2022年01月27日
エクレという謎の菓子
昨日の続きです。
「昭和あるある」 の貧乏話の次は、真逆の稀有な存在だった裕福な家庭の子の話。
いわゆる “お大尽” の家の子です。
クラスの半分以上の子は、貧乏でした。
その原因は、サラリーマン家庭がまだ少なかったからです。
特に僕が育った旧市街地は、商人のうちの子が多かったんです。
八百屋や肉屋、豆腐屋、床屋、クリーニング屋……
どこの家も、両親共働きで細々と商っていました。
でもいるんですよ!
クラスに一人か二人、お大尽の家の子が!
昭和の貧富の差は、令和の差ではありませんでした。
着ている服や持ち物が違うだけでなく、生活そのものが異次元でした。
W君のお父さんは、某企業の社長さん。
僕ら (貧乏人) は、彼の家へ行くのが、楽しみでなりませんでした。
「うち来る?」
放課後、そう誘ってくれるのを、誰もが待っていました。
白く続く長い壁、大きな鉄製の門。
インターフォンを鳴らして、僕らは、その横にある小さなドアを開けて入ります。
敷地内には樹木が植えられ、その間を白いコンクリートの道が続いています。
その先には、町中では滅多に見かけない外国製の自動車が数台ありました。
彼の家にあるのは、ガレージだけではありません。
玄関は、ホテルのロビーのように広く、天井が異様に高いのです。
庭にはテラス、2階にはベランダがありました。
何よりも僕らが驚いたのは、屋上があること。
だって、個人の家の屋根といえば、瓦かトタンです。
僕らが知っている屋上は、デパートだけでしたから、とにかく興奮しました。
「W君ちって、屋上があるんだよ。デパートみたいなんだよ!」
そう親に告げた記憶があります。
彼の部屋には、床一面に絨毯が敷かれていました。
おもちゃもリモコンで動く高価なものばかり。
僕らがサンタクロースにお願いしても、絶対に届かないおもちゃです。
そして、ついに、その時がやって来ます!
僕からが彼の家に遊びに行きたかった一番の理由。
それは、「おやつの時間」 です。
その時に、おやつを持ってきてくれた彼のお母さんが凄かった!
ミニスカートにロングヘアでスタイル抜群。
いつも割烹着姿の僕らの母親とは似ても似つかない、グラビアから抜け出たように若くて綺麗な人でした。
(お金持ちを絵に描いたような家です)
おやつは、決まって、ケーキと紅茶。
紅茶を飲むこと自体が初めてのことなのに、カップの中にはレモンの輪切りまで浮いているのです。
ケーキは、遊びに行くたびに違いました。
イチゴのショートケーキだったり、チョコレートケーキだったり、シュークリームだったり……
ある日、見たこともないお菓子が出てきました。
シュークリームのようですが丸くなく、細長いシュー皮の中にクリームが入っていて、全体にチョコレートがかかっています。
「なんていうお菓子だろう?」
「どうやって食べるんだろう?」
戸惑っている僕らにW君は、
「エクレア、知らないの? こうやって食べるんだよ」
そう言って、底の銀紙を上手にめくりながら、パクリと口の中に頬張りました。
さて、帰り道のこと……
「さっきのお菓子、なんて言ったっけ?」
僕らは、シャレた洋菓子の名前を覚えていませんでした。
「エク……なんとかじゃなかったっけ?」
「そうそう、そんな名前だった」
「エクレとか?」
「そーだ、エクレだよ」
当然、僕ら貧乏人は、その後、大人になるまでエクレアを口にすることはありませんでした。
そして、大人になるまで、「エクレ」 だとばかり 思っていました。
「昭和あるある」 いや、「貧乏人あるある」 ですね。
Posted by 小暮 淳 at 11:58│Comments(0)
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