2023年03月10日
湯道から酒道へ
昨日の続きです。
映画 『湯道』 を観た僕は、脚本家の小山薫堂氏が提唱する “入浴” の精神と様式を突き詰めることで完成する 「湯道」 の所作を入浴施設にて、さっそく実践することにしました。
一、合掌
すべては感謝の気持ちから始まります。
二、潤し水
入浴前の水分補給は大切です。
三、衣隠し
脱いだ衣服には、生きる姿勢が現れます。丁寧にたたみました。
四、湯合わせ
いわゆる 「かけ湯」 ですが、見かけだけのかけ湯は厳禁です。しっかりと体を洗い流し、「湯を汚さない」 ことを心得ます。
五、入浴
ゆっくりと右足から浴槽に入ります。もちろん、手ぬぐいは頭の上に置きます。
六、縁留 (ふちどめ)
湯に体を沈め、おしりをつき、ゆっくりと体を後ろに倒し、縁の頂点でピタリと止めます。
七、湯三昧 (ゆざんまい)
湯に投入すれば、自ずと心の垢(あか)が剥がれ、汚れのない穏やかな気持ちになります。その到達地点を 「洗心無垢」 と呼びます。
八、垢離 (こり)
汗がじんわりと出てきたら、一度湯から上がり、水をかぶります。これを繰り返すことで、自律神経が整い、全身の血行が促進されます。「垢離」 とは神仏に祈願する際、水を浴びて心身を清め、一切の雑念を払って精神の集中をはかる 「水ごり」 のこと。
九、近慮 (きんりょ)
入浴を終えたら、椅子を正位置に戻し、使用した湯桶をきれいに洗い、逆さまにして残った水を切ります。「近慮」 とは、次に入浴する人が不快にならないよう慮(おもんばか)る行為のこと。
十、風酔い
湯の余韻に身を任せ、かすかな風の揺らぎにも幸せを感じます。「風酔い」 とは、湯上りに覚醒すること。
十一、合掌
感謝に始まり、感謝に終わります。
無事、整いました!
時計を見れば、まだ午後の3時半です。
「湯道」 が整えば、次は、我が吞兵衛家が提唱する 「酒道」 の所作が待っています。
心地よく春風を肩で切りながら、家元のいる酒処 「H」 の暖簾をくぐりました。
一、合掌
すべては感謝の心から始まります。
二、潤し酒
「とりあえずビール」 と言って呑む湯上りのビールは、至福の一杯となります。
三、酒合わせ
「湯道」 のかけ湯と同じ。いきなり日本酒に行くのではなく、ビールや焼酎を2、3杯呑んで体を慣らします。
四、呑酒 (どんしゅ)
いよいよメインの酒に口を付けます。僕の場合は、冷の地酒を切子細工のグラスでいただきます。
五、酒三昧 (さけざんまい)
作法はありません。好きな酒を好きなだけ呑み続けます。
六、ほど酔い
いくら酒が好きでも、酒に吞まれてはいけません。程よい酔い方 「ほど酔い」 にて、店を切り上げます。
七、合掌
「湯道」 と同じく、感謝に始まり、感謝に終わります。ママの美味しい手料理と、気の置けない常連客にも手を合わせて感謝!
以上、一日にして、2つの道が整いました。
2023年02月15日
「おまかせ」 という美味
毎度おなじみの酒処 「H」。
僕は、かれこれ15年も通っています。
良いことがあった日、嫌なことがあった日、ただ暇な日、無性に酒が呑みたい日、疲れた日、頑張った自分にご褒美をあげたい日……
理由なんて、なんでもいいんです。
気が付くと、僕は 「H」 の暖簾をくぐっています。
ふと、なんで僕は 「H」 へ行くのだろう?
と考えてしまいました。
自分なりに解析してみると、3つの魅力が浮かびます。
1つは、なんといっても自称38歳(?)のママの人柄です。
気さくで、聞き上手で、知的で、とってもキュートな女性です。
話題も豊富で、何時間でも二人っきりで話し込んでしまいます。
2つ目は、そんなママのファンたちでしょうね。
いわゆる常連客です。
老若男女、職業を問わず、気の置けない連中が集まってきます。
過去には、“出入禁止” になった客もいたと聞きますが、僕が知る限り、みなさん、きれいな酒の呑み方をされる紳士淑女ばかりです。
そして3つ目が、ママの手料理!
和洋中、なんでも御座れ!
時には、リクエストにも応えてくれます。
「レバニラ炒めが食べたい」
と言えば、ちゃんと次に行った時に、、
「はい、ジュンちゃんの青春の思い出の味ね」
と言って、陳健一顔負けの絶品料理が出てきます。
常連客たちは、完全に胃袋をつかまれています。
ただし、この店、メニューがありません。
店内には、どこを探しても 「お品書き」 は見当たりません。
ここが、イチゲン客には一番、暖簾をくぐりづらい理由かもしれませんね。
いわゆる “おまかせ方式” なのであります。
料金は一律、時間制限なし、ドリンク自由、カラオケ無料……
今どき、こんな店ってあるの?
というくらい昭和チックな店なのです。
過日、台湾国籍で韓国在住という男性と同席しました。
しきりに彼は、
「オマカセ」 「オマカセ」
と、うれしそうに連呼していました。
「“おまかせ” って、何のこと言ってるの?」
「ココノ料理デス」
「珍しいの?」
「ハイ、韓国ニハ、アリマセン」
「素晴らしいシステムだ」 とも言っていました。
おりしも昨晩は、僕がリポーターを務めるテレビ番組の放送日でした。
カウンターのみの8席は、満員御礼!
「おおー、小暮さんだ~!」
「出演者と一緒に呑めるなんて、光栄だな~!」
テレビ画面を見ながら、全員で盛り上がりました。
良き店で、良き仲間と、良き酒を呑む。
なんて幸せなんでしょうね。
のん兵衛たちに、感謝!
2022年12月29日
納H ~あなたは誰ですか?~
♪ どこの誰かは 知らないけれど
誰もがみんな 知っている
Hに集まる常連は みんなの味方よ よい人よ
開店早々現れて 閉店過ぎても帰らない
Hの常連は 誰でしょう?
本当の名前は 何でしょう? ♪
(『月光仮面は誰でしょう』 の替え歌)
かずちゃん、ゆうくん、いのっち、よっちゃん、いぐっちゃん、せっちゃん、あっちゃん、みみ、ひろぼう、むく、りっちゃん、ちこ、たかし、ゆうこちゃん、いけちゃん、かずおちゃん、れいこひめ、すみれちゃん……
パッと顔が思い浮かぶ人たちを書き出してみました。
みんな、酒処 「H」 に集まるゆかいな仲間たちです。
でも、みんなで、そう呼び合っていても、ほとんどの人が互いに、それ以上の名前を知りません。
ママが、そう呼んでいるから客同士も顔を合わせると、そう呼んでいるだけなのです。
呑み屋とは、そういうものかもしれませんね。
ちなみに僕は、「じゅんちゃん」 と呼ばれています (そのままです)。
中には、名前ですら呼ばれない人たちもいます。
おひげ、テポドン、座頭市、芳賀団地なんて、完全にあだ名です。
「おひげ」 さんは、ヒゲが生えているからだと思います。
「テポドン」 さんは、カラオケを歌わせると、客が耳をふさぐほどの超音痴なので、ミサイルの名が付きました。
「座頭市」 さんの由来は、よく知らないのですが、どうも勝新太郎のモノマネが上手なようです。
笑っちゃうのが、「芳賀団地」 さんです。
ただ単に、住んでいる団地名ですからね。
これ、みーんな、ママが付けた名前なんです。
で、誰一人、その人の本名を知りません。
名前だけではなく、職業すら知らない人もいます。
思えば、最大のミステリーは、「H」 のママの本名です。
みんな、「Hちゃん」 とか 「Hねえさん」 とか呼んでいますが、誰一人、ママの本名を知る人はいません。
なんだかんだ、そんなこったで 「H」 は、この地で20年も商いを続けています。
定員は、カウンターのみの8席。
だもの、太陽が沈む前に行かなくっちゃ、すぐ満席です。
時には席に座れず、客の後ろで立ち呑みをする強者だっています。
それでも和気あいあいで、いつだって大家族のようなにぎわいです。
そんな 「H」 の年内最後の営業が終わりました。
ママから、こんなメールが届きました。
<今年もあと僅かになりましたね。お正月の気配が年々感じられなくなりました。でも来年も懲りずに笑顔でお仕事しますね。本年も大変お世話になりました。>
こちらこそ、楽しい時間を、たくさんたくさん、ありがとうございました。
ママの手料理とゆかいな仲間たちがいれば、どんな世の中だって乗り切れます。
Hねえちゃん、そして名前を知らない常連客のみなさん、今年も大変お世話になりました。
来年も、大いに吞みましょう!
では、酔いお年を!
2022年12月25日
ブラボー! ~文人かくありき~
腹から語り、腹から笑い、心底酔いしれた夜でした。
つくづく、酒は吞む相手によって、味が変わることを思い知らされた夜でした。
先日、早朝より東京方面より先輩作家が来県。
ともに県内某所を視察、取材して、最寄りの駅まで送り届けた時のことでした。
いつもなら、ここで、あいさつをして、改札口で見送るのですが、この日に限って先輩は違いました。
「中途半端な時間ですね」
時計を見れば、午後3時を少し回ったところです。
先輩の言葉に、のん兵衛の勘は、すぐに反応しました。
「軽く一杯、いかがですか?」
先輩も、その言葉を待っていたようで、そのまま2人はきびすを返し、駅舎を出ました。
でも、時間が早すぎます。
駅前の居酒屋へ行っても、「4時からです」 と門前払い。
「では僕の行きつけの店を訊いてみましょうか?」
と電話を入れてみるも、こんな時に限ってママは出ません。
「あそこの店、やってるんじゃない?」
と先輩が指さす先には、真昼間からネオンがチラチラ光り輝いています。
行ってみると案の定、オープンしていました。
「お疲れ様です」
「乾杯!」
「こうやって2人だけで呑むのは、初めてですよね?」
「だね」
「ありがとうございます。とても光栄です」
僕と先輩は、かれこれ7年の付き合いになります。
テレビ番組の制作を縁に知り合いました。
先輩は、いわゆる “放送作家” なのであります。
昔で言えば “ペン一本” で生きてきた、正真正銘の文人であります。
文章だけで生きていくことが、どんなに大変なことかは、僕が身に染みて知っています。
そんな先輩の 「なぜ作家になったか?」 に興味津々の僕は、矢継ぎ早に質問攻めとなりました。
失敗のエピソードや独立してからのこと。
バブル期の今では考えられない待遇など。
もう、腹を抱えて笑ったり、考えさせられたり。
楽しすぎて、「このまま時が止まってくれたらいいのに」 と、恋心に似た思いを抱くほどでした。
気が付けば、生ビールのジョッキが1杯、2杯……
日本酒のコップが1杯、2杯……
「こんなんじゃ、らちがあきませんね。ボトルを入れましょう!」
と、のん兵衛とのん兵衛の先輩は、何十年来の同志のように、ヒートアップしていったのでした。
「結局さ、人生は何をしたかではなく、どう生きたかなんだよね」
先輩の言葉は、昔、オヤジが僕に教えてくれた人生訓と、まったく同じものでした。
「何かをしたい、何かを残したいという作品主義の人は、プロにしろアマチュアにしろ大勢いるけど、“生きる” っていうことは別で、全然違うよね」
ズズズシーン! と心の底に響きました。
やっぱ、“ペン一本” で生きてきた人の言葉は、重いですね。
4時間にわたる永い永い熱弁合戦を終え、すがすがしい気分で駅へと向かいました。
北風に落ち葉が舞う歩道で、僕は立ち止まり、改めてお礼をいいました。
「今日は、本当に貴重な話をありがとうございました。先輩!」
すると、先輩は言いました。
「先輩はやめてくれ、“さん” でいいよ。いや、呼び捨てでいい! よっぽど小暮さんのほうが作品を世に残しているんだから」
「何をしたかではなく、どう生きたかですよね?」
「だったな!」
そういうと先輩は、ひと言 「ブラボー!」 と叫び、人ごみの中で僕を強く抱きしめてくれました。
「文筆を生業にする者は、こうあれ」
というメッセージに満ちあふれた、温かくて心にしみる 「ブラボー!」 でした。
2022年12月14日
納会 ~弟子という名の懲りない面々~
エゴサーチっていうんですか?
時々僕も、暇と好奇心にまかせて、検索してみることがあります。
そしたら、こんなフレーズが出てきました。
“小暮淳の孫弟子”
孫弟子っていうことは、弟子の弟子ということですよね?
僕の弟子を名乗る人は何人かいますが、“孫弟子” とは初耳です。
やがて、ひ孫弟子も現れるのでしょうか?
ま、SNS上のことですから深くは詮索しませんが、本人の知らないところで “弟子の輪” が広がっているということは悪い気はしないので、実害がない限り、お目こぼしといたしましょう。
さて、僕は一介のライターですから徒弟制度なんて、持っていません。
それでも長年、温泉関係の本を書いたり、講演やセミナーを続けていると、稀に “弟子” を名乗る人たちがいます。
もちろん、制度がない以上、名乗るのも語るのも自由です。
それでも人数が集まって来ると、なんらかの関わりを待たざるを得なくなってきます。
それが、「弟子の会」 です。
平成28(2016)年11月の結成ですから、丸6年になります。
ひと言でいえば、ただの呑み会なのであります。
勝手に僕のことを 「先生」 だとか 「師匠」 だとか呼んで、僕を神輿の上に担ぎ上げて振り回し、2ヵ月に1回集まって、美酒に酔おうという、実に不埒でありながら理にかなった仲良しグループなのです。
メンバーは男性2名、女性2名と僕。
全員に共通していることは、僕の読者であるということ。
または、教室やセミナーの生徒さんであります。
そんな懲りない面々が昨晩、今年最後の宴に集まりました。
「最近、先生の弟子を名乗る人が増えていませんか?」
「先生自身が、ブログにも書いてますよね?」
「弟子と呼べるのは、この “弟子の会” だけですよね?」
矢継ぎ早に攻めよられ、僕は、たじたじであります。
まあ、楽しい酒の席ですから話の内容は、ジョークであります。
呑んで、笑って、騒いでいれば、いつものようにお開きとなるのですが昨晩は、さにあらん。
案件の決着を付ける羽目になりました。
「まあ、制度がないので、誰でも名乗るのは自由なんだけどさ……。しいて決めるならば、この弟子の会は公認ということで、いかがでしょうか?」
ということで、“オフィシャル弟子の会” の称号を与えることにあいなりました。
これにて一件落着。
めでたし、めでたし。
自称、他称を問わず、数少ない弟子のみなさん、今年も一年間、大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。
良いお年を!
2022年11月09日
牧水気分で浮かれ酒
<其処へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入って来た。一人はK―君という人で、今日我らの通って来た塩原多助の生まれた村の人であった。一人は沼田の人で、阿米利加(アメリカ)に五年行っていたという画家であった。画家を訪ねて沼田へ行ったK―君は、其処の本屋で私が今日この法師へ登ったという事を聞き、画家を誘って、あとを追って来たのだそうだ。そして懐中から私の最近に著した歌集 『くろ土』 を取り出してその口絵の肖像と私とを見比べながら、「やはり本物に違いはありませんねエ。」 と言って驚くほど大きな声で笑った。>
(若山牧水・著 『みなかみ紀行』 より)
先日、四万温泉に泊まった晩のこと。
県内外から温泉好きが集まり、酒を酌み交わし、宴たけなわとなった頃、宿に中年の男女が訪ねて来ました。
2人は夫婦で、なんでも、僕がこの宿に泊まっていることを知り、やって来たのだといいます。
手には、僕の著書が握られていました。
見れば、新品であります。
はて、なぜに新品なのだろうか?
僕の読者ならば、読み込んで、手垢にまみれているはずです。
「それ、どうされました?」
「ええ、先生が四万温泉に来られると聞き、会いたくて……」
「いえ、その本です。新しいですよね?」
「ああ……、今、宿で買ってきました。サインをお願いします」
たぶん、こういうことなのでしょうね。
この日、僕と泊まっている温泉ファンの誰かが、SNSか何かで、つぶやいた。
すると偶然、同じ四万温泉の別の宿に泊まっていた温泉ファンの夫婦が、僕がこの宿に泊まっていることを知った。
会って、サインをもらおうと思ったが、あいにく本は持って来ていない。
ところが運よく、夫婦が泊まっている宿に僕の本が売っていた。
取り急ぎ購入して、僕が泊っている宿を訪ねて来たということのようです。
もちろん、こころよくサインをいたしました。
ついでに、「よろしかったら一緒に、一杯やりませんか?」 と宴の席に誘いました。
「まるで牧水のようですね」
誰かが言いました。
「本当だ、悪い気はしないね。冥利に尽きる」
と僕は、牧水気分で美酒に酔いしれたのであります。
たかが温泉、されど温泉。
旅と湯と酒を愛した牧水に、乾杯!
2022年09月23日
堀江さんの職業
「今日は、酔っ払っちゃったな」
と言えば、
「うちはね、酔わない酒なんて出してないんだよ」
と返される。
「ああ、そうでした」
そして、常連客らの笑い声。
いつものたまり場、酒処 「H」 は、今宵も和気あいあいの雰囲気に包まれています。
では、なぜ、僕たちは酔うのでしょうか?
演歌の世界ならば、“忘れてしまいたいこと” があるから?
いい事があった日は、“喜び” を分かち合いたいから?
はたまた、今日も一日頑張った自分へのご褒美でしょうか?
僕が酒処 「H」 で酔う理由は、ここに “人生のヒント” が、たくさん転がっているからなんですね。
たとえば、先日のこんなワンシーン。
話題は、83歳 (当時) でヨットによる世界最高齢単独無寄港太平洋横断に成功した堀江謙一さんの偉業で盛り上がっていました。
その時、常連客の一人が言ったひと言が、眠れない夜を連れてきました。
「堀江さんて、冒険家なの? 探検家なの?」
たぶん、スマホで検索すれば、一発で答えは出で来るのでしょうが、そこは昭和をこよなく愛するアナログ人間の集まりです。
テストでカンニングをして、答えだけ写して提出するような姑息な手段は、誰もが望んでいません。
まずは、お得意のディスカッションから始まります。
「“冒険” と “探検” って、どこが違うの?」
「そもそも漢字が違うよね」
「えっ、違う漢字なの?」
そんなところから、侃侃諤諤(かんかんがくがく)と意見交換が続きます。
結果、酔っ払っていることもあり、その日は宿題として持ち帰ることになりました。
そして昨晩、その答え合わせとなりました。
もちろん、発表するのは僕の役割です。
【冒険】
危険を冒すこと。成功のたしかでないことをあえてすること。(広辞苑)
「冒険」 の 「険」 は、「危険」 の 「険」 です。
“けわしい” という意味があります。
【探検】
未知のものなどを実地にさぐりしらべること。(広辞苑)
ですから、検査や点検などの 「検」 の字が当てられているのですね。
「検」 は、調べるの意味。
それに、「探」 の字が付くわけですから、“探り調べる” ことになります。
ただし、辞書には、こんな一文が添えられています。
<また、危険を冒して実地を探ること。>
この場合のみ、「探険」 と表記してもよいようです。
では、堀江謙一さんの偉業は、「冒険」 なのでしょうか? 「探検」 それとも 「探険」?
意味からすれば、「冒険」 ということになります。
そして、堀江謙一さんのプロフィールにも、ちゃんと 職業欄に 「海洋冒険家」 とありました。
「いゃ~、ジュンちゃん、ありがとう。これで、すっきりしたよ!」
常連客らに感謝され、昨晩も美酒に酔いしれることができました。
常連客のみなさんへ
「H」 の酒は、同じ酒でも話題により酔いのスピードが増しますから、深酒にご注意ください。
2022年08月03日
赤兎馬まみれ
【塗(まみ)れ】
〖接尾〗名詞に付いて、全体にそのものがついている様を表す。まぶれ。「血─」 「泥─」
(広辞苑より)
この場合、「三昧(ざんまい)」 のほうが正しいのかもしれませんが、昨晩の僕は、確かに “まみれて” いたのです。
2ヶ月に1回、行われている 「弟子の会」。
「弟子の会」 とは、勝手に僕のことを “先生” とか “師匠” と呼ぶ人たちが集まって酒を酌み交わす、ただの呑み会です。
昨晩、県内外から4人の “弟子たち” が、いつもの居酒屋に集まりました。
《先生 おたんじょうび おめでとうございます》
丸い大きなケーキには、そう書かれています。
しかも、モンブランケーキです。
僕がモンブラン好きなことを、弟子たちはちゃんと知っていたのですね。
それにしても大きなケーキです。
こんな大きなモンブランケーキを見るのは、初めてです。
来週、僕は64回目の誕生日を迎えます。
ひと足早く、弟子たちが祝ってくれました。
「先生、隣の包みを開けてください」
「我々からのプレゼントです」
そう言えば、なにやら大きな包みが、僕の席の横に置いてあるのが気になっていました。
その形状から、なんとなく察することができます。
このサイズ、この重量感は、酒に間違いありません。
さてさて、どんな銘酒が飛び出すのでしょうか?
包装紙を開けてビックリ!
日本酒かと思いきや、中から現れたのは 「赤兎馬(せきとば)」 ではありませんか!
赤兎馬とは、鹿児島県の芋焼酎です。
日本酒好きの僕が、唯一ハマった焼酎ということで、たびたび、このブログでも、その “赤兎馬愛” について語ってきました。
が、僕が過去に呑んだことのある赤兎馬は、すべてボトルです。
かつて、“幻の芋焼酎” とまで呼ばれた赤兎馬です。
九州から東では、なかなか手に入らなかった酒であります。
それが最近では、コンビニでも入手可能な酒になりました。
ががが、がっーー!!!
一升瓶とは、驚きました。
群馬では、かなり入手困難だと思われます。
それを弟子たちは、僕のために探し当ててきたのですね。
涙、なみだ、ナミダ……
「これは重い! 持って帰るのが大変ですから、みなさんで軽くしてください」
と、弟子たちのみならず、同席した他の客人たちにも振舞いました。
「初めて飲みました」
「甘い香りなのに、辛口なんですね」
「口から鼻に抜ける芳醇な味わいがクセになります」
賛美の声に、酔える酔える盃が進む。
1杯が2杯、3、456……
「赤兎馬」 とは、三国志に登場する1日で千里を走るという名馬の名前です。
酔うほどに、まみれるほどに、宙を舞います。
そして、いつしか千里の道を走り出していました。
持つべきものは、弟子ですね。
ありがとうございます。
師匠は、幸せ者であります。
感謝!
2022年07月02日
ANAK
♪ お前が生まれた時 父さん母さんたちは
どんなに喜んだことだろう
私たちだけを 頼りにしている
寝顔のいじらしさ
ひと晩中 母さんはミルクを温めたものさ
昼間は父さんが あきもせず あやした ♪
(杉田二郎 『ANAK (息子) 』 より)
僕には3人の子どもがいます。
今は全員、家を出て暮らしています。
内訳は上から女、男、女。
真ん中の長男だけが男の子です。
そして唯一、同じ市内に住んでいます。
とは言っても、互いが顔を合わせるのは年に数回のこと。
盆暮れ正月と法事ぐらいでしょうか。
それでも僕は時々、息子にメールを送ります。
<元気にやってるか?>
<たまには顔を出せ>
返事は、決まって <元気> <あいよ> といった素っ気ない言葉だけです。
それでも親子なんて、なんとなく、つながっていればいいと思っていました。
先日、そんな彼が、ふらりと実家に顔を出しました。
「お父さん、いるの?」
階下から息子の声がします。
「いるよ」
と返事をすると、2階の僕の仕事部屋まで上がって来て、こう言いました。
「今度、呑みに行こうか?」
驚きました!
あまりに驚き過ぎて、言葉が返せません。
彼が生まれてから30年、僕から彼を誘ったことは多々ありますが、彼から 「どこかへ行こう」 なんて誘われたことは、ただの1度もありません。
しかも、酒だ!?
僕が知る限り、彼は酒を呑みません。
その彼が、一緒に酒を呑もうと言うのです。
やっと継げた二の句は、「ああ、いつでもいいよ」 でした。
「分かった、また連絡する」
そう言い残して、彼は階段を下りて行きました。
今週、その “Xデー” は来ました。
夕刻、彼が車で迎えに来てくれました。
向かったのは、僕の行きつけの居酒屋です。
車の中では、彼の仕事の話が中心です。
彼の職業は、カーディーラーの営業マン。
連日帰りが遅く、休みも平日だといいます。
そんな貴重な休みの日を、のんべんだらりと生きている呑兵衛のオヤジのために使ってくれていることに、ただただ感謝です。
「でも、お前、呑めないだろ?」
「いや、少しは呑めるようになったんだよ」
「少しって?」
「サワー、1杯か2杯」
「ははは、そりゃ、呑めるうちに入らんな」
とかなんとか親子の会話は途切れずに、店までたどり着きました。
「あら、ジュンちゃんの息子さん? いい男じゃな~い!」
とママの洗礼を受けて、まずは親子で乾杯。
とにもかくにも、親子で、しかも居酒屋で、しかも2人きりで肩を並べて酒を呑むなんて、人生初の出来事であります。
否が応でも、ピッチが上がります。
駆けつけ3杯の生ビールを呑み干し、日本酒の冷やをグラスであおりました。
「バカに日に焼けてるな?」
まじまじと彼の顔を見て、僕が言いました。
このひと言が、この日の酒を極上の美酒に変えてくれました。
「ああ、農業を始めたんだ。今日も朝から畑で畝(うね)を作ってきた」
えっ、えええ?
コイツ、何を言ってるんだ?
何が農業だよ?
お前、サラリーマンだろ?
聞けば、脱サラをして農業を始めた友人を今年から、休みの日ごとに手伝っているのだといいます。
「へー、お前がな……」
「今度、俺が作った野菜を食べさせてやるよ」
それから何時間も彼の農業デビューの話を聞きました。
思えば、数年前。
彼が僕に、こんなことを言ったことがありました。
「お父さんは、仕事が楽しそうだね」
「お前は、楽しくないのか?」
と訊くと、彼はポツリと言いました。
「だって、数字がすべてだもの」
今は、土をいじるのが楽しいと言います。
なんでも、いいんだよ。
夢中になれることがあれば。
人生は、長いんだ。
あわてることも、あせることもない。
今やりたいことが、今やるべきことなんだ。
「そうか、お前が作った野菜で酒を呑む日を楽しみにしているよ」
ほんの少しだけ、親子が親子以上に近づいた夜でした。
息子よ、ごちそうさま!
2022年06月28日
老翁A
♪ じれったい じれったい
何歳(いくつ)に見えても アンタ誰でも
じれったい じれったい
ジジイはジジイだ 関係ねぇぜ
特別じゃない どこにもいるぜ
ア・ン・タ 老爺A
(中森明菜 「少女A」 のパクリ)
行きつけの居酒屋で、最近、顔を合わせる爺さんがいます。
僕から見て “爺さん” なのですから、見た目、70代後半から80代前半です。
この爺さん、何度かカウンター席で隣同士になったことがあり、少しだけ素性が分かってきました。
・一人暮らし
・生涯独身
・資産家
まあ、どこにもいるような爺さんなのですが、一つだけ他の客から煙たがれていることがあります。
それは、やたらと他人に年齢を訊くのです。
過去には僕も訊かれましたが、そのトークが毎回、同じなんです。
先日も初めて来店した年配の男性客に対して、
「お見受けのところ、私とご同輩のようですが、おいくつですか?」
と、ぶしつけに声をかけました。
一瞬、ムッとする男性。
そして、こう切り返しました。
「まあまあ、いくつでもいいじゃありませんか。こういう場では、年齢は関係ありませんよ。楽しく呑みましょう」
少し離れた席で吞んでいた僕は、「また始まったぞ」 と次の展開を予想していました。
この爺さん、他人に年齢を訊くのは、落語でいえば “まくら” のようなものなんです。
本題は、この後の自慢話にあります。
「では、私はいくつに見えますか?」
おいおい爺さん、女性じゃないんだから、いきなり年齢当てクイズかよ!
どう見ても70代後半~80代前半に見えますって。
当然、男性は、
「私と同世代でしょ?」
と答えます。
すると爺さん、
「ということは、あなたはおいくつですか?」
「76ですけど」
と、まんまと相手の歳を聞き出してしまうのです。
(これが、いつもの手口です)
さて、ここから爺さんの十八番が始まります。
「私はね、78歳なんですよ」
(見た目、そのままです)
「見えないって、言われるんですよ」
(だから、見た目そのままだって)
「いくつに見えます?」
(78歳だよ)
「65歳だって言われるんですよ」
(絶対に見えません)
男性客は、すでに背中を向けていました。
これ、いつものパターンなんですね。
面倒くさい爺さんなんですけど、この会話が、ちょっとクセになっています。
新しい客が爺さんの隣に座ると、「早く訊かないかな」 「あ、訊いた!」 「次は自慢話だぞ」 「出た~!」 って、カウンターの隅で、ほくそ笑んでいる自分がいます。
ママいわく、
「あの人、さみしいんだよ」
居酒屋は、まさに人間交差点 (ヒューマン・スクランブル) であります。
2022年06月21日
高嶺の酒
さすがにメチルアルコールには手を出しませんでしたが、若い頃は酔えれば何でも浴びていました。
20代前半。
よっぽどの祝い事でもなければ、店に出かけて呑むなんてことはしませんでした。
みんな貧乏学生でしたからね。
下宿に集まり、持ち寄った酒を呑む。
それが “呑み会” でした。
当時の主流は、焼酎。
まだまだ今のように、焼酎がオシャレではなかった時代のこと。
“労働者の酒” なんて呼ばれていた頃ですから、貧乏な僕たちにも愛飲されていました。
たまにウィスキーのボトルが登場しましたが、ほとんどがサントリーの 「レッド」。
このクラスの酒が、手を出せる限界でした。
本当に稀にですが、「バイト料が入ったぞ!」 と 「ホワイト」 を抱えて来る輩がいると、奪い合いとなり、一瞬で消えてなくなったものです。
そんな僕らの楽しみは、盆暮れの帰省明けでした。
地方に散らばった仲間たちが、故郷から帰って来ます。
各々の手には、親からくすねて持って来た贈答品の酒が……
「角」 「オールド」 「リザーブ」 なんていう銘酒は、まるで戦利品のように神々しかったのであります。
「うめぇ~なぁ~」
なんとも言えぬ至福の夜を迎えたものでした。
時は巡り、大人になっても、相変わらず呑兵衛は吞兵衛のままであります。
しかも、まったく進歩なし!
老いてもなお、“質より量” の毎日を送っています。
そんな僕に、ある日突然、衝撃の一夜が訪れました。
某テレビ局のリポーターとして、夜の街をロケした時です。
店の主人とのツーショットシーン。
カウンターをはさんで、僕と店主が向かい合い、お店の歴史話を聞くという設定です。
「手元に何もないのも不自然ですので、小暮さんに何か出してもらえますか?」
ディレクターに言われ、店主が琥珀色の液体が入ったグラスをカウンターに置きました。
「はい、それでは本番行きます。まず、一口飲んでから話し出してください。3、2、(キュー)」
ところが一口飲んだところで、あまりの美味しさに、セリフが飛んでしまいました。
「うま~い!」
「カット! もう一度、お願いします」
と言われても、僕の耳にはディレクターの声なんて入って来ません。
「めちゃくちゃ、おいしいんですけど、これ何?」
台本に無いことを話していました。
「山崎です」
それを聞いて驚いたのは、僕よりもディレクターのほうでした。
「これ、開けちゃったんですか?」
「いえいえ、売り物じゃありません。私個人のボトルですから、ご安心ください」
どうりで、うまいわけだ!
と言っても、僕はウィスキーの味は、よく分かりませんし、「山崎」 自体、初めて飲みました。
なのに、“どうりで” と思ったのは、その値段です。
確か、市場では何万円もするのでは……
と思っていたら先日、目ん玉が飛び出るようなニュースが飛び込んで来ました。
《「山崎55年」 8100万円 米で落札》
《日本産ウイスキー 高評価》
新聞によれば、サントリースピリッツの長期熟成シングルモルトウイスキー 「山崎55年」 が米ニューヨークで競売にかけられ、60万ドル (約8100万円) で落札されたとのことです。
ちなみに2020年に日本で販売され時は、1本330万円だったといいます。
僕がロケで飲んだ 「山崎」 は何年物だったか知りませんが、それでもセリフが飛ぶほどにうまかった!
55年となると味の想像がつきませんが、8100万円という価格には驚かされました。
死ぬまでに一度、飲んでみたいような、怖いような……
まさに、高嶺 (高値) の酒であります。
2022年06月10日
老いては弟子に従え
「先生は鈍感なんだから」
そう言われて、しょげてしまった僕に、
「いいんですよ先生は、それで」
「何のために弟子がいると思っているんですか」
「我々に任せてください」
次々に声をかけられました。
まだボケるには、ちと早過ぎます。
でも人間、人より劣る根っからダメな部分というものは、生涯消せないものです。
決して、老いたからではなく、鈍感なのは、僕の生まれつきの欠点なのであります。
先日、「弟子の会」 なるものが、市内の居酒屋で行われました。
集まったのは、僕の講演や講座、著書をきっかけに県内外から集まった “自称・弟子” のみなさんです。
会の結成は2016年11月ですから、かれこれ6年になります。
2ヶ月に1回、こうやって顔を合わせて、温泉談議に花を咲かせています。
この日は、話し合うべき案件がありました。
その案件について僕は、まったくトンチンカンな解釈をしていたのです。
勘違いもはなはだしく、弟子たちに笑われてしまいました。
「俺って、本当、鈍いよね」
その時は、自分のダメさ加減に、ほとほと嫌気がさしました。
案件は、その場で一件落着。
いつも通りの楽しい酒宴となりました。
弟子たちの笑い声と心地よい酔いに包まれいたら、なんだか急に目頭が熱くなってきました。
ダメなことをダメと言ってくれて、ダメはダメのままでいいと言ってくれる人たち。
しかも、そのダメな部分を補うために自分たちがいると、言ってくれるのです。
こんな幸せな事って、あるでしょうか?
“持つべき物は弟子”
“老いては弟子に従え”
まだまだ老いに身を任せる歳ではありませんが、この人たちに囲まれて老いれるのであれば、老いるのも悪くはないな……
ほてった頬を夜気に冷ましながら、傘をさしてトボトボと歩く帰り道。
「ありがとう」
見上げた雨空に、そう、つぶやかずには、いられませんでした。
感謝!
2022年06月07日
人生の追加メニュー
親友と呼べるかは分かりませんが、学生時代から付き合っている腐れ縁の旧友なら何人かいます。
そのうちの一人、T君から久しぶりに “差し呑み” の誘いがありました。
「富山に行けなかったからさ。その代替ということで」
富山とは、富山市で毎年春に開催されるチンドンフェスティバルのことです。
一緒に行く予定でしたが、コロナの影響で今年も開催が中止となってしまいました。
T君は中学~高校の同級生。
互いに夢を語り合い、共に夢を追いかけて、花の都・東京へ出ました。
恋をして、恋に破れ、夢に振り回され、夢に破れ……
そのたびに、酒を酌み交わして、早や半世紀。
夢も仕事も別々の2人ですが、一度だけ神様が、人生にいたずらを仕掛けてくれたことがありました。
それは彼が、僕の本の出版担当者になったことです。
「あの時は、驚いたな」
「いや、なんだか照れくさくて、やりにくかったよ」
「でも楽しかった」
「ああ、仕事で温泉に行って、夜通し酒を呑んだのなんて、後にも先にも、あの時だけだ」
※2014年4月刊 『新ぐんまの源泉一軒宿』 (上毛新聞社)
呑むほどに、酔うほどに、昔話に花が咲きます。
河岸を変えて、思い出の居酒屋へ行くことに。
30代に2人でよく通った、夫婦だけで商っている小さな店です。
でも10年ほど前に移転したと聞いていたので、街中を探し回りました。
暖簾をくぐると、懐かしいママと主人の顔が……
ちゃんと、僕らのことを覚えていてくれました。
それが嬉しくて、酒のピッチも上がります。
気が付けば、僕らも60代。
T君は一度、定年退職をして、現在、再雇用期間中。
それも、あと数年で終わります。
「小暮は、いいな」
「何がさ?」
「定年がなくて」
「ということは、死ぬまで働けってことだよ」
「俺、何しようかな……」
人生100年時代の大きな課題が、話のテーマとなりました。
就職をして、結婚して、子供も生まれ、家も建て、子供も育って……
「人生のメニューは、ほぼほぼ終えたよな」
とT君。
だから僕は、言ってやりました。
「また夢を追うか?」
「あの頃のように?」
「そう、こうやって拳を振り上げてさ、『世の中を変えてやる~!』 って(笑)」
程なくして、僕らの “人生の追加メニュー” が決まりました。
「また旅をしようよ」
「だな」
「あの頃のように、知らない街で待ち合わせて、酒を呑んで、知らない街で別れる」
かつて僕らの旅は、小説となり新聞に掲載されたことがありました。
※(当ブログの2019年5月21日 「掌編小説 <浅田晃彦・選>」 参照)
「では、そういうことで、よろしく!」
「こちらこそ!」
旧友って、いいもんですね。
いつでも、どこでも、会えばすぐに、あの頃に戻れるのですから。
2022年04月28日
ハッスル餃子とロゼのワイン
ある時は、タオル片手に湯処をめぐる 「温泉ライター」。
また、ある時は、民話や伝説の謎を追う 「謎学ライター」。
しかし、その正体は?
ジャーン!
そうです、夜な夜な呑み屋に現れる神出鬼没の 「酔っぱライター」 であります!
ということで、行って参りました。
今春、リニューアルオープンした前橋市街地の “昭和レトロの聖地”、「呑竜(どんりゅう)横丁」。
呑竜横丁とは?
昭和22(1947)、戦後間もなくのこと。
復興計画に基づき、大蓮寺の墓地跡地に復員兵の生計を立てることを目的とした 「呑龍仲店」 が誕生しました。
飲食を中心に、雑貨や総菜、青果の店が雑多に軒を連ねていたため、地元では通称 「呑龍マーケット」 と呼ばれていました。
僕の子どもの頃は、あの一画は “大人の世界” で、暗黙の “立ち入り禁止エリア” でした。
確か、大人たちは 「小便横丁」 なんて言っていた記憶があります。
まあ、言うならば、前橋のゴールデン街だったのです。
昭和57(1982)年1月。
そんな “大人の聖地” を、存続の危機が襲いました。
仕込み時間の夕刻、一軒の飲食店から出火。
またたく間に火の手は広がり、マーケットは全焼してしまい、25店舗が焼き出されました。
ところが、各店主たちの努力もあり、たった1年半で再建。
名称も 「呑龍」 から 「呑竜」 へと改名。
新たな “のんべえ横丁” がスタートしました。
時代は昭和から平成へ。
バブル経済がはじけ、出店者の撤退、空き店舗の増加、建物の老朽化……
いつしか横丁は、昔のような華やかさを失っていました。
そこで一念発起、有志たちによるプロジェクトが結成され、このたび 「呑竜横丁」 が華々しくリニューアルオープンしました。
となれば、当然、「酔っぱライター」 の出動です!
僕は現在、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 のスーパーバイザー (監修人) をしています。
と同時に、リポーターとしても時々出演しています。
「小暮さんにピッタリの企画なんですけど、出演していただけますか?」
とディレクターからの誘いに、
「酒、呑めるの?」
「ええ、横丁を端からハシゴしていただきます」
と言われてしまえば、断わる理由はありません。
2つ返事+ 「ギャラは要りません」 の言葉を添えて、引き受けました(ウソ)。
時々刻々と夕闇が迫るアーケード横丁。
通りの提灯が一斉に灯りました。
「はい、スタート!」
ディレクターの声に背中を押され、のれんをくぐります。
1軒目は、オリジナル 「呑龍ビール」 の小瓶を片手に、焼き鳥を頬張るシーン。
2軒目は、カウンター席で常連客にまざって、日本酒を酌み交わします。
ママ手作りのフキの煮物とポテトサラダに、撮影を忘れて箸が進みました。
「次は、ここでギョーザを食べていただきます」
とディレクターが指さした店の看板に目をやると、懐かしい文字が!
『ハッスル餃子』
いゃ~、懐かしいなんてもんじゃありませんよ。
昭和の前橋っ子にとっては、憧れのギョーザです。
ハッスル餃子とは?
昭和43(1968)年創業のメイド・イン・群馬の “ご当地餃子” であります。
僕の子どの頃は、前三百貨店の地下・食料品売り場でのみ販売されていました。
今でいう実演販売で、目の前で焼いた熱々のギョーザを持ち帰り、夕飯のおかずにするのが最高の贅沢でした。
「前三のハッスル餃子を、ご存じなんですか?」
ギョーザを焼く若い店主に訊かれました。
「このポスターだって知ってるよ!」
壁に貼られたレトロなポスターは、当時、前三百貨店の地下売り場の店頭に貼られていたポスターと同じです。
その前三百貨店が閉店したのが、37年も前のこと。
店主が知らなくても無理はありません。
「はい、ギョーザにはワインが合うんですよ。それもロゼ」
へへへ~、ギョーザにワインなんて初めてです。
が、これが意外とマッチ!
聞けば、具の割合は野菜が9割。
軽くてヘルシーな味わいで、パリッ、モチモチの皮とのバランスも絶妙です。
さらに数軒、横丁をさまよいながら千鳥足で歩く僕を、カメラは追いかけ続けます。
最後は、締めのラーメン店へ。
食レポも1テイク (一発撮り) でOK!
「小暮さんは素面(しらふ)よりアルコールが入っていたほうが、雰囲気があっていいですね」
とディレクターに言われ、
「だったら、これ、シリーズにしません?」
この問いに何て答えたのかは、酔っていて覚えていませんが、視聴者の評判によっては、アリかもしせませんよ。
※『ぐんま!トリビア図鑑』、「楽しい横丁・吞竜仲店 (仮)」 は、5月24日(火) 21時~の放送です。
2022年02月23日
フェチも歩けば靴をなめる
昨晩は久しぶりに、ゆかいな仲間が集まりました。
当ブログでは、お馴染みの 「弟子の会」 の面々です。
弟子の会とは、僕のことを勝手に 「先生」 とか 「師匠」 と呼ぶ、温泉好きの集まりです。
当然、会えば温泉話に花が咲くのですが、最近は、たびたび下ネタに脱線します。
とは言っても、みなさん、50代以上の良識ある紳士淑女たちですから、そんなにお下品な話はいたしません。
やんわりと、それとなく、ちょっぴりエッチで色気のあるテーマで盛り上がるわけです。
昨晩は、なぜか、フェチ話になりました。
「異性のどんな所に感じるか?」
という、年がいもないテーマに、紳士淑女らは大いに興奮したのであります。
「髪ですね。きれいな髪の人は、男女を問わず触りたくなります」
「私は、汗のにおい。ジャージに付いたにおいを、こうやって、ウ~ンって嗅ぎたい」
まあ、人それぞれ感じる所はいろいろで、聞いていて楽しいのです。
「先生は、どこよ?」
と問われれば、僕だって胸を張って、こう答えました。
「ふくらはぎ」
この部位だけは、譲れません!
若い頃から今日に至るまで、僕がこだわり抜いている唯一のフェチなのですから!
「そういえば最近、変な事件がありましよね? 靴をなめて捕まったという」
Sさんのひと言で、話のテーマは全部 “靴フェチ” に持っていかれてしまいました。
《女子中学生の靴なめた疑い》
《高崎署が男逮捕》
数日前の地方新聞の片隅に、そんな見出しを付けた小さな記事が載っていました。
<逮捕容疑は1月30日午後5時5分ごろ、高崎市内の商業施設で、商品を見ていた西毛地域に住む女子中学生に近づき、床にはいつくばって左足に履いていた運動靴のつま先をなめる暴行をした疑い。>
何が変なのかって、まず、<床にはいつくばって> という行動です。
一見、女子中学生のスカートの中を覗こうとする痴漢行為かと思いきや、はいつくばってしまう。
実は、お目当ては女子中学生ではなく、女子中学生が履いていた “運動靴” だったということ。
運動靴ですよ!
ハイヒールに異常に興奮して、盗んで捕まったというフェチ泥棒の話は聞いたことはありますが、色気もそっけもない中学生の運動靴というのが、スゴイ!
そして驚いたのは、履いている靴をなめる行為は、暴行罪にあたるということです。
(脱いだ靴なら器物損壊罪なのだろうか?)
気になるのは、容疑者 (52歳) の動機であります。
新聞には、このように記載されていました。
<同署によると 「間違いありません」 と容疑を認め、「自分の性欲を満たすためだった」 などと供述しているという。>
「髪」 だ 「汗」 だ、「ふくらはぎ」 だと騒いでいた僕らは、なんて凡人なのでしょう。
フェチの世界は、奥が深くて広~いんですね。
容疑者は、犬の生まれ変わりなのかもしれません。
きっと彼の家の縁の下からは、運動靴に限らず、さまざまな履物が見つかることでしょうね。
2022年01月06日
H始め
Hを 「エッチ」 と読まないでください。
Hは 「エイチ」 です。
「H」 は、ご存じ呑兵衛の聖地、酒処 『H』 のことであります。
昨年の暮れ、ママからメールが届きました。
<年内は30日まで。新年は4日から営業します>
でも年内は、なんだかんだと忙しくて、ついに顔を出せずじまい。
メールの返信のみのあいさつとなってしまいました。
さて、明けて新年。
本来なら初日の4日に駆けつけたいところだったのですが、これまた、のっぴきならない野暮用に邪魔されてしまい、一日遅れの “H始め” となりました。
「あけましておめでとうございます」
「あ~ら、ジュンちゃん」
「今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
開店時間 (午後4時) の5分前に、一番客として入店。
コートとマフラーを脱いで、お気に入りの一番奥の席へと向かいます。
「ここ、大丈夫なの?」
カウンターを見ると、奥から2番目の席から5番目の席までは、マットが敷かれ、グラスがセットされています。
すでに予約が入っているようです。
「ふふふ、今日はジュンちゃんが来るような気がしてたのよ」
確かに、一番奥の席は空いています。
「さすが、Hねーちゃん! 客のかゆい所に手が届く!」
「ふふふ……。で、何にするの? 寒いけどビールでいいの?」
「とりあえずビールからの、熱燗で」
「ラジャー!」
僕は、この席から見る風景が大好きなんです。
L字型にのびるカウンター席と店内が見渡せ、窓の外の通りの往来まで眺められる特等席……
入口のガラス扉に、大きな正月飾りが飾られているのが目に入りました。
かなり立派な飾り物です。
「立派な正月飾りだね。だいぶ奮発したんじゃないの?」
「ふふふ、ないしょだよ。あれ “百均” なんだから」
「えーーーっ、まさか100円じゃないよね」
「まさか! ふふふ、でも百均なの」
何気ない会話だけど、この瞬間が日常のしがらみから解き放される至福のひとときなのであります。
熱燗を一合ほど呑み、体もほどよく温まった頃、予約者の一人、Hちゃんが現れました。
次いでFくん、Yちゃん、Aくんと続々来店し、だいぶ、にぎやかになりました。
これで奥から5席が埋まりました。
残りは3席。
そこへCちゃんとTさんのカップルとM先生が現れ、あっという間に満席となりました。
と思ったら、タッチの差で遅れてやって来たRさん。
ママがカウンターの中で手を合わせ 「ゴメン」 のジェスチャーをします。
それを見ていた心優しいTさんは、
「大丈夫だよ。Rさんは細いから。ほら詰めて」
と隣のCちゃんを促します。
これにて一件落着、満員御礼となりました。
開店からわずか2時間であります。
「カンパ~イ!」
「今年もよろしく!」
HのHは、平和のH。
僕とHの、のほほんとした一年が始まりました。
2021年12月22日
サンタクロースは赤兎馬に乗って
還暦を過ぎてからというもの、目に見えて、体のそこかしこに老化現象が起きています。
歯は抜ける、視力は衰える、血圧は上がり、肩こり、頭痛にも悩まされています。
ついつい、「ああ、歳は取りたくない」 とグチってしまうのですが……
でも、よくよく考えてみれば、歳を重ねたからこそ得られたモノの方が多いことにも気づきます。
たとえば僕の場合、それは “読者” の存在です。
フリーランスのライターになって25年。
それ以前の編集者の時代を入れれば、もう30年以上も文章を書いているんですね。
書籍にして世に出した本は、15冊になります。
それ以外の新聞や雑誌に著した記事も原稿用紙に換算したら、いったい、どれくらいの量になるのだか……
想像もつきません。
では、それらを今日まで僕に書かせてきた原動力は何か?
それは、“読者” の存在以外にありません。
「物書きは、読まれてナンボ。読まれない文章は、日記と同じ」
そう自分に戒めて生きて来た30数年です。
古い読者は、僕の好きな酒まで知っているんですね。
先日、イベント会場に来てくださった読者さんから、プレゼントをいただきました。
紙袋の中から取り出してみると、それは、「赤兎馬(せきとば)」 でした。
赤兎馬は、鹿児島県の芋焼酎です。
その昔は、九州から外へは出回らなかったこともあり “幻の焼酎” と呼ばれたこともありました。
僕は、言わずと知れた呑兵衛です。
酒であれば、なんでも呑みます。
大好物は日本酒ですけど、「ぐんまの地酒大使」 を仰せつかっている手前、特定の銘柄を挙げて 「好きです」 とは言えません。
でも、「焼酎なら問題ないだろう」 ということで、このブログでも、たびたび 「赤兎馬」 の名を挙げてきました。
赤兎馬とは、三国志に登場する名馬の名前です。
一日に千里を走るといわれています。
さしずめ、サンタクロースが赤兎馬に乗って、ひと足早いクリスマスプレゼントを届けてくれたということでしょうか?
読者って、本当にありがたいものですね。
もちろん、このプレゼントのお礼は、きっちり仕事でお返ししたいと思います。
やっぱり、歳は重ねてみるものです。
読者のみなさん、いつも応援、ありがとうございます。
感謝!
2021年08月12日
赤兎馬は万里を越えて
「弟子の会」 から 「赤兎馬」 が届きました。
「赤兎馬(せきとば)」 とは、鹿児島県の芋焼酎です。
一時は、なかなか九州から外へは出回らなかったため、“幻の芋焼酎” なんて呼ばれたこともあったそうです。
ですから当時はまだ関東地方の酒屋や居酒屋では、大変珍しいお酒でした。
僕が赤兎馬に初めて出合ったのは、今から7年前のこと。
その時の感動をブログに、こう記しています。
<水のような口当たりなのに、すぐに芳醇な旨みがググーっと口の中いっぱいに広がって、飲み干した後も、やわらかな甘みの余韻がズーっと口の中に残っているのであります。>
(当ブログの2014年7月14日 「赤兎馬の酔夢」 参照)
「弟子の会」 とは、なぜか僕のことを “先生” とか “師匠” とか呼ぶ殊勝な読者の集まりです。
講演やセミナー、著書、ブログ等を通じて知り合った面々が、互いに連絡を取り合い、定期的に僕を囲んで酒を酌み交わしながら温泉談議を楽しんでいます。
発足から今年で丸5年になります。
赤兎馬は、そんな弟子たちからの誕生日プレゼントでした。
「先生はケーキより酒でしょ!」
とのことのようです。
「先生、泣かないでよ、涙もろいんだから!」
と言われて、その場では泣きませんでしたが、家で一人、赤兎馬のボトルを開け、グラスに注いだ時、ポロリと目から熱いしずくが流れ落ちました。
ありがとう!
持つべきものは、弟子であります。
何にも伝授するものはありませんが、これからも一緒に温泉の楽しさを追求していきましょうね。
「赤兎馬」 の由来は、三国志に登場する名馬の名前です。
1日で千里走るといいます。
中国には、こんなことわざもあります。
<縁ある人は万里の長城を越えてでも会いに来る>
まさに縁とは、異なもの不思議なものです。
でも縁は偶然などではなく、万里の長城を越えた時点で、必然へと変わります。
今宵も赤兎馬に乗って、酔夢の旅へ出かけたいと思います。
2021年08月07日
鳴らない風鈴
世知辛い時代になりました。
令和の世の中からは、風流や風情というものが消えてしまうのでしょうか?
以前、「吊り忍」 について書いたことを覚えていますか?
江戸時代の植木職人が作り出した伝統工芸品で、夏の風物として庶民に愛されてきた観賞用の小さな盆栽です。
竹やシュロの皮などを芯にして、これにコケを巻き付け、その上に 「しのぶ」 というシダ科の植物をはわせた 「しのぶ玉」 を軒下などに吊るします。
※(詳しくは当ブログの2021年7月28日 「なぜか、吊り忍」 を参照)
風に揺れ、緑の葉が風にそよぐ姿が、なんとも涼しそうであります。
吊り忍の下には、風鈴を吊るすのが定番です。
それも江戸風情を醸すならば、ガラス細工に限ります。
そして絵柄は、“金魚” がいいですね。
<ジュンちゃん、金魚の風鈴が届いたよ~>
行きつけの酒処 「H」 のママから、うれしいメールが届きました。
ママとは夏の初めに、「吊り忍」 の話で大いに盛り上がったのであります。
さっそく、吊り忍と金魚の風鈴をそろえてくれたようです。
もう、「H」 に向かう道すがら、ワクワク、ドキドキが止まりません。
「あった~!」
店の数十メートル手前から、のれんの横でひらひらと揺れる赤い風鈴と青い短冊が見えました。
そして、その上には、まだ小さいけど、一丁前に枝葉を伸ばした 「しのぶ玉」 が飾られています。
「ママ~、すごいね! 素敵だね! これで商売繁盛だ!」
そう叫びながら店内に入った僕でしたが、ママの反応は微妙に期待外れでした。
「うん、吊るしたことには、吊るしたんだけどね……」
と、なんだか寂しそうなんです。
ちょっと、待てよ?
なんか変だぞ!
吊り忍と金魚の風鈴、確かに主役は揃っている。
なのに、何かが足りない……
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーー!!!!! 音がない!」
そうなんです。
風に揺れている風鈴が、“無音” なのです。
「ママ、どうしたの?」
「どうしたも、こうしたもないよ。わたしゃ、もうグレちゃうよ」
カクカク、シカジカ……ママが言うことにゃ、常連客から忠告をいただいたのだと言います。
その常連客が住む町内では、最近、回覧板が回ったといいます。
内容は、<風鈴を吊るさないでください> というもの。
その町内では 「うるさい! 迷惑だ!」 という、ご近所トラブルが発生しているというのです。
「でさ、鳴らないようにしたわけよ」
ゲッ、ゲゲゲーー!
そ、そ、そんな~!
いつから日本人は、そんなに了見が狭くなっちまったんですか!?
音の鳴らない風鈴だ?
聞くところによれば、盆踊りや花火大会にも 「うるさい!」 とクレームを入れる人が増えているんですってね。
ああ、江戸の庶民が聞いたら未来を嘆くぜ!
「はい、お疲れさま」
「カンパイ!」
カウンター席から表通りを眺めると、白いのれんの横で、ゆらゆらと赤い風鈴が風に揺れています。
聴こえます、聴こえますって。
ジッと耳を凝らしていると、ほらね。
チリン、チリン……チリン、チリチリン……
世知辛い時代になりました。
2021年07月28日
なぜか、吊り忍
♪ 貴女がくれた 吊り忍
今も枯れずに あるものを
カタカタ カタカタ はたを織る
糸も心も つづれ織り ♪
<谷村新司 『蜩』 より>
「吊り忍」 って、知っていますか?
「しのぶ」 は、シダ植物の一種、シノブ科の多年生のシダです。
「吊り忍」 は、竹やシュロの皮などを芯としたものに山コケを巻き付け、その上に 「しのぶ」 の根茎をはわせた 「しのぶ玉」 を軒先などに吊るした観賞用の植木です。
風鈴のように軒下に吊るすと、青々とした緑に涼を感じる江戸庶民の夏の風物詩でした。
庭師が出入りの屋敷に、御中元として届けたのが始まりともいわれています。
なんで急に、「吊り忍」 の話をしたのかって?
だって、本当に久しぶりに (たぶん、子どもの頃以来に)、「吊り忍」 を見たからです。
「あれ、ジュンちゃんのほうが、先に来ちゃったよ」
なんて、店に入るなり、残念そうな顔でママに迎えられてしまいました。
ご存じ、僕がコロナ前からコロナ中でも、足しげく通っている酒処 「H」 であります。
「なに、誰か来るの?」
「いや~、ジュンちゃんを驚かそうと思っていたのになぁ。まさか、今日、来るとは……」
とママは、本当に残念そうです。
「なになに? 隠さないで言ってよ!」
と、しつこく問い詰める僕に、ママは根負けして、
「すぐ分かっちゃうことだから、しょうがないね。話すよ、あのね、今日、これから 『吊り忍』 が届くのよ」
「ええっ、えーーー! この間話していた、あの 『吊り忍』 が~!?」
実は、ちょうど1週間前のこと。
この店の常連客と、“昭和の夏の風物詩” をテーマに、大いに盛り上がったのであります。
お大尽の家には木製の冷蔵庫があったとか、スイカは風呂桶やたらいに水を張って冷やしたとか、どこの家でもスズムシを飼っていたとか……
そのとき、「吊り忍」 の話も出ました。
ところが、知らない人が多かったのです。
若い人が知らないのは分かるのですが、シニア世代でも東北や九州など出身地によっては知らないようです。
そのとき、たまたま知っていたのが僕とママでした。
2人とも群馬県出身です。
「これって江戸発祥の関東圏の文化なのかね?」
という結論に達しました。
「だからさ、この店に吊るそうと思ってね」
なんて話していたら、宅配便のお姉さんが箱を抱えて、店に入って来ました。
「キターーーー!!」
と雄叫びを上げると同時に僕は、
「ねえねえ、お姉さん、『吊り忍』 って知ってる?」
当然、若いお姉さんは知るよしもありません。
「ママ、早くお金払って、箱を開けて、お姉さんにも見せてあげなよ」
僕のお節介に、宅配便のお姉さんも興味津々です。
「へ~、これが、その、つり……、つり……」
「そう、『吊り忍』。なんとも風流でしょう! これをね、こうやって窓辺に飾るわけよ。どう、涼しそうでしょう!?」
なーんてね、昭和自慢を始めてしまいました。
「あとは、風鈴だね」
とママが、しのぶ玉を宙にかざします。
「吊り忍」 の下には、風鈴を吊るすのが定番です。
「音は鉄の南部風鈴がいいけど、見た目の涼しさなら赤い金魚が描かれたガラスの風鈴がいいね」
「みんな、きっと驚くね」
「楽しみだね」
午後4時前に一番乗りした僕とママだけの “真夏の秘め事” でした。
♪ 半ば開いた 連子窓
いつもと同じ 石の道
カナカナ カナカナ 蜩 (ひぐらし) と
二度と戻らぬ 日を過ごす ♪