温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2011年11月30日

猿ヶ京温泉 「猿ヶ京ホテル」


 昨日の午後から猿ヶ温泉に入り、今日の昼過ぎまで取材活動を続けていました。
 昨晩は、ご厚意により、老舗旅館の 「猿ヶ京ホテル」 に泊めていただきました。

 僕が猿ヶ京ホテルに泊まるのは、約20年ぶりのことです。
 「関東タウン誌会」 というタウン誌の集まりがあり、その総会が猿ヶ京ホテルで開催され、当時、群馬県内でタウン誌の編集をしていた僕も出席したことがありました。

 女将の持谷美奈子さんにお会いするのは、4年ぶりです。
 以前、JR東日本の冊子 「小さな旅」 の取材で、お世話になりました。
 しっかり、僕のことを覚えていてくださいましたよ。
 ありがとうございます。

 3代目主人の持谷明宏さんと最初にお会いしたのは、今年の2月でした。
 水上温泉で開催した僕の講演会に来てくださり、講演終了後にあいさつをしたのが、出会いです。
 その後、今年は、仕事を兼ねて数回お会いしています。

 ま、そんなご縁もあって、昨晩は泊めていただいたのです。


 当然、旅館の取材を兼ねての宿泊だったのですが、僕には、どうしても知りたいことがあり、一度ゆっくり、ご主人とはひざを突き合わせて、話がしたかったのです。
 それは、赤谷湖に沈んだ温泉地のこと!

 昭和34(1959)年に赤谷川を堰き止めて完成した相俣ダムにより、湖底に 「笹の湯温泉」 と 「湯島温泉」 という2つの温泉地が水没してしまいました。
 そこまでは、僕も知っていました。
 今回、どうしても知りたかったのは、その2つの温泉地の場所です。

 ご主人は、地図を広げて、丁寧に教えてくださいました。

 まず、笹の湯温泉には 「相生館」 という一軒宿があったこと。
 場所は、現在の相生橋近くの湖底であること。
 そして、「笹の湯」 というのは、笹の生い茂った源泉であったための別称であり、正式名は 「生井林温泉(鉱泉)」 であること。
 (大正11年に、若山牧水が法師温泉から湯宿温泉へ向かう途中で立ち寄っています)

 もう1つの湯島温泉は、相生橋の上流の赤谷川渓谷、現在のカッパ広場のあたりにあったことを教えてくださいました。
 旅館は 「見晴館」 「桑原館」 「長生館」 の3軒があり、笹の湯の 「相生館」 とともに地元では “旧四軒” と呼ばれていることを知りました。
 4軒は代替地へ移転しましたが、残念ながら 「見晴館」 と 「相生館」 は廃業しています。

 で、「桑原館」が、のちの猿ヶ京ホテルなのであります。


 ご主人が、次から次へと僕の質問・疑問に答えてくださるものですから、話が面白くて面白くて、チェックインするのも忘れて話し込んでしまいましたよ。
 いやぁ~、温泉話は、実に楽しいですね。

 僕があんまりにも歴史を知りたがるものだから、ついには大女将が著した 『猿ヶ京温泉史』 をいただいてしまいました。
 我がままを言って、申し訳ありません。
 ご主人、ありがとうございます!

 温泉史は、僕の大好物なんですよ。
 さっそく今晩から、ナイトキャップのお供に読ませていただきます。
  


Posted by 小暮 淳 at 21:40Comments(2)温泉地・旅館

2011年11月29日

明日から連載スタート!


 いよいよ明日(11月30日)から、温泉コラムの新連載が始まります。

 ご縁があり、直木賞作家で経済評論家の邱永漢先生の情報コラムサイトにて、不肖小暮がコラムの連載を受け持つことになりました。
 (どんな縁があったのかは、今月21日のブログ「温泉100回コラム」をお読みください)

 先生が発信している情報コラムサイト 『ハイハイQさんQさんデス』 は、月間200万以上のアクセスがあるという、超超人気サイトであります。
 そんな大舞台でコラムを執筆する機会を与えてくれた、先生および編集室のスタッフに心より感謝を申し上げます。

 全国の読者に愛される、楽しくためになる温泉コラムを書き続けられるよう、頑張りたいと思います。

 編集室のみなさん、そして読者のみなさん、よろしくお願いいたします。



    温泉ライター 小暮淳の
      「温泉で元気」
    心の湯治に出かけよう!

 ●連載サイト    『ハイハイQさんQさんデス』
             http://www.9393.co.jp
 ●掲載更新日   毎週、水曜日と土曜日

 ※現在、トップページの連載予告バナーにて、
   コラムの内容と筆者のプロフィールを紹介し
   ています。
   


Posted by 小暮 淳 at 10:39Comments(4)執筆余談

2011年11月28日

好きなことをして生きる


 「好きなことをして生きていることが、
  一番の親孝行だよ」

 このセリフ、確か、映画 『RAIL WAYS〔レイルウェイズ〕』 の中で、主人公の母が息子に言った言葉です。

 < 49歳で電車の運転手になった男の物語 >
 エリートサラリーマンの主人公が、上司から工場廃止と部下のリストラを命じられます。
 そんな矢先、同期の友人の事故死、田舎で1人暮らしの母親の入院と、立て続けに苦悩が彼を襲います。
 結果、彼は上司に 「自分をリストラすることにしました」 と告げ、会社を退職。
 実家へ戻り、子どもの頃からの夢だった電車の運転手への道を目指すという話です。

 全編、美しい一畑電鉄の車窓からの風景が流れ、人生を再スタートさせた男のロマン実現への物語は、心に響くものがありました。
 が、僕には、ことのほか、冒頭で述べた母親の言葉が、今でも一番心の隅に残っているのです。

 実は数年前に、同じようなことをオフクロに言われたことがありました。
 オフクロの誕生日か、何か記念日だったと思います。
 若い頃から心配ばかりかけて、親不孝のし放題だった僕は、過去を詫びるつもりで、
 「旅行へ連れて行ったり、物を買ってあげたりはできないけど、これからは、なるべく親孝行するから、何でも言ってくれよ」
 とか何とか言った記憶があります。

 するとお袋は、
 「もう充分、親孝行をしてもらっているよ」
 と言ったのです。

 「えっ、まだ何もしてないよ。これからだってば……」
 と戸惑う僕に、言った言葉が、冒頭のセリフと同じだったのです。

 「本を書くのが、お前の夢だったものね。今こうして、お前の書いた文章を、本や新聞や雑誌で読めるんだもの、これ以上の親孝行があるかい !?」
 そう言ってくれたのです。


 好きなことをして、生きる・・・

 誰もが一度は、考えることです。
 一番最初は、子どもの頃の夢でしょうね。

 野球選手、Jリーガー、パイロット、歌手、宇宙飛行士 ・ ・ ・
 夢の大きさは、人それぞれですが、みんな夢見て、そして忘れて大人になっていきました。

 今の子どもに、「大きくなったら何になりたい?」 と訊くと、“公務員”って答える子が一番多いんですってね。
 それって、夢ですか?
 大人に教えてもらった現実でしょう?


 で、僕の子どもの頃の夢ですが……

 確か、「コックさん」って、書いていたような気がします。

 今からでも遅くないですよね!
 映画の主人公のように、子どもの頃の夢に挑戦してみますか!

 いえいえ、その後に抱いた夢が、まだ途中なんですよ。
 だから、今こうやって、その夢のつづきを、毎日毎日、したためています。


 あなたの子どもの頃の夢は、なんですか?
   


Posted by 小暮 淳 at 17:53Comments(0)つれづれ

2011年11月27日

貧乏に魅せられて


 「貧乏はするもんじゃねぇ。
  味わうもんだ!」

 これは、昭和の大名人と称された落語家、5代目古今亭志ん生が言った言葉です。
 大酒飲みで放蕩者、借金取りに追われる極貧時代を過ごしていたといわれています。

 まあ、僕も酒は好きでが、そこまで破天荒な人生は送っていません。
 でも、貧乏には、一家言あるんです。


 「まあ、そう言うな! 今のうちだけだから貧乏を楽しんでおけ!
  そのうち、貧乏が懐かしくなる日が来るからよ」

 これは、家族に対しての僕の口ぐせです。
 結婚以来、ずーっと、この口調で家内および子どもたちを、言いくるめてきました。

 「そのうち、そのうちって、いつになったら貧乏が思い出になるのよ。
  いい加減、もう、貧乏は飽きたわよ」
 これは家内の口ぐせです。

 と言いながら、25年もだまされているのですから、彼女もまんざら貧乏が嫌いなわけではないようです。
 では、僕は?というと、貧乏とは、かなり相性がいいようです。

 実は、僕が貧乏を好き(?)になったのには、理由があるんです。


 もう20年以上も昔の話ですが、最初にタウン雑誌の編集を始めた頃、いきなりインタビューの連載記事を書かされたのであります。
 「小暮君が興味のある人物を、毎月追いかけてみなよ」
 と当時の編集長に言われて、僕は芸術家ばかりを取材してまわりました。

 『ヒューマン・スクエア』 と名付けたインタビュー記事は、初回から人気があり、僕がタウン誌を辞めるまで続きました。
 陶芸家、ミュージシャン、画家、染色家、木彫作家、現代アート作家、役者、版画家、彫刻家・・・・
 とにかく、どの人も、「えっ、どうやって生活しているの?」 と思えるユニークな生き方の持ち主ぞろいでした。

 「霞(かすみ) を食ってるんだよ」
 と言われて、本気で 「そうだろうなぁ」 と思えた人も中にはいました。

 でも、本当のところ、芸術家たちは、自分の信念を貫くために “貧乏” を耐え抜いているのが実状でした。


 僕が、もっとも強烈な印象を受けた人は、Mさんという彫刻家でした。
 Mさんは当時、榛名山中の廃屋をアトリエにして、奥さんと小さな子供と暮らしていました。

 「収入は?」
 と聞けば、
 「自給自足だ」
 と、庭先のネコの額ほどの畑を指差します。

 それと、奥さんのパート。

 当然、まだ無名の彼は、個展を開いても、作品は売れません。
 それでも、なんの迷いもなく、黙々と作品を作る彼を僕は見続けてきました。

 僕と彼は同世代ということもあり、取材を出会いに、その後の人生も交流を続けていたのです。


 あれから20数年。
 先月、Mさんの個展があるというので、久しぶりに県外まで車を走らせ、祝いの言葉を届けに行ってきました。

 「ジュンちゃ~ん! よく来てくれたね。こんな遠いところまで!」
 彼は、満面の笑みで僕を迎えてくれました。
 そして、握手。

 彼の作品は、20年前に比べると、かなりサイズもパワーもスケールアップしていました。
 いい、いい、とってもいい!
 あの頃、彼が抱いていた信念が、時を経て、形になり、こうして変わらずに、また僕を奮い立たせてくれています。

 今では、彼の作品は、自治体や美術館が購入するレベルに達しています。
 すでに、“作家先生” なのであります。

 それでも、
 「相変わらず、貧乏でねっ」
 と笑った、“貧乏” という言葉の響きのカッコイイのなんのって、すげえカッコイイんですよ!

 ただ単に金がない貧乏じゃない。
 貧乏と引き換えに、手に入れるモノを知っている人間が発する 「貧乏」 なんですね。

 「ああ、これなんだなぁ。
 俺が昔、あこがれていた “貧乏” って……」

 帰りの車の中で、そう思えたのです。
 
 僕が愛する人たちは、みんな貧乏を知っている。
 でも、その貧乏は、仕方なくやっている貧乏なんかじゃない。
 自ら、飛び込んで行っている必要最低限の貧乏なんです。


 やっぱり貧乏は、するもんじゃなく、
 味わうもののようですね。
   


Posted by 小暮 淳 at 22:31Comments(4)つれづれ

2011年11月26日

循環式風呂の過信


 またしても、レジオネラ菌です!


 <みなかみの温泉旅館>
 <60代男性が死亡>
 <レジオネラ症で肺炎>
 <基準値1800倍のレジオネラ菌が検出>

 今日の新聞は、各紙一斉にレジオネラ菌による死亡事故を伝えています。

  ひと言、
       残念で
            なりません。

 私たちが、この舌をかんでしまいそうな細菌の名前を頻繁に耳にするようになったのは、たぶん、2002年7月に宮崎県日向市の温泉入浴施設で起きた国内最大の集団感染からではないでしょうか。
 感染者295人、うち7人が死亡。
 基準値の15万倍のレジオネラ菌が検出され、当時の保健所係長が自殺した大惨事は、まだ記憶に新しいと思います。

 でも、レジオネラ菌による死亡事故は、それ以前にも国内で頻繁に起きていたのです。
 2000年3月には静岡県掛川市の温泉施設で、24人が感染し、2人が死亡。
 同年6月には、茨城県石岡市の市営入浴施設で、45人が感染し、3人が死亡しています。

 これら3つの施設に共通しているのが 「循環式風呂」 だったということです。


 レジオネラ菌は、土壌や河川、湖など、自然界のどこにでも生息している細菌です。
 なのに、昔はほとんど死亡事故の話は聞きませんでした。
 ところが、近年になって、急に猛威をふるうようになりました。
 なぜ、なんでしょう?

 実は、レジオネラ菌の 「レジオネラ」 とは、最初に感染したグループ(会)の名前から付いたといいます。
 1976年、夏。
 アメリカのフィラデルフィアのホテルで、在郷軍人会の会合があり、感染者221人、そのうち34人が死亡するという衝撃的な集団感染が発生しました。
 ホテルの屋上にあったエアコンの冷却塔の中の水に、レジオネラ菌が大量繁殖したのが原因とされています。
 その軍人会の名前が 「ザ・レジオン」 だったことから、細菌に 「レジオネラ」 という名が付いたとのことです。

 これを境に、レジオネラ菌は、全世界で爆発的に増殖していきます。

 この件について、『安全な温泉 あぶない温泉』(草思社) の著者、中澤克之氏は著書の中で、こう述べています。

 <1970年代といえば、化石燃料の使用過多で大気汚染や酸性雨が話題になりだしたころです。それ以後は地球温暖化が大問題となりました。レジオネラ菌は近代の文明社会が生み出した新種の毒性細菌といえるかもしれません>

 さらに氏は、緑地の砂漠化、森林の伐採により、樹木が放つフィトンチッドの殺菌力が低下したために、レジオネラ菌が増殖しているのではないかとも言っています。


 その昔、温泉は “天与の恵み” として、限られた場所にだけ湧き、人間に授けられていました。
 ですから、当然、すべての浴場が 「かけ流し」 だったわけです。

 ところが人間は知恵をもって、この温泉を観光目的や集客目的に利用するため、画期的な機械を発明しました。
 「循環式装置」 です。
 この装置は、魔法の機械だったのです。
 湧出量が少ない温泉でも、循環させ、ろ過し、消毒までしてくれるのですから・・・

 僕は、思うのですよ。
 人間は、機械の万能さを、過信していたのではないでしょうか?

 レジオネラ菌は、その万能な機械の中で、増殖し続けたわけですから!


 当然、循環式だから危険というわけではありません。
 浴槽の清掃、塩素消毒により感染の予防はできます。
 これは、完全放流式(かけ流し) でも同じことです。

 しかし、僕には感染以外に、心配なことがあります。

 <今回の事件を受け、群馬県は、県内の旅館や公衆浴場などに対し、文書で入浴設備の洗浄と消毒の徹底を呼びかけるとしている>
 と、新聞は報道しています。

 洗浄の徹底は当然のことです。
 でも、“消毒の徹底” という言葉が気になります。
 「死者を出すくらいなら、浴槽を塩素漬けにしろ!」 ということですか?

 もう、そうなると、それは 「温泉」 ではありませんね。
 全国の温泉地が、「温水プール」 化しないことを、切に願っています。
  


Posted by 小暮 淳 at 17:57Comments(6)温泉雑話

2011年11月25日

今日の 「朝日ぐんま」


 今日発行の朝日新聞の姉妹紙 「朝日ぐんま」 に、僕の名前を見つけました。

 朝日新聞前橋総局長の恵村順一郎氏が執筆しているコラム 「前橋総局から」。
 今回のタイトルは、「四万温泉」 でした。


 <朝日新聞群馬版で 「湯守の女房」 を連載中の小暮淳さんの著書から孫引きさせてもらった> 

 とあります。
 著書とは、『あなたにも教えたい 四万温泉』(上毛新聞社) です。

 そして “孫引き” とは、引用の引用のことをいいます。
 と、いうことは、引用した僕の文章も、僕が他から引用しているわけです。
 その引用先とは・・・

 <四万川の渓流に沿って進むと赤、黄に色づいた山々の紅葉がまばゆく面前に迫ってきた。これは美しい-わたしは思わず体を車中にもたげた。四万川の渓流は女性的だ。それだけに家庭的で親しみやすい>

 これは作家の丹羽文雄が、昭和27年11月に四万温泉を訪れた際の印象記であります。

 恵村氏はコラムの中で、奥様と四万温泉を訪ねて、<車窓から、まず目を奪われたのが四万川の澄んだ流れである> と記しています。

 季節は、同じ11月。
 四万川を見て、丹羽文雄の文章を思い出した。
 そして、その文章と出合ったのが、僕の著書だった。

 嬉しいですね。
 これぞ、著者冥利に尽きるエピソードであります。

 恵村さま、“孫引き” していただき誠にありがとうございます。


 ついでに、“引用” といえば、過去にも僕の文章が、そっくり引用されたことがありました。
 そして、その人の名は……、なななんと!

 作家の中島らもさんです。

 平成3(1991)年に出版された 『こらっ』(廣済堂出版) の中の、「お殿様の就職」 というエッセーで引用しています。
 引用されたのは、拙著 『上毛カルテ』(上毛新聞社) の 「いまどきの転職」 からで、群馬県の転職事情を、数ページにわたり抜粋しています。

 ところが 『上毛カルテ』 のほうが、平成9年発行と出版が遅いんですね。
 らもさんは、僕が連載していたタウン誌を読んでいたことになります。

 ブログ同様、まったくもって、誰がどこで文章を読んでいるか分からないものです。
 ですもの、やたらなこと、不確かなことは書けません。


 現場百遍!
 自分の目で見て書く!

 これからも、現場主義の温泉ライターとして、まめに東奔西走したいと思います。


 ※中島らも・著 『こらっ』 は、現在は集英社文庫にて出版されているようです。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:24Comments(0)著書関連

2011年11月24日

師匠が愛した温泉


 『オイ、客よ、生まれてきたンだろ なら酔えよ、
  そして文句をたれてりゃいい』

 『酔うことよ 酒と煙草を止(や)める奴ぁ 
  最も意志の弱い奴である』

 『人生なんて 知るもんか 勝手に生きりゃ それでいい』


 最初に鎌田温泉の 「梅田屋旅館」 を訪ねたとき、その襖(ふすま)いっぱいに書かれた躍るヤンチャな文字と、軽妙かつ辛らつな言葉の数々に、圧倒されました。

 その文字の主は、今月21 日に亡くなられた天才落語家の立川談志師匠であります。


 4代目女将の星野由紀枝さんによれば、今は亡きご主人の賢二さんが、仲間らと高崎で寄席を企画した際に、出演した師匠をお連れしたときの “落書き” なのだといいます。

 いやいや、これは落書きなんぞじゃありませんぞ!
 今となれば、貴重な “書” いや、立派な “アート” であります。
 お宝になることは、間違いありませんって。

 「これは、師匠が酔っ払って書いたものなんです。次にお見えになったとき、『この間は酔っ払っていたから』 と、今度は隣の部屋に素面(しらふ) で書かれていきました(笑)」
 と、見せてくれた別の部屋にも、なななんと!4枚の襖すべてにブチ抜きで書かれていました。

 『何ィ俺は素面だァ この野郎 人生を 何だと思ってやんでぇ 
  人生なんて全て 成り行きだァな……』

 いゃ~、酒を飲んでいようが、素面だろうが、師匠の “毒舌” は健在だ!

 落書き(?) は、全部で襖12枚。
 どれも “毒” と “笑” があって、すべて面白いのだが、僕がお気に入りなのは、右の部屋の一番左の文言です。

 『俺の人生 梅田屋程度で 充分なのだ』

 いいですね~っ!
 一見、侮蔑しているようでいて、実は師匠の温かい愛情が伝わってくる言葉です。
 最高の賛辞では、ないでしょうか。

 いつか僕も、こんな言葉を、常宿にしている温泉旅館で、毒づいてみたいものです。


 談志師匠、ありがとうございます。
 師匠は、落語だけでなく、カッコイイ大人の男の生き方を見せてくださいましたよね。
 大したファンではありませんでしたが、いつもどこかで尊敬申し上げておりました。

 いつぞや、梅田屋旅館で奥様とお会いしたことがありましたが、残念ながら師匠とは一度もお会いできませんでした。
 でも、師匠が群馬の温泉を愛してくださったこと、常宿にしていた旅館に “書” を残されたことを、群馬県民として誇りに思っています。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。
   


Posted by 小暮 淳 at 17:50Comments(2)温泉雑話

2011年11月23日

新鹿沢温泉 「鹿鳴館」②


 昨日は、月に1度の温泉講座日でした。
 晴天に恵まれ、深まる秋の里山から初冬を迎えた渓谷の絶景をめぐってきました。

 バスは毎回、高崎駅前と前橋駅前の2ヶ所が乗車場所となります。
 その回の訪ねる温泉地の方角によって先発はことなりますが、今回は高崎駅前が先発。

 通常、高崎駅前からNHK文化センターの担当者が、前橋駅から講師の僕が乗り込みます。
 いつも早めに行って、集合場所で受講生を待つのも、僕の仕事です。

 「おはようございます」
 と声をかけると、
 「もう、この講座が楽しみで楽しみで」
 と皆勤賞を狙うご婦人方が、続々とやって来ます。

 「夕べは11時まで仕事だったんですよ。でも、どうしても参加したくて。
  これを月に1度の、自分へのご褒美にしているものですから」
 と少しお疲れめなのは、この講座で唯一、僕より年下の男性Kさん。

 前日どんなに遅くまで仕事をしようが、出かけに奥さんに何を言われようが、
 この講座が大好きで、もう何年も参加してくださっている受講生です。


 平成23年度、「探訪! ぐんまの小さな温泉」追加講座<秋編> の2回目は、
 新鹿沢温泉です。

 湯元である鹿沢温泉へは、すでに昨年度の講座で訪ねています。

 一般的には、2つの温泉地は 「鹿沢温泉郷」 と呼ばれ、湯元の一軒宿 「紅葉館」 を鹿沢温泉、4キロ下った5軒の宿を新鹿沢温泉と表記されていますが、地元では、鹿沢温泉のことは “旧鹿沢” と呼んでいます。

 これには、運命を分けた、災害の歴史が関係しています。

 明治時代、現在の旧鹿沢温泉には、10数軒の旅館があり、湯治客らで大変にぎわっていました。
 ところが大正7年、大火が温泉街を襲い、全戸が焼失。
 湯元の 「紅葉館」 だけが旧鹿沢に残り、多くの旅館は再建をあきらめ、数軒が現在の場所に新鹿温泉を開きました。

 今回、お世話になった 「鹿鳴館」 は、大正時代に新鹿沢に下りてきた老舗旅館の一軒です。
 旧屋号を 「宮崎旅館」 といい、確かに、大火前の旧鹿沢古地図に載っています


 僕が 「鹿鳴館」 を訪れるのは、1年半ぶりのこと。
 出迎えてくれた5代目主人の宮崎辰弥さんは、しっかり僕のことを覚えていてくださいましたよ。

 「本が売れて、だいぶ印税が入ったんじゃないですか?(笑)」
 
 と開口一番、先制パンチをもらってしまいました。
 取材で訪れたあの日と、お変わりのない快活ぶりが、うれしいですね。


 湯元から引かれている源泉は、あの名泉「雲井の湯」であります。
 ガツンと来る存在感のある浴感は、温泉好きにはたまりませんな。

 受講生らも、口々に 「いい湯だった」 と満足のようす。

 いい湯、いい料理、そして、いい旅(講座)!
 今回も、充実した温泉講座でした。

 受講生のみなさん、お疲れさまでした。
 次回は12月20日です。
 また、元気にお会いしましょう!
   


Posted by 小暮 淳 at 13:42Comments(4)温泉地・旅館

2011年11月21日

温泉100回コラム


 ブログとは、誰が読んでいるか、本当に分からないものです。

 先月末のこと。
 出版元を経由して、1通のメールが届きました。
 送り主を見て、一瞬、目を疑ってしまいました。

 えっ、
     まさか、
          あの・・・

 直木賞作家で、経済評論家の邱永漢先生の事務所からだったのです。

 「今回、小暮様が公式サイトで発信されている内容を邱永漢が読みましたところ大変感銘し、ぜひコラムの執筆をお願いできないかということで、不躾ながら連絡をさせていただいた次第でございます」
 という、とても丁寧な内容のメールでした。

 最初は、半信半疑だったのですが、その後、先生の事務所とやり取りをしまして、こころよく連載の執筆をお受けすることになりました。

 いゃあ~、まったくもって、いったい誰がこのブログを読んでいるか分からんものですなぁ~!


 と、いうことで、これも1つのご縁であります。
 自称、「群馬の温泉大使」 であります、不肖わたくし小暮淳が、群馬の温泉ファンを代表して、全国へその魅力を伝えてまいります。
 ぜひ、ご声援ください!

 コラムの連載は、今月30日(水)より、毎週水曜日と土曜日です。
 そーなんですよ、1週間に2本のコラムを執筆しなくてはならないという、超ハードな連載なのですが、これを連続100回連載します!

 もう、これは体力と気力と知力の限界への挑戦ですな(笑)

 で、本日(11月21日)より、邱永漢先生の情報コラムサイト 『ハイハイQさんQさんデス』 のトップページにて、新連載の告知バナーがアップされましたので、ぜひクリックして、ご覧ください。
 コラムタイトルや内容、僕のプロフィールなどが、紹介されています。



       温泉ライター 小暮淳の
          「温泉で元気」
       心の湯治に出かけよう!

 ●連載サイト    『ハイハイQさんQさんデス』
             http://www.9393.co.jp
 ●掲載更新日    毎週、水曜日と土曜日
              (11月30日スタート!)

 ※現在、同サイトのトップページにて、連載予告中!
  


Posted by 小暮 淳 at 14:21Comments(7)執筆余談

2011年11月20日

でくの房 「暮れ展」 本日から開催!


 僕には、「殿」 と呼ぶお人がいます。
 といっても、ビートたけしさんじゃ、ありませんよ。

 絵本作家で、木彫家の前橋市在住作家、野村たかあきさんです。

 20代の頃に出会い、今日、僕がこのような人生を歩んでいられるのも、殿の “導き” があったからなのであります。
 結婚しているのに無職、主夫を隠れミノにプラプラしていた僕に、「表現することの楽しさ」 や 「モノを作ることの素晴らしさ」 を教えてくださった人なんです。

 そんな殿の、62回目の誕生日パーティーが昨晩開かれ、自称 「そのまんま東 = 一番弟子」 の僕も、お祝いの言葉を用意して、馳せ参じた次第であります。
 会場は、いつもの飲み屋 「H」。

 それでも、ママが腕によりをかけた料理が、いつもとは違った雰囲気で、ズラーリと並んでいました。
 カウンターだけの、本当に小さな店なんですよ。
 最近は、ここが殿のお気に入りの店です。

 ちゃーんと、バースデーケーキまで用意されていて、ローソクを立てて、明かりを消して、カラオケに合わせて 「パッピーバースデー」 を歌って、殿がローソクの炎を吹き消すと同時に、出席者全員がクラッカーを鳴らしました。

 パン! パン! パーン!!!

 ふと横を見ると、殿自身が “かぶりもの” をしていて、頭がバースデーケーキになっているではあ~りませんかっ!
 
 若い!
 というか、キャラが本家本元のビートたけしと完全に、かぶってるって!


 ま、その後いつものように、面白おかし話と、お得意の妄想話で、大いに盛り上がりました。
 殿からは現在、歌川広重を題材にした絵本を作られている話とか、県外でも個展の開催中だとか、それはそれは年齢を感じさせないパワフルで熱い熱い話が、ポンポンと飛び出して来ました。

 きぃー、これですよ、コレ!
 常に、未来形で人生が語られ、動いている人なんですね。
 さすが、殿です!

 そんな殿こと、野村たかあきさんの毎年恒例の作品展が、今日から野村さんのアトリエ兼ギャラリーの 「でくの房」 にて、開催されます。
 お待ちかねの2012年カレンダー 『鬼月から暦』(500円) や 『鬼の版画ごよみ』(1,000円) の販売のほかにも、木版画・木彫・絵本の展示即売会も行っています。

 ぜひ、この機会に、“殿” の作品に触れてみてください。
 必ず、元気をもらえるはずです!



      でくの房 『暮れ展』

 ●会 期   平成23年11月20日(日)~11月27日(日)
          12:00~17:00
 ●会 場   でくの房
          群馬県前橋市朝日町4-1-18
          TEL・FAX 027-243-7061
     


Posted by 小暮 淳 at 13:05Comments(2)酔眼日記

2011年11月18日

未来形で話そう!


 常日頃、人と会う仕事をしていますから、普通の人よりは、人脈と言うか、交友関係は広いのかもしれません。
 でも、知人は多いのですが、友人となると、そんなに多くはないように思います。

 当然、仕事先の人と意気投合して、親しくなり、その後も交流を続けることがあります。
 これらの人たちは、“知人” です。
 そして、知人が友人に変わるには、僕の場合、“酒飲みの儀式” が必要となります。

 まず、酒を飲む!
 するとテキメン、今後の付き合い方というのが見えてくるものです。

 「ああ、今日は楽しかった。また、この人と飲みたいなぁ…」
 と思える人と、
 「この人とは、年に1回、忘年会で会うだけでいいかな…」
 と思える人です。

 前者は、ほとんどがフリーランスの人たちです。
 そして、なぜだか後者は、サラリーマンが多いのです。

 なぜ、なんだろう?

 不思議に思って、考えてみたことがありました。
 そしたら、前者と後者には、1つだけ大きな違いを見つけることができました。

 それは、「話題」 です。

 後者は、なぜか、過去形の話が多いんです。

 どこどこへ行った。
 だれだれと会った。
 なになにをした。
 こんなことを言われた。
 あんなことをされた。
    ・
    ・
    ・

 しまいには、会社のグチや上司の悪口へと発展します。
 なかには、家族や家庭の不平不満をブチまける人までいます。

 すべて、過去形です。
 どーして、なんでしょうね?

 会社という “現在” が立ちはだかっていて、未来へ向かって進めなくなってしまっているのでしょうか?


 一方、僕が 「また会いたい」 と思う前者の人たちは、共通して “未来形” で物事を話します。

 「今、こんなことをしているんだけど、何かいい知恵ない?」
 「作品が描きたまったんで、そろそろ個展をやろうと思うんだ」
 「今度、ライブやるから来て!」
 「来月、アメリカの大会に出るんだよ」
     ・
     ・
     ・
 時には、話が大きくなり過ぎて、
 「いいねいいね、その話! 俺が脚本にするから、映画を撮らない?」 なーんて、夢物語を肴に、何時間でも語り合ってしまうことがあります。

 「ほーら、また始まったよ! 小暮さんの妄想話が・・・」
 と言われることも、たびたびなのですが、実はこの妄想話が、現実になる確率は、意外と高いのです。

 だって、僕の温泉本シリーズだって、元はと言えば、10年前の酒の席での妄想話が、具現化したものですからね。


 サラリーマン諸君!
 未来形で話して、ごらんよ。

 100個の未来話が、10年後には、1つくらい叶っているかもよ。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:12Comments(5)つれづれ

2011年11月17日

川中温泉 「かど半旅館」


 約2年ぶりに、川中温泉へ行ってきました。

 川中温泉といえば、群馬が全国に誇る “日本三美人の湯” の1つです。
 ちなみに、あとの2つは、

 龍神温泉(和歌山県) と 湯の川温泉(島根県) であります。
 が! この中で、唯一、川中温泉だけが一軒宿です。

 たった一軒で、“日本三美人の湯” という大看板を背負っているのですぞ!

 この “日本三美人の湯” 、誰が名付けたのか? いつから呼ばれるようになったのか? は不明なのですが、調べてみると、最初の出典は、大正時代のロングセラー、鉄道省編 『温泉案内』 の効能一覧に、この3ヶ所の温泉が 「色を白くする湯」 として登場するようです。

 日本人にとって、“美肌 = 美人” なのですね。

 で、実は、この 『温泉案内』 には、もう1ヶ所の温泉地が記載されています。
 実は、“四美人の湯” だったのですよ!

 その、もう1つとは?
 群馬県の 「松の湯温泉」 です。
 そう、これまた一軒宿の 「松渓館」 であります。

 ですから、本によっては、“三美人” と銘打って、上記の4ヵ所の温泉を上げているものもあります。


 前回訪ねたのは、約2年前ですが、僕が最初に取材で訪ね、泊めていただいたのは、かれこれ10年近く前になります。
 当時は、まだ先代女将の小林タミ子さんが元気で、名物の 「おっきりこみ」 を打って食べさせてくれました。
 (タミ子さんは、うどんを「打つ」ことを、「ぶつ」と言ってました)

 「ここに美人がいるわけじゃないよ、わたしは心の美人だからね。アッハハ!」
 そう、豪快に笑い放っていた姿が、なつかしく思い出されます。

 そんな名物女将のタミ子さんが、今春に亡くなられたことを今日、知らされました。
 享年、84歳。

 また会えると思って出かけたのに、とても残念でした。
 ご冥福をお祈りいたします。


 でも今日は、2代目女将の順子さんから、たっぷりと旅館奮闘話を聞いてきましたよ。
 ご主人の正明さんとの馴れ初めから、湯守の女房としての心意気まで、それはそれは楽しい時間でした。

 そして湯上がりには、伝統の味を受け継いだ名物の 「おっきりこみ」 を、しっかりとご馳走になりました。
  


Posted by 小暮 淳 at 18:50Comments(3)温泉地・旅館

2011年11月16日

川原湯温泉のゆくえ③


 「幹雄ちゃんとこ、解体しちゃうらしいですよ」
 「えっ、本当?」

 昨日、某観光協会の役員さんと、話をしたばかりでした。
 もちろん、驚いているほうが、僕です。

 そして一夜明けた今朝、県内の新聞は各紙一斉に、川原湯温泉 「柏屋旅館」 の解体ニュースを報じました。

 柏屋旅館の主人、豊田幹雄さんに最後にお会いしたのは、ちょうど2年前の11月でした。
 僕が講師を務める温泉講座で、受講生らと川原湯温泉を訪ね、柏屋さんで昼食をお世話になりました。

 その後、お電話で 「しばらくの間、宿泊営業を休業する」 との知らせを受けました。
 つづいて、隣の老舗旅館 「高田屋」 も休業し、すでに解体され更地になっています。

 あのとき、「絶対に再開させてくださいね」 という僕の言葉に、力強く 「ぜひ、その時は、また記事を書いてください」 と語っていた幹雄さん。
 今日、こうして、各新聞の紙面でお顔を拝見するのは、とても複雑な思いがします。


 「自分の代で看板を外すのは心苦しいが、必ず旅館を再開し、再び 『柏屋旅館』 の看板を揚げたい」(上毛新聞)

 「めそめそしていても仕方がない。看板にも2、3年、休息してもらい、次のステップにしたい」(読売新聞)

 移転予定のJR川原湯温泉駅周辺の整備は、いまだ難航している。
 代替地が完成していない状態での、旅館の取り壊しである。
 新しい旅館の建設を始められるのは、早くて2~3年先だという。
 さぞかし、不安なことだろう。

 江戸時代末期の創業という老舗旅館が、一時でも姿を消すのは、とても悲しいものがあります。
 でも、川原湯温泉が消えたわけでも、柏屋旅館がなくなってしまったわけでもありません。

 幹雄さんと、若女将の香織さんが元気でいる限り、必ず再び、お会いできるはずです。
 ぜひ、頑張ってください。

 また名物の 「お赤飯」 を、食べに行きますよ!


 ※最盛期に20軒以上の旅館があった川原湯温泉は、現在は5軒となっています。
   残っている旅館のほとんどが、代替地への移転を計画しています。
  


Posted by 小暮 淳 at 16:15Comments(3)温泉地・旅館

2011年11月15日

なぜかオヤジはオヤジにモテるのです


 先日、知人の女性に会ったとき、「小暮さんの写メ、撮っていい? 私の知り合いで、小暮さんの大ファンがいるのよ」 と言われて、気を良くして、にっこりポーズまでとってしまいました。

 女性が 「私の知り合い」 と言えば、当然、相手は女性だと思うじゃありませんか!
 だから僕も、
 「えっ、その人って、どんな人? 若い? 美人?」
 と、ついつい下心が出てしまったわけです。
 そしたら、

 「なに言ってるのよ、オジサンよ、オジサン!」

 ガ~ン・・・

 でも、最近、このテの話が多いんですよ。
 以前も、ある女性が、
 「小暮さんのファンでさ、どうしても会わせて欲しいという人がいるんだけど、会ってくれませんか?」
 と言われて会ったら、

 やっぱりオジサンでした。
 (このオジサンとは、今でも公私共に付き合いが続いています)

 あるときは、某情報誌の編集者と車で取材先へ向かう途中のこと。
 「あっ、そうそう。あの店のオーナーさんがね、小暮さんのファンで、小暮さんの本は全部持っているって言ってましたよ」
 と、とあるギャラリーを指さしました。

 「あのさ…、もしかして…、そのオーナーさんて…、男性?」
 
 と、嫌な予感がしたので、聞き返すと、
 案の定、
 「そうですよ、オジサンです」
 と答えられ、またもや、へこんでしまいました。


 そういえば、僕が講師を務める温泉講座の受講生も、初年度は男性がたった2人しかいなかったのに、年々男性が増えて、3年目を迎えた現在では、全体の半数を “オジサン” が占めています。

 と、思えば、講演会やセミナーなどでも、実に男性が多いんですね。
 これって、どういうことですかね?

 まぁ、別に、この仕事をしていて、若い女性にモテようとは思っていないんですけど、せめて熟女や老女(性別=女性) にモテたいものです。


 オヤジは、オヤジに惚れるものですか?
 それとも、オヤジは、温泉が大好きなんでしょうか?

 先日の四万温泉でのサイン会でも、やはりオバサンにまざって、オジサンの姿が多いのが気になりました。

 オジサンが、オジサンにサインをもらって、握手をしている姿って、はたから見たら異様な光景なんでしょうなぁ・・・

 なんだか良く理由は分かりませんが、なぜかオヤジはオヤジにモテるようであります。

 オジサンたち、これからも末永く、よろしくお願いしますね。
   


Posted by 小暮 淳 at 21:37Comments(2)つれづれ

2011年11月14日

コンビニで寝る男


 昨日、夕刻のことです。

 近くのコンビニ入ると、突然 「ドスン!」 と鈍い音がしました。
 が、気にもとめもせず、店内をぐるりと一周して、レジへ。

 すると、カウンターの中で、アルバイトの女の子が2人、真っ青な顔をして突っ立っていました。
 1人の娘は、電話の子機を握り締めながら、なにやら現状を説明しています。

 「どうしたの?」と僕。
 「お客さんが、寝てしまったんです!」 と、もう1人の店員が中央通路を指差しました。

 ギェッ!
 本当だっ!
 初老のオッサンが、陳列棚にはさまれて、大の字に寝ているではありませんかっ。

 「大丈夫なの? 脳溢血か心筋梗塞じゃないの? 救急車を呼んでるの?」 と僕。
 「今、警察に電話しています。寝ているんですよ、あの人!」 と店員。

 おいおい、何ががなんだか、頭がこんがらがってきましたよ。
 この場合、どう現状を見ても、電話するのは110番じゃなくて、119番だよ。お嬢さんたち!

 「もう、しつこいんですよ、あのお客さん! 2時間もお店にいるんですよ。私に向かって 『愛している』 とか言っちゃって、帰ろうともしないし、カウンターの中まで入ってタバコを自分で勝手に取ろうとするし、おでん買ってもお金を持っていないし、一度帰ったと思ったら、またやって来るし……」
 と、堰を切ったように、店員の口から、今までのいきさつがベラベラベラベラと語りだされました。

 「しまいには、『俺は眠い』 とか言っちゃって、倒れたんです!」
 と、迷惑千万の様子。

 なるほど、じぁあ、110番で正しい。


 やがて、パトカーが到着。
 若い警察官が2人、店内に入って来ました。

 「おじさーん、どうしたの? お酒飲んでるの?」 の問いかけに、
 薄目を開けて、「飲んでない」 と、ひと言。
 「じぁー、何でこんなところで、寝ているの?」 と警官。

 「眠てーんだよ」
 とは、このオッサン、タダモノではない。

 「家は、どこなの? 帰れるの?」 の問いにもお構いなし。
 起き上がると、買い物袋を手にして、トボトボと店を出て行ったのであります。


 「ありがとうございました」 と若い娘さんに礼を言われて、まんざらでもない僕。
 おせっかいを承知で、パトカーの誘導をしたり、床に倒れたオッサンの見張り役を買って出ていたのです。

 「オーナーさんに、連絡した?」
 「いえ、まだです」
 「とりあえず、報告しておいたほうが、いいね」
 「はい、ありがとうございます」

 どうして、こんなおせっかいをしたのかといえば、それは僕にコンビニのバイト経験があるからです。
 いえ、バイトから店長までやっていました。
 まだ群馬県にセブンイレブンもローソンもファミリーマートもない、30年近く前の話ですけどね。

 「Sチェーン」 というコンビニがありました。
 当時は24時間営業というのは画期的で、まだ県民には馴染みがなく、コンビニが物珍しかった時代です。

 夜勤もやりましたから、救急車やパトカーを呼んだことは、数知れず。
 病気、事故、ケンカ、強盗・・・

 ま、その頃のネタは、拙著 『上毛カルテ』(上毛新聞社) の中の 「街は眠らない」 で詳しく書きましたので、興味のある方は、そちらをお読みください。

 と、いうことで、大人の男性がいない店内で、おびえているバイトの女の子2人を放って帰れなかったのでありますよ。
 でも、何もなくて、良かった良かった。

 2人とも可愛かったなぁ。
 また買い物に行こっと!
  


Posted by 小暮 淳 at 18:52Comments(0)つれづれ

2011年11月13日

今月の温泉ラジオは・・・


 秋も深まり、ますます温泉が恋しい季節になりましたね。
 みなさんは、元気に温泉に入っていますか?

 さてさて、今年の4月からNHK-FMラジオで毎月放送している 「群馬は温泉パラダイス」 も今月で、第8回目を迎えることになりました。
 放送日は、今週の火曜日です。
 お聴き逃しなく!

 ちなみに、これまで放送した話の内容は・・・

 ・4月 「群馬の温泉」
      群馬の温泉の特徴、温泉大国と呼ばれるゆえん など
 ・5月 「温泉とは?」
      温泉の定義、温泉と鉱泉の違い、自噴温泉と日帰り温泉の違い など
 ・6月 「湯守の一軒宿」
      分湯と自家源泉の違い、湯を守る一軒宿のこだわり など
 ・7月 「ぬる湯の魅力」
      夏の温泉、持続浴と微温浴、群馬のぬる湯 など
 ・8月 「温泉の楽しみ方」
      泉質、温度、色、湯量、鮮度を楽しむ など
 ・9月 「いい温泉の選び方」
      鮮度や管理、源泉かけ流しの見分け方、足元湧出温泉 など
 ・10月 「湯治場と観光温泉」
       温泉地の成り立ち、湯治場としての温泉地 など

 そして、8回目のあさってのテーマは、「温泉の入浴マナー」です。

 あくまでも “温泉” に限っての入浴マナーについて、お話をします。
 えっ、一般のお風呂と温泉は、入浴方法が違うの?ですって!
 はい、その通りなんですよ。

 家族だけが使う家の風呂は別として、銭湯や循環装置を使用した入浴施設と、源泉かけ流しの “100%温泉” では、その入浴方法が異なります。
 いで湯の温泉に入るには、それなりのルールがあるんです。
 知らないと、恥をかくことになりますぞ!

 と、いうことで、次回放送では、温泉の入浴マナーに加えて、入浴による効果などもお話ししたいと思います。
 ご興味のある方は、ぜひラジオのダイヤルを合わせてください。



        群馬は温泉パラダイス
      第8回 「温泉の入浴マナー」

 ●放送局  NHK-FM前橋 81.6MHz
        (※他のエリアは周波数が異なります)
 ●番組名  トワイライト群馬
        「群馬は温泉パラダイス」
 ●日  時  11月15日(火) 午後6時~6時30分
 ●出  演  金井一世(キャスター)
         小暮 淳(フリーライター)
        


Posted by 小暮 淳 at 17:59Comments(2)温泉雑話

2011年11月11日

25年ぶりのツーショット


 実にプライベートな話で恐縮ですが、僕ら夫婦は、今年の5月で銀婚式を迎えました。
 ええ、結婚して25年が経ったわけです。

 記念日とされている当日は、いつもの日と変わらずに過ごしました。
 (まあ、記念日といっても結婚式も挙げていない2人ですから、入籍記念日ですけど)

 いつもと変わらない日だったんですけど、夫として何か言葉をかけなくっちゃいけないかなぁ~と思って、心にもないことを言ってしまったのですよ。

 「銀婚の記念に、何か欲しいものない?」
 なーんて、その気もないのにね。

 仮に宝石が欲しいと言われたところで、買ってやれる甲斐性は、僕にはありませんって。
 本当に、言ってみただけなのです。
 長年連れ添った相手ですから、「別に欲しいものなんて何もありませんよ」 と言葉が帰って来ることは、わかっていましたから。

 と、と、ところが!
 こっちの意に反して、思わぬ言葉が返って来てしまったのです。

 「欲しいものはないんだけど・・・・・」
 と、口ごもる家内。

 「欲しいものはない」 と聞いて、少しホッとした僕。
 しかし、次の展開に、意表を突かれました。

 「一緒に写真を撮ってください」

 えっ、今、お前、なんて言った?

 「写真を撮ろうって言ったのよ! イヤならいいのよ」

 その後、沈黙が続きました。


 結局、その後、僕は忙しさにかまけて、その話題から逃げていました。
 ところが最近になって、家内がまた、写真撮影の話を持ち出してきたのです。

 ひょんなところで、バッタリと家内が教え子に会ったといいます。
 (彼女は教師をやっていたことがある)
 立ち話をしたら、その元教え子は、現在、写真館に勤めてると言ったのだそうです。

 もう、お分かりですね。

 「お父さん、頼んできてもいいよね」
 「あっ? ううん・・・」

 ということで、今日、古女房と連れ立って、25年ぶりに写真館へ行ってきました。
 (僕らは25年前、結婚式は挙げてませんが、写真だけは写真館で撮っていたのです)

 なんとも、面映(おもはゆ)いものです。
 
 家内は美容院へ行ってくるは、僕は着慣れないスーツを着るは、大人の七五三みたいで、終始緊張のしっぱなしでしたよ。

 「はーい、ご主人様。奥様の肩に手をかけてくださーい!」

 ギェッ、なぬ?
 家内の肩に、両手を置けだと!

 「はーい、今度は奥様もイスから立っていただいて、ご主人様の腕に、手をかけてくださーい!」

 な、な、なんだと?
 腕を組めだーーっ!
 そんなことは、もう何年、いや10年、いや20年以上したことないぞぉぉぉぉ!

 「はーい、すっごく仲のいいご夫婦に見えますよ~。今度は、2人で見つめ合いましょう!」

 ギャァァァァァーーーーーっ!
 もうダメだっ!
 俺のガラじゃない!
 もういい、母さん、帰ろう!

 と横を見ると、古女房が、満面の笑みをたたえて、僕を見ているじゃありませんか。
 おいおい、母さん、いつものお前じゃないよ、その笑顔?

 「いいですねぇ、ご主人の笑顔! とっても幸せそうですよー!」


 もーう、勘弁してくれ!

 撮影が終わったら、額に汗をびっしょりかいていましたよ。
 日本人の男性には、夫婦のツーショット撮影は向いてませんな。
 だったら、宝石をねだられたほうが、まだ良かったかも・・・

 ほうほうの体(てい) で、家まで逃げ帰ってきましたとさ。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:44Comments(6)つれづれ

2011年11月10日

里山の季節がやってきた!


 今朝、一番で、朗報が入ってきました。

 今年の1月に出版した拙著 『ぐんまの里山 てくてく歩き』(上毛新聞社刊) が、発売10ヶ月にして増刷されることになりました(ヤッター! 印税が入るぞっ)。

 これも、ひとえに本を買ってくださった読者様方のおかげであります。
 ありがとうございます。

 以前にブログでも書きましたが、某書店の売り上げランキングのベスト10入りしたのが発売から3ヶ月後の4月だったという、他の僕の本と比べると動きが遅いスタートだったので心配していたのですよ。

 ま、温泉本と違い、登山本は、一般読者が食いつきにくいというのもありますが。
 業界では、登山本は、何年もかけて、ゆっくり売る類いの本らしいのです。
 でも、増刷です!
 ですから、この手の本にしては、異例に売れているということになるらしいんですね。

 「ここに来て、急に売れ出しました」
 と、担当編集者さん。

 考えてみれば、1月の発売以来、初めて迎える “ハイシーズン” なのですよ。
 真夏なんて、暑過ぎて標高1,000メートル以下の低山なんて、歩けませんからね。

 秋から冬、まさにこれからが、里山の季節です!

 カサコソと落ち葉を踏みしめながら歩く、尾根道。
 視界の開けた山頂から眺める、里の風景。
 下山後に浴びる温泉と飲み干す、生ビール!

 う~っ、たまりません!


 では、ここで、まだご購入されていないブログ読者のために、ざっと本のご紹介をしましょう。

 まず、正式な書名は、『電車とバスで行く ぐんまの里山 てくてく歩き』 と申します。
 なぜ車じゃないの?
 そこが、ミソなのであります。
 群馬の車社会を逆手にとっているのです。

 酒ですよ、酒!

 車で移動したら、下山後に酒が飲めないじゃないですか!
 だから、すべて公共交通機関で、移動しているのです。

 そんな不便なぁ~、面倒くさいって?
 そーですよ、車で登山口までサーっと行けば、半日で帰ってきてしまうコースを、朝早くからジックリと手間と時間をかけて丸々1日がかりで小さな里山を登って下りるんです。

 で、当然ですが、僕が書いた本ですから、すべてのコースに温泉入浴を付けました。

 汗かいて、温泉に入って、酒飲んで、ほろ酔い気分でバスや電車に揺られながら帰るんです。
 楽しいですよ~!

 どーですか?
 行ってみたくなりましたか?

 ハイ、そう思った人は、本屋さんへ直行しましょうね。
 ただいま、秋の行楽シーズンを迎えて、どこの書店でも特設コーナーを設けて販売しています。
 たぶん、平積みされていると思いますので、お探しください。

 見つからなかったら、必ず、店員さんに聞きましょうね。
 「『電車とバスで行く ぐんまの里山 てくてく歩き』 は、どこですか?」 って。

 えっ、タイトルが長過ぎるって?
 ごんめんなさーい。
  


Posted by 小暮 淳 at 20:31Comments(0)著書関連

2011年11月09日

服を捨てよ、湯に入ろう!


 今日の朝日新聞は、ご覧になりましたか?

 隔週で連載している 『湯守の女房』 の掲載日であります。
 早いもので、今回で16回を数えます。

 しっかし、まぁ、今回は、いつもに増して、脱ぎっぷりがいいですなぁ~!
 正真正銘の全裸であります。
 最近、ここまで露出した写真はありませんでしたから、なかなか衝撃的です。
 自分で見ていても、恥ずかしくなるくらいのスッポンポ~ンなのだぁー!

 前回の尻焼温泉は、ヒノキのブロックを浮かべての撮影だったので、ほとんど胸から下は写っていませんでした。
 前々回の月夜野温泉は、うまい具合に湯面が白く反射しているため、セーフでした。
 その前の沢渡温泉は、全裸ですが、僕が遠くにいるので小さくて、裸かなんだか良く分かりません。
 その前の白根温泉も、首から上だけです。
 さらに、その前の滝沢温泉や鹿沢温泉は、にごり湯なので問題はありません。

 で、今回の霧積温泉は、無色透明の湯にして、浴槽が小さいときている。
 もう、撮影のときから、逃げ場がなく、撮りようがなかったのです。

 「小暮さん、大事なところだけ写らなければいいでしょう!」
 と、カメラマンの I さんは無責任なことを言う。
 「手前の足だけヒザを立ててください。そうそう、大丈夫です。見えないですよ」
 こんな会話が、交わされたわけです。

 で、掲載された写真が、コレです。

 いゃ~、著者だから許されるアングルですよね。
 モデルに女の子を使ったら、絶対、新聞に掲載されませんって。
 週刊誌のヌードグラビアか、大黒敬太氏の温泉本(混浴マニアは知っています) くらいのものです。

 それでも僕は 、脱ぎます! 入ります! 写ります!


 で、僕はいったい、いつから裸を公衆の面前にさらけ出すようになったのだろうか?と、調べてみました。
 すると、2006年に月刊 「Deli-J」(上毛新聞TRサービス) で連載がスタートした 『源泉巡礼記』 という紀行エッセイからなんですね。
 2010年の10月号まで4年間で、48ヶ所の温泉を巡礼しています。
 そして、すべて入浴シーンが掲載されています。

 それ以前の連載では、著者本人は一切、写っていませんでした。
 宿の外観や料理、誰もいない浴室や露天風呂の写真で構成されています。

 僕の露出狂は、2006年に発病したことになります。
 5年前に、いったい、何が起きたというのでしょうか?
 本人も、良く分からないのです。

 ただ、この2つだけは言えます。
 ① モデルを使う経費がないので、著者本人が入っている。
 ② 著者本人が実際に湯に入って書いている証明として掲載している。

 それと、一人称の文章である限り、記事に責任を持ちたいという理由から、現在は自らすすんで裸になっています。

 今後は、混浴取材のために、僕と一緒に入ってくれる女性モデルを起用するかもしれません。
 とーぜん、どこかのテレビ局のように 「撮影のためバスタオルを使用しています」 なんていうテロップは入れませんよ。

 タオルは、湯舟に入れません!

 それでもモデルになります!という女性がいましたら、ご一報くだされ。
 顔と3サイズの審査の後、起用するかどうかを報告したいと思います。
 あしからず。
   


Posted by 小暮 淳 at 18:54Comments(4)執筆余談

2011年11月08日

生き急ぐ理由


 「生き急いでいませんか?」
 
 えっ、誰が?
 僕?
 な、な、なんで?
 そんな風に、見えましたか?

 「いえ、ただなんとなく、そう感じたものですから・・・」

 なんとも不思議な会話でした。
 久しぶりに会った旧友(女性) に言われて、ドキッとしました。

 別に、生き急いでいるつもりはないのですが、思い当たるフシならあります。


 もう30年も昔のことです。
 東京で暮らしている頃、とにかく良く当たるという占い師に、運勢を見てもらったことがありました。
 すると、その占い師の言うことには、

 「人に恵まれた人生になる」
 「ただし、一生お金には不自由する」

 そして、

 「あなたが信念を持って続けていることが、40歳を境に全国へ伝播する」
 でした。

 まあ、最初の2つは、当たっているようですな。
 今日まで、人脈だけで生きてきたようなものですし、若い頃から完全に貧乏神に取り付かれていますものね。

 でも、3つ目が、ウソです!

 実は、僕ったら、占いなんて信じない!って言っているわりには、30代の後半頃には、この第3の言葉に支配されていたのです。
 「40歳を過ぎたら、俺はスーパースターだ~!」
 なーんてね。

 でも、40歳を過ぎても、なーんにも起きませんって。

 その頃からでしょうか、人生に少しばかり、あせりのようなものを感じだしたのは……。
 何をやるにしても、「あと10年早く始めておけばよかった」 と思うようになってしまったんです。
 自分は、世間の人より、何でも10年遅れてる・・・って。

 で、考え直したんですよ。
 10年遅れているってことは、他人より10年長生きすれば、いいだけのことだ!と。

 それから僕は、自分の年齢から10歳マイナスして物事を考えるようになりました。
 だから現在は、43歳の人たちと対等の人生であれば、いいわけです(勝手な解釈ですが)。

 そしたら、すーっと、気が楽になったんですね。

 40歳の時、「やっと30歳なのだから、まだまだ冒険ができるぞ!」 っと開き直ることによって、可能性がグ~ンと広がって見えてきたのです。
 その頃からですよ、取材のフィールドを温泉地へ向けて、“県内全温泉制覇” を目指したのは。


 そして、現在。

 前出の女性は、僕が10歳マイナスで生きていることを知りませんから、年齢のわりにはアクティブに動き回っている姿を見て、心配してくださったのかもしれませんね。

 決して、生き急いでいるわけではありませんから、ご安心ください。

 ただ、年齢から10歳マイナスすれば、今がまさに占い師の言う 「40歳を境に・・・」 です。

 さーて、占い師さんよ、あなたの占いを10年遅れで、当てさせてあげましょうかねっ!
   


Posted by 小暮 淳 at 18:50Comments(2)つれづれ