温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2021年10月31日

絵の具はパリの香り


 やっと先生に、ご挨拶をすることができました。


 子どもの頃は得意だったのに、大人になってから不得意になってしまったものに、“絵を描くこと” があります。
 思えば、僕は小学5年生の時に、有志3名と 「マンガ研究会」 を発足させたほどのお絵描き好きでした。
 その素地となっていたのが、父親に通わされた絵画教室でした。
 小学1年生から中学に入るまでの6年間、通いました。

 その時の先生が、群馬県洋画家界の重鎮、川隅路之助画伯でした。


 川隅先生は明治39(1906)年の生まれですから、僕が小学生の頃は、ちょうど今の僕くらいの年齢だったことになります。
 当時、絵画教室へ行く一番の楽しみは、絵が描けることもさることながら、先生の海外旅行の話が聞けることでした。

 昭和の40年代、海外旅行なんて、ごく一部の特権階級の人たちだけのもので、庶民とっては高嶺の花の花。
 テレビの中だけのお話しでした。
 しかもフランスのパリなんて、どんな所なのか想像もつきません。
 「飛行機に乗ってみたい」 「パリの街並みを歩いてみたい」
 先生の話を聞きながら、妄想を抱きながら絵を描いていた記憶がよみがえります。 

 先生の年譜によると、昭和39(1964)年に <渡欧し、パリに滞在> とありますから、僕が入室したのは、その直後だったようであります。


 週1回通った教室は、子どから大人までが一緒に、同じ被写体を描きます。
 たいがいはテーブルの上に布が敷かれていて、生花や果物が置かれていました。

 小学生の低学年はクレヨン、高学年から中学生は水彩、高校生から大人は油絵。
 僕は水彩画までで、中学入学と同時に 「部活が忙しくなるから」 との理由でやめてしまいました。


 あれから半世紀たった今年の4月。
 地元の新聞に、「川隅路之助ギャラリー」(前橋市) が閉館されるという記事が載りました。

 「行かなくっちゃ」 「もう先生の絵が見られなくなっちゃう」
 と思いつつも忙しさにかまけ、、また個人のギャラリーということもあり、なかなか足が向かずにいました。

 ところが!
 県内外におられる今でも先生を慕う門下生や美術愛好家の方々が、実行委員会を発足し、急きょ、先生の展示会を開いてくださいました。


 『川隅路之助展 ~未来へ・生き続ける詩情~』

 会場は、国登録有形文化財に登録されている 「旧安田銀行担保倉庫」(前橋市)。
 会期は、10月28日~31日のたった4日間です!


 昨日、50余年ぶりに、先生の絵に再会してしてきました。
 生花や動物、赤城山の風景など、約50点の油彩画がレンガ倉庫の中で、出迎えてくださいました。

 先生の写真の前では、長いこと立ち止まってしまいました。
 遠い日の教室での風景が、映し出されたからです。
 そして、いつも教室に漂っていた油絵具のにおい……

 先生の話すパリの話は、いつも、このにおいに包まれていました。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:17Comments(2)つれづれ

2021年10月30日

北関東ドングリ共和国


 「小暮さんは、どう思われますか?」
 このところ、行く先々で、同じ質問をされることが、多くなりました。

 何をどう思うのかって?
 アレですよ、アレ!
 群馬県知事のアノ発言です。


 今年も発表された 「都道府県別魅力度ランキング」 で、昨年は40位だった群馬県が、今年は順位を落として44位になった件です。
 この件について知事は、
 「内容を精査し、弁護士と相談して法的措置も検討したい」
 と発言して、物議をかもしているアノの件であります。

 ちなみに他の北関東三兄弟の順位を見てみると、昨年最下位だった栃木県は41位に浮上し、茨城県は再び47位の最下位となりました。


 昨年、最下位だった栃木県の知事は、調査元を訪れ、「改善するように!」 と直談判しました。
 ところが、その翌日、栃木県庁には100件を超える意見がメールや電話で寄せられたといいます。
 その内訳は、否定的な意見が過半数で、支持は2割に満たなかったといいます。

 今年、同じような発言をした群馬県知事の発言後も、県庁に電話が殺到しました。


 一方、再び最下位になった茨城県ですが、今回、知事は次のようにコメントしました。
 「痛くもかゆくもないというのが県民の本音ではないか」

 お見事です!
 なぜ、栃木県と群馬県の知事は、同じ発想になれなかったのでしょうかね?
 それとも茨城県には、両県にはない確固たる自信があるんでしょうか?

 もしかして、それって “海” ですか?


 もう、いい加減、目クソが鼻クソを笑うのは、やめにしません!?
 所詮、北関東は “ドングリの背比べ” なんですから!

 いっそ3県で共和国をつくり、日本国から独立したらいかがでしょうか?
 そうすれば、旧栃木と旧群馬の県民たちも、“海なし県” のコンプレックスから解放されます。


 3県の知事のみなさん、ぜひ、ご検討ください。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:54Comments(4)つれづれ

2021年10月29日

放送間近! 角大師の正体


 前橋市堀之下町
 施無畏山延命院 正圓寺

 長い参道を歩いて行くと、山門前に真新しい石碑が立っています。
 そこに描かれているのは、長い触角のような角を持つ、鬼のようでもあり、悪魔のようにも見える摩訶不思議な生物の絵……

 ≪角大師 (魔を滅する良源の変化身)≫


 石碑の裏面には、こう刻まれています。

 ≪令和二年、新型コロナウイルスによる世界的大流行が発生。早期の終息を祈念して建立する≫


 角大師とは、比叡山の高僧、良源の変化の姿といわれています。
 平安時代、この角大師の姿を版木に彫り、人々に配り、戸口に貼ったところ、疫病をはじめとする一切の厄災が寄り付かなくなったと伝わります。
 ※(詳しくは、当ブログの2021年10月17日 「角大師は実題した人物だった!」 参照)

 僕がリポーターを務める群馬テレビの謎学番組 『ぐんま!トリビア図鑑』 では、この “角大師” の正体を追います。
 ぜひ、ご覧ください。



        『ぐんま!トリビア図鑑』
    #264 「コロナ退散! 角大師のお札」

 ●放送局  群馬テレビ (地デジ3ch)
 ●放送日  2021年11月2日(火) 21:00~21:15
 ●再放送  11月6日(土) 10:30~ 11月8日(月) 12:30~
  


Posted by 小暮 淳 at 10:36Comments(0)テレビ・ラジオ

2021年10月28日

逆襲の逆襲なのだ~!


 朝日新聞社から 「全国版に小暮さんのことを書きました」 と、10月25日付の夕刊が届きました。
 紙面には大きく、こんなタイトルが躍っています。

 ≪温泉の宝庫 地味でも極楽~ 群馬の逆襲①≫


 「現場へ!」 というシリーズで、群馬県駐在の記者によるレポートであります。
 一部を抜粋します。

 <「温泉地は100カ所以上。乳白色、茶褐色、赤褐色、黄土色など色もよりどりみどり。群馬はまさに 『湯煙パラダイス』 です」。
  県都の前橋市に住む温泉ライターで、「ぐんまの源泉一軒宿」 など温泉に関する数々の著書がある小暮淳さんはそう語る。>


 記事では今月、ブランド総合研究所が発表した2021年の 「都道府県の魅力度ランキング」 にも触れ、数字では還元されない魅力として、温泉にスポットを当てています。
 記事は、こう結ばれています。

 <とかく地味なイメージが強い群馬。だが住んでいる人が楽しく生きていれば、それが幸せなのではないか。群馬で暮らす記者が、そのいくつかを紹介する。>

 シリーズ記事 「群馬の逆襲」 の第1回が “温泉” というのが、うれしいじゃありませんか!
 今年、赴任してきた記者のようですが、やっぱり群馬と言えば、温泉なのですね。


 さて、「群馬の逆襲」 といえば忘れてはならないのが、2010年に出版されたジャーナリスト・木部克彦氏の 『群馬の逆襲』(彩流社) であります。
 ベストセラーとなり、2年後には 『続・群馬の逆襲』(言視社) が出版されました。

 この時も木部氏から連絡があり、“逆襲の刺客” として取材を受けました。
 氏は著書の中で僕のことを、こう表現しています。

 <いかにも世界屈指の温泉大国・群馬らしいオジサンがいます。>
 <ここまで 「人生のすべて」 を温泉につけこんでしまう人は、なかなかいません。まさに 「温泉バカ一代」。>

 まあ、ほめられているのか、笑われているのか分かりませんが、氏独特のユーモアセンスで、僕の人となりが描かれています。


 くしくも10年の時を経て、またしても 「群馬の逆襲」 に登場です。
 はたして群馬の逆襲は、いつまで続くのでしょうか?

 いつか、“逆襲” の冠が取れる日が来ることを待ち望んでいます。  
  


Posted by 小暮 淳 at 11:44Comments(3)温泉雑話

2021年10月27日

湯守の女房 (36) 「群馬県人より群馬県人ぽいって言われるんです」


 このカテゴリーでは、ブログ開設11周年企画として、2011年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』(全39話) を不定期に掲載しています。
 湯守(ゆもり)とは源泉を守る温泉宿の主人のこと。
 その湯守を支える女将たちの素顔を紹介します。
 ※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


 温川温泉 「白雲荘」 東吾妻町


 高崎市から草津街道 (国道406号) を北上する。
 東吾妻町に入り国定忠治の処刑場跡を過ぎ、忠治が捕まった大戸関所跡前の交差点を左折して須賀尾峠方面へ向かうと、左手に 「浅間隠(あさまかくし)温泉郷」 と書かれた標識が見える。

 標識前の分岐を左に行くと、薬師温泉と鳩ノ湯温泉。
 右に進むと温川(ぬるがわ)温泉。
 浅間隠温泉郷とは、この3つの温泉地の総称である。

 すべての温泉地が源泉一軒宿。
 中でも最も小さい宿が、温川温泉の 「白雲荘」だ。


 温川温泉は江戸時代中期に発見された。
 当時、囲炉裏や炊事の煙に悩まされていた村の女性たちが、この湯で目を洗ったことから 「目の湯」 と呼ばれるようになった。
 確かに源泉には、目薬の成分として知られるホウ酸カルシウムが多く含まれている。

 「最近も源泉を持ち帰って目を洗ったら、目が良くなったとお礼の手紙が来ました」
 と女将の葉木愛子さんは話す。


 盛岡市生まれ。
 30年前、盛岡の温泉宿で仲居をしていた時、群馬から来ていた客に誘われて、伊香保温泉で働くようになった。
 その後は、薬師温泉に移り、当時の白雲荘の支配人から誘われ、平成10(1998)年に女将として白雲荘に入った。

 「群馬の人は言葉がきつい感じなので、最初はやって行けるか心配でした。でも、みな腹の中は悪くない。慣れてくると面倒見がいい人が多いんですよね」
 と笑う。


 温川温泉の源泉は、明治22(1889)年に浅間隠山の大洪水で一度水没したが、昭和38(1963)年に掘削され、よみがえった。

 「ここは昔ながらの湯治宿ですから、連泊される方が、ほとんどです。お客さまの健康を考え、料理もすべて地場産品を使い、手作りしています」

 県内の温泉地は、どこも県外客で占められているのに対して、温川温泉を訪れる客は8割が県内からのリピーター。
 それも、ほとんどが湯治目的の連泊者だ。
 5人以上のグループなら、マイクロバスで県内どこでも送迎する。


 露天風呂へは、宿から歩いて2~3分。
 温川沿いの敷地に湯小屋が立っている。
 湯小屋の隣には、簡単な食事ができる休憩所もある。
 ここを預かっている唐沢貴子さんは、白雲荘のオーナーの長女。
 白雲荘を建てたのは、祖父にあたる。


 湯はぬるめで、肌にやさしく長湯ができる。
 入浴中に、体に小さな泡の粒が付くのが特徴だ。

 「今では群馬県人より群馬県人ぽいって言われるんですよ」
 と底抜けに明るい女将の笑顔を、湯舟の中で思い出した。


 <2013年1月30日付>
 ※「白雲荘」 は廃業しました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(2)湯守の女房

2021年10月26日

KAPPA


 昨年は一年間、講演やセミナーの講師の仕事が、軒並み中止か延期となりました。
 また温泉地の取材もコロナ禍ということで、暗黙の御法度となり、動きの取れない一年でした。

 そんな中、唯一の朗報が、著書 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) の増刷でした。
 コロナ禍という逆風が、人々を3密を避けた “謎学の旅” へといざなったようであります。


 そんなコロナ禍の影響もあり、僕の講演活動にも異変が起きています。
 コロナ以前は、講演の依頼の8割は、“温泉” がテーマでした。
 それがコロナ禍となり、“民話” の依頼が増えました。

 現在、年内に予定されている講演は、あと6回。
 うち温泉は2回、民話は4回です。
 完全に逆転してしまいました。

 コロナ禍ゆえの非接触で楽しめるテーマでの講演が求められているようであります。


 さて、民話の講演では、会場のある地元の民話に触れながら話を進めていきます。
 必ず登場するのが 「カッパ伝説」 です。

 “河の童” と書いて、カッパですが、呼び名は地方によって様々です。
 関西では河太郎(ガタロ)、九州ではガワラッパ、中国・四国ではエンコ、東北ではメンツチ、メドチなどと呼ばれています。
 不思議なのは、呼び名は違えど、カッパは全国に棲息(?)していたということです。

 なぜ同一生物だと分かったのか?
 それは、外見の特長が同じだったからにほかなりません。

 ≪水陸両生、形は四~五歳の子供のようで、顔は虎に似、くちばしはとがり、身にうろこや甲羅があり、毛髪はなく、頭上に凹みがあって少量の水を容れる。その水のある間は陸上でも力強く、他の動物を水中に引き入れて血を吸う。≫ (「広辞苑」より)


 群馬県内にもカッパ伝説は、多数点在しています。
 調べると、とても面白いことが分かりました。

 赤城山~榛名山を境に、南のカッパは、いたずら小僧で、やっかい者。
 一方、北のカッパは人間に、とっちめられ、改心して、恩返しに現れます。
 県内だけでも個性豊かなカッパ伝説ですから、全国となると人間を喰ってしまうような、それはそれは恐ろしいカッパ伝説もあります。


 というのも、たまたま今、僕は作家・柴田哲孝氏の小説 『KAPPA』 を再読中なのであります。

 舞台は関東地方のとある沼。
 “河童” が人を喰うという事件が発生します。
 はたして本当に河童は実在するのか?
 事件に関わる個性的な男たちが、さまざまな人間模様の中で謎を解明していきます。

 再読なので、結末は知っているのですが、それでもワクワクしながら小説を読んでいます。


 やっぱり、カッパはいます!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:27Comments(0)読書一昧

2021年10月25日

さらにお得な 「旅なかのじょうキャンペーン」


 中之条町観光大使および四万温泉大使からのお知らせです。

 群馬県民の宿泊費を補助する県事業 「愛郷ぐんまプロジェクト」 (2021年11月1日~12月31日) に連動して、中之条町では、宿泊利用者1泊あたり2,000円の町商品券を11月1日から発行します。


       『旅なかのじょうキャンペーン』 

 ●期間  2021年11月1日(月)~事業終了まで
 ●対象  ①上記期間に 「愛郷ぐんまプロジェクト」 を利用して宿泊する群馬県民
        ②一人当たりの宿泊が7,001円(税込)以上の宿泊者

 上記①②をともに満たす方に中之条町内の登録店で利用可能な2,000円分の商品券 (1,000円×2枚) を発行します。
 なんと! 「愛郷ぐんまプロジェクト」 + 「旅なかのじょうキャンペーン」 =総額7,000円のお得となります。

 ぜひ、この機会に中之条町内の温泉をめぐってみてください。
 詳しくはホームページまたは下記まで。


 ●問合/中之条町観光協会 TEL.0279-75-8814
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(2)大使通信

2021年10月24日

老いの曲がり角


 過日、新聞の投稿欄に、とても残念な記事を見つけました。
 投稿者は、男子中学生です。

 <先日、電車に乗っていた時、初老の男性がつえをつきながら乗ってきました。席は空いていないし歩くのが大変そうだったから、席を譲ろうと 「ここどうぞ」 と言って立ちあがりました。すると、その男性は 「ジジイだと思っているのか! ガキがバカにしやがって!」 と怒声を浴びせてきました。僕は、もちろんバカにしようと思ったわけではありません。それなのに大声で僕を怒ってきたのです。>


 いや~、なんとも情けない “ジジイ” であります。
 その時の少年の落胆を想像すると、かわいそうでなりません。

 周囲の大人たちは、黙って見ていたのでしょうか?
 なんで、ひと言 「じいさん、そりゃないんじゃないの!」 と言ってあげられなかったんでしょうか。


 ちょっとシチュエーションを検証してみましょう。
 まず、席を譲られた男性は見た目 “初老” でした。
 車内は満席のようで、近くに空いた席はありませんでした。
 さらに、その初老の男性は “つえ” をついていました。

 この場合、席を譲るのは、当然の行為だと思います。
 少年や若者でなくとも、妊婦や杖をついた人を見かければ、見た目の年齢に関係なく席を譲ると思います。

 この少年は、何も間違ったことをしていません!


 問題は、なぜ初老の男性は、たかがそんなことで怒り出したのか?ということです。
 もし僕ならば、断るにしても 「ありがとうね。でも、大丈夫ですよ」 とお礼の言葉を添えると思います。

 察するに、逆鱗に触れた理由は、“初老” にあるのではないでしょうか?


 足元がおぼつかない腰の曲がった高齢者ならば、「譲られて当然」 と自己認識するのでしょうが、“初老” というのがミソです。
 初老って、いったい、いくつぐらいなんでしょうか?

 投稿者は、中学生です。
 ということは、自分の親より年上はの大人は、“初老” かもしれません。
 ともすれば、彼にとっては50代でも “初老” に見えたのかもしれないのです。
 しかも、杖をついていた……となれば、さらに老いて見えたかもしれません。

 いうなれば、「プライドを傷つけられた」 ということなんでしょうね。
 「ジジイだと思っているのか!」 という言葉が出るあたり、「自分は若い」 つもりなんでしょうね。


 初老って、“老いの曲がり角” なのかもしれませんね。
 見た目と自己認識のギャップが生じるお年頃なのかもしれません。

 僕だって、中学生から見れば “初老” です。
 外見をどのように評価されようが、された好意には感謝の言葉を返せる “初老” でありたいと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:21Comments(2)つれづれ

2021年10月23日

農夫は毎日畑を耕す


 「ブログを読んでます」
 と、声をかけていただくことは、以前からありました。
 でも、どれくらいの頻度で読んでいただいているのかは、分かりません。

 たまたま温泉のことを検索していたら僕のブログにたどり着いたのかもしれませんし、僕と仕事をするためにあらかじめ予備知識としてブログを閲覧しただけなのかもしれません。
 それでも 「読んだことがある」 ではなく、みなさん、「読んでいます」 と現在進行形で言ってくださるのですから言葉どおり、ありがたく受け止めて、「ありがとうございます」 と僕も、お礼を言っています。


 ところが先日、さる講演会場でのこと。
 主催者である館長に、こう言われました。

 「先生のブログは、毎日、読ませていただいています」

 まず、“毎日” というキーワードに驚きました。

 「毎日ですか?」
 「ええ、先生のブログは必ずアップされたら、すぐに読んでいます」

 とのことで、大変恐縮してしまいました。
 ところが、館長の次のひと言に僕は、なかなか二の句が告げられませんでした。

 「いや~、毎日書かれているのですから、すごいですね~!」

 たぶん館長は、心からそう思ったのかもしれませんが、この日のゲストである僕へのリップサービスだったようにも思います。
 こんなことを言われたのは初めてだったので、一瞬僕は、返答に困ってしまいました。


 “すごい” といわれても、僕にとってブログは日常のことだし、特段、努力をしているわけでもありません。
 いうなれば、アスリートが毎日トレーニングを欠かさないようなもの……。
 だもの、あまりに当たり前のことをほめられてしまったので、あせってしまい、なんと言おうかと言葉を探した末に、口を突いて出たのが、

 「ええ、仕事ですから」

 でした。


 さてさて、みなさんも似たような経験って、ありませんか?
 世の中には、さまざまな職業の人がいて、自分と比較すると到底、真似できないような “スゴ技” を持っている人がいます。
 それが日常、普通にこなしているとなると、やはり、「すごいですね」 という表現になりがちです。

 たとえば、コックさん。
 毎日料理を作っています。
 僕には、真似できません。

 豆腐屋さんは豆腐を作り、そば屋さんはそばを毎日打っています。
 たぶん、すべての職業が、他の人から見たら信じられない “スゴ技” を持っています。


 決して、専門職だけではありません。
 サラリーマンは、毎日会社に行きます。
 (僕には真似できません) 
 お母さんは家族のために、毎日おいしい食事を作ります。

 だもの僕はライターですから毎日、文章を読んで、文章を書いています。
 ただ、それだけのことです。


 農夫が毎日畑を耕すように、きっとみなさんも知らず知らずのうちに、毎日行っている他人から見たら驚かれる “スゴ技” があるはずです。
 ぜひ、探してみてください。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:37Comments(0)つれづれ

2021年10月22日

湯守の女房 (35) 「小さくても都会ではかなわない夢が見られる場所」


 四万温泉 「なかざわ旅館」 中之条町


 四万(しま)温泉は、エメラルドグリーンの水面をたたえる四万川沿いに宿が連なる。
 5地区に分かれ、温泉街のある中心地が新湯(あらゆ)地区。
 みやげ物屋や飲食店、カフェが並ぶ目抜き通りを見下ろす高台に、わずか7部屋の 「平成の旅籠(はたご) なかざわ旅館」 が立つ。

 「これからは小さくてもプライバシーが保て、人とのぬくもりも感じられる宿が求められるはずです」
 と2代目女将の中沢まち子さん。
 高度成長期やバブル経済期は大きな旅館やホテルが人気で、小さな宿はどこもコンプレックスがあったという。


 平成7(1995)年、全面改装を機に、宿名に “平成の旅籠” を冠した。
 「温故知新といいます。昔と今の良い所を併せ持った宿でありたいと名付けました」
 と話す。

 昭和48(1973)年、東武バスの運転手だった父の孫市さんと看護師をしていた母の千世子さんが、四万温泉の老舗旅館 「積善館」 の当時の女将から勧められ、自宅を改築して 「民宿なかざわ」 を始めた。


 女将は2人姉妹の長女。
 「私も妹も小さい頃から家業を手伝っていました。大人になったら、私が宿を継ぐものだと思っていました」

 経営がわかる女将になろうと、短大の経営学科に進んだ。
 帰郷後は経理を実地で学ぶため、中之条町の税理士事務に就職した。
 
 昭和59(1984)年、学生時代から交際を続けていた東吾妻町出身の浩さんと結婚。
 出産を機に退職し、実家の宿を継いだ。


 四万温泉の魅力について、こう話す。
 「奥深い山に囲まれた小さな世界だからこそ、お客さま一人ひとりの個性を受け止め、その可能性を引き出してくれる。小さくても都会ではかなわない夢が見られる場所。それが四万です」

 商店主や旅館の女将ら約20人でつくる四万温泉協会の 「地域づくり委員会」 の委員長を務める。
 名勝 「摩耶の滝」 の散策路の清掃活動や空き店舗の活用、温泉街活性化のための飲食店スタンプラリー 「和洋スイーツめぐり」、四万温泉のテレビや映画のロケ地などを案内する 「四万温泉ガイド」 などを企画してきた。


 短大時代に経営学の講義で学んだ言葉 『弱点は戦略になる』 をいつも思い出す。
 「山奥の温泉地、わずか7部屋の小さな旅館。でも、それがうちの最大の魅力だと思います」
 そう言って陽気に笑う女将は、生粋の “四万っ子” だ。


 <2012年11月28日付>
   


Posted by 小暮 淳 at 10:16Comments(0)湯守の女房

2021年10月20日

99%の嘘つき


 ~99%の嘘と1%の真~

 と副題を付けた講演をしてきました。
 それも昨日と今日の2日間、午前と午後の計4回講演です。

 会場は大泉町公民館 (群馬県邑楽郡大泉町)。

 実は僕、この公民館で講演をするのは、今回で3回目なんです。
 1回目が2009年、2回目が2010年ですから、なんと11年ぶりに大泉町へ行って来ました。


 「11年前に、私の話を聞いたという人、いますか?」
 と開口一番に訊ねたところ、4講演とも挙手した人は、いませんでした。
 過去の1回目は高齢者教室、2回目は女性セミナーでした。

 「あれ、一人もいない? みんな死んじゃったんですか?」
 ドッと笑いが起こり、つかみは上々であります。


 さてさて、過去の2回は 『群馬は温泉パラダイス』 と題した温泉の話でしたが、今回は民話と伝説がテーマです。
 題して、『民話と伝説の裏舞台』。
 公民館側が付けたタイトルですが、完全に僕の著書のパクリであります。

 なので、僕から副題を一本、足させていただきました。
 それが、~99%の嘘(うそ)と1%の真(まこと)~です。


 「今日これから話す話は、ほとんどがウソです。ただ、ほんの少しだけ真実が入っています。どこまでがウソで、どこが本当のことなのか、推理しながら聞いてください」

 民話や伝説とは、口承により何百年と伝わってきた昔話です。
 現在のように文字やデータで残せなかった時代の産物です。
 当然、現在に伝わるまでに創作 (嘘) がされています。
 でも、もし100%ウソなら今日まで伝わってこなかったことでしょう。
 どこかに事実 (真) が隠されていたからこそ、絶えることなく伝承されてきたのだと思います。

 信じるか、信じないかは、あなた次第です。


 次は、あなたの町へ、99%の嘘をつきに行きます。
 お会いできる日を楽しみにしています。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:00Comments(0)講演・セミナー

2021年10月18日

きのうの運勢


 ≪データや情報が幸運の鍵。過去の記録をさかのぼって吉≫

 これは、ある日の新聞に載っていた 「きょうの運勢」 です。
 この日、まさに占い通りのコトが起きました。

 何年も前に取材した資料を引っ張り出して、その情報を必要とする知人にコピーを届けると、大変感謝されました。
 でも、占いが当たっていると気づいたのは、翌日になってからでした。


 ≪リーダーシップに恵まれそう。仲間を集めて大願成就も≫

 これは、数日後の 「きょうの運勢」 です。
 これまた、ほぼほぼ当たっていました。
 “大願成就” とまでは行きませんが、僕が中心となってチームを作った仕事が、スムーズに進んだのです。

 でも、このコトに気づいたのも、やっぱり翌日になってからです。


 基本、僕は占いというものは、信じません。
 だって、星座や生まれ月が同じ人が、みんな同じ運勢であるわけないじゃないですか!
 なのにテレビでも新聞でも、毎日毎日 「きょうの運勢」 というのを発表しています。

 もし “良い運勢” だったら期待してしまい、一日が終わって、当たってなかった場合は、ガッカリしてしまいます。
 反対に “悪い運勢” だっら気にし過ぎて、暗示にかかってしまい、一日憂うつになりそうです。

 ならば、「きょうの運勢」 を 「きのうの運勢」 にしてしまえばいいんだ!
 と、運勢を過去形にして、翌日、占いの検証をすることにしました。

 すると、実に面白いことが分かりました。

 過ぎたことなので、“悪い運勢” は、仮に当たっていたとしても苦にはなりません。
 逆に、“良い運勢” が当たっていた時は、全国に何百万人といるだろう同じ星座、同じ生まれ月の人の中で、「自分は選ばれた人間なのだ!」 と、少しだけ優越感に浸ることができます。


 いかがですか?
 一日遅れで占いを見るという習慣は?

 たぶん、正確な的中率は、かなり低いと思うんですが、言葉の内容は解釈のしようであります。
 「これって、あのことかも?」
 と、過ぎ去ったコトなら解釈の幅を広げて、プラス思考になれること請け合いです。

 少しだけ、毎日が変わるかもしれませんよ!
 興味を持たれた方は、さっそく明日から 「きのうの運勢」 をチェックしてみてください。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(3)つれづれ

2021年10月17日

角大師は実在した人物だった!


 ずーっと、ずーっと、気になってはいたんです。
 それが昨年からコロナ禍の自粛生活で、運動不足解消を兼ねて散歩をするようになったら、さらにさらに目に付くようになり、ますます気になってしまいました。

 それは、時々見かける民家の玄関に貼られている “お札” です。


 いろいろな図案がありますが、圧倒的に多いのは、鬼のような角があり、悪魔のような恰好をした全身黒づくめのガリガリにやせた妖怪のような姿です。
 それらを一軒一軒、つぶさに見比べると、微妙に図案が異なっていたりするんですね。

 なんじゃ、コレ?
 なんのお札なんだ?

 またまた、僕の謎学の旅が始まりました。


 調べてみると、コレ、「角大師(つのだいし)」 という天台宗のお寺で檀家に配られている魔除けのお札でした。
 だったら、コロナ退散に効果があるじゃないの?
 感染者が減少しているとはいっても、依然マスク着用の生活が続いています。

 「アマビエ」 でも 「ヨゲンノトリ」 でも退散させることができなかった疫病を、ぜひ、この角大師様に退治していただこうじゃありませんか!

 ということで、僕は僕が番組のリポーターを務める群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 という番組で、徹底取材することにしました。


 昔々、疫病が流行っていた平安時代のある夜のこと。
 比叡山の高層、良源のもとに疫病神が現れました。
 良源は疫病神に向かい 「ここから入れ」 と、左手の小指を差し出しました。
 するとすぐさま高熱を発し、耐え難い苦痛を感じましたが、良源が法力を使い右指を弾くと、疫病神は退散し、傷みが和らいだといいます。

 疫病の苦しみを知った良源は、即座に鏡の前で禅定に入りました。
 弟子に、これから現れる自分の姿を筆で写すように命じると、鏡に映る良源の姿は、角が生え、骨と皮ばかりの鬼の姿に変わっていきました。

 「一刻も早く、この姿を版木に刻んで刷り、人々に配り、戸口に貼るように伝えなさい」
 と良源は命じました。
 お札を貼ると疫病をはじめとする一切の厄災が寄り付かなくなったといいます。
 以後、このお札を 「角大師」 とあがめ、毎年新しいお札を戸口に貼るようになりました。
 <天台宗群馬教区のパンフレット 「疫病退散」 より >


 取材をすると、良源の法力による数々の奇跡に触れることができました。
 信じるか、信じないかは、あなた次第です!

 番組では良源の歴史と、千年以上も日本の戸口に貼られ続けられている 「角大師」 のお札の効力についても探ります。
 乞う、ご期待!



         『ぐんま!トリビア図鑑』
    #264 「コロナ退散! 角大師のお札」

 ●放送局  群馬テレビ (地デジ3ch)
 ●放送日  2021年11月2日(火) 21:00~21:15
 ●再放送  11月6日(土) 10:30~ 11月8日(月) 12:30~
  


Posted by 小暮 淳 at 11:41Comments(0)テレビ・ラジオ

2021年10月16日

「クローズアップ」 掲載延期のお知らせ


 たびたびの変更で、申し訳ありません。
 明日、掲載が予定されていました読売新聞群馬版 「クローブアップ」 の記事は、紙面の都合で再度、延期されることになりました。


 読売新聞社より、下記のようなメールが届きましたので、ご報告いたします。

 ≪衆議院選挙の情勢変化に伴う紙面制作の計画変更により、「クローズアップ」 記事の再度1週間、掲載延期する運びとなりました。10月24日(日)の掲載を予定していますが、衆院選が終わる10月末までの間は、今後も延期となる可能性が高い見込みです。≫


 週刊や月刊と違い、日々発行する新聞は、まさに “生もの” 。
 鮮度が最優先です。
 限りある紙面ですから、同じ業界に携わる者としては、至極理解いたします。

 読者の中には、掲載を楽しみにしていた方もいたかもしれませんね。
 僕からもお詫び申し上げます。。


 ということですので、首をなが~くして、掲載される日を待ちたいと思います。
 掲載日が確定したら、また報告いたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(3)取材百景

2021年10月14日

湯守の女房 (34) 「お客さまは笑顔で接しない限り、笑顔を返してはくれません」


 湯宿温泉 「太陽館」 みなかみ町


 かつて三国街道の宿場町だった湯宿(ゆじゅく)温泉は、旅人や湯治客で大変にぎわっていたという。
 戦前までは20軒近くの宿があったが、現在は6軒(※)の旅館が共同で源泉を守りながら商いを続けている。

 昔から湯量が豊富なことで知られ、旅人たちの疲れた体を “春の日だまりの太陽” のように芯から温めたことから 「太陽館」 と呼ばれたという。
 筋肉痛や疲労回復に効果があるとされ、アスリートからも愛されてきた。


 太陽館には、マラソンの瀬古利彦氏が早大競走部時代の昭和52(1977)年から毎年、合宿に訪れた。
 「中村清監督 (故人) は 『将来、彼は日本を代表する選手になる』 と言っていましたが、そのとおりになりましたよね」
 と4代目女将の林せつ子さん。
 宿には、瀬古氏から贈られた思い出の品が残っている。
 なかでもロス五輪 (1984) への出場時、現地での練習で履いたというシューズは、宝物として大切にしている。


 旅館の創業は明治初期。
 初代が 「すみよしや」 という屋号で開業した。
 「太陽館」 を名乗るようになったのは祖父の代から。
 4代目主人の賢一さん (故人) が、兵庫県篠山市出身のせつ子さんと結婚したのは、昭和44(1969)年のこと。
 「姉が川場村 (群馬県) の酒蔵当主と結婚したので、酒造りの手伝いに来ているときに知り合ったのよ」
 と、馴れ初めを語ってくれた。

 一方、若女将の翠(みどり)さんは、千葉県安浦市出身。
 短大時代にアルバイトをした浦安市内の料理屋で、板場の修業をしていた5代目主人の正史(まさふみ)さんと出会った。
 その後、翠さんは都内で就職。
 郷里に戻って旅館を継いだ正史さんと、5年間の交際を経て平成17(2005)年に結婚した。

 「それまで群馬県へは一度も来たことがありませんでした。聞いたことがある温泉地は、草津と伊香保だけ」
 と笑う。
 「接客が好きだから、旅館の仕事は大変だけど苦ではありません」
 と、6歳を筆頭に3人の子育てをしながら旅館業を手伝っている。


 「私たちは、お客さまの笑顔が何よりの喜びです。でも、お客さまは私たちが笑顔で接しない限り、笑顔を返してはくれません。その点、若女将はお客さまに大変人気があるんですよ」
 せつ子さんが、そう言うと、
 「いえ、私なんて、まだまだ。常連さんは、みなさん女将に会いに来られますから。でも最近、私に会いに来てくれるお客さんができたんですよ。やっぱり千葉県の人でした」

 照れながら見せた若女将の笑顔が、とても印象的だった。


 <2012年11月14日付>

 ※現在は5軒になりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:55Comments(0)湯守の女房

2021年10月13日

「中之条ビエンナーレ2021」 会期変更のお知らせ


 中之条町観光大使からのお知らせです。


 2007年から2年おきに群馬県中之条町で開催されている 「中之条ビエンナーレ」。
 自然や温泉、歴史と伝統ある個性的な地域を舞台に開催される国際芸術祭です。
 今年も国内外からたくさんの作家が来町、来日し、作品を制作しました。

 今春、コロナ禍で開催が危ぶまれる中、中之条町は開催を決定!
 このブログでも発表しましたが、緊急事態宣言等の影響もあり、開催期間と開催時間に変更がありましたので、発表いたします。
 ※(当初の予定より会期が約1ヶ月間繰り下げられ、クローズ時間も1時間短縮されました)


 【開催日】
 2021年10月15日(金)~11月14日(日) 9時30分~16時

 ※お出かけの際には、必ず最新情報をご確認ください。


 会場は、温泉街や木造校舎など町内各所 (約40会場)。
 展示は、絵画・彫刻・写真・インスタレーション(空間アート) など。
 ほか、ワークショップやパフォーマンスも開催されます。
 (詳細は公式サイトにて)

 <問い合わせ>
 中之条ビエンナーレ事務局 (イサマムラ内)
 TEL.0279-75-3320
  


Posted by 小暮 淳 at 11:16Comments(0)大使通信

2021年10月12日

「相間川の温泉暖議(サミット)」 参加者募集!


 今年もやってまいります!
 年に一度の熱い熱い温泉サミットが!

 題して、「温泉を熱く語ろう」
 『第2回 相間川の温泉暖議(サミット)』


 今年はゲストに、数々の温泉著書のある医学ジャーナリストで評論家、信濃毎日新聞特別編集委員の飯島裕一氏をお迎えし、わたくし群馬の温泉ライター・小暮淳と、熱く温泉について語り合います。
 ぜひ、温泉好きのみなさん、今年も相間川(あいまがわ)にお集まりください。


 ●日時  2021年11月13日(土) 受付13:00 開始 13:30
 ●会場  相間川温泉ふれあい館 会議室
 ●会費  宿泊 10,000円 (1泊2食、資料代込)
        交流会まで 3,800円 (宴会・資料代込)
        会議のみ 1,000円 (資料代込)
 ●定員  20名
 ●締切  11月6日(土) ※定員になり次第締め切り
 ●申込  住所・氏名・性別・電話番号・参加形態を記入の上、メールorファックスor電話にて
 ●問合  相間川温泉ふれあい館 高崎市倉渕町水沼27 TEL.027-378-3834


 <プログラム>
 13:00~13:30  受付
 13:30~15:00  ミニ温泉シンポジュウム
             パネリスト/飯島裕一 (医学ジャーナリスト)
             パネリスト/小暮 淳 (温泉ライター)
 15:10~16:40  温泉暖議(サミット) 自由討論式意見交換会
 18:00~20:00  夕食会 (交流会)
  


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(2)講演・セミナー

2021年10月11日

盛況御礼! 郷土のヒーローが共演


 緊急事態宣言が解除され、天候にも恵まれた昨日。
 開催以来初の各回ほぼ満席状態となりました!

 今年の1月より毎月、僕らは伊勢崎神社 (群馬県伊勢崎市) の境内で、「神社かみしばい」 の上演を行っています。
 「神社かみしばい」 というネーミングは、かつて、昭和の時代に伊勢崎神社で売られていた 「神社コロッケ」 の人気にあやかって付けました。

 “僕ら” とは、原作担当の僕と、作画担当の須賀りす氏と、口演担当の石原之壽氏です。
 僕らは、地元群馬に伝わる民話などを紙芝居にして、上演しています。
 先月からは、僕らの活動に賛同してくださった前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生のご厚意により、書き下ろし絵本紙芝居 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 の上演を行っています。


 今回の口演では、大きな展開が2つありました。

 地元、伊勢崎市の焼きまんじゅう製造・販売会社の社長さんが、会場に来てくださいました。
 大変感動してくださり、今後、群馬のソウルフードである “焼きまんじゅう” の販売促進PRに、「ぜひ、コラボしたい」 とのことでした。

 もう一つは、県内の高校生が自由研究のテーマとして、民話紙芝居の取材に訪れました。
 カメラを構え、メモを取る姿は、プロの新聞記者と変わりません。
 今回、取材していただいたのは、地元伊勢崎市に伝わる 『いせさき宮子の浦島太郎』 です。
 口演後、原作者である僕は、若くて可愛い記者さんたちに取材を受けました。


 まだ僕らの活動は、始まったばかりです。
 でも何事もあきらめず、コツコツと続けていれば、必ず誰かが見ていてくれるものです。

 これからも一作一作、心を込めて制作し、上演していきたいと思います。
 今後ともご支援をよろしくお願いいたします。


 ※次回の 「神社かみしばい」 は、11月27日・28日開催予定です。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:49Comments(0)神社かみしばい

2021年10月09日

死してパズルを残す


 「数独」 って、知っていますか?

 パズル好きなら、知ってますよね。
 僕もパズラーですから、もう何十年もハマっています。
 一日一問、必ず解いています。


 えっ、知らない?
 「知らない」 と言う人も、きっと見たことはあるはずです。

 タテ列9マス×ヨコ列9マス=81マスのタテヨコ18列に、1~9までの数字を入れます。
 また、中の太線で囲まれた3マス×3マス=9マスの9つのブロックにも、1~9までの数字を入れるパズルです。


 えっ、それなら見たことがあるって?
 「それってナンプレって言うんじゃないの?」 って?

 ピンポ~ン!

 「数独」 とは、「ナンプレ」 のことです。
 では、なぜ、2通りの呼び方があるのでしょうか?


 まず、「ナンプレ」 とは 「ナンバープレイス」 の略です。
 アメリカの建築家が考案したといわれています。

 昭和55(1980)年、このパズルを日本に持ち込み、日本初のパズル専門誌 『パズル通信ニコリ』 を創刊させたのが、鍜治真起(かじ・まき)さんでした。
 鍜治氏は、同58年にパズル制作会社 「ニコリ」 を設立。
 後にパズルは 「数独」 と名付けられました。

 このパズルが日本国内で大人気となり、ファンが急増!
 逆輸入されるカタチとなり、「sudoku」 として世界に広まりました。

 ちなみに、「数独」 とは、「数字は独身 (シングル=1桁) に限る」 という鍜治氏の造語です。

 ということで、「数独」 はニコリの商標登録なので、ニコリ以外の媒体に掲載される場合は、「ナンプレ」 の名前が使用されているわけです。


 その 「数独」 の名づけの親であり、ニコリ前社長である鍜治真起さんが、今年の8月10日に亡くなられました。
 享年69歳でした。

 晩年、氏は、パズルの魅力について、こう語っています。
 ≪行き詰ったら、一度休んで再挑戦すればいい。すると答えが見えてくる≫

 これって、本当なんですよね!
 「数独」 をやられている方なら、きっと今、「うん、うん」 って、うなづいているはずです。
 難易度の高いものは、何度となく、この壁にぶち当たります。
 そんなときは、鍜治氏の言葉を思い出して、いったん、パズルから離れて別のことをします。
 しばらくして、パズルに戻ると……

 これが、不思議不思議!
 魔法にかかったように、スラスラと解けることがあるのです。

 なんだか、人生と似ていますね。


 鍜治氏のご冥福をお祈りいたします。
 「数独」 を世に残してくださり、ありがとうございます。

 合掌
   


Posted by 小暮 淳 at 11:52Comments(0)つれづれ

2021年10月08日

掲載日変更のお知らせ


 以前、新聞記者から何度となく取材を受けたことを書きました。
 その際、掲載日について10月10日と記載しましたが、その後、紙面の都合により掲載が1週間延長されるとの連絡がありました。

 よって掲載日は、10月17日(日)。
 読売新聞 (朝刊) の群馬版 「クローズアップ」 に掲載されます。

 訂正して、お詫び申し上げます。


 さて、内容についてですが、異例の取材となりました。
 「なぜ、温泉ライターになったのか?」
 「その、きっかけは?」
 「それ以前の仕事は?」

 と、“人生の逆回転” 取材を受けました。

 「学生時代は何を?」
 「子どもの頃は、どんな少年?」

 と、どんどん質問は過去にさかのぼります。
 そして、こんな質問も受けました。

 「今までに、どんな本を読んできたか?」


 これには、さすがの僕も驚きました。
 僕自身がライターですからね。
 過去には何千人と取材をしてきましたが、読書内容まで訊いたことはありませんでした。

 しかも、幼少期~学生時代~現在に至るまでの読書遍歴を事細かに訊ねられました。

 たぶん、記者個人の趣向による質問だと思うんですけどね。
 珍しい取材体験でした。

 だもの、とっても記事の掲載が気になります。
 ぜひ、みなさんも楽しみにして読んでください。


 ※取材風景については、下記のブログをご覧ください。
  2021年9月22日 「類友記者」
  2021年10月3日 「類友記者~ふたたび~」

 

   


Posted by 小暮 淳 at 11:12Comments(0)取材百景