2018年02月28日
地酒を訪ねて
「趣味と実益を兼ねる」 という言葉があります。
そもそも僕がライターという職業を選んだのも、「遊ぶように仕事を楽しんで、仕事をするように真剣に遊びたい」 と思ったからなのです。
温泉の本を書いているのも、山登りの連載を書いているのも、すべて趣味と仕事のボーダーレスを計ったからであります。
で、もう1つ、僕には大好きなモノがあります。
1年365日、絶対に欠かせないモノ!
そう、酒です。
好きな酒を飲んで、それが仕事になったら……
それは、のん兵衛にとっては、究極の人生であります。
まさに僕にとっては、最大の趣味と実益の融合なのであります。
僕は、この仕事に就いた30年前から、いつもいつも、この “融合” について思索を続けてまいりました。
だから温泉に入っても酒を飲み、山を登っても酒を飲み、それを文章にしてきました。
でも、何かが違う!
まだ究極ではない!
酒が飲みたいがための、こじつけ取材ではないか!
そんな疑問が、日々自分を問い、攻め続けていました。
で、ついに、答えが出たのであります!!
そう、酒を訪ねて、酒を飲む。
酒蔵と居酒屋のダブル取材は、可能にならないものか?
これならば、かの吉田ルイ氏もやっていない究極の酒好きのレポートではないか!?
ということで、今年から群馬県内の酒蔵をめぐり、そこで酒を飲み、その酒が最良の肴で飲める居酒屋を訪ねることにしました。
酒好きのための、酒好きによる、酒三昧の旅エッセイの連載であります。
一昨日、カメラマン氏を伴い、シリーズ第1回目となる群馬県西部にある酒造会社を訪ねてきました。
会社設立の歴史や日本酒ができるまでの工程を取材、そして、しぼりたての原酒の試飲。
その後、ほろ酔い気分で周辺を散策しながら、居酒屋へ。
先ほど訪ねた酒蔵の地酒を、旬の味覚とともにいただきました。
ん~、実にいい。
これ、これですよ。
趣味と実益の融合に成功した瞬間を味わってまいりました。
2018年02月25日
ため息のシーズン② 通知表
1年で、もっとも憂うつな季節がやって来ました。
フリーランスおよび個人事業主のみなさん、確定申告は済みましたか?
僕は、さっさと済ませました。
だから落ち込んでいるんです。
毎年、その日が来るのがイヤでイヤでなりません。
本当は逃げてしまいたいのですが、イヤな思いを続けたくないので、あえて “いの一番” に済ませます。
そして、現実を突きつけられるのです。
いわば、これは僕の 「通知表」 なのであります。
いくら 「がんばった」 と思っても、数字がすべてを物語ります。
そして結果、今年も成績(収入)アップならず!(涙)
昨年とまったく同じ成績でした。
増えもせず、減りもせず。
ということは現状維持のまま、まったく成長していないということです。
我ながら、板についてしまった貧乏が、おかしくてなりません。
所帯を持って別居している営業マンの長男が、ぷらりと顔を出したとき、こんなことを言いました。
「お父さんの仕事は、楽しそうでいいな」
突然、何を言い出すのかと、面食らっていると、
「俺の仕事は、数字がすべてだから」
と、ぼやいたのです。
でもね、こんな親を見て育ったから、反面教師となって、彼は堅実な人生を選んだのであります。
思えば、僕は小さい頃から “数字” が大嫌いでした。
順位や優劣を競うのも苦手でした。
ナンバーワンになる気は、はなはななく、いつもオンリーワンになることばかり考えていたように思います。
だから10代の頃は受験勉強から逃げ、大人になってからは社会や組織から逃げ回ってきました。
結果、数字を嫌う者は、数字に嫌われるのであります。
ふーーーーーっ!
青い吐息が、止まりません。
2018年02月23日
鳩ノ湯温泉 「三鳩樓」②
<細い坂道を下り、小さな橋を渡ると、老木に囲まれたおもむきのある玄関が出迎えてくれた。四季折々、いつ訪ねても風情を感じさせ、旅人を飽きさせることのない宿だ。>
ちょうど10年前、僕は 『上州風』(上毛新聞社) という文芸雑誌に、「源泉 湯守の一軒宿」 という連載を始めました。
2年ほど続きましたが、雑誌の休刊とともに連載も終わりました。
その連載の第1回目が、浅間隠温泉郷(群馬県吾妻郡東吾妻町) の一軒宿、鳩ノ湯温泉 「三鳩樓(さんきゅうろう)」 でした。
冒頭の文章は、その時の書き出しの部分です。
「ご無沙汰しています」
「だいぶ、儲かっているみたいじゃないか」
「まっさか、そんなこと、あるわけないじゃないですか」
ご主人の轟徳三さんにお会いするのは、4年ぶりです。
2014年に出版した 『新ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) の取材以来です。
今回も雑誌の取材で伺いました。
「お変わりはありませんか?」
「ああ、何も変わっちゃいないよ。俺が老けたくらいかな」
開湯の歴史は古く、寛保年間(1741~1744) と伝わります。
文献によれば当時は 「花の湯」 と呼ばれていたらしく、「鳩ノ湯」 というようになったのは江戸後期になってからのようです。
「ご主人が何代目かは、分からないんですよね?」
「だいね。あまりにも歴史が古過ぎるもの」
「前回来た時は、14~15代目じゃないかと言ってましたよ」
「たぶん、そのくらいだと思うよ」
今回は、宿に残る文化文政時代(江戸時代後期) に江戸で配ったという 「効能書き」 のチラシを見せてもらいました。
きりきず、やけど、などに加えて、「まむしくい」(マムシ喰い?) や 「せんき」(腰腹の疼痛) などの当時ならではの疾患名がずらりと表記されています。
最後には、こんな文言もありました。
<草津入湯のただれには、一夜二夜にして歩行自由になること神妙の如し>
江戸と信州を結び、草津温泉にも抜ける裏街道の宿場町にある湯治場として、多くの旅人たちでにぎわっていた様子が伺える貴重な文献です。
難しい話は、さて置いて、取材の一番の目的は、もちろん入浴です。
長くなりそうな話を、ひとまず中断して、湯屋へ。
長い長い渡り廊下を歩いて、源泉の湧出地のある川沿いの階下へ向かいました。
「万華鏡の湯」
僕は、ここの湯を、そう呼んでいます。
季節、天候、時間帯によって、訪ねるたびに湯の色が異なるからです。
最初に訪ねた時は、茶褐色。
次は、淡黄色でした。
ご主人いわく、
「白くなったり、青くなったり、ごく稀だけど透き通ることもある」
で、今日の湯の色は、濃い抹茶色でした。
古沼のような深く神秘的な色合いです。
源泉の温度は、約44度。
加水も加温もすることなく、惜しげもなくかけ流されています。
「うーーーーーん、いい湯だ!」
思わず、独りごちたのであります。
2018年02月21日
マロの独白(36) 黒い影
こんばんワン! マロっす。
ここんちの飼い犬、チワワのオス、11才でやんす。
ヒ、ヒ、ヒックショ~ン!!
寒い寒いと思っていた冬も、そろそろ終わりのようで、敏感なオイラの鼻は、早くも春の気配を感じています。
花粉症はツライけど、やっばり、春が待ち遠しいでやんす。
だってだって、野花が咲くあぜ道を散歩するのが楽しいんだもの!
思わず、鼻歌だって出ちゃいます。
もちろん、今日も行ってまいりましたよ。
まだ、ちょっぴり寒かったですけどね。
それはそれは楽しいひと時でした。
でもね、昨日はコワイ思いをしたんでやんす。
オイラが、黒い影に狙われそうになったんです。
「おい、マロ、どうしたんだ? なんで、そんなところで、うずくまっているんだよ」
「……(ブルブル、ブルブル)」
「寒いのか?」
「ご、ご、ご主人様、う、う、上を見てください」
「えっ、何言ってんだよ。上って……」
ご主人様が見上げた空を、スズメやカラスが、あわてて逃げていきます。
そのはるか上空を黒い影が、グルグルと回っているではありませんか。
「別に、鳥が飛んでいるだけだよ」
「その上ですよ。黒い影が……」
「ああ、あれは、トビだな」
「タカとかワシじゃないんですか?」
「タカやワシの仲間ではあるけど、やつは死んだ動物の肉しか食べないよ」
「えっ、じゃあ、オイラを狙っていたんじゃないんですね?」
「大丈夫だよ。俺が一緒にいるんだ。マロには、指一本だって触れさせないさ」
「ご、ご、ご主人さま~!(ウルウル)」
オイラ、あんなにも大きな鳥を見たのは初めてだったので、襲われるのかと思ったでやんす。
だって、ずーっと、オイラたちの後を追って、羽ばたきもせずに、グライダーのように、スーイ、スーイって上空を旋回しているんだもの。
「あー、怖かった」
「マロは、かなりのビビリだな」
「でも、ご主人様はなんで、そんなに鳥のことが詳しいんですか?」
「これは、すべて受け売りだよ」
「受け売りって、なんですか?」
「教えてもらったってこと」
「誰にです?」
「オヤジだ」
えーーーーーっ、あの大主人様ですかーーーーっ!?
あのヨボヨボで、ご主人様のことも分からないようなご老人からですか?
「もちろん、今じゃない。もっと昔、俺が子どもの頃だよ」
「ご主人様が子どもで、大主人様は?」
「その頃、オヤジは日本野鳥の会の分会長をしていたんだよ」
「へー、初耳でやんす」
「だから小さい頃から俺は、よく探鳥会に連れて行かれたんだ」
「そうなんですか。大主人様って、偉いお方だったんですね」
「偉いかどうかは分からないが、なんでも知ってて、いろんなことを俺に教えてくれた」
ご主人様は、そう言いながら、しばらく頭上を舞う大きな鳥を目で追っていました。
「それで今、ご主人様は、そのときの恩返しをしているのですね」
「……どうかな。……そうなのかもしれないね」
春よ、来い!
また、大主人様と散歩ができるといいワン!
2018年02月19日
となりの芝生
「小暮さんは、成功者ですね?」
「えっ、僕がですか?」
自分の人生を不幸だと思ったことはないし、どちらかといえば幸せな人生を送っているほうだとは思います。
でも、“成功”か “失敗” かと問われると、まったく分かりません。
そもそも、まだ人生は途上なのです。
なのに、その人は僕のことを成功者だと言います。
同世代の男性です。
仕事は、やはり同じフリーランスですが、かなり特殊な職業です。
芸の道を生きている人で、かなりの著名人です。
僕から見れば、よっぽど彼のほうが人生の成功者なのです。
なのに、なぜ、そんなことを言うのでしょうか?
「子どもを3人も育てて、お孫さんまでいらっしゃる。大したものですよ」
キョトンする僕。
だって、誰でもやっていることではありませんか?
ほめられることでも、別段、人と変わったことをしたわけでもありません。
なのに彼は、その普通のことを、まるで偉業を成したかのように感心するのであります。
話を聞けば、彼には紆余曲折の私生活があったようであります。
でも、それは芸の道を究めるためには、不可欠だったように思われます。
人は、何を基準に “成功者” と呼ぶのでしょうか?
その価値観は、人それぞれのようですね。
もしかしたら、ただ単に彼が持っていないものを、たまたま僕が持っていただけなのかもしれません。
でも僕からしたら、彼は十分にうらやましい人生を歩んでいる人なのですが……。
2018年02月16日
四万温泉 「四万たむら」③
11時35分、JR吾妻線中之条駅着。
改札口を抜けると、役場の職員が出迎えてくれました。
「お待ちしていました」
「今日は、よろしくお願いします」
そのままマイクロバスに乗り込み、中之条町役場へ。
他の職員、参加メンバーと合流して、目的地へと向かいました。
参加メンバーとは?
実は昨日、中之条町企画政策課主催による 「中之条町観光大使・アドバイザー意見交換会」 が開催され、僕は観光大使として出席しました。
交換会は夜に行われたのですが、その前に、より中之条町を知ってもらおうという役場のはからいで、「そば打ち体験」 と 「お茶講体験」 をしてきました。
もちろん、そばを打つもの初めてのことでしたが、“お茶講” というものは、聞くのも、見るのも、まして体験するなんて、すべてが初体験づくしでありました。
そもそも、お茶講とは?
14世紀の中頃(1350年前後)、南北朝時代に武士の間で、さかんに “香のにおい” や “茶の味” を当てる遊びが行われていました。
お茶の飲み当ては 「闘茶」 と呼ばれていたといいます。
ここ中之条町(群馬県吾妻郡) に残る 「お茶講」 も、闘茶と記録方法が同じもので、江戸時代から行われていました。
中世の闘茶のやり方を現在に伝える全国にただ1ヵ所残されている大変貴重な民俗行事で、国の重要無形文化財に指定されています。
まー、これが難しいのなんのって、全然、わかりません!
煎茶と甘茶とミカンの皮、この3種類を粉末にしたものが微妙に混ざりあったお茶を飲んで、「さあ、今のは、どのお茶でしょう?」 と当てる、なんとも高度なお遊び(ゲーム) なのであります。
でも、これが面白い!
会場は、そのつど、爆笑が沸き上がります。
昔の人は、粋で優雅で心豊かな遊びを考えたものですね。
感心するやら、熱中するやら、初体験にして、すっかり虜になってしまいました。
ちなみに僕の成績は、7回やって2勝5敗でした。
さてさて、時は夕刻となり、交流会場のある旅館へ。
ご存知、中之条町の名湯といえば四万温泉です。
その中でも、一番の老舗旅館 「四万たむら」 に到着。
創業は室町時代、永禄6(1563)年と伝わり、旧田村旅館の祖、田村甚五郎清政氏が湯宿を始めたとされています。
現在の館主で15代目となる四万温泉最古の旅館です。
でも 「四万たむら」 が凄いのは、歴史だけではありません。
湯も凄いんです!
敷地内には10本の源泉があり、すべてが自然湧出泉で、総湧出量は毎分2000リットル以上。
うち、利用されている源泉は7本で、毎分1600リットルの豊富な湯が、館内にある8つの浴場と姉妹館 「四万グランドホテル」 の3つの浴場で、存分にかけ流されています。
以前、僕は取材で、すべての浴場に入った経験がありますが、今回は目的が違います。
部屋で旅装を解いた後、浴衣に着替え、大浴場の 「甍(いらか)の湯」 で軽く一浴しただけで、会場へ向かいました。
中之条町には、「観光大使」 「ふるさとアドバイザー」 「観光アドバイザー」に任命されている人が、現在13人いますが、昨晩は8人が出席しました。
観光大使として出席したのは、僕のほかに落語家の三遊亭竜楽さんと、歌手のRyu Mihoさんです。
2人とも、中之条町にゆかりの深い方々です。
楽しい時間は、本当に過ぎるのが早いものですね。
伊能町長のあいさつで幕を開け、乾杯の後、各々の近況報告があり、意見交換が盛んに行われました。
これからの中之条町に必要なこととは? 求められてるものは? 全国に自慢できるものとは?
それはそれは熱く、楽しく、笑いに包まれたひと時でした。
町長をはじめ町議、役場職員のみなさん、そして魅力ある大使およびアドバイザーのみなさん。
大変お世話になりました。
これからも全国に中之条町の魅力を発信していきましょう!
もちろん僕も、中之条町の温泉 「なかんじょ9湯」 を大いにPRしていきます。
2018年02月14日
キレる中高年
さるサービス業の男性(20代) が、こんなことを言っていました。
「クレーマーとは違うんです。ただ不機嫌なんですよ。上から目線っていうか、言葉遣いも荒く、イライラしている。こちらが何を言おうと、キレたように怒鳴るんです。そのほとんどが、オジサンなんですよ」
そう言われてみると、確かに僕の日常でも “不機嫌な大人たち” を見かけることが多いように思われます。
たとえば、コンビニのレジ前。
バイト店員が、もたもたしているのが許せないようで、「おい、まだかよ!」と大声を上げてる客。
決まって、オジサンです。
それも、中高年。
僕と同世代か、それ以上の還暦を過ぎた “立派な大人” です。
何をこの人は、そんなにイライラしているんだろう?と不思議に思うこと、たびたび。
だって、そのくらいの年齢になれば、人生の酸いも甘いも知り尽くしていて、分別がありそうなものじゃないですか。
それとも、「仮想支配」っていうやつですかね?
一時的でも客と店員は、“金を払う側” と “金をもらう側” の主従関係にあると勘違いしているのでしょうか?
それとも、ただの短気?
だとしたら、世の中に短気な人が多過ぎませんか?
先日、新聞を読んでいたら、10代の販売店員からの相談記事がありました。
「若い人に比べ、中高年のお客さんはキレやすく、対応に困る」
という内容でした。
おお、やっぱり!
そう感じていたのは、僕や僕のまわりだけじゃなかったのですね。
記事では、中高年がキレやすい理由として、「退職後の所在なさ」 「抑圧している敵が見えない」 などが挙げられていましたが、はたして真相は……
僕には、燃え尽きる前に、世の中から廃品のように捨てられてしまったふがいなさ感が、怒りとして放たれているようにも見えるのです。
いうなれば、自分の存在価値を、社会が年齢というルールだけで切り捨てたと。
同世代として、僕も分からなくなくもありません。
ある日、社会から 「あなたは、もういりません」 と言われたら……
でも、その時、僕はキレるのではなく、世間から消え去ることを考えるかもしれませんね。
中高年のみなさん、夢や希望を持てとは言いませんから、世間に迷惑だけはかけずに生きていきましょうね。
2018年02月12日
小さな手と手
♪ ひとりの小さな手 何もできないけど
それでもみんなの手と手を合わせれば
何かできる何かできる ♪
オヤジは93歳、体は健康ですが認知症が進んでいます。
オフクロは90歳、頭はハッキリしていますが、脳梗塞と脳出血を繰り返して、寝たきりの生活をしています。
平日は東京からアニキが実家に来て、デイサービスやショートステイの面倒を看ています。
そんな兄の負担を少しでも軽くしてあげたくて、週末は、僕の家でオヤジを引き取って面倒を看ています。
そんな兄弟二人三脚の介護生活が、もう10年近くも続いています。
「ほら、じいさんを連れてきたよ」
このところ日曜日は、僕がオヤジを連れて、オフクロが入院している病院を訪ねています。
今年になってオフクロの老衰が進み、ついに自宅介護が不可能になってしまいました。
※(入院までのいきさつについては、当ブログの2018年1月29日「トンカツと温かい手」参照)
「どこ、どこにいるの?」
あんだけ、「もう、おとうさんは連れてこなくていい」なんて強がっていたのにね。
やっぱり、会いたいんですよ。
だって、こんなにも、うれしそうなんだから。
「ほら、じいさん、手を出して」
「誰だい?」
「H(オフクロの名前) だよ」
「Hって、俺の女房かい?」
「そうだよ」
「なんで、こんなところにいるんだい?」
「……、寝ているんだよ」
「そうかい、寝ているんかい」
前回、オヤジはオフクロの名前を言っても分かりませんでした。
オフクロだけではありません。
僕のことだって、アニキのことだって分からないのです。
でもね、たまーーーーに、何かの拍子で、脳の回線がつながることがあって、一瞬だけど記憶がよみがえるときがあるのです。
「ばあちゃん、良かったね。ばあちゃんのこと分かるってさ」
寝ているオフクロの右の目尻から、一筋の涙が流れ落ちるのが見えました。
そして、左手を差し伸べています。
「ほら、じいさん。Hの手だよ」
僕はオヤジの手を取り、オフクロの手に重ねてやりました。
オヤジの体重は現在、40キロです。
オフクロにいたって、28キロしかありません。
しわくちゃでガリガリの手が、さらに小さな手をつかみます。
「痛いですよ、おとうさん」
なぜか、それを見ていた僕の頭の中に、急にあるメロディーが流れ出しました。
その昔、フォーク歌手の本田路津子が歌った 『一人の手』 という歌です。
小さな手と手が重なり合って、何ができるのでしょうか?
何もできなくてもいいから、今、この時が止まってくれたらと、思わずにはいられませんでした。
2018年02月09日
どこかで 誰かが⑧ 湯中にて
温泉に入るのが、僕の仕事です。
ですから、家では風呂に入りません。
シャワーで体を洗うくらいです。
でもね、さすがに冬は……
でも、なかなか家族と入浴時間が合わないのです。
そのたびに、湯を溜めたり、沸かし直したりするのも不経済です。
そんなとき僕は、ぷらりと近くの日帰り入浴施設へ出かけます。
行くなら、平日の一番風呂です。
湯はキレイだし、なにより、すいていますから。
で、その日も、かけ湯をしてから内風呂に入り、いったん上がって、体と頭を洗い、締めの露天風呂に浸かっているときでした。
客は、僕と離れた所に、もう一人。
そこへ、高齢の男性がやって来ました。
ウロウロ、ウロウロ……
なかなか湯舟に入ろうとせず、僕の前を行ったり来たりしています。
やがて、中央から入ったと思うと、そのままスーッと、こちらに向かってやって来て、僕の隣に沈みました。
あれ、あれれれれ????
ヘンだよ、このジイサン。
こんなに、すいているのに、なんで、わざわざ俺の隣に来るんだよ!?
も、も、もしかして、あっち系の趣味の人かしらん!
と、身構えていると、
「失礼ですが、小暮さんではありませんか?」
えっ、誰?
知らないよ、こんなジイサン。
それとも、俺がド忘れしているだけだろうか?
「はい、そうですけど……。どちらさまでしょうか?」
「私は、○×銀行のYと申します」
ますます分かりません。
○×銀行には、そんな名前の知り合いはいないし、年齢的に現役の銀行員とは思えません。
さらに警戒をしていると……
「あ、あ、申し訳ありません。初めて、お会いします。えーと、いつも新聞や本で、文章を読ませていただいています」
なーんだ!
読者だったんですね。
あ~、驚いた。
それから、その人は、僕の文章について、実に詳しく分析した感想を話し出しました。
やがて、根掘り葉掘りと僕のプライベートにまで質問をするようになりました。
「今日も取材なのか?」「住まいは、どこなのか?」「年齢は?」
もうダメです。
限界です。
何がって?
湯あたり御免!
完全に、のぼせてしまいました。
「温泉ライターのくせして、長湯が苦手なもので。すみませんが、先に上がらせていただきます」
「あ、あ……、お引止めして、もーしわけありませんでした」
ありがたいことではありますが、長湯の湯中話はいけません。
もう少しで、<温泉ライター 入浴施設で湯あたり> の見出しが新聞に載るところでした。
それにしても、どこで、誰が見ているか、分からないものですね。
2018年02月07日
おかげさまで8周年
突然ですが、みなさんは8年前、何をしていましたか?
「10年ひと昔」 と言われたのは、半世紀ほど前の話です。
たぶん現代では、「3年ひと昔」 くらいのスピードで世の中が変わっているのではないでしょうか?
だとすれば8年は、ふた昔以上も前のことになります。
前置きが長くなりましたが、おかげさまで、このブログが開設8周年を迎えました!
これも、ひとえに読者あってのことと、心より御礼を申し上げます。
いつも愛読していただき、ありがとうございます。
ブログを開設したのは、2010年2月でした。
きっかけは、その前年に上毛新聞社より 『ぐんまの源泉一軒宿』 という著書を出版したからです。
一般の旅行雑誌や情報誌には載らない、僕だけが取材で “見て” “聞いた” 話を、そのまま読者に届けようという思いから始めました。
最初は温泉の話だけのつもりでしたが、やがて講演やセミナーの情報を公開するようになり、ついには私生活の暴露にまで脱線してしまいました。
今思えば、それが長く続いたコツだったのかもしれませんね。
温泉ファン以外の人たちも読んでくださるようになりましたから。
いよいよ、9年目に入りました。
これからも末永くお付き合いくださるよう、お願い申し上げます。
<追伸>
蛇足ではありますが、このたび私、小暮淳は、当ブログポータルサイトの運営会社であります 「グンブロ」 の顧問に就任いたしました。
今後ともよろしくお願いいたします。
2018年02月05日
マロの独白(35) 犬生いろいろ
こんばんワン! マロっす。
ここんちの飼い犬、チワワのオス、11才です。
おひさしぶりでやんした。
もしかして、今年はじめての登場じゃないですかね。
ということは、あけましておめでとワンダフル!
ハッピー・イヌ・イヤー!
今年はオイラ、年男なんすよ。
戌年生まれの犬なんだなぁ~。
ご主人様も戌年生まれですから、ダブル・ワンダフルな年になりそうですよ!
ところが、そのご主人様ったら、最近なんだか元気がないんでやんす。
かなり、お疲れの様子なんだな。
仕事疲れ? なんてことはありませんよ。
だって、ご主人様は、仕事大好き人間ですからね。
今までだって、仕事で疲れた顔を見せたことなんて、一度だってありませんもの。
だったら、介護疲れかしらん……
「ねえねえ、ご主人様。大丈夫ですか?」
「なにがさ?」
「なんだか最近お疲れのようだし、なにか悩み事でもおありかと思いまして?」
「悩み事? ああ、山ほどあるよ。人間60年も生きているとな、いろいろあるんだよ。マロには分からないだろうけどな」
「えっ、オイラには分からないんですか?」
「そりゃ、そうだろう。毎日、2食昼寝&おやつ付きで、雨にも濡れず、風にも吹かれず、365日快適な部屋で、ただヌクヌク、ダラダラと生きているだけなんだからさ」
ひ、ひ、ひどすぎます!
ご主人様ったら、何があったのか知りませんけど、そこまで言いますか!?
オイラだってね、いろいろ考えて、悩んで生きているんですよ。
今日の奥様は機嫌が悪いな、とか。
今日は次女様のお帰りが遅いけど心配だな、とか。
現に、こうして、ご主人様の体調を気づかっているではありませんか!
犬だって、犬なりに、苦労があるんですよ!
「まあ、そんなにムキになるな。半分は冗談だよ」
「ということは、半分は本音なんですね?」
「だってマロを見ているとさ、時々うらやましくなるときがあるんだよ」
「オイラがですか?」
「ああ、しがらみがないものなぁ~」
「しがらみって、なんですか?」
でも、ご主人様は、オイラの問いかけには答えずに、
「マロは、知らなくっていいの。これからも、よろしくな」
とだけ言って、オイラの頭をなでると、部屋を出て行ってしまいました。
う~ん、ご主人様ったら!
オイラも、その “しがらみ” っていうやつが欲しいでやんす。
2018年02月02日
16歳へのレクイエム
「どうした? 友だち」
「うん、意識がもどったって」
「そうか、良かったな」
「でも、もう一人の子が……」
そんな会話を次女と交わしたのは、1週間ほど前でした。
その、もう一人の子が31日の夕方、息を引き取りました。
夢も未来もある16歳でした。
事故は1月9日朝、始業式の日に起きました。
前橋市内の県道で、乗用車が路側帯を自転車で走っていた高校1年生の女子に衝突。
直後に民家の塀にぶつかった弾みで横転し、自転車に乗っていた高校3年生の女子をはねました。
この2番目に巻き込まれた女子が、次女の友人でした。
※(当ブログの2018年1月12日「フラッシュバック」参照)
昨日の早朝、朝刊を見て、愕然としました。
<重体の女子高生死亡>
自分でも、体が震えるが分かりました。
なんで、なんで、死んじゃうの?
この子は、何も悪いことなんて、していないじゃないか!
心の叫びが、ますます体を震わせます。
人生には、“まさか” という 「坂」 があるといいます。
あの日、あの時、彼女が北風を切って自転車を漕いでいた坂道が、その “まさか” だったというのでしょうか……
真っ先に僕の脳裏に浮かんだのは、ご両親のこと。
だって、他人事ではありませんもの。
もし、あの日、道が違っていたら、我が子だったかもしれないのです。
何よりも僕ら夫婦は、過去に同じ境遇に遭っているからです。
※(当ブログの2017年3月6日「通れない道」参照)
あの時、僕らは一心に祈りました。
神様、仏様、ご先祖様にも、八百万の神々すべてに。
そして、幸いにも願いが届き、息子はもどって来ました。
でも今回、その願いは届かなかった。
一日も早い回復を願って千羽鶴を折っていたクラスメートたち。
事故を知ったたくさんの人たちの願いを、神様は聞いてくださらなかったのですね。
乗用車を運転していたのは85歳の高齢男性でした。
調べに対して 「気が付いたら事故を起こしていた」 と供述しています。
被害者だけじゃありません。
加害者にも “まさか” の下り坂があったのです。
そして、ここにも家族がいます。
85年間生きてきて、本人も残りの人生を平穏に送りたいと思っていたことでしょう。
家族も同様です。
長い長い人生の結末としては、最悪のシナリオを描いてしまいました。
でも、罪は罪です。
たった16年で旅立ってしまった命の代償は、つぐなってもらわなくてはなりません。
そして、これから先、このような悲惨な事故が起こらないよう国を挙げて対策を考えてほしいものです。
で、僕から1つ提案です。
75歳以上のドライバーには、免許の条件に 「自動ブレーキシステム搭載車のみ可」 を加えてほしいのです。
その条件を満たせない場合は、自動的に免許返納となります。
太田さくらさんのご冥福をお祈りいたします。