温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2015年12月31日

2015 随想


 今年も残り3時間を切りました。
 みなさんは、どんな1年間でしたか?

 毎年恒例ではありますが、僕も今年を振り返ってみたいと思います。


 漢字一文字で表現するならば、迷わず 「労」 という字が浮かびます。
 疲労、過労、心労の “労” です。
 とにかく、いつも疲れていました。

 それは仕事だけではなく、両親の介護も大きな要因だったと思います。
 その結果、昨年より13㎏も体重が減少するという珍事件(?) が発生!
 いまだに原因は不明であります。
 でも、おかげで血圧は下がるし、頭痛、腰痛、胃痛、肩こりが解消され、以前よりだいぶ健康になりました。


 <温泉>
 今年1年間で訪ねた温泉地(宿) は、68回でした。
 昨年は97回でしたから、かなりトーンダウンしたことになります。
 でも体力的には、これくらいの回数がちょうどいいですね。
 年間80回を超えると “万年湯あたり” 状態になり、100回近くになると体が “温泉拒否” を起こしますもの。

 <出版>
 おかげさまで今年も5月に、シリーズ7冊目となる 『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) を上梓することができました。
 発行部数は、シリーズ合計5万部を突破しました。
 これも、ひとえに根強い温泉ファンや読者に支えられているおかげであります。
 いよいよ、来年はシリーズ第8弾の温泉本が出版されます。
 現在、執筆中! ご期待ください。

 <講演>
 今年は12回の講演会を開催することができました。
 企業や団体からの依頼がほとんどですが、なかには一般公開もいくつかあったため、ブログの読者も会場に駆けつけてくださいました。ありがとうございました。
 ざっと数えても、1,000人以上の人の前で温泉の話をしたことになります。
 さて、来年はどんな場所で、どんな人たちと出会えるのでしょうか?
 とても楽しみです。

 <メディア>
 地元のテレビやラジオ番組には、レギュラーも含め何度も出演させていたたきましたが、やはり今年の一番のニュースは、1月にテレビ東京の 『にっぽん! いい旅』 に出たことでしょうかね。
 元宝塚女優の遼河はるひさん、元グラビアアイドルのかとうれいこさんと雪の万座温泉を旅しました。
 まー、反響もローカル局の比ではありませんでしたね。
 県外にいる知人や同級生から電話やメールが続々届きました。
 さすが、テレ東の人気番組です。


 点数を付けるならば、70点ぐらいでしょうか。
 ズバ抜けた良い事も、悪い事もなかった、平均点の年だったと思います。
 でも、決して手を抜いたわけではなく、それなりに頑張った1年だったと自分で自分を評価します。
 今年した苦労や努力は、きっと来年や再来年に実になると信じているからです。

 さてさて、そろそろ年神様をお迎えする準備をしましょうかね。
 読者のみなさん、今年も大変お世話になりました。
 ありがとうございました。
 来年も、引き続きご愛読のほど、よろしくお願いいたします。

 それでは、良い年をお迎えください。


   2015年 大晦日  小暮 淳
   


Posted by 小暮 淳 at 21:50Comments(0)つれづれ

2015年12月30日

言葉の力 ~カレンダーへの思い~


 <本日、仕事納めです。有休ですが、「最終日ぐらいは…」 と今年買ったスーツを着て、無駄に出社しています。>
 そんな楽しい書き出しで始まるメールが届きました。
 そして、
 <たぶん私は、年末に先生からの言葉が欲しいからカレンダーを送るんだと思います。>
 と続きます。

 メールの送信主は、某女性編集者。
 毎年、年末になると必ず、卓上のカレンダーを送ってくれます。

 「ああ、今年も、もう、そんな時季か……。一年は早いなぁ~」
 なんて言いながら、今年のカレンダーの隣に、そっと置くのです。
 そして、1月、2月、3月、4月・・・
 と、まっさらなページを眺めては、
 「いったい来年は、どんな年になるのだろうか?」
 なんて、勝手に未来予想しながら、ワクワクしたり、ドキドキしたり、ソワソワしているのです。

 ひと通り、12月まで夢想をしたら、パソコンを開いて、彼女にお礼のメールを打ちます。
 いつしか、これが僕の年末の恒例行事となっています。


 <「言葉」 の力を信じる者として、今年も一番尊敬する先生からのエネルギー溢れるメールを胸に、年越しを迎えたいと思います。>
 そんな、うれしい言葉で締めくくられていました。

 “言葉の力”
 いいですね。
 編集という仕事に情熱を燃やしている彼女らしい表現です。

 送られた言葉に恥じないよう、来年もブレることなく、ありのままの自分で生きていこうと思います。

 Kさん、ありがとう!
 良い年を迎えてくださいね。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:25Comments(0)つれづれ

2015年12月28日

納詣のすすめ⑤ 終わり良ければすべて良し


 今年も無事に、納詣(のうもうで) を済ませることができました。

 納詣とは、もちろん僕の造語です。
 かれこれ20年近く、毎年欠かさず行っています。

 初詣は、新年に神様にお願い事をしますが、納詣は、その逆です。
 年末に、初詣でお願いした事の “結果報告” をしに行きます。
 ※(詳しくは、当ブログの2010年12月27日 「納詣のすすめ」、2012年12月30日 「納詣のすすめ②」 をご覧ください)


 今日は、雲一つない師走晴れ!
 風もなく、おだやかな陽気は、絶好の納詣日和です。

 ふだんから僕は、オヤジとの散歩の途中で、実家近くの氏神様に参拝していますが、その時の願い事は、いつも両親の健康のことばかりです。
 なかなか自分のことは、神様に報告できずじまいでいます。
 だから今日は、思いっきり、1年間の出来事と初詣で誓った願い事の達成度合を報告してきました。

 毎年、決まって参拝している神社は、全国に分社を持つ、総本山であります。
 初詣には、何万人という人でごった返す広い境内も、年の瀬が押し詰まった今日は、僕以外の参拝客は人っ子ひとり、見当たりません。
 シーンと静まり返った本殿の前で、手を合わせました。

 「神様、約束どおり、今年もこうして健康で、お参りに来ることができました」
 そんな、あいさつから始まります。
 仕事のこと、家族のこと、両親のこと、嬉しかったこと、辛かったこと、悔しかったこと・・・。
 包み隠さずに、すべてを報告します。

 二礼、二拍手、一礼

 参拝を終えて、振り返ったときに見上げた青空のすがすがしいこと!
 すーーーっと、心の中が浄化されていくのが分かります。

 人が1年間、真面目に一生懸命に生きていれば、いろんなことがあります。
 楽しいこともたくさんあったけれど、涙をこらえて歯を食いしばったことだってありました。
 良いことも、悪いことも、いっぱいあって、その人の1年なんですね。

 終わり良ければ、すべて良し!


 みなさんも、納詣に出かけてみませんか?
 とっても気持ちが良いものですよ。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:30Comments(0)つれづれ

2015年12月26日

ゲゲゲの七ヶ条


 今年も残り、あと5日です。
 もう年賀状は出しましたか?
 僕は……、ええ、半分くらい書きました。

 ところで今年は、例年に増して喪中ハガキが多いんですよね。
 ま、親の年齢を考えれば、当たり前のことなんですけど。
 それにしても多い!
 享年を見ると、うちの両親よりもみんな若いんですよ。
 つくづく、オヤジとオフクロは長生きなんだと思います。

 今年は、芸能人の訃報も多かったですね。
 俳優の今井雅之さんや女優の川島なお美さんは、僕よりも年下だったこともあり、大変ショックでした。
 個人的には、年末になって入ってきた漫画家の水木しげるさんの逝去であります。
 ご高齢でしたから仕方がないのでしょうが、“妖怪”は死なないと思っていましたから……。
 いや、死んでめでたく妖怪になられたのかもしれませんね。


 そんな漫画界の巨星、水木先生が生前に唱えていた 「幸福の七ヶ条」 というのがあるのをご存知でしょうか?
 何十年にわたって、世界中の “幸福な人” と “不幸な人” を観察してきた先生が、体験から見つけ出した 「幸せになるための知恵」 なのだといいます。

 <第一条>
 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
 <第二条>
 しないではいられないことをし続けなさい。
 <第三条>
 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
 <第四条>
 好きの力を信じる。
 <第五条>
 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
 <第六条>
 怠け者になりなさい。
 <第七条>
 目には見えない世界を信じる。

 ことのほか、僕は第五条が胸に響いています。
 解釈はいろいろでしょうが、きっと先生は 「努力が無駄なのではなく、好きの力を信じて、しないではいられないことし続けていれば、努力も楽しいものだよ。収入なんて二の次、三の次でいいじゃないか」 と、おっしゃっているんだと思います。

 みなさんは、どう思われましたか?
  


Posted by 小暮 淳 at 12:31Comments(0)つれづれ

2015年12月24日

謎学の旅はつづく


 2005年2月から2006年9月までの1年半、僕は前橋市の生活情報誌 『月刊ぷらざ』 に、「編集長がゆく」 というドキュメントエッセイを連載していました。
 これは、いわば編集後記のようなもので、編集人だった僕が1号1話、気になる県内の謎を解いていく人気のシリーズでした。

たとえば、“高崎に日本一小さい湖があった” とか “前橋にウナギを食べない住民がいた” とか “浦島太郎の墓が伊勢崎にあった” とか “本当にキュウリを食べない人たちがいた” などなど。
 バカバカしいけど気になる謎や不思議を、大真面目に解明していくエッセイだったのです。
 ※(エッセイの一部は、このブログのカテゴリー 「謎学の旅」 より閲覧できます)


 雑誌の休刊とともに余儀なく連載も打ち切りとなってしまいましたが、翌年2007年8月からは、同じ流れをくむシリーズの連載が、高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』 で始まりました。
 「謎学の旅」 と 「民話と伝説の舞台」 です。
 こちらは、現在でも不定期ながら連載が続いています。

 と、いうことで、今日は今年最後の取材に行ってきました。


 場所は、県南西部にあるK町。
 この町には、日本全国に3ヶ所しか存在しない、とっても希少で不思議な “場所” が存在します。
 もちろん、群馬県内では、ここだけにしかありません。

 まずは役場の教育委員会を訪ね、文化財保護係の人に話を聞いてきました。
 事前に趣旨を話し、取材申し込みの連絡を入れてあったので、資料を用意して待っていてくださいました。

 次に、地元住民への聞き込みです。
 「昔は、血のように真っ赤だったのよ。だから、あんな名前が付いたんだと思いますよ」
 なーんていう、生々しい声まで拾ってきました。

 「すぐ近くに、確か古い神社がありました。そこへ行けば何か分かるかもしれませんね」
 そう言って、わざわざ地図を持ち出して、場所を教えてくださった人もいます。

 そして、いよいよ現場へ!


 「本当だ! 今でも赤いですよ!」
 そう言って駆け出し、シャッターを切り出した同行のカメラマン氏。
 「ん~、きっと昔の人は、この光景に地獄絵を重ねていたんだろうね」
 と僕。

 「この先に、名前の由来を記した古文書がある寺があります」
 「だったね、行ってみようじゃないか!」

 謎学の旅はつづく……。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:59Comments(0)取材百景

2015年12月23日

イブイブの夜に


 クリスマスの想い出といえば、やっぱり、子どもの頃にサンタクロースからもらったプレゼントの数々でしょうかね。
 毎年、毎年、願い事を書いた紙を母親に渡して、プレゼントが届くのを待っていました。

 一番記憶に残っているのは、鉄腕アトムのマスクとベルトが入った変身セットです。
 大好きだったアトムになり切って、一日中、アトムの格好をして遊んでいたことを覚えています。

 ある年の冬。
 「サンタクロースっていないんだよ」
 と友だちに言われて、
 「そんなことないよ。だって、うちには毎年来るもの!」
 と、ムキになって言い返したときの切ない思い。

 もしかしたら……と、うすうす気づいていただけに、友だちから告げられたサンタクロースの正体を泣く泣く心の中では認めざるをえませんでした。


 月日は流れて大人になって、我が家の子どもたちにも毎年、サンタクロースがやって来るようになりました。
 ある年のクリスマスの朝。
 長女がプレゼントを抱えて、パジャマ姿のまま2階から下りてきました。
 あまり、うれしそうな顔をしていません。

 「うわ~、よかったな。サンタさんから何をもらったんだい」
 「ゲーム」
 「それ、お前が一番欲しかったゲームだろ!」
 「うん……」
 「うれしくないのか?」
 「うれしいよ」
 「だったら、なんで、そんなムズカシイ顔をしているんだ?」

 すると長女は、こんなことを言うのでした。
 「あのさ、サンタさんって、どこから来るんだっけ? 日本じゃないよね」
 「ああ、遠い北の寒い国から、ソリに乗ってやって来るんだよ」

 「・・・」
 「それが、どうかしたか?」
 「じゃあ、B堂書店って、世界中にあるんだね」
 「えっ?」

 娘が手にしたプレゼントの包み紙に、B堂書店のキャラクターと文字がデザインされていたのでした。

 「あ、あ、そうだよ。いや、もしかしたらサンタさんは日本に来てから買ったのかもしれないね」
 苦しまぎれの言い訳をしたことは、言うまでもありません。


 そんな長女も、今や1児の母親です。
 今頃は、亭主と一緒にサンタクロースを招く準備をしているかもしれませんね。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:10Comments(2)つれづれ

2015年12月22日

あっぱれ! 草津温泉


 さすが、東の横綱であります。
 先日、発表された旅行会社など旅のプロが選ぶ全国の温泉ランキング 『第29回 にっぽんの温泉100選』 で、またしても草津温泉(草津町) が1位になりました。
 これで13年連続の1位であります。

 向かうところ敵なし!
 在りし日の 「北の湖」 のような、憎らしいほどに磐石の強さを誇っています。

 ちなみに2位は由布院(大分)、3位は下呂(岐阜)、4位は別府八湯(大分)、5位は有馬(兵庫) の順。
 いやいや、長年のライバルとはいえ、大分県も見事であります。
 ベスト5に、2つもランクインしていますものね。

 いえいえ、群馬県も負けていませんぞ!
 なんと100位内には、草津温泉を援護するように四天王が、しっかりと脇を固めております。
 14位に伊香保(渋川市)、29位に万座(嬬恋村)、42位に四万(中之条町)、80位に水上(みなかみ町) というそうそうたる顔ぶれが揃いました。

 いや~、気持ちがいいじゃありませんか!
 “湯の国 ぐんま” の実力と風格を全国に見せ付けたランキング結果であります。
 と、いうことは、名実共に群馬が日本を代表する “おんせん県” であり、温泉といえば群馬であり、群馬といえば温泉であるということです。


 県の観光関係者のみなさんは、群馬には 「アレもある、コレもある」 と欲張ったことを並べているようですが、そろそろ温泉一本でいきませんか?
 そのほうが知名度ランキングも、一気に上がると思うんですけどね!
  


Posted by 小暮 淳 at 22:39Comments(2)温泉雑話

2015年12月21日

納演


 今年は、例年に増して講演やセミナーの講師を頼まれることが多い年でした。
 数えてみたら12回。毎月、どこかで温泉の話をしていたことになります。

 今日は、今年最後の講演会でした。

 会場は、前橋市中央公民館ホール。
 主催は 「明寿大学」 という、60歳以上を対象とした高齢者教室です。
 そして集まった聴講者は、約400名!

 今年のフィナーレを飾るのにふさわしい大きな講演会となりました。


 実は 「明寿大学」 で講演をするのは、今回で2度目なんです。
 4年前にも、講師を務めました。

 「前回は50代前半でしたが、あれから4年がたって、僕も50代後半になってしまいました。次回は、きっと、そちら側に座っていると思います」
 開口一番、ドッと笑いが巻き起こり、つかみはOK!
 一気に2時間を超える長い講演を熱弁してまいりました。

 とにかく驚いたのは、みなさん、とても真面目だということ。
 400人もいて、一人としてオシャベリしている人はいません。
 熱心に聞いてくれて、時にうなづきながら、メモを取っています。

 さすが “大学” と名のつくだけあります。

 さらに休憩時間や講演終了後には、わざわざロビーや控え室まで来て、僕に話しかけてくださいました。
 「新聞連載を読んでいました」 「テレビを見ています」 という人もいれば、具体的な温泉名を挙げて専門的な質問をされる人もいました。

 一番多かったのが、著書についての問い合わせ。
 実は、前回は著書の販売ができたのですが、今回は公民館の規約が変わり、本を売ることができなかったのです。
 「どの書店へ行けば買えるのか?」 「講演で話していた温泉について知りたいが、どの本を買ったらいいのか?」 など、やはり熱心な方たちばかりでした。


 90分を超える講演って、けっこう体力的にハードで疲れるものです。
 毎回、汗びっしょりになるのですが、でも、この脱力感と充足感がクセになってしまうんですね。
 取材をして、原稿を書くという地道な作業とは対極にある、ライブの魅力なんでしょうな。
 壇上に立つまでのワクワク感とドキドキ感が、たまらないのです。


 来年も、すでに何本かの講演依頼が入っています。
 どんな町で、どんな人たちとお会いできるのか、今からとても楽しみであります。

 今年、僕を呼んでくださった主催者のみなさん、お世話になりました。
 そして、会場に足を運んでくださった聴講者のみなさん、ありがとうございました。
 おかげさまで、とっても楽しい1年でした。
 この場を借りて、お礼を申し上げます。

 また、お会いできる日を待っています。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:06Comments(2)講演・セミナー

2015年12月20日

魔法の言葉


 「おとうさん! やめてください。それは違います! 私のです!」
 突然、1階のリビングからオフクロの叫び声が聞こえてきました。
 あわてて部屋に駆け込むと、オヤジが箸も使わずに、直接、お椀に口をつけて、みそ汁を飲んでいます。 

 「どうしたんだよ? 大声を出して」
 「おとうさんが、私のを食べているんだもの」
 ベッドから身を乗り出したオフクロが、血相を変えています。

 「じいさん、ダメじゃないか! それは、ばあちゃんのだよ」
 「じゃあ、オレのは、どれだい?」
 「自分のは、もう食べたでしょ?」
 「・・・」
 「さっき、食べたの!」
 「食べたのか?」
 「そう、食べたの。ごちそうさまをして、歯を磨いたでしょ」
 僕は、てっきりオヤジは、歯を磨いて、2階の部屋へ行ったと思っていましたが、ちょっと目を離したすきに、またリビングに戻ってきてしまったようです。

 毎度のことですが、オヤジは認知症のため、記憶がものの1分と持ちません。
 食事をしたことも、歯を磨いたことも、済んだ後から忘れてしまいます。
 以前だったら僕もイライラして、もっと大声を上げて、オヤジを叱りつけていたんですけどね。
 それって、逆効果なんですよ。

 叱りつけると、いじけてしまい、しまいには 「死にたい」 なんて言い出すし、その逆に、「いつからお前は、そんなに偉くなったんだ!」 なんて怒り出したりもしますから。
 とにかく、扱い方が難儀なのであります。

 ま、そんなときは、こっちが知恵をつけて、上手に接するしかありません。
 赤子をあやすのと、同じです。
 「は~い、いい子ちゃんですね~。ガラガラして遊びましょうね~」
 ってな具合に、機嫌をとってやればいいのです。


 「じいさん、散歩、行こうか?」
 「・・・」
 「さ、ん、ぽ!」
 すると、
 「ん! 散歩か!? うん、行くよ、行く、行く!」

 もう、食事のことなんて忘れています。
 さっさと立ち上がり、帽子をかぶって、手袋をして、靴を履いて、ステッキを持って、中庭に立っているのです。

 「ありがとね。では、いただきます」
 とオフクロは、やっとベッドから降りてきて、食卓に着きました。
 「ああ、散歩へ行っている間に、ゆっくり食べなよ」


 “散歩” は、魔法の言葉なんです。
 でも、このおまじないは、雨の日には使えないんですよね。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:29Comments(0)つれづれ

2015年12月19日

霧積温泉 「金湯館」⑥


 「群馬で一番の秘湯は、どこですか?」
 そう問われたら、迷うことなく 「金湯館」 と答えるでしょうね。


 霧積温泉は、群馬と長野の県境にある鼻曲山(1,655m) の登山口にあります。
 標高1,180メートル。
 車道のできる昭和45年以前は、信越本線の横川駅から徒歩で3時間以上もかかったといいます。

 今は車で行けるようになったといえ、その道程は、かなり険しい山道であります。
 横川を過ぎてから国道18号を分岐して、碓氷峠を越える旧道へ。
 さらに旧道から分かれ、右手に霧積湖を眺めつつ走ると、やがて道幅は次第に狭くなり、対向車とのすれ違いが不可能なほどの細道に。
 約20分のスリリングなドライブを楽しんだ後、林道の終点であり、鼻曲山の登山口である、旧きりづみ館前の駐車場に着きます。

 夏場なら、ここから “ホイホイ坂” と呼ばれる登山道を約1km(約30分) 歩くのですが、今は冬!
 電話をして、宿の人に迎えに来てもらうことにしました。


 「お久しぶりです」
 「また、お世話になります」

 4WD車で迎えに来てくれたのは、霧積温泉の一軒宿、金湯館の4代目若主人の佐藤淳さんです。
 ここからは一般車両は通行禁止の、さらに険しい悪路の山道を上ります。

 右へ左へ、ガードレールもない、つづら折りの道を約10分ほど揺られます。
 「初めて来られた方は、みなさん想像以上の秘湯だと驚かれますね」
 「でしょうね。僕は何度来ても、毎回驚きますよ(笑)」

 「はい、着きました。まずは、部屋でくつろいでください」
 「ありがとうございます。あとで、お時間をとってください。また近況を少し聞かせていただきたいものですから」
 「分かりました。今日はヒマですから、いつでもいいですよ。都合の良い時間に、声をかけてください」
 「よろしくお願いします。では、また後ほど」

 そう言って、車外へ降りると、もう、そこは極寒の秘境の地!
 聞けば、すでにマイナス2℃!
 思いっきり、身震いをしてしまいました。

 眼下には、冬枯れた木立の間に、赤い屋根の建物が寄り添うように並んでいます。
 足元に注意をしながら、崖を下って、谷底へ。

 「いらっしゃいませ」
 赤々と揺れるストーブの炎とともに迎えてくれたのは、3代目女将のみどりさん。
 「お久しぶりです」
 僕が女将さんに、お会いするのは2年ぶりです。
 前回は、昨年出版した 『新ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) の取材でした。
 その本が、フロントで売られていました。


 昨晩、泊まった部屋は 「ききょう」 の間。
 僕の一番好きな部屋です。
 だって、窓を開ければ、目の前に水車が回っているからです。

 ギギギギー
 時おり、鈍い音を立てて、高さ3mもある大きな水車が回り出します。
 見れば、水車へ水を送る木製の樋からしみ出す水が凍って、氷柱のカーテンを作り出しています。

 何はともあれ、この冷え切った体を温めなければ・・・
 と、湯屋へ向かったのでありました。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:08Comments(2)温泉地・旅館

2015年12月17日

けっぱれ! 弁天通り商店街


 前橋市の中心街には、9つの商店街があります。
 一番北、立川通りと広瀬川を結ぶ全長約150メートルの小さな商店街が、弁天通り商店街です。
 全国でも珍しい、曲がりくねったアーケードの商店街だって、知っていますか?

 弁天通りといえば、前橋っ子の僕が思い出すのは、子どもの頃に親に連れて行ってもらったカレーライスが有名な洋食店の 「ポンチ」 と、高校生の頃に女の子とデートに使った今は無き喫茶店の 「薔薇」 でしょうかね。
 時々、懐かしく思いながら通り抜ける道です。

 そう、今では通り抜けるだけのさびれた商店街になってしまっているのです。
 そこで、昭和の頃のあの活気をもう一度、呼び起こそうじゃないか! 昔のような元気な街にしたい! と、立ち上がった人たちがいます。


 群馬県デザイン協会の企画による 『弁天通り商店街ポスター祭り』 が開催されているので、さっそく初日の今日、行ってきました。

 この企画は、群馬県在住のクリエイターたちが商店街の30店舗の店を、それぞれが担当してポスターを制作するというもので、1店に対して2枚組みのB全ポスターが展示されています。

 僕の友人も4名が参加しています。
 クリエイティブデザイナーの桑原一氏、デザイナーでイラストレーターの栗原俊文氏、イラストレーターの飯塚裕子氏、グラフィックデザイナーの大野美文氏です。
 僕とは、本や雑誌の制作で関わっている大切な仕事仲間であります。

 それぞれが個性あふれる表現をしていて、しばらく通りにたたずんで見入ってきました。


 ただ、残念だったのは、ポスターに番号がふられているだけで、製作者の名前やプロフィールが見当たらなかったこと!
 これでは、せっかくの素晴らしい企画も台無しです。

 また、商店街にイベントを告知するポスターや案内看板が見当たりません!
 そのため通行人は気づかず、まったく足を止めていませんでした。

 「ああ、もったいない」
 これが、僕の感想です。
 せっかく、ここまでやるのなら、大々的に宣伝をして、会場に人を呼ぶ工夫が欲しいものです。

 関係者のみなさん、会期は長いので、ぜひ、もうひと工夫して、もっとたくさんの人たちに作品を見てもらってくださいな。

 けっぱれ! 弁天通り商店街



    『弁天通り商店街ポスター祭り』
 ●会期  2015年12月17日(木)~2016年1月17日(日)
 ●会場  前橋市弁天通り商店街 特設スペース
   


Posted by 小暮 淳 at 22:12Comments(2)ライブ・イベント

2015年12月16日

湯田中温泉 「よろづや」②


 “守り継ぐ湯 語り継がれる宿”

 これは、僕がサインを求められたときに、よく色紙に書く言葉です。
 まさに、この言葉にふさわしい宿に行ってきました。


 湯田中温泉(長野県) の老舗旅館 「よろづや」 を訪ねるのは3年ぶりです。
 確か前回は、けやきウォークのカルチャーセンター主催の温泉講座でした。
 今回は、僕が毎月講師を務めているNHK文化センター主催による温泉講座で行ってきました。

 実は僕、3年前に訪ねたときから、恋をしてしまったのです。
 といっても、ここの女将さんとか、従業員の女性にではありませんよ。
 ズバリ! 「湯殿」 であります。
 以来、僕のケータイの待ち受け画面になっています。


 「今日は、今年最後の温泉講座です。今年のフィナーレにふさわしい温泉を用意しました。みなさんも絶対に感動すると思いますよ。僕の大好きな温泉で、たぶん、湯殿建築としては5本の指に入ると思います」
 と、バスの中でも少々興奮気味の僕でした。

 このドキドキ感、ソワソワ感ってなんでしょうね?
 なんだか、まるで恋人に会いに行く時の気持ちに似ています。


 「よろづや」 は江戸時代、寛政年間の創業。すでに200年以上の歴史があり、伝統と格式を継承する湯田中屈指の名旅館です。
 和の様式が生かされた近代的な本館と、木造三階建ての数寄屋造りの「松籟荘(しょうらいそう)」。
 松籟荘は昭和14年の建造。屋久杉やケヤキの一枚板などを用いた贅を尽くした造りで、国の有形文化財に指定されています。

 そして極めつけは、内風呂の「桃山風呂」 であります。
 唐破風の玄関屋根を持ち、天井は寺院に見られる伽藍建築様式を用いた優雅な造り。
 脱衣場の欄間に施された緻密な彫刻美も見事です。
 昭和28年の木造建築で、こちらも国指定の有形文化財です。

 ひと言でいうなら、とにかく “美しい” のです。
 まるで寺の本堂の中で、湯を浴んでいるよう!
 大きな楕円形の浴槽には、惜しみなく上質な湯がかけ流されています。

 泉質は、ナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉。
 湯は湧き水のように澄んでいて、サラリとして肌によく馴染む弱アルカリ性。
 湯の中で肌をさすったときのキシキシッとした感触が、ちょっと個性的で僕好みなんです。
 女性でいうと、深窓の令嬢タイプかな?
 高貴な雰囲気を醸し出しています。

 そして圧巻は、約70畳の広さを誇る大野天風呂!
 石灯籠や高さ10メートル以上もある五重塔が配された庭園を眺めながら、至福の時を過ごしました。


 「今年も1年間、お世話になりました。では、カンパ~イ!」
 湯上がりのビールの味も、ひとしおであります。

 「先生、今年で1番いい風呂だったよ」
 「いや、今までで1番だな」
 なんて、受講生たちも大満足の様子。

 「では今回は、星3つですね!?」
 「はーい!」

 この調子で、来年もたくさんの名湯・秘湯をめぐりましょうね!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:55Comments(3)温泉地・旅館

2015年12月14日

神様のおかげ


 「やっぱり、神様はいるんだよ」
 「えっ?」
 朝食の最中に突然、オフクロが言い出しました。

 「なんだよ、いきなり」
 「夕べから、ずーっと考えていたんだけど……。でも、やっぱり神様はいるんだよ」


 実は前の日の夜、オフクロとちょっとした言い合いになりまして、そのことを気に病んでいたようです。
 夕食の時のことです。オフクロがこんなことを言いました。

 「まさかお前が、物書きになるとはねぇ。てっきり音楽の道へ進むと思っていたよ」

 確かに僕は10代の頃から作曲をしていて、学校も音楽の専門学校へ通っていました。
 オフクロに言われるまでもなく、本人だって、そのつもりで20代を過ごしていました。
 でも、人生には自分の思い通りに行かないことが、多々あるのです。
 たまたま挫折の後に探し当てた人生が、“ライター” という職業だっただけのことです。

 「でも良かったね」
 「なにがさ?」
 「好きな仕事に出合えてさ。本もたくさん書いて、人の喜ぶことをしているじゃないか」

 そこで僕も 「そうだね」 と素直に言葉を返しておけば良かったのですが、ついつい仕事と介護の疲れからか、グチってしまったのであります。

 「そのぶん、いまだに “貧乏ヒマなし” だけど」
 するとオフクロは、
 「大丈夫、神様は、ちゃんと見ているから」

 出ました~! オフクロの十八番! 
 子どもの頃から、耳にタコができるほど聞かされてきた言葉です。
 ふた言めには、「神様は見ている」 と言われて育ってきました。

 「かーちゃんさ、本当に神様っているのかね? いても、オレのことは見てないんじゃないの?」
 「なんで、そんなことを言うんだい? バチが当たるよ」
 「もう、いいよ、その話! さっさと飯を食ってくれよ。いつまで経っても洗い物が終わらないだろ!」


 実の親子ですから、虫の居所が悪いときだってあるのです。
 僕も疲労からイライラしていたのかもしれません。
 でも、そんな、たわいのない口論だったのです。
 一夜明けて、僕のほうは、すっかり忘れていました。

 「お前んちは、あんなにいい子が3人も授かったじゃないか」
 「・・・」
 「しかも、R (僕の長男) なんて、死んでいたかもしれないのに、助けてもらったじゃないか」

 なんのことかと言えば、僕の長男は高校生のときに交通事故に遭って、3日間も意識が戻らない大ケガをしたのです。
 ところが3日目に、パッと目を覚まして、あの世から返って来ました。
 九死に一生とは、このことです。

 「あれは、誰のおかげだい? 神様だろう? だから、やっぱり神様はいるんだよ」
 そう言ってオフクロは、勝ち誇ったように食後のお茶を飲み干しました。


 以来、僕は機嫌が悪くても、オフクロに当たるのをやめました。
 だって、神様が見ているかもしれませんから。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:36Comments(2)つれづれ

2015年12月12日

フレンチカレー


 ♪ わ~、ショッピング!
   やっぱ~り 前三 いつも 前三 ♪


 昭和39年(1964)、前三百貨店は群馬最大のショッピングデパートとして、前橋市の中心商店街に誕生しました。
 地上6階、地下1階。屋上には観覧車まで設置した遊園地がありました。
 エレベーターはもちろん、エスカレーターだって珍しい存在でしたから、小学生だった僕は、上がったり下りたりを繰り返して、友だちと遊んだものでした。

 冒頭の歌は、当時、地元のテレビ局で流れていたCMソングです。
 前三へ買い物に行く時には、よく歌いながら出かけたものでした。

 子どもにとっての最大の楽しみは、もちろん遊園地でしたが、もう1つの楽しみが、最上階にあったレストランでの食事でした。
 そう、洋食っていうやつを初めて食べたのも前三です。

 お子様ランチの国旗は、必ず持ち帰りましたね。
 でもね、何よりも一番の衝撃だったのが、「フレンチカレー」 なる食べ物でした。
 実は、今でいうカツカレーのことなんですけどね。
 前三では、なぜか 「フレンチカレー」 というネーミングだったのです。

 トンカツとカレーライス、どちらか1つでも贅沢だった時代です。
 もちろん、いつも食べられるメニューではありません。
 誕生日やクリスマスなど、特別の日にだけ、親が許してくれたスペシャルグルメだったわけです。


 そんな僕ら前橋っ子たちの思い出がいっぱい詰まったテーマパークは、昭和60年の12月に閉店してしまいました。
 あれから、ちょうど30年!
 今年は、昭和でいうと90年という節目の年ということで、現在、前橋市中心商店街では 『昭和九十年 あの頃に会える 前橋昭和博覧会』 と銘打って、さまざまなイベントが行われています。

 たとえば、「昭和ミニチュア幻影館」(前橋スズラン別館)、「前橋原風景写真展」(中央通り マチナカさん)、「昭和のレコードジャケット展」(前橋まちなか音楽館)、「昭和ジオラマ・模型展」(前橋テルサ) などなど。
 なかでも、やっぱり僕の一番のお目当ては、前三跡地に建つ前橋テルサの1階ロビーで開催されている 『あの賑やかな時が蘇る 前三百貨店復活祭』 であります!

 当時の大きな外観写真のパネルを見ただけで、もう懐かしさで胸がワクワク、ドキドキしてきます。
 エレベーターガールや店内の写真、包装紙やチラシ広告まで展示されています。

 今、見ると、確かに昭和って、はるか遠い時代なんですね。
 でも、ただ単にノスタルジーだけではなく、今よりも不便だったけれど、とっても日本が元気だったあの頃に、あこがれている自分がいました。


 『前橋昭和博覧会』 は、明日13日(日) までです。
 興味のある方は、ぜひ、出かけてみてください。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:54Comments(2)つれづれ

2015年12月11日

雪見の湯宿


 古い和風建築の旅館に泊まると、小窓の付いた障子戸を見かけることがあります。
 「雪見障子」 って言うんですってね。
 ん~、昔の人は、なんて風流なことを考えたんでしょう。

 「だいぶ冷えてきたな」
 「雪でも舞ってきたのでしょうか?」
 「どれどれ……、本当だよ。君の言うとおりだ」

 なーんてね。完全に川端康成の世界であります。


 僕が講師を務める温泉講座でも、毎年この時季は、あえて県北部や新潟、長野の雪深い温泉を訪ねます。
 それは受講生たちの要望なんですね。
 「せっかく講座で行くんですから、ふだんは行けない豪雪地帯の温泉に入りましょうよ」
 ということです。

 過去には、吹雪の中で露天風呂に入ったこともありましたっけね。
 景色も人の顔も、何も見えず、みんな首から上が雪ダルマになってしまいました。
 でも、これはこれで、いい思い出であります。


 と、いうことで、僕がコメンテーターを務めている群馬テレビの 『ニュースジャスト6』 では、次回、群馬県内の雪見ができる宿を特集します。
 ま、雪の降る温泉地はたくさんありますけど、その中でも実際に僕が泊まって印象深かった宿と風呂を紹介したいと思います。
 お楽しみに!



 ●放送局  群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●番組名  「ニュースジャスト6」
        NJウォッチのコーナー
 ●出演日  12月14日(月) 18:00~18:35
 ●ゲスト  小暮 淳 (温泉ライター)
 ●テーマ  「雪見の湯宿」
   


Posted by 小暮 淳 at 11:22Comments(0)温泉雑話

2015年12月09日

高崎観音山温泉 「錦山荘」④


 ♪ 秋の日脚は観音山に 落ちて夕闇立田の姫も
   織るが紅葉の錦山荘は 浮世離れた別天地 ♪


 これは昭和初期にブルースの女王として知られる歌手の淡谷のり子さんが歌った 『高崎小唄』(コロンビアレコード) の4番の歌詞です。
 錦山荘の創業が昭和4年(1929) ですから、すぐに高崎名所として歌の歌詞に詠み込まれたことになります。

 さらに歴史を紐解くと、錦山荘の前身は、大正4年(1915) からあった「清水鉱泉」 という鉱泉宿でした。
 と、いうことは、今年は開湯100周年ということになります。

 なんという偶然! ちょうど取材しに伺いたいと思っていたところでした。
 100年という歴史の節目に、はずかしくない記事を書くためには、やっぱり、じっくり泊まって、湯に入り、話を聞かなくてはなりません。
 ここでも “現場百遍” という言葉が、僕のライター魂を突き動かします。

 高崎市は、前橋市の隣街。
 我が家から車で、わずか40分程度の距離です。
 それでも手を抜くわけにはいきません。

 だって温泉宿には、昼の顔もあれば、夜の顔も朝の顔もあります。
 まして、この時季、“織るが紅葉の錦山荘” ですぞ!
 かつては、高崎の奥座敷とまで呼ばれた “浮世離れた別天地” を余すところなく満喫してきました。


 高崎市街地から観音山へ向かう羽衣街道を上ると、やがて左手に錦山荘入口の門が見えてきます。
 左にウィンカーを切った瞬間、「あっ」 と息をのみました。
 そう、“もみじのトンネル” が出迎えてくれたのです。

 まさに、その名の通り、「錦織り成す観音山」 の宿であります。


 錦山荘の感動は、ロケーションだけではありません。
 歴史を刻んだ建物こそ、じっくり泊まって味わう価値があります。

 和風建築の高級料亭旅館として創業した当時の名残が、そこかしこに感じられるのです。
 特筆すべきは、本館2階に現存する4室の客間。
 「桐」 「竹」 「桜」 「楓」 の間は、それぞれ客室名どおりの銘木を使って、日本建築の粋を極めた内装が施されています。
 これを見るだけでも、一泊の価値あり!

 当時、新渡戸稲造や犬養毅などの政治家や実業家たちが 「高崎の奥座敷」 に足を運んだのも、むべなるかな。納得です。


 ま、なんといっても僕がイチ押しなのは、丸太を組んだ湯小屋風の展望風呂です。
 その絶景は、県内広しといえども、5本の指に入る眺望だと思います。
 いや~、いつまで眺めていても飽きることがありません。

 烏川越しに高崎市庁舎と市街地、遠く前橋市まで望め、ランドマークの県庁までくっきりと見えます。
 そして借景には、まるで屏風絵のように赤城山が裾野を広げています。

 夜になれば、一変して幻想的な光景が・・・
 夜景と紅葉のライトアップです!

 これだもの、日帰り取材では、とてもじゃないけど、読者に感動は伝えられませんって。

 つくづく群馬の温泉って、素晴らしいと思います。
 こんな身近なところに、こんなにも美しく歴史のある温泉があるのですから。


 「今でも時々、小暮さんの本を持って泊まりに来られるお客様がいますよ。『本に書かれているとおりだ』 と感動されて帰られます」
 と、支配人の川端大さん。
 うれしいですね。
 ライター冥利に尽きるお言葉です。
 ありがとうございます。
   


Posted by 小暮 淳 at 15:50Comments(0)温泉地・旅館

2015年12月07日

マロの独白⑨ 犬も歩けば


 こんばんワン! マロっす!
 お久しぶりでやんす。
 ここんちの飼い犬、チワワのオス、9歳です。

 なんでも今年は暖冬なんですってね。
 メキシコが原産のオイラには、過ごしやすくて良いのですが、まあ、冬は寒くないと困る人も大勢いるでしょうから、自分だけ喜んでいてはダメなんでしょうね。

 ところで “喜ぶ” といえば、ちょっとしたニュースがあります。
 みなさんは、前回のオイラのブログを覚えていますか?
 そうです、先月11月9日に書いた 「マロの独白⑧ ご主人様、大丈夫?」 であります。

 ご主人様が言うことには、
 「おい、マロ! やっぱ、お前って人気者だわ。お前が書いた記事が1番だってよ」
 なんでも、オイラが書いた記事が、先月投稿した記事の中でアクセス数が1番多かったんですって。

 だから、ご主人様ったら、
 「あーあ、やってられないな。毎日のように書いている俺のブログよりも、たまーに書くマロのほうが読まれているなんてさ」
 って、少々いじけ気味なのです。

 だからオイラ、言って差し上げました。
 「何を言っているんですか。ご主人様のブログだから読んでくださるのですよ。オイラの記事だって、すべてご主人様の読者が読んでくださっているんですよ。ご主人様あってのオイラですから」
 そしたら、ご主人様ったら、
 「マ~ロ~、お前って、なんていいヤツなんだ~!」
 って、涙をこぼしながらオイラを抱きしめたのであります。


 でもね、実のところオイラも、うすうす自分の人気には気づいているんですよ。
 だって以前と違って、散歩をしていると声をかけられることが、とても多いんです。

 「あ、マロちゃんだ」 「マロちゃ~ん」 って、下校途中の小学生からは声をかけられるし、近くの学童保育所の前を通ると、一斉に子どもたちが遊ぶのをやめて、駆け寄って来ますもの。
 「かわいい~」 「触らせて」 「だっこしたいな~」 ってね(エッヘン!)。

 人気なのは、子どもたちだけじゃありませんよ。
 畑仕事をしているおばさんたちからも、愛されています。
 キュウリやトマト、ブロッコリーなど、オイラを見かけると決まって季節の野菜をくれるんです。

 先日もさる畑の前で、いつもオイラを可愛がってくれるおばさんがいたので、すりよっていたのでやんす。
 そしたら、「あらら、マロちゃんたら、私のことを覚えているのね。いい子だねぇ~、ほうれん草を持っていくかい?」
 なーんて言って、採れたてのほうれん草をドッサリとくれたのです。

 「マロと散歩すると、得するな。今度から大きな袋を持ち歩いたほうがいいかもね」
 と、ご主人様もごきげんな様子なので、
 「ですね。ご主人様、こういうのを “犬も歩けば棒にあたる” って言うんですよね」
 と言ったら、なんて言ったと思います?

 「それを言うなら “犬もある毛は棒のあたり” っていうんだ! ハハハ」
 ですって。

 ご主人様ったら、お下劣だこと! 
 っていうか、オイラ、全身毛だらけですから!
   


Posted by 小暮 淳 at 22:14Comments(3)マロの独白

2015年12月06日

終わりある生活


 父は91歳。体は健康ですが、目と耳と頭が不自由なボケ老人です(介護認定2)。
 母は88歳。頭はしっかりしていますが、脳梗塞、心筋梗塞、脳出血を繰り返しているため、一時は言語と半身に障害が出ましたが、持ち前の生命力とリハビリの成果により、現在は軽い歩行障害が残る程度で、元気に暮らしています(介護認定1)。


 「じいさん、昼飯だよ!」
 2階の和室のこたつでボーっとしているオヤジの耳元で、僕は大声で叫びます。
 「ああ、わかった」
 「下へ降りておいでよ」

 現在、実家の1階リビングは、カーテンで半分に仕切られ、オフクロが暮らしています。
 歩行が困難なため、レンタルの医療ベッドを入れ、脇には簡易トイレが設置してあります。

 「おとうさん、遅いね」
 先に食卓に着いたオフクロが、心配そうに2階を見上げます。
 「トイレじゃないの。しかたねーな、見てくるよ」
 と僕が和室へ行くと……。

 なななんと! 布団が敷かれていて、オヤジが爆睡しています。

 「じいさん、どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
 「・・・・」
 「なんで寝ているんだよ?」
 「……、朝か?」
 「なにが朝かだよ。昼飯だって言ってるだろう!」
 「そうか、昼なのか……」

 オヤジの体内時計は、もう何年も前に壊れてしまっています。
 目もほとんど見えないので、時計を読むこともできません。
 かろうじて明るいか、暗いかは分かりますから、夜だけは判断できるようです。


 「もう、食っちゃったのかよ!」
 オフクロより、だいぶ遅れて食べ出したのに、ものの5分もかからずに平らげてしまいます。
 というのも、オヤジはご飯とおかずを分けて出すと、おかずを残してしまうため、具材という具材は、すべてみじん切りにして、ご飯に混ぜて煮込んでいるのです。
 だからオフクロは箸で食べているのに対して、オヤジはスプーンで食べているため、あっという間に食事が終わってしまうのです。

 「ほら、デザートのリンゴだよ」
 これも、細かく刻んであります。


 「ごちそうさまかい?」
 先に食べ終わったオヤジを、このまま放っておくと、オフクロにちょっかいを出して、オフクロの食事の邪魔をするので、ここですぐに引き離さなくてはなりません。
 「はい、そしたら歯磨きをしてください」
 「わかった、歯磨きだね」
 そう言って部屋を出て行きましたが、すぐにもどって来てしまいます。

 「この後、何をするんだっけ?」
 オヤジの記憶は3分、いや、最近は1分と持ちません。
 「は、み、が、き!」

 「歯磨きしたけど、次は何をするんだ?」
 「午後は自由です。2階へ行って、こたつに居てください」
 「こたつで、何をすればいい?」

 毎日毎日、この繰り返しです。
 でもね、このあと、オヤジはすることが何もないのですよ。
 新聞も雑誌も読めないし、テレビも見れない、ラジオも聞けない……。
 ただ、ひたすらにボーっと次の食事まで、こたつの中で過ごすしかありません。

 「昼寝をしなよ。目が覚めたら散歩に連れてってやるからさ」
 「そうか、わかった」

 長い長い、オヤジの午後が、また始まりました。


 つかの間の休息です。
 僕は今、一時帰宅をして、このブログを書いています。

 いつまで続くのでしょうか?
 いつか終わりある生活を楽しんでいます。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:00Comments(2)つれづれ

2015年12月05日

下仁田温泉 「清流荘」⑦


 今が旬!
 下仁田ねぎを食べに行ってきました。

 昨年僕は、『下仁田ねぎの本』(上毛新聞社) を執筆しました。
 この本では、群馬のブランドねぎである下仁田ねぎの由来から歴史、風土、栽培方法、料理の種類まで多岐にわたり取材しました。
 生産農家、割烹料理店を訪ね、余すところなく下仁田ねぎの魅力を紹介しています。

 そんな中で、やはり特筆すべきは、温泉旅館でありながら下仁田町(群馬県甘楽郡)認定の 「下仁田葱の会」 会員農家でもある下仁田温泉 「清流荘」 の存在です。
 だって、下仁田ねぎに限らず、米以外はすべて約7,000坪という広大な敷地内で産地直送している自給自足の宿なのであります。
 僕は、ここの宿のことを著書では “地産地食のもてなし” と表現しています。


 と、いうことで、昨晩は、今が旬の採れ採れの下仁田ねぎ料理を食べに、「清流荘」 に泊まってきたのであります。
 といっても、取材ではありません。
 ま、ひと言で言えば、忘年会です。
 出版関係者と宴に興じてきました。

 ヤマメの炭火焼き、コイのあらい、コンニャクの刺身、シャクシ菜のごま和え、鹿肉のステーキ、猪肉のぼたん鍋・・・
 もちろん野菜はすべて敷地内の畑で採れたもの、魚は養殖池、鹿も猪も牧場で飼育しています。
 さらに、炭火焼きで使用する木炭までもが、敷地内の炭焼き小屋で焼いたものです。

 もう、これ以上の地産地食はありませんって!


 そして、主役の登場です。
 下仁田ねぎは、ぼたん鍋にも入っていますが、「ねぎぬた」 でいただくと、下仁田ねぎ独得の甘みを直に味わうことができます。
 そして、僕が一番お気に入りなのが、「かき揚げ」 であります。
 ほんのり下味が付いているので、塩も天つゆも使わずに、バリバリとそのまま豪快にパクつきます。

 <大きく切った下仁田ねぎとニンジンに、塩を少々。粉は温泉水で溶く。下仁田温泉の源泉は、全国でも珍しい炭酸泉。ゆえに、ふっくらとやわらかく揚がる。外はサクサク、中はしっとり。口の中いっぱいに、ネギの風味とうま味が広がり食欲が増す。>
  ( 『下仁田ねぎの本』 より)

 もちろん、酒は地酒の 「妙義山」(聖徳銘醸)。
 スッキリした喉越しの切れの良さが、ネギ料理には実に合うのです。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:15Comments(0)温泉地・旅館

2015年12月03日

倉渕川浦温泉 「はまゆう山荘」②


 カレーライスを食べに、倉渕川浦温泉(高崎市) へ行ってきました。

 えっ、なんでカレーを食べにですって?
 やっぱ、温泉でカレーといえば、倉渕川浦温泉の 「はまゆう山荘」 でしょう!

 それも、ただのカレーじゃありませんよ。
 「よこすか海軍カレー」
 そう、明治41年に著された海軍割烹術の “カレイライスレシピ” を基に、日本カレー発祥の地、横須賀で復元されたレトロなカレーライスなのであります。
 横須賀以外で食べられるのは、もちろん、群馬ではここだけです。

 では、なんで横須賀のカレーなのか?
 ヒントは、宿名に隠されています。

 「はまゆう山荘」
 海なし県の山奥の宿なのに、海辺で自生する植物の名前が付いているのです。
 実は、浜木綿(はまゆう) は横須賀市の市の花なんです。

 では、なんで横須賀市の花の名前が付いているのか?

 それは、神奈川県の横須賀市と旧倉渕村(現高崎市) が友好都市関係にあり、昭和62(1987)年に横須賀市民保養村として建てられた施設だからです。
 ※(なんで友好都市なのかについては、僕の著書およびブログのバックナンバーをお読みください)


 と、いうことで、スパイシーでありながら、ほんのり甘く懐かしい味がする明治時代のカレーライスをいただいてきました。
 もちろん、食後には “もち肌の湯” と呼ばれる自慢の湯にしっかり浸かってきましたよ。
 でも、カレーを食べたあとに温泉に入ると、なんだか自分が 「人間ボンカレー」 になったようで、ヘンな気分ですね。(笑)
   


Posted by 小暮 淳 at 21:40Comments(0)温泉地・旅館