温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2011年06月30日

滝沢温泉 「滝沢館」

 前橋市内から一番近い “秘湯” と言われれば、真っ先に思いつくのは、やはり滝沢温泉の一軒宿「滝沢館」でしょう。

 我が家から車で約40分。
 近いということもあり、しばらく訪れていませんでしたが、今日、久しぶりに行ってきました。

 本の取材以来、2年ぶり。宿も環境も、ご主人も女将さんも、息子さんたちも、まったく変わっていなかったのが、嬉しいですね。
 震災の影響はあったものの、相変わらず全国から秘湯ファンが訪れているようですよ。
 (「滝沢館」は、日本秘湯を守る会の会員宿です)

 「北関東自動車道が開通してからは、茨城県からのお客さんが増えましたね」
 と6代目女将の北爪弘子さん。

 そうです、今日は新聞の取材で、女将さんのインタビューに行って来たのです。


 実は、僕と滝沢温泉との出会いは、とても古いんです。
 今からさかのぼること20年以上も前のこと。
 「滝沢館」が、最初に編集した雑誌のスポンサーだったため、僕は毎月雑誌を届けに通っていたのであります。

 その後、フリーになってからは、雑誌や新聞や本の出版等の取材でたびたびお世話になっています。
 でも、いつも話を聞くのは、主人の行文さんだったので、女将さんとじっくり話し込んだのは、長い付き合いの中で、今日が初めてでした。

 インタビューが終われば、もう、1分1秒たりとて我慢ができません!
 久しぶりの “変わり湯” を思う存分堪能したくて、露天風呂へ飛び出して行きました。

 「変わり玉」って、知っていますか?
 子供の頃、よくなめた、色が次々と変わるアメ玉のことです。
 まさに、ここの湯は、その「変わり玉」のように、次から次へと湯の色が変化する湯なのであります。

 源泉の温度は、約24度ですから、もちろん加温しています。
 でも、加温した湯を浴槽に溜めているのではありません。

 1時間かけて露天風呂に源泉を溜めて、4時間かけて沸かしています。
 この、手間をかけた湯守の作業が、摩訶不思議な色の変化を生み出しているのです。

 源泉水の色は無色透明。
 ですから、源泉を湯舟に張った状態では、透明です。
 熱を加え出すと、徐々に黄褐色ににごり出します。
 やがて、時間の経過とともに白濁し、半透明になり、最後は透明にもどります。
 でも、また源泉を注ぎ込んでやると、黄褐色へと変化していきます。

 今日も、いい感じに、湯が染まっていましたよ。

 マグネシウムの含有量が多いので、光の加減で一見、深い緑色に見えますが、体を沈めると、鮮やかなカーキ色であることがわかります。

 「うおおおお~、すごい色ですね」
 と、カメラマンのワタちゃんは、初めて見る湯の色にはしゃいでいます。

 「今日は、全然大丈夫でーす!」
 とは、今回はにごり湯のため、僕の股間が写らないから安心して足を開いて、リラックスして入っていても大丈夫ですよという意味です。

 露天風呂の隣には、2年前にはなかった見慣れない大きな壺(つぼ)が置かれていました。
 「源泉かけ流し 水風呂 24.5度」
 夏場限定の源泉風呂です。

 意を決して飛び込むと、これが気持ちいい!
 やがて、プチプチプチと、泡のつぶに体が覆われ出しましたよ。
 さすが、炭酸水素泉です。

 ついでに源泉を湯口からすくって、口に含んでみると……

 シュワシュワシュワーーーと、苦味のあるサイダーのような刺激が広がりました。

 実は以前、泊まった時に、この源泉で焼酎を割って飲んだことがあるんですよ。
 まさに、天然ハイボールであります。

 ぜひ、みなさんも、“シュワシュワ体験” をしてみてくださいな!
    


Posted by 小暮 淳 at 21:57Comments(3)温泉地・旅館

2011年06月29日

湯宿温泉 「湯本館」②


 “2つとして同じ温泉はなし”

 常々、そう感じているわけです。

 同じ泉質でも、みんな微妙に違いますし、同じ源泉でも日によって異なります。
 今回の大震災の影響を受けて、突然、湯がにごってしまった温泉もあります。
 湯量が増えたり、減ったり、温度が上がったり下がったり……
 まさに温泉は “生き物” なんだと感じざるをえません。

 でも、その1つ1つが湯の個性なんですね。
 だから、「熱い湯」というのも、充分、湯の個性に値すると思うんです。

 以前、ブログで高温泉入浴ランキングを載せましたが、そのとき僕が1位に挙げたのが、湯宿温泉でした。


 昨日は朝より、小型バスに乗り込み、今年3回目の温泉講座へ出かけました。

 今回は湯宿温泉の「湯本館」です。
 実は、湯宿温泉は、湯があまりにも熱いため、僕は講座の対象からはずしていたのです。
 ま、「熱くって、入れねーよ!」という受講者からの苦情が出るのは必至ですからね。
 なのに「一度、その熱い湯とやらに入ってみたい」というラブコールがかかり、仕方なく(本当は、僕が熱い湯がニガテなんです)暑い夏期に熱い温泉へ行くことになりました。

 開湯1200年、創業は600年前 という県内屈指の老舗旅館「湯本館」の21代目館主、岡田作太夫とお会いするのは、ちょうど1年ぶりです。昨年の6月に、本の出版取材でお世話になりました。

 湯本館の大浴場は、完全混浴です。
 脱衣所も一緒という、まあ、混浴難易度でいえば超A級であります。
 でも、いくら平均年齢が60歳以上とはいえ、おじさまとおばさまが講座で混浴するわけにはいきません。
 よって、午前は女性が、午後は男性と時間差で使用し、その間は外湯(共同湯)へ行くことにしました。

 湯宿温泉には6軒の旅館があります。これに対して外湯は4つ。
 これは、現在でも地元住民は風呂を持たない家が多いからです。
 よって普段は、カギがかかっています(先客がいて、カギが開いていれば、観光客も利用可)。

 旅館でかぎを借りて、男性陣は、いざ!「小滝の湯」へ。
 
 昨日の気温は、前橋市で34度強。
 みなかみ町の湯宿温泉でも、充分に30度は超えていました。

 やはり浴槽の湯は、期待通りの熱さです。
 水道の水を全開にして、恐る恐る入るものの、まさに苦行であります。

 受講生らも「うっ、うー」とか「おおおおお~」とか、誰もがうめき声を上げていました。

 それでも不思議なもので、徐々に沈んでいくと、体のほうが湯に慣れようとするんですね。
 キーーーンと頭のてっぺんに響くような浴感が、快感へと変わっていきます。

 湯上がりは、誰もが待ちきれず、昼食の前にビールを飲み出しました。
 もう、噴き出す汗が止まらんのですよ。

 「先生、私はホースを抱えて入りましたよ」
 「私は、ついに肩まで沈めませんでした」
 等々、女性陣も悪戦苦闘の様子。

 岡田さんによれば、地震の影響で、源泉の温度がさらに1度上昇して、63度になったとか。
 それを加水もせずに、引き入れているのですから、そりぁー熱いのなんのって。

 でも 「熱くなけりゃ、湯宿の湯じゃねぇ」 て言われるほどの歴史と伝統のある温泉であります。

 かの初代沼田城主、真田信之が、関ヶ原の合戦の後に、体を癒やしに訪れたという古文書が残されているほどの由緒ある古湯です。


 で、岡田さんに訊いてみました。
 「生まれたときから入っているから、このくらいの熱さは全然平気なんでしょうね?」

 すると…

 「いゃー、僕は熱い湯がニガテなんですよ」

 だって!

 それじゃ~、ダメじゃん。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:36Comments(4)温泉地・旅館

2011年06月26日

ライター筆を選ばず


 ご無沙汰してました。

 ま、仕事が忙しかったのもありますが、実はパソコンの調子が良くないのです。
 今も、やっとこさっとこ、だましだまし打っております。

 「そりぁー、商売道具だから大変ですね」って?

 これが僕の根性が曲がっているおかげで、文明の利器に依存することへの反発があるので、少しも動じませんでした。
 「なーに、数年前までは、ブログもメールもやってなかったんだから」と、通常通りに仕事をしていました。

 原稿は、15年前に買ったワープロが現役なので、それで対応。
 入稿も、フロッピーで手渡しました。

 なかには、事情を話すと「ファックスでいいですよ」という担当もいたりして、何も不自由はありません。

 思えば20数年前、この業界に入った頃は、原稿用紙でしたからね。
 また、もとへもどればいいだけの話です。

 ただ、このブログだけは、気にしていたんですよ。
 だから、こうして、今日は一念発起して打っています。

 昔書いた、自分の著書の中に、こんな一文を見つけました。

 『“不便”はとても面倒くさいものだ。不便は人が手を一生懸命かけてあげないと、なかなか伝わらないものだ。だからコミュニケーションが必要になる。その逆で、便利に慣れてしまうと、人は手を抜くことをいつも考えるようになるだろう』 (「上毛カルテ」より)

 まさに、パソコンが調子悪くなっただけで、たくさんの出会いが返ってきました。

 と、いうことで、もしかすると、今後もしばらくブログを書けない日があると思います。
 ご了承ください。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:11Comments(2)執筆余談

2011年06月21日

鹿沢温泉 「紅葉館」③


 相撲の突っ張りをくらったように、グイグイと押してくる。
 と思うと、プロレスの羽交い絞めのように背後から引きずり込まれる。
 やがて、巨人に抱きしめられたかのように、しばらくは身動きがとれない。

 なんという、湯だ!


 僕は、いつもセミナーで、温泉には「男湯と女湯がある」と話しています。
 美人の湯と呼ばれるツルツル、ヌルヌル、サラサラ系は、すべて女湯です。
 男湯には、クールなイケメン湯と、格闘家的なマッチョ湯があります。

 もう、ここの湯は、男が惚れる男湯の代表格 “マッチョ湯” であります。
 その名も「雲井之湯」源泉。
 僕が、県内でも3本の指に数える大好きな源泉です。


 今日は朝より高速道路を西へ飛ばし、長野県の「東部・湯の丸」インターで降りて、地蔵峠を経て、再度群馬側へ下り、鹿沢温泉の一軒宿「紅葉館(こうようかん)」 へ行って来ました。
 昨年の5月に、温泉講座で訪ねて以来ですから、4代目主人の小林康章さんとは1年1ヶ月ぶりの再会でした。

 思えば、僕と小林さんの出会いは、温泉ではなかったのですね。
 それ以前に、県の自然保護指導員をしていた小林さんに、湯の丸高原を案内してもらって、雑誌に記事を書いたことがありました。(その時の内容は、当ブログにて「謎学の旅」“天狗の麦飯”にて書いてあります)。

 炬燵(こたつ)でお茶をのみながら(6月でも鹿沢は炬燵が必要とのこと。確かに涼しかった)、思い出話や震災の影響など、ひとしきり世間話をした後、湯をいただくことにしました。

 ああ、何度訪ねても、湯屋へ向かうときのドキドキ感がたまりません。
 玄関から階段を下りて、食堂を通り抜け、また階段を下ります。
 この下へ下へと降りて行く感覚が、たまらないのです。

 源泉の湧出地は、宿の上。
 そして、浴室は宿の下。
 自然湧出した温泉を、動力を一切使わずに、ノンストップで自然流下させているからなんです。

 震災後、いったん源泉の温度が41度まで下がってしまったといいますが、今は44.5度まで回復したとのこと。
 泉源と浴槽の距離は、わずか10メートル。
 湯がたどり着くまでに1~2度下がるとしても、充分な温度を保っています。

 浴室で、1人の老人と一緒になりました。

 「俺は日本中の温泉を回ってきたけどさ、いやぁ~、驚いたね。こんな湯は初めてだ! 凄い湯だね」
 と、話しかけてきました。
 なんでも、今日初めて鹿沢温泉の「雲井之湯」に入ったとのことです。

 その老人、脱衣所へ出てからも 「いゃー、凄い湯だ」 を連発していましたよ。

 ガツーンと殴られたような衝撃が、全身を走り抜けていきます。
 絹のように、やさしくまとわりつく柔らかい湯もいいですが、やっぱり、時には、刺激のある硬派な湯もいいものです。

 ただ、長湯は禁物ですぞ。
 骨の髄まで、ヘロヘロにされてしまいますぜ。

 でも、これがクセになるんですなぁ~。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:49Comments(3)温泉地・旅館

2011年06月20日

温泉ラジオの放送スケジュール

 今年の4月から月1回の生放送でスタートしたNHK-FMのラジオ番組 『群馬は温泉パラダイス』。

 放送開始直後から多くの反響をいただき、今月の第3話まで順調にオンエアを続けています。
 これもひとえに温泉好きの県民、および熱心なリスナーのお陰と、感謝を申し上げます。

 実は問い合わせで一番多いのが、「放送日が分かりづらい」というものでした。
 ええ、本当に分かりづらいんですよ。
 僕も、毎回その都度、キャスターの金井一世さんに確認しているくらいですからね。

 で、今回、年間の放送スケジュール表を出していただきました。

 まず、“毎月第3火曜日” という表現は、一般でいう“3週目の火曜日” という意味ではなく、放送局特有の呼び方であるとのことでした。
 4月の第1週より「A週」「B週」「C週」「D週」と4週に分け、この順番でローテーションを組むのですが、特番やスペシャル、夏休みなどの都合により、徐々にズレを生じます。ですから必ずしも「C週」が、その月の第3週になるとは限らないとのことでした。

 で、僕の番組は、放送局側のいう3番目の週である「C週」にあたることから、放送開始当初、“第3週” というリスナーが勘違いしやすい表現をしてしまったのです。
 申し訳ありませんでした。

 今後の放送日は、下記通りです。
 お間違えのないように、カレンダーにチェックしておいてくださいね。


 ●第4回 7月19日(火) 「ぬる湯の魅力」
 ●第5回 8月23日(火) 「温泉の楽しみ方」
 ●第6回 9月20日(火) 「いい温泉とは?」
 ●第7回 10月18日(火) 「湯治場と観光温泉」
 ●第8回 11月15日(火) 「温泉の入浴マナー」
 ●第9回 12月13日(火) 「四大温泉と三名湯」
 ●第10回 1月24日(火) 「仕上げ湯と合わせ湯」
 ●第11回 2月21日(火) 「群馬の湯力(総集編)」

 ※放送時間は、午後6時~6時30分です。
 ※都合により内容が変更する場合があります。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:24Comments(2)温泉雑話

2011年06月19日

父の父の日

 男って、日頃は自分が “父親” だなんてことは、意識して生きてたりはしないものです。

 父性なんてものも、あるのだか? ないのだか?

 仮にあったとしても、それは母性の足元にも及ばない、きっと瑣末(さまつ)なもんでしょうな……


 昨夜、末の娘が「1日早いけど」と言って、発泡酒をくれました。
 「えっ、なんだ?」 と戸惑う僕に、「明日は、父の日でしょ」と言う。

 父の日・・・

 ああ、そういえば昔は、保育園で子どもたちが絵を描いてきてくれたっけ。
 長男が描いた僕の絵は、傑作だった。
 人間じゃ、ないんだから!
 完全に体は、クルマだった。
 それでも、嬉しかった記憶はある。

 その長男も今は、大学生。
 昨晩、バイトを終えて、遅くに帰ってきた。

 「お帰り」と言ったって、いつも「あぁ」としか言葉を返さない、そっけないヤツである。
 ま、でも僕だって、10~20代はオヤジとなんて、口をきいた覚えはないのだから仕方ない。
 かえって、父親とベラベラと世間話をする息子のほうが、不気味だ。

 だから、いつものように「お帰り」と廊下ですれ違いざまに、声をかけた。
 すると、今日は珍しく、息子らしくなく、返事が返ってきた。
 「あ、冷蔵庫に入ってる」

 「えっ、何が?」と僕。
 「父の日……」
 それだけ言うと、息子は風呂場へ入ってしまった。

 なんのこっちゃ?
 なにが父の日だ?

 と、台所へ行って冷蔵庫を開けてみると、スーパーの袋が無造作に放り込んであった。
 取り出して開けてみると……

 ビール(発泡酒ではない)が3本と、おつまみが2袋。

 久しぶりに交わした息子との言葉らしい言葉。
 そして、銘柄まで、ちゃんと僕の好物のビールだ(もしかしたら 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 のプロフィール写真を見たのか?)
 しばし、見つめていたら、ちょっぴり目頭が熱くなってしまった。

 と、その時!
 いきなり背後から 「良かったですね!」 と家人が大きな声をかけたので、あわやビールを落としそうになってしまったではないか。しかも、驚いた拍子に、涙腺が切れちまった。

 うるさい!

 今、オレはひとりで感動に浸っているのだぞ!
 少しは気を効かせろい!
 バカ、女が!


 と、いうことで、今日は朝から、無性に僕の父(はい、オヤジです)に、会いたくなってしまったのです。

 御歳、87歳。
 生きているけど、覇気はありません。
 時々動くけど、止まっていることのほうが多いです。
 息子の名前は覚えていますが、孫たちは区別がつきません。
 昔のことは覚えていますが、今日あったことはすべて忘れてしまいます。

 そんなオヤジに、好物を届けてやることにしました。
 まぁ、血筋は争えないということで、オヤジの好物も “酒” であります。
 焼酎を手みやげにしようかと、家人に相談すると、「ダメよ、おじいちゃん、昼真っから飲んで、大声あげるからお酒は隠したって、おばあちゃんが言ってたわよ」とのこと。
 そーか、仕方ない。酒はあきらめよう、ということになった。

 で、僕が買ったのは、パズルです。
 「ナンプレ」って言うんですか?
 僕はやらないので分からないのですが、オヤジは、いつーも窓辺の座イスでパズルを解いているのですよ。

 「オヤジ、生きてるかー!?」
 「おお、生きてる生きてる」と本人の声が、部屋の中からしました。

 案の定、窓辺の席で、ひとり黙々とパズルを解いています。 

 「はい、これ」
 「なんだ?」
 「父の日」
 「誰が?」
 「オヤジだよ」
 「なんで?」

 もーいい、何でもいいから、受け取れ!

 確かに今はただのボケ老人だけど、かつてはオレの父親をやっていた人でしょう?

 「おおー、ナンプレの本だ!」
 「そーだよ」
 「これ、くれるのか?」
 「父の日だから」
 「どーして?」

 ああああああーーーっ、こりゃダメだっ!
  


Posted by 小暮 淳 at 18:25Comments(4)つれづれ

2011年06月18日

四万温泉 「寿屋旅館」


 一昨日は、「中生館」にて朝食をいただいた後、奥四万湖へ向かいました。
 湖畔にある共同湯 「こしきの湯」 にて、入浴シーンの撮影です。

 一般客が来るオープン前に、貸切にて行いました。

 ここの源泉は「湯の泉の湯」といい、泉質は四万温泉では珍しい「単純温泉」です。
 43本の源泉のうち、そのほとんどが「塩化物・硫酸塩温泉」または「塩化泉」「硫酸塩温泉」ですから、四万では希少な泉質の温泉といえます。

 でも、少々宿酔気味の我が身には、このクセのないサラリとした無色透明の湯が、やさしくってイイんですね。
 浴室から眺める湖水は、目が覚めるようなコバルトブルー色です。

 ゆっくりと体を覚醒させて、さあ、今日も温泉三昧の取材活動の開始です!


 次に向かったのは、日向見薬師堂の門前にある 「寿屋旅館」 。

 3代目主人の戸谷嘉浩さんとは、前日に協会事務所の会議室でお会いしたばかり。
 実は、ちょうど、ちいきしんぶん(ライフケア群栄)と四万温泉協会のタイアップ企画である「第3回 四万温泉 写メールコンテスト」のグランプルおよび入賞作品の選考会を行っている最中だったのです。
 僕も第1回目から企画に係わっているものですから、取材途中に抜け出して、選考会場へちょっと顔を出してきました。
 で、戸谷さんは、四万側の選考員をしています。

 ですから、開口一番は「グランプリは決まりましたか?」

 今回は3回目ということもあり、応募作品は過去最多となり、レベルも高かったようであります。
 が、なんとか決定したようで、戸谷さんもホッとした表情でした。
 (コンテストの入選作品は、「グンブロ」にて閲覧できます)

 四万温泉には37軒の宿がありますから、それはそれは千差万別でありまして、個性豊かな宿が多いのですが、ここ「寿屋旅館」も、ちょっと変わっています。
 旅館の看板の上に 「元祖 薬師そば」 と書かれています。

 その昔、薬師堂の門前には、何軒ものそば屋が軒を連ねていたといいます。
 長期滞在する湯治客たちは、昼間、薬師様にお参りをして、そばを食する。
 粗食を重んじる湯治には、消化も良く、胃に負担のかからない、そばが打ってつけだったんですね。

 しかし、高度成長期以降、温泉地が1泊2日型の観光化したため、昼食をとる湯治客が減少。
 門前にあったそば屋も、次々と廃業に追い込まれていったとのことです。

 寿屋旅館は、昭和20年代から日向見薬師の名物、薬師そばを打つ老舗そば屋なのであります。
 残念ながら現在は、宿泊客のみが味わえる、幻のそばとなっています。

 で、まだ午前中だったのですが、特別に3代目が、そばを打ってくださいました。

 つなぎは、代々伝わる伝統の“ヨモギの繊維”。
 卵や山芋は良く聞きますが、ヨモギの繊維とは、ちと珍しい。
 なんでも、これからの季節、四万の山奥に入り、1年分のヨモギを採取してくるのだそうです。

 汗だくになって、そばを打つ戸谷さんは、カッコイイのであります。
 男が男を見て、カッコイイと思うのは、やはり信念を持って仕事をしている姿なんですね。

 打ち立て、ゆでたての「薬師そば」は、色艶良く、香りが豊かであります。
 ちょっと甘めの汁で、ツルツルッ、シコシコッ、ツルツルッ、シコシコッと、絶品のノド越しを味わいながら、見事に完食!

 四万温泉の発祥の地といわれる日向見。
 かつては、日向見温泉とまでいわれた、四万の奥ノ院であります。
 その地に鎮座する薬師堂。
 その薬師堂の門前で、代々受け継がれてきた職人の技と味。

 いゃー、温泉って、奥が深いですなぁ~。

 湯に歴史あり、人あり、そして食があるんですね。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:32Comments(2)温泉地・旅館

2011年06月16日

四万温泉 「中生館」


 ついに、念願かなって、四万温泉の「中生館(ちゅうせいかん)」に泊まってきました。

 なにが念願なのかって?

 はい、全国でも珍しい “足元湧出温泉” のある旅館なのですよ。

 足元湧出温泉とは、温泉の湧出地が浴槽直下にあり、湧き出した源泉そのものが湯舟となっている、これ以上新鮮なお湯はありえないという、貴重な代物です。
 全国約3,000ある温泉地でも、その数わずか1%未満であります。
 (もちろん、無人の野湯は除きます)

 群馬県内では、天下の法師温泉が有名ですが、それ以外では、ここだけじゃないでしょうか?
 (もし、ご存知の方がいたら、教えてください)


 昨夕、ヘトヘトの状態で、四万温泉の最奥、日向見薬師堂のその裏にある四万の秘湯宿 「中生館」 へたどり着きました。
 すでに、撮影のために2つの温泉に入っています。
 温泉に対しては、やや食傷気味ですが、いやいや、足元湧出温泉となれば、デザートと同じ!
 別腹でありますよ。

 3代目主人の中路力生さんに、しばし宿の歴史などを簡単に取材したあと、日没の前に、いざ!幻の足元湧出温泉『かじかの湯』へ!

 日没前というのは、場所が少々危険な場所にあるからです。
 渓谷の底、川と山の間です。
 宿の裏手から橋を渡り、対岸へ……

 ありました!
 丸見え脱衣所と、岩と石に囲まれた湯舟が2つ。

 手前はぬるめで、奥は冷たい。
 では、手前へ、ソロリソロリと左足から入りました。

 ん~~~、なんとも言えぬ、緊張感があります。
 でも、気持ちいいんです。

 渓流のせせらぐ音をBGMに、石の湯縁に頭をのせれば、1日の疲れが抜けていくようです。
 ついつい、うつら…うつら…

 すると、お尻の下から、ポワ~ンと泡の粒が飛び出して、僕の背中をスルスル~となでていきます。

 これです、これです!
 これが、足元湧出温泉の名物、“湯玉” であります。

 すると今度は、足の裏のあたりから、ユラユラユラ~リと熱い湯の塊が昇っていきました。

 「いゃあー、温泉って、いいですねぇ」
 と、ついついテレビカメラに向かってコメントしたくなりましたよ。
 (残念ながら、今回もスチールカメラマンしか連れて来ていません)


 日帰り入浴もできるようですので、ぜひ、みなさんも体感してみてください。
 ただし、完全混浴!
 旅館からは、すべて丸見え!
 しかも、夏期限定です。

 ※内風呂の「薬師の湯」も、昔の湯小屋風で、こちらもおすすめです。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:40Comments(6)温泉地・旅館

2011年06月14日

ル・クプルに送られて


 ♪会えなくなって どれくらい経つのでしょう
   出した手紙も 今朝ポストに舞い戻った
   窓辺に揺れる 目を覚ました若葉のように
   長い冬を越え 今頃気づくなんて
   どんなに言葉にしても足りないくらい
   あなた 愛してくれた
   すべて 包んでくれた
   まるで 陽だまりでした♪


 今日は月に1度のNHK-FMラジオ「群馬は温泉パラダイス」のオンエア日でした。

 いやいや、今日も今日とて、お相手の金井一世(いよ)キャスターは、フリフリのレースのスカートをひるがえしながら登場であります(相変わらず、AKBしています)。

 で、3回目の今日は、「湯守(ゆもり)の一軒宿」と題して、たった一軒で、温泉と温泉地名を守り継いでいる宿の話をしました。

 午後6時、オープニングを一世ちゃんが話した後、曲が流れると、いつものようにスタジオの中から彼女が僕を呼びに来ます。
 流れている曲が終了するまでの間、僕と一世ちゃんは向かい合い、時計の確認、イヤホンの装着を済ませて、オンエアの時を待ちます。
 いつもなら、「では、よろしくお願いします」とあいさつを交わすだけで、ジッと時をやり過ごすのですが、今日はいきなり、

 「小暮さん、好きな曲ありますか? 今度、かけますから、リクエスト考えておいてください」

 と、ふられてしまいました。

 ああ…、今度までに考えておけばいいんだなぁ……なんて思ったのですが、なぜか、とっさに浮かんだのがル・クプルの「ひだまりの詩」だったのですよ。で、
 「じぁあ、今度、ル・クプルの 『ひだまりの詩』 をお願いします」
 と言った途端、

 「あれっ、確か……、……ありました!」
 と彼女はテーブルに置いてあったCDを手に取ったのです。

 「これですよね、じぁ、今日、かけちゃいましょう!」
 と、CDをセットし始めましたよ。

 「大丈夫なの? 勝手にかける曲を変更しちゃって?」
 「たぶん……、ええ、大丈夫でしょう。小暮さんのリクエストということで」

 と言い終わるか終わらないうちに、オンエア開始!


 今回は、僕の得意ジャンルということもあり、放送時間をだいぶ押してしまいました。
 が、無事終了!

 次回放送日と内容を彼女は読み上げると、
 「次の曲は、小暮さんのリクエストで……」
 と、本当に「ひだまりの詩」が流れ出しました。


 いゃー、感激しました。
 憎いことをしますなぁ、一世ちゃんは!

 そのままスタジオに彼女を残して、放送局を出て、駐車場で車のラジオをつけると……

 ♪ あなた 愛してくれた
   すべて 包んでくれた
   まるで 陽だまりでした ♪

 一世ちゃんの愛くるしい笑顔とル・クプルの澄んだ歌声に送られて、なんともホンワカ~とした心持ちで家路に着いたのでありました。

 でも、この曲って、別れの歌だよね?
 それじゃー、ダメじゃん!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:51Comments(2)温泉雑話

2011年06月13日

「食べる」ことと 「生きる」こと


 「温泉ライターの小暮淳さんが、うらやましい」

 何気に見ていたツイッターに、そんな書き込みを見つけました。

 きっと温泉好きの方なんでしょうね。


 自分が好きなことを職業にしている人は、あこがれの対象となるようです。
 野球が好きならプロ野球選手、音楽が好きならミュージシャン、絵を描くことが好きなら画家に、誰もが一度はあこがれるはずです。
 では、僕は“温泉ライター”にあこがれていたのか?といえば、別にそうじゃない。
 とどのつまり、たどり着いた職業であります。

 じゃあ、温泉が好きじゃないのか?と問われれば、もちろん大好きであります。
 だから、人百倍入っているわけでして、職業といっても半分以上が趣味を兼ねている仕事です。

 それゆえ、人は、「いいですねぇ、温泉に入るのが仕事なんて!」
 と羨望のまなざしで見るのでしょうね。

 でも何でもそうでしょうが、同じ好きでも “趣味” と “仕事” では、大きく異なるものがあります。
 それは、楽しむ対象です。
 趣味は、自分が楽しむもの。
 仕事は、他人を楽しませるもの。

 野球選手もミュージシャンも画家も、みんな自分も楽しみますが、観客やファンを楽しませています。

 僕と似た職業に、フードライターという業種の人たちがいますが、彼らの苦悩は温泉ライターの比ではないと聞きます。
 いくら食べることが好きでも、1日10食は食べられませんよ~!
 (温泉も1日3ヵ所以上ハシゴすると、さすがに湯あたりしますが……)

 いずれにせよ、見た目ほど楽な仕事はないということなのですが、それでも世間は、好きなことを職業にしている人に対して、大変興味があるようです。
 「温泉に入るのが仕事なんていいですねぇ」 くらいの突込みなら、こちらも笑いながら面白おかしく答えるのですが、中には直球を投げかけてくる輩も、ときどきいたりして、ドギマギしてしまいます。

 「いつか訊いてみたかったんですけど、それで食べて行けるんですか?」

 最近、デリカシーのない、このテの質問が多いんですよ。

 以前は、「ええ、まあ、なんとか……」なーんて曖昧に返事をしていたのですが、最近はこのテの輩には、こう答えるようにしています。

 「食えるわけないじゃありませんか! でも死にはしませんよ。生きれるくらいは稼ぎます」

 ま、この辺が、専門ライターのボーダーでしょうかね。
 
 腹いっぱいは食えないが、死なない程度の食い物は手に入るとでも解釈してください。
 だから僕の正式な職業名は「フリーライター」です。温泉以外も取材・執筆しています。
 (温泉を取材するときのみ「温泉ライター」を名のります) 
 ちなみに確定申告上の職業は、「著述業」となっています。


 食えるか、食えないか、それはあなた次第!

 でも、そう簡単に人間は死にはしませんから、生きるくらいならなんとかなります。
 どーですか?
 あなたも、○○ライターをはじめませんか?
 資格も免許も要りませんよ。
 名刺一枚で、明日からでもなれる、実に安易な職業ですぞ!
    


Posted by 小暮 淳 at 20:52Comments(6)つれづれ

2011年06月12日

月夜野温泉 みねの湯 「つきよの館」⑤

 「つきよの館」のホームページを製作しているアートディレクター氏からメールが届きました。

 「今年2月にリニューアルしたホームページに、ウェブデザイナーKさんの手違いがあり、小暮さんと女将が一緒に写っている写真が1点落ちていましたが、このたび更新されました。ご確認ください」
 とのことでした。

 実は、「つきよの館」とは長い付き合いということもあり、また家人と女将が旧友だった(取材に行って偶然知ったのです)ということもあり、僕がホームページのモデルを買って出ています。

 すでに入浴シーンと著書の紹介、それと旅館に寄せた僕からのメッセージは掲載されていましたが、そーなのですよ、あれだけリハーサルもして、カメラテストもした僕と女将の “指しつ指されつ” の艶っぽい写真が載っていなかったのです。

 で、チェックしてみると……

 ありました!

 しっかり僕が、ニチャケ顔で、女将と向かい合い、冷酒を手にしています。

 美人女将にニチャケているのか? 大好物の冷酒を前にニチャケているのか?
 もう半年前の撮影なので、今となっては分かりませんが、とっても嬉しそうであります。

 ああ、また「つきよの館」へ行きたくなりました。
 スタッフの小林さん特製のスモークチーズ、その名も 「コバ スモークチーズ」 で、キューッと一杯やるのがいいんですよ。
 もちろん、女将のお酌なら、なお美味し!

 月夜野は、そろそろホタルの舞う季節ですね。

 蛍見酒、なーんて、いいですなぁ……


 ●月夜野温泉 みねの湯 つきよの館 http://minenoyu.com/
     


Posted by 小暮 淳 at 23:23Comments(2)温泉地・旅館

2011年06月11日

来週、温泉ラジオ生放送


 今年4月から月1回、生放送でお送りしているNHK-FMラジオの 『群馬は温泉パラダイス』 も、来週第3回を迎えます。

 3回目の6月テーマは、いよいよ 「湯守(ゆもり)の一軒宿」 であります。
 まぁ、僕の一番の得意ジャンルである秘湯と呼ばれる小さな温泉、それも、たった一軒で温泉と温泉地名を守っている “湯守” のいる宿について、お話します。

 一軒宿っていう言葉は、よく聞くけど、どんな宿のことを言うの?
 湯守の仕事って、どんなことをしているの?
 湯守のいる宿と、いない宿だと、温泉の質って違うの?

 などなど、放送時間いっぱいまで、みなさんの疑問に答えるとともに、一軒宿の魅力と群馬県がいかに温泉県として優れている県であるかを、分かりやすく説明しますよ。
 今後、話して欲しいテーマや、温泉への疑問、または僕個人への質問などがありましたら、MHK-FM放送局までハガキかメールでお便りくださいね。


 ●放送局 / NHK-FM  81.6 MHz
 ●番組名 / トワイライト群馬
          「群馬は温泉パラダイス」
 ●出  演 / 金井 一世 (キャスター)
           小暮 淳 (フリーライター)
 ●日  時 / 6月14日(火) 午後6時~6時30分
   


Posted by 小暮 淳 at 21:25Comments(2)温泉雑話

2011年06月10日

心の筋力トレーニング


 東日本大震災では、何万人という尊い命が失われました。

 こんな未曾有の被害に遭った日本人は、今後、命をより大切にし、自殺者は減少するだろう。
 と識者も、そして、僕だって、そう思っていました。
 命より大切なものなんて、ないんだから……と。

 だから今日の新聞報道は、ショックでした!

 「震災以降、群馬県内の自殺者が急増していることが、県警のまとめでわかった」との記事。

 今年の1~3月までは前年を下回る水準で推移していたが、4月以降は前年の3割増となっているそうです。
 これは県内に限ったことでなく、全国でも増加傾向にあり、被災地以外の都道府県で軒並み増加しいてるんだそうです。

 内閣府では原因を 「雇用環境の悪化で、特に50歳代の男性が多い」 と分析しています。

 おいおい、僕の世代かよっ!
 理由が、雇用環境の悪化だーーっ!

 なんだか、腹立たしくなってきましたよ。
 ただの悪化だろうが!
 被災地へ行ってみろよ、悪化なんていうレベルじゃないだろーが。
 仕事も家も家族も親戚も、友人も知人も、みーんな無くなっちまってんだよ。

 ああ、情けなくなってきた。

 なにが悪化だよ。
 こちとらフリーランスは、ずーーーーっと悪化してますよ。
 自慢じゃないけど、税金が払えなくって、差し押さえだってくらったことがあるんだらね(だから自慢できないって)。
 それでも、生きてるぞ!

 あー、大声出したら、少し清々しました。

 僕は昔から、自殺する人が嫌いなんですね。
 たぶん、それは自殺を考えたことが無いから、分からないんだと思います。
 かえせば、死んじゃうより生きているほうが楽しいからなんですけど。

 でも死んじゃう人は、“死” という選択以外、考えられなくなってしまうんでしょうね。


 最近読んだ本に、こんな言葉を見つけました。
 最後の無頼派といわれる作家、伊集院静の 『大人の流儀』 です。

 「旅をしなさい。どこへむかってもいいから旅に出なさい。世界は君や、あなたが思っているほど退屈なところではない。」

 この言葉は、若い人へ向かって投げかけられた言葉なのですが、世の中を狭く考えてしまう自殺願望者にも言えることだと僕は思うのです。

 僕も若い頃(といっても、40歳過ぎてもやっていたが)、アジアの国々を旅して回りました。
 それは、なんのためにと問われれば、いい歳をしてても “自分探し” に、ほかなりません。

 でも、また日本にいると壁にぶつかる。
 だから答えを探しに出かける。

 このくり返しです。
 永遠に答えなんかでないのだから、自ら死を選ぶこともないのです。

 50歳を過ぎたオヤジたちに、「旅へ出ろ!」と言ったところ、実際には無理かもしれません。
 ならば、体が移動する旅でなく、“心の旅” に出たらどうですか?

 毎日、刺激のない生活を10年、20年と続けていると、体だけじゃなくて、心にも贅肉が付いてしまいます。
 だから時々、心にも旅をさせてあげるのですよ。

 心のまわりに、こびりついた世間という名の贅肉を取るためには、トレーニングが必要です。

 心に、腕立て伏せを!
 心に、腹筋を!
 心に、ジョギングを!


 おい、そこの雇用環境の悪化におびえているオヤジたち!

 「オレたちの価値は、そんなところには、ねーんだよ」って、言ってやれよ。 

 さっ、筋トレすっぞ!

 イッチニ、イッチニ、イッチニ、イッチニ、イッチニ…………
   


Posted by 小暮 淳 at 18:55Comments(2)つれづれ

2011年06月09日

胃もたれて ビーグル探検隊


 人間がB級だからでしょうか、やたらとB級グルメに誘われます。

 長年、雑誌の編集なんかをやっていたからでしょうかね。
 県内の変わった食べ物、デカイ食べ物なんかを昔は、散々取材したのですよ。
 当時のスタッフたちは、今はバラバラですが、なぜか思い出したように 「編集長、たまには行きますか?」 なんていうメールや電話が、ときどき来たりします。

 どこに行くかって?
 それが、恥ずかしながら、ドライブです。
 そう、B級グルメ探しのドライブなんです。

 いつの頃からか、僕にはビーグル(B級グルメ)仲間というのが、数名います。
 みんな年下で、仕事で一緒になった人たちです。
 で、残念ながら、すべて男性(それもオヤジばかり)です。

 先日も、某フリーペーパーのYさんと、館林まで塩ラーメンを食べに行ってきました。
 まあ、目的は塩ラーメンではなく取材だったのですが、Yさんは、僕の心強い「ビーグル探検隊」の参謀でありますから、いつも取材の時は、「渋川なら○○へ行きましょう」とか「伊勢崎に面白いカツ丼屋を見つけましたよ」と、必ずビーグルネタを用意してくれているのです。
 で、先日も会うなり「見つけました!塩ラーメンのうまい店!」と、取材の前に真っ先に僕を連れて行ってくれたのです。

 なんで “塩ラーメン” かというと、僕が塩ラーメン派だからです。
 「でもさ、うまい塩ラーメンって、なかなか無いんだよな~」
 と、いつもYさんにグチっていたのを、彼は覚えていてくれたんですね。

 ありがとう、Yさん。
 館林市の「G家」、並んだ甲斐があって、久々に美味しい塩ラーメンをいただきましたよ。


 で、昨日は、25年来のビーグル仲間であるK君が、やって来ました。

 K君は僕より7つ年下。
 でも離婚暦と結婚暦は、先輩です。
 「小暮さん、忙しそうですね。今週空いてる日はありませんか?」
 というメールが、数日前に来ました。

 なんでも彼の義母が僕のファンで、温泉本は全部持っているけれど、『ぐんまの里山 てくてく歩き』 をまだ持っていないので、直接僕から買って、サイン本をプレゼントしたいのだと言います。
 殊勝なことを考える婿殿ではありませんか。
 そーゆうことなら、ぜひ協力しましょう!とOKしたのですが、あいにく、手元に本の在庫がありません。

 と、いうことで、迎えに来たK君の車に乗って、一路、書店へ向かい、本を買って、その場でサインをしました。

 「どこへ、行きますか?」 とK君。
 “どこ”と言われれば、メシのことです。それもランチです。
 45歳と52歳のオジサン2人が、平日の真昼間からドライブであります。
 (K君も自由業ですから、時間はたっぷりあります)

 「ハンバーグ食いますか? 藤岡のTは行ったことありますか?」とK君。
 「ああ、Tね。以前、探したんだけど分からなかったんだよ」と僕。
 「じぁ、決まりですね。でも量が多いですよ、大丈夫ですか……」

 とかなんとか、たわいのない会話をしつつ、藤岡市の「T」というハンバーグ専門店へ。
 が、まだ午前中だというのに、店の前は行列。
 さすが、ガッツリ系です。並んでいるのは体格のイイお兄さんばかりです。
 駐車場も満車で、車を停めるところもありません。

 仕方なくあきらめて、旧吉井町まで足をのばすことにしました。

 ご存知、群馬のB級グルメ界の西の横綱 「Y軒」 で、ジャンボギョーザとあぶりチャーシューラーメンを食べることに。
 今回、餃子は “焼き” ではなく、初の “揚げ” に挑戦!
 なかなかスナック感覚で、タレを付けずに、パクパクといくつでも食べられましたぞ。

 帰りは、もうお分かりですね。

 胃もたれ御免!


 「小暮さん、今後はお互いの歳を考えて、ガッツリ系はやめましょう」

 はい、そのようですね。
 “いつまでも、若いと思うな己の胃袋” ですな。

 反省……。
    


Posted by 小暮 淳 at 21:13Comments(0)つれづれ

2011年06月08日

四万温泉 「三国園」


 「四万温泉には、必ず自分好み宿がある」 と言われています。

 家族だけで商っている客室わずか4部屋の小さなお宿から、100部屋を超える大型ホテルまで。
 浴室も大露天風呂から小さな内風呂まで旅館によって千差万別、十湯十色であります。

 でも凄いのは、その源泉の数です。
 37軒の宿に対して、43本の源泉が湧いています。
 しかも、うち40本が自然湧出という、実に恵まれた温泉地なのです。
 たぶん、温泉地の自然湧出率というものがあるなら、保有率とともに全国トップクラスでしょうね。
 (自然湧出率=93%、源泉保有率=116%)

 ということで、取材を続ければ続けるほど、驚きの四万体験をしています。

 で、今日は、先日訪ねた「三国園」を紹介します。


 三国園は、四万温泉の一番奥、日向見(ひなたみ)地区にある旅館です。
 ゆずりは大橋を渡り、ゆずりは地区へ入り、左の奥四万湖方面へ。
 小泉の滝を望む「滝見台」のある楓仙峡を抜け、ひなたみ橋を渡ると、そこからが日向見地区です。
 三国園は、一番最初に看板が出てくる宿です。
 でも、すぐには着きません!

 傾斜角度45度はありそうな急坂を、エンジンをブンブン吹かしながら登り上げます。
 (軽自動車だとキツイかも)
 威勢をつけて、グィーーーーンと引っ張るようにアクセルを踏み続けると、ポンッと駐車場へ出ました。
 こじんまりとした、雰囲気のある旅館です。

 実は長年、四万温泉へ通い続けているのに、初めてお邪魔する宿だったのですよ。
 もちろん、そこに三国園という旅館があることは、知っていました。
 でも、この日訪ねるまで、どんな旅館なのか、まったくもって知識がなかったのです。

 取材とは、未知な部分が多ければ多いほど、楽しいものです。
 期待に胸を膨らませて、意気揚々と玄関を開けたのですが……

 うわぁ~~!
 いきなりペットたちのお出迎えであります。
 シーズー、チワワ、プードルたち……と思いきや、犬だけじゃありません。
 カメ、コイ、熱帯魚の水生動物も、たくさんいます。

 ここは、ペット専門の温泉旅館だったです。

 それも昭和42年から “ペット同伴可” の宿だそうですから、昔からペット好きが訪れている全国でも有名な旅館だったのです。
 (すみません、僕が少し勉強不足でした)

 2代目主人の小林久雄さんによれば、現在では、ほぼ100%がペット連れの宿泊客とのこと。
 「最近では、ペットも泊まれるペンションが増えましたが、うちのようにペット料金を取らない温泉旅館は、まだ全国でも珍しいと思いますよ」

 そう、ペットの宿泊料金は無料なんです。
 人間の宿泊料金のみで、ペットの食事は持参します。

 「ワンちゃんもネコちゃんも、いつも食べなれたものを食べさせたほうがイイですからね」
 ですって。

 寝るのも一緒、食事も個室で家族だけ、という徹底したシステムになっています。
 とーぜん、温泉の入浴も一緒であります。

 と、いうことで今回、初のワンちゃん入浴シーンの撮影となりました。

 撮影に協力してくれたのは、プードルの「つくし」ちゃん(1才半) とチワワの「あさり」ちゃん(6才) であります。
 さすが、旅館のアイドル犬であります。
 2匹並んで仲良く、入浴ポーズをとってくれました。
 カメラマン氏がOKを出すまで、ジーッとしているところなんぞ、完全にプロのモデル犬であります。

 僕のほうが、撮影には手間取るオヤジモデルのようです。

 「小暮さん、動かないで!」
 「だって、熱いんだもの……」
 「すぐ終わりますから、少し我慢していてくださいよ」
 「早く撮ってよ! はやく~!」

 なーんて、いつもカメラマン氏を困らせていますからね。

 いやいや、ワンちゃんたちには、大変お見それしました。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:43Comments(3)温泉地・旅館

2011年06月07日

四万温泉 「四萬館」


 昨年の秋、四万温泉から、僕の執筆による本を出版したいとの提案があり、出版元とのお見合い(協議)の結果、1年かけて制作し、今年の9月に発売されることになりました。
 暮れより、本格的に取材活動を開始。
 どうせ作るんなら、ガイドブックではない、きちんと温泉を取材したエッセーを書きたい。
 ついては、「四万温泉の全旅館 (37軒) すべての宿の湯に入って、その体験記を書かせて欲しい」との要望を出しました。

 よって、四万温泉協会の全面協力および全旅館の協力を受けて、自由に温泉地へ入り込み、好きなときに宿泊して、見たまま感じたままを、ありのままに書かせてもらっています。

 昨日より、11回目の宿泊取材に行ってきました。
 ついに、念願の「四萬館(しまかん)」に、泊まってきましたよ。

 といっても、四萬館に宿泊するのは2度目であります。
 8年前、「壺天(こてん)」という別館が完成したときに、友人の画家、須賀りす女史のギャラリーが開設されるということで、仲間と駆けつけて、祝賀パーティーをしたことがありました。
 現在でも、彼女の作品は、同館に展示されています。
 また、「別館 壺天」のパンフレットに使用されている絵は、すべて女史の書いたものであります。

 では、何が念願の「四萬館」取材なのかといえば、“太宰治の泊まった部屋” の閲覧であります。


 昭和15年4月、太宰治は敬愛する井伏鱒二と数名の仲間とともに、四万温泉に来遊しています。
 その時に泊まった部屋が、今でも残されています。

 当時、太宰は31歳。
 同行した放送作家の伊馬春部が映した四万温泉の写真が、いくつも残されています。

 有名な写真に、太宰治が井伏鱒二と2人で、温泉に入っている写真があります。
 これが四萬館の「亀の湯」です(現在は女性専用風呂)。

 また、浴衣に丹前姿で屋外に立ち、タバコを吸っている太宰お得意のポーズを撮った写真があります。
 背景には、当時の四萬館の別荘が写っています。
 実は、これが太宰ら一行が泊まった建物です。

 安土桃山時代の古い建造物で、当時のオーナーが気に入って、わざわざ京都より移築した別荘とのこと。
 のちに昭和30年代になり、太宰らが泊まった2階部分だけを本館の裏山に移築しました。
 現在は四萬館が経営する「木ばらし工房」という木工芸のアトリエギャラリーになっています。


 本館からバス通りを渡り、裏山の工房へと続く散策路を上がります。
 山の斜面には、竹笹の子が一面に、ニョキリニョキリと顔を出していました。

 ああ、これが71年前に、太宰治と井伏鱒二が摘んだ熊笹の竹の子なのだ!

 〔太宰君は人に恥をかかせないように気をくばる人であった。いつか伊馬君の案内で太宰治と一緒に四万温泉に行き、宿の裏で私は熊笹の竹の子がたくさん生えているのを見て、それを採り集めた。そのころ私は根曲竹と熊笹の竹の子の区別を知らなかったので、太宰君に「この竹の子は、津軽で食べる竹の子だね」と云って収集を手伝ってもらった。〕
 (井伏鱒二全集 第十巻 筑摩書房 「太宰治のこと」 より)

 このとき太宰治は、すぐに食用ではないことに気づいたのだが、それでも師のために嫌な顔することなく手伝ったといいます。


 僕は1本、太宰を気取って、熊笹の竹の子をポッキンと手折ると、匂いをかぎました。
 鼻腔をくすぐる青臭い、にほい……


 昨晩は、太宰治と井伏鱒二が四万温泉で遊ぶ姿を想像しながら、カメラマン氏とともに、美酒に酔ったのでありました。

 ちなみに、このときの四万温泉を舞台に、井伏鱒二との師弟関係を書いたと思われる短編小説が 『風の便り』 です。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:43Comments(0)温泉地・旅館

2011年06月05日

まわれ!アンパンマン


 時には、地域ネタを1つ。

 僕は、この数年、小学校のPTA役員 (そうなんです、孫もいるけど小学生の娘もいるんです。それも同一妻の子孫です) や町内子ども育成会長をやっていました。
 そう、やっていたんです。昨年度までです。

 で、「これで、晴れて今年の4月からは自由の身になれる」 と喜んでいたところ、なななんと!
 推薦があり、さらに格上げの“子ども会育成連合会”の本部理事をやらされることになってしまいました(ツライ)。

 僕が住んでいるのは、前橋市の南、インスタントラーメンの大きな工場と広大な農地に囲まれた田園地帯であります。
 A町といい、K地区に属しています。
 ですからA町育成会長から、K地区子ども会育成連合会の役員という、エリアを拡大した活動を強いられてしまったのです。

 任期は?

 これが、半永久という執行猶予も付かない無期懲役のお勤め(ボランティアの世界)へ足を突っ込んでしまったのであります。

 「いゃ~、小暮さんには人を引き付けるオーラがありますよ」
 とかなんとか言われて、おだて上げられ、気が付いたときには、こちらの返事も聞かないで、そのまま入会であります。

 「ちょっと、待ってよー!」
 とムダな抵抗をしてはみたものの、
 「ねっ、助けてよ。小暮さんみたいな人、他にいないんだから」
 と、すがりつかれると、
 「えー? 他にいないんですか? 困っているんですか? だったら仕方ないですね~」
 ということで、引き受けてしまったのです(頼まれるとイヤとは言えない、人にだまされやすいタイプ)。


 で、今日は、本年度1回目の出動日でした。
 幼児、小学生低学年向けの 『こどもえいが会』 です。

 僕の役割は、映写技師見習い。
 映写室に入って、先輩技師から手取り足取り、映写機の使い方を学びました。

 最初は、「あー、こんな朝早くから借り出されて、たまんねーなぁ。どうせ早く起きるんなら、自分の仕事を片付けたいのに……。ブツブツ、ブツブツ」と駄々をこねていたのですが、これが始まってみると、面白い!

 カラカラ、カラカラ……とフィルムが回る映写機の音。

 公民館のホールにゴザが敷かれ、若いお父さんお母さんと小さな子どもたちが所狭しと座って、今か今かと上映開始を待っています。

 とても不思議な感覚です。
 なんだか甘く懐かしい香りがします。

 遠い遠い夏の日。
 鎮守の杜の境内で行われた、野外映写会を思い出します。

 カラカラ、カラカラ、カラカラ……

 上映した作品は、「忍たま乱太郎」や「アンパンマン」など今のアニメでしたが、その光景は昭和そのものでした。


 「ビックリしたねぇ、今年は去年の倍くらい人が集まったよ。小暮さんの人気かね?」
 ほらほら、また会長ったら、人をノセるのがうまいんだから!

 でも実際、150人くらい集まりましたよ。
 帰りには、子どもたち1人1人に、お菓子とおもちゃとジュースを手渡しました。

 「ありがとうございます」
 「映画、面白かったよ!」

 昔も今も、子どもたちの喜ぶ顔に変わりはありません。

 45年前、僕もきっと、映画を見終わった後に、大人からお菓子をもらって、喜んで帰ったんでしょうね。


 ま、いっか…
 半永久役員というのが、ちょっと荷が重いけど、地域の子どもたちが喜んでくれるなら。

 おい、子どもたち! 未来は頼んだぞっ!
  


Posted by 小暮 淳 at 21:12Comments(2)つれづれ

2011年06月04日

21世紀の上毛かるた


 今日の上毛新聞を読んでいたら、読者の投稿ページに 「21世紀の上毛かるた」 というタイトルで、前橋市のMさんという方が、こんなことを書いていました。

 「昭和22年に創設された上毛かるたは、長年にわたり県民に愛されてきました。<中略>ところが最近では、かるたの内容が実情に合わなくなってきたものが、いくつか目立ちます」

 ほほほー、僕らと同じことを考えている人が、ここにもいたぞ~!
 それで、それで?

 「上毛かるたは歴史的なかるたとしての価値がありますので、そのまま残すべきでしょう。ただし、全く新しい上毛かるたを考えてもよい時が来たのではないかと考えられます」

 で、しょーう!
 だから僕らは2年半前に、新しいカルタを作ったのであります。

 僕らとは、年齢も職業もバラバラの8人です。
 今から5年前、投稿者のMさんと同じ考えの有志が声を掛け合って、「ぐんまカルタ制作実行委員会」を発足させたのです。
 そして、構想&制作日数3年をついやし、2008年の10月に 『新・ぐんまカルタ』 を世に送り出しました。

 1箱、1,000円(税込) で、群馬県内の主要書店にて現在も販売されています。
 僕は、読み札の制作と編集を担当しています。

 前出のMさんは、かるたの内容が実情と合わなくなったものとして榛名山のキャンプ村をあげてましたが(現在はありません)、実はまだまだあります。
 そもそも間違っている札というのが、上毛かるたにはあるんですね。

 たとえば「日本で最初の富岡製糸」より前橋製糸のほうが古かったり、「沼田城下の塩原太助」じゃなかったり、「ループで名高い」のは群馬県内では湯檜曽トンネルだし(清水トンネルのループは新潟県)と、探し出したらキリがありません。
 と、いうことで、作られたのが「新・ぐんまカルタ」です。

 どんな札が入っているかというと……

 「岩宿遺跡 先人の証し」 「音楽で幸せ運ぶ 群馬フィル」 「鎮魂の峰 御巣鷹山」 「村人の命助けた 観音堂」などなど。

 人物では、「ぐんまの詩人 朔太郎」「心の歌人 土屋文明」「造船の父 小栗上野介」「反骨の画家 福沢一郎」
 そして 「誇る群馬の 四首相」 なーんてのも入ってます。

 どーです?
 興味が沸きましたか?

 上毛かるたに疑問を抱いた人は、ぜひ書店にて 『新・ぐんまカルタ』 をお買い求めください。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:16Comments(0)著書関連

2011年06月03日

消えた温泉 「西長岡温泉」

 昨日、館林市の「田山花袋記念文学館」より講演依頼の電話がありました。

 なんでも今年の7月~10月にかけて、同館では「温泉ソムリエ・田山花袋」と題して、特別企画展を行うそうです。
 田山花袋といえば、“誇る文豪” でありますが、当時は紀行エッセイストでもありました。特に全国の温泉をめぐった作家としても有名で、大正7年に出版された 『温泉めぐり』(岩波文庫) は、今でも温泉好きのバイブルとしてロングベストセラーとなっている名著であります。

 で、その大作家先生の特別企画展で、なななんと、ここここの僕が基調講演ですと~!
 いやいや、もちろん、断るわけはありません。
 平成の温泉ライターとして、こんな光栄なことはございませんよ。
 大正時代の元祖・温泉ライターである文豪先生の記念館での講演、しかと、やらさせていただきます。

 ということで、講演日時等が決定しましたら、このブログにて公表します。


 で、田山花袋といえば、今は無き幻の温泉「西長岡温泉」を舞台にした小説「野の道」を書いています。
 前出の 『温泉めぐり』 の中で、執筆のきっかけとなった旅のことをこう記しています。

 〔その西長岡の温泉に初めて私の出かけて行ったのは、そのあくる年の二月のまだ寒い頃であった。<中略>位置としても藪塚よりも深く丘陵の中にかくされたようになっていて、一歩一歩入って行く心持が好かった。<中略>やがて段々人家があらわれて来た。<後略>〕

 これが西長岡温泉(鉱泉)です。

 ところが、どーしても跡地が見つからない。
 旧「藪塚本町誌」によれば、明治22年にはすでに創業していたとのこと。「長生館」という一軒宿があったこと。昭和32年12月に焼失してしまったこと。
 までは分かったのだが、その場所がよく分からない。

 以前、やぶ塚温泉に泊り込んで、老舗の「ホテルふせじま」と「開祖 今井館」を取材したことがありました。
 そのとき、今井館の9代目主人の今井和夫さんから興味深い話を聞くことができました。

 昔から、この地(藪塚)には、3つの源泉が湧いていた。
 「湯の入」「滝の入」と「西長岡」の湯と呼ばれていた。
 「湯の入」が現在の温泉神社のあるやぶ塚温泉の源泉「巌理水の湯」。
 「滝の湯」は、現在は廃業してしまった福寿館が所有していた源泉。
 そして、「西長岡」を長生館が持っていたとのことだ。

 「私が子供の頃だから、昭和20年代には丘陵を1つ越えたところに、確かに温泉宿があったいね」
 と言います。
 そして、昭和32年の大火も、はっきり覚えていました。
 「山の向こうの空が真っ赤に染まって、恐かったよ」
 と。

 田山花袋は西長岡温泉の湯のことを、著書の中で、こんな風に表現しています。

 〔浴槽は普通であった。広さもかなりに広い。ただ、この附近が上州石の主産地であるので、流しをその石で張ったために、何となくいやな、汚いような気がした。<中略>しかし、湯の量は藪塚のようなことはなかった。普通、東京の銭湯の少し浅いくらいのものである。私の経験したところでは、この湯も胃腸にはかなりによくきくようであった。<後略>〕

 いゃぁ~、仁(TVドラマの主人公) のようにタイムスリップして、ぜひ一度、浴してみたい。
 どんな湯であったのか、とても気になるのです。


 でも、これも何かの縁なのでしょうかね。
 神様が、平成の温泉ライターを、 大正時代の温泉ソムリエである文豪に引き合わせてくれたようですよ。

 温泉の神様、ありがとうございます。
  


Posted by 小暮 淳 at 15:37Comments(9)温泉雑話

2011年06月02日

湯檜曽温泉 「林屋旅館」②


 いい温泉宿には、いい湯守(ゆもり)がいる。
 そして、いい湯守は、その心を伝え継いでいる。

 これは僕の持論であります。
 今日、また守り継いだ湯心に触れ、感動してきました。


 昔、豪族が落ちのびて、湯けむりの立つ谷にたどり着いた。
 湯にひそんでいたことから、「湯のひそ村」と呼ばれるようになったという。

 湯檜曽(ゆびそ)温泉には、現在、湯檜曽川沿いに5軒の宿がありますが、一番の老舗旅館が 「林屋旅館」 です。
 最後に訪れたのが昨年の6月ですから、ちょうど1年ぶりにお邪魔しました。

 前回は1泊して、4代目主人の林伸幸さんと深夜まで熱く熱く温泉話を語り合いましたっけね。
 今日は、3代目女将の茂子さんと4代目若女将の敦子さんに、じっくりと話を伺ってきました。

 約束の時間よりも1時間近く前に着いてしまったので、取材までの時間、湯をいただくことにしました。

 前回のブログ(2010年6月18日)にも書きましたが、ここは、とにかく湯が絶品です!
 4代目の伸幸さんが、それはそれは大切にしている湯ですから、匠の技で調合しています。

 調合って何?って思われました?

 「混合泉」という言葉は、聞いたことがあるかと思います。
 これは何本かの源泉を貯湯槽に集めて、各旅館へ給湯している温泉のことです。

 僕がここで言う「調合」とは、天候や気温の変化にあわせて、毎日、湯を調合している湯守の仕事のことです。
 でも、どこの温泉でもやっている、いや、できる技ではありません。
 恵まれた湯量と複数本の源泉を所有していなければできない、究極の湯技なのであります。

 林屋旅館は、2本の自家源泉を所有し、1本の共有泉から給湯されています。
 その総湯量は、毎分150リットル以上!
 しかも男女別の内風呂のみ。露天風呂なし!
 当然、使い切れませんから、厨房や自宅でも使用していますが、それでも半分以上は、湯檜曽川へ流れてしまっているといいます(なんという、贅沢)。

 で、当然ですが、加水も加温もなく、完全かけ流しです。
 では、どうやって温度調節を行っているのかと言えば、そう、それが温度の異なる源泉の調合です。

 3本の源泉の温度は、約40℃と約47℃と約50℃。
 季節や気温、天候により、これらの調合率を微妙に変えながら、つねに “その日の湯の適温” を作り出しているのです。

 これぞ、究極の湯技でありす。


 で、僕は取材の最後、若女将に、4代目女将としての抱負を訊きました。
 すると若女将は、こんなことを言いました。

 「湯を分かる、本当に温泉が好きな人が、ちょこっと来てくれればいいんです」

 ああ、シビレましたね。
 美人だからじゃありませんよ。
 まだお若いのに、ちゃーんと湯守の心を知っていらっしゃる。

 さらに、こんなことも。

 「いつまでも、湯が涸(か)れないでいてくれると、いいですね」

 くぅーーーっ、なかなか言えない言葉ですぞ!

 今日は、久々に湯守の心に触れて、感動いたしました。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:19Comments(3)温泉地・旅館