温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2018年04月30日

記憶のゆくえ②


 「親に向かって手を上げたな! 許さん!!」

 突然、オヤジが大声を上げて、怒鳴り出したので、びっくり仰天。
 あたふたとする僕。

 といっても、大声を上げたからでも、怒り出したからでもありません。
 僕のことを介護施設の職員だと思っているはずの認知症のオヤジが、僕に対して自分のことを “親” と認めたからです。


 それは先週のこと。
 我が家にオヤジを引き取って、面倒を見ているときでした。
 僕がちょっと目を離したすきに、テーブルの上のあったティッシュボックスをいたずらして、壊して、中身を全部出してしまったのです。

 「コラッ、じいさん、なにをやってるんだよ! 赤ん坊じゃあるまいし、まったく!!」
 僕は、部屋に散らばったテッシュペーパーを拾いながら、オヤジの頭を手のひらで、ポンと叩いたのでした。
 これが彼のプライドを傷つけてしまったようです。

 「親に手を上げるヤツがいるか!」

 えっ、自分が親だって分かっているの?
 じゃあ、いままでのよそよそしい態度は、なんだったの?
 それとも叱られたショックで、一瞬だけ記憶の回線がつながって、僕が息子だということが分かったのでしょうか?

 ティッシュペーパーを片付けながら、怒鳴り散らしているオヤジを見て、うれしくなってしまいました。
 息子に叱られたことが、よっぽど悔しかったのですね。


 ところが、最後にオヤジが負け惜しみで言った言葉に、興ざめしてしまいました。

 「よし、このことは、兄貴と姉さんに言うからな。いいな!」

 笑ってしまいます。
 オヤジは8人きょうだいの下から2番目です。
 そして、オヤジ以外のきょうだいは、すでに全員他界しています。

 「伯父さんと伯母さんに、いいつけるの?」
 「ああ、いいつけてやるからな!」


 いったい、オヤジは今、記憶のどのあたりを旅しているのでしょうか?
 “認知症” というタイムマシーンに乗って……
  


Posted by 小暮 淳 at 13:50Comments(0)つれづれ

2018年04月27日

読者の目


 「小暮さんの文章を読むと、湯の良い宿と、そうでない宿が一目瞭然、分かりますよ」
 そう読者の方から言われたことがありました。

 「そうですか?」
 「ええ、湯の良い宿は事細かに書かれていますが、そうでない宿は、一切、湯について触れていませんから」

 ドキッ!
 見透かされたか!?
 いえいえ、それが著者の本音、意とするところです。

 読者とは、隅々まで読んでくださっているのですね。
 実に、ありがたいことであります。


 講演会終了後のサイン会でのこと。
 年配の男性が、2冊の著書を持って並んでくださいました。
 順番が来て、手渡された本は、どちらも、かなり使い込まれていました。
 1冊は2009年に出版した 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社)、もう1冊は2014年に改訂版として出版した 『新ぐんまの源泉一軒宿』(同) です。

 「こんなになるまで読んでくださり、ありがとうございます」
 サインをしながらお礼を言うと、その男性は、こんなことを言いました。
 「この2冊を読み比べるのが好きなんです」

 改訂版といえども出版にあたり、すべての宿を再取材して書き下ろしています。
 ですから、同じ宿でも書かれている視点や切り口は異なっています。
 それに気づいて、読み比べているとは、お見それしました。

 「同じ宿のページを並べて読むんです。すると、時の経過とともに小暮さんの心情の変化までが読み取れて、面白いですよ」
 とは、脱帽であります。
 なんて深いところまで読んでくださっているのでしょうか。

 著者も気づかない、思わぬ “読書考” があるものですね。
 これだもの、こんな楽しい職業は、やめられませんって!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(2)著書関連

2018年04月25日

川場温泉 「悠湯里庵」⑤


 <まだ木の香が漂う新しい湯舟に、悠久の時を超えて湧きつづける古湯が、かけ流されている。ややぬるめだが、ツルンとした滑らかな浴感のする湯だ。古くも新しい湯、新しくも古い宿、「新」 と 「古」 が見事に融合している。>
  ( 『群馬の小さな温泉』 より)


 2009年4月、NHK文化センターのカルチャー前橋教室に、全国で唯一の “野外温泉講座” が開講しました。
 前例のない講座の講師を引き受けて、はや9年。
 今月から10年目を迎えました。

 開講当初は、県内在住の受講者で占められていましたが、年々、そのウワサや情報が知れ渡り、現在では県外からの受講生が増えています。
 今年度から新しく受講するOさん(女性) は、東京都からの参加です。
 聞いて驚くなかれ、御年89歳!
 もちろん介助なして、単独での参加です。

 「埼京線と新幹線で来ました」
 と、かくしゃくとしたスピーチに、在講生一同、驚愕であります。

 僕のオフクロは90歳。
 寝たきりのオフクロと比べたら申し訳ありませんが、それでも嫉妬してしまうほどの元気であります。
 一人でどこへでも行けて、大好きな温泉めぐりができるなんて、うらやましい限りです。


 さてさて、記念すべき10年目となる2018年度上期の第1回講座を飾ったのは、川場温泉(群馬県利根郡川場村) の 「悠湯里庵(ゆとりあん)」 であります。
 薬師温泉(群馬県吾妻郡東吾妻町) 「旅籠」 の姉妹館として知られる 「悠湯里庵」 ですが、この講座では8年前のオープン年に訪ねています。
 当時は、かやぶき屋敷の宿泊棟は4棟で客室も全8室でしたが、その後、裏山の斜面に10室の別館 「悠山」 が完成しました。
 今回は、この新しくできた 「悠山」 を訪ねることにしました。

 「悠湯里庵」 といえば 「旅籠」 同様に、かやぶき屋敷の旅館として有名ですが、「旅籠」 との違いは全国でも珍しいアトラクション(?) があることです。
 アトラクションとは?
 宿泊棟へは、無人の電気カートで移動します。
 そして新たに、別館へ行くために作られたのが、モノレールです!


 僕は去年、プレス向けの内覧会に招待され、ひと足先にモノレールを体験しました。
 その時に、「絶対に講座でも来よう! 受講生たちにも、この体験をさせてあげたい」 と思ったのです。

 で、やっと昨日、その夢が叶いました。
 モノレールの定員は10名なので、2班に分かれて乗車。
 急な斜面をグングン登る、その力強さに喚声が上がります。
 振り返れば、本館のかやぶき屋根が、遠ざかっていきます。

 モノレールは、宿泊棟を通過して、頂上の展望台へ。
 眼下には、新緑に萌え出した川場盆地が広がります。
 天気は、あいにくの雨でしたが、かえって霧に煙った幻想的な風景となり、受講生らには大好評でした。

 これから田植えの季節となり、さらに緑豊かな景色を彩ります。
 まさに、ここは日本の原風景!
 僕の大好きな風景です。


 湯は、開湯1200年の歴史をもつ 「弘法の湯」。
 弘法大師(空海) により発見されたといわれる名薬湯です。

 “湯よし、宿よし、食よし”

 受講生一同、大満足の一日でした。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(0)温泉地・旅館

2018年04月22日

救命猫?


 それは、愛犬のマロと散歩に出たときのことでした。

 我が家のまわりをグルリと一周して、もどると、路上にネコがいました。
 それも道路の真ん中で、不自然な格好で、まるで行き倒れのように両手両脚をのぼして横になっています。

 「ワン、ワンワン!」
 吠えるマロを制して、様子を伺いました。
 というのも、すぐ近くに仲間とおぼしき、もう一匹のネコが、心配そうな顔をして、路上のネコを見つめているからです。

 「マロ、近づくな!」
 リードをたぐり、数十メートル離れたところから、2匹の行動を見守りました。


 <どうしたんだい? 具合でも悪いのかい?>
 たぶん、もう一匹のネコは、そんなことを言ったのだと思います。
 でも、依然、路上のネコは動きません。

 <そんなところにいると、クルマにひかれちゃうよ!>
 たぶん、そんなことを注意したのだと思います。
 でも、路上のネコは、ピクリとも動きません。


 次の瞬間です。
 もう一匹のネコは、路上のネコに近寄ると、いきなり、首の後ろにガブリと噛みついたのです。
 そして、足を踏ん張り、路上のネコを引きずり始めました。

 「えっ、えええーーー!!」
 見ていた僕とマロは、驚きを隠せません。
 「おい、マロ、今の見たか!?」
 「ワン」

 ついに路肩まで、引きずったのであります。
 その間、路上のネコは、まったくの無抵抗でした。


 散歩からもどって、1時間ほどして。
 外出するため、家の外へ出てみると、すでに2匹のネコはいませんでした。

 あれは、なんだったのでしょうか?
 脳梗塞で倒れた仲間を、救助していたのでしょうか?
 それとも、2匹は親子だったのでしょうか?
 道路で、ふざけていた子どもを叱っていたのかもしれません。

 それとも、2匹で決めた 「行き倒れゲーム」 で遊んでいる最中だったのでしょうか?

 いずれにせよ、クルマにひかれなくて、良かったのであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:08Comments(0)つれづれ

2018年04月20日

K温泉殺人事件


 「K温泉に行ったことがあるんですけど……」

 知り合いの青年(20代) が、話しかけてきました。
 温泉の話をするにしては、なんだか浮かない顔をしています。

 「いい湯だったろ?」
 「それが、途中で帰ってきちゃったんですよ」
 「なんで?」
 「ええ、なんだか怖くなっちゃって」


 数年前のこと。
 彼は彼女と、ドライブに出かけたといいます。
 一度は聞いたことがある秘湯のK温泉を訪ねてみることにしました。
 ところが、国道から山道に入った途端……

 「なんだかヘンな気分になったんです。誰かに見られているような、ずーっと後をつけられているような」
 「それで?」
 「あの道、行き止まりになるでしょ?」
 「だね、そこからは歩くんだよ」
 「ええ、それは知っていたんだけど、その行き止まりに廃墟があって……」
 「君が行ったのは、何年か前のことだね? 今は、もう更地になっているよ」
 「そうなんですか……」
 「で、帰ってきちゃったの?」
 「ええ、廃墟を見た途端、急に頭痛と吐き気までしてきて。こりゃ、ヤバイと思って、引き返しました」

 彼との会話は、これで終わりではありませんでした。

 「小暮さんは、知ってましたか?」
 「何を?」
 「あそこで殺人事件があったこと」
 「もちろん、知っているよ。有名な話だからね。でも、君が生まれる、はるか昔のことだよ」

 彼との会話は、ここで終わりです。
 彼は帰宅後、「あそこは絶対、何かある」 と思い、ネットで検索をして事件を知ったといいます。


 昭和47(1972)年8月に、事件は起こりました。
 K温泉に泊まった20代の女性が、下山途中に、何者かに殺害されました。
 遺体は作業小屋で発見されましたが、刃物でメッタ刺しにされた猟奇殺人だったといいます。

 当時、僕は中学生でしたが、おぼろげに事件のことは覚えています。
 長じて、ライターとして温泉取材で訪れた時に、資料により詳細を知りました。
 そして、この殺人事件は、46年経った現在でも未解決のままです。


 この事件、とても謎が多いため、今でも時々話題に上ることがあります。
 その謎とは……

 ●なぜ、被害者は1人で温泉へ行ったのか?
  最初は、家族や知人と行く予定だったといいます。

 ●なぜ、歩いて山を下りたのか?
  宿の送迎車があるのに、断っています。最寄りの駅までは徒歩2~3時間かかります。

 ●残された写真は誰が撮ったのか?
  所持品のカメラには、下山途中に写された本人の写真が残っていました。
  事件後、警察や報道機関の呼びかけで、「私が撮った」 と名乗り出た男がいたそうですが、のちに実在しない人物であることが判明しました。

 ●なぜ、遺体は移動されたのか?
  殺害現場である作業小屋の中で、犯人が死体を引きずった痕跡があったといいます。

 ●なぜ、メッタ刺しなのか?
  これが最大の謎です。
  通り魔なのか、怨恨なのか?
  凶器は、見つかっていません。


 先日、十数年ぶりに未解決の殺人事件の犯人が、DNA鑑定により逮捕されました。
 一日も早い事件の解決と、犯人逮捕を願っています。

 でないと、彼のように霊感の強い人が、成仏できない霊魂に脅かされて、温泉にたどり着けなくなってしまいますから。
  


Posted by 小暮 淳 at 16:27Comments(2)温泉雑話

2018年04月18日

「F」 と 「H」


 小説を読んでいたら、無性に酒が飲みたくなりました。
 でも時刻は、まだ午後の3時。
 早く、時間よ経て!
 ページをめくる手が、アル中患者のようにふるえます。

 午後4時。
 あと1時間。
 そわそわしながら、ページをめくります。
 ノドは、カラカラです。

 えい、もう我慢がならぬ。
 いざ、出陣じゃーーー !!!

 ということで、僕は脱兎のごとく家を飛び出して、「H」 へと向かったのでした。
 「H」 とは、ご存じ、我らのたまり場、酒処 「H」 であります。
 一番乗りを目指したのに、カウンターには、すでに先客がいます。
 さすが、のん兵衛の世界にも、上がいるものです。


 で、僕が読んでいた小説とは、
 栗山圭介著 『居酒屋 ふじ』(講談社文庫)
 であります。

 役者志望の主人公が、オーディションに落ち、ふらりと入った小さな居酒屋。
 そこには、強烈な人生を生き抜いてきた80歳の名物 “おやじ” がいました。
 常連客は、すべて “おやじ” のファンたち。
 いつしか主人公も、通い出すのですが……

 実は、この店、東京に実在するする店なんですね。
 有名人が通う店としても知られ、テレビドラマ化もされました。


 <名物らしき鯨の尾の身とふじ豆腐とちりめんキャベツを注文した。>

 主人公は、初めて店に入った日に、この3品を注文します。
 よっぽど美味しかったようで、毎回、この3品をたのみます。

 <「鯨の尾の身」 は、尾びれの付け根の部分で、ほとんどが赤みの鯨肉の中で唯一の霜降り。この薄切りされた尾の身に、にんにくとしょうがをのせて、しょう油でいただいた。>

 <「ふじ豆腐」 は、ぷるんぷるんの豆腐の上に、ほぐされたたらこが山のように盛られていて、そのまろやかな塩加減が豆腐のぷるふる感とマッチして、つい一気食いしてしまった。>


 そんな小説を読んでいたら、居ても立ってもいられませんって。
 「ママ、とりあえず生ちょうだい!」

 お通しは、ほうれん草のおひたし。
 ポン酢がけで、いただきました。
 「ク~、しみるねぇ~」

 「ジュンちゃん、まだビールでいいの?」
 「あと1杯、ちょうだい。その後は、芋焼酎かな」
 最後は、日本酒でしめるつもりです。


 「H」 には、メニューは一切ありません。
 すべて、ママのおまかせコース料理です。
 それも、客一人ひとりの飲み方と腹具合に合わせて、1品ずつ出してくれます。

 きのこ豆腐、鶏の手羽揚げ、鯛の粕漬け焼き……

 どれも手の込んだ、ママの創作料理です。
 「H」 だって、「居酒屋 ふじ」 に、負けてなんかいないぞ!


 小説に嫉妬して、ムキになって飲みに出た夜でした。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:14Comments(0)酔眼日記

2018年04月16日

ゾウっとする夢


 みなさんは、夢を見ますか?
 そして起きた時、覚えていますか?

 僕は、ほとんど毎日見ていますが、起きた時には覚えていても、すぐに忘れてしまいます。
 そこで、忘れる前に 「夢日記」 というものを書いていた時期がありました。

 で、日記を読み返してみると、同じ夢というのを、何度もくり返し見ていることに気づきました。
 大きく分けると2つありました。

 1つは、「空を飛ぶ夢」。
 それも決まって、地面すれすれの超低空飛行です。
 夢の中で 「もっと高く飛びたい」 と思っても、体は浮上せず、毎回、イライラ、モヤモヤしています。

 もう1つは、「知らない町を歩く夢」。
 決まって、ローカル線の小さな駅に降り立ちます。
 駅前に商店街はなく、まばらな民家が両脇に点在する道を歩き出します。
 やがて道は二又に分かれ、Y字路の真ん中には神社があります。
 この架空の田舎町を、ときどき僕は散策しています。

 これは何を意味するのかと、考えたことがありました。
 「空を飛ぶ夢」 は、思っていることと、できていることのギャップへのいら立ちなのだろうか?
 もっとやりたいことがあるのに、やれていない自分へのもどかしさなのかもしれないと。

 「知らない町を歩く夢」 は、現実逃避?
 “一人になりたい” “自由に生きたい” という願望なのではないかと。

 ま、それが分かったところで、僕の日常は変わりないのですけどね。
 でも夢の中では、「あっ、また、この夢か!」 と気づきながらも、楽しんで見ている自分がいるのも事実です。


 さて、さてさて、
 先日、「夢日記」 には一度も登場したことのない、まったく新しいパターンの夢を見ました。

 僕は現在、地元自治会の役員をしています。
 毎年、春に子どもたちのためにイベントを開催しています。
 会場は、廃校になった小学校の校庭です。
 「金魚すくい」や「バルーンづくり」などの模擬店、ゲームコーナーなどを設営して、地域の子どもたちと遊びます。

 そして、校庭の一角には、毎年必ず 「乗馬体験コーナー」 を作ります。
 県内の牧場からポニーを借りて、小学生低学年の子どもたちに、乗馬を体験してもらっています。


 ここまでは、現実です。
 ここからが、夢の話です。 

 僕の提案で、「今年はポニーではなく、ゾウを呼びましょう!」 ということになり、会場には 「乗象体験コーナー」 を作ることになりました。
 アフリカゾウだったか、インドゾウだったかは記憶にないのですが、とにかく大きなゾウが校庭にやってきました。

 と、ところが!
 最初は順調に子どもたちを乗せて、乗象体験を行っていたのですが、突然、ゾウが暴れ出し、逃走してしました。
 校庭から飛び出し、町の中へ。
 僕らは追いかけましたが、あっという間にゾウは姿を消してしまいました。

 次のシーンでは、僕は報道陣に囲まれて、イベント主催者として謝罪会見をしていました。


 ここで、夢から覚めました。
 なんとも寝覚めの悪い夢です。
 死傷者は、いたのでしょうか?
 その後、ゾウは捕まったのでしょうか?

 その日は一日、気が気でありませんでした。 


 読者の方の中に、夢占いに詳しい人がいましたら、この夢の深層心理をお教えください。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:44Comments(0)夢占い

2018年04月14日

マロの独白(38) 無芸大食


 こんにちワン! マロっす。
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、11才です。

 お久しぶりでやんした。
 読者のみなさま、お元気でしたか?
 オイラのこと、忘れてなんかいませんよね!?

 オイラは花粉症と闘いながらも、元気に散歩と昼寝の毎日を送っています。


 最近、思うんですけど、テレビで動物やペットを特集した番組が多いと思いませんか?
 空前の “猫ブーム” のせいでしょうかね。

 先日も、ご主人様とテレビを見ていたら、逆立ちをして歩くネコや、ピアノを弾くイヌが出ていました。
 途端、イ~ヤな予感がしたんでやんすよ。

 「おい、マロ! 今の見たか? 世の中には、すごいイヌやネコがいるな~」
 「……」
 「見てなかったのか?」
 「え、ええ……。見ていましたよ。大したもんですね~」
 「マロには、できないだろ?」
 「ええ、まあ……。オイラは、ふつうのイヌですから……」
 「ふつうだ!? ふつう以下だろ。だって、何もできないじゃないか!」

 オイラの予感は、的中してしまいました。
 こうなることは分っていたんだから、一緒にテレビなんか見るんじゃなかったな。

 「ふつう以下とは、ひどいじゃないですか! オイラだって “待て” とか “お手” ぐらいはできますよ」
 「アッハハハハ!!」
 ご主人様は突然、笑い出しました。

 「“待て” ができるって? 3秒も、もたないじゃないか。“お手” だって、“おかわり” のときに同じ手を出すし」
 「ひどい、ひど過ぎます~! それは、ご主人様にだって、責任があるんですよ。この家に来た時に、きちんとしつけをしなかったからです。だからオイラ、この程度でいいのかなって、ゆる~く育っちゃたんですよ」
 「なんだよ、逆ギレか? まっ、でもマロにだって、人(犬)より優れているところはあるさ」
 「えっ、本当ですか? それは、どんなところですか?」

 すると、ご主人様は考え込んでしまいました。
 本当はオイラのことなんて、サイテーの犬だと思っているんですよ。

 「そうだなぁ……、たとえば “伏せ” とか」
 「“伏せ” ですか?」
 「ああ、マロの “伏せ” は、かわいいよ」
 「かわいいですか?」
 「ああ、前足をそろえて、その上にアゴを乗せて、上目使いで俺を見上げるしぐさなんて、他のイヌには真似できないね」


 え、え、本当ですか。ご主人さま~!
 ちょっと、やってみますね。

 えーと、両手をのばして、その上にアゴを乗せて、こうやって上目使いで、目をパチクリ、パチクリさせて……
 「ご主人様、これで、よろしいでしょうか?」

 すると、ご主人様ったら今度は、お腹を抱えて笑い出しました。、
 「よせ、よせ、もういいよ! それじゃ、年増のオカマ犬じゃないか」
 ですって。

 ひどい、ひど過ぎます!
 ご主人様が、かわいいって、ほめてくれたから、一生懸命やったのに。
 ああ、損しちゃった。
 やるんじゃなかった。


 「ご主人様、いつものごほうびはないんですか?」
 「ごほうび?」
 「はい、おやつですよ。いつも遊んだ後は、おやつをくれるじゃありませんか」
 「相変わらず食い意地だけは、はっているんだな。そういうのを、なんて言うか知っているか?」
 「なんて言うんです?」
 「無芸大食っていうんだよ」
 そう言うと、クッキーを1つ、ポ~ンと投げて、部屋を出て行ってしまいました。


 無芸大食って、ほめられたんですかね?
 ま、なんでも、いいワン!
 今日も、おやつをゲットしたでやんす!
   


Posted by 小暮 淳 at 18:13Comments(2)マロの独白

2018年04月12日

不思議、大好き!


 3ヶ月に1度、ワクワクする時間を過ごします。
 群馬テレビの謎学バラエティー 『ぐんま!トリビア図鑑』 の企画・構成会議です。
 僕は、この番組のスーパーバイザーをしています。

 放送が始まったのは2015年4月ですから、今月から4年目に入りました。
 放送回数も、今週で121回を迎えました。

 えっ、ネタが尽きないのかって?
 これが、尽きないどころか、会議のたびに雨後の竹の子のごとく、ニョキニョキと出て来るのです。
 それも、「えー、本当!?」 「そんなことがあったの!?」 と、毎回、驚きの声が上がるほどです。


 今回も、出ました、出ました。 
 会議室に集まったのは、プロデューサー、ディレクター、構成作家ら計9人。
 僕もネタをたずさえて、末席に座らせていただきました。

 「戦後、突然、消えた村があるんだよ」
 「○○村の人たちは、ゴマを食べないんだって」 
 「なぜ、群馬県民が、もつ煮を食べるようになったか知ってる?」
 「群馬にも、座敷わらしが出る旅館が、あるらしいよ」

 そのたびに、「へー、知らなかった!」 「それはトリビアだ」 「すぐに番組にしょう」 と、間髪を入れず声が上がります。
 こうやって昨日は、7月~9月分の放送予定のテーマが決まりました。


 ちなみに来週4月17日の放送は、「『チロリン村』を覚えていますか?」 です。
 “チロリン村” といっても昔、NHKテレビで放送されていた人形劇ではありませんよ。
 昭和50年代に、群馬県内で活躍したフォークグループの 「チロリン村」 のことです。
 代表曲の 「急行赤城1号」 は、当時、僕もレコードを買いました。

 あの懐かしい 「チロリン村」 が、再結成!?

 群馬で青春を過ごした50代以上の人は、必見ですぞ!!!



   「ぐんま!トリビア図鑑」
 ●放送局  群馬テレビ (地デジ3ch)
 ●放送日  火曜日 21:00~21:15
 ●再放送  土曜日 10:30~10:45 月曜日 12:30~12:45
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(0)謎学の旅

2018年04月11日

おかげさまで80万アクセス


 1年前、「今年は80万を目標に頑張ります」 なんて、言っていたのにね。
 うっかりしていました。
 知らないうちに、超えていました。

 なんのことかといえば、このブログのアクセス数です。
 開設が2010年2月ですから、丸8年が経ちました。
 ということは年間、延べ約10万人の人が、このブログを見てくださっているということです。
 ありがたいことであります。

 あらためて読者の方々には、お礼を申し上げます。
 毎度、ご愛読いただき、ありがとうございます。


 僕にとって、この8年間は、怒涛のように過ぎ去った8年間でもありました。
 雑誌や新聞の連載に追われ、著書も温泉本をはじめ計11冊を上梓しました。

 プライベートでは、なんと、2人の孫のおじいちゃんにもなりました。


 では、僕自身、ブログを始めて一番変わったことは?

 それは、日記を書かなくなったということです。
 実は僕、中学1年生から、ずーーーっと日記を書いていたのです。
 約40年です。
 ノートの数も膨大な量になり、引っ越しのたびに、捨てられなくて難儀をしていました。
 自分でも辞められず、どうしたらよいか、困っていたのです。
 そんなとき、ブログ開設の話がありました。

 「日記だと思って書けばいいんですよ」

 当時のグンブロ担当者から言われた言葉が、二の足を踏んでいた僕の背中を押してくれました。
 「これで、もう日記を書かなくていいんだ」
 これが、ブログを始めた本音です。


 では日記とブログの違いは?

 人に読まれないことを前提に書いているか、読まれることを前提に書いているかです。
 僕自身が、ライターという仕事をしていますから、読まれることを前提に書く文章に慣れているので、日記よりもブログのほうが、書きやすいことに気づきました。


 次の目標は、90万アクセス!
 読者の皆さま、末永くお付き合いくださいませ。
    


Posted by 小暮 淳 at 11:15Comments(2)執筆余談

2018年04月09日

黄泉への誘い


 「おとうさん、施設に入れちゃいなよ」
 「……」
 「どうせ、分からないんだからさ」
 「俺たちにも、いろいろ事情があるんだよ」

 昨日、オヤジを車イスに乗せて、入院しているオフクロを訪ねました。
 僕の顔を見るなり、オフクロは、
 「だいぶ疲れているみたいだけど、大丈夫かい?」
 そう言って、冒頭の言葉を続けたのです。


 オフクロは現在、老衰が進み、在宅介護が不可能なため、リハビリ施設にお世話になっています。
 ほぼ寝たきりですが、頭はハッキリしているので、僕やアニキが訪ねて来るのを、とても楽しみにしています。

 一方、オヤジは要介護認定3の認知症です。
 デイサービスとショートステイを組み合わせて、在宅介護をしていますが、最近は体力が極端に衰えたため、車イスの生活をしています。

 平日は実家でアニキが面倒を看ていますが、週末は僕が自宅にオヤジを引き取っています。
 そして毎週日曜日は、オヤジを連れて、オフクロに会いに行きます。
 オフクロは喜んでくれますが、オヤジは無表情です。
 僕のことも分からないのですから、オフクロのことも分かりません。


 ポカンと宙を仰いでいるオヤジの手を握って、突然、ベッドの中のオフクロが言いました。
 「おとうさん、そろそろ私と一緒に、あの世に行きませんか?」
 「そんなことを言ったって、分かるわけないだろう! なんていうことを言うんだい!」
 「ジュン、おとうさんに聞こえるように、言ってくれないかい?」

 冗談とは思えない真剣な目で、僕に訴えてきました。
 しかたなく僕は、オヤジの耳元で、大声を出して訊いてみました。
 「ばーちゃんがさー、いっしょに、あのよに、いこうって!」

 このあと、オヤジは、なんて言ったと思いますか?


 「いや、オレはいい」
 ですって。

 それを聞いたオフクロの悲しそうな顔といったらありませんでした。
 「おとうさん、それじゃ、ダメなんですよ。ジュンたちに迷惑が、かかるんですから」
 そう言うと、目をつむってしまいました。


 この会話、息子としては、どうリアクションすればいいのでしょうか?
 笑うに笑えないし、でも、笑わないとオフクロが、かわいそうでなりません。

 「ま、そういうことだから、2人とも長生きしてくださいな。俺とアニキなら大丈夫だからさ」

 車イスを押しながら、病室を後にしました。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:47Comments(0)つれづれ

2018年04月07日

おかげ犬


 突然ですが、「おかげ犬」 って知っていますか?

 江戸時代、伊勢神宮への集団参拝 「お伊勢参り」 が大流行しました。
 庶民からは別名 「おかげまいり」 と呼ばれていました。
 最盛期には、日本人の6人に1人が参拝したほどの人気ぶりだったといいます。

 でも当然、貧困や病気、老いなどの理由から行きたくても行けなかった人たちが大勢いました。
 そんな人たちに代わって、飼い犬が 「お伊勢参り」 に出かけたといいます。
 これが「おかげ犬」(参宮犬) です。

 なんだか作り話のようですが、これが史実なのです。
 明和8(1771)年といいますから江戸中期のこと。
 一匹の白い犬が伊勢神宮に現れて、お札をもらって帰って行った話が残されています。
 犬には名札が付けられていたため、飼い主は京都の人であることも分かっています。

 この珍事が広まり、犬にお金を持たせて、お伊勢参りを頼む 「おかげ犬」 ブームが全国で起きました。


 この話、調べると、本当にたくさんの民話が全国に残っているんです。
 もちろん群馬県にもあります。

 で、僕は、昨日(4月6日)発行された高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』 に、「村人の代わりに伊勢参りをした犬」 というタイトルで、 県内に残る 「おかげ犬」 の話を書きました。

 でも、なぜ犬たちは全国から遠い伊勢(三重県) の地まで、行って帰って来れたのでしょうか?
 記事では、この謎を解き明かします。
 この不思議な話の裏側には、なんとも心温まる江戸庶民らの粋なはからいがあったのです。


 ご興味のある方は、ぜひ 『ちいきしんぶん』 の4月6日号をご覧ください。
 同紙のHPからも閲覧することができます。
 ●問い合わせ/ちいきしんぶん(ライフケア群栄) TEL.027-370-2262
   


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(2)執筆余談

2018年04月06日

機械は機械


 アメリカで、自動運転のクルマが、人身事故を起こしたというニュースがありました。
 この場合、責任はドライバーにあるのか、メーカーなのか?
 今後、議論されることでしょう。

 インターネットやスマホが普及したときもそうでした。
 人間が作ったものなのに、人知を超えたトラブルが起こると、そこで初めて人間はあわてるのです。
 こうなることは予想がついていたはずなのに、法の整備は、いつも後手にまわされます。


 これは勝手な意見ですが、機械ギライの僕にしてみれば、「ドライバーが悪いのに決まっているじゃないか」 と単純に考えてしまいます。
 だって、このドライバーは機械を過信して、スマホに夢中になっていて、前方を見ていなかったというじゃありませんか!
 これじゃ、話になりませんって。
 自動運転は、あくまでも保険であって、有視界走行するのが基本だと思うのです。

 ま、技術的な難しいことは分からないので、この話は、ここまでにします。


 で、このニュースを聞いたときに、僕は数年前の出来事を思い出しました。
 当時、僕は新聞に毎週、連載記事を書いていました。
 そして、ある日のこと。
 突然、前触れもなく、愛用していたパソコンが壊れたのであります。
 締め切りは、迫っています。
 なのに、原稿を書くことも、メールで送ることもできません。
 僕は、あわてて、新聞社に電話を入れました。
 すると担当者は、こう言ったのです。

 「では、手書き原稿でいいですから、ファックスで送ってください」

 「えっ、それで、いいんですか! ありがとうございます。すぐに送ります」
 そう応えると担当者は、さらに、こんなことを言いました。
 「もしファックスが壊れていたら、また連絡ください。原稿を取りに伺いますから」

 なんて素敵なトークなんでしょうか!
 編集者の鑑のような人であります。

 このとき僕は、一生この仕事を続けようと決意しました。


 そうなのです。
 パソコンなんて、所詮、道具(機械) に過ぎないのです。
 文章を考えるのは、人間なのです。

 パソコンがなければ、手で書く。
 ファックスがなければ、届ける(または取りに来てもらう)。

 どんなに世の中が進歩しても、その世の中を作っているのは人間なのですから……
   


Posted by 小暮 淳 at 13:51Comments(0)つれづれ

2018年04月04日

伊香保はどんな所です?


 <伊香保はどんな所です?>

 この言葉は、昨年5月に出版した拙著 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) の 「あとがき」 のタイトルです。
 本の帯コピーにもなりました。

 そもそも、これは郷土の詩人・萩原朔太郎の言葉です。
 大正8(1919)年 に発行された 『伊香保みやげ』 という随筆集に、こんな一文を寄せています。

 <私の郷里は前橋であるから、自然子供の時から、伊香保へは度々行つて居る。で 「伊香保はどんな所です」 といふやうな質問を皆から受けるが、どうもかうした質問に対してはつきりした答をすることはむづかしい。> (『石段上りの街』より)

 同じく前橋に生まれ育った僕にとっても、朔太郎同様、伊香保温泉は子どもの頃から慣れ親しんだ温泉なので、答えに窮するのであります。
 だから1年間、伊香保に通い、本を書き上げたのですが、それでもまだ答えには窮しています。
 それは伊香保温泉が、日々成長し、進化している温泉地だからです。


 昨日、久しぶりに伊香保温泉を訪ねて来ました。
 雑誌の取材のためです。
 客が来る前にということで、早朝より 「伊香保露天風呂」 と 「石段の湯」 を訪ね、撮影を済ませました。
 その後、渋川伊香保温泉観光協会にて、協会長の大森隆博さんと面談。
 インタビュー取材をしてきました。

 なんといっても話題は、今月、伊香保に開山する寺院です。
 ご存知でしたか?
 水沢観音から温泉街へ抜ける県道の途中に、大きなお寺が建設中であることを。

 正式名を 「臨済宗佛光山法水寺」 といいます。
 総本山は台湾の 「佛光山寺」 で、法水寺は日本の本山として設立されました。
 佛光山は、東京や山梨、大阪など日本各地に複数の寺院や道場があり、信者の数は500万人以上いるといわれています。


 「伊香保はインバウンド(外国人観光客) では、かなり後発の温泉地です。年間訪れる観光客約100万人のうち、外国人はわずか1%に過ぎません。町は、今後の対応に追われています」
 と、会長は話していました。

 言葉の問題、食事の問題、マナーの問題……
 各旅館の経営者を集めて、迎える準備のための勉強会を開いているといいます。


 伊香保はどんな所です?

 朔太郎が見ていた伊香保温泉とは、だいぶ様変わりするかもしれませんね。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)温泉地・旅館

2018年04月02日

シロバナタンポポとモンキチョウ


 何日か前、新聞に <環境の変化でしょうか。今年はシロバナタンポポを見かけません。> という読者の投稿文が載っていました。
 えっ、本当かな?

 ここに越してきた25年前に比べれば、我が家のまわりにはスーパーやコンビニ、住宅も増え、だいぶ風景が変わりましたが、それでもまだ田んぼや畑や野原が広がっています。
 クルマ嫌いの僕は、ヒマさえあれば自転車に乗って、ご近所を回っているので、どこにどんな花が咲くのか熟知しています。

 我が家の西、川を渡った先に、田んぼが広がっています。
 その一角、道の端の土手一面が真っ白になるシロバナタンポポの群生地があります。

 そういえば、今年はまだ、あのあぜ道を通ってなかったな……

 さっさく自転車に飛び乗って、ひとっ走り行ってきました。


 あった! 今年も咲いているじゃないか!!
 でも待てよ、なんかいつもと雰囲気が違うぞ!

 そう、一面の白ではないのです。
 ところどころ、黄色が混ざっています。
 セイヨウタンポポです。

 ヨーロッパ原産の多年草。
 明治時代に北海道で野菜として栽培されていたものが逃げ出したといわれています。
 どこにでも、ふつうに見られる外来種のタンポポです。

 一方、シロバナタンポポは、西日本で多く見られるタンポポです。
 名前のとおり、花が白いのが特徴。
 他のタンポポに比べると、ちょっと弱々しい感じがするところが、僕は好きです。
 最近は、関東地方でも見られるようになりました。


 道端に自転車を止めて、しばらく眺めていると、若いお母さんに連れられた小さな女の子がやって来ました。
 手には、大きな網を持っています。

 「なにをとっているの?」
 「チョウチョ!」
 「へー、チョウチョがいるの。つかまえたの?」
 「うん!」
 「おじさんにも、みせてくれる?」
 ※(ま、その子の歳を考えると僕は、“おじさん” ではなく、完全に “おじいさん” なのですが、そのへんは臨機応変ということで…)

 カゴの中をのぞき込むと、黄色い羽のチョウチョがいました。

 「モンキチョウだね」
 「……」
 「これはモンキチョウっていうだよ。黄色いでしょ」
 「……」
 「白いのは、モンシロチョウっていうんだよ」
 「……」

 かたわらで、ツバの広い日よけの帽子をかぶったお母さんが微笑んでいました。

 「バイバーイ!」
 ふたたび僕が自転車を漕ぎ出すと、
 「バイバーイ、またねー!」
 女の子の声が、追いかけてきました。


 田んぼのあぜには、青いオオイヌノフグリや紅紫色のホトケノザが、じゅうたんを敷きつめたように咲き誇っています。
 川の土手では、黄色い菜の花が風に揺れています。
 水面を桜の花びらが流れて行きます。

 春爛漫です。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:58Comments(0)つれづれ

2018年04月01日

兄弟問答


 「人間は生きたように死んでいくんだ」
 「なんだい、それ?」
 「たぶん、有名な哲学者の言葉だったと思う」


 僕とアニキの介護生活も、ほぼ10年になります。
 オヤジは今年9月で94歳になります。
 オフクロは今年5月で91歳になります。
 オヤジは認知症を患っていて、オフクロは寝たきりの生活を送っています。

 アニキも僕も実家を出て所帯を持ったため、10年前までは両親だけで暮らしていました。
 現在は、ウィークデイはアニキが東京から来て、週末は僕が両親の介護をしています。
 そんな生活も、いよいよ正念場を迎えています。


 「やっぱり、2人は無理だな」
 アニキから今後のことで相談があるからと、呼び出されました。
 「オフクロは仕方ないとしても、オヤジは在宅で面倒を看るしかない」

 今年になってオフクロの老衰が悪化し、通常の食事ができなくなったために入院をさせました。
 現在、だいぶ容態は回復してきましたが、まだ在宅の許可は出ていません。
 先月、オヤジも食事を摂らなくなってしまったため、一旦は入院しましたが、すでに回復して実家にもどっています。

 「オヤジもオフクロも国民年金だからな。2人をいっぺんに施設に入れる余裕はないよ」
 「分かった。オヤジだけでも2人で看よう」
 「すまないが、協力してくれ」
 「ここに来て、人生のツケが回って来たっていうことか」


 僕は、なぜかこの時、童話の 「アリとキリギリス」 の話を思い出していたのです。
 オヤジは、若い頃から根っからの自由人でした。
 組織には属さず、唯我独尊で、思うがままに生きてきた人です。

 そんなオヤジに育てられたアニキも僕も、“カエルの子はカエル”。
 迷うことなく、フリーランスの道を選んで生きてきました。
 でも、老後のことまでは考えていなかった……

 それで、つい僕は、“ツケが回って来た” なんて言ってしまったのです。


 「オレは、そうは思わないよ」
 アニキは振り返ると、ちょっぴり険しい顔になり、僕に、こう問いかけました。
 「じゃあ、ジュンよ。今、あの灼熱のインドを歩けるか?」

 なんのことを言っているのかといえば、25年前に兄弟で、バックパッカーの旅をしたときのことを言っているのです。
 その前後もアニキはアメリカ大陸や東南アジアへ、僕は中国とベトナムを旅しました。
 もちろん2人とも、結婚はしていたし、子供もいました。
 それでも自由に世界を旅することができたのは、互いにフリーランスという生き方を選んだからにほかなりません。


 「だね。この歳になったら、無理だよ。体力的に不可能だ。気力もないかもしれない」
 「だろう。だから “金と時間” ができるのを待っていたら、できないことが人生には、たくさんあるんだ」
 「でも、オヤジは、それをしてきた」
 「そうさ、だから、ちっともツケなんて回ってきてはいないんだよ」


 人間は生きてきたように死んでいく

 オヤジは、僕らに生きざまを見せてくれたように、今、死にざまを見せようとしているのかもしれませんね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(0)つれづれ