2024年11月18日
磯部温泉 「小島屋旅館」④
つくづく、歳は重ねてみるものだと思います。
2022年秋に発足した 「M会」。
さる温泉ソムリエのオフ会に出席した際に、知り合った温泉フリークたち。
彼ら彼女らから声がかかり、特別顧問ようなポジションで、毎回、M会のオフ会に呼んでいただいています。
会のメンバーは、僕を除いて6人。
群馬県民2人、他県民4人。
年齢も40~60歳代と、幅広い構成です。
代表のMさんは、僕とは親子ほど歳が離れています。
それなのに年配者の僕に対しても、分け隔てなく接してくれます。
感謝をするとともに、つくづく 「歳は重ねてみるものだ」 と思います。
真面目(?)に、コツコツ(?)と生きてれば、こうやって次世代の人たちが面倒をみてくれて、かまってくれて、一緒に遊んでくれるんだもの(笑)。
会の開催は年2回、群馬県内の温泉地を訪ねています。
今までの開催地は、四万温泉、草津温泉、老神温泉、尾瀬戸倉温泉。
どの温泉地も会場は、知る人ぞ知る小さな家族経営の宿ばかりです。
温泉好きは、知っています。
湯が良くて、料理がおいしくて、そして安い宿を!
最後の “安い宿” というのが肝です(1万円以下)。
彼ら彼女らは、そんな宿をたくさん知っています。
で、一昨日、5回目のM会が開催されました。
今回の会場は、磯部温泉 (安中市) の 「小島屋旅館」 です。
ん~、見事です!
宿の選択に、間違いはありません。
「磯部に泊まるなら小島屋」
と温泉通には、つとに知られている老舗旅館であります。
明治12(1879)年創業、現在は直系の7代目女将が切り盛りをしています。
もちろん僕も過去に、取材等で何度もお世話になっています。
だから湯がいいことも、料理がおいしいことも十分に知っています。
でも、今回は、もっと楽しみにしていることがあったんです。
それは、パン!
そうなんです!
今年1月、女将さんが焼くパン工房 『やどパン』 が、旅館内に併設オープンされたのです。
以前、ブログにも紹介したので、すでに食べた人もいると思いますが、実は僕は、まだ食べてなかったのです。
(2024年1月4日 「磯部温泉 小島屋旅館③」 参照)
いやいや、驚きました!
見てると、オープンとともに、次から次へと客がやって来ます。
察するに、温泉地の泊り客ではないんですね。
わざわざ、このパンを目当てに、磯部温泉に来ているようです。
さっそく僕も、買って食べました。
名物は、温泉マークの焼き印が押されたオリジナルの 「おやきパン」 です。
中身は 「つぶあん」 「野沢菜」 「きんぴら」 の3種類。
僕は 「野沢菜」 をいただきましたが、おいしかった!
でもね、「おやき」 ではありません。
「おやき風」 のパンなんです。
だから食感は、ふんわり、モチっとしています。
一番人気は 「きんぴら」 のようで、すぐに売り切れてしまいました。
他にも、みそパン、ぶどうパン、バターブレッド、チーズパン、キーマカレーパン、ウィンナーエピ……などなど。
小さなパン屋さんだから、女将の気分次第で、不定期でいろいろなパンが登場します。
ので、毎日来る客が多いらしいですよ。
店舗は、旅館の別館をリニューアルした玄関の向かい。
路地に面した窓から販売するキッチンカースタイルです。
ぜひ、磯部温泉に行った際は、お立ち寄りください。
女将さん、やったね!
長年の夢が叶ったね!
すごいよ!
カッコイイよ!
また、買いに行きます。
「やどパン」
●営業/10時~売り切れまで
●定休/水曜・土曜
●場所/群馬県安中市磯部1-13-22 (磯部温泉)
●問合/TEL.027-385-6534 (小島屋旅館内)
2024年08月29日
湯宿温泉 「ゆじゅく金田屋」⑥
<湯の宿温泉まで来ると私はひどく身体の疲労を感じた。数日の歩きづめとこの一、二晩の睡眠不足とのためである。其処(そこ)で二人の青年に別れて、日はまだ高かったが、一人だけ其処の宿屋に泊まる事にした。>
(『みなかみ紀行』 より)
大正11(1922)年10月23日。
歌人の若山牧水は、法師温泉の帰り道、湯宿(ゆじゅく)温泉 (みなかみ町) に投宿しています。
著書 『みなかみ紀行』 の中では宿名は記されていませんが、金田屋であります。
金田屋には、今でも牧水が泊まった蔵座敷が残されています。
初めて僕が、金田屋に泊まった晩。
5代目主人の岡田洋一さんと、その蔵座敷で酒を酌み交わしました。
もう、それだけで牧水ファンとしては感動の極みなのですが、岡田さんは、さらにサプライズを用意してくださっていました。
アユの甘みそ焼き、通称 「牧水焼き」 です。
岡田さんの話によれば、その晩、牧水はアユ釣り名人と言われた祖父が釣ってきたアユに舌鼓を打ったといいます。
そして、あまりの美味しさに、もう1尾、おかわりをしたそうです。
このことは 『みなかみ紀行』 には記されていません。
なので、知る人ぞ知るエピソードとして、僕は自分の著書 『みなかみ18湯 【下】』 に書かせていただきました。
今回訪れたのは、高崎市内で配布されているフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に連載中の紀行エッセイ 『牧水が愛した群馬の地酒と温泉』 の取材です。
ところが今回、取材に応じてくれたのは、主人の岡田さんではありませんでした。
話には聞いていましたが、岡田さん夫妻は体調を崩されて、現在は自宅療養中です。
現在、代わりに宿を開けているのは、お嫁さんでした。
「義父からお話は聞いています。お世話になります。どうぞ、こちらへ」
と案内され、玄関脇から通じる蔵の中へ。
昔ながらの急な階段を上れば、そこは、大正ロマンの世界。
あたかも牧水が、そこ居るような文学的な空気が漂っています。
座敷の中央に木製の大きな机があります。
初めての晩、ここで岡田さんと差しつ差されつ、酒を酌み交わしたのです。
岡田さん、女将さん、早く良くなって、また宿を続けてくださいね。
その日を、お待ちしております。
※現在、「ゆじゅく金田屋」 は素泊まりのみの予約となっています。
2024年08月28日
法師温泉 「長寿館」⑪
「お久しぶりです」
「お待ちしていました」
2人は、思わず旅館の前で、握手をしてしまいました。
法師温泉(みなかみ町) 「長寿館」。
昨日、訪ねると、なんと!玄関前で、6代目主人の岡村興太郎さんが出迎えてくれました。
現在は7代目を長男の健さんが継いでいるので、現在は会長職です。
「びっくりしました。まさか会長がいるとは!」
そう言うと、
「だって小暮さんが見えると聞いたものですから」
と、満面の笑みで、手を差し出したのです。
もう、それだけで僕は、「今日の取材は成功だ!」 と確信しました。
岡村さんとの付き合いはは、かれこれ20年近くになります。
新聞や雑誌、著書の取材に訪れるたび、囲炉裏を囲んで茶を飲み、部屋では日本酒を酌み交わしました。
※ (拙著 『みなかみ18湯 【下】』 P83に、2人が酒を酌み交わす写真が掲載されています)
岡村さんは、群馬県温泉協会長という立場からも、僕の取材活動を長年、応援してくださっています。
著書の出版記念パーティーには、毎回出席いただき、祝辞を述べていただいています。
だから僕にとって岡村さんは、温泉の師であり、酒の師なのであります。
僕には、忘れられない岡村さんの言葉があります。
それは、初めて取材に訪れた日のこと。
湯を守る “湯守(ゆもり)” としての心得を訊ねたときでした。
こんなことをおっしゃいました。
「温泉とは、雨や雪が融けて地中にしみ込み、何十年もかけて鉱物を溶かしながら、ふたたび地上へ湧き出したものです。でも地上へ出てからの命は、非常に短い。空気に触れた途端に酸化し、劣化が始まってしまう。湯守の仕事は時間との闘いです。いかに鮮度の良い湯を提供するかなんです」
そして、こんなことも言いました。
「湯守は、温泉の湧き出し口 (泉源) だけを守って入ればいいのではない。もっとも大切なのは、温泉の源となる雨や雪が降る場所、つまり宿のまわりの環境を守ることなんです」
周辺の山にトンネルなどの土木工事をされれば、湯脈が分断される恐れがあります。
またスキー場やゴルフ場ができれば、森林が伐採され、山は保水力を失い、温泉の湧出量が減少するかもしれません。
ただただ、岡村さんの話に感動しました。
そして、その心得が、僕の原動力となり、たくさんの本を書かせてくれました。
と言っても、実は今回は、温泉の取材ではありません。
歌人・若山牧水の足跡を追って、牧水が泊まった部屋と、呑んだであろう酒の話を聞くために訪ねました。
岡村さんは、大の酒好きであります。
もちろん僕も、のん兵衛であります。
だもの、大酒呑みの牧水については語り合えば、話が尽きることはありません。
泊まった部屋は、18番の間。
過去に僕も 何度も泊まったことのある部屋です。
はたして、ここで牧水が呑んだ酒とは?
その銘柄が判明しました。
それは……
9月20日発行のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 にて発表します。
もちろん取材後に、“奇跡の湯” と呼ばれる足元湧出泉の湯を、たっぷりと堪能しました。
2024年06月19日
水上温泉 「坐山みなかみ」
「えっ、サザン? (オールスターズ?)」
「いえ、坐山(ざざん)です」
「それ、どこ?」
「旧水上館ですよ」
みなかみ町観光協会の職員との電話でのやり取りです。
僕は「みなかみ温泉大使」 を委嘱されている関係上、毎年行われている協会の総会に出席しています。
過日、今年は 「坐山みなかみ」 という旅館で開催されるとの連絡を受けました。
まさに温泉地は、栄枯盛衰であります。
僕が著書の取材で 「水上館」 を訪れたのは、12年前のことです。
温泉地自体も様変わりしましたが、あった旅館がなくなっていたり、逆に新しいホテルができていたりと、目まぐるしく変化しています。
国道から分かれ、利根川左岸を通る狭い道を小日向(おびなた)地区へ向かって走ります。
水上温泉の旅館やホテルは、ほとんどが利根川右岸の湯原(ゆばら)地区にかたまっています。
旧水上館だけが、利根川の対岸にポツンと建つ宿なのです。
ということで昨晩、「坐山みなかみ」 に泊まってきました。
名前は変わっても、建物はそのままで、館内もそのままでした。
懐かしい!
と思うのは、著書の取材で訪れたことがあるからだけではありません。
もっともっと古い思い出がよみがえるからです。
今から30年以上も昔のこと。
僕はタウン誌の記者をしていました。
当時、水上温泉では唯一 「水上館」 だけがスポンサーとなり、誌面に広告を掲載してくれていました。
担当だった僕が、毎月配本を兼ねて、打ち合わせに伺っていたのです。
でも今は社長さんをはじめ、当時を知っているスタッフは誰もいません。
総会懇親会は、旅行や観光関係者が80名以上も集まり、大盛況でした。
毎年、僕も末席に座るつもりで参加しているのですが、なぜか毎回来賓席が用意してあり、町長や議員などと同じ席のため、名刺交換をしにビールを注ぎに来る人が絶えず、あまり酔えないのが現状です。
それでも二次会まで元気に参加してきました。
改めて、旧水上館は広いなぁ~と思いました。
「坐山みなかみ15湯めぐり」 なんていうのがあるんですね。
大浴場が3カ所あり、浴槽が15もありました。
はい、この際なんで、チェックアウトのギリギリまでねばりにねばって、15湯すべてに入浴してきましたよ。
おかげさまで肌はツヤツヤ、スベスベになりましたが、やや湯あたり気味で、今日は一日中からだが、ダル~オモ~状態でした。
ま、たまには、いいんじゃないですかね。
“温泉ライター、湯あたりするの巻”
ということで!
2024年06月17日
尾瀬戸倉温泉 「ペンション ゆきみち」
~いい湯 いい宿 いい仲間~
つくづく、幸せな人生だと思います。
普通の勤め人をしていたら、こんな出会いはなかったことでしょう。
出会いは、2年前の5月でした。
県内外から温泉好きが、群馬の温泉地に集まりました。
そのとき、講演会が開催され、僕が講師として招待されました。
中にはSNSでつながっている人たちもいましたが、それでも、ほとんどの人が初対面同士です。
講演会の後、懇親会が開かれ、夜遅くまで温泉談議に花が咲きました。
その時、6人の男女が意気投合したといいます。
居住地は、東京・埼玉・群馬と、それぞれです。
また年齢も40~60代と幅があります。
それでも6人は、馬が合ったようで後日、「温泉M会」 が結成されました。。
(Mは、代表者2名の名字と名前を合わせた造語だそうです)
その後、温泉M会は年に2回、群馬県内の温泉地に集まり、交遊会を開催しています。
第1回は四万温泉(中之条町)、第2回は草津温泉(草津町)、第3回は老神温泉(沼田市)でした。
会場となる宿は、どこも知る人ぞ知るマニアックでコアな宿ばかり。
(さすがです! みなさん、湯のいい宿を知っていらっしゃる)
毎回、声をかけていただき、僕も参加させていただいています。
そして先週、その第4回が開催されました。
場所は、尾瀬戸倉温泉(片品村) 「ペンション ゆきみち」 です。
シブイ!
そして、ニクイ選択です。
いい宿を知ってらっしゃる!
聞けば、温泉M会の開催宿の条件は以下の3つ。
①湯がいいこと。
②料理が美味しいこと。
③料金が安いこと(1万円以下)。
「ペンション ゆきみち」 は、僕にとっては、とっても懐かしい宿なんです。
以前、『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) という本の出版で、取材に訪れています。
かれこれ7年前のことです。
“秘伝の山ブドウ酒とジビエ料理の宿”
著書に書いた宿のタイトルです。
今回も、そのコピーに偽りはありませんでした。
濃厚でコク深い山ブドウの食前酒から始まり、鹿肉の石焼きを存分に味わいました。
女将さんも変わらずチャーミングで、僕のことを覚えていてくださいました。
もちろん、湯は折り紙付きです。
源泉は、ほのかに硫黄の香り漂うアルカリ性の単純硫黄温泉。
ツルスベの湯が、肌にまとわりつきます。
代表のM君は、僕とちょうど干支が2回りも下の好青年です。
親子ほどの年の差があるのにね。
僕をジジイ扱いすることもなく、他のメンバーもフレンドリーに接してくださいます。
温泉M会のみなさん、毎回、とっても楽しい “湯会” に誘ってくださって、ありがとうございます。
次回は、どこですか?
楽しみにしています。
2024年05月31日
老神温泉 「亀鶴旅館」③
「ハーイ、時間のある人は、帰りに亀鶴旅館の湯に入って行ってくださ~い!」
先日の幡谷温泉(片品村) 「ささの湯」 に泊まった翌日、朝食の席でのこと。
(2024年5月27日 「祝!復旧 『ささの湯』 ファンの集い」 参照)
「純温泉協会」(大阪府) 代表の山口貴史さんが、叫んでいました。
純温泉とは?
山口さんが命名した造語ですが、「源泉をそのまま利用している温泉」 のこと。
彼は全国の純温泉を探して、日夜、東奔西走している情熱の塊のような男です。
今回泊まった 「ささの湯」も純温泉の加盟宿です。
また彼が叫んでいた 「亀鶴(きかく)旅館」 も老神温泉(沼田市) にある小さな温泉宿で、純温泉の加盟宿。
なんでも彼は、前日に亀鶴旅館に宿泊して、女将さんから了承を得たといいます。
午前10時から11時までの1時間限定のスペシャル入浴タイムを設定したのだと、得意満面でした。
なかなか粋な計らいをする男であります。
それにしても彼は、純温泉協会を立ち上げるだけあり、全国の “いい湯” を知っています。
「ささゆ湯」 の湯もぬるめでサラッとしていていいが、「亀鶴旅館」 の湯も個性的で実にいい。
僕は拙著 『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) の中で、こう表現しています。
<湯が良いかどうかは、宿の前に立ってみれば分かるものである。決して華美な外観ではないが、奇をてらわず、昔ながらの風情でひっそりとたたずんでいるところがいい。>
本の出版が2015年ですから、9年ぶりに訪ねたことにあります。
「ジュンジュンですね!?」
女将にお会いすると、開口一番に言われてしまいました。
「大変ご無沙汰しています」
と無礼を詫び、浴室へ。
あの日と変わらぬ、上質の湯が浴槽からあふれていました。
泉質は、アルカリ性単純硫黄温泉。
ほのかな温泉臭が漂い、白い湯の花が浮遊する老神温泉の源泉の中でも個性派です。
何より温度がいい。
源泉の温度は約60度と高めだが、浴槽に届くまでには、だいぶ冷めているはず。
が、それでも熱い!
なのに不思議です。
沈んでいると、やがて数分で熱さを感じなくなります。
そして、うっとりする眠気に包まれました。
いい湯に出合うと、誰もが幸せそうな顔になりますね。
まさに温泉は、地球からのプレゼントです。
山口さん、これからもたくさんのプレゼントを探して、みんなに教えてあげてくださいね。
2024年03月23日
四万温泉 「四万やまぐち館」④
なんだかんだと、このところ四万温泉(中之条町)づいています。
また四万温泉へ行ってきました。
しかも 「四万やまぐち館」 は、昨年11月に群馬県立歴史博物館の出前講座で訪れたばかりです。
前回は日帰りでしたが、今回は公務の後、宿泊してきました。
公務?
はい、僕は中之条町観光大使と四万温泉大使を兼務しております。
昨日は、中之条町役場にて、町長や教育長らとの意見交換会に出席してきました。
僕のほかにも落語家のRさん、作家のSさん、音楽家のWさん、歌手のRさんら観光大使&ふるさとアドバイザーの面々が参加。
1時間半にわたり、ディスカッションを楽しんできました。
夕方、役場よりマイクロバスに乗って、一路、四万温泉へ。
「四万やまぐち館」 にて開催される懇親会に出席するためです。
宴会までは、たっぷり2時間あります。
一人一部屋の贅沢な時間が始まりました。
が、宴会まで待てませんって!
ビールが呑みたい!
すぐに呑むか? 我慢するか?
我慢はできない。
でも、できるだけ、うまいビールが呑みたい!
ということで、浴衣に着替え、タオルを下げて、浴場へと向かいました。
名物の 「お題目大露天風呂」 と 「渓流露天風呂」 は、男女入れ替え制。
こちらは前回入っているので、パス。
ていうか、到着時のロビーの混み方をみると、混雑が予想されます。
ならばと、地味ではありますが、階下の 「檜大浴場」 へ。
これが、ビンゴ!
予想が的中しました。
浴室へ入った時には、年配の男性が1人いましたが、すぐに出て行ったため、完全貸切状態です。
ぬるめの浴槽と、やや熱めの浴槽を、行ったり来たり。
まさに、“源泉ひとりじめ” 状態であります。
ヒノキの香りと、かすかなる温泉臭が漂う中、たっぷりと至福の時間を満喫しました。
湯上りは、缶ビールを手に、清流・四万川を眺めるラウンジを、これまた “ひとりじめ”。
やがて訪れる、にぎやかな宴の前の静かなる飲酒のよろこび。
もちろん、これが呼び水となり、本番では思う存分浴びて参りました。
いゃ~、四万温泉って、いいですね!
いゃ~、中之条町って、いいですね!
みなさ~ん、 「花と湯の町 なかのじょう」 へ、いらっしゃ~い!!
ここで問題です。
「四万やまぐち館」 の玄関前にかかる大きな暖簾には、意味不明な文字が書かれています。
△ 口 ○
さて、なんと読むでしょうか?
〈答え〉
△=山(やま) 口=口(くち) ○=環(かん)
2024年03月20日
【速報】 「ささの湯」 営業再開とクラファンのお知らせ
温泉ファンに朗報です!
給湯ポンプの故障により営業休止となっていた幡谷温泉(片品村) 「ささの湯」 が再開しました。
(2024年3月1日 「【緊急】 『ささの湯』 復旧支援金のお願い」 参照)
修繕工事が終わり、無事にお湯が出たとのことです。
昨日(3月19日)より、通常営業を開始しました。
良かったですね!
とりあえず、安心しました。
が、まだまだ、みなさんの支援が必要です。
復旧を優先にしたため、工事費はクラウドファンディングで募っています。
引き続き、支援をお願いいたします。
●「ささの湯」 復旧支援クラウドファンディング
https://camp-fire.jp/projects/view/748204?argument=33pKQw5N&dmai=criteo&utm_campaign=criteo_dynamic&utm_medium=cpc&utm_source=criteo&cto_pld=rbp7OaquAACXwsr8y97ufQ
原点回帰の湯 ささの湯 (幡谷温泉)
群馬県利根郡片品村幡谷535
TEL.0278-58-3630
2024年03月16日
尻焼温泉 「白根の見える丘」④ ~あの日の唄が聴こえる~
温泉ファンに訃報です。
尻焼温泉(中之条町) 「白根の見える丘」 のご主人が、今年1月に亡くなられました。
それに伴い、旅館も閉館しました。
あまりのショックに、しばし呆然としてしまいました。
ご主人との出会いは、20年以上前になります。
旧六合(くに)村からパンフレット制作の依頼を受け、泊まり込みで取材をしました。
その時、お世話になったのがご主人でした。
当時は、まだ 「白根ハイム」 という名の宿でした。
いつお会いしても、トレードマークの作務衣とバンダナ姿が似合う、カッコイイ兄貴のような人。
酒が好きで、ギターが好きで、すぐに僕らは意気投合して、仕事もそっちのけで陽の高いうちから呑んだくれていました。
2010年に 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) を出版した時も、その後の朝日新聞に 『湯守の女房』 を連載した時も、「泊まらなくっちゃ、取材は受けないよ」 と言って、呑み明かすほどの酒好きでした。
(当ブログの 「カテゴリー」 より 『湯守の女房』(15) を検索。閲覧できます)
ああ、世の中は、なんて無常なんでしょう……。
また1つ、個性豊かな温泉宿が消えてしまいました。
「草津白根山(2,171m)は草津温泉からは見えない。僕が知る限りは、唯一うちが白根山を望める宿だから、ストレートな名前に変えたんですよ」
と語った、ご主人自慢の露天風呂は、一切の人工物は見えない丘の上。
見えるのは、どこまでもつづく山並みと、その上にポッカリと浮かぶ白根山の白い山肌だけ。
ああ、もう一度、あの湯舟から白根山を望みたかった……。
湯上りには、女将さんの絶品手作り豆腐が待っていました。
これを岩塩とオリーブオイルでいただきなから、ウィスキーを水割りでやるのがスタイル。
水割りの水は、ご主人が往復4時間もかけて汲んできた名水です。
ああ、なんという至福の時間だったのだろう……。
酔いが回ってくると、主人はギターを取り出します。
歌うのは、決まって吉田拓郎でした。
2人で夜が更けるまで、ギターをかき鳴らし、歌い続けた遠い日の思い出が、走馬灯のようにめぐります。
ありがとうございました。
大変お世話になりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
2024年03月12日
倉渕川浦温泉 「はまゆう山荘」➄
塚越育法支配人に、初めてお会いしたのは15年前のこと。
平成21(2009)年9月、拙著 『ぐんまの源泉一軒宿』(上毛新聞社) の初版が発行された年でした。
その年の3月、「群馬県内に新たな温泉地が誕生」 という知らせを受け、急きょ、取材に行き、著書に追加掲載した記憶があります。
「はまゆう山荘」 は、昭和62(1987) 年5月に神奈川県横須賀市の保養施設 「横須賀市民休暇村」 として開館しました。
施設名は、横須賀市の花 「浜木綿(ハマユウ)」 に由来します。
(なんで横須賀市なのかについては、拙著をお読みください)
もちろん、この時は、まだ温泉宿ではありません。
きっかけは、平成18(2006) の市町村合併でした。
旧倉渕村は高崎市になり、施設も高崎市の所有となりました。
これを機に、温泉の掘削をし、新たに 「倉渕川浦温泉」 としてリニューアルオープンしました。
塚越さんは、施設の開館時から勤務してきた生え抜きの支配人です。
当時、温泉が湧いた喜びを、こう語っていました。
<「以前は軽井沢をはじめ、周辺観光地への拠点としての利用客が多かったのですが、温泉が湧いてからは湯を目当てにくる方が増えました。ナトリウム・カルシウム塩化物・硫酸塩と三種混合の湯は、成分が濃いわりには浴感がやわらかく、肌がツルツルになると大変好評です。」>
(月刊 「Deli-J」 2009年10月号 『源泉巡礼記』 より)
時はめぐり、昨年は泉質が変わったということで、テレビの取材でお会いしました。
“県内唯一の含鉄泉”
その喜びを語る塚越さんを、僕がリポートしました。
そんな勤続37年になる 「はまゆう山荘」 の生き字引、塚越支配人が今月15日で定年退職を迎え、一線を退くという記事が地元紙に大きく掲載されました。
写真の塚越さんは、いい笑顔をしています。
勤め上げた満足そうな笑顔です。
長い間、大変お疲れさまでした。
そして、お世話になりました。
ありがとうございます。
2024年03月10日
月夜野温泉 「みねの湯 つきよの館」⑯ ~湯の舟に乗って~
温泉ファンに、悲しいお知らせです。
こんな手紙が届きました。
<拝啓 平素は格別のお引き立てを賜り、厚く御礼申し上げます。さて、突然ではございますが、二月末日をもちまして閉館する運びとなりました。長きにわたるご支援に心より感謝申し上げますと共に、ご迷惑をお掛け致しますことを深くお詫び申し上げます。>
差出人は、月夜野温泉 (みなかみ町) の一軒宿 「みねの湯つきよの館」 の女将、都筑理恵子さんです。
ただただ、残念でなりません。
僕が温泉ライターを名乗るようになって、最初に僕のことを 「先生」 と呼んでくれたのが女将でした。
あれから20年以上、仕事とプライベートで一番訪れた温泉宿と思います。
いったい僕は、今までに何軒の宿を取材して、何軒の宿の閉館を見て来たのでしょうか?
20軒以上になると思います。
その中には、「みねの湯つきよの館」 のような一軒宿が、いくつもあります。
一軒宿の廃業は、イコール、温泉地の消滅につながります。
その昔、人々は、そこに “湯” があるから訪ねていました。
それが今は、どこにでも “湯” があり、わざわざ訪ねる意味がなくなったといいます。
本当でしょうか?
なんだか、おかしな世の中になりました。
人間の都合に、“湯” を合わせるなんて……
快適、便利を求める世の中。
不便で簡素な宿は、時代の中で姿を消しざるを得ないのでしょう?
「みねの湯つきよの館」
いい宿でした。
大好きな宿でした。
女将をはじめ、スタッフがみんな、あったかかった~!
お疲れさまでした。
ゆっくり休んでください。
また再開し、再会する日が来ることを待ち望んでいます。
<月夜野盆地を見下ろす天空の浴室からは、掛け値なしの絶景の展望が広がる。まるで湯の舟に乗って、遠く南の国まで飛んでいけそうな気分になった。>
(『みなかみ18湯』 下巻 より)
2024年03月01日
【緊急】 「ささの湯」 復旧支援金のお願い
取材やサミット等で、お世話になっている幡谷温泉(片品村) の 「ささの湯」 さんが、支援を呼び掛けています。
先月、宿の心臓部といえる温泉供給用のメインポンプが突然、故障しました。
湯が止まり、現在は営業が停止しています。
修理をするには最低でも300万円程度が必要です。
そのため復旧に向けた支援募金を開設しています。
温泉好きのみなさん、ぜひ、ご協力をお願いいたします。
● 「ささの湯」 支援募金の返礼
1,000円以上=入浴券 (1,000円ごとに1枚)
1万円以上=素泊まり宿泊招待券 (1名)
3万円以上=食事付き宿泊招待券 (2名)
10万円以上=全館1日貸切 (繁忙期を除く)
20万円以上=全館1日貸切+入浴フリーパス (2年間有効)
●支援方法
ご協力していただいた方は 「ささの湯」 までご一報ください。
➀振込による協力
下記口座にお振込みください。
利根郡信用金庫 片品支店
普通 0072863 アライショウ
②募金箱による協力
「ささの湯」 店頭にて募金箱を設置しました。
土日を中心に15~20時はスタッフが在館しています。
原点回帰の湯 ささの湯 (幡谷温泉)
群馬県利根郡片品村幡谷535
TEL.0278-58-3630
2024年02月04日
湯端温泉 「湯端の湯」⑤
数年ぶりに、湯端温泉の一軒宿 「湯端の湯」 (高崎市吉井町) に泊まってきました。
取材でもなく、仕事でもないのが、いいですね。
目的は、ライブの打ち上げ。
昨日、吉井町の古刹で開催されたイベントに、僕らのバンドが出演し、ミニライブを行いました。
(ライブについては、当ブログの2024年1月26日 「テライブ IN 節分会」 参照)
寺の副住職が僕の本の読者だったということもあり、バンド出演のご褒美として、町内の温泉宿であり、檀家でもある湯端温泉を予約してくださっていたのです。
しかも、メンバー4人全員です!(よっ、太っ腹)
「大変お久しぶりです」
若き3代目主人の桑子済(とおる)さんが、出迎えてくれました。
読者ならば、湯端温泉のいきさつはご存じたと思いますが、彼は一度、閉館してしまった宿を祖父の遺言にしたがい、温泉宿を復活させた男です。
湯端温泉の歴史は古く、すでに明治時代には鉱泉が湧いていました。
あせもなど皮膚病に特効があり、飲用すれば胃腸の調子が良くなることから源泉は地元で大切に守り継がれてきました。
昭和46(1971)年、料理人だった彼の祖父が温泉宿を開業。
長年、地元の湯治場として、また秘湯ファンが全国から訪れる宿として愛されていましたが、惜しまれながらも高齢のため平成18(2006)年に休業してしまいました。
当時、まだ彼は高校生でした。
しかし高校卒業後、飲食店や旅館で修業を積んで平成24(2012)年6月に、本館の新築と宿泊棟の改築をし、念願の再開をしました。
僕は、祖父の遺志を継いで秘湯の一軒宿を復活させた彼の軌跡を、たびたび著書や新聞記事で紹介してきました。
いわば、僕にとっても大変思い入れのある温泉宿なのであります。
ちなみに宿泊は素泊まりのみ。
また日帰り入浴も受け付けていますが、要予約です。
「カンパーイ!」
「お疲れさ~ん!」
宿に着くなり、メンバーは缶ビールを手に、互いをたたえ、ねぎらいました。
そう、僕らはライブ終了後、みんなでスーパーマーケットに寄って、酒とつまみをごっそりと買い込んできました。
また副住職からは、会場で売られていた恵方巻やたこ焼き、唐揚げのほか、日本酒の一升瓶までもが差し入れされました。
ありがとうございます。
「いや~、楽しかっね」
「老いて、ますます楽しさがました」
とかなんとか、「楽しかった」 を連発しながら、平均年齢61.5歳のスーパーローカルオヤジバンドの面々は、夜が更けるまで呑み続けたのでありました。
こんな意見も出ました。
「ジュンちゃんはさ、昔はミュージャンだったけど、今は完全にパフォーマーだよね」
これって、ほめ言葉なのかな?
体力と情熱が失せた分、要領の良さだけでステージに立っているということかな?
ま、なんでもいいさ。
こうして、いくつになっても愉快な仲間と、あの頃と同じようにつるんでいられるのだから……
みんな、お疲れさん!
死ぬまで、音を出し続けようぜ!
2024年01月25日
鹿沢温泉 「紅葉館」⑦
マイナス11℃
横殴りの雪が舞う、極寒の鹿沢温泉に行ってきました。
4代目主人と女将、5代目の若主人にお会いするのは、5年ぶりです。
ストーブが燃える暖かなラウンジで、コーヒーをいただきながら思い出話に花が咲きました。
僕が最初に先代を訪ねのは、25年も前のこと。
温泉の取材ではなく、この地方に伝わる 「天狗の麦飯」 という謎の食べ物(?)を探して、一緒に山を歩き回りました。
「そうでしたね、覚えています」
「今でも 『天狗の麦飯』 は存在しますか?」
「ええ、ありますよ」
そんな話から始まり、現在の宿のことを、あれこれと聞いてきました。
今回、僕が鹿沢温泉を訪れたのは、テレビのロケハンでした。
ロケハンとは、ロケーションハンティングの略。
一般に業界では、ロケと言えば、本番の撮影のことを言います。
ロケハンは、その下準備。
現地に出向き、取材や打ち合わせをすることを言います。
ということで昨日、僕はディレクターと放送作家とともに雪の中、鹿沢温泉の一軒宿 「紅葉館」 をロケハンしてきました。
僕は、群馬テレビのドキュメント番組 『ぐんま!トリビア図鑑』 のスーパーバイザー(監修人)をしています。
が、ときどきリポーターとしても番組に出演しています。
今回は、僕が監修およびリポーターを務める、シリーズ 「温泉王国ぐんま」 の第6弾の制作です。
昔は、「山の湯」 と呼ばれ、信州の温泉だった鹿沢温泉。
延々と峠沿いに百体の観音像が並ぶ 「湯道」 とは?
なぜ、「鹿沢」 というなのか?
その伝説と真実とは?
そして、ここが 「雪山讃歌」 の発祥地といわれるゆえんは?
番組では、そんな数々のトリビアを紹介します。
放送は3月予定。
ロケは、2月に行います。
乞う、ご期待!
2024年01月04日
磯部温泉 「小島屋旅館」➂
“小島屋の湯に入らずして、磯部を語るべからず”
そう温泉ファンに言わしめるほど、湯の質には定評がある小島屋旅館。
同じ源泉でも湯の管理によって、これほどまでに差があるのかと感心してしまう湯であります。
何よりも湯殿がいい!
浴室でも湯屋でもなく、“湯殿” と呼ぶにふさわしい威厳に満ち溢れています。
大正15(昭和元)年に建てられた大正ロマネスク様式の外観は、モダンなデザインで、アーチ形の半円窓がシンメトリーに並びます。
(四万温泉 「積善館」 の 「元禄の湯」 に似ていますが、こちらの方が古い)
なぜ文化財に指定されていないのかが不思議です。
新年早々、そんな老舗旅館から朗報が届きました!
明治12(1879)年創業から直系で7代目となる女将の原田三重子さんが、旅館内にパン工房をオープンさせるというニュースです。
僕は雑誌や書籍の取材、NPO法人のイベント等で、たびたび女将には世話になってきました。
そして、その都度、女将の料理の腕には感心していました。
また、パン職人だったという話も聞いたことがあり、「いつかまたパンを焼きたい」 と言っていたのです。
(旅館には珍しく、コロッケパンが出たこともありました)
看板メニューとして、おやき風のパンを試作中だとか。
なんでもパンの表面にはオリジナルのロゴマークが付くそうです。
温泉記号発祥の地ならではの “温泉マーク” に似たデザインのようです。
「温泉マークカレー」 に継ぐ、磯部温泉の名物になりそうですね。
がんばれ、女将!
来月上旬のオープンを楽しみにしています。
2023年12月23日
霧積温泉 「金湯館」⑪
「小暮さんの本は、すぐ売れちゃうのよ。また送っといてね」
会うたびに、満面の笑みをたたえて出迎えてくれた大女将の佐藤みどりさん。
先日の新聞で、訃報を知りました。
僕が最初に霧積温泉の一軒宿 「金湯館」 を訪れたのは、20年ほど前。
まだ、その頃は親戚が営む 「きりづみ館」 があり、一軒宿ではありませんでした。
確か、雑誌の取材だったと記憶しています。
その後、2011年に 『群馬の小さな温泉』(上毛新聞社) という本の取材で、再度、訪れています。
まだ3代目主人の敏行さんも健在で、電気のない時代の苦労話を、たくさん聞きました。
大女将との思い出は、2011~13年の2年間にわたり朝日新聞群馬版に連載した 『湯守の女房』 での取材です。
このシリーズでは、県内の温泉宿の女将をインタビューしながら “湯守の女房” としての苦労話や自慢話を紹介しました。
「金湯館」 は、シリーズ第16話で訪ねています。
紙面には、大女将のみどりさんと若女将の和美さんが仲良く並んで笑っている写真が大きく掲載されました。
この時、みどりさんは敏行さんとの馴れ初めを話してくれました。
それは、夏休みに金湯館にアルバイトに来たのがきっかけだったとか。
すると知美さんも、長男の淳さんとの出会いが、まったく同じでした。
ともに旧松井田町(安中市)の出身で、アルバイトに来て知り合ったという親子二代のラブストーリーを記事にしました。
(当ブログのカテゴリー 「湯守の女房」 参照)
それからも雑誌や新聞の取材ほか、著書 『新ぐんまの源泉一軒』 『西上州の薬湯』 の出版でも大女将にはたびたびお世話になました。
新聞記事に、こんな一文がありました。
<若女将に聞けば、前夜までいつも通りにしていて、朝起きて来ないので見に行ったら、亡くなっていたという。>
なんとも大女将らしい最期ではありませんか!
生涯、“湯守の女房” を貫いたのであります。
みどりさん、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
2023年12月21日
相間川温泉 「ふれあい館」⑧
相間川温泉 (旧・倉渕村) に温泉が湧いたのは平成7(1995)年のこと。
以来の付き合いだから、かれこれ30年近く通っていることになります。
もう何十回と、湯に入っています。
が、そのほとんどが、車で訪ねています。
昨日、10数年ぶりに電車とバスを乗り継いで、相間川温泉まで行ってきました。
(前回の様子は、2011年に上毛新聞社から出版された 『電車とバスで行く ぐんまの里山てくてく歩き』 に収録されています)
で、今回は、現在、高崎市のフリーペーパー 「ちいきしんぶん」 に不定期連載されている 『ぐんま湯の里ハイク』 の取材で訪れました。
このシリーズでは、ただ温泉に入るだけではなく、温泉地の周辺を歩きながら散策をして、最後に温泉に入るという群馬県民ならではの日帰りハイクの楽しさを提供しています。
では、なぜ、車を使わずに、わざわざ不便な公共交通機関を利用するのか?
それには、以下の3つの理由があります。
①湯上りにビールを呑みたいから!
②マイカーを持たない人たちにも温泉を楽しんでほしいから!
③ゆっくりのんびり小さな旅に出かけてほしいから!
車で移動したら半日で終えてしまう “目的” 重視の行楽ではなく、丸一日かけて、たっぷり “過程” を楽しむ旅を提案したいからです。
今回も電車で高崎駅に降り立ち、バスを乗り換え、乗客や運転手と触れ合いながらのバス旅を満喫してきました。
もちろん、あの黄金色した鉄分と塩分と油分たっぷけの温泉にも、たっぷりつかってきました。
そして湯上りには、お約束の生ビールを豪快にジョッキでいただきました。
※次回 『ぐんま湯の里ハイク』 は、「ちいきしんぶん」 2024年1月19日号にて掲載されます。
2023年11月16日
四万三昧
なんだか今月は、“四万づいて” います。
中之条町観光大使&四万温泉大使のW大使として、当然のことなのですが……
昨日、四万温泉協会 (中之条町) にて、2つの打ち合わせをしてきました。
1つは、来週開催される群馬県立歴史博物館友の会主催による出前講座 「四万あれこれ」 の当日行程のすり合わせ。
高崎と前橋からバスを出して道中、僕が四万温泉のあれこれを話します。
もう1つは、来月放送予定の群馬テレビ 「ぐんま!トリビア図鑑」 のロケハン (ロケーションハンティング=現地下見) を兼ねた打ち合わせです。
僕は、この番組のスーパーバイザー (監修人) をしていますが、ときどきリポーターもします。
今回は、シリーズ 「温泉王国ぐんま」 の第5回となります。
僕と四万温泉の付き合いは長く、かれこれ30年以上も通っています。
縁あって、平成23(2011)年には 『あなたにも教えたい四万温泉』(上毛新聞社) を出版することができました。
その後、四万温泉大使に任命され、さらいにイベント等で訪れる機会が増えました。
プライベートでは、私的バンドでも毎年、ライブ演奏をさせていただいています。
そんな勝手知ったる四万なんですが、不思議と飽きません。
どころか、訪ねるたびに新しい発見があります。
今回も、長年解明できなかった四万温泉最大の謎に挑みます!
2023年10月23日
老神温泉 「東秀館」②
旅館のパンフレットには、こう書かれています。
<老神温泉郷 穴原湯 東秀館>
なぜ、“温泉郷” なのでしょうか?
かつて、片品川沿いのこの地区には、3つの温泉地がありました。
老神(おいがみ)、大楊(おおよう)、穴原(あなばら)です。
老神は片品川の右岸、大楊と穴原は左岸にありました。
しかし、昭和10年(1935)年4月、3つの温泉地を統合して 「老神温泉郷」 として一本化し、老神温泉旅館組合を発足しました。
これにより従来の小さな湯治場から群馬を代表する温泉地の仲間入りをするようになりました。
今でも温泉街の入り口に立つ案内板には、「老神温泉郷」 と書かれています。
ですから正しくは、ここは温泉郷なのです。
いつしか “郷” が取れて、誰もが 「老神温泉」 と呼ぶようになりました。
片品川をはさんだ温泉街の対岸、ここ穴原地区には古くから湯が湧いていました。
東秀館の創業は、明治27(1894)年。
現在の老神温泉には明治時代に創業した老舗旅館が4軒ありました。
が、すでに2軒が廃業し、1軒は経営が交代しています。
直系の一族が経営している温泉旅館としては、老神温泉で最古の宿といえます。
今から130年前。
片品川対岸の 「穴原」 という集落が、大火に見舞われ、壊滅の危機に瀕してしまいました。
「どうにか、この村を残したい」 「元の村のように再建したい」 と、まわりの集落に助けを求めたところ、「大原」 に住む現主人の曽祖父が、穴原が所有していた源泉を買い上げて、村の危機を救ったといいます。
そのため、ここ東秀館だけは、昭和のはじめまで 「穴原温泉」 と呼ばれていました。
「これはこれは小暮さん、今日はお越しくださり、ありがとうございます」
湯から上がり、まだ体を拭いている時でした。
僕の来館を知った4代目主人の小林利之さんが、わざわざ脱衣所まであいさつに来てくださいました。
小林さんとは今年の5月、老神温泉の 「大蛇まつり」 で、お会いしたばかりです。
でも東秀館に泊まるのは、平成27(2015)年5月に出版した 『尾瀬の里湯』(上毛新聞社) の取材以来ですから8年ぶりになります。
「今日は、よろしくお願いいたします」
「では、後ほど」
浴衣に着替え、僕は仲間の待つ客室へもどりました。
仲間とは、県内外から集まった温泉ソムリエの資格を持つ温泉好きの面々です。
僕はゲストとして、呼ばれました。
夕食までは、まだ時間があります。
当然、湯上りのビールをいただくことになりました。
「カンパーイ!」
早くも温泉談議が始まりました。
まだまだ夜は長い。
窓からは紅葉が始まったばかりの山並みが見えます。
こうやって、住む土地も年代も違う人たちと呑み明かせる幸せ……
すべては、温泉が導いてくれた出合いです。
ただただ、温泉に感謝であります。
温泉ライターになって、良かった!
2023年09月26日
法師温泉 「長寿館」➉
<ここは全国でも1%未満しかないといわれる浴槽直下から源泉が湧く足元湧出泉だ。その湧き出る源泉の温度が42度。まさに “奇跡の湯” である。プクプクプク…、ポワワ~ンと、たった今生まれたばかりの湯の玉が肌をなでていく。これが代々当主が守り続けてきた、約50年前に降った雨の生まれ変わりなのである。>
(『みなかみ18湯』 【下】 より)
高齢者を対象とした講演会などで僕は、こんな話をします。
「みなさんが死ぬまでに入れる温泉の数は限られています(笑)。だったら1つでも、いい温泉に入ってください」
そして、こう続けます。
「その中でも、絶対に一度は入っていただきたい湯があります。それは法師温泉の 『法師の湯』 です」
その理由は、冒頭の著書で記したとおりです。
昨日はテレビロケで、早朝より法師温泉の一軒宿 「長寿館」 に行ってきました。
さすが、“死ぬまでに一度は行きたい温泉宿” であります。
:月曜日の朝だというのに、3カ所の駐車場はすべて満車です。
車のナンバーを見ても、県外ばかり。
宿泊客の邪魔にならないように、撮影がスタートしました。
10時のチェックアウトを機に、クルーは大浴場へ!
明治28(1895)年建築の国登録有形文化財の湯殿と、僕の入浴シーンを撮影。
その後、ロビーで一息ついていると、玄関外が騒がしい。
あれよあれよのうちに、バスでやって来た何十人という団体客が押し寄せて来ました。
日帰り入浴客です。
館主いわく、
「うちは (宿泊料金が) 高いからね。団体客は、よそに泊まって、風呂だけ入りに来るんですよ」
ということは観光客にとっても、やっぱり、“一度は入りたい湯” なのですね。
ということで、宿泊客が到着する時刻までに、なんとか撮影を終了しました。
さて、どんな番組に仕上がっているのでしょうか?
群馬テレビ 『ぐんま!トリビア図鑑』 奇跡の湯 「法師温泉」 は、10月10日の放送です。
お楽しみに!