2018年05月31日
貧乏脱出大作戦
“相撲取り 相撲を取らなきゃ ただのデブ”
“フリーライター 文章書かなきゃ 無職と同じ”
一昨晩、待ちに待った 「弟子の会」 の定期交流会が開催されました。
弟子の会とは?
世の中には殊勝な人たちがいるもので、僕のことを 「先生」 とか 「師匠」 とか呼んでくださる温泉好きの集まりであります。
講演会やセミナー、またこのブログを通じて知り合った読者たちが、自主的に結成してくださいました。
一昨年の発足から1年半、2ヶ月に1度、飲み屋に集まり、温泉談義をしています。
親はいなくとも子は育ち、師はいなくとも弟子は成長するものです。
会うたびに、彼ら(女性もいます) は、新しい話題を持ち寄って、いかに群馬の温泉を盛り上げるかを語り合っています。
今回の最大の議題は、これでした!
『小暮淳 貧乏脱出大作戦』
すでに企画書が用意されていました。
① 資本金が要らない
② 投資した金がすぐ回収できる
③ 今の仕事が続けられる
④ すぐに真似されない、真似されにくい
⑤ みんなに喜ばれる
⑥ 本も同時に売れる
⑦ 名前も売れる
うる、うる、うるるるる~~!!!!
なんですか、これは!?
もう、感動で震えが止まりません。
師匠が、ふがいないばかりに、見かねた弟子たちが、こんなにも心配していてくれたのですね。
ああ、感謝! 感動!
企画書には、続きがあって、具体的な展開が記されています。
もちろん、ここでは内容を公表できませんが、とても素晴らしい企画力です。
なによりも、弟子たちの愛情の深さを感じるのであります。
オレが貧乏なばっかりに、みんなに迷惑をかけて申し訳ない……
でも、貧乏だからこそ、こうやって知恵も出るのです。
“貧乏は発明の母” なのだ!
なんて、師匠がこんなにも脳天気だから、弟子たちが気をもむんですよね。
貧乏脱出、するぞ~!
でも、こんなに幸せな気分を味わえるのなら、もう少し貧乏のままでもいいかな。
ただただ美酒に酔いしれた夜でした。
2018年05月29日
どこかで 誰かが⑨ ディレクター
先週、こんなメールが届きました。
<私、○○○○(東京のテレビ局名) に所属しております、ディレクターの××××(男性名) と申します。普段、ニュース番組や紀行番組などを制作しております。(中略) 書店で過去の出版物などを調べている中で、小暮様の出されている温泉に関する多くの書籍、とりわけ 「源泉一軒宿」 のシリーズについて非常に興味深く拝見しました。私自身、旅行などで草津温泉や伊香保温泉には訪れたことがあるのですが、一軒宿で温泉を守られている温泉が、こんなに沢山あることや、また湯守の方たちの魅力的なエピソードに大変驚きました。(中略) 現在、企画段階で、まだはっきりとしてことは言えないのですが、メジャーな温泉地以外の一軒宿などに触れることが出来ないかと思っております。一度、小暮様にお話をお伺いすることが出来ないかと、連絡させていただきました。>
とっても丁寧な文面で、人柄まで察せる真摯な内容だったので、すぐに連絡を取りました。
すると、なんと、彼は、僕のスケジュールに合わせて、さっそく昨日、わざわざ前橋まで会いに来てくれたのです。
わずか2時間の面談です。
それでも彼は、持参した僕の著書を開きながら、一つ一つ、質問をしてきました。
「“一軒宿” という言葉も、“湯守(ゆもり)” という言葉も、この本で初めて知りました」
「群馬の人は、こんなにも一軒宿の温泉があることを知っているのですか?」
次から次へと、彼から質問が飛び出してきます。
“草津の仕上湯” のいわれや “ぬる湯” の効能、“薬湯”について、温泉の発見伝説にいたるまで、かなりマニアックな内容にまで話はおよびました。
あっという間の2時間でした。
「今日だけで、温泉講座の中級くらいまで行きましたよね?」
「ですね。いい番組を作ってください。取材には全面協力しますから」
「ありがとうございます。また時間を作ってください。すぐ、会いに来ますから」
どこで、誰が見ているか、分からないものですね。
だから人生は、面白いのです。
さて、どんな番組が放送されるのでしょうか?
読者のみなさま、楽しみにして待ちましょうね。
2018年05月27日
言葉を届けに
<お誕生日おめでとうございます。これから暑くなりますが、身体に気をつけて、元気で過ごしてください。>
オヤジを車イスに乗せて、オフクロの病室を訪ねると、枕元に大きなバースデイカードが置かれていました。
「職員一同」 と、手書きで書かれています。
日付けは、今日です。
「ばあちゃん、おめでとう!」
「ありがとうね。覚えていてくれたんだ」
「当たり前じゃないか。でも、なにもプレゼントを持って来なかったけど。言葉だけで、ごめんね」
入院しているリハビリ施設は、飲食の差し入れは禁止されているのです。
「なにもいらないよ。こうして会いに来てくれたんだから」
「元気そうだね。いくつになったんだい?」
「おかげさまで、きゅうじゅういっさいに、なりました」
「すごいね、息子としてもうれしいよ」
正直、親戚から “病気のデパート” と揶揄されたオフクロが、こんなに長生きをするとは思いませんでした。
「おとうさんは、元気ですか? 熱は下がりましたか?」
「ああ、元気になったから、ほら、連れてきたよ」
そう言って僕は、車イスをベッドの脇に付けました。
「本当!? おとうさんがいるの!」
「ほれ、じいさん。H子さん(母の名前) だよ」
オフクロの手に、オヤジの手を重ねてやりますが、オヤジの目は宙を泳いでいます。
「H子さん、わかるよね?」
「……」
「今日が誕生日なんだよ」
「……」
認知症のオヤジには、目の前のオフクロが分かりません。
「ジュン、ベッドから起こしてくれないかね。おとうさんの顔が、もっとよく見たいから」
僕はオフクロの上半身を抱えて、起こしてあげました。
小さくて、ガリガリで、まるで人形のようです。
医者の話によれば、25キロしかありません。
生きていることが不思議に思えるくらい、細い体です。
「おとうさん、おとうさん、おとうさん……」
オフクロがしきりに呼びかけますが、オヤジには届きません。
「ジュン、お願いがあるんだけど、写真を撮ってくれないかい?」
「いいよ、ほら並んで」
僕がケータイを向けると、
「ここでじゃないよ。おとうさんの誕生日にだよ。2人して、家でさ」
オヤジの誕生日は、9月20日です。
「だったら、それまでに家に帰れるように、リハビリを頑張らなくっちゃ」
「うん、がんばるよ」
94歳と91歳のツーショット。
たぶん、今年で結婚69周年じゃないかな。
その時は、孫もひ孫も呼んで、盛大にお祝いをしてあげようと思います。
2018年05月25日
猿ヶ京温泉 「千の谷」
昨日から猿ヶ京温泉(みなかみ町) に、泊まりで行って来ました。
といっても、取材ではありません。
今回は、みなかみ温泉大使として、みなかみ町観光協会の定時総会に来賓として出席してきました。
その会場となったのが、「源泉湯の宿 千の谷」 でした。
えっ、知りませんか?
猿ヶ京に、そんな宿はあったっけって?
実は、最近リニューアルオープンしたホテルなのです。
その昔は 「ホテルコープシャトウ猿ヶ京」 といっていました。
後に経営が替わり、「ホテル シャトウ猿ヶ京 咲楽(さくら)」 となりました。
僕の著書 『みなかみ18湯』 では、「咲楽」 の名で掲載されています。
今回のリニューアルは、今までとは違い、大改装されました。
たぶん、以前、訪れたことのある人は、驚かれるでしょうね。
これが、同じホテルなの?って。
それもそのはずです。
今度の経営は、かの “松乃井リゾートグループ” なのであります。
水上温泉(みなかみ町) の 「松乃井」 や老神温泉(沼田市) の 「紫翠亭(しすいてい)」 と姉妹館になりました。
だもの、かなり洗練されました。
僕も久しぶりに訪れて、大変驚きました。
ロビーに多少面影が残っているものの、それ以外は、まったく別のホテルに来たようです。
部屋もきれいにリニューアルされ、清潔感あふれるものでした。
総会が終われば、お待ちかねの懇親会です。
例年だと、この席で僕はバンドメンバーとライブをやるのですが……
まあ、なんといいますか、みなさんもご存知のように、みなかみ町は、なにかといろいろありまして、今回は、なにげに自粛ムードが漂っていたのであります。
ということで、今年は余興は中止となりました。
懇親会の後は二次会がお決まりですが、やっぱり温泉ライターとしては、一刻も早く湯に浸かりたいのであります。
ということで深酒する前に、一浴することにしました。
まずは1階に新設された 「名月の湯」 へ。
これは、広い!
温度の異なる浴槽のほか、浅い寝湯や深い立ち湯まであるのです。
露天風呂は、さほど大きくありませんが、まさに名前どおりの “月見風呂” が楽しめました。
一夜明けて、朝風呂に訪れたのは3階にある 「星あかりの湯」。
朝だったので、“星見風呂” というわけにはいきませんでしたが、そのぶん、まばゆいばかりの新緑を愛でながら、存分に湯を楽しんでまいりました。
ぜひ、みなさんも新しくなった 「千の谷」 で、リゾート気分を味わってください。
2018年05月23日
沢渡温泉 「まるほん旅館」⑥
<しんしんと雪降る宿で福田おやじとサトボオと酒を飲むと、深夜〇時になってしまった。サトボオは純朴なマジメ人間で、まだ発展途上の道楽者予備軍である。福田おやじは「これで、まるほん旅館は安泰です」と感慨深げだった。>
(嵐山光三郎著『日本百名町』光文社知恵の森文庫 より)
今日は雑誌の取材で、中之条町の沢渡(さわたり)温泉へ行って来ました。
思えば、昨年6月のNHKBSプレミアムの旅番組のロケ以来ですから、ちょうど1年ぶりになります。
午前8時、共同浴場に着くと、沢渡温泉組合長の林伸二さんが出迎えてくれました。
「小暮先生が来られるというので、また、こちらを用意しておきました」
と、沢渡温泉名物の 「きび大福」 を渡されました。
別に “先生” ではないのですが、中之条町の観光大使をしているからでしょうか、なぜか組合長は僕のことを 「先生」 と呼ぶのです。
そして会うときは、必ず僕の大好物の 「きび大福」 をくださるのです。
組合長との雑談と、共同浴場での写真撮影の後、隣接する 「まるほん旅館」 へ。
温泉ファンなら誰でも知っている創業400年の老舗旅館です。
そして、作家の嵐山光三郎先生が、著書の中で 「サトボオ」 と呼ぶ16代目主人の福田智さんのいる宿です。
有名な話ですが、智さんは元銀行員で、湯と歴史と先代の主人に惚れ込んで、脱サラして福田家に養子として入ったという異色の “湯守人” であります。
その経緯については、嵐山先生や僕の著書をお読みください。
「まずは、湯をいただいてきます」
と勝手知った館内を、ドカドカと歩いて、名物の混浴大浴場へ。
といっても、今日は休館日なので、他に客はいません。
貸切であります。
別名、「ひのき張り湯小屋風呂」。
群馬県内でも3本の指に入る、僕の大好きな湯殿です。
湯殿もいいが、なによりも湯がいい!
湯葉のように幅広の湯の花が、ゆらゆらと湯の中をたゆたう姿は、なかなか他の温泉では見られるものではありません。
隣の共同浴場と同じ源泉なのに、なぜか湯の花のサイズが違うのです。
(共同浴場の湯の花は、もっと小さくて細かい)
極楽、極楽!
やっぱ、ここの湯、好きだわ~!!
と、声を出さずにはいられない至福感を存分に堪能してきました。
湯上がりは、サトボウこと智さんとコーヒーをいただきながら、いつもの温泉談義に花を咲かせてきました。
またしても彼の温泉に対する情熱に触れ、「負けるもんか!俺だって」 という闘志が湧いてきたのであります。
もっともっと、沢渡温泉の湯を全国の人に知ってほしいものです。
2018年05月22日
川原湯温泉 「丸木屋旅館」
昭和27年だったといいますから、66年の歳月が過ぎたことになります。
のどかな温泉街に、突然、ダム建設の計画が持ち上がった年です。
いまだに、ダムは完成していません。
国の方針も中止と再開をくり返し、温泉街をはじめ水没予定地区の住民は、賛成派と反対派に分かれ、確執と翻弄の中で闘い続けて来た66年間でした。
それでも終結の日が、いよいよ、あと2年と近づいています。
ダム堤は完成すれば、高さ116メートル、幅290メートル。
現在、24時間態勢で、コンクリート打設工事が進んでいます。
「旅館が移転したら、また取材してくださいね」
と9年前に言ってくださったのは、“旧七軒” と呼ばれる老舗旅館の主人でした。
その主人の旅館は、まだ新天地には移転していませんが、すでに5軒の宿が営業を再開しています。
今日、そのうちの1軒、「丸木屋旅館」 へ行って来ました。
NHK文化カルチャーの野外温泉講座です。
僕は9年前から、この講座の講師をしています。
開講した初年度に、講座では旧川原湯温泉を訪ねています。
「旧川原湯温泉に行ったことある人は、いますか?」
行きのバスの中で、受講生に声をかけると2名が手を挙げました。
顔を見れば、初回講座から受講している方でした。
「うわ~、なんだか温泉地という雰囲気じゃないですね」
バスを降りた受講生の第一声でした。
「ですね、まだ道路も工事中だし、宿も商店もまばらです。これからですよ」
僕は昨年、雑誌の取材で、川原湯温泉協会長の樋田省三さんにインタビューをしました。
彼いわく、「次世代を担う若い後継者たちが、帰って来ています。私たちは過去を引きずっていますが、彼らには未来しかない。新しい川原湯温泉に期待しています」
もちろん、僕も期待しています。
10年後、20年後の川原湯温泉を見てみたいものです。
現在の温泉街の入り口に建つ、「丸木屋旅館」。
黒を基調としたモダンな和風旅館です。
部屋は全6室、家族だけで商うアットホームな宿です。
なによりも、湯がいい!
旧温泉地からポンプアップされていますが、源泉の温度が約80度もあるため、加温する必要はありません。
この時季だと、ちょっと熱いくらいです。
でも、これが不思議なんです。
昔から川原湯の湯は、“熱いけれど涼しさを感じる” のであります。
ま、これは僕の大げさな表現なんですけどね。
入るときは確かに熱いのです。
でも肩まで浸かる頃には、もう熱さは感じません。
「あれ、ちょうどいい湯加減じゃない」
と、受講生たちも大変驚いていました。
湯上がりにいただいた料理は、フキとタケノコの煮物、ウドやコシアブラの天ぷらなど、山の幸たっぷりで、ついつい酒も進んでしまいます。
「先生、最高ですね!」
「でしょう、いいでしょう!」
みなさんも、新しくなった川原湯温泉へ、ぜひ足を運んでください。
今だと、「八ッ場(やんば)ダム現場見学ツアー」 を行っていますよ。
2018年05月21日
不自由なれど
すでに、ご存知のとおり、僕は週末、認知症のオヤジの介護をしています。
オヤジが認知症を発症してから、もうかれこれ10年になります。
年々、記憶は遠ざかり、加齢とともに体力もなくなり、今では自立歩行もままなりません。
今年94歳になる高齢ですから、仕方がないといわれれば、それまでなのですが、長引く介護に、僕もアニキも少々疲れを感じる今日この頃です。
平日はデイサービスとショートステイを組み合わして、実家でアニキが面倒を看ています。
週末になると、僕がオヤジを迎えに行き、我が家で引き取っています。
その間、アニキは東京の家族の元へ帰ります。
我が家では、1階の和室に布団を敷いて、オヤジを寝かせています。
起きているときは座椅子に座らせていますが、ほとんど目をつむっています。
「トイレも行かせたし、今なら、しばらく大丈夫かな……」
と寸暇を惜しんで、僕は2階の仕事部屋へ行き、急ぎの仕事を片付けようとするのですが、そうは問屋が卸してはくれません。
ドタン! バタン!
「ああああああーーーー!!」
オヤジが徘徊をして、廊下で転倒したり、玄関から転落して、カメのようにひっくり返って、手足をバタつかせているのです。
これでは、おちおち仕事なんてしていられません。
一瞬たりとも、目を離せないのが現状なのです。
ということで、このところは、オヤジが居る3日間は仕事をするのは、あきらめています。
その代わり、本を読んでいます。
でもね、一日中読書を続けるのも、飽きるものですよ。
しかも、締め切り原稿なんか抱えていると、「ああ、早く仕事をしたい。このオヤジさえ、いなければ……」 なんて恨み言の一つも言いたくなるのです。
でも、今回は、そんなストレスも吹き飛んでしまいました。
先週、今夏出版される著書の “ゲラ” が上がってきたのです!
ゲラとは、「ゲラ刷り」 のことで、印刷前の校正用の刷り物のことです。
この用紙に、校正をしながら訂正・修正の赤を入れるときが、ライターとしての至福の時なのであります。
まだ本文だけの初稿ですが、それでも130ページのゲラが、出版元より手渡されました。
「やった! これならオヤジの介護をしながらでも、仕事ができる!」
と、この3日間は、オヤジの目の前でゲラを広げて、黙々と赤ペンを走らせていたのであります。
「ダメだよ、じいさん! これは触っちゃダメなんだよ。仕事だからね」
時々、目を開けては、ちょっかいを出すオヤジをたしなめながらも、有意義な時間を過ごせたのでした。
介護は不自由なれど、やりようで、どうにかなるものです。
出版、間近!
気合が入ります。
2018年05月18日
情熱のローラ
♪ 涙をふいて僕と歩いて行こうよ
この道はもどれない 青春という季節
恋に悩みもするだろう
誰かと争うことも時にはあるだろう
若い日二度と来ない さらばといって行こう ♪
<『青春に賭けよう』 作詞/たかたかし 作曲/鈴木邦彦>
また一つ、昭和の光が、青春の1コマが消えて行きました。
西城秀樹、享年63歳。
今思えば、僕の青春時代には、ピンクレディーやキャンディーズもいたけど、ちゃっかり、“新御三家” もいたことに気づきました。
中でも、西城秀樹は、僕のお気に入りでした。
何を気に入っていたのかって?
あの、歌唱ですよ。
ちょっとハスキーで、ロックと歌謡曲の折衷のような楽曲は、モノマネをするには最適でした。
「情熱の嵐」 「傷だらけのローラ」は、僕の十八番でした。
休み時間には筆箱をハンディマイク代わりに、放課後はモップをスタンドマイク代わりに、熱唱したものでした。
もちろん、オンステージのつかみは、
♪ ハウスバーモントカレーだよ~ ♪
いつか僕も、秀樹のように、大きなステージで思いっきリ歌ってみたい!
確かに10代の時は、そう思っていました。
だから夢を追って、東京へ出て行ったのです。
そして、初めて行ったディスコで、最初に踊った曲が 「ヤングマン/Y.M.C.A」 でした。
でもね、僕が秀樹の曲で一番好きなのは、「ヤングマン」 でも 「情熱の嵐」 でも 「傷だらけのローラ」 でも 「薔薇の鎖」 でも 「ギャランドゥ」 でもないのです。
そう、あまり売れなかったけど、「青春に賭けよう」 なんです。
だから訃報を知ってからは、ずーっと、この曲を歌っています。
ヒデキに、感謝!
青春をありがとう。
ご冥福をお祈りいたします。
2018年05月16日
おかげさまで1周年
「毎月、銀行で見ています」
「グラフぐんま、読んでますよ」
このところ、そう声をかけていただくことが増えました。
連載開始から1年、少しずつ知られるようになりました。
『グラフぐんま』(企画/群馬県、編集・発行/上毛新聞社)。
年9回発行されている群馬県のグラビア広報誌です。
定価360円で書店販売されていますが、役所や公民館、銀行、病院のロビーや待合室に置かれているのを見かけた人は多いと思います。
この雑誌に昨年の5月号から、僕は “冠連載” を書かせていただいています。
「かんむり」 とは、タイトルに筆者の名前が付いている記事のことです。
『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』
第1回の四万温泉から始まり、今月(2018年5月号) の伊香保温泉で、第10回を迎えました。
ちょうど連載1周年になります。
読者も増えてきているようで、筆者としても嬉しいかぎりです。
連載は続きますが、群馬県内には約100ヶ所の温泉地がありますので、シリーズが完結するには丸10年続くことになります。
あらあら、その頃僕は、“アラ古希” であります。
が、すべては群馬の温泉のため!
老体にムチを打ってでも、書き続けますぞ!
読者のみなさま、末永くお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
2018年05月14日
母の日なのに
毎週日曜日は、認知症のオヤジを連れて、リハビリ施設に入院しているオフクロを訪ねています。
ところが昨日は、会いに行くことができませんでした。
オヤジが突然、熱を出してしまったのです。
当然、熱のある老人を面会に連れて行くことはできません。
だからといって、オヤジを家に置いて、僕だけ行くこともできません。
「じいさん、大丈夫かい?」
「……」
別に熱のせいではなく、ふだんから耳が遠いので、別段、いつもと変わりはありません。
ただ、ジッとイスに座って、目をつむっているだけです。
これも、いつもと同じ。
寝ている時は、もちろんですが、起きている時も目は、つむっています。
目を開けているのは、食事をしているときぐらいなもの。
最近は、食事の最中でも寝てしまいますが……
「じいさん、あんたは、生きてるの? 死んでるの?」
「……」
生きているんなら、せめて生きている証しとして会話をしてほしくて、僕は呼びかけます。
たぶん本人は、今、熱があることも分からないんでしょうね。
「今日は、ばあちゃんに会いに行けないね」
「……」
「残念だね」
「……」
残念だと思っているのは、きっと僕だけです。
“母の日” なのに……
きっとオフクロは、僕がオヤジと会いに来るのを待っているはずです。
かあちゃん、ごめんな。
オヤジが熱さえ出さなければ……
ふと、オヤジを見れば、夕食のカレーライスを一人前、ぺロリと平らげています。
熱があっても、食欲旺盛の大食漢。
たぶん、これがオヤジの生命力の源なんですね。
「じいさん、薬を飲んだら、ちゃんと布団で寝てくださいね」
「……」
「その前に、オムツを交換しようね」
「……」
来週の日曜日は、オフクロの91回目の誕生日です。
オヤジの風邪を治して、何がなんでも会いに行かなくちゃ!
2018年05月12日
来世のために
80歳を過ぎてから、英会話教室に通い出した男性がいます。
なんのために?
海外旅行に行くのか?
その老人の答えは、こうでした。
「次の人生のためにです」
この話をしてくれたのは、さる会社の社長さんでした。
将棋の藤井君、スケートの羽生君、野球の大谷君など天才と呼ばれる人たちは、我々と何が違うのだろうか?
生まれながらにして、差が付いているのだろうか?
そんな話をしているときでした。
「前世からして、違うらしいですよ」
そして、そのことに気づいた老人は、次の人生のために、死ぬ前に英会話を会得しておこうと考えたとのことです。
なるほど、天才たちは、すでに前世で技術を会得してから生まれてきたのですね。
それが天才と凡人の差ということです。
ならば、今からでも何か一つモノにしておけば、来世が楽になるというものです。
「小暮さんもいかがですか? ひとつ、六十の手習いで初めてみては?」
「そうですね、僕の場合、経営学の勉強ですかね。来世で、お金持ちになれるように(笑)」
2018年05月11日
ぶらり、尾瀬の里へ
尾瀬の玄関口、JR上越線、沼田駅。
駅前より大清水行きのバスに乗って、約40分。
老神温泉に降り立ちました。
僕は2015年5月に、『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) という本を出版しました。
この本では、老神温泉の15軒の宿すべてを取材しています。
また、「老神温泉大使」 に任命されているので、取材以外のイベントにもたびたび参加しています。
いわば、何十回と訪れている勝手知ったる温泉地なのであります。
でも今回、初めて電車とバスを乗り継いでやって来ました。
なぜか?
ええ、まあ、事情がありまして、クルマの運転ができないのであります。
「老神温泉」バス停を下りると、目の前が朝市広場です。
昼時だったので、すでに終了していましたが、この広場には、ギネス世界一の 「大蛇みこし」(108m) が常設展示されています。
くしくも昨日は、年に1度、この大蛇みこしが練り歩く 「大蛇まつり」(5月11日~12日) の前日でした。
温泉街では、協会職員や旅館の主人たちが、祭りの準備に追われています。
「あれ、小暮さん! 今日は?」
顔見知りの人たちが、声をかけてくれました。
「今日は、取材です。今年は祭りに出られなくて申し訳ありません」
週末は親の介護のため、祭りを欠席せざるを得ませんでした。
温泉街を散策の後、昼食を兼ねて、ひと風呂浴びに、日帰り入浴施設の「湯元 華亭」 へ。
ほんのり硫黄の香りのする名湯につかりながら、まぶしいほどの新緑を満喫しました。
「今日は一日、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「カンパーイ!」
湯上がりに、同行のカメラマン氏と生ビールで、取材の無事と成功を祈りました。
僕は現在、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に、『ほろ酔い街渡(ガイド)』 という旅エッセイを連載しています。
この連載は、タイトルどおり酒を飲みながら旅をするシリーズです。
群馬県内の地酒を求めて、酒蔵や居酒屋をめぐります。
ということで、クルマの運転ができないため、公共交通機関を利用して取材をしているのです。
今回は、尾瀬の銘酒を訪ねて来ました。
掲載は、6月1日号です。
お楽しみに!
2018年05月09日
『新ぐんまカルタ』 制作10周年
「小暮君は、若くっていいなぁ~」
昨晩、5人のメンバーが集まりました。
僕以外は、70~80代の先輩たち。
還暦を迎える僕が、最年少の集まりです。
2006年春、僕らは8人で 「ぐんまカルタ制作実行委員会」 を発足。
2008年10月、『新ぐんまカルタ』 を発行・発売しました。
※(発足・制作のいきさつについては、当ブログの2010年12月18日「3分の1は敵」を参照)
あれから10年……
その間に、3人の同志が他界しました。
こうやって毎年、残されたメンバーが集まって、定期総会を開いています。
平成29年度の収支決算の報告、販売・在庫数の報告の後、いつものように乾杯となりました。
「あれ、ノンアルですか?」
「ああ、まだ医者の許可が出ていないんだよ」
「残念ですね」
「次回は、飲むから」
「来年も、このメンバーで集まれるといいけどね」
「そんなこと、言わないでくださいよ」
「いや、これだけは分からないから」
「みなさんは、まだまだ大丈夫ですよ」
「最後に残るのは、小暮君だ。頼んだぞ!」
座は、笑いに包まれました。
あれから10年……
60代だった人は70代に、70代だった人は80代になりました。
僕だって、彼らに会った時は、まだ40代だったのです。
「でも、あの時、カルタを作って、本当に良かったと思うよ」
発起人であり代表のIさんが、しみじみと言いました。
“これからの群馬を担う子供たちのために”
その思いは、こうやって形として後世に残すことができました。
来年も、元気にお会いしましょう!
☆ 『新ぐんまカルタ』 は、前橋市内の主要書店にて取り扱っています。
2018年05月07日
カウントダウン
還暦まで、100日を切りました。
別に生き急いでいるわけではありませんが、なんだか急かされているような、焦っている自分がいます。
まるで、試験日を目前にした受験生の気分です。
30歳を迎えたときも、40歳を迎えたときも、50歳を迎えたときも、こんな忙しない気持ちで迎えたことはありませんでした。
ふと気が付くと、今までの人生を振り返っているのです。
決して、後悔なんてしていません。
ただ、あんなことがあった、こんなことがあったと、走馬灯のように記憶がめぐります。
夢を追って、東京へ出た10代
挫折をして、都落ちした20代
心機一転、新しい世界へ飛び込んだ30代
暗中模索の40代
我武者羅に走り抜けた50代
思えば、挫折と再生のくり返しでした。
「いったい自分は、何をやりたかったのだろう?」
自問自答をする毎日です。
“人生百年” といわれる長寿時代になりました。
それでも、折り返し地点は過ぎています。
そして残り40年といわれても、両親の介護をしている僕には、実質、そんなには動けないことも知っています。
あと20年?
いや15年だろうか?
それも、健康であればという条件付きです。
人生は、一本の道だったはず。
僕は、その道から外れていないだろうか……
2018年05月05日
急に温泉へ行きたくなったら
ゴールデンウィークの中日、友人から電話がありました。
「これからでも泊まれる温泉宿ってありますか?」
なんでも知り合いが、急きょ、家族を連れて温泉へ行きたいと相談してきたといいます。
で、その矛先が僕に向けられたということです。
「この時期、どこもいっぱいですよね?」
ま、ゴールデンウィークは一年でも、一番の書き入れ時ですからね。
有名温泉地の有名旅館は、まず予約が取れないでしょうね。
「でも、探せば、穴場のいい宿があるはずですよ」
「えっ、ありますか? どこでしょう?」
こんな時、みなさんなら、どうやって探しますか?
即、ネットで検索ですか?
でも、ネットでは、どうしても有名旅館の情報量が多くて、なかなかマニアックな宿はヒットしませんよね。
まして温泉名も、宿名も知らない旅館にたどり着くのは至難の業です。
そんなときにオススメなのが、そう! 僕の著書です!!
えっ、なに宣伝しているんだって?
まあ、たまには、いいじゃありませんか。
温泉地のすべての宿(旅館・ホテル・民宿) が網羅されていますし、料金、客室数、浴室数から、泉質、湯量、効能、加水・加温・循環装置の使用の有無まで記載されていますので、隅から隅まで読めば、絶対にお目当ての宿を見つけられること請け合いです!
えっ、そんな時間はないって?
ですよね、すぐに温泉へ行きたいんですものね。
では、そんな時は、どうしたらいいのか?
とっておきの裏ワザ(?) を教えしちゃいましょう!
それは、観光協会や温泉協会に電話をするのです。
すべての宿の情報を把握している協会には、“今” の最新情報が集まっています。
さらに、料金や料理、設備などの要望が出せます。
温泉好きならば、宿の環境や湯の状態なども相談してみてください。
“困った時の協会頼み” 忘れずに!
現在、僕は群馬県内5つの観光・温泉大使をしています。
もし、急に温泉へ行きたくなったら、下記の協会を思い出してください。
●みなかみ町観光協会 TEL.0278-62-0401
●中之条町企画政策課 TEL.0279-75-8802
●老神温泉観光協会 TEL.0278-56-3013
●伊香保温泉観光協会 TEL.0279-72-3151
●四万温泉協会 TEL.0279-64-2321
2018年05月03日
ホールインGW
ゴールデンウィーク後半、いかがお過ごしですか?
長い人では最大9日間、カレンダーどおりでも7日間もありますから、海外旅行にでも出かけないと、間を持て余してしまうかもしれませんね。
僕ですか?
僕には、まったくもって関係ない国民的行事(?) であります。
サラリーマンを辞めた23年前から無縁です。
土日も祝日も関係ありません。
仕事がないときが、休日ですから。
で、今年のゴールデンウィークも仕事と介護以外は、予定がありません。
ただ3日(今日) だけ、早朝より町内のイベントに役員として借り出されることになっていました。
でも天気予報は、雨。
それも未明から大荒れとなり、暴風雨または雷雨をともなうとのこと。
だもの、「明日は中止だな」 と高をくくっていたのであります。
ところが一夜明けてみると、小雨がぱらついているものの、天候は回復のきざし。
あわてて会場となる小学校のグランドへ行くと、すでに役員が数人、準備を始めています。
「今日は、やるんですか?」
「小雨決行って書いてあったでしょう」
「ですね。でも、この天気だと、みなさん中止だと思っているかもしれませんよ。決行の連絡に回りましょうか?」
すると自治会長は、
「いえ、その必要はありません。連絡は、中止の時だけで結構です」
“決行” と “結構” なんて、ダジャレていました。
はたして、町民は集まるのでしょうか?
ところが開催時間の午前8時には完全に雨は止み、雲の切れ間から薄日まで差してきました。
そして、役員の心配をよそに、大勢の町民がグランドに集まりました。
今日は年に1度の 「グランドゴルフ大会」 だったのです。
グランドゴルフは、ご存知ですか?
要は、ゴルフのような老人向けゲームであります。
以前はゲートボール大会だったのですが、ルールが難しいことと、経験者と初心者の腕前の差があり過ぎるため、ここ数年はグランドゴルフ大会を行っています。
ルールも簡単で、ボールを叩いて、旗の付いたゴールポストに入れるだけ。
何打で入ったかを競うだけです。
実は、僕が班長を務める我が班は、昨年の優勝チームなのです。
今年は、連覇が期待されています。
後半、6番コースでのこと。
距離は、約40メートルのミドル。
それまでも僕は、パー(3打) を確実に取っていました。
でもチームとしては、前半回ったところでトップに13打も差をつけられて4位です。
「班長、ここらでホールインワンをお願いします」
チームメイトから声援がかかります。
ホールインワンを出せば、それだけで一気にマイナス3打となります。
でも僕は、過去に一度もホールインワンなんて出したことはありません。
班長として、今年も優勝トロフィーを持って帰りたい。
八百万の神よ、我に奇跡を授けたまえ~~!
エーーーイッ!!!
コーンと当たりのいい音がして、コロコロコロとグランドを勢いよくボールが転がっていきます。
その軌道は、「6」 と書かれた旗を目がけて、一直線に。
少しして、旗のまわりから喚声が上がりました。
「ホールインワンです!」
「小暮さん、有言実行です」
「吸い込まれるようなきれいなボールでした」
その後は、メンバー全員とハイタッチ。
表彰式では、ホールインワン賞をいただきました。
で、チームの成績はというと……
連覇ならず、4位のままでした。
でもね、とっても楽しい一日でしたよ。
世代を超えた老若男女が、一つのことに夢中になれるなんて、なかなかありませんもの。
地域社会の大切さ、ありがたさを感じた一日でした。
と同時に僕は、今年の運を、すべて使い果たしてしまいました。
2018年05月01日
一期三会
読者のみなさんは、覚えていますか?
3年前、定年退職後にミニバイクで全国を旅しているオッサンに出会った話を……
※(当ブログの2015年6月22日「男は二通り」、2015年8月3日「一期二会」参照)
一期一会ならぬ、“一期二会” の出会いをした話です。
でも、2度あることは3度あるのです。
あの、旅するオッサンが、3年ぶりに前橋にやって来た!
某ホテルの前に、大きな荷物を積んだ青いスクーターが停まりました。
“ホンダ スーパーカブ”
ヘルメットをかぶった男性が、いままさにヘルメットを脱ごうとしています。
なにげにナンバープレートに目をやると……
<鎌倉市>
鎌倉市だ?
その地名に、記憶の片鱗が引っかかりました。
過去に、似たようなシチュエーションを経験した記憶があるのです。
デジャビュー(既視体験) だろうか?
いや、過去にスーパーカブに乗って鎌倉からやって来た男性に会ったことがある。
でも、確か、郵便局員が乗るような真っ赤なバイクだったはずだけど……
ナンバープレートから視線を上げた時、男性と目が合いました。
軽く会釈する僕。
途端、驚いたような顔をするオッサン。
「た、たしか、以前にもお会いしたことがありますよね?」
「えっ、も、もしかて~!」
僕らは3年ぶりに初めて、互いの名前を告げました。
Nさんからいただいた名刺には、肩書きに 「糸切れ凧」 と書かれていました。
自由気ままに、風の吹くまま、旅から旅へ流れて行く “職業” のようです。
「今回は?」
「芭蕉が歩いた “奥の細道” をめぐってきました」
「東北ですね」
「ええ、仙台から酒田へ抜けて、今、新潟から前橋に着いたところです」
「あいかわらず自由でいいですね。うらやましい」
「小暮さんのご職業だって」
手渡した僕の名刺をながめながら、今度は僕の仕事の話になりました。
「もっと早く知っていたら、いい温泉を教えてもらったのになぁ~」
「ぜひ、今度は群馬の温泉をバイクでめぐってください」
縁とは、不思議なものであります。
糸切れ凧のNさん、今度は、いつ、どこでお会いするのでしょうか?