の旅は、つづく……
    


Posted by 小暮 淳 at 11:59Comments(2)謎学の旅

2024年08月24日

玉村の 「玉」 は竜の玉


 高崎市民のみなさん、こん、にち、は~!(錦鯉風)

 昨日(8月23日)発行の 「ちいきしんぶん」 は、ご覧になりましたか?
 「ちいきしんぶん」 は、旧高崎市内の約9割の家庭や事業所に配布されているフリーペーパーです。
 この新聞に、僕は時々、記事を書いています。


 昨日掲載されたのは、「ぐんま謎学の旅 続・民話と伝説の舞台」 です。
 そう、2018年に出版した書籍 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 の続編なんです。
 昨年12月から不定期連載がスタートしました。

 で、今回は、その3話目であります。
 舞台は、佐波郡玉村町。
 「玉村」 という地名の謎に迫ります。
 なんと! 玉村の 「玉」 は竜の玉なのであります。


 竜の玉って、知ってますか?
 掛け軸や寺院の欄間などに描かれている竜の絵を見たことがあると思いますが、よーく見ると手に 「玉」 を持っています。
 「碧玉」 という青色をした玉です。
 正式には 「如意宝珠」 といい、梵語 (サンスクリット語) で、どんな願い事も叶える玉を意味するそうです。

 その玉が、なんと! 千年以上前、平安時代の天慶(てんぎょう)年間に、今の玉村町に現れたといいます。
 町内を流れる矢川という川に、夜な夜な青く光る2つの玉が漂うようになりました。
 村人たちは、この玉を拾い上げて、祀ったといいます。

 ところが、それから500年後のこと。
 利根川が大洪水した際に、竜神が現れ、竜巻を起こし、2つのある玉のうち1つを持っち去ってしまいました。


 今回、僕は、残った1つの玉の保管場所を探し当て、取材に成功しました。
 信じるか、信じないかは、あなた次第です。

 ※「ちいきしんぶん」 は、ホームページよりバックナンバーを閲覧することができます。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:36Comments(0)謎学の旅

2024年08月18日

今日の上毛新聞 『風っ子』


 <風っ子! いい笑顔をしていますね>
 今朝、知人からメールが届きました。
 「どれどれ……」
 と、朝刊を開きました。

 子ども新聞 週刊 『風っ子』 のことです。
 毎週日曜日、上毛新聞に折り込まれるタブロイド紙です。

 8月18日号は、巻頭3ページが民話の特集です。
 1面は、「天狗伝説に興味津々」 と題して、天狗寺としてしられる群馬県沼田市の迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)を取材。
 社会科見学に訪れた地元沼田市の中学生たちに同行した記事です。

 ページをめくると、「天狗とのつながり ずらり」。
 弥勒寺のほか、沼田市で開催される 「天狗まつり」 のほか、県内に伝わる他の天狗伝説も紹介しています。


 そして3ページ目に、僕が登場します。
 タイトルは、「フリーライター小暮さんに聞く 本県に残る伝説、民話」。
 この冒頭に、著書 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 を手にしている僕の写真が掲載されています。

 知人は、このことを言っているのです。
 確かに、満面の笑みを浮かべています。
 というのも、取材を受けた日、「写真を撮ります」 と記者に言われて、いつものように構えて立ちました。
 すると記者は、「これ、子ども向けの新聞なので、笑ってください」 と、言われてしまいました。
 「そうですよね。これじゃ、白髪の怖いおじさんに映っちゃいますよね」
 と思い直し、ありったけの笑顔を演じたのであります。

 これが功を奏したようです。
 今日は日中、イベントに参加していたのですが、 「素敵な笑顔ですね」 「カッコイイよ」 と声をかけていただきました。
 また新聞を見た他の方からもメールをいただきました。
 ありがとうございます。


 えっ?
 どんな写真なのかって?
 言葉では表現できないので、どうにかして手に入れるなり、図書館で閲覧ください。

 高木記者さん、土屋記者さん、素敵な記事をありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:03Comments(5)謎学の旅

2024年07月18日

妖精の棲み家


 この夏、僕は2つの目標を立てました。
 1つは、孫との温泉2人旅。
 これは、来月早々に実現する予定です。

 もう1つは、「妖精」 の棲み家を探し当てること。


 このブログではお馴染みの 「妖精」 の目撃話ですが、僕は、もう我慢がなりません。
 だって、誰も信じてくれないんですもの。
 1度や2度なら僕の錯覚かもしれませんが、5回も目撃しているわけですからね。

 これはもう、解明するしかありません。
 それには、「妖精」 の棲み家を突き止めるが一番だという結論に達しました。


 ということで僕は、過去5回の目撃データを分析してみることにしました。
 すると、いくつものヒントが見えてきました。

 まず、目撃した季節です。
 5回のうち夏が2回、初夏が1回、春が1回、冬が1回。
 秋には目撃していません。

 ただし、時刻はすべて夜。
 午後7時以降です。
 そして天候ですが、2021年の初夏だけが雨でした。
 他の4回は晴れ、もしくは曇りです。


 そして、一番のカギとなるのが、目撃場所の位置関係です。
 1回目が、我が家の北西約1㎞先の市道。
 2回目は我が家の庭、3回目と4回目は我が家の2階の窓から見下ろした隣家の庭。
 そして5回目は、我が家から西へ300mほど行った、中学校の正門前です。

 このことで分かるのは、我が家を中心に半径1㎞範囲内で目撃しているということ。
 なぜか、我が家より南方での目撃はありません。
 ということは、1回目の目撃地点と我が家との間1㎞圏内に、何らかの発生要因があるということです。

 何よりも不思議なのは、1回目と5回目の目撃の間は、約20年もの時が経っていることです。
 ということは、1匹ではない!(生物だとしたら)
 繁殖していることになります。

 では、そこはどこか?


 探しました。
 我が家から北へ1㎞圏内で、「妖精」 が繁殖できそうな場所を。
 たった1カ所だけありました。
 ケヤキの巨木が2本立ち、まわりに雑木が植わっている小さな林です。
 我が家から約200m北で、2階の僕の仕事部屋からも見える位置に、その林はあります。

 あれが 「妖精」 の棲み家に違いありません。


 ただ、問題があります。
 その林は、どうも個人の所有地のようなのです。
 無断で敷地内に入り込むことはできません。

 とりあえず日々、周辺を巡回しながら6回目の目撃を狙っているところであります。


 絶対に、「妖精」 は存在します!
 必ずや捕獲して、世間に公表したいと思います。

 もうしばらく、お待ちください。



 過去5回の目撃談は、下記のブログから閲覧することができます。
 ① 2010年11月16日 「妖精目撃」
 ② 2018年8月15日 「妖精ふたたび」
 ③ 2021年4月23日 「三度目の妖精」
 ④ 2021年5月21日 「妖精多発地帯」
 ➄ 2023年7月25日 「妖精のいる夏」
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(2)謎学の旅

2024年07月11日

プロペラのないドローン


 昨日の続きです。
 「妖精」 と呼ばれるUMA (未確認生物) の話です。


 この話を以前、知人男性に話したときのこと。
 こんなことを言われました。
 「それって、ドローンじゃない?」

 「ドローン?」
 「そう、小型のドローン」
 「でもプロペラはなかったよ」

 すると彼は、こう言いました。
 「秘密裏に開発された最新型の小型ドローンですよ」


 彼は、妖精が現れるエリアが気になるのだと言います。

 僕が過去5回目撃した場所は、すべて我が家から半径500~1,000m以内。
 季節は異なるものの、時刻は日没後の夜間です。
 これらの条件を踏まえると、このエリア内に何らかの組織 (研究グループ) のアジトがあり、実験を続けているのではないかと、彼は言います。


 「う~ん、でも僕は20年近く前から見ているんだよ。その最新型のドローンは、いまだに完成していないということになるよね?」
 「小暮さんは、言ったよね? 毎回、最後はパンという音をして消えるって?」
 「ああ、必ず最後は消えた」

 「それ、失敗なんだよ」
 「失敗?」
 「墜落したんだ」
 「だったら機体の残骸が残されているんじゃなか?」
 「いや、すぐに回収されているさ。国家機密だからね」

 「それって、国家レベルなの?」
 「・・・」


 話は、そこまでです。
 僕が見た 「妖精」 と呼ばれる飛行生物は、実は人間が造り出した小型ドローンなのでしょうか?
 しかも我が家の近くで開発が続けられ、夜な夜な飛行実験が続けられているということですか?

 これはこれで、なんだか特ダネのような気がします。
 証拠をつかんで、スクープ記事として新聞社に売り込みましょうか?


 みなさんは、どう思われますか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:16Comments(0)謎学の旅

2024年07月10日

求む! 目撃情報


 「小暮さんは、妖精を見たことがあるんですよね?」
 最近また、ブログの読者から訊かれたことがありました。
 「ええ、まあ」

 以前なら、懇切丁寧に目撃談を説明するんですけどね。
 なんだか最近は、ちょっと面倒くさくなっています。
 だって、ほとんどの人が、信じてくれないからです。


 たった一人だけ、信じてくれた人がいます。
 幼なじみで、バンド仲間の友人です。
 彼だけが僕の話を聞いて、開口一番 「それは妖精だよ」 と命名してくれました。


 でもね、僕が見た妖精は、みなさんが想像している妖精とは、まったく姿かたちが違うんです。
 羽の生えた小さな女の子ではありません。

 昆虫なんです。
 体長5~10cmの葉巻型の黒い色をした虫です。
 (と僕は確信しています)


 そんな摩訶不思議な昆虫を、僕は過去に5回も目撃しています。
 季節は関係ありません。
 ただし、時間帯は夜です。

 というのも、夜でなければ確認できない、特徴があるからです。
 それは、後方の尾の部分から花火のような火の粉を噴射しながら飛行するからです。


 高度は、地上3~4メートルほどの低空です。
 現れるときは必ず、「シャーーーー!」 というスプレーを噴射するような音がします。

 飛行時間は、ほんの十数秒です。
 スピードは自転車よりも速く、自動車よりは遅い。
 後方から僕を追い抜いて行き、目の前で 「パン」 と音を立てて消えます。

 最初は、ロケット花火が飛んで来たのかと思いましたが、花火にしてはスピードが遅いんです。
 また水平に飛ぶロケット花火なんて見たことがありません。
 毎回、後ろを振り返り確認しましたが、いたずらで花火を上げているような人の姿は見かけませんでした。


 この生物は、いったい何なんでしょうか?
 図鑑やネットで何回も調べましたが、火の粉を噴射する昆虫なんていませんでした。


 でも僕は、この約20年間で、5回も目撃しているんですよ!
 ヤツは、絶対にいます!

 そして、僕同様に目撃したことのある人が、必ずやいるはずです。


 求む! 目撃情報
 ぜひ、ご一報ください。



 過去5回の目撃談は、下記のブログから閲覧することができます。

 ① 2010年11月16日 「妖精目撃」
 ② 2018年8月15日 「妖精ふたたび」
 ③ 2021年4月23日 「三度目の妖精」
 ④ 2021年5月21日 「妖精多発地帯」
 ➄ 2023年7月25日 「妖精のいる夏」
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(4)謎学の旅

2024年07月05日

ドラゴンボールを探せ!


 今年の干支は 「辰」。
 なぜ十二支のなかで、辰 (龍・竜) だけが、想像上の架空生物なのでしょうか?

 まずは、ここから謎学の旅は始まりました。


 竜は、中国古代から伝わる権力や威光の象徴。
 皇帝のシンボルだったようです。
 自然界と人々の生活に対する深い象徴的な意味を持っています。

 似たようなシンボルに、麒麟(きりん) や鳳凰(ほうおう) がいますが、竜ほどポピュラーではありません。
 なぜ、竜だけが日本でも根付いたのでしょうか?


 第2の謎は、群馬県内の 「竜」 や 「龍」 の付く地名です。
 探すと、けっこうあるんですね。

 ところが調べてみると、そのほとんどの地名が、竜とは無関係でした。
 「巽(たつみ)」 や 「辰巳」 といった方角 (南東or東南) に位置していることが語源で、音が転化した地名であることが分かりました。


 ところが!
 1カ所だけ、摩訶不思議な町名がありました。
 しかも、その町は “竜の頭” の形をしているといいます。

 さっそく僕は、町の歴史資料館を訪ね、学芸員から話を聞いてきました。
 広げた地図をのぞき込むと……

 おおおおっ~!
 まさに、竜の頭のような形をしているじゃありませんか!


 でも、竜と言われるから竜に見えるのであって、ヘビと言われればヘビだし、カメと言われればカメの頭にも見えます。
 「なぜ、竜なのですか?」
 そこに、謎学の旅の入り口がありました。

 何がなんでも、竜にこじつけなければならない町民たちの思惑があったのです。


 「ええ、この町には竜の玉があるからですよ」
 「玉?」
 「はい、竜が置いて行った玉です」

 ほほう、なんとも奇想天外で奇妙奇天烈な話の展開であります。
 いわゆる、彫刻や掛け軸などに描かれた竜が、手に持っている碧玉(へきぎょく)と言われるヤツですね。
 正式には、「如意宝珠」 です。
 梵語(サンスクリット語) で、どんな願いもかなえる玉のことです。

 「本当ですか?」
 「はい、あります」
 「どこに?」
 「○○寺です」


 教えてもらった寺を地図で探しました。
 す、す、すると!
 な、な、なんと!
 そこには、こんな文字があったのです。

 玉龍山 ○○寺


 まさに山号が、そのままズバリ! 竜の玉です。
 これは、もう居ても立ってもいられません。
 さっそく住職に話を聞きに行って来ました。

 信じるか、信じないかは、読者次第。
 謎学の旅は、ついに真実にたどり着いたのであります。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:09Comments(0)謎学の旅

2024年03月28日

浴室に浮かぶキツネの姿


 猿ヶ京温泉 (みなかみ町) には、こんな民話があります。

 <昔、旅の夫婦が大きな空き家に、一夜の宿を借りてから、そこに男の子が現れるようになりました。奥さんが、その男の子と遊んであげると、男の子は 「奥の座敷の床下を掘ってください」 と言いました。言われたとおり夫婦が掘ってみると、なんとそこには、大判小判の入った金瓶が埋まっていました。その後、夫婦はその家で暮らすようになり、座敷わらしに似た可愛い男の子をもうけ、末永く幸せに暮しました。>
 (『座敷わらしの家』 より)


 僕は2018年に 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) という著書を出版しました。
 この本は、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 の2007~18年に連載されたシリーズに加筆・訂正を加えたものです。
 出版後、しばらくシリーズは休載していましたが、昨年12月より 『続・民話と伝説の舞台』 として、不定期ながら連載が再開しました。

 ということで、新シリーズの取材で猿ヶ京温泉へ行ってきました。
 訊ねたのは、民話に登場する夫婦から数えて19代目になるという子孫が経営する旅館です。

 今でも旅館には、宿泊客から座敷わらしの目撃話が多く寄せられています。


 「これを見てください」
 取材開始早々、ご主人は何冊ものノートを持ってきました。

 “自由画帳”

 このノートには、宿泊客が書いたたくさんの感想が残されています。
 当然、座敷わらしの目撃例も。
 男の子を見た。女の子を見た。羽の生えている子もいた……


 しばらくは、ご主人と座敷わらし談議で盛り上がっていました。
 すると突然、
 「あっそうだ! こんな書き込みもあるんですよ」
 と、ご主人は一番新しいノートを開きました。
 日付は、今年の1月です。


 <浴室の窓にキツネが現れました>

 若い女性のようで、イラストも描かれています。
 大きな窓の中に立っている、鼻と耳がとがったキツネの絵です。


 「で、これを見てください!」
 ご主人は、タブレットを差し出しました。
 「この書き込みを見て、すぐに浴室へ行ったんですよ。そしたらキツネの姿が、残っていたんです」

 タブレットの画面には、女湯の内風呂から外を写した写真が、数点ありました。
 「ほら、これ! キツネでしょう!」


 一瞬、僕の背中に、冷たいものが通り抜けました。
 まさに、ノートに書かれていたイラストそのものでした。

 内風呂と露天風呂の間にある大きなサッシ窓。
 外気との温度差により、内側は結露して無数の水滴が付いています。
 その水滴が、見事にキツネの姿を描いているのです。

 「本当ですね。これは誰が見てもキツネに見えます」
 「でしょう! 見に行きますか?」
 「えっ、いつでも見られるんですか?」
 「わかりません。今日は休館日で湯を張ってないから、出ないかもしれませんけど……」


 ご主人に案内されて、浴室へ。
 でも、やはりキツネの姿はありませんでした。


 座敷わらしとキツネ
 なにか関係があるのでしょうか?

 謎学の旅は、つづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:18Comments(0)謎学の旅

2024年01月19日

妖精の棲む町


 シューーーーー!
 アレが現れるときは必ず、スプレーを噴射しているような音が聞こえます。

 その後、地上3~4メートルの高さを、ロケット花火のような火の粉を散らしながら僕を追い越して行きます。
 そして突然、パン!という音を立てて、消えてしまいます。


 僕はアレを、5回も目撃しています。
 季節は様々ですが、時刻は夜です。
 何よりも不思議なのは、目撃する場所。
 すべて、我が家から半径2~300メートルの範囲内なのです。


 謎の発光体の正体とは?
 分からないでいると、ある日、友人が教えてくれました。
 「それは妖精だよ」

 冗談でしょ?
 でも、とりあえず呼び名が付きました。
 以来、僕は “アレ” のことを 「妖精」 と呼ぶことにしました。


 「小暮さん、絶好調ですね。その運気、あやかりたいな」
 昨年夏、さる社長から言われました。
 「やっぱり、妖精を見る人は違いますね」

 驚きました。
 その社長は、僕のブログを読んでいたのです。
 しかも、5回目の目撃談を。

 そのブログを書いた直後、東京のテレビ局から出演依頼がありました。
 社長は、そのことを言っていたのです。


 妖精が現れると、いいことが起こる?
 気になり、過去のブログをチェックしてしました。

 過去の目撃談は、下記の5回です。
 ① 2010年11月16日 「妖精目撃」
 ② 2018年8月15日 「妖精ふたたび」
 ③ 2021年4月23日 「三度目の妖精」
 ④ 2021年5月21日 「妖精多発地帯」
 ➄ 2023年7月25日 「妖精のいる夏」

 言われてみれば、本の出版や著書フェア、大使の任命など、何かしら節目となる年に現れているようです。


 さて、今年は現れるのでしょうか?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:22Comments(0)謎学の旅

2023年12月03日

羊をめぐる謎学の旅


 高崎市民に朗報です!(笑)

 2018年8月に出版した 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)。
 この著書には、2007年11月から2018年7月まで 「ちいきしんぶん」 に掲載された記事が収録されています。
 その後、シリーズは休載していました。

 が!
 このたび、5年5カ月という長い眠りから覚め、“続編” が復活することになりました。


 ということで、続編の第1話にふさわしい伝説の舞台を探しに行ってきました。
 場所は、高崎市吉井町。

 『昔を語る 多胡の古碑』

 ご存知、「上毛かるた」 に詠われている日本三大古碑の1つであります。
 また、山上碑、金井沢碑とともに 「上野三碑」 と呼ばれ、ユネスコ世界記憶遺産にも登録されています。


 昔から多胡碑は、謎の多い碑とされてきました。
 特に諸説紛々なのが、碑文の中の 「羊」 という文字。
 はたして、これは何を意味するのか?

 それゆえ、土地の人々は多胡碑のことを 「ひつじさま」 と呼び、信仰の対象として祀り、今日まで守り続けてきました。
 それにより生まれた伝説や民話が数多く残されています。


 続編の第1話は、この 「ひつじさま」 にスポットを当て、主人公ゆかりの舞台をめぐります。

 出生秘話のカギを握る不動明王、愛馬の産地と調教場、居城跡など……
 99%の創り話の中に潜む1%の真実を探して、ふたたび僕は謎学の旅に出ました。


 乞う、ご期待!
 第1話の掲載は、今月29(金)発行の 「ちいきしんぶん」 1面にて。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:57Comments(0)謎学の旅

2023年09月28日

なぜムジナは人を化かすのか?


 むじな 【狢・貉】
 ①アナグマの異称。②混同して、タヌキをムジナと呼ぶこともある。
  (広辞苑より)


 昨日の続きです。

 ここ数年、民話をテーマにした講演を依頼されることが多くなりました。
 民話の世界には、カッパや天狗、座敷わらし、竜神、雪女、巨人など、現代人には荒唐無稽な主人公たちが登場します。
 講演では、映像や写真を使いませんので、受講者には話だけで想像していただくしかありません。
 でも、みなさん、カッパにしても天狗にしても、子どもの頃に見た絵本やテレビ、雑誌などで描かれているイラストをイメージされているので、話の解釈に支障はありません。

 ところが、意外と 「ムジナ」 を知らない人が多いんですね。
 直接、「ムジナってなんですか?」 と訊いてくる人もいます。
 決して、若い人とは限りません。
 僕よりも年配の婦人から訊かれたこともありました。


 ムジナとは、一般的にはアナグマのことをいいます。
 時代や地方によっては、タヌキのことをムジナと呼ぶことがありますが、この場合は、ただのタヌキではありません。
 何百年と生き続け、人間を化かす術を身に着けた古狸のことです。

 では、なぜムジナは人を化かすようになったのでしょうか?

 昨日紹介した高崎市倉賀野町に伝わる2つのムジナ話で検証してみましょう。
 養報寺が舞台の 『かみそりムジナ』 では、ムジナは豆腐屋の夫婦や和尚さんに化けて若者を騙します。
 一方、JR高崎線の倉賀野駅をはさんだ永泉寺に伝わる 『おばけ汽車』 という民話では、列車に化けて人間を脅かします。
 話の内容もスケールも違い、まったく別のムジナのようですが、実は同一のムジナ、もしくは一族ではないかと思われます。


 その謎を解くカギは、2つの民話が作られた時期にあります。
 明治17(1884)年、上野~高崎間に鉄道が開通しました。
 同時に、倉賀野町にある2つの寺は鉄道の敷地にかかり、ヤブも林も伐採されてしまいました。

 すみかを追われたムジナたちは、仕返しとして人間たちを次々と化かしたのかもしれませんね。


 すべて独断と偏見による勝手な解釈ではありますが、舞台があれば、民話が誕生した謎も解けると思うのです。
 いや~、民話って面白いですね!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:34Comments(0)謎学の旅

2023年09月27日

民話の舞台が消える!


 突然、ショッキングなニュースが飛び込んできました。
 高崎市倉賀野町の 「むさしや豆腐店」 が、今月いっぱいで閉店するそうです!

 えっ、その、どこがニュースなのかって?
 知らないの?
 民話の舞台ですよ!
 しかも、“生きた化石” ですよ!

 言い換えれば、「登録有形民話文化財」 に認定してもいいような存在であります。


 そこまで話せば、勘のいい読者なら分かりますよね。
 そう、拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の58ページに掲載された 「倉賀野のムジナ」 に登場する民話の舞台です。

 JR高崎線 「倉賀野駅」 をはさんで、2つの寺院があります。
 養報寺と永泉寺です。
 どちらの寺にもムジナの話が伝わりますが、「むさしや豆腐店」 が登場するのは、養報寺に伝わる 『かみそりムジナ』 という民話です。


 明治時代になって間もない頃のこと。
 倉賀野よりも高崎寄りにある矢中 (現・矢中町) の若者たちが肝だめしをすることになりました。
 「倉賀野の養報寺の雑木林を抜けて、豆腐屋で油揚げを買って帰ってくるってぇのはどうだ?」
 「そりゃ、おもしれぇ。やってみんべぇ」
 ということになり、一番手の仙吉という若者が出かけて行きました。

 このあと、仙吉は豆腐屋で大変なものを見てしまい、あわてて養報寺まで引き返したとき、さらに災難に遭います。
 その結末は、いかに!
 (続きは、拙著をお読みください)


 その、代々倉賀野の宿場通りで商いを続けてきた “伝説” の豆腐屋が、姿を消してしまうというのです。
 こんなショッキングなニュースがありますか!?

 ぜひ、高崎市の教育委員会には、「民話 『かみそりムジナ』 ゆかりの地」 の記念碑を立てていただきたいものです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:38Comments(0)謎学の旅

2023年08月03日

謎の飛行生物を追え!


 読者のみなさんは、覚えているでしょうか?
 “空飛ぶネズミ” を見たという話を?
 (当ブログの2019年1月13日 「謎の空飛ぶネズミ」 参照)

 僕は、たびたび “妖精” を見ています。
 (当ブログの2023年7月25日 「妖精のいる夏」 参照)
 が、妖精を目撃するのは、すべて夜です。
 でも、“空飛ぶネズミ” を見たのは昼日中でした。

 何よりも妖精との違いは、その大きさ!
 「ネズミ」 と思ったくらいのサイズですから、決して昆虫ではありません。


 そして昨日……
 ヤツは、また現れました!

 正午前のこと。
 我が家2階の仕事部屋の窓を開けた、その時です。
 ちょうど僕の目線の高さを、一直線にスーッと水平移動しながら通り過ぎる物体がありました。

 「あっ、ヤツだ!」
 と思い目を凝らすと、なんだか記憶の中のヤツとは少し違います。


 まず、サイズが違います。
 前回は20~30㎝もある大型の鳥のようなフォルムでしたが、今回は10~15㎝ほど。
 半分の大きさです。

 それと、形が違いすぎます。
 前回は、羽のない鳥のような流線型で、ヘビのような尻尾が付いていました。
 だから僕は、「ネズミだ」 と思ったのです。


 でも今回は、長方形です。
 たとえるならば、トノサマバッタのような形。
 もちろん、羽のようなものはありません。
 色は黒または、こげ茶色でした。

 そして、季節も違います。
 前回は冬、今回は夏です。


 昨日見た生物は、“空飛ぶネズミ” の仲間なのでしょうか?
 それとも、まったく別の生き物なのでしょうか?

 何よりも、羽のない生物が空を飛べるのでしょうか?
 そんな生き物が、地球上にいるのでしょうか?


 ヤツは何者?
 妖怪? 小型のUFO?

 知っている方は、ご一報ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:12Comments(2)謎学の旅

2023年07月26日

河童は忘れた頃にやって来る


 <「ありがとうございやした」 と返してもらった腕を抱えたカッパは、飛び上がりながら川へと帰って行ったが、クルリと振り向くと大きな声で、こう言った。「けど、7年に1度は出てやるぞ!」。>
  (『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 より)


 夏休みになり、海や川での水難事故が増えています。
 先週、福岡県では痛ましい事故が起きてしまいました。

 ≪小6女児3人溺れ死亡≫
 ≪夏休み初日、普段着姿≫

 県警や女児らが通う小学校によると、夏休みの初日の21日正午過ぎ、死亡した3人を含む女児7人と男児1人の6年生計8人で川に向かったといいます。
 前日の終業式では校長先生が、「子どもだけで川に行かないように」 と呼びかけていました。


 テレビの報道番組では識者が、「支流と本流の合流地点では川底がV字にえぐれ水深が増す」 とか、「この時期は農業用水確保のために川を堰き止めるため水かさが増す」 など、川の危険性を説いていましたが、子どもたちは知る由もありません。
 遊びに夢中になるがあまり、深みへとはまっていったのでしょう。

 もしくは……


 最近は見かけなくなりましたが、僕が子どもの頃には、川や沼や池の周りには必ず、こんな看板が立ってました。

 『およぐな! きけん』

 そして、カッパの絵が描かれていました。
 その意味は?


 水の中には、魔物が棲んでいるからです。
 その魔物は、ふだんはおとなしいのですが、ある日突然、牙をむきます。

 それは、7年に1度のこと。
 “7年” とは、人間の記憶が消えかかるころ。
 忘れた頃に魔物は、人間への戒めのために現れます。


 僕が取材した県内の河童伝説が残る川では、今でも水難事故が起こると 「今年は7年目に違いない」 と言って、子どもたちには川遊びをさせないといいます。

 暑い夏が続きます。
 水の中には魔物がいることを、お忘れなく!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)謎学の旅

2023年07月25日

妖精のいる夏


 またまたまたまた、妖精を見ました。
 これで、5回目になります。


 最初に見たのは15年ほど前の冬の夜。
 自転車を漕いでいたところ、頭上を光の帯が飛んで行きました。

 2回目は夏、我が家の庭でした。
 3回目は春、我が家2階の仕事場の窓から。
 4回目は初夏、雨の夜に仕事場の窓からでした。


 過去4回の目撃談は、当ブログの下記の日付から閲覧することができます。
 ① 2010年11月16日 「妖精目撃」
 ② 2018年8月15日 「妖精ふたたび」
 ③ 2021年4月23日 「三度目の妖精」
 ④ 2021年5月21日 「妖精多発地帯」


 ここで読者には、お断りしておかねばならないことがあります。
 それは、“妖精” の解釈です。
 僕が目撃したのは、一般に伝わる羽を持った小さな女の子ではありません。

 たぶん、昆虫です。
 大きさは、カナブン~カブトムシくらい。
 飛翔しながら尻 (後方より) 光の筋 (ロケット花火の火花のような) を噴射しています。

 ただ目撃の季節は、まちまちです。
 また天候も関係ありません。
 はたして、そんな昆虫が日本に存在するのでしょうか?


 5回目の目撃は、昨晩の午後9時頃でした。
 スーパーの帰り道、僕は自転車を漕いでいました。
 (1回目の目撃時と条件は似ていますが季節が違います)

 我が家から300メートルほど西にある中学校の跡地前を通過中でした。
 突然、「シュ―――――ッ」 という音がして、頭上を見上げると、またしても妖精が火の粉を散らしながら飛んでいました。
 「あっ、また出た!」
 と思った瞬間、妖精は驚くべき行動に出ました。

 突然、方向を変えたのです。
 しかも、かなりのスピードでヘアピンカーブのようなUターンをしました。
 光の帯も、ハッキリとUの字を描くのが見えました。

 そして、次の瞬間、「パン」 と小さな音を立てて消えてしまいました。


 1回目の目撃時、友人に話したところ “妖精” であることを知りました。
 ただ本当の正体は、いまだに不明です。
 図鑑やネットでも調べてみましたが、そんな生物は日本にも世界にも棲息していないようです。

 読者のみなさんへ
 同じ生物を目撃したことがあるという方は、ご一報ください。
 また、正体を知っているという方は、個人的にお会いしたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:48Comments(0)謎学の旅

2023年07月02日

上州もつ煮対決


 もつ煮は、「つまみ」 なのか 「おかず」 なのか?

 たびたび論争になるテーマです。
 というのも、群馬県では普通に食堂で、「もつ煮定食」 がメニューにあるからです。
 そのことの、どこがおかしいのか県民には分かりませんが、なぜか全国ネットのテレビ番組でも取り上げていました。
 「群馬県民は、もつ煮をおかずに飯を食う」 って。

 僕がスーパーバイザー(監修人) を務める群馬テレビの番組でも過去に、このテーマを取り上げました。
 (当ブログの2020年4月22日 「もつ煮定食って群馬だけですか?」 参照)

 個人的には、昼ならば 「おかず」、夜ならば 「つまみ」、というところでしょうかね。
 まあ、それくらい “もつ煮” は、群馬県民にとっては食生活に根付いたソールフードなのであります。


 ここに、興味深い記事があります。
 僕も、たびたび記事の連載等でお世話になっている高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) が、企業や関係者だけに配付している 「ニュースレター」 です。
 毎月1回、スタッフが各々、近々の出来事を顔写真入りで書いていて、とても親近感のわく内容になっています。
 6月16日付の 「ニュースレター」 で、編集長のY氏は、こんな記事を書いていました。

 <永井VS日の出 上州もつ煮対決>

 群馬のB級グルメ好きならば、ご存知ですよね?
 Y氏の言葉を借りれば、「群馬で有名なもつ煮の二大巨頭」 「西の永井食堂」 「東の日の出食堂」 ということになります。


 永井食堂 (渋川市) は、たびたびテレビでも紹介されているため、全国ネットで有名になりました。
 土日になれば、駐車場は県外ナンバーの車であふれ、店の前には行列ができるほどの人気ぶりです。

 一方、「日の出食堂」 (伊勢崎市) は、知る人ぞ知る穴場的な名店です。
 もつ煮と言えば、ここを挙げる食通は多いのです。

 記事では、この2つの食堂の 「もつ煮定食」 を写真入りで併記し、料金、配膳時間、おみやげ (料金と容量)、定休日、所在地、駐車場 (台数) が比較されています。
 また特筆すべきは、特記事項に記されている 「持ち帰り専用売店」 の有無であります。
 永井食堂は富岡市に、日の出食堂は前橋市に存在することを、僕は初めて知りました。


 気になるのは、味の比較ですよね?
 これについてY氏は、こう述べています。
 「味は個人の好みもあるので除外しました」

 ズル~い!
 そこが一番知りたいのよ!
 ということで、僕は本人に直接、電話で聞いてみました。
 すると、Y氏いわく、
 「それがですね、食べるたびに変わるんですよ。永井を食べると 『こっちが旨い』 と思い、日の出を食べると 『こっちのほうが旨い』 って。一度、両方同時に食べてみないとだめですね(笑)」


 ごもっともです。
 甲乙つけがたい味、ということですね。

 えっ、僕ですか?
 えーと、えーと、両方食べたことはあるんですが、どちらも美味しかったという記憶しかありません。


 読者のみなさん、ぜひ、食べ比べてみてください。
 あなたは、永井派? それとも日の出派?
   


Posted by 小暮 淳 at 13:14Comments(2)謎学の旅

2023年04月23日

チャンコロリンは忘れた頃にやって来る!


 先日の講演会場にて。

 「先生には以前、一度お会いしたことがあります」
 講演終了後、著書を購入してくださった方から話しかけられました。
 恰幅のいい、スキンヘッドの中年男性です。

 「取材を受け、一緒にテレビに出演しました」
 「……?」

 記憶をたどってみますが、思い出せません。
 ところが次のひと言で、この男性が誰か、瞬時に思い出しました。

 「チャンコロリン石で……」
 「ああ、あの時の住職ですか!」


 チャンコロリンとは、“妖怪チャンコロリン” のことです。 

 今から約200年ほど昔のこと。
 中山道の宿場町で栄えた安中で、夜な夜な草木も眠る丑三つ時になると、「チャンコロリン、チャンコロリン」 と音を立てて大きな石が街道を転がるため、人々は雨戸を閉ざし、恐ろしさに震えていました。
 旅人も気味悪がって、安中宿に泊まらなくなってしまったため、安中藩の侍が、刀や槍、弓矢、鉄砲で立ち向かったのですが、一向に効果はありませんでした。
 困り果てた町人たちは、大泉寺の和尚の法力にすがりました。
 和尚が転がる石に向かって法を唱えると、さしもの妖怪も寺の台座の上で動かなくなったといいます。
 ※(詳しくは拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 参照)


 も、も、もしかして~!
 あの妖怪チャンコロリンが、法力が解けて200年の眠りからよみがえったのではないか?
 そのことを知らせに住職は、わざわざ僕の講演会場まで来てくれたのではないか?

 あの時、妖怪チャンコロリンを法力により台座の上に封じ込めたのは、大泉寺十三代目住職の獅絃(しげん)和尚でした。
 もし今また、妖怪チャンコロリンが暴れ出したら?
 同じ法力を使えるのは、今僕の目の前にいる二十四代目の現住職しかいません!

 「お願いします! チャンコロリンを鎮めてください。さもないと安中の町は壊滅してしまいます。いや、その被害は群馬全域に広がるかもしれないのです。お願いします! あなたの法力にすがるしかないのです」
と、ここで僕は妄想から現実へ戻りました。

 「今日は、いいお話をありがとうございました」
 そう住職は言って、会場を出て行かれました。


 ふぅーーーーーっ!
 と長い溜息を一つ。
 よかった、何事もなくて。

 でも油断は禁物です。
 いつなんどき妖怪チャンコロリンは、目を覚ますか分かりません。

 チャンコロリンは、我々人間が忘れた頃にやって来ます。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:45Comments(2)謎学の旅

2023年01月21日

5つの神社に同一の神様


 高崎市民のみなさん、こんにちは!
 「ちいきしんぶん」 の1月20号は、もう、ご覧になりましたか?

 「ちいきしんぶん」 は、高崎駅を中心に10万部配布されているフリーペーパーです。
 僕は長年、このタウン誌に 「謎学の旅」 という紀行エッセイを連載しています。
 すでに一部は、2018年に出版された 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん出版) に収録されています。


 昨年11月より、このエッセイの中で 「消えた東村をゆく」 というシリーズが始まりました。
 たびたびブログでも話題にしているので、ご存じの方もいるかと思いますが、もう一度簡単に、ご説明します。

 群馬県にはかつて、5つの 「東村」 がありました。
 群馬郡東村、利根郡東村、佐波郡東村、勢多郡東村、吾妻郡東村です。
 しかし昭和と平成の大合併により、次々と消滅しました。

 なぜ群馬県には、こんなにも 「東村」 が存在したのか?


 第1話では、一番最初、昭和29(1954)年に前橋市との合併により消えた群馬郡東町を訪れました。
 そして第2話となる今号は、2番目の同31年に消えた利根郡東村を取材しました。

 すると……

 第1話で見つけた小さな疑問が、さらに大きくなりました。
 旧村内に点在する5つの神社の祭神 (その神社に祀ってある神) が、すべて同一人物だったのです。

 さらに、突き詰めていくと、「あづま」 というキーワードにたどり着きました!


 いよいよ、謎は核心に迫ります。
 次回は、佐波郡東村を訪ねます。
 ご期待ください。


 ※謎学の旅 「消えた東村をゆく」 は、「ちいきしんぶん」 のHPより閲覧できます。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)謎学の旅

2022年12月10日

2つ目の東村


 “東村ファン” のみなさん、こんにちは!
 謎学ライターの小暮です。

 僕は現在、かつて群馬県内に存在していた5つの 「東村」 について調べています。
 東村は町村制施行による明治の大合併とともに誕生し、昭和と平成の大合併により次々と消滅しました。
 ※(当ブログの2022年3月9日 「父の遺書~消えた東村~」、2022年7月23日 「消えた東村を追え!」 参照)

 ①なぜ、群馬県内には、5つも東村が存在したのか?
 ②なぜ、東村はあるのに、西村と北村と南村はないのか?

 この2つの謎を解き明かすべく、僕は5つの消えた東村を訪ねることにしました。


 高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) の11月4日号で、「消えた東村をゆく①」 と題して、昭和29(1954)年に最初に姿を消した 「群馬郡東村」 を紹介しました。
 群馬郡東村は現在の前橋市、利根川右岸エリアにあたります。

 そこでは、旧東村役場跡を探し出し、隣接する滝川に架かる 「東大橋」 の旧親柱を見つけました。
 現在の 「東大橋」 の読み仮名は 「あずまおおはし」 ですが、昭和12(1937)年竣工の旧親柱には 「あづまおほはし」 と刻まれていました。

 “ず” と “づ” の違いは何なのか?

 これが②の謎を解く、キーワードになりました。


 ということで僕は昨日、2番目に姿を消した 「利根郡東村」 へ行って来ました。
 利根郡東村は昭和31(1956)年に利根村となり、平成17(2005)年に沼田市に合併され、沼田市利根町となりました。

 で、取材の成果は?
 謎を解くカギは見つかったのか?

 はい、大収穫がありました!

 まず旧東村役場の跡地を探し出し、旧村内に点在する5つの神社をめぐりました。
 なぜ神社なのか?
 実は、この5つの神社は社名は違っても、祭神 (その神社に祀られている神) がすべて同じなのです。

 どうして、こんなにも同一の神様が祀られているのか?
 そして “東村” との関連は?

 この神様、実は 「あづま」 という言葉と深いかかわりがある神様だったのです。


 近々僕は、3つ目の東村へ向かいます。
 謎学の旅はつづく……
   


Posted by 小暮 淳 at 12:02Comments(0)謎学の旅