2025年05月14日
ゆがんだ論法
イヤだ、イヤだ、イヤだ!
最近、こんな事件ばっかりです。
「『誰でもよかった』 のなら、我々にしてほしかった」
これは、先日、千葉市の路上で高齢女性が殺害された事件の容疑者、中学3年生の男子生徒の祖父母のコメントです。
胸につまされるコメントです。
僕の孫も容疑者と同じ、中学3年生の男子です。
もし、同じ立場なら祖父として、同じコメントをしたと思います。
「誰でもよかった」
最近の通り魔事件で、よく聞く言葉です。
本来、殺意は個人に抱くものです。
うらみ、つらみ、ねたみの矛先は、自分を傷つけた特定の人に向けられます。
ストーカー殺人など、その最たるものです。
でも 「誰でもよかった」 とは?
逮捕後、この男子生徒は、こう供述しています。
「家を出たかった」
それには、
「少年院に入れば家を出られる」
そのためには、
「人を殺すのが確実だ」
だから、
「誰でも良かった」
なんですか!? この論法は?
訳が分かりません。
ところが最近の事件の容疑者は、そろって同じ言葉を発しています。
大阪の下校途中の小学生を車でひいた男
愛知の祖父母を殺害した高校生
それぞれ 「誰でも良かった」 と供述しています。
あまりにも自分勝手な論法です。
「家を出たかった」 のであれば、家を出ればいいだけで、人を殺す必要はありません。
この短絡的で、ゆがんだ論法が、なぜか今、蔓延しています。
男子生徒は、まず、家を出るべきだったのです。
もし僕の孫が、同じ相談をしてきたら、彼を地球の果てまで逃がしてやろうと思います。
ついでにジイジも一緒に、現実から逃げまくります。
2025年05月13日
ハッとしてP
この感情は、何なんでしょうか?
老いらくの恋?
いえいえ、そんなに激しいものじゃありません。
いうならば、親心のようなものでしょうか……
我が家の近くには、4軒のコンビニがあります。
徒歩で行ける範囲に2軒、自転車で行ける範囲に2軒。
ふだんは一番近いコンビニを利用しています。
先日の日曜日、車で外出した帰りに、ふだんは利用しない4番目に近いコンビニに寄りました。
レジへ行くと、店員はいません。
「あの~、すみません!」
僕が大きな声で呼ぶと、
「は~い、いらっしゃいませ~!」
と奥から若い女性が出てきました。
「あっ!」
と僕が叫ぶと、
「あっ!」
と、女性店員も叫びました。
そう、Pちゃんじゃありませんか!!
読者の中には、覚えている人もいるかもしれませんね。
今年の冬に、足しげくおでんを買いに行っていたコンビニの店員です。
(2025年1月29日 「Pちゃんの汁だくおでん」 参照)
Pちゃんはネパールから来た、語学学校に通う学生です。
土日だけ、我が家から一番近いコンビニでアルバイトしています。
僕らは、客と店員として出会いました。
おでんの販売が終了してからも、なんとなく彼女の顔が見たくなって、なんだかんだと買い物の用事を作って、土日になるとコンビニを訪れていました。
そしてレジで、他愛のない世間話をしていました。
故郷ネパールのことや学校のこと、日本での生活などなど……
僕の質問に、嫌な顔をせず笑顔で答えるPちゃん。
おのずと愛着が湧いてきます。
「あれ、店、変わったの?」
「同じオーナーの店です」
「なんだ、ビックリした」
「たまたまです」
彼女は、この日だけの助っ人店員だったようです。
それにしても奇遇です。
なにか特別な縁を感じます。
(だから、たまたまだって!)
「じゃ、がんばってね」
「いつもありがとうございます」
異国の地でアルバイトをしながら勉学に励んでいるPちゃんが、なぜか、とっても愛しいのであります。
しかも大都会ではなく、こんな地方都市の小さな町のコンビニで。
故郷の親御さんは、さぞや心配していることでしょうね。
“日本のお父さん” になってあげたくなるのです。
いえいえ、歳の差からみたら祖父であります。
なんでも、いいじゃありませんか。
がんばれ、Pちゃん!
次に会うのは、どこのコンビニなのでしょうか?
楽しみが増えました。
2025年05月04日
老いては元スタに従え
いまだに、僕のことを 「編集長」 と呼ぶ人たちがいます。
25年前、僕が編集人をしていた生活情報誌のスタッフらです。
雑誌自体は現在もありますが、僕が去った後に、彼らも編集室を去り、それぞれ別の人生を歩んでいます。
それでも連絡は途切れず、今でも年に数回、ランチ会や懇親会を開いて、僕を呼んでくれています。
当時、30代だったO君、M君は、今は50代。
20代だったSさんも40代です。
みんな、立派なお父さんとお母さんになりました。
「編集長、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「編集長、ラジオ聴きましたよ」
と、何かにつけて彼らは、電話やメールをくれます。
こんなことを言われたこともあります。
「編集長は、だいぶ丸くなりましたよね」
「そうかね?」
「えー、そりゃ~、あの頃はツンツンに尖っていましたから(笑)」
当時、僕は40代です。
そんなに、ツッパッて生きていたんですかね。
でも振り返ると、あの頃は、毎日が夢と希望と野望に満ちあふれていた時代でした。
彼らとは、プライベートでも登山や旅行に、たびたび出かけていましたものね。
一般的な会社の、上司と部下の関係ではなかったと思います。
ていうか、僕は社員ではなく、外部から来た “雇われ編集長” だったのであります。
だから僕には彼らを 「部下」 という意識がなく、彼らも僕を 「上司」 とは思っていなかった思います。
スタッフ、もしくは同じ夢を追うチームの一員だったのです。
その中で 「編集長」 という立場は、指揮を執る監督、もしくは指導するコーチの役割を果たしていたのだと思います。
いわば、同じ釜の飯を食った “仲間” なのです。
以前、Sさんから、こんなことを言われたことがありました。
「もう、編集長じゃないんだから、“小暮さん” でいいよ」
と僕が言うと、
「編集長は、編集長なんです! ニックネームだと思ってください」
と、きっぱり断られてしまいました。
その断り方が、実に気持ち良くて、うれしかったのを覚えています。
先日、O君から、こんなメールが来ました。
「編集長、連休中に、ひとっ風呂いかがですか?」
彼はときどき、こうやって僕を誘い出してくれます。
そして彼は、僕の生態についても熟知しています。
風呂に入れば、酒が呑みたくなることも……
昨日、指定の時間に、彼は我が家にやって来ました。
まるで、お抱え運転手のように!
「お疲れ様です。どこに行きますか? 編集長の好きな温泉へ行きますよ」
好きも嫌いもありません。
汗を流せて、さっぱりしたら、酒が呑みたいだけです。
「じゃあ、近場でいいですね」
「ああ、どこでもいいよ」
かくして、湯上がりに生ビールをたらふくいただき、帰りは、また我が家の玄関前まで送っていただきました。
持つべきものは、元スタッフであります。
いつも、ありがとうね。
みんな、老後は頼んだよ~!
「老いては元スタに従え」 であります。
2025年04月29日
スマホがないと便利です
「スマホを見ていた」
先日、首都高速道路でトラックが乗用車に追突して、2歳児が亡くなった事故で、運転手が話した事故原因です。
高速道路でスマホを見ると、どれくらい危険か?
時速90キロで5秒間スマホを見ると、その間に100メートル以上進んでいることになります。
一瞬で、便利なはずのスマホが、凶器に変貌するのです。
「ながらスマホ」 の事故は、自動車だけではありません。
自転車による 「ながらスマホ」 の事故も、後を絶ちません。
ついに警視庁は、自転車で交通違反をした際に反則金納付を通告できる交通反則切符制度を、来春に開始すると発表しました。
自転車の走行中にスマートフォンを使用する 「ながら運転」 には、罰金12,000円が課せられます。
なんなんですかね、スマホの普及するスピードに比べると、後手後手の法整備のような気がしますが……
ま、依然、スマホを持たない僕には、関係ない話なんですけどね。
だって、こんな “便利” な生活は手放せませんって!
スマホって、一度持ったら最後で、持たない生活なんて考えられないんでしょう?
その逆で、持たない生活を続けていると、スマホを持つ生活なんて考えられなくなるのです。
その一番の理由は、やはり、スマホがないと “便利” ということ。
本来、便利とは、暮らしが豊かになることです。
なのにスマホは、以下の2つを束縛します。
①時間
②人間関係
スマホがない生活は、この2つが豊かです。
①待ち時間や休憩時間を有意義に使えます。
僕は、読書に当てています。
②SNSを通じた、うわべだけの人間関係を排除することができます。
本当に大切な友人や知人とは、メールや電話で情報交換をするほうが的確です。
ということで、スマホに縛られる生活なんて、僕には考えられません。
もし、今後、僕がスマホを持つような日が来るとすれば、それは他に通信手段がなくなった時でしょうね。
ま、その時はその時で、臨機応変に対処したいと思います。
2025年04月28日
どう生きる? どう生きた?
「人生は、何をするかではなく、どう生きるかだ」
死んだオヤジの口ぐせでした。
10代に家を出て、夢を目指して東京へ向かう僕にも、やはりオヤジは、この言葉で見送ってくれました。
今、この歳になり、やたらとこの言葉が反芻されます。
「オヤジは、どんな意味を込めて、僕に告げたのだろうか?」
そして息子として、今になってオヤジの生涯を振り返ることが増えました。
常にオヤジは、一匹狼でした。
終戦後、語学力を買われて、進駐軍の通訳として働きました。
撤収後は、地元の中学校の英語教師になりましたが、校長とトラブルを起こし、わずか数年で退職。
その後は、たった一人で細々と私塾の経営をしながら、晩年まで暮らしました。
一見、唯我独尊のオヤジでしたが、正義感も強く、困っている人を放っとけない、やさしさも持ち合わせている一本気の人でした。
ただ最期まで、世間や他人に流されることなく、長い物に巻かれることなく、“自分” を貫いた一生だったと思います。
いま僕は、すでに当時のオヤジの年齢を越えています。
「何をするかではなく、どう生きるか」
という教えも、過去形として受け止めなくてはならない歳になりました。
「何をしたかではなく、どう生きてきたか」
とりあえず60数年間を、生きてみました。
常に、何かをしながら生きていたと思います。
では、どう生きたか?
日々、自問自答をくり返しています、
何かはしてきたけど……
その生き方までは、無頓着だったような気がします。
あと何年、生きられるのでしょうか?
オヤジの年齢まで生きられるとしたら、まだまだ30年近くもあります。
残りの人生、何をするかでなく、どう生きるか?
まさに、これからが真価を問われそうです。
2025年04月27日
ショッカー戦闘員の苦悩
昨日のつづきです。
昨日現在 (4月26日付)、このブログの記事投稿総数は4,227話です。
その中でアクセス数の多い 「人気記事ランキング」 というのが日々、発表されています。
もちろん、読者のみなさんは閲覧することはできませんが、ブログ主の僕はチェックすることができます。
ちなみに現在のベスト3は下記の記事です。
①奈女沢温泉 「釈迦の霊泉」 2012年11月10日
②座禅温泉 「白根山荘」 2014年10月9日
③老神温泉 「ぎょうざの満州 東明館」 2014年6月18日
以下、100位くらいまで、ほとんどは温泉地・旅館または温泉関連の記事が占めています。
その中にあって、温泉関連以外で根強い人気を保っているのが、2013年4月15日に投稿した 『ショッカーの 「イー!」 』 という記事です。
正しくは、ショッカー戦闘員の 「イー!」 ですね。
この話は、僕が若い頃に体験した着ぐるみ劇団でのエピソードです。
そうなんです!
昨日、お話ししたウルトラマンの話です。
実は、この劇団の演目はウルトラマンシリーズだけじゃないんです。
仮面ライダーシリーズも演じていました。
で、当然ですが、身長が足りない僕は、ヒーローには入れません。
だからといって仮面ライダーの怪人役は、ウルトラマンの怪獣とは違い、機敏なアクションが求められます。
ということで、僕の出番は、その他大勢の悪役 「ショッカー」 の戦闘員ということになります。
僕ら戦闘員は、ショーが始まる前から、会場の陰に隠れています。
そして、ショーが始まると 「イー!」 と叫びながらステージへと飛び出して行きます。
一番、恥ずかしい瞬間です。
だって、知ってますよね?
戦闘員の格好を!
全身黒タイツなんですよ。
体形モロ分かりです。
乳首の突起も、股間のモッコリも、形状通りにクッキリと見えているんです。
親や恋人には、絶対に見せたくない姿であります。
で、なんで、このブログが人気ランキングの上位に来ているのか?
はい、実は 「検索キーワード」 というものも閲覧することができるのです。
何という言葉で検索をして、このブログにたどり着いたのか?
それをチェックする機能があるんです。
で、ありました!
一番多かったキーワードです。
「戦闘員 もっこり」
やっぱり、みなさん、気になりながら戦闘員の股間を見ていたんですね。
ああ、今思い出しても、はずかしーーーーいッ!!!!!
僕の青春の1ページに刻まれた黒歴史であります。
(黒タイツだけに)
2025年04月26日
ごめんね、ウルトラマン
先日、定年退職を迎えた同世代の知人から、こんな話を聞きました。
退職式でのこと。
同僚とともに3人で、式に臨んだとのこと。
退場の際、見送る曲として会場には、一人ひとりの好きな曲が流れたそうです。
「で、何を流しの?」
「ウルトラセブン」
「ウルトラセブン?」
「そう、ズ―――っと前から決めていたの」
「で、他の2人は?」
「自己申告しなかったみたいで、『いい日旅立ち』 でした」
なんだが、昭和の結婚披露宴のようですね。
それにしてもウルトラセブンのテーマとは、かなりの変わり者です。
「俺は職場ではヒーローだったんだ」 という自己顕示欲の現れなんでしょうか?
それとも、子どもの頃に抱いた将来の夢への再チャレンジという意思表明なのでしょうか?
いずれにせよ、彼の第二の人生に、幸多かれと願います。
ウルトラセブンといえば、円谷プロです。
僕の世代は、なんてったって初代のウルトラマンであります。
男の子なら誰もが、「シュワッチ」 と言いながらジャンプしたり、スペシューム光線を発する格好をして遊んでいました。
長じて、好きが高じて僕は、20歳の頃に劇団入りました。
と言っても、子ども相手の着ぐるみ劇団です。
それも、円谷プロ系でした。
だもの、毎週末はデパートの屋上や商店街の催し物会場で、ウルトラマンショーを開催していました。
えっ、ウルトラマンに入っていたのかって?
まさか!
ヒーローの着ぐるみに入れるのは、身長180センチ以上の体育大学生と決まっていました。
身長160センチ台のその他僕らは、やられる怪獣です。
(なんと! 僕はあの、ウルトラマンを倒したゼットンにも入ったことがあるんですよ) ←自慢
で、ショーの最後には決まって、握手会というのがあります。
ステージに出演したヒーローが整列します。
ウルトラマン、ウルトラセブン、帰ってきたウルトラマン、アルトラマンエース、ウルトラマンタロウ、ウルトラマンレオ
(当時は、そのあたりまででした)
実は、握手会に参加したチビッコたちには、プレゼントがありました。
それは!
なななんと、サイン色紙であります。
え―――――っ、ウルトラマンにサインなんてあるの~!?
と驚くかもしれませんが、
あります!
それもウルトラ兄弟全員のサインがあります。
もう 半世紀近くも前のことなので、時効ですよね。
誰が書いていたのか?
はい、劇団員です。
だから僕らは毎日、家でサインの練習をしていました。
ウルトラマンからウルトラマンレオまで、全員のサインを覚えさせられました。
そして、ショーの合間の休憩時間には裏方で、せっせせっせと色紙にサインをしていたのです。
あの頃、サインをもらった子どもたちも今は50歳以上のおっちゃん、おばちゃんになっていると思います。
ごめんなさいね、夢を壊してしまって。
キミが持っているサインは、もしかしたら僕が書いたものかもしれません。
いい夢を見たと思って、許して!
シュワッチ!
2025年04月17日
普通な人大賞
なぜだか昨日は、不意にA君のことを思い出しました。
命日でもあるまいに……
A君は、幼なじみで小中学校の同級生でした。
A君の 「A」 は、名前の頭文字ではありません。
ABCの 「A」 なんです。
誰も面と向かっては言いませんでしたが、陰ではみんな、彼のことを 「A君」 と呼んでいました。
中学3年生の頃だったと思います。
仲間内で盛り上がったテーマがありました。
それは、「ふつう」 について。
「一番、普通な人って誰だろうね?」
誰かが言った一言から始まりました。
みんなで、「普通な人」 の定義を考えました。
器量も人並み、体形も中肉中背。
頭も良からず悪からず。
性格も明るすぎず、暗すぎず。
日本全国、どこにでもいそうな中学生 “少年A” 探しが始まりました。
その結果、満場一致で、A君が選ばれました。
「第1回 どこにでもいそうな普通な人大賞は、A君に決定しました!」
以来、誰もが彼のことを陰で、「A君」 と呼ぶようになりました。
本人は、知るよしもないのですが……
あれから40年ほど経ったある日のこと。
同級生からA君の死去が知らされました。
まだ50代でした。
僕は大人になった彼を知りません。
ただ友人らの話を総合すると、A君はその後、高校、大学と普通に進み、地方銀行に就職したといいます。
結婚をして、子どももいて、何不自由ない普通の生活をしていたようです。
でも突然、病魔が彼を襲いました。
残念ですが、彼は寿命だけが、普通ではなかったのですね。
短命でした。
今になって思います。
生前に彼に会っておけば良かったと……
そして、元気なうちに 「普通な人大賞」 の賞状を授与しておけば良かったと……
そんなことを昨日、だらだらと思い描いていました。
楽しかった遠い遠い日々をめぐりなから……
缶けりをした、あの空き地は、もうないんでしょうね。
2025年04月14日
人の噂も千七十五日
昨日は雨の中、朝から町内の 「堀払い」 に参加してきました。
いわゆるドブ掃除です。
年に一回、小雨決行で行われます。
全町民、一世帯一人参加ですからね、そりゃ~、にぎやかです。
長靴はいて、スコップを手に、ゾロゾロと集まってきます。
昔と違って、今はドブ川ではなく、側溝ですから清掃作業もラクです。
ものの30分で解散となりました。
で、こんだけの数の町民と顔を合わせる機会なんて、この日と納涼祭ぐらいしかありません。
だから毎年、誰かしらに声をかけられます。
今年も同年配の男性が近づいて来て、
「小暮さん、観たよ!」
「観たって?」
「ほら、さんまさんの番組」
ドッヒャー!
いったい、いつの話ですか!?
僕が、明石家さんまさんの番組 『ホンマでっか!TV』 に出演したのって、おととしですよ。
そう言えば先日も、自治会費を班長宅に届けたら、
「ラジオ、聴いたわよ! 安住さんの」
と、3年以上前の話をされました。
この町って、時が止まっているのでしょうか?
ま、それだけ町内では、ウワサが温存され続けているということなんでしょうね。
“人の噂も七十五日” と言いますが、とんでもない!
千日経ったって、消えはしませんって。
だもの、犯罪になんて手を染めたら絶対に、この町には住んでいられないということです。
あ~、良かった!
悪いことでテレビに出たんじゃなくて……(ホッ)
2025年04月10日
まだヒメオドリコソウを見ていない
春です。
散歩の季節がやって来ました。
愛犬のマロ君がいた頃は、毎日、散歩をしていたんですけどね。
最近は、ヒザを痛めたこともあり、めっきり少なくなりました。
それでも週に1回は、呑み屋に行くためにバス停までは歩いています。
徒歩約20分。
冬は北風が強くて、寒くて、難儀なのですが、散歩が楽しい絶好の季節になりました。
というのも我が家のまわりは、お花畑なのです。
バス停までの道のりも、住宅街を抜け、鎮守の森を通り、小川の土手を上り、田畑の中を歩きます。
今は桜が見頃です。
満開を過ぎ、桜吹雪が舞い、川面には花いかだを浮かべています。
と思えば、土手沿いの道を菜の花が、まっ黄色に染め上げています。
ピンクとイエローのコントラストが美しい!
そして所々に、紫色の群生を見かけます。
中国原産のショカッサイ(諸葛采)です。
日本では、ムラサキハナナ(紫花菜)と呼ばれています。
大根の花に似ていることから別名、ハナダイコンとも。
田畑の畔には、すでにタンポポが満開です。
ほとんどが西洋タンポポですが、この辺りには花の白いシロバナタンポポも見かけます。
赤紫の花をつけるホトケノザ、小さく青い花が可憐なオオイヌノフグリなどは、春を彩るの野花の主役です。
あっ、トウダイグサだ!
僕は、トウダイグサ(燈台草)の不思議なデザインが大好きです。
トウダイグサって、知っていますか?
燈台といっても、海の灯台ではありませんよ。
昔の照明に使った燭台のことです。
茎の上部がお皿のように平たくて、花のまわりの包葉が黄緑色に色づく様子が、ロウソクを立てた燭台に似ているんです。
本当に不思議な形をしています。
道の端にしゃがみこんで、ズーッと眺めていられます。
あわや、バスに乗り遅れそうになってしまいました。
「雑草という草はない」
と言ったのは、植物学者の牧野富太郎博士でしたっけ?
名言ですよね。
だって、小さな草花の一つ一つには、すべて名前が付いているんですから!
で、バスに乗ってから思いました。
「そういえば、今年はまだヒメオドリコソウを見ていないな」 と……
ヒメオドリコソウ(姫踊子草)は、僕が春の野花で一番好きな花です。
ヨーロッパ原産の越年草ですが、とにかく、その姿が可愛いんです。
この子たちは、必ず群生して咲きます。
その姿が、まるで踊り子たちが並んで踊っているようなんですね。
(ネーミングの発想が素晴らしい!)
茎頭の包葉が紫紅色に染まった様子が、まさに “姫” と呼ぶにふさわしい。
あまりに可愛いので、昔、写真に撮り、今でも額装して家に飾ってあります。
野花の恋人、ヒメオドリコソウに、いつ会えるのでしょうか?
散歩が楽しい春です。
2025年04月06日
消えたサクラ
昨日、両親の七回忌法要を無事に済ませました。
オヤジが2019年2月に逝くと、後を追うようにオフクロは同年5月に逝きました。
生前、オヤジは寝たきりのオフクロに対して、「俺より先に死んだら許さない!」 なんて、ボケながらも相変わらず亭主関白ぶりを発揮していましたからね。
昭和一桁生まれのオフクロは、我慢していたと思います。
だってオフクロは、オヤジの葬儀に参列する体力は、すでになかったのですから。
こらえて、こらえて、令和元年を1日だけ迎えてから逝きました。
お坊さんが帰った後、東京から来ていた姪っ子が言いました。
「叔父さん、散歩しない?」
「いいね、懐かしい」
実家のまわりを歩くのは、本当に久しぶりです。
たぶん、両親の介護以来です。
「桜が満開じゃないの? 行ってみようよ」
姪っ子が近くの寺院の名を告げると、義姉が、
「驚くよ~、スゴいことになっているから」
スゴいこと?
するとアニキまでもが、
「行ってみるといい。近所ではブーイングの嵐だ」
ブーイング?
いったい、この数年で何があったというのだろうか?
兄夫婦が言ったことは、本当でした。
僕も姪っ子も山門の前で、ただただ立ちすくむばかり。
「何これ、センス悪い~!」
姪っ子の言葉に、二の句を継げません。
開いた口が塞がらないとは、まさに、この状態です。
ないのです!
参道の桜並木が!
一本残らず!
僕が小学校に入学した春にくぐった桜並木……
息子や娘と遊んだ桜並木……
オフクロの車イスを押して通り抜けた桜並木……
オヤジの手を引いて見上げた桜並木……
すべて伐採され、跡地にはセンスの悪い巨大オブジェが置かれ、和洋折衷の庭園もどきが造られ、残りのスペースは駐車場になっていました。
まるでキツネにつままれたように二人は、しばし立ち尽くしていました。
これが七回忌という時の流れなんですね。
懐かしかった風景とともに、大切な思い出までもが消えてなくなってしまいました。
最後に、ここの桜を見たのは、いつだったろうか?
目の見えないオヤジの手を引いて、舞い散る桜の花びらを見上げたのが最後だったと思う。
「見えるかい?」
「ああ、見える」
「きれいだね」
「ああ、きれいだね」
(2016年4月3日 「見えないサクラ」 参照)
今回ばかりは僕も、記憶の中の桜を追いかけました。
2025年04月02日
ネコバスに乗って
基本、僕には休日がありません。
というのも、出かける用事がなくても連載を何本か抱えているので、目の前から仕事が消えることがないからです。
自宅に居れば、何かしら資料を読んだり、原稿を書いています。
でもね、それも、朝目覚めたときの気分で変わります。
「あ~、今日は何もしたくない」
と思えば、映画を観に行ったり、一日中、読書をして過ごします。
まあ、これが僕の休日の過ごし方です。
と、もう一つ、あります。
午後からの飲酒です。
「今日は、とことん呑もう!」
と決めた日は、昼飯を食べずに、午後の2時過ぎには家を出て、歩き出します。
目指すはバス停です。
昨日は一日、あいにくの雨模様。
それでも苦にはなりません。
「今日は何もしなくていいんだ」
と思えば、足取りも軽くなります。
(さすがにスキップまではしませんが……)
歩くこと約20分。
最寄りのバス停に着きました。
行きつけの呑み屋に行くときは、毎回、市内循環バスを利用します。
右回りと左回り、それぞれ1時間に1本ずつありますから便利です。
しかも、どこからどこまで乗っても100円均一というリーズナブル運賃です。
これを利用しない手はありません。
バス停には10分ほど早く着いてしまいました。
バスを待つ人は、誰もいません。
僕だけが一人、ポツンと傘をさして立っています。
「あれ、この光景、見たことあるなぁ~。なんだっけ?」
あっ、思い出した!
アニメ映画 『となりのトトロ』 です。
バス停で、お父さんの帰りを待つサツキとメイです。
そこへトトロもやって来るのでした。
だったら僕は、トトロか!?
確か、トトロはサツキからお父さんの傘を貸してもらうんですよね。
トトロがポ~ンと跳び上がると、頭上の木の枝から雨粒がボタボタボタ――ッて落ちてくるのです。
と思ったら僕も、軽くポンと跳びはねていました。
でも、雨粒は落ちてきませんでした。
やがてバスがやって来ましたが、残念なことに現れたのはネコバスではなく、いつもの青い循環バスでした。
残念至極!
ま、今日は休みです。
子どものように妄想してみるのも、いいものです。
ネコバスは来なかったけど、ネコバスに乗った気分にはなれました。
「夢だけど、夢じゃなかった」
サツキとメイの声が聞こえたような気がしました。
2025年03月31日
ハメマラは忘れた頃にやって来る
ハメマラとは?
「ハ」=歯
「メ」=目
「マラ」=男性の生殖器
加齢とともに男性は、この順番で老化が進行するという隠語です。
御多分に漏れず、僕も50代から衰えが顕著になりました。
ただ僕の場合は、ちょっと順序が違って、メマラハの順で悪化しています。
特に60歳を過ぎてからは 「ハ」 の老化が止まりません。
一般的に50代で3本、60代で6本の歯を失うといわれます。
まさに、その勢いで僕の歯も消えて行きました。
ということで、かつて自前の歯があったところは、すべて差し歯になっています。
でも、差し歯って、思わぬ時に、突然、ポロリと抜け落ちるんですよね。
それでもコロナ禍は良かった。
みんなマスクをしていましたもの。
1本ぐらい歯が抜け落ちていても、マスクをしていれば問題ありません。
でも、今は違います。
特に前歯の場合、目立つんです。
先日の講演を前に、またしてもピンチが訪れました。
前歯の差し歯が、グラつき始めたのです。
「ヤバい! なんとか耐え忍んでくれ!」
と、数日前から前歯をいたわりながら、なるべく咀嚼(そしゃく)のいらない柔らかい食事をしていました。
が、前日の午後。
悲劇は突然、前触れもなく訪れました。
車の運転中に 「クシュン!」 と、くしゃみをした瞬間、ポンと抜け落ちてしまいました。
さあ、大変です。
明日は人前に立ち、講話をしなければなりません。
タイムリミットは、すでに24時間を切っています。
このままでは、“歯無しの話” になってしまいます。
結論から言えば、間に合いました。
すぐに、係りつけの歯科医院に電話をして、事情を話し、その足で医院に向かい、急きょ、治療してもらうことができたのです。
というのも、この医院の先生と看護師さんは、いつも僕が出演するテレビやラジオを観たり聴いたりしてくださっているのです。
以前にも無理なお願いを何度も聞いていただきました。
今回も、事なきを得ることができました。
ありがとうございます。
感謝、感激、雨あられ!
持つべきものは、係りつけ医であります。
みなさ~ん!
特に中高年のみなさ~ん!
ハメマラは、突然、忘れた頃にやって来ますから、ご注意くださいね。
2025年03月25日
源氏パイとプラモデル
昨日の毎日新聞の読者欄に、こんな投稿がありました。
<昔々、小学生のころお友達を家に呼んで 「お誕生日会」 をすることがはやった。50年も前のことだ。当時はしゃれた夢のある遊びだった。今思えばはしゃくだけで、親の苦労を思いやることなんてなかったなあと反省。>
僕と同世代の愛知県在住の女性からの投稿でした。
「お誕生日会」 は、全国的な流行だったのですね。
確かに小学校の頃、仲のよい友だちを家に招いて、誕生会というのが開かれていました。
幸か不幸か、僕の家ではしたことがありませんが……
というのも、オヤジが嫌ったからです。
「誕生日なんて、家族だけで祝えばいい。くだらない遊びだ」 と一蹴されていたのです。
それでも仲のよい友だちから、招待状が届いて、出かけて行ったことがありました。
もちろんオヤジに知られれば、「行くことはない!」 と止められかねないので、オフクロにだけ言って、こっそりと参加していました。
でも……
オヤジの言うとおりだったんですね。
苦く辛い思い出しか、残っていません。
近所の幼なじみの女の子の誕生会に、呼ばれたことがありました。
「おかあさん、プレゼントを用意して」
オヤジに知られたら大変です。
それこそ、「行くなら手ぶらで行け!」 と言われかねません。
当日、オフクロから渡された紙袋を抱えて、女の子の家へ行きました。
「おめでとう!」
主役がケーキのロウソクの火を吹き消すと、いよいよ、プレゼントを渡す時が来ました。
女の子たちは、お人形やアクセサリーです。
男の子たちは、絵本や児童書です。
「小暮くんの、その包は何?」
もちろん、僕も知りません。
「開けてみなよ」 と周りにせかされて、主役の女の子が開けると……
中から出てきたのは、源氏パイでした。
知ってますよね!? 昭和40年代に大ブームになったハートの形をしたお菓子です。
「ええーーーっ、なんで源氏パイなの?」
「知らねぇ―よ、おかあさんが持たせてくれたんだよ」
「しかも、数、少ねぇー!」
1袋ならまだしも、まるでお茶菓子のように数枚だけ、包んであったのです。
穴があったら入りたかったと思います。
今でも源氏パイを見ると、あの時のニガイ思い出がよみがえるのです。
こんなこともありました。
クラス1のお金持ちの男の子の家での誕生会です。
よせばいいのに、懲りずにノコノコと出かけて行ったのであります。
でも僕は、オフクロに事情を話し、入念に準備をしました。
彼の父親は大きな会社の社長さんで、大変なお金持ちであること。
家は鉄筋コンクリートでできていて、テラスやベランダがある大きな家に住んでいること。
そして彼は、プラモデルが大好きなこと。
でも……
彼が好きなプラモデルは、モーターと電池で動く、高価なプラモデルなのです。
当時、僕が買っていた100円の安いプラモデルではありません。
それこそ、オヤジに知れたら最大級のカミナリが落ちることでしょう。
でもオフクロに相談すると、こう言ってくれました。
「大丈夫、母さんにまかせて」
と言って、分厚くふくれ上がったノートのようなものを、何冊も持ってきたのです。
ブルーチップです。
今でいうポイントのようなもので、買い物をするたびにシールをもらい、それを指定の台帳に貼り付けるのが、主婦の間で大流行していました。
そして街中には、ブルーチップの景品交換所がありました。
「すごいね!」
「だろう! これで母さんがプラモデルに交換してきてやるからね」
「やったー! ありがう、おかあさん」
ところが……
またもや悲劇が僕を襲いました。
一応、見た目は高そうな自動車のプラモデルだったのですが、中を開けたお金持ちの友だちは言いました。
「なんだよ、モーターと電池が入ってないじゃないか!」
すると、他の友人たちも、
「しょぼ~い!」 「ケチーーー!」
と揶揄しだしたのです。
僕は知りませんでした。
当時の高級なプラモデルは、モーターと電池が別売りだったのですね。
「2度と誕生会なんか、行くもんか――――っ!!!!」
と、泣きながら家まで走って帰った、ジュン少年でありました。
今の子どもたちも 「お誕生日会」 なんて、やっているのでしょうか?
2025年03月16日
勤勉な小便小僧
友人の車で移動していたときのこと。
信号待ちをした際に、彼が交差点脇の歩道を指さして言いました。
「あれ、二宮金次郎じゃありませんか?」
見れば、確かに二宮金次郎の銅像です。
小学校でもないのに、ポツンと立っています。
まるで、児童の登下校を見守るように……
「でも、今はアウトだよね。あれは “歩きスマホ” と同じだもの」
昭和の時代、全国の小学校の校庭には、必ず鎮座していた二宮尊徳像。
薪を背負って (労働をしながら)、本を読んでいる (勉強する) 姿は、まさに “勤勉” の象徴でした。
でも令和の時代、全国から姿を消しつつあります。
理由は、いろいろあるようです。
まず、少子化により児童数が減少し、廃校が増えたこと。
また校舎の老朽化に伴い、新築する際に、時代にそぐわないと撤去されたことなど。
今、まことしやかに騒がれているのが、「歩き読書」 は危険だという理由です。
現代に照らし合わせれば、「歩きスマホ」 を肯定しているようなものだというのです。
なんだか、ちょっと違うような気もしますが、これが令和という時代なんでしょうね。
僕には、よく分かりません。
実は先日、“小便小僧” にも会いました。
某ショッピングセンター内のトイレです。
男性トイレの小便器の前に立つと、隣には若い男性が……
放尿をしています。
がーーーーっ!!!!
チラッと見て、ビックリ仰天!
彼は、放尿しながら両手でスマホを見ているのです。
「えっ!? どういうこと?」
好奇心からチラチラと横目で見ると、彼のズボンのチャックは全開です。
中は見えませんが、ちゃんとイチモツは露出しているようです。
放尿は続いています。
スマホをいじる手は、器用にスクロールをくり返しています。
おおおおーーーー!
なんと勤勉な青年だろう~!
と一瞬、感心もしましたが、同時に 「ついにスマホ依存症は、ここまで来たか!」 との驚きも隠せません。
いやいや、それより物理的な不思議が、あるじゃありませんか!
そう、両手手放しで、放尿ができるって、どういうこと?
神業?
それとも、彼のイチモツがホースのように異様に長いんでしょうか?
僕が真似をしたら、絶対にズボンの全面は、ビショビショになってしまいます。
勤勉なのか? 依存症なのか?
令和の小便小僧は、実に器用なのでありました。
2025年03月12日
四字熟語のような芸能人
いつもの居酒屋でのこと。
常連客らと、昭和のアイドル話で盛り上がっていました。
話題が、天地真理になると……
「あまちまり? 知らな~い!」
と、この店には珍しく30代の女性客。
「そりゃ~、知らないでしょう! 50年以上前のアイドルだもの」
と、僕。
「“てんちしんり” って書くんだよ」
「てんちしんり? なに、それ? 四字熟語みた~い!」
彼女の、ひと言で大爆笑。
これをきっかけに話題は、四字熟語のような昭和の芸能人になりました。
「竹脇無我っていう俳優、いたよね」
「いたいた、四字熟語だと思っていたよ(笑)」
といった具合です。
で、僕は思いました。
「四字熟語のような芸能人」 が、もしも、そのまま四字熟語になったら!
天地真理 (歌手)
【読み】 てんちしんり
【意味】 天と地、すなわち自然界で起こる森羅万象には、すべて意味があること。
【表現】 「地震や津波などの天変地異は、天地真理による人類への警告だよね」
竹脇無我 (俳優)
【読み】 たけわきむが
【意味】 凛とそびえる竹林のように、心を無にすること。
【表現】 「剣道の試合で竹刀を構えると、竹脇無我の境地に至った」
大鶴義丹 (俳優)
【読み】 おおつるぎたん
【意味】 大きなタンチョウヅルが舞うように、堂々として美しいさま。
【表現】 「フィギュアスケートの○○選手の演技は、まさに大鶴義丹の舞いだね」
四字熟語が出たので、ついでに三字熟語も2つほど紹介します。
笠智衆 (俳優)
【読み】 りゅうちしゅう
【意味】 衆人環視の前で、笠に着る態度をとること。「虎の威を借る狐」 に同じ。
【表現】 「父親が有名な政治家だからって、彼のあの態度は笠智衆だな」
利重剛 (俳優)
【読み】 りじゅうごう
【意味】 どっしりとしていて、重厚で磐石な状態が続くこと。
【表現】 「あの力士は土俵際で、微動だにしないね。利重剛の下半身だ」
いやいや、昭和の芸能人って、面白いですね。
みなさんも昭和を懐かしみながら、思い出してみてください。
2025年03月06日
便利の過渡期
最近は、どこで買い物をしても、食事をしても、会計はセルフレジです。
最初は戸惑っていたアナログ人間の僕でさえ、今ではスムーズに使いこなしています。
さらに便利を覚え、重宝までしています。
たとえば、ペットボトルの飲料を1本だけ買うときなど、セルフレジなら手間と時間がかからず、自動販売機感覚で購入できます。
また、少額の買い物なのに小銭がなくて、仕方なく1万円札を出す場合、セルフレジなら店員に気を遣う必要はありません。
どんどんと便利な世の中に、慣れ親しんでいる自分がいます。
一方で、ちょっぴり、寂しさも感じています。
以前は、有人レジだったラーメン店が、最近、セルフレジに替わってしまいました。
途端、「ありがとうございました」 の店員の元気な声が消えてしまいました。
厨房の中に、入ったきりです。
客は、食事が終わると、伝票を持って、レジへ。
印字されているバーコードをスキャンします。
パネルに金額が表示され、「現金」 をタッチ。
お金を入れて、精算終了。
そのまま、店を出ます。
お腹は満ちるのですが、なんだか食事をした気分にはなれません。
最近、日帰り入浴施設に行きました。
下駄箱にクツを入れ、100円玉を投入。
カギをフロントの女性に渡しました。
ここまでは以前と同じです。
この後が違いました。
ブレスレットのようなモノを渡されました。
以前なら入浴料を支払い、カギと引き換えに渡されるのは、番号が書かれたカードでした。
館内で食事をした場合は、この番号を告げます。
そして帰りにカードを返し、精算すると、下駄箱のカギが返ってくるというシステムでした。
「これ、なんですか?」
とスタッフに、ブレスレットについて聞きました。
「それを精算機に、かざしてください」
というので、カウンター横に設置された機械へ移動すると、
「お客様、帰りにお願いします」
あれ、だって、以前は、先に入浴料を払ったでしょ?
なんだ、帰りになったんなら、先に言ってよ!
と昭和オヤジは、戸惑いを隠せません。
言われたとおり、帰り、精算機へ直行しました。
ピッ!
音ともに、入浴料が表示され、難なく支払いを終えました。
あれ?
この後、どうするの?
このブレスレットのようなモノは?
ていうか、下駄箱のカギは、どうしたら返してもらえるのよ?
あたふたと、おろおろと、昭和オヤジは機械の前で、またもや立ちすくむばかり。
「お客様、こちらへ」
見かねたスタッフに呼ばれ、カウンターに戻ると、ブレスレットとカギを交換してくれました。
えっ、そこはアナログなんかい!
だったら最初っからスタッフが対応すれば、いいじゃん!
カウンターと精算機を行ったり来たりする、このシステムって何?
つい、スタッフに嫌味を言ってしまいました。
「これって便利なようで、不便だね」
すると、彼女いわく、
「人手不足なもので」
結局、そこなんですね。
この国の少子高齢化は、歯止めがききません。
どこもかしこも人手不足です。
コンビニも外食チェーンも、店員は片言の外国人ばかり。
だもの、無人化に拍車がかかります。
便利になるって、なんて不便なんでしょうね。
2025年03月04日
「ありがとうございます」 の意味
以前、イベント会場で僕の著書を購入してくださった読者の男性と、名刺交換をしたことがありました。
その人の名刺を見ると、お勤め先は、某有名スーパーマーケットチェーンでした。
「うちの近くにもあり、よく利用しています」
「ありがとうございます」
「でも、行くのが夜遅いので、買うのは、いつも半額シールが貼ってある見切り品ばかりですけどね」
と、僕は笑いを取ろうとしたのですが、さにあらず!
その人は、深々と頭を下げて、
「ありがとうございます。フードロス対策に、ご協力をいただきまして」
と言ったのであります。
え?
感謝されちゃった?
得をしているのは、こっちなのに?
でも、消費者が考えている以上に廃棄処分されている食品の量は多く、深刻な問題なのかも……
と、その時は漠然と受け止めていたのであります。
先日、某スーパーマーケットで買い物をしました。
時間は夜の8時過ぎ。
お惣菜のコーナーは、すべて半額シールが貼られていました。
酒のつまみにと、2品ほど手に取り、カゴの中に入れました。
レジにて。
女性の店員が、バーコードをスキャンし始めました。
ピッ、ピッ、ピッ・・・
「ありがとうございます」
ピッ、ピッ、ピッ・・・
「ありがとうございます」
会計の途中に2度、店員は 「ありがとうございます」 と言ったのです。
えっ?
今のなに?
そーなんです!
店員は、半額シールが貼られた商品をスキャンしたときだけ、「ありがとうございます」 と言っていたのです。
わ~!
感動で、思わず鳥肌が立ってしまいました。
読者の男性が言っていたことは、本当だったんですね。
半額シールが貼られた商品を買った “お客様” は、フードロス対策に協力した “神様” だったのです。
ということなので、みなさーん!
これからは半額シールが貼られた商品は、堂々と買ってくださいね。
決して、ケチでも、貧乏人でもありませんよ~!
フードロス対策の貢献者なのです。
2025年02月27日
完全無敵の村中華
「町中華」 という言葉があるのですから、村にあるのは 「村中華」 と呼んでいいんでしょうね。
町よりも濃密なコミュニティーの中で、昭和の時代から信頼の味を提供し続けている、庶民の台所であります。
今週、県北西部の山村へ行く用事があり、昼過ぎに車を走らせました。
「着くまでに、昼飯を済ませたい」
「できれば町中華で、チャーハンが食べたい」
と、僕は運転しながら数日前のリベンジを考えていました。
(2025年2月24日 「残念な町食堂」 参照)
もうすぐ目的地に着いてしまう!
と、あせりが募る中、街道筋、左前方に 「食堂」 の看板を発見!
しかも、「中華料理」 の文字が!
迷わず、ハンドルを切りました。
まさに昭和のたたずまい。
ハゲかかった看板のペンキの色といい、薄汚れたのれんにも年季を感じます。
これぞ町中華、いや、村中華の王道であります。
まず店内に入って、感動!
床が油で、ペトペトしています。
歩くたびに、音もします。
「これって、うまい店っていう証拠じゃん!」
と、いきなりテンションが上がりました。
店内は、そこそこ混んでいました。
テーブル席は、ほぼいっぱいで、奥の座敷が少し空いているくらい。
一つだけ空いていたテーブル席に腰かけました。
メニューを見て、ビックリ!
今どき、ラーメンが500円。
定食でも800円と、実にリーズナブルです。
もちろん僕は、チャーハン (600円) に決めました。
テーブルにタブレットや呼び出しチャイムなんてありません。
「いらっしゃいませ~」
少し腰の曲がった老婦が、水を持ってきたときに注文しました。
待つこと15分・・・
今度は、老夫が料理を持ってきました。
老夫婦だけで、切り盛りをしているようです。
だから、ちょっと時間はかかるのですね。
でも、これは 「あるある」 ですから、想定内です。
ド~ン!
置かれたチャーハンは、大き目な皿の上にドンブリっちょの米の山。
通常の1.5倍以上はあります。
でも、僕の知っている町中華のチャーハンとは、見た目も色も違います。
これって、いわゆる “焼き飯” っていうやつですよね。
具は、ハムとネギとニンジンとコーンだけ。
てっぺんに、真っ赤な紅ショウガがトッピングされています。
まずは、紅ショウガなしで、ひと口。
「うん、普通にうまい」
この “普通にうまい” というのが、町中華&町食堂の定番なのです。
高級中華料理店のような上品な味ではなく、昔懐かしい庶民の味であることが大事なのであります。
スープが、いい!
ネギが数枚浮いた、ラーメンスープのような。
これまた、ドストライクの昭和の味であります。
さて、満腹になりながらも、なんとか最後の一粒まで食べきりました。
では、会計を……
でも、伝票がありません。
店内を見渡しましたが、レジもありません。
他の客を見ていると、みんな 「ごちそうさま」 と言って、厨房に声をかけています。
各々、自分が食べたモノを言って、お金を渡しています。
誰一人、「カード、使えないの?」 なんて、格好つけている客はいません。
僕も見よう見まねで、常連を気取って、厨房に声をかけました。
「こちそうさまでした」
すると、老夫が顔を出しました。
「チャーハン」
「600円ね」
「はい、ちょうど」
「毎度、ありがとうごさいます」
ほらね、「毎度」 が付きましたよ!
これが昭和の良き食堂の有り方であります。
リベンジ、完了!
S村のK食堂は、完全無敵の村中華でした。
2025年02月24日
残念な町食堂
コテコテの昭和人間ですからね。
僕は、昔ながらの町食堂が大好きです。
特に最近は、チェーン店のタッチパネルでの注文や自動支払機などの無味乾燥な雰囲気に、へきえきしているのであります。
それに比べると、町食堂には人情味があります。
メニュー表や壁のお品書きを見ながら、じっくりと、あれこれ悩みながら注文することができます。
主人や女将さんとの雑談もできるし、常連になれば、から揚げ1個のおまけが付くかもしれません。
もちろん、「ごちそうさま」 と言えば、「ありがとうございました」 と、ちゃんと手渡しで精算をしてくれます。
ん~、これぞ、正しい町食堂の姿であります。
で、昨日、久しぶりに町食堂へ行ってきました。
どれらい久しぶりかというと、2~3年ぶりなんですね。
それは、なぜか?
実は、その食堂は昔からお気に入りで、30年以上前から通っていました。
ところが数年前に、ご主人が亡くなり、息子さんが店を継いだのです。
「どれどれ、ちゃんと先代の味を継いでいるかな~」
と気になり、すぐに偵察に行きました。
もちろん、注文したのは一番人気だったあんかけチャーハン。
ところが……
見た目は変わらないのですが、口に含むと 「?」。
なんか違うんです。
以前に比べると、パンチがないんですね。
一口目に広がる 「この味、この味」 というのが感じられませんでした。
で、その後、足が遠のいてしまったというわけです。
さて、あれから2~3年が経ちました。
息子さんの腕も上達したことでしょう。
味にうるさい常連客らに、叱咤激励され、先代の味に近づいているに違いありません。
ところが……
一口食べて、ガッカリ!
「あれ?」
完全に別物になっていました。
もしかしたら、息子さん流に味をアレンジしたのかもれませんね。
まずチャーハンの味が全然違います。
もっとパラパラしていましたが、今はなんだかシットリとしています。
上にのっているあんの味も、かなりあっさり気味です。
これでは味変を楽しむことができません。
(思わず、しょう油をかけてしまいました)
店は、昭和のままなのですが、何から何まで変わってしまいました。
値段も高くなり、メニューの数も少なくなりました。
息子さんの頑張っている姿は、カウンター越しに見えましたが、先代ほどの愛想は持ち合わせていないようです。
誤解しないでください。
味というのは、あくまでも嗜好なんです。
僕の口が、先代の味を好んでいるだけなんですね。
その証拠に、今でも店は繁盛しています。
息子さんが作り出す、令和の味にもファンがいるわけです。
でも、僕にとっての思い出の味は、もうありません。
時代は変わったんだと、時の流れを感じながら店を出ました。