2021年06月30日
酒よ、おまえは悪くない
またもや悲惨な事故が起きてしまいました。
一昨日、千葉県八街市の路上で発生した交通事故です。
しかもこれ、ただの事故ではありません。
憎むべき “無差別テロ” です。
襲われたのは、集団下校中の小学校低学年生。
襲ったのは、大型トラックという鉄の塊です。
狙われたら、ひとたまりもありません。
気付いたとしても、防ぎようがありません。
ただただ怒りだけが込み上げてきます。
では、本当に “防ぎよう” がなかったのでしょうか?
似たような児童の登下校中の交通事故が起こると、僕がまず疑問視するのは、「集団登下校」 の是非です。
まあ、時代が違うので一概には言えませんが、昔は集団登下校なんてありませんでした。
個々に登校し、個々に下校していました。
当時は、まだ交通量も少なく、犯罪の発生率も低かったからかもしれませんが……
いつ頃からでしょうか?
我が家の子どもたちは、すでに集団登下校をしてましたから、ここ20~30年前からということになりますね。
たぶん、一番の理由は “防犯” だと思います。
不審者に対して、一人より集団のほうが防御しやすいということです。
では、交通事故は、どうでしょう?
“防止” になっているでしょうか?
逆に、発生した場合は、今回の事故のように被害は拡大してしまうというマイナス面を持っています。
まして今回の事故では、通学路に歩道もガードレールもなかったといいます。
集団で、一列になって歩いていたら逃げようがありません。
もし、個々だったら逃げられたかもしれないのです。
さて、一夜明けて、新聞各紙には “飲酒運転” の見出しが大きく出ました。
「またしても!」 であります。
記事によれば、プロのドライバーでありながら、「(会社へ) 帰る途中に酒を飲んだ」 と供述しているとのこと。
言語道断で、開いた口がふさがりません!
そして、怒りにふるえます!
「お前のようなヤツがいるから、酒が悪者にされるんだよ」
と……
酒をこよなく愛する者にとって、誤った飲酒をする者たちを許すわけにはいきません。
「酒が悪いんじゃない! 酒が事故を起こしたんでも、人を轢いたんでもないんだよ! 酒のせいにするんじゃない!」
と怒り心頭になります。
酒は刃物と同じです。
刃物も上手に使えば、料理や芸術や人間の生活を豊かにする素晴らしい道具です。
酒だって同じです。
仲良く付き合えば、こんなにも人生を豊かにしてくれる “相棒” はいません。
その相棒が、“交通事故を引き起こした” と思われるのが、ただただ悔しいのです。
悪いのは、酒じゃない!
酒も刃物も、悪用した者が悪いのです。
お願いだから、酒を悪く言うのだけはやめてください。
交通事故ゼロの世の中を夢見ています。
亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 合掌
2021年06月29日
本はカッコイイ!
今月から毎日新聞の日曜版 「日曜くらぶ」 に、作家・山田詠美さんの連載小説 『私のことだま漂流記』 が始まりました。
これが、面白い!
決して、山田詠美という作家のファンだったわけではないのですが、読み始めたら引き込まれました。
確か山田さんは、僕と同世代 (たぶん同学年のはず)。
それゆえ、描かれる時代背景や当時の物への価値観というが同じで、共感する場面が多いのです。
というのも、この小説、小説の体は成しているものの、ほぼ自叙伝なんです。
山田さん自身が主人公で、自身の生い立ちから始まり、自身が作家になるまでの歩みを振り返っています。
いかにして作家・山田詠美は、誕生したか?
その波瀾万丈に富んだ紆余曲折の人生劇場が描かれているわけであります。
(挿絵が黒田征太郎さんというのもイカシテます)
先日の日曜日は、連載の第4回でした。
タイトルは、「小説家は格好いい?」。
小説家に憧れ、本に恋していた幼少期の話でした。
<札幌にいた頃、私は、外出時にいつも本を小脇に抱えていた。まだ字も読めないのに、本が “いかす” アクセサリーになると知っていたのである。>
これって、痛いほど分かります!
本が好きな人って、本を読むこと以上に、“本” そのものが好きなんですよね。
僕も子どもの頃、本屋や図書館に行くと、ジャンルに関係なく、表紙や背表紙を見たり、触ったり、時には、匂いまで嗅いだものです。
そして、外出時には、必ず一冊は本をカバンの中に携えていました。
<小説家になった今でも、本を格好良いと思っている。書かれている内容に関してではなく、本という存在自体に対してそう感じるのだ。>
直木賞作家の大先生と同じ目線で語るのは大変おこがましいのですが、僕もライターという物書きの端くれとして、本を書けば書くほど、“本” そのものが愛おしくなるのです。
そして、つくづく本への憧れが、自分をこのような職業へ導いたのだと気づかされました。
山田さんは、さらに、こう続けます。
<それは、紙の本が時代遅れ扱いされる今も変わらない。もちろん、電子書籍の便利さは認めるけれど、そこに書かれているものは、相も変わらず、人間が人間である限り、永遠に変わらずに煩わせられるであろう 「不便」 をテーマにしているのだ。その 「不便」 が、いかに深く描かれているかで、その本の価値は高まるが、ただのオブジェとしてだけでも、私は、小さかった頃と同じように、「本は、いかす」 と思う。>
そうなのだ!
本は、カッコイイのだ!
もう、その一言に尽きるのだ!
読書人口は、ますます減っているといいます。
活字離れは進んでいるのに、“本を書きたい人” は昔より増えていると聞きます。
「本は読まないけど、本を書きたい」
という、おかしな現象です。
でも、これって、“本がカッコイイ” ことを今の人も知っているっていうことですよね?
早く、続きが読みたい!
日曜日が待ち遠しい火曜日であります。
2021年06月28日
湯守の女房 (15) 「安心で安全な食材を使って、自分の納得した料理を提供したい」
尻焼温泉 「白根の見える丘」 (中之条町)
草津白根山に源を持つ長笹沢(ながざささわ)川には、川床から温泉が湧く野天(のてん)の川風呂がある。
座ると尻が熱くなることから 「尻焼(しりやき)」 の名が付いたといわれる。
宿がある中之条町入山の根広(ねひろ)地区は、川から高低差で約80メートル。
草履や筵(むしろ)づくりなど伝承文化に触れることができる 「ねどふみの里」 という体験施設がある。
「ねどふみ」 とは、材料のスゲやカヤを温泉に浸け、足で踏んでやわらかくすること。
「昔は旧六合(くに)村 (現・中之条町) のどの地区でも行われていたが、今はこの集落だけ」
と2代目の中村善弘さんは語る。
根広地区は源泉の権利を共有し、約20戸のすべての民家に温泉が引かれている。
宿の創業は昭和49(1974)年。
野反湖でキャンプ場の管理人をしていた父・弘治さん (故人) が、善弘さんの高校卒業を機に営業を始めた。
草津白根山が望めることから2年前、創業時の 「白根ハイツ」 から 「白根の見える丘」 に改名した。
調理室で割烹着姿の女将、ひろ子さんが豆腐を作っていた。
草津町の出身。
温泉街でバンド演奏をしていた善弘さんに見初められた。
豆腐作りは、子育てが終わった10年ほど前、先代女将の義母から教わった。
「かつては六合の女は、みな豆腐が作れた。だから抵抗はなかった」
と、ひろ子さん。
水は、善弘さんが往復4時間かけてくんできた東吾妻町の名水 「箱島湧水」。
大豆は、赤城山麓の前橋市粕川町産など。
市販豆腐の約3倍の大豆を使う。
約15時間、湧水に浸けた大豆を機械で粉砕し、約25分間、灰汁(あく)を取りながら大鍋でかき混ぜる。
布でしぼり、にがりを投入して、待つこと約20分。
固まり出した豆乳を型に入れ、重しをして約45分。
やっと1日限定12丁の木綿豆腐が、できあがった。
「私自身が素性の分からない物を口にしたくないんです。安心で安全な食材を使って、自分の納得した料理を提供したい」
と、出来立ての豆腐を手に、相好を崩した。
夕食まで間があるので、源泉かけ流しの露天風呂に。
湯舟のそばに、3センチ角のヒノキのブロックが300~400個入った箱が置かれている。
ブロックをを湯に浮かせると香りが楽しめるだけでなく、湯が冷めづらくなるという。
夕日に照らされて、遠くの山々が稜線を際立てている。
湯から上がったら、濃厚な味の手作り豆腐が待っている。
これを岩塩とオリーブオイルでいただく。
ビールとの相性も抜群のはずだ。
<2011年10月26日付>
2021年06月27日
さよなら、チェーン・レター
昨日は、フォークロア (噂話や都市伝説) の話をしました。
令和の現代は、ネット社会が、そのメイン舞台となっているようですが、僕が子どもの頃 (昭和の時代) は、アナログのフォークロアが飛び交っていました。
その中でも、最も子どもたちを震撼させ、マスコミにも取り上げられ、社会問題にもなった出来事があります。
「不幸の手紙」 です。
いわゆるチェーン・レター (連鎖手紙) と呼ばれる不特定多数へ送り付ける迷惑ハガキのことです。
ある日突然、自分を名指しで届く、不吉な手紙。
文面は、このようなものでした。
<これは※(1) から始まり、私のところ来た 「不幸の手紙」 です。あなたのところで止めると、必ず不幸が訪れます。※(2) の人は止めたので、※(3)年後に死にました。あなたも※(4) 時間以内に文章を変えずに※(5) 人の人に、この手紙を出してください。私は※(6) 番目です。>
※(1) 国名が書かれている。
※(2) ここにも外国の地名や日本国内の都市名が書かれている。
※(3) 1~5年後と、まちまち。
※(4) 24時間~数日の猶予があり。
※(5) 7~8人くらいから数十人のことも。
※(6) 何千、何万桁の数字が書かれている。
そして文章の隣には、何十人という人の名前が書かれていて、
<一番下にあなたの名前を書き、一番上の人の名前を消してください。>
との注意書きがあるため、“誰から” 送られて来たのかは一目瞭然です。
たいがいは、クラスメートからでした。
僕のところにも数回、届いた記憶がありますが、一度も出したことはありませんでした。
というのも、このテの物をオヤジが大変嫌っていたからです。
「おい、ジュン、お前宛に、こういうハガキが来ているけど、捨てるぞ!」
と、毎回、オヤジにブロックされていました。
「そんなことしたらダメだよ。死んじゃうんだよ!」
と言えば、
「バカ、これは悪質ないたずらなんだ」
と、僕の目の前で、破り捨てるのでありました。
あれから半世紀。
「不幸の手紙」 のウワサは、まったく聞きませんが、完全に消滅したのでしょうか?
それとも変異ウイルスのように進化を遂げ、ネット社会の中で根深く生き残っているのでしょうか?
もしかしたら一銭にもならない “いたずら” は鳴りを潜め、お金になる “サギ商法” として姿を変えているのかもしれませんね。
2021年06月26日
フォークロアの後始末
< 「心霊スポット」 として動画投稿サイト 「ユーチューブ」 で配信し、無断立ち入りなどを助長させてしまったことを悔やむユーチューバーの前橋市の I さん (34) と伊勢崎市のHさん (36) は23日、M市のH神社で賛同した有志らと共に境内の草刈りに取り組んだ。>
(2021年6月24日付 上毛新聞より ※名詞は頭文字にしました)
昔、といっても半世紀も前のことです。
僕が小学生の頃、「お化け屋敷」 の探検ごっこが流行りました。
「お化け屋敷」 といっても遊園地やテーマパークにあるアトラクションではありません。
いわゆる “廃墟” のことです。
小学生だから行動範囲は広くありません。
市内一部の学区内での “廃墟探し” です。
廃墟があれば、それは必ず=幽霊の出る場所、となります。
そして、好奇心旺盛なヤンチャ坊主たちは、こぞって探検に出かけるわけです。
僕が暮らす市内中心部の町内にも、有名な廃墟がありました。
正しくは、ただの “空き家” なんですけどね。
あるとき、先陣を切って探検した悪ガキたちから報告がありました。
「あの家はな、殺人事件があったんだ。その証拠をオレたちは、見つけた!」
悪ガキのボスが言うことには、今でも敷地内に “血の付いた刃物” と “人の骨” があるというのです。
当然、「ウソだ!」 「いや、オレたちは見た!」 と論争になり、最後は、「だったら案内するから放課後、一緒に行こう!」 ということになりました。
そして僕ら普通 (?) のガキたちは、恐る恐る悪ガキたちの後をついて行ったのでした。
壊れた垣根をくぐり抜け、草ぼうぼうの庭に入ります。
家の中には、カギがかかっていて入ることはできません。
「どこに凶器があるんだよ?」
「人の骨なんて、ないじゃないか?」
僕らの問いにボスは、薄気味悪い笑みを浮かべて、こう言いました。
「ほれ、お前たちの足元だよ!」
そう言われて、下を見る僕たち。
朽ちた縁側の下に、刃物と骨のようなものが見えました。
その刹那、一同は 「ワァーーーー!!!!」 と大声を上げて、一目散に垣根をくぐり、廃墟を飛び出しました。
でもね、実は僕だけ、とっても冷静だったのです。
「おーい、ジュン! 早く来いよ、幽霊に呪い殺されるぞ!」
との友人の声を聞きながらも、その場にしゃがみ込んで、じっくりと観察を始めました。
その結果、“血の付いた刃物” は、茶色くサビついた包丁だったんですね。、
“人の骨” らしきものも、小さい骨ばかりで、たぶん野良猫か何かの死骸のようでした。
ということで、今思えば、これらの騒動は、すべてフォークロア (都市伝説) だったのです。
いわゆる、口伝えで広まった “ウワサ” なのであります。
でも、僕らの 「お化け屋敷」 というフォークロアは、半世紀も前ということもあり、町内から外へ広まることはありませんでした。
でも今は、違います。
SNSというツールを使い、ネットで一瞬にして広まってしまいます。
「あれは、ウソでした」
と訂正しても、後の祭りです。
<2人は仲間と共に制作した動画をユーチューブで配信している。心霊スポットを紹介する企画で2年前に同神社を訪れた。その後、別の配信で同神社が荒らされ、壁や窓の破損や落書きの被害に遭っていることを知り、心を痛めた。>
彼らが流したフォークロアとは?
●この神社を訪れ、ビデオを撮影をしたカップルが、帰り道に交通事故で死んだ。
●そのビデオを遺族が再生したら、老婆の霊が映り込んでいた。
●そして老婆は、神社の元管理人で、やはり交通事故死している。
そんな、まことしやかなウワサを配信していたようです。
草刈り清掃は、そんな彼らの罪滅ぼしなのでしょうか?
ウソを流布した代償は、決して軽くないはずですが……
新聞記事によると、ユーチューバーの I さんは、今回の草刈り活動について、こうコメントしています。
「どんな場所にも管理者や近隣住民がいるということを知らせたい。活動を広めることで、一人一人の意識を変えていけたら」
十分に反省しているようなので、少し安心しました。
2021年06月25日
湯守の女房 (14) 「慰霊の園にふさわしい、自然の地形を生かした場所」
月夜野温泉 「みねの湯 つきよの館」 (みなかみ町)
みなかみ町と沼田市境にそびえる三峰山の中腹。
関越道をまたぎ、宿と向かい合う丘に、高さ約20メートルの白い塔が立つ。
女将の都筑理恵子さんの父で、戦時中に召集されて旧オランダ領東インド (現・インドネシア) のジャワ島で軍務についていた理(おさむ)さんが、昭和63(1988)年に建立した 「鎮魂之碑」 である。
終戦直後、旧日本軍の残留兵とインドネシア独立派が、武器の引き渡しをめぐって衝突した 「スマラン事件」 によって、虐殺された戦友を慰霊している。
「供養に訪れる遺族や関係者のために」 と温泉も掘削し、翌年から旅館経営を始めた。
「父は、これは生き残った者の使命と言っていた。その父も2年前に、86歳で戦友の元へ旅立ちました」
創業時、宿の経営は他者に任せていたが、2年後、前橋市で宅地造成業を営む父の会社で働いていた理恵子さんが、女将として宿に入った。
心が癒される温泉宿らしい風情をもったのは、それから。
「知らない土地で、相談相手もいない。素人の私が、年配のスタッフばかりのところに来たのですから、いつも逃げ出したい気持ちで、いっぱいでした」
スタッフと知恵をしぼり、アイデアを出し合った。
楽器が得意な者は、食後に客の前で演奏をした。
菓子づくりが好きなスタッフは、ケーキを焼いたり、プリン、ヨーグルト、ジャムなどを作ったりして、客に振る舞った。
なかでも年間2千個を売り上げるヒット商品がある。
チーフの小林哲生さんが考案した自家製スモークチーズだ。
敷地内にあった煙突の廃材を輪切りにして、スモーカーに見立て、リンゴのチップでチーズをいぶしたところ、評判になった。
スモークチーズの予約をしてから泊まりに来る常連客も少なくない。
「スタッフ、お客さま、地元の方々、いつでも人との出会いに助けられてきました」
宿の自慢が、もう一つある。
月夜野盆地を見下ろす “天空の湯舟” だ。
左手に子持山から続く峰々を望み、正面には大峰山、吾妻耶山(あづまやさん)といった上州の名峰が連なる。
眼下には棚田が広がり、こんもりとした鎮守の杜が、なんとものどかな山里の風景を描いている。
日がな一日、何度入浴しても飽きない。
しかも、新緑、紅葉、雪景色と四季折々に変化する。
理さんは生前、著書 『嗚呼スマランの灯は消えて』(広報社) の中で、<慰霊の園にふさわしい、自然の地形を生かした場所> と記している。
なぜ、鎮魂之碑をここに建てたのか?
なぜ、温泉宿を造ったのか?
すべての答えが、この風景にある。
<2011年10月5日付>
2021年06月24日
猿ヶ京温泉 「小野屋八景苑」②
<昔々、相俣村 (現・みなかみ町) には河童が棲んでいて、キュウリ畑を荒らしたり、いたずらをするので、村人たちは 「こらしめるために、ひっつかまえてくれるべ」 と話し合っていたんだと。そしたら、ある日、小野屋の婆さまが赤谷川で小豆を洗っていると、ザルに河童がひっかかったんだと>
【民話 「かっぱのくすり」 より】
昨日は群馬テレビのロケで、猿ヶ京温泉 (みなかみ町) へ行って来ました。
僕は、『ぐんま!トリビア図鑑』 という番組のスーパーバイザー (監修) をしています。
と同時に、ネタによっては、レポーター役を買って出ています。
今回のテーマは、「カッパ」。
県内各地に河童伝説は多々ありますが、「昔々、あるところに」 がほとんどで、場所が特定されている民話や伝説は、とても少ないのです。
その中で、“最も信憑性が高い” のが、猿ヶ京温泉に伝わる、この 「かっぱのくすり」 です。
だって、そのものズバリ! 捕獲者の屋号が伝わっているのですからッ!!
「小野屋」 とは、現在の旅館 「小野屋八景苑」 のことです。
そして、民話に登場する 「婆さま」 は、実在した小野家の先祖なのであります。
ということで、我が番組制作班は、入念な資料集めをし、現地に入り下見を兼ねたロケハン (ロケーションハンティング) を済ませ、満を持した態勢で、この日を迎えたのであります。
「この民話に登場するお婆さんは、いつ頃の方ですか?」
「カッパが教えてくれたという薬は、何代目まで作れたのですか?」
「薬の処方箋は、残っていますか?」
などなど、レポーターの僕と現当主の小野公雄さんとの一問一答のトークバトルを収録してきました。
そして撮影のラストは、お決まりの僕のヌードショー!?
いえいえ、入浴シーンの撮影です。
河童が捕獲されたという赤谷川は、現在は湖の底です。
その湖を見下ろすように 「小野屋八景苑」 は建っています。
そして露天風呂には、伝説の河童の像がたたずんでいます。
「小暮さんは、やっぱり入浴シーンが似合いますね」
とディレクター。
「一応、温泉ライターを名乗っているものですから」
と僕。
「小暮さん、湖の方を向いて、しばらく黙って眺めていてもらえますか」
とカメラマン。
さて、どんな番組に仕上がるのでしょうか?
オンエアは、7月13日(火) 21時~です。
乞う、ご期待!
2021年06月22日
伊香保温泉 「和心の宿 大森」④
嬉しいニュースが飛び込んできました!
JTB主催による 「2020年度サービス優秀旅館・ホテル」 に、伊香保温泉 (渋川市) の 「和心の宿 大森(オーモリ)」 が選ばれました。
群馬県内の施設では、2018年度の 「ホテル木暮」(伊香保温泉) 以来の表彰です。
この表彰は1979年から毎年実施されており、北海道から沖縄までを7ブロックに分け、施設の大きさごとに優秀旅館と優秀ホテルが選ばれます。
審査方法は、2020年4月~21年3月に宿泊客へのアンケートを実施し、「従業員のサービス」 や 「大浴場などの設備」、「食事などの評価」 について約20万人に調査しました。
「大森」 は、関東ブロックの中規模旅館クラスで優秀旅館に選ばれました。
いや~、大森さん、やりましたね!
日頃の努力と誠意、モットーとする “和心(わごころ)” が評価されたものだと思います。
一ファンとして、心からお喜び申し上げます。
大森さんとの出会いは、20年以上ほど前になります。
たまたまイラストレーターの友人が、女将と友人だったこともあり、宴会などで利用させていただきました。
もちろん、まだ僕は “温泉ライター” を名乗る前ですから、仕事ではありません。
その後、新聞や雑誌などの取材で、たびたび伺うようになりましたが、極めつけは、2017年に出版した 『金銀名湯 伊香保温泉』(上毛新聞社) でした。
この本で僕は、渋川伊香保温泉観光協会に加盟する44軒全ての宿泊施設を取材しました。
そして当時、協会長をしていたのが 「大森」 の3代目主人、大森隆博さんでした。
そんな縁もあり、僕は同年に 「伊香保温泉大使」 に任命されました。
その後は仕事のみならず、イベントにゲストとして呼んでいただいたり、プライベートでも友人らと泊まりに行き、今日まで公私ともにお付き合いをさせていただいています。
なので、今回の表彰は、大使としてはもちろんですが、個人的にも大変よろこんでいます。
大森さん、女将さん、おめでとうございます。
また、青竹に入った地酒を露天風呂で呑みに行きますね!
2021年06月21日
『やんちゃももたろう』 初口演
「マンネリは、いかんよね」
「ああ、マンネリはいかんよ」
回を重ねるごとに、そんな会話をするようになりました。
僕らは毎月1回、伊勢崎神社で 「神社かみしばい」 なる街頭紙芝居を行っています。
僕らとは、僕と僕の高校時代の同級生で、定年退職後に “ちんどん宣伝会社” を立ち上げた座長です。
今年の1月からは、地元の民話を基にした創作紙芝居 『いせさき宮子の浦島太郎』 を上演しています。
すでに新聞等で発表になっているので、ご存じの方もいるかもしれませんが、僕らは現在、新作紙芝居の制作にかかっています。
群馬のソウルフード 「やきまんじゅう」 を擬人化した時代劇ヒーロー物です。
原作と作画は、群馬在住の絵本作家・野村たかあき先生が担当してくださることになりました。
※(当ブログの2021年6月12日 「今日の朝日新聞 “拙者 焼きまんじゅうろうでござる!”」 参照)
その打ち合わせのため、先生の工房を訪ねた際に、手渡されたものがありました。
「作ったのはいいが、なかなかお披露目する場がなくてね。よかったら持って行ってよ」
それは立派な紙芝居でした。
タイトルは、『やんちゃももたろう』
先生の同タイトルの人気絵本の紙芝居版であります。
墨一色の版画で描かれた、美しい紙芝居です。
ストーリーは、みなさんが子どもの頃から慣れ親しんだ 「桃太郎」 とは、まったく違います。
いたずら小僧のやんちゃな桃太郎が、逆に鬼にとっちめられ、改心する話です。
昨日は、6月の口演日でした。
開演前に紙芝居を見せると、
「これは、面白い!」
と座長は一読するやいなや、初見で演じてみせました。
さすが、プロ!
所々にアドリブを加え、笑いを取りながら、子どもたちには難しい言葉があれば、その都度、分かりやすく説明していました。
そして、ラストの名ゼリフは、聴く者、見る者の胸にジーンと迫って来ました。
4回口演のうち2回、 『やんちゃももたろう』 を上演。
子どもさんよりも、親御さんたちに人気がありました。
会場では、野村先生の原作絵本の販売もしています。
次回は、7月11日(日)の開催です。
“マンネリ” しないように、作品を入れ替えて上演しています。
まだの人は、もちろん!
一度来られた人も、ぜひ、またお越しください。
スタッフ一同、お待ちしております。
2021年06月19日
湯守の女房 (13) 「父は 『災厄をなくしたい』 と天狗堂を建て、新たな天狗面を奉納しました」
沢渡温泉 「龍鳴館」 (中之条町)
「私の余生は湯守(ゆもり)です」
3年前に3代目女将を継いだ隅谷映子さんは、元県立高校の英語教師。
沢渡(さわたり)温泉の旅館の長女に生まれ、家業を継ぐのは当然と思ってきた。
「夫と結婚するときも、いずれは温泉宿をすることが条件でした」
57歳で退職。
両親が経営する宿がある沢渡温泉と、やはり高校教師だった夫や義父が暮らす伊勢崎市の自宅を往復する生活を続けた。
先代女将の母の他界を機に、沢渡温泉に腰を落ち着かせた。
前身は正永館(しょうえいかん)といい、大正時代に歌人の若山牧水が立ち寄っている。
昭和3(1928)年に母の叔母が経営を譲り受けて、「龍鳴館(りゅうめいかん)」 と改名した。
父の故・都筑重雄さんは、海軍の航空母艦の乗組員で、終戦後、町工場に勤めていた。
親類から 「旅館を継いでほしい」 と言われたが、「商売は苦手だから」 と断り続けた。
ある日、重雄さんは “お天狗様” と呼ばれる地元の占い師から 「北北西の沢渡へ行け」 と告げられた。
同24(1949)年、2代目経営者となった。
沢渡温泉の開湯は、建久2(1191)年と伝わる。
翌年、鎌倉幕府を開いた源頼朝が、浅間山麓でイノシシ狩りをした際に、発見したといわれる。
明治までは草津帰りの浴客でにぎわったという。
「一浴玉の肌」 と呼ばれるやさしい湯が、酸性度の強い草津の湯ただれを癒やす 「なおし湯」 となった。
昭和20(1945)年、山火事に端を発し、1,500ヘクタール、136戸が焼けた 「沢渡の大火」 で温泉街も全焼した。
昔から地元には守り神として天狗のお面があったが、大火の数年前に子どもがいたずらをして、お面の鼻を折ってしまったという。
沢渡温泉は、同10(1935)年にも 「沢田村水害」 に見舞われていた。
「父は、『災厄をなくしたい』 と、宿の裏山に天狗堂を建て、新たな天狗面を奉納しました」
同56(1981)年の建立以来、毎年4月16日に天狗様の祭りをしている。
温泉の温度は約55度。
加水せず、窓の開閉で温度調節をする。
温泉の成分を薄めずに提供したいという女将のこだわりからだ。
ツーンと染み入るように、体の隅々まで馴染んでいく。
硫黄のにおい(※)が心地よく、くせになる浴感である。
浴室の隅に、頼朝が腰かけたと伝わる石が置かれている。
表面の傷痕は、水害や大火をくぐり抜けてきた表れという。
天狗のお面同様、沢渡温泉の安穏を見守っている。
※(正しくは硫化水素のにおい)
<2011年9月21付>
2021年06月18日
怪談 ~牡丹灯籠からトイレの花子さんまで~
僕は、あまり “幽霊” というものの存在を信じていません。
「あまり」 というのは、一度だけ見てしまったことがあるからです。
※(当ブログの2011年8月12日 「首のないボーイ」 参照)
信じてはいませんが、不思議なことは大好きです。
ライターという職業柄、“謎学” の解明はしますし、テレビ番組では “ミステリーハンター” という役柄でレポーターもしています。
それでも、根も葉もない “謎” には、興味を抱きません。
99%が嘘でも、残りの1%の真実を探し当てるところに、“謎学” の妙味があるからです。
でも 「怪談」 は好きです。
響きが、いいですね。
読んで字のごとく、「怪しい談話」 です。
なんとなく昭和の匂いを感じるし、何より文学の香りが漂います。
「怪談」 には、知的好奇心をくすぐられるのであります。
ということで、現在、群馬県立土屋文明記念文学館 (高崎市) で開催中の 『怪談~こわい話に花が咲く~』 に行って来ました。
近代文学者が手がけた怪談や奇談、また群馬県を舞台とした怖い話を集めた企画展です。
会場では、明治から昭和、現代にいたる怪談話が時代を追って展示されています。
三遊亭円朝の 「怪談牡丹灯籠」 や 小泉八雲の 「耳なし芳一」 から始まり、明治・大正になると、夏目漱石や泉鏡花、柳田國男、谷崎潤一郎、芥川龍之介、室生犀星といった、そうそうたる文学者の作品が並びます。
そして昭和……
江戸川乱歩や坂口安吾などの作家にまざって、太宰治や萩原朔太郎の名も!
「へえー、太宰や朔太郎も怪談話を書いていたのか」
という発見もあったりして、なかなか楽しめたのであります。
特筆すべきは、平成以降です。
突然、『学校の怪談』 や 『トイレの花子さん』 といった児童書が登場します。
イラストが増え、マンガやアニメ化もされます。
なぜ、それまで (昭和まで) 大人の文学であった “怪談” が、平成になると対象が低年齢化してしまったのでしょうか?
ここに1つ、“謎学” が誕生しました。
ただ、ヒントは見つけました。
今回の企画展のパンフレットの中に、こんな一文があります。
<かつて人々は、怪しいもの、恐ろしいものに対し、「語る」 ことで、その恐怖に対抗しました。明治維新を迎えるとと、幽霊や妖怪は合理的解釈によって存在を否定され、怪談も一時衰退します。しかし、怪異そのものが世から消えることはありませんでした。>
この “合理的解釈” の第2波が平成に起こり、“怪談” は子ども向けとなり、ブームを巻き起こしたのかもしれませんね。
この企画展は当初、6月13日で終了するはずでしたが、新型コロナウイルスのまん延防止等重点措置の影響により休館していたため、解除にともない再開し、会期が延長されました。
興味のある方は、ぜひ、この機会にご覧ください。
『怪談~こわい話に花が咲く~』
●会期 開催中~2021年7月4日(日)
●休館 火曜日
●料金 一般 410円 大学・高校生 200円
●問合 群馬県立土屋文明記念文学館
高崎市保渡田町2000 TEL.027-373-7721
2021年06月17日
「神社かみしばい」 6月口演
昨年の夏、僕の講演会に、ふらりと高校の同級生がやって来たのが事の始まりでした。
演題は、『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』。
講演終了後、彼から 「地元の民話を紙芝居にしたい」 との申し入れがあり、制作にかかりました。
彼は、伊勢崎市の出身で、現在は茨城県で “ちんどん宣伝社” の座長をしています。
半年間かけて、紙芝居を作りました。
「さて、どこで、お披露目をしようか?」
となったとき、これまた同級生が場所を提供してくれました。
伊勢崎神社の宮司です。
これにより、卒業以来45年ぶりの同級生トリオによる “紙芝居コラボ” が誕生しました。
今年の1月より、毎月1回、神社の境内で 「神社かみしばい」 の口演を行っています。
今月で、6回目となります。
会場には、昔懐かしい自転車に積んだ街頭紙芝居が登場し、昭和レトロな駄菓子やおもちゃの販売もしています。
※(今月からは縁日でお馴染みだった 「かたぬき」 遊びがお目見えします)
回を重ねるごとに、テレビや新聞などマスコミへの露出が増え、近所の子どもだけでなく、遠方からうわさを聞きつけた大人たちも、たくさん来られるようになりました。
ぜひ、昔、子どもだった人も童心に帰って、昭和のひとときをお過ごしください。
ご来社、お待ちしています。
「神社かみしばい」 6月口演
『いせさき宮子の浦島太郎』
作/小暮 淳 (フリーライター)
画/須賀りす (画家・イラストレーター)
演/石原之壽 (壽ちんどん宣伝社・座長)
●日時 2021年6月20日(日) 7月11日(日)
10時、11時、12時、13時 ※悪天候は中止
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 無料 (投げ銭制)
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
2021年06月16日
サヨナラ、まん防!
♪ ぼくの名前は のん兵衛
きみの名前は まん防
ふたり合わせて “のまん (呑まん) ” だ
きみとぼくとで “のまん” だ
1ヶ月もの間 自粛をしたけど
今日を限りに サヨナラ まん防~ ♪
ということで、やっとやっとやっと!
群馬県の 「まん延防止等重点措置」 の要請が解除されました。
のん兵衛のみなさん、よくぞ、耐えました!
これで、大手を振って、呑みに出られますぞ!
と思ったら、まだ時短営業を強いられているんですってね。
店舗の営業は午後8時までという制約付きです。
そ、そ、そんな~!
サラリーマンのみなさんは、会社が終わってから行ったのでは、いくらも呑めないじゃありませんか!
でもね、フリーランスは大丈夫!
コロナ禍の現在、“毎日が日曜日” みたいなものですからね。
時間なら、いくらでもあるわけです。
朝、目が覚めたときから、もう、ソワソワは始まっています。
「えーと、店は何時から開いているんだっけな?」
と問えば、
「4時」
とママからメール。
ほほう、ということは、4時に行ったのでは、いつもの “指定席” は取れんかもしれんな。
では、1時間前倒しで、作戦決行だ~!
仕事を昼までに切り上げ、シャワーを浴びて、いざ、出陣!
午後3時には、カウンター奥のいつもの席に陣取った次第です。
もちろん、僕が一番乗り!
「1ヶ月のご無沙汰でした」
と僕が言えば、
「長かったね~」
と言いながら、ママがキンキンに冷えたグラスに生ビールを注いでくれました。
「ちょっと、待って。今日は、あたしも呑むから」
と、ママもグラスを取り出しました。
「では、カンパ~イ!」
「また、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
「ああ、この景色、この景色。極楽ですよ」
僕は、ウナギの寝床のように延びる細長いカウンターの一番奥の席に座り、入り口ののれん越しに外の往来を眺めながら呑むのが好きなのです。
「今日は、ジュンちゃんの好きな、もつ煮を作ったからね」
「本当!? ありがとう……(感涙)」
至福の時間が流れます。
1ヶ月もの間、よく我慢をしたものだ。
今日は、自分への “ご褒美” だ。
ほめてやろう!
「おい、自分、よく頑張ったな」
「お~、久しぶり!」
「小暮さん、もう来てるの!」
「元気にしてた?」
開店時刻の4時が近づくと、三々五々、常連客が顔を出し始めます。
午後5時には、すでにカウンターは満席となりました。
「8時まで、呑むぞー!」
「オー!!」
サヨナラ、まん防!
2021年06月15日
反対の反対は賛成なのだ!
近所のスーパーマーケットに買い物に行ったときのことです。
入店前に、トイレを借りました。
ここのトイレは、店の外に併設されています。
入口に、こんな貼り紙がされていました。
<このトイレは防犯防止のため、閉店の1時間前に施錠いたします。店長>
僕は用を足しながら、「ハテ?」 と思いました。
どういうことだ?
何気に読んでしまったが、確かに今の文章は、どこかおかしかったぞ!
トイレを出で、もう一度確認しました。
分かりました!
“二重否定” があったのです。
≪防犯防止≫
「防犯」 とは、犯罪防止の略語です。
その 「防犯」 を防止するための “施錠” とは?
と、ついつい、揚げ足を取ってしまいましたが、これは、ただの “書き間違え” だったようであります。
正しくは、<犯罪防止のため> もしくは <防犯のため> と書くべきだったのでしょう。
で、僕は、はるか昔の漫画 『天才バカボン』 のバカボンのパパの名言を思い出したわけです。
「反対の反対は賛成なのだ!」
この言葉を聞いた時、最初は何を言っているのだが分かりませんでしたが、よくよく考えてみると、バカボンのパパは、やっぱり天才なのですね。
これは、数学なのですよ。
反対=マイナス
賛成=プラス
ですから、
反対×反対は、マイナス×マイナスで、
=プラスになるのです。
よって、
“反対の反対は賛成”
となります。
だから、スーパー○○の店長!
「防犯」 × 「防止」 = 「犯罪誘発」
となってしまいますから、ぜひ、書き換えてくださいな。
大きなお世話かもしれませんが、放尿を途中で止めてしまったほど、気になってしまったもので……
2021年06月14日
未完の温泉シリーズ
何気に、自分の著書をネット検索していました。
本当に便利です。
どこの図書館に在庫があるとか、貸出中とか、直接、著者本人には入ってこない情報が、ネットの世界では探ることができます。
「中には、誹謗中傷の類いもあったりして……」
なんて、ドキドキしながら検索を続けていると、思わぬ書き込みに出合いました。
<小暮淳さんの温泉評価目線が好きです。何時間でも読んでいられます。>
おおおー、うれしいことを書いてくれちゃって!
ツイッターの主は、コアな温泉ファンのようです。
画面には、拙著 『あなたにも教えたい四万温泉』(上毛新聞社) が添付されています。
しかも主は、文面から察するに、僕の著書をすべて読破している様子。
こんな一文もありました。
<草津~万座について執筆していないので続刊が待たれます。>
おいおい、そこまで詳しい!
と、思わずツッコミを入れてしまいました。
そのことに気づいているなんて、これはこれは、かなりの上得意の読者様であります。
そこまで読み込んでいただき、ありがとうございます。
さて、ツイッターの主のおしゃるとおり、僕はまだ、万座温泉と草津温泉の本を書いておりません。
これには理由があります。
僕は2009年の 『ぐんまの源泉一軒宿』(※) から2017年の 『金銀名湯 伊香保温泉』 までの8年間に、群馬県内の温泉関連の本を9冊出版しました。
※( 『ぐんまの源泉一軒宿』 は絶版となりましたが、2014年に 『新ぐんまの源泉一軒宿』 として改訂版が出版されています)
群馬県内には約100カ所の温泉地がありますが、この9冊で、ほぼ網羅しています。
もちろん、ツイッターの主さんがおっしゃる万座温泉と草津温泉を除いては……
では、なぜ、その2カ所の温泉地だけが未完なのでしょうか?
それには2つの理由があります。
制作サイドの事情です。
実は 『金銀名湯 伊香保温泉』 を出版した翌年、次回作の出版は決定していました。
その中には、万座温泉も含まれていました。
ただ、コアな読者ならばご存じだと思いますが、僕の取材方法は、かなり変わっています。
温泉地を取材する場合、すべての宿泊施設を取材し、紹介することにしています。
このこだわりは何でか?
と問われれば、「宿によって湯が違う」 からに他なりません。
一軒宿は別として、複数軒宿のある温泉地では、源泉が同じでも宿により、その湯の扱い方が異なるからです。
よって、すべての宿泊施設を取材することになります。
ただし、軒数が少ないと、“一冊の本” として成り立ちません。
これが出版の際のネックとなります。
勘のいい読者はもう、お分かりですね。
四万温泉や伊香保温泉などは宿泊施設が多いため “一冊の本” として成り立ちますが、小さな温泉地や一軒宿の温泉地は、“エリア本” として軒数をまとめなくてはならないということです。
この作業に難航したことが、続刊がストップしている理由です。
そして、もう1つ、草津温泉の場合は、その逆の理由が発生します。
現在、草津温泉には旅館協同組合に加盟しているだけでも100軒以上の宿泊施設があります。
それ以外の温泉を利用している施設を含むと200近い軒数となります。
この数字を、どう処理するか?
『みなかみ18湯』(2012年、2013年) のように 「上」 「下」 2巻にするのか?
いえいえ、2巻では収まらないので 「中」 も必要かも?
なんていう論争が、当然、企画会議ではされてきたわけであります。
世は、依然、コロナが猛威を奮っています。
温泉地は、どこも大打撃を受けているのが現状です。
できることなら応援するような本を書いてあげたい。
歯がゆいながら、いつも僕は温泉地のことを考えています。
必ず、このコロナ禍は明けます!
そしたらまた温泉地を訪ね歩き、新たな本を読者のみなさんに届けたいと思います。
それまで、もうしばらくお待ちください。
2021年06月13日
湯守の女房 (12) 「湯を目当てに来るお客さんばかりだから、文句を言われたことはありません」
白根温泉 「加羅倉館」 (片品村)
片品村鎌田から国道120号を金精峠へ向かう。
日光白根山系の加羅倉(からくら)尾根と赤沢山の谷間を流れる大滝川沿いに一軒宿はある。
川風が涼しい。
ヤマメやイワナを追う釣り人の姿が見られる。
本館と別館の間に架かる赤い橋の上で、女将が出迎えてくれた。
「突然、湯量が4倍になっちゃったの。浴槽から湯があふれ出て、洗い場まで池のようになって。100日ぐらい続いて元に戻ったけど」
5代目湯守の女房、入澤澄子さんは東日本大震災後の異変について語った。
震災で湧出が止った温泉さえある、それに比べたら……。
「温泉あっての温泉宿だから」
主人の眞一さんとは、勤務先の水上温泉の旅館で知り合った。
転機は平成7(1995)年。
眞一さんが知り合いから加羅倉館の管理人を頼まれ、澄子さんは反対した。
「でも 『湯がいい』 の一点張りで、押し切られてしまいました」
白根温泉は江戸初期には、すでに湯治場としてにぎわっていたという。
大正時代には放浪の歌人、若山牧水が一泊し、日光へ旅立っている。
オーナーの別荘だった別館には昭和27(1952)年、皇太子時代の天皇陛下(※1)が泊まっている。
数軒あった宿も、今は加羅倉館だけになった。
半地下式の浴槽棟は、その別館の前にある。
オーナーが所有していた競走馬の温泉治療場の名残という。
13本の源泉が自然湧出している。
うち、使っているのは男風呂、女風呂、シャワー、厨房のたった4本。
浴槽へは高低差を利用し、湯を流し入れる。
泉質は、少し硫黄臭(※2)のする弱アルカリ性の単純温泉で、源泉の温度は約64度。
多少、加水をしているものの 「熱くて沈めない」 と嘆く利用客もいる。
しかし、徐々に体を湯に慣らしながらつかってみると、ツーンと骨の髄まで染み入るような浴感だ。
ヘルニアやリウマチの治療のために通う湯治客も多いという。
「昔ながらの温泉宿だけど、湯を目当てに来るお客さんばかりだから、文句を言われたことはありません。私もお客さんも互いに気をつかわないところが、いいんじゃないですか」
と屈託なく笑う。
湯もまた、けれんみのない生一本である。
※1 (掲載当時)
※2 (正しくは硫化水素臭)
<2011年9月7日付>
2021年06月12日
今日の朝日新聞 “拙者、焼きまんじゅうろうでござる!”
≪生まれは関東、上州です。利根の清き流れに産湯をつかり、空っ風に育てられ、義理と人情のためならば、ガブッと焼きまんじゅうをほおばって、悪を憎んで弱きを助け、西東。姓は 「焼き」、名は 「まんじゅうろう」。あま辛みそダレの股旅野郎とは、おいらのことよ!≫
読者のみなさん、お久しぶりでやんした。
おいらのこと、覚えてますか?
おいらが誕生したのは10年以上も前のことですからね。
古い読者じゃねーと、記憶に残っていないかもしれませんね。
生みの親は、絵本作家の野村たかあき先生。
育ての親が、このブログのオーナーであるフリーライターの小暮淳さんです。
えっ、まったく知らないって!?
何を言ってやんだい!
おいらのこと知らなかったら、もぐりの “群馬県民” だぜ!
おいらのことは、すでに2009年発行の 『日本全国ご当地キャラクター図鑑2』(新紀元社) の58ページに、しっかり群馬県のマスコットキャラクターとして掲載されてるんだぜ。
当時の肩書は、「上州小麦食文化連合会長」。
略歴には、「群馬のソウルフード、焼きまんじゅうのPRキャラクター」 と、ちゃんと書いてあるじゃねーか!
さらに、2011年9月に伊香保温泉で開催された 『MM-1フェスティバル』 に、スーパーローカルオヤジバンド 「じゅん&クァ・パラダイス」 がゲスト出演して、おいらのテーマソング 「焼きまんじゅうろう 旅すがた」 を歌ったんですぜ!
ちなみに “MM” とは、「まん中」 「まんじゅう」 の頭文字で、渋川市は日本のまん中、伊香保温泉は温泉まんじゅうの発祥の地という意味。
※(当ブログの2011年9月14日 「焼きまんじゅうろう 参上!」 参照)
ということで、おいら、群馬のソウルフード 「焼きまんじゅう」 のために、上州小麦食文化連合を代表して、日夜、敵対する悪者 (県外の粉モノ) と戦っているのであります。
そして、このたび、生みの親である野村たかあき先生の手により、紙芝居の主人公として命を吹き込んでいただき、またまた、みなさんの前で、おいらの活躍を披露することになりました。
その制作過程や制作秘話が、今日の朝日新聞群馬版 (6月12日付) にて、大きく紹介されました!
ぜひ、ご覧くだされ。
必殺技は、「あまから剣法みそだれ返し」
悪党どもを成敗いたす。
さあ、どっからでも、かかってこいや!
2021年06月11日
同級生が死んだ② ~45年ぶりの再会~
今年の1月から毎月、僕は友人らと群馬県伊勢崎市にある伊勢崎神社の境内で、紙芝居の口演を開催しています。
きっかけは、高校時代の友人が、定年退職を機に “ちんどん会社” を立ち上げたことにあります。
このコロナ禍で、多人数での興行ができなくなったため、友人は紙芝居による慰問や街頭での口演を始めました。
友人の出身が伊勢崎市で、会場となる伊勢崎神社の宮司も僕らと同級生だったこともあり、「神社かみしばい」 と銘打ったイベントを開始しました。
「どうせなら、地元の民話を題材にしたオリジナルの紙芝居を上演したい」
という友人からのたっての希望があり、僕が創作民話を書きました。
そんな縁もあり、毎月1回の口演日には、僕も会場に足を運んでいるのです。
いまは便利な世の中になりました。
ラインやらフェイスブックやらSNSの普及によって、情報が広く拡散されます。
僕と座長である友人が同級生ということもあり、うわさを聞きつけた高校時代の同級生が応援に駆けつけて来るようになりました。
でも、そのほとんどが高校卒業以来、一度も会っていない同級生ばかりです。
なんと、45年ぶり!
「えー、ジュン!? 変わっちまって分からねーよ! なんだよ、その頭 (白髪)」
「お前こそ、なんだよ、その頭 (ハゲ)」
とかなんとか、互いをディスりながらも、毎回、同級生との再会を楽しみに口演を続けています。
I 君も、そんな45年ぶりに再会した同級生の一人でした。
彼の実家が神社の近くということもあり、何度か開催日には顔を出してくれました。
ときに、菓子やパンなどの差し入れを持って……
同級生って、不思議ですね。
45年ぶりに会っても、一瞬にして、あの頃に戻ってしまうんです。
学校帰りに、彼の家に寄り、部屋でタバコを吸った話。
その時の銘柄は、「チェリー」 だったこと。
彼には美人のお姉さんがいて、ベランダに干してある洗濯物の下着が気になった話など、など……
でも、
「また来るよ」
の言葉が最後となってしまいました。
今週、突然、訃報が飛び込んで来ました。
「 I が死んだ!」
座長からでした。
「なんで? 病気だったの?」
「いや、突然死のようだ」
I 君の息子さんの話によれば、前夜はふつうに就寝したといいます。
朝、なかなか起きて来ないので寝室をのぞいてみると、布団の中で息絶えていたといいます。
そ、そ、そんなーーーーっ!!!!
僕は恐る恐る、昨日の地元紙をめくりました。
たぶん、ウソだよな。
誤報だよな。
なにかの間違いに決まっているさ。
でも、「おくやみ欄」 に彼の名前がありました。
享年62歳。
早過ぎる死です。
何よりも、突然過ぎます。
もし、僕が座長と再会していなかったら……
そして、一緒に紙芝居を作っていなかったら……
I 君と45年ぶりの再会をすることもなく、また彼の死を知ることもなかったのかもしれません。
もしかして I 君は、虫の知らせで、死ぬ前に同級生に会いたくなり、来てくれたのだろうか?
今月も20日に 「神社かみしばい」 を開催します。
彼の追悼の意も込めて。
いまはただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。合掌
2021年06月10日
介護という名の親孝行
新聞の片隅に、小さな記事を見つけました。
<84歳の母を殺害 容疑の男逮捕>
6年前ですから、まだ両親が元気だった頃のことです。
いえ、正確に言えば、すでに “元気” ではありませんでした。
オヤジは認知症、オフクロは寝たきりの状態で、デイサービスを利用しながら僕とアニキとで、在宅介護をしていました。
そんな日々を、このブログに面白おかしく綴っていたからでしょうか?
さるイベントの主催者から講演の依頼がありました。
すでに当時も講演やセミナーの講師はしていましたが、テーマはすべて 「温泉」 でした。
それが、突然、「介護」 での講演依頼だったのです。
お受けしたものの、はたして介護をテーマに話ができるだろうか?
思案の末に、しぼり出した演題が、『不孝をすると親は長生きする』。
その意表を突いたタイトルが、目を引いたのかもしれません。
当日は、立ち見が出るほどの大盛況でした。
本当に、親不孝をすると、親は長生きするのでしょうか?
実は、このタイトルは、僕自身への戒めの言葉なのです。
「いつか若い頃にした親不孝の罪滅ぼしがしたい」
そう思いながら生きていましたが、日々の生活に追われ、両親が元気なうちは何もできませんでした。
でも晩年になり、老いてゆく両親を見ているうちに、思いは増していきました。
そして、ついに、その時が来ました。
“認知症” と “寝たきり” という両親のダブル介護です。
「罪滅ぼしをする時が来た」
と思いました。
ズルいですよね。
元気なうちは記念日も祝ってやらず、旅行にも連れて行かず、ほったらかしにしておいて、老いて、動けなくなって、文句が言えない状態になってから、ここぞとばかりに手を差しのべるのですから……
「それでも、何もしないよりはマシ」
と、できる限りの介護をしました。
それは僕にとって、“みそぎ” のようなものでした。
許してほしい、許してほしい、許して……
オヤジが10年間、オフクロが5年間。
長い介護の末に一昨年、どちらも天寿をまっとうしました。
僕の “みそぎ” が終わったのです。
冒頭の記事には、こう書かれていました。
<○○県××署は7日、自宅で母親を殺害したとして、殺人の疑いで、同県××市△△町、無職、S容疑者(55)を逮捕した。同署によると、S容疑者は 「口や鼻をふさいで殺した」 と供述、容疑を認めている。>
容疑者と母親は、2人暮らしでした。
そして母親は、介護が必要な状態だったとあります。
55歳無職、というのが気になります。
働き盛りです。
母親の介護のために、仕事を辞めたのかもしれませんね。
心の優しい息子さんだったのでしょう。
でも……
僕が前述したように、介護には “落とし穴” があります。
それは、「介護=親孝行」 という呪縛です。
若い頃にヤンチャをした人は、より、その思い込みが深くなります。
「罪滅ぼしをしたい」 「恩返しがしたい」
そんな親への思いが、“介護” という底なし沼へと引きずり込んでしまうのです。
幸い、僕には兄弟がいました。
ケアマネージャーさんにも恵まれました。
でも、S容疑者は?
一人っ子だったのかもしれませんね。
それゆえ、責任感が強かったのかもしれません。
今、介護の真っただ中にいる方!
どうか、“親孝行” という呪縛を振りほどいてください。
大人になっても、少しぐらいヤンチャで、いいじゃありませんか!
小さな記事でしたが、数年前の自分と重なり、苦しいほどに胸を締め付けられました。
2021年06月09日
まだ龍を見ていない
きっかけは、4年前の取材でした。
当時、僕は高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」(ライフケア群栄) に、『ぶらり水紀行』 という旅エッセーを連載していました。
※(一部は上毛新聞社刊 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 に収録)
その日、訪れたのは上野村の野栗沢川にある 「龍神の滝」。
大蛇が棲みついていたという伝説があり、昔は村人が近寄らなかったという滝です。
落差は約20メートル。
3段に分かれて落ちる様は、確かに龍が天へ向かって飛び立とうとしている姿にも似ています。
「小暮さんは、龍を見たことがありますか?」
滝の前で、突然、同行のカメラマン氏に訊かれました。
「りゅう?」
「ええ、龍を見た人は幸運をつかむといわれています」
彼の話によれば、財界や芸能界で活躍する有名人の中には、龍を見てから成功した人が少なくないといいます。
「龍ね、本当にいるのかね?」
「ええ、いるのなら、ぜひ、見てみたいものですね」
その時、僕は一冊の本を思い出しました。
木村秋則・著 『すべては宇宙の采配』(東邦出版)
そうです!
木村さんは、いっとき話題となった “奇跡のりんご農家” と呼ばれた人です。
絶対に不可能と言われた無農薬、無肥料でのりんごの栽培に成功したニュースは、当時、テレビのワイドショーに取り上げられ、木村さんのキャラもユニークだったため、引っ張りだこだったことを思い出します。
あの時、りんごとともに話題になったのが、“龍の目撃” でした。
木村さんは高校2年生の時と30数年後の2度、龍を見たことが著書には書かれています。
そして、「龍を見た人は幸運をつかむ」 という言い伝え通り、過去に誰もなしえなかった “奇跡のりんご” の栽培に成功したのです。
「龍神の滝」 から4年……
僕は、すっかり龍の存在を忘れていました。
ところが!
また取材の途中で、龍の話題が出たのです。
読者のみなさんは、覚えていますか?
先日、テレビのロケハンで “座敷わらし” の出る宿を訪れた話を?
※(当ブログ2021年6月1日 「霊道を走る座敷わらし」 参照)
あのとき、宿の主人から霊の通り道である 「霊道」 の話を聞きました。
そして、“座敷わらし” は必ず霊道上の部屋に現れることを。
実は、その時、こんな話も聞いたんです。
「霊道の上は、そのまま “龍道” でもあるんです」
「りゅうどう?」
「ええ、龍の通り道です」
なるほど!
霊に道があるように、龍にも道がある。
ということは、目撃例を集めれば、そこに “龍道” が存在するということですね。
手がかりとしては、やはり滝や神社など “龍神伝説” のある場所が、目撃例も多そうです。
必ず、龍の通り道を探してみせますぞ!
謎学の旅は、つづく……