2025年05月12日
白秋のバイブル
青春のバイブルといえば、僕の場合、五木寛之の 『青春の門』 (講談社文庫) でした。
高校時代、夢中になって読んだ記憶があります。
今でも書架には、シリーズ全巻が揃っています。
では、60歳を過ぎた現在のバイブルは?
ところで、「青春」 の対義語って知っていますか?
「白秋」 です。
老年期のことで、50~75歳くらいまでの、人生の実りを楽しむ期間だそうです。
ということは、まさに現在の僕は、“白秋まっ只中” なのであります。
50代後半から、くり返し読んでいる本があります。
やはり五木寛之なんですね。
『大河の一滴』 (幻冬舎文庫)
以前、このブログでも触れています。
(2024年5月24日 「腹五分で行こう!」 参照)
『大河の一滴』 は、27年前のベストセラーです。
五木寛之が、このエッセイを書いた時の年齢が、ちょうど今の僕の年齢なんですね。
そんな縁もあって、最近になって、また読み返しています。
人生とは面白いもので、年齢によって見えている世界は異なります。
若い時に見えていたものが、老いると見えなくなり、また若い頃に見えなかったものが、この歳になると見えてくるのです。
この本は、読み返すたびに、そんな “気づき” を、さりげなく教えてくれます。
こんな話が載っています。
老子と弟子の別れのシーンです。
弟子は老子に、こう言います。
「先生、私は長いあいだ先生のもとで一生懸命、学んできました。でも先生は、これまで一度も、人生の真実とはこのようなものである、という決定的なことを私に教えてくださることがありませんでした。(中略) 最後に、お願いですから、なにかひと言で結構ですから、これが人間の存在というものだよ、人生の真実というものだよ、という大事なひと言を私のために、別れに際して教えていただけませんでしょうか」
これに対して老子は、自分の口を大きく開けると、口の中を指さして言いました。
「どうだ、わかったか?」
これに対して混乱した弟子は、
「いいえ、わかりません」
と答えます。
すると老子は、しょうがないやつだな、といわんばかりに、もう一度、大きく口を開けて言いました。
「歯はあるか?」
ここから、老子と弟子の禅問答が続きます。
「いいえ。先生はご老人なので一本も歯は残っていません」
「そうか。では、舌はあるか」
「はい、もちろん舌はございます」
すると老子は、そのままうなづいて牛車に乗り、その場を離れてしまいました。
まるで、“なぞなぞ” のような話です。
この後、弟子は、この老子の不思議な行動を、どう解釈したのか?
気になる人は、一読をおすすめします。
著者は、こう結んでいます。
<これは古い物語ですけれども、私たちは自分が生きていくなかで、そういうことをふっと考えるというところに、じつはなにか大事なものがあるのではないかと思うのです。ふだんは考えないことを、ふっとそのときに反省させられる。>
♪ 白秋時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの 白秋時代の真ん中は 道に迷っているばかり ♪
Posted by 小暮 淳 at 11:57│Comments(1)
│読書一昧
この記事へのコメント
自分も今 「白秋」真っただ中です。秋は、実りの秋ですね。次に来る「玄冬」までは、まだ時間がありそうですが、悔いの残らぬように秋を楽しもうと思います。
昨年101歳の大往生をした祖母は、90代過ぎまで元気に、俳句や短歌、ちぎり絵、農作業していました。
それを目標にしたいと思っています。
昨年101歳の大往生をした祖母は、90代過ぎまで元気に、俳句や短歌、ちぎり絵、農作業していました。
それを目標にしたいと思っています。
Posted by センネンボク at 2025年05月12日 21:42