2025年02月28日
「温泉王国ぐんま」 来週放送!
<どんな土地にも年輪があり、古き良き暮らしがあった。大合併で、記憶が日々に遠のいてゆく群馬県。そこには、今残さなければならない遺産がある。>
(番組ナレーションより)
ということで、今回も遠のいてゆく記憶をたどり、残さなければならない群馬の温泉遺産を訪ねてきました。
僕は長年、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 のスーパーバイザー (監修人) をしています。
が、時々、会議室を飛び出して、謎を解き明かしにリポーターとして温泉地を訪ねています。
そんなシリーズ 「温泉王国ぐんま」 の8回目が、来週、放送されます。
題して、「湖に消えた温泉は今」。
みなさんは、上越国境の猿ヶ京温泉 (みなかみ町) って、ご存じですよね。
不思議な地名です。
なぜ、“猿ヶ京” なんていう名前が付いたのでしょうか?
番組は、まず地名の謎から解き明かします。
そして、昭和33(1958)年、赤谷川をせき止められて造られた相俣ダムの完成により、湖底に沈んだ2つの温泉地を追います。
かつてあった温泉宿、「旧四軒」 と呼ばれる老舗旅館は今?
代替地に移転し、現在も営業を続けている宿の主人に話を聞き、当時の貴重な資料を見せていただきました。
そこには、あっと驚く真実の数々が……
乞う、ご期待!
お見逃しなく!
『ぐんま!トリビア図鑑』
温泉王国ぐんま Vol.8
「湖に消えた温泉は今」
●放送局 群馬テレビ (地デジ3ch)
●放送日 2025年3月4日(火) 21:00~21:15
●再放送 3月8日(土) 10:30~ 10日(月) 12:30~
2025年02月27日
完全無敵の村中華
「町中華」 という言葉があるのですから、村にあるのは 「村中華」 と呼んでいいんでしょうね。
町よりも濃密なコミュニティーの中で、昭和の時代から信頼の味を提供し続けている、庶民の台所であります。
今週、県北西部の山村へ行く用事があり、昼過ぎに車を走らせました。
「着くまでに、昼飯を済ませたい」
「できれば町中華で、チャーハンが食べたい」
と、僕は運転しながら数日前のリベンジを考えていました。
(2025年2月24日 「残念な町食堂」 参照)
もうすぐ目的地に着いてしまう!
と、あせりが募る中、街道筋、左前方に 「食堂」 の看板を発見!
しかも、「中華料理」 の文字が!
迷わず、ハンドルを切りました。
まさに昭和のたたずまい。
ハゲかかった看板のペンキの色といい、薄汚れたのれんにも年季を感じます。
これぞ町中華、いや、村中華の王道であります。
まず店内に入って、感動!
床が油で、ペトペトしています。
歩くたびに、音もします。
「これって、うまい店っていう証拠じゃん!」
と、いきなりテンションが上がりました。
店内は、そこそこ混んでいました。
テーブル席は、ほぼいっぱいで、奥の座敷が少し空いているくらい。
一つだけ空いていたテーブル席に腰かけました。
メニューを見て、ビックリ!
今どき、ラーメンが500円。
定食でも800円と、実にリーズナブルです。
もちろん僕は、チャーハン (600円) に決めました。
テーブルにタブレットや呼び出しチャイムなんてありません。
「いらっしゃいませ~」
少し腰の曲がった老婦が、水を持ってきたときに注文しました。
待つこと15分・・・
今度は、老夫が料理を持ってきました。
老夫婦だけで、切り盛りをしているようです。
だから、ちょっと時間はかかるのですね。
でも、これは 「あるある」 ですから、想定内です。
ド~ン!
置かれたチャーハンは、大き目な皿の上にドンブリっちょの米の山。
通常の1.5倍以上はあります。
でも、僕の知っている町中華のチャーハンとは、見た目も色も違います。
これって、いわゆる “焼き飯” っていうやつですよね。
具は、ハムとネギとニンジンとコーンだけ。
てっぺんに、真っ赤な紅ショウガがトッピングされています。
まずは、紅ショウガなしで、ひと口。
「うん、普通にうまい」
この “普通にうまい” というのが、町中華&町食堂の定番なのです。
高級中華料理店のような上品な味ではなく、昔懐かしい庶民の味であることが大事なのであります。
スープが、いい!
ネギが数枚浮いた、ラーメンスープのような。
これまた、ドストライクの昭和の味であります。
さて、満腹になりながらも、なんとか最後の一粒まで食べきりました。
では、会計を……
でも、伝票がありません。
店内を見渡しましたが、レジもありません。
他の客を見ていると、みんな 「ごちそうさま」 と言って、厨房に声をかけています。
各々、自分が食べたモノを言って、お金を渡しています。
誰一人、「カード、使えないの?」 なんて、格好つけている客はいません。
僕も見よう見まねで、常連を気取って、厨房に声をかけました。
「こちそうさまでした」
すると、老夫が顔を出しました。
「チャーハン」
「600円ね」
「はい、ちょうど」
「毎度、ありがとうごさいます」
ほらね、「毎度」 が付きましたよ!
これが昭和の良き食堂の有り方であります。
リベンジ、完了!
S村のK食堂は、完全無敵の村中華でした。
2025年02月26日
マツコさんでもなく、所さんでもなく・・・
昨日の続きです。
県内某施設に、講演の打ち合わせに行った時のこと。
担当の女性職員から突然、こんなことを言われました。
「マツコさんの番組、観ましたよ!」
「マツコ?」
僕は、マツコ・デラックスさんの番組なんて、出ていません。
ははあ~、彼女は勘違いしているんですね。
僕が出演したのは、明石家さんまさんの番組です。
一昨年の秋に、フジテレビの 『ホンマでっか!?TV』 に、「群馬魅力評論家」 として出演しました。
でもね、同じような勘違いをしている人って、いるんですよ。
以前も 「所さんの番組を観ました」 という人がいました。
もちろん、所ジョージさんの番組にも出演はしていません。
なんでなんでしょうね?
マツコさんと所さん、さんまさんというキーワードは、混同しやすいのでしょうか?
ま、話は通じるので、その都度、「さんまさんの番組ですね」 と返しています。
で、ここからが今日の本題です。
その時、彼女から、こんな質問がありました。
「どんな経緯で、番組に出演することになったのですか?」
こんなことを訊かれたのは、初めてです。
僕自身、考えてもみませんでした。
なぜ?
確かに、言われてみれば不思議です。
なぜ、一介の温泉ライターの僕が、群馬を代表して、しかも 「群馬魅力評論家」 という肩書で、スタジオに呼ばれたのでしょうか?
考えれば考えるほど、謎です。
本当のところ、まったく理由は分かりません。
番組のディレクターは、なぜ、僕を選んだのか?
ただ、番組収録後にディレクターから、こんな話を聞きました。
「なかなか小暮さんとは連絡がつかなくて、実は代役を用意していたんです」
なんでも、僕の出演が第一候補だったのですが、連絡の取り方が分からず、方々に打診していたようです。
それでも連絡が取れず、収録日が迫って来たので、他の候補者との連絡も取っていたとのことでした。
で、最初に連絡を受けたのは、僕が温泉大使を務める県内の観光協会からでした。
「フジテレビのディレクターが、至急、連絡を取りたがっています」
という一報でした。
そこからは短期間で、やり取りをし、ギリギリ収録に間に合ったとのことでした。
でも、謎は残りますよね。
なぜ、僕だったのでしょうか?
マツコさんでもなく、所さんでもなく、さんまさんの番組に呼ばれたのか?
永遠の謎となりました。
(ていうか、代役って、誰だったのでしょう?)
2025年02月25日
人気者で行こう!
本当なら今日、ここで講演会の告知をするつもりでした。
でも、それが、できなくなってしまいました。
僕は講演会の日程が決まると、必ず開催の1カ月前には主催者を訪ね、会場の下見と打ち合わせをします。
昨日も、いつも通り、来月に開催される県内の某施設を訪れました。
ところが、開口一番、担当者からこんなことを言われてしまいました。
「すでに、定員以上の申し込みがあります」
えっ、どういうこと?
だって、一般への告知は、これからでしょう?
「ええ、まだ回覧板が回っただけなんですけどね」
と、チラシを渡されました。
それには、こう書かれていました。
<ふるさと歴史講座 受講者募集>
<群馬県内の温泉の歴史と文化>
そして、講師欄には僕の名前があり、こんな文章が添えられていました。
<群馬県内の温泉地の歴史と文化を楽しく学びながら魅力に迫ります。小暮氏によるオリジナル温泉ソングの披露があります。>
なに?
温泉ソングの披露だと?
こんな一文を募集のチラシに入れられたのは、初めてのことです。
確かに、お約束なので、講演の最後には歌を歌います。
でもね、それって、サプライズなんですよね。
これじゃ、ネタバレじゃなですか!
っていうか、それで、あっという間に定員に満ちたということですか?
「チラシ、持ってってください (もう必要ないので?)」
と帰りに、ドッサリと束でいただいてしまいました。
「でも、もう募集は締め切ったんですよね?」
「ええ、でも先生枠ということで、1、2名ならなんとかしますから」
とは、うれしいような、面倒くさいような……
複雑な思いで、家路に着きました。
でもね、うれしいに決まっているじゃありませんか!
苦節16年(?)
そりゃあ~、観客が数人という講演会を何回も経験してきましたもの。
先日のバス講座といい、締め切り前に定員になるなんて、夢のようであります。
もしかして、僕も少しは人気者になったのかもしれませんね。
歳と経験は、重ねてみるものです。
人気者で行こう!
2025年02月24日
残念な町食堂
コテコテの昭和人間ですからね。
僕は、昔ながらの町食堂が大好きです。
特に最近は、チェーン店のタッチパネルでの注文や自動支払機などの無味乾燥な雰囲気に、へきえきしているのであります。
それに比べると、町食堂には人情味があります。
メニュー表や壁のお品書きを見ながら、じっくりと、あれこれ悩みながら注文することができます。
主人や女将さんとの雑談もできるし、常連になれば、から揚げ1個のおまけが付くかもしれません。
もちろん、「ごちそうさま」 と言えば、「ありがとうございました」 と、ちゃんと手渡しで精算をしてくれます。
ん~、これぞ、正しい町食堂の姿であります。
で、昨日、久しぶりに町食堂へ行ってきました。
どれらい久しぶりかというと、2~3年ぶりなんですね。
それは、なぜか?
実は、その食堂は昔からお気に入りで、30年以上前から通っていました。
ところが数年前に、ご主人が亡くなり、息子さんが店を継いだのです。
「どれどれ、ちゃんと先代の味を継いでいるかな~」
と気になり、すぐに偵察に行きました。
もちろん、注文したのは一番人気だったあんかけチャーハン。
ところが……
見た目は変わらないのですが、口に含むと 「?」。
なんか違うんです。
以前に比べると、パンチがないんですね。
一口目に広がる 「この味、この味」 というのが感じられませんでした。
で、その後、足が遠のいてしまったというわけです。
さて、あれから2~3年が経ちました。
息子さんの腕も上達したことでしょう。
味にうるさい常連客らに、叱咤激励され、先代の味に近づいているに違いありません。
ところが……
一口食べて、ガッカリ!
「あれ?」
完全に別物になっていました。
もしかしたら、息子さん流に味をアレンジしたのかもれませんね。
まずチャーハンの味が全然違います。
もっとパラパラしていましたが、今はなんだかシットリとしています。
上にのっているあんの味も、かなりあっさり気味です。
これでは味変を楽しむことができません。
(思わず、しょう油をかけてしまいました)
店は、昭和のままなのですが、何から何まで変わってしまいました。
値段も高くなり、メニューの数も少なくなりました。
息子さんの頑張っている姿は、カウンター越しに見えましたが、先代ほどの愛想は持ち合わせていないようです。
誤解しないでください。
味というのは、あくまでも嗜好なんです。
僕の口が、先代の味を好んでいるだけなんですね。
その証拠に、今でも店は繁盛しています。
息子さんが作り出す、令和の味にもファンがいるわけです。
でも、僕にとっての思い出の味は、もうありません。
時代は変わったんだと、時の流れを感じながら店を出ました。
2025年02月23日
中一の魂 百まで
「ブログ、読んでます」
そう声をかけられることが、多くなりました。
こんなことを言う人もいます。
「よく毎日、書けますね」
「ネタは尽きないのですか?」
思えば、なんだかんだと16年間もブログを書き続けています。
でも毎日ではありません。
ほぼほぼ毎日です。
ネタですか?
大したことは書いてませんからね。
日々凡々と、徒然なるままに、したためているだけです。
でも、なぜ、続いているのか? という問いには答えられます。
それは、“習慣” だからです。
朝起きたら、歯を磨いて、朝食を食べて、コーヒーを飲むように、ルーティンの内の一つなのです。
また、そうなるように “クセ” が付いているのです。
でも、それは、自ら欲して付いた “クセ” ではありません。
半強制的に、叩き込まれたものです。
しかも、脳の成長期にでした。
中学一年のときの担任が、国語の教師でした。
その先生は、ある日突然、クラス全員にノートを配りました。
「今日から毎日、これに、その日あった出来事や感じたことを書いてください」
いわゆる日記の強制です。
しかも毎日、朝提出して、帰りの時間に返却されるというシステムで、必ず赤ペンで先生の感想が記入されていました。
今思えば、書くほうも大変ですが、先生も重労働だったと思います。
だって当時は1クラス、40人もいましたからね。
その全員の日記を、帰りまでに目を通して、感想まで書いていたのです。
でもね、日記を書くという作業には、向き不向きがあるわけです。
当然、提出しない人もいます。
すると、先生のカミナリが落ちるわけです。
「書くことが何もないとは、何ごとだ! 一日生きていて、何もないのか? 何も感じないのか?」
まさに鬼の形相で、叱咤されました。
たぶん、この時に “書く” という クセが叩き込まれ、その後の人生も習慣として身についてしまったのだと思います。
だって僕は、その後40年間、大人になっても日記を書き続けましたもの。
で、このブログの開設を境に、日記を廃止しました。
これがブログを書き続けている理由です。
さ、ルーティンが一つ、終わりましたよ。
今日も一日、一生懸命生きましょうね!
でないと、先生に怒られますよ。
「何もない一日なんて、ないんだよ!」
ってね。
2025年02月22日
なぜ今、国定忠治なのか?
「赤城の山も今宵限り。生まれ故郷の国定の村を捨て、縄張りを捨て、国を捨て、かわわいい子分のてめえ達とも別れ別れになる門出だ」
この名ゼリフを聞いて、すぐに国定忠治だと分かる人は、年配の人なんでしょうね。
若い人に訊いても、知らない人が多いと思います。
でもね、数十年前のことですが、「群馬の有名人は?」 というアンケートで、ダントツ1位だったほどのスターだったのです。
まあ、かなり訳アリのダーティーヒーローですけどね。
その国定忠治が、なんと! 紙芝居になって帰ってきます!
平成17(2005)年、群馬県伊勢崎市は “平成の大合併” により、隣接する赤堀町、東村、境町と合併し、新伊勢崎市が誕生しました。
今年が新伊勢崎市誕生から、ちょうど20年になります。
これを祝い、伊勢崎市では “新伊勢崎市” の誕生20周年記念事業の一環として、オリジナル紙芝居の口演を行うことになりました。
その主役が、国定忠治なのであります。
国定忠治こと、本名:長岡忠次郎。
文化7(1810)年、上野国佐位郡国定村 (旧・佐波郡東村、現・伊勢崎市) に生まれました。
17歳の時に賭博でのけんかがもとで人を殺めたと伝わり、上州を逃れて、川越 (埼玉県) の大親分、大前田英五郎や百々(どうどう)村 (旧・境町、現・伊勢崎市) の博徒、紋次親分 (木枯し紋次郎のモデルといわれている) の世話になりながら、やがて何百という子分を従える国定一家の親分となります。
その後の武勇伝や波瀾万丈の人生は、講談、文学、演劇、映画、歌謡にもなり、誰もが知ることとなります。
その新伊勢崎市が生んだスーパーダーティーヒーロー、国定忠治が紙芝居になり、市内5会場で口演されます。
ぜひ、お出かけください!
初披露! 「国定忠治」 紙芝居口演
●3月15日(土) 忠治茶屋本舗 11:00~ 14:00~
●3月16日(日) 伊勢崎神社 13:30~
●3月20日(木) 境赤レンガ倉庫 14:00~ 15:00~
●3月22日(土) スマーク伊勢崎 (3Fスマークホール) 11:00~ 14:00~
●3月23日(日) 赤堀公民館 11:00~ 13:00~
口演/石原之壽 (上毛だがしや楽校 校長)
主催/上毛だがしや楽校
問合/公式Facebook 上毛だがしや楽校 jyoumoudagashiya@gmail.com
※僕もこのプロジェクトに監修役として参加しています。
2025年02月21日
必殺技! 酔眼二刀流
個人事業主およびフリーランスのみなさ~ん!
確定申告は、お済みですか?
僕は現在、鋭意進行中です。
フリーランスになり、確定申告をするのも今年で30回目になります。
まあ、慣れていると言えば慣れているんですけどね。
でもね、毎年、イ~ヤな思いをするんですよ。
いわば確定申告は、「大人の通知表」 ですからね。
子どもの頃にもらった通知表は先生が書きましたが、「大人の通知表」 は自分で書くんです。
これが、ツライ!
だって、きっちり数字で現実を突きつけられるんですからね。
「あれ、もっと売り上げなかったっけ?」 「なにか見落としてないかな?」 「あれ~、あの時の領収書はどこだろう?」
なんて、毎回、てんやわんやの大騒ぎをしています。
ところが今年は30年目にして、必殺技を生み出しました。
いつもの年なら今頃は終えているんですけどね。
今年は、なんだかんだと忙しくて、確定申告に当てる時間が取れないでいました。
「このままでは、期間中に終わらないぞ!」
と、慌てた僕は、名案を思い付きました。
そう、酒を呑んでいる時間を使えばいい!
だからといって、酒を呑まずに素面(しらふ)で行ったら、酒を呑む時間がなくなってしまいます。
ならば、2つ同時に、やっちゃおう!
ということで毎晩、晩酌の友に電卓を叩いています。
ま~、これが、はかどること、はかどること!
酒も進むし、計算も進むのです。
ついに僕は、必殺技を生み出したのであります。
題して、“酔眼二刀流”。
その甲斐あり、収入と支出の計算は、すべて終わりました。
あとは、記入するのみです。
この作業だけは、素面のときに行いたいと思います。
我ながら、うまい手を考えたと悦に浸っています。
2025年02月20日
夢をあきらめきれない君へ
30歳というのは、夢のターニングポイントなのかもしれません。
役者や芸人の卵が、「30歳までやって芽が出なかったら、スッパリとあきらめて故郷に帰るよ」 などと言うセリフを、よく聞きます。
かくいう僕も、30歳を境に第一志望の夢に見切りをつけて、現在の仕事の出発点となる編集の世界に飛び込みました。
先日、20代後半の女性と話をする機会がありました。
彼女は、この3月で会社を退職して、単身、東京へ行くと言います。
「なんで、また今になって?」
僕から見ると、今の仕事でも十分に輝いて見える女性です。
新卒で入社し、ある意味、花形の仕事を手に入れました。
なのに、なぜ、今になって……
彼女には10代の頃から夢に見続けていた世界がありました。
それは、“声” の仕事。
学生時代は放送部や演劇部に所属し、“声” で表現する楽しさを知ったといいます。
「やっぱり、あの頃の夢を捨てきれませんでした」
と30歳を前に、再度挑戦することを決意しました。
「まだ、そんな私を雇ってくれる所があったんです」
と、嬉々と話す彼女。
声優やナレーションの仕事を専門に扱う、東京の芸能事務所に所属することになったといいます。
「すごいじゃないか!」
「ありがとうございます」
「応援しているよ」
「がんばります!」
彼女の瞳は、いつも以上にキラキラと輝いていました。
僕は30歳手前で挫折をしてしまったけど、彼女なら大丈夫。
うまくやるさ!
ガンバレー!
目いっぱいのエールを送りました。
2025年02月19日
便利もいいけど不便もね
<“不便” は、とても面倒臭いものだ。不便は人が手を一生懸命かけてあげないと、なかなか伝わらないものだ。だからコミュニケーションが必要になる。その逆で、便利に慣れてしまうと、人は手を抜くことをいつも考えるようになるだろう。>
(拙著 『上毛カルテ』 より)
最近、やたらとテレビで昭和の映像が流れます。
昔のCMや歌謡番組、ドラマ、ニュース映像など、昭和を知る者には懐かしく、知らない若者には驚きの映像に映るらしい。
世代間のギャップは、今やトレンドなのかもしれません。
昨年の流行語大賞が 「ふてほど」 に決まったこともあり、昭和ブームに拍車がかかっています。
阿部サダヲ主演のテレビドラマ 『不適切にもほどがある!』。
昭和から令和の世にタイムスリップする中年男の話でした。
でもね、このときに思ったんです。
タイムスリップして来る時代が、微妙だなと。
だって昭和って、長いんですよね。
大きく分ければ、戦前・戦中・戦後とあり、さらに高度経済成長期からバブル期と60年以上の隔たりがあります。
昭和からタイムトリップする小説やドラマは、以前にもたくさんありました。
でも戦前や戦中、戦後なんですよ。
今回、「ふてほど」 が取り上げた時代は、1980年代なんです。
僕ら世代にしては、ついこの間のことで、そんなに古さは感じないんですよ。
たぶん、脚本家の宮藤官九郎さんは、その微妙な “世代感” を描きたかったんだと思います。
で、冒頭の文章です。
僕が、このエッセイ本を出版したのは平成9(1997)年です。
でも収録されているエッセイは、それより以前に雑誌に連載されたものです。
たとえば冒頭の文章は、出版される6年前の掲載です。
平成3(1991)年です。
「ふてほど」 の時代と10年ほどしか変わりません。
当時は、スマホはおろかケータイ電話もない時代です。
パソコンも普及していませんでした。
(ファックスはありました)
では、なぜ僕は、このような文章を書いたのでしょうか?
コンビニやスーパー、ファミレスなど、すでに “手を抜く暮らし” が始まっていたからだと思います。
今と比べれば平成の世も、かなり不便だったと思います。
でも限りない物、それは欲望です。
“便利” という欲望は、こんだけ便利になった世の中でさえ、限りがないのですね。
だからといって、今となっては、もう平成の暮らしにさえ戻れません。
でも……
「戻ってもいいかな」 と思える不便の限界が、「ふてほど」 に描かれていた昭和後期なのかもしれませんね。
誰も戦前や戦中に戻ってみたいとは、思わないでしょう。
あなたは、いつの時代に戻ってみたいですか?
2025年02月18日
惚れてまうやろ!
毎週火曜日午後9時~放送中の群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』。
僕は、この番組のスーパーバイザー (監修人) を放送開始の2015年4月からしています。
早いもので丸10年が過ぎようとしています。
回数も、今夜の放送で397回を数えます。
思わぬ長寿番組になりました。
これもひとえに、スポンサーと熱烈な視聴者のおかげと、感謝を申し上げます。
さて、僕はスパーバイザーなので企画会議には出席していますが、直接、番組の制作にはタッチしていません。
が、ときどきリポーターとして、テレビの画面にも顔を出します。
はい、温泉や民話がテーマの回です。
で、今回も1年ぶりに、登場することになりました。
シリーズ 「温泉王国ぐんま」。
このシリーズも今回で8回目になりました。
トリビア図鑑ですからね、ただ温泉を紹介する旅番組ではありません。
毎回、温泉地に眠っている知られざる謎や不思議にスポットを当てて、僕がリポーターとして真相を解明しています。
さて今回は?
「湖に消えた温泉は今」 と題して、みなかみ町の赤谷湖の湖底に沈んだ2つの温泉地、4軒の旅館の “今” を探ります。
今までですと、僕が一人でリポートをするんですけどね。
昨日早朝、ロケ車の待つ集合場所へ行くと……
なななんと! 若くてキュートな女性がいるじゃ~、あ~りませんか!
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
と、あいさつをしてくれたのは、群馬テレビ入社6年の中村柚貴子アナウンサーではありませんか!
か、か、可愛い!
そして、若い!
親子ほども年の離れたリーポートコンビの誕生です。
(実は、親子以上に歳の差はありました)
まずは、テレビ局前でオープニングの撮影開始。
小暮 「さあ、始まりました。ぐんま!トリビア図鑑の温泉シリーズです。今回もアッと驚く温泉地に行きたいと思います」
<中村アナ登場>
中村 「すみませ~ん!」
小暮 「はい?」
中村 「あ、こんにちは~! 群馬テレビの中村といいます」
小暮 「よろしくお願いします」
中村 「温泉に詳しいことで有名な小暮さんですよね?」
小暮 「あ、あ、はい…(照れる)」
中村 「久しぶりに群馬の温泉に行きたいな~なんて思っていたんですよ。小暮さん、どこかいい温泉に連れてってくれませんか?」
とかなんとか、かなり無理のある台本通りの会話でスタート。
そして、ロケ班一行は、一路、雪の舞う北の温泉地へ向かいました。
それにしても、若いって素晴らしいですね。
一緒にいて、こっちまで元気が出てきました。
なによりも一人じゃないって、こんなに楽しいロケになるんですね。
年甲斐もなく、ルンルンして、スキップまでしてしまいましたとさ。
惚れてまうやろ―――――っ!!!!
※放送は3月4日(火) 21時~です。お楽しみに!
2025年02月16日
当たるも八卦
この数年で、同級生たちが次々とリタイアして行く姿を見てきました。
60歳でスパッと会社や辞めて、夢を抱きながらセカンドライフへとスムーズに移行した者もいますが、それはごく一部です。
ほとんどの人が、再雇用、再々雇用を希望して、会社にしがみついているのが現状です。
でも、それも、いよいよ年齢的に限界で、任期満了を迎えます。
彼らを待っているのは、長い長い悠々自適なる余生です。
ま、フリーランスで生きている僕にしてみれば、別世界の話であります。
うらやましいような気もしますが、哀れなような気もします。
どちらの人生も、自分で選んだ人生なのです。
お互い、きちっと、落とし前を付けようじゃありませんか!
その、落とし前ですが、僕は、ある呪縛に導かれて、この歳まで、この人生を続けてきました。
その呪縛とは?
今から40年ほど前のこと。
20代に、恐ろしいほど良く当たるという占い師に、人生を占ってもらったことがありました。
すると占い師は、僕に3つの事柄を告げました。
①一生、お金には縁がない
②人には恵まれる
まさに、この2点については、ドンピシャ、その通りの人生が続いています。
20代、30代、40代、50代、そして今でも、金に苦労し、人に助けられることの繰り返しです。
でも、それが自分らしい生き方だと、受け入れています。
さて、占い師が言った3つ目の事柄が、いまだ不明なのであります。
③信念を持って続けていることが、40歳を境に全国へ伝播する
40歳を迎えた年から僕は、この呪縛を逆手にとって、自分に暗示をかけるようになりました。
「信念を持て」 「信念を持て」 「信念を持て」 ・・・
その結果、いくつもの本を出版することができました。
そして、それに付随して、講演会や大使の任命、テレビやラジオの出演など、予期せぬ人生が転がり込みました。
でも、腑に落ちません。
なにかが、違うのです。
占い師が僕に伝えようとしたことは、そういうことでは無いような気がするのです。
たぶん、まだ人生半ばなのですね。
精進が足りないということです。
これからが人生の正念場のようです。
きちんと、落とし前を付けたいと思います。
八卦を信じて……
2025年02月14日
160万世代の逆襲
<九九の掛け算と同様、脳の発達過程に叩き込まれたものは、大人になっても忘れない。一度覚えたら最後、“群馬県民の証” として潜在意識の中に烙印(?)を押されてしまう。
事実、日本地図の中で群馬を指さして 「つる舞う形の群馬県」 と思わず叫んでしまったり、下仁田町が話題にのぼると 「ねぎとこんにゃく下仁田名産」 などと口をついて出てしまう人が多い。県内で、しかも県民同士での会話なら、和気あいあいでそれもよい。しかし県外でこれをやってしまうと、これはもう踏み絵以外のなにものでもなく、方言以上の違和感を相手に与えてしまいかねない。>
(拙著 『上毛カルテ』 より)
昨年11~12月、群馬県が 「上毛かるた」 に関するアンケートを実施しました。
結果、「読み札を半分以上暗唱できる」 と答えた県民の割合は、50.5%だったことが判明。
ちなみに年代別では、50代=56.1%、60代=53.7%、20代=45.1%、30代=42.8%でした。
さらに、「すべて言える」 は18.5%、「ほとんど言える」 は19.2%、「半分程度言える」 は12.8%でした。
「すべて」 と 「ほとんど」 を合わせても、37.7%だったことが分かります。
この結果に対して、山本知事は 「上毛かるたは群馬県民の重要なアイデンティティー。危機感がある」 と表明。
さっそく群馬県は、県民の 「上毛かるた離れ」 を防ぐため、4月から 「やるぞ!パズるぞ!上毛かるたプロジェクト」 を開始することを発表。
各地で親子大会を開催し、放課後児童クラブにかるたを配布するそうです。
なぜ知事は、こんなにムキになってまでプロジェクトを推進するのでしょうか?
たぶん、僕と同世代だからだと思います。
いわゆる 「160万世代」 なのであります。
「上毛かるた」 の中で、唯一読み札が変わり続けた札 「力あわせる○○万」。
これは群馬県の人口を表しています。
僕ら昭和30年代生まれは、「力あわせる160万」 で育ちました。
この札は、昭和22(1947)年の初版から同48(1973)年の改変まで、26年間続きました。
その後、170万、180万、190万、200万と推移し、現在は190万に戻っています。
さて、もう、お気づきですよね!
もっとも暗唱率が高い60代、50代が 「上毛かるた」 で育った時代は、「力あわせる160万」 だったということ。
そして当時は、まるで九九を覚えるごとく、徹底的に暗唱をさせられました。
その強制的な特訓を強いられたおかげで、僕は今でも全44枚の札を暗唱することができるのです!
(加齢のせいで、ときどきド忘れはしますが)
おそるべし、160万世代!
ちょっと時代には、そぐわないような気もしますが、知事と同世代としては、プロジェクト実施の気持ちは、よーく分かります。
「上毛かるた」 よ、永遠なれ~!
2025年02月13日
26年目突入! 最長連載記録更新中
<タカタイのクイズを毎週楽しみにし、少しでも頭の体操をと思い頑張っています。四字熟語は解けないこともたびたびありますが、良い勉強になります。>
(貝沢町 Tさん 88歳)
<「金曜日はタカタイのクイズの日」 と決めて、朝から問題に取りかかるのが習慣です。(中略) 二字熟語や四字熟語もたくさん知ることができ、脳トレになっています。今後も良い問題をどうぞよろしくお願いします。>
(箕郷町 Hさん 74歳)
第1回目の掲載が2000年2月6日ですから、先週で満25年が過ぎました。
四半世紀にわたる僕史上最長の連載記録を更新しました。
いよいよ今週から26年目という新記録に挑戦します。
僕は、上毛新聞社高崎支社が発行している週刊紙 『タカタイ (高崎タイムス) 』 に、二字熟語と四字熟語のパズルを連載しています。
早いもので、気が付いたら25年も続いているんですね。
投稿したパズルの数を数えてみたら……
なななんと!
今週で、1,151回になります。
その数に、制作者の僕も驚いています。
では、なぜに、そんなにも長期にわたり、連載が続いているのか?
その答えが、冒頭に記した読者からのお便りです。
毎週 「読者の声」 というページには、たくさんの読者からの声が寄せられます。
その中に、時々ですが、僕が作っているパズルへの感想が載っているんですね。
これが、一番の励みになります。
正直言って、毎週の連載ですからね。
ネタに詰まったり、パズルがなかなか作れなかったりと、七転八倒する時もあります。
でも、そんな時に、読者からの声が届くと、「よし、もっと面白いパズルを作ってやれ!」 と、エンジンがかかるんですね。
まさに、読者様は神様なのであります。
高崎市民のみなさん!
これからも 「スタジオJ」 (出題ネーム) の 「熟語クイズ」 を末永く、よろしくお願いいたします。
2025年02月12日
今夜、生放送!
一年なんて、あっという間ですね。
早くも11回目の放送となります。
昨年4月から出演しているエフエム群馬のニュース番組 「news ONE」。
僕は毎月第2水曜日の 「VOICE(ボイス)」 というコーナーで、温泉の話をしています。
今までには、こんなテーマで、お話ししました。
4月 「4つある日本三美人湯」
5月 「温泉発見伝説 御三家」
6月 「ぬる湯の楽しみ方」
7月 「色を楽しむ “変わり湯”」
8月 「動物発見伝説の温泉」
9月 「太宰治ゆかりのの温泉宿」
10月 「消えたガラメキ温泉」
11月 「ヒートショックに御用心!」
12月 「冬にあたたまる “塩” の付く温泉」
1月 「熱いぞ! 火山性温泉」
さて、今月のテーマは?
はい、今年の干支 「巳」 にちなんで、「大蛇が発見した老神温泉」 と題して、お話をさせていただきます。
「ろうじんおんせん」 じゃありませんよ!
「おいがみ」 です。
では、なぜ、「老いる神」 という名が付いたのでしょうか?
その由来となる伝説を紐解きながら、老神温泉の数奇な歴史を追いたいと思います。
今夜、6時37分頃からです。
ぜひ、お聴きください!
■放送日 2月12日(水) 18:37 頃~
■放送局 FM GUNMA (86.3MHz)
■番組名 『news ONE』 月~水 18:00~18:55
■出演者 岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)
2025年02月11日
あなたは生まれ変わりを信じますか?
不思議な体験をしました。
連載をしているフリーペーパーの発行元から、電話がありました。
「小暮さんに、お会いしたいという読者から連絡があったんですけど……、どうしますか?」
「どうしますか?」 と言われても、通常、この手の問い合わせに対して僕は、お断りしています。
「どうしても」 と言われれば、「講演やイベント会場で声をかけてください」 と言うしかありません。
ところが担当者は、おかしなことを言い出したのです。
「その方は、○○姫の生まれ変わりで、小暮さんが書いた記事を読んで、何がなんでも会って伝えたいことがあると言うのです」
なに? 生まれ変わりだ?
そんなアホな?
僕が記事にした伝説は、400年以上も昔の戦国時代の話です。
とある富豪の娘が、ある日突然、下男下女を従えて山に登り、湖に入水し、竜になるという話です。
「どうしますか?」
「・・・」
「気になりませんか?」
「まあ……」
「これって、話の内容によっては、続編が書けませんかね?」
「まあ、そんなこともあるかもしれないね」
「会ってみますか?」
ということで、条件付きで会うことにしました。
2月某日。
発行元の事務所にて、担当者立会いのもと、読者と名乗る女性とお会いしました。
一人で来るのかと思いきや、連れの女性がいました。
素性を訊くと、姫の腰元 (侍女) だと言います。
「私たちは前世で会っていました」
ギェッ!
伝説の姫と、その姫に仕えた腰元が、時空を超えて令和の世で、再会したというのです。
おお、これは、リアル 「バック・ツゥー・ザ・フューチャー」 ではありませんか!
僕は、とんでもないスピリチュアルな世界に迷い込んでしまったようです。
「で、何をお話すれば良いのでしょうか?」
僕が恐る恐る訊くと、
「いえ、私どものことを、あのような記事にしていただき、感謝を申し上げに参りました」
とのこと。
そして、さらに、伝説では語られていない、当の本人たちでなければ知り得ない事実(?)の数々を話してくれました。
僕はただただ、「へー」 とか 「ホー」 とか、合いの手のような返事をくり返すばかり。
隣りを見れば、同席した担当者も目を白黒させています。
1時間半ほどの対談(?)を終えて、姫と腰元は駕籠(かご)に乗って、イヤ、軽自動車に乗って帰って行かれました。
人はみな、誰かの生まれ変わりだといいます。
僕は、誰の生まれ変わりなのでしょうか?
誰の生まれ変わりにしろ、まずは、この現世を全うすることを考えたいと思います。
腰元さ~ん!
現世でも姫をお守りくださいね。
2025年02月10日
トロトロもつ煮に、萌え~!
昨年、我が家の近くにラーメン店がオープンしました。
いわゆる今はやりの背脂ギトギトのコテコテ濃厚ラーメンです。
オープンしたての頃、物の試しに入りましたが、案の定、胃もたれをしてしまいました。
「もう二度と来ないだろうな」
と、その時は思ったのですが、店を出てから看板のメニューを見て、気になってしまいました。
なんだろう? 「もつ煮めし」 って?
群馬県民にとって、もつ煮は、スーパーソウルフードであります。
飯のおかずに好し、酒のあてに好し!
もちろん僕も大好きです。
でもね、最近はテレビなどでも取り上げられたからでしょうか?
たかが 「もつ煮」 なのに、行列ができる店もあります。
渋川市のNとか、伊勢崎市のHとか、他県からも大勢やって来るようですが、「もつ煮」 って、そういう食べ物じゃないと思うんです。
もっと庶民的で身近な食べ物です。
だもの僕は、並んでまでは食べません。
で、数カ月後、意を決して、もう一度、あのギトギトラーメン店ののれんをくぐりました。
迷わず、「もつ煮めし」 を注文!
出てきた 「もつ煮めし」 は、お膳にのった普通の定食でした。
もつ煮の丼を中心に、ごはんと漬物と豆腐が添えられた、いたってシンプルな見た目。
もつ煮の味付けも、みそ仕立てです。
ところが、一口食べて、一瞬にして、とりこになってしまいました!
だってだって、もつがトロトロなんです。
見た感じ、普通にプルプルしたもつなんです。
箸でつまんでも、プルプルしています。
なのに、口の中に入れた途端、舌の上でとろけました。
実は僕、差し歯が気になって、硬い物や粘着性のある食べ物が苦手なんです。
だから、もつ煮は好きなのですが、いつまでも口の中で嚙み切れずに、クチャクチャしているのがイヤで、もつ煮に対しては敏感で、臆病になっていました。
ところが、やっと遇えました!
歯のいらない、トロトロなもつ煮に!
ラーメン屋なのにね、よくぞ、もつ煮をメニューに入れてくれました。
しかも店員さんは、全員若い女性なんですよ!
このミスマッチも、萌え~! であります。
もつ煮好きのみなさ~ん!
一度食べてみてください。
※ 「A」 という店で、高崎にもあるそうです。
2025年02月09日
寒波襲来! 豪雪の秘湯へ
朝、目覚めると、カーテンの隙間から陽の光が……
「よし、今日はいい日になりそうだ!」
と思ったのも束の間。
北の窓を開けると!
なんと、見えるはずのものが見えません。
赤城山です。
真っ白な雪雲に覆われています。
脳裏に、暗雲が立ち込めました。
「もしかして……」
天気予報では、数年に一度の大寒波が日本列島を覆っていると伝えていました。
よりによって、この日にやって来るとは……
案の定、バスが出発する頃には、前橋市内にも風花が舞い出しました。
昨日、僕は群馬県立歴史博物館 「友の会」 主催による出前講座 『温泉ライターと行く 法師温泉』 の講師として、バスに乗り込みました。
おかげさまで一人のキャンセルもなく、満員御礼。
定時に出発。
バスは前橋インターより関越自動車を北に向かいました。
でも嫌な予感は、すぐに的中しました。
渋川市を過ぎると、あたり一面、真っ白な雪景色です。
ノロノロ走行が、しばらく続くと、後方からサイレンの音が!
3台も続けて、緊急車両がバスを追い抜いて行きました。
やがて、走行車線も追い抜き車線も完全に止まってしまいました。
大渋滞が発生。
乗客もドライバーにも、あせりが募ります。
ノロノロ走行の末、沼田インターで片品方面の車両が下りたようで、ここからはスムーズに走りました。
が、雪の降り方は、半端ありません。
所々で、ホワイトアウトが発生!
そのたびに、ヒヤリと肝を冷やしました。
予定より1時間半遅れて、なんとか目的地の法師温泉 「長寿館」 (みなかみ町) に到着。
相変わらず、雪は深々と降り続けています。
今回、参加者の半数以上の方が、法師温泉を訪ねるのは初めてだといいます。
僕でさえ、何十回と訪れていますが、これほどの積雪は初体験です。
「みなさん、こんな幻想的な法師温泉を体験できることは、滅多にありません。一生の思い出になると思いますよ」
バスを降りる時、僕は、そう話しました。
“災い転じて福となす”
こんな幻想的な法師温泉は、僕も見たことがありませんでした。
ところが……
転じて福となしたツアーは、一転、ドン底へ!
夕刻、宿を出て、月夜野インターへと向かう途中のこと。
すでに渋滞は始まっていましたが、雪のための自然渋滞だと思っていたのですが……
すると、ドライバーさんが突然、マイクを取りました。
「高速道路は雪のため、閉鎖されました。下道で帰ります」
それからのことは、ご想像にお任せします。
僕は、乗客が飽きないようにとマイクを取り、講義を続けました。
結果、4時間以上をかけて、無事に高崎と前橋に帰ってきました。
参加者の皆さん、大変お疲れさまでした。
これに懲りずに、来年度も、ご参加ください。
そして、ドライバーさん!
機転の利いた判断により、何度もコース変更をしながら安全に送り届けてくれて、ありがとうございます。
思い出深い、豪雪の秘湯旅となりました。
2025年02月07日
国民年金じゃダメですか?
これもカスハラというのでしょうか?
店員に説教をしているジイサンがいました。
某丼チェーンでのこと。
昼飯を済ませ、レジへ行くと、高齢男性が若い男性店員に、とつとつと話しかけていました。
「アルバイト?」
「はい」
「なんで就職しないの?」
「・・・」
「親は心配していると思うな」
「・・・」
「何か、やりたいことがあるの?」
「ええ」
「夢を追うのもいいけどさ、あとで後悔するよ」
「・・・」
「国民年金じゃ、生活できないんだから」
「・・・」
「今から、ちゃんと老後のことを考えたほうがいいって」
会話を聞いていた僕は、自分のことを言われているのかと思い、ドキッとしてしまいました。
このジイサンも国民年金生活者なのだろうか?
自分の実体験から、若者に対して助言をしているのでしょうか?
「いいね、ちゃんと将来のことを考えるんだよ。ハイ、ごちそうさま」
最後は、そう言って、店を出て行きました。
店員の顔には、しっかりと 「大きなお世話」 と書かれていました。
それにしても、おせっかいな説教ジジイであります。
未来ある若者に対して、夢も希望もない言葉のオンパレード。
若き日の僕ならば、「うるせい! ジジイ! おめえのようなジジイが、この国をダメにしたんだよ!」 と言い返していたかもしれませんね。
国民年金のどこが悪いのでしょうか?
お金を持っていないことの、どこがいけないのでしょうか?
悠々自適な老後を送ることが、人生の最終目的なのでしょうか?
僕には分かりません。
きっと、あのジイサンは、自分の人生が嫌いなんでしょうね。
自分の人生を愛せない人は、他人の人生を否定することしかできないのですね。
“人のふり見て我がふり直せ”
ああいうジイサンにだけは、なりたくないものです。
2025年02月06日
やっぱり他県民も 「温泉といえば群馬」 だと思っているらしい
今年は、なんだか、いつもと様子が違います。
何のことかって?
ええ、講演会の依頼です。
僕の場合、群馬の温泉限定で話をしているので、ほぼほぼ依頼主は群馬県内の自治体からなんです。
まあ、数年に1回くらい県外からの依頼もありますが、ほとんどが企業からでした。
ところが……
昨年内から県内での講演依頼は、いくつか入っていたのですが、年が明けてから異変が起こりました。
なんと、立て続けに県外からの依頼が2件も入ったのです。
しかも、自治体と団体からです。
さて、困りました。
何をお話しすれば良いのでしょうか?
でもね、心配は無用のようです。
以前から僕は、言ってますよね。
「群馬といえば温泉」 なのではなく、「温泉といえば群馬」 なのだと!
実際、講演した県外企業からは、直接 「温泉といえば群馬じゃないですか! ぜひ、群馬の温泉の話を聞かせてください」 との声をいただきました。
講演内容の打ち合わせは、これからなのですが、たぶん今回も 「温泉といえば群馬」 という理由で、僕に依頼が来たのだと思います。
群馬県民のみなさ~ん!
もっともっと自信をもって大丈夫ですよ!
胸を張って、自慢してください。
「温泉といえば群馬」 だって!