温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2010年09月30日

群馬の逆襲

 昨晩は、2ヶ月に1度の 「メディア懇親会」 に参加してきました。

 メディア懇親会とは、群馬県内の新聞・雑誌・ラジオ・テレビなど、メディアに係わる異業同種の人々の集まりです。
 僕は3回前から参加しています。
 今回の幹事は、パリッシュ出版のUさんです。高崎市庁舎の21階という夜景の素晴らしい部屋で、開催されました。

 高崎でお酒を飲むときは、電車で行きます。
 前橋駅に早く着いてしまったため、予定より1本前の電車に乗ってしまいました。
 と、いうことは、高崎に着いてから時間をもてあましてしまうということです。

 ところが呑兵衛とは、呑兵衛を探し当てるものです。
 駅前のコンビニに立ち寄ると、当会の発起人でもある上毛新聞社のKさんとバッタリ!
 「まだ早いですね」「時間がありますな」
 と、いうことで、近くの立ち飲み屋へ。

 生ビールと枝豆で、ぽちぽちはじめていると…
 「あらららら~、誰かと思ったらー!」
 と、またまた呑兵衛が嗅ぎつけて、登場です。

 ベストセラー『群馬の逆襲』の著者、木部克彦さんです。
 「本、売れているじゃありませんか!」
 と、互いにほめ合いつつ、乾杯。
 「勢いをつけないとね」と木部氏は、一気飲み。早くも2杯目です。
 こちらも負けじと、「おにーさん、おかわりね~」

 とそこへ、Kさんのケータイが鳴りました。
 会場にいる他のメンバーからです。
 「もう、みんな集まってるってさ。来てないのは、うちらだけだってよ」
 大あわてで、店を出て、会場へ駆けつけた次第です。


 今回のゲストは、群馬観光国際協会の理事長や四万温泉協会の事務局長など、観光関係者でした。
 当然、話は来年の群馬DC(デスティネーションキャンペーン)に向けての観光話で盛り上がりました。

 ゲストあいさつの後、司会者が 「2人のベストセラー作家を紹介します」 と、木部氏と僕を紹介。
 いやいや、木部氏は実に饒舌(じょうぜつ)であります。
 物書きは、口下手だからモノを書くんだと思っていたら、しゃべり足りないから文章にするんですね (ま、僕も同じですが)。

 木部氏は、さっそく『群馬の逆襲』の執筆エピソードから話し出しました。
 そして、群馬がいかに住み良くて、素晴らしい環境なのかと。

 話のバトンを継いで、今度は僕が、群馬の温泉の素晴らしさについてスピーチしました。
 「群馬の温泉のブランド化を!」
 そう叫ぶと、会場に拍手が沸き起こりました。

 まさに、群馬の逆襲です。
 それには、木部氏がいうように「群馬は何もないところ」という群馬県民の自信のなさを捨て去ることです。
 群馬県民が群馬に誇りを持たずして、ブランド力の向上はありえません。


 次回のメディア懇親会は、忘年会を兼ねて、四万温泉で開催されることになりました。

 いよいよ、プロたちによる “群馬の逆襲” が始まったのです。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:01Comments(0)つれづれ

2010年09月29日

名刺あそび                      

 「名刺あそび」って、知っていますか?

 銀座のホステスたちが、顧客の自慢をひけらかす遊びです。
 イチ、ニイのサンで、名刺をテーブルの上に出します。
 ○○工業の部長と△△商事の部長では、どっちが上か?

 子供の頃にやったトランプ遊びの名刺版ですよ。
 数字の大きい札が勝ち、相手の札をゲットできるというルール。

 さしずめ一流企業の社長さんが、キングでしょうね。
 そうなると、医者や弁護士の先生方は他の絵札となりますか。
 でも、キングはエースに負けるんですよね。

 社長に勝つ肩書きは?
 たぶん、政治家の先生あたりなのでしょうな。


 「俺たちなんて、数字の2だもんなぁ…」
 そう、ひとりごちたフリーカメラマンのO君。
 何のことかと問えば、名刺あそびの肩書きランキングのことを言っているのだ。
 「フリーランスの職業は、社会の中の底辺。そもそも肩書きがないもの」
 そう嘆いているのだ。

 「俺たちとはなんだよ、この俺もか?」と僕。
 「当然! 仕事がなけりゃ、お互いただの無職じゃねーの。名刺出して、誰か頭を下げるか?」

 やけに説得力のある言葉です。確かに、仕事がないときは、無職と変わりない生活をしている。
 名刺を出しても、「フリーターなの?」と勘違いされることも。ああ、フリーライターという肩書きそのものが、うさん臭いんですね。
 確かに名刺だけでは仕事が来ない職業です。下請けのそのまた下請けのような商いではあります。

 が、待てよ!
 数字の2は、3から13の札には負けるけど、エースには勝つではないか!

  ん? 例えにならないって。説得力ないよなぁ……。


 「名刺あそび」で、フリーランスの名刺は、真っ先にはじかれるんでしょうねぇ。
 っていうか、その前に、銀座のクラブへ行けねーし! 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(0)つれづれ

2010年09月28日

川古温泉 「浜屋旅館」③

 毎月第4火曜日は、NHK文化センターの温泉講座日です。
 本年度6回目講座の今日は、夏にアブの大発生により延期となっていた川古温泉へ行ってきました。

 本日の受講生は18名。高齢者が多いため、この陽気の変化で体調をくずされた欠席者が、5人もいました。

 雨の中、高崎駅~前橋駅経由で、高速道路にのって、一路、旧新治村(みなかみ町)へ。
 バスの車内では、川古温泉の説明と、しっかり新刊本の宣伝をさせていただきました。
 おかげさまで、ほとんどの受講生がサイン本をお買い上げになりました。
 ありがとうございま~す!

 川古温泉「浜屋旅館」の3代目主人、林泉さんとは、この夏に月刊「Deli-J」の取材でお世話になったばかりです。
 偶然にも (ま、多少の作意はありましたが) 一昨日発行の月刊「Deli-J」に、川古温泉が掲載されました。

 「雑誌って、すぐに反響がありますね。見て来たという人や問い合わせがすぐにありました」

 月刊「Deli-J」は36万部発行の県内最大発行部数を誇るフリーペーパーですから、その反響は大したものです。
 連載中の『源泉巡礼記』にも、根強いコアなファンが多く、掲載された温泉は、すべて回っているという読者がたくさんいます。

 手前味噌になりますが、僕が取材申し込みの電話を入れると、「いつうちに来るかと、待っていたんですよ」とか「毎回読んでいます。うぁ~、本当にうちを取材してもらえるんですか?」と歓迎されることが、だんだん多くなってきました。
 講演会などでも、「でりじぇい、読んでます」と声をかけてくださる人が、たくさんいますね。

 午前の入浴を済ませ、昼食をとり、ロビーのソファーで休んでいたときです。
 NHKの担当者が、風呂から上がってきて言いました。

 「先生、露天風呂に先生のファンの方がいましたよ。でりじぇい見て、桐生市からやって来たと言ってます。僕が、“著者が来ている”と話したら、大変驚いていました。行ってあげてください」

 「ほほう、そうですか。では、ひと風呂浴びに行って来ますかな」(と、いきなり偉そうな態度)
 にはなりませんが、気を良くして、タオルを振り回しながら、鼻歌まじりで露天風呂へ。

 それらしき中年男性に声をかけると、「本当に、書かれている方ですか?」と大喜びして、毎回読んでいるとか、ほとんど掲載された温泉は行っているとか、また本が出ましたねとか、機関銃のようにポンポンとファンぶりをアピールしてきました。
 いやいや、嬉しいですね。
 まさに物書き冥利に尽きます。

 文章が書けるだけでも喜びなのに、その文章を読んで感化され、行動を起こしてくれる人がいるなんて。
 読者とは、ありがたいものです。読者あっての、文筆業ですよ。

 僕が「では、お先に」と風呂から上がろうとすると、その男性は立ち上がって、湯縁まで追いかけてきて「ちなみに、次は何温泉ですか?」と訊いてきました。
 本来、雑誌の掲載予告はご法度なのですが、気を良くした僕は、昼食時に飲んだビールのほろ酔いも手伝って、ポロリとしゃべってしまいました。

 「○○温泉ですか、いいですね~。楽しみにしています。今日はありがとうございました」
 そう言って男性は、また湯舟に帰って行きました。


 これだから、温泉ライターはやめられません!って。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:46Comments(0)温泉地・旅館

2010年09月27日

島人たちの唄② 「日本の中のアジア」


 「そりぁ、おめー、俺は国際免許だからのー。バイクにナンバー、ねえもん」

 漁でやぶけた網をつくろいながら、民宿のおやじが言った。


 三河湾に浮かぶ小島、ここ篠島に信号機はない。センターラインもない。
 平地の少ない起伏に富んだ島内は、車の入り込める道路は少なく、民家が密集する住宅地の道路は極端に狭い。
 だから老いも若きも、もっぱら島民の足は原付バイクだ。

 初めて島に降り立った日、目の前の光景に目を疑った。
 ここは日本?

 確か同じ風景を以前に見た記憶がある。
 東南アジアだ。
 ベトナムだ。

 おびただしい数のバイク、バイク、バイクの波が、怒涛(どとう)のように押し寄せては、通り過ぎて行った。2人乗り、3人乗りは当たり前、4人乗りだって珍しくない。
 まさに目の前は、あの時と同じ光景が映っていた。

 人口2,000人あまりの島、バイクの数はベトナムほど多くはないが、誰ひとりヘルメットをかぶっている者なんていない。
 おじいちゃんもおばあちゃんも、若者も、2人乗り、3人乗りで風を切って道路の真ん中を悠々と行く。ナンバープレートのないバイクや軽トラも、平気で走っている。

 坂道を勢いよく下るバイクから、何かが落ちた。
 泡をまき散らしながら、コロコロと転がってきた。
 缶ビールだ。

 バイクは素早くUターンして戻ってくると、運転していた漁師の兄ちゃんが缶を拾い上げた。
 そして、また片手にビールを持ったまま、港へ向かって走って行った。

 
 「誰に習ったか、ババアも国際免許だのー」

 そう言って、おやじは赤黒く焼けた顔をくしゃくしゃにして、笑ってみせた。
 かたわらで、私を乗せたバンを港から運転してきた奥さんが笑っている。

 ここだけが治外法権なのではない。
 しいて言うなら、不文律。風習や習慣のようなもの。


 水平線に沈んでゆく夕日を見ていたら、なんだか無性に可笑しさが込み上げてきた。
 この島を、好きになりかけている自分がいた。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:35Comments(0)島人たちの唄

2010年09月27日

島人たちの唄① 「時代の終わりに魂を」


 ※このカテゴリーは、ウェブマガジン「info」(2003~2005)に連載されたエッセイを加筆、訂正したものです。


 「島が沈んじゃへんかと思ったがね」
 酒屋の女主人は述懐する。

 1979年、夏。
 愛知県知多郡南知多町大字篠島。三河湾に浮かぶ周囲6キロ、人口約2,000人のこの小島に、2万人を超える若者が全国から集まった。
 7月26日、吉田拓郎・篠島アイランドコンサートである。

 あれから4半世紀。
 強者(つわもの)どもの夢の跡を追って、この島にやって来た。

 島の北側に広大な平地が広がる。
 海上から全景を望むと、起伏の多い島の中でも唯一人工的な形状をなしている一画だ。1976年に埋め立てられた地域である。
 港に降り立つと、まず真っ赤な屋根の観光案内所が視界に飛び込んできた。観光案内所にしては、異様に大きな建物だ。
 聞けば、パターゴルフ場のクラブハウスだったという。

 バブルの産物は、建物だけではなかった。
 敷地の中は、見るも無残な荒れ野が広がっていた。
 ここが拓郎ファンの聖地、コンサート会場のあった所だった。

 「ここ、この辺だよ、ステージがあった場所は。拓郎のおっきな顔写真の看板が立ってたよ」

 当時9歳だった、港で食堂を商う女性が教えてくれた。
 父親に肩車をしてもらい、その大観衆を眺めた記憶があると言った。

 「あの焼肉屋さん、おにぎり売って、ようけ(たくさん)儲けたんよ」

 指さしたステージ跡の裏手には、島の焼肉屋にしては大層立派な “拓郎御殿” が建っていた。

 ピンクのシャツに白のパンツスタイル、カーリーヘアーにバンダナを巻いた拓郎の顔が目に浮かぶ。
 「俺は歌は下手だし、顔はブスだし、唇はタラコだし。でも、ソウルだけはある。魂だけはある。そこだけで闘って行こうと思っている」
 そう叫んだ顔が浮かぶ。

 時代がフォークをニューミュージックと呼び出した頃だった。
 70年代の終わりを告げるように、拓郎の歌う 『人間なんて』 が夜明けの島に響き渡っていた。
  


Posted by 小暮 淳 at 16:02Comments(0)島人たちの唄

2010年09月26日

大胡温泉 三山の湯「旅館 三山センター」②

 今日の午後、大胡温泉の女将から電話がありました。
 「小暮さん、ご活躍じゃないの! 今朝の見ましたよ」

 “今朝の見た”と言われて、思い当たることは2つ……。

 1つは、上毛新聞の10ページ、読書欄です。
 「週間ベスト10」のコーナー(煥乎堂本店調べ)で、5位に拙著の『群馬の小さな温泉』が載ったこと。
 “5位は、閉ざされた商店や飲食店、廃虚と化した老舗旅館…、それでもかたくなに湯を守り継いでいる本県の18温泉と36の宿を案内する” と書店からのコメントも添えられていました。

 もう1つは、今日、上毛新聞に折り込まれたフリーペーパーの月刊「Deli-J」。
 連載中のエッセイ「源泉巡礼記」の下に、ちゃっかり新刊本の広告が入っています。

 どうも、女将が今朝見たのは、後者のようです。
 「毎回、読んでるんだけど、もう本になっちゃったの? うちも載ってるかしら?」
 「いえいえ、この本は、すべて書き下ろしなんですよ。エッセイが出版されるときは、ちゃんと連絡しますから」

 「なーんだ、うちは載ってないの。でも買わせていただくわ。書店で売ってるって書いてあったわね?」
 「今なら、コンビニでも売ってますよ。よろしくお願いします」

 てな会話をして、電話を切りました。


 僕は、温泉地に、湯と宿と人を訪ねます。
 そのどれかに魅力を感じた事柄を徹底的に取材して、文章を書きます。
 でも、湯と宿と人の三拍子揃った温泉って、なかなかあるもんじゃありません。
 また、必ずしも揃わなくても、いいんです。満点じゃなくても、平均点じゃなくても、どれか1つが際立った温泉が、魅力的なんです。

 人も同じですよね。

 で、大胡温泉は、人に会いに行きます。
 ズバリ、女将の中上ハツ枝さんの天真爛漫で天衣無縫な性格に、引き寄せられるんですね。
 だから、近くを通った際は、用がなくても顔を出してしまいます。

 いつぞや、ひと風呂浴びようと、ぷらりと寄ったら、
 「ごめんなさいねー、今日はお休みなのよ。これから私、でかけるの。あらら、残念だわ~」
 と言いながら、長々と立ち話が続いてしまい、そのうち、女将ったら、
 「お腹、空いてない? 何か作るから、食べて行きなさいよ」
 と、遠りょする僕を、無理やり座敷に上げて、しまいには、
 「すぐ作るから、できるまで、お風呂入ってらっしゃい!」
 と言って、厨房へ入ってしまいました。

 えっ? 今日は休みで、出かけるんじゃないの?

 いっつも、女将はこんな調子なんです。

 温泉宿の開業までは、ずいぶんと苦労をした人です。
 その波乱万丈な人生は、愛と笑いと涙にあふれています。

 「私さ、本出したいの。面白い人生だと思わない? ねっ」
 と、ワッハハ、ワッハハと豪快に笑うのです。

 僕が書いてあげようかなぁ、なんて、ちょっぴり本気で思えちゃう人です。


 女将さん、近々、また行くね。
 そのときは、この間の恋愛話のつづきを聞かせてくださいな。
    


Posted by 小暮 淳 at 18:50Comments(0)温泉地・旅館

2010年09月25日

湯名人

 クレーアーティストでもあるイラストレーターの飯塚裕子さんは、僕のことを「湯名人」といいます。
 本当は以前、僕のことを「有名人だ」と彼女がおだてたから、あえて僕が「それを言うなら“湯の名人”と言ってほしいな」と訂正させたのです。
 それから、彼女のなかでは僕は「湯名人」になりました。
 昨日の彼女のブログでも、僕のことを、そう書いていましたね。

 僕は昔から、B級志向が強いのです。
 だから「有名人」では、おもはゆい。「湯名人」なら、ちょっとマニアックでうれしいのです。
 名湯より秘湯めぐり、名山より里山歩き、もちろんグルメも丼物の食べ歩きが好きです。

 このB級志向は、たぶん一流になれないコンプレックスから来ているのではないか、と思います。
 むかし昔の挫折を、いまだに引きずっているのかもしれません。


 10代の頃、吉幾三が歌う『俺は田舎のプレスリー』という唄がヒットしました。
 そのとき、「何が田舎のプレスリーだ。夢が小さい小さい、俺は東京さ出て、ホンモノのプレスリーになるぜ!」と、都会に夢見たものです。
 そして、ギター1本掲げて、単身東京へ殴りこみをかけました。

 ライブハウスや街頭(今でいうストリート)、レコードショップの店頭とどこでも歌い、今でいうインデーズからレコードデビューし、売り歩いたものでした。
 夢の大きさと、自分の実力の差に気づいたのは、20代後半でした。

 都落ち……。

 これから群馬で何をしょうか、と呆然自失の僕に、オヤジが言った言葉があります。
 「田舎のプレスリーになれ!」
 そう言って、僕の肩をポーンと叩きました。

 思えばオヤジもまた、夢破れた“田舎のプレスリー”だったのです。
 若い頃、ハリウッドに憧れ、渡米して、早川雪舟のような銀幕スターになろうとしていた時期があったと聞きます。
 「本当はイングリッド・バーグマンと結婚する予定だったんだけどな。イングリッド・バーチャンと一緒になっちゃった(笑)」
 これが今では痴呆老人となったオヤジの口ぐせです。


 誰だって、みーんな夢を見るんですよ。
 叶う夢、叶わない夢、大きな夢、小さな夢……

 群馬に生まれて、育って、途中いなくなって、時々いなくなって、それでも群馬が好きで暮らして50年以上が経ちました。
 今では、「田舎のプレスリーになれ!」と言ってくれた、オヤジに感謝しています。

 有名人になんて、ならなくてもいい。
 でも、群馬の湯名人にはなりたいものです。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:26Comments(0)つれづれ

2010年09月24日

速報! ランキング5位

 今朝、一番に速報が飛び込んで来ました。
 「小暮さんの本、煥乎堂で現在、5位です」

 まさか、だって先週末に出版されたばかりだし、まだ大手チェーン書店には陳列さえされていないのに……。
 あまりにも早過ぎる話なので、はっきり言って半信半疑でした。

 昼に、煥乎堂書店本店の近くを通ったので、確かめに寄ってみました。
 すると、まさかが、事実としてディスプレーされているではないですか!

 「今週のBEST10」と題した売り上げランキングボードの5位の棚に、『群馬の小さな温泉』が、ちょこんと載っているのです。
 このランキングは、前週の売り上げ統計のはず。
 でも、発行されたのは、先週末ですよ。週末だけの販売でランクインですか?

 前著の『ぐんまの源泉一軒宿』が同書店のベスト10にランキング入りしたのは、確か発売から1ヶ月後のこと。
 これは異例のスピードですぞ。

 気を良くして、店内をめぐり、自分の本を探しました。
 ところが、どこにも置いてありません。ランキング5位の本なのに……

 前著の『ぐんまの源泉一軒宿』はありました。タワーのように平積みされています。
 通常ならば、同じ著者の本ですから、その隣に並べて販売されているはず。
 でも、その隣は……

 あれれ~、空いてます。完全に空き地状態です。
 そして、ポップ(手描き広告)だけが置かれていました。
 “ 『群馬の小さな温泉』 著者自らが選び訪ねた18の温泉36の宿”
 と書かれています。

 どういうことだ? と、一瞬、意味がわかりません。
 陳列場所があるのに、置いてない。ということは、店員が本を出し忘れているのか! 文句を言ってやろーか!

 ところが、よーく見ると、そのポップの上に、小さい手書きの紙が貼られています。
 「手配中」と……

 なななんだ! WANTEDだ? 誰が指名手配中なんだよ!? 俺か?
 と、ますます、わけが分からなくなってしまいました。

 一度、その場を離れ、店内をグルリと一周して、よく意味を考えました。

 なんてーことはなかったのですね。
 「入荷待ち」ということだったのです。
 ということは、在庫なしの品切れ状態です。

 おおお、凄いことじゃないですか~。
 売れているっていうことですよ。

 またまた気を良くした僕は、鼻歌まじりで、何も買わずに、店を出て行きました(とさ)。


 出版元さーん、早く煥乎堂書店に本を送ってやってくださいねー!
 煥乎堂さーん、届いたら、すぐに陳列してくださいよ!

 お願いいたします。
 生活がかかっているもので……
   


Posted by 小暮 淳 at 18:44Comments(0)著書関連

2010年09月23日

謎学の旅⑦ 「化粧をする薬師像」

 「そりぁ、昔は、木がうっ蒼と繁った淋しいところだったよ」
 畑仕事の手を休めて、おじいさんはお堂の方を指さして、言いました。

 前橋市元総社町。
 元総社北小学校の南側。牛池川に架かる薬師橋のたもとに、奇妙な石像が鎮座しています。

 数年前、はじめて通りかかったときは、その異様さに「ギョッ」としたものです。今も変わらず、顔に白粉(おしろい)を塗りたくり、赤い口紅をつけています。
 地元では化粧薬師と呼ばれているそうですが、なぜ化粧をするようになったかには、こんな悲しい伝説が残っています。

 今から4~500年前のこと。
 牛池川に大蛇が棲みついて、嫁入り前の娘を食べさせないと暴れ、台風が通ったあとのように田畑を荒らしていました。
 村人たちは、泣く泣く順番で、自分たちの娘たちを大蛇に差し出していたといいます。犠牲になった娘をあわれんで、石の薬師像を造り、白粉と口紅をつけて供養したとのことです。

 以来、嫁に行く娘は、ここを避けて通るようになり、離縁を願う女にはご利益を授けたことから、別名を「縁切り薬師」とも呼ばれています。

 「地元では毎年8月の祭日に掃除をして、さい銭をあげて、お参りをしているだけ。なのに薬師さんは、いっつも化粧をしているんだいねぇ。不思議だいねぇ……」と、おじいさんは首をかしげました。
 さらに、こんなことも言いました。
 「しばらく見に行かないと、さい銭が貯まっているんだよ。誰かが、縁を切りに来ているんだね」

 そして、願いが叶ったお礼に、化粧をして行く。
 小さな石仏を奉納して行く人もいるらしい。

 「最近、またよく薬師さんの場所を聞かれるんだよ。若い女性だったり、年配だったり、いろいろだ。今の人は簡単に離婚しちゃう人が多いようだけど、自分から別れを言い出せずに願掛けに来る女性が、こんなにもいるんだいね」

 お堂のなかを覗き込むと、真新しい小さな石仏が何体もありました。
 そして、白粉と口紅も、ごく最近に塗られたもののようです。


 また1つ、縁が切れたのですね。


 謎学の旅はつづく。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:34Comments(0)謎学の旅

2010年09月22日

新生でりじぇい!

 今度の日曜日、26日は月刊「Deli-J」10月号の配布日です。
 連載中の「源泉巡礼記」も第47話になります。来月で丸4年になるんですね。

 すでに雑誌が納品されているというので、今日、編集室を訪ねてきました。

 現在の編集室は、上毛新聞TRサービスの2階にあります。
 9年前、僕が「Deli-J」を立ち上げた時と、まったく同じ場所、同じ部屋です。でも、ずーっと、この場所に編集室があったわけではありません。
 まったく僕の人生を真似たように、僕が編集室を去った後は、社名を変え、場所を変え、転々と波乱万丈に編集室が流浪していました。 
 いくら去った編集室とは言え、自分が産み落とした雑誌です。離れて暮らしていても、可愛いと思うのが親心。
 ハラハラ、ドキドキしながら、そのゆくえを見守っていましたよ。

 そして、今年の7月。
 編集室は、生まれ育ったふるさとに、帰って来ました。まるで、サケのような人生(?)、誌生(とでも表現しますか)です。
 さらに、突然の樋山久見子編集長の辞任!(驚きました)
 しかし、舵を失ったDeli-J号は、新たな船頭と乗員を迎え入れ、ふたたび大海を目指して航行を始めました。

 8月1日、新生でりじぇい!の編集室が誕生しました。

 編集室へ行くと、3人の美女が僕を迎えてくれます。
 編集委員の倉林亜希子さん、山田伊津子さん、上條恵子さんです。

 倉林さんは僕のことを、なぜか「小暮編集長」と呼びます。僕が編集長をやっていた頃には、まだ、いなかった娘なんですけどね。そう呼ぶ人がいるからですかね。創刊当時からいる何名かは、今でも僕を「編集長」と呼びます。
 山田さんは、イラストレーター志望だけあって、抜群に絵が上手な娘です。サラサラっと描く似顔絵なんか、かなりのレベルの高さです。本誌でも、もっともっと力を発揮してくださいね。
 上條さんは……、えーと、あの……、ごめんなさい。のん兵衛のイメージが強いんですけど……。
 編集室の彼女からは想像できないくらい、お酒の強い娘です。でも、いつも明るいのは、人徳ですよ。すっかり編集室のムードメーカーになっていますね。


 「三人寄れば文殊の知恵」といいます。
 1人では手ごわい無理難題でも、3人で力を合わせば、きっと解決策が見つかるはず。
 ひとり一人の個性を大切に、互いの個性を尊重し合って、3人でなければ成し得ない雑誌を作ってくださいね。
 樋山編集長の時と同様、生みの親心で、これからも見守っていたいと思います。

 頑張れ、新生でりじぇい!
   


Posted by 小暮 淳 at 22:08Comments(2)執筆余談

2010年09月21日

新刊本のごあいさつ②

 連休明けの今日は、朝からまたまた新刊本のごあいさつ回りです。

 最初は、群馬県温泉協会へ。

 十数年前、僕の温泉取材は、ここから始まりました。
 県内の温泉情報をもらったり、ぷらっと寄ってお茶をもらったり、現在の僕の仕事に欠かせない機関です。
 今日も、ぷらりと寄って、お茶をいただきながら、温泉雑話をしてきました。

 「あら、お久しぶりね。本、できたの? まぁ、またこの本も売れそうねぇ」
 と、相変わらずお元気そうな事務局長の酒井幸子先生。
 先生は、温泉アドバイザーの研修会やら前著の取材時でも、大変お世話になっている僕の知恵袋的存在です。

 先生の名前を聞いて、ピンときた人いますか?
 あなたは、かなりの温泉通です。

 温泉地の浴室に、「温泉分析書」というのが開示されています。
 最近は、十年に一度の検査が義務づけられたので、新しい人の名前になっていますが、古い温泉地へ行くと、今でも先生の名前が認可者の欄に記載されています。
 酒井先生は、温泉科学者なのです。
 温泉の泉質のことなら、先生に聞けば何でも教えてくれるのです。


 群馬会館内の温泉協会を出て、通りを渡り、群馬県庁昭和庁舎3階のNHK文化センターへ。
 僕が昨年から講師を務める温泉教室を開催してくれているところです。

 突然行ったのですが、運良く、高山承之支社長と、担当の田中敬忠さんがいました。
 「先生、いつも大変お世話になってます。あれ、また本が出たんですか?」
 (ここだけは、僕のことをみんな“先生”と呼びます)

 高山支社長も田中さんも、温泉好きです。
 本を手に取るや、「ここの湯はどうですか?」「○○温泉は一度行ってみたいですね」「知らない旅館が、けっこうありますね」と、温泉談義が始まりました。

 「前の本もまだ売れてますでしょ?」と支社長。
 「はい、おかげさまで、また増刷になりました」
 「先生、これも売れますよ」
 「はい、まずはNHKの生徒さん全員に買っていただかないと(笑)」

 来週は、また今月の講座があります。
 「もう、アブはいないでしょうね?」と田中さん。
 次回は、夏に予定していて、アブの大量発生のために延期になっていた川古温泉です。
 「これだけは、アブに聞いてみないとね(笑)」


 来週あたりから、やっと秋がやって来そうです。
 いよいよ、温泉のハイシーズンです。

 さあ、みなさん。深まる紅葉を愛でながら、群馬の名湯、秘湯、珍湯、奇湯をめぐりましょう!  
  


Posted by 小暮 淳 at 17:17Comments(0)著書関連

2010年09月20日

天然温泉って何?

 現在、連休返上にて、近日出版予定のウォーキングエッセイ 『里山に乾杯!(仮)』 の追い込み原稿の執筆に明け暮れています。

 本文はすべて入稿されているのですが、巻頭および巻末の原稿を書いています。

 「せっかくだから、小暮さんが山歩きで入った温泉の一覧を載せましょう。各温泉に簡単なコメントをお願いします」
 と編集者。
 「そーですね」と引き受けたものの、今、大変苦戦しています。

 電車やバスを乗り継いで、山を登り、下山後、温泉に入り、酒を飲んで酔っ払うという、不埒な不良中年のウォーキングエッセイです。
 草津温泉や四万温泉、上牧温泉など、れっきとした温泉地に立ち寄ることもあれば、交通の便の良い日帰り入浴施設で汗を流すこともあります。
 この、日帰り入浴施設が、クセモノなのです。

 一般には「日帰り温泉施設」と呼ばれていますが、どーみても「温泉風入浴施設」なんですね。
 確かに “天然温泉”とうたっていますが、それは、あくまでも “源泉” を持っているというだけ。
 よく脱衣所で見かける「温泉分析書」も、湧出地での測定データです。

 “天然温泉”といわれても、我々は湧出地の泉源に入っているわけではありません。
 浴槽に入っているのです。だから問題は、浴槽の中の温泉の状態です。

 一日、何百人も何千人も入る浴槽です。
 当然、加温や加水、循環ろ過、そして塩素による消毒が繰り返されています。
 いくら泉質が「塩化物泉」だ、「硫酸塩泉」だといわれても、それは湧出当時の状態で、我々が入る頃には、別の液体になってしまっているのですから……。
 泉質の特徴も効能もあったものではありません。

 で、そんな日帰り入浴施設のコメントを書かなくてはならないのですから、ペンの勢いはにぶってしまいます。
 湯を語れぬ、もどかしさがあります。


 ちなみに業界では、人一人が満足ゆく入浴には、毎分1リットルの湯量が必要だといわれています。
 山のいで湯には、数十人の入浴客しかありませんから、充分に湯量は足りています。
 でも、都市部のスーパー銭湯級の大型日帰り入浴施設には、1日1,000人~2,000人の入浴客が訪れます。
 毎分2,000リットルも出ているわけありませんから、当然、湯を加工するしかありません。

 ところで、その手の施設って、やたらと大きく「天然温泉」って書いてありませんか?
 不思議です。
 天然ではない温泉って、あるんですかね?

 僕の経験では、「天然温泉」と書いている所ほど、湯量が少なく、湯にさまざまな手を加えている施設が多いですよ。
 まさに、“温泉風”です。


 ま、湯について書けないものは、書けないのです。
 そんなときは、おのずと環境や景色、設備などを紹介した文章になってしまいますよね。

 もし、僕の文章を読んで、湯に触れていなかったら、そこの温泉は湯の評価が低いと思ってください。
 それが温泉本の読み方です。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:10Comments(0)執筆余談

2010年09月19日

書店はステージ

 先週金曜日に、新刊 『群馬の小さな温泉』 が無事に発行されました。

 通常、書店販売ありきで、コンビニでの販売は後発になるのですが、今回は、どうもコンビニの力が強かったようですね。
 すでに連休初日の昨日、セブンイレブンもセーブオンも陳列されていました。

 さてさて、書店は……と思い、本日、大手書店をのぞいてきましたが、まだ 『ぐんまの源泉一軒宿』 が単独で販売されていました。新刊は流通都合から、連休明けの陳列になるらしいです。

 で、ネットはどうなのかと検索してみると、ヤフーブックスやセブンネットサービスでは、すでに取り扱っていました。
 なんだか、時代を感じますね。
 書店より先に、コンビニやネットでの販売が先だなんて。昔では考えられなかったことです。

 本が好きで、この世界に入って、「いつかは自分も本を書いて、書店や図書館に自分の本を置くんだ!」と目標にして頑張ってきた場所ですからね、本屋さんは。
 だから、やっぱり書店への思いは強いですよ。

 棚ではなく、新刊本コーナーで、平積みされることが、物書きの夢ですから。
 これは、時代に関係なく、あこがれなんです。

 今日、コンビニで、自分の本を手にとって眺めてきました。
 うれしいことは、うれしいのです。でも、なんだか、書店で出会う感動とは異なりますね。
 「なぜだろう?」
 と思って、本をラックに置いて、全体をしげしげと眺めました。

 やっぱり、存在感が軽いんですね。
 週刊誌やコミックや、近くにはアイスクリームが売っていて、なんだか期間限定商品のようです。
 当然、ゴミになるということで帯はついてません。なんだか服を脱がされた裸ん坊のようです。
 それから、スリップという本の間にはさまっている二つ折りの書店専用注文カードも付いていません。

 昔々、苦学生の頃。
 都内の書店で永い間アルバイトをしていましたから、このスリップには、思い入れがあるんです。
 本が売れるたびに、このスリップを本から抜いて、レジを打ちます。
 一日が終わると、スリップの数を数えます。
 当時、黒柳徹子の『窓際のトットちゃん』が大ベストセラーでした。スリップの数も一番多かったことを覚えています。

 いつか、このスリップの著者欄に自分の名前を刷り込んでみせる!

 それが、20歳の淳青年の夢だったのです。


 月日は流れて、30数年。
 夢が叶ってからも、1冊1冊本を作り上げるたびに、やはり書店は僕のあこがれの場所です。
 そして今は、僕のステージだと思っています。

 連休が明けたら、書店へ行って、スリップを抜いてもらった本を1冊、買ってこようと思います。

  


Posted by 小暮 淳 at 21:14Comments(0)著書関連

2010年09月18日

冷鉱泉に薬湯あり。

 「淳ちゃん、ちょっと相談なんだけど……」

 またしても例の社長さんです。
 今日も電話がありました。

 でも、ちっとも迷惑だなんて思っていませんよ。だって社長は、温泉が大好きなのです。だから、いろいろ知りたくて、聞きたくて、僕にこうして電話をしてくるのです。

 「正月にね、家族で温泉に行こうと思ってるんだけどさ、○○温泉は雪があるだろ。どこか雪のないところで、いい温泉はないかねぇ?」

 社長のお気に入りの○○温泉は、沼田・片品地区にある温泉です。確かに1月は雪が深いと思われます。
 そこで僕は、西上州の薬湯と呼ばれる古湯の温泉をいくつか紹介しました。

 「でも、そこ沸かし湯なんだろ?」と社長。
 「ええ、当然、西上州ですから」と僕。

 年配の人は、冷鉱泉のことを、よく “沸かし湯” と呼びますね。
 「なーんだ、沸かし湯かよ」みたいに。
 これは、温泉と鉱泉を呼び分けていた時代を知っている人たちです。温泉と言えば、すべて温かい湯だと思っている人たちです。でも現在、温泉法では25℃未満でも、定められた量の物質が溶け込んでいれば、“温泉”といいます。

 で、社長さんは「雪のない温泉に行きたい」と言います。
 となると、群馬では赤城山~榛名山より南側となりますね。
 実は、この赤城山~榛名山、そして浅間山までを結ぶ火山ラインが、昔で言う「温泉」と「鉱泉」の境目なのです。

 現在では、温泉は次のように温度により分類されています。

 ・冷鉱泉/25℃未満
 ・低温泉/25℃以上34度未満
 ・温  泉/34℃以上42度未満
 ・高温泉/42℃以上

 上記の火山ラインより北側は、比較的温度の高い温泉が湧いています。
 それに比べて、南側はほとんどが冷鉱泉および低温泉です。
 (もちろん、平成以降に大深度掘削によりくみ出した日帰り温泉施設は除きます)。

 でも、南西上州に湧く温泉は、やぶ塚温泉にしても、八塩温泉にしても、磯部温泉にしても、とても歴史が古いのです。すべて、昔は「鉱泉」と名のっていた温泉地です。

 昔々、まだ現在のようにガスや石油がなく、ボイラー技術の乏しい時代に、わざわざ沸かしてまで入った鉱泉です。
 “霊験あらたか”な泉であったからこそ、先人たちは大切に守り継いできたのです。

 ですから、歴史ある冷鉱泉には、古くから“薬湯”と呼ばれる効能あつき温泉が多いのです。

 「沸かし湯なんだろ?」と言った社長には、よーく、その辺のところを話して差し上げました。


 ボーリング技術が進んだ今、冷鉱泉の温泉は、とても貴重な存在といえます。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:36Comments(4)温泉雑話

2010年09月17日

ヘビだってカエルだって

 「淳ちゃん、ぜったいに笑わないで聞いてよね」

 先日の飲食店の社長さんです。

 20年も前、タウン誌の編集をしていたころ、営業でお世話になった方です。
 あの頃は、恐くて恐くて、あまり近寄れなかった人なのに、変われば変わるものです。歳月が経つと、石も人間も風化して丸くなるんですね。だって昔は「おい、小暮!」って怒鳴っていた人が、今じゃ「淳ちゃん」ですよ。

 「今日これから○○温泉に行こうと思っているんだけど、ヘビって露天風呂に入って来るよな?」
 「はい、入って来ます」(きっぱり!)
 「だよな、入るよな。人間だって気持ちいいんだから、ヘビだって入るさな。でもよ、この世で何がキライかって、俺はヘビが一番ニガテなんだよ」

 それを聞いて、僕は「ガッハハ、ガッハハ」大笑いをしてしまいました。
 「ほれ、笑った。笑わない約束だろうが」

 そりゃあ、笑いますよ。だって社長の風貌は、ほとんどクマですよ。顔もイカツイし、社長が逃げ出す前に、ヘビのほうがビビッて湯舟に入って来ないって。
 ま、そんな話をして電話を切りましたが、人は見かけによらないですね。

 果たして、社長は温泉へ行ったのでしょうか?
 まだ、連絡はありませんが。


 ところで、ヘビの話ですが、今夏もヘビが露天風呂を泳いだ話は良く聞きました。
 ヘビだけではありません。
 カエルだって飛び込むし、カモシカだって現れます。
 でも、一番やっかいなのは、アブやハチのたぐいです。夏の露天風呂は、昆虫の楽園ですから。
 クスサンとかいうんですか? 人の手のひらくらいあるドでかいガです。
 僕はヘビは大丈夫ですけど、ガはダメですね。気を失いそうになります。

 秋は落ち葉、冬は砂ぼこり、春は花びらと、一年中露天風呂は、いろいろなモノが飛び込むんです。
 だから露天風呂は、ご主人泣かせの存在なのです。

 どこの温泉旅館のご主人も「露天風呂は造りたくない」が本音です。
 でも、客からの問い合わせで「露天風呂ありますか?」と言われて、「ありません」と答えた途端、ガチャン!と電話を切られてしまう話を、もう耳にタコができるくらい方々で聞かされました。
 泣く泣く、露天風呂を造ったという宿は、たくさんあります。

 その一方で、豊富な湧出量がありながら、かたくなに露天風呂を持たない旅館があります。
 露天風呂の湯量に見合わない非合理的な造りに、湯守(ゆもり)として疑問を抱いている主人たちです。
 本当の湯の良さを味わってもらうならば、露天風呂は不必要なのです。
 この考え方は、僕も同感です。
 僕は、完全なる“内風呂主義者”です(湯量と湯温に見合った露天風呂のみ認めます)。


 ちなみに、湯量がありながら露天風呂を持たない湯守のいる宿を思いつくまま挙げると……

 ・鹿沢温泉「紅葉館」 ・白根温泉「加羅倉館」 ・湯檜曽温泉「林屋旅館」 ・尻焼温泉「ホテル光山荘」 ・松の湯温泉「松渓館」 ・平治温泉「逢友荘」 ・丸沼温泉「環湖荘」

 などがあります。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:03Comments(2)温泉雑話

2010年09月16日

謎学の旅⑥ 「三途の川」

 みなさんは、三途の川を渡ったことがありますか?

 僕は何回もあります。
 たぶん、みなさんの中にも、何度か渡ったことのある人がいるんじゃないですかね。

 「三途の川」とは、ご存知、人が死んでからあの世へ行くときに渡る想像上の川の名前です。
 ところが、その川が、全国に3ヶ所も存在するのです。

 千葉県長南町を流れる三途川、宮城県蔵王町を流れる三途川、そして、もう1つが群馬県甘楽町を流れる三途川です。
 しかも一級河川は群馬の三途川だけ。これは、日本を代表する「三途の川」ということで、過去には日本三途の川サミットも当地で開催されています。

 国道254号を旧吉井町側から車で走ると、「あっ」という間に通り過ぎてしまいます。もう一度、Uターンして戻ってみたのですが、「あれれっ」と思っている間に、あの世とこの世を往復してしまいました。
 かなり注意をして通らないと、あの世とこの世の境目を発見することはできません。それくらい、小さな川です。

 そこで目印となるのが、国道に架かる「三途橋」のたもとに建つ 「姥子堂(うばこどう)」 です。
 小さなお堂の中には、江戸時代に作られた 「奪衣婆(だついばあ) が祀られています。

 奪衣婆とは、三途の川のほとりにいて、死者の衣服をはぎ取るといわれている老婆です。
 脱がせた衣服の重さで、罪の軽重をはかり、生前に犯した罪を正し、閻魔大王(えんまだいおう)に送る役目をしています。
 善人は、衣服を取られずに、極楽へ案内されるといいます。

 恐る恐る、お堂の中を覗き込むと、オオオオ~!
 確かに凄腕風のニタリ顔したお婆が、こちらをにらんでいます。
 これは死ぬまで善人で過ごし、このお婆の世話にはならんほうが、身のためですな(それくらい、恐ろしい顔をしてます)。

 三途川は、上信越自動車道の甘楽PAの南側を水源地に流れ出し、その後、白倉川に合流し、鏑川に合流して、最後は利根川と合流します。水源地から白倉川との合流地点までは、わずか2・5キロ。なんの変哲もない、どこの田舎にも流れているような小河川です。
 でも、やはり、ネーミングが凄い!

 で、僕は三途川に架かる三途橋の真ん中で考えました。
 どっらがあの世で、どっらがこの世なのか?
 これがはっきりしないと、帰れません。

 どうも奪衣婆が川の右岸にいるところをみると、この世は旧吉井町側のようです。
 すごすごと右岸に渡り、この世にもどって帰ってきました。


 謎学の旅はつづく。

   


Posted by 小暮 淳 at 17:47Comments(2)謎学の旅

2010年09月15日

新刊本のごあいさつ

 書店&コンビニの発売を前に、先週末、著者分の本が納品されました。
 よって、今週から仕事の合間をみて、お世話になった機関や個人をあいさつして回っています。

 今日は午前1本、群馬大学にて准教授のインタビュー取材を終え、午後からあいさつ回りをしました。
 午後イチのスタートは、たびたび僕の講演会を開いてくださっている㈱ライフプラン21の代表・本多輝雄さんを訪ねました。

 本多さんは無類の温泉好きです(僕よりも温泉が好きかも)。
 僕は温泉が仕事ですが、本多さんにとっては趣味のはずなのに、連絡をいただくと必ず温泉地からです。それも平日の真昼間だったりします。
 いったいいつ、仕事をしているのですか?
 そう僕が言うと、「だって、小暮さんのブログ読んでいると、無性に温泉に行きたくなっちゃうんだもん」と駄々っ子みたいなことをいいます。
 ふつう、そう思っても、グッとこらえるのが大人の世界なのですが、本多さんは違います(駄々っ子ですから)。
 居ても立ってもいられなくなって、仕事を放り投げて(ウソです)、温泉地めがけて車を飛ばしてしまいます。

 そんな本多さんと僕が出会えば、ずーーーーーっと温泉の話です。
 今日も、僕の新刊本 『群馬の小さな温泉』 を手に取りながら、「いいね、いいね」「ああ、行きたいな」を連発しながら、温泉談義に盛り上がってきました。
 本多さんのような、熱い温泉ファンに喜んでもらえると、「ああ、本を作って良かった」と素直に思えるのです。

 本田さん、本10冊お買い上げ、ありがとうございました!


 今度はその足で、県庁へ移動。関係機関にごあいさつ。

 前著に続き、新刊本でも協力の欄にクレジットを入れさせていただいた群馬県健康福祉部薬務課、温泉係の森尾誠さんを訪ねました。薬務課とは前任の細野泰志さんからの付き合いです。
 薬務課は、県内の温泉の泉質調査と管理をしている部署です。よって、温泉を取材してまわるライターの僕には、絶対的に必要不可欠な機関なのであります。つねに新しい情報、正しい情報をいただいているところです。

 森尾さんは、直接、源泉湧出地の泉質や湧出量を検査してまわっている方ですから、一般の人はもちろん、この僕でさえ知りえない裏事情なんかも知っているのです。もしかしたら、温泉旅館のご主人でさえ把握していない事実なんかも知っていたりする人なのです。

 「温泉を大切にしているご主人に出会うと嬉しいですね。温泉を大切にしている人は、湯量に見合った浴槽の大きさを知っていますし、浴室の掃除も行き届いています」と森尾さん。
 森尾さんの話は、毎回、とてもタメになります。僕なんかと、温泉を見ている角度が違うんですね。
 森尾さん、ぜひ 『プロが覗いた 群馬の温泉裏事情』 を書いてください。
 ベストセラーになること、間違いなし!

 それとも、2人で組んで、僕が書きましょうか?
 もちろん、印税は折半ということで……。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:18Comments(2)著書関連

2010年09月14日

坂口温泉 「小三荘」

 最近は、突然、思わぬ人から電話をもらうことがあります。
 思わぬ人ですから、当然、ケータイに名前が登録されていません。
 番号だけの表示電話って、出るか出ないか戸惑いながら、相手がしゃべり出すまで、ドキドキしますよね。

 声の主は、むかーしむかーし、タウン誌を編集していた頃にお世話になった、飲食店の社長でした。
 その後も、何かの会で同席したことがある人なので、名前を言われれば、すぐに分かりました。

 「淳ちゃんの本、読んでね、気に入った温泉ができちゃって、毎週通っているのよ。あの肌に貼りつくようなツルツル、スベスベした感じが好きでね。ほかにも、同じような温泉を教えて欲しいんだけどさ」

 いきなり、「ちゃん」付けで呼ばれたので、かなり引いてしまったのですが、そこはサービス業(?)。新刊本も買っていただかなくてはなりませんもの、しっかりレクチャーさせていただきました。


 と、いうことで、社長お気に入りの温泉と同じアルカリ性で、もう少しゲル状のトロトロとした温泉を教えてあげました。
 旧吉井町の一軒宿、坂口温泉「小三荘(こさんそう)」です。

 その湯の浴感は、必ずや訪れる人を驚かせます。
 まるでローションを体に塗ったようです。
 そして、とにかく湯が重い! 
 満遍なく温泉の成分が溶け込んでいる感じで、濃厚な浴感はまるで玉子の白身のよう。
 それもそのはず、昔から別名「たまご湯」と呼ばれている、西上州の名薬湯なのです。

 開湯は約300年前と伝わります。
 湯舟から見える裏庭に、「医王仏」と呼ばれる石仏がずらりと並んでいます。
 その昔、病気を治してもらったお礼にと奉納された、祈願仏です。
 医学や医薬が発達していなかった時代のこと。先人たちは、この湯を病気を治してくれる「薬師の湯」として、大切に守り続けてきたのです。

 泉質は、弱アルカリ性で重曹を含む食塩泉。
 特に皮膚病に効くといわれ、今でもアトピーやあせもに悩む子供を連れた浴客が絶えません。

 「本当に不思議な湯で、湯が澄んでいれば晴天、湯がにごると天気は必ず崩れます」と、4代目主人の山崎孝さんは言います。が、それは本当の話!
 僕は何度も訪ねていますが、無色透明な日もあれば、白濁している日もある。それも、主人が言う天気とドンピシャ当たっているのです。

 なぜ、そうなるのかは、分からないようです。

 温泉って、本当に不思議です。
 だから僕をここまで、病み付きにさせるんでしょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:56Comments(0)温泉地・旅館

2010年09月13日

聞く前に浴め!

 新刊本の発売が近くなったからでしょうか?
 ここにきて、講演の依頼話が多くなってきました。

 まあ、さくい話、講演が一番本が売れるんでよ。
 だから出版元も、「じゃんじゃん、講演してください」と、話を持ってきたりします。
 購買率でいうと、聴講者の半分以上が買って帰ります。
 講演を聴いた、記念のお土産といった感覚なのかもしれませんね。
 でも、いいんです。売れれば(キッパリ!)。

 講演会のいいところは、新刊本だけではなく、古い本も売れるところです。
 『上毛カルテ』(上毛新聞社)は、10年以上も前に書いた本なのに、僕の処女作ということもあり、温泉本を持っている人が買い求めていきます(この本、まだ絶版になっていないようです。アマゾンで売ってましたから)。
 レア本では、ベトナム旅行記の『ヨー!サイゴン』(でくの房)です。
 講演会でしか販売しない、自費製作本ですから。


 ところで、講演会やセミナーを引き受けておいて、なんですけど、温泉って、学ぶものですかね?
 実は、温泉講座の講師をやっていて、いつも疑問に思っていることなのです。
 温泉って、自分で勝手に楽しむものですよね。授業で学ぶものではないはずです。
 頼まれるから引き受けていますけど、毎回、ふに落ちずにいます。

 “おいしいもの”が人それぞれ違うように、“いい温泉”“好きな温泉”も人それぞれ異なります。
 どれが“正しい温泉”なんてありません。
 温泉にプロもアマチュアもないんですから、その人が感じたものが、正解です。
 僕の話なんて聞いたって、僕が体験して感じた湯ですから、万人にあてはまるとは限りません。

 「百聞は一見に如かず」

 “聞く前に浴(あ)め!”です。

 おいしい料理の話を100遍聞いても、空腹は満たされません。
 温泉も同じです。
 知識の前に、体験を!

 なーんて言いながら、本が売れるから講演会はやりますけどね(節操がないヤツですみません)。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:35Comments(0)講演・セミナー

2010年09月12日

亡友の息子

 真夜中、ケータイに、登録外メールの着信がありました。

 「アドレス変更しました」と、たった1行……。
 名前を見ると、聞いたことがあるような名前。でも、すぐに思い出せない。同じ名字の友人はいる。

 いや、いたんだ。

 彼の息子だ! 絶対、そうだ!


 彼とは、友人の大河原義弘くん。カメラマンでした。

 僕らは仕事で出会い、意気投合して、2年間にわたり離島を取材し続けました。
 島の名は、「篠島」。
 愛知県、知多半島の先端と渥美半島の先端のほぼ中間に浮かぶ、周囲約6キロ、人口約2000人の小さな島です。

 今から7年前、僕と彼は、共通の友人と一緒に、偶然、篠島へ遊びに行きました。
 何が偶然かって?
 「篠島」と聞いて、えっ!と思い出せた人は、相当の拓郎ファンですね。

 そう、1979年、夏。
 この島に2万人を超える若者が押し寄せた、伝説のライブ『吉田拓郎 篠島アイランドコンサート』。
 偶然にも、拓郎ファンの彼と僕が、四半世紀後に、この島を訪ねたのです。

 「島が沈んじゃへんかと思ったがね」「父親の肩車で聴いたよ」「道といわず浜といわず、若者が寝転んでいた」……

 最初は、そんな当時を述懐する島民の声が聞きたくて、通い出したのですが、いつしか僕らは、スーパーもコンビにも信号機もない、“モノのない島の豊かな暮らし”に魅せられてしまいました。

 2年間で、通うこと14回。
 彼が写真を撮って、僕が文章を書く。
 いつしか、このライフワークは、展示会へと発展していきました。

 フォト&エッセイ展 『島人たちの唄 ~豊かなる暮らし~』 と題した展示会は、前橋から始まり、宇都宮、横浜、そして地元愛知県の安城市でも開催されました。当時、新聞や雑誌など各メディアが取り上げるほど、話題にもなりました。

 あれは、まるで青春のような日々でした。
 40歳を過ぎたオッチャンが、2人して、夢中になって、離島に通い続けたのですから……。


 でも、

 でも、あの時から、すでに病魔は彼の体をむしばんでいたのですね。


 僕は、すぐに息子さんにメールを返しました。
 「小暮のおっちゃんじゃ! 元気にやってるか? いくつになった?」

 すると、すぐに返ってきました。
 「16です」

 「そうか、子供と大人の真ん中だな。
  あと4年たったら、おっちゃんが飲みに連れっててやるからな。
  それまで、お母ちゃん泣かしたら、いかんぞ!」

 しばらくして、
 「ありがとうございます!!」
 の文字。


 早く、大きくなれよ。拓馬!
 おっちゃん、待ちきれんぞ。 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)つれづれ