2022年06月30日
救援物資が届きました!
あつい、暑い、アツイ、熱過ぎる~!
連日、ほぼ40℃もしくは、それ以上の異常な気温が群馬県を襲っています。
“日本一暑い県”
ここは、本当に日本なのだろうか?
たぶん、これは異常気象なんて生ぬるいものではなく、ズバリ “災害” でしょう。
ということは、ここは被災地?
そう思っていただけたのなら、ありがたい。
遠く南の国から、我が家に救援物資が届きました。
ドーンと届いた段ボール箱を開けてみると、中身はすべて 「ポカリスエット」。
500ml×24本
送り主は、公私ともにお世話になっている業界の友人でした。
住所は鹿児島県。
本来なら群馬よりも暑い県であります。
なのに連日の酷暑報道を観て聴いて、居ても立ってもいられなくなったようです。
お礼のメールを送ると、返信は、ただ一行。
<使命感をもってお送りしました>
ただただ感謝。
持つべきものは、遠くの友人であります。
思えば、11年前の東日本大震災の時も、真っ先に救援物資を送ってくれたのが彼でした。
レトルト食品やインスタントラーメン、缶詰など……
確かに流通が滞ってはいましたが、それでも関東は食品がまったく手に入らない状態ではありませんでした。
でも彼は、<ほんの気持ちです> と送ってくれたのです。
ありがとう、K君!
今日も前橋市の予想最高気温は、39℃です。
ポカリを持って、出かけたいと思います。
2022年06月29日
キラキラネームが危ない!?
“虐待される子どもはキラキラネーム率が高い”
まことしやかに、ささやかれています。
本当なのでしょうか?
そもそも 「キラキラネーム」 とは?
ウキペディアによれば、<伝統的でない当て字や、外国人名やキャラクター名などを用いた奇抜な名前の総称> とあります。
1990年代半ば以降から増えたといいます。
確かに、読めない名前ってありますよね。
「大空」 と書いて 「すかい」。
「海」 と書いて 「まりん」。
なんていうのは、まだマシな方です。
「光宙」 で 「ぴかちゅう」 とは、笑ってしまいました。
以前、話題になった名前に 「悪魔」 がありました。
届け出た名前に、戸籍係が拒否したという騒動です。
最終的には違う名前に変更されたようですが、親は、どんな子に育ってほしかったのでしょうか?
自ら改名した名前も話題になりました。
「王子様」
名付け親は母親。
母親にとって息子は、“王子様だから” というのが命名理由のようです。
子どもの頃からイジメに遭ってたため、大人になってから改名しました。
この2件は、意味に問題があったわけで、決して読めない名前ではありません。
昨今のキラキラネームは、とにかく難読です。
ここでクイズです。
下の名前は、なんと読むでしょう?
①男 ➁心姫 ➂紅葉 ④天音 ⑤奏夢
答えは、①あだむ ➁はあと ➂めいぷる ④そぷら ⑤りずむ
読めませんって!
でも一度、名刺交換をしたら絶対に忘れない名前かもしれませんね。
読めないといえば、いくつも読みがある漢字の名前です。
これは昔も今も変わりません。
たとえば 「洋子」 は、「ようこ」 なのか 「ひろこ」 なのか?
「幸雄」 は、「ゆきお」 なのか 「さちお」 なのか?
僕の名前 「淳」 も、そうです。
「じゅん」 とも 「あつし」 とも読めます。
子どもの頃に間違われたことはありませんが、大人になって、同じ漢字のお笑いタレントが有名になってからは 「あつし」 と読まれることが多くなりました。
さて、冒頭の疑問についてです。
本当に、虐待される子どもはキラキラネーム率が高いのでしょうか?
識者は、こう分析しています。
<キラキラネームを付けたから虐待されるのではなく、するような親がキラキラネームを付ける>
どうでしょう?
なんだか僕には、こじつけの見解のように思えてしかたがありません。
これって、ただの確率の問題じゃありませんかね?
もし昭和だったら、虐待されている子どもの確率は 「子」 や 「男」 が付いた名前が多いはずです。
でもね、名前って、時代を反映する鏡だと思うんですよ。
たとえば 「昭和」 や 「平成」 といった新し元号にちなんだり、「裕次郎」 「小百合」 なんていうスターの名前を付けたり、名前を見れば生まれた時代が分かります。
そして時代とは、めぐりめぐり繰り返されるもの。
近未来には、キラキラネームのおばあちゃんと古風な名前のお孫さんという家族が増えるんじゃありませんかね。
僕は、それでいいと思います。
あなたは、どう思われますか?
2022年06月28日
老翁A
♪ じれったい じれったい
何歳(いくつ)に見えても アンタ誰でも
じれったい じれったい
ジジイはジジイだ 関係ねぇぜ
特別じゃない どこにもいるぜ
ア・ン・タ 老爺A
(中森明菜 「少女A」 のパクリ)
行きつけの居酒屋で、最近、顔を合わせる爺さんがいます。
僕から見て “爺さん” なのですから、見た目、70代後半から80代前半です。
この爺さん、何度かカウンター席で隣同士になったことがあり、少しだけ素性が分かってきました。
・一人暮らし
・生涯独身
・資産家
まあ、どこにもいるような爺さんなのですが、一つだけ他の客から煙たがれていることがあります。
それは、やたらと他人に年齢を訊くのです。
過去には僕も訊かれましたが、そのトークが毎回、同じなんです。
先日も初めて来店した年配の男性客に対して、
「お見受けのところ、私とご同輩のようですが、おいくつですか?」
と、ぶしつけに声をかけました。
一瞬、ムッとする男性。
そして、こう切り返しました。
「まあまあ、いくつでもいいじゃありませんか。こういう場では、年齢は関係ありませんよ。楽しく呑みましょう」
少し離れた席で吞んでいた僕は、「また始まったぞ」 と次の展開を予想していました。
この爺さん、他人に年齢を訊くのは、落語でいえば “まくら” のようなものなんです。
本題は、この後の自慢話にあります。
「では、私はいくつに見えますか?」
おいおい爺さん、女性じゃないんだから、いきなり年齢当てクイズかよ!
どう見ても70代後半~80代前半に見えますって。
当然、男性は、
「私と同世代でしょ?」
と答えます。
すると爺さん、
「ということは、あなたはおいくつですか?」
「76ですけど」
と、まんまと相手の歳を聞き出してしまうのです。
(これが、いつもの手口です)
さて、ここから爺さんの十八番が始まります。
「私はね、78歳なんですよ」
(見た目、そのままです)
「見えないって、言われるんですよ」
(だから、見た目そのままだって)
「いくつに見えます?」
(78歳だよ)
「65歳だって言われるんですよ」
(絶対に見えません)
男性客は、すでに背中を向けていました。
これ、いつものパターンなんですね。
面倒くさい爺さんなんですけど、この会話が、ちょっとクセになっています。
新しい客が爺さんの隣に座ると、「早く訊かないかな」 「あ、訊いた!」 「次は自慢話だぞ」 「出た~!」 って、カウンターの隅で、ほくそ笑んでいる自分がいます。
ママいわく、
「あの人、さみしいんだよ」
居酒屋は、まさに人間交差点 (ヒューマン・スクランブル) であります。
2022年06月27日
今日の朝日新聞 “海ないのに 「珍百景」 で話題”
「浦島太郎伝説」 の話題が止まりません!
火付け役は、今月6日に放送されたテレビ朝日系のバラエティー番組 『ナニコレ珍百景』。
“海がないのに竜宮伝説がある”
と、群馬県伊勢崎市の 「龍神宮」 が話題になりました。
実は僕、17年前から雑誌や新聞、著書などで、この摩訶不思議で奇妙奇天烈な伝説を取材し紹介してきました。
そして昨年からは紙芝居にして、地元・伊勢崎市の神社で上演も行っています。
コツコツ、コツコツと地道な活動ですが、どこで誰が見ているのか分からないものです。
しかも、よりによって全国ネットの人気番組が取り上げてくれるとは!
そのことが、今日の朝日新聞群馬版でも大きく取り上げられました。
《伊勢崎に浦島太郎伝説》
《海ないのに 「珍百景」 で話題》
《江戸時代の古文書にも記述》
記事では、まずテレビ番組 『ナニコレ珍百景』 で放送されたことに触れ、SNSなどで話題になっていると報じています。
次に、伝説の舞台を写真入りで紹介。
僕のコメントも掲載されました。
<「ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台」 (ちいきしんぶん) の著者でライターの小暮淳さんはこう語る。「地下に深い淵があり、竜宮城へつなかっているといわれているのです」>
続いて、物語のあらすじを紹介。
テレビ番組放送後の反響にも触れています。
そして最後は、僕と一緒に毎月、伊勢崎神社で紙芝居 『いせさき宮子の浦島太郎』 を上演している紙芝居師の石原之壽さんのコメントで締めくくられています。
<「海なし県の浦島太郎伝説はとても面白く、地元の子どたちも紙芝居を毎回楽しんでくれる」 と話している。>
海のない群馬県で誕生した浦島太郎伝説。
さて、今後はどんだけ話題になるのでしょうか!?
世に出した一人として、その行く末が楽しみでなりません。
※次回の 「神社かみしばい」 は、7月9日・10日の開催です。
2022年06月26日
金賞、とったどー!
今日は 「ぐんまの地酒大使」 から呑兵衛へ、嬉しいお知らせです。
先日、日本酒の品質を判定する 「全国新酒鑑評会」 が行われ、群馬県の8銘柄が入賞したとの発表がありました。
これは2021年7月~22年6月に造られた日本酒が対象に行われる国内最大規模の鑑評会で、全国から826点の応募があり、入賞405点と、この中から金賞205点が選ばれました。
群馬県は8銘柄の入賞のうち、特に優秀と認められた3銘柄が金賞を受賞しました。
●「清嘹(せいりょう)」 町田酒造店 (前橋市)
●「大盃(おおさかずき)」 牧野酒造 (高崎市)
●「流輝(るか)」 松屋酒造 (藤岡市)
ひと言、うれしい!
というのも、距離的にも、すごく身近な酒蔵の酒が選ばれたからです。
しかも、老舗の造り酒屋。
清嘹は、若い頃に青春を共にした仲間たちと酌み交わした酒です。
大盃は、今でも時々晩酌でお世話になっています。
流輝は、取材で酒蔵を訪ねました。
そんな、愛すべき地酒が、全国の名立たる蔵元の酒たちと肩を並べたのですぞ!
これを喜ばずには、いられんでしょう!
ちなみに金賞以外の入賞5銘柄は、下記のとおりです。
●「鳳凰聖徳」 聖徳銘醸 (甘楽町)
●「赤城山」 近藤酒造 (みどり市)
●「関東の華」 聖酒造 (渋川市)
●「貴娘」 貴娘酒造 (中之条町)
●「秘幻(ひげん)」 浅間酒造 (長野原町)
さて、今宵は、どの酒に酔いますか?
呑兵衛のみなさん、また楽しみが増えましたね。
2022年06月25日
少女の詩
海の向こうで、戦争が止みません。
戦争の記憶が薄れる平和ボケの島国へも悲惨な映像は届くものの、どれだけの人が実感として受け止めているのでしょうか?
一昨日、沖縄県糸満市の平和記念公園で、「沖縄全戦没者追悼式」 が催されました。
その時、朗読された少女の詩。
「平和の詩」 と題された詩を朗読したのは、沖縄市立小学校2年の徳元穂菜(ほのな)さん7歳です。
穂菜さんは、昨年訪れた宜野湾市の佐喜眞美術館で見た 「沖縄戦の図」 という絵画を見て、驚愕した時のことを詩に記しました。
<おかあさんが、七十七年前のおきなわの絵だと言った ほんとうにあったことなのだ>
<たくさんの人たちがしんでいて ガイコツもあった わたしとおなじ年の子どもが かなしそうに見ている>
<こわいよ かなしいよ かわいそうだよ せんそうのはんたいはなに? へいわ? へいわってなに?>
<きゅうにこわくなって おかあさんにくっついた あたたかくてほっとした これがへいわなのかな>
穂菜ちゃんは、惨劇を描いた絵の中から悲しそうにこっちを見ている同じ年代の子供に目を留め、怖くなり母親にしがみついたといいます。
その時の様子が、みずみずしい感性で表現されています。。
そして最後は、こう、つづられています。
<せんそうがこわいから へいわをつかみたい ずっとポケットにいれてもっておく ぜったいにおとさないように なくさないように わすれないように>
<こわいをしって、へいわがわかった>
いかがですか?
少女の言葉が、グイグイと心に迫ってきませんか?
僕は “ずっとポケットに入れて持っておく” の表現に、胸の奥が痛くなりました。
落とさないように……
失くさないように……
忘れないように……
なんて素敵な言葉たちなんでしょうか。
穂菜ちゃんは、“怖いを知って、平和が分かった” といいます。
ならば逆も真なり。
平和の意味を知れば、戦争の怖さが分かるはずです。
日本人よ、ボケている場合ではありませんぞ!
2022年06月24日
ぐんま湯けむり浪漫 (12) 谷川温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
谷川温泉 (みなかみ町)
菩薩のお告げにより湧いた温泉
水上温泉郷に点在する8つの温泉地の一つ。
谷川岳の麓にあり、その登山口にあたる。
水上温泉が温泉郷の表玄関とすれば、谷川温泉は奥座敷といえる。
昭和3(1928)年の上越線開通以後、水上温泉は観光地化され、大きな旅館やホテルが増え続けた一方で、山懐に抱かれた静かな谷川温泉は、今でも昔と変わらぬいで湯の風情を残している。
開湯の歴史は古く、約600年前。
こんな伝説がある。
その昔、谷川岳に白光が輝き、虹のように天に映えて美しく彩った。
村人たちは驚いて、この不思議な現象を祈禱師に訊ねたところ、
「冨士浅間大菩薩が山に飛来され、このあたりに福徳をお授けになる前兆である」
と告げた。
それからというもの、谷川の川岸に夜な夜な瑠璃色の光が立つようになった。
ある夜、村人が不思議に思い近寄ってみると、美しい姫が川で身を清めていた。
「これは冨士浅間菩薩の化身では」
と、さらに近づくと姫は消え、岩間から温泉が湧き出した。
この湯を浴(あ)むと、疲れも病もたちどころに癒えたため、村人たちは、
「これは菩薩のお告げだ」
と喜んだ。
そして姫が裾を洗ったら湯に変じたことから 「御裳裾(みもすそ)の湯」 と名付けられたという。
名作を書くきっかけとなった宿
谷川温泉には昔から文人たちが訪れ、多くの作品を世に残している。
大正7(1918)年11月、歌人の若山牧水は伊香保温泉、水上温泉 (旧湯原の湯)、湯檜曾(ゆびそ)温泉とめぐり、谷川温泉に3日間投宿し、29首の歌を詠んだ。
<わがゆくは山の窪なるひとつ路 冬日光りて氷りたる路>
これは湯檜曾温泉から谷川温泉に向かう途中に詠んだ歌で、直筆を拡大した書が、大正2(1913)年創業の老舗旅館 「金盛館」 に展示されている。
太宰治も谷川温泉を愛した文豪である。
昭和11(1936)年8月、川端康成に勧められて、約1ヶ月間、療養のため川久保屋 (廃業) に滞在した。
のちに発表した小説 『姥捨(うばすて)』 では、谷川温泉が舞台となり、旅館の老夫婦が描かれている。
また滞在中に太宰治は、芥川賞の落選を知る。
そのとき執筆した 『創生記』 は、名作 『人間失格』 を書くきっかけとなった作品といわれている。
現在、川久保屋の跡地である 「旅館たにがわ」 の駐車場には、太宰治の記念碑が立ち、毎年命日 (6月19日) には献花がされ、式典が行われている。
また館内にはミニギャラリーがあり、研究者から寄贈された太宰治ゆかりの品々が展示されている。
文人たちが愛した湯につかり、名作を読みふけるのも旅の一興である。
<2018年8月号>
2022年06月22日
すごいぞ! 群馬の温泉
テレビの業界では、「ロケハン」 という言葉が頻繁に飛び交います。
「ロケ」 とは、ロケーションのこと。
直訳すれば、位置・場所ですが、業界では、スタジオ外の撮影地 (ロケ地) の意味で使います。
「ハン」 とは、ハンティングのこと。
直訳は、狩り。
転じて、追求・探索の意もありますが、業界では事前準備のことを言います。
簡単な言えば、ロケハンとは 「現場の下見」 であります。
ですからロケハンに対して、ただ 「ロケ」 と言った場合は、撮影本番のことも指します。
ということで今日は朝から、“ロケハン” に行って来ました。
僕は現在、群馬テレビの情報番組 『ぐんま!トリビア図鑑』 のスーパーバイザーをしています。
なんだか横文字にすると偉そうな肩書ですが、いわゆる御意見番 (監修人) です。
どんな仕事をしているのかって?
う~ん……大したことはしていません。
番組の企画会議の末席で、ディレクターらから挙げられるネタの数々に、「あーだ、こーだ」 と難癖を付けたり、時には賛同したり、たまーにですが自らネタの提供もしています。
そんな、たまーに出したネタが採用された場合のみ、僕はスーパーバイザーの肩書を外して、会議室を飛び出し、現場からリポートをします。
この時の肩書は、「ミステリーハンター」 やら 「トリビア博士」 といった、うさん臭い役柄が多いのですが、このたび、なななんと! 本業の 「温泉ライター」 という肩書で登場することになりました。
そう、ついに温泉の企画が会議で通ったのです!
題して、「すごいぞ! 群馬の温泉」(仮)。
なぜ、群馬県が “温泉県” と言われるのか?
有名温泉地があるから?
温泉の数が多いから?
いえいえ、それだけではありません。
群馬が全国屈指の “温泉県” と呼ばれるゆえんは、ありとあらゆる泉質や温度、さまざまな色や湧出形態の温泉が、まるで資料館のようにひしめいているからです。
そんなスゴイ群馬の温泉を、“一回一湯” ずつ番組で紹介しようじゃないか!という企画なのです。
となれば、スーパーバイザーやミステリーハンター、トリビア博士なんていう肩書はいりません。
「そのまま、温泉ライターで出演してください」
とのテレビ局側の依頼を受けて、さっそく第1回のロケハンに行って来ました。
さて僕が、ディレクターと放送作家と共に出かけた温泉とは?
まだ、ここで明かすわけにはいきませんが、県内唯一のスゴイ温泉であることは間違いありません。
ロケは7月、放送は8月の予定です。
乞う、ご期待!
2022年06月21日
高嶺の酒
さすがにメチルアルコールには手を出しませんでしたが、若い頃は酔えれば何でも浴びていました。
20代前半。
よっぽどの祝い事でもなければ、店に出かけて呑むなんてことはしませんでした。
みんな貧乏学生でしたからね。
下宿に集まり、持ち寄った酒を呑む。
それが “呑み会” でした。
当時の主流は、焼酎。
まだまだ今のように、焼酎がオシャレではなかった時代のこと。
“労働者の酒” なんて呼ばれていた頃ですから、貧乏な僕たちにも愛飲されていました。
たまにウィスキーのボトルが登場しましたが、ほとんどがサントリーの 「レッド」。
このクラスの酒が、手を出せる限界でした。
本当に稀にですが、「バイト料が入ったぞ!」 と 「ホワイト」 を抱えて来る輩がいると、奪い合いとなり、一瞬で消えてなくなったものです。
そんな僕らの楽しみは、盆暮れの帰省明けでした。
地方に散らばった仲間たちが、故郷から帰って来ます。
各々の手には、親からくすねて持って来た贈答品の酒が……
「角」 「オールド」 「リザーブ」 なんていう銘酒は、まるで戦利品のように神々しかったのであります。
「うめぇ~なぁ~」
なんとも言えぬ至福の夜を迎えたものでした。
時は巡り、大人になっても、相変わらず呑兵衛は吞兵衛のままであります。
しかも、まったく進歩なし!
老いてもなお、“質より量” の毎日を送っています。
そんな僕に、ある日突然、衝撃の一夜が訪れました。
某テレビ局のリポーターとして、夜の街をロケした時です。
店の主人とのツーショットシーン。
カウンターをはさんで、僕と店主が向かい合い、お店の歴史話を聞くという設定です。
「手元に何もないのも不自然ですので、小暮さんに何か出してもらえますか?」
ディレクターに言われ、店主が琥珀色の液体が入ったグラスをカウンターに置きました。
「はい、それでは本番行きます。まず、一口飲んでから話し出してください。3、2、(キュー)」
ところが一口飲んだところで、あまりの美味しさに、セリフが飛んでしまいました。
「うま~い!」
「カット! もう一度、お願いします」
と言われても、僕の耳にはディレクターの声なんて入って来ません。
「めちゃくちゃ、おいしいんですけど、これ何?」
台本に無いことを話していました。
「山崎です」
それを聞いて驚いたのは、僕よりもディレクターのほうでした。
「これ、開けちゃったんですか?」
「いえいえ、売り物じゃありません。私個人のボトルですから、ご安心ください」
どうりで、うまいわけだ!
と言っても、僕はウィスキーの味は、よく分かりませんし、「山崎」 自体、初めて飲みました。
なのに、“どうりで” と思ったのは、その値段です。
確か、市場では何万円もするのでは……
と思っていたら先日、目ん玉が飛び出るようなニュースが飛び込んで来ました。
《「山崎55年」 8100万円 米で落札》
《日本産ウイスキー 高評価》
新聞によれば、サントリースピリッツの長期熟成シングルモルトウイスキー 「山崎55年」 が米ニューヨークで競売にかけられ、60万ドル (約8100万円) で落札されたとのことです。
ちなみに2020年に日本で販売され時は、1本330万円だったといいます。
僕がロケで飲んだ 「山崎」 は何年物だったか知りませんが、それでもセリフが飛ぶほどにうまかった!
55年となると味の想像がつきませんが、8100万円という価格には驚かされました。
死ぬまでに一度、飲んでみたいような、怖いような……
まさに、高嶺 (高値) の酒であります。
2022年06月20日
2つの舞台と2人の首長
僕らは毎月、伊勢崎神社 (群馬県伊勢崎市) の境内で、「神社かみしばい」 と銘打った街頭紙芝居の口演を行っています。
僕らとは、興行主の壽ちんどん宣伝社座長の石原之壽くんと、画家の須賀りすさんと、僕の3人です。
きっかけは、以前から興行を行っていた同級生の石原君から、「地元・伊勢崎の民話を紙芝居にしたい」 と誘いがあったからです。
さっそく3人で現地調査をし、完成させたのが昨年1月から口演している 『いせさき宮子の浦島太郎』 です。
伊勢崎市の宮子というところに 「竜宮」 という地名があり、「龍神宮」 というお社があり、今でも竜宮伝説が残っています。
「えっ、海のない群馬県に竜宮伝説!」
という驚きから今月、テレビ朝日 「ナニコレ珍百景」 にも登場しました。
そんな僕らの活動に賛同してくださったのが、前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生でした。
さっそく昨年秋、オリジナルの創作紙芝居 『焼きまんじゅうろう』 という群馬のニューヒーローの話を書き下ろしてくださいました。
もちろん絵も、先生本人による手描きであります。
現在、『焼きまんじゅうろう』 はシリーズ化され、ついには落語にもなりました。
落語を演じたのは、前橋市在住のアマチュア落語家・都家前橋(みやこやぜんきょう)さん。
先月、群馬県立土屋文明記念文学館で、『焼きまんじゅうろう旅姿~玉村宿の決闘』 と題した創作落語が初披露されました。
※(YouTube 「都家前橋 玉村宿の決闘」 で閲覧できます)
紙芝居の2作目と落語の舞台となったのが上州 「玉村宿」。
現在の群馬県佐波郡玉村町です。
ということで、昨日開催された 「神社かみしばい」 では、この2本の作品を中心に口演しました。
す、す、すると!
想定外のハプニングが起こりました。
な、な、なんと!
会場に、『いせきき宮子の浦島太郎』 の舞台である伊勢崎市の市長と、『焼きまんじゅうろう旅姿』 の舞台である玉村町の町長が、そろって会場に来られたのであります。
し、し、しかも!
どこから、そのウワサを聞きつけたのか、新聞2紙もが取材に来てくださいました。
これまた、おったまげ~!!
おかげさまで口演は、各回満員御礼となりました。
青葉まぶしい、神社の境内。
緑の風が心地好く、最高の “紙芝居日和” となりました。
市長さん、町長さん、そして、お暑い中、足を運んでくださったたくさんのみなさん、ありがとうございました。
3人を代表して、お礼を申し上げます。
また、お越しください。
※次回の 「神社かみしばい」 は、7月9日・10日の開催予定です。
2022年06月18日
中途半端な居酒屋
長引くコロナ禍の影響なんでしょうね。
非接触の店が増えています。
久しぶりに回転寿司チェーンに行って驚きました。
入店しても、店員は出迎えません。
タッチパネルに来店人数を入力するすると、「お客様番号」 なる数字が印字されたレシートが出てきました。
すると、通路ごとに設置されているモニターに、その 「お客様番号」 が点滅。
指示に従い通路を進むと、「お客様番号」 のテーブルがありました。
(これって、ラブホテルみたい!?)
当然、注文はタッチパネルに打ち込みます。
従来のように、レーンに流れている寿司を取ってもいいのですが、新鮮なネタのほうがいいので、ほとんどの客が注文しています。
僕も見よう見まねで、パネルをタッチ。
すると!
回転しているレーンとは別のレーンが動き出し、到着予告ランプが点滅。
スーッと注文の品が流れて来て、ピタッと僕の席の前で停まりました。
ここまで、店員さんには、誰一人会っていません。
会計もタッチパネルです。
画面をタッチすると、皿を投入口に入れるよう表示され、指示に従うと料金が表示されました。
入店時にもらったバーコード入りのレシートを持って、レジへ。
ここも無人です。
ピッ!とセルフレジにバーコードをかざし、精算。
これで、完了です。
おったまげー!
入店から出店まで、他のお客の顔は見ましたが、ついに店員には会いませんでした。
もしかしたら無人?
厨房の中も、ロボットなのかしらん?
世の中、変わりました。
近未来レストランが、現実になっているんですね。
と思えば、先日、友人たちと行った居酒屋は、なんとも間が抜けていて、ちょっぴり安心しました。
某チェーンの居酒屋は、従来通りに店員がお出迎え。
「何名ですか?」 と問われ、座敷に案内されました。
席に着くと、紙のメニューを見ながら、店員を呼んで、注文をしました。
ここまでは従来通りです。
が!
なななんと、料理を運んできたのは、ロボットだったのです。
「あれ、ドリンクは店員だったよね?」
「ロボットだと、こぼしちゃうからじゃないの」
ワゴン型のロボットは、部屋の入口に停まって、料理を取りに来るのを待っています。
「面倒くせーな、テーブルまで持って来てくれないの?」
ここは座敷です。
注文が届くたびに、ドッコイショ!と立ち上がり、料理を取りに行きます。
「こいつ、帰らないよ」
「頭をなでるんですよ」
「そうなの、面倒くせーな」
でも、なんか、この中途半端さが、いいですね。
ホッとします。
注文とドリンクは店員、料理はロボット。
ちゃんと人手不足対策、人員削減になっています。
僕は完全非接触の店より、こっちのほうが、なんだか安心して食事ができました。
さて、コロナ後の令和の世の中って、どう変わっていくんでしょうね。
キャッシュレス、ヒューマンレスの次は?
ちょっぴり見るのが怖いような気もします。
2022年06月17日
女たちの無念が咲かせた花しょうぶ
「いずれ菖蒲 (アヤメ) か杜若 (カキツバタ) 」
といえば、区別がつきにくいことの例え。
転じて、どちらも優れていて、優劣がつきにくいときに使う言葉です。
確かに素人目には一見、見分けがつきません。
さらに、ややこしいのは、菖蒲という字は 「ショウブ」 とも読むことです。
アヤメとカキツバタを見分けるのでさえ難しいのに、ショウブまで加わると、三つ巴の難解となります。
ただし一度覚えると、見分け方は意外に簡単なようです。
まず、見られる場所が違います。
アヤメは陸地、ショウブは水辺、カキツバタは水の中。
そして、開花時期も異なります。
カキツバタは5月中旬、アヤメは5月中~下旬、ショウブは6~7月中旬。
ということは、今の時季に見られるのは、ショウブである可能性が高いということになります。
ところが、これまた、ややこしい。
今の時期、花を咲かせているのは、正しくはショウブではなく、「ハナショウブ」 といわれる別品種だということ。
一般に、端午の節句に風呂に入れるショウブとは、まったくの別物です。
ちなみに菖蒲湯のショウブはサトイモ科 (もしくはショウブ科) で、ハナショウブはアヤメ科です。
そんな予備知識を入れ込んでから、さっそく行って来ました。
「赤堀花しょうぶ園」 (伊勢崎市)
まさに、今が見頃。
紫や白、黄色の2万5000株のハナショウブが咲き誇っていました。
えっ、観光なのかって?
まさか! 仕事ですよ、仕事!
業界でいうところのロケハン (ロケーションハンティング) です。
ライターの僕にとっては、取材の一環であります。
というのも、僕は昨年1月から伊勢崎市の民話を集めて、紙芝居にして上演する活動を行っています。
※(当ブログのカテゴリー 「神社かみしばい」 参照)
ここ 「赤堀花しょうぶ園」 は、約800年前の農業用水路跡で国指定史跡 「女堀」 です。
平成元(1989)年に伊勢崎市が公園として整備し、ハナショウブを植栽しました。
僕の目的は、ハナショウブではなく、史跡のほうであります。
そして、ここには、女たちが一夜で掘ったという伝説が残されています。
ところが水は最後まで流れず、未完の水路で終わりました。
咲き誇る美しいハナショウブの花々は、何千、何万という女たちの無念が咲かせたように思えてなりません。
だから僕は、この話を後世に伝え残したいと思います。
※正確には、花びらの付け根で見分けます。
アヤメは網目柄、ハナショウブは黄色い模様、カキツバタは白い筋があります。
2022年06月15日
ぐんま湯けむり浪漫 (11) 沢渡温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
沢渡温泉 (中之条町)
頼朝が発見したと伝わる名湯
沢渡(さわたり)温泉の歴史は古く、万葉集の中にも地名を詠んだ歌があり、湯は鎌倉時代に発見されたと伝わる。
建久2(1191)年のこと。
同4年に征夷大将軍となり、富士の裾野で大規模な巻き狩りをした源頼朝は、その2年前に浅間山麓で小手調べのイノシシ狩りをした。
その際、酸性度の高い草津温泉につかり、湯ただれをおこした頼朝が、沢渡の湯に入ると、荒れた肌がきれいになったことから 「草津のなおし湯」 と呼ばれるようになったといわれている。
しかし、沢渡が温泉場として知られるようになったのは、江戸時代以降のこと。
草津温泉の繁栄とともに多くの浴客が訪れるようになり、湯治場としてのにぎわいは、昭和になってからも続いた。
ところが昭和10(1935)年の水害による山津波、同20(1945)年の山火事から温泉街が全焼するという災厄に遭い、壊滅的な打撃を受けた。
しばらくは岩の割れ目から湧く温泉を数軒の宿で分湯していたが、湯脈が細って湯量が少なくなったため、同34(1959)年にボーリングを開始。
翌年、高温で豊富な源泉が噴出した。
これにより旅館も10数軒に増え、群馬県医師会による温泉病院も設立された。
湯玉が肌を滑り落ちる
大正11(1922)年10月、歌人の若山牧水は草津温泉から沢渡温泉へ向かう途中で、暮坂峠の素晴らしい景観に感動し、『枯野の旅』 を残した。
また2年後に著した 『みなかみ紀行』 には、このように記している。
<峠を越えて三里、正午近く沢渡温泉に着き、正栄館 (ただしくは 正永館) というのの三階に上った。此処は珍しくも双方に窪地を持つような、小高い峠に湯が湧いているのであった。無色無臭、温度もよく、いい湯であった。>
正永館は当時、現在の共同浴場の西隣にあったという。
この時、牧水は沢渡温泉に泊まるか迷った末、昼食を終えると四万温泉へと旅立って行った。
ほかにも十返舎一九 (戯作者) や高野長英 (蘭学者)、平沢旭山 (儒者)、野口常共 (漢学者) ら、多くの文人墨客が訪れている。
「そこの石垣の間から温泉が湧いていてね。子どもの頃、ここでメンコやビー玉で遊んでいて、手が冷たくなると温めたものだよ」
と共同浴場前の駐車場で、沢渡温泉組合長の林伸二さんは述懐する。
「沢渡は2度の大きな災害に遭っているけど、昔も今も変わらないね。湯も人も、やさしいままだよ」
湯は無色透明で、サラサラしている。
湯舟から腕を上げると、コロコロと小さな湯玉が弾かれて、肌を滑り落ちるのがわかる。
「一浴玉の肌」 と呼ばれる、元祖 “美人の湯” である。
約50年前に降った雨が地中深く浸透し、長い間、有効成分を取り込みながら温められ、今、こうして温泉となって湧き出しているのだ。
ほのかに香る温泉臭と、たゆたう白い湯の花に、身も心も癒やされていく。
<2018年6・7月号>
2022年06月14日
「神社かみしばい」 6月口演
“海のない群馬県に伝わる竜宮伝説”
今月初め、テレビ朝日の人気番組 『ナニコレ珍百景』 で放送されて、大変話題になりました。
放送後、最初の口演が今週末に開催されます。
※(テレビ放送については、当ブログの2022年6月6日 「ついに出た!『ナニコレ珍百景』」 参照)
僕らは毎月1回、伊勢崎神社の境内で、街頭紙芝居を行っています。
僕らとは、画家の須賀りすさんと、壽ちんどん宣伝社座長の石原之壽くんと、僕です。
昨年の1月から3人で、民話や創作の紙芝居を制作して、上演しています。
テレビで放送された竜宮伝説も紙芝居にしました。
『いせさき宮子の浦島太郎』
作/小暮淳 画/須賀りす 演/石原之壽
海なし県の竜宮城とは?
浦島太郎の正体とは?
乙姫様との約束とは?
ぜひ一度、昭和レトロただよう街頭紙芝居へ、お越しください。
「神社かみしばい」 6月口演
●日時 2022年6月18日(土)、19日(日)
10時、11時、12時、13時
※屋外開催 (悪天候時は室内)
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 投げ銭制 ※ペイペイ可
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
☆小暮は19日のみ在社いたします。
2022年06月13日
読者様は神様です
数年前のさる会合の席でのこと。
年配の男性に声をかけられました。
「私は小暮さんの文章が好きでしてね。表現がいい」
唐突に褒められると、こちらも構えてしまいます。
「はっ? ……ああ、ありがとうございます」
とりあえず、お礼を言いました。
すると男性は、なんと20年以上前に書いた処女エッセーのタイトルを言いました。
それ自体が驚きだったのですが、さらに男性はエッセーの中の一節をそらんじました。
「『小さな雨が降っていた』、あの表現は感動しました」
そう言われても、書いた本人が忘れています。
後で読み返してみると、その言葉が収録されているのは、女子少年院をルポした章でした。
重苦しい取材を終えて、建物の外へ出た時の描写です。
「読んでいて、“小さな雨” が見えたもの。“小雨” ではなかった」
御見それしました!
著者が気づいていない所に、読者は気づいていたんですね。
深い! 深すぎる!
ピーンと背筋が伸びた瞬間でした。
これは、さる講演会でのこと。
講演終了後、何人かの著書を持参した読者に、サインをしている時でした。
30代とおぼしき男性は、手にしたバッグを開けて、中を見せてくれました。
おったまげーーー!!!
ビッシリと僕の著書で埋まっています。
「すごいね」
「ええ、全部持っています」
そして、こんなことを言いました。
「先生の本には、たびたび同じ温泉宿が出てきます。その宿を見つけて、読み比べるのが好きなんです」
ゲッ、マニアック~!
そんな読み方をしているの?
読者の深層心理とは、複雑で奥が深いものですね。
これまた、ピーンと背筋が伸びてしまいました。
いやはや、なんとも、著者冥利に尽きるエピソードではあります。
ただただ、感謝!
そして、読者様は神様です。
2022年06月12日
なぜ女児は消えた?
“事実は小説より奇なり”
これが小説ならば、とっくに容疑者が浮上し、名探偵が事件を解決していることでしょう。
《肋骨も女児とDNA型一致》
まだ真相は解明されていないのに、すでに忘れ去られているかのような小さな記事が、新聞の片隅に載っていました。
2019年9月、山梨県のキャンプ場からこつ然と姿を消した女児失踪事件の続報です。
失踪から2年7ヶ月後の今年4月、山中から女児の物と思われる頭蓋骨が発見されたのをきっかけに、肩甲骨、左脚、右腕の骨が次々と見つかっています。
新聞記事は、新しく発見された肋骨からも当時7歳だった女児と同じDNA型が検出されたことを報じています。
ここまでハッキリと科学が証明しているのですから、同一人物であることは間違いないようです。
でも、まだ事故か事件かは分かっていません。
失踪場所と骨の発見場所の距離を考えると、事故とは思えないのですが……
DNA型鑑定という現代技術がなかった時代、今回のような失踪事件は、迷宮入りとなっていたことでしょう。
そして、人々は、こう呼びました。
「神隠し」 と。
民話や伝説の世界では、子供が山の中で、こつ然と姿を消す話が、たくさんあります。
大概は、人間の所業が “山の神” の逆鱗に触れたことが原因です。
温泉地に多いのが、ある日突然、湯が止まってしまうという話。
そして、止まってしまった湯を元に戻すには、子供を人身御供に差し出すしかありません。
なかには、神の使いとして、天狗が子供をさらいに来るという話もあります。
なぜ、女児は山の中で消えたのか?
山の神の怒りに触れたのか?
天狗に連れ去らわれたのか?
それとも、人の姿をした魔物に……
名探偵の登場を待ちいたと思います。
2022年06月11日
お上がりの復活
どんな人でも一つぐらい、特技があるものです。
僕にもあります。
たびたびブログでも、ひけらかしてきた自転車の “パンク直し” です。
15分あれば、修理することができます。
※(なぜ特技を習得したかは、当ブログの2022年2月14日 「最期の “お上がり” 」 参照)
ところが、パンク修理には限界があります。
修理可能なタイヤとは、一部に穴があいたとしても、チューブ自体は “健康” であること。
人間の体で言えば、初期症状の段階での治療となります。
それがチューブ全体に転移し、直しても直しても空気がもれるようになると、もう、手の施しようがありません。
現在、僕が愛用している自転車は、今春から就職で県外へ出て行った次女の置き土産。
いわゆる “お上がり” であります。
だいぶガタが来ていましたが、捨てるにはもったいないので、メンテナンスをして乗っていました。
それが……
後輪の空気が抜けるのです。
それもパンクではありません。
何度空気を入れても、ゆっくりと数時間かけて、空気が抜けていきます。
チューブを取り出してみると、過去の修理痕が痛々しく点在しています。
(まるで手塚漫画の 「ひょうたんツギ」 のよう)
どこが病んでいるのではなく、チューブ全体が瀕死の状態でした。
ここまで来ると、もう、僕の特技レベルでは直せません。
よくよく見れば、タイヤ本体の表面も摩耗して、ツルツル状態。
これは、ついに別れの時が来たようです。
と、いつもなら、この段階で廃棄し、新しい自転車を購入するのですが、待てよ……
生まれて初めて親元から離れ、見知らぬ街で一人暮らしをしながら頑張っている次女の顔が浮かびました。
彼女の置き土産です。
もし、次に帰省した時に、自転車がないことを知ったら……
よし、今回は、プロに大々的な手術をお願いしよう!
大いなる決意のもと、自転車屋に持ち込みました。
すると、ものの1時間で新品のタイヤに交換してくれました。
えっ、こんなに早くて、しかも、この値段なの!?
“案ずるよりプロに頼むが易し”
だったら歴代の自転車も、ここへ持ってくれば良かった~!
後悔しきり。
かくして、お上がりの自転車は、見事に復活いたしました。
あとは、次女の帰省を待つのみです。
「へー、まだ乗ってるんだ」
と愛想のない言葉が返ってくるのことは、目に見えています。
それでも、かつての愛車が消えてなくなっているよりは、うれしいと思うんです。
ちょっぴり親バカかもしれませんけどね。
2022年06月10日
老いては弟子に従え
「先生は鈍感なんだから」
そう言われて、しょげてしまった僕に、
「いいんですよ先生は、それで」
「何のために弟子がいると思っているんですか」
「我々に任せてください」
次々に声をかけられました。
まだボケるには、ちと早過ぎます。
でも人間、人より劣る根っからダメな部分というものは、生涯消せないものです。
決して、老いたからではなく、鈍感なのは、僕の生まれつきの欠点なのであります。
先日、「弟子の会」 なるものが、市内の居酒屋で行われました。
集まったのは、僕の講演や講座、著書をきっかけに県内外から集まった “自称・弟子” のみなさんです。
会の結成は2016年11月ですから、かれこれ6年になります。
2ヶ月に1回、こうやって顔を合わせて、温泉談議に花を咲かせています。
この日は、話し合うべき案件がありました。
その案件について僕は、まったくトンチンカンな解釈をしていたのです。
勘違いもはなはだしく、弟子たちに笑われてしまいました。
「俺って、本当、鈍いよね」
その時は、自分のダメさ加減に、ほとほと嫌気がさしました。
案件は、その場で一件落着。
いつも通りの楽しい酒宴となりました。
弟子たちの笑い声と心地よい酔いに包まれいたら、なんだか急に目頭が熱くなってきました。
ダメなことをダメと言ってくれて、ダメはダメのままでいいと言ってくれる人たち。
しかも、そのダメな部分を補うために自分たちがいると、言ってくれるのです。
こんな幸せな事って、あるでしょうか?
“持つべき物は弟子”
“老いては弟子に従え”
まだまだ老いに身を任せる歳ではありませんが、この人たちに囲まれて老いれるのであれば、老いるのも悪くはないな……
ほてった頬を夜気に冷ましながら、傘をさしてトボトボと歩く帰り道。
「ありがとう」
見上げた雨空に、そう、つぶやかずには、いられませんでした。
感謝!
2022年06月09日
温泉インク
めっきり文字を書かなくなりました。
みなさんは最近、文字を書きましたか?
文筆を生業にしている僕ですら “めっきり” なのですから、一般の人は “すっかり” ご無沙汰しているのではないでしょうか?
その昔、日記をしたためていました。
個人的にも付けていましたが、学生時代は好きな女の子と 「交換日記」 なんていう粋な遊びもしていました。
今でいえば、メールやラインの交換のようなものです。
僕の場合、お相手は、通学電車の中で毎朝会う女子高生でした。
満員電車の中、他の学生たちに気づかれないように、そっと日記を手渡します。
翌日にな.ると、今度は彼女が僕に、よろけたふりをして近づいて、さっと差し出します。
今思い出すと、ちょっと赤面する青春の1ページであります。
で、当然ですが、その日記帳に用いられた筆記用具は、万年筆です。
あの時代、高校生になれば誰もが、万年筆を持っていました。
(高校の入学祝いといえば、時計か万年筆でした)
色は、ブルーブラック。
インク壺からスポイト式にインクを入れるタイプもありましたが、すでに主流はカートリッジでした。
文字の上手下手は二の次。
誰もが日記や手紙を、お気に入りの万年筆で書いていた、そんな時代でした。
時代は昭和から平成へ。
筆記用具もワープロからパソコンへと変わりました。
令和の今は、手帳もスマホに変わりました。
いつしか文字は、「書く」 ものから 「打つ」 ものになってしまいました。
そんな中、なんとも時代に逆行する、しかも群馬県ならではの商品が発売前から話題になっています。
それは、「GUNMA ONSEN INK」。
なんと群馬の5大温泉地、草津・伊香保・水上・四万・万座をイメージした色の万年筆用インクです!
「KUSATSU (草津)」 は、湯畑をイメージしたグリーン。
「IKAHO (伊香保)」 は、“黄金の湯” を表現した金ラメ入りのイエロー。
「MINAKAMI (水上)」 は、谷川岳からの清き川の流れをイメージしたネイビーブルー。
「SHIMA (四万)」 は、奥四万湖をイメージしたシマブルー。
「MANZA (万座) は、乳白色の湯を表現した銀ラメ入りのコバルトブルー。
30ml入りで、価格は2,200円 (MANZAのみ2,420円)。
5本セットを購入すると、オリジナル温泉タオルが付くそうです(数量限定)。
発売するのは、(株)アサヒ商会 (高崎市) が運営する文具専門店の 「Hi-NOTO (ハイノート)」。
今月18日から各店 (高崎、前橋、伊勢崎) とオンラインストアにて販売されます。
ご当地インクは、全国にコレクターがいるほどの人気です。
その中でも、“温泉インク” というのは珍しい!
話題を呼びそうですね。
大切な人へのプレゼントだけでなく、新たな “群馬みやげ” にもなりそうです。
温泉大使としても、今後の話題に大変興味があります。
2022年06月08日
ぐんま湯けむり浪漫 (10) 伊香保温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
伊香保温泉 (渋川市)
歴史と伝統が息づく石段街
開湯の起源は不明だが、二ツ岳 (榛名山の外輪山) の噴火によるものと考えられるため、西暦600年前後であろうといわれている。
「伊香保」 という名は、伊香保町という地名として残っているだけだが、万葉の時代には榛名山一帯を指していたようで、「万葉集」 巻14の東歌の中、上野国 (群馬県) の部には、「伊香保」 に関する歌が25首中9首も詠まれている。
歌の内容を読み解くと、「イカホ」 の意味は 「沼」 や 「背」、「風」 であり、現在の温泉地に限定している地名ではなく、広域を示していたことがわかる。
「イカホ」 の語源については諸説あるが、アイヌ語の 「イカ、ボップ (たぎる湯)」 から来ているとの説や、上州名物の 「いかづち (雷) 」 と燃える火 (ホ) との関連ではないかといわれている。
伊香保温泉の象徴、石段街が形成されたのは天正4(1576)年、戦国武将の武田氏が町並みを整備したことから発展したと伝わる。
当時、温泉街には大屋(おおや)と呼ばれる14軒の宿があり、年番で役を受け持っていた。
延享3(1746)年、徳川家重の時代に12軒の大屋に 「子」 から 「亥」 までの十二支の名が割り当てられ、明治維新まで年番で名主や伊香保口留番所 (関所) の役人を務めた。
その名残として、現在は石段の屋敷跡に十二支のプレートが埋め込まれている。
守り継がれる二つの源泉
伊香保温泉の源泉は、昔から小間口権 (引湯権) を持つ大屋たちにより守られてきた。
小間口とは、源泉 (温泉) が流れる本線 「大堰」 より各源泉所有者 (旅館) への引湯の際に用いられる湯口のことで、今でも石段街の温泉の取入口として利用されている。
この伝統ある源泉が、「黄金(こがね)の湯」 である。
泉質は、高血圧や動脈硬化の予防に効果が高いといわれる硫酸塩温泉。
鉄分が多いため空気に触れると酸化し、独特の茶褐色になる。
ちなみに、この湯の色を模して造られたのが名物の 「湯の花まんじゅう」 であり、伊香保温泉が温泉まんじゅうの発祥の地といわれている。
もう一つ、平成になってから湧出が確認された新しい源泉がある。
湯の色が無色透明だったため 「白銀(しろがね)の湯」 と名付けられた。
泉質は、メタけい酸含有泉。
保湿力に優れていることから “美肌の湯” とも呼ばれている。
伊香保温泉は昨年発表された 『温泉総選挙2017』 (うるおい日本プロジェクト主催) で 「チームで温泉活性化賞」 をはじめ、いくつもの賞を受賞した。
歴史と伝統を重んじながらも、新しいイベントなどにも積極的に取り組んでいる。
「インバウンドでは後発の温泉地です。外国人観光客は全体の1%に過ぎません。将来を見据えて、旅館経営者らと勉強会などを開いています」
と渋川伊香保温泉観光協会長の大森隆博さん。
今春、町内に台湾を総本山とする寺院の日本本山が開山した。
信者は500万人ともいわれ、温泉街へのインバウンド効果が期待されている。
ほぼ日本の真ん中に湧き、『上毛かるた』 の最初の札に詠まれている名湯、伊香保温泉。
金と銀の湯舟にのって、いま、千年浪漫の旅へ。
<2018年5月号>