2022年07月31日
三途の選択
「三途の川」 といえば、死者があの世へ行くときに渡るといわれている川の名前です。
では、“三途” とは?
三途は、3つの渡河方法のことです。
善人は金銀七宝で造られた橋を渡り、軽罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重罪人は強深瀬または江深淵と呼ばれる難所を渡るとされています。
生前の行いが、死後の世界を分けるという仏教の教えに由来しているようであります。
最近、僕は、つくづく 「生前中にも三途の川があるのでは?」 と思うようになりました。
先日、いつもの居酒屋のカウンターで、酒を呑んでいた時のことです。
初めて同席した年配の男性に、話しかけられました。
「私は60年間、人生を無駄に過ごしました」
見た目、僕よりは人生の先輩のようであります。
そして聞けば、平凡ながら立派に定年の日まで勤め上げ、現在は悠々自適の生活を送っているといいます。
僕からすれば、順風満帆の人生を送っている、ごく普通の人に見えました。
ところが彼は、「人生をやり直したい」 とまで言い切ったのです。
もし僕も勤め人なら、今は定年退職し、第2の人生を送っていることでしょう。
ところが、どっこい問屋が卸しません。
貧乏ヒマなしのアウトロー生活が続いています。
まわりを見渡すと、同級生たちの人生も千差万別であります。
すっぱりと定年で会社を辞めて、以前からやりたかった新しい仕事を始めた人もいれば、そのまま再雇用の道を選んだ人もいます。
と思えば、前述の男性のように、悠々自適ながら 「自分は何をしたかったのか?」 「何をしたいのか?」 それが見つからずに、過去と現在の自分を完全に否定している人もいます。
まさに、“三途の選択” であります。
“還暦川” を渡るには、3つの選択を余儀なくされます。
① 現行維持
➁ 新たな人生
③ 余生
どの選択が一番幸せなのか?
それは、人それぞれです。
仕方なく①を続ける人、思い切って➁にチャレンジする人、のんびりと➂を過ごす人……
もちろん僕は、①の選択しかありませんでした。
でも救いは、他人に決められた渡河方法ではないということです。
自分で選んだ道だもの。
納得するまで、自力で泳いで渡りますよ!
2022年07月30日
『ぐんま温泉かるた』 決起集会のお知らせ
関係各位 様
すでに申し込みをいただいた方もおりますが、このたび、当NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 では 『ぐんま温泉かるた』 の発行に向けて、下記の日程で決起集会を開催することになりました。
※(経緯については、当ブログの2022年7月22日 「いよいよ発行!『ぐんま温泉かるた』 参照)
群馬県は、言わずと知れた温泉大国です。
そして、「上毛かるた」 で知られる、かるた大国でもあります。
なのに!
群馬に、“温泉かるた” がないのは何事じゃ~!
ということで、温泉とかるたが合体した 『ぐんま温泉かるた』 の制作に踏み切りました。
構想7年、制作3年。
決起集会では、44枚の詠み札の披露とともに、かるたに登場する県内43カ所の温泉地の解説をいたします。
また、製作費捻出のためのクラウドファンディング開設の発表もいたします。
どうか、群馬の温泉を愛するみなさんのお力をお貸しください。
※関係各位とは、群馬の温泉を愛する方々のことです。
『ぐんま温泉かるた』 発行推進決起集会
●日時/2022年8月20日(土)
15時~ 入浴
17時~ 受付
18時~ 決起集会 (懇親会)
●会場/磯部温泉 小島屋旅館
群馬県安中市磯部1-13-22
TEL.027-385-6534
※小島屋旅館は明治12年創業。現存する磯部温泉最古の宿です。
●料金/10,000円 (1泊2食、飲み放題)
※愛郷キャンペーン利用は5,000円
●申込/湯治乃邑HP、当ブログのコメント欄、もしくは小暮まで。
●主催/NPO法人 「湯治乃邑」
※定員まで、あと数名です。お早目の申し込みを!
2022年07月29日
来週放送! 「温泉王国ぐんま ~泉質が変わった温泉~」
毎週火曜日、午後9時から群馬テレビで放送中の 『ぐんま!トリビア図鑑』。
僕は、この番組のスーパーバイザー (監修人) をしていますが、いよいよ、本業の温泉ライターとして登場します!
新シリーズ 「温泉王国ぐんま」。
その第1回は、突然、“泉質が変わった” 温泉です。
旧倉渕村 (高崎市) の温泉地では、異変が起きている!?
温泉の色が濃くなった!
成分の濃度が増した!
温度が上がった! 下がった!
そして、ついには泉質名までもが変わってしまった温泉地があります。
いったい、地中で何が起きているのか?
その謎を追って、温泉ライターが現地からリポートします。
乞う、ご期待!
ぐんま!トリビア図鑑
「温泉王国ぐんま ~泉質が変わった温泉~」
●放送局 群馬テレビ (地デジ3ch)
●放送日 2022年8月2日(火) 21:00~21:15
●再放送 8月6日(土) 10:30~ 8日(月) 12:30~
2022年07月28日
老いの功名
歳を重ねるということは、老化が進むということ。
生きとし生けるものすべて、あらがうことはできません。
五十路の坂を上り始めたころから、僕も肉体の衰えを日に日に感じるようになりました。
外見では白髪やシワ、シミが増え、内面では筋肉や目、肩、腰、歯の劣化が進みました。
特に目は仕事柄、酷使してきたため老化のスピードが早く、50代の初めには老眼鏡のお世話になっていました。
老化とは、「百害あって一利なし」 なのでしょうか?
いえいえ、そんなことはありません。
肉体は衰えても、人生の酸いも甘いも噛みしめてきた者だけが、たどり着ける精神世界があります。
さらに、それに長い間に培ってきた知識が加わります。
とは言いながらも、若い肉体に憧れてしまうのが、老いる者の常であります。
だから老いる者にとってアンチエイジングは、永遠のあこがれなんですね。
先日、運転免許証の更新に行って来ました。
エッヘン!
僕はゴールドカードですから、手続きもスイスイス~イとスムーズに終わりました。
でも、ここで、前代未聞の異変が起きたのです!
この何十年、僕の免許証の条件欄には、常に 「眼鏡等」 の記載がありました。
だから視力検査の時は、必ずメガネを持参して行きます。
「眼鏡等ですけど、裸眼は、いくつですか?」
と検査員。
とっさに訊かれても、最後に測ったのがいつだったかも覚えていません。
「では測ってみましょう」
ということで、測定が始まりました。
「上、右、下、左……」
すると、
「ハイ、結構です。裸眼で大丈夫ですね。眼鏡等の条件は削除します」
だと言うではありませんか!
おったまげーーーー!!!
一眼がそれぞれ0.3、両眼で0.7以上あったということです。。
視力が回復した?
こんなことって、あるんですね。
思えば、薄々気づいてはいたのです。
ここ数年、クルマを運転しているときに、メガネをかけ忘れることが多々ありました。
でも、それに気づいていない自分がいたのです。
メガネがなくても、見えていたのですね。
昨日、かかりつけ医へ行った際に、僕は先生に訊きました。
「自然に視力が回復することってありますか?」
すると先生は、一刀両断。
「ない」
「では、なんで眼鏡等が取れたんですか?」
「老化だよ。ジジイの証拠」
「えっ?」
「近くが見えなくなって、遠くが見えるようになった。ただ、それだけのこと」
喜んでいいのか、悲しんでいいのか、どちらなんでしょうか?
ま、僕にとっては、免許証の条件欄から 「眼鏡等」 が消えたことは、朗報には違いありません。
2022年07月27日
火の国の人だもの
ドォーーーーン!
大砲を撃ったような下っ腹に響く重低音。
ガタガタガタ……
追って、窓ガラスが音を立てて鳴り出しました。
昭和40年代、僕が小中学生の頃。
時々、授業中に爆発音が聞こえてきました。
でも、誰一人、動じません。
いつものことだからです。
「また浅間山が噴火した」
その程度のことです。
先生も生徒も手を止めることなく、授業を続けていました。
浅間山は今でこそ、おだやかな成りをしていますが、いつなんどき天明のような大噴火を起こすともかぎりません。
僕ら世代は、実体験で知っています。
噴火音がして間もなくすると、パラパラパラパラと砂粒が空から降って来るからです。
浅間山がある長野県境から数十キロも離れている前橋市にも、火山灰は達するのです。
先日の日曜日、帰宅すると、テレビの画面にテロップが映し出されました。
<桜島 爆発的噴火>
7月24日午後8時5分ごろ、鹿児島市・桜島の南岳山頂火口で爆発的噴火がありました。
気象庁は噴火警戒レベルを 「3」(入山規制) から最高の 「5」(避難) に引き上げたといいます。
鹿児島の人たちにすれば慣れっこかもしれませんが、心配するに越したことはありません。
100%安全ということはないのです。
僕は、鹿児島市内に住む友人にメールを送りました。
すると、すぐに返信がありました。
<鹿児島市内は大丈夫です。島内は少し危険があるかもしれませんが。>
続いて、追伸が届きました。
<万一、大きな噴火だとその後に地震が起きる可能性が高いので、大噴火だと早めに車で遠方に避難かと思っています。>
やっぱり!
地元の人には地元の人にしか知りえない、知恵というのがあるのですね。
「大きな噴火の後には地震が来る」
「早めに遠方へ避難する」
しっかりと防災マニュアルができています。
他人ごとでは、ありません。
世界有数の火山国に暮らす同じ日本人です。
群馬県内にも5つの活火山があります。
浅間山や草津白根山、日光白根山は知られていますが、赤城山と榛名山も活火山なのです。
その恩恵が、温泉ということになります。
同じ火の国の人だもの。
Kさん、気を付けて!
もしもの時は、早めに避難してください。
2022年07月26日
夢の消費期限
去る6月4日、心躍るニュースが日本列島を駆けめぐりました。
堀江謙一さん (83) が、ヨットでの世界最高齢単独無寄港太平洋横断に成功しました。
凡人の僕には、ただただ 「すごい!」 としか声が出ませんでした。
思えば60年前、昭和37(1962)年。
堀江さんは23歳の時、世界初の単独無寄港太平洋横断に成功しています。
その後に書かれた自著 『太平洋ひとりぼっち』 はベストセラーとなりました。
もちろん僕も、多感だった10代の頃に読んで、胸を熱くしたものです。
「夢は叶うんだ」 と……
夢は叶うもの、でも、いったい、どれだけの人が、夢を見て、その夢を叶えられたのでしょうか?
かくいう僕は、今までに、いくつ夢を見て、いくつ夢を叶えたのでしょうか?
今回の堀江さんの快挙の報道に、改めて、歳を重ねた今の夢について考えさせられました。
どうも夢には、2種類あるようです。
①空想的な願望。心の迷い。
➁将来実現したい願い。理想。
(広辞苑より)
ほとんどの人が、この2つの夢を混同しています。
「空想的な願望」 なのか 「将来実現したい願い」 なのか。
子どもの頃、男子ならサッカー選手や野球選手に憧れます。
そして、「将来の夢は?」 と問われた時、いとも簡単に夢を語ります。
でも、みんながみんな夢への思いが同じじゃないんですね。
とりあえず①を答えている子と、すでに➁に向かって努力を始めている子がいるわけです。
で、自分は、どうだったろうか?と、半世紀前の夢を振り返ってみました。
ちょっと、ここでは恥ずかしくて言えませんが、第一志望夢と第二志望夢は、無惨にも破れて敗退しています。
かろうじて、その後、もがきながら手探りで見つけた第三志望夢が、現在の仕事であります。
ただ、それは職業であって、必ずしも “=夢” ではない人もいるはずです。
今回の堀江さんの偉業を目の当たりにして、思ったことがあります。
「夢には消費期限がないんだ」
ということ。
ただ、放っておいては、切れてしまいます。
コツコツ、コツコツと更新することが大切なんですね。
あなたの夢の消費期限は大丈夫ですか?
2022年07月25日
ぐんま湯けむり浪漫 (16) 草津温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
草津温泉 (草津町)
偉人たちの開湯伝説
草津白根山の麓、標高1,200メートルの高地に開けた高原の町、草津。
国内有数の温泉地として、昔から湯治客や観光客に親しまれてきた群馬を代表するリゾート地である。
その歴史は古く、室町時代の古文書に “草津湯” の記載があるが、湯の起源は定かではない。
しかし温泉の発見には、こんな偉人たちの開湯伝説がある。
『古事記』 『日本書紀』 に登場する英雄、日本武尊 (ヤマトタケルノミコト) が東国征伐の折に発見した説。
奈良時代の僧侶、行基が各地で布教活動を行ううちに山深い草津にいたり、霊気にあふれたところを祈祷すると温泉が湧き出した説。
また鎌倉幕府を開いた武将、源頼朝が建久4(1193)年に浅間山で狩りを行った折に草津まで足を延ばし、湯を発見したとも伝わる。
これが白旗源泉で、湧出地の囲いの中には石宮があり、頼朝が腰かけた場所と伝えられ、「御座之湯」 (江戸時代にあった共同浴場 「草津五湯」 の1つ) の由来にもなっている。
源泉名は、源氏を象徴する白い旗から名付けられた。
町内のいたるところに湧き出る源泉は、大小100カ所あり、総湧出量は毎分約3万2千リットル。
自然湧出泉としては、日本一の湯量を誇る。
代表的な6つの源泉の温度は、万代源泉が約95度ともっとも高く、他も50度前後と高温。
そのため熱交換式により源泉を薄めることなく冷まし、熱交換によって温められた温水は、家庭やホテル、旅館、飲食店などに供給されている。
湯畑に刻まれた百人
戦国時代には武将たちが傷を癒やしに、泰平の世には文人たちが物見遊山にと、多くの人々に愛されてきた草津温泉。
そんな歴史に名を残す偉人たちの名前がひと目で分かる場所がある。
開湯伝説の3人をはじめ、高野長英、佐久間象山、田山花袋、志賀直哉、若山牧水、斎藤茂吉、与謝野晶子、竹久夢二ら百人の名前が、湯畑を囲む石柵に刻まれている。
なかには田中絹代や石原裕次郎、渥美清など昭和のスターの名前も。
ちなみに現在の湯畑の形は、芸術家の岡本太郎監修によって昭和50(1975)年に設計された。
草津のシンボル、湯畑も源泉の一つで、毎分約4千リットルの温泉が自然湧出している。
柵内には7本の湯樋があり、ここから土産物の 「湯の花」 を採取している。
湯畑の名称も、湯の花を採取するための畑という意味で名付けられたという。
また宿へ温泉を配湯する技術がなかった時代、多くの浴客は湯畑周辺で温泉が湧出し、流下している場所に造られた湯屋で入浴していた。
これが共同浴場 (外湯) である。
現在でも町内には19カ所の共同浴場があり、多くは町民が利用する施設だが、いくつかは観光客にも開放されている。
また 「千代の湯」 と 「地蔵の湯」 では、草津温泉独特の入浴法 「時間湯」 (※) を体験することができる。
湯長 (※) の指導の下、集団で決められた時間、数回を入浴する湯治法で、入浴前には温度を下げ湯をやわらかくする 「湯もみ」 を行う。
この湯もみを行う際に調子を取るために歌われるのが、草津節などで知られる 「湯もみ唄」 である。
数々の温泉地人気ランキングで、常に全国上位に君臨する草津温泉。
その魅力は千数百年の歴史に培われた文化と、変わらぬ草津の湯本来の力にありそうだ。
近年は噴火による風評被害もあったが、徐々に人々も戻ってきている。
さすが群馬が誇る日本一の温泉地である。
<2019年1月号>
※現在、「湯長」 制度は廃止され、名称も 「時間湯」 から 「伝統湯」 に変更されています。
2022年07月24日
置き去りにした悲しみ
昔、まだ次女が乳飲み子だった頃のこと。
上2人を育てたという過信もあり、家族全員でショッピングセンターへ買い物に行ったことがありました。
やっと首の座ったばかりの次女を、家内が抱っこしていました。
すると一人の年配女性が、うちの家族に近づいて来ました。
「あららら……」
赤ちゃんを抱っこしていると、声をかけてくる婦人は珍しくありません。
「何か月?」 「可愛いわね」 と。
ところが、この年配女性は違いました。
いきなり僕ら夫婦を叱咤したのです。
「ダメじゃない! こんな小さい子を人ごみの中に連れて来ては! すぐに家に帰りなさい!」
その時は驚きましたが、後になって僕ら夫婦は、軽率な行動を反省しました。
長女のときは、腫れ物に触れるように慎重に行動していました。
それが2人目の長男から少しずつ子育ての手を抜くようになり、ついには次女のときには、ほぼ上2人と同じ扱いになっていたのです。
慣れとは怖いものです。
大いに反省した次第です。
毎年、夏になると、この過去の苦い思い出がよみがえります。
依然なくならない、乗用車に小さな子ども置き去りにした熱中症での死亡事故です。
胸が痛むだけでなく、どうして周りの人が、ひと言、注意をしてあげられなかったのかと残念に思います。
そう、その昔、僕ら夫婦を叱ってくれた、おせっかいなオバサンがいてくれたらと……
先日、新聞に、こんなデータが公表されていました。
調査したのは、子どもの置き去り感知システムなどを扱う専門商社。
子どもを乗せたことがある20~69歳の運転者を対象にインターネットで2,652人に尋ねたといいます。
結果、「ここ1年で車内に子どもを残したまま車を離れたことがある」 と回答した人が、22.0%と最多だったといいます。
「なぜ、置き去りは起きると思うか?」 との質問には、73.3%が 「保護者の意識が低いから」 と回答。
次いで32.2%の人が、「用事を済ませる間に子どもを見てくれる人がいないから」 と答えています。
そう答えた人の多くは、20代の共働き世帯でした。
だからこそ、僕は言いたい。
子育てが大変なのは百も知っています。
その上で、少しだけ我慢をしてほしいと。
面倒臭いかもしれないけど、安易な行動をとらずに、確実に子どもの命を守れる行動をとってほしいのです。
過ぎてしまえば、子育て期間なんて、あっという間です。
また、“子どもは3歳までに一生分の親孝行をする” ともいいます。
その貴重な子どもとの時間から絶対に目を離さないでください。
この夏、車内置き去りによる死亡事故がゼロであることを切に祈ります。
ジイジから若いお父さんお母さんへのお願いです。
2022年07月23日
消えた東村を追え!
きっかけは、オヤジが残した一冊の本でした。
※(当ブログの2022年3月9日 「父の遺書 ~消えた東村~」 参照)
かつて群馬県には、5つの “東村” がありました。
群馬郡東村
利根郡東村
佐波郡東村
勢多郡東村
吾妻郡東村
しかし、昭和と平成の大合併により、すべて消滅しました。
なぜ、群馬県には同じ名前の村が5つも存在したのでしょうか?
調べてみると、全国でも同名町村が、こんなにもあった都道府県は珍しいことが分かりました。
なぜ、存在したのか?
一般にいわれているは、その郡の東端にあった村だからという説。
でも、これは信憑性に欠けます。
だって、西村も北村も南村もないからです。
なぜ、東村のみ存在したのでしょうか?
ということは、“東” は東西南北の方位ではなく、別の意味があるのではないか?
“別の意味” とは何だ?
現地へ行けば、その謎が解けるかもしれない。
だったら、5つの東村を片っ端から訪ねてやれ!
ということで、僕の謎学の旅が始まりました。
まずは最初に消えた東村へ。
昭和29(1954)年に、群馬郡東村は前橋市に編入されました。
場所は、現在の利根川の西。
古市町、新前橋町、小相木町、光が丘町、朝日ヶ丘町、江田町、上新田町、下新田町、川曲町、稲荷新田町、大利根町、箱田町、前箱田町、後家町の14町です。
どの町から歩けばいいのか?
こういった場合、まずは、現在の中心地からスタートします。
箱田町には、その名もズバリ 「東公民館」 があります。
しかも公民館には、前橋市立図書館の分館が併設されています。
取材の勘は、的中しました!
分館には、中央の図書館では蔵書されていない、地元の人が書いたローカルな本にめぐり合えるからです。
手にした本のタイトルは、『あずま・てくてく』。
編集と発行は、東公民館と東地区自治会であります。
重箱の隅をつつくには、これ以上のバイブルはありません。
さっそく、この本で仕入れた情報をもとに、旧東村の歴史を残す名所を歩くことにしました。
神社仏閣はもちろん、現在でも “東” の名を残す場所をめぐって来ました。
残る東村は、4つ。
はたして、5つの東村に僕が立てた仮説は、当てはまるのでしょうか?
次の東村を訪ねたいと思います。
謎学の旅は、つづく。
2022年07月22日
いよいよ発行! 『ぐんま温泉かるた』
『く』 群馬は湯の国 温泉パラダイス
構想7年、制作3年。
ついに、この時がやってきました!
『ぐんま温泉かるた』 の発行です。
NPO法人 「湯治乃邑(くに)」 設立から7年。
着々と悲願である 「温泉かるた」 の構想を固め、活動のできないコロナ禍においてコツコツと制作を続けてまいりました。
そして、ついに44枚の詠み札が完成。
サンプル用の絵札も制作しました。
あとは、印刷するだけです。
が!
貧乏NPO法人には、先立つものがありません。
そう!
制作費です。
ズバリ、200万円必要です。
ということで、現在、クラウドファンディング他、支援金等の手続きを申請中であります。
決定次第、近日公開いたします。
みなさん、ぜひ、お力をお貸しください。
なお、近々、『ぐんま温泉かるた』 発行推進決起集会の開催を予定しています。
日程が決まり次第、関係各位様には、ご連絡申し上げます。
よろしくお願いいたします。
2022年07月21日
シリーズ 「温泉王国ぐんま」 撮影スタート!
あるときは心霊スポットや超常現象を追う 「ミステリーハンター」。
また、あるときは民話や伝説の舞台を訪ねる 「謎学ライター」。
そして、あるときは夜の盛り場を徘徊する 「酔っぱライター」。
でも、その正体は?
群馬テレビ、毎週火曜日、午後9時放送の 『ぐんま!トリビア図鑑』。
僕は長年、番組のスーパーバイザー (監修人) をしています。
ところが、そもそもが出たがりの性分です。
裏方で、「あーだ」 「こーだ」 と口をはさんでいるだけでは、気が済みません。
「こんなネタどう?」 「こんなのもあるよ?」 と、ついつい会議でも出しゃばってしまい、「だったら小暮さんがリポートしてくだい」 とディレクター陣に突っ込まれ、「ああ、いいですよ」 と引き受けてしまうのが、とどのつまりです。
結果、番組のスーパーバイザーでありながら、ミステリーハンターやら謎学ライターやらの雑多な肩書が付いてしまうのであります。
ところが!
ついに今回、番組史上初!
本業の 「温泉ライター」 として、番組に登場することになりました。
しかも、シリーズ化!
タイトルは 『温泉王国ぐんま』。
なぜ、群馬県は全国屈指の温泉県なのか?
いったい、群馬の温泉のどこが凄いのか?
群馬の温泉の魅力って何?
そんな疑問やリクエストにお応えして、“温泉ライター 小暮淳” が文字通り体を張って、“一湯良談” いたします。
ということで、シリーズ第1回の温泉地へ行って来ました。
と言っても今回、ロケで訪れたのは、同じ地区に湧く2つの温泉地です。
なぜか、この2つの温泉地、泉質がメチャメチャ濃いんです。
しかも、もともと濃いのに、10年に1度の成分分析検査を行ったところ、ますます濃くなっていたというミステリー!
さて、いったい、このエリアの地層に、どんな変化が起きているのでしょうか?
その謎を解き明かすべく、ミステリーハンター改め、正真正銘の 「温泉ライター」 が現地からリポートします。
乞う、ご期待!
※『ぐんま!トリビア図鑑』 「温泉王国ぐんま」 は、8月2日(火) の放送です。
2022年07月19日
昭和の悪ってカッコイイ!
相変わらず僕のマイブーム “昭和あるある” は続いています。
一日のすべての仕事を終え、のんびりと酒を呑むとき、ナイトキャップの友は、もっぱらユーチューブです。
それも昭和のドラマや映画を探し出して、懐かしさに酔眼しています。
最近、観た映画に、『あぶない刑事』 と 『ビー・パップ・ハイスクール』 があります。
当時20代だった僕は、この手の作品には興味がなく、すべてスルーしていました。
それが、この歳になって観ると、面白いんですね。
何が楽しいかって、登場人物のファッションや街並み。
そして当時のアイドルたち……
今は完全に芸能界から姿を消してしまっている人もいて、昭和の芸能史を見ているようで飽きません。
現代では公序良俗や安全管理、ジェンダー面など、問題がありそうな場面が多々登場しますが、それはそれで、ツッコミどころ満載で楽しいのです。
で、何が令和の今と一番違うかというと、“ワル” の描き方です。
短気でカッとなりやすく、手が速く、暴力的ではあるのですが、実は心根はやさしい。
とっても分かりやすい、ステレオタイプのワルばかりです。
単純でズル賢くないところが、好感を抱くようです。
だから昭和の映画の主人公は、ワルが多いのだと思います。
令和の若者たちに昭和の映像を見せると、一様に驚く3つ “非常識” があるそうです。
「喫煙」 と 「ノーヘル」 と 「シートベルト」
昭和の映画やドラマでは、喫煙シーンが欠かせませんでした。
電車の中だろうが、病院の待合室だろうが、のべつまくなし、紫煙をくゆらすシーンのオンパレードです。
刑事ドラマの張り込みでは、足元の吸い殻の山で、時間の経過を表現していたくらいですからね。
また暴走族しかり、逃げる犯人しかり、追いかける刑事しかり、走るバイクのドライバーはノーヘルでした。
でも、今見るとノーヘルの方が臨場感があるし、何より演じている役者さんの表情も見て取れます。
これがヘルメット着用だと、表情が分からないだけではなく、切羽詰まった逃走感が伝わりません。
そして、シートベルト。
令和のドラマでは当然、装着していますが、違和感を感じる時ってありませんか?
1分1秒を争う逮捕劇で、いくら交通ルールだといっても車を発車させる前に、律儀にシートベルトを装着するシーンって、なんだか臨場感に欠けます。
そこへ行くと、昭和の逃走および追跡シーンは、迫力があります。
くわえタバコのサングラス姿の刑事が、車に飛び乗ると、いきなりギアを入れて急発進!
バイクで逃げる犯人もノーヘルで、一方通行を逆走!
と思えば、追尾するパトカーに向かって走り、間髪交わし、パトカー同士が衝突して炎上!
これぞ、昭和の刑事ドラマです。
時代と共に “悪” の質も変わりました。
令和の世になり、単純明快なワルは姿を消して、ネットやSNSを駆使した頭脳派の犯罪が増えています。
それに伴い、勧善懲悪から難解複雑なストーリー性が好まれるようになっているのかもしれませんね。
でもね、ナイトキャップの友だもの。
分かりやすいワルを分かりやすく成敗してくれる正義のヒーローが、安眠をいざなってくれるのです。
僕の昭和熱は、もうしばらく続きそうです。
2022年07月18日
猫に御飯
昨日は 「昭和の常識は令和の非常識」 と題して、昭和と令和での体育授業の違いを書きました。
いろいろ思い返してみると、子どもの頃に当たり前にしていたことが、現在では、まったく行われていないことや完全に間違えであったことが、たくさんあることに気づきます。
今日は “生き物” について検証してみたいと思います。
昭和30~40年代に少年期を過ごした僕ら世代にとって、昆虫もさることながら爬虫類はワンランク上の高級な “ともだち” でした。
特に男の子に人気があったのが、ヘビです。
当時、日本に棲息する毒ヘビは、「マムシ」 と 「ハブ」 だけだと言われていました。
関東地方にはハブはいませんから、僕らはマムシにさえ気を付けていれば安全だったわけです。
幼なじみのT君は、みんなから 「ヘビ博士」 と呼ばれていました。
彼は夏になると、アオダイショウやシマヘビを首に巻いて登校してくるような大のヘビ好き。
そんな彼の家に遊びに行くと、たくさんのヘビが飼育されていて、帰りに一匹ずつお土産に持たせてくれました。
身近には、ヤマカガシというヘビもいましたが、アオダイショウやシマヘビに比べるとサイズが小さいため、僕らの間では不人気でした。
今思えば、この “不人気” が功を奏したようです。
後に、奥歯に毒があることが判明。
現在では、日本に棲息する毒ヘビの一種に数えられています。
T君は、ヘビ博士でもあるけど、「昆虫博士」 でもありました。
当然、彼の家に行けば、カブトムシやクワガタムシ、カミキリムシ、カナブン……などなど、さながら昆虫園でした。
早朝、彼の家に集まり、みんなで雑木林に昆虫採集に行くのが夏休みの楽しみでした。
で当時、カブトムシのエサといえば、“スイカの皮” が定番でした。
ところが今は、スイカを与えてはいけないのが常識だって、知っていましたか?
なんでも、カブトムシが下痢をしてしまうそうです。
あれって、下痢だったの?
ただの小便かと思っていました。
ということで、スイカを与える昭和の常識は、令和では非常識。
現在は、専用の昆虫ゼリーを与えるのが、令和の常識となりました。
“エサ” といえば、「猫まんま」 と 「犬まんま」 も昭和と令和では大きく変わりました。
昭和の時代、ネコのエサは、冷や飯におかかをかけた 「にゃんこ飯」 が定番。
イヌは、これまた冷や飯にみそ汁をぶっかけた 「わんこ飯」 です。
ネコは外出自由なのに対して、イヌは散歩のとき以外は屋外でクサリにつながれているのが、昭和の常識でした。
そのぶん、昭和のイヌは、たくましかったように思います。
だって役目は、ペットではなく番犬ですからね。
(ネコだって、その昔は、ネズミ捕り用に飼われていました)
で、時がめぐり、いつしかネコもイヌも屋内で飼われるようになり、食事 (もうエサなんて言ってはいけません) も栄養豊富なキャットフードやドッグフードに変わりました。
人間のライフスタイルに合わせて、ペットも人間の都合に合わせた生活スタイルに変わってきたようであります。
ペットフードなんて、人間の食事でいえば、レトルト食品やインスタント食品と同じじゃないですか。
みなさんのまわりは、いかがですか?
今でも残っている “昭和の常識” ってありますか?
2022年07月17日
昭和の常識は令和の非常識
♪ 思いこんだら 試練の道を
行くが男の ど根性
真赤にもえる 王者のしるし
巨人の星をつかむまで
血の汗流せ 涙をふくな
ゆけゆけ飛雄馬 どんと行け
(「ゆけゆけ飛雄馬」 より)
アニメ 『巨人の星』 の主題歌です。
これは都市伝説のような本当にあった話。
ドラマの中で主人公の星飛雄馬が、グランド整備用の巨大なローラーを引くシーンがありました。
そこに、この主題歌が流れたものだから、当時の子どもたちは、このローラーの名前が 「コンダラ」 だと勘違いしてしまったというエピソード。
「思いこんだら」 を 「重いコンダラ」 と聞き間違えたわけです。
ところが以後、このローラーのことを通称 「コンダラ」 とも呼ぶようになったといいます。
ちなみに、正式名は 「整地用手動式ローラー」 といいます。
ところで、当時のスポコン (スポーツ根性) アニメには、必ず、練習のシーンになると 「うさぎ跳び」 が出てきました。
当然、僕らの世代は部活と言えば、この 「うさぎ跳び」 が付き物でした。
身体の後ろで手を組み、しゃがんだ状態でピョンピョンとウサギのように跳ねるので 「うさぎ跳び」。
ところが現在は禁止されています。
理由は、目的であったはずの下半身強化の効果はなく、膝などに負担がかかり、疲労骨折の原因になるからのようです。
そう言えば、部活中に 「水を飲んではいけない」 なんていうのも、“昭和の常識” でしたね。
今では、もってのほか!
熱中症対策の上でも水分補給は、欠かせません。
医学的、科学的に解明されて、“昭和の常識” が令和では、非常識になりつつあります。
最近知った “令和の非常識” に、「体育座り」 があります。
みんな体育の授業中に、やらされましたよね。
グランドや体育館に集まり、先生の話を聞くときは、全員 「体育座り」 です。
いま、この 「体育座り」 が廃止に向かっています。
理由は、長時間していると内臓や椎間関節を圧迫し、腰痛や座骨の痛みを引き起こす可能性があるからとのことです。
確かに今思えば、あんまり楽な姿勢ではなかったような記憶があります。
でも思い出の中には、しっかりと刻まれています。
「うさぎ跳び」 も 「体育座り」 も……
昭和は遠くなりにけり
次は何が “昭和の常識” から消えてゆくのでしょうか?
なんだか自分の思い出が否定されているようで、ちょっぴりさみしくもあります。
2022年07月16日
飛び出すウンコちゃん
わろーた! わろーた!
のは後のことで、その時は笑いをこらえるのに必死でした。
毎月恒例の 「神社かみしばい」 での出来事。
僕は1年半から仲間とオリジナルの民話紙芝居を作って、神社の境内で上演しています。
※(当ブログ 「カテゴリー」 の 「神社かみしばい」 参照)
今月もたくさんの老若男女でにぎわいました。
ただ、前代未聞の珍事が起きたのです。
その回も客の入りは、ほぼ満席。
やや後方の席に、一人の年配男性が座りました。
推定年齢60代。
紙芝居の上演が始まっても、キョロキョロと周りを見渡したり、モジモジと体を動かしたりと、落ち着きがありません。
ついには立ち上がり、僕がいる販売ブースへとやって来ました。
境内には、荷台に紙芝居を載せた自転車の前にイスを並べた “観劇ブース” と、その周りで僕の著書や画家の作品を売る “販売ブース”、それと子供たちのために、クジ引きやおもちゃを売る “駄菓子屋コーナー” が設営されています。
当然ですが、みなさん、上演後のお楽しみに立ち寄ります。
子供だって、その辺はわきまえています。
ところが!
何を思ったか、このオッサンは突然、席を離れ、ツカツカと会場を歩き回り、まず僕のブースで絵本を買い、となりのブースでは、作家のイラスト入りの手拭いとマスクを買い出しました。
「おいおい、おっさん、今は上演中だぜ!」
と心の中では、つぶやいたのですが、お客さんには変わりありません。
黙って、販売いたしました。
ところが!
そのオッサンは、さらなる暴挙に出たのです。
席に戻ると、おもむろに買ったばかりのイラスト入りの手拭いを広げ、頭にほっかむりをしました。
さらに、続けざまに、かわいいイラストの描かれたマスクをかけました。
異様な風体。
まさに、“変なおじさん” の出来上がりです。
僕も笑いをこらえるのに必死でしたが、一番迷惑だったのは演者の紙芝居師でしょうね。
子供ならまだしも、いい歳をしたオッサンが、ちょこまか会場を歩き回り、買い物をした挙句、その商品を我慢できずに開けてしまい、身に着けてしまったのです。
と、ところが!
オッサンの暴挙は、これで終わりではありませんでした。
ほっかむりにイラスト入りマスク姿のオッサンは、またもや会場を徘徊しだしました。
何を思ったのが、ツカツカと僕のいるブースに近寄り、無言で100円玉を渡してきました。
「? 」
意味が分かりません。
僕のブースには、100円の商品なんてありませんからね。
すると、隣の隣の無人のブースを指さします。
《クジ引き 1回 100円》
えっ、マジか?
今、上演中だぜ!
もし子供だったら、「紙芝居が終わってからにしようね」 と、なだめるところですが、相手は僕と同年配の筋金入りのオッサンです。
しかたなく、隣の隣の “駄菓子屋コーナー” のブースへ連れて行き、クジ引きをさせました。
すると見事、3等が大当たり!
跳び上がって喜ぶオッサン。
賞品を渡すと、満面の笑みをたたえながら席へと戻って行きました。
読者のみなさんも、なんとなく察しがつきますよね?
この後、どんな展開になるか?
ええ、ええ、最低最悪の暴挙に出たのです!
3等の賞品は、「飛び出すウンコちゃん」 です。
当然、我慢ができないオッサンは、包装袋を破り、賞品を取り出し、会場の真ん中で、遊び出しました。
「飛び出すウンコちゃん」 とは?
棒の先に刺さっているウンコの形をしたスポンジでできた物体が、ボタンを押すとバネの力で飛び出すおもちゃです。
ビヨ~ン、ビヨ~ン
紐が付いているので、何度でも戻って来ます。
もうダメです。
こらえていた笑いにも限界があります。
クスクス、クスクス、まわりからは笑い声が聞こえ始めました。
紙芝居師も必死です。
見ても、見ないふりをしながら口演を続けています。
でも、僕には実に奇妙な光景に映りました。
だって最前列では、小さな子供たちが行儀よく一列に並んで、真剣に紙芝居を見入っているのです。
一方、後列では、ほっかむりにイラスト入りマスクをしたオッサンが、“ウンコちゃん鉄砲” を楽しそうに発射しているのです。
これが、令和の正しい庶民の図なのでしょうか?
平和な光景ではありますけど……
2022年07月15日
脱帽神話
伊香保温泉へ行く野暮用があり、「どうせ来たのだから」 と、帰りに露天風呂に立ち寄り、一浴して来ました。
たびたび取材や撮影で訪れている浴場ではありますが、プライベートで入るのは初めてのことでした。
平日の昼間ということもあり、割と空いていました。
男風呂の浴客は僕のほか3人。
内訳は、30代とおぼしき男性と40代だろうと思われる男性。
2人は日本人です。
もう一人、西洋人の男性がいました。
歳の頃は……
西洋人の年齢は読みにくいのですが、若者ではありません。
たぶん、40代ではないでしょうか。
当然ですが、外人コンプレックスの僕は、西洋人の股間に目がいきます。
大きい!
我々日本人の倍はあります。
でも……
やっぱり!
彼は、しっかりと “帽子” をかぶっていたのです。
この暑い夏の最中、しかも湯舟の中でも、帽子を脱ぎません。
一方、3人の日本人はサイズこそ劣るものの、ちゃんとマナー (?) を守り、湯舟の中では帽子を脱いでいます。
この違いって、何なんでしょうか?
東洋と西洋の文化の違いなんでしょうか?
僕は職業柄、たぶん今までに何千回と温泉地を訪ねています。
ということは、何万本という男性の股間を見て来たことになります。
その僕が、長年、疑問に感じていることが、この “帽子” の着脱率であります。
日本人は、圧倒的に 「脱帽率」 が高いのです。
9割がた、帽子を脱いだ状態で入浴しています。
ところが外国人 (西洋人しか区別がつきませんが) は、その真逆です。
圧倒的に 「着帽率」 が高いのです。
帽子を脱いで入浴している外国人にお会いしたことは、過去に数回しかありません。
思えば、かのジョン・レノンも着帽派でした。
古くは、ダビデ像も着帽です。
なのに日本人ときたら浮世絵にしても、脱帽で描かれています。
これは、どういうことなのでしょうか?
いったい、いつから日本に “脱帽神話” が根づいたのでしょうか?
思い返しても、学校や家庭で、「大人になったら帽子は脱ぎましょうね」 なんていう教育を受けた覚えはありません。
ただ、なんとなく暗黙のうちに日本人は思春期になると、「恥ずかしい」 という感情が芽生えてくるようであります。。
「恥ずかしい」 と思う日本人。
「恥ずかしい」 と思わない西洋人。
では逆に、西洋人にとっては “脱帽” のほうが、恥ずかしいのでしょうか?
ぜひ、訊いてみたいものです。
黄金色の湯に身を沈めながら、とりとめもなく、そんなことを考えていました。
もちろん、湯は絶品でした。
2022年07月14日
ぐんま湯けむり浪漫 (15) 湯宿温泉
このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳のぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
湯宿温泉 (みなかみ町)
真田一族ゆかりのいで湯
かつて三国街道の宿場町だった温泉街には、往時をしのぶ古い町並み残されている。
石畳の小道、白壁の土蔵、黒い板塀……。
そぞろ歩くたびに、古き良き湯治場の風情がよみがえってくる。
湯宿(ゆじゅく)温泉の開湯は1,200年前(平安時代)と伝わる。
仁寿2(852)年、須川村 (現・みなかみ町) の弘須法師が岩穴にこもって、大乗妙典を読誦(どくじゅ)したところ、その功徳により温泉が湧き出したという。
また初代沼田城主の真田信幸が関ケ原の合戦の後、戦の疲れを癒やすために須川の湯 (現在の湯宿温泉) を訪れている。
それをきっかけに、2代目信吉、3代目熊之助、4代目信政らも下屋敷 (別荘) として好んで入浴した。
なかでも最後の城主、5代目信直は持病の痔 (ぢ) に苦しんでいたため、館を構えて湯治に専念した。
見事に根治したため、お礼にと裏山に薬師如来堂を建立して寄進した。
これらのことは、現主人で21代目を数える老舗旅館 「湯本館」 の蔵から見つかった 『湯宿村温泉記録』 という古文書に記載されている。
熱くて清々しい湯宿の湯
<湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一、二晩の睡眠不足とのためである。其処(そこ)で二人の青年に別れて、日がまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋に泊まる事にした。>
(『みなかみ紀行』 より)
大正11(1922)年10月、歌人の若山牧水は信州から日光までの群馬県を横断する旅をした。
法師温泉 (みなかみ町) の帰り道、湯宿温泉に投宿した牧水は、その晩、主人の釣ったアユの甘みそ焼きに舌鼓を打ち、あまりのおいしさに、おかわりをしたという。
今でも 「ゆじゅく金田屋」 の土蔵には、宿泊した 「牧水の間」 が当時のまま残されている。
漫画家のつげ義春も湯宿温泉を愛した作家の一人である。
<今度また湯宿に来てしまった。これが二度目ではない。もう何度も来ているのだ。何を好んでといわれても答えようがない。ふと思い出すと来てしまうのだ。>
(『上州湯宿温泉の旅』 より)
つげ義春は昭和40~50年代にかけて、たびたび訪れ、いくつかの旅館を泊まり歩いている。
代表作の 『ねじ式』 や 『ゲンセンカン主人』 なども、湯宿温泉が舞台だといわれている。
文人たちが好んだ湯は、良質な硫酸塩温泉。
湯量豊富な5本の源泉は約60度と温度が高いため、加温することもなく、どこの宿でもかけ流しのスタイルを守っている。
地元では 「熱くなけりゃ、湯宿の湯じゃねえ」 と言われるくらい熱いのだが、これが、いったん沈んでしまうとクセになる心地よさ。
清涼感があり、湯上がりは汗をあまりかかずに、よく温まる。
<2018年12月号>
2022年07月13日
だからライブは止められない
「『ナニコレ珍百景』 を観ました。浦島太郎の話を楽しみに来ました」
「安住アナのラジオを聴き、絶対に来ようと決めていました」
講演終了後、著書にサインを求められました。
そして、声をかけてくださいました。
昨日、小雨がパラつく中、高崎市民を対象とした講演会が市内の公民館で開催されました。
僕は講師として招かれ、約2時間の講話を行いました。
演題は 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の裏舞台』
今回は、ちょっとした異変がありました。
平日の昼間開催の講演会の場合、聴講者のほとんどは、時間が自由になる高齢者です。
ところが昨日は、数名ですが、若い人の顔がありました。
若い、といっても30~40代とおぼしき人たちです。
そして彼ら彼女らは、講演終了後、すぐには退場せず、会場に残り、僕との会話の機会をうかがっていました。
実は、この時間が僕にとって、至福の時なのであります。
ひと言で言えば、“読者と触れ合える時間” だからです。
「ツイッター、フォローしています」
「『ちいきしんぶん』 の記事、読んでます」
どこかで、誰かが、僕の文章を読んでくださっていることは知っていても、どんな人かは分かりません。
でも、講演という “ライブ” は、直接、著者と読者が顔を合わせ、話ができる唯一の場なのです。
(ミュージシャンがライブを大切にする気持ち、よーく分かります)
30代の女性は、
「いつか絶対、講演を聴きに来ようと思っていました。今日の開催を知って、平日でも 『この日なら行ける』 って楽しみにしていたんです」
そんな言葉を聞いたら、ライブ活動を止めるわけにはいきませんって!
次は、あなたの町へ行きます。
お会いできる日を楽しみにしています。
2022年07月11日
竜宮から来た老婦
「竜宮から来ました」
小学生のお孫さんと最前列に座った老婦が言いました。
毎月、伊勢崎神社 (伊勢崎市) の境内で開催している街頭紙芝居。
僕らは1年半前から地元の民話を題材にしたオリジナル紙芝居の口演を行っています。
昨日は、その開催日でした。
僕らとは、紙芝居師の石原之壽(いしはらのことぶき) くんと画家の須賀りすさん、と僕です。
3人で、伊勢崎市宮子町の 「龍神宮」 に伝わる民話を紙芝居にしました。
タイトルは 『いせさき宮子の浦島太郎』。
すると先月!
かの人気テレビ番組 『ナニコレ珍百景』 で龍神宮が放送され、 珍百景として登録されました。
放送後、地元紙にも掲載され、話題が話題を呼んで、街頭紙芝居にも、たくさんの人が来るようになりました。
<県道2号線、駒形バイパスに 「竜宮」 という名の交差点がある。北に曲がり、広瀬川に架かる 「竜宮橋」 の上から覗き込むと、河川敷にこんもりとした茂みが見える。地元では竜宮城へつながっていることから 「竜宮の森」 と呼ばれ、浦島太郎伝説の地として 「龍神宮」 が祀られている。>
(小暮淳・著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) より)
「私、テレビに出たんですよ」
老婦は、まさに地元 「竜宮」 に暮らす住民だったのです。
テレビ番組では、地元民として出演していた人でした。
放送後、新聞で紙芝居になっていることを知り、お孫さんに見せてあげたくて連れて来たのだといいます。
老婦は言いました。
「急に有名になってしまって、ビックリしました。遠くから車でやって来る人が増えましたね」
紙芝居が始まると、お孫さんと食い入るように見入っていました。
「素敵な紙芝居にしていただき、ありがとうございました」
そう礼を言って、帰って行きました。
“竜宮” から来たのですから、あの老婦は、乙姫様だったのかもしれませんね。
※次回の 「神社かみしばい」 は8月13日・14日に開催します。
2022年07月09日
蛮行は人の為ならず
昨日は一日、ショッキングなニュースが日本列島を駆けめぐりました。
この国の元首相が、暗殺されました。
テレビは、一斉に特別番組に変更されました。
くり返し流される銃撃の瞬間。
銃規制の厳しい日本での平和神話が崩れるような映像に、恐怖を覚えました。
午後5時3分。
死亡の速報が流れると、各党の政治家たちがコメントを発表しました。
小池都知事が涙ながらに語った 「このような蛮行は許しません」。
他の政治家たちも一様に、「蛮行」 という言葉を用いました。
「蛮行」 とは、ふだん、あまり聞きなれない言葉です。
意味は、<野蛮な行為>(広辞苑) のこと。
「野蛮」 なら、なんとなく分かります。
<粗野でデリカシーが無いこと>(新明解国語辞典) です。
でも、もう一つの意味があります。
<未開の状態を、発展途上の段階に在るものととらえ、批判していう語>(同上)。
では、そもそも 「蛮」 という字には、どんな意味があるのでしょうか?
漢和辞典を引くと、意味の筆頭に <えびす> とあります。
漢字では 「夷」 と書きます。
意味は、<中国の東方民族、またその住地> <未開の地、またその民族>(漢和中辞典)。
今の時代には即さない、差別語のようであります。
でも僕は、「蛮」 という字を見ると、「南蛮」 という言葉を連想します。
昔、社会科の授業で習った “南蛮渡来” の南蛮です。
この場合は、桃山時代から江戸初期にかけて来航したポルトガルやスペイン人がもたらしたヨーロッパ文化のことをいいます。
「南蛮」 というと、なぜか急に 「蛮」 の持つ差別的な響きが、“あこがれ” に変わるから不思議です。
「南蛮漬け」 といえば、肉や魚を焼いたり揚げたりして、唐辛子やネギを加えた合わせ酢に漬けた料理です。
ビールに合うので、大好きです。
そして 「南蛮」 といえば、やっぱり 「チキン南蛮」 です!
最近は関東でも食べられますが、発祥は宮崎県です。
20年ほど前に、現地の友人に連れられて専門店で食べたチキン南蛮の味は、いまだに忘れられません。
甘じょっばいタレとタルタルソースの絶妙なハーモー二―!
鶏肉の味を最大限に引き出していました。
なにが言いたいのかといえば、同じ漢字でも熟語により、意味合いも、受け取るイメージも変わるものだということです。
当然、暴力による 「蛮行」 は許されるものではありません。
“蛮行は人の為ならず”
暴力によって、世の中は変わりません。
元首相のご冥福をお祈り申し上げます。