2021年12月23日
おやじの湯 (5) 「現代医学が対応できない病気に悩む人たちが湯治に来ます」
このカテゴリーでは、2012年2月~2013年3月まで朝日新聞群馬版に連載された 『湯守の女房』 の番外編 『おやじの湯』(全7話) を不定期にて掲載いたします。
源泉を守る温泉宿の主人たちの素顔を紹介します。
※肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。
川古温泉 「浜屋旅館」 みなかみ町
『川古(かわふる)のみやげは、一つ杖を捨て』 と言われるほど、昔からリウマチや神経痛に効く湯治場として親しまれてきた。
現在でも、県内外から訪れる長期滞在の湯治客が、約6割を占めている。
「医療の発達で温泉の目的が療養から観光へと変わりましたが、ストレスからくる心の病や現代医学が対応できない病気に悩む人たちが湯治に来ます」
と語る3代目主人の林泉さん。
20代の頃は、東洋史の学者を目指していた異色の経歴を持つ。
高校を卒業し、進学先の早稲田大で朝鮮古代史に関心をもった。
卒論のテーマには 「高句麗の対外関係史」 を選んだ。
さらに明治大大学院に移り、韓国への留学話も出たが、30歳の頃、研究者を断念し、帰郷した。
しかし、学問を志していた頃と同じ情熱で、地域を見つめてきた。
みなかみ町北部の赤谷(あかや)川流域の生物多様性の復元などを目的とした 「赤谷プロジェクト」 に林野庁、日本自然保護協会とともに取り組む地域協議会の代表幹事を平成15(2003)年の発足時から務めた。
同17年にみなかみ町の一部になった新治村の村誌編纂(へんさん)委員となり、法師、猿ヶ京、湯宿(ゆじゅく)、川古の旧村にある4温泉地の記述を担当した。
川古温泉の起源については、よく分かっていないが、江戸時代の後期には、すでに温泉があった。
大正時代には食料持参で湯治客が入りに来る湯小屋があったという。
大正5(1916)年、木材を切り出して酢酸(さくさん)などを造るため、旧日本酢酸製造赤谷工場が、温泉の下流に設立された。
酢酸は当時、火薬の原料になった。
この工場に勤めていた祖父、峰治さん (故人) が温泉の湯守(ゆもり)から仕事を引き継ぎ、浜屋旅館を創業した。
ちなみに 「浜屋」 とは、林家の屋号である。
源泉は40度弱と温度が低いため、高い療養効果が得られる “持続浴” と呼ばれる入浴法がとれる。
以前訪ねた時、日に8時間も入浴するお年寄りと会ったこともある。
内風呂の浴槽の底には、小石が敷かれている。
湯は無色透明だが、かすかに硫化水素の臭いがする。
ジッとしていると、数分で全身に小さな泡が付き出した。
湯が新鮮な証拠だ。
泡が付着して白くなった体を手で払うと、まるでサンゴの産卵のように無数の泡が一斉に舞い上がった。
「ふだんの生活から離れ、自然環境に恵まれた温泉場に滞在することにより、心と体のバランスが整えられていきます」
「命の洗濯」 という言葉がある。
現代人にとって温泉は、心の湯治場といえる。
<2012年10月17日付>
Posted by 小暮 淳 at 10:48│Comments(2)
│おやじの湯
この記事へのコメント
淳さん 改めてのご紹介ありがとうございます。林さんのことが良くわかる記事で、とても参考になりました。
Posted by たかとし at 2021年12月27日 12:32
たかとしさんへ
これはこれは、みなかみ町観光協会様ではありませんか!
ブログをお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでもお力になれればと思い、過去記事を紹介しております。
今後ともよろしくお願いいたします。
これはこれは、みなかみ町観光協会様ではありませんか!
ブログをお読みいただき、誠にありがとうございます。
少しでもお力になれればと思い、過去記事を紹介しております。
今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by 小暮 淳
at 2021年12月27日 23:27
