温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2013年11月30日

猿ヶ京温泉 「猿ヶ京ホテル」③


 今年も、やって来ました~!

 忘年会シーズンの到来です。

 えっ、もう、とっくに始まっているって?
 まあ、そんな気の早い人たちもいるでしょうね。
 でも、僕にとっては、昨日が今年の皮切りです。

 トップバッターの会場に選ばれたのは、昨年、今年と拙著 『みなかみ18湯』(上毛新聞社) の取材・イベント等で大変お世話になった猿ヶ京温泉の老舗旅館 「猿ヶ京ホテル」 であります。

 そして、集まったメンバーは、来春出版予定の温泉シリーズ本第6弾の出版・制作に係わる関係者たち。
 出版部長と担当編集者、ディレクターと僕です。


 まずは、ひと風呂浴びてから、宴会場へ。

 「どうも小暮さん、いつもいつもありがとうございます」
 と、満面の笑みで迎えてくれた3代目女将の持谷美奈子さん。
 女将には昨年、本の取材とは別に、新聞の連載記事でもインタビューさせていただきました。

 秋田県の出身で、大学卒業後に横浜の銀行で同僚だった主人の明宏さんと出会い、結婚。
 平成3年の結婚を機に退職して、明宏さんの実家である猿ヶ京ホテルに入りました。
 今ではすっかり、大女将の後を継いで、ホテルの顔であります。

 「小暮さん、まず、それを召し上がってください」
 と、お膳の上に置かれたドリンク剤を指さす女将。
 「えっ、これなんですか?」
 と手にとって見てみると、“うこん” の文字。

 我々が、のん兵衛と知っての、女将のやさしい心遣いなんですね。
 ありがとうございます。
 これで、心置きなく、飲み放題コースにチャレンジができるというものです。

 生ビールで乾杯をするやいなや、
 「おいしいお酒をご用意しましたよ」
 と、女将自らがお酌をしてくれました。
 酒瓶のラベルには、『久保田』 の文字。
 それも、「翠寿」 であります。

 うま~~い!
 幸せの、絶頂であります。
 生ビールと冷酒の交互飲みで、俄然、ピッチが上がります。


 「で、次回作ですが・・・」
 と、ディレクター氏が切り出せば、
 「小暮さんには、群馬の温泉を網羅していただきたいですね」
 と出版部長も言い出して、話は、もう来年の出版を飛び越えて、再来年2015年の構想で盛り上がります。

 そのままテーマは2次会まで持ち込み、熱い熱い出版編集会議へと発展して行ったのであります。


 1年を振り返り、互いをねぎらい合う忘年会も良いですが、僕は、こういう発展的な飲み会が一番楽しくて好きです。
 来年のことを言うと、「鬼が笑う」 といいますが、再来年のことを言えば、きっと鬼は喜んで手を貸してくれるはず。

 素敵なスタッフたちと、大好きな温泉の仕事ができること。
 そして、今年も、こうやって温泉地をめぐりながら、一年を終えられることを幸せに思います。

 人に感謝、湯に感謝。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:49Comments(0)温泉地・旅館

2013年11月28日

猪ノ田温泉 「久惠屋旅館」⑦


 「いつもブログを拝見しています。私は小暮さんの書く、家族の話が大好きなんです」
 と、満面の笑みで出迎えてくだった若女将の深澤久美子さん。
 確か、女将さんの信子さんと一緒に、新聞連載の取材でお会いしたのが最後ですから、かれこれ2年10ヶ月ぶりになります。

 あの時は、まだ若女将として旅館に入ったばかりで、僕のインタビューにかなり緊張していた記憶があります。
 また、持病をお持ちとかで、女将が若女将の体をいたわっていたのが印象的でした。

 昨日、久しぶりにお会いすると、あの頃よりも少しふっくらとされ、血色も良く、大変お元気そうでした。
 「すっかり、若女将が板についてきましたね。だいぶ、健康になったんじゃないですか?」
 と言うと、
 「ええ、温泉のおかげです」
 と、うれしそうに笑いました。

 いいですね。その笑顔!
 そもそもキレイな人ですが、健康的に笑う女性は、より美しく、華やいで見えますね。

 そういえば、長年、体が弱かった女将さんも、温泉の効能により健康を取り戻した1人でした。


 昭和58(1983)12月、藤岡市内で牛乳販売業を営んでいた主人の宣恵(のぶやす) さんは、周囲の反対を押し切って久惠屋旅館を開業しました。
 今年の12月で、ちょうど満30周年を迎えます。

 「当時、このあたりの土地(藤岡市下日野) に詳しいお客さんに教えてもらったんだよ。かつて、ここには鉱泉が湧いていて、湯治場としてにぎわっていたってね。だからオレが探し当てて、復活させたんだよ」
 と、誇らしそうに話す主人。
 僕は、もう何度もお会いして、何度もその時の話を聞いていますが、何度聞いても “男のロマン” を感じるいい話です。

 昨晩も、しっかり、もう1度、源泉発見から苦節10年かけて、幻の温泉を復活させた波瀾万丈記を聞いてきました。


 とにかく猪ノ田(いのだ) の湯は、皮膚病に良く効く霊験あらたかな薬湯であります。

 源泉には、「殺菌」「浄化」「漂白」 の作用があるため、皮膚科や小児科の医者が取り寄せて、アトピーの患者に紹介しているほど。
 医学が発達した現在でも、医者に見放された患者たちが、遠方からやって来ています。
 現在は、そんな遠方の患者さんのために、源泉を詰めたペットボトルや源泉水入りの石けんも販売しています。

 実は僕、ここの源泉を何年も前から使っているんです。
 特にこれからの季節、乾燥肌に悩まされるものですから、かゆい所にシュシュっと噴霧器で源泉をかけています。
 すると、不思議不思議、ピタリとかゆみが止まり、グッスリと眠れるんですよ。

 もちろん今回も、源泉水をいただいて帰ってきました。


 それから、2代目若主人の永守(ひさし) さん、ごちそうさまでした。
 自ら腕をふるってくださった手の込んだ料理と、わざわざ部屋まで持ってきたくださった地酒・・・
 お話を聞けば、いろいろとアイデアを駆使して、新作料理を考えている様子。

 昨晩、話していた地元の食材を使った新名物が完成したら、ご連絡くださいね。
 ぜひ、一番に試食してみたいものです。
 楽しみにしています。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:46Comments(0)温泉地・旅館

2013年11月26日

うれしいクレーム


 “クレーム” って聞くと、僕は今でもドキッとしてしまいます。
 長年、雑誌の編集をしていましたからね。
 読者やクライアントからの苦情電話には、ハラハラしたものです。

 昔に比べれば、直接僕にクレームを言ってくる人は、ほとんどいません。
 それでも僕の書いた記事に対して、新聞社や雑誌社に意見や感想を伝えてくる読者はいます。
 その場合、編集者サイドで判断して、聞き流すこともあれば、筆者に対処を相談する場合もあります。

 そのほとんどが、編集者から 「こんな読者からの電話がありました」 という事後報告で済んでいますが、クレームというものは、大した内容でなかったとしても、あまり気分のいいものではありませんね。


 ところが先日、うれしいクレームが読者から寄せられました。


 先週、このブログに、連載コラムが急きょ、休載になったことを書きました。
 毎週水曜日、朝日新聞の群馬版に連載している 『小暮淳の温泉考座』 のことです。
 ※(詳細は当ブログ11月20日の「今日の朝日新聞」を参照ください)

 先週の水曜日、朝日新聞の通常掲載ページには、ちゃんと休載を知らせる一文が載りました。
 ですから僕は、その編集者の配慮と、その時の対応に感動したことをブログには書きました。
 「ああ、よかった。これで読者も納得してくれるだろう」 と・・・

 と、と、とこが!
 この、お知らせ文に、読者からクレームが来たとのことです。

 編集担当者いわく、
 「『毎週、楽しみにしている記事なので、勝手に休まないでくれ!』 と、お叱りをうけました」
 とのこと。

 うーーーーーん!
 なんて、うれしいクレームなのでしょうか!
 これぞ、ライター冥利というものです。

 そして担当者は、こう言葉を続けました。
 「新聞社に電話をするのって、すっごく垣根が高いことだと思うんですよ。よっぽど休載がショックだったんでしょうね」


 ありがとうございます。読者様!
 やっぱり、読者様は神様です。
 そして、読者あってのライターなんだと、しみじみ思いました。

 今後も、ごひいきくださいますよう、お願い申し上げます。


 と、いうことで、読者待望(?) の連載コラムが、1週間遅れて明日、掲載されます。
 シリーズ30回目の明日は、ズバリ!「いい温泉宿とは?」

 “いい湯守のいる宿には、露天風呂がない”って、本当?

 さて、その真相は・・・・

 明日、27日の朝日新聞群馬版を、ご覧ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:38Comments(2)執筆余談

2013年11月25日

若いって素晴らしい


 昨晩、床に就こうとしたら、階下で玄関ドアの開閉する音がしました。
 <また、午前様か? 男の子だからいいけど、夜遊びは、ほどほどにしろよ>
 と、息子が帰宅した気配に気づいた僕は、眠りにつきました。

 ところが朝方、また息子は出かけて行きました。
 「おいおい、あいつ、なにやってんだ?」
 朝食をとりながら、家内に言うと、
 「彼女に会いに行ったんじゃないの」
 「彼女? こんな早朝にか?」
 「しばらく、会えなくなるからでしょ」

 そーだよ!
 今日は、息子が海外へ出発する日じゃないか。
 「あいつ、ほとんど寝てないんじゃないのか?」

 と、思ったら、帰って来る早々、午前中にまた出かけて行きました。
 また、誰かに会いに行ったようです。


 戻って来たのは、お昼少し前。
 「ああ、もう、こんな時間だ! おとうさん、送ってくれる?」
 と、やっと父親と口をきいたと思ったら、駅まで車で送ってくれとの催促です。

 「昼飯、どうするんだ?」
 「いいや」
 「お前、寝てないじゃないか?」
 「大丈夫」
 「お金はあるのか?」
 「ああ」

 「気をつけてな」
 「分かった。行ってくるよ」

 父と息子なんて、そっけないものです。
 車の中では、一問一答の会話しかありませんでした。


 息子を駅前ターミナルで降ろし、ウィンカーを出しながら、僕はクラクションを1回、鳴らしました。
 大きなキャリーバックを引いた息子が、振り返り、手を上げて笑っていました。

 若いって、素晴らしいですね。
 正直、うらやましくもあります。

 だって、夜通し遊んで、そのまま海外へ行けるんですよ。
 心も体も120%フル回転で、全力投球できるんですからね。


 実は僕、というか家内もですが、今回の息子の海外旅行に対しては、一銭も援助をしていません。
 いえいえ、前回のオーストラリア留学だって、一銭も出していません。

 今回は、前回の留学から半年くらいしか間が空いてなかったので、彼も旅費集めには苦労したようです。
 早朝からコンビニで働き、昼間は学校へ行き、夜は遅くまでフィットネスクラブのインストラクターのアルバイトをしていましたもの。
 僕ら夫婦は、グチ1つこぼさずに頑張っている息子を見ているだけでした。

 でもね、好きなことのために、やりたいことのために、身を粉にして生きれることが若さの特権だと思うんですよ。
 そこで、親が口や金を出してしまったら、彼だって達成感が薄れてしまいます。


 ま、僕も若い頃は、異国にあこがれて、出かけて行きましたから、息子の気持ちは良くわかります。

 でも、くやしいのは、今回彼が行く国は、僕が若い頃に行きたくて行けなかった “タイ” なんです。
 今からでも遅くはないと思うんですけど、彼のようなフットワークと体力が、もう僕にはありません。

 やっぱ、若いって、素晴らしいですね。


 息子よ、父の分までタイを漫遊してくるのだよ。
 帰ったら、みやげ話を聞きながら、酒を飲もうじゃないか!
   


Posted by 小暮 淳 at 21:43Comments(2)つれづれ

2013年11月24日

相間川温泉 「ふれあい館」


 2011年1月に出版した 『ぐんまの里山 てくてく歩き』(上毛新聞社) で、僕は26ヶ所の山や滝、湖、渓流を歩くコースを紹介しています。
 すべてのコースのラストは、必ず温泉に入り、ビールを飲むという超私的なウォーキングエッセーです、

 この中で、「石尊山」(安中市・高崎市) と 「十丈の滝」(高崎市) のコースで2度も立ち寄っているのが、相間川(あいまがわ)温泉 「ふれあい館」(旧倉渕村) です。


 「ふれあい館」 は、旧倉渕村(現高崎市) が、都市生活者のために遊休農地を整備して貸し出している市民農園 「クラインガルテン」 の中にある国民健康保険保養施設です。
 (クラインガルテンとは、ドイツ語で「小さな庭」の意味)
 平成7年に温泉が掘削されてからは、入浴施設としても一般に開放されています。

 でもね、ここは宿泊施設のある、れっきとした温泉地なんですよ。
 と、いうことで、日帰り入浴だけでなく、ちゃんと1度泊まって記事を書かなくてはなるまい!と、今週、泊まってきました。


 ま、行ったことのある人ならば、ご存知でしょうが、とにかく、ここの湯は、色が濃い!
 茶褐色というよりも、もっとオレンジ色に近い赤褐色なんです。
 僕が知る限り、県内一色の濃い温泉だと思います。

 多いのは、鉄分だけではありません。
 塩分が半端なく多い、“強塩温泉” です。
 なめてみると分かりますが、しょっぱいというより、塩辛い!
 塩、そのものをなめている感じ。

 だから体に傷でもあったら、「ひぇーーーー!」っと悶絶するくらい、しみます。
 ひげそり後の肌だって、ヒリヒリしますもの。

 そして、塩分が多いということは、体が浮きやすいということ。
 湯舟の底に、しっかりとお尻を固定しておかないと、フワ~リ、フワ~リと、体が浮いてしまいます。


 そして、浴室の脱衣所には、こんな注意書きが・・・

 “要注意! 長湯、湯あたり”
 “救急搬送多数あり”
 “湯あたり注意! 長湯は禁物”

 いやいや、驚きました。
 なんでも温泉成分が濃厚で、浴感が心地よいため、ついつい長湯をしてしまう人が多いのだとか。

 “1回の入浴は、7分が適当”
 とも書かれていましたよ。

 ま、それほどに個性的な湯なのであります。
 未体験の人は、ぜひ1度、浸かってみてくださいな。


 夕食は、自家農園で採れた葉物や根菜の素朴な里山料理。
 都会からの連泊者が多いのも、納得です。

 特筆すべきは、そのお値段!
 一般でも1泊2食で、6,975円~。
 高崎市民なら、さらに割引があります。


 群馬県内には、安くて、いい温泉が、たくさんありますね。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:06Comments(0)温泉地・旅館

2013年11月23日

温泉発見伝説の御三家


 古湯(ことう) と呼ばれる何百年もの歴史ある温泉地には、必ず温泉の発見伝説が残されています。

 大きく分けて、鳥や獣が見つけたとされる 「動物発見伝説」 と、歴史上の偉人が見つけたと伝わる 「人物発見伝説」 があります。
 全国には温泉を発見した、たくさんの偉人の名前が残されていますが、群馬県の場合、おおむね、この3人が “御三家” と言えるでしょう。

 ・日本武尊 (やまとたけるのみこと)
 ・弘法大師 (こうぼうだいし=空海)
 ・源頼朝 (みなもとのよりとも)


 草津温泉には、日本武尊と源頼朝の伝説があります。
 弘法大師が発見したとされる温泉では、その名が付いた法師温泉が有名です。

 しかし!

 それ以外にも、知られざる発見伝説が、県内にはたくさん残されています。

 しかも!

 伝説が残っているだけではなく、お宮が祀られていたり、石造が建立されていたり、ゆかりのある品が残されていたりしますから、温泉好きにかかわらず、興味を持たれる人も多いと思います。


 と、いうことで、僕がコメンテーターを務める群馬テレビの 『ニュースジャスト6』 では、次回、温泉発見伝説の第2弾として 「群馬の御三家」 について、お話をしたいと思います。
 時間のある方は、ご覧ください。



 ●放送局   群馬テレビ(地デジ3ch)
 ●番組名   「ニュースジャスト6」
          NJウォッチのコーナー
 ●放送日   11月25日(月) 18:00~18:30
 ●ゲ ス ト   小暮 淳 (温泉ライター)
 ●テーマ    温泉発見伝説 「群馬の御三家」
  


Posted by 小暮 淳 at 15:40Comments(0)温泉雑話

2013年11月22日

霧積温泉 「金湯館」⑤


 全国から温泉地が消えています!


 何十軒も宿のある温泉地は、1軒の宿が廃業しても温泉地自体は残ります。
 でも、“一軒宿” と呼ばれる温泉地は、たった一軒で源泉と温泉地名を守り続けているわけですから、その1軒が廃業してしまうと、温泉地自体が、この世から消えてしまうのです。

 ですから僕は、一軒宿の温泉地のことを 「絶滅危惧温泉」 と呼んでいます。


 群馬県内には、約100ヶ所の温泉地(宿泊施設のある) があります。
 うち8割以上が、10軒の宿に満たない小さな温泉地です。
 さらに、それの8割以上(全体の半数以上) が、たった1軒で営んでいる温泉地です。

 僕が2009年9月に出版した 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) には50軒の宿(=50温泉地) が掲載されています。
 が、すでに4軒の宿が廃業しています。
 さらに現在、僕のもとへは、廃業もしくは経営の撤退を検討している温泉宿の情報が、いくつか届いています。

 実に、由々しきことであります!

 これは、大変だーーーっ!
 と思い、「日本秘湯を守る会」(朝日旅行) の加盟宿を調べてみたら、数年前まで群馬県内に15軒あった宿のうち、3軒もが廃業していることが分かりました。

 まさに秘湯の一軒宿は、絶滅の危機に瀕しているのであります。


 では、一軒宿の温泉は、減少する一方なのか?
 と問えば、温泉の掘削により新しく誕生した宿もあります。

 でも、それ以外の理由で、一軒宿の温泉地が誕生する場合があります。
 それは、他の温泉宿が消えたことにより、1軒だけ残ってしまったケースです。

 古くは、大正7年の大火により十数軒の宿が全焼して、湯元の 「紅葉館」 だけが残った鹿沢温泉などがあります。
 近年では、数軒あった宿が次々と廃業して、現在、花敷温泉は 「花敷の湯」 ただ1軒になっています。


 ここにきて、また、群馬県内に一軒宿の温泉地が誕生してしまいました。
 それは、霧積(きりづみ) 温泉です。

 そう、あの作家・森村誠一の代表作 『人間の証明』 の舞台になった温泉です。
 一昨年の春に、2軒あった宿のうち、下にあった 「きりづみ館」 が後継者不在のために余儀なく廃業。
 湯元である 「金湯館(きんとうかん)」 だけになってしまいました。
 ※( 「金湯館」 は、「きりづみ館」 が開業した昭和36年までは、やはり一軒宿だった。)


 と、いうことで昨日は、一軒宿になってしまった 「金湯館」 へ行ってきました。

 最後に僕が金湯館を訪れたのは、一昨年の1月ですから、1年11ヶ月ぶりになります。
 あの時は、宿のシンボルである水車が全面凍結したという知らせを受け、その “氷の芸術” を鑑賞しに行ったのでした。
 そして、その時は、まだ 「きりづみ館」 はありました。 

 で、今回、行ってみたら・・・

 もう、旅館の建物は、跡形もなく、更地になっていました。
 僕はしばらく、呆然と立ち尽くしてしまいました。


 そのぶん、「金湯館」 の3代目主人の佐藤敏行さん、みどりさんご夫妻、4代目を継いだ淳さん、知美さん夫妻の元気な笑顔とお姿に、また会うことができました。

 かの伊藤博文や勝海舟らも泊まったという、明治17(1884)年創業の老舗旅館です。
 ぜひ、これからも5代目、6代目へと、群馬の宝物である温泉を未来に受け継いでいってください。

 微力ながら、僕も応援させていただきます。


 “入って残そう! 群馬の秘湯”

 みなさんも、よろしくお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:12Comments(3)温泉地・旅館

2013年11月20日

今日の朝日新聞


 今日の朝日新聞を見て、「あれ?」 と思われた読者がいたかもしれませんね。

 僕は現在、朝日新聞の群馬版に毎週水曜日、『小暮淳の温泉考座』 というコラムを連載しています。
 おかげさまで順調に回を重ね、今日が30回目の掲載日のはずでした。

 でも、時として、新聞には誌面上の都合という編集サイドの事情により、急きょ掲載内容が変更される場合があります。
 それが、今日だったのです。
 でも、さすが天下の朝日新聞ですね。
 ちゃーんと、読者のためにお知らせ文を載せています。

 <「小暮淳の温泉考座」 は休みました。>
 とね。

 筆者としては、うれしいかぎりです。
 この一文が、あるのと、ないのとでは、読者の反応が違いますものね。
 「あれ、今日が掲載日じゃなかったっけな? 自分の記憶違い?」
 「過激なことばかり書いているから、ついに小暮さんは降ろされたのかな?」
 なーんてね。

 担当者およびデスクに、お礼を申し上げます。


 実は2日前、新聞社より電話がありました。
 「誌面の都合で、水曜日の掲載がズレる可能性が出てきました。その場合、数日ズラすのか、丸々1週間ズラすのか、現在、検討中です」
 とのこと。

 そして昨晩、再度、電話があり、
 「毎週、水曜日の掲載を楽しみにしている読者もいますので、曜日をズラすことはやめました。お知らせ文を入れて、予定していたコラムは、1週間先送りにします」
 との連絡を受けました。

 筆者にも読者にも配慮した丁寧な対応に、
 「ああ、なんて気持ちがいいのだろう」
 って、感心しました。

 そして、
 「よーし、頑張って、これからもジャンジャン書くぞーーっ!」
 って、意欲まで湧いてきたのです。


 一見、新聞の編集って、事務的に行われているように思われがちですが、こんな小さなコラム1本にも、編集者は気を遣ってくださっているのですね。
 ただただ、感謝であります。

 誌面の隅っこに載った、わずか2行の文章に、ホッコリと心が温かくなった1日でした。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:09Comments(0)執筆余談

2013年11月19日

読者様は神様です


 会場によっては行わない場合もありますが、たいがいの講演やセミナー会場では、著書の販売を行っています。

 今は、昔のように書店に並べていれば本が売れる時代ではありません。
 著者自らが、売らなければ、なかなか本なんて売れませんって。

 ま、演歌歌手がレコード店の店頭で、歌って、レコードを売ったように、ある意味、講演会での著書販売は、ライターにとっての “営業活動” の一環なのであります。

 でもね、これが、楽しいんです!

 だって、講演会だけでは、来場者との触れ合いはありませんもの。
 でも、著者自らが販売して、求められたサインをすることにより、直接、読者とのコミュニケーションが取れるわけですから。


 先日の講演会でも、たくさんの読者と触れ合うことができました。
 なかには、こんな人も・・・

 「一番新しい本は、どれですか?」
 と、ご婦人。
 「今年の4月に出た 『みなかみ18湯』 の下巻です」
 と僕が答えると、
 「だったら全部、持っているわ」
 とのこと。

 「えっ、全部、持っているんですか! ありがとうございます」
 と、こちらが恐縮してしまいました。

 すると、
 「買う本がないから、握手だけしてもらってもいいかしら?」
 だなんて、読者って、なんてありがたいんでしょう。


 と、思えば、最近は・・・

 「買わないと、サインはしていただけませんか? 本を持ってきたんですけど」
 と言って、わざわざ会場に本を持参して来る人が増えました。

 もちろん、KOです。
 喜んで、サインをさせていただいてます。
  

 これだもの、「疲れた」 だの 「辛い」 だの、グチは言ってはいられませんって。
 読者がいる限り、ライターは書き続けなくてはならないのです。
 読者あってのライターなのですから。

 読者様は、神様なのです!
   


Posted by 小暮 淳 at 20:33Comments(0)著書関連

2013年11月18日

2つのお守り


 温川(ぬるがわ)温泉の一軒宿、「白雲荘」 に最初に泊まった晩に、6体の観音像が現れた話は、このブログにも書きました。

 先日、その話を 「白雲荘」 のオーナーである唐沢貴子さんに話したところ、
 「こんな観音像でしたか?」
 と、自分のブレスレットを差し出しました。

 確かに、数珠(じゅず) のようになっているブレスレットの玉の1つに、金色に輝く仏像が刻まれています。
 「これは、私の守り神の千手観音です」

 話を聞けば、唐沢さんの母方の実家が、温川の対岸にある 「本正院」 というお寺で、そこで祈祷していただいたブレスレットなのだそうです。

 文献によれば、ここ浅間隠温泉郷にある3つの温泉は、その昔はすべて本正院の持ち湯だったようであります。
 ですから湯治客は、必ず薬師様が祀られている、このお寺にお参りし、健康と長寿を祈願していたということです。


 と、いうことは、あの晩、僕の枕元に現れた6体の観音像は、本正院からやって来られた薬師様だったのかもしれません。
 と、なれば、ご挨拶に行かなければ、無礼にあたります。

 ですから、ちゃんと帰りに寄って、参詣してまいりました。


 境内に、「ぽっくり地蔵(長寿地蔵尊)」 があったので、
 「両親には、もっともっと長生きしてもらいたいのですが、できましたら最期は、ポックリと逝ってもらえるよう、お願い申し上げます」
 と、お祈りをして、2つのお守りをいただいて帰りました。

 1つは、オヤジのために 「長寿守」。
 もう1つは、オフクロのために 「足腰守」 です。

 オヤジには杖に、オフクロにはバッグに、それぞれお守りを付けてあげました。


 オヤジは、訳も分からず持ち歩いていますが、オフクロは大変喜んでくれ、
 「前みたいに歩けるように、リハビリを頑張る」
 と、約束をしてくれました。

 ただ、オヤジのお守りが気に入らないようであります。

 「お父さんに、あんまり長生きされると、私のほうが先に逝ってしまうよ」
 と言います。
 だから、僕は、こう言ってやりました。

 「歩けるようになったら、お守りを交換すればいいさ」
 とね。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:41Comments(0)温泉雑話

2013年11月17日

薬師温泉 「旅籠」


 浅間隠温泉郷の一番奥にある一軒宿の温泉が、薬師温泉 「旅籠(はたご)」 です。

 実は、この温泉、僕にとっては、とっても思い入れのある温泉なんです。
 それは、僕が温泉ライターとして初めて雑誌に連載を始めたシリーズの、その第1回目で書いた温泉旅館なんです。
 月刊 「ぷらざ」 の2004年4月号でした。

 あれから約10年。
 もう何回訪れたか分からないくらい、取材や講座、プライベートでお世話になっている旅館であります。
 ですから今回も、一応、担当者と挨拶はしましたが、勝手知ってる館内ですから、自由気ままに取材をさせていただきました。


 薬師温泉 「旅籠」 と聞くと、「かやぶきの郷(さと) 」を思い浮かべる人もいるでしょうね。
 でも、僕が最初に訪れたときは、まだ 「かやぶきの郷」 はなくて、玄関も現在の長屋門のある南側ではなく、北側の温川沿いにあったんです。
 玄関も小さくて、今のテーマパークのような大きくて立派な施設になるとは、想像もつきませんでした。

 さらに、それ以前は 「偕楽荘」 という小さな湯治宿でした。
 薬師温泉と呼ばれるようになったのは、宿が建った昭和5(1930)年からのこと。
 それまでは、「昭和の湯」 とも 「上の湯」 とも言われていたようです。

 ちなみに 「下の湯」 が、現在の鳩ノ湯温泉です。


 源泉の湧出地は、浴室へ行く途中の横穴の中。
 プクプクと湧き出す様子を、モニターで見ることができます。
 これって、けっこう感動しますよ。
 源泉の湧き出す様子が見られる温泉旅館は、県内でも数少ないですからね。

 薬師温泉に来たら、「薬師の湯」 に入らなければ、来た意味がありません。
 館内には、他にもいくつか浴室はありますが、湧出量が多くないため、ここだけが源泉かけ流しです。
 ※(ただし、日帰り入浴客は入れません)

 湯は一見、透明に見えますが、目を凝らして見ると、小さな析出物の浮遊があり、微濁しているのが分かります。


 湯の中で、10年前の記憶が、少しずつよみがえってきました。
 まだ40代半ばでした。
 会社を辞めて、フリーのライターになって7~8年の頃です。

 「あの頃は、仕事さえあれば、なんでも取材して、なんでも書いていたなぁ・・・」
 なんて思いながら、それからの10年間を回想していたのであります。


 僕の温泉ライターとしての仕事は、この湯から始まったと言っても過言ではありません。 
  


Posted by 小暮 淳 at 22:05Comments(2)温泉地・旅館

2013年11月16日

温川温泉 「白雲荘」③


 温川温泉の一軒宿 「白雲荘」 は、浅間隠温泉郷の中で、一番小さな温泉宿です。
 前回訪ねたのは、昨年の12月ですから、ほぼ1年ぶりの再会となります。

 再会したのは、6代目女将の葉木沢愛子さんと、3代目オーナーの唐沢貴子さん。
 2人のご厚意により、泊めていただき、じっくりと取材をしてきました。


 「白雲荘」 といえば8年前、初めて泊まった晩に、摩訶不思議な体験をした宿です。
 真夜中、目が覚めると僕の枕元に、黄金に輝く6体の観音菩薩像が現れました。
 それが、何を意味するのか分かりませんでしたが、その年を機に、僕は温泉取材にのめり込んで行きました。
 ※(不思議な体験の詳細は、当ブログ2010年11月1日「温川温泉 白雲荘」 参照)

 今回が、ちょうど6回目の訪問になります。
 そして、来年出版予定の温泉シリーズ本が6冊目。

 はたして、また観音菩薩像は、現れるのでしょうか?


 とにもかくにも、宿に着いたら、まずは風呂です。
 が、その前に、番頭さんが瓶ビールを部屋まで持ってきてくださったので、1本だけノドを潤してから、露天風呂へ向かいました。

 と、いっても、ここの露天風呂は、完全なる屋外です。
 宿を出で、温川の清流沿いに2~3分歩くと、「目の湯」 と書かれた湯小屋があります。

 江戸時代中期、囲炉裏や炊事の煙に悩まされた村の女房どもが、この湯で丹念に目を洗ったところ、たちまちに治ったことから 「目の湯」 と呼ばれるようになったといいます。
 実際、目薬の成分であるホウ酸が含まれているため、今でもペットボトルに源泉をくんで帰る人がいるそうです。


 「その節は大変ありがとうございました」
 と、湯小屋の前にある休憩所(日帰り入浴客の受付所) に立ち寄ると、オーナーの唐沢さんが出てきました。
 「あの後、新聞を持ってやって来る人が、大勢いらっしゃいました」

 新聞とは朝日新聞のことで、僕は今年の3月まで 『湯守の女房』 という記事を連載していたのです。
 で、その時、唐沢さんにねだられて、色紙にサインをしました。

 「ごめんなさーい! あの時、小暮さんには 『壁には貼るな』 って言われたんですけど、貼っちゃいました!」
 と指さす先には・・・

 ギエーーーーーッ!!!!!!!

 まさしく、ヘタクソな字で書かれた僕のサインが、他の訪れた有名人たちと一緒に飾られているではありませんか~!
 しかも、あの時、唐沢さんと一緒に撮った写真までが貼られています。

 でもね、許しちゃいます。
 だって、美人に 「ごめんなさーい」 なんて言われれば、男なら誰だって許しちゃいますよ。
 かなり面はゆい気持ちには、なりましたけどね。


 せせらぎの音を聴きながら、のんびり、ゆったりと、紅葉に映える山並みを眺めながら温泉に浸かっていると、これが仕事だということを、ついつい忘れてしまいます。

 しばらく沈んでいると、体中に泡の粒が付きだしました。
 昔から泡の出る温泉は、骨の髄まで温まるといわれています。

 これは、また湯上がりのビールが旨そうですぞ!
   


Posted by 小暮 淳 at 21:13Comments(0)温泉地・旅館

2013年11月15日

鳩ノ湯温泉 「三鳩樓」


 群馬県東吾妻町には、2つの温泉郷と5つの温泉地があります。
 吾妻渓谷温泉郷の、川中温泉と松の湯温泉。
 浅間隠温泉郷の、鳩ノ湯温泉と薬師温泉と温川温泉。

 5つの温泉地すべてが、たった1軒で源泉を守っている一軒宿です。


 2日間、僕は浅間隠(あさまかくし)温泉郷に滞在して、3つの温泉旅館を取材してきました。

 まず最初に訪ねたのは、江戸時代より奥上州の湯治場として栄えた鳩ノ湯温泉「三鳩樓(さんきゅうろう)」。
 ※(鳩ノ湯温泉の由来については、当ブログの2011年5月4日 『いで湯伝説④「鳩」』 を参照)

 三鳩樓を訪ねるのは、確か4回目です。
 最初に訪ねた晩に、ご主人の轟徳三さんから聞いた 「あまりに歴史が古過ぎて、自分が何代目だかは不明」 と言った言葉が、実に印象的でした。

 で、今回、僕はあらためて、お訊きました。
 「う~ん、分からねーなー」
 「そこをなんとか! だいたいで、いいんですけど」
 と、ねばったところ、やっと、
 「たぶん、14~15代目だと思うよ」
 とのこと。

 なんだか、そのあいまいなところが、やけに説得力を感じたのであります。
 だって、創業は江戸時代ですものね。
 ちゃんとした家系図でもないかぎり、“たぶん” というのが本当の話だと思います。


 過去に、新聞や雑誌、ラジオ、テレビでも書いたり話したりしましたが、ここの温泉は色が変る珍しい湯なんです。
 名づけて、「万華鏡の湯」。
 (もちろん、僕が勝手に命名しました)

 季節や天候により日々色を変え、時間の経過とともに色を変えます。

 一番顕著なのは、真冬の2月頃とか。
 「いつもは、にごっているけどブルーになったり、透き通ることもある」
 ただし、
 「オレも無色透明な湯は、まだ1度しか見たことがないけどな」
 と、ご主人が言うほど、透き通ることは滅多にないようです。


 で、僕が過去に訪れたときは、たいがい黄褐色や茶褐色でした。
 そういえば1度だけ、夜は茶褐色だった湯が、翌朝には鮮やかなカーキ色に色を変えていたことがありました。

 さて、今回の色は?


 露天風呂、内風呂ともに、モスグリーン(深緑色) に見えました。
 でも湯舟に浸かり、手で湯をすくってみると、黄色や茶色の湯花が漂っているのが分かります。

 相変わらず、不思議な湯であります。


 「人参持っていくか? ヤーコンもあるぞ」
 と、土の付いた野菜をドッサリ!

 「ヤーコンですか? どうやって食べるんですか?」
 と訊けば、帳場の奥から女将さんが出てきて、
 「キンピラにするのが美味しいわね」
 と。

 ありがとうございます。
 取材して、お土産までいただいてしまって。
 と、思ったら・・・

 「おい、取材費置いていけよ。オレは来週からドイツへ行くんだからさ。餞別がわりだ」
 と冗談を言って、笑う主人。
 東吾妻町観光協会長として、本家本元のロマンチック街道を視察に行って来るんだとか。

 お忙しい人であります。
 お気をつけて、行って来てくださいね。

 ご主人が帰る頃には、原稿をお見せできると思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:26Comments(2)温泉地・旅館

2013年11月13日

おじいさんといっしょ④


 取材や出張などの出かける仕事がない限り、僕は実家を訪ねることにしています。

 ふだんはアニキが面倒を看てくれていますが、それでも高齢の両親のことが心配なんですね。
 それに、アニキが介護疲れや介護ノイローゼにならないためにも、時々は僕がバトンタッチをして両親の面倒をみています。

 と、いっても、ほとんどがオヤジの面倒ですけど。


 オフクロは病弱に加え、足が不自由なので一日中、部屋にこもりっぱなしです。
 でもオヤジは、頭が不自由なだけで、足腰と口が達者なものですから毎日、時間を持て余しています。
 ひいては、自分の思い通りにならないと、オフクロに八つ当たりをして、暴言を吐いたり、罵声を浴びせ、うっ憤を晴らしだすのです。

 医者からは、
 「なるべくお父さんとお母さんを一緒にしないように」
 と注意を受けています。
 オヤジが怒ることで、オフクロにストレスがたまり、命令に従おうとして無理をしてしまうからです。

 だから僕がいるときは、できるだけオヤジを連れ出して、2人を引き離すようにしています。


 今日は、オヤジを病院へ連れて行きました。
 月に1度の定期健診日であります。

 「よっ、じいさん! 元気かい?」
 「ああ、元気だ」
 「今日は医者へ連れていくからな。どこも悪いところはないんだろ?」
 「・・・・・」

 オヤジは、黙り込んでしまいました。

 「どこか悪いところがあるんかい?」
 と尋ねると、
 「ばあちゃんに、“口が悪い” と言われる」

 これには、大笑いです。
 だから、言ってやりましたよ。
 「自分でも、そう思うんかい?」
 すると、
 「ああ…」
 と言って、悲しい顔をするのであります。

 「自分で分かっているんなら、直しなよ」
 と言えば、
 「わかった」
 と、その時だけは言うのですが・・・

 すぐに、

 「ババア、ババア! ババアじゃなければ、クソババアー!」
 だなんて、大声を上げてオフクロを呼びつけるのであります。

 まったくもって、これだから大正生まれのクソジジイには困ったもんです。


 そんな元気過ぎるオヤジも、医者の前では借りてきたネコのように、シュンとしておとなしく健診を受けていました。


 おい、じいさん!
 あんまりオフクロをいじめると、毎日医者のいる病院に入れちまうからな!
  


Posted by 小暮 淳 at 22:19Comments(0)つれづれ

2013年11月12日

明日の朝刊


 今日は、玉村町(群馬県佐波郡) の 「ふるハートホール」 で講演会があり、読売新聞社より取材を受けました。

 たぶん・・・、読売新聞から取材を受けるのは、初めてだと思います。

 でも、そりゃ、そうですよね。
 僕が本を出版しているのは上毛新聞社からだし、コラムの連載をしているのは朝日新聞ですもの。
 講演やイベントがあると、大概は、この2紙が取材にやって来ます。

 が、今回!
 天下の大新聞社、読売新聞社からも取材申込があり、わざわざ記者さんが会場まで来てくださいました。

 インタビューだけではなく、しっかり2時間の講演も聴いて、さらに、著書の販売&サイン会場でも写真撮影をしてくれました。
 記者さん、お疲れさまでした。


 と、いうことで、明日の読売新聞の朝刊に、今日の講演会の様子が記事として載ります。

 また、明日は水曜日。
 そう、朝日新聞のコラム連載日であります。

 と、いうとは、なんと!
 明日は、読売&朝日という2大紙の朝刊に、僕が登場するということです。
 (どちらも群馬版ですけど)


 読売新聞さん、これを機に、温泉記事の特集でも組みませんか?(笑)

 あ、それから毎日新聞さんも、取材または原稿依頼の連絡をお待ちしています(笑)

 いえいえ、その他の新聞、雑誌、メディア関係者のみなさんも大歓迎であります。
 今後とも、群馬の温泉のPRをお願いいたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:04Comments(2)講演・セミナー

2013年11月11日

「なんとかなる」 は魔法の言葉


 毎週土曜日の楽しみは、午後2時からの群馬テレビ。

 70年代に青春時代を過ごした同世代のみなさん!
 ご存知でしたか?
 我が人生のバイブルともいえる青春ドラマ 『俺たちの旅』 の再放送をやっているんであります。

 もちろん、毎週かかさず、観ております。


 僕は、あのドラマに人生を学んでしまった “カースケフリーク” の1人なんです。

 カースケとは、中村雅俊演じる主人公、津村浩介のあだ名。
 そのカースケの口ぐせは、「なんとかなる!」

 「気楽に生きなきゃ、人生なんてつまらない」
 「その日その日が楽しくなければ、一生が楽しいはずがない」

 きーーーっ、このいい加減な生き方が、当時の僕を完全に魅了しました。
 当時の僕は、高校2年生。
 「この生き方だ!」
 と、それから今日に至るまで、“カースケスピリッツ” を貫いてきました。


 カースケゆずりの 「なんとかなる」 を人生のモットーとしている僕は、「なんとかしよう」 とムキになって生きている人たちと、うまくやっていけません。
 その昔、雑誌の編集をやっていたときも・・・

 「なんとかなります」 と言ったら、
 「なんとかなるじゃなくて、なんとかするんだ!」
 といった上司と、見事にぶつかってしまいました。

 でも結果、なんとかなったんです。


 「なんとかする」 は、自分の意思とは別の力が働きます。
 結果、無理をしたり、意に反した行動を起こします。

 でも 「なんとかなる」 は、自然体なんですね。
 人事を尽くして天命を待っていれば、いいんです。

 大切なことは、生き方がブレないこと!

 「なんとかしよう」 として、そのたびにブレてしまう人を、僕は過去に何人も見てきましたもの。


 「なんとかなる」 は、魔法の言葉なんです。

 いま、何かに悩んでいる方!
 この魔法の言葉を唱えてみてください。

 きっと、自分のことが、もっと好きになれると思いますよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:44Comments(0)つれづれ

2013年11月10日

高原千葉村温泉 「高原千葉村」③


 このブログにも書きましたが、現在発売中の月刊誌 「旅行読売」 の12月号に、僕の記事が掲載されています。
 タイトルは、「ほっこり温泉三昧! 群馬みなかみ18湯」。

 「『旅行読売』 見ましたよ」
 「今月の 『旅行読売』 に書かれてましたね」
 と、さっそく知人や温泉関係者から声をかけていただきました。

 書いた記事が読まれるというのは、うれしいものです。


 「いゃ~、知りませんでした。みなかみ町に硫黄泉があるんですね。ぜひ、今度行ってみます」
 と電話をくださったのは、雑誌の編集担当者。
 温泉好きの彼らしい感想です。

 ちょっと温泉に詳しい人なら、僕の記事を読んで気づくと思いますが、みなかみ町周辺は、無色透明の単純温泉や硫酸塩温泉が多いエリアなんです。
 その中で唯一、なぜか高原千葉村温泉だけが、乳白色ににごった硫黄泉が湧いています。

 白濁の湯といえば、群馬県内では草津温泉と万座温泉が有名ですが、そのほかには、ほとんどありません。
 硫黄泉にしても、僕が知る限りでは、あと2カ所くらいのものです。

 ま、それくらい県内では珍しいですから、温泉ファンは知れば飛びつくわけであります。
 “百聞は一見にしかず” であります。
 興味を持たれた人は、ぜひ、一度、不思議な色合いの温泉を体験してみてください。


 と、いうことで僕も1年ぶり、3度目の高原千葉村温泉を体験してきました。
 管理事務所長によれば、
 「季節や天候によって七色に変化します。緑色の時もあれば、乳白色にもにごります。確か、今日は黄緑色だったと思いますけど・・・」

 僕が最初に入ったときは、抹茶ミルク色。
 2回目が、乳白色。

 さて、今回は・・・


 いやいや、初めて見る色であります。
 鮮やかな半透明のエメラルドグリーン!

 そう、例えるならば、“清流の色” であります。

 でも、しっかりと硫黄臭を放っています。

 とても神秘的な気持ちになる不思議な湯浴みを体験しました。


 高原千葉村は、千葉市の保養施設ですが、市民以外の人でも利用できます。
 ただし、日帰り入浴は受け付けていません。
 宿泊料金は超格安ですから、ぜひ一度、ゆっくり泊まって “神秘の湯浴み” を体験してみてくださいな。
   


Posted by 小暮 淳 at 20:45Comments(2)温泉地・旅館

2013年11月09日

新聞や雑誌には書けないこと


 僕の職業は、ライター(文筆業) です。
 だから取材をして、記事を書くことが仕事です。

 当然のことですが、取材により “真実” を知り、それを文章にしています。
 では、“真実” のすべてを文章にしているのか?といえば、残念ながら、そうではありません。

 世の中には “報道の自由” もありますが、目に見えない “規制” も存在します。
 なんでも、かんでも、“真実” を書けば良いというものではありません。
 実際、新聞社や雑誌社の編集者により、原稿を書き直させられたことがあります。

 たとえば、温泉の記事を書く場合、「薬事法」 という壁があります。
 化学的、医学的根拠もなしに、「病気が治った」 とは書けません。

 また、レジオネラ菌や塩素消毒、温泉偽装問題など、“真実” を知っているからと、のべつまくなし告発するわけにもいきません。
 “真実” を書いてはいますが、“すべて” ではないということです。


 でも、これはこれで、書き手としてフラストレーションがたまるものなのです。

 「本当のことが、言いたい!」
 「実は、こんなことも起きているんだぞ!」
 ってね。

 唯一、僕にとって、この “温泉裏事情” を堂々と発表できる場が、「ライブ」 なんです。
 講演やセミナーなどの場です。
 これは、お笑い芸人が、テレビでは見せられないネタを劇場で披露するのに、似ているかもしれませんね。


 それでも過去には、毒舌が過ぎて、主催者から注意を受けたことがありましたが、文章と違ってトークは、その場限りで消えてしまいますから。
 ライブ会場に来たお客様だけの特権ということで、許してもらっています。

 何より、文章と違って、公演やセミナーは直接、お客様と言葉のキャッチボールができるのが最大の魅力です。
 文章というのは、どうしても読者の反響が書き手に届くまでに、時間を要してしまいますものね。

 僕の職業はライターですが、やっぱり “ライブ” は欠かせない、自己表現の場なのであります。


 そんな 「温泉トークライブ」 を、来週、群馬県玉村町で行います。
 入場無料ですので、お時間がある方は、ぜひ遊びにいらしてください。

 新聞や雑誌には書けないこと。
 テレビやラジオでは話せないこと。
 温泉にまつわるエトセトラをお話しします。



      第19回 ぱる交流会
     群馬は温泉パラダイス
    ~人が元気 地域も元気~

 ●日 時   2013年11月12日(火)
          13:30~15:30
 ●会 場   ふるハートホール
          (群馬県佐波郡玉村町下新田208-4)
 ●講 師   小暮 淳 (温泉ライター)
 ●料 金   入場無料
          ※申込不要。当日、会場にお越しください。
 ●主 催   一般社団法人 たまむら住民活動支援センター
 ●問 合   玉村町住民活動サポートセンター ぱる
          TEL.0270-65-7155
   


Posted by 小暮 淳 at 18:06Comments(0)講演・セミナー

2013年11月08日

鬼押温泉 「ホテル軽井沢1130」


 鬼押(おにおし) 温泉

 みなさんは、知っていましたか?
 お恥ずかしい話、聞いたことはあったのですが、勝手に日帰り温泉施設だとばかり思っていました。

 だって、僕が取材の資料に利用している 『群馬県温泉協会誌」』 の 「温泉利用状況報告書」 には、そんな名前の温泉地 (宿泊施設のある温泉) はありませんからね。
 てっきり、観光客相手もしくは地元住民専用の入浴施設だと、勘違いしていたんです。

 ところが!

 所在地である嬬恋村観光協会や群馬県薬務課に問い合わせてみると・・・
 確かに、温泉地として存在するといいます。

 ならば、取材しないわけにはいきません!

 と、いうことで、ナゾを解きに、さっそく行ってきました。
 そしたら、そこには大きな2つの “謎” が隠されていたのです。


 鬼押温泉 「ホテル軽井沢1130」(嬬恋村) は、北軽井沢(長野原町) から鬼押ハイウェーに抜ける森の中に建つしょう洒なホテルです。
 読んで字のごとく、温泉名の 「鬼押」 とは上毛かるたに詠まれている奇勝地 「浅間のいたずら鬼の押し出し」 に由来します。
 そして、ホテル名の 「1130」 は、1,130メートルの標高を意味します。

 で、支配人にお会いして、ホテルの歴史をお聞きすると・・・
 そこで、まず1つ目の謎が解明されました。

 実は、このホテル、以前は会員制のリゾートホテルだったということ。
 ですから温泉は湧いていましたが、一般客には開放されていませんでした。
 平成16年に現在の経営者に移行してからは、誰もが泊まれる温泉ホテルになりました。

 「そのことを周知していただくまでに、大変苦労いたしました。おかげさまで現在は、ネット予約等で県内外からファミリーやカップルのお客さんがたくさん来られるようになりました」
 と支配人。
 地元では、会員制のリゾートホテルだった頃のイメージが強く、現在でも勘違いしている県民が多いようです。


 そらに、もう1つの謎が解けました。
 それは、「温泉分析書」 の表記です。
 
 「2.温泉地名・源泉名及び湧出地点」 の項目。

 そこには、“北軽井沢温泉(源泉名 : 鬼押温泉)” と記載されています。

 これだ!
 と、僕は、自分の思い込み、勘違いの “謎” が解けたのであります。

 前述の温泉利用状況報告書には、確かに嬬恋村に 「北軽井沢温泉」 の表記はあります。
でも、同名温泉が長野原町にもあり、一般的には、こちらが北軽井沢温泉として知られています。
 この二重表記が、混乱を招いていたのです。
 ※(同様の二重表記が、みなかみ町の 「月夜野温泉」 に存在します)


 と、いうことでスッキリした僕は、取材を終えて、支配人に案内され8階の客室へ・・・
 入って、驚いた!
 客室の窓枠全面に、浅間山の雄姿が、ドカーンと迫力いっぱいに飛び込んで来るではありませんか!
 大自然のパノラマに、ただただ息を呑むばかりです。
 絶景とは、まさに、このこと!
 眼下には、錦のじゅうたんを敷きつめたような紅葉の森が広がっていました。

 もちろん昨晩は、温泉にも入り、ホテル自慢の料理もいただき、そして夜は満天の星に抱かれながら眠りに就きました。


 “百聞は一見にしかず” 

 現場へ行けば、ナゾは解けるものであります。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:50Comments(0)温泉地・旅館

2013年11月06日

川古温泉 「浜屋旅館」⑥


 僕が初めて川古温泉の一軒宿 「浜屋旅館」 を訪れたのは、もう10年も前のことです。
 雑誌の取材でした。

 その後も新聞や雑誌、著書の取材、温泉講座等でたびたび訪ねています。
 3代目主人の林泉さんとも、長い付き合いになりました。

 ご主人とは同世代ということもあり、また温泉をこよなく愛するもの同士、顔を合わせれば熱く熱く温泉談義を語り合っています。
 これが、僕にとっては楽しくって仕方がありません。
 とにかく林さんは、博学なんです。
 温泉の知識も豊富ですが、旧新治村の歴史にも造詣が深く、いつもいつも含蓄(がんちく) ある貴重な話の数々を拝聴しています。


 先日、といっても先月、上牧温泉で開かれた 「みなかみオンパク」 フィナーレ会場でのこと。
 観光協会の役員でもある林さんは、僕の 「温泉考座」 に出席してくださいました。

 「来月、うちに来ますよね?」
 と、ご主人。
 「ええ、またお世話になります」
 と僕。
 来年に出版が予定されている本の取材で、「浜屋旅館」 への宿泊が決まっていました。

 「一緒に飲みながら、話を聞かせてください」
 「ええ、楽しみにしています」
 と、すでに “温泉談義” の約束を交わしていたのであります。


 で、昨日が、その約束の日。
 
 陽のあるうちにチェックインをして、今が見頃の紅葉を背景に宿の撮影を済ませ、泉温約40度のぬる湯にまったりと浸かりながらの入浴シーンの撮影も済ませて、夕食の席へ向かいました。

 席に着くなり、
 「取って置きの酒を用意しておきました」
 と、ご主人が2種類の日本酒を持って登場!

 いよいよ、取材(?) の始まりです。

 「そういえば小暮さん、『旅行読売』 に書いていましたね」
 と、現在発売中の12月に僕が書いた記事の話から談義はスタート。

 やがて、話題は以前、新聞に連載していたエッセイや現在連載中のコラムの話に・・・
 温泉の裏事情に詳しい林さんの口からは、雑誌や新聞には書けないようなキワドイ話がポンポン飛び出します。
 その都度、2人は大笑いをしながら、、
 「このこと、ぜひ、新聞に書いてくださいよ」
 「いや~、無理でしょう。クレーム来ますよ(笑)」
 な~んて、息の合った漫才の掛け合いみたいな談義に、満開の花が咲きました。

 
 気が付けば、2本の酒瓶は、すでにカラ!
 ほろ酔いで、気分も上々であります。

 「と、いうことで、記事はおまかせください」
 だなんて、なんて、いい加減な取材なんでしょうか。

 ま、たまには、気を抜いた楽しい取材があってもいいですよね。
 え? 気を抜いていることのほうが多いって?

 すみません!
 そのほうが、いい記事が書けるもので……(言い訳ですけど)
   


Posted by 小暮 淳 at 21:25Comments(2)温泉地・旅館