2021年05月30日
令和の子どもは昭和好き
<紙芝居で笑顔届ける>
そんな見出しを付けた記事が、今日の上毛新聞に載ったからでしょうか!?
今日の口演は、各回とも盛況でした。
僕は現在、高校の同級生で、「壽ちんどん宣伝社」 の座長をしている友人と、月一回、伊勢崎市の伊勢崎神社境内で、創作紙芝居の上演を行っています。
きっかけは僕が 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) という著書を出版したことでした。
この中に、座長の出身地である伊勢崎市の民話があり、「ぜひ、紙芝居にしたい」 と依頼されました。
この紙芝居が昨年暮れに完成し、今年の1月から 「神社かみしばい」 と銘打ち、口演を続けています。
薫風そよぐ五月晴れ!
天候に恵まれ、最高の “街頭紙芝居日和” となりました。
口演は、午前10時、11時、午後12時、1時の4回ですが、すべての回に、たくさんの親子連れが集まりました。
いえいえ、親子だけではありません。
おじいちゃんやおばあちゃんと、お孫さんという組み合わせも見受けられました。
「始まるよ~!」
パフパフ (ラッパの音) 、ドンドン (太鼓の音) と開始の合図。
「はーい、子どもたちは前の方に座ってね」
見物客の一人一人に、飴が手渡されます。
昭和の昔だったら紙芝居と言えば、練り飴でしたかね。
今は、ペロペロキャンディーです。
大人たちには、袋入りのキャンディーが配られました。
カーン、カーン、カンカンカンカン……
拍子木の音が境内に鳴り響くと、いよいよ紙芝居の始まりです。
最初は、大人たちのほうが興味津々なんですね。
子どもの頃を思い出しているのかもしれません。
自転車の荷台に積んだ芝居台を懐かしそうに眺める人もいます。
でも、紙芝居が始まると、途端、子どもたちはおしゃべりを止めて、目を輝き始めます。
「その時です!」
座長が叫べば、子どもたちは目を見開き、食い入るように身を乗り出し、
「パッと、刀を抜きました!」
座長が身振り手振りで演じれば、「わ~!」 と喚声が上がります。
“今の子どもたちは、ゲームばかりしている”
“今の子どもたちは外で遊ばない”
まことしやかに信じ込んでいましたが、そんなことはないんですね。
もしかしたら大人たちが、手を抜いているだけなのかもしれません。
だって、こんなにもアナログの遊びに夢中になっているじゃありませんか!
座長は言います。
「このコロナ禍で、なかなか外へ遊びに出られない子どもたちに、笑顔と元気を届けたい」
十分に届いたと思います。
そして、大人が子どものことを真剣に思いながら、一生懸命に何かを伝えようとする姿は、時代に関係なく、ほほえましいものです。
令和の世の中だから伝えたいことがあります。
過ぎた時代の中に残された “娯楽” という文化を……
次回の 「神社かみしばい」 は、来月6月19日(土)、20日(日) を予定しています。
※(創作民話は20日のみの口演です)
2021年05月29日
湯守の女房 (9) 「やわらかくて、やさしい湯なので、赤ちゃんでも安心して入れます」
湯桧曽温泉 「林屋旅館」 (みなかみ町)
その昔、源氏に滅ぼされた奥州の豪族が、この地にたどり着き、温泉を発見したと伝えられている。
湯にひそんでいる意味から 「ゆのひそ村」 と呼ばれたことが、湯桧曽(ゆびそ)温泉の始まりだという。
谷川岳の水を集めて流れる湯桧曽川に沿って、数軒の宿が点在する静かな温泉地だ。
林屋旅館は大正11(1922)年の創業。
湯桧曽温泉で最も古い。
「私が嫁いできた昭和30年代は、みやげ物屋がたくさん並ぶ温泉街で、大変にぎわっていました。登山ブーム、スキーブームと続き、今では考えられないほどの忙しい毎日を送っていました」
と3代目女将の林茂子さん。
階段の踊り場から2階の廊下にかけて、昭和初期の宿の様子を伝える懐かしい写真とともに、時を刻んだセピア色の掛け軸が飾られている。
『毛越のさかい清水の峠より 南乃野山紅葉しにけり』
昭和9(1934)年、歌人の与謝野晶子が投宿した際に、残していった歌だ。
先代の主人、林音松さん (故人) が文人好きで、作家や歌人が泊まると必ず一筆したためてもらい、掛け軸に表装していたという。
「代々守り継いできた旅館ですから、逃げ出したくなるようなつらいときもありました。でも時代の流れを見て来られ、今はただただ感謝しています」
守り継いできたのは、宿の歴史だけではない。
800年以上も昔から湧き続ける温泉を守り継ぐことこそが、老舗旅館の誇りだ。
湯は湧水のように澄んで美しく、滝のように豪快に流れ出している。
2本の自家源泉と1本の共有泉から給湯される総湯量は、毎分150リットル以上。
温度の異なる3つの源泉を混合し、加水も加温もすることなく、季節や天候により変化する浴槽内の湯を適温に調節している。
湯をこよなく愛する湯守(ゆもり)のいる宿だからこそなしえる匠(たくみ)の技だ。
「みなさん、湯をほめてくださいます。やわらかくて、やさしい湯なので、肌の弱い方や赤ちゃんでも安心して入れます」
と4代目若女将の敦子さん。
11年前に横浜から嫁いで来た。
温泉は、みんな同じだと思っていたが、最近は湯の違いが分かってきたという。
2人とも夫との出会いが北関東のスキー場だったという共通点がある。
湯守の女房としての心意気も着実に受け継がれている。
<2011年6月29日付>
2021年05月28日
独り言の是非
道を歩いていると、ブツブツと “独り言のような” な話しをしながら歩いている人と、すれ違うことが多くなりました。
その昔、といっても、たかが10年くらい前まででしょうか?
街中で、そのような人を見かけると、「あっ、危ない人かも……」 と思って、避けたものです。
“独り言を言っている人=精神的に病んでいる人”
と、誰もが解釈したからだと思います。
中には、独り言とも思えない大声を上げて、怒鳴りながら歩いている人も昭和の街中では、時々見かけました。
でも、現代は事情が異なります。
電話で誰かと話しをしているだけなんですね。
手を使わずに会話する 「ハンズフリー」 といわれる通話方法です。
車の運転中などは、とっても便利ですが、これを街中で、しかも歩行中にされると、すれ違う人は一瞬 「ドキッ!」 とします。
「えっ、今、何か言いました!?」 って。
話の内容によっては、「おい、てめえ!」 なんて叫ばれたら、「えっ、私、あなたに何かしましたか?」 なんて問い返してしまいたくなります。
たぶん、これって、“目に見えない相手” と話しているから勘違いしてしまうんですね。
以前 (ハンズフリーが登場するまで) なら、携帯電話を耳元にかざしている視覚情報により、すぐに 「会話」 であることを認識できたのですが、今は、それがありません。
傍から見ると “独り言” にしか見えないのです。
で、僕は思いました。
街中では堂々と行われている携帯電話による会話ですが、これが公共交通機関などになると、全面使用禁止となります。
<まわりの方のご迷惑になりますので、携帯電話のご使用はご遠慮ください。>
ということです。
そこで、1つの疑問が生まれてきます。
なぜ、乗客同士の会話は良くて、電話での会話はダメなのでしょうか?
それは、人間同士の会話は不快ではないが、電話での会話は相手の声が聞こえないので不気味だからですか?
もし、そうだとしたら電車の中では、「独り言」 も禁止なのでしょうか?
どうでも良い事ですが、そう思った途端、夜も眠れなくなってしまいました。(ウソです)
どなたか公共交通機関にお勤めの方がいましたら、“独り言の是非” について、ご返答ください。
よろしくお願いいたします。
2021年05月27日
居酒屋依存症
「小暮さん、見つけました!」
「何を?」
「呑める店ですよ!」
突然、呑み仲間から電話がありました。
彼は、かなり興奮しています。
なにを、そんなに興奮しているのか?
察しの良い呑兵衛なら、お分かりですよね!?
そうです!
「まん防」 による “呑兵衛弾圧” の打開策に奔走する、けなげな “居酒屋依存症” の同胞からの報告なのであります。
「まん防」 こと、まん延防止等重点措置が施行されて、早や10日以上が経ちました。
群馬県内の10市町では、飲食店の時短営業に加え、酒類の提供の自粛まで要請されています。
ということで、居酒屋依存症の民は、“アルコール難民” と化しているのです。
ひと口に 「呑兵衛」 といっても、鉄道ファンに “撮り鉄” や “乗り鉄” があるように、そのスタイルは異なります。
まず大きく、「家呑み派」 と 「外呑み派」 に分かれます。
「家呑み派」 は基本、毎晩家での晩酌を楽しみます。
たまに外で呑むことはあっても、それは飲み会や宴会であり、複数での飲酒となります。
一方、「外呑み派」 は、毎日の晩酌も欠かしませんが、“雰囲気” を重んじるため、定期的に外へ呑みに出かけます。
僕は、後者です。
外呑みの好みは、様々です。
スナックやパブなどのにぎやかな雰囲気が好きな人、レストランやラウンジで静かにやりたい人、当然ですがキャバクラなどのお姐ちゃんがいる店へ通う人もいます。
でも日本酒好きとなれば、居酒屋が定番です!
ふらりと暖簾をくぐり、いつものカウンター席に座ると、黙っていてもスーッと酒が出てきます。
名前は知らないけれど、時々見かける常連客との他愛のない雑談……
これが、「外呑み派呑兵衛」 の醍醐味であります。
で、息も切れ切れに電話を寄こした “呑み友” も、そんな 「居酒屋依存症」 の一人です。
「見つけたって、どこよ?」
「○○町ですよ」
「○○とは、バカに遠いねえ?」
彼が告げた町名は前橋市のはずれ、赤城山の中腹であります。
平成の大合併で、かろうじて前橋市を名乗っていますが、我々のような根っからの “前橋っ子” から見れば、ド田舎です。
「ええ、仕事の途中で、昼飯を食べに寄った食堂なんですけどね。メニューを見ると、けっこうアルコールが充実しているんですよ。でね、主人に聞いたら、『うちは、ふつうに酒を出してるよ』 って言うんですよ! どうです? 小暮さん、呑みに行きませんか?」
「呑みに行きませんか?」 と言われても、家から遠すぎます。
帰りの代行代だって、バカになりません。
「遠すぎるよ、無理だよ」
と言えば、彼は大真面目に、こう答えました。
「だから、誰か一人、酒の呑めないヤツに運転させてですね、呑みに行きましょうよ!」
呑兵衛の、この執念!
僕も他人に負けないだけの呑兵衛としての自覚はありますが、上には上がいるものです。
その後、誘いの電話が来ないので、彼は、あきらめたのでしょうか?
それとも、もう少し近場の店を探しているのでしょうか?
今度、誘われたらホイホイと、ついて行ってしまいそうな自分が怖い、“まん防禍” の今日この頃です。
2021年05月26日
「神社かみしばい」 5月口演
<海なし県の海への憧れ。昔の人も同じような思いを抱いていたのか。県南部の伊勢崎市。県道2号に 「竜宮」 という名前の交差点がある。近くに 「竜宮橋」 が架かっており、河川敷にはこんもりとした茂みがある。別名 「竜宮の森」。森の中には 「龍神宮」 という神社が立っている。深い淵があり、竜宮城につながっているという言い伝えが残る。境内を歩くとウミガメに乗った浦島太郎像があったが、これもまた海への憧れから生まれた伝説なのかもしれない。>
(2021年5月22日付 朝日新聞 「be」 より)
たった1つの小さな “謎” でした。
「なんで、こんなところに 『竜宮』 という地名が?」
その “謎” に近づくと、何百年という時の流れを経て、地元の人々が口伝えに守り続けていた壮大な物語がありました。
僕は、その話を雑誌に書き、他の伝説とともに一冊の本にまとめました。
『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) です。
出版から2年の月日が経ちました。
伝説は本になり、そして紙芝居になりました。
その噂は、新聞やテレビなど、多くのメディアに取り上げられました。
そして先日……
朝日新聞が全国版で報道すると、途端に各方面から反響がありました。
友人や知人からのメールは、もちろん。
県外者から出版元へ、著書の注文まで入りました。
気が付いたら、1つの小さな “謎” が、全国を飛び回っています。
これだから 「謎学の旅」 は、やめられませんね!
今月も恒例の 「神社かみしばい」 を開催いたします。
当日は僕も一日、会場で著書の販売をしています。
お時間のある方は、ぜひ、遊びにいらしてください。
たくさんの方のお越しを、お待ちしております。
「神社かみしばい」 5月口演
『いせさき宮子の浦島太郎』
作/小暮 淳 (フリーライター)
画/須賀りす (画家・イラストレーター)
演/石原之壽 (壽ちんどん宣伝社・座長)
●日時 2021年5月30日(日) 6月20日(日)
10時、11時、12時、13時 ※悪天候は中止
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 無料 (投げ銭制)
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
2021年05月25日
今さら 「UFOが実在する」 と言われても
ちょうど一週間前だったでしょうか?
新聞の片隅に小さく、こんな記事が出ていました。
<米国防総省で未確認飛行物体 (UFO) に関する情報を収集して分析するプロジェクトの責任者だった元当局者が、米CBSテレビの番組で 「UFOは実在する」 と明言した。>
この記事を読んだ僕の第一声は、「なんで、今さら」 でした。
そんなこと、誰もが知っていることだし、今まで隠していたと思っていたこと自体がナンセンスです。
あれは、物心ついたころ。
幼稚園でのこと。
数人の園児たちと砂場で遊んでいる時でした。
上空を、白い光の玉が編隊を成して、飛行して行きました。
“ボス” と呼ばれるリーダー格の園児が、空を指さして、こう言いました。
「あれが “空飛ぶ円盤” だよ。中には、たくさんの動物たちが乗っているんだ」
園児たちは、騒ぎ出しました。
「なんで?」
「どうして、動物が乗っているの?」
「連れ去らわれちゃったの?」
ボスは言いました。
「人間から動物たちを守るために、宇宙人が助けに来ているのさ」
以来、僕はこの歳まで、ボスの言葉を信じています。
いや、大人になればなるほど、ボスの言葉の真実味は増してきました。
だから僕は幼稚園の頃から、“人間だけが特別” という考え方を持っていません。
ということで、不思議なことが大好きで、別名 「ミステリーハンター」 を名乗る僕ですが、UFOには、まったく興味がありません。
理由は、前述したように “実在” することが前提の “未確認” だからです。
地球だけに生物が、しかも人間のような高度な知能を持った生物が、地球以外にはいないなんて、どうして言えるのでしょうか?
たとえ太陽系に存在しなくても、地球人の人知を超えた知能と技術を持った生物が、この広い宇宙には必ずいるのですから、なんで今さら偉そうに 「実在する」 と発表するのでしょうか?
もし僕が宇宙人なら、こう言ってやります。
「ワレワレハ ナンマンネンモ ムカシカラ コノホシ二 キテイルノニ ナゼ チキュウジンハ ワレワレノ ソンザイヲ ミトメナイノダ? オロカナ イキモノダ」
2021年05月24日
湯守の女房 (8) 「訪れた人が、ほっと和めるように、花で埋めつくすことにしました」
小野上温泉 「旅館 花山」 (渋川市)
「小野上温泉の歴史は、地域の温泉センターの歴史です」
エプロン姿の3代目女将、新井春代さんは、そう語る。
旧小野上村営の温泉センターのオープンは昭和53(1978)と早い。
日帰り温泉施設は今でこそ、いたる所にあるが、大広間で休憩するヘルスセンター方式は当時はまだ珍しく、連日、村内外から大勢の人がやって来た。
周辺の宿泊施設へ温泉が分湯されたのは、村が新源泉の掘削に成功した同56年以降のこと。
現在(平成23年6月)、公営と民間合わせて4軒の宿泊施設がある。
「旅館 花山」 の創業は、昭和61(1986)年。
住宅風の建物は、村内で両親が経営する製材・建築会社が、初代オーナーから請け負って建てた。
2年後、オーナーが経営から手を引いたため、宿を引き継いだ。
「温泉センターへ来たお客さまが、次はゆっくりしたいと泊まりに来られました。湯があれば人が来た、いい時代でした」
平成6(1994)年に母親が他界し、旅館を手伝っていた春代さんが、勤めていた前橋市内の保険会社を辞めて女将に就いた。
バブル経済は崩壊し、経営環境は様変わりしていた。
新人女将と女性中心のスタッフの試行錯誤の日々が始まった。
「接客が苦手で、女将と呼ばれることにも抵抗があった。相談相手もいないし、途方に暮れた時期もありました」
と述懐する。
この土地からは動けない。
だから小野上の良いところを利用するしかない。
それは山と川に囲まれた、のどかな雰囲気だと気づいた。
8年前から地続きに畑を借りて、花木や野菜を栽培している。
「訪れた人が、ほっと和めるようにと、旅館の内も外も花で埋めつくすことにしました」
内風呂ながら湯舟から庭園を眺めることもできる。
花が見られて、食べられて、喜ばれると、そばも植えた。
毎年、新そばの味を楽しみに訪れる常連客は多い。
フラワーデザインはOL時代から続けており、指導者の資格がある。
毎日、花を生ける。
花には空気を浄化する力があるという。
初代オーナーが名付けた 「花山」 のイメージにも合っている。
小野上温泉の旧温泉地名は、塩川温泉。
国道353号沿いの旧源泉地にあった石の薬師堂には、寛文4(1664)年に創建されたと刻まれている。
その名の通り塩分が多く保温効果があり、肌にうるおいを与える。
とろんとしたローションのような肌触りの湯が、全身をやさしく包み込む。
独特な浴感が通称 「美人の湯」 と呼ばれるゆえんである。
“効能” は、女将を見れば納得できるのではないだろうか。
<2011年6月15日付>
※現在、「旅館 花山」 は閉館しています。
2021年05月23日
おめでとう! 四万・水上
先日、朗報が飛び込んで来ました!
世界最大級の旅行口コミサイトを運営するアメリカのオンライン旅行代理店 「トリップアドバイザー」 が発表した 『2021 トラベラーズチョイス ベスト・オブ・ベスト』。
この中の 「日本の旅館部門」 で、上位25カ所に群馬県の温泉旅館4軒がランクインしました。
4位 「柏屋旅館」 (四万温泉)
7位 「ひなたみ館」 (四万温泉)
9位 「時わすれの宿 佳元」 (四万温泉)
12位 「蛍雪の宿 尚文」 (水上温泉)
いかがですか?
何か、気づきませんか?
そーなんです!
四万温泉も水上温泉も、僕が “温泉大使” を務める温泉地なのですよ。
これって、偶然ですかね?
それとも、事前に僕が権力を行使して、アメリカの代理店にリベートを渡して、票の忖度をしてもらっていたのでしょうか? (そんな力はありませんが……)
ま、選考方法は良く知りませんが温泉大使としては、もとろんのこと、群馬県民として素直に喜んでいます。
最上位の四万温泉 「柏屋旅館」 の柏原益夫社長は、このようにコメントしています。
<新型コロナウイルスの影響でインバウンド (訪日外国人客) はいなかったが、日本人や国内在住の外国人の要望に応じたサービスを提供してきた。コロナ収束後のV字回復に向け頑張りたい> (上毛新聞より)
ちなみに 「柏屋旅館」 は、4年連続、6回目のランクインであります。
柏原さん、おめでとうございます!
現在、日本は2年越しのコロナ禍であり、観光地や温泉地は、ますます窮地に追い込まれています。
そんな中で、いっ時でもホッコリするニュースでした。
温泉地のみなさん、もう少しの辛抱です。
コロナ収束後のV字回復に向け、頑張りましょう!
2021年05月22日
今日の朝日新聞 全国版別刷 「be」
なぜ群馬県民は、マグロが好きなのか?
海がないのに、どうして?
そんな素朴な “謎” を解き明かす記事が、今日 (2021年5月22日付) の朝日新聞全国版、別刷 「be」 に掲載されました。
しかも! なんと見開き2ページという大特集であります。
タイトルは、「はじまりを歩く ネギトロ(群馬県)」。
<熱いマグロ愛 試行錯誤重ね>
<「海」への憧れ 超大盛り品も>
と、小見出しが躍っています。
第一章では、データをもとに、いかに群馬県民がマグロ好きかを探ります。
そして “海なし県” から 「ネギトロ」 を世に出した渋川市の水産加工品製造会社 「赤城水産」 の歩みを紹介します。
で、なぜか、第二章の冒頭から僕が登場します!
<それにしても、群馬県民のマグロ愛はどこから来るのか。『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ライフケア群栄) の著者で、群馬に関する歴史や文化に詳しいフリーライター小暮淳さん(62)=前橋市在住=は解説する。>
ということで、今回、コメントを求められ、僕なりの “群馬と海” の関係についてお話しいたしました。
子どもの頃の食生活の話、思春期の海へのあこがれ、さらに民話や伝説に見る海なし県民と海との関係……など。
たっぷり話しましたので、興味がある方は、ぜひ、今日の朝日新聞をご覧ください。
記事では本文のほかにも、「余談」 「見る」 「味わう」 などのコラムも併載されていて、他県の人でも読めば “ぐんま通” になること、間違いなし!
2021年05月21日
妖精多発地帯
「二度あることは三度ある」 と言いますが、3度あったことが、さらに4度ありました。
たびたび、このブログで報告している “妖精の目撃” です。
昨晩、またしても 「発光飛行生物」 が現れました!
4度目の目撃の報告の前に、軽く過去3回をおさらいしたいと思います。
●1回目=10年以上前の冬の夜に、自転車に乗りながら目撃。
(2010年11月16日 「妖精目撃」 参照)
●2回目=3年前の夏の夜に、自宅の庭で目撃。
(2018年8月15日 「妖精ふたたび」 参照)
●3回目=今年の春の夜に、自宅仕事部屋から目撃。
(2021年4月23日 「三度目の妖精」 参照)
以上の3例を今までに報告しました。
そして前回、目撃した “妖精” の類似点と相違点について、以下のように分析しました。
●類似点=大きさ、スピード、高度
●相違点=目撃した季節
そして今回、新たな違いを発見しました!
2021年5月20日午後10時20分。
空気の入れ替えのため、自宅仕事場 (2階) の窓を開け放したところ、眼下を右から左へ向かって、白く発光する飛行体が、流れるように通過して行きました。
時間と状況は、3回目の目撃とほぼ同じ条件でした。
飛行体の大きさも高度も、ほぼ同じです。
が! 決定的に違っていることが2つありました。
まず、天候です。
昨晩は、雨が降っていました。
その雨の中を光りながら飛んでいたのです。
そして、スピードです。
前3回は、「スーーーーッ」 と、やや早歩きぐらいのスピードでしたが、今回の “妖精” は雨のため家路(?)を急いでいたのかもしれません。
「ビューーーーッ」 とツバメのようなスピードで、通過して行きました。
僕が目撃した “妖精” は、1匹なのでしょうか?
それとも何匹もいるのでしょうか?
いずれにしても、すべての目撃場所が、我が家周辺なのであります。
どこかに “巣” があるのでしょうか?
この生物に心当たりがある方は、ご一報ください。
2021年05月20日
トリビアな2時間
僕は、会議が大好きなんです。
なんて言うと、驚かれますか?
少々変わり者なんでしょうか?
といっても、世間でイメージされているような、会議室で結論の出ないテーマについて、ダラダラと無駄な時間を使って話し合いをするような会議でありません。
その場は、まるで講演会やセミナーに参加しているようなワクワクとドキドキが、たくさん詰まったミラクルワールドなんです!
昨日は、3ヶ月に1回開かれる群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 の企画・構成会議でした。
僕は初回放送の2015年4月から番組のスーパーバイザーを務めています。
毎週火曜日 (最終週を除く) 21:00~21:15までの15分番組ですが、おかげさまで放送開始から丸6年が経ちました。
放送回数も今週で、246回になります。
246回ですぞ!
なんで、そんなに続くのか?
スポンサー様と視聴者様のおかげであることは間違いないのですが、それだけではありません。
番組が続いている一番の理由は……?
そうです、“ネタ” であります!
毎回、会議という 「まな板」 の上に、取れたての新鮮なネタを上げ、スタッフという 「料理人」 が最高の調理法で番組に仕立て上げます。
だもの、次から次へと出て来るネタを見ているだけでも楽しいし、中には初めて目にするネタもあったりして、それはそれは驚きの連続なのです。
僕は群馬生まれの群馬育ちです。
途中、県外で暮らしたこともありましたが、半世紀以上は、この地で暮らしています。
また過去には、群馬県内のタウン誌や生活情報紙、フリーペーパーの編集人をしたこともあります。
だから、ふつうの群馬県民よりは群馬のことを知っているという自負もあります。
そんな僕でも会議では、「へ~、知らなかった!」 と感嘆の声を上げてしまいます。
今回も、プロデューサー、ディレクター、構成作家らが集まり、たっぷり2時間の白熱した会議を行ってきました。
さて、どんなネタが登場して、どんな料理に仕上がるのでしょうか?
番組の放送を観てのお楽しみであります。
今後とも末永く、『ぐんま!トリビア図鑑』 をよろしくお願いいたします。
2021年05月19日
寝る中高年はボケない?
認知症は、遺伝するのでしょうか?
これが目下最大の不安であります。
というのも僕のオヤジも祖父も、晩年は認知症を患いながら死期を迎えました。
数年前の正月のこと。
認知症のオヤジと寝たきりのオフクロを囲んで一族が集まった席で、アニキが僕の子どもたちに向かって言いました。
「よーく、おじいちゃんを見ておけ。おじいちゃんとジュンは、そっくりだからな。ジュンも、こうなるぞ!」
って。
その時は子どもたちも笑っていましたが、介護真っ只中の僕には、笑うに笑えないジョークだったのです。
もし認知症に遺伝が関係しているならば十中八九、僕は認知症になりますもの。
そして、認知症介護の大変さは、身に染みています。
この苦労と同じ苦労を、この子たちにさせるなんて……
2年前、オヤジとオフクロを続けて見送った時は、気が抜けてしまうほど楽になりました。
まるで糸の切れた凧のように、どこかへ飛んで行ってしまうそうになるくらい、心が解放されました。
でも自由な時間ができたぶん、葛藤した長い長い介護生活を振り返る時間も増えました。
「同じことを子どもたちにさせたくない……」
その思いは、日に日に強くなっていきました。
そんな折、朗報が飛び込んで来ました!
イギリスの研究チームが英国に住む8,000人の中高年を25年間にわたって追跡調査した結果、睡眠時間が認知症に関係があることを発表しました。
これによると、毎晩の睡眠時間が6時間以下と短い人は、生涯のうちに認知症を発症するリスクが通常の人と比べて30%高くなるというのです。
「よーし! これなら大丈夫だ。俺はたっぷり毎日8時間以上寝ているからな!」
と喜んだのも束の間、調査には続きがありました。
どうも、睡眠時間が長ければ良いというものでもないようなんです。
まず睡眠時間の 「短い」 「通常」 「長い」 の定義ですが、
短い=6時間以下
通常=7時間前後
長い=8時間以上
の3グループに分けての分析でした。
この中で、50~70歳の時点で恒常的に睡眠が短かった人が、通常の睡眠を取っていた人に比べて発症リスクが1.3倍に高まったということです。
だからといって、長かった人の発症リスクが低くなったという報告はありません。
過去の研究では、睡眠時間が長過ぎる人も認知症リスクが高くなるとが分かっています。
ということは、ベストは7時間なのですね。
僕も以前は、そのくらいの睡眠時間だったのですが、コロナ禍で仕事が激減して、ヒマな時間が増えてしまったものですから……
ついつい、“二度寝” を楽しんでしまっております。
いかん、いか~ん!
将来、認知症にならないためにも明日からは、きっちり7時間睡眠を心がけることにします。
2021年05月18日
同級生が死んだ
いつからだろうか?
新聞の 「おくやみ」 欄を毎日欠かさずに目を通すようになったのは?
たぶん、両親の介護を始めた10年ほど前からだと思います。
「いやだね~、み~んな年下だもの……」
そう言って、寝たきりのベッドの上で新聞を広げていたオフクロの影響がありそうです。
80代だったオフクロが、歳を重ねるにつれ、「いやだね~」 の回数が多くなりました。
でも90歳を過ぎると、今度は自分より年上の人を探すようになりました。
「102歳だってさ、こんなには生きられないね」
思えば、介護する僕と介護されるオフクロの “日課” のような会話でした。
いまは僕が、毎日、新聞を広げては、
「まだ若いのに……、死因は書いてないけど、病気かしらん」
などと一人ごちながら、「おくやみ」 欄で自分より年下の人を探しています。
「62歳!?」
同い年を見つけると、「同級生かも?」 と反射的に目が止まります。
名前を見ると、聞き覚えがあります。
自宅は前橋市、勤務先は……
現在、“彼” がどこで、どんな暮らしをしているかは、まったく知りませんが、僕の脳裏には、同姓同名の高校時代の同級生の顔が、浮かんでいました。
彼かもしれないけど、違うかもしれない……
卒業以来、会っただろうか?
……確か、一度、彼が店長をしていたお店を取材したことがあったような……
でも、それだって30年以上も昔だよな……
脳裏に浮かんでいた彼の顔が、しだいに、ぼやけていきます。
結局、僕と彼は、その昔、同じ高校に通っていたというだけで、その後の人生は、まったく接点のなかった赤の他人だったのです。
<新聞の 「おくやみ」 に○○××の名前があったんだけど、同級生かな?>
今でも交流のある同級生に、僕はメールを打ちました。
すると、すぐに返信がありました。
<同じことを考えていました>
“同級生が死んだ” という、どこにでもありふれた日常の出来事なのに、なんだか一日、重い気持ちで過ごしました。
K君のご冥福をお祈りいたします。合掌
2021年05月17日
湯守の女房 (7) 「うちは代々、女が旅館を商ってきたんです」
鎌田温泉 「梅田屋旅館」 (片品村)
片品村の 「梅田屋」 と聞いて、村内で知らない人は、まずいない。
昔から著名な落語家や映画監督、俳優らが多く訪れた、街道きっての老舗旅館である。
明治44(1911)年の創業。
尾瀬や日光の行き帰りに投宿する料理旅館として、明治、大正、昭和、平成の旅人たちをもてなしてきた。
「うちは代々、女が旅館を商ってきたんです。小さい頃から祖母と母が働く姿を見て育ちましたから、いずれは自分も梅田屋を継ぐものと思っていました」
と4代目女将の星野由紀枝さん。
特に祖母の志かさん (故人) は、接客と経営に厳しい人だったという。
「“おかげさま” が本心から言えるようになりなさい」
が口ぐせだった。
誰に感謝しろというのではなく、「会ったことがない多くの人の “おかげ” があることを感じてほしい」 との願いが込められていた。
「祖母の言葉が、今でも梅田屋の歩むべき道を教えてくれています」
昭和62(1987)年11月、老舗の料理旅館に転機が訪れた。
「絶対に湯は出ない」 と言われていたこの地に、念願の温泉を掘り当てたのである。
「温泉とは、ありがたいものです。旅の途中に立ち寄る施設だった旅館が、温泉があることで旅の目的地になったのですから」
平成17(2005)年、「日本秘湯を守る会」(朝日旅行) の会員宿となった。
現在、全国で193軒が会員登録され、群馬県内では15軒が加盟している。
※(数字は掲載当時)
厳正な審査があり、入会が難しいといわれる会員宿の称号は、温泉宿にとってブランドであり、ステータスともなっている。
会員宿になれたことを一番喜んでいた夫の賢一さんは、村長の1期目の半ばだったその年の9月、突然59歳で他界。
いまは2人の息子さんが女将を助けている。
「秘湯の会に入り、『秘湯は人なり、旅は情けなり』 という言葉と出合いました。ああ、やっぱり! 祖母が言っていた通りだって」
街道沿いに旅籠(はたご)の面影を残す白壁と格子窓。
ガラガラと音をたてる玄関の引き戸。
館内の調度品の一つ一つに、歴史と風情を感じる。
湯舟につかると、絹の衣をまとったようなふんわりとした感触におおわれた。
無色透明の単純温泉だが、乳液のように肌に良くなじむ湯だ。
温泉は湯守の心を映す鏡である。
けれん味のない生真面目な湯に、旅人に情けをかける女将の “おかげさま” の心が生きている。
<2011年6月1日付>
2021年05月16日
いや~ん、もう、まん防
♪ ぼくの名前は ヤン坊
ぼくの名前は マー坊
ふたり合わせて ヤンマーだ
君と僕とで ヤンマーだ
小さなものから大きなものまで
動かす力だ ヤンマーディーゼル
「まん防」 と聞いて、ついつい懐かしいCM 「ヤン坊マー坊天気予報」 のテーマソングを歌ってしまったのは、僕だけでしょうか?
でもでもでもーーーっ!
「ああ、あの頃は良かった。コロナもなかった」
などと悠長に思い出にひたっている場合ではありませんぞ!
つ、つ、ついに、群馬県も今日から新型コロナウイルス対策の 「まん延防止等重点措置」 が適用となり、県内10市町の飲食店は6月13日まで営業時間短縮および酒類の提供が自粛されることになりました。
ていうことは、これって実質、飲み屋は 「休業しろ!」 ということであります。
さらに言葉をねじ曲げれば、“呑兵衛大虐殺” ですぞ!
大変だーーー! 大変だーーー!!
と右往左往しているところに、一本のメールが届きました。
<会えるのは明後日まででやんす トホホ>
なんとも悲痛な叫び声。
発信は、我らのたまり場酒処 「H」 のママからであります。
もう、居ても立ってもいられません。
このままでは呑兵衛の聖地が失われてしまいます。
ということで昨日は、真っ昼間から “聖地救助隊” の一員として、馳せ参じたのであります。
午後3時半、一番乗りを果たし、カウンター奥のいつもの席に陣取りました。
「ママ、今日が最後なんだって?」
「縁起でもないね、なにが最後だい!?」
「だって会えるのは、今日が最後だって?」
「明日から “まん防” が始まるから、その前に会えるのは今日までという意味だよ」
とかなんとか言いつつ、
「今日はヤケ酒だね。とりあえずカンパイ!」
と、いつもと変わり映えしない、平和なひと時が始まりました。
ところが30分と経たないうちに、一人、また一人と、馴染みの顔が現れました。
「今日までだって!」
「だから……」
その都度、ママと常連とのやり取りがおかしくて、それでいて心がほっこりするのであります。
サッカー指導員Kちゃん、永遠のマドンナYちゃん、歌舞伎大好き婦人のRさん、いつも仲良しカップルC&T……
ついには、パイプをくわえて巨匠、M画伯までが “お別れ” を言いに登場です。
そのたびに 「カンパ~イ!」 が響き渡り、「コロナに負けるな!」 「酒の販売を認めろ!」 「オリンピックなんて、やってる場合じゃないだろ!」 「俺は明日から、どこで呑めばいいんだ!」 ……などなど、思い思いのグチがカウンターの上を転がり出します。
あと30分、20分、10、9、8、7……
カウントダウンが始まりました。
“まん防” 以前に、すでに午後8時までの時短要請が発令されているのであります。
「次に会えるの、いつよ?」
「1ヶ月後だよ」
「いっかげつーーーーーー!!!(涙)」
いや~ん、もう、まん防!
呑兵衛には試練の1ヶ月間が始まりました。
2021年05月15日
「群馬の地酒」をよろしくお願い申し上げます。
現金以外で、他人からもらって嬉しいものは?
人それぞれでしょうが、僕の場合、迷うことなく、こう答えます。
「酒」 だと。
それも日本酒、さらに 「群馬の地酒」 なら完璧です!
先日、宅配便により日本酒が届きました。
「あれ、お中元には、まだ早いよな……」
と思いつつ、送り主を見ると、“群馬県酒造協同組合” とあります。
そーでした!
近々、「ぐんまの地酒大使」 の委嘱式があるのです。
でもコロナ禍の最中です。
ご多分にもれず、リモートによる開催となってしまいました。
よって、その前に 「委嘱状」 と記念品である 「群馬の地酒」 が送られて来たのであります。
僕が 「ぐんまの地酒大使」 に委嘱されたのは、2年前の春でした。
委嘱のきっかけは、僕が長年にわたり “群馬の地酒” をテーマに、蔵元や居酒屋をめぐるエッセイを書いているからでした。
蔵元からの推薦があったようです。
2年前の委嘱式は、高崎市内のホテルで盛大に開催されました。
同じ 「ぐんまの地酒大使」 には、吉本興業在籍で “群馬住みます芸人” のアンカンミンカンのお2人や、群馬出身の落語家、林家つる子さんらも委嘱されています。
ということで、今回の委嘱で、僕は “2期目” を務めることになりました。
まだまだ勉強中ではありますが、さらに精進し、群馬の地酒を呑み続けてまいります。
ので、これからも蔵元のみなさん、組合のみなさん、そして群馬の地酒を愛する消費者のみなさんのご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします。
山紫水明の国、群馬
その恵まれた風土が醸し出す最良の酒
「群馬の地酒」 を、よろしくお願い申し上げます。
2021年05月14日
コロナ VS 性欲
ちょうど1年前の今頃でした。
馴染のカウンターで常連客と、こんな会話をしたことがあります。
「来年の出生率は、上がるかね? 下がるかね?」
僕の問いに常連客は、
「当然、下がるでしょう! “3密回避” に “不接触” の時代ですよ」
僕も、それが正論だと思います。
でも、性欲とは、抑えられるものなのでしょうか?
「どうかな? 不要不急の外出禁止だから “不倫” は減るかもしれないけど、その分、“家庭内性交渉” は増えるんじゃないの?」
などと異論を唱えてみたのであります。
その後、「将来の不安から家庭内でも避妊する確率が増えるんじゃないか?」 とか、「在宅ワークが多くなるんだから、ついつい始めちゃうんじゃないの?」 なんて、酔いに任せて勝手な憶測をしていたのであります。
が!
結果が出ました~!!
なななんと! 僕らみたいに酒の席ではなく、国が真面目にリサーチしてくださったんです。
厚生労働省研究班の調査によれば、昨年の3~5月の間に男性の4割、女性の6割が性交渉をしなかったことが判明しました!
これは全国の20~69歳の男女9,990人が回答したものです。
性交渉の頻度について聞いたところ、
「しなかった」 49.8% (男性39.5%、女性59.8%)
が最も多く、
「減った」 7.9%
「変わらなかった」 39%
でした。
この結果は、未婚でも既婚でも変わらなかったといいます。
さて、気になるのは、その理由です。
減った理由については、
「外出を控えた」 (男性45.7%、42.1%)
「その気になれなかった」 (男性22.6%、女性48.8%)
などが挙げられています。
ここで気になるのは、「外出を控えた」 という理由です。
既婚者ならば、それは “不倫” の頻度が減ったということですよね。
その減った分の頻度が、家庭内には還元されなかったということなんでしょうか?
とりあえず、コロナ禍においては、人間の性欲は減退するということだけは、判明しました。
これで今年の出生率も下がり、少子化にますます拍車がかかってしまうということであります。
2021年05月13日
湯守の女房 (6) 「杖を忘れて帰ったお客さんもいるんです」
このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に紹介します。
湯守とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
(肩書等は掲載当時のまま。一部、加筆訂正をしています)
奥嬬恋温泉 「干川旅館 花いち」 (嬬恋村)
初めて干川(ほしかわ)旅館に泊まった晩に、3代目女将の干川陽子さんから不思議な話を聞いた。
それは酒と米を持って詣でると、かなりの確率で願い事をかなえてくれる鎮守様の話だった。
「地元では昔から有名な神社なんですよ」
と場所を教えてくれた。
女将に言われた通りに参拝すると、数カ月後に、願い事は見事にかなえられた。
女将は生まれも育ちも嬬恋村。
それも干俣(ほしまた)地区である。
高校卒業後は前橋市内で会社勤めをしていたが、自然に囲まれた故郷が恋しくなり、22歳の時に帰ってきた。
その頃、幼なじみであるご主人の英男さんと再会した。
「干川旅館に勤めようかと思っていましたが、そのまま嫁いでしまいました」
と恥ずかしそうに笑う。
女将の旧姓も 「干川」 だった。
「名字が変わらないので、今でも独身と思われてしまうことがありますが、この名字には面白いいわれがあるんですよ」
その昔、源頼朝がイノシシ狩りで、この地を訪れた際、村人たちがイワナやヤマメなどの川魚を献上したところ、大層喜ばれたとのこと。
「どう捕まえたのか?」
と尋ねられたため、水をせき止め、川を干して魚を取ったことを告げたところ、「干川」 という名前が与えられたという。
平成3(1991)年、女将が嫁いだ頃は、ビジネス客やスポーツ合宿する学生たちを受け入れる一般旅館だった。
掘削に成功し、温泉が湧いたのは1年後のこと。
泉質は、山間部では珍しい高濃度の塩化物温泉。
独特の黒い湯の花が舞うにごり湯は、「良く温まり、湯冷めをしない」 と評判を呼んだ。
「チェックインの時は疲れ切った顔をしていた人が、元気になって帰って行く姿を見ると、温泉宿にして良かったと思います。杖を忘れて帰ったお客さんもいるんですよ」
同15年、本館の隣に客室わずか4部屋の別邸 「花いち」 をオープンした。
「野に咲く一輪の花のようにありたい」
という女将の願いが込められている。
今日もロビーでは、名も知らぬ野花が、客人たちを出迎えている。
この地で生まれ育ち、この地を愛し続ける女将ならではの素朴なもてなしが、何よりの癒やしとなっている。
ひと風呂浴びたら、久しぶりに干俣の諏訪神社を訪ねてみようと思う。
願うことは一つ。
震災後、閑古鳥が鳴いている県内の温泉地に、一日も早く客がもどりますように。
<2011年5月18日付>
2021年05月12日
怪談 「迷い道」
昨日、僕はブログに “霊感はない” と書きました。
その後、よくよく思い出してみると、僕自身が体験したことではないのですが、とっても不思議な出来事の “証人” になったことがありました。
それは昔々のこと。
今から45年も前の暑い夏の夜のことでした。
高校3年生の夏休み。
それまでに誕生日を迎えたクラスメートたちは、我先にと、こぞって自動車の運転免許を取りました。
仲間内で一番先に免許を取得したS君から電話があったのは、8月の夜のことでした。
「オヤジが車貸してくれるってさ。今からジュンちへ行くから、ドライブしようぜ!」
時計を見ると、7時を少し回った頃でした。
S君の家は、前橋市に隣接するO町。
県道で一本、車なら30~40分の距離です。
ところが8時になっても、8時半になっても彼は来ません。
9時を過ぎた時、しびれを切らした僕は、S君の家に電話を入れました。
すると母親が出て、
「あれ、小暮君ちへ行くって言って、出て行ったけど」
「それは、何時頃ですか?」
「うーん……、小暮君に電話したんじゃないの? あの後、すぐに出かけたわよ」
いや~な予感がします。
事故に遭ったんじゃないだろうか?
携帯電話のない時代です。
こちらからは連絡ができません。
もし、何らかのトラブルがあり、来れなくなったのであれば、公衆電話からかけてくるはずです。
それができないということは、大きな事故に巻き込まれたのかもしれません。
「どうしたの?」
電話の前でオロオロしている僕を見て、オフクロが声をかけてきました。
「S君が、来ないんだよ」
「S君って、O町の?」
「ああ、もう2時間以上も経っているんだ。ヘンだよね?」
「どこかに寄り道しているんじゃないの?」
「それはありえないよ。すぐ行くって言ってたもの……」
ついに、時計の針は10時を過ぎてしまいました。
これは絶対、何か遭った。
彼の両親に、知らせなくっちゃ!
と電話の受話器に手をかけた時でした。
「外に誰か来たみたいよ。S君じゃないの?」
オフクロの声を聞いて、玄関へ走り、ドアを開けると……
「よっ、おまたせ!」
S君が、いつものはにかんだような笑顔で立っていました。
「おまたせじゃねーよ! いったい、どんだけ待たせるんだよ! 心配かけるなよ!」
友人を罵倒する僕の前で、当の本人は、キョトンとした顔をしています。
その顔は、「何のことを言われているのか分からない」 と言いたげです。
「どこ寄り道してたんだよ?」
「寄り道?」
「そーだよ、今、何時だと思っているんだ?」
彼は、左手を上げて、腕時計を見ました。
「まだ、8時を過ぎたところだけど……」
と言った後、見る見るうちに顔色が変わっていきました。
「何が8時だよ! 10時を過ぎているんだぞ!」
彼の唇が、震え出しました。
「そ、そんな……。オレの時計、狂っているのかな?」
「狂ってなんか、ねーよ! ほら、見てみろ」
と僕は、玄関の柱時計を指さしました。
「2時間も余分に、どこをほっつき回っていたんだよ?」
「……」
「本当のことを言えよ」
「……」
少しの沈黙の後、S君は言いました。
「オレ、2時間も、どこに居たんだろう? 電話を切った後、まっすぐ来たのに……」
信じるか、信じないかは、あなた次第です。
2021年05月11日
身近な恐怖
「霊感って、ありますか?」
「いや、まったく」
「ご興味は?」
「不思議なことは好きですけど」
「今度、この方の怪談会に行こうと思うんですけど、ご一緒しません?」
と言われ、知人女性から一冊の本を手渡されました。
戸神重明/編著 『高崎怪談会 東国百鬼譚』 (竹書房)
なんでも高崎市出身在住の作家さんで、地元の怪談話を集めた本を書いたり、怖い話の朗読をする 「怪談会」 なるイベントも開いている方らしいのです。
家に帰り、借りて来た本をペラリとめくって、驚きました。
というのも、いきなり第1話の冒頭は、こんな文章から始まっていたのです。
<群馬県前橋市に住む小暮さんは、……>
おいおい、これ、俺のことじゃねーの!?
なんて、突っ込みを入れながら一気に読んでしまいました。
それくらいに丸々一冊、“群馬一色” で、地名や施設名など知っている場所ばかりが登場します。
そこで、ハッとしました。
そうか! 知っている “場所” だから怖いんだ!
もしこれが○○県××市だったら 「作り話かもしれない」 と思うし、土地勘のない聞きなれない地名では、他人事に感じるかもしれません。
でも、知っている場所、住んでいる地区となると、「もしかしたら自分も遭遇するかも」 という臨場感が増します。
現に僕は本を読みながら、「この公園って、あそこじゃねーの?」 「おいおい、その公衆電話、使ったことあるぞ!」 なんて、知らず知らずのうちに突っ込みを入れてましたものね。
なんで、この作家は群馬限定に、こだわっているんだろう?
って思っていましたが、
“怪談は身近なモノほど怖い”
からなんですね。
どうか、我が家と我が家のまわりには、現れませんように……