2016年07月31日
サラリーマンの垢
僕は29~36歳までの7年間だけ、会社勤めをしたことがあります。
それ以前は?
ええ、まあ、なんといいますか、世間からはフリーターとか呼ばれていましたが、自分では “専業主夫” と名乗っていました。
炊事、洗濯、掃除、育児…、すべてこなしていましたよ。
「イクメン」 なんていう言葉が、まだ無かった時代です。
先取りしていたのかって?
いえいえ、ただジョン・レノンにあこがれていただけであります。
で、36歳の時、会社を辞めて、フリーの文筆業に転身したときのことです。
すでに作家活動をしていた人生の先輩に相談したところ、こんなことを言われました。
「一度付いたサラリーマンの垢(あか) は、なかなか落ちないぞ! 落ちるまでに、丸々付いた年数はかかるからな。それだけは覚悟しておきなよ」
その先輩は、9年間のサラリーマン生活を経て、作家の道へ進んだのですが、9年間は長年身に付いてしまった組織の呪縛から逃れられなかったといいます。
最初は、なんのことを言っているのだか、まったく分りませんでしたが、いざ自分が組織を離れてみると、徐々に意味を知ることになります。
まず、平日の昼間に自宅に居ることへの罪悪感との葛藤!
そして、毎月々、決まった収入が入らないことへの不安!
その中で仕事を増やしつつ、なおかつ、クリエーターとしての質の向上を求め続ける試練!
いかにサラリーマンが、守られていたかを痛感しました。
その守られていた呪縛の期間が長いほど、呪縛から解けるまでの期間も長いということです。
まさに先輩の言うとおり、僕も胸を張って 「フリーライターです」 と言えるようになるまで、優に7年はかかりました。
あれから20数年。
今では、サラリーマンをしていた頃の自分が他人のように思えます。
「類は友を呼ぶ」 といいますが、気が付けば現在付き合いのある友人、知人はみんなフリーランスの人間ばかりです。
サラリーマンの知り合いは、たまに会う昔の同級生くらいのもの。
その同級生たちは、あと2年で定年退職を迎えます。
「小暮は、いいよな。定年が無くて」
「その代わり、死ぬまで働かなくてはならないよ」
同窓会やクラス会では、そんな会話が聞かれる年齢になりました。
「退職したら、どうするの? 再就職も考えているの?」
僕のほうが、彼らのこれからの人生に興味津々です。
「今まで、やりたくてもできなかった好きなことをして暮らすよ」
とは、うらやましい限りです。
でもね、僕には、その発想がよく分かりません。
だって、やりたいことがあったのに、なんで今までしてこなかったのですか?
それって、定年退職しないとできないことなんですか?
ということは、お金と時間さえあれば、誰でもできることなんですか?
何よりも、自分の好きなことをやらずに40年近くも我慢していたなんて、その忍耐力に完全脱帽してしまいます。
そして思い出すのは、先輩の言葉です。
サラリーマンの垢を落とすのには、同じ年数かかるということ。
60歳+約40年=!
頑張って100歳まで生きないと、垢は取れませんね。
2016年07月29日
おじいさんが転んだ
「斉藤です。ぺっ!ぺっ!」
人気のお笑いコンビ 「トレンディエンジェル」 のギャグを盛り込んだ 『斉藤さんゲーム』。
イケメン俳優、綾野剛のCM効果もあり、ブームになりました。
その第2弾が、先日発表されました。
新ゲームのタイトルは、『斉藤さんが転んだ』。
要は、「ダルマさんが転んだ」 の斉藤さんバージョンです。
なんだか、これも流行りそうな気配であります。
そんな折、うちのオヤジが転んでケガをしました。
91歳、認知症、要介護認定2のボケ老人であります。
目も見えず、耳も聴こえません。
なのに、家の中では何不自由なく暮らしているんですけどね。
散歩の途中で転倒したようです。
それもアニキが一瞬、目を離したすきに。
脇を通り過ぎた車の風圧に、よろけたようであります。
「骨折もなく、大した事はない」 と聞いていたので2日後に会いに行きました。
「じいさんは?」
「2階にいると思うよ」
「転んだんだって?」
「うん、かわいそうにね。手の腫れは引いたけど、顔がアザになってるよ」
89歳、要介護認定2の手足に障害を持つオフクロが、ベッドの中から返事をしました。
はたして、2階のオヤジの部屋へ行くと……
「アッハハハ! なんだ、その顔は?!」
座椅子で、うたた寝をしているオヤジの顔を見て、思わず吹き出してしまいました。
だって、ケンカで殴られたマンガのような顔をしているのです。
左目ののまわりに、黒い輪ができています。
転んだ時に、顔を地面に打ち付けたようです。
「じいさん、その顔どうしたん?」
「うん?」
「転んだんだって? 痛くないんかい?」
「誰が転んだんだい?」
「じいさんだよ。散歩の途中で」
「オレがかい?」
「そーだよ、痛くないん?」
「痛くない」
本人は、すでに転んだことも、痛かったことも、記憶にないようです。
「散歩、行こうか?」
「うん、行くよ。連れてってくれるのかい?」
「ああ、行こう。もう、転ぶなよ」
「オヤジと散歩に行ってくら(来るよ)」
「ダメだよ。イヤだよ。お父さん、また転ぶよ」
と心配するオフクロに、
「絶対に手は離さないよ。本人も転んだことは忘れているし。大丈夫だよ」
僕は、そう説き伏せました。
「じいさんは、散歩が好きだね?」
「ああ、楽しいからね」
「そうだよね。楽しいものね」
何度転んでも、好きな散歩だけは、続けさせてあげようと思います。
2016年07月27日
尻焼温泉 「ホテル光山荘」②
<それでも湯は熱いのだが、不思議とクールな浴感であることに気づいた。まるでミントの入浴剤に入っているような清涼感である。その感覚は、湯から上がっても変わらない。体が火照ることなく、汗も噴き出さない。なんとも涼しい湯である。>
(『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) より)
昨日は月に1度の野外講座日でした。
僕は8年前からNHK文化センターのカルチャー教室で、温泉講座の講師をしています。
平成28年度の7月講座は、尻焼温泉(群馬県中之条町) へ行ってきました。
川が露天風呂になっていることで有名な、群馬を代表する秘湯であります。
「先生、昔ここは新花敷温泉っていってましたよね」
バスを降りて、長笹沢川に架かる 「尻明(しりあき)橋」 を渡っている時に、年配の受講生が話しかけてきました。
「よく、ご存知ですね。尻焼(しりやき) の名を嫌った時代があったんですよ」
温泉の発見は古く、嘉永7年(1854) の古地図には、すでに記されています。
村人たちが利用していたらしいのですが、入浴よりも主に “ねどふみ” という作業に利用していたようです。
“ねどふみ” とは、この土地に生える菅(すげ) や萱(かや) などを川底から湧き出す温泉に浸して、足で踏んでやわらかくする作業のことです。
その菅や萱で編んだ草履(ぞうり) や筵(むしろ) は、丈夫で水に強くて通気性も良いため、農作業や家庭で大変重宝されたといいます。
ちなみに “ねどふみ” の 「ねど」 とは、温泉に草を寝かせる所の意味だそうです。
この地に温泉旅館が建ったのは、昭和元年(1926) のこと。
手前にある花敷(はなしき) 温泉で経営していた関晴館本館が、別館として新築開業したのが始まりでした。
※(現在、本館は廃業し、別館のみが営業しています)
花敷温泉が古くから開けていたのに比べ、なぜ尻焼温泉の開発は遅れたのでしょうか?
これには諸説ありますが、道が急峻だったことと、温泉のまわりにヘビがたくさん生息していて、人々を寄せ付けなかったからだといわれています。
また一時、「尻焼」 の文字を嫌って、温泉名を 「尻明」 や 「白砂(しらす)」、「新花敷」 などと名乗った時代がありました。
ちなみに「尻焼」 とは、川底に座ると、尻が焼けるように熱くなるからです。
現在、尻焼温泉には3軒の宿がありますが、今回は唯一、自家源泉を保有している「ホテル光山荘」 にお世話になりました。
冒頭の文章は、僕が6年前に著書の中で書いたものです。
“湯上がりに汗が出ない不思議な清涼感” そんなコピーまでタイトルに付けました。
「小暮さんの本を読んだ方が、湯の検証に来られますよ。みなさん、本当だ!って感動して帰られます」
とは、出迎えてくれたオーナーの小渕哲也さん。
はたして、今でもそうでしょうか?
受講生たちも興味津々です。
源泉の温度54℃と高温です。
それが加水なしでかけ流されているのですから、熱い!
ので、備え付けの “湯かき棒” で、かき回しながら湯をもんでやります。
すると、さっきまでは足しか入れなかった体が、スーッと湯の中に入っていきます。
それでも湯は熱いのですが……
あとは冒頭の文章のとおりです。
湯上がりが爽快な、まさに夏にピッタリの温泉であります。
「先生、本当だ!」 「汗が出ないよ」 「さわやかだね」
受講生たちの声が、浴室に響きます。
これぞ、生きた講座なのであります。
2016年07月25日
ハチ難去ってまたハチ難
「おとう、ハチがさぁ……」
「えっ、ハチだ~!?」
僕は、もう “ハチ” という言葉を聞いただけで、全身に悪寒が走るのであります。
完全なるハチアレルギーになってしまいました。
※(理由は昨日のブログ 『小次郎も死んだのさ』 を参照)
昨夕、四万温泉から帰った僕に、高校生の次女が突然、言い出しました。
「ハチが、なんだよ?」
「ハチがさぁ、そこに巣を作ったよ。こんなに大きいの」
「ウソだろ?」
「自分の目で見てくりゃいいじゃん。取っといてよね。コワイんだから!」
恐る恐る庭に出ると、ベランダの下、ちょうど娘が自転車を止めている真上に、直径10cmほどのハスの実型したハチの巣を発見!
そのまわりに、ビッシリとハチが張り付いて、何匹かは飛び回っています。
アシナガバチです。
ああ、昨日はスズメバチで、今日はアシナガバチかよ…
ああ、なんかオレって、“ハチ難の相” があるのかなぁ…
なんて言いながら、頭の中では撃退の戦略をあれこれと考えていたのであります。
「わかった。明日退治しておくから」
と娘には伝えたものの、あまり自信はありません。
でも、プロの駆除業者を呼ぶほどでもないし、困ったものです。
そして今日、決戦の時は来ました。
まずは、いつでも逃げられるように逃走経路を確保し、片手に殺虫剤を持ち、片手にはうちわを握り締めて、敵陣地へと攻め込みました。
シューーーー!
と、ひと吹きすると、何十匹ものアシナガバチが一斉に散りました。
襲いかかって来るかと、うちわで防御しますが、全匹空へと舞い上がり消えて行きました。
「今だ、チャンス!」
とばかり、巣に向けてジェット噴射をお見舞いしてやりました。
数時間後、巣の下に行って見ると……
ゲッ、ゲゲゲーー!
自転車置き場の床一面に、白い物体がウヨウヨ動いています。
そう、ハチの幼虫です。
殺虫剤が効いて、巣からみんな落ちたようです。
親のアシナガバチも戻ってくる気配はありません。
あっ気ない終わりでした。
その後、巣も叩き落とし、完全勝利を収めました。
「ハチ、退治しておいたからね」
「サンキュー」
「そんだけ?」
「えっ、ほかに何を言うの?」
今夜の僕と娘の会話です。
ま、いいか。
“親の恐怖、子知らず”であります。
どうかハチさん、もう2度と僕の前に現れないでくださいな。
2016年07月24日
小次郎も死んだのさ
♪ ハチのムサシは死んだのさ
畑の日だまり土の上
遠い山奥 麦の穂が
キラキラゆれてる午後でした
(『ハチのムサシは死んだのさ』 by 平田隆夫とセルスターズ)
今年も行ってまいりました!
四万温泉協会主催による 『レトロ通りの懐かしライブ』 です。
今年で第5回目を迎えたこの野外ライブ、初回からすべて出場しているのは我らがスーパーローカルオヤジバンドの 「KUWAバン」 だけであります。
※(今日の上毛新聞にライブの様子が掲載されました)
自他共に認める “晴れ男” なんですけどね。
過去4回は晴天の真夏日だったのに、昨日は初めて小雨がバラつき、気温も上がらず、ちょっと涼しめの陽気となりました。
それでも傘をさすほどではなく、無事に今年も大トリを務めさせていたださました。
観客のみなさん、主催者のみなさん、出演バンドのみなさん、ご苦労さまでした。
そして、お世話になりました。
そうそう、このブログを見て、遠路はるばる会場に駆けつけてくださった読者のWさん、Tさん、ありがとうございました。
で、事件はライブ終了後に起きました。
僕らのバンドは、全員がのん兵衛です。
ステージでも缶ビール片手に演奏するのが通例なんです。
もちろん、今回も全員がノドを潤しながらの演奏でした。
「お疲れさまでした!」
出番を終えてステージを下りたときでした。
僕は、残りのビールを一気に飲み干そうと、勢いよく口の中へ……
「うん?」
口の中に異物を感じました。
「なんだ?」
と、吐き出すと!
ハチです。
それも大きなスズメバチ!
「ギッ、ギェーーーーッ!!!!!!!」
死んでいます。
もし生きていたらと思うと、ぞっとしました。
確かにライブ中、ステージのまわりを数匹のハチがブンブンと飛び回っていたのです。
缶ビールの縁に止まっている姿も、見かけましたが、まさか中で溺死していたとは……。
これぞ、“飛んで酒に入る夏の虫”であります。
ハチもアルコールがお好きなんですなぁ~。
「もう、いないよな?」
と改めて、缶の中をのぞき込んで見ると……
「ギッ、ギェーーーーッ!!!!!!!」
2度目の戦慄が我が身を襲いました。
もう1匹、いるではありませんか。
彼も、琥珀色の液体の中で、プカプカと浮かんでいます。
先ほどのが 「ハチのムサシ」 ならば、お前は小次郎か!?
合掌!
今年はスズメバチが大繁殖しているらしいですよ。
みなさん、ご注意くださいね。
2016年07月22日
さかさクラゲの逆襲なのだ!
ナンセンス!
僕は怒っています。
経済産業省が、外国人に誤解されやすい案内表示用の図記号などを国際標準化機構(ISO) が定める図記号に統一するというニュースです。
その中に、温泉記号も含まれているといいます。
そう、僕らにはお馴染みの湯気が3本立っている、あのマークですよ。
古い人は、「さかさクラゲ」 と言ったほうが分りやすいですかね。
でもね、「さかさクラゲ」 とは良く言ったもので、磯部温泉(群馬県安中市) で発見された日本最古の温泉記号って見たことありますか?
湯気が長~いんですよ。
まさに、あれは逆立ちをしたクラゲの絵であります。
では、なんで、クラゲの足のように長いのか?
それは、記号が “源泉” を表しているからにほかなりません。
自然湧出する温泉の様子を表現しているのであります。
閑話休題。
話を温泉記号の国際標準化に戻します。
なんでも今の温泉記号は、外国人には炎に見えるようで、コンロやホットプレートと誤解され、料理店と勘違いされるからというのが、改訂する理由のようです。
ば、ば、ばかちん!
郷に入ったら郷に従え!
温泉は日本の文化なんだよ!
日本に来るなら、それくらい勉強してから来い!
と言ってやりたい。
でもね、東京オリンピックも近いし、国際化を目指すお役人の気持ちも分かりますよ。
人命に関わるものや緊急を要するもののマークは、確かに改善が必要です。
でも、温泉記号はどうでしょうか?
みなさんは、代替の図案を見ましたか?
クラゲの頭と湯気の間に、3人の親子と思われる人間が入浴しているマークなんです。
これでは公衆浴場じゃありませんか!!
わかりました!
だったら、こうしましょう。
温泉地は源泉を表した従来の記号、日帰り入浴施設はアットホームな改訂記号を使用するのです。
そのほうが、外国の人にも分かりやすいのではありませんか?
逆にこれで、歴史ある温泉地と日帰り入浴施設の住み分けができるというものです。
外国人だって、本当の日本文化に触れたければ、従来の温泉記号を探すはずです。
これは、さかさクラゲの逆襲なのだ!
これで、いいのだ。
2016年07月20日
伊香保温泉 「いかほ 秀水園」
こんな話を知っていますか?
昔々、500年以上前の室町時代のこと。
茂林寺(群馬県館林市) を開山した正通和尚が、榛名山のふもとの伊香保を一人旅していると、小脇に茶釜を抱えた坊さんと出会い、寺へ連れて帰りました。
彼は守鶴(しゅかく)和尚と呼ばれ、茶釜は福を分けることから 「分福茶釜」 と呼ばれるようになりました。
これは、有名な昔話の前世物語です。
後に、この話が元となり、茶釜に化けたタヌキが芸をするおとぎ話が生まれました。
宿に着くと、駐車場から玄関、ロビーへのすがら、茂林寺よろしく信楽焼きの大きなタヌキ像に出迎えられました。
なんで伊香保でタヌキなんだろう?
一瞬、そう思いましたが、すぐに僕は前世物語を思い出しました。
以前、取材で分福茶釜のルーツを追いかけたことがあったのです。
茶釜をあやつる守鶴和尚は、どこから伊香保へ来たのか?
調べると、吾妻郡東吾妻町に青竜寺という寺がありました。
そこには四角い顔をしていたため、四角和尚と呼ばれていた男がいました。
彼は茶釜で茶を沸かして飲むのが好きで、仕事をサボってばかりいたため、寺を追い出されてしまいます。
その時に唯一、持って出たのが茶釜でした。
これは取材後に分ったことですが、茂林寺の正式名は、なんと!青竜山茂林寺。
これは、偶然でしょうか?
そして、“四角和尚” と “守鶴和尚”
2人は、同一人物だったようです。
「よく、ご存知ですね。その逸話にあやかって、館内には招福狸が10体いるんですよ」
と3代目若女将の飯野由希子さん。
ということで、昨晩は “タヌキ探し” の一夜となりました。
元気狸、美人狸、アベック狸、長寿狸……
なかにはマイクを持ってカラオケを歌う芸能狸なんていうのもいたりして。
結局、10体すべてを見つけることはできませんでした。
というのも、いつものように湯上がりに酔っ払ってしまって、途中で探す気力を失ってしまったのであります。
10体すべてのタヌキを探すと、宿から素敵なプレゼントがあるようですよ。
ぜひ、挑戦してみてくださいな!
2016年07月18日
マロの独白⑯ 寄る年波
こんにちワン!
マロっす。
ここんちの飼い犬で、チワワのオスです。
年齢は、えーと……
先週、誕生日が来まして、10才になりました!
でもね、誕生日パーティーはありませんでしたよ。
いつものように、いつもの時間に、ドッグフードが出されただけなんです。
オイラの誕生日のことなんて忘れているみたいで、奥様はテレビのドラマに夢中だったし、次女のS様はスマホの画面に釘付けでした。
長男のR様くらいは、思い出して来てくれるのかな? と、ちょっぴり期待していたのですが、仕事が忙しいんでしょうね。それとも新婚さんだから、オイラのことなんて忘れちゃったのかな……。
でも、ご主人様だけは違いました。
しっかり、オイラの誕生日を覚えていてくださいましたよ。
散歩の途中で、
「おっ、そういえば今日はマロの誕生日じゃないか?」
「あ、はい。そうなんです」
「おめでとう。いくつになったんだい?」
「はい、おかげさまで満10才になりました」
「えっ、10才! もう、そんなに経ったかな~。そうか、Sが小学1年生の冬に来たんだものな。ちょうど10年だ」
「そうでございます。オイラは生後半年の冬に、ご主人様の家に引き取られたのであります」
「ていうことはさ、マロって、人間でいったら、いくつになるわけ?」
「……(ご主人様のイジワル。知っているくせに)」
「60歳、過ぎているんじゃないの?」
「そのへんは微妙でございますよ。60歳くらいということで、ご主人様と同世代でございます」
すると、ご主人様ったら急にケラケラと笑い出すんです。
「来た時はガキだったのにな。いつものまにか俺と同い年かよ。ていうことはさ、来年は年上っていうことだな。よっ、マロ先輩!」
そして、オイラの口をのぞき込み、
「ちょっと、イーしてみな」
と歯茎をめくり上げたのであります。
「ギャハハハ~、お前、歯が無いじゃねーか! 俺のほうがあるぞ。完全にマロのほうがジジイだな」
そう言って、うれしそうにリードを引っ張りだしたのでした。
近年はペット事情も深刻なようでして、高齢化が進み長生きする犬や猫が増えているみたいですね。
小型犬の寿命は、15年くらいかしらん。
あと5年か……。
もっともっと、ご主人様たちと一緒に暮らしていたいけれど、たぶんオイラが先に見送られることになるんでしょうね。
でも、それまで一生懸命に、みんなの心を癒やしてやるだワン!
ご主人様、もしもオイラがボケた時は、お祖父さま同様、介護をよろしくお願いしますね。
2016年07月15日
伊香保温泉 「橋本ホテル」
“ステンドグラスの館へ、ようこそ”
そんなキャッチコピーを付けたくなりました。
湯元通りの坂道を上がり、紅葉の季節はライトアップされることで有名な河鹿橋を過ぎ、大露天風呂へ向かう途中。右手の森の中に、白いしょう洒な洋館がたたずんでいます。
いつも通るたびに、気にはなっていたんです。
レンガの階段を昇ったエントランスには、大きな八角形をしたステンドグラスの窓。
その手前には、やはりステンドグラスで作られた 「HASHIMOTO HOTEL」 の看板が。
フロントロビーに入っても照明の傘は、すべてステンドグラスです。
「私の趣味なんですよ」
と4代目女将の橋本廣子さん。
“趣味” と聞いて、てっきり僕はコレクションだとばかり思っていたのですが……。
2階のラウンジを案内された時です。
年季物の渋い、フクロウのステンドグラスを見つけました。
「これはまた、味があっていいですね」
と僕が訪ねると、
「これがステンドグラスを作るようになったきっかけだったんですよ」
「えっ、もしかして、今まで見ていたのはすべて手作りだったんですか!」
驚くやら、感心するやら、その完成度の高さに、プロの作品だとばかり思っていました。
なんでも女将が嫁いで来た時にあったステンドグラスだったようです。
創業は明治42年(1909)。
当時の写真を見ても、3階建てのオシャレな建物です。
初代が洋食のレストランとして開業。のちにホテルになったといいます。
明治時代に洋食ですよ!
伊香保の中でも、さぞかしハイソな客人たちが集ったことでしょうね。
昔の宿帳を見せてもらうと、外国人の名前ばかりでした。
と、その時、
「ここを見てください」
と橋本さんの指さしたページには……。
Yume Takehisa
1929年(昭和4年) に、画家の竹久夢二が泊まった時のサインです。
語り継がれるエピソードによれば夢二は、チキンライスを玉子でくるんだ料理(オムライス) が好きで、何度も訪れていたといいます。
いやいや、夢二らしい!
かなりのハイカラさんだったようですよ。
浴室にも大きなステンドグラスの窓がありました。
湯は伊香保伝統の 「黄金の湯」。
見た目は、うっすらとしたカーキ色でしたが、体を沈めると途端に沈殿物が舞い上がり、濃厚な茶褐色のにごり湯となりました。
熱からず、ぬるからず、いい塩梅です。
いつまでも湯の中で、ステンドグラスの幻想的な明かりを眺めていました。
2016年07月13日
伊香保温泉 「景風流の宿 かのうや」
「景風流」 と書いて、「ケーブル」 と読みます。
なんてシャレているんでしょうね。
一見、なんのことだか分かりませんが、宿に行ってみれば一目瞭然です。
駐車場からフロントまで、自家用のケーブルカーに乗って行く宿なのです。
伊香保では、もちろん。県内でも、ここだけ。
全国でも、大変珍しい温泉宿であります。
僕は昨日、20数年ぶりに 「かのうや」 を訪ねました。
当時、僕は雑誌の編集をしていて、毎年、会社の忘年会場が、ここの宿だったのです。
ケーブルカーは、すでにありました。
「そうでしたか、それはありがとうございました。当時は、まだ温泉街が賑やかな時代でしたからね。今は団体客を受けていないんですよ」
と5代目主人の大塚隆平さん。
聞けば、主人は僕と同世代。
ケーブルカーが設置されたのは平成元年で、ちょうど、その年に先代の後を継いで旅館に入ったといいます。
思えば、僕が会社に入社したのが前年の昭和63年ですから、ケーブルカーが設置されて、すぐに忘年会で泊まっているわけであります。
そんな思い出話をからめながら、じっくりと 「かのうや」 の歴史を聞いてまいりました。
創業は明治22年(1889)、120年以上の歴史がある老舗旅館であります。
でも僕が、そう言うと、ご主人は、
「いえいえ、うちなんて伊香保では、ひよっ子ですよ」
と笑います。
そうなんですね。伊香保には十数代目を数える老舗旅館が、まだまだありますからね。
でもね、120年以上もの歴史があっても、ひよっ子だなんて、伊香保って、知れば知るほど奥深い温泉なのであります。
ご主人の歴史話や源泉、温泉街にまつわる裏話を聞いていると、ますます興味が湧いてきて、徹底的に伊香保を調べてやろう!という気になりましたよ。
取材を終えれば、あとは温泉三昧が待っているだけです。
もちろん、湯上がりのビールと地酒も、もれなく付いていますけどね。
2016年07月11日
“介護殺人” だなんて
「だって体が動かないんだもの! ワァ~~!!!!」
オフクロが突然、気が触れたように大声を上げて泣き出しました。
オフクロは先月、満89歳になりました。
この数年は、脳梗塞や心筋梗塞、脳出血を繰り返し、言語障害や半身麻痺に苦しみましたが、リハビリの甲斐があり、今は車イス生活ではありますが、だいぶ回復しています。
会話も普通にできますし、段差のない室内の移動くらいなら、壁伝いに歩けます。
昨日の午後のことでした。
オフクロが、いつも生活している部屋にはクーラーがないので、気温が30℃以上になる日中は、クーラーのある隣の部屋に移動させています。
「いったん、着替えを取りに家に戻るけど、大丈夫かい?」
「私は大丈夫だよ。お父さんは?」
「2階で昼寝している。クーラーがついているから大丈夫だよ」
「だったらいいよ。早く帰って来ておくれよ」
「ああ、買い物もしてくるから、2時間くらい平気だよね」
「大丈夫だよ」
「トイレは1人で、行ける?」
「大丈夫だよ。行ってらっしゃい」
そう念を押して、僕は猛暑の中、実家を後にしたのでした。
ところが……
用を済ませて帰って来ると、オフクロがベッドの上で泣き叫んでいるのです。
「もう、限界だよ。早くトイレに連れてっておくれよ」
「だって、1人で行けるって言ったじゃないか?」
「何度も行こうとしたよ。でも体が思うように動かないんだよ」
「動いているじゃないか!」
「思うように動かないんだよ。ああ、もうイヤだよ。こんなのイヤだよ」
とりあえずオフクロをトイレに連れて行き、事なきを得ました。
でもね、僕も悪かったんです。
つい、カーッとなってしまって、
「そのくらい、できてくれなけりゃ、こっちも困るんだよ! 買い物1つ、行けやしないじゃないか!」
って、怒鳴ってしまったのであります。
でもね、介護って、年々重労働になって行くんですよね。
その間に、こっちも歳を取るわけで、仕事だってあるのです。
だもの全国には、親の介護のために離職する人が大勢いるわけですよ。
余儀なく、配偶者が面倒を看ている老老介護の家庭だって、たくさんあるわけです。
『2週間に1件』
これ、なんの数字が分りますか?
全国で起きている “介護殺人”の発生件数です。
介護に追われ、自由なき拘束時間、そして疲労……。
心がすさみ介護生活が破綻し、親や配偶者をあやめてしまう事件が後を絶ちません。
“介護殺人” を取り上げたテレビ番組には、「明日は我が身」 との同情の声が多数寄せられたといいます。
でもね、やっぱり僕には分りません。
投げ出したい気持ちは分かっても、殺したいとは決して思えないから。
だから、「介護」 という言葉と 「殺人」 という言葉が1つになった造語に、とても違和感を感じるのです。
“介護殺人” だなんて……
なんて、嫌な言葉なんでしょう。
2016年07月10日
12時間飲酒マラソンツアー
今年も参加してきました!
“12時間飲酒マラソン” に……
といっても、酒を飲みながら走る競技ではありません。
バスが出発してから帰るまで、ひたすら飲み続ける年に一度の無礼講の旅であります。
僕は10年以上前から、某社の社員旅行に毎年、呼ばれて参加しています。
今年の目的地は、信州・安曇野であります。
♪ でも、そんなの関係ねぇ~!
だって天気は、絶好の雨だもの!
観光が目的ならば “あいにくの雨” も、のん兵衛にとっては願ったり叶ったりの “恵みの雨” なのであります。
だって、これで観光なんてせずに、ひたすら飲み続けられるのですからね。
7時20分
JR高崎駅を出発したバスは、信州を目指します。
高速道路に乗り、幹事のあいさつが終わるやいなや、缶ビールや酎ハイ、ハイボールが一斉に配られ、プシュプシュとプルタブを引く音とともに、「カンパーイ!」の声が車内に響き渡ります。
10時30分
350mlの缶ビール2本と、紙コップの日本酒を2杯を飲み干した頃、「大王わそび農園」 に到着。
外は雨です。
♪ でも、そんなの関係ねぇ~!
園内を歩き回れないのであれば、することは1つ。
有志を募って、売店へ直行!
さっそく名物の 「わさびコロッケ」 と、これまた名物の 「わさびビール」 を注文。
コロッケは、ほんのり、わさび味でしたが、ビールはちょっぴり期待ハズレ。
色はグリーンなのに、味はふつうに美味しい生ビールでした。
「不味くってもいいから、わさびの味がしてほしかったですね」
とは、某社のY社長。
僕的には、酔えればなんでも、いいんですけどね。
11時30分
バスは街道沿いの、そば屋に到着。
昼は、信州そばをいただくことに。
でも、ここでも……。
Y社長が、一升瓶を持って登場です。
「うおぉぉぉぉ~!!」
と歓声の上がる中、1人ずつに地酒が振る舞われました。
食後は、「安曇野ちひろ美術館」 なんぞを見学して、最終目的地 「安曇野ワイナリー」 へ。
この頃になると雨は、ますます本降りに。
♪ でも、そんなの関係ねぇ~!
と、ぶどう畑を横目に、試飲コーナーへ直行!
白の甘口、辛口、赤の甘口、辛口と節操もなく、すべてを試飲。
「けっこう、試飲だけでも酔いますね」
と、バスにもどったY社長。
そう、僕と社長は、座席が隣同士なんです。
「用意したビールは全部終わってしまったようですよ。酒もないみたいです」
と、帰りの道中を心配する僕に、
「こんなことも、あるかと思いましてね。ちゃんとバッグに忍ばせてきましたよ」
と、日本酒を取り出す社長。
よっ、さすが、社長!
あんたは、偉い! 人間ができている!
というわけで、最後まで酒を切らすことなく、楽しいバス旅行を無事終えることができたのでありました。
R社の社員のみなさん、大変お世話になりました。
また来年も誘ってくださいね。
待ってま~す!
2016年07月08日
四万の夏ライブがやって来る!
四万温泉ファンのみなさん、お元気ですか!
あれから1年、また暑く熱い夏がやって来ますよ!
そう、野外ライブの季節です。
毎年夏に温泉街で開催される『レトロ通りの懐かしライブ』 も、今年で5回目を迎えます。
第1回から出演しているバンドは、何を隠そう、スーパーローカルオヤジバンドの我らが 「KUWAバン」だけなのです。
で、今年もゲストとして出演して、ステージのトリを取ることになりました。
なつかしの60年代オールデーズからグループサウンズメドレー、70年代フォーク、そして、オリジナルのご当地ソングなど、たっぷり歌いますよ。
過去4回は、すべて晴天の真夏日でした。
たぶん今年も、暑く熱いステージになることでしょう!
名湯・四万の湯に入り、夕涼み方々、浴衣にビールでお出かけください。
僕らもステージの上からビール片手に、お迎えしま~す!
では、みなさん!
四万温泉で会いましょう!!
『レトロ通りの懐かしライブ 2016』
●日 時 2016年7月23日(土) 11:00~16:45
●会 場 四万温泉(群馬県吾妻郡中之条町)
落合通り入口 「新湯横丁広場」
●出 演 一般公募によるアーティスト
※KUWAバンは16:00~の予定
●問 合 四万温泉協会 TEL.0279-64-2321
2016年07月06日
伊香保温泉 「和心の宿 オーモリ」②
玄関の軒下に、いくつも吊るされた鉢植え。
その下で、風鈴が揺れています。
この時季、伊香保温泉では各旅館が、夏の風物詩 「ほおずき」 を飾ります。
う~ん、風流ですね。
赤いほおずきの実にばかり目が行きますが、よく見ると可憐で小さな白い花が、けな気に咲いています。
しばらく足を止めて、見入ってしまいました。
オーモリさんを訪ねるのは、4年ぶりのこと。
前回は朝日新聞に連載していた 『湯守の女房』 というエッセイでの取材でした。
だから、その時にお会いしたのは、女将の大森典子さんだけでした。
※(当ブログの2012年9月3日 「伊香保温泉 和心の宿 オーモリ」 参照)
でも今回は、ゆっくり泊まっての取材と言うことで、3代目主人の隆博さんも同席してくださいました。
隆博さんは伊香保温泉協会長ということもあり、以前から会合や宴席などで、たびたびお会いしています。
また、女将は僕の友人の友人ということもあり、以前から親しくさせていただいています。
ということで、昨晩はサプラズゲストとして、ご夫妻と共通の友人2人が、駆けつけてくれました。
目的は、もちろん取材後の酒宴であります。
というか、どこまでが取材で、どこからが酒宴なのか分らないまま、生ビール→ワイン→冷酒と進み、宴もたけなわとなったときです。
カメラマン氏からの 「小暮さんが女性と飲んでいる写真を撮りたいので、場所を替えませんか?」 と提案。
食事処からパーティールームへ移動して、ちょっぴりアダルトな雰囲気の中、ハイボールを飲みながら僕と女将と女友達の3ショットの撮影会となりました。
もちろん、それだけでは終わりません。
カラオケのマイクが回り出し、リクエストにお応えして、ふだんは歌わないAKBやサザンなんかも歌ったりして、それはそれは大いに盛り上がったのであります。
気が付けば、時刻は午前様。
部屋に戻るとカメラマン氏が、
「こんなに楽しい取材は初めてですね」
と、ご満悦の様子。
これって取材なのかな?
って一瞬思いましたが、考えてみたら僕の温泉取材は、いつだって酒びたりなのであります。
いい湯、いい宿、いい酒。
そして、いい友がいてこそ、いい仕事ができるというものです。
(と、いうことにしておきましょう)
ご主人、女将さん、大変お世話になりました。
2016年07月04日
昨日 今日 明日
「私も小暮さんみたいに、将来はフリーランスで仕事をしたいんです」
先日、仕事で一緒になった20代の女性から言われました。
彼女は専門職に就いていますが、会社員です。
独立のチャンスを、うかがっているようでした。
「フリーは大変だよ。安定もしていないし、保障もないんだからね」
人生の先輩として、そう諭すと、
「でも、楽しそうじゃないですか!」
と彼女は、キッパリと言い放ったのであります。
良くぞ、言った!
若いのに、真髄を突いている。
そこを見抜いているところなんぞ、キミはフリーになる資格があるかもしれない。
そうなのです。
フリーランスで仕事をする特権は、ただ1つ。
“楽しいこと” なんです。
自分で仕事を決めて、自分でスケジュールを立てられる気ままさにあるのですから。
もし、フリーの人で、仕事が楽しくないと思っている人は、フリーになる資格がないということです。
だって、フリーから “楽しさ” を除いたら、人生の地獄ですぞ。
安定も保障もなく、ただ忙しいだけなんて……。
それでも、こうやって何十年とやって来られているのは、“楽しいから” にほかなりません。
「小暮さんは、どうしてフリーになろうと思ったんですか?」
興味津々の彼女が、どんどんと攻め寄ってきます。
なぜフリーになったか?
いい質問です。
これは、答え甲斐のある質問ですね。
だから僕も、本当のことを言ってあげました。
「同じ毎日が、大嫌いなんだ。昨日と今日、今日と明日が全部違う日じゃないとイヤなんだな。ただ、それだけの理由だよ」
すると彼女は大きくうなずいて、
「そうなんです。私も同じ毎日がイヤなんです!」
と、またもやキッパリと言い放ちました。
実に気持ちのイイ娘であります。
ますます彼女ならフリーランスで生きていけると思ってしまいました。
昔々、「仕事なんて楽しいものじゃないんだよ。会社に言われたことを黙ってこなしていればいいの」
そう言った上司の言葉が、トラウマになっているのかもしれませんね。
昨日と違う今日、今日と違う明日にするためには、
「毎日、好奇心を持って、ドキドキしながら仕事をしなさいね」
そう彼女に、人生へのエールを送りました。
「ハイ!」
と元気な返事が返ってきました。
2016年07月02日
喜びの沸点
「ありがとうございます。お世話になります」
昨日の夕方のこと。
ショートステイから帰って来たオヤジを実家の庭先で出迎えると、僕に向かって訳の分からぬことを言い出しました。
「お世話になりますだ? じいさん、何を言ってんだよ?」
「すみませんね。お世話になります」
「誰に向かって言ってるの?」
「……」
「分らないの?」
「……、はい」
オヤジは要介護認定2、生活するには不自由はありませんが、認知症が進んでいます。
数日間会っていなかったので、実の息子の顔を忘れてしまったようです。
「あなたの息子だよ」
「えーと、えーと、W(兄の名前) か?」
「それはアニキだよ。その弟だよ」
「弟? ……」
「忘れちゃったのかよ!」
「いま、思い出すよ。えーと……、なんて言ったっけかなぁ…」
「最初の文字は、“じ” だよ」
それでも分りません。
オヤジは考え込んでしまいました。
「じ、じ、じ……。“二郎” かな?」
「二郎だ~!!! そんな息子、いたかよ?」
「いないなぁ~」
「ジュンだよ、ジュン!」
「ああ、そうだ、そうだ! 俺の息子はジュンだった」
「忘れるなよな」
時々、あることなんですけど、これって結構、傷つくんですよ。
しかも今回は、アニキの名前は覚えていたわけですからね。
夕食を食べさせ、食器を片付けている時のこと。
「ごちそうさまかい?」
「はい、ごちそうさまでした」
「焼酎でも、飲むかい?」
「えっ、焼酎があるのかい? 飲むよ、飲みたいなぁ~」
「だったらクイズに答えられたら、あげます」
「クイズ? なんだい、それ?」
「では問題です。目の前のこの人は誰でしょうか?」
そう言って僕は、「チチチチチ…」 と秒読みを始めました。
「何をバカなことを言ってるんだ。ジュンに決まっているだろ!」
「では、あなたの何ですか?」
「俺の息子だよ。次男のジュンだ」
もう、それだけで充分なのであります。
当たり前のことが、当たり前に言ってもらえただけで、嬉しいのです。
「焼酎、いつもよりサービスしておいたからね」
認知症のオヤジといると、年々、喜びの沸点が低くなっていくのであります。
2016年07月01日
歌は世に連れ
淳子に昌子に百恵、ルミ子に真理に沙織……
往年のアイドルたちの歌声に酔いしれました。
珍しく昨夜は、仕事も一段落ついたので 「甦る歌謡曲 お宝映像発掘SP」(テレビ朝日系) なるバラエティー番組を観ながら、晩酌なんぞをしてしまいました。
気が付くと、一緒に歌っている自分がいるんですね(ハズカシ~!)。
御三家に新御三家、三人娘に新三人娘、中三トリオ……
60年代~70年代前半のアイドルばかりですから、懐かしいと思えるのは50歳以上の視聴者でしょうね。
僕にとっては小学生~中学生の頃ですから、ドンピシャ!夢中になっていた世代です。
「明星」 や 「平凡」 の付録(歌本) は、修学旅行やバス旅行には欠かせないアイテムでした。
不思議なものです。
思えば40年以上も昔のことなのに、歌を聴いていると当時の情景が鮮明によみがえってくるんですね。
桜田淳子が出てくれば、熱狂的なファンだったクラスメイトのM君のこと。
南沙織はK君、という具合に懐かしいニキビ面の悪ガキたちの顔が浮かんできます。
僕ですか?
当時、僕が好きだったのは新三人娘でも中三トリオでもありません。
ヒントは、デビュー曲 「芽ばえ」。
同世代の読者は、もうお分かりですね。
お姫様カットのロングヘアが可愛かった、麻丘めぐみちゃんでありま~す!
ま、そんなことは、どうでもいいんです。
何が言いたいのかといえば、感受性の強かった思春期に流行った歌は、すべて歌えるということ!
そして歌を聴くことにより、忘れていた思い出までもが次から次へと走馬灯のように現れては消えていきます。
歌は世に連れ、世は歌に連れ。
次回は、70年代後半~80年代前半の青春時代に聴いたアイドル歌謡をお待ちしています。
その時は、ハンカチを用意しておかなくてはなりませんね。
涙拭く木綿のハンカチーフを……