温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年01月31日

ジンタの響きに太郎も踊る


 ♪ むかしむかし うらしまは たすけたカメにつれられて……


 泣けた、泣けた!
 なぜか知らないが、ジンタの響きに胸の奥がジーンと熱くなり、感極まってしまいました。

 古き良き昭和の光景に、誰もが酔いしれたひと時でした。


 昨年の1月から始まった 「神社かみしばい」。
 地元伊勢崎市の民話を題材に、伊勢崎神社で開催している街頭紙芝居です。

 『いせさき宮子の浦島太郎』
 ●作/小暮淳 (フリーライター)
 ●画/須賀りす (画家・イラストレーター)
 ●演/石原之壽 (いしはらのことぶき・壽ちんどん宣伝社)

 海のない群馬県で、なぜ、浦島太郎伝説が?

 そんな謎学をはらんだ紙芝居の上演一周年を記念して、昨日はスペシャルイベントが開催されました。


 「高崎チンドン俱楽部」 のみなさんが、お祝いに駆けつけてくださいました!

 チンドン太鼓、ゴロス(大太鼓)、クラリネット、サックス……

 ちょんまげ姿のお侍さんに、色鮮やかな着物に身を包んだ町娘たち。
 ジンタッタ、ジンタッタ……
 と軽やかなジンタのリズムを刻みながら登場です。

 まずはチンドン屋といえば、この曲。
 定番の 「竹と雀」、通称 「たけす」 がオープニング。
 その後、会場の子どもたちのために 「アンパンマン」 や 「ドラえもん」 などのアニメソングを演奏。

 最後は座長の口上で、『いせさき宮子の浦島太郎』 一周年への祝いのお言葉をいただき、エンディングでは、なんと! サプライズで童謡 「浦島太郎」 を演奏してくださいました。


 うる、るうるうるうる……

 もうダメです。
 哀愁に満ちていて、もの悲しくもあり、童謡が童謡として聴こえてきません。

 すごい! 凄すぎる!
 これぞ日本が誇る昭和の伝統演芸じゃーーーーっ!!


 会場には、親子連れにまざって、おじいちゃんとお孫さんの姿もちらほら。
 昭和を知らない若いカップルは、初めて見るチンドン演奏を食い入るように見ていました。

 ご来場された、たくさんのみなさん、お寒い中、本当にありがとうございました。

 今年は新作紙芝居も上演いたします。
 今後ともよろしくお願いいたします。


 ※次回の上演は、2月19日・20日の予定です。
 ※昨日の様子は、今日の上毛新聞に掲載されました。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:57Comments(0)神社かみしばい

2022年01月29日

冬の香


 「三大香木」 って、知っていますか?

 よい香りを漂わせる花の中で、特に強い香りがする樹木のことで、春のチンチョウゲ (沈丁花)、夏のクチナシ (梔子)、秋のキンモクセイ (金木犀) が、そう呼ばれています。


 なぜ、冬の花は入っていないんでしょうか?

 たぶん、“強い香り” が選考ポイントなんでしょうね。
 この時季、強い香りを放つ花は、なかなか見かけません。

 でも、“ほのかな香り” を漂わせる可憐な花ならあります。

 ロウバイです。


 真冬に黄色く小さな花を咲かせるロウバイの花言葉は 「慈愛」。
 けな気に咲きながら、かすかに甘い香りを放つ姿から、そう意味づけられたんでしょうね。

 ロウバイは、「蝋梅」 と書きます。
 花の色や光沢が蜜蝋(みつろう)に似ているからとのこと。
 江戸時代に中国から渡って来たため、別名 「唐梅(からうめ)」 とも呼ばれます。
 英名は 「winter sweet」。
 やはり、冬に咲く甘い香りなのですね。

 
 僕がロウバイに出合ったのは、20年以上前のこと。
 さる画家が描いた一枚の絵でした。
 まるでキャンドルを灯したように暗闇の中で光る黄色い花……

 それがロウバイの花だと知り、以来、冬になると散歩の途中でロウバイを探すようになりました。

 でもキンモクセイのように強い芳香を放っているわけではありませんから、ただ歩いていては気づきません。
 庭のある家を覗き込みながら、黄色い花を探します。

 見つけた時は、迷子の仔猫を見つけたようで、抱きしめたい思いに駆られます。
 まさに花言葉の 「慈愛」 を感じるひと時です。


 今冬もロウバイの便りが届き始めました。
 先日の新聞に、<藤岡市 (旧鬼石町) の桜山公園のロウバイが見頃を迎えている> との記事を見つけました。

 ふだんは散歩の途中で見かける小さな庭木を愛でているだけです。
 150本のロウバイが一斉に咲き誇る姿って、どんなんでしょうか?
 想像しただけで、体の奥がボーっとほてってくるようです。


 昨日の午後、車を出したついでに、ひとっ走り行って来ました。

 見事です!
 ただただ、息をのみなから可憐な黄色い花たちを見上げていました。

 低い枝に咲く、一輪の花に顔を近づけると、ほのかに甘い香りがします。
 その控えめな香りに、「三大香木」 に入れなかったわけを知りました。


 西日を浴び、逆光で見るロウバイは、まさに画家が描いた絵のよう。
 キャンドルの炎のように、山肌に浮かび上がりました。

 ※見頃は今月末まで。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:26Comments(0)つれづれ

2022年01月28日

西上州の薬湯 (4) 「旅の行者が見つけた200年前から湧く秘湯」


 薬師温泉 「かやぶきの郷 旅籠」 東吾妻町


 草津街道 (国道406号) は大戸の関所を超えると、西へ向かう。
 須賀尾宿を抜けるこの道は、江戸時代から信州を結ぶ裏街道として、多くの旅人たちに利用されてきた。

 宿場を過ぎると左手の渓流沿いに、小さな温泉郷が現れる。
 「温川(ぬるがわ)」 「鳩ノ湯」 「薬師」 からなる浅間隠(あさまかくし)温泉郷だ。
 一軒宿ばかりが3軒、ひっそりと佇んでいる。
 一番奥に薬師温泉がある。


 開湯は寛政5(1793)年。
 温泉坊宥明(ゆうめい)という旅の行者により発見されたと伝わる。
 鳩ノ湯集落にあった法印本正院の持ち湯であったため 「法印さんの湯」 といわれ、村人たちにも沐浴が開放されていたという。
 江戸時代は鳩ノ湯と一体で、薬師の湯を 「上の湯」、鳩ノ湯を 「下の湯」 と言った。

 当時は野天の湯治場だったが、昭和になって浴舎ができると 「昭和温泉」 とも呼ばれ、やがて旅館が建ち、薬師温泉と改名された。


 旅人を出迎える見事な合掌かやぶき切妻造りの長屋門は、長さ約26メートル、高さ約9メートル。
 門の2階に上がれば、約7000坪という広大な敷地に連なるかやぶき屋根を見渡すことができる。
 全国から集められた築150年以上の古民家が移築されている光景は、圧巻のひと言。
 誰もが時空を超えた旅人となり、江戸の街並みを歩き出す。

 町人長屋を通り、かやぶき民家の集落を抜けると、やがて200坪を有する本陣屋敷にたどり着く。
 ここが旅館 「旅籠(はたご)」 の帳場である。
 湯屋に行く途中に泉源があり、洞窟の奥で沸々と湯が湧き出す様子をモニターを通して見ることができる。

 源泉はナトリウム・カルシウム―塩化物・硫酸塩温泉。
 うっすらと茶褐色に微濁した湯は、血圧降下や動脈硬化の予防に効果があるといわれている。
 館内には源泉風呂のほか、薬湯風呂や露天風呂、貸切風呂など6つの浴場がある。


 素朴な山のごちそうが並ぶ 「炭火焼き料理」 が宿の名物だが、近年は郷内で食せる手打ちそばが評判となり、この味を目当てに来る日帰りリピーターが増えている。


 <2017年3月3日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 10:53Comments(0)西上州の薬湯

2022年01月27日

エクレという謎の菓子


 昨日の続きです。

 「昭和あるある」 の貧乏話の次は、真逆の稀有な存在だった裕福な家庭の子の話。
 いわゆる “お大尽” の家の子です。

 クラスの半分以上の子は、貧乏でした。
 その原因は、サラリーマン家庭がまだ少なかったからです。
 特に僕が育った旧市街地は、商人のうちの子が多かったんです。
 八百屋や肉屋、豆腐屋、床屋、クリーニング屋……

 どこの家も、両親共働きで細々と商っていました。


 でもいるんですよ!
 クラスに一人か二人、お大尽の家の子が!
 昭和の貧富の差は、令和の差ではありませんでした。
 着ている服や持ち物が違うだけでなく、生活そのものが異次元でした。

 W君のお父さんは、某企業の社長さん。
 僕ら (貧乏人) は、彼の家へ行くのが、楽しみでなりませんでした。
 「うち来る?」
 放課後、そう誘ってくれるのを、誰もが待っていました。


 白く続く長い壁、大きな鉄製の門。
 インターフォンを鳴らして、僕らは、その横にある小さなドアを開けて入ります。
 敷地内には樹木が植えられ、その間を白いコンクリートの道が続いています。
 その先には、町中では滅多に見かけない外国製の自動車が数台ありました。

 彼の家にあるのは、ガレージだけではありません。
 玄関は、ホテルのロビーのように広く、天井が異様に高いのです。
 庭にはテラス、2階にはベランダがありました。

 何よりも僕らが驚いたのは、屋上があること。
 だって、個人の家の屋根といえば、瓦かトタンです。
 僕らが知っている屋上は、デパートだけでしたから、とにかく興奮しました。

 「W君ちって、屋上があるんだよ。デパートみたいなんだよ!」
 そう親に告げた記憶があります。


 彼の部屋には、床一面に絨毯が敷かれていました。
 おもちゃもリモコンで動く高価なものばかり。
 僕らがサンタクロースにお願いしても、絶対に届かないおもちゃです。

 そして、ついに、その時がやって来ます!
 僕からが彼の家に遊びに行きたかった一番の理由。
 それは、「おやつの時間」 です。

 その時に、おやつを持ってきてくれた彼のお母さんが凄かった!
 ミニスカートにロングヘアでスタイル抜群。
 いつも割烹着姿の僕らの母親とは似ても似つかない、グラビアから抜け出たように若くて綺麗な人でした。
 (お金持ちを絵に描いたような家です)


 おやつは、決まって、ケーキと紅茶。
 紅茶を飲むこと自体が初めてのことなのに、カップの中にはレモンの輪切りまで浮いているのです。
 ケーキは、遊びに行くたびに違いました。
 イチゴのショートケーキだったり、チョコレートケーキだったり、シュークリームだったり……

 ある日、見たこともないお菓子が出てきました。
 シュークリームのようですが丸くなく、細長いシュー皮の中にクリームが入っていて、全体にチョコレートがかかっています。

 「なんていうお菓子だろう?」
 「どうやって食べるんだろう?」

 戸惑っている僕らにW君は、
 「エクレア、知らないの? こうやって食べるんだよ」
 そう言って、底の銀紙を上手にめくりながら、パクリと口の中に頬張りました。


 さて、帰り道のこと……
 「さっきのお菓子、なんて言ったっけ?」
 僕らは、シャレた洋菓子の名前を覚えていませんでした。
 「エク……なんとかじゃなかったっけ?」
 「そうそう、そんな名前だった」
 「エクレとか?」
 「そーだ、エクレだよ」

 当然、僕ら貧乏人は、その後、大人になるまでエクレアを口にすることはありませんでした。
 そして、大人になるまで、「エクレ」 だとばかり 思っていました。


 「昭和あるある」 いや、「貧乏人あるある」 ですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)昭和レトロ

2022年01月26日

青っ洟とアップリケ


 マイブームは、「昭和あるある」 です。

 「あんなことがあった」 「こんなこともあった」 と、同時代に幼少期を過ごした人たちと、昭和の思い出を語り合うのが楽しくて、ついつい足を運んでしまいます。
 昨晩も酒処 「H」 は、昭和大好きおじさまとおばさまが、言葉のタイムマシーンに乗って、時間旅行へと出かけました。


 今回のテーマは、「貧乏」。

 令和の世の中では、“貧しさ=悪い事” のようにとられがちですが、昭和30~40年代は貧乏な家の子が大多数でしたから、貧乏は恥ずかしいことではなかったのです。
 だから 「お下がり」 や 「お古」 なんて当たり前でした。

 「姉がいたから、私は新しい服なんて買ってもらった記憶がないよ」
 「俺なんて、ランドセルが兄貴のお下がりだったもの」

 なんていうのは、普通です。
 かわいそうだったのは、異性のきょうだいからのお下がりです。
 男の子なのに、赤い筆箱やピンクの道具入れを持たされていた子もいましたから。


 「服も、ツギハギだらけだったな」
 「そうそう、母親に頼んで、アップリケを付けてもらった」
 「アップリケなんて、金持ちの子だよ!」
 「そうだよ、俺なんてさ、色の違う生地でのツギハギだぜ。かーちゃんに 『恥ずかしいから、同じ布にしてくれ』 って泣いて頼んだ記憶がある」

 靴下や服がツギハギなんて、いいほうです。
 僕なんて、下着までツギハギでしたもの。
 身体検査の日、友だちの前で大恥をかいた、嫌な思い出があります。

 「かあちゃん、なんで “おニュー” を出しておいてくれなかったんだよ!」
 「ごめんね、今日が身体検査の日だったなんて、忘れていたよ」
 なーんてね、オフクロを責めたものでした。


 貧乏は、身なりだけと限りません。
 昭和の子どもたちの健康面をもむしばんでいました。

 「そういえば、みんな服の袖口がテッカテカだったよな」
 「そうそう、女子だって冬になるとセーターの袖が、カッピカピだった(笑)」

 思えば、みんな冬になると鼻水を垂らしていたんです。
 きっと住宅事情が悪くて、家の中が寒かったんでしょうね。
 冬になると鼻水が止まらなかった記憶があります。


 「水っ洟(ぱな)じゃなくて、青っ洟を垂らしている子っていたよな」
 「いたいた!」

 若い人は分からんでしょうな。
 少し緑がかっていて、ドロッとした粘着力のある鼻水のことです。
 低学年の子に多かったような気がします。
 それを服の袖でぬぐうものだから、テッカテカやカッピカピを通り越して、ベットベトでした。

 これは大人になってから知ったことですが、青っ洟って、タンパク質不足なんですってね。
 栄養が足りてなかったということです。
 我々は、脱脂粉乳世代ですからね。
 ※(脱脂粉乳が分からない人は、調べてみてください)


 「貧乏だったのに、なんで、あんなに楽しかったんだろう」
 「本当だね」
 「あの時代に戻りたいとは思わないけど(笑)」

 貧乏が笑い話にできるんですから、きっと今が幸せなんですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(0)昭和レトロ

2022年01月25日

「神社かみしばい」 新春特別口演


 早いもので丸一年が経ちました。

 事の始まりは、2年前の夏。
 高校の同級生で、退職後にチンドン屋を開業した友人が、僕の講演会場に現れました。

 「生まれ育った地元に、何か恩返しがしたい」

 講演終了後、そう声をかけてきました。
 彼の出身は、群馬県伊勢崎市。
 現在は茨城県に暮らしていますが、里帰りのついでに、講演会に顔を出したといいます。

 「できれば地元の民話がいい。ジュン、頼むよ。書いてくれ!」


 ということで完成したのが、『いせさき宮子の浦島太郎』 です。
 拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) からの抜粋ですが、初版出版当時からマスコミに取り上げられ、話題になった伝説です。

 <なぜ、海なし県に浦島太郎伝説が?>
 <もしかして、群馬が浦島太郎発祥の地?>

 地元紙、全国紙問わず、一斉に書き立てました。

 「これで行こう!」
 迷うことなく、民話紙芝居の第1作が決まりました。


 ●作/小暮淳 (フリーライター)
 ●画/須賀りす (画家・イラストレーター)
 ●演/石原之壽 (いしはらのことぶき・壽ちんどん宣伝社座長)


 昨年の1月より毎月、伊勢崎神社 (伊勢崎市) の境内を借りて、上演を続けてきました。
 これまでに、たくさんの方々に来社いただきました。
 またテレビや新聞などマスコミをはじめ、伊勢崎市の市長さん、教育委員会の方々にも観覧していただきました。
 心より御礼申し上げます。

 そんな感謝の思いを伝えたくて、来たる1月口演は、“新春特別口演” と銘打ち、スペシャルゲストに 「高崎チンドン倶楽部」 のみなさんを招き、にぎやかに1周年を祝いたいと思います。
 昔懐かしい紙芝居と駄菓子屋とチンドン屋が、一堂に集まります。
 昭和レトロの風景を、お楽しみください。
 
 僕も終日、会場にて著書の販売をしております。
 ぜひ、お出かけください。
 待ってま~す!



        「神社かみしばい」 新春特別口演

      『いせさき宮子の浦島太郎』 1周年記念
       高崎チンドン倶楽部共演スペシャル
 
 ●日時  2022年1月30日(日)
       10時、11時、12時、13時 ※紙芝居は屋内開催
 ●会場  伊勢崎神社 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
 ●入場  無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
 ●問合  壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480

 ※チンドン演奏は11時と12時を予定しています。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:26Comments(0)神社かみしばい

2022年01月24日

自死の威を借るテロ


 ≪自殺者2万830人 2年ぶり減≫
 ≪自殺者380人 3年連続増≫

 2021年の自殺者数が発表されましたが、全国紙と地方紙で、まったく逆の見出しが付いていました。
 片や 「減」、片や 「増」。
 これは、いったい、どういうことなんでしょうか?


 新聞によれば、昨年1年間の全国の自殺者数は前年より251人少ない2万830人で、2年ぶりに減少したとのことです。
 とはいっても、2019年までは10年連続で減少していたのが、コロナ禍が始まった2020年には、前年を上回っていたのですから、喜べる数字ではありません。

 何よりも年間2万人以上の人が、自ら命を絶っている国は、やはり異常です!


 一方、群馬県内の自殺者は前年比4人増。
 動機の最多は 「健康問題」 で、次に 「家庭問題」、「経済・生活問題」 の順です。

 ところが全国を見ると、この動機が逆転します。
 トップは 「生活苦」 と 「多重責務」。
 「事業不振」 「倒産」 と続きます。
 やはりコロナ禍の長期化で、経済的な不安が自殺につながっているようです。

 それに比べ、地方はコロナ禍以前と同様、健康や家庭という個人的な悩みが根深いということになりそうです。


 実は僕、生まれてこの方、一度も 「死にたいと」 と思ったことのない能天気野郎なんです。
 だから毎年発表される自殺者の数字や原因・動機を見るにつけ、「なんで?」 と理解に苦しみます。
 何とかなるのが人生で、何とかならなかったところで、死ぬことはありません。
 その先に、また新しい “何とか” が始まるものです。

 ところが世の中には、そのように楽天的に物事を考えられない真面目な人が、こんなにもいらっしゃるのですね。


 そもそも自殺が理解できないのですから、最近の “自殺願望者” の奇妙奇天烈な行動は、まったくもって訳が分かりません。
 「死にたいので、人を殺して死刑になりたかった」
 という、意味不明な殺人者の言動です。

 死にたい→死刑→大量殺人

 という、なんとも愚かで自分勝手な発想です。
 電車や密室で火を放ったり、通行人を次々と刃物で刺したり……
 おぞましい限りです。

 自殺の名を借りた、ただのテロ行為ではありませんか!


 依然、コロナ禍は続いています。
 どうか、みなさん、自分の命を大切にしてください。
 一日も早く、心穏やかな日常がもどることを願っています。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:20Comments(0)つれづれ

2022年01月23日

西上州の薬湯 (3) 「湯舟を黄金色に染める濃厚なにごり湯」


 このカテゴリーでは、2016年12月~2018年2月まで関東新聞 「生活info(くらしインフォ)」 に連載された 『西上州の薬湯』(全15話) を不定期にて掲載しています。
 ※肩書、料金等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


 相間川温泉 「ふれあい館」 高崎市


 相間川(あいまがわ)温泉 「ふれあい館」 は、旧倉渕村 (現・高崎市) が都市生活者のために遊休農地を整備して貸し出している市民農園 「クラインガルテン」 の中にある。
 クラインガルテンとは、ドイツ語で 「小さな庭」 の意味。
 本場ドイツにならって都市農村交流を目的とし、平成4(1992)年に日本で最初にオープンした本格的農園である。

 約1万3000坪の敷地内には、農園225区画のほか、ログハウスやバーベキュー場、体育館などが造られている。
 農園1区画 (平均12坪) の使用量は年間8,400円と安価なため、首都圏から農作業に訪れる人が多い。


 温泉が湧いたのはオープンから3年後の平成7(1995)年3月のことだった。
 源泉の温度は約62度と高温で、湧出量は毎分約200リットルもあった。
 そして何よりも工事関係者を驚かせたのが、温泉の色だった。

 湧出時は無色透明だが、時間の経過とともに黄褐色から赤褐色へと染まり、やがてレンガの粉のような大量の沈殿物を析出した。
 さらに高濃度の塩分を含んでいる、県内でも珍しい温泉だったのである。


 泉質は、ナトリウム・カルシウム―塩化物強塩温泉。
 析出物が多く、循環装置が使えないため、浴槽の湯は内風呂も露天風呂も完全放流式 (かけ流し)。
 その析出物の正体は酸化鉄で、光の加減によっては、湯が鮮やかなオレンジ色に見えることもある。

 にごり湯が濃厚なため、入浴の際は足元に注意が必要だ。
 ゆっくりと足裏で湯底を確かめながら入り、湯をすくい、鼻先に近づけると独特の金気臭がする。
 顔に触れると、ひげそりの肌がヒリヒリとする。
 なめると、かなり塩辛い。
 体を移動しようと手をついた瞬間、フワリと尻が浮いた。
 それほどに塩分濃度が高い。

 皮膚に付着した塩分が発汗を抑え、保温効果があることから別名 「あたたまりの湯」 「熱の湯」 とも呼ばれる温泉だ。
 湯冷めをしにくいので、この時季、冷え性の人にはお勧めである。


 あまりの心地よさに、ついつい長湯をしてしまいがちだが、それは禁物。
 塩分と鉄分の多い温泉は、実際の温度よりも体感温度が低く感じられるため、湯あたりを起こすことも。
 こまめな休憩と水分の補給を忘れずに!


 <2017年2月3日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:37Comments(2)西上州の薬湯

2022年01月22日

未来のメニュー


 子どもの頃の1年って、長ったと思いませんか?
 どうして大人になると、「あっという間」 に感じるのでしょうか?

 良く聞くのは、“生きてきた年数の違い” という説です。

 たとえば、10歳ならば1年は人生の10分の1、20歳ならば20分の1の長さに感じるから。
 60歳は60分の1のスピードで、一年が通過して行くわけです。
 同じ一年なのに感じ方が違うのも、むべなるかなと納得していました。


 ところが先日、新聞の片隅に、異論を唱える記事を見つけてしまいました。
 哲学者の中村雄二郎さんの著書 『時間の不思議』 からの引用です。

 <未来に生きるとは待つことであり、待つとき、時間は引き延ばされるのである>

 中村氏いわく、「若い人は未来に生きている」。


 大きく、うなずいてしまいました。
 未来を待ちわびながら生きている人と、現在を無我夢中に生きている人と、過去を回想しながら生きている人では、確かに体感時間が異なるはずです。

 ということは、過ぎてきた人生の長さや残りの人生の短さは関係ないということです!
 要は、“待ちわびる未来” があるかどうか? なんですね。


 普通に考えれば、年を取ればとるほど、様々なことを経験して、人生のメニューは残り少なくなります。
 ならば、新しいメニューを追加してやれば、待ちわびる未来の量は増えるのです。

 そうすれば、ワクワク、ドキドキしながら暮らせる。
 ゆえに、未来を待ちながら生きられる。

 結果、同じ一年でも長く感じられるようになるということです。


 2022年は、まだスタートしたばかりです。
 みなさん、未来のメニューをたくさん詰め込みましょう!

 なんだか楽しくなってきました。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:31Comments(0)つれづれ

2022年01月21日

まん防を転じて福と為す


 やってくれるじゃないの!
 オミクロン株の野郎!
 上等じゃね~か!
 やってやろうじゃねーかい!

 これまでにない急速な勢いで感染が拡大しています。
 1日あたりの新規感染者数は、3日連続で過去最多を更新しています。
 ついに、群馬県も今日から全市町村で 「まん延防止等重点措置」 が適用されました。


 数日前、発表と同時に、電話やメールが鳴り出しました。
 “まん防” の適用期間中に予定されていた講演、取材、ロケ等のキャンセルおよび延期を知らせるものばかりです。

 コロナ禍生活3年目といえども、度重なる自粛命令には辟易します。


 こちとら、なんの保障もないフリーランスですからね。
 リモートもなければ、休業手当もないし、キャンセル料だってない。
 ただの “まん防損” であります。

 でもね、飲食店や旅行業の方々の耐え忍ぶ姿見ていると、グチをこぼして、いじけているわけにもいきませんって!
 やることが無くなったら、新たに探せばいいだけのことじゃないか!


 ということで、ただいま、来月から開催される紀伊國屋書店での著書フェアの準備を着々と進めております。
 またコロナ禍で、まったく活動ができなかったNPO法人では、この2年間、毎月会議を重ね、新事業の展開を、これまた着々と進めています(来月には発表いたします)。 

 それだけではありません!
 毎月開催している 『神社かみしばい』 が今月、1周年を迎えるにあたり、新作紙芝居の制作も始まりました。
 同時に、紙芝居の落語化も進めていますので、乞うご期待です。


 そうやって、“まん防” に屈することなく、真面目かつ冷静に事を進めていれば、必ずや道は開かれるものです。

 「小暮さん、密にならない単独ロケで行いましょう! このネタに差し替えます」
 と、テレビ局のディレクターが、興奮しながら電話をしてきました。

 来月、放送が決まっていたテレビ番組のキャンセル分の代替策であります。
 「これならば、小暮さん一人が現場を回ってリポートする形で、撮れます」
 ということで、急きょ、僕の著書の中から “謎学の旅” に出かけることになりました。


 「禍を転じて福と為す」

 そう、“まん防を転じて福となす” のです。

 みなさん、この禍を一緒に闘い、一緒に乗り越えましょう!
 オミクロンなんかに、負けるもんか~!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:18Comments(0)つれづれ

2022年01月19日

風に散る散るドッポン便所


 常連客の平均年齢が還暦以上という、どっぷり昭和世代が集まる店ですから、当然、知らずのうちに昔話に花が咲きます。

 “昭和あるある” ネタです。


 先日も酒処 「H」 では、昭和をこよなく愛するおじさまとおばさまたちが、ひと夜限りの “昭和あるある旅行” を楽しみました。
 まずは、「ドッポン便所」。
 いわゆる、汲み取り式トイレのことです。

 確か、我が家のトイレが水洗になったのは小学生中学年でしたから、昭和40年代の前半ということになります。

 「よく、おふくろが財布を落として、騒いでいたっけ」
 「ああ、ズボンのポケットの中の物を、よく落としたよ」
 「ドッポ~ンてね」

 だからドッポン便所なのです。

 「バキュームカーが汲み取りに来たよね」
 「そうそう、バケツで水を運んだ」
 「えっ、なに、それ? 知らない」
 「水分が足りないと、汲み取れないのよ」
 「『奥さ~ん、もっと水足して~』 なんて、清掃員が外で叫んでたよね」

 こんな話題にもなりました。

 「紙が硬くてさ、尻が痛くなったな」
 「そうそう、色の黒いチリ紙だった」
 「うちなんて田舎だからさ、新聞紙でケツ拭いてたぞ!」
 「ばーちゃんちが、そうだった」
 「よーく、揉んでから使うんだよね」

 そうなんです!
 今のようにトイレットペーパーがなかった時代のこと。
 A5サイズぐらいにカットされた新聞紙を、やわらかくなるまで揉んで、お尻を拭いていましたっけね。


 「電車だって、ドッポン便所だったからね」
 「怖かった~! レールが見えるんだもの」
 「走行中にしか使用しちゃいけんいんだよね」
 「ウンチもオシッコも、風に散って行った(笑)」

 今思うと、なんて不衛生だったのでしょうか。

 「俺んちさ、線路沿いだったんだよ」
 「ということは?」
 「ああ、線路端で遊んでいると、冷たい霧が飛んでくるんだよな(笑)」
 「霧なら、まだいいけど、黄色いみぞれじゃたまらねーな(笑)」


 カウンター席は、“昭和あるある” が止まりません。

 みんな、あの頃が大好きなんですね。
 でも誰もが、あの頃に戻りたいとは思っていないようです。

 つくづく、清潔で安全で便利な世の中になったと思います。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(2)昭和レトロ

2022年01月18日

町中華の条件


 <夜分にすみません。明日の朝刊に赤城山の良い話が出ます!>

 昨晩遅く、メールが届きました。
 送信主は、このブログでも、たびたび登場している新聞記者のKさんです。


 どれどれ、どんな記事を書いたのかな?
 と今朝一番でコンビニに走りました。

 ≪町中華 笑顔に押されて50年≫

 朝日新聞群馬版に、そんな見出しを付けたブチ抜き5段の大きな記事が載っていました。
 内容は、赤城山南麓にある中華料理店の話。
 昭和47(1972)年に開業した、どこの町にでもある普通の “町中華” です。

 しょうゆラーメン、焼きそば、チャーハン、カレーライス、カツ丼……
 そして野菜炒め、ニラレバ炒め、モツ煮などの定食類……


 現在は前橋市に合併されているが、場所は旧宮城村役場の近く。
 昔から、「知らない町に行って、うまい食堂を見つけるなら役場の近くを探せ」 と言われるが、この店もその条件に当てはまります。

 <村の人口は約8千人。コンビニもスーパーもなく、「はしもと」 は村人たちが集まるコミュニティーの場でもあった。日が沈むころになると、一杯飲むのを楽しみにやってくる人も多かったという。> 

 奇をてらう表現はなく、K記者の文章は、たんたんと昭和の面影を色濃く残す庶民的な “町中華” の魅力を綴っています。


 さて、「町中華」 という言葉、聞きなれて久しいのですが、いつ頃から、そう呼ばれるようになったのでしょうか?
 K記者は、その語源についても記しています。

 <庶民的で地域に根ざした中華料理店を訪ねて歩く動画が2014年、ネットにアップされたのをきっかけに人気が広がった。「街中華」 とすると、横浜や神戸の中華街を思い起こさせるので 「町中華」 と書く。>
 とのことです。

 では、その定義は?

 「町中華探検隊」 隊長のライター、北尾トロさんは、「町中華は定義できない」 とした上で、いくつかの条件を挙げています。
 ①1千円以内で満腹になる
 ➁麺類、飯類、定食などメニューが多彩
 ③チェーン店ではない
 ④長時間並ばないと食べることができない店でない
 これに、「店主の人柄」 というのも加わります。


 さすが風俗・大衆ネタを得意とするK記者だけあります。
 記事を読み終えたときには、鼻先にチャーハンの香ばしいにおいが、まとわりついていましたよ。

 よーし、今日の昼飯は、学生の頃よく通った、あの店に、久しぶりに行ってみよう!
 もちろん、チャーハンには餃子を付けて。
 う~ん、待つまでの間、瓶ビールを1本いただきますかっ!
  


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(2)昭和レトロ

2022年01月17日

西上州の薬湯 (2) 「泡の出る湯は骨の髄まで温まる」


 霧積温泉 「金湯館」 安中市


 ≪母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね? ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落としたあの麦わら帽子ですよ≫

 昭和52(1977)年、西条八十の詩の一節を引用したベストセラー小説 『人間の証明』 が映画化され、舞台となった霧積(きりづみ)温泉が一躍ブームとなった。
 学生時代に霧積温泉を訪ねた作家の森村誠一は、宿でもらった弁当の包み紙に印刷されていたこの詩に、感銘を受けたという。
 映画は、歌手・ジョー山中が歌った主題歌とともに大ヒットした。

 「国道から宿までの山道が、渋滞するほど混雑した」
 と、3代目主人の佐藤敏行さんは、当時を述懐する。


 金湯館の創業は明治17(1884)年。
 すでに霧積温泉は湯治場として営業を始めており、同20年には旅館が4軒、別荘が50棟以上も立ち並び、かなりのにぎわいをみせていた。
 信越線が開通するまでは、避暑地として軽井沢よりも栄えていたという。

 伊藤博文や勝海舟、幸田露伴、与謝野晶子ら政治家や文人たちも多く訪れている。
 本館には、明治憲法が草案されたというケヤキ造りの由緒ある部屋が残り、今でも指定して泊まる客が多い。


 ところが明治43(1910)年、大洪水による山津波が一帯を襲った。
 金湯館ただ一軒だけを残して、すべての建物が泥流に吞み込まれてしまった。

 以後、昭和初期まではランプだけの生活が続き、その後も水車やディーゼルエンジンによる自家発電にて営業を続けてきた。
 電気と電話が通じたのは昭和56(1981)年のことだった。


 湯元として代々守り継いできた源泉は約40度とぬるく、湯に体を沈めると炭酸を含んでいるため泡の粒が付くのが特徴だ。
 昔から 「泡の出る湯は骨の髄まで温まる」 と言われ、珍重されて来た薬湯である。
 その言い伝えどおり、湯上りはいつまでたっても体がポカポカとほてって、なかなか汗が引かない。

 なぜ交通が不便だった時代に、わざわざ人々は、こんな山奥までやって来たのか?
 その理由は、この湯に浸かれば一目瞭然である。
 切り傷ややけどに効果があるとされ、かの勝海舟も皮膚病の治療に通ったといわれている。


 長野県境にある鼻曲山や熊野神社への登山口でもあり、汗を流しに秘湯に立ち寄るハイカーも多い。


 <2017年1月6日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 11:03Comments(0)西上州の薬湯

2022年01月16日

画家として生きる


 『久保繁 展』

 今年も年賀状が届きました。
 毎年、彼の年賀状には、大きく、そう印字されています。
 かれこれ20年間も続いています。


 平成11(1999)年、春。
 僕は同級生の久保繁と、ベトナムへ旅立ちました。

 「この旅を終えたら、何をする?」
 「俺は、個展を開く」
 「だったら俺は、本を書くよ」

 そして、その年の秋、僕らは前橋市内のデパートと画廊で、「二人展」 を開催しました。
 彼は水彩画の展示、僕は著書の販売をしました。

 『ヨ―!サイゴン ~ベトナム旅行記~』 (でくの房)

 もちろん、この本の中の、もう一人の主人公が彼です。


 そして、この展示会を機に、彼は長年勤めていたデザイン会社を辞めました。

 「画家として生きる」
 そう、僕に宣言したのです。


 あれから23年……
 彼は前橋と逗子にアトリエを構え、東京・神奈川・群馬で個展を続けています。
 なかでも毎年1月に前橋市の画廊で開催している 『久保繁 展』 は、僕にとっても大切な新年の行事となりました。

 仲の良い同級生といっても、そうは会えません。
 でも、地元で開催する新年最初の個展には、必ず彼も顔を見せます。
 年に一度、旧友が再会できる絶好の機会なのです。


 「よう」
 と言えば、
 「よう」
 と応えます。

 新年のあいさつと近況報告をすませ、僕らは画廊の中を歩きながら、互いの創作活動について語り合います。

 「大したもんだよ」
 「何が?」
 「こうして、ちゃんと絵を描いている」
 「ジュンだって、文章を書いているだろ」

 そう言い返してくれたけど、何かが違う。
 何が違うんだろう……


 彼の絵を見ていると、沸々と血潮のようなパッションを感じる。
 有り体に言ってしまえば、情熱だ。
 はたして、僕には、その情熱があるだろうか?

 「なあ、お前に絵を描かせているモノって何だ?」
 「なんだって言われてもな」
 「原動力だよ」

 デザイン会社に勤める一介のサラリーマンだった彼に、「画家として生きる」 とまで言わせた、その原動力って何なんだろう……
 自信だろうか? 才能だろうか?


 少し沈黙があって、困ったような顔をした彼のマスクの中が動いた。

 「だって、これしかないもの」


 “しかない”

 なんて強いんだ!
 “しかない” 人には、絶対かなわない。
 だって守るモノが、それしかないのだから!


 画廊を出た僕は、自問自答を繰り返していました。
 自分には “しかない” ものって、あるだろうか……

 「彼のように強くなりたい」
 そう思った帰り道でした。



          『久保繁 展』
     ~Souvenirs du voyage~

 ●会期  2022年1月15日(土)~23日(日)
        10:30~19:00 (火曜休廊/最終日17:00まで)
 ●会場  画廊 翠巒(すいらん)
        前橋市文京町1-47-1 TEL.027-223-6311
   


Posted by 小暮 淳 at 09:57Comments(0)ライブ・イベント

2022年01月15日

スマートフォンは見ていた


 風もなく、穏やかな土曜日の朝。
 コーヒーを飲みながら、ゆったりと定番の旅番組を観ていた、つい先ほどのことです。

 テレビの画面上部に 「ニュース速報」 のテロップが出ました。
 また大雪警報だろうか……
 北国の人は大変だ……
 と、のん気に構えていたら!

 <東京大学本郷キャンパスの敷地内で、受験生ら3人が男に刃物のようなもので刺され、1人が重傷>

 そうか、今日は大学入学共通テストの日。
 東大の本郷キャンパスは、その会場だったのでしょう。

 また、とんでもないバカ者が、よりによって共通テストの初日に現れたものです。
 その後のニュースによれば、警察は17歳の男を殺人未遂容疑で現行犯逮捕したそうです。


 依然、出口の見えないコロナ禍が続いています。
 人々のストレスがピークに達しているようです。
 いつどこで、なんどき、どんな人が、何をするのか分からない物騒な世の中になりました。

 みなさんの記憶には、昨年暮れに発生した大阪の雑居ビル放火事件が新しいと思いますが、僕は、それ以前に横浜で起きた小さな事件が、まるで魚の小骨のように今も引っかかっています。


 その事件は昨年12月21日、午後2時10分頃、横浜市泉区内を走行していた市営地下鉄ブルーラインで発生しました。
 走行中の普通電車(6両)の6号車で、初老の女が突然、目の前の座席に座っていた乗客の高校3年(18)の女子生徒とパート女性(71)の頭を1回ずつ、ハンマーのような鈍器で殴りつけたという事件です。
 2人は、いずれも軽傷でしたが、不可解なのは、その後、犯人の女は、乗客らに取り押さえられることもなく、悠然と現場を立ち去り、隣の車両へ消えて行ったということです。

 なぜ、誰も止められなかったのか?
 被害者は、なぜ、抵抗できなかったのか?

 その答えが、なんともゾーッとするのであります。
 乗客の誰もが、“スマホを見ていた” というのです。

 また、被害者本人もスマートフォンを操作したり、下を向いていて、容疑者の接近には気づかなかったようです。
 「殴られた後、突然のことで、あっけにとられ、ぼうぜんと立ち去る犯人の後ろ姿を見送った」
 と、2人とも証言しています。


 その場に居合わせた乗客全員が、「スマホは見ていた」 けど 「犯人の顔は見ていなかった」 ということです。
 衆人環視の中での、目撃者ゼロという、なんとも不思議な事件でした。
 さらにブルーラインの車内に、防犯カメラはなかったといいます。

 スマホを操作することが、いかに注意力散漫になる行為かということを実証したような事件でした。


 とりあえず僕は、いまだガラケーです。
 あしからず m(__)m
  


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(3)つれづれ

2022年01月14日

ライブは楽し


 僕は、昔からライブが大好きなんです。
 もちろん、見る側ではなく、演じる側です。

 若い頃、東京のライブハウスやストリートで、ギター両手にミュージシャンを気取っていました。
 詞を書いたり、曲を作ったりすることも好きでしたが、何より人前でパフォーマンスをすることが楽しくて仕方なかったんですね。

 何が楽しいかって、人間観察ができるからです。
 歌いながらお客さん一人一人の顔の表情を見るのが好きでした。


 夢は破れて、時は流れ、僕はライターという職業に就きました。
 もちろん、文章を書くことが好きだからなったのですが、それよりも僕を夢中にしたのは取材でした。
 人に会い、話を聞く、というライブ感がたまりません。

 ライターという職業は、このコツコツと執筆する 「静」 の部分と、取材に飛び回る 「動」 の部分を併せ持っているんです。
 これが、この職業の一番の魅力だと思います。


 15年ほど前から、これに 「講話」 というライブが加わりました。
 いくつも本を出版しているうちに、講演やセミナー、講座の講師としての依頼が飛び込んで来るようになったのです。
 ライブ好きの僕としては、願ったり叶ったりです。

 しかも、好きなことをして講師料までいただけるのですから、こんな幸せなことはありません。

 なんだか最近は、このライブ感が欲しくて、そのために文章を書いているような本末転倒した自分さえいます。
 それほどに、この講話というやつは、僕を夢中にさせます。


 では何で僕は、そこまでして演じるのでしょうか?

 その答えなら、分かっています。
 書けなかったことを話したいからです!

 文章には限界があるんです。
 ページや文字数の制限もありますし、倫理的な制約もあります。
 知っているのに書けないもどかしさは、募る一方です。
 誰かに話したい、どこかで発散したいという欲求を満たしてくれる格好の場が、講演やセミナー、講座などのライブ会場だったのです。

 だからライブが終わった後の僕は、いつも達成感と解放感に満ち溢れます。


 昨日、高崎市内で今年最初の講演会がありました。
 定員満席の聴衆を前に、民話や伝説の舞台裏について、たっぷり2時間のライブを演じました。
 もちろん、本では書けなかったナイショの話をたくさん吐き出してきました。

 あ~、スッキリした!
 やっぱり、ライブって楽しいですね。
  


Posted by 小暮 淳 at 10:00Comments(0)講演・セミナー

2022年01月12日

てまえどり運動


 「てまえどり」 って、知ってますか?
 僕は最近まで、知りませんでした。

 「てまえどり」 とは、コンビニやスーパーで食品を購入するとき、買ってすぐ食べる場合は、陳列棚の “手前” にある賞味・消費期限の近い商品から “取ろう” という食品ロス削減のための購買行動のことです。
 環境省などが呼びかけています。


 言われてみれば、確かに気になっていました。
 いるんですよね!
 わざわざ陳列棚の奥の方へ手を突っ込んで、ガサゴソと商品を引っ張り出している客って!

 これは偏見ではなく、男性より女性、それも若い人よりもオバチャンが多いように思います。
 ま、心情的には分かるんですよ。
 同じものを同じ値段で買うのなら、賞味期限や消費期限の長いほうが、家計的には助かるっていうこと。
 一家の台所を任された主婦なら誰でもが考える知恵です。

 一方、男性に、この行動が少ないのは、比較的、すく食べる物を買うことが多いから。
 男性は、あまり買いだめって、しませんものね。
 また、手を突っ込んでガサゴソしているカッコ悪い姿を見られたくはありません。


 では、絶対にしないか?
 と問われると、正直、僕もしたことがあります。
 どんな時かといえば、“すぐに食べない物” を買うときです。
 または、数量があり “すぐには食べきれない物” です。

 ついつい、賞味期限を見てしまいます。
 さすがに、陳列棚の奥までは手を突っ込みませんが、1つ後ろの商品の賞味期限のほうが長いと、そちらを手に取っていました。

 「まあ、そのくらい、いいんじゃないの?」
 と思ってましたが、ある日から止めました!(キッパリ)


 きっかけは、新聞の投稿欄に寄せられた男子中学生からの記事でした。
 彼は、近所のコンビニで 「てまえどり」 というキャンペーンをしていることを知ります。

 <小さなことでも一人一人が意識を変えることで、食べ物のムダをなくせるのだと衝撃を受けた。そこから私も意識するようになり、食品を買うときには、できるだけ前のものを取り、家族の消費する分だけを考えて買うようにしている。> 

 当たり前のことなのですが、13歳の少年の言葉に、ハッとしました。


 食品ロスは、今や地球全体の問題です。
 SDGs (持続可能な開発目標) なる言葉も叫ばれています。
 この地球に生きとし生けるもの、すべてに言えることですが、温暖化の原因を作った人間から正すべきでしょう。

 僕も地球に暮らす人間の一人です。
 「てまえどり運動」 に参加しました。

 みなさんも、ご一緒に、いかがですか?
   


Posted by 小暮 淳 at 10:59Comments(0)つれづれ

2022年01月11日

西上州の薬湯 (1) 「薬師像が見守る起源300年のたまご湯」


 このカテゴリーでは、2016年12月~2018年2月まで関東新聞 「生活info(くらしインフォ)」 に連載された 『西上州の薬湯』(全15話) を不定期にて掲載いたします。
 ※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


 倉渕温泉 「長寿の湯」 高崎市


 清流、長井川をはさんだ宿の対岸に、大きな源泉櫓(やぐら)が立っている。
 櫓の下には小さなお堂があり、薬師如来像が祀られている。
 約300年前、霊験著しい湯の御利益に対して、旅人たちが感謝を込めて安置した 「湯前(ゆぜん)薬師」 だと言われている。

 「雪解けの早い場所があり、そこには薬師像もある。地元では昔から “たまご湯” と呼ばれる幻の薬湯が湧いていたと伝わる。だから、ここは絶対に温泉が出る」
 東京でボーリング会社を営んでいた主人の川崎秀夫さんは、丸3年間通い続けて温泉の掘削に成功した。
 昭和63(1988)年のことである。


 平成3(1991)年に念願の温泉旅館をオープンしたものの、バブル崩壊のあおりを受け、あわや廃業の窮地に追い込まれることもあった。
 同15(2003)年、「温泉旅館はお父さんの夢。絶対に手放すわけにはいかない」 と、東京で暮らしていた女将の節子さんが一念発起。
 湯と宿を守るため、単身で群馬にやって来た。

 それまでの宿泊メインの経営から、女将の郷里である山梨県の温泉地で見かける宿泊と日帰り入浴客の両方を受け入れるスタイルに移行し、積極的に湯の良さをアピールした。
 その甲斐もあり、口コミで噂を聞いたリピーターが増えた。
 今では草津の帰りに “仕上げ湯” として立ち寄る常連客も多い。

 湯はサラリとして肌によく馴染む単純温泉。
 “たまご湯” の名のとおり、とても滑らかで、湯の中で手をこすると、キュッ、キュッと音が鳴る。
 美肌効果があり、切り傷ややけど、皮膚病に効くといわれてきた。
 「腰痛、肩こりなど畑仕事の疲れが軽くなる」
 「風邪気味でも湯に入れば体調が良くなる」
 「毎日通ったらアトピーが治った」
 など、ファンから寄せられた声に人気のほどが知れる。


 「ここはさ、湯もいいけど、なんたって女将さんがいいんだよ」
 と20年間通い続けているという地元客は、満足そうに笑った。
 「ここに来ないと、一日が終わった気がしないんさね」
 とも。

 渓流を望む露天風呂からは、源泉櫓とお堂が見える。
 お堂の中では、薬師様が今も昔と変わらずに旅人の安全と健康を見守っている。
 もちろん、見知らぬ土地で奮闘する女将の姿もだ。


 <2016年12月2日付>
  


Posted by 小暮 淳 at 14:04Comments(2)西上州の薬湯

2022年01月10日

新成人に地酒を!


 「ぐんま地酒大使」 からホットなお知らせです。

 今日は成人の日。
 依然続くコロナ禍の中で迎えた新成人たちに、粋なはからいをする群馬の酒蔵があります。
 利根沼田地域の酒造4社でつくる 「GI利根沼田協議会」 です。

 GIとは、産地と品質特性が結びついた特産品を登録・保護する国の制度 「地理的表示」 のこと。
 昨年、原料の産地や製法にこだわった清酒をつくる利根沼田地域の酒造4社が指定を受けました。
 認定酒は、使用する米を同地域産に限定、水や酵母も地元のものにこだわっています。

 指定を受けたのは下記の4社です。
 ●大利根酒造 (沼田市)
 ●永井本家 (沼田市)
 ●永井酒造 (川場村)
 ●土田酒造 (川場村)


 僕は3年前の 「ぐんまの地酒大使」 に任命される以前から、県内の酒蔵を取材しています。
 すでに上記のうち、大利根酒造の 「左大臣」、永井本家の 「利根錦」、土田酒造 「誉国光」 を取材しました。
 近々、永井酒造も訪ねる予定です。

 そんな4社が、成人の日に合わせ、地元の新成人たちに認定酒を贈りました。
 なんとも粋なはからいであります。
 日本人の日本酒離れが進んでいる昨今、大人になって最初に口にする酒が日本酒であれば、思い出も味もひとしおというものです。
 これを機に、日本酒を覚えていただき、生まれ育った故郷の地酒を大いにPRしていただきたいものです。


 新成人のみなさん、おめでとうございます。
 今日は 初めての “大人の味” に酔いしれてくださいな。
 僕も一緒に祝いたいと思います。

 カンパ~イ!
 地酒デビュー、おめでとうございます!
   


Posted by 小暮 淳 at 11:59Comments(0)大使通信

2022年01月09日

ブレーキを踏めない


 医学博士の養老孟司・著 『ヒトの壁』 が売れているそうです。

 養老先生と言えば、2003年に 『バカの壁』 という本が400万部を超える大ベストセラーになりました。
 当時、僕も読んだ記憶があります。

 確か、買って読んだような……
 記憶を頼りに、書架を端から探してみました。
 すると、ありました!
 新潮新書の 『バカの壁』。

 さて、どんな内容だったっけ?

 本の数だけは読んでいるのですが、読むそばから忘れてしまうのが、僕の読書の悪い所です。
 ということで気になり、20年ぶりに読み返してみました。


 学術的で、凡人には理解困難な個所も多いのですが、文章は読みやすく、サラっと2時間ほどで読み終えてしまいました。

 人間の脳には、“バカの壁” があるんですね。
 天才と凡人、軍隊と身体、宗教と洗脳……
 さまざまな場面での人間の脳の有り様を示しています。

 なかでも僕が一番興味を抱いたのは、「キレる脳」 です。

 このブログでも何度か触れてきましたが、突然、コンビニやスーパーマーケットのレジで大声を上げてキレ出す “オジサン” たち。
 中高年、しかも圧倒的に男性が多い。

 一般的には、脳の老化が原因だといわれていますが、はて、どこが、どのように変化してしまったのでしょうか?
 その答えが、この本にありました。


 <結論から言えば、脳の前頭葉機能が低下していて、それによって行動の抑制が効かなくなっている、ということなのです。>

 実は、この現象は、必ずしも老化だけが原因ではないようで、実験によれば、昔の子どもと今の子どもを比較しても、今の子どものほうがキレやすいことが分かっています。


 興味深いのは、アメリカでの調査結果です。
 衝動殺人の犯人の脳を調べてみると、前頭葉機能が落ちていたそうです。
 つまり脳から見て、「抑制が効いていない」 「我慢ができない」 ということです。

 一方、連続殺人の犯人の脳は、前頭葉機能が落ちていなかったといいます。
 これは、警察に捕まらずに犯行を続けているということは、判断力が正常であるという証拠です。
 では、連続殺人犯は、どこが普通の人と違うのでしょうか?
 脳が教えてくました。
 偏桃体という善悪の判断をつかさどる部分の活性が高く、活発化しているそうです。


 この極端な脳の違いを持つ殺人犯について、先生は、分かりやすく次のように説いています。

 <自動車に例えれば、この偏桃体は社会活動に対するアクセルで、前頭葉はブレーキにあたります。衝動殺人は、このブレーキが踏めない、すなわち前頭葉がうまく機能していない人が行う犯罪。その逆で、連続殺人はアクセルの踏み過ぎ、つまり偏桃体が活発に働きすぎて犯してしまう。>

 では、どうしたら防げるのか?について、この後、延々と記されています。


 で、僕は思いました。
 みなさんも “ブレーキ” と聞いて、ピンときませんか?
 そうです、高齢者による車の暴走事故です。

 本来なら危険を察知したら、ブレーキを踏みます。
 が、事故を起こしている高齢者たちは、みんなブレーキを踏んでいないんです。
 いえいえ、脳科学的にいえば、“踏めない” んですね。


 いや~、脳って面白いですね。
 あらためて養老先生のファンになりました。

 さっそく 『ヒトの壁』 も買ってこようっと!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:56Comments(0)つれづれ