2023年03月25日
おかげさまで3,600話
昨日の投稿で、このブログの記事総数が3,600話に達しました!
これもひとえに、辛抱強くお付き合いいただいている読者様のお陰と、感謝申し上げます。
ブログの開設が2010年2月ですから満13年になります。
我ながら続いていると、感心しています。
だって13年と言ったら、オギャーと生まれた赤ん坊が中学生になっている年月ですからね。
(書いている本人も歳を取るはずです)
開設当時は、“1日1話” を目指していましたけど、さすがに、それは無理でした。
取材や出張などもありますからね。
それでも少しでも自宅に居られるときは極力、パソコンに向かい、ブログを更新するように努めました。
おかげで、1.3日に1話のペースで今日まで書き続けることができました。
今日は少し、このブログの “読み方” について話したいと思います。
まず、記事のカテゴリーは現在、32のテーマ別に分かれています。
最多は 「つれづれ」 の1,032話です。
日々の出来事やプライベート話を、つれづれなるままに綴っています。
2番目に多いのは 「温泉地・旅館」 で、561話。
温泉ライターとして、新聞や雑誌、著書では書けなかった、こぼれ話などを投稿しています。
3番目は 「温泉雑話」 の297話。
こちらは温泉にまつわるエピソードやうんちなど、温泉全般について述べています。
4番目と5番目は、「著書関連」 225話と 「執筆余談」 193話。
このカテゴリーでは、ライターという仕事についてや著書に関係した話がまとめられています。
ぜひ、他のカテゴリーも気になる項目があったらクリックしてみてください。
13年間の過去記事も、すべて読むことができます。
読みたい年の月をクリックしてください。
1カ月分の記事が、すべて表示されます。
(ブログ内検索で、キーワードを入れて過去記事を探すこともできます)
また新着記事を、すぐに読みたいという方は、「読者登録」 してください。
僕が記事をアップすると、お知らせメールが届きます。
以上、ブログの “読み方” でした。
今後とも、ご愛読いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
2023年02月13日
あの湯をもう一度
「『あの湯をもう一度』 を番組で紹介しても、よろしいですか?」
みなさんは、覚えているでしょうか?
昨年暮れに、ラジオパーソナリティーという女性から連絡をもらった話を?
(当ブログの2022年12月30日 「こいつぁ~、暮れから縁起がいいわい!」 参照)
先日、その方から再度、詳しい内容の電話をいただきました。
「『あの湯をもう一度』 って、ちいきしんぶんのですか?」
「はい、1月20日号に載っている記事です」
『あの湯をもう一度』 とは、高崎市内で10万部発行されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に連載している 『小暮淳のはつらつ温泉』 というコラムの中のシリーズです。
昨年の11月からスタートしました。
群馬県内には、約100の温泉地 (宿泊施設のある温泉) があると、一般には公表されています。
しかし実際は、もう、そんなには存在していません。
休業中も含めれば、90カ所を割っていると思います。
それは、なぜか?
僕は2009年9月に、『ぐんまの源泉一軒宿』 (上毛新聞社) という著書を出版しました。
文字通り、たった一軒で源泉と温泉地名を守り続けている温泉宿です。
ところが、この5年後に僕は急きょ、『新ぐんまの源泉一軒宿』 (同) という本を出版しました。
“した” というより “せざるを得なかった” というほうが、正しいのですが……
実は前著は5年間で、4回の増刷がされました。
が、「5回目の増刷をするかどうか?」 で、議論がされました。
その理由は、掲載されている50軒の宿のうち、5軒がすでに廃業、もしくは休業してしまっていたのです。
「情報としては、正しくない」
というのが出版元の考えでした。
「なので、改訂版を出しましょう」
との提案に、僕は、
「だったら、すべての宿を取材し直します」
と、再度、1年間かけて全宿をまわりました。
それが、2014年4月に出版された 『新ぐんまの源泉一軒宿』 でした。
あれから9年……
コアな読者は気づいているでしょうが、この本に掲載されている宿のうち8軒が、すでに廃業もしくは休業中なのであります。
そのほとんどが、経営者の高齢化と後継者不在によるもです。
「行こうと思っていたら、やってませんでした」
そんな読者からの声を聞く回数が増えました。
「どんな宿だったのですか?」
「どんな湯だったのですか?」
そんな声に応えるべく、また、復活を願って、シリーズ 『あの湯をもう一度』 の連載を始めました。
パーソナリティーの言う1月20日号に掲載された温泉は、旧六合(くに)村にあった湯の平温泉 「松泉閣」 (中之条町) です。
群馬県内で唯一、車では行けない温泉旅館でした。
でも、なぜ、パーソナリティーは、ローカル紙のこんなマニアックな記事に、目を止めてくれたのでしょうか?
訊ねてみると、
「私の妹が高崎市に住んでいるんです。それで小暮さんの記事を送ってくれました」
なるほど!
どこで誰が読んでくれているか、分からないものですね。
“入って残そう! 群馬の温泉”
僕の書いた記事が、温泉を守る一助になれば幸いです。
2023年02月11日
記録更新! 連載23年
うっかりしてましたが、今週、記録を更新していました。
高崎市民のみなさん、こんにちは!
高崎の生活情報紙 「タカタイ (高崎タイムス)」 (上毛新聞社) は、お読みになっていますか?
毎週、「熟語パズル」 を出題している “スタジオJ” こと、小暮淳であります。
(スタジオJは僕の屋号です)
今週 (2月10日号) の掲載で、パズル連載満23周年を迎えました。
23年ですよ!
ちょっと、凄いと思いませんか?
初回が2000年2月6日号でした。
週刊紙ですから、毎週掲載されています。
パズルの内容は、隔週で 「二字熟語クイズ」 と 「四字熟語クイズ」 を交互に出題しています。
いったい23年間に、いくつのパズルを作ったのだろうか?
と数えてみました。
すると……
な、な、なんと! 今週号で1,052回!
作者本人も、ビックリです。
これって、ギネスもんじゃありませんか?
(たぶん、上には上がいるんでしょうね)
ということで来週から24年目に突入します。
次は2,000回を目指します!
と言いたいところですが、計算してみると……
2,000回に達するのは19年後なのですね。
(生きているかなぁ~?)
生きていて、連載が打ち切られていなかったら、その時は、ご報告いたします。
“継続は力なり”
何事もコツコツと、1つずつ丁寧に、ですね。
高崎市民のみなさん、今後とも末永く、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
2023年02月05日
ブログに、だまされるな!
「もっと、お若い方だと思っていました」
仕事や講演等で、はじめて会う人から、そう言われることがあります。
ん?
何を根拠に、そう思ったのだろうか?
話を聞くと、どうも、この人たちは、僕のブログを読んでいることが分かりました。
はは~ん、そういうことだったのですね。
そのたびに僕は、納得するのでした。
昨日、このブログが開設13年を迎えたことを書きました。
ということは、ブログに掲載されているタイトルバックおよびプロフィール写真は、13年以上前に撮影されたものです。
開設当時のまま13年間、ほったらかしになっています。
なぜか?
はい、変更しようにも根っからアナログ人間の僕は、変更の仕方が分からないからです。
そもそも13年前、当時のブログ運営会社の社長さんに無理やり説得され、しぶしぶ書き出したブログなのであります。
よって開設は、おんぶにだっこ状態でした。
だから、このフォーマットは、すべて、その方に作っていただいたものです。
ということで13年間、ブログの中の僕は黒髪のまま、歳を取っていません。
現在の僕は、全白髪であります。
当然ですが、シワやシミも増えました。
だもの、このブログ写真のイメージで、今の僕に会えば、玉手箱を開けた浦島太郎とのご対面となります。
あくまでも写真は “イメージ” ですので、ご了承ください。
ちなみに長女が運営するツイッターにも、若い頃の僕の写真が掲載されています。
が、こんな注意書きが添えられています。
<画像は黒髪ですが、現在は白髪です!>
みなさん、ブログには、だまされないようにしてくださいね。
2023年02月04日
ブログ開設13周年
昨日、ブログを書こうとログインすると、
「ブログ開設13周年」
の文字が表示されました。
13年!
ほほう、もう、そんなに続いているのか……
と、我ながら感心してしまいました。
これもひとえに、読者様に支えられてきたおかげと、感謝申し上げます。
いつも、ありがとうございます。
思い起こせば、このブログの開設は2010年2月であります。
前年に僕は、『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) という “群馬の温泉シリーズ” の第1弾を出版しました。
おかげさまでベストセラーとなり、その勢いでブログを開設したことを覚えています。
開設したこの年の秋、第2弾となる 『群馬の小さな温泉』 を出版。
その後、シリーズは9冊をかぞえ、そのほか里山や民話などの本を含めると、13年間で計10冊の本を世に出したことになります。
その都度、取材や執筆の様子をブログに、したためてきたわけですから、ある意味、ブログは僕にとっては “人生の記録” であり、読者にとっては “裏話” や “こぼれ話” ということになります。
ちなみに、昨日現在のブログデータの内訳を報告します。
カテゴリー数、32項目。
投稿記事数、3,559話。
アクセス数、約1,275,000回。
カテゴリーの内訳は、最多は日々の出来事をつづった 「つれづれ」 で1,016話。
2番目に多かったのは、「温泉地・旅館」 で561話。
以下、「温泉雑話」 295話、「著書関連」 224話、「執筆余談」 189話とつづきます。
さてさて、いったい、いつまで続けるのかは、本人にも分かりませんが、命あるかぎり書き続けたいと思っておりますので、読者様もお付き合いくださいませ。
どちらかの命が果てるまで、今後もよろしくお願いいたします。
2022年11月24日
おかげさまで3,500話
「継続は力なり」 って、本当でしょうか?
昨日、このブログの投稿回数が3,500話に達しました。
これもひとえに、日々ご愛読いただいている読者様のおかげと、心より御礼申し上げます。
いつもいつも、ありがとうございます。
ブログの開設が2010年2月ですから、12年9ヶ月も続いていることになります。
ざっと換算してみると、約1.3日に1話の割合で投稿していることになります。
そう考えると、よく毎日、「そんな時間があるな~」 と、我ながら暇人の自分に感心してしまいます。
(でも、その間に10冊の著書を出版しているんですよね)
では、なぜ、僕は、ブログを書く時間を捻出できるのか?
考えてみました。
たぶん、それは “クセ” が付いているんですね。
それも12年前に付いたクセではありません。
52年前から付いているクセです。
そう、中学1年生の時の担任から毎日、日記の提出を強制的にさせられたのであります。
そのクセが大人になっても抜けずに、寝る前に必ず日記を付けていました。
さすがに今は日記を書いていませんが、それがブログに替わったというだけのことです。
でも、日記とブログって違いますよね。
日記は、他人に読まれないことが前提で書いています。
でもブログは、読まれることが前提で書いています。
いわばブログは、エッセイやコラムに近いと思います。
そう考えると職業柄、いやらしい計算が頭をよぎります。
今まで書いたブログを書籍として出版すると……
えーと、1話が見開き2ページとして、7,000ページ。
単行本の平均ページ数が300ページとすれば……
ひぇ~!
20冊以上も出版できるじゃありませんか~!
なーんて、秋の夜長に、捕まえてもいないタヌキの皮の枚数を数えてしまいました。
たとえ継続が、自分の力になっていなくとも、このブログが読んでくれた誰かの力になっていたら幸いです。
今後とも末永く、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
2022年10月02日
「はつらつ温泉」 がTV出演 !?
「小暮さん!小暮さん! 観ました?」
「何を?」
「テレビですよ。ビックリしました! いきなり、小暮さんの記事が紹介されるんだもの」
いつもの酒処のカウンター。
一人、ちびちびと手酌で、呑(や)っている時でした。
常連客のKさんが店に入って来るなり、畳み込むように僕に言ったのでした。
彼の話は、こうでした。
たまたま観ていた 「5時に夢中!」 (TOKYO MX) というテレビ番組の中で、僕の書いた記事が大映しになり、所々に赤線が引いてあり、司会者が、それを読んだということです。
※(「5時に夢中!」 は、群馬テレビでも放送されています)
最初は、彼が何を言っているのだか、さっぱり分かりませんでした。
が、話を聞くうちに、いくつかのヒントが見えてきました。
●まず番組には、モデルでタレントのジョナサン・シガーさんが、レギュラー出演していること。
●また、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 の一面で、ジョナサンの記事が大きく載ったことを報じていたこと。
●そして、「ちいきしんぶん」 の同じ号には、僕が連載しているコラムが掲載されていたこと。
事のいきさつが知りたくて、僕はその場で、「ちいきしんぶん」 の担当者に電話をしました。
すると、全容が解明されました。
●ジョナサン・シガーさん (高崎市出身) の記事が載った 「ちいきしんぶん」 (7月29日号) を、読者が番組宛に送った。
●すると番組のディレクターから 「ちいきしんぶん」 に、「番組で紹介したい」 との申し入れがあった。
●さらに後日、「同じ号に掲載されている 『はつらつ温泉』 という記事も紹介したい」 との連絡があった。
とのことでした。
『はつらつ温泉』 とは、平成28(2016)年4月から連載が始まったコラムで、今月の号で75話を数えます。
一号一話、温泉にまつわるエピソードを紹介しています。
テレビ番組で紹介されたのは、「ちいきしんぶん」 7月29日号に掲載された73話。
「地産地食が“ごちそう”」 というタイトルのコラムでした。
<「ごちそう」 という言葉は、大切な人のために走り回って、おいしい物を探すことから 「ご馳走」 の字が当てられた>
<海に行ったら海の物を、山へ行ったら山の物を。奇をてらうことなく、土地の物を 「ご馳走」 することが、本来のもてなしの姿>
という内容でした。
さてさて、番組ではどのように紹介されたのでしょうか?
ご覧になった方は、いますか?
誰かが、どこかで、人知れず読んでくださっているのですね。
ライター冥利に尽きる出来事でした。
2022年08月23日
縁もちまして人気者でやんす!
高崎市民のみなさん、こんにちは!
今日は地域限定のネタで、おおくりします。
8月19日発行の 『ちいきしんぶん』 は、ご覧になりましたか?
『ちいきしんぶん』 とは、高崎市内10万世帯に無料配布されているフリーペーパーです。
月2回、第1と第3金曜日に発行。
B3判4ページに、市内外の情報が毎号、てんこ盛りの “使えて” “ためになる” 情報紙です。
僕はライターとして、定期連載と不定期特集の記事を書いています。
で、8月19日号の巻頭特集は、シリーズ 「焼きまんじゅうろうが行く」 の第3話。
『縁もちまして紙芝居と落語になりやした』
と題して、群馬のニューヒーロー 「焼きまんじゅうろう」 の活躍について書きました。
「焼きまんじゅうろう」 の誕生は、平成20(2008)年の夏。
生みの親は、前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生です。
その時、イラストと一緒に手渡されたのが、テーマソング 「焼きまんじゅうろう 旅すがた」 の歌詞でした。
この歌詞に僕が曲を付けて、我がオヤジバンド 「じゅん&クァパラダイス」 で歌い出したのが、そもそもの始まりでした。
当時は引っ張りだこで、祭りやイベントに呼ばれて演奏し、CDを制作するとテレビやラジオにも出演するようになりました。
そのウワサは東京の出版社まで届き、ついには 同21年11月に出版された 『日本全国ご当地キャラクター図鑑2』 (新紀元社) に、群馬のソウルフード 「焼きまんじゅう」 のPRキャラクターとして掲載されるほどの人気者になりました。
月日はめぐり、昨年秋。
「焼きまんじゅうろう」 は、紙芝居になりました。
※(当ブログのカテゴリー 「神社かみしばい」 参照)
そして、今春。
「焼きまんじゅうろう」 は、なんと! 落語にもなってしまったのです。
※(YouTube 「都家前橋」 検索)
この大活躍の様子を、つぶさに書いたのが、今回の 『ちいきしんぶん』 の特集記事でした。
まだ先週のことなのに、すでに問い合わせがありました。
<紙芝居を購入したい>
という公共施設からの申し入れです。
当然ですが、紙芝居は一点物で、現在は販売はしておりません。
が、今後は分かりません。
著作者と話し合いの結果によっては、絵本化の話にも発展するかもしれませんね。
ますます 「焼きまんじゅうろう」 から目が離せなくなってきましたよ!
ぜひ、みなさんも応援してください!
※8月19日号の記事は、『ちいきしんぶん』 のHPから閲覧することができます。
2022年06月03日
新連載 「ぐんま湯の里ハイク」
僕は今までに、十数冊の著書を出版しています。
もちろん一番多いジャンルは、温泉関係です。
でも他にも民話や登山、紀行、絵本なんかも、ちょぼちょぼと……
そんな僕の著書を一堂に集めたのが、今年の2~3月に紀伊國屋書店前橋店で開催された 「小暮淳 著書フェア」 でした。
多くのマスコミに取り上げられたこともあり、たくさんの方に来店していただき、本も売れました。
改めて、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。
ところがフェア終了後、書店側と出版元側が在庫を調べたところ、思わぬ異変がありました。
それは、一番売れた本についてです。
当然、出版数も多い温泉関係の本だと思っていました。
ところが、予想に反した結果となりました。
『ぐんまの里山 てくてく歩き』 (上毛新聞社) だったのです。
書店員によれば、「フェア中に在庫が無くなったため、再発注した」 とのこと。
なんで?
どうして?
フェア終了後、出版元や関係者たちとの話題は、その一点に集中しました。
書店側の話をまとめると、
①毎年、春から初夏にかけて、この時季になると売れる。
②リタイア後のシニア世代に人気がある。
③いきなり登山は無理だけど、里山程度の軽い運動から始めたいのでは?
そんな意見が飛び交う中、こんなことを言った人がいました。
「小暮さんといえば、温泉じゃない? だったら温泉地を歩いたら?」
それを聞いた僕も、こう返しました。
「いい汗かいて、温泉に入って、湯上りに酒を呑む。う~ん、それって “一石三鳥” だね」
すぐに新連載の企画が持ち上がり、さっそく取材がスタートしました。
タイトルは 『ぐんま湯の里ハイク』(仮)。
当然ですが、歩いて湯に入った後は酒を呑みますから、訪ねる温泉地へは電車かバスの公共交通機関を利用します。
車で行けば半日のコースを、たっぷりと一日かけて楽しんじゃおう!という贅沢な企画なのであります。
ということで、昨日、行って参りました。
JR高崎駅より乗り込んだ電車の行った先は……
この連載は、高崎市内で無料配布されている 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) の6月17日号よりスタートします。
乞う、ご期待!
2022年05月08日
生原稿のゆくえ
《日本語の入力アルファベットでし》
ある日の新聞、投稿欄で目に留まった川柳です。
その通り!
よく言ってくれました。
常々、気になっていたことなのに、気にしないふりをしていた数十年。
ハッキリと、言葉に出して言ってくれる人がいたのですね。
ありがとうございます。
僕が、この業界で仕事を始めた35年前は、当然、記者が書く原稿は、すべて手書きでした。
“原稿用紙” であります。
その原稿用紙のマス目に文字を埋める作業にあこがれて、僕は雑誌の記者になりました。
手書き原稿の魅力は、追記の跡が残ることです。
推こう、校正を重ねると、用紙は添削で真っ赤になりました。
それでも追加や削除した表現は残っていますから、「やっぱり前の方が良かった」 と思った時に、元に戻すことができます。
それが、今は、どうでしょうか?
パソコンの画面上での執筆は、削除や挿入が便利になった分、跡が残りません。
「あっ、消しちゃった!」 「前の方が良かったけど、なんて書いたんだっけ?」
そんなアクシデントは茶飯です。
閑話休題
前述の川柳です。
みなさんはパソコンの入力は、ローマ字派ですか? 仮名派ですか?
たぶん、圧倒的にローマ字派の人が多いはずです。
でも僕は違います。
仮名派というよりは、“ひらがな入力” しかできません!
そのココロは、日本語の文章をつむいでいるからです。
ちょうど30年前、僕は雑誌社を辞めて、フリーランスのライターになりました。
まだ、その頃は原稿用紙に記事を書いて、ファツクスで送っていました。
ある日のこと、新しい仕事の依頼が来ました。
ただし、条件付きでした。
「原稿用紙での入稿不可」
時代は少しずつ変わり始めていました。
それまでは原稿用紙で入稿した場合、オペレーターが文章をワープロに打ち直していました。
その手間を省き、直接、ライターにデータ入稿させる制作方法に変わり始めていたのです。
「フロッピーでのデータ入稿のみ可」
と言われてしまいました。
思案のしどころでした。
時代に逆らって、頑固に原稿用紙一本で勝負をするのか?
でも、はたして自分に、そんな才能があるのか?
悩んだ末、時流に乗ることにしました。
独立記念に設備投資として、最新のワープロを購入することにしました。
なんと! 当時は20万円もしました。
まず最初に始めたのが、“指の練習” です。
過去に雑誌に掲載された自分のエッセイを、ひと夏かけて、すべて打ち込みました。
もちろん、仮名打ちです。
(のちに 『上毛カルテ』 と題して出版されました)
日本語で文章を書くのですから、平仮名で打ち込むのが当然のことでした。
川柳が指摘するように、アルファベットで打つなんてことは考えてもみませんでした。
あれから30年。
このブログも仮名で書いています。
今となれば、仮名打ちで覚えて良かったと思っています。
だって、アルファベットより断然、速いですよ!
たとえば、「小暮」 と打ってみてください。
アルファベットだと 「KOGURE」 と6文字入力ですが、仮名なら 「こぐれ」 と3文字です。
(濁点があるので4打ではありますが)
それでも、やっぱり手書き原稿の魅力には敵いません。
名入りの原稿用紙に、万年筆で執筆……
文豪を気取って、さらさらと手を動かしている姿に憧れます。
今の作家は、かわいそうですね。
没後、記念館ができても、手書きの生原稿が無いのですから。
いったい、何を展示するのでしょうか?
初版本と愛用したパソコンでしょうか?
一介のライターが心配することではないでしょうが、とても気になるのであります。
2022年03月26日
30年の記憶
「小暮さん、○○会のAさんって、覚えていますか?」
Aという名字はありふれているので、何人かの顔が思い浮かびますが、○○会は記憶にありません。
昨日、知人の新聞記者Kさんから電話がありました。
なんでも行きつけの呑み屋のカウンターで、隣に座った70代の男性に話しかけられたのだといいます。
「新聞記者だと自己紹介すると、その人が、『記者と言えば昔、大変お世話になった人がいる』 と言うんですよ」
「それが……?」
「そう、小暮さんだって」
やっぱり、思い出せません。
昔って、いつ頃の昔なんでしょうか?
Kさん、もう少しヒントをもらえないかい?
「なんでも○○会はアマチュアゴルフの愛好会で、Aさんは会長らしいですよ」
ゴルフ?
僕とゴルフは、まったく無縁のスポーツです。
ただ、過去に数年ですが、ゴルフ雑誌の記者をしていた時期がありました。
「たぶん、それですよ! 取材を受けたんですって」
だんだん記憶がよみがえって来ました。
でも30年前の話です。
○○会という名前に覚えはありませんが、そんな愛好会を紹介するページがありました。
「でもさ、その人は、よく “小暮” っていう名前を覚えていたね?」
「すごく、うれしかったらしいですよ。素晴らしい記事だったって」
「30年も前のことなのにかい?」
そんなことって、あるのでしょうか?
人生とは異なもの不思議なものであります。
「小暮さん、いい仕事してるじゃないですか!」
「ああ、ありがとう。記憶にはないんだけどね」
はたして僕は、いい仕事をしているのだろうか?
また、して来たのだろうか?
この人生の選択は間違っていなかったのだろうか?
六十路の坂道は、自問自答の毎日であります。
2022年02月08日
最長連載記録更新中!
23年目に突入!
1,000回突破!
なんのことかって?
実はこれ、僕が新聞に連載している今日現在の記録なんです。
高崎市民のみなさん、こんにちは!
今日は、エリア限定でのお知らせです。
『TAKATAI (タカタイ)』 って、ご存じですか?
上毛新聞を購読している高崎市民のお宅に配布されているタブロイド判の週刊紙です。
※(「タカタイ」 とは、高崎タイムスの略)
僕は、この新聞に2000年2月から毎週、パズルの連載をしています。
なぜ、パズルなのか?
2000年といえば、僕が温泉取材を始めた頃ですから、まだ “温泉ライター” を名乗ってはいませんでした。
いわゆる、フリーライターという雑文書きで生業を立てていた時期です。
ある日、知人の新聞記者から電話がありました。
「パズルなんて、作れますか?」
「パズル?」
なんでも、紙面を担当していたパズル作家が、急きょ、降板することになったといいます。
「どんなパズル?」
「その人はクロスワードパズルでしたけど、別のパズルでもいいんです」
パズルを解くのは好きですが、もちろん、ただの一度も作ったことなんてありません。
まして、クロスワードパズルだなんて、考えるのが面倒くさそうです。
しかも、掲載紙は週刊です。
僕には、そんな才能はありません。
「いやぁ……、無理だな」
そう、一度は断ったのですが、新聞記者は僕を、こう持ち上げました。
「小暮さんならできますよ。できれば既存のパズルではなく、オリジナルをお願いします」
とかなんとい言われて、その気になって、電話を切る直前には、
「ああ、なんとか考えてみるよ」
と、無謀にも依頼を引き受けてしまったのです。
で、暗中模索の中、試行錯誤を繰り返し、難産の末に産み落とされたのが、「熟語パズル」 であります。
これは、2つの 「?」 のマスの周りに8つの漢字があり、これと対を成す漢字をリストの中から選び、さらに、その漢字と共通する二字熟語を探すと、答えの二字熟語になるというもの。
もう1つは、4つのブロックの中に9つの漢字があり、それぞれ3つずつの四字熟語を完成します。その際、3つの四字熟語に共通する別の漢字が1つ必要になります。その漢字4つを並べ替えてできる四字熟語が答えとなります。
という2種類のパズルを苦肉の末に考え出しました。
そして、この2つのパズルが隔週で交互に掲載されることになりました。
早いもので、あれから丸22年が経ちました。
今週金曜日に発行される 「TAKATAI」 で、1,002回を迎えます。
ついに、1,000回を突破しました!
まさか、こんなにも長く続くとは……
たかがパズル、されどパズル。
継続は力なり。
読者のみなさま、歴代の担当編集者の方々に、厚く御礼申し上げます。
今後とも末永く、よろしくお願いいたします。
(出題・スタジオJ)
2022年02月03日
ブログの力 ~おかげさまで12周年~
≪ブログ開設12周年≫
暦が変わった先日、ログインをするとパソコンの画面に、そう表示されました。
ああ~、もう、そんなに経ったんだ……
よく書いて来たものだ……
と我ながら、感心してしまいました。
これもひとえに、読者様あってのこと。
ただただ、感謝しかありません。
日々、お付き合いいただき、ありがとうございます。
心より御礼申し上げます。
12年といえば、このブログを開設した年に 「オギャー!」 と産声を上げた子が、今春には中学生になるということです。
あらためて、その月日の長さに驚きました。
では、いったい、今日まで僕にブログを書かせてきたモノって、何なんでしょう?
もちろん文章を書くことが好きだからなんでしょうが、それだけではないような気がします。
なぜなら、僕の職業が 「ライター」 だからです。
“書くこと” だけでいえば、人百倍も文章を書いているわけですから、満たされていていいわけです。
それなのに、「ブログ」 という日課が欠かせません。
思うに、反響のスピードの違いかもしれませんね。
出版物は、執筆から掲載までに時差があります。
それに比べ、ブログというメディアは、タイムリーに読者の元へ届きます。
さらに、無料で手軽に読めるということ。
出版物のように、購入した特定の人だけではなく、不特定多数の人が閲覧してくださる。
良いも悪いも、その伝播力は桁違いです。
(その分、怖い面も多々あるのですが)
この12年の間には、“思わぬ人” が読んでくださっていたということが、たびたびありました。
たとえば講演会の主催者、テレビやラジオの製作スタッフの方々です。
当然、このブログだけでは僕の連絡先は分かりません。
ほとんどの場合、著書の出版社経由で出演依頼の連絡が来ます。
“思わぬ人” の中には、忘れられない方がいます。
直木賞作家で経済評論家の故・邱永漢先生です。
2011年秋のこと。
突然、先生の事務所から連絡がありました。
「先生が小暮様のブログを読んで感銘して……」
ということで、
「ぜひ、コラムの執筆をお願いしたく……」
との依頼がありました。
これには、さすがに驚きました!
あの、“お金の神様” と称された著名人です。
でも、お金に無縁な僕にとっては、直木賞を受賞した作家先生であり、講演会に足を運んだこともある雲上のお方であります。
その大先生からの依頼とあれば、お断りする理由なんて、ありません!
ありがたく、お受けいたしました。
それが邱永漢先生のウェブサイトに連載された 『温泉で元気』 というコラムです。
※(当ブログの 「お気に入り」 より閲覧することができます)
どこで、誰が読んでいるか分からない!
それがブログの魅力なのかもしれませんね。
これからも、ブログの力を信じて、コツコツとしたためていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
2021年06月12日
今日の朝日新聞 “拙者、焼きまんじゅうろうでござる!”
≪生まれは関東、上州です。利根の清き流れに産湯をつかり、空っ風に育てられ、義理と人情のためならば、ガブッと焼きまんじゅうをほおばって、悪を憎んで弱きを助け、西東。姓は 「焼き」、名は 「まんじゅうろう」。あま辛みそダレの股旅野郎とは、おいらのことよ!≫
読者のみなさん、お久しぶりでやんした。
おいらのこと、覚えてますか?
おいらが誕生したのは10年以上も前のことですからね。
古い読者じゃねーと、記憶に残っていないかもしれませんね。
生みの親は、絵本作家の野村たかあき先生。
育ての親が、このブログのオーナーであるフリーライターの小暮淳さんです。
えっ、まったく知らないって!?
何を言ってやんだい!
おいらのこと知らなかったら、もぐりの “群馬県民” だぜ!
おいらのことは、すでに2009年発行の 『日本全国ご当地キャラクター図鑑2』(新紀元社) の58ページに、しっかり群馬県のマスコットキャラクターとして掲載されてるんだぜ。
当時の肩書は、「上州小麦食文化連合会長」。
略歴には、「群馬のソウルフード、焼きまんじゅうのPRキャラクター」 と、ちゃんと書いてあるじゃねーか!
さらに、2011年9月に伊香保温泉で開催された 『MM-1フェスティバル』 に、スーパーローカルオヤジバンド 「じゅん&クァ・パラダイス」 がゲスト出演して、おいらのテーマソング 「焼きまんじゅうろう 旅すがた」 を歌ったんですぜ!
ちなみに “MM” とは、「まん中」 「まんじゅう」 の頭文字で、渋川市は日本のまん中、伊香保温泉は温泉まんじゅうの発祥の地という意味。
※(当ブログの2011年9月14日 「焼きまんじゅうろう 参上!」 参照)
ということで、おいら、群馬のソウルフード 「焼きまんじゅう」 のために、上州小麦食文化連合を代表して、日夜、敵対する悪者 (県外の粉モノ) と戦っているのであります。
そして、このたび、生みの親である野村たかあき先生の手により、紙芝居の主人公として命を吹き込んでいただき、またまた、みなさんの前で、おいらの活躍を披露することになりました。
その制作過程や制作秘話が、今日の朝日新聞群馬版 (6月12日付) にて、大きく紹介されました!
ぜひ、ご覧くだされ。
必殺技は、「あまから剣法みそだれ返し」
悪党どもを成敗いたす。
さあ、どっからでも、かかってこいや!
2021年06月03日
オンコちゃん
昨日の続きです。
僕は “先見の明” があったのかもしれません。
昔々、中学生の頃の話です。
僕は読書が好きで、“文学少年” を気取っていました。
ときどき、真似事で小説なんかも書いていました。
とはいっても、ノートに書いて、友だちに見せて回る程度のお遊びです。
当時、人気だったのは日本SFのパイオニア、星新一のショートショートでした。
氏の代表作に 『ボッコちゃん』 という未来を描いた傑作があります。
僕は、あこがれの氏へのオマージュとして、『オンコちゃん』 という掌編小説を書きました。
“オンコちゃん” とは?
未来の人間は、男と女の2つの性別だけではなく、第3の性が存在します。
「オトコ」 と 「オンナ」 と 「オンコ」 です。
オトコは精巣を持ち、オンナは卵巣を持ち、オンコは子宮を持っています。
よって、3人が出会い、3人で愛し合わないと、子孫は残せないという世界です。
実は、半世紀近く前に描いた小説なので本人も、どんな物語だったのかは、すでに忘れてしまっています。
が、奇抜ながら現代のセクシャルマイノリティーな世の中を示唆しているのではないか?
と、我ながら興味深く述懐しています。
最近、テレビCMやドラマでは、必ずしも “しあわせのカタチ” は男女だけではなく、いろいろなカタチがあることを表現し出しました。
男と男、女と女が作り出す “しあわせのカタチ” があるならば、第3の性 「オンコ」 が加わった “グルーブ恋愛のカタチ” が登場しても不思議はありません。
たぶん、自由な世の中とは、どこまでも自由なことなのだと思います。
はたして我々人間は、この “自由” を、どこまで許容できるのでしょうか?
2021年05月01日
おかげさまで3,000話
昨日、このブログの記事投稿数が3,000件に達しました!
これも、ひとえに読者様のおかげであります。
心より御礼申し上げます。
いや~、驚きました。
突然、パソコンの画面に表示されたのですよ。
「3,000件」 って!
でも、3,000件といわれても、ピンときません。
ので、ちょっと電卓をはじいてみました。
このブログを開設したのが2010年の2月ですから、ざっと数えて、約4,000日と2カ月です。
これを3,000件で割ると……
約1.35日に1話の割合で書いていたことになります。
分かりやすくいえば、4日に3話の投稿を11年間にわたり行っていたことになります。
ま~、なんてヒマな人生なのでしょうか!?(笑)
振り返ると、よくも飽きずに、コツコツとしたためたものだと、我ながら感心いたします。
で、どんな記事を書いてきたのか?と、解説しながら紹介したいと思います。
まず 「カテゴリ」 の欄をご覧ください。
現在、話のネタのくくりとして、26のカテゴリに分けられています。
投稿数の多いベスト5は、以下の通りです。
①「つれづれ」 858話
②「温泉地・旅館」 550話
③「温泉雑話」 281話
④「著書関連」 205話
➄「執筆余談」 178話
1位の 「つれづれ」 は、日々の出来事や日常に感じた事柄を、思いつくままに綴っています。
読者の中には、「温泉は興味ないけど、『つれづれ』 を楽しみに読んでます」 なんていう方もいたりします。
オヤジとオフクロの介護話も、このカテゴリです。
2位の 「温泉地・旅館」 と3位の 「温泉雑話」 は、このブログの核であります。
そもそもブログを開設した最大の理由は、雑誌や新聞では書けなかった温泉ネタを紹介するためです。
ブログのタイトル 『源泉ひとりじめ』 は、20年前に最初に雑誌に連載した温泉記事のタイトルでもあります。
“初心忘るべからず” の思いからネーミングしました。
4位の 「著書関連」 は、そのものズバリ!僕の著書に関連する記事です。
企画から取材、そして制作、出版に至るまで。
また、出版後のイベントや新聞の書評なども紹介しています。
おかげさまで、この11年間で10冊の著書を世に出すことができました。
これも読者様のおかげと、感謝しています。
5位の 「執筆余談」 は、著書以外に新聞や雑誌等に執筆した記事や連載に関する話です。
温泉以外の民話や地酒など、多ジャンルにわたる著述について紹介しています。
それ以外にも、期間限定のカテゴリも多々あります。
ぜひ、お時間のある時にクリックして、過去記事をご覧ください。
読者の皆さまには、今後ともお付き合いくださいますよう、よろしくお願いいたします。
2021年04月02日
四字熟語に例えるならば
実は僕、パズル作家なんです。
高崎市内に配布されている 「TAKATAI (タカタイ)」(高崎タイムス) というフリーペーパーに、2000年の2月から毎週金曜日に 「熟語パズル」 を連載しています。
今年で丸21年になります。
なんと、今まで掲載されたパズルの数は、今週号で961題!
思えば、温泉ライター歴よりパズル作家歴のほうが長いんですね。
なんでパズル作家になったのか?
あまりにも昔過ぎて、詳しい理由は忘れてしまいましたが、“ライター” ということで当時の担当編集者から話があったのだと思います。
まあ、ライターなんていう職業は、“使い捨て” ですからね。
仕事と聞けば、なんにでも飛び付くわけです。
温泉ライターになったのも、元は同じ理由です。
連載のきっかけとして、“温泉” というテーマに出合ったにすぎません。
だから、日の目を見ずに、はかなくも消えていったテーマなんて、掃いて捨てるほどあったのです。
その中で、残ったテーマたちに支えられて、今日まで “ライター” という職業を細々ながら続けてきました。
そんなことを考えていたら突然、波瀾万丈の人生が四字熟語となって、次から次へと飛び出してきました。
10代 疑心暗鬼
20代 天衣無縫
30代 切磋琢磨
40代 暗中模索
50代 無我夢中
さて、迎えた60代は?
“悠々自適” とは縁遠い人生ですが、せめて “自由闊達” に動き回りたいものです。
2021年03月26日
おめでとう! 創刊20周年
<月刊デリジェイは、20歳になりました。>
一昨日の地元紙に、でっかく一面広告が掲載されました。
<2001年春に誕生した月刊デリジェイは、おかげさまで創刊20周年を迎えました。>
「へ~、もう、そんなにもなるのかね~」
と紙面を眺めつつ、感慨にふけってしまいました。
何を隠そう (別に隠してはいませんが) 僕は、その20年前に創刊号を立ち上げた初代の編集長なのであります。
月刊デリジェイは、創刊当時は 「月刊でりじぇい!」 と平仮名表記でした。
地元新聞社とタイアップし、購読者に月一回配布される生活情報紙として発行されました。
なぜ僕が、編集長に?
えーと、えーと……
記憶をたどると確か、それ以前に一誌、タウン誌の編集人をしていたことがあり、その経験を買われて、お声がかかったのだと思います。
創刊時は現在と同じA4判サイズで “月刊” でしたが、1年後にはタブロイド判にサイズを拡大し、“隔週刊” になりました。
それだけ広告も入り、評判も良かったということです。
でも、作る側は大変でした。
製作スタッフを2班に分け、常に2号同時進行で制作を行っていました。
まさに “寝る間も惜しんで” という状態で、後にも先にも、僕の人生で、あの時が一番、仕事をしていたと思います。
でも、スタッフの過労と広告収入の減少により、やがて、元のサイズ、月1回の発行にもどりました。
そして、さまざまな事情により僕は、3年で編集の采を次世代へと手渡しました。
たぶん、現在の編集長は4代目だと思います(違っていたらゴメン)。
2代目から現在の編集長まで、全員、創刊当時に苦楽を共にしたスタッフです。
だから僕は、編集室を去った後も、毎月、誌面を見るたびに、「みんな頑張ってんな」 という嬉しさとともに、「そのまま頑張ってくれ」 とエールを送り続けてきました。
そして、20周年。
心よりお慶び申し上げます。
ネット社会の今、紙媒体は風前の灯火とも言われています。
それでも “紙” だからこそ伝えられることは、まだまだ残っています。
あの日、あの時、オギャー!と産声を上げた雑誌が、成人式を迎えました。
創刊にかかわった編集者の一人として、ただただ感慨深く、広告の紙面を見つめていました。
おめでとう! 20歳
おめでとう! デリジェイ
2021年02月02日
おかげさまでブログ開設11周年
読者の皆様に、お礼を申し上げます。
このブログが、今年の2月で開設11周年を迎えました。
これも、ひとえに、読者の皆様が根気強く支えてくださったからであります。
文章とは、読まれてナンボの代物です。
それは、ライターという職業を生業にしている僕が、一番痛感していることです。
「読まれない文章は、日記と同じ」
そう心に戒めて、何十年と、この職業を続けてまいりました。
ブログも同じです。
でも、気がついたら11年もの月日が流れていました。
投稿した記事の総数は、昨日までで2,920話。
ざっと計算すると、1.3日に1話の割合で投稿していたことになります。
我ながら飽きもせず、よく続いているものだと思いますが、なによりも、その投稿した記事を読んでくださる読者がいないことには、続けようにも続けられません。
ということで、改めて、心より御礼申し上げます。
いつもありがとうございます。
さて、一口に11年といっても、それはそれは長い月日であります。
僕がブログを開設した年に、オギャー!と生まれた子が、今年の春には小学6年生になるのですぞ!
そう考えると、改めて、「継続は力なり」 なのだと知らされます。
でも、はたして、本当に力となっているのでしょうか?
僕は、この11年間で、成長することができたのでしょうか?
だんだんと不安になってきました。
ということで検証するべく、また、この11年間に、どんな出来事があったのか、主だった事柄をピックアップしてみました。
2010年9月 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) 出版
2011年1月 『ぐんまの里山てくてく歩き』(上毛新聞社) 出版
9月 『あなたにも教えたい四万温泉』(上毛新聞社) 出版
2012年9月 『みなかみ18湯【上】』(上毛新聞社) 出版
2013年4月 『みなかみ18湯【下】』(上毛新聞社) 出版
2014年4月 『新ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) 出版
2015年1月 NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 設立 代表理事就任
1月 テレビ東京 『にっぽん!いい旅』 新春スペシャル ナビゲーター
4月 群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 スーパーバイザー就任
5月 『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) 出版
2016年5月 『西上州の薬湯』(上毛新聞社) 出版
5月 「みなかみ温泉大使」 委嘱
10月 「中之条町観光大使」 委嘱
2017年3月 群馬銀行 「ぐんぎん証券開業記念講演会」 講師
5月 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) 出版
5月 「伊香保温泉大使」 委嘱
5月 「老神温泉大使」 委嘱
7月 「四万温泉大使」 委嘱
7月 NHKBSプレミアム 『ニッポンぶらり鉄道旅』 ナビゲーター
2018年6月 NHK総合テレビ 『ネタドリ!群馬スペシャル』 ナビゲーター
8月 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) 出版
2019年1月 三重銀行 「温泉はもっと楽しめるセミナー」 講師
4月 「ぐんまの地酒大使」 委嘱
2020年11月 エフエム群馬 開局35周年特別番組 『ぐんま温泉ラジオ』 解説
思いつくまま挙げてみましたが、なんだかんだ、いろんなことをやってきたんですね。
当然ながら、悲しい出来事もありました。
相次いで、両親と愛犬のマロを見送ったことも、このブログに綴りました。
それでも、こうやって、今日もブログを書いている喜び!
やはり、ひとえに、読者の皆様のおかげだと思っています。
今後とも、末永く、ご愛読していただけるようお願いいたします。
2020年11月25日
ようこそ殺人現場へ
これだからライターという仕事は、やめられません。
読者の皆さんは、覚えていますでしょうか?
以前、このブログで、非業の死を遂げた一介の村医者が、死後、民衆により神格化され、現在でも祀られたいるという話を?
僕は、その医師が殺害された現場までの足取りを追いました。
そして、ついに、その場所を突き止めたのです。
というのが、前回の報告でした。
※(2020年9月29日 「殺害現場はココだ!」 参照)
その後、僕は、この話を高崎市内に無料配布されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に執筆しました。
掲載されたのは、先週の金曜日です。
「小暮さん、今、お時間大丈夫ですか?」
昨晩、突然、編集長から電話がありました。
「反響がありました! さっき、読者と名乗る男性が、わざわざ社を訪ねて来たんです」
と、かなり興奮気味であります。
電話やメールを寄こす読者は多々いますが、直接、訪ねて来る読者というのは珍しい。
「で、なんだって?」
「それがですね、殺人現場へ行ってきたと言うんですよ!」
「えっ、墓ではなく、殺人現場へ?」
「墓参りもしたらしいのですが、現場にも」
「現場っていったって……」
編集長と僕が驚いていたのは、殺された医師の殺害現場を特定できたということです。
記事には、確かに 「事件現場」 とキャプションが付いた写真が掲載されています。
しかし、写っているのは路面のアップだけです。
実は発行前、この殺害現場の写真の掲載については、論議されました。
「引き (全景) の写真を載せると場所が特定され、近隣住民に迷惑がかかるかもしれない」
として、写真をトリミング (画像処理) してから掲載しました。
今、改めて掲載写真を見ても、どこにでもある道路にしか見えません。
「この写真で、よく特定ができたね?」
「それがですね、一部、情報が写り込んでいたんですよ!」
それは、車でした。
写真の奥にポツンと小さく、赤い車が写っています。
もちろん、ナンバープレートの判読なんてできません。
「えっ、この車で場所が分かっちゃったの?」
「ええ、特長のある車両ですからね」
マニアックな読者って、いるものですね。
そこまで深読みしていただけるなんて、ライター冥利に尽きるかもしれません。
「で、その読者、それを言うためだけに編集室に来たの?」
「いえ、ほかの人にも教えてあげたいからと、掲載紙をもらいに来たんですよ」
読者様は神様であります。
ただただ、頭が下がります。
「で、小暮さん! その読者がね、謎めいたことを言って帰ったんですよ」
「謎めいたこと?」
「ええ、死んだ医師の墓が、もう一つ、別の場所にあると!」
「そこは、どこ!?」
そのあと、編集長から告げられた言葉に、全身鳥肌が立ちました。
その場所は、殺された医師が、開業医になる以前に住んでいた地名だったのです。
謎学の旅は、つづく。