2024年10月18日
だから恋なんてしない
15年、いや、それ以上前からだと思う。
最初に、のれんをくぐったのは、いつだったのか?
たぶん、絵本作家のN先生 (故人) に連れられて行ったのが最初だったと思う。
酒処 「H」。
たびたびブログにも登場する、我らのたまり場である。
昨日、1カ月ぶりに、のれんをくぐりました。
まだ午後4時だというのに、カウンター席には3人の客がいました。
すべて見知った顔ばかりです。
「あら、ジュンちゃん」
「久しぶりだね」
「忙しいんだって」
いつもなら週に1回は顔を出していたのですが、なんだかんだと仕事とヤボ用が重なり、1カ月のご無沙汰ぶりとなりました。
その後も、1人、2人と客がやって来て、狭い店内は、あっという間に満員御礼です。
ここは、常連客が自称する “前橋一、繁盛している店” なのであります。
「なんで1カ月も来なかったの?」
「そうだよ、ジュンちゃんらしくない」
「怪しいな」
「ほんと、ほんと、絶対に怪しい」
と、いつしか話題は、なぜ僕が1カ月も店に来なかったのか? に集中。
ママまでもが、
「もしかして、恋?」
なんて言い出すものだから、常連客らに火がついてしまい、
「恋だ、恋!」
「え~、ジュンちゃん、恋しちゃってるの?」
「相手は誰だれ? 私たちの知っている人?」
「だから――ッ! 忙しかっただけだって!」
と、ムキになって説明すればするほど、墓穴を掘っていきます。
「ますます、怪しいな」
「そうだよ、正直に話しなさい」
と、詰め寄られ、しまいには、
「店に入って来た時から雰囲気が、おかしかったんだよね」
と、ママ。
すると女性客の一人が、
「そうそう、いつもと違った。なんか、ちょっとカッコつけていたよね」
う、う、ウソだー!
ねつ造だ! でっち上げだ! 冤罪だ~!
さらに、ますます僕に対しての “いじめ” はエスカレートしていき、
「髪型が変わった」 とか 「顔がほっそりした」 とか 「腹が引っ込んだ」 とか、肉体的な虐待(?)にまで及んだのです。
「だ、か、ら、ただ仕事が忙しかっただけだってば―――!!!」
なんとも他愛のない話で、小一時間も盛り上がってしまいました。
でもね、もし僕が今、恋をしているとしたら、それはママにですよ。
ママとママの手料理と、この店。
それと、くだらない話を延々とできる気の置けない常連客たちです。
思い返せば、僕はいつも、いいことがあった日や頑張った日に、自分へのご褒美として 「H」 に来ていました。
よき酒、よき味、よき仲間たちに会いに……
大好きだよ、みんな!
だから、よそで恋なんてしていないんです。
2024年09月21日
神の話をしよう
「散々、大谷翔平の話はしたからね。もう、しないよ」
新しい客がカウンターに座るたび、僕とママと常連客は、そう告げるのですが、それでもまた店内は大谷翔平話で、ひとしきり盛り上がるのでした。
いゃ~、マイッタ!
50‐50 (50本塁打、50盗塁) という史上初の快挙を達成しながら、さらに、その上を成し得る人知を超えた男。
期待と予想と想像を、見事に裏切ってきます。
昨日は年に一度の検診日。
朝食をとらずに、病院へ行く準備をしていました。
その時です。
テレビから50‐50達成のニュースが!
しかも同日にホームラン2本と盗塁2つだなんて!
ビックリ仰天するも、勇気凛々となり意気揚々と病院へ向かいました。
もちろん受付の看護師さんとも、会うなり大谷翔平話です。
「小暮さん、いい日に来ましたね」
「だよね、俺って持っているかも」
なんて、大谷翔平の偉業は、みんなを元気に明るくしてくれるのです。
検診終了後、駐車場の車の中で思いました。
「そうだ、今日はお祝いだ!」
と、行きつけの飲み屋のママに、すぐさまメールを送りました。
<大谷50‐50達成! パソコン復旧記念だーい!>
と、夕方から店に行くことを告げました。
すると……
<もっとスゴいぜ! 51‐51で自記録すぐ更新したんだよ>
という返信が。
えっ?
一瞬、何のことか分かりません。
51だ?
確かに家を出るときには、すでに盗塁は51でしたが……
えっ、もしかして、あの後もホームランを打ったの!?
1試合に3ホームランってか~!!!!
そして、冒頭の会話になったのであります。
6打数、6安打、3本塁打、10打点、2盗塁……
いったい誰が想像できたでしょうか?
「彼は、もはや人間ではない」
とは、アメリカの実況アナウンサーの言葉。
まさに人知を超えた “神” の成せる業であります。
たぶん、昨晩は日本中の飲み屋で、繰り返し繰り返し “神” の話がされたことでしょうね。
いえいえ、世界中かもしれません。
2024年09月05日
ピンできるチン
「先生、老後はまかせてください」
「老後?」
「はい、私が先生を介護します」
一昨日、「弟子の会」 の会合に出席してきました。
とは言っても、ただの呑み会であります。
8年前、僕の講座や講演に参加した読者たちが集まり、「温泉の話をしながら酒を呑もう!」 ということになり、2カ月に1回、こうして飲み屋に集まっているのです。
彼ら彼女らは僕のことを、勝手に 「先生」 とか 「師匠」 とか呼ぶものだから、いつしか 「弟子の会」 と名付けられました。
会員の一人、Kさん (女性) は現在、介護師の資格を取るべく猛勉強中であります。
「先生、安心してください。最期までお世話しますから」
とかなんとか言われ、
「おいおい、大げさな……」
と言葉をかわしたのですが、よくよく考えてみたら他人ごとではないような気がしてきました。
だって僕のオヤジは、亡くなるまでの10年間は認知症を患っていましたからね。
介護する身の大変さは、重々承知しています。
もし、自分にその時が来たら……と思うと、ゾッとします。
できるものなら、まわりに迷惑をかける前に、ピンピンコロリとあの世に旅立ちたいものです。
でも昔は、そう僕が子どもの頃には、まわりに認知症の老人なんていなかったような気がします。
なんで現代は、こんなにも認知症の老人が増えたんでしょうか?
これは素人考えなのですが、肉体の寿命が延びているのに対して、脳の寿命が追い付かなくなっているからではないでしょうか?
まれに100歳過ぎてもボケてない人がいますが、それは異例中の異例のような気がします。
肉体と脳がともに長生きしてこそ、本当の意味の “長寿社会” だと思うのです。
「下の世話もしてくれるの?」
「もちろんです。先生のオムツを交換してさしあげますわ」
「もしかして、ピンされちゃったりして(笑)」
僕が親指と中指で輪を作り、はじく真似をしました。
するとKさんは、
「ピンできるといいですけどね(笑)」
人差し指をフニャリと曲げてみせました。
そうか、脳より肉体の方が先に老いることもあるのですね。
今から鍛錬を続け、ピンできるような肉体を維持しようと思います。
Kさん、待っててくださいね。
※今日は珍しく下ネタでしたね。読者のほとんどは昭和世代でしょうから、どうか寛容に読み流してくださいませ。
2024年06月06日
イチゲンさん
知る人ぞ知る、酒処 「H」。
いや、このブログの読者なら、毎度おなじみの店ですね。
僕が、かれこれ15年以上も通っている吞兵衛たちのアジトであります。
なんでも一時、「Hは、どこだ?」 と僕の読者の間では話題になったことがあったようです。
「やっぱり、ここだったんですね!」
と探し当てた客は、狂喜乱舞したそうです。
では、なぜ、この店が 「H」 と分かったのか?
はい、入店すれば、すぐに分かります。
それは……
答えが気になる人は、探し出してみてください。
さて、その酒処 「H」 ですが、まあ、入りにくい店なのであります。
大通りに面していて、暖簾も電照看板も出ているんですけどね。
間口は、一間半ほど。
外から中の様子は見えません。
扉を開けると、うなぎの寝床のような細長い店内に、カウンター席のみ。
しかも、8席限定。
一見(イチゲン)の客は、それだけで尻込みをして、二の足を踏んでしまいそうなのに、さらに、そこにはクセの強い常連が早い時間から陣取っています。
運よく、空き席に座れたとしても、試練は続きます。
この店には、お品書き (メニュー) が一切ありません。
ということは、料金が分かりません。
すべてママの手作りお任せ料理で、料金一律です。
たとえば、「今日行くよ」 とママにメールを送ると、「串カツなり」 とメールが来ます。
その日のママの気分によっては、餃子だったり、シチューだったり、焼き魚だったり、和洋中どれが飛び出すか分からないのも常連の楽しみになっています。
ということで客は、常連か、もしくは常連に連れて来られた客がほとんどであります。
が、たま~に、勇気のあるツワモノが、ぷらりと現れることがあります。
そんな時は、一斉に常連たちの鋭い視線の集中砲火を浴びることに!
一昨日、見慣れない男性が入ってきて、戸惑うこともなく、堂々と空いている席に座りました。
ママはソワソワ、常連は興味津々。
「また、どうしてこの店に?」
さっそく、常連の一人が身元調査を開始しました。
「ええ、この通りで、ここしか空いてなかったもので」
時間は、まだ午後5時前です。
「初めてですよね?」
「はい、前橋自体が……何十年ぶりです」
「仕事で? 違うか?」
見た目、年の頃は60代後半~70代前半です。
服装もラフな格好でした。
「尾瀬の帰りです」
「えっ、車?」
「いえ、電車です」
「だったら高崎泊まりでしょう?」
常連の飽くなき追求は続きます。
なんで前橋の、こんなマニアックな店に、この男はたどり着いたのか?
それが知りたいのです。
「高崎は昨日泊まったので、今日は前橋に宿をとりました」
このあと、常連客らの追求の末、住所と氏名を訊き出し、一応、怪しい人物ではないことを確認しました。
なんでも定年退職後、日本のみならず、世界中を一人で旅して回っているとのこと。
「死ぬまでに行ってないところへ行く」 のだそうです。
それで、どの街へ行っても、一見で店に入れる度胸がついているのですね。
Оさん、根掘り葉掘り訊いて、ごめんなさいね。
これに懲りずに、またのご来店をお待ちしております。
よい旅を!
2024年05月18日
救命酒
<酒はこれ忘憂の名あり> 親鸞
たびたび酒の話で恐縮です。
行きつけの呑み屋でのこと。
カウンターで、初老の男性と隣同士になりました。
初めてではありません。
何度か、お会いしています。
でも、このところ見かけませんでした。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
僕としては、いたって普通のあいさつのつもりでした。
「久しぶり」 =しばらくお会いしていませんでしたね。
「元気?」 =その後、お変わりありませんか?
という意味です。
なのに、その男性は、こう応えたのです。
「酒が呑めて、よかった。もし、酒が呑めなければ、私は死んでいました」
なんとも意味不明な、ご挨拶です。
でも、お顔を拝見すれば、確かに以前よりやせたような。
顔色も、あまりよろしくありません。
なによりも、声が小さい。
「大丈夫ですか? 何か、あったのですか?」
すると、こう言いました。
「なにもないのです。毎日、何もすることがないのです」
聞けば、いわゆる世間でいわれている 「定年五月病」 のようであります。
定年退職後、毎日家にいるけど、新聞を読んで、テレビを観ること以外にやることがなく、やがて、生きている意味が見いだせなくなり、うつ病のような状態になってしまう。
でも男性は、定年を迎えてからだいぶ経ちます。
以前、お会いした時には、その後も忙しく働いているような話をしていました。
でも今は……
週に2回、臨時職の仕事に出かけるだけだといいます。
「ほかの日は、何をしているんですか?」
「庭を見ています」
「庭?」
「はい」
それはそれで優雅な人生のように思えます。
俳句を詠んだり、詩を書いたりと……
でも違いました。
「庭を見ているとね、死にたくなるんです。このまま死んじゃいたいと」
そして、冒頭のセリフにつながるわけです。
「酒が呑めて、よかった」
男性いわく、週に1回、こうやって、この店に酒を呑みに来ることで、また1週間生き延びられるのだと。
まさにこれ、“救命酒” であります。
でもね、フリーランスで死ぬまで働き続ける僕らにしたら、それって 「ぜいたく病」 ですよ。
老後を心配することなく、潤沢な資金があり、悠々自適な生活を送っている証拠です。
酒よ、酒!
あわれな民は、ここにもいるのですぞ!
我の命も救いたまえ。
働けど働けど、我が暮らし楽にならず。
今日も一人、じっと酒を呑む。
2024年05月04日
飛んで耳に入る夏の虫
「それって、キャサリンのこと?」
「キャサリン?」
「違うの? うちらキャサリンって言ったよ」
たまたま居合わせた人たちと、“蚊柱” の話になりました。
夏になると、道の端や街灯の下で、小さな虫の大群 (主にユスリカ) が柱状に飛んでいる現象のことです。
このことを関西出身の婦人は、「キャサリン」 と呼んだのです。
「なんでキャサリンなの?」
「知らない、でも子どもの頃から、そう言っていたよ」
でも僕は知っていました。
以前、テレビ番組で紹介していました。
大阪の一部のエリアでは、蚊柱のことを 「キャサリン」 ということを。
なんでも、昭和22(1947)年に日本を襲ったキャサリン台風に由来するそうです。
この時の映像をテレビで観た子どもたちが、蚊柱に似ていることから名づけたようです。
「へー、そうなんだぁ~」
なんて、話している時でした。
僕に、一通のメールが届きました。
<チョッピリ 羽虫との戦いで 寝てなくて明日 大丈夫かなぁ…。明日起きたらメールするね>
発信者は、行きつけの酒処 「H」 のママです。
「羽虫との戦い?」
いったい何のことでしょう?
まさに、“虫の知らせ” とはこのことです。
意味不明なメールではありますが、とりあえず一晩、待つことにしました。
翌朝、ママからメールが届きました。
<何とか 羽虫戦い 終戦なり お店 開店なり>
おおー!
何が起きて、何がどうなったのかは知らんが、無事、店を開けられるとのこと。
ならばと、まだオープン前の陽の高いうちに、陣中見舞いへと出かけました。
「ねえちゃん、大丈夫だったか!?」
(僕ら常連は、ママのことを 「ねえちゃん」 と呼びます)
「どうした? 蚊の大群が出たって? 店か自宅か?」
僕の頭の中には、一晩中、キャサリンと寝ずに悪戦苦闘するママの姿があったのです。
するとママは、笑いながら……
「そうじゃないのよ、耳の中」
「耳の中?」
「そう、昨晩、寝ようとしたら突然、虫が左の耳の中に入っちゃったのよ」
「虫って、羽のある?」
「一晩中、ブーンブーン耳の中で鳴っていて、うるさいやら、怖いやら、一睡もできなかったのよ」
まれに聞く話ではあるけど、実際に身近な人の耳の中に羽虫が入った話は初めてです。
興味津々!
「で、今も耳の中にいるの?」
「いるわけないじゃん、駆除したわよ」
聞けば、朝イチで耳鼻科へ行き、虫を取ってもらったとのこと。
ただ、医者には怒られたようであります。
なんでもママは、綿棒で突いて、羽虫を耳の奥まで押し込んでしまったようで、医者も難儀をしたようです。
「でも、良かったね。中耳炎とかならなくてさ」
「もう、怖くて怖くてさ。これからは耳にガードして寝ようかしら(笑)」
本当に良かった。
大事に至らず、その程度の笑い話で終わってさ。
でも不幸だったのは、運悪くママの耳に飛び込んでしまった羽虫です。
すぐに出ようと思っていたに違いない。
なのにママったら、綿棒で突いて、余分なことをするものだから、奥へ奥へと追いやられてしまい、終いには、医者に器具を使ってかき出されて、ハイ、御臨終!(アーメン)
「ねえちゃん、その虫、見た?」
「怖くて、見れるもんか!」
飛んで耳に入る夏の虫
これからの季節、みなさんもご注意くださいませ。
2024年04月07日
昭和おやじ VS 令和おやじ
スマホを持たない僕ですが、スマホに囲まれた風景には、もう慣れました。
最初は、違和感や嫌悪感もありましたが、これも時代の流れです。
郷に従わないまでも、黙認しています。
たとえば、駅の待合室や電車の中。
十中八九の人が、老若男女問わずスマホをいじっています。
「みんな、何を見てるのだろう?」
と気にはなりますが、僕は、それを横目に新聞を広げています。
たとえば、喫茶店やレストラン。
若いカップルが向かい合いながら、食事をしています。
が、会話はなく、2人ともスマホに夢中です。
「せっかくのデートなのに、それでいいの?」
なんて、お節介な心配をしますが、この光景にも慣れました。
僕は、文庫本を開きます。
スマホを見ようが、新聞を読もうが、それは個人の自由です。
他人に迷惑をかけなければ、誰も文句は言いません。
でもね、もし、それが、自分に害を被ってきたら、どうしますか?
いつもの店の、いつもの席で、いつものように至福の酒を楽しんでいる時でした。
カウンターには、気の置けない常連客が数人。
僕は、隣の客と、たわいのない世間話をしていました。
隣の客は同世代。
“昭和あるある話” が大好きな、昭和 (を引きずった) おやじです。
いつものように、昭和ネタで盛り上がっていました。
「そうそう、○○○○の奥さんだよね!?」
「ええと……、✕✕✕✕✕✕だ」
「そうそう」
なんていう他愛のない芸能人の話題です。
「♪ チャーラララ、……次、何だっけ?」
✕✕✕✕✕✕のヒット曲です。
「♪ チャーラララ? えーと、なんたらかんたら」
どーでもいいんです。
思い出せなくても、いいんです。
所詮、昭和おやじの酒のつまみですから。
「曲名、何だっけ?」
「えっ、……」
「あ~、思い出せない」
すると、話を聞いていたママが言いました。
「この、思い出しそうで思い出せないのが、いいんだよね。この間も芸能人の名前が出て来なくてさ、お客さんと大笑いしたのよ」
それで、いいんです!
我々、中高年は、この加齢による度忘れをゲームにして楽しんでいるのですから。
すると、話を聞いていたカウンターの隅にいた客 (同年配) が、なにやらスマホをいじり出しました。
イヤな予感がします。
以前にも、お節介な客が、度忘れゲームを楽しんでいた時に、頼みもしないのに勝手にスマホで検索をして、正解を告げられたことがありました。
これは、御法度!
絶対に、やってはいけないルール違反です。
推理小説を読んでいる人に、犯人を教えてしまうようなものです。
察知した隣の客が、スマホを手にした客に向かって、言いました。
「調べるのはいいけどさ。こっちに教えないでよ」
聞こえているのか、いないのか、隅の客は無心にスマホをいじっています。
「♪ チャーラララ……、何だっけ?」
昭和おやじたちは、まだ、あきらめていません。
と、その時です。
スマホをいじっていた客が、ポツリとつぶやきました。
「『△△△△△△△』 です」
シーーーーーーーーーン
一瞬、イャ~な空気が店内に流れました。
あ~あ、言っちゃった!
頼んでもないのに、言っちゃった!
我々の完全なる敗北です。
時代を読めない昭和おやじが、令和 (に馴染んだ) おやじに負けた瞬間であります。
あなたの周りにも、いませんか?
なんでもかんでも検索してしまう人?
生きにくい世の中になりました。
2024年03月14日
「イワナイコト」 とは?
「あなたは幸せですか? 不幸ですか?」
と問われれば、僕は、
「不幸ではありません」
と答えます。
“不幸ではない” = 必ずしも “幸せ” じゃないような気がするからです。
ただ、日々の中に、幸せを感じる瞬間ならあります。
それらは、すべて、人と触れ合っている時です。
家族や友人、知人、読者、聴講者……
残念ながら、モノやお金で幸せを感じたことはありません。
幸せを感じる瞬間の1つに、「弟子の会」 というがあります。
かれこれ8年前に発足した、吞兵衛の集まりです。
メンバーは、僕のことを勝手に 「先生」 とか 「師匠」 と呼ぶ温泉好きの面々です。
発足といっても正式な会員規約などはありません。
2カ月に1回、呑み屋に三々五々集まって、バカ話をして帰るだけです。
最初の頃は、温泉の話もしていたんですけどね。
最近は、ただのバカ話を延々としているだけです。
それが、不思議と心地いいんです。
テーマがツボにはまると、笑いが止まりません。
死んじゃうんじゃないかと思うほど、笑って、笑って、笑い転げて、しまいには涙まで流れます。
みんな笑い過ぎて、「腹が痛い」 「後頭部が痛い」 と、翌日になって後遺症が出る始末です。
先日、今年2回目の 「弟子の会」 がありました。
まぁ~、弟子たちですからね、みんな僕のブログは読んでくれているわけです。
「じっさんずラブ、笑いました」
「“ひかがみ” 知りませんでした」
「カメの恩返し、面白かった」
「今度、塩付きの樽酒、買います」
なんてね。
必ず毎回、ブログネタで盛り上がります。
「先生、あれは本当に怖かった!」
「イワナイコト?」
「きゃー、夜中、トイレに行けなかったんだから」
「でも本当の話だから」
「先生が呪われて、死んじゃうんじゃないかと心配しました」
「大丈夫だよ、ほら、こうして生きている」
「はい、翌日のブログが更新されていて安心しました」
(2024年2月16日 「トイレの怪」 参照)
それからは、みんなで 「イワナイコト」 探しが始まりました。
「いったい、何のことですかね?」
「じっさんずラブじゃないんですか?」
「先生、ちゃんと胸に手を当てて考えてみてください。やましいことは、ありませんか?」
と言われても、まったくもって心当たりがありません。
もしかして、イワナイコトとは、この 「弟子の会」 のことですかね?
こんなにも楽しい仲間と時間を、一人占めしていることへの神様のやっかみですか?
「イワナイコト」 とは?
この謎解きは、まだまだ続きそうですね。
2024年03月11日
山は富士、酒は……
≪酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし≫ 若山牧水
「おーい、ジュン! ちょっと、来い!」
子どもの頃、晩酌をしているオヤジに、ときどき呼ばれました。
居間に行くと、奇妙な恰好をしているオヤジがいました。
片手の親指と人差し指で、自分の鼻をつまんでいるのです。
「何してるの?」
と問えば、
「つまみが無いから、鼻をつまんでいるんだ!」
と、立腹の様子。
察するに、酒を呑み出したがオフクロの料理が、なかなか出て来ないことにイライラしているようです。
そして僕に、こう言うのでした。
「塩、持って来い!」
台所に行って、オフクロに告げると、
「まったく、しょうがないね。これを持って行って」
と言って、塩が盛られた小皿を渡されました。
オヤジは、この小皿の塩をつまむと、上手に手の甲に乗せ、ペロッと舐めました。
そして、酒をキュー。
たま、塩をペロッ。
酒をキュー。
子ども心に、大人とは不思議な生き物だと思っていました。
が、大人になると、やっぱり僕も、その不思議な生き物になっていたのです。
先日、スーパーマーケットに立ち寄った時のこと。
日本酒の棚に、驚きの商品を見つけました。
「白雪 樽酒」
ほほう、牧水が愛した酒じゃないか~!
と手に取ると、あまり見かけないコピーが書かれていました。
<塩付きキャンペーン 実施中>
なに?
塩付きだ?
と、コップ酒を模した容器のフタを、のぞき込むと……
おっ、おおおおおおーーーー!!!
本当だ、確かに塩の小袋が入っています。
しかも、ブランド品の 「伯方の塩」。
さらに、焼塩です。
キャンペーンの但し書きには、丁寧にもイラスト入りで、こんなことが書かれていました。
【ちょっとイキな飲み方】
手に塩をのせて、少しずつなめながらお楽しみください。
ということで即行、買って帰り、遠い日のオヤジを真似て、塩をつまみに呑み始めました。
ペロッ、キュー、ペロッ、キュー……
うまい!
うま過ぎる!
こりゃ、やっぱ、クセになるわ!
もしかしてオヤジは、オフクロの手料理で呑む酒よりも、この “塩呑み” が好きだったのではないでしょうか!?
きっと牧水さんだって、そう。
世の吞兵衛たちは、一番おいしく酒を呑む術を知っていたんだと思います。
まだの人は、ぜひ、お試しください。
2024年01月21日
おーい!中村くん
コロナ禍で翻弄された数年間。
思えば、もう何年も新年会らしい新年会には、出席していませんでした。
たぶん、4年ぶりだと思います。
昨日、某社の新年会に出席してきました。
会場は、古民家をリノベーションした、今はやりのダイニングバー。
居酒屋慣れしている僕らシニア層には、勝手がわからず、戸惑うばかりです。
貸切られた個室には、大きなテーブルが2つ。
三々五々に集まった出席者が着座しますが、暗黙の裡に世代が分かれました。
右は、40歳以上のシニアテーブル。
左は、30歳以下のヤングテーブル。
総勢15名の内訳は、老若男女とりあわせ、最年長は75歳、最年少は20歳です。
さて、トラブルは、乾杯を前に発生しました。
原因は、テーブルで分けられた世代格差にありました。
メニューがなくて、乾杯のドリンクの注文の仕方が分からないのです!
そうです、今はやりのQRコードをスマホで読み取って、オーダーするスタイルだったのです。
ヤングテーブルは、すでに手際よくオーダーを済ませています。
一方、シニアテーブルは悪戦苦闘。
「店員を呼びましょうよ」
「まったく、便利なんだか、不便なんだかわかりゃしませんよ」
「これだから年寄りは、置いて行かれるんですよ」
とかなんとか口だけは動きますが、一向に注文はできません。
すると……
「注文しましょうか?」
と名乗り出た一人の青年。
最年少20歳の中村君です。
そう言うと、シニアの注文を聞き取り、手際よくスマホからオーダーしてくれました。
「カンパ~イ!」
「今年もよろしくお願いしまーす」
無事に宴が始まりました。
ところが……
「おーい、中村くん」
「おーい、中村くん」
と、ひっきりなしにシニアテーブルから声がかかります。
そうです、追加注文のたびにシニアたちは、重宝で使い勝手のいい中村君を呼ぶのです。
そのたびに、笑い声が上がります。
「何が、おかしいんですか?」
と、キョトンとする中村君。
「そういう歌があるの」
と僕が教えてあげました。
昭和33(1958)に大ヒットした若原一郎の 『おーい中村君』 です。
当然、ヤングテーブルからは 「知らな~い」 の声が。
まあ、昭和も昭和、かなり昔のヒット曲ですからね。
知っていたのは60代以上だったですけどね。
「今度、歌を覚えて、カラオケで歌ってごらん。ウケるよ」
と僕。
「はい、覚えます」
と中村くん。
「両親だって知らないかもよ? って、親御さん、いくつ?」
「52歳と51歳です」
聞いた途端、シニアテーブルからは 「ワ~!」 と驚きの声が上がりました。
「おーい、中村くん! ビールね」
「おーい、中村くん! こっちは冷酒」
「おーい、中村くん! 箸と取り皿、注文して」
歳の差55歳のなんとも不思議で愉快な新年会でした。
2023年12月11日
せっかちなサンタクロース
えー、世の中には、おかしな名前の人たちがいるものでして。
キャンドルジャンだとか、タブレット純だとか、同じ “じゅん” として見過ごすわけにはいきません。
なんで彼らは、そんな芸名(?) を付けたんでしょうな?
なーんて、陰であざ笑っていたら、火の粉が飛んできて、もらい火をしてしまいました。
どこの、どなたか知りませんけどね、僕のことを 「ボクスイジュン」 なんて呼ぶ輩が現われたんですよ。
「なんで?」
「そりゃ小暮さんが、令和の牧水だからですよ」
「牧水って、若山牧水のこと?」
「ごもっともで」
「いやいや僕は、あそこまで酒に意地汚くはありませんよ」
というのが先日、呑み屋で交わされた会話です。
まあ、歌人の若山牧水については、先月から高崎市のフリーペーパーで 『牧水が愛した群馬の地酒と温泉』 なんていうエッセイの連載がスタートしたばかりですから、嫌いじゃありませんけどね。
しかも、酒と温泉が好きなところは、確かに似ています。
けどね、あそこまでは呑めませんって!
朝2合、昼2合、夜に6合=計一升を365日毎日たしなんでいたんですぞ!
でもね、せっかく偉大な歌人の名前を冠にいただいたのですから、大切に名乗らさせていただきます。
「ボクスイジュンと申します。 以後よろしゅうお願いいたします」
ていうか、気が付いたら僕の酒好きは、知れ渡っているようであります。
今年一年間を振り返っても、日本酒、焼酎、ウィスキー、ビールが、ひっきりなしに届きました。
ま~、すべて消耗品ですから、いくらあっても邪魔にはなりませんので、ありがたくいただくことにしています。
と思ったら、つい先日も、ビールが届きました。
それも銘柄は、このブログのプロフィール写真に写り込んでる “某社の某搾り” であります。
見ている人は、見ているんですね。
これまた、ありがたくいただきました。
それにしても、せっかちなサンタクロースがいたもんですな。
クリスマスには、まだ2週間もありますぜ!
ひと足も、ふた足も早くクリスマスプレゼントが届いたことになります。
え、なに?
クリスマスプレゼントじゃない!?
これ、「お歳暮」 っていうの!
お後がよろしいようで……(ジャンジャン)
2023年11月08日
ぼんじりの秋
『しらたまの歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり』 牧水
めっきり秋らしくなってきました。
秋といえば、酒です。
(一年中ですが)
酒といえば、やっぱ日本酒ですね。
(毎日のことですけど)
当ては、まずは、焼き鳥から始めるのが定番です。
(やっと今日の本題に入りました)
となれば、僕は決まって 「ぼんじり」 を注文します。
「ぼんじり」 とは?
一般には馴染みのない部位かもしれませんが、酒呑みにはファンが多い部位だと思います。
鶏のお尻の骨まわりの希少な肉です。
“鶏肉の大トロ” とも呼ばれ、脂がのっていて、噛むとブリッとした弾力があり、それでいて歯切れがよい。
「ぼんじり」 という言葉の由来は、雪洞(ぼんぼり)のように “かわいい尻の肉” だからのようです。
ちなみに僕は、カリカリに焼いて、塩をサッと振って、熱々のうちに食べるのが好きです。
最近は街中のスーパーでも売っているので、未体験の人は一度、“味体験” してみてください。
なんて話していたら、も~う、ヨダレが出てきました。
夜まで待てそうにありません。
牧水先生も日に一升、朝から呑んでいたといいますから僕もいいかな?
『人の世にたのしみ多し然(しか)れども 酒なしにしてなにのたのしみ』 牧水
2023年10月21日
酒乞食
死んだオヤジは生前、自分のことを自ら 「麺乞食(めんこじき)」 と呼んでいました。
それほどまでに無類の麺好きでした。
こんなエピソードがあります。
オヤジとオフクロが、まだ結婚する前のこと。
オヤジがオフクロの家を訪ねると、オフクロの母親 (僕の祖母) が、うどんを打ってくれたといいます。
オヤジいわく、
「こんなうまいうどんが、いつでも食べられるんなら」
と、プロポーズしたとのことです。
真偽のほどは定かではありませんが、確かに、朝昼晩と麺を食べていたほどの麺好きではありました。
そのDNAは、僕にも受け継がれています。
でも僕には、麺類よりも好きなものがあります。
はい、酒類です!
“酒” とは言わずに “酒類” と言ったのは、酒ならば洋の東西を問わずに、なんでも好きだからです。
1年365日、成人したその日から1日たりとも欠かしたことはありません。
どんなに疲れていても、風邪をひいても、毎晩必ず酒を口にします。
オヤジに言わせれば、「お前は酒乞食っていうやつだな!」 と笑われそうです。
酒好きには、悪いクセがあります。
それは、どこでもかまず、酒好きを自称してしまうことです。
たとえば、このブログです。
プロフィール写真を見てください。
僕は、うれしそうにビールのロング缶を持っています。
しかも、銘柄までハッキリと分かります。
「一番搾り」
だもの読者は、「小暮さんは、キリンの一番搾りが好きなんだ!」 と勘違いするわけです。
もとい!
勘違いではありません。
事実ですが、ビールなら何でも呑みます。
でも、この1枚の写真が読者の脳裏に刷り込まれるわけです。
すると……
お中元、お歳暮に限らず、宴の席でも僕のところには 「一番搾り」 が届くようになりました。
ブログの力は偉大です。
数年前から芋焼酎の 「赤兎馬(せきとば)」 が届くようになりました。
これも、僕が好きな酒として、ブログに書いたからです。
う~ん、まるでブログはアラジンの魔法のランプのようです。
記すと、願い事が叶ってしまいます。
以前、取材先で、生まれて初めてウイスキーの 「山崎」 を呑んだことを書きました。
そして、忘れられない美味しさだったことも……
でも、僕のような低所得者が、ふだん気軽に呑める酒ではありません。
一本、何万円もする高級酒であります。
ところが!
読者の中には、奇特な人がいるものです。
「小暮さん、ミニボトルですが山崎が手に入りましたので、お持ちします」
との連絡がありました。
「えっ、本当? 冗談でしょ? 酒乞食だと思って、からかってんじゃないの?」
と半信半疑でいると……
なななんと、本当に届きました!
しかもラベルには、“1923” の文字が!
1923とは、山崎蒸溜所が稼働を始めた年であります。
大変貴重なビンテージ物じゃありませんか!
意を決して昨晩、開封しました。
うわわ~、この香り、たまら~ん!
「し・あ・わ・せ」
の4文字が、フワーっと口の中一杯に広がり、やがてスーッと喉の奥へと流れて行きました。
ああ、酒乞食で良かった!
読者のみなさま、今後とも、この吞兵衛を末永くよろしくお願いいたします。
2023年10月08日
秋の12時間飲酒マラソン
4年ぶりに開催された “マラソン大会” に参加してきました。
えっ、いつからランニングを始めたのかって?
違いますって!
マラソンはマラソンでも、頭に 「飲酒」 の文字が付く、僕が最も得意としている競技ですよ!
コロナ前までは毎年、秋に開催されていた某社の 「秋のバス旅行」 です。
今年、4年ぶりに再開しました。
参加のお誘いをいただいたときから、僕はもう、イソイソ、ソワソワしちゃって、日々のトレーニングを重ね万全の体調にて当日を迎えました。
このバス旅行、別名 「飲酒マラソン」 と呼ばれています。
目的地なんて、どこでもいいんです。
バスのシートに座った途端に、スタートの号砲が車内に響き渡ります。
午前7時。
バスは一路、新潟県を目指して、高崎駅を出発。
「カンパ~イ!」
Y社長の発声とともに、出場選手は一斉に缶ビールを呑み始めました。
いよいよ、恒例の “12時間飲酒マラソン” がスタートしました。
最後部座席は、プレミアムシートです。
そう、優勝候補の招待選手の面々が座っています。
「おお、小暮さん、お速いですね。もう2本目ですか?」
僕は毎回、ペース配分ができません。
とにかく、先手必勝とばかり、バスが高速道路に乗る頃には、2本目のプルタブを引いていました。
さー、隣の席のTさんも負けじとばかりに、2本目に手を出しました。
負けてはいられません。
「そろそろ日本酒に行きますか?」
と、Y社長。
「まだ9時前ですよ?」
「いいじゃないですか! 4年ぶりの開催なんですから」
の言葉に、
「では、では」
と紙コップをを差し出す僕。
なんと、注がれたのは群馬の名酒 『群馬泉』 であります。
「これはウマい! ウマすぎる!」
バスの揺れに合わせて、五臓六腑に染みわたります。
「そんなに美味しいですか?」
ふだんは、あまり日本酒を呑まない2つ隣の席のK君が訊いてきました。
「やってみれば?」
「では、いただきます」
と雰囲気にのまれたのか、日本酒に手を出しました。
最初の目的地、弥彦神社に着いた頃には、すでに全員、出来上がっていました。
「昼は、どうしますか?」
とTさん。
「ビールで、胃の中を少し薄めますか?」
「そうしましょう」
と、寺泊の昼食会場では、各人にジョキの生ビールが配られました。
いよいよ、午後は各自、ラストスパートをかけて、さらにピッチを上げてきます。
「それでは、ここで恒例の ”小暮淳さんのワンマンショー” をお願いしたいと思います。今回は、ビッグニュースの発表があります」
と、バスの前方から幹事の声がして、僕はマイクを取りました。
毎年、僕は帰りのバスの中で、コーナーをいただいています。
本を出版した時は、クイズやゲームをして、正解した人にはサイン入りの著書をプレゼントしてました。
今回は、「ビッグニュースの発表」 というテーマで、某テレビ番組に出演した時のエピソードトークと、カラオケに合わせて、お約束のオリジナル曲 『GO!GO!温泉パラダイス』 の歌唱を披露しました。
午後7時。
バスは無事、高崎駅に帰ってきました。
いったい、どれくらいの量の酒を呑んだのでしょうか?
あまりにも呑み続けた時間が長すぎて、逆にヘベレケに酔っぱらっている人は一人もいません。
たぶん、午前に呑んだ酒なんて、とっくに覚めているんでしょね。
バスから降りると、ほてった肌に秋の夜風が心地よいのであります。
「小暮さん、この後は?」
Y社長が声をかけてきました。
「いや、別に何も」
「では、もう少し行きますか?」
「はい、お供いたします」
ということで、“追い酒” をしに夜の街へと歩き出しました。
2023年12時間飲酒マラソン、完走!
2023年09月17日
ボーダー
「小暮君ってさ、ときどき、“あちら側” っていう言葉を使うよね? あれって、何?」
「……」
「あちら側もこちら側も、ないんじゃないの? みんな同じ人間なんだから」
20代の頃、女友達に問い詰められた記憶がよみがえりました。
いつもの居酒屋でのこと。
いつもの席で、ひとり手酌で呑(や)っているときでした。
「ジュンちゃん、隣いい?」
ママに促されて、一人の客が隣の席に座りました。
初めてお会いする方です。
「こちら○○さん、よろしくね」
「小暮です」
袖すり合うも他生の縁、であります。
まずは、出会いに乾杯しました。
「小暮さんは、この店、長いんですか?」
「15年くらいかな」
「常連さんだ。私は、つい最近通い出したんですよ」
その人は、僕より年上に見えました。
「私、こういう者です」
居酒屋では珍しく、その人は律儀に名刺を出しました。
すでに定年退職している身分のようで、名刺に書かれている肩書きは、自治会の役員名でした。
仕方なく、僕も名刺を渡しました。
僕の名刺の肩書は、“writer” です。
「……」
読めなかったようで、顔をしかめています。
「ライターです」
「ライター?」
「しがない売文業ですよ」
すると、会話を聞いていたママが、助っ人に入ってくれました。
「ジュンちゃんはね、こういう本を書いている人なの」
と、カウンター内の棚に置かれている数冊の僕の著書を指さしました。
ここまでは、今までもたびたびあったシチュエーションです。
「へー」 とか 「あら、すごい方なんですね」 とか、話の流れでお世辞を言ってくれたりして、その場は難なく過ぎ去るのが常でした。
ところが、その人は違いました。
「えっ、その仕事で、食べていけるんですか?」
と、言ってきたんです。
しかも、たった今、会ったばかりの初対面の僕に対して。
ビックリするやら、あきれ返るやら、一瞬、僕は言葉を失い、なかなか二の句を継げずにいました。
やっと出た言葉が、
「食べられない時期もありましたよ」
すると、今度は、
「じゃあ、どうしてたんですか?」
と無礼にも、さらに突っ込んでくるものだから、言ってやりました。
「食べませんでした」
きっと、その人にとっては答えになっていなかったんでしょうね。
「えっ? えっ?」
と、見るからにパニック状態です。
思考回路の中に無い言葉が出てきたため、完全に脳がショートしてしまったようです。
あちら側の人間……
忘れかけていたフレーズをが、記憶の奥から湧き上がってきました。
「あちら側」 とは、僕が若い頃に夢中になって読んでいた漫画の主人公のセリフです。
『迷走王 ボーダー』
(狩撫麻礼/原作、たなか亜希夫/作画)
見えない常識に支配された一般的な世界のことを 「あちら側」 と呼んでいました。
「あちら側もこちら側も、ないんじゃないの? みんな同じ人間なんだから」
追って、遠い昔に聞いた女友達の言葉もよみがえってきました。
だよね。
分かってるって。
でもね、やっぱり、この歳になっても “あちら側” の人って、苦手だな(笑)。
2023年07月12日
団扇の効用
「団扇」 と書いて、「うちわ」 と読みます。
その存在は知っていても令和の現在、家にはない人が多いのではないでしょうか?
エアコンに扇風機の暮らしに慣れてしまい、今では無用の長物になってしまいましたが、かつて昭和の時代は “夏の必需品” でした。
我が家には、あります。
それも何本も!
が、すべてプラスチック製です。
過去に祭りやイベントでもらった広告入りの販促品ばかりです。
その時は屋外で使ったのでしょうが、家に持ち帰った途端、やはり “無用の長物” になりました。
でも、僕は家以外の場所で、頻繁に使っています。
そこは、ご存知、我らのたまり場、酒処 「H」。
そう、昭和をこよなく愛するオジサマやオバサマが足しげく通うレトロな “居酒屋テーマパーク” であります。
店内は細長く、カウンターだけの8席のみ。
毎日が満員御礼で早い者勝ちですから、常連客らは連日の猛暑の中でも日中から通います。
僕も、その一人です。
で、この時期、カウンター席に腰かけると、まず最初に出てくるのが、冷たいおしぼりと団扇なのです。
それも、ちゃんと職人の手で造られた竹製の団扇です。
「わ~、気持ちいい~!」
と、まずは、おしぼりで顔と手を拭きます。
「とりあえず、ビールね!」
と告げると、客らは一斉に、パタパタと団扇をあおぎだします。
「今どき、団扇?」 って思いますか?
「エアコンは、ないの?」 って?
そこが、この店のいいところなんです。
そこそこ冷房は効いています。
が、涼しくはありません。
ギリギリ、汗が出ない程度の冷房です。
しかも、入口のドアは開いています。
全開です。
えっ、「もったいない」 って?
そこが、昭和をこよなく愛する人たちへのママの気の使いようなんですね。
時おり流れ込む天然の “風” を感じてほしいという、心憎いサービスなのです。
で、団扇が大活躍をするというわけです。
こっちでパタパタ、あっちでパタパタ、となりでパタパタ……
キーンと冷えたビールを呑みながら客たちは、もう片方の手で団扇をあおぎます。
そんな時、カウンターの中でママは何をしているのかといえば?
ゆ~っくり、ゆ~っくり、こちらに団扇を向けてあおいでいます。
“おくり風” であります。
昭和の時代、寝ている子どもや来客者に対して、母親やそのうちの奥様は団扇で、このやさしい風を送っていました。
“もてなしの心” なんですね。
愛情を感じます。
僕らはママから愛されているんだ!
そう思うと、ちょっぴり目頭が熱くなってきました。
「ジュンちゃん、どうしたの?」
「いや、いいなぁ~と思ってさ」
「何が?」
「ママのあおぐ団扇の風だよ」
「あら、そう?」
「うん、とっても懐かしいよ」
「うちは、昭和だからね」
そう言いながらママは、手を休めることなく、僕らに風を送り続けてくれました。
昭和って、いいな~!
2023年07月08日
昭和のにぎわい
<中央通りは、今、久し振りに人の波が押し寄せて来ています>
いつもの店のいつものカウンターで、数名の常連客らと酒を呑み交わして時でした。
一本のメールが届きました。
送信主は、前橋市の中心商店街で店を商う友人でした。
「今日は、七夕まつりなんですね」
と僕が言えば、
「そうなのよ、珍しく人通りが絶えないのよ」
とママが応え、
「今さ、通り抜けてきたんだけど、まっさか(かなり)、すごい人だいね」
と常連が言葉を継ぎました。
夏の風物詩 「前橋七夕まつり」 は、昭和26(1951)年から開催されている北関東最大級を誇る祭りです。
でもね、娯楽の少なかった昭和の時代を知っている我々以上の世代からすると、平成以降の祭りは、年々、規模も小さくなり、人出も少ないように映っていたのであります。
それが皆が皆、口をそろえて 「すごい人」 と言うのだから、この目で確かめるしかありません。
「あれ、ジュンちゃん、もう帰るの?」
「ああ、ちょっくら、その “にぎわい” とやらを検証してこようと思ってね」
ママとの会話に、常連が口をはさみます。
「小暮さん、痴漢はするなよ」
「ちかん? なんだい、それ?」
「それくらい若い女の子が、いっぱいいるっていうこと。とにかく、すごい人だから」
そんなヤジに見送られて、僕は早々に店を出ました。
大通りを渡ると、すでにバリケードで規制線が張られ、警官が何人も立っていました。
「本当だ、なんだか物々しい警備だな」
と思って、一歩、中心商店街に足を踏み入れた途端、人、人、人、人……
「うそ!? なんだ、この光景は!?」
目の前は、まるで昭和40年代にタイムスリップしたかのような世界が広がっていました。
色とりどりの吹き流しや短冊が風になびいています。
射的や金魚すくい、たこ焼きに人形焼き……
屋台が軒を並べ、露店商らの声が響きわたっています。
「昭和だよ、昭和だ」
オヤジとオフクロとアニキと出かけた、遠い遠い夏の思い出がよみがえってきました。
あっという間に人波にのみ込まれ、思う方向にも歩けず、ただ流れに任すだけ。
家族連れもいますが、夜ということもあり、圧倒的に若者の姿が目立ちます。
浴衣姿の男女が仲睦まじく、かき氷を頬張ったり、紙コップの生ビールを呑んだり……
ああ、なつかしい。
まだ日本には、こんなにもノスタルジーな世界が残っていたんですね。
でも、令和ならではの光景もあります。
それは、外国人の多さ。
留学生なのでしょうか?
慣れない浴衣を着て、日本の夏を笑顔いっぱいに楽しんでいます。
ん~、いい。
実にいい。
これぞ正しい、日本の夏の姿よ!
それにしても、この人たちは、ふだんはどこに、いるんでしょうかね?
というより、前橋という街に、こんなにも人がいたことが驚きです。
コロナの影響もあり、4年ぶりの完全開催ということも、この人出を招いたんでしょうね。
祭りの喧騒をあとに、ほろ酔い気分で夜風に当たりながら家路をたどりました。
2023年06月14日
会いに来た読者
昨日、「会いに行けるライター」 というタイトルでブログを書いたところ、呑み会の席で、このキーワードが飛び交っていました。
呑み会の名は、「弟子の会」。
僕のことを勝手に、“先生” とか “師匠” と呼ぶ温泉好きの集まりで、2016年11月に発足しました。
2カ月に1回、年6回、顔を合わせて酒を酌み交わしています。
「まさに先生は、“会いに行けるライター” ですよね」
から始まり、
「でも、会いに行くまでには、勇気と覚悟がいりました」
と続き、
「会ってしまえば、ただの吞兵衛のおっさんなんですけどね」
と、笑い話に収まります。
それでも各々には、僕と出会うまでの葛藤の日々があったようです。
Tさん(男性) とKさん(女性) は、僕が講師を務めるカルチャースクールの温泉講座の生徒でした。
Tさんは、受講以前から僕の講演などに参加していたといいます。
偶然にも火曜日が仕事の定休日だったこともあり、平日に開講される講座に参加することができました。
Kさんは、僕の著書に出会ってから、
「どうしたら小暮淳に会って、話ができるのか?」
と考えていたようです。
講演にも来てくれていたようですが、“会う” ことはできても、“話す” ことはできなかったといいます
一念発起し、彼女は講座が開講される毎月火曜日に有休をとって、仕事を休み、受講することにしました。
Sさん(男性) は、さらに古い読者です。
13年前の、このブログの開設当時からの読者で、たびたびコメントを寄せてくれていました。
しかし僕は、Sさんのペンネームは知っていても、本名は知らず、当然、姿を見たことがありませんでした。
例えば、こんなことがありました。
僕が講演会場へ行くと、受付に菓子折りが届いていました。
「これは?」
主催者にたずねると、
「ええ、男性の方が来て、先生に渡してくださいと」
まったくもって、謎の人物でした。
そんなSさんとKさんが7年前に、ある会合で偶然に出会い、これまた偶然にも温泉話になり、やがて僕の話になり、「だったら小暮淳に直談判しよう!」 ということになり、弟子の会が誕生しました。
Nさん(女性) の場合は、かなり特殊な出会いでした。
以前からブログにはコメントを寄せてくれていましたが、男か女か、どこに住んでいる人なのかは不明でした。
ところがある日、出版社に1通の手紙が届いたのです。
その内容に、僕は心を打たれました。
プライベートな内容なので、ここでは割愛しますが、「とにかく直接会って、話がしたい」 とのこと。
在住する東京からわざわざ前橋まで、会いに来てくれました。
以来、弟子の会のメンバーとして参加するようになりました。
「わたしたちはさ~、小暮淳に会うためにね~、努力をしてきたわけ~」
酔いも加わり、Kさんの詰め寄りに、僕はたじたじであります。
「分かります~!?」
「は、はい。分かりますよ」
「なら、よろしい!」
まったくもって、どっちが師匠で、どっちが弟子だかわかりませんが、心が真っすぐな連中であることは確かです。
この師匠あって、この弟子あり。
いや、この弟子あってこその師匠かもしれませんね。
「“会いに行けるライター” だからって、簡単に会えると思うなよ~!」
Kさんのテンションは、マックスであります。
うれしいやら、はずかしいやら、複雑な思いで杯を重ねました。
でも、美酒であることには間違いありません。
みんな、ありがとね!
愛してるよ~!!
2023年04月12日
1960の壁
最初は、何気なく口ずさんだ 『鳥の唄』 という童謡でした。
♪ ハトとトンビとヤマドリとキジと カリガネとウグイスが一緒に鳴けば
ククピン ククピン ピンカラショーケン ソーリャーケンケン……
すると、カウンターの中のママも一緒に、口ずさみ出しました。
「なに、それ?」
「聴いたことない!」
「昭和の歌っぽ~い」
他の客らが、口々に反応しました。
久々に、酒処 「H」 に愉快な仲間が集まりました。
カウンター席は、この日も満員です。
「だったら、これは知ってる?」
と僕が歌い出したのが、『サラスポンダ』 というオランダ民謡でした。
♪ サラスポンダ サラスポンダ サラスポンダ レッセッセ
サラスポンダ サラスポンダ サラスポンダ レッセッセ
オドラオ オドラポンダオ オドラポンダ レッセッセ
オセポセオ ♪
すると、隣の男性も口ずさみ、なんとカウンターの中のママは腰に手を当てて、コサックダンスよろしく踊り出しました。
「なに、それ?」
「知らな~い!」
「フォークダンス?」
その他の客は、笑い転げています。
でも、この日の客は、みんな同世代のはず。
いや、微妙に違う……
50代半ば~60代後半?
なのに、2つの曲を 「知っている人」 と 「知らない人」 に分かれました。
「おい、境界線はどこだ?」
ということになり、たどってみると、「知っている人」 と 「知らない人」 の境目は、昭和35(1960)年より前に生まれた人と、後に生まれた人に分かれました。
1960年以降に、何が起きたのか?
「サラスポンダ」 という不思議な響きを持つ言葉の意味とは?
愉快な仲間たちは、笑い転げながらも昭和35年以前に生まれた諸先輩たちから手ほどきを受け、歌詞を覚え、しまいには、みんな一緒に歌い、踊ったとさ。
めでたし、めでたし。
※(歌については、当ブログの2015年10月11日 「サラスポンダ」 を参照)
2023年03月10日
湯道から酒道へ
昨日の続きです。
映画 『湯道』 を観た僕は、脚本家の小山薫堂氏が提唱する “入浴” の精神と様式を突き詰めることで完成する 「湯道」 の所作を入浴施設にて、さっそく実践することにしました。
一、合掌
すべては感謝の気持ちから始まります。
二、潤し水
入浴前の水分補給は大切です。
三、衣隠し
脱いだ衣服には、生きる姿勢が現れます。丁寧にたたみました。
四、湯合わせ
いわゆる 「かけ湯」 ですが、見かけだけのかけ湯は厳禁です。しっかりと体を洗い流し、「湯を汚さない」 ことを心得ます。
五、入浴
ゆっくりと右足から浴槽に入ります。もちろん、手ぬぐいは頭の上に置きます。
六、縁留 (ふちどめ)
湯に体を沈め、おしりをつき、ゆっくりと体を後ろに倒し、縁の頂点でピタリと止めます。
七、湯三昧 (ゆざんまい)
湯に投入すれば、自ずと心の垢(あか)が剥がれ、汚れのない穏やかな気持ちになります。その到達地点を 「洗心無垢」 と呼びます。
八、垢離 (こり)
汗がじんわりと出てきたら、一度湯から上がり、水をかぶります。これを繰り返すことで、自律神経が整い、全身の血行が促進されます。「垢離」 とは神仏に祈願する際、水を浴びて心身を清め、一切の雑念を払って精神の集中をはかる 「水ごり」 のこと。
九、近慮 (きんりょ)
入浴を終えたら、椅子を正位置に戻し、使用した湯桶をきれいに洗い、逆さまにして残った水を切ります。「近慮」 とは、次に入浴する人が不快にならないよう慮(おもんばか)る行為のこと。
十、風酔い
湯の余韻に身を任せ、かすかな風の揺らぎにも幸せを感じます。「風酔い」 とは、湯上りに覚醒すること。
十一、合掌
感謝に始まり、感謝に終わります。
無事、整いました!
時計を見れば、まだ午後の3時半です。
「湯道」 が整えば、次は、我が吞兵衛家が提唱する 「酒道」 の所作が待っています。
心地よく春風を肩で切りながら、家元のいる酒処 「H」 の暖簾をくぐりました。
一、合掌
すべては感謝の心から始まります。
二、潤し酒
「とりあえずビール」 と言って呑む湯上りのビールは、至福の一杯となります。
三、酒合わせ
「湯道」 のかけ湯と同じ。いきなり日本酒に行くのではなく、ビールや焼酎を2、3杯呑んで体を慣らします。
四、呑酒 (どんしゅ)
いよいよメインの酒に口を付けます。僕の場合は、冷の地酒を切子細工のグラスでいただきます。
五、酒三昧 (さけざんまい)
作法はありません。好きな酒を好きなだけ呑み続けます。
六、ほど酔い
いくら酒が好きでも、酒に吞まれてはいけません。程よい酔い方 「ほど酔い」 にて、店を切り上げます。
七、合掌
「湯道」 と同じく、感謝に始まり、感謝に終わります。ママの美味しい手料理と、気の置けない常連客にも手を合わせて感謝!
以上、一日にして、2つの道が整いました。