2021年06月10日
介護という名の親孝行
新聞の片隅に、小さな記事を見つけました。
<84歳の母を殺害 容疑の男逮捕>
6年前ですから、まだ両親が元気だった頃のことです。
いえ、正確に言えば、すでに “元気” ではありませんでした。
オヤジは認知症、オフクロは寝たきりの状態で、デイサービスを利用しながら僕とアニキとで、在宅介護をしていました。
そんな日々を、このブログに面白おかしく綴っていたからでしょうか?
さるイベントの主催者から講演の依頼がありました。
すでに当時も講演やセミナーの講師はしていましたが、テーマはすべて 「温泉」 でした。
それが、突然、「介護」 での講演依頼だったのです。
お受けしたものの、はたして介護をテーマに話ができるだろうか?
思案の末に、しぼり出した演題が、『不孝をすると親は長生きする』。
その意表を突いたタイトルが、目を引いたのかもしれません。
当日は、立ち見が出るほどの大盛況でした。
本当に、親不孝をすると、親は長生きするのでしょうか?
実は、このタイトルは、僕自身への戒めの言葉なのです。
「いつか若い頃にした親不孝の罪滅ぼしがしたい」
そう思いながら生きていましたが、日々の生活に追われ、両親が元気なうちは何もできませんでした。
でも晩年になり、老いてゆく両親を見ているうちに、思いは増していきました。
そして、ついに、その時が来ました。
“認知症” と “寝たきり” という両親のダブル介護です。
「罪滅ぼしをする時が来た」
と思いました。
ズルいですよね。
元気なうちは記念日も祝ってやらず、旅行にも連れて行かず、ほったらかしにしておいて、老いて、動けなくなって、文句が言えない状態になってから、ここぞとばかりに手を差しのべるのですから……
「それでも、何もしないよりはマシ」
と、できる限りの介護をしました。
それは僕にとって、“みそぎ” のようなものでした。
許してほしい、許してほしい、許して……
オヤジが10年間、オフクロが5年間。
長い介護の末に一昨年、どちらも天寿をまっとうしました。
僕の “みそぎ” が終わったのです。
冒頭の記事には、こう書かれていました。
<○○県××署は7日、自宅で母親を殺害したとして、殺人の疑いで、同県××市△△町、無職、S容疑者(55)を逮捕した。同署によると、S容疑者は 「口や鼻をふさいで殺した」 と供述、容疑を認めている。>
容疑者と母親は、2人暮らしでした。
そして母親は、介護が必要な状態だったとあります。
55歳無職、というのが気になります。
働き盛りです。
母親の介護のために、仕事を辞めたのかもしれませんね。
心の優しい息子さんだったのでしょう。
でも……
僕が前述したように、介護には “落とし穴” があります。
それは、「介護=親孝行」 という呪縛です。
若い頃にヤンチャをした人は、より、その思い込みが深くなります。
「罪滅ぼしをしたい」 「恩返しがしたい」
そんな親への思いが、“介護” という底なし沼へと引きずり込んでしまうのです。
幸い、僕には兄弟がいました。
ケアマネージャーさんにも恵まれました。
でも、S容疑者は?
一人っ子だったのかもしれませんね。
それゆえ、責任感が強かったのかもしれません。
今、介護の真っただ中にいる方!
どうか、“親孝行” という呪縛を振りほどいてください。
大人になっても、少しぐらいヤンチャで、いいじゃありませんか!
小さな記事でしたが、数年前の自分と重なり、苦しいほどに胸を締め付けられました。
Posted by 小暮 淳 at 12:51│Comments(0)
│つれづれ