2013年06月29日
さまよう幽霊文
これは職業柄かもしれませんが、雑誌や新聞を読んでいて、ときどき気になる文章があります。
それは、誰が書いているのだか分からない 「幽霊文」 です。
先日も、雑誌を読んでいて、こんな文章をみつけました。
<私は、○○のような高級旅館だったら、わずかな額でもご祝儀袋に入れて渡すことにしている。>
と、「旅のワンポイントアドバイス」 とタイトルの付いたコラム風の記事でした。
旅先でのチップの有無の話を書いているのであります。
文章自体は、とっても分かりやすく、大変ためになる事柄が書かれていました。
ただ、「私」 と一人称で書かれているのに、ライターの名前がありません!
もしかしたら、ライターではなく、編集者が書いているのかもしれません。
だったら、なおのこと、この文章は三人称の文体で書かれなくてはなりません。
これでは、声は聞こえど、姿が見えない幽霊と同じです。
読者への配慮が足りない企画だと言えるでしょう。
たとえ、「私」「僕」 の一人称の文体で書かれていなくても、「筆者は誰だ?」 と尋ねたくなる文章というのもあります。
これは最近、某新聞の紙面で見つけた、「登山ガイド」 の記事です。
<下山後は○○温泉街にあるそば屋で昼食。共同浴場で汗を流した。>
とあるが、温泉で汗を流したのは、誰ですか?
記者の名前はありませんが、完全なる一人称の文体です。
これでは、読んでいる人は、消化不良を起こしてしまいます。
山を登ったのは、男なのか? 女なのか?
若い人なのか? 年配者なのか?
まったく、分かりません!
文末を、こんな文章でまとめています。
<登山と温泉をセットで楽しめるのも△△山の魅力だ。>
と。
このことが言いたいばかりに、記者は自分の体験談として 「汗を流した」 という一人称を使ってしまったようです。
本来、無記名の記事ならば、ここは 「下山後は、共同浴場で汗を流すこともできる」 などと、三人称で書かなくてはなりません。
最近は、書いた記事に責任を持たせるために、文末に記者の名前を入れる新聞もありますが、まだまだ少数派のようです。
どうか、記者やライターのみなさん、記名文と無記名文での文章の書き分けをしてください。
少なくとも、「おいしい」「まずい」 といった嗜好や、「嬉しい」「悲しい」 といった感情を入れた文章は、必ず記名でなくてはなりません。
誰が食べているのか?
誰が感じたのか?
できれば名前だけでなく、生まれ年や出身地などの簡単なプロフィールがあると、よりリアリティーをもって、読者へ伝わるんですけどね。
せめて性別と年代だけでも、記載してほしいものです。
2013年06月28日
元気に死ぬべぇ
先日、テレビを観ていたら、とっても元気なおばあさんが出ていました。
御歳、90歳。
なのに、全力で走ったり、猛スピードで自転車を漕いだり、はたまた木登りまでしてしまいます。
ただただ、感心しながら観ていました。
そして、一言・・・
ウ・ラ・ヤ・マ・シ・イ
だって、このおばあさんは、僕のオヤジより2歳も年上ですよ。
それに引き換え、うちのじいさんは、走ることも、自転車に乗ることも、まして木登りなんて、とーんでもございません。
さらにオヤジより4歳年下のオフクロにいたっては、かなり体力が衰弱していますからね。
走ったら、即、あの世へ逝ってしまいそうです。
う~ん、やっぱりスゴイ!
きっと、あのおばあさんは、死ぬその日まで、元気いっぱいなんでしょうね。
うらやましい限りであります。
僕の知り合いに、永澤徹さんという、これまた元気なおっさんがいます。
赤城山麓で 「ルンズ・ファーム」 という、ぶどう園を経営しています。
最近は、温泉を掘り当てて、「天地の湯」 なんて日帰り温泉施設なんかもやっている人です。
永澤さんは、その昔、『元気で死ぬべぇ』(みにむ) という本を出版しました。
群馬の人じゃないんですけどね、なぜか上州弁を使います。
彼は、この本の 「まえがき」 に、こんなことを書いています。
<一日生きることは、一日老いること。そして死にちかづくこと。
けれど、一日成長することでもあり、思い出をつかみかさねてゆくことでもある。
精一杯生きた日は悪い夢は見ない、と聞いたことがあります。
人生さいごの永遠の眠りも、きっと同じなのでしょう。>
本書では、どうすれば死ぬまで元気でいられるのか?を、彼独自の視点でつづっています。
当然、介護の問題にも触れていますが、彼は介護の要らない “死に方” を提案しています。
<「昨日までお健やかでしたのに……」
という言葉におくられて、爽やかに逝く。
天から戴いた寿命の、最期の最期のときまで、その生涯を元気一杯で生命を燃焼し尽くせる自分でありたい。>
と。
そして、巻末の 「あとがき」 では、こう締めくくっています。
<元気に死ぬということは、元気に土に還るということ。
生あるものはすべて、やがて土として還る。
人もまた同じ。
元気に死んだ肉体は、元気で健康な土として甦る。
(中略)
「健康」 の究極の目的は、元気に土に還る。この一点ではないか。>
そう、言い切っています。
「死ぬまで元気でいる」 のではなく、「死ぬときも元気に死んでいく」 ことが最大の幸せなんだと・・・
今日は金曜日。
実家のオフクロが、デイサービスへ出かける日です。
ふだんは両親の面倒を看てくれている兄ですが、そもそも仕事も家族も東京にある人ですから、時々は東京へもどります。
そう、今日は 「おじいさんといっしょ」 の日でありました。
いつものように、一緒に散歩へ行って、一緒に昼食をとって、一緒に昼寝をしてきました。
上を見たらキリがありませんって。
でも、走れないけど、歩けます。
自転車には乗れないけど、バスには乗れます。
木には登れないけれど、階段は昇れます。
かなりボケてるので、100点満点はやれないけれど、それでも80点はあげられる元気なおじいさんです。
じいさん、このまま元気に死ぬべぇ!
2013年06月27日
DVD、今日から発売!
僕が11年前に書いた絵本 『誕生日の夜』(よろずかわら版) が、このたび挿画を描いてくださった画家でイラストレーターの須賀りすさんの朗読により、新たにDVDとして発売されることになりました。
須賀さんは、四万温泉のポスターで群馬県知事賞を受賞した画家として知られていますが、ぐんまこどもの国(太田市) のマスコット 「ニコットちゃん」 や、吾妻郡中之条町のキャラクター「中之条小町」などを描いたイラストレーターでもあります。
そんな多彩な彼女の、もう1つの顔が、朗読家。
現在、エフエム群馬にて、絵本の朗読番組を担当しています。
※(詳しくは、当ブログの2013年2月20日「誕生日の夜朗読DVD」、6月3日「本日、試写会。いよいよDVD発売!」参照)
この絵本 『誕生日の夜』 の朗読DVDは、須賀さんの個展会場および朗読会のみの販売となります。
定価は1,000円(税込)
DVDと原作ミニ絵本がセットになっています。
また1冊300円にて、ミニ絵本のみの販売も行っています。
そのDVD発売を記念した個展が、今日から前橋市のギャラリーで始まりました。
ぜひ、この機会に、須賀さんの世界に触れてみてください。
会場では、アクリル画とDVDのほか、Tシャツやポストカードなど、オリジナルグッズが多数販売されています。
『 須賀りす 作品展 』
■会 期 2013年6月27日(木)~7月2日(火)
11:00~17:00(最終日は15:00まで)
■会 場 蕎麦・カフェ&ギャラリー 「柚子の木」
群馬県前橋市敷島町257-24
(敷島公園ばら園 西側)
TEL.027-212-5321
2013年06月26日
夏だ!ライブだ!四万温泉②
ま~、珍しいこともあります。
練習嫌いで有名なバンドなのに、どーしんたんでしょうか?
この平日の雨の中、メンバー全員が集まって、念入りに練習です。
それも、2週間前に続いて、2回目です。
と、いうのも、今回は1日2ステージもあるからなんです。
加えて、曲の入れ替えが4曲もありました。
そんなかんだで、いつもになく、練習に熱が入っているのです。
日にちは、6月30日。今度の日曜日です。
場所は、四万温泉内の2会場で、下記の時間に行います。
どちらも観覧無料ですので、気軽に遊びに来てくださいね。
メンバー全員、お待ちしていま~す!
『レトロ通りの懐かしライブ 2013』
■日 時 2013年6月30日(日) 13:00~17:00
■会 場 四万温泉 落合通り商店街
※(雨天の場合は変更あり)
■観 覧 無料
■出 演 一般公募アーティスト 約20組
(我々「KUWAバン」 は16:00頃の予定)
■問 合 四万温泉協会 TEL.0279-64-2321
『第9回 積善館ライブ』
●日 時 2013年6月30日(日) 20:45~22:00
●会 場 四万温泉 「積善館」 佳松亭ロビー
●観 覧 無料
●出 演 KUWAバン Vo.G 桑原 一
Vo.G 小暮 淳
G 木村 正明
Ba 酒井 寛
●問 合 四万温泉 「積善館」 TEL.0279-64-2101
2013年06月25日
坂口温泉 「小三荘」④
<北に名湯 南に薬湯>
これは、先日、上毛新聞に掲載された僕の講演を取材した記事の見出しです。
僕が、講演やセミナーなどで、よく言っている言葉です。
「群馬県は北に名湯あり、南に薬湯あり」 ってね。
取材した記者さんは、この言葉にインパクトを感じたようで、記事の中でも使っています。
さすがです!
写真も大きかったですが、この見出しの文字も大きくて、大変目立っていました。
では、<北に名湯 南に薬湯>の意味とは?
群馬県の温泉は、赤城山、榛名山、浅間山を結んだラインを境に、北と南で温泉の温度が極端に異なるということです。
北は高温泉(42度以上) が湧き、南は冷鉱泉(25度未満) が湧いています。
温度の高い温泉は、それだけで、ありがたいものでした。
昔から 「上州三名湯」 と呼ばれる草津温泉、伊香保温泉、四万温泉は、すべてラインの以北にあり、高温泉です。
それに対して、ラインより南に古くからある温泉は、ほとんどが冷鉱泉です。
何百年も前から、冷たい源泉を “沸かしてまで” 入浴していました。
それは、なぜか?
薬効があったからにほかなりません!
これが、僕が説く、「北に名湯あり、南に薬湯あり」 のゆえんです。
今日、訪ねてきた旧吉井町(現・高崎市) にある坂口温泉の一軒宿 「小三荘」 も、西上州を代表する名薬湯です。
開湯は、約300年前と伝わります。
明治時代には、「塩ノ入鉱泉」 と呼ばれていました。
名前に 「塩」 が付いているように、なめると、とても塩辛い温泉です。
さらに重曹を含んでいますので、昔から地元の人たちは、この源泉を使って、まんじゅうを作っていたと聞きます。
源泉は、玉子の白身のようにトロンとしていて、ゆで卵のような臭いがすることから 「たまご湯」 と呼ばれていました。
そして、何よりも、その湯は、ズッシリと重い!
「本当だ! 先生の言うとおり、肌がヌルヌルする」
「わ~! 本当に重いお湯ですね」
と受講生たちは、湯舟の中で、手で体をさすったり、湯すくっては、その不思議な浴感を楽しんでいました。
そうです、今日は、僕が毎月講師を務めるNHK文化センターのカルチャー教室 『群馬の名湯・秘湯めぐり』 の講座日だったのです。
「もう、ビックリしました」
「こんな近いところに、こんな素晴らしい温泉があったなんて驚きです」
「来るまでは、『な~んだ、高崎市内の温泉か』 なーんて、期待をしていなかったんですよ」
と、帰りのバスの中では、感動の声が上がっていました。
無理もありませんよね。
だって、高崎市街地から車で、たった30分の距離なんですから。
でも、受講生の誰一人として、知っている人がいなかった温泉です。
まさに、灯台下暗しの秘湯です!
さらに、
「料理が美味しかった!」
「絶対、また来ます!」
だなんて、絶賛する声が飛び交っていましたよ。
うれしいですね~。
みなさんに、講座で紹介した甲斐がありました。
これからも県内の名湯・秘湯を、くまなく紹介していきますね。
来月も、とっておきの秘湯へ、ご案内しますよ。
ご期待ください!
2013年06月24日
TO R
「おい、お前も飲むか?」
「ああ」
「ていうか、お前にもらったビールだけどな」
そう言って僕は、風呂上りに、2つのコップにビールを注ぎます。
1年前から、そんな変哲もない息子との会話が、週に何度か交わされています。
僕の息子は、平成4(1992)年生まれ。
現在、大学の3年生。
夜遊びをしたい年頃ですから、毎日家にいるとは限りませんが、それでも夜中にリビングで一緒になると、僕の晩酌の相手をしてくれます。
今では、当たり前の親子の会話になっていますが、それはそれは長い間、首をなが~くして待ちに待っていた “夢の時間” だったのであります。
男の子を持った父親なら、誰もが描く “あこがれの未来” なんじゃないでしょうかね?
息子が成人したら、一緒に酒を飲むのって・・・
僕も、親のはしくれです。
夢を見ていました。
『月刊 上州っ子』 平成4年6月号
「読者のひろば」 というページに、「TO YOU メッセージ」 という読者からのお便りコーナーがあります。
当時、僕は、この雑誌の編集者をしていました。
「編集後記」 という編集者が一筆記載するコーナーもあるんですけどね。
きっと照れくさかったんでしょうな。
読者のふりをして、「TO YOU メッセージ」 に、こんな原稿を投稿していました。
<TO R (息子の名前)
はじめまして。
君との長い人生が始まりました。
いつの日か、酒を飲み交わす日を楽しみに待ってます。
FROM 父>
今日、21年前の雑誌を、なぜか書庫から引っ張りだして、しげしげと眺めていたのです。
「あ、そうだ……、冷蔵庫の中に、ビール買っといたから」
口数の少ない息子らしい、そっけない伝え方です。
先週の 「父の日」 の夜のことでした。
「おお、ありがとうよ」
と、息子のトーンに合わせて、そっけなく返事したものの、胸の奥から込み上げてくる思いに、ついつい目頭が熱くなってしまいます。
こんな僕でも、人の親なんですね。
冷蔵庫の中に、息子がくれたビールは、あと残り3本。
どうしても、もったいなくて、1人のときは飲めないんですよ。
貧乏性ですから・・・
「帰り、遅くなる。夕飯はいらないや」
先ほど、階下から、家内に告げる息子の声がしました。
なーんだ、いないのか・・・
しょうがない、今晩は発泡酒で我慢するか・・・
TO R
夜遊びは、ほどほどにすること。
FROM 父
2013年06月23日
顔の見える仕事
「建築の世界も同じだ。住む人のための家なのに、下請け業者は、みんな発注元のハウスメーカーの顔色ばかり気にして仕事をしている。だもの、いい家なんて建てられるわけがない」
先日、実家のアトリエで、建築家の兄と久しぶりに熱弁を交わしてきました。
話の発端は、新聞の片隅に出ていた小さな事故の記事。
と言っても、けが人も死者もいません。
僕が仕事をしている編集業界で起きた “事故” を報じる記事でした。
血を分けた兄弟ですから、僕もすぐ熱くなるほうですが、兄も性格はまったく同じです。
話はエスカレートして、昨年の関越自動車道で起きた夜間高速バスの大惨事にまで発展。
「結局、営利のためのコスト削減は、人材や素材の低下を招くんだ。いかに安く、速く作るかばかり考えているから、安全や品質は二の次、三の次にされてしまう。高速道路でのバス事故と同じで、起こるべくして起こっている事故がほとんどだよ」
こんな会話が、昼日中、オヤジの介護はそっちのけで、ヒートアップしていったのであります。
実は、僕が編集者を辞めたのも、同様の理由からでした。
中央の大きな出版社や雑誌社には当てはまらないかもしれませんが、地方のタウン誌や情報誌の世界では、なんといってもクライアント(広告主) が一番なのです。
読者は?
はい、二の次、三の次ということになります。
僕は過去に、3つの雑誌の編集人を経験しました。
1誌は、書店で販売する有料誌です。
といっても、地方のタウン誌ですから販売収入だけでは当然まかなえず、ほとんどを広告収入に頼るしかありませんでした。
あとの2誌は、フリーペーパーですから全収入を広告費で稼ぐしかない雑誌です。
それでも20年くらい前までは、良かったんです。
“読者の顔” を見ながら作ることができましたからね。
ライターは記事を書いて、カメラマンが写真を撮って、デザイナーがデザインをして、写植屋が文字を打って、製版屋さんがいて、印刷屋さんがいて・・・
それはそれは、たくさんの人たちが、読者のもとへ雑誌が届くまでに、文字通り “手間隙かけて” 作っていましたもの。
1号、1号が文化祭のようで、手作り感と達成感に満ちていました。
僕が独立して、フリーになったのは1996年でした。
その頃からだったと思います。
パソコンの登場により、編集業界は大きく変わりました。
さらに追い討ちをかけるように、デジタルカメラが登場します。
これにより、写植屋さんも製版屋さんも姿を消しました。
廃業です。
すべては、パソコンがやってくれますものね。
デジカメの出現も、画期的でした。
その場で、何度でも撮り直しができるのですから、素人でも撮れます。
表紙やグラビアの撮影は無理ですが、それ以外なら編集者が撮ってくる写真で問題ありません。
気が付くと、より安く、より速く、コスト面だけ考えた雑誌づくりへと変貌していったのです。
「だからさ、クライアントのために作っているんならさ、雑誌じゃなくて、広告を寄せ集めたカタログやパンフレットでいいのよ。雑誌っていうからには、読者不在じゃダメでしょ!」
ある時から僕は、読者不在の雑誌を作っていることにイヤ気がさして、編集の世界から去ることを決めました。
ライターという職業に絞り込んだのも、自分の記事を読んでくれる “読者の顔” を意識しながら仕事ができるからに、ほかなりません。
何のために仕事をしているのか?
誰に喜んでもらうために作っているのか?
その小さな新聞記事は、あらためて僕と兄に “顔の見える仕事” の大切さを教えてくれました。
2013年06月22日
メディアの力
昨晩は、久しぶりに浴びるほど飲みました。
ま~、メンバーも新鮮で、話の内容も濃くて、ついつい飲み過ぎてしまいましたね。
ということで今日、目が覚めたのは、正午でした。
「ん~~~、実によく寝た。酒も残ってないし、頭もスッキリしている。外は・・・雨も降っていない! こりゃ、いい日になりそうじゃないかぁ~」
なんて、元気にベッドから飛び起きたのであります。
ピコ ピコ ピコ ・・・
携帯電話のランプが点滅しています。
覗いてみると、メールがいくつか入っています。
なになに、と読んでみれば、どれも 「上毛新聞見ました!」 という内容。
階下へ降りて行き、リビングで新聞を広げると・・・
ゲ、ゲ、ゲゲゲゲーーーーッ!
18面に、でっかく出ています。
<北に名湯 南に薬湯>
の見出しです。
なんの記事かといえば、先週、群馬県生涯学習センターで行われた講演の様子です。
タイトルの字もデカければ、写真もデカイ!
これは、目立ちます。
部屋にもどり、パソコンを立ち上げると、こちらにも仕事関係者からメールが・・・
「ずいぶん大勢の人が集まりましたね」
と書かれていました。
そうです、新聞には、当日の聴講者は約180人と記載されています。
入場者数については、今日初めて知りましたが、そんなに入っているとは思いませんでした。
みなさん、ありがとうございました。
そういえば今週は、メディアの露出が多かったので、仕事先で会う人から声をかけられたり、知人や友人からたくさんのメールをいただきました。
19日(水) は、朝日新聞のコラム連載日。
榛名山中に消えた幻の温泉 「ガラメキ温泉」 について書いたところ、反響をいただきました。
テレビ局のカメラマンからは 「とても興味深い話でした」 と声をかけていただき、また県の温泉協会からは 「貴重な投稿をありがとうございました」 と丁寧なメールが届きました。
ライターは、書いてナンボ、読まれてナンボの仕事ですから、こうやって反響があることが、一番の喜びであります。
19日の夜は、群馬テレビのニュース番組に出演。
コメンテーターとして、温泉の話をしてきました。
この日は、ちょうど作家・太宰治の命日でありました。
ということで、命日の 「桜桃忌」 にちなんで、群馬県内で太宰治が滞在した温泉宿を紹介しました。
生放送のオンエアが終わって、スタジオの外へ出ると、またまたメールの着信が・・・
覗いてみれば、なんと、中学の同級生から!
「お久しぶりです。テレビ見ました。優しい語り口の淳ちゃん、素敵でしたよ」
昔々、隣の席にいた女の子です。
(今はもう女の子じゃありませんが)
でも、こうやってメールをくれるなんて、いいヤツじゃないですか!
同級生とは、ありがたいものですね。
たかだか 「温泉」 という1テーマですが、新聞やテレビ、講演を通じて、こんなにも広がっていきます。
さすが、メディアの力!
たかが 「温泉」 なのにね。
されど 「温泉」 になりつつあるようです。
群馬の温泉の素晴らしさを、これからもドンドン伝えていきますぞ!
2013年06月20日
便所の100ワット
好きなタレントは、柳沢慎吾ちゃんと勝俣州和くん。
なんとなく、自分と同じにおいを感じるんですね。
えっ? いつも意味なくテンションの高いところが似てるだって!
し、し、失礼なーーーっ!
でもね、当たっているかもしれません。
昔から僕は、“便所の100ワット” なんて呼ばれていましたからね。
そのココロは?
「無駄に明るい」んですって!
そーいえば、幼稚園の時、園長先生からつけられたあだ名は 「てんとう君」 でした。
いつもニコニコ( ヘラヘラ) 笑っているから、太陽みたいに明るいという意味だったようです。
高校時代に友人から付けられたキャッチフレーズは、「青春楽天家」 でした。
「いいよな小暮は、悩み事がなくてさ!」
なーんて口さがないことを、言われたもんです。
「なんだよ、そんなことはねーよ! オレだって悩みくらいはあるさ」
と言い返してみたところで、
「あれ、あったっけかなぁ・・・」
と考え込んでしまう楽天家ぶり。
「悩みがないのが、オレの悩みだよ!」
なーんて、いつも、しまいはボケるのがオチでした。
時は流れて大人になっても、僕のテンションの高さは変わりません。
朝からマックスですから、家族はついてきません。
でも、家族だけなら利害関係がないので問題はありませんが、仕事場となるとそうはいきません。
最近になって、昔のスタッフから、こんなことを打ち明けられました。
「正直言って、私。あの頃、朝から編集長のあのテンションの高さにはついていけませんでした」 と・・・
えっ、そうだったの?
もしかして、キミだけじゃなくて、編集室のスタッフ全員が同じことを感じていたのかな?
そんなことを今になって気にしているのですから、僕は本当に根っからの楽天家のようです。
先日、20年来の友人から、我が耳をうたがうような告白がありました。
「オレさ、小暮さんに最初に出会った頃、この人は病気かと思っていたんだよ」
び、び、びょーーーーーき!?!?!?
どうやら彼は、僕がいつも 「そう状態」 にある心の病気にかかっている人だと勘違いしていたというのであります。
もちろん今は、その後20年以上も付き合っているので、これは病気ではなく “性格” と分かっているとのことです。
みなさん、本当にごめんなさい。
まぎらわしい性格で、大変ご迷惑をおかけしています。
でもね、「三つ子の魂 百まで」 といいます。
治したくても、治らないのでありますよ。
ご勘弁ください。
使い方によっては、“便所の100ワット” も世のため、人のために役立つかもしれませんよ!
2013年06月19日
真笛 (まこぶえ) の響き
音楽にしても、文筆にしても、僕には師事した人はいません。
なんでも独学で、無手勝流です。
だから基礎がないので、何をやってもモノにならないのです。
ただ、僕には、生き方を教えてくれた “人生の師” と呼べる人がいます。
その人の名は、野村たかあきさん。
前橋市在住の絵本作家であり、版画家であり、木彫家であります。
野村さんに出会ったのは、今から四半世紀以上も昔のこと。
結婚はしていたけど、無職で、主夫をやっていた僕は、平日の昼間の時間を持て余していました。
そんなとき、ひょいと覗いた作品展の会場に、作家としていたのが野村さんでした。
その時、なんだか話が盛り上がってしまい、
「このあと、ヒマ? 飲みに行こうよ!」
な~んて誘っていただき、そのまま夜の街へ。
それ以来、毎日のように平日の昼間は、野村さんのアトリエ兼ギャラリーへ遊びに行っていたのです。
アトリエ兼ギャラリーの名は、「でくの房」。
ふだんは野村さんの作品が常設展示されていますが、年に数回、作家やミュージシャンを呼んで作品展やコンサートを開催していました。
な、な、なにを隠そう!
14年前に、僕も展示会を開催したことがあるんですよ。
えっ、何を描いたんだって?
いえいえ、僕は恥はかいても、絵は描きませんって。
実は、本の出版を記念した 「文章展」 だったのです。
大きな画用紙に、出版したエッセーの文章を筆で書いて、展示したのでした。
今思えば、とても恥ずかしい展示会でしたが、本は飛ぶように売れました。
で、「でくの房」 は、僕の展示会を開いた年を最後くらいに、ギャラリーは休館。
野村さんのアトリエとしてのみ、使用されていました。
が!
このたび、
沈黙をやぶって、久しぶりに、あの空間で、コンサートが開催されます。
「鼓童(こどう)」 の真笛(まこぶえ)奏者、山口幹文さんです。
<鼓童>
鼓童太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能に無限の可能性を見出し、現代への再創造を試みる集団。1981年「鼓童」結成、ベルリン芸術祭でデビュー。1年の3分の1を海外、3分の1を国内、3分の1を拠点の佐渡で過ごす。これまでに訪れた国は46ヶ国。クラシック、ジャズ、ロックなど異ジャンルの優れたアーティストたちと共演し、世界中の芸術関係者から注目を集めている。2012年、芸術監督に歌舞伎俳優(人間国宝)の坂東玉三郎を迎える。
<山口幹文>
茨城県出身。1980年「佐渡の國鬼太鼓座」に入座。笛を独学で習得し、太鼓集団の中で確固たる笛の表現を確率。笛の他、作曲や演出などを担当。ハリウッド映画の音楽監督、演劇への楽曲提供等も行う。2009年、佐渡の真竹で作られた真笛(まこぶえ)の豊かな響きで、国内外の民謡からオリジナル曲まで幅広い演奏曲を収録したアルバム「一管風月」を発表。鼓童名誉団員。
一 管 風 月 コ ン サ ー ト
●日 時 2013年6月21日(金)
開場 18:30 開演 19:00
●出 演 鼓童 ・ 山口幹文(真笛)
●料 金 前売 2,500円 当日 2,800円
●会 場 でくの房
群馬県前橋市朝日町4-1-18
●問 合 でくの房・野村たかあき TEL.027-243-7061
2013年06月18日
がんばらない
いつ頃からでしょうか?
たぶん2年前の大震災の後からだと思います。
「がんばる」 という言葉を、使わないようになりました。
いえ、使えなくなったのかもしれません。
がんばっている人に、「がんばって」 というほど失礼なことはないし、こんな無責任な言葉もありません。
そんなふうに考えるようになったのです。
先日も作品展を開催中の友人にメールを打っていて、つい 「あと2日間だね。がんばって!」 と打とうとしてしまい、あわてて 「楽しんで」 と打ち直しました。
昨日は、今月末から個展を開く友人と会っていて、別れ際に、またつい 「個展、行くからね。がんばって!」 と言ってしまいそうになりましたが、すぐに訂正しました。
「楽しんでやってね」 と・・・
最近は、このように他人に対しては、「がんばる」 の代わりに 「楽しむ」 という表現に置き換えています。
実は、自分に対しては、だいぶ以前から、がんばらないように言い聞かしています。
50歳を過ぎたあたりからでしょうか、だんだん、がんばっている自分を見ているのがつらくなってきたんですよ。
とっても、不思議ですが・・・
だって、若い頃の僕は、好きな言葉は 「信念」。
大切なのは、「努力」 と 「忍耐」 と 「根性」 だなんて思って生きていた人間ですからね。
だけど、今は、
“がんばらないけど、あきらめない”
ことにしました。
そしたら、肩の力が抜けて、とっても気が楽になったんです。
思うに、がんばると、人は結果を気にしたり、期待したりするんですね。
でも、はなから “がんばっていない” のだから、成り行きを受け入れることができます。
でも、あきらめてはいない!
この状態が、現在の僕を支えています。
こうして毎年、本を出版できているのも、この “がんばらないけど、あきらめない”精神のおかげだと思っています。
♪がんばらないけどいいでしょう
私なりってことでしょう
がんばらなくてもいいでしょう
私なりのペースでもいいでしょう♪
テレビのCMで、この歌が流れてくると、
「ほら、拓郎さんだって 『がんばらなくていい』 って言ってるじゃん!」
と、ひとりで納得している今日この頃であります。
2013年06月16日
太宰治ゆかりの温泉
<水上駅に到着したのは、朝の四時である。まだ、暗かった。(中略) このぶんならば山上の谷川温泉まで歩いて行けるかも知れないと思ったが、それでも大事をとって嘉七は駅前の自動車を叩き起こした。>
これは、昭和13年に発表された太宰治の小説 『姥捨(うばすて)』 の一節です。
水上駅から谷川温泉へ向かう途中の道の端に、この一節が刻まれた文学碑が立っています。
昭和11年8月、太宰治は川端康成に勧められて、薬物中毒と肺病治療のために約1ヶ月間、谷川温泉に滞在しています。
この時、第3回芥川賞の落選を知り、失意の中で執筆した 『創生記』 は、のちの代表作 『人間失格』 を書くきっかけとなったといわれています。
<昭和十五年という年は、太宰がよく旅に出た年である。私が一しょだったのは、まず四万温泉だが、上野出立が四月三十日、私のかけつけ方が遅くて、太宰は井伏さんと共に待ちかねていた。>
これは、放送作家の伊馬春部が筑摩版 「太宰治全集」 に寄稿した 『酒と旅行と』 という随筆の一節です。
昭和15年の4月、太宰治は作家の井伏鱒二ら数名と四万温泉を訪れています。
このとき、同行した伊馬春部が撮影した有名な写真があります。
師弟関係にあった井伏鱒二と太宰治が、四万温泉で一緒に入浴している写真です。
でも、この写真には、こんなエピソードが残っています。
井伏は肩まで沈んでいるのですが、太宰は股間を手拭いで隠しながら湯舟の中から立ち上がっているんですね。
そして、写真を良く見ると、太宰の右下腹には傷跡がクッキリと写っています。
盲腸の手術跡です。
この写真を見た太宰は、傷跡をとても気にして、伊馬にフィルムの処分を求めたとのことです。
翌年、太宰治は四万温泉を舞台にした小説 『風の便り』 を発表しています。
今月19日は、太宰治の命日です。
この日、僕は命日にちなんで、コメンテーターを務めるテレビ番組の中で、群馬県内で太宰治が滞在・投宿した温泉宿を紹介します。
お時間のある方は、ぜひ、ご覧ください。
●放送局 群馬テレビ(地デジ3ch)
●番組名 「ニュースジャスト6」
NJウォッチのコーナー
●放送日 (月)~(金) 18:00~18:30
●出演日 6月19日(水)
●テーマ 太宰治ゆかりの温泉宿
~今日は命日「桜桃忌」~
2013年06月15日
非公認温泉大使
「公開講座っていうのは、お天気に左右されますからね。当日は、雨じゃないといいですが……」
打ち合わせのときに、主催者から、そんな言葉を聞いていたものですから、気が気ではなかったんです。
昨日の予報では、今日の天気は朝から雨。
ところが、今朝起きてみると、どんよりとしていますが、まだ雨は降っていません。
天は我に味方をしてくれたか!
「お願いだから、午前中いっぱいは、こらえてくれ~」
と、今にも泣き出しそうな空を眺めながら、会場へと向かったのであります。
群馬県生涯学習センター
ここが、今日の講演会場です。
主催は、文京地区社会福祉協議会 『生きがい塾』 という高齢者教室なのですが、今回に限り会員や年齢に関係なく、地域住民なら誰でも聴講できる公開講座となりました。
よって、聴講者は、すべて会場のご近所さんたちです。
と、いうことは、会場へは徒歩でやって来られます。
それで、主催者は 「お天気に左右される」 と言ったのです。
「みなさんの日頃の行いが良いからでしょうか? みてください、このどんよりとした天気! 熱過ぎず、寒からず、絶好の講演会日和となりました」
と、9時30分の開演とともに、僕はマイクを取りました。
うれしいですね~!
人、人、人人、・・・・広いホールの席が、まんべんなく埋まっています。
後半には、後ろのほうに立ち見の人が現れるほどの盛況でした。
これも、すべて、お天道様のおかげです。
午後には、晴れ間まで見えましたものね。
感謝、感謝であります。
1部と2部に分けて、たっぷりと2時間の温泉話をしてきました。
もちろん最後は、お約束の 『GO!GO!温泉パラダイス』 を熱唱して終演となりました。
「今日はありがとうございました。これからも群馬の温泉大使として、ますますのご活躍を期待しております」
と最後に、主催者からお礼の言葉をいただきました。
えっ、温泉大使?
ええ、確かに僕は、講演の中で自分のことを、そう言いました。
でもね、その前に “非公認” と付けてくださいね。
僕の温泉大使は、「ぐんまちゃん」的立場ではなく、「ふなっしー」状態なのですから・・・
県の人は、誰も認めていませんって!
でも、いいんですよ。
非公認でも、「ふなっしー」 のように元気よく、ステージ狭しと暴れまくるのだーーーっ!
ということで、これからも非公認ではありますが、群馬の温泉大使をよろしくお願いいたします。
2013年06月14日
モノをつくる人たち
いーな、いーな。
って、素直に心から、そう思ってしまうんです。
それは、羨望(せんぼう) というよりも、嫉妬(しっと) に近い感情です。
僕は昔から、職人や芸術家にあこがれながら生きてきました。
あこがれていただけでは、ありません。
不器用を承知で、絵画や木工細工に挑戦したこともありました。
が・・・、ダメでした。
まったく、才能がありません。
だから仕方なく、ライターの道を選んだんですよ。
今日、2つの作品展に行ってきました。
1つは、友人でイラストレーターの飯塚裕子さんや知人らが参加しているグループ展。
飯塚さんは、ふだんは雑誌や冊子などの挿絵などを描いているイラストレーターですが、作品展などに出展する作品は 「粘土細工」 です。
立体もありますが、僕は彼女独特の世界が楽しめる半立体の “粘土絵” が好きです。
拙著 『ぐんまの里山 てくてく歩き』(上毛新聞社) の表紙の絵も、彼女の半立体の粘土絵であります。
会場では、約50点の作品とポストカードなどの小物やグッズが、多数販売されていました。
陶芸家の三東宗二郎さんは、僕が温泉講座の講師を務めるカルチャースクールで、同じく陶芸教室の講師をしている方です。
また、陶芸家の本田正さんは、僕が駆け出しのタウン誌記者をしていたときに、工房まで訪ねて取材したあこがれの作家さんです。
そうそう、実は僕・・・
高校時代は、陶芸クラブに在籍していたんです。
だから、いまだにプロの陶芸家に対しては、羨望と憧憬(どうけい) と嫉妬があるため、すぐに近づいてお友達になりたくなってしまうんですね。
僕の生まれ変わったらなりたい職業のベスト1が、陶芸家です。
ものづくりの集い in 大和屋 vol.2
~県内作家作品展~
●会 期 2013年6月14日(金)~18日(火)
AM 9:30~PM 7:00
●出展者 三東 宗二郎 (陶芸)
田村 木道 (木工)
外所 亨 (花飾士)
新井 正博 (リトグラフ)
飯塚 裕子 (粘土細工)
本田 正 (陶芸)
●会 場 大和屋 高崎店
群馬県高崎市筑縄町66-22
TEL.027-362-5911
もう1つの作品展は、一度見たら誰もがド肝を抜かれ、その作品の不思議な世界へ引き込まれてしまう気鋭の画家、新井コー児さんの個展です。
新井さんは、僕の兄の知人でもあるんですが、お会いするのは今日が初めてでした。
もう、会うなり、一気に話が盛り上がりましたよ!
拓郎話で!
ご存知の人も多いでしょうが、新井さんの作品には、たびたび吉田拓郎の古いアルバムが描かれています。
そして、ギターはギブソン。
もう、これは、拓郎フリーク以外の何者でもありませんって!
案の定、僕に負けず劣らずの拓郎ファンでした。
伝説の篠島や、つま恋コンサートの話でモリモリに盛り上がってしまいました。とさ・・・
新井さんの作品といえば、昭和レトロな背景とセーラー服姿の女子高生。
その女子高生がタバコをふかし、酒を飲む。
酒の銘柄は、決まって「八海山」。
そして、ギブソンのギターと拓郎のLPレコード・・・
なんで、そんな作風になったのか?
ついついライター魂が出て、訊いてしまいました。
う~ん、なるほどねぇ~!
と、納得。
新井さんの不思議ワールド満載の作品展は、今週の日曜日までです。
新 井 コ ー 児 展
~もうすぐ夏だね~
●会 期 2013年6月8日(土)~16日(日)
AM 10:00~PM 6:00
●会 場 ギャラリー スペースM
群馬県前橋市南町2-19-4
TEL.027-243-2391
2013年06月13日
朝練だなんて~!
まじ、キツイっす!
中学生の部活じゃないんだからさ。
朝から練習っていうのは、ないでしょう!
なーんて、夜型の僕は、めっぽう朝が弱いもんだから、ダラダラとグチを言いながら、ギターを取り出したのであります。
すると、
「もう朝じゃないでしょ。昼前ですよ」
とベース担当のS君。
ええ、ええ、世間では、そうでしょうよ。
午前10時といえば、役場も銀行も、一般の社会人なら、とっくに仕事をしている時間です。
でもね、それができないからフリーランスの道を選んだんじゃないですか!
僕たちは!
そう、僕たちバンドのメンバーは、みーんな立派な大人です(見た目には)。
でも、こうやって、平日の午前中にスタジオに集まっています。
世間では、50歳を過ぎた(若干1名、60代もいますが)、いい大人たちです。
仕事は、ないのかって?
はい、今日はありません!(キッパリ)
でも、「今日もありません」 っていう人もいます。
それがフリーランスで生きるっていうことです!
で、なんで、こんな朝早くから (といっても10時ですけど) 集まったのかというと、近々、ライブがあるからです。
それも2本!
基本的、僕らは練習をしません。
しょせん、うちのバンドは、酒を飲みながら演奏する宴会芸ですから、行き当たりばったりの出たとこ勝負なんです。
ところが、一番練習嫌いのリーダーが、
「夏バージョンに曲を入れ替える」 って言い出したんですよ。
それも、いつもは70年代フォークと60年代のグループサウンズばかりやっているのに、
「ロカビリーを歌う」
と言う。
ま、僕もキライじゃありませんし、あのいかにも “エレキ” っていう感じのテケテケサウンドは、夏っぽくてウケそうです。
と、いうことで、高温多湿のムシムシした昼日中に、たっぷりと汗をながしてきました。
はたして、どんなステージに仕上がることやら・・・
ご期待ください!
※ (ライブの日程については、当ブログ2013年6月9日 「1日2回、四万温泉ライブ」 をご覧ください)
2013年06月12日
2週続けてFM OZE に出演します!
『みなかみ18湯』(上毛新聞社) という本を出版したくらいですから、そりぁあ~、この2年間で何十回と、みなかみ町(群馬県利根郡) には通いました。
と、いうことは、当然ですが、その手前にある沼田市も何十回と通過したわけです。
でもね、通過ばかりで、市街地に寄ることなんて、全然なかったのですよ。
確か、前回、出演したのは、2008年の10月ですから・・・
5年ぶりに、沼田市へ行って来たことになります。
なんのことかって?
あ、すみません。分かりづらい導入でしたね。
今日、沼田市にあるコミュニティーFM局 「FM OZE」 へ、番組の収録に行って来たんです。
現在、僕は2つのバンドを兼務しています。
1つは、『GO!GO!温泉パラダイス』 や 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 などのオリジナルご当地ソングを歌う 「じゅん&クァ・パラダイス」。
もう1つは、このブログでもたびたび紹介しているスーパーローカルおやじバンドの 「KUWAバン」 です。
このバンドは、70年代フォークや60年代GSソングを中心に演奏しているのですが、オリジナル曲もあります。
四万温泉の応援歌 『四万のうた』 や 『みなかみ18湯』 の出版記念ソング 『みなかみ ひとり』 です。
で、今回は、『みなかみ18湯』 と 『みなかみ ひとり』 のPRのために出演してきました。
「お久しぶりです。テレビのニュース番組や新聞の連載、拝見しています。お忙しそうですね」
と、パーソナリティーの山口登美子さん。
山口さんは、5年前に 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 の新曲発表の際に、スタジオに呼んでくださった方です。
その後も、時々、番組でCDをかけてくださっているとのこと。
ありがとうございます。
今回、僕が出演してきたのは、毎週金曜日にオンエアされている 「日本全国民謡邦楽の旅」 という番組です。
この番組の 「ご当地ソングコーナー」 にゲストとして出演してきました。
今日は、2週分の収録。
前半は、温泉ライターとしての苦労話や知って得する温泉雑学などを話しました。
後半は、『みなかみ18湯』 の取材秘話や現在の活動状況などを話しました。
オンエアでは、『GO!GO!温泉パラダイス』 と 『みなかみ ひとり』 がかかる予定です。
利根、沼田エリアのみなさ~ん!
ぜひ、聴いてくださいね。
リクエストハガキも、お待ちしていま~す!
「日本全国民謡邦楽の旅」
●放送局 FM OZE (76.5MHz)
●放送日 6月14日(金) ・21日(金) 14:00~14:30
●再放送 6月15日(土) ・22日(土) 14:30~15:00
●出演者 山口登美子 (パーソナリティー)
小暮 淳 (フリーライター)
※下記のFM局でもオンエアされます。
(放送日時は異なりますので、ご確認ください)
FM桐生(77.7MHz) いせさきFM(76.9MHz) ラヂオななみ(77.3MHz)
2013年06月11日
倉渕温泉 「長寿の湯」②
「一番いい温泉は、どこですか?」
という質問を、よく受けます。
でも、その都度、答えに困ってしまいます。
“いい温泉” の定義は、十人十色。
湯、そのものの質を求める人。
料理やロケーション、サービス、設備を求める人。
浴場の風情や造りを重視する人もいます。
でもね、「好きな宿は?」 と問われれば、いくつかの宿名がつらつらと頭の中をよぎります。
僕にとってのいい宿とは、湯が良いことはもちろんですが、プラス、宿のご主人や女将さんの人柄が一番の基準となります。
だって、どんなに湯や料理や景色が良くても、迎えてくれる “人” に魅力がなくては、客は足を運びませんものね。
近くまで行くと必ず寄ってしまう宿っていうのがあります。
倉渕温泉(群馬県高崎市倉渕町) の一軒宿、「長寿の湯」 も、そのうちの1つ。
女将さんの根っから明るい人柄に惹(ひ) かれて、ついつい顔を出してしまうのです。
もう、かれこれ10年くらい、足しげく通っています。
駐車場に着くと、清流・長井川をはさんだ宿の対岸に、源泉櫓(やぐら) が見えます。
平成3(1991)年に、ご主人が丸3年かけて掘削した信念のあかしであります。
そして、櫓の下には、お堂が建っています。
このお堂の中に祀られている 「薬師様」 こそが、ご主人の信念の源なんです。
薬師如来像は、源泉の起原300年前と伝わる湯のご利益に対して、旅人たちが感謝を込めて奉納した 「湯前薬師」 です。
だから、ご主人は 「雪どけが早く、薬師像がある場所だ。ここは絶対に温泉が出る!」 と、執念を燃やし続けたんですよ。
宿へ向かおうとして、フッと渓流にかかる小さな橋に目をやると、女将さんの後ろ姿が見えました。
手には、花を持っています。
「女将さ~ん! こんにちは。お久しぶりです」
僕も橋を渡って、後を追いました。
「あらあら、小暮さん。ずいぶんと、ご活躍のようですね。いやね、たまには、薬師様をキレイにしようかと思って。バチが当たっちゃいますからね」
と、お堂の掃除を始めました。
「ご主人は、その後、いかがですか? お元気ですか?」
実は、何年か前に取材で訪れた時に、入院していたことを思い出しました。
すると、女将さんは、
「それがね・・・」
と言って、摩訶不思議な話をしてくれました。
ご主人は、あるガンをわずらって、手術を受け、入院していました。
その時、肺にもガンがあることが確認されたといいます。
「ところがね、消えちゃったのよ!」
「消えた?」
「そう、消えたの! これも薬師様のご利益かしらね」
そう言って、いつものように豪快に笑うと、花を手向け、線香を上げました。
もちろん、僕も一緒に、手を合わせました。
現在、ご主人は退院して、旅館を手伝っています。
やっぱり、何百年という歴史ある温泉には、霊験あらたかな力があるんですねぇ~。
昨晩は、女将さんのご厚意により、泊めていただきました。
女将さん、とっておきの芋焼酎、美味しかったですよ!
ごそうさまでした。
いい記事、書きますからね!
楽しみにしていてくださいな。
2013年06月09日
1日2回、四万温泉ライブ
おまっとさんでした!
今年も、また四万温泉ライブの季節がやって来ましたよ!
我が私的ユニット、スーパーローカルおやじバンド 「KUWAバン」 も昨年に引き続き、今年も四万温泉で開催される 『レトロ通りの懐かしライブ』 に出演します。
このイベントは、四万温泉協会が主催する “ストリートライブショー”。
一般公募で集まったアーティスト約20組が、レトロな温泉街をステージに、パフォーマンスを繰り広げます。
で、今回も 「KUWAバン」 はゲスト出演し、イベントのトリを務めます。
もちろん、ご当地ソングの 「四万のうた」 や、お約束の群馬温泉応援ソング 「GO!GO!パラダイス 湯の国群馬県篇」 も熱唱いたします。
お時間のある方は、遊びに来てくださいね。
レトロ通りの懐かしライブ
●日 時 2013年6月30日(日) 13:00~16 00
●会 場 四万温泉 落合通り商店街
※(雨天の場合変更あり)
●観 覧 無料
●出 演 一般公募アーティスト約20組
KUWAバンの出演は15:30~16:00(予定)
●問 合 四万温泉協会 TEL.0279-64-2321
と、今回は引き続き、同じ日に、恒例の 『積善館ライブ』 を開催します!
このライブは、2011年の夏から不定期に出演しているもので、今回で3回目のステージとなります。
かの四万温泉屈指の老舗旅館 「積善館」 を貸し切っての、贅沢な単独ライブです。
今回も 「KUWAバン」 が得意とする70年代フォークや60年代グループサウンズを中心に、オリジナル曲を披露します。
ぜひ、この機会に、映画 『千と千尋の神隠し』 の舞台となった老舗旅館に泊まって、夜は僕たちと一緒に飲んで、歌いましょう!
第9回 積善館ライブ
●日 時 2013年6月30日(日) 20:45~22:00
●会 場 四万温泉 「積善館」 佳松亭 5F ロビー
●観 覧 無料
●出 演 KUWAバン Vo.G 桑原 一
Vo.G 小暮 淳
G 木村 正明
Ba 酒井 寛
●問 合 四万温泉 積善館 TEL.0279-64-2101
2013年06月08日
雑誌の同窓会②
僕は過去に、3つの雑誌の編集長を歴任してきました。
でも、そのうち2誌は、お恥ずかしい話、廃刊に追いやってしまった “幕引き編集長” なんです。
残る1誌だけが、僕が立ち上げた雑誌です。
2001年3月の創刊から3年間、「月刊 D」 という雑誌の初代編集長を務めました。
現在、「月刊 D」 は、創刊から今年で丸12年を迎える息の長い雑誌に成長しています。
「編集長~! ご無沙汰しています。お元気ですか?」
先日、「月刊 D」 の創刊メンバーで、現在でも編集スタッフをしているE嬢から電話をもらいました。
「今年も編集長を囲んで、同窓会を開きたいと思います。ぜひ、来てくださいね」
だなんて、うれしいじぁ~あ~りませんか!
9年も前に、彼女らを見捨てて、突然、編集室を去った “無責任編集長” に対して、こうして毎年、声をかけてくれるなんて・・・
編集長冥利とでも、言うのでしょうか?
まさしく、クラス会に呼ばれる元担任のような気分なのであります。
と、いうことで昨晩は、昔の “教え子たち” と再会をして、美酒に酔いしれてきました。
「それでは、これからも、よろしくお願いしま~す。カンパ~イ!」
と、E嬢の発声で、創刊当時スタッフによる “雑誌の同窓会” がスタートしました。
E嬢は、現在、妊娠7カ月。
9月には、第2子を出産予定です。
「忙しそうですね。もうかっちゃているんでしょう! 今日は編集長のおごりですか?」
と、イヤミを言うのは、現在、3代目編集長を務めているS君。
「バカいえ! あの頃のほうが安定した収入があって、金はもっていたよ。ダメ、ダメ、割り勘に決まっているじゃないか!」
と、僕は笑いを取りながらも防衛線を張ります。
以上の2人が、創刊当時のメンバーで、現在も編集にたずさわっている現役スタッフです。
そのほか、今は編集室を辞めて別の仕事に就いているM君とO君も、忙しいなか駆けつけてくれました。
あれから9年・・・
長いような、短いような。
でも、確かに時は流れたんだと実感します。
だって、あの頃、結婚していたのはS君だけでしたからね。
この9年の間に、O君もE嬢もM君も結婚をしました。
そして、3人の結婚式すべてに、僕は出席しています。
もちろん、みんな僕より10歳以上も年下であります。
E嬢なんて、親子ほど歳が離れています。
でも、こうやって、みんな仲良く、毎年集まってくる・・・
「ああ、オレって、けっこう幸せなんだなぁ~」
なんて、みんなの笑顔を見ていたら、しみじみと感じてしまいましたよ。
みんな、ありがとう!
いつまでも、元気で、健康で、明るく、そして楽しく。
これからも、よろしくお願いします。
来年は、他のスタッフにも声をかけて、盛大に同窓会を開きましょうね。
2013年06月07日
月の女神
<ひらひらと、エメラルド色した羽を持つ蝶が、舞っていた。
蝶ではない。夜だから、蛾だ。
しかし、大きさと美しさに、息をのんだ。
その姿は、まるで森から現れた妖精のようだった。>
これは、2005年に発行された「月刊 ぷらざ」 という雑誌の9月号に掲載されたエッセーの書き出しの文章です。
この蛾(ガ) の名は、「オオミズアオ」。
チョウ目ヤママユガ科に分類される大型の蛾の一種。
日本では北海道から九州まで広く分布している。
そして、僕が最初に “彼女” と出会ったのが、8年前の夏でした。
場所は、丸沼温泉(群馬県片品村) の一軒宿 「環湖荘(かんこそう)」 に泊まった晩でした。
僕は、その夜のことをエッセーに、こう記しています。
<相変わらず外は雨である。
オオミズアオ……学名は 「月の女神」 の意味を持つ、
体長10cmもある日本では最も大きな蛾である。
森の妖精が会いに来た!
年がいもなく、そう思った。
明日は、きっと晴れるような気がした。>
会いたい
会いたい
会いたい
夏になると、毎年、そう、思い続けていた。
でも、その後、僕は “彼女” に会うことはありませんでした。
あれから8年・・・
先日の榛名湖温泉で行ったバーベキュー大会の夜のことです。
仲間がコテージに集まり、ワイワイとにぎやかに2次会の宴に酔っているときでした。
「あっ、オオミズアオ!」
僕は、突然、大声を上げました。
「えっ、何?」
と、みんな一斉に、僕が指さした窓の外に目をやりました。
でも、もう、何も見えません。
一瞬だったのです。
街灯の明かりに照らされて、青い羽が、ひらひらと舞ったような・・・
結局、その夜は、“彼女” との感動の再会はなりませんでした。
そ、し、て・・・
昨日の朝のことです。
僕はカメラマンとともに、前日から倉渕川浦温泉(高崎市倉渕町) の一軒宿、「はまゆう山荘」 に泊り込んで取材をしていました。
先にベッドを抜け出したカメラマン氏が、カーテンを開けて、こう叫んだのです。
「オオミズアオがいる!」
そう言って、すぐさまカメラのシャッターを切り出しました。
そうです。
彼は、8年前に丸沼温泉で一緒にオオミズアオに出会ったカメラマンだったのです。
僕も飛び起きて、窓辺に近づくと、確かに見まがうことなく “彼女” が、そこにたたずんでいました。
鮮やかなペパーミントグリーンの羽を広げて、朝の光の中で休んでいます。
会いたかったよ。
でも、どうして彼女は、夜のうちに森へ帰らなかったのでしょうか?
月が雲に隠されて、帰り道が分からなくなってしまったのでしょうか?
えっ? ………もしかして!
ぼ、ぼ、僕が気付くまで、森へ帰らずに、ずーっとここに居てくれたのですか?