2021年12月31日
大晦日だョ! ゲゲゲのゲ
コロナで明けて、コロナで暮れる忍耐の一年でした。
そんな2021年も今日一日限り。
約12時間後には、新しい年を迎えます。
みなさんは、どんな一年でしたか?
僕は公私ともに、良い事も悪い事もいろいろあったバラエティーに富んだ年だったように思います。
今、振り返ってみると、精神的に追い込まれた一年だったようです。
それでも、なんとか人生(みち)に迷わず、今年最後の日を無事に迎えることができました。
これもすべて、“人” に支えられ、“人” に助けられたおかげだと、みなさんに感謝しています。
さて、ざっとですが、どんな一年だったか?
振り返ってみたいと思います。
<1~12月>
『神社かみしばい』
毎月1回、伊勢崎市の伊勢崎神社で開催している街頭紙芝居。
おかげさまで、一回も休むことなく、12回開催することができました。
<3、9月>
『末期の酒』
昨年、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に掲載された 「忠治外伝 末期の酒 『牡丹』 を探しに!」 が始まりでした。
これは、国定忠治が処刑された前夜に呑んだ酒の銘柄が分かった!という記事です。
3月には群馬テレビが、ドキュメンタリー番組で放送。
僕がリポーターを務めました。
その放送を機に前橋市在住の噺家、都家前橋(みやこや・ぜんきょう)さんが、「末期の酒」 という落語を創作。
9月、ユーチューブ配信が始まりました。
<7~8月>
『増刷記念!表紙画展』
今年7月、拙著 「民話と伝説の舞台」(ちいきしんぶん) が増刷されたことを記念して、高崎市の戸田書店で、表紙画展が開催されました。
好評につき、このイベントは規模を拡大して来年2~3月に前橋市の紀伊國屋書店での開催が決定しました。
<12月>
『安住紳一郎の日曜天国』
これは、まさに瓢箪から駒、寝耳に水、棚からぼたもちでありました。
かの人気アナウンサーが、ラジオ番組の中で拙著を紹介しただけでなく、僕のことを 「師匠」 と呼んだこともあり、大変な騒動となりました。
ということで、ざっとですが、主だった出来事を挙げてみました。
いろいろあった一年でしたが、+-=良い事の方が多い年だったと思います。
来年は、さらに良い事の数を増やせる年にしたいですね。
読者の皆さまには、今年も大変お世話になりました。
来年も引き続き、よろしくお願いいたします。
それでは、今年も最後に恒例、故・水木しげる先生の 『幸福の七か条』 (幸せになるための知恵) を、ご一緒に唱和いたしましょう!
<第一条>
成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
<第二条>
しないではいられないことをし続けなさい。
<第三条>
他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
<第四条>
好きの力を信じる。
<第五条>
才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
<第六条>
怠け者になりなさい。
<第七条>
目には見えない世界を信じる。
よいお年をお迎えください。
2021年12月30日
おやじの湯 (7) 最終回 「“還暦温泉”っていうんだ。何でか分かるかい?」
湯宿温泉 「ゆじゅく 金田屋」 みなかみ町
金田屋の創業は明治元(1868)年。
ロビーの右奥に、歌人・若山牧水 (1885~1928) が草鞋(わらじ)を脱いだ土蔵の白壁が、せり出している。
約60年前の本館改築の際に、一続きにした。
上がり框(かまち)の暖簾(のれん)をくぐり、急な階段を上がると、宿泊した蔵座敷が 「牧水の間」 (8畳) として残る。
「時代でいえば、2代目と3代目の頃。私の曽祖父と祖父がもてなしたと聞いています」
と、5代目主人の岡田洋一さん。
その晩は、釣り名人といわれた祖父が釣ったアユの甘みそ焼きに舌鼓を打ち、あまりのおいしさに2匹を平らげたという。
若い頃の洋一さんも牧水のように旅をした。
大学時代は社会人の山岳会に入り、日本中の山に登った。
卒業後、作家・小田実のベストセラー旅行記 『何でも見てやろう』 に感化され、単身で米国に渡った。
8ヶ月後、妻で女将の孝子さんが合流し、4年間の夫婦での海外放浪生活が始まった。
「言葉が通じないので仕事がなかなか覚えられず、いくつも職を替えました。若かったからできたことです」
孝子さんは、当時を述懐する。
カナダや米国を点々とし、ホテルやレストランでコックの手伝いやウエーターの仕事をした。
アルゼンチンにある南米最高峰の山、アコンカグア (標高6,960m) の登頂を夢見た。
気がつくと、手元にまとまった現金ができた。
アコンカグア行きはやめ、「この金で世界一周をしよう」 と、イギリス、フランス、イタリアと欧州をめぐり、アフリカ、アジアの国々も旅した。
2人は29歳で一度、群馬に戻ったが、再び東京に出た。
洋一さんは、その後、四万温泉 (中之条町) の温泉旅館の営業支配人を経験し、郷里の旅館を継いだのは39歳だった。
「ビンの中にハエを入れて育てると、ハエがだんだん小さくなっていくという。人間も同じで、小さな島国の中で暮らしていると、精神的に小さな人間になっちゃうんじゃないかって思ったんですよ」
と、世界を旅した理由を話した。
その洋一さんも今は、すっかり湯守(ゆもり)の顔だ。
「湯宿の湯は、“還暦温泉” っていうんだ。何でか分かるかい? それは60年前に降った雨が今、湧き出しているからなんだ。温泉って不思議だよね」
源泉と周辺環境を守ろうと、仲間とみなかみ町を流れる赤谷(あかや)川上流域の森林自然を復元する官民の 「赤谷プロジェクト」 も立ち上げた。
型破りな主人と話がしたくて、やって来る常連客は多い。
<2013年3月13日付>
このカテゴリーでは、2012年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』 の番外編 『おやじの湯』 を不定期にて掲載いたしました
ご愛読いただき、ありがとうございました。
※バックナンバーは 「カテゴリー」 より閲覧できます。
2021年12月29日
おやじの湯 (6) 「歴史のある宿と温泉がなくなるのを、このまま見過ごしていいのか」
沢渡温泉 「まるほん旅館」 中之条町
沢渡(さわたり)温泉は、皮膚を刺激する草津の湯の帰り道につかると、つるつるの肌になることから、草津温泉の 「なおし湯」 「仕上げ湯」 と呼ばれたきた。
鎌倉幕府を開いた源頼朝が、イノシシ狩りの際に発見したと伝わる。
「まるほん旅館」 は、元禄時代に旅人に自炊させて泊めた木賃宿から始まった。
しかし、9年前、後継者がいなくなり、閉鎖の瀬戸際に立った。
その窮状を救ったのが、当時、群馬銀行中之条支店の行員として沢渡温泉を担当していた16代目主人の福田智さんだ。
渉外係として、まるほん旅館にもたびたび訪れ、先代の勲一さんの人柄に惚れ込んでいた。
平成15(2003)年秋、その勲一さんが突然、
「自分も歳だし、後継ぎがいないので宿を閉めようと思う」
と切り出した。
一人息子を亡くし、親類からの後継者探しもうまくいかず、意気消沈していた。
半年間、銀行員として後継者探しに走り回った。
「県内の大温泉地の老舗が経営する」
「旅行作家の会が共同経営する」
そんな話が持ち上がっては消えた。
「歴史のある宿と 『一浴玉の肌』 と言われる温泉がなくなるのを、このまま見過ごしていいのか?」
宿に泊まり込んで、湯守(ゆもり)の実務を体験し、「自分でもできそうだ」 と思った。
そして、温泉宿の主人への転身を決意した。
「温泉宿は女将の役割が大きい」
勲一さんに言われ、最初は猛反対だった妻の節子さんを説得した。
当時の沢渡温泉源泉管理組合には、源泉の使用権は、相続人以外の第三者には譲渡できない規約があった。
そのため勲一さんと養子縁組をし、姓を田中から福田に変えた。
同14年1月、妻と当時小学生だった2人の子どもとともに宿に入った。
「それでも私に湯守が務まるかと不安でしたが、引き継いだ後も、この湯を目当てに、たくさんのお客さまが来てくださる」
一度だけ 「廃業」 という言葉が頭をかすめたことがあった。
平成23(2011)年3月11日の東日本大震災直後、源泉の湧出がピタリとと止ってしまったのだ。
あわてて福田さんは先代に電話した。
すると勲一さんは、「じきに湯は出る」 と動じなかった。
過去にも地震で湯が出なくなったことがあったという。
地中の圧力ガスが抜け、一時的に湯を押し上げられなくなったと推測する。
湯は3日目に戻り始め、4日目には元通りの湯量になった。
「先代には長年の経験と勘がある。まだ足元にもおよびません」
湯舟の中で、若き湯守は、そう言ってほほ笑んだ。
<2013年1月16日付>
2021年12月28日
大神に納詣
<オオカミは絶滅しましたが、「オオカミは大神 (狼) になって生き続けている」 といったら、何をいっているの?と訝(いぶか)しがられるかもしれません。>
(青柳健二・著 『オオカミは大神』 より)
今年も納詣(のうもうで)に行って来ました。
一年の初めに神社や寺院へお参りに行くのが、初詣です。
納詣とは、その逆。
一年の終わりに、お参りする行事で、僕はかれこれ20年以上前から行っています。
(ちなみに 「納詣」 は、個人的な行事であり、僕の造語です)
では、何のために、お参りに行くのか?
初詣は、その年の安全や平穏、または目標などをお願います。
一方、納詣は、その年の成果を報告します。
ある時、僕は、「初詣」 の他力本願に気づいたのです。
願いするだけの一方通行だと!
神様や仏様の力を借りるだけではなく、どれだけ自分が努力し、どけだけの成果があったかを、きちんと報告すべきだと!
結果、たどり着いたのが、その年の終わりにお参りをする納詣でした。
※(詳しくは当ブログの2010年12月27日 「納詣のすすめ」 参照)
さて、今年は、どこへ行こう?
毎年、その選択を悩むのが楽しみなんです。
でも、今年は、かなり前から決まっていました。
「絶対に、F市のK神社へ行くんだ!」 と……
読者のみなさんは、覚えていますか?
以前、僕がオオカミの夢を見た話を?
※(当ブログの2021年9月10日 「オオカミに乗って」 参照)
あの日以来、僕はオオカミにとりつかれてしまいました。
それも “ニホンオオカミ” です。
ニホンオオカミは明治38(1905)年1月23日、奈良県東吉野村で東亜動物学探検隊員の米人、マルコム・アンダーソンに売られた雄の標本を最後に、絶滅したといわれています。
でも、“絶滅した” といわれているだけで、証拠はありません。
今でも生存しているかもしれないのです。
(そう思った方が、絶対に面白い!)
何よりも興味深いのは、全国には狼信仰の神社が多いということです。
そして、狼信仰の神社には “狛犬” ではなく、“狛狼” が鎮座しているのです。
そのことを僕に教えてくれたのが、冒頭の本でした。
オオカミは大神として、今も生き続けているのです。
調べると群馬県内にも、いくつかの狼信仰の神社がありました。
手始めに、この時季でも雪のないエリア (県西部) の神社を訪ねることにしました。
思った以上に山深い渓流沿いにありました。
赤い橋の前方に、いくつもの鳥居が見えます。
でも、ロープが張られ通行止めです。
美しいアーチ形を描く木造の橋は、老朽が進み、全体が傾き、所々破損個所が見られます。
しかたなく迂回路の指示に従い、上流の橋を渡り、集落を抜け、山道を歩くことにしました。
うっ蒼とした森は、まさに森閑としています。
時おり聞こえる 「キー」 という甲高い獣か鳥の鳴き声。
森は、僕を歓迎してくれているようです。
参道を上りつめた石段の両端、社の前に2体の石像が鎮座されています。
左か 「阿(あ)」、右が 「吽(うん)」 です。
でも、よーく、お姿を拝見すると、狛犬ではありません。
まさに、オオカミです! (感動)
この狛狼はマニアの間では、つとに有名なようで、「日本一キュートな狛狼」 と呼ばれているそうです。
その理由は?
なんと、眉毛があるんです!
ま、本当は眉毛ではなく額の一部が盛り上がっているので、そのように見えるのでしょうけど、それにしても可愛らしいお顔をしています。
いかに地元に愛されているかが伺える、ほほえましい神社であります。
オオカミ愛も満たされたので、本来の目的を果たすことに。
二礼二拍手一拝の後、一年の成果を報告しました。
今年も今日を含めて、あと4日です。
泣いても笑っても悔やんでも、年は過ぎ去っていきます。
みなさんは今年、やり残したことはありませんか?
僕は、納詣を済ませたので、もう心残りはありません。
オオカミは大神なのだ~!
2021年12月27日
中毒者に朗報です!
たぶん、これは育った環境のせいだと思います。
物心ついた頃には、すでに本に囲まれて暮らしていました。
読書家のオヤジの口ぐせは、「勉強はしなくても、本は読め」 でした。
なので幼稚園の頃から強制的に、図書館にも通わされました。
もちろん、幼稚園児が一人で図書館に通えるわけはありませんから、オフクロに連れられて、オフクロの貸し出しカードで本を借りていました。
当時、市立図書館の児童図書をすべて読破してしまい、オフクロが蔵書の追加を陳情したというエピソードが残っています。
三つ子の魂なんとやら……
身についてしまった習慣は、どんなに環境が変わっても治すことができませんでした。
小学校~中学校~高校時代は、完全なる “本の虫” でした。
長じて、社会人になってからは公私混同となり、趣味と実益を兼ねるようになりました。
(もちろんアルバイトは、出版社や書店です)
完全なる慢性の活字中毒 (活字病) の患者です。
現在、新聞は2紙購読していますが、朝読んでしまうと手持ち無沙汰を感じてしまい、ついつい外出時にはコンビニに寄って、もう1紙買ってしまいます。
当然、外出するときは、文庫本を持ち歩きます。
でも、うっかり忘れた時の動揺と言ったらありません。
ソワソワ、イライラ感がつのり、精神が不安定になってしまいます。
病院や薬局、銀行、役場などでの待ち時間……
そこに新聞や雑誌があれば、問題ありませんが、なければ最悪です。
なんでもいいから、あたりをキョロキョロしながら活字を探します。
ポスター、パンフレットなど、興味のあるなしに関わらず、片っ端から読み出す始末です。
たぶん、重度の中毒者なので、死ぬまで治療法はないと、あきらめています。
そんな活字中毒者に、朗報が飛び込んで来ました!
2021年の紙の出版物 (書籍と雑誌の合計) の推定販売金額が、発表されました。
これによる今年の推定販売金額は、1兆2,100億円台となり、前年比1%減とのこと。
「なーんだ、相変わらず活字離れが進んでいるんじゃん」
と、お嘆きの中毒者のみなさん、続きを聞いてください。
ところがジャンル別を見ると、書籍は約2%増なのであります!
これは15年ぶりにプラスに転じたことになります。
調査した出版科学研究所によると、新型コロナウイルス禍の 「巣ごもり需要」 などが要因ではないかと分析しています。
児童書のほか、学習参考書、文芸書、語学・資格関連の書籍が好調だったようです。
思えば拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん) も、コロナ禍の今年、増刷されました。
書店員によれば、急に売れ出した理由について、「巣ごもり需要と3密を避けた身近な謎学の旅への好奇心からではないか」 とのことでした。
いずれにせよ、このコロナ禍において、少しでも出版業界に効用があったことが嬉しいじゃありませんか。
活字文化は、永久に不滅なのです!
2021年12月26日
着ぐるみの中身
「小暮くん、まだヤンチャしてるんだ!」
コロナ前に開催された、さるトークイベントでのこと。
著書の販売会場で、中年の女性に声をかけられました。
小暮くん?
僕のことを、そう呼ぶということは、同級生かしらん。
と、まじまじと女性の顔を見ました。
「あーーーーっ、もしかして、○○さん?」
かすかな面影を頼りに、記憶の中の同級生の名前を呼びました。
「分かった!? うれしい!」
中学卒業以来ですから、実に46年ぶりの再会となります。
新聞か何かで記事を見て、会場に駆けつけてくれたようです。
会いに来ていただいて、しかも本まで買っていただいて、こんなことを言うのもなんですが、なんだか浦島太郎にでもなったような不思議な感覚をいだきました。
だって、僕が最後に会った彼女の姿は、“少女” だったのです。
それが、時空を超えて一足飛びに、“おばちゃん” になっているのですから……
いやいや、話を聞けば、お孫さんもいるとのことですから、“おばあちゃん” です。
ま、他人のことは言えませんけどね。
彼女から見れば、僕だって、少年→ジジイに変身しているのですから……
さてさて、あの日以来、気になっているワードがあります。
彼女が言った、「やんちゃ」 という言葉です。
あまり気になったので、調べてみました。
●広辞苑 (岩波書店)
子供のわがまま勝手なこと。だだをこねたりいたずらをしたりすること。また、その子供。
●新明解国語辞典 (三省堂)
①子供がだだをこねること。
②いたずら。
●大辞泉 (小学館)
①子供がだだをこねたり、いたずらしたりすること。
②俗に、若者の素行がよくないこと。不良青少年であること。
僕のどこが、「やんちゃ」 なのでしょうか?
だだをこねたり、いたずらをしては、いませんよ。
しいて言うなれば、大辞泉の②でしょうか?
<素行がよくない>
でも僕って、不良中年なんでしょうか?
まっ、彼女の目いっぱいのジョークだったんでしょうけど、今の僕を見て 「やんちゃ」 という言葉を使ったことに驚きました。
と思って、記憶をさかのぼると、まったく同じシチュエーションで、同じ言葉を聞いた場面があったことを思い出しました。
それは10年以上前の野外ライブ会場でのことです。
僕らのバンドが演奏を終えて、ステージから下りた時です。
たまたま同級生の女性が会場に家族と来ていました。
そして、僕に言った第一声が、
「相変わらず、ヤンチャだね」
だったのです。
僕って、どんな子どもだったんですかね?
よくよく彼女たちが言った言葉の真意を読み解いてみると、決して辞書通りの 「わがまま」 「だだをこねる」 「いたずら」 ということではないようです。
バンド活動や著書の出版、講話をしていることが、なぜか “やんちゃ” という言葉で表現されているのです。
ヒントは、「やんちゃ」 の前に付いた “まだ” と “相変わらず” にありそうです。
でも僕は思うんです。
「三つ子の魂百まで」 とは、よく言ったもので、人間って、そうそう変われるものではありませんよ。
確かに外見は、衰えます。
でも、中身なんて、みんな変わりませんって!
みなさんも自分のまわりの古くから付き合っている友人を思い浮かべてみてください。
あいつも、そいつも、あのこも、そのこも、みーんな、あの頃と変わっていませんもの。
変わっていないから、ずーっと付き合っていられるんじゃないでしょうか?
いわば、僕らはみんな “老化” という着ぐるみを着ているだけなんです。
外見は変わっても、中身は変わらない。
いや、変われないんだな。
“やんちゃ” で結構!
ミスマッチな着ぐるみを着て、大いに暴れてやろうじゃありませんか!
2021年12月25日
“下ネタねえさん” がやって来た!
子どもの頃、食べ物の好き嫌いが激しい子でした。
特に野菜、しかも緑の濃い野菜が食べられませんでした。
ピーマン、セロリ、パセリ……
ま、僕だけじゃなくて、これらの野菜は子どもたち全般に不人気だったと思います。
なかでも、大の苦手が “ねぎ” でした。
玉ねぎは、カレーやシチューなど、形がなくなるまで煮込んであれば大丈夫でしたが、長ねぎとなると、お手上げ状態。
「おい、鼻をつまんで、のみ込んじまえ!」
なんて、見かねたオヤジに、よく怒られたものです。
月日が経って、大人になっても、僕の野菜嫌いは一向に治りませんでした。
ただ、“キライ” でも食べられないことはないので、人前では、ちゃんと口の中に収め、あまり咀嚼(そしゃく)せずに、そのまま胃袋へとのみ込んでいます。
そんな僕を一夜にして、激変させた野菜があります。
それは、天下の 「下仁田ねぎ」 です。
とろけるような甘みと食感!
舌触りと味わい!
それまでの、ねぎの概念を覆す、一度食べたら誰もが食べたくなる不思議な “ねぎ” だったのです。
『ねぎとこんにゃく 下仁田名産』
と、「上毛かるた」 に詠まれる言わずと知れた上州名物であります。
最初に口にしたのは、生産農家が経営する旅館でした。
「ねぎぬた」 から始まり、「かきあげ」 「鍋」 「ねぎみそ」 ……
と下仁田ねぎのフルコースです。
なかでも 「かきあげ」 は絶品で、おかわりをしたほどでした。
“好きこそ物の上手なれ”
なんて言葉がありますが、一気に僕は、下仁田ねぎに、のめり込みました。
大嫌いだった “ねぎ” が、大好きになるきっかけとなった “下仁田ねぎ” に、「何か恩返しがしたい」 とまで考えるようになったのです。
「そうだ! もっと、たくさんの人に、この “ねぎ” の素晴らしさを知ってもらおう!」
と一念発起して、書き上げたのが、2014年に出版した 『下仁田ねぎの本』(上毛新聞社) でした。
これを読めば、下仁田ねぎの歴史から生産農家の苦労話、そして、なぜ、あんなに美味しいねぎになったのか?まで、ありとあらゆる下仁田ねぎの魅力を知ることができます。
今年も下仁田町の生産農家から “下仁田ねぎ” が届きました。
手間暇かけて育った、かわいい、ずんぐりむっくりとしたねぎは、もはや我が家の冬の風物詩であります。
焼いて旨し、炒めて旨し、煮ればさらに美味なり!
子どもの頃、「上毛かるた」 の 「ね」 の札のことを、こんなふうにふざけて詠んで遊んでいました。
<寝ずと今夜は 下ネタねえさん>
今宵も “下ネタねえさん” と一緒に、しっぽりと酒を酌み交わしたいと思います。
2021年12月24日
その年の自分がわかる漢字
「かね?」
先日、日本漢字能力検定協会が 「今年の漢字」 を発表しました。
ちょうど、子育て世代への臨時特別給付金が話題になっていた時なので、テレビの画面を見ていて、「かね」 と読んでしまいました。
“金(きん)” だったのですね。
確か、過去にも数回あったような……(4回目だそうです)
オリンピックが開催された年は、選手の活躍をたたえて 「金」 になるようです。
ま、今年は大谷翔平選手や藤井聡太棋士の大記録= “金字塔” も加味されているんでしょうね。
さてさて、みなさんは、自身の 「今年の漢字」 は決まりましたか?
僕は、決まりました!
と、発表の前に、過去5年間を振り返ってみたいと思います。
2016年 「奔」、2017年 「活」、2018年 「話」、2019年 「別」、2020年 「闘」。
昨年はコロナ禍で格闘した一年でした。
その前の年は、両親と愛犬を立て続けに見送った年でした。
こうやって、その年の漢字を振り返ると、自分がどんな一年を過ごしてきたのかが、よく分かります。
たった、漢字一字なんですけどね。
それでは発表します!
2021年、僕の 「今年の漢字」 は?
デデデデデ………(ドラムロール音)
今年の漢字は、『演』 です!
まず、この漢字が選ばれことに、安堵しています。
昨年はコロナ一色で、仕事も激減し、人とも会えず、先の見えない暗澹たる思いで過ごした一年でした。
でも、今年は違いました。
依然、感染防止対策が強化されたままの世の中でしたが、少しずつ、人々の “やる気” と “動き” が見え始めました。
その一つが、まず講演です。
マスク着用、消毒、換気等の対策は徹底されながらも、人数制限をしたイベントが各地で行われました。
昨年は、たった2回でしたが、今年は14回の講演をしました。
うち2回は、東京都と栃木県まで出かけての出張講演でした。
コロナ禍前は、年間約30回の講演をこなしていましたから、回数からいえば、まだ半分ですが、回復の兆しは見えてきました。
「神社かみしばい」 というイベントを始めたのも今年の1月からでした。
創作紙芝居の上演です。
毎月1回、計12回の公演を行いました。
そして特筆すべきは、テレビの出演です。
僕は長年、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 という番組のスーパーバイザーをしています。
いわゆる監修人ですから、ふだんは制作会議に参加して、「あーだ、こーだ」 と意見を言っているだけなのですが、なぜか今年は、僕が提案したネタが番組に採用されることが多く、3回もリポーター役で出演しました。
ということで、講演、上演、出演が目立った年ということで、「演」 を今年の漢字としました。
今年も余すとこ1週間です。
みなさんは、どんな一年でしたか?
ぜひ、漢字一字で表現してみてください。
2021年12月23日
おやじの湯 (5) 「現代医学が対応できない病気に悩む人たちが湯治に来ます」
このカテゴリーでは、2012年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』 の番外編 『おやじの湯』(全7話) を不定期にて掲載いたします。
源泉を守る温泉宿の主人たちの素顔を紹介します。
※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
川古温泉 「浜屋旅館」 みなかみ町
『川古(かわふる)のみやげは、一つ杖を捨て』 と言われるほど、昔からリウマチや神経痛に効く湯治場として親しまれてきた。
現在でも、県内外から訪れる長期滞在の湯治客が、約6割を占めている。
「医療の発達で温泉の目的が療養から観光へと変わりましたが、ストレスからくる心の病や現代医学が対応できない病気に悩む人たちが湯治に来ます」
と語る3代目主人の林泉さん。
20代の頃は、東洋史の学者を目指していた異色の経歴を持つ。
高校を卒業し、進学先の早稲田大で朝鮮古代史に関心をもった。
卒論のテーマには 「高句麗の対外関係史」 を選んだ。
さらに明治大大学院に移り、韓国への留学話も出たが、30歳の頃、研究者を断念し、帰郷した。
しかし、学問を志していた頃と同じ情熱で、地域を見つめてきた。
みなかみ町北部の赤谷(あかや)川流域の生物多様性の復元などを目的とした 「赤谷プロジェクト」 に林野庁、日本自然保護協会とともに取り組む地域協議会の代表幹事を平成15(2003)年の発足時から務めた。
同17年にみなかみ町の一部になった新治村の村誌編纂(へんさん)委員となり、法師、猿ヶ京、湯宿(ゆじゅく)、川古の旧村にある4温泉地の記述を担当した。
川古温泉の起源については、よく分かっていないが、江戸時代の後期には、すでに温泉があった。
大正時代には食料持参で湯治客が入りに来る湯小屋があったという。
大正5(1916)年、木材を切り出して酢酸(さくさん)などを造るため、旧日本酢酸製造赤谷工場が、温泉の下流に設立された。
酢酸は当時、火薬の原料になった。
この工場に勤めていた祖父、峰治さん (故人) が温泉の湯守(ゆもり)から仕事を引き継ぎ、浜屋旅館を創業した。
ちなみに 「浜屋」 とは、林家の屋号である。
源泉は40度弱と温度が低いため、高い療養効果が得られる “持続浴” と呼ばれる入浴法がとれる。
以前訪ねた時、日に8時間も入浴するお年寄りと会ったこともある。
内風呂の浴槽の底には、小石が敷かれている。
湯は無色透明だが、かすかに硫化水素の臭いがする。
ジッとしていると、数分で全身に小さな泡が付き出した。
湯が新鮮な証拠だ。
泡が付着して白くなった体を手で払うと、まるでサンゴの産卵のように無数の泡が一斉に舞い上がった。
「ふだんの生活から離れ、自然環境に恵まれた温泉場に滞在することにより、心と体のバランスが整えられていきます」
「命の洗濯」 という言葉がある。
現代人にとって温泉は、心の湯治場といえる。
<2012年10月17日付>
2021年12月22日
サンタクロースは赤兎馬に乗って
還暦を過ぎてからというもの、目に見えて、体のそこかしこに老化現象が起きています。
歯は抜ける、視力は衰える、血圧は上がり、肩こり、頭痛にも悩まされています。
ついつい、「ああ、歳は取りたくない」 とグチってしまうのですが……
でも、よくよく考えてみれば、歳を重ねたからこそ得られたモノの方が多いことにも気づきます。
たとえば僕の場合、それは “読者” の存在です。
フリーランスのライターになって25年。
それ以前の編集者の時代を入れれば、もう30年以上も文章を書いているんですね。
書籍にして世に出した本は、15冊になります。
それ以外の新聞や雑誌に著した記事も原稿用紙に換算したら、いったい、どれくらいの量になるのだか……
想像もつきません。
では、それらを今日まで僕に書かせてきた原動力は何か?
それは、“読者” の存在以外にありません。
「物書きは、読まれてナンボ。読まれない文章は、日記と同じ」
そう自分に戒めて生きて来た30数年です。
古い読者は、僕の好きな酒まで知っているんですね。
先日、イベント会場に来てくださった読者さんから、プレゼントをいただきました。
紙袋の中から取り出してみると、それは、「赤兎馬(せきとば)」 でした。
赤兎馬は、鹿児島県の芋焼酎です。
その昔は、九州から外へは出回らなかったこともあり “幻の焼酎” と呼ばれたこともありました。
僕は、言わずと知れた呑兵衛です。
酒であれば、なんでも呑みます。
大好物は日本酒ですけど、「ぐんまの地酒大使」 を仰せつかっている手前、特定の銘柄を挙げて 「好きです」 とは言えません。
でも、「焼酎なら問題ないだろう」 ということで、このブログでも、たびたび 「赤兎馬」 の名を挙げてきました。
赤兎馬とは、三国志に登場する名馬の名前です。
一日に千里を走るといわれています。
さしずめ、サンタクロースが赤兎馬に乗って、ひと足早いクリスマスプレゼントを届けてくれたということでしょうか?
読者って、本当にありがたいものですね。
もちろん、このプレゼントのお礼は、きっちり仕事でお返ししたいと思います。
やっぱり、歳は重ねてみるものです。
読者のみなさん、いつも応援、ありがとうございます。
感謝!
2021年12月21日
UCHI SAKE ~ぐんまの酒と食のセット~
今日は、「ぐんまの地酒大使」 からのお知らせです。
自宅で群馬の地酒と県産食を楽しんでもらおうと、「ぐんま酒と食の祭典実行委員会」(事務局/群馬県地域企業支援課) が日本酒と食のセット販売を始めました。
セットは8種類。
各種限定100セットです。
商品発送は1月中旬から2月上旬予定。
1セット2,500円 (消費税・送料込み)
購入者には特典として、蔵元や生産者が参加するオンラインイベントで交流ができます。
<商品内容>
●群馬の地酒 (300ml) ×2本
●県産加工食品 (ベーコン、チーズ、こんにゃく、焼きまんじゅうなど) 2~3種類
●協力店で地酒が買えるクーポン券 (1,000円分)
すでに注文の受付は始まっており、数量に達し次第終了となります。
<購入方法>
「群馬SAKE TSUGU(サケツグ)」 のサイトまで。
https://www.gunma-saketsugu.jp/gunmauchisakeset
2021年12月20日
作者来社
「あ~、つかれた~!」
そう言いながら座長が、遅れて店内に入って来ました。
「そんなに疲れたか?」
と僕。
「ああ、緊張したよ」
僕らはいつも、口演終了後、遅い昼食をとりに近くの食堂に集まります。
昨日は、毎月恒例の 「神社かみしばい」 の開催日でした。
僕と座長は、高校の同級生です。
一昨年の夏、彼から相談がありました。
「伊勢崎神社で行っている紙芝居で、オリジナルを上演したい。できれば地元の民話を紹介したい」
これに応えて完成したのが 『いせさき宮子の浦島太郎』(作・小暮淳、画・須賀りす) でした。
オリジナルの民話紙芝居を上演し続けて、今月で丸1年が経ちました。
その間に、我々の活動に賛同し、支援してくださる人たちが現れました。
その一人が、前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生です。
我々のために、無償でオリジナルの紙芝居を書き下ろしてくださったのです。
それも、すでに2本!(驚きました)
第1話 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 ~おきりとおこみの巻~
第2話 『焼きまんじゅうろう 旅すがた』 ~宿場につめてぇ風が吹く~
昨日は、第2話の新作発表口演日だったのであります。
たぶん、情報が漏れたんでしょうね。
「野村先生が来社するらしい」 という。
1日4回口演を行っていますが、おかげさまで昨日は、毎回、たくさんの入場者がありました。
※(昨日は寒かったため、境内ではなく屋内で開催しました)
野村先生は、11時と12時と13時の回を観覧してくださいました。
まんじゅうろうの必殺技は、「あまから剣法みそだれ返し」。
そして、必殺技を決めた後の決めゼリフがふるっています。
≪目に染みたか、身に染みたか、心に染みたか≫
この名ゼリフは、会場が一体となって、老いも若きも子どもも一緒になって、大合唱となります。
「でも、先生もよろこんでいたぞ!」
「ああ、3時間も居てくれたんだもんな」
「『浦島太郎』 のリクエストまでしてくれた」
「ああ、ありがたいね」
「いよいよ、来月は、1周年記念イベントだぜ」
「ああ、よろしく頼む。とりあえず、今年一年間、お疲れさまでした」
「カンパーイ!」
お冷で互いの労をねぎらったのであります。
今年、「神社かみしばい」 に足を運んでくださった方々に御礼申し上げます。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします
※新春特別口演は1月30日を予定しています。
2021年12月18日
おじさんは、なぜキレる?
京都アニメーション放火事件を彷彿させる、おぞましい事件が起きてしまいました。
大阪市北区で発生した雑居ビル火災です。
すでに24人が死亡したとのこと。
最新のニュースによれば、犯人は市内在住の61歳の男のようです。
過日の新聞に、読者 (20代女性) からのこんな投稿がありました。
<受付事務の仕事をしていますが、50代以上の 「おじさん」 に嫌悪を感じます。原因は、理不尽なクレームや苦情、どなりつける、人をバカにするといったおじさんたちの態度。受付へのクレーマーは、ほぼ、おじさんです。思い通りにならないと大声を出したり、人に対して侮辱的なことを平気で言ってきたりします。>
僕も先日、スーパーマーケットで見かけました。
レジ前で、コロナ感染対策用に張られた透明のビニールシートを引っぱがしながら、大声で怒鳴っているおじさんを!
その昔は “キレる” といえば、若者の十八番だったんですけどね。
いつからか、中高年の代名詞になりつつあるようです。
今回の放火殺人事件の犯人とみられる男も、正真正銘の “おじさん” であります。
一説 (医学的見地) によると、老化による脳の萎縮 (衰え) により、怒りのブレーキが利かなくなっているのだそうです。
でもね、ならない人もいるし、おばさん (女性) は滅多に見かけませんものね。
はたして、老化だけが原因でしょうか?
僕は、さる識者が言った言葉が気になります。
「退職後の所在なさ」
世の中からの疎外感を勝手に感じているのではないか?
かつての人望や栄光と、現在の自分を比較して、絶望感を抱いているのではないか?
僕も、投稿者がくくる立派な “おじさん” であります。
さらに性格は、家族から嫌われるような短気でした。
ところが……
短気は過去形で、歳を重ねるごとに性格が温和になったことが自分でも分かります。
なぜ、そうなったのか?
退職後もなければ、若い頃に人望も栄光もなかったからに、ほかなりません。
「俺の人生、こんなもんだろ」
「オレにしては上出来じゃないの」
と、“今” の自分を認めてあげることです。
「こんなはずじゃない!」
と否定した瞬間に、脳が委縮して、怒りのブレーキが利きにくくなりますぞ!
“おじさん” のみなさん、周りに迷惑をかけぬよう、何事にも感謝の気持ちを持って生きて行きましょうね。
2021年12月17日
ギンギンで行こう!
みなさんは、子どもの頃に遊んだ 「片足跳び」 のことを何といいますか?
僕は10代の終わりに東京へ出るまで、一般的に 「ケンケン」 と言われていることを知りませんでした。
僕が生まれ育った前橋旧市街地の町では、誰もが 「ギンギン」 と呼んでいたからです。
昨晩、久しぶりに、いつものたまり場に行き、常連客らと酒を酌み交わしてきました。
いつしか話題は、群馬の方言になり、「使う」 「使わない」 の論争で大いに盛り上がりました。
そんな中、同じ前橋市に生まれ育ちながら、完全に四面楚歌になってしまった言葉があります。
それが 「ギンギン」 です。
僕は、ただ単に、群馬の方言だと思っていただけに、ショックは隠せません。
一夜明けて、「片足跳び」 の方言について調べてみることにしました。
まず、誰もが知っている (僕は大人になるまで知りませんでしたが) 「ケンケン」 ですが、そもそもは近畿地方の方言だったようです。
それが全国に広がり、現在では最も使われている共通語になりました。
では、「ケンケン」 とは?
語源は 「蹇蹇」 で、意味は、①忠義を尽くす ②悩み苦しむ。
転じて、不自由な状態で苦しむこと。
現在では差別用語とされている “びっこ” のことを指しているようです。
一方、広く分布している 「片足跳び」 の方言として、「チンガラ系」 というのがあるそうです。
チンチンガモガモ、チンガラコ、チンギリ、チンガラポッチャ、チンチンコロ……など。
意味は、「片足を上げる」 ことで、犬芸の 「ちんちん」 もここからきているようです。
で、問題は 「ギンギン」 です。
ネットで検索しても、どこにも見当たりません。
もしかして、これって僕が生まれ育った町内だけの “局地的方言” なのでしょうか?
実は昨晩、僕のほかに一人だけ、「ギンギン」 を知っている人がいました。
僕よりも年上の男性でしたが、出身を訊くと、R町だといいます。
僕が育ったK町の隣の隣町です。
こうなるとキーパーソンとなるのは、“隣町” の住民ということになります。
いずれ隣町の住民を探し当て、真偽を問いたいと思います。
いずれにしても、局地的方言であることには違いないようであります。
2021年12月16日
「神社かみしばい」 12月口演
今年もだいぶ押し迫ってまいりました。
1月から毎月、伊勢崎神社の境内で開催している創作紙芝居の上演も、今年の最終日を迎えます。
開催初日から新聞やテレビ等で報道されたため、話題となり、回を重ねるごとに認知度も上がり、毎回、たくさんの方に来社していただいています。
スタッフ一同、御礼申し上げます。。
さて、今回もすでに新聞等で大きく報道されたため、ご存じの方も多いかと思いますが、この 「神社かみしばい」 から誕生した群馬のニューヒーロー 「焼きまんじゅうろう」 のシリーズ第2話が早くも登場します!
(詳しくは当ブログ12月8日 「早くも続編! 「焼きまんじゅうろう」 参照)
作者は、あの日本絵本界の最高賞 「絵本にっぽん賞」 受賞歴もある前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生であります。
今年9月から上演を続けている第1話 「おきりとおこみの巻」 に続き、今回、新作 「宿場につめてぇ風が吹く」 を初口演いたします。
必殺技は、「あまから剣法みそだれ返し」。
そして、あの決めゼリフが空っ風に舞います。
「目に染みたか。身に染みたか。心に染みたか」
乞う、ご期待!
たくさんの方の御来社をお待ちしております。
「神社かみしばい」 12月口演
『焼きまんじゅう 旅すがた』
~宿場につめてぇ風が吹く~
●日時 2021年12月18日(土)、19日(日)
10時、11時、12時、13時 ※雨天の場合は屋内開催
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
☆小暮は19日のみ在社いたします。
2021年12月15日
過去になった未来
≪これから30分、あなたの目は、あなたの体を離れて、この不思議な時間の中に入って行くのです≫
(ナレーション/石坂浩二)
ひと足早く、サンタクロースからプレゼントをいただきました。
サンタクロースの正体は、僕がリーダーを務めるのバンドのメンバーKさんです。
「小暮さんが、好きだと思ってさ」
そう言って手渡された紙袋の中には、DVDが入っていました。
タイトルは、『総天然色ウルトラQ』。
『ウルトラQ』 を知っている人は多いと思いますが、タイムリーにテレビで見た世代となると、還暦以上でしょうね。
テレビ放送は昭和41(1966)年1月~7月、TBSテレビで放送された30分の特撮SFドラマです。
(その後のウルトラマンやウルトラセブンなどウルトラシリーズのさきがけとなった作品です)
当然、白黒の放送でした。
放送開始当時、僕は、まだ小学1年生です。
毎回、繰り広げられる不思議な怪奇現象や怪獣、宇宙人の登場にワクワク、ドキドキしながらブラウン管に釘付けになっていました。
サンタクロースからいただいたDVDは、そのカラーバージョンです。
平成23(2011)年、根強いファンの要望から45周年を記念して製作された “総天然色 (昔はカラーのことを、そう呼んでいた)版”。
現代のデジタル技術を駆使して、見事によみがえりました。
DVDに収録されている話は、全28話。
幻の最終回も収録されていました。
(当時、実際に放送されたのは27話でした)
ゴメス、リトラ、ナメゴン、マンモスフラワー、ぺギラ、モングラ―、バルンガ、ガラモン、カネゴン、ラゴン……
数々の怪獣たちとの再会に、毎晩、胸を躍らせながら観ています。
もちろん、半世紀以上前の特撮ですからね。
現代の技術に比べると、着ぐるみ感満載で、陳腐に見える部分もあるのですが、それでも時代を考えれば、特撮の父・円谷英二ひきいる 「円谷特撮プロダクション」 の技術がいかに素晴らしいかが分かります。
当時の僕がお気に入りだった怪獣(?)が、第19話 「2020年の挑戦」 に登場するケムール人です。
細い体に、いびつで長い頭、顔にはいくつもの亀裂が走り、3つの目が光りながら動きます。
今見ても、かなり気味悪い容姿なのですが、なぜか大好きなキャラクターでした。
ケムール人は、2020年のケムール星からやって来た異星人で、地球人の命 (特に臓器) を狙って現れました。
一説には、ケムール人は “人類の未来の姿” とも言われたため、子ども心に大人になるのが怖かったことを覚えています。
ドラマで描かれていた2020年は、昨年過ぎ去りました。
当時の人たちは、半世紀後の未来をどのように思い描いていたのでしょうか?
未来が過去となってしまった今、ふと、どちらが人間にとって幸せな時代なのかと考えずにはいられません。
映像技術にしても、そうです。
便利ではなかった時代だからこそ、技術者たちの情熱が伝わってきます。
そして、未来に大きな夢を抱いていたことも……
昭和の時代に生きた人たちからすれば、令和を生きる僕らは “未来人” なんですよね。
そう思うと、未来のために僕らが今やるべきことが、自ずと見えてくる気がします。
2021年12月14日
おやじの湯 (4) 「この泉の水を飲みながら畑仕事をすると、不思議と疲れないんだよ」
野栗沢温泉 「すりばち荘」 上野村
「これを飲めば、絶対に二日酔いはしないよ」
初めて泊まった晩に、主人の黒沢武久さんからコップ一杯の源泉を手渡された。
口にふくむと、かなり塩辛い。
高濃度の塩化物泉である。
翌朝5時に連れて行かれたのは、宿から3キロほど入った山の中。
大きな岩の間から源泉が湧き出ていた。
小屋の中で、息を殺して待つこと1時間。
パタパタと、かすかな羽音がしたかと思うと、突然、疾風が舞い、目の前の泉が何十羽という青い鳥に覆われた。
成分が海水に近いからだろうか。
毎年、夏になると、海水を飲むことで知られる鳥がやって来る。
限られた地域に分布する、青くて美しい羽を持つ 「アオバト」 だ。
日本では北海道から四国、伊豆七島などで繁殖し、積雪のない温暖な地で群れをなして冬を越す。
ここ上野村には5月~10月の半年間、その姿を見せる。
「今年は飛来する時期も遅いし、数も少ないね。いつもなら3千羽も来るのに、200羽くらいしか確認できてないよ。アオバトは頭がいいからね。地震が多いと来ないのかな」
主人は湯舟の中で、首をかしげた。
野栗沢(のぐりざわ)温泉は群馬県最南端の温泉地。
山ひとつ超えれば、埼玉県だ。
標高はさほど高くはないが、切り立った山々に囲まれたV字谷の奥。
宿名通りの “すり鉢” の底に一軒宿はある。
昭和58(1983)年に、黒沢さんが自ら泉の水をパイプで引いて開業した。
加温したヒノキ風呂の隣に小さな源泉風呂がある。
温度は約18度。
真夏でも、かなり冷たい。
「我慢して肩まで沈めば、湯上りはポカポカに体が温まる。毎日入っているおかげで俺は風邪ひとつ引きやしない」
そう主人に勧められ、意を決して入った。
最初は、ただの水風呂のようだが、やがて足の先から体がピリピリと、ほてり出してきた。
全国から乾燥肌やアトピー性皮膚炎が治ったと、感謝の便りが多く寄せられている。
ウルシのかぶれやハチ刺されは、源泉を小麦粉で練って、ガーゼに塗って貼ると治ってしまうという。
「昔から野栗沢の人たちは、湧き出る泉を飲みに青い鳥がやって来ることを知っていた。この泉の水を飲みながら畑仕事をすると、不思議と疲れないんだよ。まさに魔法の水だ」
湯舟の中、主人は得意げに笑った。
<2012年8月8日付>
※黒沢武久さんは2019年10月に78歳で亡くなられました。現在は長男の忠興(ただおき)さんが2代目を継いでいます。
2021年12月13日
謎の声 「ピクチー」
「朝、早くに、すみません。今、大丈夫ですか? 小暮さん! これを聴いてくださいよ!」
電話の主は、新聞記者のKさん。
声のトーンからして、ただ事ではない様子です。
2日前の夕方、やはり彼から電話がありました。
「今、S温泉のS苑に来ているんです」
「おお、ついに泊まることにしたのか!?」
「ええ、小暮さんがテレビで言っていた座敷わらしに会いに来ました」
「Kさんなら会えるかもよ。霊感、強そうだし」
「今からワクワクしています」
「で、プライベートなの? それとも取材?」
「仕事です。今夜、ご主人から話を聞けることになりました」
そんな内容のやりとりでした。
「いいですか、これから流しますから、よーく聴いてください」
電話の奥から話声が聞こえてきました。。
あまり良くは聞き取れませんが、彼の声に重なって、もう一人、ご主人らしき男性の声が聞こえます。
取材した時に録音した音声のようです。
「キーン」
会話の途中に、突然、変な音が入りました。
僕には、何か金属音のように聞こえました。
「今のところです。もう一度、再生しますよ」
今度は、かん高い女の人の叫び声のようにも聞こえます。
「分かりました?」
「ああ、聞こえた。声のようでもあり、なんだか高音のノイズにも聞こえるね」
「子どもの声ですよ、子どもの声!」
「ああ、言われてみれば……」
「なんて、聞こえましたか?」
「えー、そこまでは……」
「僕には、“ピクチー” って聞こえます」
「ピクチー? ピクチーってなんだよ」
「分かりません」
“ピクチー” って、何だろう?
そう思い、ネットで検索してみました。
一件だけヒットしました。
豆菓子の商品名です。
まさか、座敷わらしが、こんなマニアックなお菓子を、ねだるでしょうか?
もしかしたら、“ピクチー” は彼の聞き違いで、似たような別の言葉だったのかも?
たとえば、“ピクシー” とか?
でも、“ピクシー” は、ポケモンのキャラクターの名前でした。
いくら座敷わらしが子どもだからいっても、現代のアニメを知っているとは思えません。
はたして、謎の声が発した 「ピクチー」 という言葉の意味は?
彼の書く新聞記事の掲載が待たられます。
2021年12月12日
新春は1周年スペシャル口演
“来年の事を言えば鬼が笑う” と申しますが、3週間後は、もう来年なんですね。
イベントの告知をすれば、すべて鬼に笑われてしまいます。
先日、「神社かみしばい」 の12月口演の告知をしたばかりですが、早くも来年1月の新春口演の日時とスペシャル企画が決定しました!
今年の1月からスタートした、ご当地民話を題材にした創作紙芝居の上演会。
その第1弾は、地元伊勢崎市に伝わる “浦島太郎伝説” でした。
『いせさき宮子の浦島太郎』
●作/小暮淳 (フリーライター)
●画/須賀りす (画家・イラストレーター)
●演/石原之壽 (壽ちんどん宣伝社 座長)
この作品の上演1周年を記念して、2022年新春の第1回口演は、スペシャルゲストを招いて、お正月らしく、にぎやかに華々しく開催したいと思います。
そのゲストとは?
「高崎ちんどん倶楽部」 のみなさんで~す!
高崎ちんどん俱楽部といえば、かつて、僕もゲストに呼んでいただき、あの名曲(?) 『GO!GO!温泉パラダイス』 を演奏・熱唱して、アマチュアちんどん大会にて特別賞をいただいた仲であります。
また、口演主の石原之壽氏は、元高崎ちんどん倶楽部員。
そして、須賀りす氏にいたっては、現役の倶楽部員であります。
そんな密な関係ということもあり、1周年記念イベントに、友情出演してくださることになりました。
年配者には懐かしく、若者には新しく、子どもたちにはテーマパークのようなドキドキ感に包まれた紙芝居とちんどん屋がコラボした “昭和ワールド” を、ぜひ、ご堪能ください。
「神社かみしばい」 新春特別口演
『いせさき宮子の浦島太郎』 1周年記念
高崎ちんどん倶楽部共演スペシャル
●日時 2022年1月30日(日)
10時、11時、12時、13時 ※雨天の場合は屋内開催
●会場 伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
●入場 無料 (投げ銭制) ※ペイペイ可
●問合 壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480
※ちんどん演奏は11時と12時を予定しています。
2021年12月11日
過去占い
以前、僕は、占いは、“過去形にすると当たる確率が上がる” ことを書きました。
※(当ブログの2021年10月18日 「きのうの運勢」 参照)
そのことに気づいてから、過ぎた日の運勢チェックを始めましたが、かなりの確率で当たるようになりました。
理由は簡単です。
書かれていることの意味の解釈の範囲が、確実に広がるからです。
「たぶん、あの事かも」 「言われてみれば、そんな一日だったかも」 と……
何より、過ぎた日の占いの利点は、悪い事が的中しても、読んだ時点で、すでに過去の出来事になっていることです。
過ぎてから気づいても、さほど苦にはなりません。
「過去占い」 は、前向きに生きて行くための一つの方法なんです。
ということで、昨日、まとめて数日分の 「過去占い」 をしました。
一週間分の新聞を開き、その日の占い欄をチェック!
すると!
ドンピシャの日がありました。
<大飛躍の日。仕事運に大ツキ。夜も華やか>
そうなんです!
この日は、12月6日です。
人気ブログランキングで1位になった日でした。
“大飛躍の日” に間違いありません。
そして、次の “仕事に大ツキ” ですが、これも後日、判明しました。
読者のみなさんは、僕が来年1月に高崎市で開催される市民を対象にした講座の告知をしたことを覚えていますか?
その受付開始日が、12月6日でした。
で、なんと!
受付開始初日で、定員満席になったといいます。
たぶん、これも安住アナ効果だと思いますが、うれしい知らせであります。
※(当ブログの12月5日 「安住紳一郎さん、ありがとうございます」 参照)
さて、その日の占いには、もう一つ、書かれています。
“夜も華やかに”
これだけは、当たっていませんでした。
いつものように、一人晩酌をして、床に就きました。
当たるも八卦、当たらぬも八卦……
みなさんも 「過去占い」 をしてみてくださいな。