温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2012年03月31日

猿ヶ京温泉 「ロッジガル二」


 昨日は、朝食のあと、散歩を兼ねて、赤谷湖へ向かい坂を下り、「ロッジガル二」 を訪ねました。
 ガル二とは、フランス語で 「安宿」 のことなのだそうですが、とにかく以前から気になっていた温泉宿です。

 木造のコテージタイプの建物が、ガタボコとアパートのように6つ連なっています。
 その各々の屋根からは、ニョキニョキと煙突が伸びている。
 まさか、最初は温泉宿とは思いませんでした。

 「ロッジガル二」 は、3つの棟からなっています。
 それも道をはさんで、左がラウンジを兼ねたレストラン棟、向かいが宿泊棟、その隣に単独で浴室棟(湯屋)があります。
 宿泊棟には、メゾネットタイプの部屋が6室。
 とにかく、広い!
 1階のリビングには、薪ストーブにキッチン、ユニットバスを完備。
 2階の寝室までは吹き抜けになっていました。

 これで1泊2食、9,600円~というのにも驚いた!
 実は、昨日紹介した 「旅籠屋 丸一」 と同経営の宿なのです。
 徹底して、“いいものを安く提供” を貫いています。


 で、ここで僕は、思わぬモノと出合ったのであります。
 前の日、オーナーで 「旅籠屋 丸一」 の15代目主人にお会いしたときに、いただいた名刺を見て、「あれ、これは…」 と一瞬よぎったことがあったのですよ。
 それは、名刺に描かれていた“絵”です。
 良く知っている作家の絵に、タッチが似ていたのです。
 でも名刺の絵は小さくて、その時はやり過ごしてしまいました。

 しかし一昨晩、泊まった離れの廊下に飾ってある水彩画を見て確証しました。

 久保繁の絵だっ!

 そうです、以前、このブログでも紹介した僕の同級生の久保繁君です。
 小学校と中学校をともに通い、大人になってからは一緒にアジアを旅した畏友の画家であります。
 (久保繁についての詳しくは、当ブログ1月21日 「50代への挑戦~我が良き友よ~」 を参照ください)


 そして、今度は 「ロッジガル二」 のラウンジの壁いっぱいに、彼の絵が飾られていたのです。
 もう、見ているだけで胸に込み上げて来るものがありました。
 うれしいんですよ。
 一緒に頑張ってきた時期がありましたからね。

 「俺は、物書きになる」
 「俺は、絵描きになる」
 って。

 もちろん、彼の個展には、行ける限り顔を出していますよ。
 でも、ギャラリー以外で、こうして展示されている彼の絵を見るのは初めてだったのです。
 不思議なものですね。
 自分のことのように、うれしくて、うれしくて仕方がないんですよ。

 オーナーに話を聞けば、先代が気に入って買っている作家なのだと言います。

 おい、久保っち、スゲーじゃねーかよ!
 本当に、画家になっちゃったんだな!

 友人なんて、いつも遠くからしか見ていないし、応援はしていても、直接力にはなれないものです。
 それは、お互いさまだけど、でも、こうして友の絵が何枚も何枚も飾られている光景を見ていると、やっぱり嬉しくて、うれしくて・・・


 10年前、彼と2人でベトナムを旅して、夢を語り合ったことを、今、僕は誇りに思っています。

 久保っち、ありがとう!
 なんだか勇気をもらったよ。
 “50代への挑戦” は、まだ始まったばかりだ!
  


Posted by 小暮 淳 at 18:42Comments(5)温泉地・旅館

2012年03月30日

猿ヶ京温泉 「旅籠屋 丸一」


 昨年の暮れから、猿ヶ京温泉に入り込んで、徹底取材を続けています。

 現在、24温泉宿(旅館・民宿) 中、すでに14軒の取材が終わりました。
 これから夏までの間に、残りの宿と外湯(共同湯) ほか、資料館・記念館・演芸場などの施設、グラビア撮影ロケをこなします。
 当然、僕が入り込んで取材する温泉地は、猿ヶ京だけではないので、かなりハードスケジュールで進行するのは必至です!
 これも、温泉ライターの宿命と思い、覚悟しています。


 しっかし、群馬の温泉は、奥が深過ぎます。
 たぶん、僕は一般の人より “人百倍” 温泉地を訪ねていると思います。
 なのに、それでも知らない事に、次から次へと出合うんですね。
 今回も、目からウロコの取材ネタばかりでした。

 昨晩は、「旅籠屋 丸一」 に泊めていただき、その周辺を取材して来ました。
 もちろん、「丸一」 という旅館が猿ヶ京温泉にあることは、僕も知っていました。
 国道17号沿いにある、黒塀に囲まれた純和風の旅館です。
 だいたい、想像はしていたんですよ。
 外観から、察しはつきます。

 部屋はこんな感じで、浴室はこんな風で、お湯はこうで、料理はこんなもんでしょう・・・
 なんて、過去の経験から推測して、大概は遠からず的中しています。

 がっ!
 見事に、すべて裏切られました。
 もちろん、良い方へですよ。

 とにかく、まず歴史が凄い!
 創業が、江戸時代の享保年間と言いますから、ざっと300年近くも昔です。
 実際、宿に残る天保年間(1830~1844) の過去帳「諸業高名録」 には、すでに初代創業者の名前が残されています。

 で、僕が昨日お会いした主人は、15代目の窪田一生さんです。
 とにかく館内を案内してもらっても、驚きの連続でした。
 玄関を入れば、いきなり幕末の三舟(勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟) の書。
 かと思えば、江戸時代の高名な作家の水墨画や屏風絵が、あちらこちらの壁に飾られている。

 これらは、すべて財を成した7代目のコレクションだといいます。
 その7代目が明治4年に建てた蔵を解体して、建てられたのが湯屋の「蔵の湯」です。
 この湯屋が、圧巻です。
 蔵の礎に使われていた敷石の土間、高い天井の太い梁、箱階段、化粧直しした長持ち・・・
 何から何まで、息を呑みます。

 僕らが泊まったのは、離れの一室。
 本館へも、湯屋へも、一度外へ出て、夜風にあたります。
 桜のつぼみもほころんで、湯上がりに春の宵は、なんとも心地良いのであります。

 広い敷地内には茶室や東屋がいくつも配されています。
 ほろ酔い気分で庭園を散策して、疲れたら一服・・・
 また歩き出して、今度は敷地続きにある 「別館 万葉亭」 へ。
 こちらには、貸切の風呂が4ヶ所もあるんです。
 どちらに宿泊しても、すべての風呂が利用できます。


 そして、何が一番驚いたかって、プライスです!
 1泊2食の料金が、1万円以下って~~! ! ! !

 主人いわく
 「高くて良いものを提供するのは、当たり前。安くて良いものを提供するのが、旅館業です」
 も~~う、その言葉にしびれてしまいました。

 さすが、血でしょうね。
 伊達に300年も旅館業を営んでいないということです。
 大変、御見逸れいたしました。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:56Comments(2)温泉地・旅館

2012年03月28日

飽きないオヤジたち


 毎月、第4火曜日は、プロジェクトKの “例会” と決まっています。

 プロジェクトKとは、たびたびブログにも登場する、僕が所属するクリエイターたちの集団です。
 現在、メンバーは群馬を中心に、鹿児島・宮崎・和歌山・長野などに18名います。

 何をする集団なのか? と問われれば 「仕事」 なのですが、一般の人が考える 「仕事」 とは少々異なります。
 一般的に 「仕事」 といえば、①お金になること、②時には苦痛をともなうもの、ですが、僕らの言う 「仕事」 とは、この①と②がありません。

 条件、その1 「それが楽しいこと」
 条件、その2 「それは金を生んでも生まなくても良いが、お金になると嬉しい。」

 僕らが手がける 「仕事」 の基準は、要は楽しいか、楽しくないか、なのです。

 全員、フリーランスですから、上司もいなけりゃ、同僚もいない。
 嫌な仕事は受けないし、押し付けられたら逃げちゃう人たちなのです。
 ま、運が良ければ金を生むサークルだと思っていただければ結構です。


 で、昨夜が、その例会日でした。
 会場は、毎月決まっています。
 前橋駅の南、某ショッピングモール近くの居酒屋 「R」 です。
 集合時間は、だいたい7時頃~三々五々。
 出席も欠席も、報告する義務なし。
 集まりたい人が、集まればいいのです。

 のれんをくぐると・・・
 「あら、小暮さん。久しぶりじゃない。どーしちゃったの?」
 と女将さん。
 そーなんですよ。僕は今年、初参加なのであります。
 1月は、ラジオ出演とブッキング。
 2月は、ご存知、発熱のため欠席でした。

 「奥、来てるわよ」
 と女将さんに言われて、座敷へ上がると、代表のK氏がすでに生ビールをうまそうに飲んでいます。
 ならばと僕も生ビールからお付き合い。
 そうこうしているうちに、カメラマンのS君、デザイナーのKさん、カメラマンのF君、デザイナーのK君、ライターのKさんと、続々とやってきて、にぎやかな “定例会議” が始まったのであります。

 みんな酒の嗜好が異なるので、女将さんもマスターも大変です。
 ひと通り生ビールが出そろったと思ったら、次々に注文が飛び交います。
 冷酒、熱燗、ハイボール、ウーロンハイ・・・

 で、今日のテーマは?
 当然ですが、先日、上牧温泉で行った企画展とライブの反省会(?) となりました。
 ま、このメンバーで反省をするようなタイプは一人もいませんから、他人のアラ探しをして笑いを取り合うわけです。

 「リーダーのカウントの出し方が、おかしい!」 だとか、「小暮さん、ノッテたねぇ~。体が動き過ぎだし!」 だとか、他愛のない話で盛りあっていたのですが、そこは “飽きない面々” です。
 すべてのイベントは、思い出になんてしませんって。
 散々、笑った後は、ネクストステージの展開へと話が進みます。

 ・「みなかみを考える企画展」 は、4月より巡回展を行う。
 ・ライブのDVDは編集して、出演可能な温泉旅館へ送る。

 今回も、なかなか発展的な “定例会議” となりました。


 ま、他人が見たら、ただの酔っ払いの集まりなんですけどね。
 でもメンバーは、いたって大真面目に酒を飲んでいるのであります。

 仕事は、楽しければ楽しいほど、飽きません。
 こんな会議を、もう6年も毎月、続けています。

 本当に、飽きないオヤジたちです。
 (メンバーには、オバサンもいます)
  


Posted by 小暮 淳 at 22:16Comments(2)酔眼日記

2012年03月27日

白髪へのトラウマ


 別にカミングアウトをしようっていうんじゃないんです。
 世間に隠していることでもありません。
 あえて他人に言うことでもないけど、聞かれれば話す真実です。

 僕は、白髪です!
 それも、全頭白髪なのです。

 実は、理由があって、ずーーーーーっと染め続けています。


 僕には3人の子どもがいます。
 長女と次女の年の差は11歳、長男と次女の年の差は7歳あります。
 次女と孫の年の差も11歳です。

 もうお分かりですね。
 僕は20代、30代、40代で子どもが授かり、50代で孫ができたのであります。
 よって、次女はまだ小学生です。

 で、僕は前々から 「50歳を機に、髪を染めるのをやめる!」 と宣言していました。
 が・・・
 家族から猛反対を受けてしまったのです。
 特に長女からの反発は凄かった!
 「私とか○○(長男) は、お父さんが白髪頭だろうがジジイだろうが、どーでもいいんだけどさ。チビ(次女) が、かわいそうでしょう。クラスの子のお父さんは、み~んな若いんだよ。学校の行事だってあるし、チビだけ 『おじいちゃんが来たよ』 なんて言われたら、かわいそうだよ」

 この長女が言った 『おじいちゃんが来た』 という言葉で、一瞬、僕の頭の中は、真っ白になってしまったのです。
 忘れていた、遠い遠い過去の出来事。
 友人を傷つけてしまった罪悪感に、苦しめられた日々・・・


 小学校の高学年だったと思う。
 放課後、児童公園でクラスメート数人と、手打ち野球をして遊んでいた。
 日が西に傾き出した夕暮れ時。
 公園の入り口に、一人の白髪の老人が立っていた。
 外野を守っていた僕が老人に気づくと、老人が僕にこう言った。
 「○○を呼んでくれないかい。迎えに着たんだけどね」
 ○○とは、一緒に遊んでいたクラスメートの名前だった。
 当然、僕は彼に声をかけた。

 「おーい、○○! おじいちゃんが迎えに来たぞぉぉぉ~!」

 彼は、黙って何も言わずに、その老人と一緒に帰っていきました。
 その直後です。
 公園に残った友人の一人が、僕にショッキングな事実を告げたのは!
 「おじいちゃんじゃ、ねぇーよ。あいつのお父さんだよ」


 翌日、学校で僕は、彼に謝ったのかどうかは、今となっては遠い昔のことで覚えてはいません。
 でも、それから長い間、罪悪感に苦しみました。
 実際、子どもの頃って、授業参観に親が来ると、「誰のお母さんは若くてキレイだ」 とか 「誰のお母さんはデブだ」 とか話題になりましたよね。
 中には、きっと 「うちのお母さんは歳とっていて恥ずかしいから、来てほしくない」 と思っていた子どももいたことでしょう。

 子どもって、素直だから残酷です。
 平気で人を傷つけてしまいます。
 あのとき、僕も “白髪” という外見だけで、迎えに来た人は友人の “おじいちゃん” だと決め付けてしまったのです。
 この事は、その後、ずーっと僕の中で、トラウマになっていました。

 人を外見で判断してはいけない・・・


 ですから、長女に言われたひと言が、響きました。
 「そうだよな、チビがかわいそうだよな。チビのために髪を染めることにするよ」
 家族の前で、“毛染め宣言” をしたのであります。

 そのチビも、春からは中学生です。
 もう、いいかな?
 いや、まだだろうなぁ…
 いくつになっても、若いおとうさんのほうが、いいものなぁ……

 なーんて、鏡の前で、生え際の白髪を気にしている今日この頃です。

 でも、いつか、チビから 「もう、染めなくていいよ」 とOKが出たならば、思いっきり白髪のロン毛にしたいと思います。
 そう、内田裕也のように。
 
 シェキナベイビー! ロックンロールよろしく!
 (って、僕はロックは歌わないんだけどね)
   


Posted by 小暮 淳 at 18:29Comments(2)つれづれ

2012年03月26日

沢渡温泉 「まるほん旅館」④


 某紙より、コラム連載の依頼がありました。
 なんでも 「温泉地をめぐっていて出合った、ほっこりするイイ話を書いて欲しい」 とのことです。

 で、最初にピンと思い浮かんだのが、“サトボオ” こと沢渡温泉 「まるほん旅館」 の主人、福田智さんでした。
 温泉ファンなら知っている人も少なくないと思いますが、9年前に銀行を退職して養子に入り、老舗旅館の16代目を継いだという殊勝なお方なのであります。
 この話を知らない人も、まだ大勢いると思い、連載の第1回目に、彼の湯守へ賭ける情熱話を書くことにしました。

 ところで “サトボオ” とは、僕が敬愛する作家・嵐山光三郎先生が、付けた名前です。
 <旅館の息子になったのだから、サトボオという呼び名にした。しんしんと雪降る宿で福田おやじとサトボオと酒を飲むと、深夜0時になってしまった。>
 と、著書 『日本百名町』 の中で書いておられます。


 で、今日。
 コラムの題材にさせていただいたお礼と報告をかねて、サトボオへ電話をしました。
 もちろん、「いつもありがとうございます。うちなんかを取り上げていただいて」 と、こころよく受けていただきました。

 すでに 『おとな日和 vol.13』(パリッシュ出版) の、僕と山田べにこさんの対談記事を読んだ人はご存知でしょうが、この対談の中でも僕は、群馬の温泉ベスト1に 「まるほん旅館」 の湯殿を挙げています。
 それほどに、ここの湯は、銀行員を辞めてまで守る価値があると、僕は思っています。

 ここからが本題です。
 サトボオは電話で、こんなことを言いました。
 「おかげさまで、震災後に、お客さんが増えているんですよ。平日でも満室で、断る日もあるくらいです。以前、小暮さんがおっしゃっていた二極化が、起き始めたのかもしれませんね」

 僕が言った二極化とは、「お湯に人が集まる温泉」 と 「お湯以外で人を呼ぶ温泉」 のことです。
 嵐山光三郎先生のいう “福田おやじ” こと、先代の福田勲一氏は 「うちは湯がいいんだから、湯さえ守っていれば食いっぱぐれはねえ!」 が口ぐせの人です。

 「震災後、本当に湯が分かる人が増えました。今になって、この湯を守っていれば間違いないことに改めて気づかされました」
 と、サトボオは、しみじみと語るのでした。


 嬉しいですね。
 こういう人、こういう宿に会えるから、僕は温泉ライターをやっているのですよ。

 “いい温泉には、いい湯守がいる”
 ズバリ、サトボオのことです!

 これからも400年続く老舗旅館の看板と、800年以上も昔から湧き続けている温泉を、大事に守り続けてくださいね。
   


Posted by 小暮 淳 at 19:25Comments(4)温泉地・旅館

2012年03月25日

イメージと違う?


 今月は、しょっぱなから体調をくずしたため、出張取材以外は、毎日家でおとなしく晩酌をしていました。
 でも、もう限界です。
 体調も、すこぶるいいし、仕事もヒマだし、そうとなれば飲みに出かけない手はありません。

 と、いうことで、昨日は夕刻から雨も上がって晴れ間も見えたということもあり、テクテクとお散歩気分で、繁華街まで歩いて行きました。
 もちろん目指すは、我らが溜まり場、酒処 「H」 です。

 1ヶ月のご無沙汰であります。
 カウンターだけの小さな店ですが、常連さんとママの笑顔が、いつものように温かく迎えてくれました。
 今週は風邪を引いていたというママも復活して、以前と変わらぬ元気いっぱいの様子。
 あっという間に心が解かれていきます。
 「ジュンちゃんも元気になって良かったね」
 とママも、このブログを読んで知っていたようで、その気遣いが、これまた嬉しいのであります。

 まずは生ビールを駆けつけ2杯。
 ママの手料理に箸を付けつつ、ゆっくりと至福の時をスタートさせました。
 すると、突然
 「えっ、小暮さんって、あの温泉ライターの小暮さんですか?! 」
 初めてお会いする隣の席の美人が、声をかけてくださいました。
 「うわ~、本物にあっちゃった~! 今日、来て良かった!」
 と、かなりのはしゃぎようであります。

 美人に喜ばれれば、当然、悪い気はしません。
 文筆業とはいえ、こちらも読まれてナンボのサービス業ですから、
 「はい、そうですよ。温泉がお好きですか?」
 なーんて、話を続けているうちに、酒で滑舌が良くなっているものですから、あんなことも、こんなことも、ベラベラと饒舌に話し出したのであります。

 すると・・・
 「小暮さんって、もっと寡黙な方かと思っていました。だいぶイメージが違うので、ビックリしました」
 と驚かれてしまいました。
 なんでも、新聞記事や雑誌の写真から受けるイメージは、無口でとっつきにくいタイプに見えるらしいんですね。
 でも、そう言われたのは、彼女が初めてではありません。

 以前、読者という男性からは 「古谷一行のようなシブイおじさまだと思ったら、あまりに気さくに話していただいたので嬉しかったです」 とか、先日、雑誌の対談を受けたときも編集者の女性からは 「面白い人なんですね。イメージと違いました」 とも言われました。
 どうも、みなさんは、“ライター=寡黙” という先入観をお持ちのようであります。

 と、思えば、講演会に来た県の観光関係者からは、「小暮さんはライターなのに、話もお上手なのですね」 と、しみじみと言われたこともあります。
 う~ん、やはり、ライターという職業が、僕のキャラを邪魔しているようですね。

 そもそも、僕は、ライターじゃなかったのですよ。
 若い頃は、ストリートやライブハウスで歌をうたっていたのですから、マイクを使って話すことは慣れています。
 その後も、ラジオやテレビで話をする機会も多くなり、ライターとして温泉取材を始めてからは、セミナーや講演会に呼ばれて話をすることが多くなりました。
 だから、昔から僕を知っている人は、この大きな声でアッケラカンと話す楽天的な性格を良くご存知ですから、ライターになってからも “イメージと違う” と言われることはありませんでした。
 仲間内からは 「群馬の明石家さんま」 なんて、言われているくらいですからね。

 それが、どーも最近、渋い、気難しいオジサンのイメージが定着してしまっているようです。
 なぜ、だろう?
 と、昨晩、同席した常連客らと話し合いました。
 すると、
 「風呂に入っている写真が、真面目な顔をしているからですよ」
 という意見が出ました。
 なるほど、確かに、新聞や雑誌に掲載されている僕の入浴シーンは、苦虫を噛みつぶしたような顔しています。
 でも、待てよ!
 「1人で温泉に入っていて、笑っているっていうのもおかしくない?」
 と僕が言うと、A新聞の担当記者 I さんが、
 「これなんか、笑っていますけどね」
 と差し出したのは、来月掲載予定の新聞記事に使用する写真のコピーでした。

 確かに、笑っています。
 でも、これって、僕が1人で写っている写真じゃありませんって。
 温泉宿の主人と、湯舟の中で対談している写真ですから、当然、笑っていても不思議はありません。

 「小暮さん、イメージ払拭のために、これからは風呂の中で笑いましょう!」
 「そーですよ、それがいい」
 「では、カンパーイ!」
 と、勝手に結論づけられてしまい、話は温泉ネタから人生全般へ、酔いに任せて、ふら~り、ふら~りと夜が更けるのもわすれて、至福の世界を漂いだしたのでありました。


 一夜明けて・・・
 なに? 温泉で笑えってか?
 そりぁあ、無理でしょうよ。
 でも、読者の皆さん、僕は、いつでもどこでも、気さくで陽気なオジサンですから、遠慮しないで声をかけてくださいね。

 1人でも多くの読者の方と、一緒にお酒を飲めることを夢見ています。
  


Posted by 小暮 淳 at 16:23Comments(4)酔眼日記

2012年03月23日

早春の味は大人の香り


 子供の頃、「大人って、どうしてこんなものが美味しいのだろう…」 と思った食べ物が、いくつもありました。
 海のものでいえば、塩辛やウニ、ホヤ貝、ナマコなんかは、到底、子どもの口には合わなかった。
 山のものなら、ミョウガやノビルなど、山菜と呼ばれるものは、すべて苦手でした。

 思えば、ビールだって、オヤジの晩酌のすきを見て、ひと口飲んでみたけれど、すぐに吐き出した記憶があります。
 今では、浴びるほど飲んでも大丈夫なのにね。

 僕は子どもの頃、ピーマンやネギも食べられませんでした。
 それが、大人になったら、いつの間にか食べられるようになっているんですね。
 不思議です。
 成長過程で、人間って味覚が変わるのでしょうか。

 成人してからも、30歳、40歳と年を重ねるごとに、さらに味覚は変化するようです。
 若い頃、酒といえば、ビールかウイスキーでした。
 日本酒は、まだ得意じゃなかった。
 30代は、もっぱら焼酎をあおってました。
 40歳を過ぎたあたりからでしょうか、酒といえば日本酒が定番になってしまったのは・・・。

 実際、「うまい!」 と思える酒は、今でも日本酒です。
 そして、うまい日本酒を口にふくんだ時の至福感といったらありません。
 「うーーーん、もう、これで死んでもいいッ!」
 とさえ、思ってしまいますもの。


 で、先日、取材先で、“早春の味”ふきのとうを、山ほどもらってきたのです。
 もちろん、子どもの頃なら、もらっても、ちっとも嬉しくない草です。
 ところが、年を重ねるごとに、年々、この草が大好物になってしまったのですよ。

 さて、どうやって食してやろうか!
 スタンダードに考えれば天ぷらですが、酒の肴にするには量があり過ぎます。
 また、夕食に出して、味の分からない家族に食われてしまうのももったいない。
 ここは、佃煮のようにして、毎晩、ちびちびと酒のあてにするのがベストであるという結論に達しました。

 家人にお願いして、フキ味噌にしてもらいました。
 ひと口食べて、もう、ノックアウトです。
 ふぁ~と口の中から鼻へと抜ける、青くさい早春の香りがたまりません。
 そして、あとに残る苦味が、これまた酒を誘います。

 箸の先で、チョンとすくって、舌の上にのせて、香りを楽しんでからキューッと日本酒を流し込みます。
 チョン、ペロン、キューッ
 チョン、ペロン、キューッ
 と、右手に箸、左手にグラスを持って、動作をくり返していたら、あっという間に器の中のフキ味噌がなくなってしまいました。

 「かーさん、ふきのとうは、これで全部かね?」
 「えっ、みんな食べちゃったの~?!」
 と驚かれてしまいましたが、台所をのぞくと、まだ半分残っているではありませんか!


 そして・・・
 今日、冷蔵庫を開けると、また、どんぶりっちょのフキ味噌が作ってありました。
 これで今晩も心置きなく、早春の味を思う存分に楽しめるというものです。

 大人になると美味しいものがいっぱいあって、いいよね。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:36Comments(4)つれづれ

2012年03月22日

『…里山 てくてく…』 改訂版


 昨年の1月に、上毛新聞社より出版した拙著 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 が、このテの本にしては異例のスピードで売れているようです。
 このたび、早くも改訂版が増刷されることになりました。

 この本は、2006年12月~2010年8月に高崎市のフリーペーパー 『ちいきしんぶん』(ライフケア群栄) に連載された 「里山をゆく」 と 「ぶらり水紀行」 に、加筆・訂正し、新たに書き下ろしを付け加えて出版されました。
 当然、最初の取材から5年以上も経っていますので、必要に応じて内容の改訂をしなくてはなりません。

 とはいっても、本文はドキュメントなので、内容を変えるわけにはいきません。
 今回、改訂版を出版する理由は、巻末に記載されている 「温泉&入浴施設」一覧の改正です。
 たかだか1年の間に、休業や廃業してしまっている日帰り入浴施設が、いくつかあるのですよ。

 先日、出版部より電話があり、「増刷ではなく、重版することにしました」 との連絡を受けました。

 増刷とは、読んで字のごとく、追加して印刷をすることです。重刷とも言います。
 この場合、初版とまったく同じものを刷ります。

 重版とは、版を変えて刷ることをいいます。
 ですから、出版社は、増刷よりも経費がかかるのです。

 で、今回、ただの増刷ではなく、重版となりました!

 通常、初版本の場合、奥付には 「初版第1刷発行」 と記載されます。
 増刷されると、「初版第2刷」 と刷数が変わります。
 これが重版になると、「第2版」 となります。

 いやいや、これは、我が文筆人生で、初の “重版” となりますぞ!
 (おかげさまで 『ぐんまの源泉一軒宿』 は、現在、第3刷まで刷りを重ねていますが、版は初版のままです)


 増刷の場合は、著者はタッチしませんが、重版となると、そうはいきません。
 原稿が変わるわけですからね。
 現在、出版部と 「あーする」「こーする」 と細かなやりとりをしている最中であります。

 来月中には、改訂版の 『ぐんま里山 てくてく歩き』 が、書店に並ぶことでしょう。
 まだ買って持ってない人は、この機会に、ぜひ1冊買い求めください。
 また、すでに持っている人は、どこがどう変わったのか手にとってチェックしてみてくださいな。

 これから春を迎え、新緑の美しい季節がやってきます。
 この本を手に、お弁当を持って、里山ハイクへお出かけください。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:51Comments(0)著書関連

2012年03月21日

『おとな日和』 入手困難な方へ


 群馬県のフリーマガジン 『おとな日和』vol.13 (パリッシュ出版) の特別対談 「小暮淳×山田べにこ 群馬の温泉はわれらにお任せあれ」 は、もう読まれましたか?
 「とっても評判がいいでよ」 と、早くも編集部より朗報をいただきました。

 えっ、まだ読んでいない?
 温泉ファン、べにこファンは、必見の対談ですぞ!
 今すぐ、設置場所へ急げぇ~!
 ※(県内設置場所は、3月12日の当ブログ 「『おとな日和』明日発刊!」 を参照)

 なに?
 最寄りに、設置場所がないって?
 でも、大丈夫です!
 誰でも確実に入手できる方法があるんです。
 ① 配送してくれます(有料)
 ② 会員になると届きます(無料)


 ①<配送ご希望の方は>
 郵便番号、住所、氏名、年齢、職業、電話番号を明記して、送料100円分(1回分) の切手を同封の上、「おとな日和」 配送係まで郵送ください。

 〒370-0018 群馬県高崎市新保町139-1
 パリッシュ出版(株) 「おとな日和」配送係


 ②<おとな日和会員募集!>
 「おとな日和会員」は、メールで簡単な個人情報を登録して、アンケートやモニターなどの仕事をしていただきます。会員登録をした方には特典があります。
 ●会員特典1 「おとな日和」が無料で届きます。
 ●会員特典2 お得な情報が配信されます。

 会員登録の方法 (パソコン・携帯電話からの登録に限ります)
 ●パソコン・スマートフォンの場合
  otona@polish.jp まで空メールを送信ください。
 ●携帯電話の場合
  http://www.polish.jp/otona/m/ までアクセスしてください。

 登録用URLが届きますので、そちらから登録してください。

 問い合わせは、パリッシュ出版(株) TEL.027-360-5551
   


Posted by 小暮 淳 at 18:27Comments(2)温泉雑話

2012年03月20日

放課後の怪しいおじさん


 エッセイスト、奥成達氏の 『なつかしの小学校図鑑』(ちくま文庫) を夢中になって読んでいます。
 誰にでもあった小学校時代の思い出の数々をつづったエッセイです。

 奥成氏は昭和17年生まれで、僕よりだいぶ年上なのですが、それでも小学校時代の思い出にあまり違いがありません。
 朝礼や日直、掃除当番、身体検査などなど、「そうそう、そうだった」 と懐かしくも、おかしく、そしてちょっぴりほろ苦いエピソードが満載なのです。
 風邪で学校を休んだ日、クラスメートが給食のパンをわら半紙に包んで、家まで届けてくれたこと。
 夏の日の夜、校庭や神社の境内に白い布が張られて、野外映写会が行われたことなどは、僕も同じエピソードを自分の著書 『上毛カルテ』(上毛新聞社) の中で書いています。


 奥成氏は、“校門の前にいた怪しいおじさん” にも触れています。
 下校時をねらって校門の横で店を開いていた行商人のことです。
 ひよこ、二十日ねずみ、カメ、ヤドカリなどの生き物や知恵の輪、手品などを売っていました。
 当時も学校では買うことを禁止されていましたが、それでも今のように規制がきびしくない時代のことです。
 けっこう、金持ちの子どもは、だまされて(?) 買っていたような気がします。
 今は、どこの小学校でも、“怪しいおじさん” は見かけなくなりました。
 (時々、予備校や塾のチラシを配っているお兄さんは見かけます)

 この本の中で奥成氏は、「ねんど型」 のおじさんの話をあげています。
 たぶん、これは僕たちが 「ねんど屋さん」 と呼んでいたおじさんのことだと思います。
 でも、僕たちが 「ねんど屋」 さんと出会ったのは、校門前ではなく、決まって下校途中のお寺の参道でした。

 「ねんど屋」さんは、粘土とレンガのような石でできた型を売っているのです。
 型は、七色仮面やナショナルキッドなどの当時のヒーローだった記憶があります。
 (ウルトラマンが放映される前の時代ですから)
 おじさんが、型の底に金粉や銀粉、色とりどりの粉を塗ってくれて、粘土をつめて型からはずすと、あ~らら!光り輝くヒーローが飛び出すのです。

 いくらだったのかは忘れましたが、僕はまだ低学年でおこづかいがなくて買えなかったのを覚えています。
 型をもっていた上級生と一緒に遊んでもらっていました。
 ところが上級生たちは、そのうち粘土で型をとるだけでは飽きてしまうんですね。
 誰かが、鉛を型に流し込んで作った、カッチョイイ~銀色に光り輝く七色仮面やナショナルキッドを見せびらかしはじめました。
 もう、僕は欲しくて、欲しくて仕方がありません。
 どうしたら、あんなカッチョイイ~七色仮面やナショナルキッドが作れるのでしょうか?

 ある日、7つ上の兄貴が、「型だけ誰かに借りてこい。作ってやるから」 と言ったのです。
 で、僕は友だちから型を借りてきました。
 「いったい兄ちゃんは、どうやって銀色の輝く七色仮面を作るのだろうか?」 と見ていると、プラモデルの箱の中から使い切ったセメダインのチューブをいくつか取り出したのです。
 これを空き缶に入れて、火であぶり出しました。
 すると・・・

 うわぁぁぁーーっ! びっくり!

 チューブが溶けて、銀色の液体になったのです。
 兄ちゃんは、この液体を型の中へ流し込んだのです。
 「熱いから、触るな。完全に冷えてから取り出すんだぞ」
 と言って、部屋へもどって行った兄ちゃんは、このとき魔法使いのように見えました。

 しばらくして、型から抜いてみると・・・
 ピッカピカーーーッの七色仮面が出てきたのであります。
 もちろん僕がこの後、これを握り締めて、一目散に駆け出して、近所の友だちの家を一軒一軒まわって、見せびらかしことはいうまでもありません。

 遠い、遠い、昔の話です。


 奥成氏も、本書の 「まえがき」 で、こんなことを言ってます。
 <最近特に物忘れが激しくなったなと悩んでいたのですが、こんなにはるか遠い昔のことをアリアリと思い出してくる自分に、正直なところ驚いています>

 最近のことは、すぐ忘れても、昔のことは本当に良く覚えているものです。
 僕も今こうやって、ブログを書きながら自分の記憶力に驚いています。
  


Posted by 小暮 淳 at 22:33Comments(0)昭和レトロ

2012年03月19日

大塚温泉 「金井旅館」②


 今日は朝から中之条町の大塚温泉へ行ってきました。

 大塚温泉の一軒宿 「金井旅館」 の4代目主人、金井昇さんに最初にお会いしたのは、かれこれ6~7年前のことです。
 暑い暑い夏の日の午後でした。

 裏庭で梅を干しているご主人に 「おいしそうな梅干ですね!」 と声をかけると、「ほれ」 と言って僕の手のひらに梅干を1つ乗せてくれたのです。
 「うちは、動力を一切つかっていない。源泉をそのまま、ぶん(かけ)流しだからね。恵まれた湯があるから、うちなんかでもやっていけるんだよ」
 その飾り気のない人柄にひかれて、それからというもの、足しげく通うようになったのです。
 時には泊り込んで、ご主人と酒を酌み交わしたり、あるときは僕の講演会にご主人が来てくれたりと、何かと交流を続けている、いわば勝手知ったる温泉宿であります。

 今日は、新聞の取材でした。
 旧館玄関の隣の「受付」と書かれた日帰り入浴客専用の扉を開けると、いつもと同じように大女将の金井トキさんが、こたつに入っていました。
 ご主人と女将さんの美恵子さんに勧められ、僕もこたつにお邪魔しました。

 「取材だなんて、うちのことは小暮さんが全部知ってるだんべ。おまかせでいいよ」
 と相変わらず、いつもの調子です。
 「そーだ、昼にそばを打ってやるから、風呂にゆっくり入ってきない」

 なんでも、1年半前から独学で、そば打ちを始めたとのことです。
 「なんかオレもしなくっちゃと思ってさ、見よう見まねで始めたわけよ。楽しみにしてな」
 と、厨房へ消えてしまったのです。

 では、いざ、群馬屈指のぬる湯へ。
 泉温34.2度。湧出量、毎分800リットル!
 800リットルですよ~!
 とにかく一軒宿で、この量は、すご過ぎます。
 男女別の内風呂、混浴の内風呂、混浴の露天風呂だけでは、到底使いきれませんから、ここでは魚の養殖にも温泉水を利用しています。
 テラピア(和名 : イズミダイ) です。
 以前、泊まったときに刺身を食べましたが、淡水魚とは思えぬプリプリ、シコシコの歯ごたえは、まさにマダイの食感でした。

 それでも温泉を使いきれずに、田んぼにまで引いているというから驚きです。


 う~ん、やっぱり、まだこの時季は、露天風呂は寒いですね。
 34度といえば、体温より低いわけですから、ほとんど野外の温水プールに入っている状態です。
 いや、外気に触れているので、もっとずっーと低いはずです。

 テキパキと撮影だけ済ませて、内風呂へ。
 外気で冷えた体には、34度が今度は温かく感じられます。
 案の定、今日も単行本を持ち込んで入浴している湯治客がいました。
 とにかく、ぬる湯は長時間入浴できるのが特徴です。

 ※ぬる湯の効能や金井旅館についての詳しいことは、2010年7月13日の当ブログ 「大塚温泉 金井旅館」 をご覧ください。


 風呂上りにご主人自慢の手打ち十割そばをいただいて、お茶を飲みながら雑談(これが取材ですが) をしながら、楽しいひとときを過ごしてきました。

 僕があんまり 「おいしい、おいしい」 という言うものだから、おみやげにふきのとうをたくさんいただいてしまいました。
 ご主人、ごちそうさまです。

 ふきのとうの、あの苦味がたまりませ~ん!
 今晩は、日本酒の量が、いつもより増えそうですよ。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:55Comments(4)温泉地・旅館

2012年03月18日

読まれてナンボの商売


 料理人にとって 「ごそうさま、美味しかった」 と言われることが最大の喜びだとすれば、ライター(物書き) にとっての励みは 「いつも読んでます」 という言葉をかけてもらうことです。

 ライターは、読まれてナンボの商売です。
 いくら書いても、読んでもらえなければ、それはマスターベーションに終わってしまいます。
 食べてもらえない料理を作っているコック、見てもらえない絵を描いている画家と同じことです。


 サイン会で一番多いのは、「ブログ、読んでます」 です。
 講演会やセミナーだと、「新聞、読んでます」 という人が多いかな。
 朝日新聞に連載している 『湯守の女房』 のことです。
 すでに掲載が始まって、1年以上が経っていますから、だいぶ認知されてきたようです。
 なかには、「小暮さんの連載を読むために、朝日新聞を取り出しました」 という奇特な人もいましたよ。
 これぞ、ライター冥利というものです。
 ※( 『湯守の女房』 のバックナンバーは、当ブログの 「お気に入り」 より閲覧することができます)

 と思えば、以前連載をしていた雑誌のエッセーに触れる人もいます。
 「月刊 Deli-J」 という雑誌には、2006年~2010年まで4年間にわたり、48回も 「源泉巡礼記」 というエッセーを連載していましたから、いまだに根強いファンがいるんですね。
 「あれは本にならないのですか?」 とよく聞かれるのですが、はい、そのような話は今のところ出ておりません。
 どこかで読めるといいのですけどね。
 Deli-J さん、ぜひ検討してくださいな!

 そして、最近、声をかけられるようになったのが、「コラム、読んでます」 です。
 これは、コラムサイト 「ハイハイQさんQさんデス」 で毎週、水曜日と土曜日に連載しているコラム 『温泉で元気』 のことです。
 このコラムは、温泉ファンはもとより、メディア関係の人たちが読んでくださっているようです。
 先日もテレビ局の人から、「小暮さんのコラムを参考にさせていただいています」 と、声をかけていただきました。

 このコラムは、読者からのメールが、編集部を通して僕のところへ送られてきます。
 このメールを読むのが、僕の楽しみでもあるのです。
 「コラムを読んで、温泉へ行ってみたくなりました」 とか 「いつも勉強させていただいています」 などの意見や感想を送ってくださるので、僕も一人一人に返事を書いています。
 読者と、こうして言葉のキャッボールができることを、筆者として大変幸せに思います。
 ※( 『温泉で元気』 は、当ブログの 「お気に入り」 より閲覧することができます)

 当然ですが、本の読者という人たちからも、たくさん声をかけていただきます。
 「えっ、あの温泉の小暮さんですか! 私、本持ってます」
 と、時に驚かれる人もいますが、大概の人は僕と分かると、温泉の質問攻めにあうことになります。
 でも、僕の本を買って持っているくらいですから、みなさん温泉通の人ばかり。
 ですから、話が弾む弾む!
 その場が飲み屋だったりすれば、そのあと延々と何時間でも温泉話になってしまいます。


 実は、ライターという仕事は幅が広くて、必ずしも名前を出して仕事をしている人ばかりとは限りません。
 僕も昔は、ずいぶんと無記名で記事を書いたり、ゴーストライターの仕事もやりました。
 名前を出すようになったのは、温泉の記事を書くようになってからです。
 本を出版するようになったのが、大きいと思います。

 これからも大好きな温泉の魅力を読者に届けるため、老体にムチを打ちながらも東奔西走し、リアルなネタを探し集めてきますね。
 ぜひ、ご期待ください。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:30Comments(0)執筆余談

2012年03月17日

週3日以上は遊ばない


 今週は出ずっぱりだったせいか、だいぶ疲れがたまっていたようです。
 今日は朝から何度も起きようとチャレンジをしたのですが、体のやつが 「イヤイヤ」 と駄々をこねてしまい、結局ベッドから抜け出せたのは昼でした。
 寄る年波でしょうか、本人は大丈夫のつもりでも、だいぶ体はガタがきているようです。

 先日、友人のS君に 「最近は、一晩寝たくらいじゃ、疲れが取れないんだよね」 と言ったところ、「そりぁ~、働き過ぎだよ」 と言われてしまいました。
 まさか、“働き過ぎ” だなんて、生まれてこのかた言われたことも、思ったこともありませんから、面を食らってしまいました。
 もし僕が働き過ぎなら、世の中のサラリーマンは全員、過労死しています。
 ま、そのくらい、ノンベンダラリと無責任に生きてきましたからね。

 でもS君いわく、「僕は、週3日以上は働かないからね。それ以上働いている人は、働き過ぎ!」 と、ピシャリと言い放った。
 S君の “週3日以上は働かない” という話は、以前から仲間内では有名な話で、彼の信条のなであります。

 「それじぁ、食っていけないだろう」
 と突っ込む人がいれば、彼はすかさず言葉を返します。
 「人生は、食えないくらいがちょうどいい」 とね。

 もう、お分かりですね。このブログを読んでいる人なら!
 そう、この名言を吐いた例の友人です。
 “表現者たるもの、食えてはいけない” のです。
 食えた時点で、いい作品が作れなくなってしまうという、実に深い彼独自の哲学であります。
 で、その分岐が、週3日以内の労働ということです。

 週休4日が、ベスト!
 “4日考え、3日動く”
 これが、週休3日となって、労働時間が過半数を超えると、仕事のクオリティに影響をきたすということです。

 で、僕は今週、火曜日から金曜日まで働いてしまったわけです。
 彼の哲学に当てはめれば、僕の仕事のクオリティは落ちてしまうことになります。
 でも実際、彼の言うとおり、今日は一日中、脱力感に見舞われ、何一つ仕事に手がつきませんでした。

 これは、“週休4日” の掟(おきて) にそむいた罰なのでしょうか?

 でも、待てよ!
 この4日間は、企画展とライブとサイン会とテレビのロケに出かけていたのです。
 決して、働いていたわけではありませんって。
 だって、僕の本来の仕事は、ライターですからね!

 じゃあ、この脱力感は、ただの遊び疲れってことですか?

 いずれにしても問題は、目の前にある手つかずの原稿です。
 連載のコラムとエッセー、依頼原稿は、すべて今週中に仕上げなくてはならないものばかり。

 働き過ぎも良くありませんが、遊び過ぎも後からツケがまわってくるようであります。
 僕の場合、これからは “週3日以上は遊ばない” を信条として自粛したいと思います。

 なに?
 酒も自粛しろって?

 そりゃー、一番無理な話ってぇものですぜ。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:39Comments(4)つれづれ

2012年03月16日

四万温泉 「四万やまぐち館」②


 NHKテレビの番組収録のため、昨日から泊り込みで四万温泉へ行ってきました。


 15日、午前9時
 前橋放送局をロケ車に乗って出発。

 カメラさん、音声さん、ディレクター、キャスターと僕。
 キャスターは今春、大学を卒業する新人の熊谷彩花さんです。
 「さん」 というより 「ちゃん」 って呼ぶほうが合っているかな。
 年齢を聞いてビックリ!(僕の長女より年下でした)
 ちなみに両親の年齢を聞いたら、2度ビックリ!(僕より年下でした)

 今回は、4月からNHK総合テレビで始まる県域テレビ放送 「ほっとぐんま640」 という番組の中の 「ライフアップ」 というコーナーで、3週連続で放映される 『温泉通になろう!』 の収録です。

 で、僕は何で一緒に行くのかって?
 それが、なんと “講師” なんですよ!
 はい、可愛い可愛い娘のような彩花ちゃんに、温泉のあれこれを手取り足取り教える “先生” 役なのであります。
 こんな楽しい話、断るはずがありませんって!


 午前10時30分
 四万温泉、到着。
 四万川のほとりで、彩花ちゃんが番組のタイトルを言うオープニング撮り。
 雪が舞っていて、寒くて、かわいそう。
 (結局、このシーンは午後に晴れてから、撮り直しました)

 午前11時30分
 「四万やまぐち館」、到着。
 すぐに、第1回放送分のイントロ部分、女将さんが彩花ちゃん演じる旅人を迎えるシーンを玄関で撮影。
 同じシーンを、何度も何度も撮ります。

 午後1時
 昼食をはさんで、和室に場所を替えて、彩花ちゃんが 「浴衣の着こなし」 を女将さんに教えてもらうシーンの撮影。
 現代的な女の子が、髪を結い、浴衣に着替え、半てんを着ると、実におしとやかな大和なでしこに変身しました。
 うなじの後れ毛が、なんとも色っぽい~っ!
 娘以上に若いというのに、オジサンはクラクラしてしまいましたよ。


 午後4時
 いよいよ2週目の、僕が講師を務める 「温泉の正しい入り方」 の撮影です。
 場所は、同じく和室。
 旅館に着いて、浴衣に着替えた旅人の彩花ちゃんに、旅館での過ごし方、温泉の入り方について僕がレクチャーします。

 さすが天下のNHKであります。
 僕が説明しやすいように、浴室のイラストが描かれたフリップが用意されていました。
 これにマグネットの人形を使って、“正しい入浴の仕方” について話をしました。
 何度かNGもありましたが、無事収録。


 午後5時30分
 休憩の後、続けて3週目の 「温泉豆知識」 の撮影。
 この回のフリップは、あこがれのシートめくりです。
 あれですよ、ほら、みのもんたが毎日、めくっているやつです。
 「群馬には、いろいろな温泉があるんですよ。ほら」 っと言って、シートをめくると文字が出でくるんです。
 なんだか、名司会者になったような気分を味わいました。

 午後7時
 とりあえず、この日の収録は終了。
 ディレクターの 「お疲れ様でした」 の乾杯のあいさつで始まった食事会。
 いゃ~、取材の後で飲むビールもうまいですけど、テレビ番組収録の後のビールも、これまた格別なうまさがあります!
 なんだか、これはハマリそうですなぁ~



 一夜明けて・・・

 取材だと、朝からバタバタと出かけて行くのですが、今日の収録は11時からということで、実にのんびりと過ごせました。
 風呂に入って、コーヒー飲んで、新聞を読んで、おまけに家に帰ってから原稿を書かなくていいと思うと、もう、幸せの極みであります。
 「ああ、極楽だ。この人生、まんざらでもないねぇ~」
 なーんて、四万川の流れを見ながら、悦にひたってしまったのであります。


 16日、午前11時
 彩花ちゃんの入浴シーンの撮影。
 彼女もプロですから、脱ぎっぷりがいい!
 スタッフは全員男性ですが、堂々と湯舟に入って、満面の笑みにてレポートをしてくれました。
 バスタオルを巻いているんだろう、って?
 さあ、どうでしょう?
 ぜひ、オンエアを見て確かめてみてくださいな。


 午後1時
 湯上がりの彩花ちゃんと僕のエンディングシーンの撮影。
 同じシーンを、違うカットで何度も撮影しました。
 へーっ、テレビって、こうやって撮影するんだ~!と、感心しきりです。


 午後3時
 女将さんに見送られて、旅館を出発。 
 温泉街のロケへ。
 勝手知ってる四万温泉を、僕が案内しながら町並みの風景を撮影。

 すべての撮影を終えて、一路、前橋へ。


 過去にテレビのスタジオ撮りというのは、何回か経験したことがありましたが、ロケに同行したのは生まれて初めてのことでした。
 ひと言で感想を述べれば、「テレビ番組を作るのって大変だ」 ということ。
 新聞や雑誌を作るのも大変だけど、テレビは、それ以上に体力が勝負なのですね。

 何度も何度も温泉に入ったキャスターの彩花ちゃん、お疲れ様でした。
 ディレクターのMさん、演技指導をありがとうございました。
 カメラのOさん、音声の I さん、お世話になりました。

 また、こころよくロケ場所を提供してくださった 「四万やまぐち館」 の女将さん。
 夜、美味しいお酒をいただいた社長さん。
 心より、感謝を申し上げます。

 今から4月の放送が、大変楽しみです。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:00Comments(2)温泉地・旅館

2012年03月14日

上牧温泉 「辰巳館」⑤


 仕事のような、遊びのような・・・
 いや、半分は仕事かな?
 いや、全部遊びだったりして・・・

 取材や打ち合わせ以外で、辰巳館を訪ねるのは珍しいことです。


 昨日は、午前11時に上牧温泉「辰巳館」 に到着。
 すでに5人のプロジェクトKのメンバーが、来ていました。
 プロジェクトKとは、僕が所属しているクリエイター集団です。
 この日、メンバーは、『みなかみを考える企画展』 の開催準備のために集まりました。

 1階ロビーに展示される作品は、23点。
 イーゼルを組み立て、パネルを設置。
 受付や書籍販売コーナーを作りました。

 午後1時、開場。
 みなかみ町観光協会さんの宣伝が行き届いていたようで、午後はたくさんの方々が来場してくださいました。
 みなかみ町長、観光協会事務局長、代表理事をはじめ、法師温泉「長寿館」、川古温泉「浜屋旅館」、湯宿温泉「湯本館」、月夜野温泉「つきよの館」 など各旅館のご主人や女将さん、また友人知人の方々も大勢来てくださいました。
 ありがとうございました。

 また、「ブログを読んで来ました」 という読者の方が、何人もいました。
 中でも、東京からわざわざ来られたというNさん。
 本当に、ありがとうございました。
 同時に、申し訳ありませんでした。
 彼は早い時間に来てくださったため、まだ僕の著書が会場に届いていなかったのです。
 しかも、いつもなら旅館でも販売しているのに、彼が 「持っていない」 という本だけが完売していて在庫切れだったという二重の不運が重なってしまいました。
 それでも一緒に写真を撮って、握手をして、ごきげんで帰って行かれました。

 Nさん、また今度、どこかでお会いしたら声をかけてくださいね。


 午後8時30分。
 うちのバンドリーダーの60歳の誕生日を祝う 『還暦ライブ』 が開演。
 懐かしのフォーク&GSサウンドを全13曲を演奏しました。
 リーダーの作詞作曲による、みなかみ町の応援歌 「みなかみ ひとり」 を初披露しました!
 そして、最後はお約束のオンパラこと 「GO!GO!温泉パラダイス」 を、踊り付きで大合唱となりました。
 客席は満員で、立ち見も出て、大盛況でした。

 ライブ終了後は、僕の著書販売とサイン会です。
 出版元の上毛新聞社からも助っ人に女性が2人も来てくださり、「群馬の温泉シリーズ」 の3冊を販売。
 平日の夜だというのに、たくさんの人たちが並んで買い求めてくださいました。
 サイン会の席でも、「ブログ、いつも読んでます」 と声をかけてくださった男性がいましたよ。
 嬉しいですね。


 今後、『みなかみを考える企画展』 は、みなかみ町内にて巡回展を行います。
 会場や会期などは、後日また、お知らせいたします。

 メンバーのみなさん、大変お疲れさまでした。
 また、会場を貸していただいた辰巳館の社長、女将さん、会長、大女将、従業員のみなさん、大変お世話になりました。
 お礼申し上げます。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:11Comments(5)温泉地・旅館

2012年03月12日

『おとな日和』 明日発刊!


 以前、このブログでOL温泉愛好家の山田べにこさんと対談をした話を書きましたが、いよいよ明日、その雑誌が発刊になります。
 (1月14日の当ブログ 「山田べにこさんと対談」参照)

 掲載されるのは、群馬県内で配布されているフリーペーパーの 『おとな日和』(パリッシュ出版)。
 4ページにわたり、僕とべにこさんの楽しい温泉トークが満載です。

 いゃ~、それにしても、やはり取材をされるというのはヘンなものですな。
 ライターとは、常に裏方にいて、姿を見せないものでしたからね。
 なに? いっつも温泉に入っている姿を露出しているだろうって?
 いえいえ、あれは自分の記事ですし、しかもハダカですよ!
 ハダカになるのは、取材の一環なのです。

 でも、今回の対談は、しっかり服を着ています。
 これが、非常に恥ずかしい~!
 思わず、べにこさんの前で 「ハダカになってもいいですか?」 と言いたくなってしまったくらい、恥ずかしいのであのます。

 ま、カメラマンさんが腕の良い人で、無難に撮れていたので安心しましたけどね。
 それでも、やはり取材はされるより、するほうが自分には向いているようであります。
 対談なんて、人生にそんなに何回もあることではないので、今回はお受けしました。

 みなさん、話のネタに、見て、笑ってやってくださいな。
 美人OLを前に、目じりと鼻の下をデレ~~とのばしているオジサンが出ていますから。

 もちろん、純粋に “温泉ファン” には必見の対談であります。
 群馬県内の温泉地を、マニアックに熱く語り合っております。


 ※なお、発刊日より配送に数日かかるそうです。
  お近くの設置所で見かけましたら、お手に取って見てください。

 <『おとな日和』 県内設置所>  
 ●しののめ信用金庫
 ●JR高崎駅
 ●ベイシア
 ●カインズホーム
 ●フレッセイ
 ●サントノーレ高崎店・伊勢崎店
 ●けやきウォーク
 ●伊勢崎ガーデンズ
 ●ららん藤岡
 ●セントラルウェルネスクラブ前橋・高崎
 ●日帰り温泉施設(一部除く)
   その他
 ・お問合せ/パリッシュ出版 TEL.027-360-5551
  


Posted by 小暮 淳 at 18:24Comments(6)温泉雑話

2012年03月11日

あれから1年、大胡温泉へ


 2011年3月11日、午後2時46分。
 その日、その時、僕は大胡温泉 「三山の湯 三山センター」 にいました。

 確か、数日前に女将さんから電話をもらったのです。
 「小暮さんのファンが訪ねて来て、手紙を置いていかれました。ついでの時に、お寄りください」 と・・・
 そのついでが、震災当日でした。

 その日は、午後から家を出て、1件用事を済ませて大胡温泉へ向かいました。
 女将さんから手紙を受け取り、しばらくお茶を飲みながら雑談をして、「そろそろ行ってみます」 と席を立つ僕に、女将さんは 「温泉に入っていきなさいよ」 と勧めてくれたのですが、「いえ、この後、まだ行くとこがありますから」 と僕が言うと、「あら、残念ね」 と僕を見送りに玄関まできた、その時でした!

 グラッ、グラグラグラ~~~~~っと、尋常ではない激しい揺れが始まったのは。

 「これは大きいですね。とりあえず、全員外へ出ましょう!」
 と声をかけて、従業員たちと飛び出しました。

 「お客さんが風呂にいなかったっけ?」
 と気づかう女将に、後から出てきた従業員の女性が、「今、見てきましたが、誰もいませんでした。大丈夫です」 と声を返しました。
 それを合図に、一目散に駐車場の真ん中にある松の木まで走った。
 まだ、激しい揺れは続いている。
 ガレージのトタン屋根はガタガタと大きな音を立てて鳴り、駐車場に停めてある車は、ひっくり返るんじゃないかと思うほど激しく左右に揺さぶられていた。

 「テレビのニュースを見てくる」 と旅館へもどった女将の息子さんが、すぐに出てきて 「ダメです。停電してます」 と言うなり、どこかへ走り去って行った。
 すぐに、自分の車に乗ってやってきて、
 「みんな、中に入って! テレビが見れますから」

 <震源地は、宮城県の沖合い……>

 前橋は、震度5弱だった。

 “大変なことが起きている” そこにいる誰もが、そう思いました。
 「長いこと生きているけど、こんな大きな地震は初めてだよ」 と女将さんが震えた声で言ったことを、今でも覚えています。


 あれから、ちょうど1年経った今日。
 僕は、1年ぶりに大胡温泉を訪ねました。

 「あら、小暮さん!」
 玄関を入ると、女将さんがすぐに気づきました。
 「なんで来たか分かります?」 と僕。
 「今日は、何か?」
 と、女将さんは瞬時には気づきません。
 「ちょうど1年だよ」 と言うと、
 「そーだよね。それで来てくれたの?」
 と、カウンターから身を乗り出して喜んでくれました。

 息子さんも出てきて、震災直後の話になりました。
 あの日を境に、ピタリと客が来なくなってしまったと言います。
 「小暮さん、小暮さんの記事が、うちを救ってくれたんですよ。感謝しています」
 と息子さんが新聞記事のコピーを指さしました。

 実は、震災前に大胡温泉を取材していたのですが、震災の影響で連載が止まっていたのです。
 新聞社から連載再開の連絡が来たのは4月に入ってからでした。
 「小暮さんは確か、震災の当日は大胡温泉にいたんですよね」
 と、新聞社の担当から電話があり、
 「だったら、震災後一発目の掲載が大胡温泉なんて、何かの縁ですよ。原稿を加筆してください。地震直後の事を後日談として文末に入れますから!」
 ということで、急きょ追加原稿を送って掲載されたのが、4月6日付の朝日新聞「湯守の女房」④大胡温泉 三山センターでした。

 「あの記事が出たおかげで、お客さんがもどってきてくれたんです。ありがとうございます。小暮さんは、うちの “福の神” ですよ」
 とまで、言われてしまいました。


 ひと風呂浴びて、あの日と同じように、大広間で女将さんと常連客らと、お茶を飲んでいました。

 午後2時46分。
 全員で、黙とう。


 群馬でも、あの揺れ、あの恐怖でした。
 東北の人たちの心中は、計り知れないものがあります。

 もう1年、まだ1年・・・
 1日も早い復興を祈るばかりであります。 
  


Posted by 小暮 淳 at 22:01Comments(3)つれづれ

2012年03月10日

ライブ&企画展 in 上牧温泉


 いよいよライブが3日後に迫ったということで、本日は午前中よりバンドの仕上げ練習を行ってきました。
 (ライブ内容については、当ブログ2月18日「みなかみを考える企画展」を参照)
 今回は、コピー曲だけでなく、オリジナルの新曲も披露するため、念入りに練習をしました。

 当日は、バンドのリーダーである桑原一氏が代表を務める 「プロジェクトK」 のメンバーによる 『「みなかみ」を考える企画展』 が同時開催されす。
 「プロジェクトK」 とは、ディレクター、カメラマン、コピーライター、デザイナー、建築家、イラストレーターなど約20名が所属するクリエイティブ集団です。
 メンバーそれぞれが 「みなかみ」 をテーマに、独自の発想と技術を駆使した “作品” のパネル展示を行います。
 キャラクター、シンボルマーク、キャッチフレーズ、写真、グッズ、菓子などなど、未来の 「みなかみ」 を表現しました。

 ライブも企画展も、入場無料です。
 また、会場では僕の温泉シリーズ本の販売もいたします。

 みなさん、ぜひ、遊びに来てくださいね。
 お待ちしております!



        KUWAバン還暦ライブ
             &
    プロジェクトK「みなかみ」を考える企画展

 ●会場  上牧温泉 「辰巳館」 1階ロビー
        群馬県利根郡みなかみ町上牧2052
TEL.0278-72-3055
 ●日時   2012年3月13日(火)
        企画展 13:00~終日
        ライブ  20:30~21:30
 ●料金  入場無料
 ●協力  上牧温泉 辰巳館、みなかみ町観光協会、上毛新聞社
   


Posted by 小暮 淳 at 18:05Comments(0)ライブ・イベント

2012年03月09日

遠い日の恋人よ


 僕の両親は実家で、ふたり暮しをしています。
 オヤジは少々ボケが始まっているものの、2人とも健康に問題はなく元気なのですが、それでもかなりの高齢です。
 離れて暮らす息子としては、いつも心配のタネですから、外出したときはできるだけ実家に顔を出すようにしています。

 先日も取材帰りに立ち寄ると、「いいところに来た」 と買い物を頼まれました。
 車も自転車も乗らない老人にとって、買い物は一番の問題です。
 “買い物難民” という言葉があるくらい、旧市街地に暮らす老人たちは、買い物に不自由しています。
 一番近いスーパーでも、到底、歩いて行ける距離ではありません。
 唯一、徒歩圏内にあったコンビニも、閉店してしまいました。
 ということで、週に何回かは、僕が買い物代行をしてあげているのです。


 その買い物に出かけたスーパーで、また奇跡が起きました。

 カゴを持って、店内へ入ると、すぐに誰かの視線を感じたのです。
 キョロキョロと店内を見回しましたが、知った顔はいません。
 なのに、歩みを進めるごとに、その視線は強くなります。
 前方には、マスクをしてワゴンを押す女性が立っているだけです。

 はて、知っている人だろうか?
 目を凝らして見たのですが、顔は大きなマスクに覆われているため、人相が分かりません。
 でも、なぜかグイグイと僕の体は、その女性に引き寄せられて行きます。
 そして、わずか1メートル付近まで接近したときです。
 その、わずかに露出している “目” を見て、瞬時に僕の思考回路は、ある特定の人物を探し出しました。

 「○○ちゃん?」
 思わず、すっとんきょうな声を上げていました。

 すると、その女性は声もなく、小さくかぶりをタテに振りました。
 その女性は、元カノでした。


 いったい、どのくらい前までを “元カノ” と呼んでいいのか分かりませんが、昔つき合っていた女性には間違いありません。
 それも、昔も昔、10代の頃ですから、ざっと35年前のことです。
 自分でも、よく “目” だけで彼女だと分かったものだと、ビックリしたくらいです。
 もしかしたら、目力で僕に合図を送っていたのかもしれません。
 「私はここよ。気づいて!」 ってね。

 僕らは、僕が東京へ出るの境に別れました。
 でもね、どうして僕らは気づき合えたかというと、再会したのはこのときが初めてではなかったからなのです。
 不思議な縁があるようで、20代、30代、40代と、10年周期くらいで、こうやってバッタリと再会をくり返していたのです。
 50代では、この日が、最初の再会でした。

 「○○ちゃんは、全然変わらないなぁ~」
 「ううん、昔に比べたら太ったし、年相応に老けたよ」

 彼女は僕の読者で、本が書店に並ぶと真っ先に買ってくれているんですって。
 嬉しいですね。

 「で、どうして、今日はここのスーパーへ?」
 確か、彼女の家は、この辺ではないはずです。
 「父の世話よ。ひとり暮らししているから、こうやって、たまには私が様子を見に来て、買い物をしてあげているの」
 「なーんだ、だったら僕も同じだ」

 僕らは同世代。よって、その親たちも、かなりの高齢になっています。
 「でも、ジュンちゃんところは、2人揃って元気なんでしょ?」
 彼女の母親は早くに亡くなっていて、確か、お父さんは、ずーっと1人だったはず。
 歳を聞けば、すでに90歳を超えているという。

 昔、昔、デートの帰りに彼女を家まで送り届けて、出てきたお父さんにあいさつをした記憶がよみがえってきた。
 あのときのお父さんは、50代だったことになる。
 今の僕と、あまり変わらない年齢だったのだ。


 「じぁあ、また」
 「うん、元気でね」


 この歳になると、もう、甘酸っぱい感傷なんてありません。
 それでも、しばらくの間、スーパーから出て行く彼女の後姿を目で追っていました。

 “全然変わらない” は、ちょっと大袈裟だったかな~。
 でも、年齢よりは、かなり若く見えたよな。
 “元カレ” としては、何よりそれが嬉しい。

 また、どこかでバッタリ会おうね!

 遠い日の恋人よ・・・
   


Posted by 小暮 淳 at 21:17Comments(3)つれづれ

2012年03月08日

『誕生日の夜』 が小学校で・・・


 まったくもって、どこで、誰が、読んでいるか分からないものです。
 一通の長い手紙が届きました。


 <心音にしみとおる、こんな素晴らしい本をお書きになります小暮様は、どんな方なのでしょう>

 いきなり、こんな書き出しで始まっていました。
 恥ずかしいような、照れくさいような、でも、とっても嬉ししい便りでした。

 送り主は、元教師の女性。
 偶然にも、薬局の待合室で、拙著の 『誕生日の夜』 と出合ったといいます。
 現在は、絵本の読み聞かせをしている方でした。

 <昨年12月、○○小学校(前橋市) で1年生に聴いてもらうことになり、胸中はドキドドキでありました。聴いている児童たちと私と、しまいには泣きながらの時を過ごしました。>

 と、すでに 『誕生日の夜』 の朗読をされたことが、書かれていました。
 そして・・・

 <何日か後に、女の子から 「お母さん、今、元気になっているのよね」 と質問があって、「今はね、お父さん、お母さんに囲まれて、楽しく生活しているそうよ」 と答えますと、「よかった」と、とても嬉しそうにしていました。読み聞かせをしている中で、後になって、その本の後の様子を心配したりして、感想を聞くなどということは、今までは無い経験でもありました。>

 今年になってからも、1月、2月、と他の学年児童にも聴いてもらい<今年度は読み続けさせていただきます>とも書かれていました。

 <小暮様の 『誕生日の夜』 は、私の大切な1冊になって、今、何度も読みの工夫をしながら、研修をさせていただいております>

 いゃあ~、手紙を読んでる僕のほうが、ウルウルしてきてしまいました。
 著者冥利に尽きるというものです。
 なによりも児童たちが、登場人物のその後を心配しているなんて、素晴らしいことではありませんか!

 ああ、この本を書いて本当に良かった!と思えるのです。

 手紙の最後には、こんな言葉が添えられていました。
 <しまいになりますが、しおりちゃん、お母さんに、よろしくお伝えくださりますよう、お願い申し上げます。> 

 もーう、ダメです!
 涙腺が、ぶっ壊れてしまいそうですよ。
 なんて素敵な言葉なんでしょうか!
 著者の僕なら、登場人物たちに会えるからなんですね。
 はい、分かりましたよ。
 必ず伝えます。

 しおりちゃんにも、お母さんにも、そしてお父さんにもね。
 それからそれから、ケーキ屋の店長さんにも伝えておきますよ。
 「あなたたちは、たくさんの読者から愛されていますよ」 と・・・


 今年の正月、このブログで 『誕生日の夜』 を連載したところ、各方面からたくさんの反響をいただきました。
 それにより絵本の在庫が少なくなってきたため、現在、再出版を検討しています。
 また、絵本の原画を描いてくださった画家の須賀りすさんによる “『誕生日の夜』原画展” が開催されることになりました。
 会期等の詳しい内容が決まりましたら、ご報告させていただきます。

 お手紙を下さった I さん、本当にありがとうございます。
 これからも 『誕生日の夜』 を末永くよろしくお願いいたします。


 ※『誕生日の夜』 は、当ブログ内 「カテゴリ」 より全文がお読みいただけます。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:41Comments(2)誕生日の夜