温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2020年04月30日

気をつけよう!散歩途中のコンビニエンス


 ♪ 僕は何をやってもだめな男です
   昨日歩いてて犬におしっこをかけられました
   ガムをかんでも舌をかんでしまうし
   トイレに入ってチャックがしまらず
   オロオロしたこともありました
   <『僕は何をやってもだめな男です』 by かぐや姫>


 以前、「風が吹けば桶屋が儲かる」 ということわざになぞり、「コロナ自粛が続くと離婚や虐待が増える」 という話をしたことがありました。
 3密(密集・密閉・密接) を避けて、外出を自粛すると、逆に家庭内で3密が発生し、家族間トラブルが増えるという “風桶現象” のことです。

 実は、コロナ自粛関連の “風桶現象” には、まだまだ弊害がたくさんあるようです。
 その一つが、「アル中」(アルコール中毒依存症) です。
 毎日家にいると、やることがなくて、ついつい昼間から酒を呑み出してしまい、気が付くとアルコールなしでは過ごせなくなってしまうとのことです。

 分かります!
 よーーーく、分かります!!!


 酒好きなのに、アル中にならない人の共通点に、“多忙” があります。
 本当は、いつもいつも酒が呑みたいのですが、仕事が忙しくて、結局、毎日、寝る前の晩酌程度で終わっていた人たちです。
 いわば、この人たちは 「アル中予備軍」 です。

 そして僕も、この予備軍の一人です。


 現在、コロナ自粛のため、連日自宅にて蟄居(ちっきょ)生活を続けています。
 目下の楽しみは、運動不足解消とストレス発散を兼ねてのウォーキングであります。
 毎日のことなので、飽きないように毎回コースを変えています。

 川沿いのコース、古墳めぐりコース、遠い郵便局まで行って手紙を出すコースなど、日々、知恵をしぼって東西南北、コースを変えて歩いています。
 が、たくさん歩くと、ノドが乾きます。
 よってコンビニに立ち寄ります。
 もちろん最初は、お茶かジュースを買うつもりで入ります。
 が、店を出ると、なぜか僕の手には缶ビールが握られています。

 「家に帰ったら呑もう!」
 そう心に誓い、歩き出します。
 が、こんな考えも同時に浮かんできます。
 「このまま缶を振り続けると、開けたとき、とんでもないことになるぞ。そうだ、冷たいうちに呑んでしまおう!」

 ということで僕は誘惑に負けて、公園や遊歩道のベンチを探し出します。
 そして……


 ダメ、ダメ、ダメーーーー!
 ああ、僕はなんて意志の弱い、ダメ男なんでしょうか!
 こんなことを毎日つづけていたら、正真正銘のアル中になってしまいます。

 イカン、イカン、イカーーーーン!
 ということで、なるべくコンビニを通らないコースを歩くことにしました。

 あくまでも “なるべく” でありますが……
  


Posted by 小暮 淳 at 12:02Comments(2)酔眼日記

2020年04月29日

コロナウルスの逆襲 ~世紀の対決②~


 【前回までのあらすじ】
 人類滅亡をたくらむ新型コロナウイルスの化身 「疫病魔コロナウルス」 と、江戸時代に疫病から人々を救ったといわれる伝説の妖怪アマビエの子孫 「妖獣アマビエラ」 の世紀の一戦。
 コロナウルスのタックルをかわしたアマビエラは、自慢の長い髪でコロナウルスを捕らえ、鋭いくちばしで脳天攻撃を続けた。すると、パックリと割れたコロナウルスの頭からは見たこともない動物たちが次から次へと飛び出した。それらは、すべて人類が絶滅に追いやった野生生物たちだった。
 ※(当ブログの2020年4月10日 「コロナウルスVSアマビエラ」 参照)


 <アナウンサー>
 動物たちの動きが、なんだか変ですね?

 <解説者>
 ええ、リング中央のコロナウルスとアマビエラを囲むように、円陣を組み出しました。
 なんとも不思議な光景です。

 <アナウンサー>
 あれ……、何か聞こえませんか?

 <解説者>
 動物たちが、口々に何か言ってますね。

 <アナウンサー>
 そのようですね。
 なんと言っているのでしょうか?

 NIN GEN NIN GEN……

 <解説者>
 「人間」 と言っているんですよ!

 NIN GEN NIN GEN……

 <アナウンサー>
 その声を聞いて、リング上のアマビエラは、まるで金縛りに遭ったように、まったく動かなくなってしまいました。

 NIN GEN NIN GEN……

 <アナウンサー>
 これは、いったい、どういうことなのでしょうか?

 <解説者>
 たぶん、「人間を出せ!」 というメッセージです。
 我々の敵はアマビエラではなく、人間なのだと……

 <アナウンサー>
 テレビをご覧になっているみなさんは、すでにお気づきかと思いますが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、無観客試合で行っています。
 我々もモニター観戦により中継をしていますから、会場には、まったく人間はいません。

 <解説者>
 きっと動物たちは、その不満を口にしているのです。

 <アナウンサー>
 自分たちを絶滅に追いやった人間を出せということですね。

 <解説者>
 アマビエラの先祖、アマビエにしても、実は人間が勝手に作り上げた妖怪なんです。
 本来は 「天彦(あまびこ)」 が正しいのに、江戸の絵師が姿を描いたときに 「コ」 を 「エ」 と誤って表記してしまったんです。

 <アナウンサー>
 では、アマビエラのDNAの中には、人間に対する猜疑心があると?

 <解説者>
 たぶん今、アマビエラは、その葛藤に苦しんでいるのだと思います。
 人間の味方をするべきかどうか……

 NIN GEN NIN GEN……


 <アナウンサー>
 えっ……、何が起こったのでしょうか!?
 動物たちが一斉に、頭上を見上げ出しました。
 音が聞こえます!

 バタバタバタ、バタバタバタ……

 <アナウンサー>
 羽音のようですね?

 <解説者>
 あっ、あれを見てください!

 <アナウンサー>
 鳥です!
 大きな真っ黒な鳥です。
 それも首が2つ、白と黒の双頭の鳥です!

 <解説者>
 あれは、「ヨゲンノトリ」 ですよ!

 <アナウンサー>
 ヨゲンノトリ?

 <解説者>
 アマビエと同じく江戸時代に、コレラの流行を予言したといわれる伝説の鳥です。
 「信心する者は難を逃れる」 といわれています。

 <アナウンサー>
 なぜ、現れたんでしょう?

 <解説者>
 呼んだのですよ。

 <アナウンサー>
 誰が?

 <解説者>
 アマビエラです。
 アマビエラは、人間を憎んではいなかったのです。


 ※この話は、僕が見た夢の続きで、すべてフィクションです。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:20Comments(0)世紀の対決

2020年04月28日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の三


 『古湯を復活させた男のロマン』

 古来、沸かしてまで浴した冷鉱泉には、病気の治療効果が高い薬湯が多い。

 源泉の温度は約13度。
 猪ノ田(いのだ)温泉(藤岡市) の湯は、明治時代の初めから 「皮膚病に効く」 という評判が高く、群馬県内でも最も古い湯治場としてにぎわっていた。
 当時は、源泉の湧き出し口に野天の湯小屋があるだけだったが、大正時代には旅館が建てられ、戦前までは大いに繁盛した。
 しかし戦後になり経営は悪化し、昭和40年代に廃業してしまった。
 惜しむ声はあっても、源泉は長い間、森の中で眠ったままだった。

 「歴史と効能のある温泉を、どうしても復活させたかった。金儲けのためなんかじゃない。男のロマンっていうやつだよ」
 と、主人の深澤宣恵(のぶやす) さんは笑う。

 久惠屋(ひさえや)旅館の創業は、昭和58(1983)年。
 藤岡市内で牛乳販売業を営んでいた深澤さんは、「貴重な地下資源をもう一度、世に出したい」 と周囲の反対を押し切り、湯権者との交渉に奔走し、10年の歳月をついやして念願の温泉を復活させた。

 「主人は、一度言い出したら絶対に聞かない人。『この湯は、すごい!』 って言いながら、何度も源泉を汲んで来ては、温めて入っていました」
 と女将の信子さんは、当時を振り返る。
 長年、病弱だった女将が健康を取りもどせたのも、この温泉のおかげだという。

 源泉はメタホウ酸と硫化水素を含むアルカリ性の冷鉱泉。
 無色透明だが独特の腐卵臭がするため、地元では 「たまご湯」 と呼ばれ親しまれてきた。
 殺菌・浄化・漂白の作用があることから、皮膚科や小児科の医者が患者のために源泉を取り寄せることもある。
 宿では、その源泉を詰めたペットボトルやメーカーと共同開発した温泉水入りの石けんなども販売している。

 宿に残る明治19(1886)年の温泉分析表には、こんな一文が記されている。
 『猪田鉱泉ハ古来ヨリ猪田川ノ川辺二湧出シ薬師ノ湯ト称ス』

 男のロマンを賭けた情熱が復活させた伝説の温泉には、ふたたび平成の世でもアトピー性皮膚炎をはじめ皮膚病に効く名薬湯として、医者から見放された患者たちが遠方より訪ねている。

 <20012年6月>

  


Posted by 小暮 淳 at 11:14Comments(0)一湯良談

2020年04月27日

今、できること ~自粛とキャンセルの狭間で~


 <群馬に大きな被害はなかったが、群馬の温泉地では、「温泉はぜいたく」 という自粛ムードも広がり客が激減している。古来、日本人は温泉を質素な癒やしの場としてきた。群馬の豊かな 「湯力(ゆぢから)」 は人々を元気にしてくれる。利用者も温泉宿も、“温泉=ぜいたく” という考えを改めてほしい。>
 2011年4月6日付 朝日新聞群馬版より


 上記の一文は、僕が新聞に連載していたエッセイが、震災の影響で一時休載となり、再開した回の巻末に寄せた文章です。
 当時、全国の温泉地には自粛によるキャンセルの嵐が吹き荒れ、悲鳴にも似た救済の声が届きました。
 「このままでは、廃業に追い込まれてしまいます」
 そんな旅館経営者からの懇願に応えて、連載を再開しました。

 「今回は、あの時とは違います。なす術がありません」
 某温泉協会の職員から、悲痛な叫びを聞きました。
 「あの時は、個人の “贅沢への自粛” でした。でも今回は、完全なる国民への “外出の自粛” ですからね」

 その影響は、計り知れません。


 新聞報道によれば、群馬県内の旅館やホテルなどの宿泊施設では、3~6月のキャンセルが延べ約38万5千人に上るといいます。
 損害額は約40億2千万円!

 9年前の震災時が約10万人のキャンセルという報道でしたから、その被害は4倍近くになります。
 すでに県内の温泉地では、旅館やホテルだけでなく、日帰り入浴施設、美術館などの観光施設のほとんどが休業しています。

 「あの時は、お客様からのキャンセルだけでした。今回は、旅館やホテル側からの自主自粛による、予約客への休業連絡を余儀なくしいられています」


 こんなことを書くと、「温泉地だけじゃない!」 と叱られてしまいそうですね。
 当然です。
 日本中、世界中が、共通の敵と闘っている時ですものね。

 あの時とは、自粛の意味が違います。


 今、できること……
 それが “自粛” なのであれば、同じ痛みをみんなで分け合い、耐え忍びましょう。

 でも、明けない夜がないように、必ず、また陽は昇ります。
 その時のために、心と体に免疫力をつけて、今はジッと待ちましょう。


 温泉地のみなさん、コロナの影響が収束したとき、ドッと人々は温泉にやって来ますよ!
 だって我々の体の中には、“湯治のDNA” が息づいているのですから!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:26Comments(0)温泉雑話

2020年04月26日

チロとチャッピー


 ♪ 歩こう 歩こう わたしは元気
    歩くの大好き どんどん行こう ♪


 コロナ自粛による蟄居(ちっきょ)生活が続いています。
 今の楽しみは、1日1回の “散歩タイム” であります。
 夕方、そっと家を抜け出して、1時間~1時間半のウォーキングをしています。

 我が家は市街地の南のはずれ、田園地帯の中の小さな住宅地にあります。
 だから、ものの5分も歩けば、あぜ道や小川のほとりに出ます。
 僕は、この、のどかな一帯がお気に入りで、25年前に移り住んだ理由も、この環境でした。


 特に今の季節、最高のウォーキングが楽しめます。

 ナノハナ、セイヨウタンポポ、シロバナタンポポ、ハルジオン、ホトケノザ、シロツメクサ、オオジシバリ、カラスノエンドウ、ノゲシ、ムラサキサギゴケ、トキワハゼ、トウダイグサ……
 色とりどりの野花が、百花繚乱です。

 なかでも小川の土手は一面、ショカッサイ(諸葛菜) の淡い紅紫色のじゅうたんに覆われています。
 ショカッサイは別名、ムラサキハナナともハナダイコンとも呼ばれる中国原産の1~2年草で、江戸時代に栽培された外来種です。
 「諸葛菜」 とは中国名で、戦後全国に広がり、野生化しました。
 繁殖力が強く、群生するため、圧巻の景観を作り出します。

 僕は、この花を見ると 「春だなぁ」 と感じるため、勝手に “春告花” と名付けています。


 散歩の途中で、毎日合う “ともだち” もできました。
 「チロ」 と 「チャッピー」 です。

 今どき珍しく、小川の土手沿いの家で、屋外で飼われている番犬です。
 小道をはさんだ2軒つづいて、犬小屋が立っています。
 それも敷地からはずれた、道端でクサリにつながれています。
 2匹とも、中型の雑種です。

 最初に出合うのが、白毛の 「チロ」 です。
 最初のうちは僕が通ると、必ず吠えていたのですが、最近は薄目を開けて、「ああ いつもの人ね」 と確認すると、また目を閉じてしまいます。

 次に合うのが、茶毛の 「チャッピー」 です。
 とっても、おとなしくて吠えたのを見たことがありませんが、なぜか小屋には <猛犬注意> という札が貼られています。

 チロもチャッピーも、本当の名前は知りません。
 毎日、話しかけるのに、便宜上、僕が勝手に仮の名前を付けました。
 だから、たぶん本人(犬)たちは、僕が話しかけるたびに、「名前、違うんだけどな……」 と困惑していることでしょうね。

 それでも僕は、毎日元気に、
 「やあ、チロ、こんにちは!」 「チャッピー、いい天気だね!」
 と、話しかけています。


 いったい、いつまで、こんな “ひとり遊び” の毎日が続くのでしょうか?
    


Posted by 小暮 淳 at 12:49Comments(0)つれづれ

2020年04月25日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の二


 『リウマチを治した井戸水』

 大胡温泉(前橋市) 「旅館 三山センター」 の女将、中上ハツヱさんが、農業を営む主人のもとへ嫁いだのは昭和31(1956)年のことだった。
 稼業を手伝うかたわら、綿の行商をしながら生計を立てていた。

 「いつか商売がしたい」 と考えていた女将は、13年後、現在地に飲食店を開業した。
 さらに13年後の昭和57年には、宿泊棟を増設して、念願の旅館経営を始めた。
 この時、大浴場を併設することになり、「水が足りないから」 と主人が井戸を掘り、井戸水を沸かして利用した。

 時は流れて、平成6(1994)年の夏のこと。
 3人の女性客が3日間滞在して、日に4~5回入浴して帰って行った。
 ところが1ヶ月ほどして、また同じ客が訪ねてきて、「ここの湯のおかげで、神経痛が治った」 と礼を言った。
 客は、ここが温泉だと思い、湯治に通って来ていたらしい。

 「ビックリしましたよ。うちの風呂は、ただの井戸水だと言っても信じてくれないんですから。でも以前から 『良く温まる湯だ』 『湯冷めをしない』 とは言われていたんです」

 女将は 「ならば自分の持病のリウマチにも効果があるかもしれない」 と、その日から毎日、2~3回の足湯と朝夕の入浴を欠かさず行った。
 すると4ヶ月後には、完全に痛みが消えてしまったという。

 「もしかしたら、ただの井戸水ではなく、本物の温泉かもしれない」 と、県に検査を依頼したところ、メタけい酸をはじめとする多くの成分を含む天然温泉であることが判明した。
 旅館経営から13年目のことだった。

 この事実が口コミで広がり、リウマチや神経痛に苦しむ人たちが噂を聞きつけて、県内のみならず東京や埼玉方面からも大勢の客が、やって来るようになった。
 「不思議なことに私の人生は、いつも13年ごとに転機がやって来るのよ」 と笑う。

 最愛の主人が他界して6年目の春を迎えた。
 今年も旅館をぐるりと囲んで、100本の桜の花が見事に咲いた。
 昭和44(1969)年の開業時に、主人が女将のために植えた桜だという。

 <2012年5月>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:10Comments(0)一湯良談

2020年04月24日

柳の下にイワシの頭


 昨日、女優の岡江久美子さんが、新型コロナウイルスの感染症により亡くなられました。
 享年63歳でした。

 ショック過ぎて、しばらく茫然としました。
 僕と同世代であり、明るくて、可愛くて、大好きな女優さんでした。
 今はただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。

 そして、あらためて、コロナが憎い!
 バカヤローーーーーーッ!!!!!!


 人類は、この敵に、なす術がないのでしょうか?
 私たちは先月、志村けんさんを失った時、時空を超えて江戸の世から疫病退散の刺客・妖怪アマビエ様をお呼びいたし、コロナ退治に送り込みました。
 アマビエ様の御姿は、SNSをを介して全世界に伝播し、その効力が徐々に出始めていた矢先のことでした。

 神様、仏様、アマビエ様……

 そのアマビエ様にしても、新型コロナウイルスという現代の疫病は、退治できないのでしょうか?
 ならば我々は、さらなる刺客を送らねばなりません。
 江戸からの使者、第2弾は、“ヨゲンノトリ様” であります。


 「ヨゲンノトリ」
 そう名付けたのは、山梨県立博物館でした。
 江戸末期に現れ、コレラ流行を予言したとされる名前のない架空の鳥です。

 甲斐国市川村(現・山梨県山梨市) の名主、喜左衛門が記した 『暴瀉病流行日記(ぼうしゃびょうりゅうこうにっき)』 に、頭が2つある不思議な鳥の絵が描かれています。
 そして、その絵には、こんな但し書が添えられています。
 <図のような鳥が去年12月に加賀国(現・石川県) に現れて言うことには 「来年の8月、9月の頃、世の中の人が9割方死ぬという難が起こる。それについて、我らの姿を朝夕に仰ぎ、信心するものは必ずその難を逃れることができるであろう」>


 柳の下に、2匹目のドジョウがいました。
 イワシの頭も信心からであります。

 さあ、みなさん!
 双頭の鳥の絵を描いて、朝な夕なに拝みましょう!
 信じるものは救われるのです。


 疫病退散!
 コロナよ、出て行け!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:19Comments(0)つれづれ

2020年04月23日

一湯良談 (いっとうりょうだん) 其の一


 このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念した特別企画の第2弾として、2012年4月~2014年2月まで 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) にて連載されたコラム 『一湯良談(いっとうりょうだん)』(全22話) を不定期にて紹介いたします。
 温泉地(一湯) にまつわるエピソード(良談) をお楽しみください。



 『銀行員から湯守になった男』

 創業は元禄時代、400年の歴史をもつ沢渡(さわたり)温泉(中之条町)最古の老舗旅館 「まるほん旅館」。
 16代目主人の福田智さんは、9年前までは地元の銀行員だった。
 仕事で同館を訪れているうちに、すっかり湯の素晴らしさと先代の人柄に惚れ込んでしまった。

 ある日のこと。
 先代から 「跡継ぎがいないので、旅館を閉めようと思う」 と相談を受けた。
 歴史のある旅館と効能豊かな温泉を失うことを、見過ごすことはできなかった。
 「ならば自分が継ぎましょう」 と脱サラを決意したが、温泉の使用権は相続人のみが承継するという規約がある。
 となると、ただ旅館に入るだけでは済まない。
 先代と養子縁組をして、福田姓を名乗らなくてはならなかった。

 しかし、彼の決意は固かった。
 銀行を退職して、養子縁組の手続きをとった。
 当然だが、奥さんと子どもも名字を変えて、旅館に入ることとなった。

 「『お湯さえ守っていれば、一生食いっぱぐれはない』 というのが先代の口ぐせ。それほど、ここの湯は良いということです」
 と今では、すっかり湯守(ゆもり) の仕事が板についている。

 昨年の3月11日。
 東日本を未曾有の大地震が襲った。
 群馬県内は直接の被害は少なかったものの、あちこちの温泉地で異変が起きていた。
 沢渡温泉も例外ではなかった。
 地震の直後、ピタリと温泉が止まってしまったのである。

 福田さんは、すぐに先代のもとへ報告に行った。
 すると先代は、まったく動じることなく、こう言った。
 「あわてるでない。心配はいらん。じきに湯は出る」
 そして3日後、源泉は何事もなかったように、また以前と変わらずに湧き出した。

 一見、不思議な現象のようだが、実は地震の振動により地中の圧力ガスが抜けてしまったため、一時的に温泉を押し上げられなくなっていたのだ。
 しばらくして、またガスがたまり、圧力が回復したため、温泉が湧き出したのだった。
 そのことを先代は湯守として、長年の経験と培われた勘により知っていたのである。

 「まだまだ先代の足元にもおよびません。湯守の世界は奥が深いですね」
 そう言って、若き湯守は笑った。

 <2012年4月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:40Comments(0)一湯良談

2020年04月22日

もつ煮定食って群馬だけですか?


 「もつ煮」 といえば、酒呑みには定番のメニューです。
 僕も居酒屋に行けば、まずは焼き鳥でビール、の後に、もつ煮で焼酎、焼き魚で日本酒の注文をします。
 たぶん、これって、全国共通だと思います。

 が、しかし!
 “もつ煮で飯を食う” という食文化が根付いているのは、どうも群馬だけらしいのですが……


 ということで、昨晩放送された群馬テレビの謎学バラエティー番組 『ぐんま!トリビア図鑑』 では、「もつ煮を定食で食べるのはなぜ?」 と題して、“もつ煮大好き県民” のルーツをたどりました。
 僕は、この番組のスーパーバイザーをしていますが、担当は 「温泉」 と 「ミステリー」 です。
 ので、今回は 「歴史」 と 「文化」 担当の、もう一人のスーパーバイザー、手島仁さんがナビゲーターとして出演しました。
 手島さんといえば、“群馬学” の研究で知られ、群馬に関する著書を数多く出版されている方であります。

 だから、番組も僕の時のようにオチャラケることはなく、実に学術的に、たんたんと 「もつ煮」 の発祥ルーツを探っていきます。
 でも手島さんも、もつ煮大好き人間のようで、“食レポ” シーンでは、かなりタレント的なコメントをしていました。
 思わず彼の意外な一面に、笑ってしまいました。


 では、なぜ群馬の人は、もつ煮をご飯と一緒に定食で食べるのか?
 昨日の放送を見逃した方は、ぜひ再放送をご覧ください。



     『ぐんま!トリビア図鑑』
  ~もつ煮を定食で食べるのはなぜ?~

 ●放送局  群馬テレビ (地デジ3ch)
 ●再放送  4月25日(土) 10:30~10:45
         4月27日(月) 12:30~12:45
  


Posted by 小暮 淳 at 11:12Comments(2)テレビ・ラジオ

2020年04月21日

旅のめっけもん (最終回)


 ●旅のめっけもん 「蛇木(へびき)の滝」

 不思議な滝である。
 何が不思議なのかといえば、これは果たして “滝” なのか? という疑問が湧いてくる滝である。
 対岸の岩壁上に立って、眺めれば眺めるほど、その思いは強くなっていった。

 宿から数百メートル下流、国道299号の道路端に 「蛇木の滝」 の案内板がある。
 地元では “奥多野のナイアガラ” と呼ばれるほどの有名な滝だというので、行ってみた。

 駐車場に車を停めると、轟々(ごうごう) と勇壮な水の音が鳴り響いている。
 心躍らせて、川岸まで駆け寄って、驚いた。
 これが滝?
 滝の定義は定かではないが、どう見ても砂防堰堤(えんてい) である。
 神流(かんな)川の本流が川幅いっぱいに、そのまま約9メートル下の滝つぼへと水煙を上げながら落下している。

 コンクリートで造られた人工の滝であるが、では景観的にはどうなのか? と問われれば、これが文句なしに美しい!
 滝の周辺は 「蛇木渓谷」 と呼ばれる景勝地で、奇岩群が約900メートルにわたり続いている。
 その自然の渓谷美と妙に溶け込んでいるから、これまた不思議である。

 岩壁の上から覗き込めば、滝つぼ近くに釣り人の姿が見える。
 ヤマメやアユなど、渓流釣りのメッカとしても有名のようだ。

 <2006年7月 向屋温泉>


 ●旅のめっけもん 「忠治の岩屋」

 『赤城の山も今宵限り……、可愛い子分のてめえ達とも別れ別れになる首途(かどで) だ』
 江戸後期の侠客(きょうかく)、国定忠治は実在の人物ではあったが、謎の部分も多い。
 講談や芝居でお馴染みの名台詞も、後世に脚色されたものだが、いずれにせよ 「群馬を代表する人物」 のアンケートでは、今でもダントツの人気である。

 宿の前に、広い駐車場がある。
 不動大滝への登山道は、ここから始まる。
 忠治が隠れていたといわれる岩屋も、その途上にある。
 片道約1時間……
 徒行を思いあぐねていると、宿の主人が 「途中まで車で行ける」 と教えてくれた。

 前不動駐車場から約20分で、滝沢不動堂へ。
 ここからは岩場あり、丸太橋ありと沢歩きが楽しい。
 約10分で、滝との分岐点に。
 そこから、ひと登りで 「国定忠治のかくれ岩」 に着いた。

 天保11(1840)年の11月から信州路へ国越えするまでの3ヶ月間、忠治がここで子分たちと過ごしたという岩屋だ。
 階段を恐る恐る下りてみるが、中は真っ暗で何も見えない。
 洞窟内は太陽電池による照明が点灯するらしいが、「来場者人数により点灯しない場合もある」 との看板を見つけた。
 ひんやりと、吐く息だけが白く見えた。

 分岐にもどり、わずか5分で不動大滝に着いた。

 <2006年8月 忠治温泉>


 このカテゴリーでは、ブログ開設10周年を記念して不定期連載をした「源泉ひとりじめ」 に併載されていたショートコラムを紹介してきました。
 ご愛読いただき、ありがとうございました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:41Comments(0)旅のめっけもん

2020年04月20日

面影散歩


 コロナ自粛による不要不急の外出を避けた蟄居(ちっきょ)生活が続いています。

 朝起きてから寝るまで、ほとんどを自室で過ごしています。
 テレビ、ラジオ、新聞、読書……の繰り返しです。
 それでも朝昼晩と、しっかり3食は摂っているわけですから運動不足は、はなはだしい。

 いかん、いかん、いかーーん!
 このままでは、コロナ感染は防げても、生活習慣病で命を縮めてしまうぞ!
 なにか運動をせねば……
 そうだ、ウォーキングだ!
 ウォーキングならば1人でできるし、人との接触もない。
 密閉も密集もないではないか!

 さあ、1日1回、ウォーキングに出かけよう!

 と思ったのですが、ここに大きな障害が立ちふさがっていることに、今さらながら気づきました。
 「ペットロス症候群」 です。


 昨年の9月に、僕は 「マロ」 という相棒を失いました。
 享年13才、チワワのオスでした。
 彼の存在は僕にとって家族以上であり、誰よりも一緒にいる時間が長い伴侶でした。
 ※(詳しくは当ブログのカテゴリー 「マロの独白」 参照)

 それ以来、僕は、彼と歩いた道を歩いてはいません。
 彼との思い出が多過ぎて、歩けなくなってしまったのです。
 車や自転車で通り抜けることはできても、歩くことができないのです。

 あれから半年以上が経ちました。


 そろそろ、いいよな。
 歩いてみようか?
 お前も一緒に行くかい?

 庭の隅に眠るマロに問いかけました。
 「ワンワン、もちろん、オイラも行くに決まっているじゃありませんか! ご主人様ったら」
 そう返事が返って来ると思っただけで、あああーーーっ、ダメです。
 涙があふれ、足が動きません。

 マロのいない散歩道を歩くなんて……


 一週間後、僕は覚悟を決め、長い呪縛を解くように家の前の道へ、一歩を踏み出しました。
 その瞬間、記憶がよみがえりました。
 マロがマーキングをした場所、犬友と出合う十字路、野菜をくれる農夫がいる畑、犬好きのおばちゃんが飛び出してくる家、子どもたちが 「かわいい、触らせて」 と寄って来る学童保育所……

 すべて場所は覚えているのですが、微妙に雰囲気が違います。
 空き地だった場所には、大きな賃貸アパートが建っています。
 保育所の周りには高い塀が張り巡らされ、子どもたちの姿は見えません。

 僕がペットロス症候群にかかっている間に、僕の周りはこんなにも変化していたのですね。


 「ご主人様、やっぱり、散歩は楽しいですね」
 「だな、マロは散歩が好きだったものな」
 「でも、だいぶ景色が変わっちゃいましたね」
 「ああ……」
 「また前のように毎日、散歩しましょうよ」
 「だな、そうしょう。マロも行くかい?」
 「もちろんですとも! ご主人様」

 こうやってコロナ自粛による運動不足解消の毎日が始まりました。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:40Comments(0)つれづれ

2020年04月19日

源泉ひとりじめ(最終回) 棚田を揺らして、風が谷を滑って行った。


 癒しの一軒宿(30) 源泉ひとりじめ
 真沢(さなざわ)温泉(月夜野温泉) 「真沢の森」 みなかみ町


 「クワの葉は利尿作用があります。メグスリの葉は肝臓強化に、キクイモは消化を助け、ツリガネニンジンは精力増進に効きますよ」
 季節の山野草が、天ぷらや和え物、酢の物に調理された名物の 「つみくさ料理」 が夕げの膳を飾った。
 物珍しさから、まずはホタルブクロの天ぷらをひと口。
 宿までの山道に咲いていた濃紫色の花……
 味はしないが、夏草の香りがほのかにした。


 上越新幹線、上毛高原駅から車でわずか5分。
 「こんな所に」 と、訪ねた人は必ずや驚くに違いない。
 大峰山麓にたたずむ三角屋根の一軒宿、谷間に広がるまぶしい棚田の緑。
 心地よい風の通り道は、そのまま遠い峰々へと続いている。
 “理想のふるさと” を絵にしたようなパノラマを、しばらく飽きもせず眺めていた。

 開湯は定かではないが、昭和の初期までは湯治場として営業されていた秘湯である。
 一時、閉鎖されていたが、その湯は 「美人の湯」 として語り継がれていた。
 湯を惜しむ声から平成10(1998)年、日帰り入浴も可能な新たな温泉として復活した。

 自慢の湯へは、一度屋外へ出て、棚田とともに渡り廊下で下りる。
 ロッジ風の離れに、男女別の大浴場と露天風呂があった。
 湯は無色透明だが、噂どおりの “美人の湯” だ。
 ワックスをかけたように、肌の上を湯の玉がツルンと滑って落ちた。
 アトピーや肌荒れに効くというが、これならば納得である。
 露天風呂からは棚田が広がる谷の向こうに、三峰山と武尊山(ほたかさん) までが見渡せた。

 夕食の後、宿の人が 「ホタルが飛び始めましたよ」 と声をかけてくれた。
 テラスに出て目を凝らしていると、やがて暗い棚田の中に、小さな光がひとつふたつ……みっつ。
 天然のホタルを最後に見たのは、いつだったろうか。
 子どもの頃以来のような気がする。


 ●源泉名:月夜野温泉 真沢の湯
 ●湧出量:22.5ℓ/分 (自然湧出)
 ●泉温:24.5℃
 ●泉質:メタけい酸含有の冷鉱泉

 <2006年9月>



 長い間、「癒しの一軒宿 源泉ひとりじめ」 をご愛読いただき、ありがとうございました。
 今後もブログ開設10周年を記念した特別企画の第2弾を予定しております。
 ご期待ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:46Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年04月18日

さよなら! グラフぐんま


 昨日、群馬県のグラビア広報誌 「グラフぐんま」 の最新刊が届きました。
 2020年4月号(第54巻3号通巻622号) です。
 創刊から54年経った年の3号目ということになります。

 そして、最終号です。
 この号をもって、54年の長い歴史を閉じました。
 ※(廃刊理由については、当ブログの2020年3月14日 「残念ながら最終回」 参照)


 最終号では、「表紙でみる グラフぐんま 伝えた54年」 と題した特別企画が巻頭を飾りました。
 <1967(昭和42)年の創刊以降、群馬に関するさまざまな話題を伝えてきたグラフぐんま。今なお県民の心に深く刻まれている出来事の数々を、表紙で振り返る。>

 碓氷バイパス開通(1971)、上越新幹線開業(1982)、あかぎ国体・愛のあかぎ大会開催(1983) など、県民には懐かしい写真(表紙) が紹介されています。
 中には、平成3(1991)年の 「琴錦が幕内初優勝」 なんていう表紙もあります。
 群馬県出身の力士の優勝は初めてということで、県民が大いに祝ったことを思い出しました。


 さてさて、僕も少なからずや 「グラフぐんま」 には、お世話になっていました。
 平成29(2017)年の5月号から毎号、『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』 という温泉の紀行エッセイを書かせていただきました。
 最終回の第27回では、「尻焼温泉」(中之条町) を旅しています。

 おかげさまで 「グラフぐんま」 は、書店売りだけではなく、図書館や公民館、銀行などの公共スペースに置かれていることが多く、非常に知名度の高い雑誌です。
 そのため、県内での講演やセミナーに講師として呼ばれる場合、<「グラフぐんま」 でお馴染みの温泉ライター> などと紹介されることもありました。


 僕は過去に、いくつもの雑誌の廃刊を見てきました。
 その中には、僕が廃刊を決断した雑誌もあります。
 時代の流れとはいえ、継続されていたものが途切れるというのは、さみしいものです。

 その悲しみが分かるからこそ、そっと見送ろうと思います。
 さよなら! グラフぐんま
 ありがとう! グラフぐんま
  


Posted by 小暮 淳 at 13:02Comments(0)執筆余談

2020年04月17日

母の宝物


 みなさんは、自分の 「母子手帳」 を見たことがありますか?
 僕は昨日、手にしました。


 昨年の夏、2月と5月に相次いで亡くなった両親の遺品整理をアニキとしました。
 衣類などは処分し、書籍や写真などは兄弟で分け、ほとんどの品が片付きました。
 ところが今年になり、アニキから連絡がありました。
 「まだ少し、お前のモノがあるんだ。ついでの時に取りに来てくれ」

 先月行った両親の合同一周忌の法要の際、大きな紙袋を1つ、実家から持ち帰ってきました。
 袋の中身は、僕の小学校時代の作文や絵画でした。
 オフクロが後生大事に取っておいてくれたようです。

 その後、紙袋は、僕の仕事場の隅に置かれたままになっていました。


 この自粛生活で、毎日、時間を持て余しています。
 寓居を見渡せば、書籍や雑誌などの資料、脱ぎ捨てたままの衣類が、雑多に散らかっています。
 「よし、コロナ自粛を機に “断捨離” を始めよう!」
 と、最初に手に取ったのが、紙袋でした。

 母親とは、ありがたいものです。
 よくもまあ、こんなものまで……という些細なモノまでが入っていました。
 たとえば、それは、僕が子どもの頃にチラシの裏に描いた落書きだったり……

 袋の奥底に、セピア色した小さな手帳を見つけました。
 表紙には、でんでん太鼓で遊ぶ、よだれかけをした赤ちゃんの絵が描かれています。
 そして大きく、「母子手帳」 の文字。


 日付けは、昭和33年4月17日とあります。
 僕が生まれる4ヶ月前の日付けです。

 「母の氏名」 の欄には、オフクロの名前が。
 「子の氏名」 の欄には、僕の名前があります。
 でも、よく見ると筆跡が違います。
 「母の氏名」 の筆跡はオフクロの字ですが、「子の氏名」 はオヤジの字でした。

 僕が生まれてから、オヤジが名前を付けた時に、記入したことが分かります。


 <お産の記事> のページ
 分べん日時  33年8月8日 午前9時10分
 在胎月数   9箇月
 陣痛発来の状況  自然
 分べん  正常  種類原因  早産
 出血  少量
 産科手術  無

 そして最後の項目に、あの人の名前がありました。
 分べん介助者  医師 清宮 寛

 長い読者の中には、覚えている方もいるかもしれませんね。
 現在、僕がかかりつけの主治医のお父様です。
 大先生が亡くなられた日のことは、以前、このブログに書きました。
 ※(2011年11月5日の 「生まれて初めて会った人」 参照)


 僕は産まれたとき、2,400グラムの未熟児だったのです。
 話には聞いていたけれど、こうしてハッキリと医師の手によって書かれた数字を見ると、あらためて、この世に生を受けたことに感謝します。

 母の愛は、海よりも深し!
 かーちゃん、ありがとう!


 でも、この調子ですから断捨離は、遅々としてはかどりません。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:10Comments(0)つれづれ

2020年04月16日

源泉ひとりじめ(29) 旅情と人情が、山と盛られていた。


 癒しの一軒宿(29) 源泉ひとりじめ
 忠治温泉(赤城温泉) 「忠治館」 前橋市


 ドーン! ドーン! ドーン!
 湯上がりに、部屋でくつろいでいる時だった。
 磨き込まれた木の廊下を伝って、空きっ腹に太鼓の音が響いてきた。
 時計を見れば、午後6時ちょうど。
 それは、夕食を知らせる合図だった。

 「宴の間」 の前に、「きょうのおごっつぉ」 と書かれた野趣に富んだ食材たちが並んでいる。
 どれも山の幸ばかりだ。
 竹の子、こごみ、つる菜、わらび、まいたけ、こしあぶら……。

 山女の塩焼きと鹿肉のたたきに舌鼓を打ちつつ、乾いた喉に生ビールを流し込めば、甘露、甘露!
 何よりも夕げの席に顔を見せた、女将のあいさつと板長の料理解説に、旅情と人情を感じた。


 前橋市街地から車で、わずか40分。
 身近なれど山深い赤城山麓の地に、ひっそりと一軒宿はたたずんでいる。
 江戸時代の民家を再現した旅籠(はたご)風の古民家造り。
 蒼々と生い茂った大きな2本のモミジの樹が出迎えてくれた。

 通された部屋は 「浅太郎の間」。
 14部屋ある客室には、すべて国定忠治の子分の名前が付けられている。
 <身のこなしがとても敏捷なうえ長槍の名手で、足も速く六十里を一日で走ったといわれている。忠治親分への忠誠心は人一倍強く、伯父勘助の子、勘太郎を背に 「赤城の子守唄」 を唱ったことでも有名>
 と、部屋ごとに書かれている説明に見入ってしまった。

 食後は、ひと休みして露天風呂へ。
 かがり火が焚かれた幽玄な湯舟からは、崖下に落ちる勇壮な滝が見える。
 風の音、水の音、森の音が、湯けむりの中を間断なく通り過ぎてゆく。
 傍らでは、炎と一緒に薄紫のシャガの花が揺れていた。


 ドーン! ドーン! ドーン!
 翌朝、また太鼓の音で目が覚めた。
 「宴の間」 へ行くと、「人情盛り」 と名付けられた山盛りご飯が待っていた。


 ●源泉名:赤城温泉 新島の湯
 ●湧出量:87.7ℓ/分 (掘削自噴)
 ●泉温:43.2℃
 ●泉質:カルシウム・マグネシウム・ナトリウム-炭酸水素塩温泉

 <2006年8月>
   


Posted by 小暮 淳 at 13:59Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年04月15日

キャンセルの嵐の中で


 「講演をお願いしたいのですが?」
 「えっ……」
 正直、驚きました。

 このコロナ禍のさなかです。
 キャンセルはあっても、依頼の電話が来るとは……


 飲食や宿泊業ほどではないにしろ、僕のようなフリーランスの非正規雇用者は、真っ先に不要不急の仕事として外されるご時世です。
 僕の場合、本業はライターですから、外出が伴わないコラムなどの連載は続いていますが、ご多分にもれず、4月からの新企画の取材モノは、延期となってしまいました。

 そして何よりもイタイのは、副業です。
 講演、講座、セミナー等の講師の仕事は、現在、7月までキャンセルをくらっています。
 バスで現地を訪れる講座、公民館や会館のホールでの講演、セミナーは、当然、“3密”(密閉・密集・密接) にあたりますから、僕も仕方ないこととあきらめています。


 そんなキャンセルの嵐の中、一本の電話が鳴りました。
 声の主は、県内の某公民館です。

 「確か以前に、そちらでは一度、やりましたよね?」
 「ええ、あの時は温泉のお話でした。ぜひ、今度は民話のお話をしていただけたらと……」
 「もちろん、それは構いませんが……。大丈夫ですか?」
 「はい、当然、コロナが終息したらという条件付きなのですが……。とりあえず、先生のご都合をお聞きしないと、と思いまして」

 都合も何もありませんって!
 スケジュールは、7月以降も “マッシロシロスケ” であります。

 ということで、8月以降に講演をお受けすることにしました。
 「延期、または中止の場合もあるということで、お願いいたします」
 ということになりました。


 へー、こんなこともあるんですね。
 「先生のお話をみなさん、楽しみにされているんですよ」
 と言われれば、誰だって悪い気はしませんものね。
 「それまでに終息すると、いいですね」
 そう告げて、電話を切りました。


 おーい、コロナ野郎!
 とっとと、地球から出て行きやがれーー!
  


Posted by 小暮 淳 at 10:54Comments(0)講演・セミナー

2020年04月14日

「G線上のアリア」 はダメですか?


 「コロナが憎い!」
 そう思った人が、全国に大勢いたことでしょうね。
 先月29日、新型コロナウイルスの感染症のため、コメディアンでお笑いタレントの志村けんが亡くなりました。
 享年70歳でした。


 僕もご多分にもれずドリフ世代ではありますが、どちらかというと子どもの頃は、荒井注さんの 「なんだバカヤロウ!」 のギャグで育った世代です。
 だから逆に志村けんさんは、ぼうや(付き人) 時代から知っていて、荒井注さん引退後に正式メンバー入りした時からズーッと見続けているわけですから、ショックはひとしおでした。

 「えっ!」
 しばらく、テレビのニュース速報のテロップに、釘付けになっていました。
 そして、ひと筋の涙が……

 それほどに志村さんは、国民に愛されていたということです。


 死後、テレビ各局は、彼の追悼番組を放送しました。
 さる番組のオープニングで、BGMとしてバッハの 「G線上のアリア」 が流れました。
 “追悼” という意味では、とてもふさわしい美しい曲です。
 ところが……

 司会者に紹介されたドリフターズのメンバーの一人が、いきなり 「曲が暗い」 と言いました。
 すると、続けてゲストの歌手が 「けんちゃん(志村さん) は、これは選ばないと思う」 とのコメントを繰り返しました。
 その場面を偶然にも、僕は観ていました。
 確かに、言われてみれば、“志村けんさんらしくない” 曲かもしれません。

 ただ、そのとき僕は、ちょっとした違和感を覚えたのです。
 彼 “らしく” はないかもしれないけれど、彼を追悼する番組のオープニングなんだよな……っと。
 彼らしい曲、「東村山音頭」 や 「ヒゲダンス」 などは、その後、番組の中で、たくさん流れたのです。


 と、僕が、こんな風に感じたのも、この時、ある友人の顔が思い浮かんだからです。
 友人の職業は、「選曲家」 です。
 テレビや映画に限らず、デパートやコンビニなどで流れるBGMの曲を選ぶ仕事です。
 ひと言で言えば、曲選びのプロです。

 きっと、この 「G線上のアリア」 も、友人のような選曲家が選んだ曲なのだと思ったわけです。
 何千、何万という膨大な曲の中から選んだ1曲だったに違いありません。
 志村けんさん “らしくない” ことも承知の上で、その選曲家なりの理由から選んだ1曲だったのかもしれません。
 たとえば生前、志村さんが好きだった曲とか……


 その後、この件については、ネットや新聞の投稿欄等で論争がされているようですが、いかがなものでしょうか?
 もし、天国の志村けんさんに訊いてみたら……

 たぶん、「だいじょうぶだぁ~」 と言ってくれると思いますけどね。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:25Comments(0)つれづれ

2020年04月13日

源泉ひとりじめ(28) 朝、イワツバメの声で目が覚めた。


 癒しの一軒宿(28) 源泉ひとりじめ
 向屋温泉 「ヴィラせせらぎ」 上野村


 まばゆい光の中で、鳥の声を聴いた──。
 レースのカーテンの隙間から、青空が見える。
 昨夜までの雨が、嘘のようだ。
 窓を開けると、目に痛いほどの緑が飛び込んできた。
 見渡すかぎり、小高い峰が累々とつづいている。
 ベランダに出て見上げると、何十羽ものイワツバメが、夏色の空を気持ち良さそうに舞っていた。

 上野村には、3軒の温泉宿がある。
 野栗沢(のぐりざわ)温泉、塩ノ沢温泉と、ここ神流(かんな)川沿いに湧く向屋(こうや)温泉だ。
 平成8(1996)年開湯の一番新しい温泉は、宿泊施設もモダンで洒落ている。
 国道から最初に目につくのは、屋根に風見鶏をのせた八角形のレストラン棟──。
 その奥に、浴室棟、長期滞在室を含む客室棟とつづく。
 レンガ色した建物が、手つかずの自然を借景にして、のんびりとたたずんでいる。

 上野村と聞くと、昭和60(1985)年の日航ジャンボ機の墜落事故を思い出す人も多いことだろう。
 「昇魂の碑」 のある御巣鷹山への玄関口となる同村は、8月12日という日を忘れてはいない。
 「すでに、その日は遺族の方々の予約が入っています」
 と話す支配人の言葉に、ハッとしたのも事実だった。
 部屋の窓から見える生命力に満ちた大自然と、大勢の命をのみ込んだ史実が、どうにもアンバランスに思えてならなかった。

 露天風呂から望む景色は、立ちのぼる雨煙に、所々かすんでいた。
 黄褐色に薄にごる湯は、トロリとしていて肌にまとわり付いてくる。
 長く浸かっていればいるほど、心地よさの増す湯だ。
 他の客は雨とあって、露天まではやって来ない。

 ポツンポツンと、雨足が大粒になってきた。
 どうせ濡れているのだ。
 このまま雨と湯を、じっくりと “ひとりじめ” することにした。


 ●源泉名:せせらぎの湯
 ●湧出量:39.6ℓ/分 (動力揚湯)
 ●泉温:14.5ド
 ●泉質:ナトリウム-塩化物冷鉱泉

 <2006年7月>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:34Comments(0)源泉ひとりじめ

2020年04月12日

世界最大規模の 「アマビエ展」


 神様、仏様、アマビエ様!

 いま、人類は神様よりも仏様よりも、アマビエ様の加護にすがりたいのです。


 アマビエは半人半魚の妖怪で、首から下はウロコにおおわれ、3本の足があるとされています。
 江戸時代に肥後の国(現在の熊本県) の海に現れて、「疫病が流行ったら私の写し絵を人々に見せよ」 と告げて消えたとの言い伝えがあり、当時のかわら版にも、その姿を描かれたものが残っています。

 アマビエが熊本に現れてから175年……
 2020年に突如、沸き起こった疫病騒動……


 ならば、アマビエ様の加護にすがり、その妖力を現代の疫病(新型コロナウイルス) 退治に活用させていただこうと、声を上げた前橋市のギャラリーがありました。
 3月中旬頃からツイッター上で絵の投稿を募集したところ、約120人の作家が参加しました。

 一堂に会した絵画の数は113点!
 漫画、水彩、油絵、折り紙など、様々な画風のアマビエの姿絵が集められました。
 アマビエを扱った企画としては、世界最大規模の展示会です。


 不要不急の外出は自粛の時ですが、お近くの人は生活必需品の買い物のついでに、ぜひ覗いてみてください。 
 きっと、ご利益がありますよ!

 グッバイ! コロナ!
 たすけて! アマビエ様!



   コロナウイルス感染症 収束祈願特別展   
      『疫病退散☆アマビエ展』

 ●会期  2020年4月8日(水)~26日(日)
 ●会場  「アートスープ」 リリカ支部 (前橋リリカ1階)
        前橋市国領町2-14-1
 ●観覧  無料
 ●問合  TEL.027-896-9320
  


Posted by 小暮 淳 at 11:27Comments(0)ライブ・イベント

2020年04月11日

旅のめっけもん⑫


 ●旅のめっけもん 「花いんげん」

 夕げの膳に、さりげなく盛られた赤紫色した大粒の煮豆。
 一粒3㎝もある種皮は、光沢があり美しい。
 おいらん豆、オニマメ、高原豆、ハナマメと地域によって呼び方は様々だが、ここ六合村(現・中之条町) では 「花いんげん」 と呼ばれている。
 そう名付けたのは、六合村に住む一人の少年だった。

 大正10(1921)年、5月のこと。
 当時13歳だった大塚政美さんは、郵便配達をしていた叔父から1通のカタログをもらった。
 北海道の農作物を紹介した冊子だった。
 少年は北海道と六合村の気候が似ていることから、オニマメの種を取り寄せて畑にまいた。
 しかし花は咲くけれど、なかなか実がならない。
 「花いんげん」 の名は、そんな落胆した少年が付けた名前だった。

 試行錯誤を繰り返したすえ、6年後の昭和2年頃から収穫も安定し、商品化にこぎつけた。
 そして高原の清涼な空気と太陽をいっぱいに浴びて育った六合村の 「花いんげん」 は、六合村をはじめ草津温泉を代表する観光土産品となった。
 今では県内各地の山村に栽培地域が広がっている。

 口にふくむと上品な甘さが、ほんのりと広がった。
 群馬の観光地では良く見かける土産品だが、色、艶、味そして大きさの見事さは、やはり元祖六合村産が絶品である。

 <2006年3月 応徳温泉>



 ●旅のめっけもん 「湯湔薬師(ゆせんやくし)」

 今から20年前のこと。
 東京でボーリング会社を経営していた主人は、「絶対に出る」 という信念のもとに、資産を投じて源泉を掘り当てた。
 そして平成元(1989)年7月、念願の温泉旅館を当地で開業した。

 しばらく地元の人に経営を任せていたが、バブルの崩壊、乱脈経営が続き、この温泉を手放すかいなかの状況にまで追い込まれてしまった。
 しかし、その昔、湧き出ていたここの湯は、当時の里人が 「たまご湯」 と呼び、親しんでいた霊験あらたかな湯だ。
 2年半後、主人の会社で経理を手伝っていた女将は、一念発起して倉渕村(現・高崎市) に移り住んだ。

 そんな主人の夢と、女将の頑張りを見守るように、先人が残した湯湔薬師像が源泉櫓(やぐら) の脇に立っている。
 薬師如来は大医王仏とも呼ばれ、人間の苦悩を癒やし、ご利益を授けてくれる仏のこと。
 建立の由来は、この湯の霊験著しいご利益に対して、旅人たちが感謝を込めて御湯の守護を祈念して安置したと言い伝えられている。

 清流、長井川をはさんで、ちょうど露天風呂の対岸に立つ湯湔薬師。
 湯を浴(あ)む私たちの健康までも祈願してくれているようだ。

 <2006年4月 倉渕温泉>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:14Comments(0)旅のめっけもん