温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年05月31日

コロナ明けの予感


 新型コロナウイルスの感染拡大が始まったのは、確か、2020年の2月だったでしょうか。
 一気に世界中が “自粛ムード” に包まれました。

 まっ先に影響を受けたのは、“不要不急” と称された観光業や飲食店でした。
 当然ですが、僕のようなフリーランスで働くライターも、この不要不急業種に入っていました。
 すべての取材がキャンセルとなり、暗黒の時代へと突入しました。


 僕の収入源は、大きく分けて2つ。
 取材をして原稿を書く 「執筆」 と、講演やセミナーに招かれる 「講師」 です。
 執筆は、コラムやエッセーならば人に会わずに原稿を書くことができますから、細々ながら仕事はありました。
 でも、不特定多数を前に話をする講師は、2020年の1月を最後に、その年の予定は一旦、すべてキャンセルもしくは延期となりました。


 コロナ以前、僕は年間約30回の講演・セミナーに呼ばれて、講師をしていました。
 それが2020年はリモートを含め、7回でした。
 それでも、あのコロナ禍に、定員を縮小して、万全の対策を施しながら開催してくれた主催者があったことは、大変感謝しております。

 緊急事態宣言、まん延防止重点措置……

 私たちは、それまで人類が経験したことのないような世界規模での自粛を強いられました。
 ワクチンも3回打ちました。
 いったい、いつまで続くのでしょうか?


 それでも2年目の昨年は、おかげさまで15回(13会場)の講演がありました。
 どの会場でも定員を縮小し、徹底した対策が行われていました。
 あまりにも長引くコロナ禍で、人々は閉口しながらも着実に知恵を付け、模索しながら新たな展開を見つけています。

 少しずつですが、僕の日常も戻りつつあります。


 ここに来て、大きな変化がありました。
 延期されていた講演に加え、新規の依頼が一気に入って来ています。
 今月だけでも4本の予約が入りました。
 内訳は、県内3、県外1。

 この調子で行けば、今年はコロナ前の数に戻りそうです。


 きっと、みなさん、予想以上に続くコロナ禍に辟易し、嫌気がさしているんでしょうね。
 「前のように、自由に、好きなところへ行きたい!」
 そんな心の叫びが聞こえてくるようです。

 主催者側は万全の対策のもと、みなさんのお越しをお待ちしています。
 僕も楽しくてためになる温泉や民話の話を用意して、お迎えします。

 さあ、元気を取り戻しましょう!
 コロナの夜明けは、近いぞ!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(4)講演・セミナー

2022年05月30日

今日は小さな一生


 本当なのだろうか?
 ブラジル・アマゾンの熱帯雨林に暮らすインディオの人には、ウツも自殺もないといいます。

 著名な心療内科医が新聞のコラムに書いていたのですから、本当なのでしょうね。
 ただし、こんなことも書かれていました。

 <寝ていると天井からサソリが落ちて来たり、夜トイレに行く時、猛獣に襲われないよう気をつける生活>

 その日一日生きることが奇跡のような毎日なのだと。


 ウツも自殺もないけど……
 その実情を聞いてしまうと、納得せざるをえませんね。
 日本の実情とは、“一日” の意味合いが違い過ぎるようです。

 昨年の日本の自殺者数は、2万1,007人。
 3万人を超えた平成のピーク時に比べると減少した感がありますが、それでも世界の先進国の中ではダントツに多い数字です。

 自殺に追い込まれる原因は、人それぞれだと思います。
 経済面や健康面など多岐にわたりますが、理由は1つです。

 “不安”

 将来への不安が心理的な負担になった結果、自ら命を絶つという選択にたどり着いてしまいます。


 では、アマゾンに暮らすインディオたちには、将来の不安はないのでしょうか?

 そうか!
 サソリや猛獣への不安は、将来ではなく “今” の不安なんですね。

 <アマゾンは今日一日が小さな一生という気持ちで生きている> 


 心療内科医は、“一日の重さ” の違いについて、こうも記しています。

 <技術の進歩は私たちの生活を生きやすくした。温度や湿度が保たれた部屋で動物に襲われる心配もなく暮らせる生活だ。でも人々はお互いに非難し合ったりする。すぐに気持ちが落ち込み生きていることを楽しめなくなる。>


 どこまでインディオの考え方に近づけられるかは分かりませんが、一日の重さについて、もう一度考え直してみたくなりました。

 「今日は小さな一生」

 今を大切に生きたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 12:17Comments(0)つれづれ

2022年05月29日

ぐんま湯けむり浪漫 (8) 鹿沢温泉


 このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


   鹿沢温泉 (嬬恋村)


  吹雪をしのぐ間に作られた替え歌


 ♪ 雪よ岩よ われらが宿り 俺たちゃ町には 住めないからに ♪

 誰もが知っている昭和のヒット曲 『雪山賛歌』 だが、この歌が群馬の鹿沢(かざわ)温泉で誕生したことは、あまり知られていない。

 作詞は、後に第1回南極越冬隊長を務めた登山家で、京都大学理学部教授だった西堀栄三郎氏。
 大正15(1926)年1月、京大在学中に山岳部の仲間たちと鹿沢温泉でスキー合宿を行った。
 悪天候が続き、吹雪をしのぐために宿で待つ間、退屈まぎれに 「山岳部の歌」 を作ろうということになった。
 歌は、アメリカ民謡 『いとしのクレメンタイン』 の替え歌として作詞されたという。

 戦後になり、京大山岳部がこの歌を寮歌に加え歌っていたのが急速に広まり、一般にも愛唱されるようになったが、作者は不詳だった。
 のちに京大教授の桑原武夫氏が作詞の経緯を知り、著作権を登録し、この印税を同山岳部の活動の資金源とした。

 昭和46(1971)年、鹿沢温泉の一軒宿 「紅葉館(こうようかん)」 の脇に、西堀氏の直筆による碑が設置された。


  自然流下による ありのままの湯


 温泉の歴史は古く、白雉元(650)年と伝わる。
 村人が峰から光明が差しているので行ってみると、熱湯が湧き出しており、薬師如来が現れたという伝説が残っている。
 また猟師が湯につかっている傷ついたシカを目撃して以来、傷に効果があるという話が伝わり、いつしか 「鹿沢」 の字が当てられるようになったという説もある。


 宿の創業は明治2(1869)年。
 往時は十数軒の旅館があり、にぎわっていたが、大正7(1918)年の大火で全戸が焼失してしまった。
 多くの旅館が再建をあきらめ、数軒は約4キロ下りた場所に新鹿沢温泉を開いた。

 湯元の 「紅葉館」 だけが、この地に残り、大切な源泉を守り続けている。
 このため鹿沢温泉は、地元では 「旧鹿沢温泉」 とも呼ばれている。


 「湯に手を加えるなというのが、先祖からの教えです。湯の鮮度を考えると、浴槽もこれ以上大きくできません」
 と4代目湯守(ゆもり)の小林康章さん。
 1時間で浴槽内の全ての湯が入れ替わるように、湧出量に見合った大きさを守っているという。

 露天風呂もなく、浴室にはカランやシャワーもない。
 昔ながらの湯治場の姿を守っている。

 自噴する源泉は宿より高い場所にあり、地形の高低差だけを利用して、自然流下により浴槽へと湯を引き入れている。
 その距離、わずか10メートル。
 源泉の温度は約47度。
 湯口に届くまでに2~3度下がるというが、それでも浴槽には常に熱めの湯が満たされ、惜しみなくかけ流されている。


 平成25(2013)年6月、老朽化のため本館が建て替えられた。
 「浴室と浴槽は、ご先祖さまの言いつけどおり、そのまま残しました」
 と長男の昭貴(てるたか)さん。
 5代目の湯守を継いだ。


 <2018年2・3月号>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:01Comments(0)湯けむり浪漫

2022年05月28日

半世紀の誤解


 「小暮くん?」
 「……!?」

 ひょんなところで、オバサンに声をかけられました。
 見た目の年齢と、僕のことを “くん” と呼ぶところをみると、同級生のようです。

 「あっ、もしかしてMさん?」

 面影から推測して、小学校の同級生の名前を告げました。

 「そう、よく分かったね~! うれしい」

 でも僕は当時、彼女のことをMさんなんて名字で呼んだことはありませんでした。

 「 I ちゃんだ!」
 「覚えていてくれたんだ。うれしい~!」

 そう言って笑った顔は、あの頃のままです。


 I ちゃんと僕は幼なじみ。
 実家のある同じ町内で育ち、小さい頃からよく、I ちゃんちの隣の神社の境内で遊んだ記憶があります。

 「なつかしいね~! 何年ぶり?」
 「小学校卒業以来だから50年ぶりか?」
 「中学校も同じだったよね?」
 「でも一度も同じクラスにはならなかった」
 「じゃあ、やっぱり50年ぶりか……」


 僕らは、ひょんな場所で立ち話を始めました。
 話題は当然、神社での遊び。

 「缶蹴りしたね」
 「したした」
 「自転車の後ろにも、よく乗せてもらったよ」
 「ああ、アニキのお下がりのボロ自転車ね」
 「○○くんや××ちゃんは、元気かな?」
 「みんな、いいジイサンとバアサンになっているよ(笑)」


 そして話は、ある年の夏に起きた事故の話に。

 「雷が落ちたよね?」
 「えっ、どこに?」
 「 I ちゃんちの屋根に」
 「落ちてないよ!」
 「いや、違った。神社のイチョウの木に落ちて、その枝が I ちゃんちの屋根を直撃したんだ!」

 すると I ちゃは、笑い出しました。

 「違う違う! それ、雷じゃなくて、台風」
 「台風?」
 「そう、だから季節も夏じゃなくて、秋」

 そうだったのか!
 50年間、ずーっと雷がイチョウの木に落ちて、枝が I ちゃんちの屋根に穴を空けたとばかり思っていました。
 長い年月の間に、記憶が上書きされていたんですね。


 「じゃあ、またね」
 「元気でね」
 「それと、雷じゃなくて、台風だからね」

 半世紀ぶりの I ちゃんの笑顔に見送られ、記憶の修正をしました。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:16Comments(0)つれづれ

2022年05月27日

同窓生って、いいもんだ!


 「社に、こんなメールが届いていたよ」
 そう言ってT君から、A4判のプリントを手渡されました。

 彼は新聞記者。
 そして僕の中学~高校時代の同級生です。


 <お久しぶりです。今朝の新聞社会面での 「浦島伝説 紙芝居で」 の記事を拝見しました。>

 メールはT君宛です。
 今年1月に伊勢崎神社で開催された街頭紙芝居の記事です。
 僕は、この紙芝居の原作を書いています。
 記事では、オリジナル紙芝居の口演1周年を記念したイベントの様子を伝えています。
 当日は、チンドン屋の演奏もあり、写真も大きくカラーで掲載されました。


 <いいアングルで、色鮮やか、状況をよく説明している写真だったので、本文を読むことにしました。>

 そう前置きがあり、この後、突然、僕のことが書かれていました。

 <その中に、○中同窓生でライターの小暮淳氏が出てきたのでビックリ。小暮氏は温泉だけでなく、いろいろなところで活躍していることを知りました。>

 そして文末に、差出人の名前が記載されていました。

 <○中同窓生 H K (M町二丁目在住)>


 H・K?
 すぐには思い出せませんでしたが、T君が教えてくれました。
 「ああ、あのH君か! でも同じクラスになったことなんてないよな」
 「だから同窓生なんだよ」

 僕らの出身中学は、前橋市内最大のマンモス学校でした。
 一学年だけでも400人以上の生徒がいるのですから、クラス替えをしても同じクラスになる人はわずかで、ほとんどの人とは卒業まで口を利いたことがありません。

 ただH君は生徒会活動に熱心だった子なので、記憶の中にあったのです。


 「うれしいね」
 「ああ、俺もメールをもらった時はビックリしたよ」

 記事を書いたT君の署名があったので、H君は新聞社にメールを送ったようであります。


 卒業して半世紀。
 50年後に同窓生から、こんなメールをもらうとは驚きました。
 そして、思いました。

 “どこかで誰かが見ている”


 「まだまだ、やれるかも!」
 そう人知れず思った小さな出来事でした。

 H君、ありがとう! 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(0)つれづれ

2022年05月26日

再放送のお知らせ


 <美味しそうにお酒を呑んでましたね>

 今週火曜日に放送された群馬テレビの 『ぐんま!トリビア図鑑』 を観た知人からメールが届きました。
 確かに番組では、お酒を呑むシーンが多かったですね。

 地ビール、ウイスキー、日本酒、ワイン……
 焼き鳥に餃子、締めのラーメンを食べる映像まで流れました。


 でも番組は、食レポだけではありませんでした。
 戦後の復興と復員兵たちのため造られた 「呑龍仲店」(通称、呑龍マーケット) の歴史も追っています。
 昭和の終わり、一軒の出火により、横丁が全焼してしまった大火。
 その貴重な映像も流れました。

 苦難を乗り越えての再建。
 バブル崩壊後、苦悩の平成時代。
 そして、令和の今。
 「呑龍仲店」 は、「呑竜横丁」 として不死鳥のようによみがえりました。


 <ごめん! 寝落ちしてトリビアを見逃した(涙)>

 そんな友人からのメールも届きました。
 でも大丈夫です。
 再放送があります!

 まだ観てない方、見逃してしまった方、ぜひ、再放送をご覧ください。



        ぐんま!トリビア図鑑
       「楽しい横丁!呑龍仲店」

 ●放送局  群馬テレビ (地デジ3ch)
 ●再放送  5月28日(土) 10:30~ 30日(月) 12:30~
  


Posted by 小暮 淳 at 10:35Comments(0)テレビ・ラジオ

2022年05月25日

ぐんま湯けむり浪漫 (7) 川原湯温泉


 このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


   川原湯温泉 (長野原町)


  頼朝が見つけた草津のあがり湯


 毎年1月20日の午前5時。
 極寒の中、紅白に分かれたふんどし姿の若衆が湯を掛け合う奇祭 「湯かけ祭り」。
 湯の神に感謝するこのユニークな行事には、こんないわれがある。

 昔、温泉が出なくなってしまい、村人たちは困り果てていた。
 ある日、村人の一人が温泉のにおいをかぐと、卵をゆでたにおいがしたため、ニワトリを生贄(いけにえ)にして祈願したところ、温泉が湧いたという。
 湯が再び出てきたので、村人たちは 「お湯が湧いた。お湯が湧いた」 と言って喜んでいたが、やがて 「お祝いだ、お祝いだ」 と言い合い、みんなで湯を掛け合うようになった。


 開湯は古く、800年以上前。
 建久4(1193)年年4月17日、源頼朝が浅間山に狩りに来た帰り際に、この地を通り、発見したと伝わる。
 その時、頼朝は草津の強い酸性の湯で肌にただれを起こしていたが、川原湯の優して湯につかり、完治したことから 「草津のあがり湯」 と呼ばれるようになった。

 江戸時代には旅館もでき、湯治場として栄えた。
 食料品などを携帯して、長期滞在する客が多かったという。

 松尾芭蕉や若山牧水、与謝野晶子、斎藤茂吉、土屋文明など文人らが訪れ、近くには画家や作家の別荘も多く、文化の薫り高い温泉街となった。


  湖を見渡す新天地に未来を託して


 昭和27(1952)年、のどかな温泉街に突然、八ッ場(やんば)ダム建設の計画が持ち上がった。
 いったんは中止となったが、同40(1965)年に国は計画を再開。
 ダムの高さ131メートル、供給水量は毎秒16トン (当時発表)。
 洪水を調節し、首都圏の生活・工業用水をまかなうというもので、全国的に見ても大型のダム計画だった。
 水没予定地区は5地区合計で340世帯にのぼり、うち川原湯地区は約3分の2を占めていた。

 計画から60余年。
 八ッ場ダム完成まで、あと2年となった。
 紆余曲折の長い闘争と翻弄の日々が終わろうとしている。


 旧温泉街を見下ろす山腹の代替地には、鉄道の駅舎ができ、橋が渡り、道路が通った。
 共同浴場の 「王湯」 をはじめ、すでに5軒の温泉宿が移転している。
 まだまだ温泉街と呼ぶには殺風景だが、一歩また一歩と湯の町風情を取り戻しつつある。
 「湯かけ祭り」 も、3年前から新天地に会場を移して開催されている。

 「以前の温泉街に比べると、ここは標高600メートルの高台です。風をさえぎる物がなく吹きさらしなので、気温はマイナス10度以下になります。ふんどしが凍りつく寒さです」
 と笑う、川原湯温泉協会長の樋田省三さん。
 “旧七軒” と呼ばれる老舗旅館の5代目でもある。

 「次世代を担う若い後継者が、帰って来ています。私たちは過去を引きずっていますが、彼らには未来しかない。新しい川原湯温泉に期待しています」

 3年もすると、旧七軒がそろうという。


 昔から神経痛やリウマチに効用があるといわれてきた奥上州の名湯である。
 浴衣姿の湯治客が通りを行きかう、かつてのにぎわいを取り戻してほしい。


 <2018年1月号>

 ※八ッ場ダムは令和2(2020)年4月1日より運用を開始しました。ダム湖は 「八ッ場あがつま湖」 と命名されました。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:23Comments(2)湯けむり浪漫

2022年05月23日

クッキーもしくはビスケット


 「左党だから甘いものは苦手ですか?」
 と訊かれることがありますが、そんなことはありません。

 両党使いです!

 とはいっても、微糖派です。
 ケーキのクリームよりも和菓子のあんこが好きです。
 豆大福なんて、無性に食べたくなることがあり、わざわざ買いに行くこともあります。

 それと、アイス!
 季節を問わず、呑んだ帰りは必ずコンビニ寄って、アイスバーを一本。
 お気に入りは 「ブラックサンダー」 です。


 実は僕の仕事場には、年中欠かすことのないお菓子があります。
 それは、クッキーもしくはビスケット。
 疲れたらサクッ! 考え事をしながらサクッ! 読書の合間にサクッ!

 気が付いたら何十年も、その習慣が続いています。


 「なんで僕は、こんなにもクッキーやビスケットが好きなんだろう?」
 ある日、真面目に考えてみました。
 すると、思い当たるのは幼少期の出来事。

 昭和35(1960)年9月~同42年3月までの6年半にわたり、NHK総合テレビで放送されていた 『おかあさんといっしょ』 の中で、「ブーフーウー」 という、ぬいぐるみと着ぐるみの人形劇がありました。
 いわゆる童話 「三匹の子ぶた」 の後日談のような劇なのですが、ブーとフ―とウーという3匹の子ぶたとオオカミの話です。

 この劇の最後で、必ずオオカミが進行役のおねえさんに、ビスケットをねだるのです。
 そしてビスケットを、おいしそうに食べるんです。

 「早く早く、ビスケット食べちゃうよ~!」
 とテレビの前の僕は、毎回、オオカミと一緒に食べたくて、母親にビスケットをねだるのでした。
 すると母親は、
 「はいはい、ちゃんと買ってありますよ」
 と言いながら、ビスケットが2枚のったお皿を持ってきてくれました。

 以来、僕は、大人になってもクッキーもしくはビスケットが好物となり、自分から自分へのご褒美として常備するようになりました。


 今でもクッキーもしくはビスケットを口に含むと、時々、3匹の子ぶたとオオカミの姿が浮かびます。
 三つ子の魂なんとやら……
 味覚の思い出というのは、一生ついてまわるのですね。

 ということで、今、サクッと口の中にクッキーを放り込みました。
  


Posted by 小暮 淳 at 14:28Comments(2)昭和レトロ

2022年05月22日

祝! 「群馬泉 舞風」


 朗報が飛び込んで来ました!

 世界的なワインの品評会 「インターナショナル・ワイン・チャレンジ (IWC) 2022」 のSAKE (日本酒) 部門純米酒の部で、島岡酒造 (太田市) の 「群馬泉 舞風」 が、金メダルの中から選ばれる最高位の 「トロフィー」 に輝きました。


 スゴイ! 凄い! すご~い!
 「ぐんまの地酒大使」 としては、もちろんのこと、個人的にも大変うれしいニュースであります。
 というのも、僕は昨年暮れに島岡酒造を訪ね、6代目蔵元の島岡利宣さんを取材したばかりなのです。

 その時、江戸後期創業の歴史から銘柄名の由来、伝統の製法 「山廃造り」 へのこだわりについてなど、たくさん話を聞いてきました。
 ちなみに、「山廃(やまはい) 」 とは、蔵付きの天然乳酸菌と自然の力を巧みに利用して酵母を育てる日本古来の醸造法です。
 こんなに手間暇かけた酒造りをしている蔵元は、県内には数蔵しかありません。


 そして今回は、その山廃の中でも 「舞風(まいかぜ)」 が受賞しました。
 これまた、スゴイ!
 だって、made in GUNMA の酒が世界に認められたのですぞ!


 「舞風」 とは?

 酒米や酵母、仕込み水など群馬県産にこだわった地酒です。
 群馬県酒造組合では、「舞風」 のおいしさを味わってもらうために、製造する酒造りのルールを定めています。
 ●酒米は、群馬県産酒造好適米 (オリジナル酒米) 「舞風」 を100%使用すること。
 ●精米歩合60%以下の 「特定名称酒」 とすること。 (純米吟醸酒、吟醸酒、純米酒、本醸造酒)
 ●群馬県産の 「酵母」 を使用すること。
 これらの基準を満たした日本酒だけが 「舞風」 のシンボルマークを揚げて販売されます。


 先日、「ぐんま地酒大使」 の僕のもとにも、この “舞風ブランド” のギフトセットが届きました。
 その中に 「群馬泉 舞風 山廃酛純米」 も入っていました。
 ラベルには、こんな一文が添えられていました。

 <当品は群馬で生まれ作付された、酒造好適米 「舞風」 を用いて醸したお酒です。伝統製法山廃造りによる自然な酸味と舞風の透明感のある爽やかな味わいをお楽しみください。>


 まだ、オール群馬の地酒 “舞風ブランド” を未体験の方!
 ぜひ、これを機会に、世界が認めたmade in GUNMA を味体験してください。

  


Posted by 小暮 淳 at 12:33Comments(2)大使通信

2022年05月21日

ぐんま湯けむり浪漫 (6) 法師温泉


 このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


   法師温泉 (みなかみ町)


  湯の歴史と文化が漂う秘湯の宿


 創業は明治8(1875)年。
 群馬と新潟県境の三国峠にほど近い、上信越高原国立公園特別地域に隣接する秘湯の一軒宿 「長寿館」。

 初代の岡村貢氏が私財を投じて、現在の本館を建てた。
 当時、法師温泉には4、5軒の宿があったという。
 戦後には、長寿館ただ一軒となってしまった。


 法師川に寄り添う細道は、昔から文化の懸け橋を担う人々が、三国峠を越える際に往来した。
 若山牧水、与謝野晶子、高村光太郎、直樹三十五、川端康成……。
 名だたる文人墨客たちが投宿しており、館内には写真や短歌、書画が数多く飾られている。

 また秘湯感あふれるロケーションから、戦後になってからは数々の映画やテレビCM、雑誌の撮影などが行われてきた。
 一躍、法師温泉の名を全国に広めたのが、旧国鉄 (現JR) が熟年夫婦を対象にした 「フルムーンキャンペーン」 のテレビCMとポスターだった。
 女優、高峰三枝子と俳優、上原謙の入浴シーンが、当時、大変話題になった。

 ほかにも小栗康平監督の県人口200万人記念映画 『眠る男』 や大林宣彦監督の 『彼のオートバイ 彼女の島』、最近では阿部寛と上戸彩主演の 『テルマエ・ロマエⅡ』 の舞台にもなった。


  有形文化財に登録された湯殿建築


 苔むす杉皮ぶきの屋根、かつての旅籠(はたご)の面影を残し、旅情ただよう玄関。
 引き戸を開けて土間に入ると、大きな吹き抜けロビーの続きに、炉が切られた部屋がある。
 いつ訪ねても薪がパチパチと爆(は)ぜ、鉄瓶がシュンシュンと鳴っている。
 そっと出される一服の茶に、旅装が解かれていく。

 「湯守(ゆもり)は、源泉の湧き出し口だけを守っていればいいのではありません。一番大切なのは、温泉の源となる雨や雪が降る場所、つまり宿の周りの環境を守ることなんです」
 と6代目主人の岡村興太郎さん。

 周辺の山でトンネル工事が行われると、湯脈を分断される恐れがある。
 スキー場やゴルフ場ができれば、森林が伐採されて山は保水力を失い、温泉の湧出量が減少するかもしれないという。


 代々、湯守が守り継いできた温泉は、全国でも1%未満しかないといわれる浴槽直下から源泉が湧く足元湧出泉。
 その温度は、入浴の適温とされる約42度。
 まさに “奇跡の湯” である。

 明治28(1895)年に建てられた混浴の大浴場 「法師乃湯」 は、本館、別館とともに国の有形文化財に登録されている。
 アーチ形の窓をしつらえた鹿鳴館風の湯殿は、太い梁(はり)をめぐらせた天井や壁、床、浴槽にいたるまで、すべてが木造り。
 湯舟は “田の字” に木枠で仕切られ、それぞれに丸太が掛け渡されている。

 丸太の枕に頭をのせて湯を浴(あ)んでいると、時おり、湯床に敷き詰められた小石の間からプクプクと湯玉が湧き上がり、背中をくすぐる。
 たった今、約50年前に降った雨が、温泉となって生まれ変わったのだ。



  《草枕手枕に似じ借らざらん 山乃いでゆ乃丸太のまくら》 晶子

 昭和6(1931)年9月4日、歌人の与謝野鉄幹、晶子夫妻は三国路を訪れ、長寿館に3泊している。
 晶子の 『法師温泉の記』 によると、「この温泉を以前から高村光太郎さんが愛して度度行かれる。私達夫婦も高村さんに教へられて一昨年から遊びたいと思っていた」 とある。
 同館には、晶子が法師温泉から三国峠に、駕籠(かご)に乗って向かう様子を写した写真や宿泊した部屋が残されている。


 <2017年12月号>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:51Comments(0)湯けむり浪漫

2022年05月20日

YouTubeに 「焼きまんじゅうろう」 参上!


 ♪ ハァ~ 背なで転がす 空っ風
   焼きまんじゅうろう 旅すがた
   あまから みそだれ 一刀流
   ハァ~ 今宵 三日月 出てござる
   悪を憎んで 手加減無用
   あまから剣法 みそだれ返し ♪
   (作詞/野村たかあき 作曲/小暮淳 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 より)


 平成20(2008)年、夏。
 「焼きまんじゅうろう」 は、前橋市内の盆踊り会場に初登場しました。

 生みの親は、前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生。
 その年の春に、キャラクター画とともに上記の作詞を手渡されました。

 「これに曲を付けて、ジュンちゃんのバンドで歌ってよ」

 そして誕生したのが 「焼きまんじゅうろう」 のテーマソング、『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 であります。
 歌と演奏は、「じゅん&クァ・パラダイス」。
 その年の夏から毎年のように県内の祭やイベントに呼ばれ、群馬のソールフード 「焼きまんじゅう」 の応援歌として歌い続けてきました。
 またCDも制作され、ラジオやテレビなど各メディアで放送されました。


 そして、昨年。
 「焼きまんじゅうろう」 は、野村先生の直筆による書き下ろし紙芝居となり、伊勢崎神社の境内にて街頭紙芝居として口演さています。
 すると、さらに “まんじゅうろう愛” に火が付きました。

 ついに、「焼きまんじゅうろう」 は落語になりました!


 今月3日。
 群馬県立土屋文明記念文学館で開催中の企画展 『落語と文学』 のスペシャルイベントとして、前橋市在住のアマチュア落語家、都家前橋(みやこや・ぜんきょう)氏による創作落語 「焼きまんじゅうろう旅姿~玉村宿の決闘」 が初披露されました。

 すると、100席の定員に対して260人の応募という大人気に!
 文学館側の配慮により急きょ、同15日に追加公演が開催されました。


 この度は、たくさんの人に 「焼きまんじゅうろう」 の落語を聴いていただきありがとうございました。
 関係者の一人として、厚く御礼申し上げます。

 そして、惜しくも2回の抽選にはずれてしまい、いまだに落語を聴いていない方へ。
 朗報です!
 YouTubeでの配信が始まりました。

 しかも、初披露版と追加公演版の2作がアップされました。
 この機会に、ぜひ、ご覧ください。


 【検索】 都家前橋 玉村宿の決闘
  


Posted by 小暮 淳 at 11:14Comments(0)ライブ・イベント

2022年05月19日

来週オンエア! 横丁放浪記


 のん兵衛のみなさん、こんにちは~!
 群馬の吉田類こと、“酔っぱライター” の小暮淳で~す!

 ということで、先日、予告しました群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 の放送日が近づいてまいりました。
 とかく歴史物の堅苦しいネタが多い当番組ですが、久々に、ゆ~るい企画が出来上がりました。


 昔、「呑龍(どんりゅう)仲店」 (通称、呑龍マーケット)。
 そして今、「呑竜横丁」 として生まれ変わった前橋のゴールデン街。
 ※(横丁の詳細とロケの様子は、当ブログの2022年4月28日 「ハッスル餃子とロゼのワイン」 を参照)

 昭和から平成へ、そして令和に残るディープな酒場街をリポートします。
 


        ぐんま!トリビア図鑑
       「楽しい横丁!呑龍仲店」

 ●放送局  群馬テレビ (地デジ3ch)
 ●放送日  2022年5月24日(火) 21:00~21:15
 ●再放送  5月28日(土) 10:30~ 30日(月) 12:30~
  


Posted by 小暮 淳 at 09:28Comments(4)テレビ・ラジオ

2022年05月18日

わずか6%の奇跡


 「いやあ、『ガラケー3兄弟』 は、面白かったな~ 」

 さる会社の社長さんとの雑談の中で、不意に話題をふられました。
 以前、このブログで書いたガラケー携帯にこだわる3人の男たちの話です。
 (2022年4月30日 「ガラケー3兄弟」 参照)

 「3人が3人ともなんて。そんな偶然があるんですね。しかも3人とも、お忙しい仕事をしているのに。何か共通項があるんですかね?」


 現在、日本のスマホ保有率は94%だそうです。
 ということは、100人のうち6人はガラケーもしくは無携帯ということになります。
 なのに30数年ぶりに会った年齢も職業も違う3人が、よりによって3人ともガラケーで、しかも色は黒という偶然。

 社長さんが不思議に思うのも無理はありません。
 何か3人に共通項はあるのでしょうか?


 まず年齢はバラバラです。
 40代、50代、60代。
 職業も、まったく異なります。
 小売業、飲食業、文筆業。

 そんな3人が、30数年の空白の時を経て、再会しました。

 もし3人に共通する部分があるとすれば、それは2つ。
 1つは、30数年前に同じ職場にいたこと。
 もう1つは、その後の職業と規模は違っても、3人とも事業主であるということ。

 どうも社長さんは、この “事業主” というところに興味を抱いたようです。
 同じ経営者として、スマホを持たずに仕事をしていることへの興味です。


 「確かに、無ければ無いで、やっていけるんですよね。今の人たちはスマホがクセになってしまってるんですね。正直、できれば私も持ちたくありませんもの」
 そう言って社長は、笑いました。


 でも、なんだがおかしな話ですね。
 世の中にスマホが登場した時は、スマホが話題になり、今度はガラケーが消え出したら保有者が絶滅危惧種のような目で見られます。

 ま、何を持っていようと、どう生きようと、どうでもいい事なんですけどね。
 要は、“らしく生きる” ことじゃないんですかね。

 その結果、たまたま3人は、スマホというツールを拒否しただけのことだと思います。


 でも悲しいかな、「ガラケー3兄弟」 が存在するのも、あと数年です。
 次に3人が会うときには、3人ともスマホを持っていることでしょうね。

 それが、時代というものです。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:09Comments(0)つれづれ

2022年05月17日

ハメマラの逆襲


 やだやだやだやだ~!

 老化が止まりません。
 なすすべもなく、ただただ受け入れるしかないのでしょうか?


 ご同輩のみなさん、お元気ですか?
 すこやかに老いていることと、お喜び申し上げます。
 特に男性のご同輩においては、アチラの方もご心配されていることと思います。

 “老いては子 (ムスコ) に従え”
 と言います。
 素直に、老化を受け入れましょう!


 ということで、またまた歯医者通いが始まりました。

 みなさんは、「ハメマラ」 という言葉を、ご存知ですか?
 「ハ」 は、歯です。
 「メ」 は、目です。
 「マラ」 は、男性の生殖器。

 いわゆる男性の肉体老化の順序を、面白おかしく表現した言葉なんですね。
 でも僕の場合、ちょっと順番が違いました。
 40代で 「メ」、50代で 「マラ」、そして還暦過ぎたら途端、一気に 「ハ」 がやって来ました。


 なんでも60代では、平均6本の歯が抜けるらしいですね。
 すでに3本が消え去りました。
 さほど奥歯は気になりませんが、前歯が抜けると、あわてます。
 幸い、この2年半はコロナ禍ということで、マスク生活が続いているため、ふだんは隠し通すことができますが、さすがに人前で話をするとなると……

 しかも先日の講演会は、その後に懇親会がセットされていました。
 会食となれば、マスクをはずさなくてはなりません。


 なのに、講演の数日前、突然、前歯がポロリと抜け落ちました。
 よく見ると、差し歯です。
 「差し歯で良かった」
 と、一瞬の恐怖の後の安堵。

 速攻、かかりつけの歯医者に電話して、ギリギリの講演前日に入れてもらいました。


 ところが……

 一難去って、また一難。
 今度は、入れた差し歯の隣の前歯が、ポキリと欠けました。

 やだやだやだやだ~!


 気を抜くと、老いは、すぐに牙をむきます。
 ご同輩のみなさん、お気をつけくださいませ。

 “ハメマラ” は忘れた頃にやって来るのです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:14Comments(2)つれづれ

2022年05月15日

幡谷温泉 「ささの湯」④


 布団が変わったことと、久しぶりの浴衣ということもあり、寝覚めが良くありません。
 しかも、昨晩は呑み過ぎた!
 確か、床に就いたのは午前2時。

 宿酔気味の体と頭を叩き起こしながら、「えいっ!」 と布団を跳ね上げました。


 午前8時。
 階下へ降りて行くと、すでに大広間では、朝食の真っ最中。
 僕が一番最後のようであります。

 「おはようございます」
 「お゛、は、よ゛、う、ご、ざ、い゛、ま゛、す」

 「小暮さん、声が出てませんよ」
 「あ゛あ゛~、呑み過ぎました」

 それでも、しっかりと朝食は米粒一つ残さずに平らげました。


 「もう新聞に載っていますよ」
 主催者に声をかけられて、食後にロビーへ。


 《温泉で名湯の逸話》
 《ライターの小暮さん講演》

 今朝の上毛新聞にカラーで大きく記事が掲載されていました。

 <フェイスブックなどでつながる県内外の温泉愛好家15人によるオフ会が14日、片品村の幡谷温泉の宿 「ささの湯」 で開かれた。ゲストの温泉ライター、小暮淳さん (63) =前橋市=の講演に耳を傾け、温泉談議に花を咲かせた>


 そうなのです、昨日、僕は群馬県片品村で開催された “温泉愛好家” たちのオフ会に呼ばれて、講演会を行ったのでした。
 演題は、「片品10湯と 『みなかみ紀行』」。

 開催地である幡谷温泉の歴史や温泉発見秘話、片品村の温泉について話をさせていただきました。
 それと、大正時代に群馬を旅した若山牧水の温泉行脚についても触れました。


 <若山牧水が100年前に本県を旅し、「みなかみ紀行」 に記した草津、四万、老神など9湯をエピソードと共に説明した。小暮さんは 「建物や歴史文化など自分の切り口で温泉を楽しんで」 と訴えた。>


 講演会の後は、質疑応答による座談会。
 休憩 (入浴タイム) をはさんで、お待ちかねの懇親会であります。
 15名の参加者は、温泉ソムリエなど温泉に精通した “つわもの” 揃い。
 東京や埼玉からも参加しています。

 まあ、いつもは温泉の素人(?)さんを相手にした講演や講座の講師をすることがほとんどなので、今回は僕も力が入りました。
 そして、何よりも楽しかった!

 だって、あんな話やこんな話、温泉にまつわるエトセトラを制限なく思いっきり話せるのですからね。
 相手は、温泉を知り尽くした人たちです。
 遠慮はいりません。
 ついつい、酒のピッチも上がり、大好きな温泉ウンチクをしゃべり倒してしまったとさ。

 結果……
 声がかすれてしまったということであります。


 一夜明けても、参加者は、すぐに帰る気配はありません。
 「これで5回目ですよ」
 なんていう猛者もいて、仕上げの入浴に余念がありません。

 僕も帰り際、3回目の入浴を。
 相変わらず、いつ入っても、何回入っても、美しい湯であります。
 しかも、湯量豊富。
 加水なし、加温なし、かけ流し!

 見事としか言いようのない、単純温泉の見本のような素晴らしい温泉です。


 「はい、チーズ」

 出会いがあれば、必ず別れの時が来ます。
 あっという間の楽しい時間でした。

 宿の玄関前で、記念撮影会が始まりました。
 「一緒に撮っていただけますか?」
 「写真をフェイスブックに上げてもいいですか?」

 「はい、チーズ!」

 「これ、僕の遺影にします」
 「おいおい、歳から言えば、俺の遺影だろ!」
 (爆笑)


 みなさん、2日間、お世話になりました。
 とっても楽しい2日間でした。
 呼んでいただき、本当にありがとうございました。

 また、会いましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 20:46Comments(7)温泉地・旅館

2022年05月13日

ぐんま湯けむり浪漫 (5) 下仁田温泉


 このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


   下仁田温泉 (下仁田町)


  傷ついたイノシシが浴びた霊泉


 上信電鉄の終点、下仁田駅から徒歩で約20分。
 車なら5~6分の距離だ。
 なのに不思議と訊ねるたびに秘湯へたどり着いた気分になる。

 対面通行も困難な、ガードレールのない山道を行くからかもしれない。
 この道で、いいのだろうか?
 と、かすかに不安が脳裏をよぎった頃、左手に駐車場の看板が見えてくる。
 下仁田温泉の一軒宿 「清流荘」 は、ここから急坂を下った渓流沿いの森の中にある。

 清流、栗山川沿いに広がる敷地は、約7坪。
 池や小川が配され、その周りに本館と7つの離れ家、浴室棟、露天風呂が点在する。
 宿の裏手には2,400坪を超える自家農園があり、常時20種類もの野菜が完全無農薬で栽培されている。
 また敷地内にはシカ園やキジ園、イノシシ牧場もある。


 宿の創業は昭和49(1974)年。
 それ以前は、ヤマメやニジマスなどの川魚を養殖しながら飲食店を営んでいたという。
 約1キロ上流の湧出地から源泉を引いて温泉宿になったのは、創業から3年後のことだった。

 湯の起源は定かではないが、傷ついたイノシシが浴びているのを村人が発見したと伝わる。
 昔から山岳信仰の修験者が修行に使っていたといい、地元では皮膚病に効く霊泉として利用されてきた。


  手間をかけた唯一無二のもてなし


 「うちは米以外は、すべて自給自足。地産地消なんていう言葉ができる前から敷地内産地直送だよ」
 と、裏の畑で先代の清水幸雄さんがほほ笑んだ。
 「地元の食材を提供するのが、本来のもてなしの姿」
 と創業以来、自家製食材にこだわった料理を提供している。

 宿の名物として知られている 「猪鹿雉(いのしかちょう)料理」 は、この地に伝わる祝い事に欠かせない郷土料理。
 もちろん、すべての食材が敷地内で揃う。


 「イノシシ肉は豚肉に比べると硬いというが、それが日本古来の高級食材の味。下仁田ねぎも同じです。限られた農家が手間と時間をかけて作っている唯一無二の食材なんです」
 と、2代目主人の清水雅人さん。
 下仁田ねぎの主産地である馬山地区にある、先祖から受け継いだ畑を案内してくれた。
 清水家は、下仁田町認定の 「下仁田葱の会」 会員農家でもある。

 下仁田ねぎは、毎年10月頃に種をまいき、2回の移植と土寄せを行い、翌年の11月下旬から12月にかけて収穫をする。
 出荷までには15ヶ月もの月日を要する。
 しかも栽培に適した土壌と気候がある下仁田の特定地域でしか、おいしいネギにはならない。
 これが下仁田ねぎが “幻のネギ” と呼ばれるゆえんだ。

 この時季、生産農家の宿ならではの料理が並ぶ。
 鍋の具材としてはもちろんのこと、ネギぬた、ネギみそ、かき揚げとなって食膳に彩を添える。


  下仁田温泉 清流の湯

 泉質は全国の温泉の中で1%だけという珍しい炭酸泉。
 泡の出る入浴剤の150倍以上の二酸化炭素含む。
 湯は無色透明で、ほんのりと化粧乳液のような匂いがする。
 時間の経過とともに、湯舟に流氷のように白い泡のかたまりが漂うのが特徴。
 これはカルシウム成分で、皮膚の角質をやわらかくして、脂肪分や分泌物を洗い流す効果があるという。


 <2017年10・11月号>
  


Posted by 小暮 淳 at 13:53Comments(0)湯けむり浪漫

2022年05月12日

夢の尋ね人


 意味の分からない不思議な夢を見ました。


 前後のストーリーは、まったく覚えていません。
 なぜか僕は、タレントのマツコ・デラックスさんと会議室のような部屋で、長テーブルをはさんで話しています。

 「だから、さっさと書けばいいのよ」
 「ええと……、もう一度、言ってください」
 メモ用紙とペンを手に、オドオドと訊ねる僕。

 「カドワキトオル」
 「カドワキトオル? 人の名前ですか?」
 「つべこべ言わずに、早く書きなさいよ!」
 「カドワキという字は、“門” に “脇” でいいんですか?」
 「そうよ」
 「トオルという字は?」
 そうマツコさんに訊くと、意味不明な言葉を言いました。

 「セイツウ」
 「セイツウ? なんですか、それ?」
 「米へんに青の “精” と、交通の “通” に決まってるじゃないのよ!」
 「ええっ、“精通” って書いて、トオルって読むんですか?」
 「そうよ」


 ここで僕の夢は終わりました。
 なんとも寝覚め悪い朝を迎え、昨日は一日、この意味不明な夢に呪縛され続けました。

 “門脇精通”
 と書いて、
 “カドワキトオル”
 と読む。

 何のことでしょう?
 普通に考えれば、人の名前に聞こえます。
 でも文字にすると、何か会社か組織の名前にも思えます。

 どなたか、この言葉に心当たりの人はいませんか?

 マツコさんは、他人の夢にまで入り込み、何を伝えようとしたのでしょう?
  


Posted by 小暮 淳 at 11:13Comments(0)つれづれ

2022年05月11日

「ささの湯 オフ会」 宿泊満員御礼!


 今週末、群馬県片品村で開催される1泊2日の温泉合宿 『第1回 ささの湯で小暮淳さん講演会&オフ会』。
 おかげさまで、交流会 (夕食) 付きの宿泊参加は定員になりました。
 御礼申し上げます。
 ※(詳しくは、当ブログの2022年3月29日 「温泉好き集まれ!」 参照)


 「それでも参加したい」 という方へ
 日帰り参加のみ受け付けています。
 ●講演・お話会/5月14日(土) 14:00~15:30
 ●参加費/受講料+入浴料=1,000円

 たくさんの方のお越しをお待ちしています。


 <予約・問い合わせ> 
 幡谷温泉 「ささの湯」 TEL.0278-58-3630 (担当/荒井)
 群馬県利根郡片品村幡谷535
  


Posted by 小暮 淳 at 10:29Comments(0)講演・セミナー

2022年05月10日

「めかいご」 って何?


 僕は大人になるまで、「ものもらい」 という言葉を知りませんでした。

 いわゆる目にバイ菌が入って、まぶたが腫れる病気のことです。
 昭和の時代、僕の子どもの頃は不衛生で、何でもかんでも手で触っていましたから、「ものもらい」 になる子は、とっても多かったのです。
 必ずクラスに一人か二人、眼帯をした子がいました。

 でも、なぜか、この眼帯が、漫画の中の悪役みたいでカッコイイんですよね。
 (もしくは悲劇のヒロインみたいで)
 特に、美人の女の子が眼帯をしてくると、ドキッ!としたものです。
 (黒髪に眼帯の白が似合っていました)


 では当時、僕らは、この 「ものもらい」 のことを、なんて言っていたか?
 はい、「めかいご」 です。

 「めかいご? なに、それ?」

 思えば、なんとも不思議な言葉の響きです。

 「“かいご” って何?」
 「“介護” のこと?」

 東京へ出た若い頃、そう他県民から問われて、返答に困ったことがありました。
 いったい、何のことなんでしょうか?


 先日、いつもの店で、常連客らと雑談をしていた時のこと。
 「めかいご」 が話題となりました。
 カウンター客は、一人を除き、群馬県内の出身者です。
 その東京出身者は、もちろん標準語の 「ものもらい」 という表現をしました。

 が、驚いたことに、県民でも使用していた言葉が分かれたのです。

 結果、このような分布になりました。
 前橋市を中心とした県中部は、「めかいご」。
 高崎市を含む西部は、「めっぱ」。
 その他は、「めかご」 でした。

 「めかご」 と 「めかいご」
 この2つは、たぶん、語源が一緒だと思われます。

 「“めかご” って、目籠のことだよね?」
 「そういえば、子どもの頃、籠を頭にかぶると、親に怒られたな」
 「罰が当たるとか」
 「いや、俺は、“めかいご” ができるといわれた」

 確かに僕も、おばあさんに言われた記憶があります。


 目籠とは、竹で編んだカゴのことですが、カゴに限らず網目の物は、すべて頭にかぶると怒られました。

 なんで網目の物をかぶると 「ものもらい」 ができるのかは不明ですが、「めかいご」 「めかご」 の語源は、“目籠” にありそうです。


 では、「めっぱ」 とは?

 ご存じの方がいたら、教えてくださいませませ。
   


Posted by 小暮 淳 at 13:00Comments(2)昭和レトロ

2022年05月09日

お前はまだ猿ヶ京を知らない


 <かつて赤谷湖(あかやこ)の湖底を流れていた赤谷川の渓谷には、「湯島の湯」 と 「笹の湯」 という温泉があった。昭和33(1958)年、相俣(あいまた)ダムの完成により、赤谷川はせき止められ、渓谷にあった2つ温泉は湖に水没した。
 旧四軒と呼ばれる湯島にあった桑原館、長生館、見晴館と笹の湯にあった相生館は、代替地として現在の場所へ移転。新たな源泉を掘削して、猿ヶ京温泉として生まれ変わった。>
  (『みなかみ18湯 【上】』 より)


 群馬県を代表する温泉地といえば?
 そう問われて、他県民が真っ先に挙げる名前は、草津温泉でしょう。
 県民に問うたところで、その後に続くのは、伊香保温泉、水上温泉、四万温泉……

 群馬県には俗に 「9大温泉」 と呼ばれる観光温泉地があることをご存じでしょうか?
 上記の4ヶ所と、万座温泉、老神温泉、磯部温泉、やぶ塚温泉、猿ヶ京温泉です。

 4大温泉地に比べると、規模も知名度も劣りますが、魅力ある温泉地がラインナップされています。


 今日は、この中から猿ヶ京温泉について、触れさせていただきます。
 「みなかみ温泉大使」 からの耳より情報であります。

 このたび、みなかみ町の猿ヶ京温泉が、「地域団体商標」 に登録されました。

 地域団体商標とは?
 <地域ブランドの保護による地域活性化を目的に、2006年に導入された制度。地域の名称と商品またはサービスの名称の組み合わせから構成される。> 
  (2022年5月6日付 上毛新聞より)


 特許庁に申請したのは、猿ヶ京温泉旅館協同組合 (持谷明宏代表理事) です。
 温泉名での同商標への登録は、草津、伊香保、四万に続き、これで県内4例目となりました。

 「後継者のために権利関係を明確にしたいと考え、登録に至った。まだ出発点に立ったばかりだが、猿ヶ京温泉のブランドを高めていきたい」
 と、持谷代表理事はコメントしています。


 温泉地は今、どこも後継者問題や新型コロナの影響で廃業する宿泊施設が増えるなど、大変な時代を迎えています。
 温泉地とブランドの保護のために商標登録を目指した猿ヶ京温泉の意気込みを、僕も陰ながら応援したいと思います。

 “まだまだ、お前は猿ヶ京温泉を知らない!”

 これを機会に、ぜひ、足を運んでいただきたいと思います。
 知られざる猿ヶ京温泉の魅力を見つけに。


 <永禄3(1560)年、上杉謙信が越後から三国峠を越えて関東平野出陣の際、今の猿ヶ京である 「宮野」 という城に泊まり、不思議な夢を見た。宴席で膳に向かうと箸が1本しかなく、ごちそうを食べようとするとポロポロと歯が8本抜け落ちた。
 嫌な夢を見たと思い、このことを家臣に告げると 「これは関八州 (関東一円) を片はし (片箸) から手に入れる夢なり」 と答えたので、謙信は大いに喜び、「今年は庚申(かのえさる)の年で、今日も庚申の日。我も申年生まれ。これより関東出陣の前祝いとして、ゆかりの地である宮野を 『申が今日』 (猿ヶ京) と名付ける」 と申し渡したという。> 
  (『みなかみ18湯 【上】』 より)
   


Posted by 小暮 淳 at 11:48Comments(0)大使通信