2012年07月31日
第2回温泉講座 本日終了!
今月の17日から前橋市の前橋プラザ元気21で開講している、温泉療養研究所主催による温泉講座 『必ず行きたくなる群馬の温泉』 の第2回目講座が、本日開講され無事に終了しました。
いや~、前回の講座日も暑かったですけど、今日も負けず劣らずアツーイ!
なのに、今回もたくさんの受講者が集まってくださいましたよ。
それも、前回より増えている!
前回は、まだ空席があったと思いますが、今回は補助席まで増やした満席状態です。
なんでも、主催者によれば、前回の講座の終了後に、このブログや温泉療養研究所のHP、またはフェイスブックなどを見た人からの追加申し込みがあったとのこと。
また、前回受講された人が、今回は友人を誘って受講してくださったようです。
みなさん、本当にありがとうございます。
講師を務めた僕も、話す甲斐があるというものです。
でもみなさん、本当に温泉がお好きなようで、真剣に話を聴いてくださり、一生懸命にメモ取っている姿が見られました。
第2回講座の今日は、「知られざる群馬の温泉~その魅力について」をテーマに、群馬県内の大きな温泉地から小さな温泉地、はたまた一軒宿の温泉地など、時間の許す限りお話しをさせていただいたのですが、なにせ、群馬県内には約100ヶ所も温泉地があるんですよ!
1回の講座時間は、90分なのですが、案の定!
ついつい話しに熱が入ってしまい、10分もオーバーしてしまいました。
話し足りなかった部分は、次回の講座で、補足させていただきますね。
さて、次回の講座は来週8月7日(火)です。
いよいよ、最終回を迎えます。
テーマは、「より良い温泉の見分け方、入り方」。
温泉は、みんな同じじゃない!
それぞれ、泉質に合った入浴の仕方があります。
また、どうせお金を払って温泉に入るんなら、良い温泉に入りたい!
では、良い温泉とは?
その見分け方、探し方など、とっておきの “裏技” や温泉の “裏事情” をご紹介します。
新聞や雑誌に書けないこと、テレビやラジオで話せないことを話せるのが “ライブ” です。
ぜひ、次回最終回もお楽しみください。
※最終回のみの受講も、席が空いていれば可能です。希望される方は、主催までお問合せください。
温泉ライター 小暮淳の温泉講座
『必ず行きたくなる群馬の温泉』
●開講日 2012年8月7日(火) 上級編<最終回>
13:00受付 13:30~15:00
●会 場 前橋プラザ元気21 5階 56学習室
群馬県前橋市本町2-12-1
●受講料 各1回 2,000円(テキスト代込み)
●主 催 温泉療養研究所
●企 画 Applce
●申込・問合 温泉療養研究所
TEL.027-289-5507 FAX.027-289-5508
2012年07月30日
『湯けむり散歩』 今年も開講!
今年も、やって来ました!
前橋カルチャーセンター主催による野外温泉講座
『小暮淳と行く 湯けむり散歩 ~温泉めぐり&健康ウォーク~』。
9月から12月まで、毎月第3火曜日に、バスで県内外の温泉地をめぐります。
■9月18日(火) 野沢温泉(長野県)
奈良時代に、行基菩薩が発見したと伝わる古湯。
シンボルの “麻釜熱湯噴湯” をはじめ、外湯をめぐります。
■10月6日(火) 越後湯沢温泉(新潟県)
川端康成の名作 『雪国』 の舞台。
康成が愛した自然湧出泉の共同湯や文学資料館をめぐります。
■11月20日(火) 渋温泉(長野県)
開湯1300年の歴史を誇る、日本屈指の名湯。
ノスタルジックな情緒ある温泉街を散策します。
■12月18日(火) 法師温泉(群馬県)
日本を代表する秘湯の1つ。
旅籠の面影を残す佇まいが、温泉ファンの憧れの的となっています。
☆全講座受講される方に、小暮淳のエッセー本をプレゼント!
温泉ライター 小暮淳と行く
『湯けむり散歩』
~温泉めぐり&健康ウォーク~
●開講日 9月~12月の毎月第3火曜日(全4回)
●受講料 8,400円(4回分)
バス代・食事代・保険代は別途
●説明会 8月26日(日) 13:30~(参加無料、要予約)
※説明会終了後より受付開始!
●詳細の問い合わせは・・・
前橋カルチャーセンター(けやきウォーク前橋2F)
TEL.027-223-5121
2012年07月29日
ちょっとインドまで④ 「はじまりはいつも宿探し」
④ 『はじまりはいつも宿探し』
1日の始まりは、まず宿探しからだった。
新しい駅に降り立つと、ガイドブックを頼りに、ひたすら歩く。
1,000ルピー近くする高級ホテルにも一度だけ泊まってみたが、我々のような貧乏旅行者には身分不相応というもの。
日本円にすればビジネスホテル並みの料金でも、そんな暮らしを何週間も続けられるものではない。
また、せっかくインドにいるのだから、インドの臭いに浸っていたいし、その臭いの源である民衆の中で過ごしていたい。
そうなれば必然的にぜいたくな旅なんて、このインドでは望めなくなってくる。
本当に貧乏旅行に徹する気になれば、確かに10ルピー(約45円) 前後で泊まれる宿もあるが、あの強烈な町中の光景を目の当たりにしてからは、少々意気込みのほうも萎(な)えてしまった。
自分たちの年齢を考えると、体力にもあまり自信がない。
“ここはひとつ、中間をとって100ルピー前後の宿にしよう!”
という結論に達したのである。
3~4㎞歩くのはざらで、ひどい時は約10㎞もの道のりをさまよい歩いた。
デリーやカルカッタなどの大都市を別にすれば、インドの町は、どこも歩くことが基本となる。
交通機関としては、どの町にもリクシャー(日本語の「人力車」が語源という) が代表的な乗り物としてある。
自転車で引くサイクル・リキシャーと、小型オート三輪の後部を座席にしたオート・リクシャーがポピュラーであるが、「○○まで」 というハッキリした行き先の指定ができない初めての町では、やはり、ひたすらに歩くしかないのだ。
大抵の町は、まず旧市街と新市街とに分かれている。
旧市街は、イギリス統治以前からある古い城や寺院を中心に、庶民の活気にあふれたバザール(市場) が広がっている。
一方、新市街は、イギリス支配時代に、旧市街の外側に建設されたものが多く、官庁、銀行、オフィスなどが並んでいる。
我々が探し当てようとしている安いホテルは、もちろん旧市街にある。
ところが頼りにしているガイドブックとやらが、なかなか当てにならない。
地図には書かれていない道が多く、情報が古過ぎて実際に行ってみると、すでになかったりと、たどり着くのは至難の技だ。
それだけで、優に半日はつぶれてしまうのである。
その甲斐があってか、やっと見つけて宿にたどり着いたときは、まさに極楽!
たとえ、そこが暗く湿った部屋であったとしてもだ。
リュックを投げ出し、ベッドの上に大の字になる。
30度を超す強い陽射しと砂ぼこりの中を歩き回ったのだ。
ノドはカラカラ、頭の中といわず体中が、砂でジャリジャリしている。
が、1泊100ルピーの宿では、まず、お湯の出るシャワーは望めない。
水が出るだけでも、ありがたいというものである。
さて、水を浴びてサッパリしたし、これでやっと今日のメシにありつけるというもの……
というのは、高級ホテルでのお話。
100ルピーの宿では、これからの準備が肝心なのだ。
とにかく、インドは蚊が多い。
蚊といえば、マラリアだ。
蚊取り線香は、インド旅行の必需品である。
部屋に着くなり、蚊取り線香を2ヶ所に置いて火をつけ、モウモウと煙をたいて蚊を退治しなければならない。
もちろん寝るときは、虫よけスプレーで露出している肌を念入りにガードすることを忘れてはならない。
次は、ベッドだ。
一見、清潔そうに見えるカバーも、はがしてみると、いかにもダニと南京虫の巣窟といった感じのシットリ加減なのである。
まずは殺虫剤をひと吹き、スプレーする必要がある。
そして、その上にビニールシート(ゴミ袋の大きいものを使用) を敷き、カバーをもどす。
寝るときは、さらに自分で持ってきたスリーピングシーツを使用する。
という徹底ぶりである。
これでやっと、本日最初の食事にありつけるというものだ。
<つづく>
2012年07月28日
大事なことは飲み屋で決めろ!2012
以前、「大事なことは飲み屋で決めろ!」 というタイトルでブログを書いたのは、昨年の8月6日でした。
その前日は、前著 『あなたにも教えたい 四万温泉』 のタイトルを決定した日でした。
あれから1年。
でも、今年は、去年よりも1週間以上早く、この日を迎えることができました。
我々の業界には、“苦しいときの酒頼み” という言葉があります。
要は、インスピレーションやヒラメキを必要とする決定事は、会議室のような場所でシラフで話し合っても、良いアイデアは出てこないということです。
こういう場合は、お酒の神様に力を貸していただき、スパッと名コピーを生み出してもらおうという魂胆なのであります。
昨晩、新前橋駅近くの某居酒屋に、3人のオッサンが集まりました。
出版&編集責任者のTさん、ディレクターのKさん、と僕です。
毎年、恒例の本のタイトル決めの選考会であります。
まずは生ビールと、枝豆・イカ刺し・焼き厚揚げで、軽くカンパイを済ませてから、おもむろにテーブルの上に、全ページのゲラ刷りが置かれました。
Tさんが、すべてに目を通して、感想を述べた後、いよいよ表紙まわりの候補写真とコピーが、個室の床一面に広げられました。
何パターンかの写真に、仮のタイトルが、縦横、書体を変えてはめ込まれています。
「僕は、こっちの写真のほうが好きですね」
「この字は、この書体じゃないほうがいいな」
「サブタイトルのこの言葉は、帯に持って行かない?」
などなど、忌憚(きたん) のない意見が、酒の力を借りて、次から次へと出てきます。
いつものことですが、気が付けば、ビールジョッキと冷酒の瓶が、テーブルの上にゴロゴロしています。
「現在、連載中のコラムが、もうすぐ終わるんですよ。あれ、本になりませんかね?」 と僕。
「いいんじゃない、うちから出しますよ」 とTさん。
「できれば、この本が秋に出たあとに、続けて年内に出したいんですけどね」 と僕。
「可能でしょう。作りましょうよ」 と、いとも簡単にTさんも話に乗ってきます。
酒とは、恐ろしいものです。
どんどん、気が大きくなっていくんですね。
「では、そういうことで、よろしくお願いしまーす!」
「カンパ~イ!」
と、さらに急ピッチで、杯が進んで行きます。
でも、とりあえず秋に出版される本のタイトルは決定しましたよ。
僕の原稿も、「あとがき」 を残すのみとなりました。
今夜あたり、酒の力を借りて、一気に書き上げたいと思います。
2012年07月27日
月夜野温泉 みねの湯 「つきよの館」⑨
なんとも、せわしない毎日であります。
今秋、9月に出版される新刊の制作が、まだ大詰めで仕上がっていないというのに、早くも来春に出版が予定されている新々刊本の取材がスタートしてしまいました。
現在、著者としても、これから新刊の 「あとがき」 を書こうというのですから、とにかく頭の切り替えが大変です。
今、自分は、何の取材で温泉に来ていて、この原稿は、いつまで書けばいいのか・・・
だんだん、こんがらがってきましたよ。
と、いうことで、新々刊本の取材は、軽~く、ウォーミングアップの感じでお願いしますと、心と体と頭に負担の少ない、行きつけの宿からスタートしてくださるようにスケジュールを組んでもらいました。
月夜野温泉 「つきよの館」
ここなら、僕が10年も前から通っている常宿ですから、取材というより気分転換の “避暑” 感覚で行けるというものです。
そんなわけで、昨日は午後から 「つきよの館」 を訪ねて、息抜きを兼ねて1泊してきました。
「先生、ようこそお越しくださいました」
と、女将の都筑理恵子さんは、いつも僕のことを “先生” とふざけて呼んでからかうのです。
「先生は、よしてくださいよ」
と言って笑い合うのが、毎度の僕と女将のあいさつです。
でもね、女将が僕のことを “先生” と呼ぶのには、理由(わけ) があるんですよ。
かつて、フリーペーパーの 「月刊 Deli-J (でりじぇい)」 に連載していた 『源泉巡礼記』 というエッセーの中で、僕は、
<いつか雑文書きから脱したら、気の置けない宿に逗留(とうりゅう) して、長編小説でも書き下ろしてみたいものである。もちろん、そこには僕のことを “先生” と呼ぶ、美人女将がいなくてはならない>
という一文を 「つきよの館」 に寄せたことがありました。
それ以来、女将は僕のことを “先生” と、わざとふざけて呼ぶようになったのです。
久しぶりに 「つきよの館」 を訪れたら、庭に立派なテラスとガーデンができていました。
「2ヵ月かけて、スタッフ全員で造ったんですよ。湯上りには、ぜひ、ここで夕涼みをしながらビールを召し上がってください」
とは、気が効いている。
と、なれば、サササッと取材を済ませて、テラスでビールとシャレ込みましょう!
「“先生”、このテラスに名前をつけてくださいな」
と、ビールを運んできた女将が、またもや僕をからかいます。
「そーですねぇ・・・」
と、僕も文豪を気取って、グラスを持って、ポーズをつけます。
「いいですね、そのショットいただきです」
と、カメラマンがシャッターを切りました。
「どうです? 雰囲気がありますよ」
と、デジカメの画面を見せてくれました。
そこには、夕闇のテラスで、煙草をくゆらせながら、ビールを飲む・・・・・・文豪の姿(?)が!
「で、『月のテラス』 なんてどうだろう?」
と僕。
あいにく空はガスっていて、昨晩は月が良く見えませんでしたが、秋から冬にかけては絶景の天空を仰げそうですよ。
「いいですね、『月のテラス』 で決まりです」
と、女将も満足そうに微笑んでくれました。
2012年07月26日
ちょっとインドまで③ 「地球のゴミ箱の中を歩く」
③「地球のゴミ箱の中を歩く」
インド、という国の名を聞いて、まず最初に何を連想するだろうか?
カレーライス、牛、カースト、ガンジス川、サリー、タージ・マハル ……
僕にとっても、その程度の知識しかなかった。
出発前に、2、3冊の紀行エッセーや参考資料に一応目を通してはみたものの、それ以上にも、それ以下にもイメージは増減されなかった。
何よりも過敏になっていたのは、やはり病気のことだった。
特にインドを旅するとなれば、コレラ、マラリア、腸チフス、肝炎といった恐ろしい病名が次々と頭に浮かんでくる。
つい、二の足を踏みたくなってしまう。
コレラの場合、現在、WHO(国際保健機構) もインドを汚染地区とはしていないし、最近はコレラの発生がきわめて少ないという。
よって、日本から直接インドへ行く場合には、予防接種は義務づけられてはいない。
それでも、しないよりは、して行ったほうが、いいに決まっている。
出発ギリギリまで迷った末、僕は予防注射をせずに行くことに決めた。
理由は、2つ。
経験者の話によれば、コレラの予防注射は大変強く、高熱を伴うことが多い。
そのために、出発前に発熱してしまい、せっかくのインド行きを断念したという、本末転倒な話も聞いた。
また、予防注射を受けたからといって、100%確実というものでもないらしい。
エイッ、成るようになる!
こうなれば運を天に任せて、いざ、出陣じぁ~!
かくて常日頃、強運の持ち主を自負している僕は、家族の心配を振り切り、ビタミン剤と正露丸をお供に、旅立ったのである。
いざインドへ行ってみると、町はどこもゴミ箱の中を歩いているようだった。
ゴミ箱といっても、日本の “夢の島” に象徴されるような、残飯や紙くず、使い捨てにされた生活用品が散乱しているわけではない。
人の波、体臭、叫び声、エンジン音、色の洪水、砂ぼこり、強烈な陽射し ・・・・
ありとあらゆる騒音と臭いが、五感という五感をすべて刺激してくる。
まさに “地球のゴミ箱” として、僕には映った。
牛が目の前で放尿を始める。
それをかわそうとして路傍へ身を寄せれば、右手に水の入った空き缶を握り締めた人々が、側溝にしゃがみ込んで排便を悠然としている。
ふと、露店の砂糖菓子に目をやれば、ハエが黒山にたかっている。
店主は、それを追い払う様子もない。
“これは、病気にならないほうが奇跡に近いかもしれんぞ ……”
その時、本気でそう思ったものだ。
我々にしてみれば、あまりにも非日常過ぎる光景に、めまいさえ感じていた。
<つづく>
2012年07月25日
北軽井沢温泉 「御宿 地蔵川」
カンヅメ生活で、たまりにたまった疲れを癒やすには、やっぱり温泉が一番!
と、いうことで、カンヅメ明けの昨日、NHK文化センターの野外温泉講座で、北軽井沢温泉へ行って来ました。
北軽井沢というと、どうしても避暑地や別荘地のイメージが強いですが、れっきとした温泉地であります。
一軒宿の 「御宿 地蔵川」 は、温泉宿になったのは平成になってからですが、旅館としては北軽井沢の歴史を見続けてきた古い老舗宿であります。
創業は昭和17年。
「地蔵川旅館」 として、現主人の土屋基樹さんの祖母が開業しました。
その後、2代目の父、勝英さんの時代は 「地蔵川ホテル」 と名乗り、現在、3代目の襲名を機に 「御宿(おやど) 地蔵川」 と屋号を改名しました。
ちなみに、地蔵川とは、北軽井沢の旧名です。
かつて、この地には、高原列車が走っていました。
軽井沢と草津を結ぶ、「草軽電気鉄道」 です。
開業は大正4(1915)年。
最初は新軽井沢~小瀬(のちの小瀬温泉) まででしたが、大正15年には全線が開通しました。
全長55・5km、片道約3時間半をかけて走りました。
この間に約22の駅があったといいますが、唯一 「北軽井沢」 の駅舎だけが、今も現存しています。
昭和26(1951)年に封切られた日本初の総天然色(オールカラー)映画 『カルメン故郷に帰る』 は、雄大な浅間山の自然と北軽井沢の町が舞台になった大ヒット映画でした。
主演の高峰秀子が演じるダンサーのカルメンが、北軽井沢駅に降り立つシーンから映画は始まります。
この時、メガホンを取った巨匠、木下恵介監督率いるスタッフ陣が、撮影期間中に滞在した宿が 「地蔵川旅館」 です。
「小暮さん、お久しぶりです。ご活躍は、いつも新聞で拝見しています」
と、3代目の基樹さんと奥さんが一行を出迎えてくれました。
僕が、ここを訪れるのは、3年ぶりであります。
その時、取材して書いた僕の本が、ちゃーんと、売店で売られていましたよ。
ありがとうございます。
泉質は、メタけい酸含有による温泉です。
メタけい酸は、化粧品等の成分に使用される美肌成分です。
ですから、湯舟の中で肌をさすると、ツルツルっとした感触が味わえます。
受講生らも、大満足の様子。
「カンパーイ!」
飲兵衛数名が、早くもビールを飲み出しました。
もちろん僕も、講師といえども “正しい温泉の楽しみ方(?)” として、ご相伴にあずかりました。
「先生、もう1本注文するけどさ、手伝ってくれないかねぇ?」
と、当講座一の飲兵衛、ニックネーム 「ヨッパライ」 ことNさんが、僕を誘います。
Nさんが飲んでいるのは、日本酒です。
「冷酒ですか……、そうですね。お手伝いしましょう」
と、キライではない僕は、誘いを断れません。
「キーッ、う、う、うまいっすねぇ」 と僕。
「料理がさ、全部、酒のつまみに合うよね。先生、最高だねぇ~」
とNさんは、すでに出来上がっているようです。
この旅館は、和洋折衷の創作料理が評判です。
女性陣には、「チーズ入り茶碗蒸し」 が大好評でしたよ。
確かに、美味かった!
仕事とはいえ、取材でも執筆でもない温泉講座は、ただただ楽しいのひと言です。
これで疲労回復!
明日から、またバリバリ取材へ出かけますよーッ!
2012年07月23日
はじめての入院
携帯電話に 「非通知」 が表示されると、ビクッとします。
「公衆電話」 と出ると、ドキッとしてしまいます。
カンヅメ生活5日目を迎えた、今日の午前。
携帯電話が鳴り、「公衆電話」 の文字が・・・
公衆電話から僕に電話をかけてくる人物は、何人もいません。
いや、たぶん1人です。
オフクロに違いありません。
「○○にいるんだけど、迎えに来てくれないかい?」
というのが、いつものパターンです。
でも、その場合は事前に連絡があり、いつもは僕も承知で自宅待機しています。
今日、オフクロが、どこかへ出かけているとは聞いていません。
「ジュンかい? すぐ来てくれないかい?」
声の主は、まぎれもなくオフクロです。
「今、○○病院にいるんだけど、お父さんが入院することになっちゃってね。いったん、入院の準備をしに、家に帰りたいんだけど、迎えに来てくれないかい」
えっ、一瞬、なんのことか分かりません。
でも、オヤジが入院したといいます。
少しボケはありますが、別に悪いところはなく、毎日元気に暮らしていましたよ。
それでも88歳と、かなりの高齢ではあります。
どこも悪いところがなくても、いつなんどきお迎えがやってきてもおかしくはありません。
ここ数日は涼しかったけれど、今日はまた気温が上がっています。
熱中症で、倒れたか?
「8階の○○号室だからね。すぐに来ておくれよ」
とだけ言って、オフクロの電話は切れました。
ついに来たんだ!
いつかは、誰しも、迎えなくてはならない、肉親との別れ・・・
ああ、88歳まで生きてくれてありがとう。
でも、あと少しで90歳だったのにね。
好きなお酒を、もっと飲ませてあげたかったよ。
でも、ひ孫も抱けたし、成人した孫たちと酒も飲めたし、悔いはないよね。
僕も兄貴も、あんまりイイ息子たちじゃなかったけど、そのぶんイイ嫁さんたちが来たろ。
「お前たちには、もったいない嫁だ」 って、口ぐせだったものね。
いつ、この時が訪れても仕方ないと、覚悟はしていたけどさ、やっぱり、突然の別れは・・・
オヤジ、待ってろよ~!
せめてオレが病室に着くまでは、生きていろよな~!
今すぐ、行くぜーーーっ!
と、書きかけの原稿を放り投げて、猛ダッシュで車を病院まで走らせたのであります。
エレベーターに乗り、8階のボタンを押しました。
何気なく、各階の案内プレートを見ると・・・
“8F 肛門疾患センター”
いやな、予感がしました。
ま、ま、まさか・・・
も、も、もしかして・・・
病室にはオフクロと兄貴が、オヤジに付き添っていました。
「で、オヤジの具合は、どう?」
息を切らして飛び込んできた息子に、返ってきたオフクロの言葉は、
「今朝、お腹が痛いっていうから主治医に診てもらったら、脱腸だって。明日、手術するからお父さんの着替えを取りに帰りたいのよ」
な、な、なんですと!
だ、だ、ダッチョウだーーーっ!
おいおい、こっちはカンヅメ最終日で、朝から休む間も惜しみながら、執筆活動にいそしんでいたんだぜ。
参ったな~・・・
と、肝心のオヤジを見ると、ベッドの上で、仔猫のようにおびえているではありませんか。
「ジュン、どうして、ここにいるんだい?」
「何言ってんだよ、入院したって聞いたから駆けつけたんだよ」
「オレがか? どうして?」
そうか、オヤジは自分が脱腸で入院したことを知らないんだ。
すると、隣にいた兄貴が、「ちょっと」 と僕を廊下へ呼び出した。
「何度も言っているさ。でも、すぐ忘れちまうんだよ。それより、『ここは、どこだ?』 って騒いで、病院だと知ると今度は 『ついに来たんだ。もうオレは終わりだ~』 なんて泣き言を言い出す始末よ」
と、入院までの顚末(てんまつ) を話してくれた。
でも、オヤジにしてみれば、88年間生きてきて、初めての入院なんだよね。
それだけ、元気に今日まで暮らしてきたっていうことさ。
もう、なんでも、いいよ。
とりあえず、生きてて良かった。
オヤジ、頑張れよ!
脱腸の手術 ・・・
2012年07月22日
ちょっとインドまで② 「これがインド流のご挨拶」
②『これがインド流のご挨拶』
成田空港を昼に飛び発ったA I (エアインディア) 305便は、12時間のフライトを無事終え、予定通りの時刻にインディラ・ガンジー・インターナショナル・エアポート(デリー) へ着いた。
時差は3時間半、まだその日の夜9時である。
さっそくインド流の出迎えを受けたため、入国するのにたっぷり2時間もかかってしまった。
とにかく、すべてに手際が悪い。
入国審査にしろ、税関にしろ、銀行(両替所) にしろ、成田のそれとは段違いだ。
こっちは夜遅く異国に着いたこともあり、気があせっているから、余計にいらだってしまう。
ところが、これがインド流のやり方なのである。
1分1秒の遅れが、1日のスケジュールを狂わせてしまうような国から来た我々には、到底信じがたいことだが、彼らは表情をひとつも変えずに 「ノー・プロブレム(問題ない)」 のひと言で、なんでも済ませてしまう。
では、仕事が丁寧なのかといえば、決してそうではない。
作業の途中で隣の係員と会話を始めてしまうし、自分の担当窓口を離れて後ろのほうでボーっとしているやらで、長蛇の列は一向に前へ進まないのである。
おまけに銀行では、こっちが黙っていれば必ずと言っていいほど、両替を誤魔化す。
気づいて指摘すれば、「バレたか!」 といった笑みを浮かべ、紙幣を放り投げてくる始末だ。
現に、僕の連れは、後で調べてみたらナント!1,000ルピー(約4,500円) もの大金(インドの平均月収にあたる) を誤魔化されていた。
いやはや、入国早々トラブル続出の、なんとも不安な旅の始まりではあるが、これがインド流なのだから仕方がない。
“郷に入っては郷に従え!”
金満国ニッポンの恥さらしにならないためにも、気を長く持ち、したたかに構えなくてはならないようだ。
さて、入国手続きが進むに連れて、僕の気が気ではない心が、さらに緊張を増していくのが分かった。
呼ばれるには呼ばれて、なんとかこの国までたどり着いたものの、はたして選ばれるのだろうか?
「小暮さん、選ばれる人と選ばれない人というのは、どうも空港へ降り立った瞬間に決まるらしいですよ」
社長さんの言った言葉を思い出す。
背中のリュックが急に重く感じられ、緊張がピークに達しようとしたときだった。
空港内でも、かすかに感じていた異臭が、屋外へ出た途端、ツーンと強烈に鼻孔を突いてきたのだ。
うわぁ~~、これだったのか!
動物の臭いとも、排泄物の臭いとも判別のつかない初めて体験する臭いだった。
それが一瞬にして、僕の体に貼り付いてきて、離れようとしない。
その場にジッとしていると、体内にまでしみ込んでくるかのようだった。
しばらくすると鼻も慣れてきたようで、呼吸に対しての拒否反応をしなくなっていた。
一度、思いっきり深呼吸をしてみる。
あれっ?と思う。
もう一度、深呼吸をしてみる。
するとなんだか不思議と、懐かしさを覚えた。
知ってるぞ、この臭い ……
粘土の臭いである。
子どもの頃に遊んだ、あのミドリ色した油粘土の臭いに似ていると思った。
<つづく>
2012年07月21日
ちょっとインドまで① 「呼ばれる人、選ばれる国」
このカテゴリーでは、1993年に当時、僕が編集人をしていたタウン誌 『月刊 上州っ子』 に、異国体験見聞録と題して連載した紀行エッセーを、不定期にてご紹介します。
約20年前の記事ですので、現在の実情とはそぐわない箇所も多々ありますが、当時の臨場感をそのままお届けするために、あえて加筆・訂正等はしていませんので、ご了承ください。
①「呼ばれる人、選ばれる国」
いま、髭(ひげ)を蓄えている。
常々、機会があったら髭を生やしたいと思っていた。
でも、あの生え始め2~3日経った頃の汚らしい顔には、毎度我慢ができなくなり、断念することたびたび。
今回のインド行きは、人前から数週間姿を消せるという、絶好のチャンス到来となったわけである。
似合うが似合わないかは、ご覧になった方の主観におまかせするとして、久々に現れた僕の顔の真ん中に、なにやら黒いゴミのような物が、恥ずかしそうに付いているものだから、会った人のリアクションもさまざまだ。
「えーっ、小暮さんかい? 一瞬、誰かと思ったよ」
「うぉっ、ヤクザが入って来たのかと思った」
一様に目を白黒させて 「どうしちゃったの?」 と言わんばかりの形相で迎えてくださった。
こちらも大した理由付けはない。
ただの気まぐれなのだから、「しばらく休みをとっていたものですから……」 と応えていた。
すると先方も大体の察しがつくようで、「どちらへ?」「海外?」 と質問責めにあう。
「ええ、まあ、ちょっとインドまで・・・」
ここから先の反応に個人差があり、実に面白いのだ。
「エーッ、インド~! すごい所なんでしょう」 と驚きの声を上げる人。
「インドですか……。実は私もいま一番行ってみたい国なんですよ」 と羨望のまなざしで話を聞きたがる人。
大きく分けると、そんな2つのタイプがいるようだ。
前者は女性が多いが、決まって 「カレーしかないの?」 と訊いてくる。
後者は、圧倒的に男性である。
それも30~40代の一風変わった自由人タイプの人。
これまた必ず訊かれる質問がある。
「やっぱり、人生観が変わりましたか?」 である。
では、その2つの質問の答えは?
どちらもYESであり、どちらもNOであると言える。
なぜなら、たかだか数週間の旅の中で僕が見てきたものなど、すべてがインドの一部でしかすぎない。
だから僕が見たインドもインドには違いないが、その断面だけを語ってインドを知ったつもりでいると、他の人はきっと 「違う」 と言うだろう。
でも、そこがインドの面白いところなのだ。
同じものでも、見る人自身の感じ方によって、まったく違うものに見えてしまう。
また、訪ねる人とインドの相性の善し悪しというのもあるらしい。
インドを訪れた観光客の中には、その強烈な個性に圧倒されてしまい、ホテルから一歩も外へ出ることなく、何も見ずにそのまま日本へ帰って来てしまう人が、後を絶たないという。
わざわざインドまで行って見たものは、ホテルと空港を往復した車の中からの景色だけ・・・。
早い話が、この人たちは、インドとの相性が悪いのである。
僕は出発前、さる会社の社長さんから、こんなことを言われた。
「ほう、小暮さんもついにインドに呼ばれましたか……。私は、まだですけどね。いつ呼んでくれるか、楽しみに待っているんですよ」
さらに彼は、「選ばれるといいですね。戻ったら、ぜひ、それが聞きたい」 と言葉を付け加えた。
呼ばれる?
選ばれる?
旅立つ前の僕の心は、なにやら自分の価値を試されているようで、気が気ではなかったのである。
<つづく>
2012年07月20日
運気上昇中 ・・・?
原稿の執筆中に、パタッと手が止まってしまうことがあります。
「ああ、資料が足りない! あの本とあの本のあのページをコピー取っておくんだった!」
と、今日も朝から、原稿が書けない理由を見つけては、自分に言い訳をして逃げようとしていたのです。
仕方がない。
重い腰を上げて、図書館へ行ってくるか・・・
でも、必要な2冊の本が揃って置いてあるとは限らない。
市立図書館でなかったら、県立図書館まで足をのばさなくてはなりません。
それでも、運良くあるとは限らない。
「ああ、半日つぶれてしまうなぁ~」
と思いながら、とりあえず近くのコンビニに出かけました。
「待てよ、ダメもとで寄ってみるか・・・」
と、町内の公民館の中にある小さな図書室へ。
で、で、あったんですよ!
まさかの探している本が!
そ、そ、それも2冊ともです。
信じられませんって!
もう、これは奇跡です。
それも、今は絶版となっている、かなりマニアック本ですよ。
でもね、なんだか最近、やることなすこと、なぜか、みんな上手くいくんです。
まるで、神様が僕に手を貸してくださっているような・・・。
先日の、本の表紙とグラビア撮影日もそうでした。
あいにくの雨だったんです。
「せっかく、いらしてくださったのに、この雨では残念ですね」
と、宿泊先のホテルの社長さん。
「いえいえ、雨は雨で、いい写真が撮れるかもしれませんから」
と、僕らは準備に取りかかりました。
そしたら、思わぬサプライズが起きたのです。
真っ暗な夜の渓谷なのに、河原の石が雨に濡れたおかげで、街灯の明かりに照らされて、キラキラと光り輝いているのです。
それはそれは、なんとも幻想的な写真に仕上がりました。
その晩は、「禍(わざわい)転じて福となす、だね」 と言いながら、スタッフと祝杯を挙げたのですが、カメラマン氏だけがポツリとグチをこぼしたのであります。
「この写真は雨のほうが良かったんだけど、山の写真は、この雨ではお手上げですよ。また後日、出直して来ます」 と。
と、と、ところが!
一夜明けたら、雲ひとつない、真っ青な空が広がるドピーカンなのであります。
谷川岳の 「ねこみみ」 こと、双耳峰の 「オキの耳」 と 「トマの耳」 だって、クッキリと見えます。
カメラマン氏は、狂喜乱舞しながらカメラを持って、早朝にホテルを飛び出して行ったことは言うまでもありません。
こんな感じで、最近は、やることなすことすべてが、“吉” と出ます。
かなりの好運気が上昇中のようであります。
この運気が留まっているうちに、一気に原稿を書き上げようと思うのですが、これだけは才能と実力の範囲でしか、物事が進んでくれないのですね。
運に頼らずに、コツコツと書くしかありません。
2012年07月19日
嬉し苦しやカンヅメ生活
本日より、完全5日間の “カンヅメ生活” に突入しました。
もう、これは、この時期の恒例行事であります。
数年前から、毎年9月に新刊を出版するようになったため、必然的に2ヵ月前のこの時期に、最終原稿の入稿期限がやって来るのであります。
まあ、スポーツ選手の強化合宿のようなもので、喜びを手にするためには、その前に試練を乗り越えなくてはならないということです。
と、いうことで、僕は自らスケジュール調整を行い、今日より5日間は取材を入れないようにしました。
そして自分にかせた5日間の掟(おきて) とは・・・
①仕事部屋を出て良いのは、トイレと食事と入浴のみとする。
②外出して良いのは、1日1回コンビニへ酒とタバコを買いに行くことと、夕方の犬の散歩のみとする。
以上の条件のもと、いよいよ第1日目がスタートしました!
ところが、今現在、1行も原稿が埋まっておりません。
ヤル気だけは満々なのですが、エンジンがまだ・・・暖まっていないというか・・・調子が出ないというか・・・
本日の午前中は、現在抱えている連載と依頼原稿の片付けに追われてしまいましたとさ。
だって、新しい執筆に取りかかるのに、書きかけの原稿があるのって、気持ちが悪いものですよ。
これら4本の原稿をすべて仕上げて、メールにて送信!
昼を迎えました。
午後は、余裕のスタートです。
「さて、原稿を書く前に、資料にひと通り目を通しておこうか・・・。と、その前に、小堺くんの番組でも見て・・・」
なーんて、テレビ番組表を見ると、
「おお、『午後のロードショー』 で面白そうな映画をやってるじゃん」
と、またもや誘惑に負けてしまい、見始めたのですが、
「やっぱB級映画だね、つまんないなぁ~」
と1時間ほどでテレビの電源をオフに。
いよいよ、仕事モードへ突入です。
ところが、温泉史や町史、取材してきた資料を広げて眺めているうちに、すい、すい、睡魔が~!
と、いうことで、昼寝タイムを取ることにしました。
ほんの仮眠のつもりだったのですが、仕事場にはベッドがあるもので、気が付いたら熟睡しておりました。
あれあれ、もう、こんな時間だ!
猛暑もおさまり、やっと外も涼しくなってきましたよ。
ワンワン、ワ~ンって、階下から愛犬マロ君が 「早く散歩へ連れて行け」 って、呼んでいます。
そんなわけで、散歩から帰ると、もう夕食の時間となり、食後のコーヒーを楽しんでいたら、もう、こんな時間です。
ああ、なんだか自分でも情けなくなってきましたよ。
いったい、いつになったら本気を出して執筆活動に入るんでしょうかね。
先が思いやられますが、必ず秋には、みなさんのもとへ、本をお届けしますので、ご心配なく!
2012年07月18日
野栗沢温泉 「すりばち荘」②
今日は、2年ぶりに上野村にある群馬県最南端の温泉、野栗沢(のぐりざわ)温泉の一軒宿 「すりばち荘」 を訪ねてきました。
宿は名前どおりの、V字谷のすり鉢の底にあります。
山を1つ越えれば、埼玉県です。
とにかく僕は、ご主人の黒沢武久さんに、一日も早く会いたかった。
今年の春に、奥様を亡くされたと聞いていたから ・・・
でも、今日、久しぶりに会って、少し安心しましたよ。
以前と変わらぬ、明るい笑顔を見せてくれたもの。
だけど、少しやせたかな……?
「女房が死んでから10キロもやせちゃったよ。間食をしなくなっちゃったからね」
と言います。
以前は、仕事がひと段落するたびに、女将さんとお茶しながら、お菓子をつまんでいたんだそうです。
それが、夫婦のかけがえのない時間だったのですね。
昔から野栗沢の湯は、アトピー性皮膚炎に効くことで有名で、全国から 「治った」 「ありがとうございます」 といった感謝の便りが今でも寄せられています。
ご主人が、その温泉水を使い業者に頼んで作らせた石けんが 『薬師の湯 伊久海 (いくこ) の石けん』 です。
「いくこ」 とは、女将さんの名前なんです。
それほどに奥様を愛されていたということ。
だから、まだ悲しみの中にいるご主人に、これ以上、奥様の話なんて聞けませんって。
ときどき、淋しそうな表情を浮かべるんだもの。
話題を変えなくっちゃ、話題を変えなくっちゃって、話をしながら、ずーっと考えていました。
「ご主人、一緒に風呂に入りましょう!」
と、いうことで、2人で裸になって、野栗沢川を見下ろすヒノキ風呂の湯舟の中へ。
本当だ、ご主人、やせちゃったね。
2年前に雑誌の取材で泊まったとき、パンツ一丁で浴室掃除をするご主人を撮影したのであります。
今、その雑誌を広げて見ると、ポッコリお腹が出ているし、顔もふっくらしているものね。
「はーい、2人、もっと近寄ってください。目線だけ、こっちへください」
カメラマンの声に、にっこり笑いながら寄り添う、裸のご主人と僕。
ご主人、元気を出してくださいね。
息子さんと力を合わせて、これからもアオバトが見つけた魔法の泉を守り続けてください。
(※アオバトが見つけた魔法の泉については、当ブログの2010年7月10日「野栗沢温泉 すりばち荘」を参照ください)
2012年07月17日
温泉講座、本日開講!
あつい!
とにかく暑~い!
今日の前橋市の最高気温は、38.2度です。
そんな中、温泉療養研究所主催による温泉講座 『必ず行きたくなる群馬の温泉』 が、前橋プラザ元気21の会場にて、元気に開講いたしました。
この講座は、3回(3日間) にわたり開催されるセミナーで、3回とも僕が講師を務めます。
第1回目の今日は<初級編>として、「温泉とは何か? 温泉の歴史」 をテーマに90分間の講話をしてきました。
いやいや、みなさん、このクソ暑い中、よくぞ集まってくださいました。
僕は、すでに会場の準備段階から暑気にあたってしまい、クラクラ~フラフラ~とめまいを起こす寸前状態で、みなさんをお待ちしていたのであります。
いくら省エネだ!節電だ!と言っても、大切な受講者のみなさんが熱中症になられてしまったら、主催者側の責任問題ですからね。
そこは、エアコンの設定温度を可能な限り低めにセットして、みなさんをお迎えしましたよ。
で、受付でお話を聞くと、結構このブログを見て来てくださった読者の方がいましたね。
さながら、オフ会のようでした。
「えっ、あなたが○○さんですか?」
といった驚きの連発でした。
でも、ありがたい限りであります。
だって、日々勝手放題にブログを書いているだけなのに、こうやって平日の日中に仕事を休んで(?)、または抜け出して(?)、講座を受けに来てくださるのですから!
つくづく、読者あってのライターなのだと実感した次第であります。
ブログのほかでは、フェイスブックでの告知や新聞記事を見て来られた人が多かったようです。
お子さん連れで来られた人、はたまた 「交通費のほうが高くついてしまいました」 と東京から来てくだった人もいましたよ。
みなさん、本当に本当にありがとうございました。
で、1回目の講座は、いかがでしたか?
初級編といっても、温泉の歴史から温泉地の成り立ち、古くから湧き続ける温泉と日帰り温泉の違いや泉質の違いについて、お話しをさせていただきました。
雑誌や新聞、ましてはテレビの旅番組などでは、滅多に聞かれない温泉裏話だったと思います。
さて、いよいよ次回は、<中級編>「知られざる群馬の温泉 その魅力について」 であります。
わずかですが、若干のお席が残っています。
2回目からの受講も可能ですので、興味のある方は、事前にお申し込みください。
温泉ライター 小暮淳の温泉講座
『必ず行きたくなる群馬の温泉』
●開講日 2010年 7月31日(火) <第2回 中級編>
8月 7日(火) <第3回 上級編>
各回とも 13:00~受付 13:30~15:00
●会 場 前橋プラザ 元気21 5階 56学習室
群馬県前橋市本町2-12-1
●受講料 各1回 2,000円(テキスト代込)
●主 催 温泉療養研究所
●企 画 Applice
●申し込み・問い合わせ 温泉療養研究所
TEL.027-289-5507
2012年07月16日
逃げるが勝ち!
もう、うんざりです。
連日報道されている 「いじめ」 と 「自殺」 のニュース。
学校や教育委員会の態度も、腹立たしい。
そして、延々と繰り返される 「いじめ」 と 「自殺」 ・・・
僕の子どもの頃も、「いじめ」 はありましたよ。
どちらかといえば、僕はいじめっ子のほうだったかな。
でも、いじめた子とも、よく遊んでいました。
でもね、身近にはなくても、隣のクラスや他の学校では、悪質な 「いじめ」 話はあったし、「自殺」 する子どももいました。
ただ、今のようにマスコミが騒がなかったから、地域ネタで終わっていたんでしょうね。
当然、問題の解決はされていなかったことでしょう。
本当は、テレビや新聞が騒いでいるように “真犯人” を見つけ出して、「いじめ」 自体を根絶できれば、それが一番の解決策なのでしょうが、現実は、なかなか思うようにはいきません。
だって、僕が子どもだった40年前から、何も変わっちゃいませんもの。
(オヤジが子どもだった70年前もあったそうです)
だったら、守るしかありませんよ!
誰がって?
そんなの親に決まっているじゃありませんか!
学校も先生もPTAも教育委員会も地域も社会も警察も守ってくれないんなら、親が自分の子を死に物狂いで守るのはあたりまえのことですよ。
くだんの自殺した中学生も、自分の親に 「学校へ行きたくない。休みたい」 って言っていたといいます。
これは、もうSOSのサインですよ。
僕は、3人の子どもを育てました(1名まだ養育中ですが)。
で、僕は常々、自分の子どもたちには 「嫌だったら、学校は行かなくていい」 と言ってきました。
(実際、今も末の子には、そう言っています)
義務教育といえども、学校は “組織” なんです。
組織は、万人に適応するようにはできていません。
必ず、はみ出す人間はいるんですよ。
だから、僕の我が子への教えは、「嫌なことからは逃げてもいい。ただし、好きなことからは逃げるな!」 です。
(おかげさまで、我が家の子どもたちは学校が好きだったようで、みんな皆勤賞をいただいています)
世の中のお父さん、お母さん、もっともっと子どもを見つめてあげましょう。
絶対に、サインを出してくるはずです。
もし、「いじめ」 が確認できたら、闘うのも1つの手ですが、もう1つの選択肢として、逃がしてあげてください。
転校させましょう。
そこでも、いじめられるかもしれません。
そしたら、「うちの子は組織に向かないのだ」 と、辞めさせましょう。
フリースクールをはじめ、人生の選択肢は何通りだってあるのですから!
大切な命を無駄にすることはありませんって。
2012年07月15日
フリーという生き方
『フリーという生き方』
なんていうタイトルの本を、いずれ書いてみたいと思っていたら、そのものズバリ同タイトルの本をすでに書いている人がいました。
フリーライターの岸川真さんという方です。
しかも、この本、「岩波ジュニア新書」 なのであります。
いわゆる子供向け(?) です。
おお、この不景気で、不安定な世の中で、失業者や生活保護者が増えているという時代に、フリーランスという生き方を子どもたちに指南する本があるとは、「大したものだ!」 と、思わず買ってしまいました。
本の裏表紙には、こんなPR文が書かれています。
「会社に就職することを選ばず、フリーランスとして山あり谷ありの仕事をしてきた著者が、人との関わり方、苦境の乗り越え方、仕事の見つけ方などを元気に語ります。」
このコピーの最後の部分、「元気に語ります」 に感動するとともに共感までしてしまいました。
いいですね、子どもたちに “山あり谷あり” の 不安定な仕事の “苦境の乗り越え方” を元気に教えちゃうんですよ!
同じフリーランスで生きてきた身としては、先に書かれてしまったという嫉妬(しっと)もありますが、同じ考えの代弁者がいたことのほうが嬉しかったのであります。
最近の子どもに、将来の夢や職業を訊くと、1位は 「公務員」 なんですってね。
ああ、世も末だって思います。
だって、「公務員」 なんていう仕事はありませんよ!
消防士になりたいとか、教師になりたいとかなら分かります。
でも 「公務員」 になりたいっていうのは、将来どんな仕事に就きたいのだか分かりません。
「将来の夢は、会社員です」 と言っているのと同じことです。
どちらも雇用や給料の形態であって、“職業” ではありませんって!
これでは、子どもたちは、夢を見ることを忘れてしまいます。
親や教師や大人たちが、ちゃんと “職業とはなんぞや” ということを教えてあげなくてはいけませんね。
で、『フリーという生き方』 の著者は、本の中で、こんな風に言っています。
「フリーという仕事はすっ裸です。会社という身を守る衣がない。
(中略)
だけど自由があります。将来の夢を見ること。自分の思いを通すことができること。これは大きい。この2つのために生きているといっても過言ではありません。」
どうですか?
すでに 「公務員」 や 「会社員」 になってしまった大人の人には、とっつきにくい本かもしれませんが、人生の選択本として、お子さんに読ませてみてはいかがでしょうか?
最後に、著者は、こんな言葉を読者へ投げかけています。
「人生は冒険です。どんな荒野でもジャングルでも踏破できるようになりたくはありませんか。僕はなりたい。」 と・・・
2012年07月14日
ジンタの響きに誘われて
なんで、そーなるの!?
取材に行っただけなんですよ。
なのにマイクで紹介されて、いい気になって、図に乗って、ついに歌まで歌ってしまいましたとさ・・・
今日は、某紙の依頼取材で、みなかみ町の月夜野まで行ってきました。
場所は、町立の幼稚園です。
ここで行われているPTA主催のバザー&イベントに、「高崎チンドン倶楽部」 が呼ばれて演奏を行っているというので、その様子を取材していたのであります。
最近では珍しい、温泉ネタ以外のフリーライターとしての仕事です。
座長へのインタビューは、演奏が終わってからすることにして・・・
それまでは、のんびりと園庭の隅で、見物してればいいや・・・
なーんて、休憩モードで、ぼんやりと眺めていたのです。
そ、そ、そしたらーーーー!
いきなり司会者が、
「今日はゲストをお呼びしています。温泉ライターの小暮淳さんです。さあ、拍手でお迎えくださ~い!」
なんて紹介するものだから、ビックリするやら、戸惑うやらで、あたふたしてしまいましたよ。
でも、そこはプロです!(何の?)
マイクを受け取ると、園児と父兄たちに、ちゃんとあいさつをして、
「それでは聴いてください。 『GO!GO!温泉パラダイス』 湯の国群馬県編です」
と、ちゃっかり、チンドンの演奏に合わせて、自分の歌を歌ってしまったのでした。
では、なんで、即興で、事前の打ち合わせなしに、いきなり演奏と歌が始められるのかって?
実は、僕と 「高崎チンドン倶楽部」 の座長は、旧知の仲なのであります。
以前から、高崎の 「人情市」 をはじめ、いくつかのイベントで僕のバンド 「じゅん&クァパラダイス」 とは、コラボレーションをしているのでした。
また、僕が作曲した 『GO!GO!温泉パラダイス』 については、2010年11月に開催された「全国アマチュアちんどん競演会 in 前橋」にて、出し物として演奏。僕もゲストで共演して歌い、ななな~んと! 優秀賞(第3位) を受賞してしまった楽曲なのであります。
ま~、取材に行ったとはいえ、かつて共演した僕が会場にいたのですから、座長が機転を利かせてサプライズ演奏を指示したんでしょうな。
それにしても、まさか取材先で、歌を歌うとは、夢にも思いませんでした。
ジンタの響きに誘われて、思わず浮かれてしまったようです。
でも、楽しかったですよ。
高崎チンドン倶楽部さん、また、うちのバンドとコラボしましょうね!
2012年07月13日
温泉講座参加者のみなさんへ
チラシや新聞発表、そしてこのブログでも紹介してきた 「温泉ライター 小暮淳の温泉講座 『必ず行きたくなる群馬の温泉』」 の会場名を 「前橋元気プラザ21」 と表記してきましたが、正しくは 「前橋プラザ元気21」 だったのですね。
今日、会場の下見を兼ねて、主催者との打ち合わせに現地へ行って、初めて間違いに気づきました。
訂正して、お詫びを申し上げます。
(大した違いではありませんが、気にする人は気にするでしょうから・・・ゴメンナサイ)
で、車で会場へ行ってみて、ビックリ!
「前橋プラザ元気21」 に併設されている北側の立体駐車場が、工事中で閉鎖されているのです。
これは、参った!
それも1ヶ月間も工事が続くといいます。
となると、3回の温泉講座日は、すべてアウト!ということになります。
受講者のみなさんには、大変ご迷惑をおかけしますが、お近くの駐車場(有料)を利用していただくか、代替の市営駐車場(2時間割引)をご利用ください(下記参照)。
よろしくお願いいたします。
会場となる5階56学習室は、とても清潔感のあるキレイな部屋でしたよ。
当日は、受け付けにて、著書の販売もいたします。
みなさん、お気をつけてお越しください。
会場にて、お待ちしてま~す!
<前橋プラザ元気21 北駐車場>
一時閉鎖のお知らせ
前橋プラザ元気21の北側駐車場の工事に伴い、7月9日から約1ヶ月間駐車場を閉鎖します。
つきましては、車でお越しのお客様は、下記の市営駐車場をご利用ください。
<代替市営駐車場>
・市営パーク5番街
・市営パーク千代田
・市営パーク城東
・前橋中央駐車場
※駐車券をお持ちください。証明サービスコーナーで2時間の割引処理を行います。
※上記以外の駐車場をご利用された場合は割引処理ができません。
●問い合わせ/前橋にぎわい商業課 TEL.027-210-2273
2012年07月12日
おかしなクレーム
僕の場合、実名と素顔をさらけ出して仕事をしているので、時として、見知らぬ人から、思わぬことを言われることがあります。
街を歩いていたり、スーパーで買い物をしいてるときに 「温泉ライターの小暮さんですか?」 と声をかけられたり、突然、目の前に僕の本を出して 「サインください」 と詰め寄られたこともありました。
でも、これらは “ライター” という仕事の業務内であります。
プライベートがない、と言えばそれまでですが、少なからずや、このような熱心な読者がいるおかげで、今日、僕はこうやって、まがいなりにも文筆業を生業としてやれているわけですから、感謝こそすれ、決して迷惑だなんて思いませんよ。
当然、思わぬことを言われるのは、良いことばかりとは限りません。
ときには、クレームをつけてくる輩(やから)だっているでしょう。
そんな場合は、甘んじてすべて受け入れようと思っています。
それゆえ、できるならばクレームはもらいたくないので、取材する場合は、きっちりと納得がいくまでやっているつもりです。
“名文よりも、真実を”
これが、ライターとしてのモットーです。
上手な文章を書くことに力をそそぐくらいなら、自分の「目で見た」「心で感じた」ことに忠実でありたいのです。
だから、座右の銘は “現場百遍” です。
真実を書いていれば、どんなクレームに対しても、対処ができるというものです。
実は今日、僕の本の出版元より、1本の電話がありました。
「小暮さんに言いたいことがあるから、伝えてほしいという読者からヘンな電話があったんですよ」
編集者も、かなり困惑している様子でした。
話を聞くと、なんともおかしなクレームの内容です。
「○○温泉のホテル××は、小暮さんは取材をせずに本を書いています!」
という、タレコミだというのです。
当然、編集者も僕の取材の仕方は知っていますから、「そんなことはありませんよ。必ず取材して書いていますよ」 と伝えたらしいのですが、今度は 「△△温泉の□□館は、宿泊を断られた」 と、お門違いの文句を言い出したというのです。
困ったものです。
○○温泉のホテル××は、著書の中でも、ちゃんと僕の入浴シーンが写っているのですよ。
しかも、本の取材以外でも雑誌の取材やプライベートで、過去に何回も宿泊しているホテルです。
社長も息子さんも、お会いして、話を聞いています。
まったくもって、何を根拠に、そんなことを言っているのだかわかりません。
△△温泉の□□館に宿泊を断られた件については、著者には一切関係ないことだと思うのですが、いかがなものでしょう?
結局、編集者も 「とりあえず、こんな読者からの電話があったということを伝えただけですから、気になさらないでください」 とのことでした。
声の主は、中年の女性だったといいますが、いったい僕に、何を伝えたかったのでしょうか?
実に、おかしなクレームです。
2012年07月11日
猿ヶ京温泉 「スポーツ民宿 ふじや」
“終わりのない旅はない”
そう、つくづく感じています。
今秋、出版予定の本の取材のことです。
今日、36軒目、最後の温泉宿の取材を終えました。
昨晩は、猿ヶ京温泉の最西端の温泉宿 「ふじや」 に泊めていただきました。
宿の前は、かつて上杉謙信も通ったという旧三国街道。
江戸時代には、参勤交代の行列も通った宿場跡です。
現在は、国道が上に通ったため、宿の前の道は行き止まり。
昔ながらの宿場町風情を残しながら、猿ヶ京温泉の「民宿通り」と呼ばれています。
「湯の町」 と呼ばれる国道北のエリアに比べると、静かで、のどかな自然に囲まれた情緒のある町並みが続いています。
体験学習やスポーツ合宿ができる民宿が集まっているのも特徴です。
「ふじや」 は、その中心となるスポーツ民宿です。
ななな、なんと! 3つも専用体育館を所有しているのですぞ!
すべて見学しましたが、とにかくデカ~イ!
おまけに温泉付きだなんて、今の学生は恵まれているの~!
この地区は温泉が豊富で、民宿はもちろん、一般民家でも温泉が引かれています。
昨日は、先週に引き続き、グラビアの撮影に同行しました。
カメラマンは、ご存知、拙著 『あなたにも教えたい 四万温泉』 の表紙を撮ったフリーカメラマンの酒井寛氏です。
昼間は、かつて赤谷湖に水没する前にあった旧湯島温泉跡地(付近)に造られた「カッパ広場」や、周辺の「駒形峡」、「縁結びの滝」などをロケ。
日没から夜にかけては、某旅館の露天風呂をお借りして、薄暮に浮かび上がる幻想的な湯けむりと山並みの風景を撮影しました。
「カンパーイ!」
「お疲れさまでした」
「全部、終わった~!」
撮影を終え、宿で待っていたディレクターのK氏と合流。
遅い夕食をとりながら、すべての取材および撮影が終わったことをねぎらい合って、思いっきり祝杯を挙げました。
ああ、終わりのない旅はないのであります。
でもね、大切なのは、これからなんですよ。
旅の想い出を、すべてまとめなくてはなりませんものね。
さーて、いよいよ年に1度の温泉ライター名物 「カンヅメ」 に突入で~す!
お盆までには、肉体的にも精神的にも解放され、遅い夏休みを迎えている予定です。
そして、秋には、皆さんのもとへ、待望の新刊をお届けします。
乞う、ご期待くだされ!