2025年02月19日
便利もいいけど不便もね
<“不便” は、とても面倒臭いものだ。不便は人が手を一生懸命かけてあげないと、なかなか伝わらないものだ。だからコミュニケーションが必要になる。その逆で、便利に慣れてしまうと、人は手を抜くことをいつも考えるようになるだろう。>
(拙著 『上毛カルテ』 より)
最近、やたらとテレビで昭和の映像が流れます。
昔のCMや歌謡番組、ドラマ、ニュース映像など、昭和を知る者には懐かしく、知らない若者には驚きの映像に映るらしい。
世代間のギャップは、今やトレンドなのかもしれません。
昨年の流行語大賞が 「ふてほど」 に決まったこともあり、昭和ブームに拍車がかかっています。
阿部サダヲ主演のテレビドラマ 『不適切にもほどがある!』。
昭和から令和の世にタイムスリップする中年男の話でした。
でもね、このときに思ったんです。
タイムスリップして来る時代が、微妙だなと。
だって昭和って、長いんですよね。
大きく分ければ、戦前・戦中・戦後とあり、さらに高度経済成長期からバブル期と60年以上の隔たりがあります。
昭和からタイムトリップする小説やドラマは、以前にもたくさんありました。
でも戦前や戦中、戦後なんですよ。
今回、「ふてほど」 が取り上げた時代は、1980年代なんです。
僕ら世代にしては、ついこの間のことで、そんなに古さは感じないんですよ。
たぶん、脚本家の宮藤官九郎さんは、その微妙な “世代感” を描きたかったんだと思います。
で、冒頭の文章です。
僕が、このエッセイ本を出版したのは平成9(1997)年です。
でも収録されているエッセイは、それより以前に雑誌に連載されたものです。
たとえば冒頭の文章は、出版される6年前の掲載です。
平成3(1991)年です。
「ふてほど」 の時代と10年ほどしか変わりません。
当時は、スマホはおろかケータイ電話もない時代です。
パソコンも普及していませんでした。
(ファックスはありました)
では、なぜ僕は、このような文章を書いたのでしょうか?
コンビニやスーパー、ファミレスなど、すでに “手を抜く暮らし” が始まっていたからだと思います。
今と比べれば平成の世も、かなり不便だったと思います。
でも限りない物、それは欲望です。
“便利” という欲望は、こんだけ便利になった世の中でさえ、限りがないのですね。
だからといって、今となっては、もう平成の暮らしにさえ戻れません。
でも……
「戻ってもいいかな」 と思える不便の限界が、「ふてほど」 に描かれていた昭和後期なのかもしれませんね。
誰も戦前や戦中に戻ってみたいとは、思わないでしょう。
あなたは、いつの時代に戻ってみたいですか?
Posted by 小暮 淳 at 11:09│Comments(0)
│つれづれ