温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2025年02月10日

トロトロもつ煮に、萌え~!


 昨年、我が家の近くにラーメン店がオープンしました。
 いわゆる今はやりの背脂ギトギトのコテコテ濃厚ラーメンです。
 オープンしたての頃、物の試しに入りましたが、案の定、胃もたれをしてしまいました。

 「もう二度と来ないだろうな」
 と、その時は思ったのですが、店を出てから看板のメニューを見て、気になってしまいました。

 なんだろう? 「もつ煮めし」 って?


 群馬県民にとって、もつ煮は、スーパーソウルフードであります。
 飯のおかずに好し、酒のあてに好し!
 もちろん僕も大好きです。

 でもね、最近はテレビなどでも取り上げられたからでしょうか?
 たかが 「もつ煮」 なのに、行列ができる店もあります。
 渋川市のNとか、伊勢崎市のHとか、他県からも大勢やって来るようですが、「もつ煮」 って、そういう食べ物じゃないと思うんです。

 もっと庶民的で身近な食べ物です。
 だもの僕は、並んでまでは食べません。


 で、数カ月後、意を決して、もう一度、あのギトギトラーメン店ののれんをくぐりました。
 迷わず、「もつ煮めし」 を注文!

 出てきた 「もつ煮めし」 は、お膳にのった普通の定食でした。
 もつ煮の丼を中心に、ごはんと漬物と豆腐が添えられた、いたってシンプルな見た目。
 もつ煮の味付けも、みそ仕立てです。

 ところが、一口食べて、一瞬にして、とりこになってしまいました!

 だってだって、もつがトロトロなんです。
 見た感じ、普通にプルプルしたもつなんです。
 箸でつまんでも、プルプルしています。
 なのに、口の中に入れた途端、舌の上でとろけました。


 実は僕、差し歯が気になって、硬い物や粘着性のある食べ物が苦手なんです。
 だから、もつ煮は好きなのですが、いつまでも口の中で嚙み切れずに、クチャクチャしているのがイヤで、もつ煮に対しては敏感で、臆病になっていました。

 ところが、やっと遇えました!
 歯のいらない、トロトロなもつ煮に!


 ラーメン屋なのにね、よくぞ、もつ煮をメニューに入れてくれました。
 しかも店員さんは、全員若い女性なんですよ!
 このミスマッチも、萌え~! であります。

 もつ煮好きのみなさ~ん!
 一度食べてみてください。


 ※ 「A」 という店で、高崎にもあるそうです。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:40Comments(2)つれづれ

2025年02月07日

国民年金じゃダメですか?


 これもカスハラというのでしょうか?
 店員に説教をしているジイサンがいました。


 某丼チェーンでのこと。
 昼飯を済ませ、レジへ行くと、高齢男性が若い男性店員に、とつとつと話しかけていました。

 「アルバイト?」
 「はい」
 「なんで就職しないの?」
 「・・・」
 「親は心配していると思うな」
 「・・・」
 「何か、やりたいことがあるの?」
 「ええ」
 「夢を追うのもいいけどさ、あとで後悔するよ」
 「・・・」
 「国民年金じゃ、生活できないんだから」
 「・・・」
 「今から、ちゃんと老後のことを考えたほうがいいって」

 会話を聞いていた僕は、自分のことを言われているのかと思い、ドキッとしてしまいました。


 このジイサンも国民年金生活者なのだろうか?
 自分の実体験から、若者に対して助言をしているのでしょうか?

 「いいね、ちゃんと将来のことを考えるんだよ。ハイ、ごちそうさま」
 最後は、そう言って、店を出て行きました。

 店員の顔には、しっかりと 「大きなお世話」 と書かれていました。


 それにしても、おせっかいな説教ジジイであります。
 未来ある若者に対して、夢も希望もない言葉のオンパレード。
 若き日の僕ならば、「うるせい! ジジイ! おめえのようなジジイが、この国をダメにしたんだよ!」 と言い返していたかもしれませんね。

 国民年金のどこが悪いのでしょうか?
 お金を持っていないことの、どこがいけないのでしょうか?
 悠々自適な老後を送ることが、人生の最終目的なのでしょうか?

 僕には分かりません。


 きっと、あのジイサンは、自分の人生が嫌いなんでしょうね。
 自分の人生を愛せない人は、他人の人生を否定することしかできないのですね。

 “人のふり見て我がふり直せ”

 ああいうジイサンにだけは、なりたくないものです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:00Comments(0)つれづれ

2025年02月05日

死に急ぐ子どもたち③ 過去はあるけど未来がない


 毎日、新聞の 「おくやみ欄」 に目を通しています。
 無意識なんですが、ついつい自分より年下の年齢に目が止まってしまいます。

 決して僕も、もう若くはないのですが、“人生100年時代” といわれる現代では65歳以下の死は、「若過ぎる」 としか言いようがありません。


 たまにですが、20代や10代の若い人の名前があると、いたたまれない気持ちになります。
 喪主欄に、「父」 「母」 とあると、さらに胸が苦しくなります。
 親御さんの心情は、いかばかりかと……

 死因は、病気なのか? 事故だったのか?
 もしかしたら……


 先日、厚生労働省が警察庁の自殺統計を基にまとめた2024年の自殺者数 (暫定値) を発表しました。
 これによると全体の自殺者数は2万268人 (前年比1,569人減) だっのに対して、小中高生の自殺者は527人 (同14人増) で、統計を取り始めた1980年以降で過去最多となりました。

 僕は毎年、この時期になるとブログに 「死に急ぐ子どもたち」 と題して、記事を書いています。
 そのたびに、「過去最高」 と記しているんですね。

 なぜ、この国は、全体の自殺者が減少傾向にあるのに、子どもたちの自殺は増え続けているのでしょうか?


 小中高生の自殺者は 2020年に前年比100人増の499人と大幅に増加して以降、500人前後で高止まりしています。
 (といっても少しずつ増えているんです)
 2020年の急増は、コロナ禍が影響していると見られています。
 コミュニケーション不足により、孤立する子どたちが増えたからかもしれません。

 でもコロナが落ち着いたというの、増え続けているというのは、なぜなんでしょうか?


 小中高生の内訳は、次の通りです。
 小学生15人 (前年比2人増)、中学生163人 (10人増)、高校生349人 (同2人増)。
 男女別では、男性239人 (同20人減)、女性288人 (34人増) でした。
 特に女子中学生 (同19人増) と女子高校生 (同17人増) の増加が大きいようです。

 ちなみに、19歳以下の女性の自殺原因および動機を見ると、病気などの 「健康問題」、学友との不和などの 「学校問題」、親子関係の不和などの 「家庭問題」 の順に多かったと報告しています。


 全体の自殺者が減少しているのに、死に急ぐ子どもたちが増え続けているって、どういう国なんでしょうか?
 うがった見方をすれば、“未来” が見えない国ということです。
 一方、大人たちの自殺が減少しているのは、“未来” が無くても生きていけるから?

 令和になってから、やたらと 「あの頃は良かった」 と昭和を懐古する風潮が蔓延しています。
 日本という国は、令和の世の中に “生きがい” を感じられなくなってしまったのでしょうか?

 過去はあるけど、未来がない国だなんて……
   


Posted by 小暮 淳 at 12:03Comments(0)つれづれ

2025年01月29日

Pちゃんの汁だくおでん


 僕はときどき、近所のコンビニに、おでんを買いに行きます。
 いや、買いに行くようになってしまったのです。
 それも決まって、土曜日か日曜日。

 なんで?
 それには、こんな理由(わけ)があります。


 昨年暮れの、ある日曜日のこと。
 コンビニに入り、レジの前を通過しようとしたときでした。
 「おでんですか?」
 と、片言の日本語で声をかけられました。

 見ると、外国人女性のアルバイト店員でした。

 「えっ? ああ、帰りに買うね」
 と応えると、満面の笑みで 「ハイ」 と言いました。


 彼女は以前、僕がおでんを買ったことを覚えていたんですね。
 でも、この日は、おでんを買うためにコンビニに寄ったわけではありません。
 でも、彼女の笑顔が、あまりにもキュートだったので、結局、買ってしまいました。

 帰り際に、僕は声をかけました。
 「よいお年を」
 すると彼女は、キョトンとした顔をしました。
 「よい……お、と、し?」

 彼女のまだ知らない日本語だったようです。
 だから僕は教えてあげました。
 「年が明けて新しい年がきたら、『あけましておめでとうございます』。でも、年が明ける前は 『よいお年を』 って言うんだよ」
 すると彼女は、何度も 「よいお年を」 をくり返し唱え始めました。

 「ありがとうございます。勉強になりました」
 やはり、素敵な笑顔が返ってきました。


 年が明けてからも、そのコンビニには何度か立ち寄りましたが、彼女の姿はありませんでした。
 今思えば、平日だったのですね。

 そして、とある日曜日の夜。
 彼女がいました。
 僕を見るなり、こう言いました。

 「おでん?」
 「うん」
 即答しました。

 「今日もお酒呑むの?」
 「よく覚えているね。そう、おでんで一杯やるのが楽しみなんだよ」
 「・・・」
 「あなたはお酒吞まないの?」
 「少し、ときどきね」

 そして彼女は、こんなことも言いました。
 「おでん、好きね」
 「ああ、ここのおでんは、おいしいもの」
 「おいしいの?」
 「あれ、食べたことのないの?」
 「ない」
 「なんで、おいしいのに?」
 「・・・」
 おでんの具をトングでつかみながら、彼女は黙ってしまいました。

 「国は、どこ?」
 「ネパールです」
 「ネパールには、おでんはないか?」
 「はい」
 「今度食べてごらんよ、おいしいから」
 「・・・」


 そのとき、彼女は土曜日と日曜日のみバイトに入っていることを知りました。
 なので、それから僕は土日になると、おでんを買いにコンビニに足が向くようになってしまいました。

 彼女の笑顔が見たいから?
 いえいえ、おでんと日本酒で一杯やりたいからに決まっているじゃありませんか!(本当です)


 先週の土曜日、僕はまたコンビニにおでんを買いに行きました。
 何も言わなくても彼女は、大根と玉子とこんにゃくとちくわを器に入れてくれました。
 そして、お玉で何度もすくい、汁をたっぷりと注ぎ入れました。
 それと、からしが2つ。

 う~ん、分かってるっ!
 いつしか、僕と彼女は以心伝心の仲になっていたのです。


 PS
 ちなみに彼女の名前は、「P」 ちゃんです。
 名札に、そう書いてありました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:28Comments(2)つれづれ

2025年01月20日

ふてほどNGワード


 えっ、本当に令和?
 ここだけ、昭和なんじゃないの?

 そんな錯覚に陥る経験をしました。
 呑み屋での宴でのシーンでした。


 それはそれは、耳を疑うような卑猥で下劣な言葉のオンパレード。
 令和の現代ではもちろんのこと、昭和でもラジオやテレビの放送コードには絶対引っかかる下ネタが、次から次へと飛び出しました。

 えっ、マジか?
 昭和を生き抜いてきた僕でさえ、はばかるような下品なワードを口にする客。
 でも、不思議と不快ではありません。
 いやらしさよりも滑稽さのほうが勝っていて、思わず笑ってしまいます。
 僕だけじゃありません。
 まわりの客も爆笑しているじゃありませんか!

 “パンドラの箱” が開いてしまったようです。


 客は男も女も、50~60代の昭和人間ばかりです。
 もしかして昭和人間は、この手の話題に飢えていたのかもしれませんね。

 昨年の流行語大賞にもなった 「ふてほど」。
 テレビドラマ 『不適切にもほどがある』 では、昭和からタイムスリップした主人公が、令和のコンプライアンス地獄に困惑する物語でした。

 あれもダメ! これもダメ!
 パワハラ、セクハラ、モラハラ、カスハラ、フキハラ……
 何から何まで昭和の常識は、令和の非常識なのです。


 昭和人間は、この生きにくい令和の世の中で、ストレスをため込んでいるのかもしれません。

 でも、ここだけは治外法権。
 一夜限りの昭和を疑似体験できる場所なのです。

 今後、こんな店が増えるかもしれませんね。
 ≪令和人間、お断り≫
 なんていう貼り紙が、されていたりして……
  


Posted by 小暮 淳 at 11:16Comments(2)つれづれ

2025年01月19日

ツイてるね ノッてるね


 今年も18分の1が過ぎました。
 みなさんは、どんな一年のスタートを切りましたか?

 僕は、なんだかノッています。


 たとえば講演会の依頼。
 昨年暮れから予約が入り出し、年が明けてからも自治体や施設から連絡をいただいています。
 なかには、県外からの依頼もあります。
 気の長い話ですが、今年12月の講演まで決まりました。

 それとライブ。
 昨年、コロナ禍を経て4年ぶりに活動を再開したスーパーローカルオヤジバンドです。
 今年も来月2日、ステージに立つことになりました。
 ワクワクが止まりません。


 と思ったら本業のほうでも朗報が!
 暮れに、某温泉旅館から僕の本を販売したいという要望があり、出版元に連絡しました。
 年明けに、出版元より 「納品しました」 との報告をいただきました。

 と思えば、県内の書店と県の施設から 「著書を販売したい」 と矢継ぎ早に注文が!
 これまた出版元に連絡すると、すぐに納品されました。


 いや~、なんだか新年早々、ツイています!
 この調子で、実りある一年にしたいですね。

 たぶん、元日に墓参りをしたからだと思います。
 そして息子が言った、あの言葉が思い出されます。

 「知らない神様を拝むんなら、知っている仏様に手を合わせたほうがいい」


 オヤジの命日が近いので、報告に行ってきます。
 「オヤジ、ありがとう。ノッてるぜ!」
 ってね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:38Comments(2)つれづれ

2025年01月18日

幸せの恩返し


 彼女は長年勤めた職場を辞め、勉強をして資格を取り、昨年から障碍者施設で介護師として働き出しました。
 それだけでも僕は感心していたのですが、その理由を聞いて、涙をこらえることができませんでした。


 彼女との出会いは、かれこれ10年近く前になります。
 そもそも彼女は、僕の読者でした。
 そして、いつか僕に会いたいと思ったそうです。

 どうしたら会えるのか?
 出した答えが、僕が講師を務める温泉講座を受講することでした。
 しかし、僕の講座日は月1回、しかも平日です。
 勤め人の彼女には不可能でした。

 それでも彼女は僕に会いに来てくれました。
 毎月、有給休暇を取ってまで受講してくれたのです。


 時は流れ、彼女は講座で知り合った受講生仲間とともに、会を発足しました。
 僕の読者を集めた 「弟子の会」 であります。
 2カ月に1回、定期的に集まり、酒を酌み交わしながら温泉談議をしたり、人生相談をしたり、時には下ネタ交じりのバカっ話をして笑い転げています。

 発足当初、僕はメンバーに、こんなことを話しました。
 「中国の古いことわざに、こんな言葉があります。“縁ある人は万里の長城をも越えてやって来る”。みなさんは、まさに万里の長城を越えてまで会いにやって来た賢者たちです。この出会いは偶然ではありません。出会うべくして出会った必然だったのです」


 先日、今年最初の例会がありました。
 彼女の語る新しい人生に、誰もが興味津々です。
 障碍者の介護というものが、どんなに大変な仕事なのか?
 想像するに余りあります。

 でも彼女は、楽しそうに嬉々として話してくれました。
 なんで、そんな大変な仕事に、しかも、この歳になってから就いたのでしょうか?
 (僕は彼女の正確な年齢は知りません) 


 その時は訊けませんでしたが、翌日、彼女から僕にメールが届きました。

 <先生やみんなに出会えた私は本当に幸せです。この幸せをを少しだけど恩返しできるように、困っている方の支援に努めます。>

 ケータイの画面が、見る見るうちに涙で歪んでしまいました。


 万里の長城を越えた者は、常に前向きに徳を積み続けているのですね。
 見習いたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(0)つれづれ

2025年01月15日

H初め


 遅ればせながら、昨晩、無事に 「H初め」 を済ませました。

 ほらほらほら~!
 またすぐに勘違いをする!

 もしかしてHを 「姫」 だと思ったんじゃありませんか?
 違います!
 それから 「エッチ」 ではなく、「エイチ」 です。
 そう、たびたびブログにも登場する酒処 「H」 のこと。
 「H」 は、その店の頭文字です。


 今年は、だいぶ 「H初め」 が遅くなってしまいました。
 というのも新年早々、ママが熱を出して寝込んでしまったのです。

 「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
 のれんをくぐると、元気なママの声が返ってきました。

 「なに、熱出して寝込んだんだって?」
 「そうなのよ」
 「インフル?」
 「それがさ……」

 実はママは、極度の低体温症なのだといいます。
 平熱が35度くらいのため、36度を超えると体がダルくなり、37度でダウンしてしまう特異体質。
 「暮れからの疲れが出たみたいね」
 「だったら、良かった」
 「ジュンちゃんは、元気だった?」
 と言われたので僕は、こう答えました。

 「元気元気、元気なおサルは、お尻が真っ赤っか~!」

 するとママは、笑いながら言いました。
 「あれ、おサルだったっけ?」
 「そう言われると、なんだか違うような……」
 「でも、“真っ赤っか” は合っているような……」
 「元気なあの子は、ほっぺが真っ赤っか~。かな?」

 とかなんとか、他愛のない会話から今年の “初呑み” が始まりました。


 やがて一人、二人と常連客が姿を現し、いつもと変わらぬにぎやかな宴が始まりました。

 酒は百薬の長、呑んで騒いで、今年も元気に過ごしましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 10:55Comments(2)つれづれ

2025年01月14日

迷えぬ二十歳


 一日遅れですが、二十歳 (はたち) になられたみなさん、おめでとうございます。
 昨日は 「成人の日」 でした。

 なんだか、ややこしいですね。
 すでに成人年齢は18歳に引き下げられていますもの。
 「成人の日」 は18歳を祝うのかと思えば、さにあらず。
 以前同様、20歳なんですってね。

 で、まぎらわしいので、全国の自治体では 「成人式」 とは言わずに、「はたちのつどい」 という名の式典を開催したところが多いようです。


 僕が成人 (20歳) を迎えたのは、ほぼ半世紀前ですからね。
 隔世の感があります。
 いや~、テレビで見ていると、みなさん豪華な衣装に身を包んで、きらびやかであります。

 時代なんでしょうか?
 年々、派手になり、コスプレ化に拍車がかかっているような気がします。

 ところが、インタビューを聞くと、これがビックリ!
 みなさん、大人なんで大変驚きました。


 「介護の仕事に就きたい」 とか 「テレビ番組の制作をしたい」 と、具体的に人生の設計を立てています。
 と思えば、「仕事よりもプライベートを重視したい」 「多様性を重んじたい」 なんていう声も聞かれました。

 そして、一番多かったのが、両親への感謝の言葉でした。
 そんなこと言われたら、お父さんお母さんは、さぞや嬉しいでしょうね、


 で、ほぼ半世紀前に成人した僕が見た今どきの20歳は、実に真面目で平凡だということです。
 見た目は派手なのに、中身は真逆なんですね。
 なぜ、こんなに良い子たちが増えているのでしょうか?

 一説には、SNSの普及が挙げられています。
 昔の20歳に比べると、圧倒的に情報量が多いんですね。
 早い話が、“耳年増(みみどしま)” になっているということ。


 本当は、未来なんて見えないほうがいいんですけどね。
 「大人になると、こうなる」 的な情報が、知らず知らずに刷り込まれているのかもしれません。
 だって、こんなことを言う20歳が、何人もいたんですよ!

 「年金が心配です」
 ア然としました。


 ちなみに、なぜ、二十歳を 「はたち」 というのか、ご存じですか?
 所説あるのですが、こんな語源をみつけました。

 人が手と足の指を使って数えられる最大の数が20です。
 数えられる 「果て」 の数字という意味で、「はて」 → 「はた」 → 「はたち」 になったといいます。


 20歳が果てだなんて、もったいない!
 人生100年時代に、20歳なんて、まだまだ世の中では赤ん坊です。
 情報などに迷わされず、未知の可能性を夢見てほしいものです。

 とりあえず、おめでとう!
 迷いながら翔べ、若人たちよ!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:55Comments(0)つれづれ

2025年01月11日

昭和のカレーうどん


 みなさんは、最初に食べたカレーうどんって、覚えていますか?
 僕は覚えています。

 小学生の中学年頃だったと思います。
 母親と “おまち” (中心商店街) に買い物に行ったとき、老舗のそば屋で生まれて初めてカレーうどんを食べました。
 まだカレーライスが物珍しかった時代です。
 そのカレーが和風味になって、しかも、うどんの汁になって出てきたのですから、衝撃的でした。

 「うまかった!」 
 あの味覚が、ズ―――――ッと脳裏に、こびり付いたまま大人になりました。
 たから今でも、おいしいカレーうどんとは、母親と食べた、あのカレーうどんの味なのです。


 今でも無性にカレーうどんが食べたくなる時があります。
 とりあえず、手身近な店で食するのですが、毎回、「なんか違う」 と思ってしまいます。
 みんな、おいしいんですけどね。
 僕には、なんだか、おいし過ぎるんですよ。
 スパイシーで、ちょっと高級感があるカレーうどんが多いような気がします。

 僕が食べたいのは、昭和40年代の味がする、ちょっと粉っぽくって、全然辛くない、黄土色のドロドロの汁がかかった、あのカレーうどんなのです。


 一軒だけ前橋市内に、僕の記憶の中のカレーうどんの味に近い店があります。
 先日、意を決して、何年かぶりに入りました。

 なんで、意を決する必要があるのか?
 それも、数年ぶりなのか?

 ええ、理由は簡単です。
 とにかく、待たされるからです。


 国道50号沿いの 「S屋支店」 は、店構えからして昭和チックです。
 いつからあるのかは知りませんが、30年前から通っているので、それ以上古いと思います。

 店の入り口には、こんな貼り紙があります。
 <本日はご来店いただきありがとうございます。誠に申し訳ありませんが、現在、混雑中につき、ご注文・ご提供までにお時間をいただきます。>
 もちろん、承知の上で僕は入りました。


 昼時は、とうに過ぎているというのに店内は、ほぼ満席状態です。
 テーブル席が8つ、座敷が3つ。
 2席空いていましたが、テーブルの上には、まだ食べ終わった人の丼が残されていました。

 「今、片づけますからね」
 と、高齢の女性店員。
 カウンターの中には、やはり高齢の男性が一人で動き回っています。

 老夫婦だけで商っている、昔ながらのそば屋なのです。
 が、そばをすすっている客なんて、一人もいません。
 見渡せば、食べている人の全員がカレーうどんです。

 いつしか、この店は 「カレーうどんのS」 と呼ばれる、カレーうどん好きの聖地となっていたのです。


 案の定、注文してから提供されるまでに要した時間は、なんと! 約40分!
 これが、食べたいけど、なかなか行けない店である理由なんです。

 でも、待った甲斐はあります。
 まず、その容姿に誰もが驚きます。
 丼からあふれんばかりのカレー汁が、ふあれることなく、てんこ盛りとなって、見事な表面張力のアーチを描いているのです。

 具は、鶏肉のみ。
 小皿で、ネギの薬味が添えられています。
 これぞ、「カレー南蛮」 の王道です。
 (南蛮とは、長ネギのこと)


 「ああ、この味、この味」
 この、ちょっとチープな粉っぽさが、懐かしい昭和の思い出を連れてきます。

 おいしいか?
 と問われれば、「おいしいです」。
 一番おいしいカレーうどんか?
 と問われれば、まだまだ、たくさんおいしい店は世の中にあります。
 でも、どこのカレーうどんが好きか? 
 と問われれば、僕は迷わず、ここのカレーうどんを挙げます。

 これって、味のレベルじゃないんですね。
 個人的な思い出のスパイスの量なんですよ。


 「ごちそうさまでした」
 と、お勘定の時に声をかけたら、おばちゃんは、
 「待たせちゃって、ごめんなさいね」
 だって。

 いいんだよ、おばちゃん。
 思い出に会いに来ているんだからさ!


 時間に余裕のある人だけ、行ってみてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(4)つれづれ

2025年01月10日

群馬県民のギャップ


 僕は長年、フリーランスで仕事をしているので、サラリーマンのように 「おこづかい」 をもらっては生活をしていません。
 仕事がない時期はギリギリまで節約をして、質素に暮らします。
 大きな仕事が入って、まとまったお金が入った時は、バーッと豪快に使ってしまいます。

 まあ、一言でいえば 「どんぶり勘定」 です。
 それでも、なんとか、この歳まで生きてきました。

 だから正直言って 「おこづかい」 のことって、よく分からんのです。


 新聞によると、ソニー生命保険が発表した 「47都道府県別生活意識調査」 で、なななんと! 1カ月の 「おこづかい額」 部門で、群馬県が3万650円で全国3位だったそうです。
 1位は東京都で3万7650円、2位は神奈川県で3万1450円でした。

 ちょっと、ビックリです。
 1位と2位は納得ですが、物価の安い群馬県のお父さんたちの使えるお金が多いのって、なんででしょうか?
 所得額が多い?
 そんなバカな!
 大都市圏には、及びませんって!


 一方で、こんなデータ結果があります。
 同じ調査で群馬県は 「生活のゆとり具合」 で、岩手県と並び最下位でした。

 これって、どういうことなんでしょうか?
 「こづかいは多いが、ゆとりはない」 って、なんとも矛盾した結果であります。
 ということは、群馬県民は他県民より出費が多いということ?

 群馬は全国屈指の車社会です。
 ローンや維持費、燃料代などが生活を圧迫しているのかもしれませんね。


 この物価高の折、3万円のおこづかいでは厳しいでしょうね。
 1日千円では、ランチもままなりません。
 最近は、ラーメンでも平気で千円超えますからね。

 みなさん、どうやって、やり繰りをしているのでしょうか?


 つくづく不思議な県民だと思いました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(2)つれづれ

2025年01月08日

5,000歩以上は歩きません


 「その後、ヒザの具合は、いかがですか?」
 昨年の暮れから何人もの人に、声をかけていただきました。
 みなさん、ブログを読んでくださっているのですね。

 ご心配いただき、ありがとうございます。
 治療は順調に進んでいて、回復に向かっています。


 昨年11月、左ヒザの痛みに耐えかねなくなり、検査したところ、変形性膝関節症と診断されました。
 その日から毎週、ヒザにヒアルロン酸注射を打ち続けてきました。

 おかげさまで歩行には難なくなり、リハビリの成果もあり、かつての日常を取り戻しつつあります。
 注射も週1回から2週に1回となりました。


 昨日、今年最初の診察を受けました。
 担当医は、僕の息子くらい若い先生です。
 でも毎回、MRIで撮った画像を見ながら、とっても丁寧に症状を説明してくれます。

 「そこに横になってください。痛かったら痛いと言ってくださいね」
 先生は僕の左脚を持ち上げ、曲げたり伸ばしたり、ひねったりして回復の度合いを診てくれます。
 「いいですね。だいぶ良くなっています。このまま頑張りましょう!」
 そう言った後、いつものようにブスッとヒザの関節に、注射針を差し込まれました。

 「ウッ!」
 と僕がうなると、
 「注射は痛いけど、ヒザは良くなりますからね」
 毎回、同じ会話が繰り返されています。


 でも今回は、朗報がありました。
 「次からは、ひと月に1回にしましょう。それで様子を見て、大丈夫なら完治です」

 やったー!
 先生、ありがとうございます。
 ガンバリま~す!


 「リハビリは頑張ってますか?」
 「はい! それと先生に言われたとおり、5,000歩以上は歩いていません」
 「医者の中には、歩けば歩けるほど健康になるようなことを言う人もいますが、私は過剰なウォーキングは勧めません。歩き過ぎはヒザに負担がかかりますので、注意してくださいね。2,000歩から5,000歩内でお願いします」

 ということで、5,000歩以上歩かないように気を付けながら、日々暮らしています。


 昔ならば万歩計を腰に付けて歩いたのでしょうが、今は便利ですね。
 ほとんどの携帯電話に、歩数計の機能が付いています。

 ただね、5,000歩って、かなり微妙な距離なんですよ。
 約4キロです。
 ちょっと外出して、「疲れたな」 と感じると、優に5.000歩を超えています


 ぜひ、みなさんも自分の歩数を計ってみてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(2)つれづれ

2025年01月05日

正月雑感 ~消えゆく風景~


 問題です。
 次の文章は辞典 (新明解国語辞典) に記載されている、ある言葉の語訳です。
 さて、その言葉とは?

 <きれいな物を見て楽しむこと。同様においしい物を食べて、また、おもしろい話を聞いて楽しむことを、それぞれ〖舌の―〗〖耳の―〗という>

 分かりましたか?
 ちょっと難しいですかね。
 では、他の語訳を読めば、すぐに分かると思います。

 <一年の第一の月> <年の初めの祝いをして、仕事を休む期間>

 正解は、「正月」 です。


 とっても特別の日々だったことが分かります。
 国民総参加の一大イベントだったとも言えますね。

 でも今は、どうでしょうか?
 特別感って、ありますか?


 昭和の時代は、まさに、この辞書の語訳のとおりでした。
 きれいな物を身に着け、おいしい物を食べて、おもしろい遊びをして過ごしました。
 誰もが正月が来ることを待ち望んでいました。

 それは、「年神様」 を迎え入れるためです。
 年神様とは、その年一年の福徳をもたらす神様です。
 そのために年末になると大掃除をして、家を祓(はら)い清め、門松を立て、国旗を掲揚して、神様を迎える準備をしたものです。

 もちろん、神様が来るときに誰一人、家を留守にするわけにはいきません。
 仕事は休むのが当たり前。
 商店主たちも三が日は店を休み、年神様を迎えます。


 いつからでしょうか?
 クリスマスやハロウィンは祝っても、正月を祝わなくなってしまったのは?

 国旗も門松も松飾りも、まったく見かけません。
 (我が家は小さな玄関飾りを付けています)
 思えば、昔は車にまで松飾りを付けて走っていました。

 街のどこを歩いても、正月一色だったのです。


 これも時の流れだから仕方がないのでしょうか?
 でも、消えゆくモノがあるなら、新しく生まれてくるモノがあるはずです。
 これからの (令和以降) の正月の風景は、どのように変化するのでしょうか?

 凧あげ、コマ回しは消え、子どもたちは何をして過ごしているのでしょうか?
 ゲームですか?
 でも、それって正月に限ったことじゃありませんよね。


 消えゆく風景の中、令和の現代らしい正月の風景を探しています。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(2)つれづれ

2025年01月03日

年頭書簡 ~令和の常識?~


 “年賀状ばなれ” が加速しいてます。

 背景には、メールやSNSの普及による 「若者離れ」 と、高齢者の終活による 「年賀状じまい」 があるようですが、それだけでしょうか?


 令和の人々は、「年賀状」 にメリットを感じなくなったからのような気がします。
 僕が思うに一番の理由は、“義理の人間関係” の整理です。
 義理と人情がまかり通っていたのは、昭和の時代です。
 令和は、簡単で便利であることが最優先となりました。

 だから、手間と費用のかかる年賀状は、排除される対象となってしまったのです。
 そこへ追い打ちをかけるように、郵便料金の値上げです。

 今年が 「年賀状じまい」 の絶好のタイミングになったようです。


 ということで今年、僕のところに届いた年賀状は、過去最低の枚数となりました。
 数年前から傾向はありました。
 でも、最初は高齢を理由とした 「年賀状じまい」 だけでした。
 ところが昨年は、若い人からも 「年賀状じまい」 の報告が数枚ありました。
 理由は、郵便料金の値上げです。

 結果、昨年は手元に、未投函の年賀状が20枚も残ってしまいました。


 今年は、さらなる減少を見越して、昨年よりも少なく年賀状を発注しました。
 案の定、それでも予想以上に激減しています。
 (今年も余ってしまいそうです)
 届いたのは仕事関係がほとんどで、古い友人や知人など、個人の年賀状は昨年の半分以下になりました。

 これも時代の流れなんでしょうね。
 昭和の常識は、令和の非常識?
 今後は、これが “令和の常識” となっていくのでしょうね。


 数十年後、昭和~平成の 「あるあるネタ」 として、話題に上るのかもしれませんね。
 「そういえば昔、年賀状って出したよね!?」
 「ああ、あったあった! 資源の無駄遣い、今じゃ、SDGs的にアウトだよね」
 なんてね(笑)。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(4)つれづれ

2025年01月02日

初墓参 2025


 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。


 新しい年が明けました。
 みなさんは、どんな正月を過ごしていますか?

 寝正月、見正月、食正月、呑正月、遊正月……
 なかには、仕事をしている人もいるでしょうね。


 僕は今年も恒例となっている 「初墓参」 へ行ってきました。
 今年最初の墓参りです。

 3年前の元旦。
 新年のあいさつに来た長男が、突然、「これから墓参りに行くけど、お父さんも行く?」 と言い出したのです。
 車の中には、線香と花まで用意してありました。

 話を聞けば、彼は僕の両親が亡くなった翌年から毎年、1月1日に墓参りをしているといいます。
 正直、これには驚きました。
 だって実の息子の僕でさえ、命日と盆と彼岸にしか墓参りはしていません。
 (実兄に聞いても同じでした)

 なぜに孫の彼は、元日に墓参りをするのか?
 問えば、彼いわく、
 「以前は神社に初詣でをしていたけど、おじいちゃんとおばあちゃんが死んでから思ったんだ。知らない神様にお参りするんなら、知っている仏様にお参りしたほうが、いいなって」

 これまた、目からウロコでした。
 言われてみれば、なるほど、彼の言葉には説得力があります。
 彼にとって一番身近な仏様は、祖父と祖母なのであります。
 2人は生前、孫をとっても可愛がっていました。

 となれば、孫の願い事を叶えようとしてくれるはずです。


 ということで今年も彼の車で、両親が眠る霊園へ行ってきました。

 彼は完全に 「墓参マイスター」 であります。
 とにかく手際がいいんです。

 墓所に着くと、ササッと簡単に落ち葉を手で払い、一本一本花差しを引き抜いて、中の雨水を捨てると、桶の水を丁寧に墓石にかけました。
 「お前、慣れてるな」
 「うん、墓参りってさ、なんだか心が落ち着くんだよね」
 とは、あっぱれ!


 線香にチャッカマンで火をつけながらも、こんなことを言いました。
 「この線香、安いやつだから火の付きが悪いね」
 「高いやつは違うのか?」
 「そうだよ」
 「ごめん」
 と謝ったのは、線香は僕が用意したのでした。
 「今度からケチらずに、もう少し高い線香を買っておくよ」
 「別にいいけど」

 とかなんとか、ご先祖の前で、新春親子放談をしてきました。


 思えば両親にとって彼は、たった一人の男の孫なんですね。
 だからか、彼が生まれたときオヤジは、「これで墓守ができた」 と大変よろこんでいました。

 今の時代、ナンセンスな昭和的考え方ではありますが、もしかしたら彼の中には、その言葉が刷り込まれているのかもしれません。
 だって生前、オヤジは、よく彼を霊園に連れて来ていましたもの。
 たぶん、「おじいちゃんは死んだら、この中に入るんだよ」 なんて、孫に話していたんじゃないかな。


 オヤジ、オフクロ、あけましておめでとう!
 こうやって、みんな元気に新しい年を迎えたよ。
 今年も一年間、みんなを見守っていてくれよな!

 僕らは手を合わせました。


 「お腹減っちゃった~! おいしいものを食べに行こうよ~!」
 同行した次女の声を合図に、僕らは霊園を後にしました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:28Comments(3)つれづれ

2024年12月31日

大晦日だよ! ゲゲゲのゲ~!


 さあ、泣いても笑っても残り14時間を切りました。

 ♪ ジタバタするなよ 新しい年が来るぜ ♪

 やり残したことがあったとしても、それは来年に回しましょう!
 今年が良い年だった人も、悪い年だった人も、何もない平凡な年だった人も、みんな今日だけは心のメモリをリセットして、穏やかに年を越そうではありませんか!


 思えば今年は、このブログを開設してから15年目を迎えました。
 おかげさまで、取材先や講演会場、プライベートの場でも、たくさんの読者から 「ブログ読んでます」 と声をかけていただけるようになりました。
 やはり、コツコツと継続することが大切なのですね。
 つくづく、そう感じた一年でした。

 改めて、読者の皆さまには、厚く御礼申し上げます。
 いつもいつも、ありがとうございます。
 引き続き、来年もよろしくお願いいたします。


 ということで、今年も最後は恒例の、これで締めくくりましょう!
 そう、「ゲゲゲの七か条」 こと、故・水木しげる先生の 『幸福の七か条』 (幸せになるための知恵) です。

 では、ご唱和お願いいたします。


 <第一条>
 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

 <第二条>
 しないではいられないことをし続けなさい。

 <第三条>
 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし。

 <第四条>
 好きの力を信じる。

 <第五条>
 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

 <第六条>
 怠け者になりなさい。

 <第七条>
 目には見えない世界を信じる。


 よいお年をお迎えください。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:36Comments(0)つれづれ

2024年12月29日

3つのアクション


 だいぶ年の瀬も押し詰まって参りました。
 ここらで今年の総決算をしましょう!

 みなさんにとって令和6年、2024年という年は、どんな年でしたか?

 考えないでください。
 パッと頭に浮かんだ出来事は、なんだったでしょうか?


 僕の頭に同時に浮かんだのは、3つの出来事でした。

 1つは、2月に出演した野外ライブです。
 (2024年1月26日 「テライブ IN 節分会」 参照)

 コロナ禍をはさんで4年ぶりに、バンド活動を再開しました。
 「じゅん&クァ・パラダイス」
 これが僕らのバンド名です。
 かれこれ15年以上、活動を続けています。

 中心メンバーは4名で活動していますが、舞台によってはゲストプレーヤーを招いたり、踊り子 (女性ダンサー) も参加して、大所帯で移動することもあります。

 久しぶりの野外ライブ、大いに歌い、大いに踊りました!


 2つ目は、4月に行った静岡県沼津市での墓参りです。
 あこがれの歌人、若山牧水の終焉の地を訪ね、墓参りをするのは長年の夢でした。
 (2024年4月19日 「あくがれの墓参り」 参照)

 夢が叶うと、さらに欲が出てきます。
 そして、その欲は創作心を喚起します。 
 よって導かれるように、僕は若山牧水が愛した群馬の地酒と温泉をめぐる 「令和版 みなかみ紀行」 の取材を始めました。


 3つ目は、8月に行った我が人生初の孫との2人旅です。
 (2024年8月7日、8日、14日 「K&Gの真夏休み」 参照)

 K君は長女の息子、14歳です。
 まさか、中学生の孫と温泉2人旅ができるとは思いませんでした。
 人生には、自分が想像している以上のサプライズがあるのですね。
 運命の神様に、感謝します。

 そして、楽しかった~!

 孫って、ちょっと不思議な存在です。
 息子や娘とは違うんですね。
 やっぱ実子に対しては、親として構えてしまうからなんでしょうか?
 なかなか親子以上の仲にはなれません。

 でも孫は違います。
 責任がないからかもしれませんが、いきなり “友だち” になれるんです。
 お互い、なんでも話せるから不思議です。

 K君、いつもありがとう!
 来年の夏も旅に出ようね。


 ということで、総決算です。
 3つとも、アクションを起こした結果の出来事でした。
 考え、悩むことも大切ですが、それだけでは何も起こりません。

 まずは動くこと、アクションを起こすことが大事です。


 みなさんは今年、どんなアクションを起こしましたか?
 まだの人は、今すぐ起こしましょう!
 今年はまだ、3日もありますよ。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:08Comments(0)つれづれ

2024年12月27日

H納め&納詣で


 今年も無事、昨晩、「H納め」 を済ませました。

 えっ、また~、毎年言わせないでくださいよ!
 「エッチ」 ではありませんって、「エイチ」 です。
 そう、僕が足しげく通っている心のユートピア、酒処 「H」 であります。
 Hは、店の頭文字です。


 「今年もお世話になりました」
 と、のれんをくぐれば、
 「こちらこそ、お世話になりました」
 と、いつものようにママの笑顔が迎えてくれます。

 「年内は、いつまでやるの?」
 「30日までやるよ」
 「頑張るね~」
 「貧乏暇なしだもの」
 「でもさ、それがいいんだよね。生きてる証拠だから」
 「そうそう、生涯現役だからね」

 自称、永遠の37歳のママは、今日も元気元気!
 まだ夕方の5時前だというのに、「ほら、ジャンちゃんも歌いな! 今年最後だから」 とマイクを渡されました。
 ならばと、まだ酔いの浅いうちから常連客らとカラオケ大会の始まり始まり。
 僕も今年の締めくくりに、十八番のサザンの曲を熱唱!
 ママはカウンターの中で、バブル期のジュリアナよろしく、羽根扇子を広げて、踊りまくっていましたとさ。


 ああ、めでたし、めだたし。
 今年も笑い転げた一年間でした。

 ママ、常連さん、ありがとうございました。
 良いお年をお迎えください。


 ということで、まだ7時台ではありますが、ほろ酔いのまま最終のバスに乗り込みました。
 最寄りのバス停に降りて、空を見上げれば、満天の星です。

 「あ、確か、あれがオリオン座」
 星座オンチの僕でも、オリオン座だけは分かります。

 吐く息は白く、長い長い帯を引きます。


 「あっ、そうだ! 今年は、まだしてなかったな」
 と、ちょっと遠回りをして、我が家の近くの氏神様へ。

 そうです、「納詣で」 が、まだでした。


 「のうもうで」 とは、僕がフリーランスで仕事をするようになった30年ほど前から行っている年末行事です。
 初詣では神様に願い事をしますが、納詣では神様に誓った願い事の達成を報告する儀式です。

 今年も願い事は、ほぼ叶っているので、そのお礼を述べました。


 今年も余すところ5日です。
 悔いのないように全力で駆け抜けましょう!
  


Posted by 小暮 淳 at 10:55Comments(3)つれづれ

2024年12月25日

鉄腕アトムと包装紙


 Merry Xmas!


 突然ですが、クイズです。
 「シカ」 を10回、言ってください。

 「シカシカシカシカシカシカシカシカシカシカ」

 サンタクロースが乗って来るのは?
 「トナカイ」
 ブッブ―!

 正解は 「ソリ」 です。


 なーんていう昔懐かしい10回クイズを思い出しました。
 今日は、クリスマスです。

 みなさんは、どんなクリスマスを過ごしていますか?
 なんて、野暮な質問ですかね?
 だったら、どんなクリスマスの思い出がありますか?

 子どもの頃の思い出なら、鮮明に覚えているのではありませんか?


 僕の思い出は、鉄腕アトムの変身セットです。
 朝、目が覚めると枕元に大きな包み紙が置いてあり、中からアトムのマスクとベルトが出てきました。

 一日中、変身したままで過ごしたことを覚えています。


 月日が経って親となり、今度は僕がサンタクロースになりました。
 クリスマスの朝、娘が包みを抱えてリビングに降りて来ました。

 「サンタさん、来たよ~!」
 「おお、良かったね」
 「うん」
 「で、何をもらったのかな?」
 「ゲーム」
 「良かったじゃないか! それ欲しかったやつだろ?」
 「うん、でも……」
 「うれしくないのか?」
 「ううん、うれしいよ。でも……」
 「でも、なんだい?」
 「不思議なんだよね」
 「何が?」
 「サンタさんて、どこから来るんだっけ?」
 「遠い北の国からだよ」
 「だよね、でも不思議だな」
 「何が?」
 「○○書店って、世界中にあるの?」

 確かに僕は○○書店で、ゲーム機を買いました。
 でもなんで、分かったのでしょうか?
 「あっ!」
 包装紙です。
 包装紙に店名とキャラクターマークが描かれていたのです。

 「そうだよ、○○書店って、すごいね~!」
 「・・・」
 「いや、もしかしたらサンタさん、日本に来てから買ったのかもね。だって、ほら、世界中の子どもたちに配らなくちゃならないだろう。すごい量のおもちゃを一人じゃ持てないよ。だから日本に来てから買ったんだな、きっと、そうだ。うんうん」
 と説得してみたものの、娘には腑に落ちなかったようです。

 その後、学校で友だちに 「プレゼントは何の包み紙だったか?」 を聞いて回ったそうです。


 クリスマスは、悲喜こもごもです。
 みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。

 Merry Xmas!
  


Posted by 小暮 淳 at 10:57Comments(0)つれづれ

2024年12月24日

「0」 の内訳


 先日、人生は 「+-=0」 になると書いたところ、大変反響をいただきました。
 みなさん、それぞれの思いで自分の人生を振り返ったようであります。
 (2024年12月17日 「人生は0になる」 参照)


 たとえば、50代の男性は、こんなことを言いました。
 「人生はゼロになる、信じていいですか?」

 察するに彼の人生は、今までのところ、あまり恵まれていないようです。
 「マイナスの多い人生」 と判断したようです。
 ゆえに、「+-=0」 の人生の法則は、彼にとって救いになったようであります。

 大丈夫!
 残りの人生でプラスに転じて、相殺しましょう。
 それには、努力も必要です。


 さる60代の男性は、面白いことを言いました。
 「そんなに良いことも、悪いこともなかったな。ゼロラインの上下を行ったり来たりの平凡な人生なもので」
 とは、彼は人生の優等生です!
 普通に生きることが、どんなに大変で、どんなに尊いことか!

 ぜひ、そのまま可もなし不可もなしの安定飛行を続けてください。
 人生の最期は、ぴったりゼロに着地するはずです。


 では、僕の人生はどうなのか?
 と思い、年代別に査定をしてみました。

 まず10代は、徹底的に迷走していましたから当然、マイナスです。
 20代は、勇気凛々で自由奔放に生きていたので、プラスです。

 30代は、私生活では家族が増えたり、家を持ったりでプラス傾向でしたが、仕事はフリーになったばかりで収入が無く、どん底が続きました。
 ので、+-=0 でしょうか。

 40代は、ノリノリでしたからプラス。
 50代も、イケイケでしたからプラスだったと言いたいところですが、私生活に難がありました。
 でも、プラスマイナスで、ややプラスのほうが多かったと思います。

 そして現在、我が人生で一番精神的に落ち着いた “安定期” に入っています。
 まったくもってマイナス要因は、一つもありませんので、大いにプラスです。


 で、総評です。
 プラスの時期のほうが多い人生だと思います。

 えっ、ていうことは、残りの人生でマイナスに転じちゃうの!?
 と、心配になりますが、ご安心ください!
 実は、この内訳には、からくりがあるのです。

 それは、マイナス貯金の残高です。
 これは目には見えませんが、マイナスの経験をプラスに転じた人には、ボーナスポイントが加算されます。
 (と、勝手に解釈しています)
 ので、「あの時の挫折があったから今があるんだ」 という自負があれば、人生のゼロラインを維持できると信じています。


 ということで、みなさんの人生も査定してみてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:12Comments(2)つれづれ