温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年09月24日

焼身自殺の真実


 ≪男性、焼身自殺図る≫
 ≪国葬 「断固反対」 の紙≫

 9月21日午前6時50分頃、東京都千代田区霞が関3丁目の路上で、男性が焼身自殺を図りました。
 男性は70代、全身にやけどを負って病院に搬送されましたが、意識はあるとのことです。
 現場からは油を入れたとみられる焼けたペットボトルと、安倍晋三元首相の国葬について 「私個人は断固反対」 と書かれた紙が見つかったといいます。

 起こるべくして起きた事件といえるかもしれません。
 でも自分の意義主張を世に知らしめる手段は、あまたとあるのに、なぜ男性は “焼身自殺” を選んだのでしょうか?


 僕は、「焼身自殺」 と聞くと、在りし日のオヤジを思い出します。

 昭和58(1983)年のことですから、僕が、ちょうど夢破れて東京から群馬の実家に帰って来た頃です。
 オヤジは、県や国に対して、いきどおりを感じながら、着々と活動を進めていました。

 そして、ある日、
 「もし、ダメだったら俺は、赤城山で灯油をかぶって死んでやる!」
 そう家族に、言い放ったのです。 


 オヤジは晩年、自然保護活動に心血をそそいでいました。
 きっかけは、昭和22(1947)年9月に日本列島を直撃したキャサリン台風だったといいます。
 群馬県内だけでも592人の死者が出た戦後最大の自然災害でした。

 赤城山に降った雨は、一気に下流へと流れ込み荒砥川が氾濫。
 当時、オヤジが暮らしていた大胡町 (現・前橋市) は、一瞬にして土石流にのみ込まれました。
 オヤジは濁流に流されながらも、銀行の鉄格子にしがみつき、九死に一生を得たといいます。

 小さな大胡町だけでも100棟が流出し、77人の尊い命が失われました。
 その中には、オヤジの親戚や同級生が何人もいました。


 「山の開発は、下流の住民に聞け!」
 これがオヤジの口ぐせでした。

 戦時中の赤城山の森林伐採により、保水力を失った山肌に降った雨が山津波となり、下流の町を襲ったのです。
 「なのに県と国は、いまだに自然破壊を続けている」
 オヤジは、未来の命を守るために赤城山開発への反対運動を続けていました。


 そんな赤城山の度重なる開発が危ぶまれていた昭和58(1983)年。
 朝日新聞が 『21世紀に残したい日本の自然100選』 という企画を発表しました。

 「この100選に赤城山が入れば、開発の手を止めることができる」
 と考えたオヤジは、自分が経営していた英語塾の生徒たちを総動員して、朝日新聞当てに “赤城山” と書かせたハガキを送らせたのでした。

 結果、見事、「赤城山の荒山高原」 が100選入りを果たしました。
 そしてオヤジが危惧していた開発も中止となり、数年後には一帯が県立森林公園に指定されました。

 よって、オヤジの焼身自殺は未遂に終わったのであります。


 昨日は彼岸の中日でした。
 僕は線香と花束を持って、オヤジとオフクロが眠る霊園を訪ねました。

 「オヤジ、あのとき100選に選ばれなかったら、本当に焼身自殺をするつもりだったの? もしかして、あれってハッタリだった?」

 返事はありませんでしたが、笑い声が聞こえたような……


 遺言通り、オヤジは大好きだった赤城山の中腹に眠っています。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:39Comments(0)つれづれ

2022年09月21日

その子は悪くない!


 「あやうく、お前は殺人犯になってたんだぞ!」
 その衝撃的な事実をアニキから告げられたのは、大人になってからでした。

 アニキとは7歳違いですから、僕がまだ未就学の頃の話です。
 オフクロによれば、その頃の僕は、どこへ行くにもアニキの後をついて回っていたといいます。
 いわゆる “おまめ” というやつで、アニキが友だちとドッチボールや草野球をする時も、とりあえず得点に関係なく、メンバーにだけは加えて遊んでくれたようであります。

 「おい、小暮、また弟を連れて来たのかよ?」
 と友達に言われれば、アニキは、
 「ごめん、ごめん。“おまめ” でいいからさ、隅に置いといてくれよ」
 と毎度、謝っていたといいます。

 なんとなく僕にも、その記憶はあります。
 公園やグランドの中央ではなく、みんなの邪魔にならないように隅の方で、ポツンと一人で立ち尽くしていたことを……


 その衝撃的な事実は、家の近くのため池で起きたといいます。
 アニキと友だち数名は、手作りの木の舟を浮かべて遊んでいました。
 その時、僕が駄々をこねたと言います。
 「僕にも舟、やらせて!」

 アニキに言えばよかったのですが、友だちに言ったようです。
 「ダメ、これは貸せないよ」
 と断られた僕は、腹いせに、
 「バカ!」
 と言うなり、その友だちを、エイッと、ため池に突き飛ばしたのだといいます。


 「それで、その友だちは、どうしたの?」
 記憶にない僕は、アニキに訊きました。
 アニキの応えは、こうでした。
 「そいつは泳ぎが得意だったから助かったよ。でもな、違う子だったら、溺れて死んでいたかもしれないんだぞ」

 そんなことを何十年も経った大人になってから言われても、言葉の返しようがありません。
 しかも、“殺人犯になっていたかもしれない” だなんて……


 なぜ突然、こんな話をしたのかと言えば、先日、北海道で起きたゴーカート事故のニュースに心を痛めたからです。
 リゾート施設の駐車場で行われた仮説のイベント会場で、暴走したゴーカートが順番待ちをしていた観客に突っ込み、2歳の男児が死亡しました。
 ゴーカートの試乗体験をしていたのは、11歳の女児です。

 これは完全に、主催者側の安全管理をおこたった業務上過失致死傷です。
 ゴーカートがコース外に飛び出すことは想定内のはずなのに、コースと観客の間には三角コーンしか置いてなかったなんて!


 もちろん、亡くなった男児と家族が一番の被害者ではあります。
 でも、突っ込んだゴーカートを運転していた女児のことを考えると、胸をかきむしられるよう苦しさを覚えます。
 その子も、また被害者なのです!

 僕の場合と違い、11歳ならば衝突の瞬間からその後の事実まで、一生忘れることはないと思います。
 できることなら、その女児の記憶を消してあげたい。
 その子に、なんの罪はないのですから……


 なんだか最近、小さい子が大人の不注意や軽率な行動により、命を落とすニュースが多くありませんか?。
 業種に関係なく、子どもに関わるすべての大人たちは、もっともっと細心の配慮を肝に銘じてほしいものです。

 もう、これ以上、幼い命の訃報は聞きたくありません。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:52Comments(0)つれづれ

2022年09月17日

メール相談室


 <組織で生きるとは、出世をあきらめて 「異端児」 として過ごすか、従順なふりをして波風立てずに 「いい人」 を演じるかです。>
 <サラリーマンは精神的な厳しさ、自営業は経済的な厳しさ。生きるとは、何をやっても厳しいのです。厳しさから逃げるのではなく、“喜び” を隠れ蓑にしましょう。>
 <人生を 「仕事」 「家庭」 「その他」 に分類し、最も自分にとって価値があると思えるポジションを強化することです。そこが生涯の “居場所” となります。>


 かれこれ7年くらい続いています。
 メールによる 「人生相談」 です。
 冒頭の “偉そうな” 文言は、恥ずかしながら回答者である僕のコメントの一部です。

 相談者は、50代の男性。

 ひと言で言えば、彼はサラリーマンに向かないタイプなのですが、家庭の事情や本人の性格もあり、何十年と会社勤めを続けています。
 その苦悩の様子が時々、メールで送られて来るのです。


 僕も数年ですけど、サラリーマン経験はあります。
 ただ、忍耐力が極端に欠乏していたため、上司とケンカして辞表を出してしまったので、彼の気持ちは分かってあげられるのですが、我慢している姿は理解できません。

 よって、自分勝手で中途半端な回答しか返せていないのが、実情です。
 あまり親身になれなくて、申し訳ないと思っています。


 そんな彼からの相談が最近、変わりました。
 仕事のことより、健康面に関する相談が増えました。
 と言っても、病気ではありません。
 「加齢」 に関する悩み事です。

 <心身ともに戸惑っています。加齢に伴う内面、外面の変化について、ご教授ください。>
 そんなメールが届きました。


 う~ん、これは難しい!
 加齢は、万人に訪れる自然の理なので、コメントのしようがありません。
 ただ、素直に悩んでいるところをみると、更年期障害なのかもしれませんね。

 老いて行く自分に、「不安」 を感じているようです。


 これに対して、僕の回答は、たったひと言です。
 「肉体より老いた精神をを持つな!」
 誰が言った言葉かは忘れましたが、精神 (心) は肉体のように老いることはありません。

 心理学者のユングは、こう言っています。
 「中年期以降こそ、人の心は発達する」
 「個性化は人生の終盤も含め、生涯を通じて成し遂げられるもの」

 また、ユングの流れをくむ心理学者は、
 「周囲の状況や自分の挑戦の内容は生きている限り変化し続けることを勇気をもって受け入れれば、誰でも年齢に関係なく成長していける」
 と本に書いています。


 ちょっと難しくなってしまいましたが、僕が出した結論は、こうです。

 “加齢に勝つには、好奇心と勇気が必要である”


 相談者さん、いかがですか?
 少しは勇気が湧いてきたでしょうか? 
   


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(2)つれづれ

2022年09月14日

活字の力


 我が家では、全国紙1紙と地方紙1紙の計2紙の新聞を購読しています。
 購読率は200%になります。
 さらに外出時には、コンビニや駅の売店で、もう1紙買いますから僕個人の購読率は日によっては300%以上になります。

 なぜ、そんなに新聞好きなのか?
 答えは簡単です。
 特別新聞が好きなのではなく、ただの “活字中毒” だからです。
 しかも、完全なる “紙派” です。

 よって、手ごろに安価で入手できる 「活字」 が、新聞というだけのことです。


 先日、そんな新聞の片隅に、新聞に関する面白いアンケート結果が出ていました。

 全国紙や地方紙など新聞16紙が実施した読者アンケートで、過日の参院選について 「投票した」 と回答した有権者が87.7%に上ったといいます。
 年代別で最も低かった29歳以下の有権者でも、81.7%が投票したと答えています。

 全体の投票率が52.05%ですから、圧倒的に新聞の読者は投票率が高いことが判ります。
 それだけ、新聞を読んでいる人は、政治や選挙に高い関心を持っているということです。

 もちろん僕も毎回、欠かさず投票に行っている新聞読者の一人です。


 では、なぜ、テレビやネットの情報ではなく、新聞記事なのでしょうか?

 僕が新聞の購読を欠かせない理由の一つに、“情報を選べない利点” があります。
 興味のあるニュースや知っている単語の検索でしか得られない情報に比べ、新聞は興味のあるなしに関わらず、ランダムに飛び込んできます。
 この予期せぬ出合いが刺激となり、日々の活力になっています。

 それと、自分の都合で読めるということ。
 「今は時間がないけど、夜に読もう」
 という記事には、必ず付箋紙を貼っておきます。

 また、「これはネタとして仕事に使える」 と思った記事は、即、切り抜きして、ファイルしておきます。


 そう考えると、購読料って、めちゃくちゃ安いと思うんです。
 この情報量を書籍やネットで手に入れようとしたら、気が遠くなるような手間がかかりますものね。

 近年は若い世代から徐々に、新聞の購読率が低下しているといいます。
 「もったいないな~」 と思います。
 便利な世の中だからこそ、じっくりと情報と向き合い、思考する時間を大切にしてもらいたいものです。


 ちなみに、60代以上の新聞購読率は、80%以上なんですってね。
 これって、ただのアナログ派っていうこと?

 いえいえ、活字文化は永遠に不滅です!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:39Comments(0)つれづれ

2022年09月08日

置き去りにした悲しみ②


 不思議でなりません。
 なぜ、同じ過ちが繰り返されるのでしょうか?


 現在はコロナ禍のため休講中ですが、僕は長年、NHK文化センターのカルチャースクール 「野外温泉講座」 の講師をしています。
 この講座では毎月1回、バスで県内外の温泉地をめぐっています。

 発着は、JR前橋駅と高崎駅。
 前橋駅では僕が、高崎駅ではセンターの担当職員が出迎えます。
 当然ですが、発着時の参加者人数をチェックしています。

 温泉地の方角によって、発着地の順番は変わります。
 北や東へ向かう場合は、出発は高崎駅→前橋駅。
 帰りは、その逆に停車します。

 前橋駅が最終停車地になる場合は、僕が車内の確認をします。
 参加者が全員降車しているかどうか?
 忘れ物がないかどうか?

 僕だけではありません。
 運転手も車内に入り、座席や棚はもちろんのこと、イスとイスの隙間までチェックします。
 まれにですが、携帯電話やカギなどが、はさまっていることがあるからです。

 そこまでが、講座に添乗した講師としての僕と、運行したバス会社の運転手としての仕事だからです。
 たかが数分のルーティン作業です。


 でも、それが無かったということは、ただのミスでは済まされません。
 しかも、失ったのは物ではなく、人の命なのです!

 またしても悲惨な事故が起きてしまいました。
 静岡県の幼稚園で3歳の女児が送迎バスに取り残されて、熱中症で死亡した事故です。
 思えば昨年、同様の事件が福岡県で起きたばかりです。
 教訓は生かされていなかったのでしょうか?
 なぜ同じ過ちが、こうも繰り返されるのでしょうか?


 何度、頭の中で考えても納得がいきません。
 いったい、いくつ大人の目があれば、小さな命を見落とさなずに済むのでしようか?

 人間だからミスはします。
 だからこそ、プロは何重ものチェックをするのです。
 今回も命を救うチャンスは、何回もありました。

 バスを運転をしていた園長が見ていれば、同乗の派遣職員が見ていれば、担任が気づいていれば、副担任が気づいていれば……
 すべてのチェック機能が欠落していることなんて、プロの現場で起こりうるのでしょうか?

 僕には信じられません。


 テレビのコメンテーターが、こんなことを言っていました。
 「プロほど自分を過信しない。プロほど臆病である」

 申し訳ありませんが、この幼稚園には、そもそもプロ意識がなかったようであります。
 到底、命を預かっている者の意識とは思えないからです。


 人間だもの……
 でも、人間だからこそ、おこたってはいけないのです。
 

 亡くなられた園児のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 合掌
  


Posted by 小暮 淳 at 13:27Comments(2)つれづれ

2022年09月07日

1/2の呪い


 「人を呪わば穴二つ」
 とは、人を恨んで、その人を不幸に陥れようとすれば、自分もまた不孝な目に遭うという、ことわざです。

 丑の刻参りで使う、呪いのわら人形も、その現場を人に見られると 「恨み返し」 に遭うといいます。
 “呪い” とは、諸刃の剣。
 差し違える覚悟が必要ということです。


 でも、もし、呪いの効力が半分で、確率の高い能力を持っていたとしたら?
 僕は今でも中学時代の不思議な出来事を思い出します。


 「デンちゃんには気を付けろ!」
 誰もが、そう陰で、うわさする少年がいました。

 今となっては、名字も名前も覚えていません。
 ただ、みんな彼のことを 「デンちゃん」 と呼んでいました。

 デンちゃんは、2つ隣のクラスの生徒でした。
 瘦せていて、顔が青白くて、おとなしい男子だったということだけ覚えています。
 違うクラスであり、共通の友人もいなかったので、僕は直接彼と話したことはありませんでした。


 「また、当たったんだってよ!」

 まことしやかに、彼のうわさは広まりました。
 「デンちゃんには、近づかないほうがいいな」
 学年を越え、彼のうわさは全校に広まりました。

 “予言者 デン”


 最初の被害者は、体育の男性教師でした。
 「お前なんか、死んじまえ!」
 デンちゃんに、そう言われた教師は、翌日、学校を休みました。
 急病を発し、入院したとのことでした。

 その数週間後。
 今度は、数学の女性教師が標的となりました。
 「お前なんか、死んじまえ!」

 すると教師は、その日の放課後、自転車に乗っていて、交通事故に遭いました。
 翌日は、その話題で、どのクラスも騒然となりました。

 「またデンちゃんの言うとおりになったぞ!」
 「デンちゃんに恨ませたら最後だぞ!」


 でも、デンちゃんの呪いの効力は、常に半分なのです。
 男性教師も女性教師も、その後退院して、教壇に復帰しています。

 1/2の呪い、なんです。


 あれから半世紀。
 一度も口をきいたことのないデンちゃんとは、中学卒業後、一度も会っていません。
 どんな青春時代を送り、どんな家庭を気づき、今はどんな暮らしをしているのでしょうか?
 知るよしもありませんが、大人になっても呪いの効力は、衰えていないのでしょうか?

 もし、その能力をプラスの方向に使っていたとしたら……
 今頃は、博士か大臣か?

 彼の消息が気になる今日この頃です。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(0)つれづれ

2022年09月04日

イワシの頭


 テレビなどで、なにかと宗教のことが話題になっています。
 正確には、悪質な商法などを行う宗教団体ですが……


 僕のオヤジは、大の宗教嫌いでした。
 なのにオフクロは、某宗教に入信していました。

 なぜ、オヤジは止めかったのか?
 なぜ、オヤジは許していたのか?
 長年の謎でした。

 謎が解明されたのは、長きにわたる両親の介護生活でした。
 オヤジは最後まで何も言いませんでしたが、オフクロは 「お父さんには感謝しています」 と言いながら、入信のいきさつを話してくれたことがありました。


 きっかけは、僕が産まれて間もない頃だったといいますから、昭和30年代の中頃です。
 オフクロは、医者から乳がんの宣告をされました。
 当時は今のように温存手術は選択肢にはなく、全摘手術を受けました。 

 子ども心に、「なぜ、うちのかあちゃんは、オッパイが片方しか無いんだろう?」 と、不思議に思っていた記憶があります。
 今思えば、オフクロは、まだ30代前半だったんですね。


 「生きる力が、無くなっちゃったのよ」
 晩年のオフクロの言葉です。
 その生きる力のよりどころとして、当時、知人から紹介されたのが宗教だったといいます。

 「信じる力に救われた」
 のだと言います。


 でも、オヤジはオフクロと違って、自信の塊のような人。
 フロンティア精神旺盛で、自ら人生を切り開くタイプです。
 しかも、唯我独尊。
 自分の信じるものしか信じない、ヘンクツ親父です。
 おまけに根っからの宗教嫌いですから、当然、オフクロの入信を許すわけがありません。

 「オヤジは反対しなかったの?」
 「したわよ。猛反対! 『お前は俺が守る』 って」

 オヤジの気持ちも分かります。
 自分より宗教を頼ったオフクロを、許せなかったのかもしれませんね。

 「でも、お願いしたの。『私を助けると思って』 って、頼んだのよ」
 「そしたらオヤジ、OKしたの?」
 「承知はしなかったわよ。ただ、『勝手にしろ! ただし』 ……」
 「ただし?」
 「そう、『ただし家族を巻き込むな』 って。『もし巻き込んだら離婚する』 ってね」
 「それで入信したんだ?」
 「だって、あの時は、ワラにもすがる思いだったから……」


 その後も、“病気のデパート” と周りから揶揄(やゆ)されるほど、次から次へとオフクロを病魔が襲いました。
 子宮がん、脳梗塞、脳出血……
 それでも91歳の天命をまっとうすることができたのは、宗教のおかげだったようです。

 今、なにかと話題の宗教ですが、信じることにより命と生きる勇気をオフクロに与えてくれた宗教の力に、感謝しています。


 “鰯の頭も信心から”
 信じる者は救われるということです。

 「病気と寿命は別物だからね」
 晩年、寝たきりのベッドの上で笑ったオフクロの言葉が、忘れられません。


 南無阿弥陀仏
   


Posted by 小暮 淳 at 12:30Comments(0)つれづれ

2022年09月01日

幸福の値段


 「年収600万の人と300万の人、どっちが幸せでしょうか?」

 毎週水曜日、日本テレビ系で放送されているドラマ 『家庭教師のトラコ』 の中で、主人公の橋本愛さんが演じるトラコが、さまざまな人に投げかける質問です。
 まだドラマの中では、トラコから解答は告げられていません。

 でも、そもそも、質問がおかしい!
 AとB、どちらがCでしょうか? なんて、答えようがありませんよね。

 ま、単純に考えて、600万の人ほうが300万の人より、倍お金持っているということです。
 でも本当でしょうか?
 倍稼がなければならない事情があるのかもしれませんよね。
 借金があるとか、夢に向かってお金を貯めているとか……

 ということは、一概にお金の量では幸福は計れないということです。


 トラコの解答は、今後のドラマの展開を待つとして、僕にはお金にまつわる、こんなエピソードがあります。

 もう、何十年も昔の話です。
 若い頃の僕は生意気で、かなり、とがって生きていました。
 特に、“立派な大人” に対しては、ムキになって、食ってかかるところがありました。

 さる酒の席でのこと。
 某社長さんに対して、「人生は金じゃない」 と断言した時のことです。
 それに対して社長さんは、最初は 「すべてだとは言わんがね。お金は必要だよ」 と、やんわり返していましたが、あまりにしつこい僕に業を煮やして、こう、言いました。

 「お金じゃないって言うんなら、まず、お金を持ってから言いなさい!」
 そして、こうも続けました。
 「私はね、1億貯めたよ。そして初めて分かったんだ。人生はお金じゃないってね」


 長年、僕は、この社長さんの言葉がトラウマになっていました。
 <はたして本当なのだろうか?>
 一見、道理にかなっているように思える言葉ですが、僕は心のどこかで、消化不良を起こしていたのです。


 月日は流れて、数年前のこと。
 いつもの飲み屋のカウンターで、常連客らとお金の話になり、この社長さんとのエピソードを話しました。
 すると、一人の酔っぱらいが、こう、一刀両断に切り捨てました。

 「その社長バカだよ。1億貯めるまで気づかないなんて!」

 これには一堂、笑いました。
 「本当だ!」
 「その通り!」

 僕の長年の溜飲が下がった瞬間でした。


 幸せは、自分の心が決めるものですものね。
 他人に、とやかく言われたくありませんって!
  


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(0)つれづれ

2022年08月29日

自問坂と無言館


 今、僕の机の上には、一冊の新書本が置かれています。

 『無言館ノート ──戦没画学生へのレクイエム』


 表紙をめくると、達筆な筆文字で、こう書かれています。
 <小暮淳へ>
 <二〇〇一、七、一九>
 <窪島誠一郎>

 先日、日本テレビ系のチャリティー番組 「24時間テレビ」 内で放送された、劇団ひとり監督・脚本によるスペシャルドラマ 『無言館』 の主人公となった館長の著書であります。


 「確か、本があったはずだ」
 と、テレビを観終わった直後に、書架より探し出してきました。

 いったい、いつ、どこで、この本にサインを書いてもらったんだろう?
 記憶を呼び起こしました。


 2001年といえば、僕は新しい雑誌の編集室を立ち上げた時期です。

 そして、本の奥付を見ると、<2001年7月22日 発行> とあります。
 ということは、発行より前に、本にサインをしていただいたということになります。

 そんなことって、あるでしょうか?


 さらに記憶をたどると、当時の交友関係が浮かび上がって来ました。

 窪島氏は 「無言館」 の設立前から、長野県上田市で 「信濃デッサン館」(現・残照館) の館長を務めていました。
 こちらの美術館では、若くして逝った夭折画家の作品を展示していました。
 窪島氏が最も力を入れていた画家に、村山槐多 (享年22歳) がいます。
 同館では毎年命日に、「槐多忌」 という追悼イベントを開催していました。

 「淳ちゃんも一緒に行かないか?」
 そう当時、付き合いのあった芸術家から誘われた記憶があります。


 たぶん、それは2001年より前のことです。
 当時、窪島氏からは、「今度、戦没画学生の作品を集めた慰霊美術館を設立する」 という話を聞いた覚えがありますから。
 そして平成9(1997)年5月、「信濃デッサン館」 の分館として、「無言館」 がオープンしました。


 僕の記憶が正しければ、場所は、高崎市のとある居酒屋。
 呼ばれたのは、僕と彫刻家と版画家と新聞記者の4人でした。
 窪島氏は、出版間近の著書を持って、わざわざ上田市から、やって来られたのでした。

 どのようないきさつで、このような会が開かれたのか?
 なぜ、はすっぱな僕が、この席に呼ばれたのか?
 今となっては、不明です。

 その時、窪島氏から手渡されたのが、この本でした。


 「無言館」 設立から今年で、25年。
 オープン以来、仕事やプライベートで何度か、足を運んでいます。
 訪ねるたびに、画学生らの無念の声が聞こえ、胸が締め付けられます。

 僕は毎回、駐車場から美術館までの坂道で息を切らします。
 ちょっとキツメのダラダラ坂が、足にこたえます。

 窪島氏は、この坂に 「自問坂」 と名付けています。
 「戦争や平和以上に、自分はどうあるべきかを考える場所」
 との思いが込められているとのことです。


 まだ 「無言館」 へ行かれていない人へ
 ぜひ、一度は足を運んでみてください。

 戦争とか平和を考えるだけでなく、窪島氏の言うとおり、“自分” を見つめ直す場所であるからです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:43Comments(0)つれづれ

2022年08月26日

「ち」 の札のゆくえ


 老若男女を問わず、戦後、幼少期を群馬県で過ごした人ならば、九九の掛け算同様、誰でも 「上毛かるた」 の詠み札を暗唱することができます。

 「あ」 といえば、『浅間のいたずら鬼の押出し』
 「い」 といえば、『伊香保温泉日本の名湯』
 と、スラスラと出てきます。


 44枚の札を全部覚えているのですから、当然、上句を言えば、反射的に下句が口を突いて出ます。

 『碓氷峠の』 といえば、『関所跡』
 『縁起だるまの』 といえば、『少林山』
 『太田金山』 といえば、『子育呑龍』
 と、互いに言いっこして、遊んだものです。

 ただし44枚中、一枚だけ下句が時代によって変化している札があります。
 そう!
 「ち」 の札です。

 『力あわせる○○万』

 他県民のみなさんには、何のことか分からないでしょうから、ちょっと説明しますね。
 この 「○○万」 とは、県の人口なんです。
 ですから、最初に発行された昭和22(1947)年の 「力あわせる百六十万」 から10万人増えるごとに、札の数字を変更してきたのです。

 以下のように、変わりました。

 昭和48(1973)年 「力あわせる百七十万」
 昭和52(1977)年 「力あわせる百八十万」
 昭和60(1985)年 「力あわせる百九十万」

 そして現在は、平成5(1993)年に変更された 「力あわせる二百万」 を、かろうじてキープしています。
 そう、かろうじて!
 というのも、群馬県の人口は10年前から200万人を下回り、年々減り続けているのであります。

 ちなみに、現在の群馬県の人口は、191万5,293人 (7月1日現在)。
 ということは、四捨五入するならば、とっくに 「力あわせる百九十万」 なのですが、かるたの著作権を持つ県は、あえて切り上げて、“200万” の札のままを通しているようです。

 が、しかし!
 ついに、限界に来ているようです!


 現在の人口の減少ペースでいけば、来年にも190万人を切る可能性がでてきたのです。
 となれば、札の変更は必至です。

 さあ、「上毛かるた」 の 「ち」 の札は、来年、変更されるのでしょうか?
 ゆくえが気になります。


 ちなみに僕は、『力あわせる百六十万』 で覚えました。
 年代がバレてしまうのも、「上毛かるた」 の魅力の一つなんでしょうね。
  


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2022年08月24日

少女がなりたかったもの


 「死刑になりたかった」

 このところ頻繁に耳にするワードです。
 昭和や平成の時代には、聞き馴染みがありません。
 令和特有の現象なのでしょうか?

 またもや悲惨な無差別殺傷事件が起きてしまいました。
 東京・渋谷の路上で母娘を包丁で襲い、殺人未遂容疑で逮捕されたのは、中学3年の少女 (15歳) でした。
 驚いたのは、容疑者が男性でもなく、大人でもなく、少女だったということ。

 そして、その少女も、犯行動機をこう供述しています。

 「死刑になりたかった」


 “○○になりたい” といえば、それは願望です。
 「将来の夢は?」、「はい、パティシエになりたいです」
 と、目標や可能性を示す言葉のはず。
 なのに少女は、なりたいものとして、“死刑” を選択しているのです。

 ただ、供述には矛盾もあります。
 「母親を殺そうと思った」 「予行練習のためにやった」、
 と言いますが、「死刑になりたかった」 んですよね?

 目的と手段と行動が、ちぐはぐなのは少女ゆえの未熟さでしょうか?
 予行練習で捕まってしまったら、母親は殺せないし、未遂では死刑にもなりません。


 では、少女が本当になりたかったものは?

 単純に考えて、“現実逃避” = “自由” だったのではないでしょうか?


 自由に生きる方法なんて、100通りだってあるのにね (by 浜田省吾)
 ただ中学生という狭い社会の中では、選択肢が少なかったのかな……

 もう少し、まわりの大人たちが “自由” について教えてあげられるといいんですけどね。


 束縛に苦しむ、少年少女の諸君!
 君たちが思っているより人生は、もっともっと自由なんだよ!
 と……
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(0)つれづれ

2022年08月20日

心の目 心の耳


 「あっ、トトロがいる!」
 突然、娘が前方に見える大きな木を指さしました。
 「トトロって、あのトトロ?」
 「そう、ほら、あの木のてっぺんだよ!」

 僕は、あわてて車を道路脇に停めました。
 30年も前の出来事です。


 昨晩、久しぶりにテレビで、映画 『となりのトトロ』 を観ました

 昔、もう何度も何度もビデオテープが擦れ切れるほどに、子どもたちと見たアニメ映画です。
 この歳になって改めて観ると、あの頃には見えなかった部分が見えてきます。
 物語もサツキやメイのセリフも、全部知っているはずなのにね。


 サツキがネコバスに乗りながら、こんなセリフを言います。
 「みんなには見えないんだわ」

 大人たちには、ネコバスの姿は見えません。
 もちろん、トトロの姿もサツキとメイにしか見えないのです。


 子どもの頃には見えていたものが、大人になると見えないものって、たくさんありそうですね。
 視力が低下するから?
 きっと、それもあるでしょうけど、“心の視力” が低下するんでしょうね。

 視力も低下するのですから、聴力も低下しているはずです。
 「モスキート音」 という若い人には聞こえる音が、歳をとると聞こえなくなるという話は有名ですが、ここで僕が言っているのは、“心の聴力” のことです。

 やはり 「心の目」 同様に、「心の耳」 も大人になると聞こえなくなるようです。


 当時の娘は、メイと同じ4歳でした。
 我が家では、子どもたちが3歳になると “山デビュー” をさせていました。
 週末は決まって、リュックを背負って、家族で山歩きを楽しんでいた頃の話です。

 「おとうさん、あれ見て、あれ! かわいそう……」
 娘が車の中から工事現場を指さしました。
 宅地の造成をしているようで、ブルドーザーが数台、動き回っていました。

 「お山が、『痛い、痛い』 って泣いているよ!」


 あの時の僕は、「本当だね」 と声を返したものの、本当は山の泣き声なんて聞こえていませんでした。
 ウソをついていたのです。

 なぜ、正直に 「お父さんには聞こえないけど、お前には聞こえるんだね」 と言わなかったのでしょうか?
 映画を観ていて、30年前の記憶がよみがえり、胸の奥がキューンと締め付けられました。


 「あの時、お父さんにはトトロも見えないし、山の泣き声も聞こえなかったんだよ」
 今、娘に告げたら、何と言うのでしょうかね。

 その娘も、今では小学6年生の母親であります。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(2)つれづれ

2022年08月18日

そこに居ないと分かっていても


 「お前、来たんかい」
 オフクロの声が聞こえたような気がしました。
 「ごめん、遅くなって」

 昨日、一日遅れの墓参りに行って来ました。
 盆中は、なんだかんだと野暮用があり、「行かなくっちゃ」 と思いつつも、盆が明けてしまいました。


 そんな盂蘭盆会の最終日に、離れて暮らす長女からメールが届きました。
 <今日3人でお墓参りに行ってきたよ!>

 3人とは亭主と息子です。
 そしてメールには、墓石に張りつく一匹のカエルの写真が添付されていました。
 <着いた時から帰るまで小さなカエルが、ずっといてくれた。>
 <K (孫の名前) と、大っきいじぃじかな?大っきいばぁばかな?って話して……>

 楽しそうな家族の墓参りの様子がつづられていました。
 孫やひ孫たちが来てくれて、さぞかしオヤジもオフクロも喜んだことでしょうね。


 「今頃になって来て、父さん、怒っているよ」
 オフクロの声が聞こえます。
 「えっ、本当?」
 「ウソだよ、喜んでいるよ」

 そう言ってくれていると、勝手に解釈をしました。


 あれから3年。
 令和元年という年は、悲しみに暮れた一年でした。
 2月にオヤジ、5月にオフクロ、そして9月には愛犬のマロまでもが旅立ってしまいました。

 「もう、ここには居ないよね?」

 線香と花を手向けながら、語りかけました。
 盆が明けて、すでに天界へ帰ってしまっているはずです。


 ワン!

 犬の鳴き声がしたような。
 「マロかい?」

 やっぱり気のせいだったようです。
 それでも僕は話しかけました。

 「オヤジとオフクロをよろしくね」
  


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)つれづれ

2022年08月16日

売っているものしか買えない


 「小暮さんてさ、お金とお金で買えるもの以外は持っているよね」

 以前、何かの酒の席で知人から、そう言われたことがありました。
 もちろん、親しさゆえから称賛の意を込めて言ってくれた言葉なのでしょうが、後々になって、よくよく考えてみると、それって、「貧乏だ」 ということですよね。

 あの時は、ほめられていると思っていましたが、もしかしたらディスられていたのかもしれませんね(笑)。


 さて、では、“お金で買えないもの” って、何なんでしょうか?
 真面目に考えると、お金で買えるもの以上にありそうですが、中国には、こんな古いことわざがあります。

 ●お金で 「家」 は買えるけど、「家庭」 は買えない。
 ●お金で 「時計」 は買えるけど、「時間」 は買えない。
 ●お金で 「ベッド」 は買えるけど、「睡眠」 は買えない。
 ●お金で 「本」 は買えるけど、「知識」 は買えない。
 ●お金で 「名医」 は買えるけど、「健康」 は買えない。
 ●お金で 「地位」 は買えるけど、「尊敬」 は買えない。
 ●お金で 「血」 は買えるけど、「命」 は買えない。
 ●お金で 「セックス」 は買えるけど、「愛」 は買えない。

 すべて、“物” の豊かさと “心” の豊かさを対比しているんですね。

 両方あるのに越したことはありませんが、どちらか一方を選ぶとしたら、やはり後者ということになるんでしょうね。
 ●家は無いけど、家庭はある。●時計は無いけど、時間はある。●ベッドは無いけど、睡眠はある。……
 ということです。


 僕は、これらに 「自由」 を加えたいと思います。
 「時間」 と似ていますが、「自由」 はそれに “束縛のない時間” が加わります。

 きっと僕が、“お金とお金で買えるもの” を手に入れられなかったのも、「自由」 を求め続けた結果のような気がします。


 最近は年の功もあり、こんなふうにオチャラケています。

 「貧乏だって、個性なんだよ」


 貧乏も、お金で買えませんからね(笑)。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:42Comments(0)つれづれ

2022年08月10日

Bちゃんの机


 <13年前のメールアドレスに返信しています。届くのでしょうか?>

 先月、突然、懐かしい友人からメールが届きました。

 <27年ぶりに日本で暮らし始めています。お時間があったら、一度お会いしたいと思って連絡しました。> 


 今から27年前。
 僕は36歳、彼は29歳。
 僕は雑誌の編集者、彼は広告代理店のデザイナー。

 仕事で出会い、意気投合して、プライベートでも杯を重ねるようになりました。
 僕は彼のことを、親しみを込めて 「Bちゃん」 と呼んでいました。
 (Bは名字の頭文字です)

 ある日突然、彼は30歳を目前にして、僕に、こう言いました。
 「俺、イギリスに行く」

 「行くって、旅行?」
 「いや、向こうで働く」
 「働くって……」
 「このままじゃダメだと思うんだ。向こうでデザイナーとしての力を試してみたんだよ」

 かくして彼は、妻と子を日本に残したまま、渡英しました。
 (後にイギリスに呼び寄せました)


 あれから27年。
 一時帰国の際に、電話で話したことはありましだか、タイミングが合わず27年間、一度も会えずじまいでした。
 そして、ついに昨日、懐かしい友人との再会を果たしました。

 「分かるかな? 俺、だいぶ老けたよ」
 「こっちなんて、白髪の老人だよ。会って驚くなよ」

 でも、心配は無用でした。
 高崎駅改札口を出た途端、すぐに分かりました。

 「Bちゃん!」
 「ジュンちゃん!」


 それから僕らは、27年間の空白を埋めるように、呑んで、語り、笑い合いました。

 「そういえば、Bちゃんがイギリスに立つ前に、机をもらいに行ったよね」
 「あれ、まだ使っているの?」

 L字型をした大きなデザイナーズデスクです。
 椅子に座ると、正面と左脇にテーブルがあり、執筆作業とパソコン操作が同時にできる優れものです。

 「もちろん! 現役だよ」
 「ということは、ジュンちゃんが今までに出した本は、すべて、その机で書いたってこと?」
 「そうだよ」
 「エーーーッ、うれしいなぁ~!!!」


 そういうことなんですね。
 今日まで一度も思ったことはありませんでしたが、僕は27年間、Bちゃんと離れて暮らしていましたが、ずーっとBちゃんからもらった机で作品を創り続けていたのでした。

 「ありがとうね。今日の僕があるのはBちゃんのお陰だよ」
 「ジュンちゃんは、相変わらず大げさだな~(笑)」


 あっという間の再会でした。
 また会うことを誓い合い、2人は駅へと向かいました。

 なんとか最終電車に間に合うことができました。。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:04Comments(0)つれづれ

2022年08月08日

64回目の夏


 稀にしかありませんけど、取材先や書店のイベントなどで、色紙にサインを頼まれることがあります。
 最初は、お断りしていたんですけどね。

 だって、大先生みたいだし、何より著書へのサインと違い、色紙は余白があり過ぎます。
 「何か、言葉を添えてください」
 なんて言われた日には、何時間も考え込んでしまいそうだからです。

 でも10年前くらいからでしょうか。
 雑誌か新聞のエッセーに何気なく書いた言葉が、自分でも気に入ってしまい、それからは色紙にサインを求められた時には、この言葉を添えるようになりました。

 “守り継ぐ湯 語り継がれる宿”


 フリーライターの僕が、「温泉ライター」 に特化しようと思ったきっかけは、平成12(2000)年10月に四万温泉で開催された四万温泉協会主催による 『探四万展(さがしまてん)』 というイベントでした。
 県内外から12人のアーティストが集まり、泊まり込んで、作品を制作するという企画です。
 僕は末席ながらコピーライター枠で、参加させていただきました。

 この時、四万温泉という1つの温泉地なのに、宿により湯がみんな違うことに気づきました。
 そして、「温泉地の数×源泉の数×宿の数=」 だけ湯があることを知りました。

 だったら、すべての宿の湯に入らなければ、その温泉地のことは語れない!
 そう思って、「群馬の温泉シリーズ」 を書き出しました。


 あれから22年。
 遅すぎたスタートでしたが、これまでに温泉シリーズを含め15冊の書籍を世に出すことができました。
 これは決して、僕一人の力では、できません。
 ディレクターやカメラマン、デザイナーなどのスタッフを始め、僕の活動に理解を示してくれた温泉関係者、そして僕を支えてくれる友人や知人、家族……。
 何よりも、たくさんの読者のお陰だと感謝しています。


 今日は8月8日。
 無事に今年も64回目の記念日を迎えることができました。

 もし勤め人だったら……
 定年退職して、悠悠自適?
 さては再雇用? または再就職?

 でも僕の前には、まだ道が続いています。
 この道を信じて、迷うことなく、真っすぐと歩んで行こうと思います。

 みなさん、これからも、よろしく!
 僕は64回目の夏も、元気です!



 ♪ 若いからとか 大人だからとか
    理由になるけど 今さら面倒で
    今の自分をやさしく見つめたい
    20才の頃も きっとそうだった

    あいつは変わった 時代も変わったと
    話している奴 臆病なんだよ
    自分の心を確かにしておこう
    20才の頃も きっとそうだった
     <吉田拓郎 「誕生日」 より>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:36Comments(2)つれづれ

2022年08月07日

タコ公園は誰のもの?


 数日前の夕刊に、気になる記事が載っていました。

 《タコ滑り台は芸術か》
 《「著作権」認められず 敗訴で終結》


 通称、「タコ公園」。
 どこの町にも、1つくらいはありました。

 タコの形をした滑り台のある児童公園です。
 だから子どもたちは、勝手に 「タコ公園」 と呼んでいました。

 でも、あのタコのデザインにも発案者がいたのですね。


 「著作権法で保護される著作物だ」
 と主張していたのは、東京都の環境美術会社でした。
 昭和38(1863)年に設立された前身の会社が、同40年に 「第1号」 を作って以来、全国に200基以上を送り出してきたといいます。

 いわば、“生みの親” であります。

 で、訴えられたのは、同じく東京都の遊具会社です。
 「極似しており、著作権を侵害された」 として損害賠償を東京地裁に提訴しました。


 環境美術会社側の主張は、こうです。
 「滑り台には制作者の思想や感情が創作的に表現されている」

 一方、訴えられた遊具会社側は、こう反論します。
 「美的鑑賞の対象となる部分は認めがたい」

 はたして、この裁判のゆくえは?


 令和3(2021)年4月の地裁判決は、こうです。
 「滑り台は遊具で、展示目的の芸術作品とは異なるが、鑑賞の対象となりうる美的な特性があれば著作物として保護される」 と指摘。
 しかし、
 「タコの頭や足、空洞の形状は滑り台を滑ったり、かくれんぼなどの遊びをしたりするために不可欠なもので、遊具のデザインとしての域を出ない」
 として請求を棄却しました。

 結果、同年12月の知財高裁判決と今年7月の最高裁決定も原告側の主張を退けました。


 う~ん、この裁判、みなさんには、どう映りましたか?
 “タコそのまま” というのが、独創性に欠けたんでしょうな。
 せめて、タコのキャラクターに仕上げておけば、裁判で勝てたかもしれませんね。


 最近は見かけませんが、僕の子どもの頃には、遊園地に行くと 「オクトパス」 という遊具がありました。
 真ん中にタコの頭があり、そこから伸びた8本の足の先に乗り場があり、グルグルまわりながら上下するアトラクションです。
 そしてタコは、頭に鉢巻をしていました。
 子どもたちの間では、「タコの八ちゃん」 と呼ばれていました。

 「タコの八ちゃん」 なら勝訴できたかも!


 で、ふと思ったのは、タコは子どもに人気なのに、なぜイカは見向きもされないのでしょうか?
 今までに、イカのキャラクターや遊具なんて、見たことありませんものね。

 タコのほうが愛嬌があって、キャラになりやすいのでしょうか?
  


Posted by 小暮 淳 at 12:52Comments(0)つれづれ

2022年08月02日

初代ぐんまちゃんを探せ!


 「ぐんまちゃん」 といえば、群馬県民にはお馴染みの県のマスコットキャラクターです。
 ぽっちゃり顔の二頭身。
 ちょこんと帽子をかぶった愛くるしい表情が可愛らしい。
 平成26(2014)年に 「ゆるキャラグランプリ」 で優勝すると、一気に人気は急上昇!
 県外ファンも多いようです。
 昨年、テレビアニメ化されるなど、その人気はおとろえません。

 で……

 最近は慣れましたけどね。
 慣れるまでには、だいぶ時間がかかりましよ。
 だって彼(?)は、二代目ですものね。

 確か、以前は 「ゆうまちゃん」 だったはずです。


 本家&元祖の初代ぐんまちゃんは、昭和58(1983)年に開催された 「あかぎ国体」 のマスコットとして誕生しました。
 作者は漫画家の故人・馬場のぼる先生です。
 ひと目見て “馬” とわかる馬ヅラで、昭和のにおいがする “キモかわ系” のキャラクターでした。

 僕は、よーく覚えています。
 というのも、この年は、夢破れて大都会から郷里・群馬へUターンしてきた年なのです。
 駅前通りでは、そこかしこで初代ぐんまちゃんが出迎えてくれたものでした。
 (凱旋でなかったのが、つらい思い出です)


 一方、ゆうまちゃんの誕生は平成6(1994)年。
 「ゆうあいピック群馬大会」(第3回全国知的障碍者スポーツ大会) のマスコットキャラクターでした。

 それが、いつのまにか、二代目を襲名していたのです。


 その背景には、著作権問題がありました。
 初代は、県と著者との契約の問題で、商品展開しづらいという難点があったといいます。
 ひきかえ、ゆうまちゃんは作者が県職員だったということもあり、使い勝手が良かったのです。

 だったら、いっそのこと、「ぐんまちゃん」 を名乗らせちゃえば!?
 ということで、初代には引退していただき、ゆうまちゃん改め 「二代目ぐんまちゃん」 が誕生しました。
 平成20(2008)年、東京・銀座に群馬総合情報センター 「ぐんまちゃん家」 が開設されたことを機に襲名しました。


 ということで、「ぐんまちゃん」 といえば二代目しか知らない若い人も多いと思いますが、我々世代以上の人たちには、あの馬場のぼる先生の描いた “馬ヅラ” のキャラクターが懐かしいのであります。

 「会いたいな~、どこに行けば会えるのかな~」
 と、ひそかに思っていたら過日、地元紙が初代ぐんまちゃんの特集をしていました。
 記事によれば、今でも大会が行われた会場に看板が残されているといいます。

 また、大会の記念グッズとして製作された湯飲み茶碗やコーヒーカップが、「家にある」 という人もいるかもしれませんね。
 ぜひ、探してみてください。


 残念ながら我が家には、記念グッズはありません。
 ので、今度、看板めぐりをしたいと思います。

 初代ぐんまちゃんを探す旅へ
  


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(4)つれづれ

2022年07月31日

三途の選択


 「三途の川」 といえば、死者があの世へ行くときに渡るといわれている川の名前です。
 では、“三途” とは?

 三途は、3つの渡河方法のことです。
 善人は金銀七宝で造られた橋を渡り、軽罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重罪人は強深瀬または江深淵と呼ばれる難所を渡るとされています。

 生前の行いが、死後の世界を分けるという仏教の教えに由来しているようであります。


 最近、僕は、つくづく 「生前中にも三途の川があるのでは?」 と思うようになりました。

 先日、いつもの居酒屋のカウンターで、酒を呑んでいた時のことです。
 初めて同席した年配の男性に、話しかけられました。

 「私は60年間、人生を無駄に過ごしました」

 見た目、僕よりは人生の先輩のようであります。
 そして聞けば、平凡ながら立派に定年の日まで勤め上げ、現在は悠々自適の生活を送っているといいます。
 僕からすれば、順風満帆の人生を送っている、ごく普通の人に見えました。
 ところが彼は、「人生をやり直したい」 とまで言い切ったのです。


 もし僕も勤め人なら、今は定年退職し、第2の人生を送っていることでしょう。
 ところが、どっこい問屋が卸しません。
 貧乏ヒマなしのアウトロー生活が続いています。

 まわりを見渡すと、同級生たちの人生も千差万別であります。
 すっぱりと定年で会社を辞めて、以前からやりたかった新しい仕事を始めた人もいれば、そのまま再雇用の道を選んだ人もいます。
 と思えば、前述の男性のように、悠々自適ながら 「自分は何をしたかったのか?」 「何をしたいのか?」 それが見つからずに、過去と現在の自分を完全に否定している人もいます。

 まさに、“三途の選択” であります。


 “還暦川” を渡るには、3つの選択を余儀なくされます。
 ① 現行維持
 ➁ 新たな人生
 ③ 余生

 どの選択が一番幸せなのか?
 それは、人それぞれです。

 仕方なく①を続ける人、思い切って➁にチャレンジする人、のんびりと➂を過ごす人……

 もちろん僕は、①の選択しかありませんでした。
 でも救いは、他人に決められた渡河方法ではないということです。

 自分で選んだ道だもの。
 納得するまで、自力で泳いで渡りますよ!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(0)つれづれ

2022年07月28日

老いの功名


 歳を重ねるということは、老化が進むということ。
 生きとし生けるものすべて、あらがうことはできません。

 五十路の坂を上り始めたころから、僕も肉体の衰えを日に日に感じるようになりました。
 外見では白髪やシワ、シミが増え、内面では筋肉や目、肩、腰、歯の劣化が進みました。

 特に目は仕事柄、酷使してきたため老化のスピードが早く、50代の初めには老眼鏡のお世話になっていました。

 老化とは、「百害あって一利なし」 なのでしょうか?
 いえいえ、そんなことはありません。
 肉体は衰えても、人生の酸いも甘いも噛みしめてきた者だけが、たどり着ける精神世界があります。

 さらに、それに長い間に培ってきた知識が加わります。


 とは言いながらも、若い肉体に憧れてしまうのが、老いる者の常であります。
 だから老いる者にとってアンチエイジングは、永遠のあこがれなんですね。


 先日、運転免許証の更新に行って来ました。
 エッヘン!
 僕はゴールドカードですから、手続きもスイスイス~イとスムーズに終わりました。

 でも、ここで、前代未聞の異変が起きたのです!


 この何十年、僕の免許証の条件欄には、常に 「眼鏡等」 の記載がありました。
 だから視力検査の時は、必ずメガネを持参して行きます。

 「眼鏡等ですけど、裸眼は、いくつですか?」
 と検査員。
 とっさに訊かれても、最後に測ったのがいつだったかも覚えていません。
 「では測ってみましょう」
 ということで、測定が始まりました。

 「上、右、下、左……」

 すると、
 「ハイ、結構です。裸眼で大丈夫ですね。眼鏡等の条件は削除します」
 だと言うではありませんか!

 おったまげーーーー!!!

 一眼がそれぞれ0.3、両眼で0.7以上あったということです。。
 視力が回復した?
 こんなことって、あるんですね。

 思えば、薄々気づいてはいたのです。
 ここ数年、クルマを運転しているときに、メガネをかけ忘れることが多々ありました。
 でも、それに気づいていない自分がいたのです。
 メガネがなくても、見えていたのですね。


 昨日、かかりつけ医へ行った際に、僕は先生に訊きました。
 「自然に視力が回復することってありますか?」
 すると先生は、一刀両断。
 「ない」

 「では、なんで眼鏡等が取れたんですか?」
 「老化だよ。ジジイの証拠」
 「えっ?」
 「近くが見えなくなって、遠くが見えるようになった。ただ、それだけのこと」

 喜んでいいのか、悲しんでいいのか、どちらなんでしょうか?

 ま、僕にとっては、免許証の条件欄から 「眼鏡等」 が消えたことは、朗報には違いありません。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:01Comments(0)つれづれ