2018年01月31日
どこかで 誰かが⑦ 写真
「写真を見るたび、ああ、小暮さん、がんばってるな。俺もがんばろう!っていう気になるんですよ」
と言ってくださったのは、某テレビ局のディレクターさんでした。
写真とは、上毛新聞に時々掲載される著書の広告のことです。
「上毛新聞の本」 という全5段の大きな広告です。
5冊の本と5人の著者が、写真入りで紹介されています。
僕は、ちょうど真ん中にいます。
右隣は、建築写真家・吉田敬子さんの 『産業遺産にあっぱれ』。
左隣は。フリーアナウンサーで野菜ソムリエ上級プロ・竹下裕理さんの 『ぐんまの野菜で美人になれる理由』。
お二人とも、素敵な笑顔の写真が掲載されています。
で、僕の写真はというと……
紹介されている著書は、昨年5月に出版した 『金銀名湯 伊香保温泉』。
こんなキャッチコピーが付いています。
<温泉シリーズ第9弾>
<千余年もの昔から絶えることなく榛名山麓に凛々と湧く黄金、白銀の湯。絶景の天空遊覧を楽しむ贅沢、ますます進化を遂げる伊香保温泉。>
そして本の表紙と一緒に添えられている著者の写真は、眉間にしわを寄せて、しかつめらしい顔をしながら浴衣姿で湯屋の暖簾(のれん)をくぐっている姿です。
これが、本人的には、けっこう笑えます。
なんで、この写真なの?って。
「なかなかシブイ」 とか 「小暮さんらしい」 と言ってくれる人もいますが、ちょっとカッコつけてる感じのする写真です。
でもね、ディレクターさんのように、この写真を見て、「がんばろう!」 と思ってくださる人もいるわけですから、ありがたいことです。
コツコツと生きていると、どこかで誰かが、見ていてくださるのですね。
ちなみに、この写真は現在、上毛新聞の広告のほか、群馬県西部エリアで配布されているフリーペーパー 『生活info (くらしインフォ)』 で連載中のエッセイ 「西上州の薬湯」 のプロフィール写真にも使用されています。
2018年01月29日
トンカツと温かい手
両親の介護も、いよいよ大詰めに入ったようであります。
正月明けにオフクロが、また入院しました。
以前は、脳梗塞、脳出血と病気のためでしたが、今回は事情が違います。
老衰です。
まったくもって、食事を摂らなくなってしまったのです。
水すら受け付けなくなってしまったため、急きょ、入院させることにしました。
オフクロは昭和2年生まれの90歳です。
若い頃から “病気のデパート” と揶揄されるほど、病弱な人でした。
それが60歳を過ぎてから健康を取り戻し、登山や俳句、合唱など趣味を謳歌するほど元気になりました。
「こんなに長生きするとは思わなかった」
とは、僕ら子どもたちならず、本人さえも口にする言葉です。
でも、そろそろ限界のようです。
昨日、オヤジを連れて、面会に行ってきました。
オヤジは大正13年生まれの93歳です。
もう、10年以上も認知症を患っています。
現在、記憶は1分と持ちません。
でも、健康だけは取り柄で、足腰が丈夫だったんですけどね。
ついに、それも限界が来たようです。
杖をついての一人歩行が困難になり、ついに、車イスに乗っての “夫婦対面” となりました。
「ばあちゃん、ジュンだけど。分かるかい?」
「ああ、来てくれたんかい。ありがとね」
「思ったより元気そうで安心したよ」
「せっかく来たんだから、トンカツでも食べていきな」
「トンカツ?」
「……」
「なんだい、トンカツっていうのは?」
「ふふ、ふふふふっ。きっと夢だね。ふふっ」
一日中、点滴だけで、寝ているからでしょうか。
夢とも、うつつとも、判断がつかないようです。
「じいさん、連れて来たよ」
「おとうさんが来たの!? どこ?」
「ほら、じいさん。ばあちゃんだよ」
と、僕はオヤジの手を、オフクロの手に重ねてやりました。
「あったかい手だな。誰の手だい?」
「H(オフクロの名前)だよ。あなたの奥さんですよ」
「……、ふ~ん」
「会えて、良かったね」
「……」
ベッド脇のタンスに、持って来た着替えを納め、帰ろうとしたときです。
「また来るからね」
と、オフクロに声をかけると、思わぬ言葉が返ってきました。
「もう、おとうさんは、連れて来なくていいよ」
「なんでさ? あんなに会いたがっていたじゃないか?」
すると、オフクロは、
「だって、分からないんだもの」
とだけつぶやき、目をつむってしまいました。
「さっ、帰るよ」
「どこへ帰るんだい?」
「家だよ」
「じゃあ、ここはどこだい?」
「病院だよ」
「なんで病院にいるんだい?」
また、いつもの堂々巡りの会話が始まりました。
2018年01月27日
鬼の道 素通り
実家の近くに、小さな児童公園があります。
昔は、もっと遊具もたくさんあって、いつも子どもたちの喚声が聞こえてたんですけどね。
老朽化と少子化のせいで、まるで昭和の忘れ物のように、ひっそりとたたずんでいます。
今は古びたブランコと、ピラミッドのようなコンクリートの山と、小さな滑り台があるだけ。
町内の夏祭り以外は、いつ前の道を通っても、滅多に人影を見ることがありません。
小学生のときは、同級生とオニゴッコやカンケリをして遊んだ公園です。
中学時代は、学校帰りに買い食いをした場所でした。
高校生になってからは、入口にあった公衆電話に、お世話になったものでした。
大人になってからは、世代交代して、うちの子どもたちの遊び場となりました。
そんな思い出深い公園なのです。
先日、近くを通った時に、なつかしくなり、ぶらっと寄ってみました。
平日の午後でしたが、人っ子一人いません。
公園の真ん中に立ち、グルリと見回したときでした。
「あれ、なんだ?」
公衆トイレの脇に、無造作に積まれている物があります。
よく見ると、マンホールのフタような丸い、大小いくつものコンクリート盤です。
「あっ、これ、鬼の道 素通りだ!」
みなさんは、「鬼の道 素通り」 という遊びをしたことがありますか?
地面に大きな円を描いて、中に十字の線を引きます。
ジャンケンで鬼を決め、それ以外の人は、靴を片方だけ鬼に渡し、鬼はその靴を十字の中央に “宝物” として置きます。
鬼が動ける範囲は、たてよこ十字の線だけですが、それ以外の人は、円のまわりも十字の中も自由に動けます。
でも、すでに靴を片方取られていますから、ケンケンでしか動けません。
鬼にタッチをされると、もう片方の靴も取られて、その人は失格となります。
でも勇気のある人が、鬼が他の人に気をとられている隙に、“鬼の道” を通り抜けて、靴を取り返します。
このときに発する言葉が、「鬼の道 素通り」 です。
正しくは、「おーにのみーち すーどーり」 と抑揚をつけて歌いながら走り抜けます。
「おーい、これは誰の靴だ?」
「オレのオレの! サンキュー」
「頼んだぞ!」
靴を取り返してもらった人は、今度は両足で自由に走り回れます。
鬼も俄然、守りが固くなります。
こうして、すべての靴を取り返せば、鬼の負け。
逆に、全員タッチされれば、鬼の勝ちとなります。
無造作に積まれていたコンクリート盤は、かつて公園ににあった遊具の1つ 「鬼の道 素通り」 の残骸だったのであります。
子どもたちが線を引くことなく、すでに円と十字に、このコンクリート盤が埋め込まれていたのです。
今は無残にも、公園の隅に廃棄物のように積まれています。
やっぱり、老朽化でしょうか?
それとも、遊ぶ子どもたちが、いなくなってしまったからでしょうか?
“子どもは風の子” なんていわれていたのは、はるか遠い昭和の時代なんですね。
木枯らしが吹き抜ける公園に、しばらく立ちすくんでいました。
2018年01月25日
温泉の必須バイブル
“みなかみ町温泉の必須バイブル”
“名湯や宿の情報ぎっしり”
今日(1月25日) のサンケイスポーツ20面に、こんな見出しを付けた記事が、大きく載りました。
紹介されているのは、2012~13年に出版した 『みなかみ18湯』(上毛新聞社) の上・下巻です。
<約1年半をかけて町内18カ所の温泉に通い、上巻34軒、下巻41軒の温泉宿を掲載している。>
という書き出しから始まり、上巻と下巻の内容を写真入りで詳しく解説しています。
実は、この記事、直接僕に取材が来たのではありません。
僕が 「温泉大使」 を務める、みなかみ町観光協会から発信されたニュースなのです。
だから、協会から新聞掲載の知らせを受けた時は、「今年もみなかみは元気があるぞ!」 と感心してしまいました。
だって、ここ数年のみなかみ町は、飛ぶ鳥を落とす勢いがありますもの。
エコパークの認定もしかり、「温泉総選挙」 や 「にっぽんの温泉100選」 でも、上位にランキング入りしています。
しかも、“みなかみ18湯” という大きな温泉郷として、町全体を温泉のイメージでPRしています。
で、僕の本も、みなかみ町の “温泉バイブル本” として、世に出そうということのようです。
でもね、だったら僕は他の温泉地の本も書いているわけですよ。
ぜひ、“町おこし” “温泉地おこし” に活用していただきたいものです。
そうすれば、群馬に人がやって来る→温泉地が活気づく→ますます本が売れる→印税が入る、と、イイ事ずくめじゃありませんか!
いっそ、オール群馬で “群馬の温泉必須バイブル本” として、売り出してくれませんかねぇ~。
目指せ、夢の印税生活!
2018年01月24日
薬師温泉 「旅籠」②
<何度訪れても、そのたびに息をのむ自分がいる。やがて、ゆるりと心がほぐされ、誰もが時空(とき)の旅人となり、江戸の町並みを歩き出す。>
(『新ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) より)
大雪の朝、余裕を持って1時間早く家を出ました。
ニット帽、マスク、ネックウォーマー、手袋にコートのフードを頭からかぶり、足元は山用のトレッキングシューズ姿。
完全防寒スタイルにて、一夜にして雪原と化した住宅街を歩き出しました。
ザク、ザク、ザク、ザク……
「おはようございます」
「ご苦労さまです」
家や店舗の前を雪かきする見知らぬ人たちと、声を掛け合います。
「お気をつけて」
なんだか、ホッとなごむ光景です。
4年前の大雪の教訓なのでしょうか。
あの時とは違い、なんだか町が活気付いて見えました。
途中、コンビニに寄って、コーヒーを飲みながら暖をとりましたが、それでも1時間半でJR前橋駅に着きました。
昨日は、僕が講師を務める月に1回の温泉講座日だったのです。
前の日から、すでに “雪天決行” は決まっていました。
あとは当日、何人出席するかだけです。
第1発着場のJR高崎駅を出発したバスは、この雪にもかかわらず5分遅れただけで前橋駅に到着。
欠席者も2名だけでした。
「おはようございます。この講座も丸9年となり、春からは10年目を迎えます。この9年間、雨の日も風の日も雪の日も、一度も休講になったことはありません。今日は、断念して休んだ人たちたちの分も、大いに温泉を楽しんできましょう!」
バスは、白銀に染まった街を北へと向かいました。
雪の街から、雪の山へ。
「今日は思う存分、雪見風呂と雪見酒を味わってくださいね」
今年最初の温泉講座は、群馬県吾妻郡東吾妻町の薬師温泉 「旅籠」。
山深い渓流沿いに一軒宿ばかりが点在する、浅間隠(あさまかくし)温泉郷の一つです。
手前から温川(ぬるがわ)温泉、鳩ノ湯温泉、そして一番奥が薬師温泉です。
※(温川温泉は現在、休業中です。)
バスは、温泉郷の入口で、チェーンを装着。
ここからは急坂のため、スタッドレスタイヤでも通行不可とのことです。
わずかの距離ですが、バスはエンジン音を轟かせながら、一気に雪の坂道を上ります。
「おおおーーーっ!!」
受講生から、喚声が上がりました。
雪に覆われた、かやぶき民家がいくつも現れたからです。
ここ薬師温泉 「旅籠」 は、別名 「かやぶきの郷」 とも呼ばれています。
約7000坪という広大な敷地内には、築150年を超える古民家が全国から移築されています。
まるでテーマパークのよう。
でも温泉の歴史は、とっても古いんですよ。
開湯は寛政5年(1793)年、温泉坊宥明(ゆうめい) という旅の行者により発見されたと伝わります。
当時は鳩ノ湯と一体で、薬師を「上の湯」、鳩ノ湯を「下の湯」と呼んでいました。
薬師温泉と呼ばれるようになったのは、昭和になってからのこと。
「偕楽荘」 という温泉宿がありましたが、平成17年に経営が替わり、「旅籠」としてリニューアルしました。
とかなんとか、うんちくを語りつつ、湯を浴み、料理に舌鼓を打ちつつ、今年の講座も酒に酔いしれながらスタートしたのであります。
受講生のみなさん、また1年間、よろしくお願いいたします。
2018年01月22日
鹿沢温泉 「紅葉館」⑤
♪ 雪よ岩よ 我らが宿り~
関東地方に大雪注意報および警報が出されています。
不要不急の外出はさけて、暖かい部屋で、焼酎のお湯割りでも飲みながら、ブログなど読んでお過ごしください。
さて、雪といえば、「雪山讃歌」 を思い浮かべる人も多いのでは、ありませんか?
その 「雪山讃歌」 発祥の地といえば、どこだか、ご存知ですか?
あまり知られていませんが、群馬県吾妻郡嬬恋村田代の鹿沢(かざわ)温泉であります。
と、いうことで(取材なんですが)、雪が降る前にと早起きをして、ひとっ走り鹿沢温泉の一軒宿 「紅葉館」 へ行ってきました。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
玄関を開けると、4代目女将の小林百合子さんが、昨年末に生まれたというお孫さんをだっこしながら出迎えてくれました。
「ご無沙汰して、申し訳ありません」
と、不義理をわびる僕。
だって、最後に紅葉館を訪ねたのは、本館がリニューアルオープンした年の夏ですから、なんと4年半ぶりであります。
「6代目ですか? おめでとうございます」
現在は、息子さんの昭貴さん夫妻が5代目を継いでいます。
つもる話もありますが、なにはともあれ、絶品の湯をいただかないことには、取材になりません。
群馬の温泉通なら、ご存知ですよね。
“雲井の湯”源泉を!
泉温は約47度、湧出量は毎分約80リットル。
その源泉湧出地と浴槽の距離は、わずか10メートル!
僕が絶賛する湯の3条件、「自然湧出」「自然流下」「完全放流式」 を備えています。
それだけではなく、日本温泉協会による審査6項目で、“オール5” の評価を受けた折り紙つきの最高品質の湯なのであります。
※(6項目とは、源泉・泉質・引湯・給排湯方式・加水・新湯注入率です)
ま、群馬の温泉を語る上では、絶対に欠かせない湯であることは、間違いありません。
今日の湯も、すごかった!!
一見、深緑色に見える湯舟ですが、湯の中で見ると、茶褐色や黄褐色の析出物が無数に浮遊している薄にごり湯です。
でも、この湯、ただものではありません。
入った途端、グイグイと体を締め上げるように、迫ってくるのです。
湯には、肌にやさしくまとわり付く “天女の羽衣系” というのがありますが、その真逆です!
力ずくで攻め寄る “ムキムキのマッチョ系” とでも申しましょうか……
僕は毎度、その強引な愛撫に、メロメロになってしまうのです。
湯から上がると脱衣場で、主人の小林康章さんが迎えてくれました。
「相変わらず、素晴らしい湯ですね」
「ありがとうございます。分かる人は、分かってくださいます」
主人とは、長いつきあいになります。
もう、20年近く前ですが、初めてお会いした時に、聞いた言葉が忘れられません。
「湯に手を加えるな、というのが先祖からの教えです」
その教えを守り続けているからこそ、今でも最高品質の湯を提供できるのですね。
※(紅葉館は、明治2年創業です)
湯上がりは、主人と女将とコーヒーをいただきながら、温泉宿の苦労話や温泉宿の今後についてなど、それはそれは楽しい温泉談義に花を咲かせてまいりました。
湯守のいる宿って、いいですね。
2018年01月20日
風は西から
「“西方風来” って?」
「湾に西からの風が吹くと、船は沖へと出られるんだよ」
「ほう、いい言葉だ」
友人の水彩画家・久保繁が、新年恒例の個展を今日から開催します。
2003年からですから、今回で16回目を数えます。
ただただ、感心します。
彼は小学校と中学校の同級生です。
大人になってからは、いったん音信が途切れたこともありましたが、30代に再会をして、それからは公私共に親交を深めてきました。
※(詳しくは、当ブログの2017年1月21日 「画家18年生」 参照)
現在彼は、前橋と逗子のアトリエを行ったり来たりの生活を続けています。
毎年、春から夏にヨーロッパを旅して、絵を描きためて、東京や鎌倉のギャラリーで個展を開いています。
それでも彼は、必ず年明けには、故郷である前橋から作品展をスタートするのです。
今回も全26点の風景画が、展示されています。
舞台は、イタリアと鎌倉。
「今回は日本の風景が多いね?」
「うん、鎌倉の海が気に入っちゃってね。サーフィンも始めたんだ」
「サーフィン? 似合わんなぁ~」
「そんなことはないよ(笑) 昨日も仲間と海に出て、夜は呑んでた」
「で、今日も前橋で呑んでいるわけだ。相変わらずだな」
「ああ、変わりようがない(笑)
昨晩は、会場にてオープニング内覧会があり、その後のパーティーに出席してきました。
主催者の画廊主のあいさつの後、作家本人のスピーチがあり、いよいよ乾杯なのですが……
突然、打ち合わせもなく彼から、
「ジュン、やってくれよ」
との無茶ぶり指名をもらってしまいました。
仕方なく、簡単な自己紹介をさせていただきました。
「それでは、ますますの久保先生のご活躍を祈念しまして、カンパ~イ!」
立食のパティーでしたが、僕らはまたいつものように、よく語り、よく呑み、よく笑い合いました。
「たいしたもんだよ」
「なにがさ?」
「よく続いているよ」
「それは、ジュンも同じだろう」
「オレは、ほかにやれることがないからさ」
「だったら、オレも同じだよ」
還暦間近の白髪頭のオヤジが2人。
なにがそんなに楽しいのだか、終始、笑顔で、ごきげんの様子。
きっと僕らは、いまだに西からの風を待っているのだと思います。
久保繁展 ~西方風来~
●会期 2018年20日(土)~28日(日)
10:30~19:00 (23日火曜休廊・最終日は17:00まで)
●会場 画廊 「すいらん」 前橋市文京町1-47-1 TEL.027-223-6311
2018年01月19日
トリビア 3周年
群馬テレビ、火曜日の夜9時~といえば?
そう、みなさん、知ってますよね!?
『ぐんま!トリビア図鑑』 です。
僕は、この番組のスーパーバイザーをしています。
早いもので、今週の放送で112回を数えます。
第1回の放送が2015年4月ですから、3月で丸3周年を迎えることになります。
いやいや、スタートから制作にかかわっている者としては、感無量であります。
だって正直な話、こんなに長く続くとは思いませんでしたもの。
マニアックなネタが多いですからね。
それゆえ、ネタ切れの心配がありました。
でも、でもでもでも!
スタッフの頭脳は、冴え渡っています。
まだまだ触れていない、群馬のトリビアが五万と眠っておりますぞ!!
ということで、3ヶ月に1度開かれる構成会議に出席してきました。
局のミーティングルームには、プロデューサー、ディレクター、構成作家ら集まり、みっちり会議をしてまいりました。
今回は、4月~6月放送分(計10回) のテーマと題材決めであります。
まあ、出るわ、出るわ、ポンポンとトリビアネタが飛び出します。
70年代にヒットした前橋を舞台にしたフォークソングとか、世界で群馬だけにしか咲かない花とか、有名芸術家が残した県内の作品群とか、前橋の町名が付いた鍋料理とかとか……
あまりにも持ち寄ったネタが多過ぎて、「では、それは7月以降ということで」 なんていうディレクターの嬉しい悲鳴が聞こえたほどです。
僕ですか?
もちろん僕だって、とっておきのネタを出してきましたよ。
温泉トリビアです。
放送日は未定ですが、楽しみにしていてください。
『ぐんま!トリビア図鑑』
●放送局 群馬テレビ(地デジ3ch)
●放送日 火曜日 21:00~21:15
●再放送 土曜日 10:30~10:45 月曜日 12:30~12:45
2018年01月17日
赤兎馬、宙を舞う。
それは、昨年の5月のことでした。
僕のことを 「先生」 とか 「師匠」 とか呼んでくださる自称 “弟子” たちが集まり、新刊 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) の出版を祝ってくれました。
その時、祝いの品として手渡されたのが、幻の芋焼酎といわれる限定品の 「赤兎馬(せきとば)」 でした。
※(2017年6月3日 「赤兎馬に願いを込めて」 参照)
あれから8ヵ月。
僕は、弟子たちの思いが込められた焼酎のボトルを仕事場に飾って、願をかけ続けてきました。
“温泉といえば群馬”
観光大使として、温泉大使として、いえいえ、群馬の温泉をこよなく愛する一人のライターとして、全国区へ導きたい……
ただひたすらに、その思いだけを念じ続けてきました。
そして、その願いが叶った時、このボトルの封を切ろう。
それも、3人の弟子たちの前で……
「カンパイ!」
「今年もよろしくお願いします!」
カウンターに、4人が勢揃いしました。
昨晩は、今年最初の 「弟子の会」 会合でした。
場所は、ご存知、我らの溜まり場、酒処 「H」。
「みんなのおかげで、少しずつだけど、願いが叶えられつつあります。ありがとうございます。今日は新年会ということもあり、ここで赤兎馬を開けたいと思います」
昨年は、NHKBSプレミアムの旅番組に出演して、群馬の温泉を全国に紹介することができました。
また、観光ガイドブックの 『d design travel 群馬』(ディアンドデパートメントプロジェクト) では、群馬のキーパーソンの1人として、紹介していただきました。
インタビューの中では、しっかりと “温泉といえば群馬” のメッセージを全国へ発信することができました。
「それでは、あらためて、カンパイ!」
キィーーーーー!! しみる!
これこれ、この味。
鼻孔をくすぐる芳醇な香り、口に含んだときのピリッとした刺激、そして胃に流し込んだときのカーッと湧き上がる熱い高揚感。
3人の思いと、僕の8ヶ月間の願いが、今、全身を駆けめぐっています。
1杯が2杯、2杯が3杯。
4杯、5杯……
ふわり、フワリ、ふわり、フワリ
身も心も軽くなり、宙を舞い出しました。
僕も、弟子たちも、ママも、カウンターの客も、一緒になって揺れています。
見れば、赤兎馬のボトルまでもが、ユラリ、ゆらり、ユラリ、ゆらり……
いい酒、いい店、そして、我に友あり。
2018年01月15日
御用だ!! 「小暮」
「こんなもの、高崎駅でもらっちゃった」
義姉から手渡されたものは、A5判の小さなチラシでした。
<御用だ!! 「小暮」>
<懸賞金上限額 300万円>
みなさんは、覚えていますか?
平成10年1月14日夜、旧群馬町(現高崎市) で発生した一家3人殺人事件を!
<事件から20年となった14日、県警はJR高崎駅でチラシやポケットティッシュを利用客らに配り、殺人容疑で指名手配されている元トラック運転手、小暮洋史(48)の情報提供を呼びかけた。>(今日の毎日新聞より)
やっぱり、一族としては気持ちのいいものじゃありませんって。
もちろん、親戚でもなく、縁もゆかりもない赤の他人ですけど、同姓というのは……。
でも、それだけではないのです。
20年前、我が家は大騒ぎになりました。
というのも、オヤジが同姓同名だったからです。
「おいおい、その昔は大久保清とも間違われたこともあるし、散々だな」
とは、当時のオヤジの弁です。
あれから20年、認知症を患った現在のオヤジにチラシを見せたら、なんと言うのでしょうか?
好奇心が旺盛な僕とアニキは、ニヤニヤしながら、そっとオヤジにチラシを手渡しました。
目が不自由なオヤジでも、十分読めるほどの大きな活字です。
「ゴヨウダ、コグレ……。なんだい、これは?」
「ここも、読んでごらんよ」
「コグレ ヒロシ? これは俺かい?」
「じいさん、人を殺しちまったんかい?」
「…………、わかんない」
もう、おかしくて、おかしくて、アニキと2人して、腹がよじれるほど笑いました。
「かわいそうだよ、もう、やめようよ」
「だな、罪の意識を持たれると困るものな」
「同姓同名の人だよ。じいさんじゃないよ」
「そーかい、それは良かった」
と、本人も安堵したようでした。
御用だ! 小暮!!
一日も早い事件の解決を祈っています。
2018年01月13日
猪ノ田温泉 「久惠屋旅館」⑨
<何度、訪ねても飽きることがない、私の好きな風景である。
春先に訪ねたときは、庭一面のカタクリの花に迎えられた。秋に部屋の窓を覆い尽くす深紅のモミジ。そして今回は、オレンジ色の可憐な花をたわわに咲かせたキンモクセイの芳しい香りに包まれていた。>
これは2016年5月に出版した 『西上州の薬湯』(上毛新聞社) の猪ノ田(いのだ)温泉 「久惠屋旅館」(群馬県藤岡市) の記事の冒頭文章です。
取材をしたのは、前年の秋のこと。
それ以来ですから、2年3ヶ月ぶりに訪ねてきました。
この2年間で変わったこと、それは 「たまご湯」 と呼ばれた名薬湯を孤軍奮闘しながら復活させた先代主人が亡くなったことです。
「たくさんある温泉の中から、いつもうちを選んでくださり、ありがとうございます」
と、女将の深澤信子さんが出迎えてくれました。
「ご無沙汰して、申し訳ありませんでした。今日は取材ではありませんので、何も考えず、ゆっくり湯に浸からせていただきます」
あいさつの後、そそくさと仲間の待つ客間へと向かいました。
昨日は、僕が所属するフリーランスのクリエイター集団 「プロジェクトK」 の新年会でした。
今回は11人の気の置けないメンバーが出席。
誰もが、部屋の窓からの景色を眺めては、「いいところですね」 「前橋から、こんなに近いところに、こんな秘湯の宿があるなんて知りませんでした」 「本当に静かな森の中なので驚きました」 と口々に絶賛しています。
紅葉の季節も過ぎて、カタクリの花もキンモクセイの花も咲いていませんが、冬木立の森は、これはこれで水墨画のように美しいのであります。
眼下に望む猪ノ田川の渓流と、時おり枝葉を揺らして通り抜けていく風の音が、なんとも風雅なのであります。
一服したら、浴衣に着替えて、三々五々、浴室へ。
「みなさん、驚かれますよ。ここの湯はpH9.1 の強アルカリ性温泉です。その浴感を存分に楽しんでくださいね」
との僕の説明が終わらないうちから、
「おお、す、すごい!」
「湯が、トロトロだ~!」
「なんだ、こりゃ! 体をさするとヌルヌルだよ」
と、これまた口々に絶賛のお言葉をいただきました。
「今年もよろしくお願いしまーす!!」
新年のスタートを祝い、にぎやかな宴が始まりました。
いい湯、いい宿、いい仲間あり。
2018年01月12日
フラッシュバック
またしても、高齢者ドライバーによる悲惨な事故が起きてしまいました。
しかも、僕が住んでいる前橋市内で!
しかも、しかも! 被害者の女子高生は、次女の友人でした。
「交通事故」 「高校生」
この二文字に、僕の体は過敏に反応します。
目にした途端、全身を鳥肌が覆い、寒気が走り抜けます。
PTSD (心的外傷後ストレス障害) っていうやつですかね?
あの日の光景が、フラッシュバックするのです。
もう9年前のことですが、長男が高校生の時に交通事故に遭いました。
今回の女子高生と同じ、朝の通学途中でした。
自転車は “くの字型” に曲がり、相手の車のフロントガラスは割れ、ボンネットは陥没していました。
※(詳細は、当ブログの2017年3月6日 「通れない道」 参照)
<高校生、はねられ重傷>
翌日の新聞記事の見出しです。
「運が良かっただけです。打ち所が悪ければ死んでいましたよ」
現場検証に立ち会ったときの警官の言葉が忘れられません。
でも今回の事故では、被害者の女子高生2人は、<頭などを強く打ち意識不明の重体> だといいます。
3日経った現在も、まだ意識はもどっていません。
見守る家族の心中を察すると、胸が苦しくなります。
どうか、一日も早く意識がもどり、快復に向かい、家族を安心させてあげてください。
ただただ、祈るばかりです。
それにしても、加害者のドライバーは85歳という超高齢者です。
すでに兆候があり、物損事故をくり返していたといいます。
なぜ家族は、もっと強く、もっと早く、制することができなかったのでしょうか?
実は僕とアニキは、オヤジが満80歳の時に、強制的に運転免許を取り上げました。
だって、兆候があったからです。
一時停止を止まらずに、バイクと衝突事故を起こしたからです。
本人は、「まだ大丈夫だ」 と駄々をこねましたが、僕らの判断は間違っていなかったと思います。
子としては、80歳を過ぎた親を刑務所へ送るわけにはいきませんからね。
どうか、高齢者と暮らす家族のみなさん。
強い意志を持って、免許の返納を強制的に行ってください。
それが、悲しい事故を1件でも減らす近道です。
お願いします。
2018年01月10日
老神の逆襲
現在、僕は群馬県内の4つの温泉地の 「温泉大使」 をしています。
みなかみ18湯(みなかみ町)、老神温泉(沼田市)、伊香保温泉(渋川市)、四万温泉(中之条町) です。
イベントや式典などに参加し、マスコミやメディアに対しての広報活動を行っています。
おかげさまで、このところ各温泉地とも、大変評判が良いようです。
昨年発表された 『温泉総選挙2017』 では、四万温泉が最高賞の地方創生担当大臣賞に輝きました。
また女子旅部門でも全国2位と、素晴らしい成績を修めています。
みなかみ18湯も、前年のリフレッシュ部門1位に続き、4位の座をキープしています。
伊香保温泉は、チームで温泉活性化賞を受賞。
さらにファミリー部門4位と女子旅部門4位も獲得しました。
昨年は 『にっぽんの温泉100選』 も発表されました。
1位は王者、草津温泉が15年連続の1位でしたが、他の群馬勢もがんばりました。
15位伊香保温泉、25位万座温泉、30位みなかみ18湯、40位四万温泉がベスト50以内にランクインしています。
えっ、なにか気づかれました?
そ、そ、そうなんですよ!
僕が温泉大使を務める温泉地で、老神温泉だけが、どちらのランキングにも入っていないのです。
別に僕は、えこひいきなんてしていませんよ!
なぜなんでしょうか?
どうしてなんでしょうか?
そんな疑問を昨年暮れに、老神温泉観光協会で開催された講演会で、聴講者らに投げかけました。
そしたら、なぜなんだろう? どうしてなんだろう? を真剣に考えてみようということになり、僕も温泉大使として多少なりとも責任を感じているので、一緒に解明して、知名度アップを図ることになりました。
ということで、今日は朝から老神温泉を訪れ、会議に参加してきました。
・世界一の長さを誇る大蛇まつりと、マスコットキャラクターのPR
・インスタ映えスポットの発掘
・温泉の効能の徹底告知
などなど、多岐にわたる意見が出ました。
その昔、「脚気(かっけ)川場に瘡(かさ)老神」 といわれたほどの群馬を代表する名薬湯でした。
瘡とは、皮膚病のことです。
その効能は全国に知れ渡り、戦時中には、傷病兵の治療のために陸軍病院の建設が計画されたほどでした。
もう一度、天下の名薬湯の名を全国へ!
今年は、老神の逆襲が始まるのです。
ぜひ、みなさん、お力を貸してください。
2018年01月08日
年賀御礼 ~見知らぬあなたへ~
今年も、たくさんの年賀状が届きました。
一時、メールで年賀のあいさつをくださる人が増えた年もあったのですが、今年はゼロ!
すべて年賀状でした。
平成が終わるからなんでしょうか?
世の中が原点回帰を始めたのでしょうか?
また年賀状の価値が、見直されてきたようです。
僕の場合、圧倒的に仕事関係が締めています。
取材した温泉宿やお世話になっている温泉協会、観光協会など、温泉関係が半分以上です。
次に多いのが、新聞や雑誌、テレビやラジオ、旅行代理店などのマスコミ、メディア関係が年々増えています。
逆に、減っているのが友人や知人などからの便り。
同級生は、もう何十年も会っていないのに毎年来ますが、ここ数年は、親の年齢が高齢となり、喪中ハガキの人が増えました。
そんな中、数年前から毎年、見知らぬ人から年賀状が届くようになりました。
名前を見ても、記憶にありません。
会社名を見ても、心当たりがありません。
個人事務所のようで、肩書きも何もなく、名前だけが書かれています。
手書きのコメントも一切ありません。
3年前か、4年前だと思います。
最初にもらった年に、名刺ホルダーのリストをめくってみたのですが、ありませんでした。
どうも、名刺交換はしていないようです。
でも、僕の住所と名前を知っているということは、どこかでお会いしているのだと思います。
記憶にないからと、すっとぼけているわけにもいかず、最初の年に僕も年賀状を出しました。
そしたら毎年、届くようになったのです。
相変わらず印刷だけで、コメントがありません。
よって、こちらもコメントの書きようがありません。
ということは察するに、僕とその人は、その後、会っていないのですね。
過去に一度会っただけで、年賀状のやり取りを続けているということです。
でも、不思議なもんです。
「あっ、今年も来ている!」
と、年賀状を見つけたときに、ホッとするやら、うれしいやら、ちょっぴり喜んでいる自分がいるのです。
あなたは、だーれ、だれでしょか?
見知らぬ方ですが、今年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。
2018年01月06日
人生に楽園があるとすれば
「ジュンちゃん、新しいことを始めるんだね!?」
N先生は、そう言葉をつないだのでした。
年賀あいさつでのことです。
※(当ブログの2018年1月4日 「天命元年」 参照)
えっ?
いえいえ、僕はただ、60歳という年齢がキリがいいので、とりあえず人生の節目にしようかと思っただけでして……
別に新しい何かを始めようなんてことは、これっぽっちも思ってはいませんで……
“天命” という言葉を出した途端に、思わぬ方向に話を向けられてしまい、あたふたしてしまいました。
だって、還暦過ぎてから新しいことを始めるって、『人生の楽園』 じゃないんだから……
なんて、考えてしまったのであります。
『人生の楽園』 とは、毎週土曜日の夕方にテレビ朝日系列で放送されているドキュメンタリー番組のことです。
俳優の西田敏行さんと、菊池桃子さんがMCをしている人気番組です。
(確か、初代のパートナーは伊藤蘭さんでした)
で、この番組は、主に定年退職後に第二の人生を歩み出した夫婦の日常を追いかけています。
趣味の工房を造ったり、自給自足の農家民宿やペンションの経営を始めたりと、人生を謳歌しているシニア世代が登場します。
ある意味、悠々自適の老後を送っている人たちで、なんともうらやましい限りであります。
でもね、僕の老後は、そんな時間もお金もありません。
ましてや、趣味に没頭したり、夫婦で旅行三昧なんていう優雅なことは、あまりに非現実過ぎて想像すらできません。
もし僕に “新しいこと” が始まるとすれば、それは仕事であり、もしくは仕事の延長線上にある何かです。
なぜなら、それがフリーランスで生きてきた、そして今後も生きてゆく定めだからであります。
生涯現役!
もし僕に、人生の楽園があるとすれば、その四文字に尽きると思います。
ジャーナリストの木部克彦氏は、著書 『続・群馬の逆襲』(言視舎) の中で、僕のことをこんなふうに書いています。
<ここまで 「人生のすべて」 を温泉につけこんでしまう人は、なかなかいません。まさに 「温泉バカ一代」。「天下無敵の温泉フリークの星」 になるまで、彼の体当たりの 「修業」 は続くのです。>
そして最後は、こんな僕のセリフで締めくくっています。
<「こうなったら、自分の人生も、いやいや死に場所だって温泉以外にねえってもんさね。酒エ飲んだくれて、湯船で息絶えたら、『温泉葬』 にしておくんなさい。遺影はもちろん、湯につかっている写真だいねえ……」>
これぞ! 僕が目指す人生の楽園であります。
2018年01月04日
天命元年
「今年は、天命元年ですか。いいですね」
毎年決まって、年賀のあいさつに伺うと、先生の第一声は、この “元年” 話から始まります。
先生とは、木彫家で絵本作家のN先生のことです。
先生と出会った30数年前から、僕は年賀状に “○○元年” と題して、必ずその年の目標を記しています。
ちなみに昨年は、「マルチ元年」 でした。
本業であるライターの枠を超えて、与えられたものは何でも挑戦して、こなして行こう!と、宣言しました。
結果、昨年は新年早々から某ミュージシャンのレコーディングに参加したり、某銀行での温泉講座講師を引き受けたり、ラジオやテレビのコメンテーターや旅番組のナビゲーター、雑誌や新聞からインタビューされる機会が増えました。
まさに “○○元年” は、僕にとって有言実行への指針となるキーワードなのであります。
で、今年、僕が選んだ言葉は、「天命元年」 です。
<人事を尽くして天命を待つ> といいます。
また、孔子は <五十にして天命を知る> といいました。
孔子と違い、僕は凡人ですから50歳では、天命を知ることはできませんでした。
でも、僕もやっと人並みに、“天命” を知る齢(よわい) を重ねる歳となりました。
今年、還暦(60歳) を迎えます。
もっともっと、あれも、これも、やりたかったとは思います。
でも、若い頃のように、あれも、これも、やりたいとは、もう思いません。
60年も生きてきたんだもの。
やるだけのことは、やってきた。
と、思うのです。
だってサラリーマンだったら、定年退職する歳ですからね。
とりあえず僕も、ここらで人生の “第一章” に、責任をとろうと思います。
すべての評価を、甘んじて受けます。
60年間の僕の生き方に、世間が出してくれた答えが、結果であると……。
良くも、悪くも、それが僕の人生の第一章とします。
さて、審判の年が明けました。
もう、逃げも、隠れもしません。
さあ、みなさん、僕の半生をご自由に評価してください。
2018年01月02日
1+1が9になる日
明けまして おめでとう ございます。
本年も よろしく お願いいたします。
新しい年、2018年(平成30年) がスタートしました!
2018 = 「フロいーわ」
なんて温泉好きが喜ぶ語呂合わせでしょうか!!
今年も、どんな温泉が待っているのか、とても楽しみであります。
さて、みなさんは、どんなお正月を過ごしていますか?
僕は、今年も年に一度の不思議な体験をしました。
1月1日は、毎年特別な日であります。
だって、こんな狭い家に、わんさか人が集まって来るのですから……。
普段は、僕と家内と次女の3人暮らしです。
そこへ、「おめでとうございまーす!」 と、耳をつんざくような大声とともに、長女一家が現れます。
8年前に嫁いだ長女とムコさん、そして小学校1年生になる孫のK君です。
さらに一昨年、所帯を持った長男夫婦が登場!
これで8人なのですが、それは去年までの話。
そうなんです!
今年からは、プラス1が加わりました。
昨秋、長男夫婦にも第一子が誕生したのであります。
S君、0歳(2カ月半) です。
「ちいさーい!」
「見て見て、この手手」
「かわいいー!!」
完全に、今年からアイドルの座は、K君からS君に変わりました。
だもの、さぞかしK君は、すねているだろうと思いきや……
さにあらず、K君は、どこへ行くにもS君に付きっ切りです。
「おい、ジイジと遊ぶか?」
「いい」
「なんで?」
「だって、Sちゃん、かわいいんだもの」
と、離れません。
お手手をモゾモゾ、ほっぺをスリスリ、おつむをナデナデ……
しまいには、クンクンと嗅ぎまわっています。
「赤ちゃん、そんなに気に入っちゃったのか?」
「うん、だって、いい匂いがするんだもの」
なんて、不思議な光景なんでしょうか!?
みんな僕の家族なんでしょうが、なんだか実感がありません。
若い頃から唯我独尊で、我がままで、家族なんて持つ資格がないと思いながら生きてきた僕です。
父親らしいことも何一つしてあげられず、子どもたちは勝手に育ってくれました。
「うちのお父さんて、変わっているよね」
子どもたちは3人ともが、友だちの親と比べては、コンプレックスを感じながら生きてきたと思います。
そんな負い目があるものだから、僕も “父親風” を吹かせることはありませんでした。
しつけも教育も、すべてが家内任せ。
だから、なおさらなんです。
1月1日の光景は、なんだかとっても面映いのであります。
ああ、オレらしくないよなって……
1+1=2
それが33年経った今、9になっていました。
「野球チームが作れるな」
何気に言った僕の冗句に、
「だね」
と言葉を返してくれたのは、新米パパの長男だけでした。
やっぱ、らしくないか……