温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2025年05月14日

ゆがんだ論法


 イヤだ、イヤだ、イヤだ!
 最近、こんな事件ばっかりです。

 「『誰でもよかった』 のなら、我々にしてほしかった」
 これは、先日、千葉市の路上で高齢女性が殺害された事件の容疑者、中学3年生の男子生徒の祖父母のコメントです。


 胸につまされるコメントです。
 僕の孫も容疑者と同じ、中学3年生の男子です。
 もし、同じ立場なら祖父として、同じコメントをしたと思います。

 「誰でもよかった」

 最近の通り魔事件で、よく聞く言葉です。
 本来、殺意は個人に抱くものです。
 うらみ、つらみ、ねたみの矛先は、自分を傷つけた特定の人に向けられます。
 ストーカー殺人など、その最たるものです。

 でも 「誰でもよかった」 とは?


 逮捕後、この男子生徒は、こう供述しています。
 「家を出たかった」
 それには、
 「少年院に入れば家を出られる」
 そのためには、
 「人を殺すのが確実だ」
 だから、
 「誰でも良かった」

 なんですか!? この論法は?
 訳が分かりません。


 ところが最近の事件の容疑者は、そろって同じ言葉を発しています。
 大阪の下校途中の小学生を車でひいた男
 愛知の祖父母を殺害した高校生

 それぞれ 「誰でも良かった」 と供述しています。


 あまりにも自分勝手な論法です。
 「家を出たかった」 のであれば、家を出ればいいだけで、人を殺す必要はありません。
 この短絡的で、ゆがんだ論法が、なぜか今、蔓延しています。

 男子生徒は、まず、家を出るべきだったのです。


 もし僕の孫が、同じ相談をしてきたら、彼を地球の果てまで逃がしてやろうと思います。
 ついでにジイジも一緒に、現実から逃げまくります。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:35Comments(0)つれづれ

2025年05月13日

ハッとしてP


 この感情は、何なんでしょうか?
 老いらくの恋?
 いえいえ、そんなに激しいものじゃありません。

 いうならば、親心のようなものでしょうか……


 我が家の近くには、4軒のコンビニがあります。
 徒歩で行ける範囲に2軒、自転車で行ける範囲に2軒。
 ふだんは一番近いコンビニを利用しています。

 先日の日曜日、車で外出した帰りに、ふだんは利用しない4番目に近いコンビニに寄りました。
 レジへ行くと、店員はいません。
 「あの~、すみません!」
 僕が大きな声で呼ぶと、
 「は~い、いらっしゃいませ~!」
 と奥から若い女性が出てきました。

 「あっ!」
 と僕が叫ぶと、
 「あっ!」
 と、女性店員も叫びました。
 そう、Pちゃんじゃありませんか!!


 読者の中には、覚えている人もいるかもしれませんね。
 今年の冬に、足しげくおでんを買いに行っていたコンビニの店員です。
 (2025年1月29日 「Pちゃんの汁だくおでん」 参照)

 Pちゃんはネパールから来た、語学学校に通う学生です。
 土日だけ、我が家から一番近いコンビニでアルバイトしています。
 僕らは、客と店員として出会いました。

 おでんの販売が終了してからも、なんとなく彼女の顔が見たくなって、なんだかんだと買い物の用事を作って、土日になるとコンビニを訪れていました。
 そしてレジで、他愛のない世間話をしていました。
 故郷ネパールのことや学校のこと、日本での生活などなど……
 僕の質問に、嫌な顔をせず笑顔で答えるPちゃん。

 おのずと愛着が湧いてきます。


 「あれ、店、変わったの?」
 「同じオーナーの店です」
 「なんだ、ビックリした」
 「たまたまです」
 彼女は、この日だけの助っ人店員だったようです。

 それにしても奇遇です。
 なにか特別な縁を感じます。
 (だから、たまたまだって!)

 「じゃ、がんばってね」
 「いつもありがとうございます」

 異国の地でアルバイトをしながら勉学に励んでいるPちゃんが、なぜか、とっても愛しいのであります。
 しかも大都会ではなく、こんな地方都市の小さな町のコンビニで。
 故郷の親御さんは、さぞや心配していることでしょうね。

 “日本のお父さん” になってあげたくなるのです。
 いえいえ、歳の差からみたら祖父であります。
 なんでも、いいじゃありませんか。

 がんばれ、Pちゃん!


 次に会うのは、どこのコンビニなのでしょうか?
 楽しみが増えました。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:07Comments(3)つれづれ

2025年05月12日

白秋のバイブル


 青春のバイブルといえば、僕の場合、五木寛之の 『青春の門』 (講談社文庫) でした。
 高校時代、夢中になって読んだ記憶があります。
 今でも書架には、シリーズ全巻が揃っています。

 では、60歳を過ぎた現在のバイブルは?


 ところで、「青春」 の対義語って知っていますか?
 「白秋」 です。
 老年期のことで、50~75歳くらいまでの、人生の実りを楽しむ期間だそうです。

 ということは、まさに現在の僕は、“白秋まっ只中” なのであります。


 50代後半から、くり返し読んでいる本があります。
 やはり五木寛之なんですね。
 『大河の一滴』 (幻冬舎文庫)

 以前、このブログでも触れています。
 (2024年5月24日 「腹五分で行こう!」 参照)


 『大河の一滴』 は、27年前のベストセラーです。
 五木寛之が、このエッセイを書いた時の年齢が、ちょうど今の僕の年齢なんですね。
 そんな縁もあって、最近になって、また読み返しています。

 人生とは面白いもので、年齢によって見えている世界は異なります。
 若い時に見えていたものが、老いると見えなくなり、また若い頃に見えなかったものが、この歳になると見えてくるのです。
 この本は、読み返すたびに、そんな “気づき” を、さりげなく教えてくれます。


 こんな話が載っています。
 老子と弟子の別れのシーンです。
 弟子は老子に、こう言います。

 「先生、私は長いあいだ先生のもとで一生懸命、学んできました。でも先生は、これまで一度も、人生の真実とはこのようなものである、という決定的なことを私に教えてくださることがありませんでした。(中略) 最後に、お願いですから、なにかひと言で結構ですから、これが人間の存在というものだよ、人生の真実というものだよ、という大事なひと言を私のために、別れに際して教えていただけませんでしょうか」

 これに対して老子は、自分の口を大きく開けると、口の中を指さして言いました。
 「どうだ、わかったか?」
 これに対して混乱した弟子は、
 「いいえ、わかりません」
 と答えます。

 すると老子は、しょうがないやつだな、といわんばかりに、もう一度、大きく口を開けて言いました。
 「歯はあるか?」


 ここから、老子と弟子の禅問答が続きます。
 「いいえ。先生はご老人なので一本も歯は残っていません」
 「そうか。では、舌はあるか」
 「はい、もちろん舌はございます」
 すると老子は、そのままうなづいて牛車に乗り、その場を離れてしまいました。

 まるで、“なぞなぞ” のような話です。
 この後、弟子は、この老子の不思議な行動を、どう解釈したのか?
 気になる人は、一読をおすすめします。


 著者は、こう結んでいます。
 <これは古い物語ですけれども、私たちは自分が生きていくなかで、そういうことをふっと考えるというところに、じつはなにか大事なものがあるのではないかと思うのです。ふだんは考えないことを、ふっとそのときに反省させられる。>


 ♪ 白秋時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの 白秋時代の真ん中は 道に迷っているばかり ♪
    


Posted by 小暮 淳 at 11:57Comments(3)読書一昧

2025年05月11日

歴史を変えた一夜湯治事件


 その昔、「温泉へ行く」 といえば、それは 「湯治に行く」 ことでした。
 湯治とは、読んで字のごとく 「温泉で病を治す」 ことです。

 しかし医学や薬学が進歩した現代、病気になったからと温泉へ行く人は、滅多にいません。
 温泉へ行く目的は、ほとんどの人が観光だと思います。

 では、いつから温泉地が、湯治場から観光地へと変わってしまったのでしょうか?


 毎月1回、第2水曜日に出演しているエフエム群馬 「news ONE」。
 僕は番組の中で、毎回テーマを決めて温泉の話をしています。
 今月のテーマは、ズバリ! 「歴史を変えた一夜湯治事件」 です。

 江戸後期に起きた一大事件を紹介します。
 この事件をきっかけに、湯治目的以外の旅人が温泉地に宿泊するようになりました。
 さて、その歴史を変えた大事件とは?

 ラジオで、お話しします。



 ■放送日  5月14日(水) 18:37 頃~
 ■放送局  FM GUNMA (86.3MHz)
 ■番組名  『news ONE』 月~水 18:00~18:55
 ■出演者  岡部哲彦 (アナウンサー)、小暮 淳 (温泉ライター)
  


Posted by 小暮 淳 at 10:41Comments(2)テレビ・ラジオ

2025年05月10日

ヘビとムカデの共存


 大歓声の中、ついに動き出しました!
 太鼓の音と、「ワッショイ」 のかけ声とともに、ニョロニョロと!
 ギネス記録を持つ、スーパージャイアントウルトラ大蛇みこしが!

 昨日、老神温泉(沼田市)で第61回 「大蛇まつり」 が開催されました。


 例年、僕は 「老神温泉大使」 として、赤城神社の例大祭には出席していたんですけどね。
 今回は、大使としての任務は欠席して、謎学ライターとして現地からリポートしてきました。

 謎学ライター?
 はい、僕の造語ではありますが、群馬県内の不思議な出来事を集めては、文章や映像にて表現するライターであります。
 で、12年に1度だけ巳年に登場する108メートルの大蛇みこしの渡御(とぎょ)の謎を解明するべく、祭りに参加したのであります。


 ご存じ、群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 のロケであります。
 僕は、この番組のスーパーバイザー(監修人)をしていますが、温泉や謎学がテーマのときだけは、自らがリポーターを買って出ています。

 現地から何のリポートをしたのかって?
 ですよね、ただ祭りの様子をリポートするだけなら、ニュース番組の報道班の仕事です。
 でも、トリビア図鑑ですからね。
 ただ現地からリポートするわけにはいきませんって!


 で、番組では、2つの謎を解明します。
 ①いつからヘビのみこしを担ぐようになったのか?
 ②なぜ神様は入れ替わってしまったのか?

 ①「大蛇まつり」 は今回で61回目です。
 ということは、それ以前は大蛇まつりではありませんでした。
 「老神温泉祭り」 です。
 さらに昔は 「赤城神社祭り」 でした。

 では、なぜ61年前から急に、ヘビのみこしを担ぎだしたのか?
 それは昭和38年に老神温泉を襲った、ある災難がきっかけでした。


 ②赤城山と日光男体山の神戦伝説は、群馬と栃木の両県に残っています。
 が、そのほとんどが、日光の神がヘビで、赤城の神がムカデです。
 全国的に知られるテレビアニメ 『まんが日本昔ばなし』 でも、日光がヘビで、赤城がムカデでした。

 では、なぜ老神温泉に伝わる話だけが、逆なのでしょうか?
 いったい、いつ、神様は入れ替わってしまったのか?
 それは突然、61年前にヘビのみこしを担ぐようになったことと、関係があるのでしょうか?


 実は今回、再三取材を重ねるうちに、新たな真実が浮上しました。
 拙著 『ぐんま謎学の旅 民話と伝説の舞台』 の取材時には、知り得なかった事実です。

 それは、赤城の神と日光の神は、実は争っていなかったのではないか?
 共存していた可能性を示唆する “あるモノ” を見つけたのです。

 その、あるモノとは?

 僕が現地からリポートします。
 お楽しみに!


 ※群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』、「“大蛇まつり” の真相?」 は、6月3日の放送です。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:09Comments(2)テレビ・ラジオ

2025年05月08日

セロリ記念日


 食べ物の好き嫌いが多い少年期でした。
 長ねぎ、玉ねぎ、ピーマン、人参、キャベツ、レタス……
 野菜全般が苦手で、給食でも、それらをはじいて食べていました。

 大人になるにつれ偏食もなくなり、今では、ほとんど好き嫌いはありません。
 3つの野菜を除いては……

 それは、レタスとパセリと、らっきょうです。


 先日の酒席でのこと。
 我々のん兵衛界隈では、アマチュア料理研究家として名の知られるS氏が、手作りの料理を持参しました。
 いくつものタッパーに仕込んだ、和洋中およびオリジナルの創作料理がふるまわれました。

 S氏は男性です。
 でも趣味で始めた料理の腕は、今や玄人はだし。
 数々の料理はブログにもアップされ、読者の間では高い評価を得ています。


 どの料理も、箸が止まらないおいしさです。
 酒のあてには、申し分ありません。
 が……
 一品だけ、箸が止まりました。

 そうです、その小鉢には、セロリが盛られていたのです。


 「これは、もしかしたらセロリですか?」
 「はい、“セロリとパプリカのみそ和え” です」

 ゲッ!
 セロリだけでもアウトなのに、ピーマンの親戚のパプリカまで同居していました。
 万事休す、であります。

 だからといって、ここまで順調に箸をつけてきたのに、この一品だけ残すのも失礼というものです。
 エイッ!
 こうなったら、子どもの頃に覚えた 「忍法鼻つまみゴックンの術」 を使うしかありません。
 噛まずに、飲み込めばいいんです。


 ソレッ!
 と口の中に放り込み、一気に飲み込もうとしましたが、ちょっとばかりサイズが大きいのです。
 仕方ない……噛むしかない……

 シャキッ!
 ん? なんだ? おかしいぞ?

 そーなんです、あのセロリ特有の鼻を突くような香りがありません。
 いえいえ、それだけではなく、パプリカとの相性も良くて、口の中がまろやかな風味に包まれました。


 「おいしいです!」
 「そう、よかった」
 「実は、ちゃんとセロリを食べたの今日が初めてだったんです」
 と告白。

 周りの人は驚いていましたが、S氏だけはニコニコと、ほほ笑んでいます。 

 「なんで食べられるんだろう? なんでですか?」
 との僕の問いに、S氏いわく、
 「料理って、カガクなんですよ」

 「カガク?」
 「そう、化学であり、科学でもあるんです」


 一同、「へー!」 と言ったところで、誰一人、意味は分かっていないと思います。
 さすが、東大卒の料理研究家は、おしゃることも一流です。
 ほとんど料理をしない僕にとっては、まったくの未知の世界です。
 S氏が魔法を使ったとしか思えません。

 でもね、生まれて初めてセロリが食べられたのです。 
 ペロリと小鉢を平らげてしまいました。

 Sさん、ありがとうございました。
 今度は、パセリとらっきょうに魔法をかけてくださいね。


 「これならば食える」 と僕が言ったから 五月六日はセロリ記念日
   


Posted by 小暮 淳 at 12:08Comments(3)酔眼日記

2025年05月07日

雨の日は逆まわり


 昨日は一日中、雨でした。

 こんな日は目覚めたときから 「今日は何をして過ごそうか……」 と考えあぐねています。
 連載中の原稿を書こうか?
 それとも音楽を聴きながら読書を楽しもうか?

 で、思案の挙句、出た答えが、「酒を呑もう!」 でした。


 そうと決まれば、呑み屋に連絡です。
 <一席、空いていますか?>
 すぐにママから返信メールが届きました。
 <OK>

 さて、出発の準備に取りかかります。
 今日は雨です。
 いつもより歩くスピードも落ちるでしょうから、早めに家を出ることにしました。

 いや、待てよ!
 今日は、いつものバスでなく、あえて次のバスで行こう!
 瞬時に、そう思ったのでした。


 市内循環バスは、「右まわり」 と 「左まわり」 が1時間に1本ずつあります。
 いつもは、目的地に早く着く 「右まわり」 を利用しています。
 でもね、毎度毎度、利用していると、景色が飽きてくるんです。

 「次、右に曲がるんだ」
 「このバス停で、時間調整をするんだ」
 ってね。
 乗って来る客も、学生と年寄りばかりです。


 今日は雨、しかも振替休日です。
 コースを変えれば、未知の風景との出会いがあるかもしれません。
 そう思い、少し遠回りになるのですが、逆まわりの循環バスに乗ることにしました。

 案の定、乗車客は僕一人でした。
 学生も年寄りも乗って来ません。
 当然です。
 学校は休みだし、こんな雨の日に外出する年寄りもいないということです。


 ただ、いくつもの発見がありました。
 「えっ、こんな細い道を入るの!?」
 と、住宅街の中をクネクネと走ります。

 と思えば、病院や保健センターのような施設では、敷地内まで入り込むんです。
 右まわりのバスでは、見られない風景の連続に、ワクワク感が止まりませんでした。


 夕刻、店に着くと、すでに3人の常連客がいました。
 うち、2名は僕と同じ “バス通飲” 仲間です。

 「雨の日は、バスに限るね」
 「カンパ~イ!」


 雨には、日本酒が似合います。
 あては、「タケノコの薄皮の山椒和え」。

 ♪ 雨 雨 降れ 降れ もっと降れ~ ♪


 こんな一日も、いいものです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:24Comments(5)酔眼日記

2025年05月06日

マンボウの島


 「あっ、この風景……見たことある!」

 新聞をめくる手が止まりました。
 見開き2面の特集記事です。
 そこには、大きくカラー写真が掲載されていました。

 海を望む高台からの風景。
 手前には白い鳥居が立ち、小さな漁港が見えます。


 記事の見出しを見て、すぐに思い出しました。
 <生誕100年 三島由紀夫の見た風景>

 ここは 「神島」 です。


 島の名を聞いて、ピンときた人は、かなりの文学ファンですね。
 小説 『潮騒』 の舞台となった、伊勢湾に浮かぶ三重県の離島です。

 名作は、たびたび映画にもなりました。
 いずれも主演を務めた女優は、ビッグスターです。
 吉永小百合 (1964年)
 山口百恵 (1975年)


 僕が、この島を訪れたのは約20年前。
 まさか小説の舞台とは知らずに、船に乗りました。
 (小説は読んでいましたが、作中では 「歌島」 だったので) 

 当時、僕はカメラマンとともに、三河湾に浮かぶ篠島という離島を取材していました。
 (カテゴリー 「島人たちの唄」 参照)
 時々、気分晴らしに近くの島々をめぐっていたのです。

 その一つが 「神島」 でした。


 小さな島でした。
 名所は、小説の舞台だけ。
 観光案内所には、映画のロケ写真が飾ってありました。

 クライマックスの名シーン。
 主人公が裸で、焚火の上を飛び越した 「監的哨跡」 を見て、宿に向かった記憶があります。


 「あんたたち、運がいいね~! 網にかかったって、漁師が持ってきてくれたよ」
 そう女主人が言って、夕食にマンボウの肉を出してくれました。

 マンボウって、食べるんだ!?
 水族館でしか見たこともない、摩訶不思議な格好をした魚をいただきました。
 煮つけでしたが、そのお味は……

 覚えていないくらいの味だったと思います。
 まずくもなく、うまくもなく、記憶に残らない味だったようです。
 マンボウを食べたのは、後にも先にも、その時だけです。


 翌日、女主人に叩き起こされました。
 「一番の船で帰りな! 午後から海が時化(しけ)るってよ!」

 本当は、釣りでもしながら、もう少し島を楽しみたいと思っていたんですけどね。
 「しばらく船は出ないかもよ」
 と、せかされて、朝食を済ませると早々に港へと向かいました。


 偶然、見かけた一枚の写真から、遠い日の島での出来事が一瞬にしてよみがえって来ました。
 G.Wは、どこも行かなかったけど、記憶の中の離島を旅してきました。 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:17Comments(2)取材百景

2025年05月05日

よっこいしょういち


 「なにそれ? 知らな~い」
 「あれ? なんか聞いたことあります」
 「古ッ! そんなのが流行ったね」
 世代によって、反応は様々です。

 “よっこいしょういち”
 昭和のギャグであります。


 昭和47年(1972)、センセーショナルなニュースが日本中に流れました。
 戦後27年間、終戦を知らずにグアム島に潜んでいた残留日本兵の横井庄一さ (当時57歳) が発見されました。
 くしくも沖縄が本土に復帰した年でした。

 その翌々年には、やはり残留日本兵の小野田寛郎さんがフィリピンのルパング島から帰還して、二度ビックリ!
 戦後30年近く経っても “まだ戦争は終わってなかった” ことを日本国民が痛感した出来事でした。


 当時、テレビでは “横井さん帰還” のニュースが、連日放送されました。
 「横井庄一」 という名は、国民の脳裏に鮮烈に刻み込まれたのであります。

 たぶん、当時のコメディアンが言ったギャグなんでしょうね。
 「よっこいしょ」 と 「横井庄一」 をかけたダジャレです。
 大流行して、老いも若きも子どもも、みんな使っていました。


 あれから半世紀。
 齢65を過ぎて前期高齢者の仲間入りをした頃からです。
 気が付いたら言っているんですね。

 イスから立ち上がるとき、腰かけるとき、何かを始めようとするとき……
 「よっこいしょういち」
 知らずの知らずのうちに、発していました。


 「ああ、この響き、昭和だよな~」
 と思いつつも、止められません。
 気が付くと、つい、言っているんですね。

 さて、今日は何回言うんでしょうか?
 数えてみたいと思います。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:32Comments(2)昭和レトロ

2025年05月04日

老いては元スタに従え


 いまだに、僕のことを 「編集長」 と呼ぶ人たちがいます。

 25年前、僕が編集人をしていた生活情報誌のスタッフらです。
 雑誌自体は現在もありますが、僕が去った後に、彼らも編集室を去り、それぞれ別の人生を歩んでいます。
 それでも連絡は途切れず、今でも年に数回、ランチ会や懇親会を開いて、僕を呼んでくれています。


 当時、30代だったO君、M君は、今は50代。
 20代だったSさんも40代です。
 みんな、立派なお父さんとお母さんになりました。

 「編集長、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
 「編集長、ラジオ聴きましたよ」
 と、何かにつけて彼らは、電話やメールをくれます。


 こんなことを言われたこともあります。
 「編集長は、だいぶ丸くなりましたよね」
 「そうかね?」
 「えー、そりゃ~、あの頃はツンツンに尖っていましたから(笑)」

 当時、僕は40代です。
 そんなに、ツッパッて生きていたんですかね。 
 でも振り返ると、あの頃は、毎日が夢と希望と野望に満ちあふれていた時代でした。

 彼らとは、プライベートでも登山や旅行に、たびたび出かけていましたものね。
 一般的な会社の、上司と部下の関係ではなかったと思います。

 ていうか、僕は社員ではなく、外部から来た “雇われ編集長” だったのであります。
 だから僕には彼らを 「部下」 という意識がなく、彼らも僕を 「上司」 とは思っていなかった思います。

 スタッフ、もしくは同じ夢を追うチームの一員だったのです。
 その中で 「編集長」 という立場は、指揮を執る監督、もしくは指導するコーチの役割を果たしていたのだと思います。
 いわば、同じ釜の飯を食った “仲間” なのです。


 以前、Sさんから、こんなことを言われたことがありました。
 「もう、編集長じゃないんだから、“小暮さん” でいいよ」
 と僕が言うと、
 「編集長は、編集長なんです! ニックネームだと思ってください」
 と、きっぱり断られてしまいました。

 その断り方が、実に気持ち良くて、うれしかったのを覚えています。


 先日、O君から、こんなメールが来ました。
 「編集長、連休中に、ひとっ風呂いかがですか?」
 彼はときどき、こうやって僕を誘い出してくれます。
 そして彼は、僕の生態についても熟知しています。

 風呂に入れば、酒が呑みたくなることも……


 昨日、指定の時間に、彼は我が家にやって来ました。
 まるで、お抱え運転手のように!

 「お疲れ様です。どこに行きますか? 編集長の好きな温泉へ行きますよ」


 好きも嫌いもありません。
 汗を流せて、さっぱりしたら、酒が呑みたいだけです。
 「じゃあ、近場でいいですね」
 「ああ、どこでもいいよ」

 かくして、湯上がりに生ビールをたらふくいただき、帰りは、また我が家の玄関前まで送っていただきました。


 持つべきものは、元スタッフであります。
 いつも、ありがとうね。
 みんな、老後は頼んだよ~!

 「老いては元スタに従え」 であります。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:04Comments(2)つれづれ

2025年05月02日

色のないブログ


 「なぜ、写真がないのですか?」
 よく聞かれる質問です。
 このブログのことです。

 確かに言われてみれば、そうなのです。
 ブログを開設して15年、4,200話以上を投稿していますが、写真を添付したことは一度もありません。
 文字だけのブログです。

 それは、なぜか?


 今から5年ほど前。
 この件について、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 から取材を受けました。
 記事は、企業向けの 「ニュースレター」 という広報紙に掲載されました。

 <ブログ 「小暮淳の源泉ひとりじめ」 は、今年の1月でまる10年。2月から11年目に突入です。(中略) このブログから仕事や講演の依頼はもとよりテレビやラジオの出演、新聞や雑誌への執筆依頼まで来るとか。また小暮さんのファンとの交流もこのブログがきっかけだそうです。>

 こんな書き出しで始まります。
 ちなみに、記事のタイトルは 『続ける力』。


 <まさに日々こつこつ積み上げている行動に対して、素晴らしい結果が出ているという事実。さて気になるのは、どうやって続けてきたか? ご本人に直接聞いてみました。>

 なんと答えたのか記憶にはないのですが、記事には、こう書かれています。


 <「秘訣としては、写真を一切使わずに文字のみのブログであることかもしれません。視覚にとらわれず、筆者目線で日々を切り取ることができるから」>

 このアンサーに対して記事は、こう締めくくっています。

 <今やSNSは文字より写真のほうが優先されがち。写真1枚あれば、文字での表現を大いに補ってくれますが、逆に写真がなければ文章に集中できる。目から鱗の回答でした。>


 先日もブログのコメント欄に、読者からのこんなコメントが寄せられていました。
 <いっさい写真を使わずに、人気ランキング1位って、すごくないですか。 「NO PHOTO」 の黒の並びが、かっこいいし、何より文章だけで勝負しているってのが、いいのかな。>

 「まいちゃ」 さん、ありがとうございます。
 そう感じていただいている読者が、このブログを15年間、今日まで支えてくれています。


 黒い文字だけの色のないブログですが、末永くお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:58Comments(2)執筆余談

2025年05月01日

羆 ―HIGUMA―


 20年ほど前だったと思います。
 あるミニコミ誌から、寄稿の依頼を受けました。
 与えられたテーマは、「私の愛読書」。

 ジャンルは問わず、最近読んだ本で、ぜひ他の人にも読んでほしいオススメの一冊を紹介するという企画でした。
 その時、僕が選んだ本が、山と渓谷社の 『山でクマと会う方法』 でした。


 不思議なタイトルですよね。
 本来なら、“会わない方法” です。
 でも僕は、その真逆の発想に引かれたのです。

 というのも当時、僕は趣味と仕事を兼ねて、頻繁に山登りをしていました。
 多くは1,000メートル以下の低山ハイクでしたが、それでも時々、山道では 「クマ出没注意」 の看板を見かけました。
 また、山によっては、要所要所に “クマ除けの鐘” が設置されていて、叩きながら登ることもありました。
 当然、いつもリュクには、大きなクマ除けの鈴を付けていました。

 でもね、幸か不幸か、一度もクマに遭遇したことはありません。


 そんな時に出合った本が、『山でクマと会う方法』 です。
 クマの習性や棲む環境、行動範囲を知れば、クマに出遭う確率は上がります。
 ならば、その逆の行動をとれば、クマに遭わずに済むのです。

 当時の僕には、心強い指南書でした。


 近年、日本全国でクマが人里に現れるニュースが頻繁に報じられています。
 これは異常事態です。

 登山は、クマのテリトリーに人間が入り込むのですから当然、人間側が注意をしなくてはなりません。
 でも人里、いえ最近は市街地にまでクマが出没しています。
 人間のテリトリーにクマが、無断で入り込んでいるのです。
 人間にしてみれば、“寝耳に水” であります。

 防ぎようがありません。


 ニュースを見るたびに僕は、恐怖を覚えます。
 令和の世に、このクマ騒動は、なんで起きているのか?

 待てよ、確か、昔、歴史に残る、とんでもない事件が北海道で起きているよな?
 と思って調べてみました。
 大正4(1915)年12月に北海道天塩山麓の苫前郡苫前村で起きた、日本獣害史上最大の惨事 「苫前羆事件」 です。
 わずか2日間に6人の男女が、ヒグマに殺害されました。


 ということで、今回紹介するのはドキュメンタリー小説です。
 吉村昭・著 『羆嵐(くまあらし)』 新潮文庫

 凄惨な現場の描写に、恐怖が止まりません。
 なのにページをめくる手も止まらなくなってしまいました。

 怖い! だから止めよう!
 でも引き返すのも怖い!
 だったら前に進もう!

 と、気が付いたら読み手の自分が、小説の中の主人公になっていました。


 中盤以降、戦慄はピークに達します。
 こんな会話があります。

 「なぜ子供を食わぬのかわかるか」
 老練な猟師は村人に問います。
 首を振る村人に、こう言います。
 「最初に女を食った羆は、その味になじんで女ばかり食う。男は殺しても食ったりするようなことはしないのだ」

 これがヒグマです。
 本州のツキノワグマとは、凶暴さが違います。
 全長9尺 (2.7メートル)、体重102貫 (383キロ) の化け物が、村人たちに次から次と襲いかかるのです。
 でも、これは実話なんです。

 結末は、いかに!?
 この結末も史実なのであります。

 未読の方は、ぜひ、一読を!


 ※巻末解説、倉本聰氏の文章が白眉です。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:29Comments(0)読書一昧