温泉ライター、小暮淳の公式ブログです。雑誌や新聞では書けなかったこぼれ話や講演会、セミナーなどのイベント情報および日常をつれづれなるままに公表しています。
プロフィール
小暮 淳
小暮 淳
こぐれ じゅん



1958年、群馬県前橋市生まれ。

群馬県内のタウン誌、生活情報誌、フリーペーパー等の編集長を経て、現在はフリーライター。

温泉の魅力に取りつかれ、取材を続けながら群馬県内の温泉地をめぐる。特に一軒宿や小さな温泉地を中心に訪ね、新聞や雑誌にエッセーやコラムを執筆中。群馬の温泉のPRを兼ねて、セミナーや講演活動も行っている。

群馬県温泉アドバイザー「フォローアップ研修会」講師(平成19年度)。

長野県温泉協会「研修会」講師(平成20年度)

NHK文化センター前橋教室「野外温泉講座」講師(平成21年度~現在)
NHK-FM前橋放送局「群馬は温泉パラダイス」パーソナリティー(平成23年度)

前橋カルチャーセンター「小暮淳と行く 湯けむり散歩」講師(平成22、24年度)

群馬テレビ「ニュースジャスト6」コメンテーター(平成24年度~27年)
群馬テレビ「ぐんまトリビア図鑑」スーパーバイザー(平成27年度~現在)

NPO法人「湯治乃邑(くに)」代表理事
群馬のブログポータルサイト「グンブロ」顧問
みなかみ温泉大使
中之条町観光大使
老神温泉大使
伊香保温泉大使
四万温泉大使
ぐんまの地酒大使
群馬県立歴史博物館「友の会」運営委員



著書に『ぐんまの源泉一軒宿』 『群馬の小さな温泉』 『あなたにも教えたい 四万温泉』 『みなかみ18湯〔上〕』 『みなかみ18湯〔下〕』 『新ぐんまの源泉一軒宿』 『尾瀬の里湯~老神片品11温泉』 『西上州の薬湯』『金銀名湯 伊香保温泉』 『ぐんまの里山 てくてく歩き』 『上毛カルテ』(以上、上毛新聞社)、『ぐんま謎学の旅~民話と伝説の舞台』(ちいきしんぶん)、『ヨー!サイゴン』(でくの房)、絵本『誕生日の夜』(よろずかわら版)などがある。

2022年08月30日

丑の刻参り


 ≪プーチンわら人形に五寸釘≫

 そんな見出しを付けたニュースが新聞やテレビをにぎわしたのは、今年5月の中頃でした。
 千葉県松戸市の神社の御神木に、プーチン大統領の顔写真を貼り付けたわら人形が、五寸釘で打ち付けられていたという事件です。

 事件?
 と呼ぶには、あっけない結末に終わってしまった珍事でした。
 市内に住む72歳の男性が、すぐに逮捕されたのです。
 まぬけにも、賽銭泥棒防止用の防犯カメラに顔が映っていたため、御用となりました。


 で、この場合、逮捕容疑って何罪?

 呪詛(じゅそ)罪なんてないし、殺人未遂でもありません。
 脅迫? 名誉棄損? でもありませんよね。
 たぶん、プーチン大統領は、被害届を出していないと思いますから。

 逮捕容疑は、建造物侵入と器物損壊でした。


 この、ご時世ですからね。
 容疑者の気持ちも分かります。
 戦争を止めないプーチンが、憎かったんでしょうね。

 でも、やり方が、まずかった!
 彼は、いくつかの過ちを犯しているのです。


 彼が、やろうとしてしていたのは、「丑の刻参り」 です。
 「丑の刻参り」 とは?
 「呪い釘」 とも 「呪い人形」 ともいわれる、日本に古来伝わる呪詛の一種です。
 人の寝静まった “丑の刻” (午前1~3時) に、神社の境内の樹木 (特に御神木) に、板か藁(わら) で作った人形を呪う相手に見立て、釘を打ち込む儀式です。

 この場合、「呪い釘」 は古釘であること。
 大きいもの (五寸釘) を使用すると効き目があるとされています。


 すでに、ここで容疑者は、2つの過ちを犯しています。
 犯行時間帯が昼間でした。
 そして、使用した釘が新しかったのです。

 これでは、完璧な呪詛は成立しません。


 さらに、「丑の刻参り」 には、絶対に守らなければならない鉄則があるのです。
 ●釘を打つ現場を人に見られてはいけない。
 ●打ち込んだ釘を後日、人に発見されてはいけない。
 というものです。

 これを仕損じると、効果はなくなり、「恨み返し」 といって本人に返ってくるのだといいます。


 容疑者は、バッチリと防犯カメラに映り、しかも、すぐに釘もわら人形も発見されています。

 ということで、すべては 「丑の刻参り」 を真似た素人の犯行だったというわけです。
 だって、プロは違いますもの!

 えっ?
 なんでプロの手口を知っているのかって?

 ええ、以前、取材をしたことがあるんですよ。


 では、つづきは、またの機会に……
   


Posted by 小暮 淳 at 11:50Comments(2)謎学の旅

2022年08月29日

自問坂と無言館


 今、僕の机の上には、一冊の新書本が置かれています。

 『無言館ノート ──戦没画学生へのレクイエム』


 表紙をめくると、達筆な筆文字で、こう書かれています。
 <小暮淳へ>
 <二〇〇一、七、一九>
 <窪島誠一郎>

 先日、日本テレビ系のチャリティー番組 「24時間テレビ」 内で放送された、劇団ひとり監督・脚本によるスペシャルドラマ 『無言館』 の主人公となった館長の著書であります。


 「確か、本があったはずだ」
 と、テレビを観終わった直後に、書架より探し出してきました。

 いったい、いつ、どこで、この本にサインを書いてもらったんだろう?
 記憶を呼び起こしました。


 2001年といえば、僕は新しい雑誌の編集室を立ち上げた時期です。

 そして、本の奥付を見ると、<2001年7月22日 発行> とあります。
 ということは、発行より前に、本にサインをしていただいたということになります。

 そんなことって、あるでしょうか?


 さらに記憶をたどると、当時の交友関係が浮かび上がって来ました。

 窪島氏は 「無言館」 の設立前から、長野県上田市で 「信濃デッサン館」(現・残照館) の館長を務めていました。
 こちらの美術館では、若くして逝った夭折画家の作品を展示していました。
 窪島氏が最も力を入れていた画家に、村山槐多 (享年22歳) がいます。
 同館では毎年命日に、「槐多忌」 という追悼イベントを開催していました。

 「淳ちゃんも一緒に行かないか?」
 そう当時、付き合いのあった芸術家から誘われた記憶があります。


 たぶん、それは2001年より前のことです。
 当時、窪島氏からは、「今度、戦没画学生の作品を集めた慰霊美術館を設立する」 という話を聞いた覚えがありますから。
 そして平成9(1997)年5月、「信濃デッサン館」 の分館として、「無言館」 がオープンしました。


 僕の記憶が正しければ、場所は、高崎市のとある居酒屋。
 呼ばれたのは、僕と彫刻家と版画家と新聞記者の4人でした。
 窪島氏は、出版間近の著書を持って、わざわざ上田市から、やって来られたのでした。

 どのようないきさつで、このような会が開かれたのか?
 なぜ、はすっぱな僕が、この席に呼ばれたのか?
 今となっては、不明です。

 その時、窪島氏から手渡されたのが、この本でした。


 「無言館」 設立から今年で、25年。
 オープン以来、仕事やプライベートで何度か、足を運んでいます。
 訪ねるたびに、画学生らの無念の声が聞こえ、胸が締め付けられます。

 僕は毎回、駐車場から美術館までの坂道で息を切らします。
 ちょっとキツメのダラダラ坂が、足にこたえます。

 窪島氏は、この坂に 「自問坂」 と名付けています。
 「戦争や平和以上に、自分はどうあるべきかを考える場所」
 との思いが込められているとのことです。


 まだ 「無言館」 へ行かれていない人へ
 ぜひ、一度は足を運んでみてください。

 戦争とか平和を考えるだけでなく、窪島氏の言うとおり、“自分” を見つめ直す場所であるからです。
   


Posted by 小暮 淳 at 11:43Comments(0)読書一昧

2022年08月28日

昭和は近くなりにけり


 今の時代、人々は “昭和” に何を求めているのでしょうか?

 「だからさ、今の歌って、イントロがないのよね」
 「そうそう、いつ歌い出すんだか分からない」
 「ていうか、その前に覚えられないけどね」

 なんて、言い訳から始まります。
 何のことかって?
 はい、カラオケです。


 我らが呑兵衛の聖地、酒処 「H」 では、閉店前になると、居残った常連客数名で、お決まりの 「昭和歌謡ショー」 が始まります。
 常連客といっても年代にバラつきがあります。
 昭和歌謡も、昭和は60年間もありましたから、これまたバラつきがあります。

 いいんです!
 自分が育った昭和で、聴いて覚えた昭和歌謡を歌えばいいんです。

 60年代ならば、裕次郎やひばり……
 70年代ならば、グループサウンズやフォークソング……
 80年代ならば、聖子ちゃんや明菜ちゃん……
 などが、オンパレードです。


 「みんなで歌えるのが、いいよね」
 結局、みんなが知っているヒット曲が、一番人気となります。
 歌っている間だけでも、あの頃に戻れているんでしょうね。

 これが、正しい昭和の楽しみ方です。


 と、思ったら昨晩!
 ビックリする番組をテレビで観ました。

 テレビ朝日 『博士ちゃん夏休みSP』。
 平均年齢15歳という昭和が大好きな子どもたちが集まって、“昭和のアイドルベスト20” を決めるという特番です。
 今までにも、昭和経験者が昭和歌謡やアイドルを選ぶという番組はありましたが、平成生まれの昭和を知らない子どもたちが選ぶ、昭和の番組というのは珍しい!

 というこで、たっぷりと2時間半、グラス片手に拝視聴させていただきました。


 まず、子どもたちの “博士ぶり” にビックリ!
 よくもまあ、生まれる前のことを調べて、詳しく知っています。

 ベスト20には、ザ・ピーナツや弘田三枝子など、僕にとっても上の世代のアイドルがランキングされていたりして、なかなかシブイ番組構成となっていました。
 結果、ベスト3は以下の通りでした。

 1位 中森明菜
 2位 山口百恵
 3位 松田聖子

 大方の予想通りですが、1位と3位は逆予想の人が多かったのではないでしょうか?


 ベスト3はさておき、僕の “推しアイドル” も2人、ランク入りしました。

 11位 麻丘めぐみ
 12位 太田裕美

 大変、満足です。
 僕の青春を支えてくれたお2人ですからね。
 めぐみちゃんは中学時代、裕美ちゃんは高校時代に、夢中になってレコードを買いました。


 昭和は遠くなったと思っていた矢先のことでした。
 令和の若者たちが、昭和の魅力に気づいてくれたなんて……
 ただただ、うれしくて!

 昨晩は、ついつい呑み過ぎてしまいました。
  


Posted by 小暮 淳 at 13:01Comments(0)昭和レトロ

2022年08月27日

河童神社


 「だったら、河童神社を知っていますか?」

 先日のさる会合で、カメラマンのFくんが言いました。
 彼が、「だったら」 と言ったのは、それまで延々と僕がカッパ伝説の話をしていたからであります。

 このところ、カッパがマイブームとなっています。
 数年前に民話の著書を出版して以来、なんだかんだと講演会に呼ばれるようになりました。
 そのネタとして、群馬県内のカッパ伝説を調べたのがきっかけでした。

 つい先日も、玉村町のカッパと妙義山のカッパの話を紙芝居用の原稿に書き下ろしたばかりです。


 ひと口に、群馬のカッパ伝説といっても多種多様です。
 人間にいたずらをする話が最も多いのですが、なかには恩返しをする殊勝なカッパもいます。

 これらをエリアに分けて分布すると、南毛 (県南部) は、人間や家畜を川に引きずり込んだり、いたずらをする悪いカッパ。
 一方、北毛 (県北部) は、助けてくれたお礼に、万能薬の処方箋を教える良いカッパの話が多いのです。


 そんな話をしていたら、突然、Fくんが言ったのでした。

 「河童神社? なんだい、それ?」
 「いえ、あるということは知っているんですが、行ったことはないんですよ」
 と言われれば、僕の中のミステリーハンターとしての血がうずくではありませんか!

 もう、居ても立ってもいられません。
 百聞は一見に如かず!
 行くっきゃ、ありませんって!


 ということで、大ざっぱな位置情報を頼りに、ひとっ走り行って来ました。
 場所は桐生市。
 市街地から桐生川沿いを北上すること、約30分。

 ここ梅田地区は、昔からカッパ伝説が多い所で知られています。

 車道は、どんどん細くなり、ついには対向車とは、すれ違えないほどの狭さに。
 やがて、目印のT橋が見えてきました。
 たもとに車を停めて、下を覗き込むと……

 ありました!

 何が?

 …………

 ええ、謎の巨石群です。
 大きな岩と岩の間に、なにやら人型の物体が見えます。
 よーく、目を凝らして見ると……

 カッパです!
 それも2体。
 男のカッパと、女のカッパです。
 (男のカッパはイチモツがあり、女のカッパはオッパイがある)

 さて、どこから下りて行くのか?

 あたりを見渡すと、河原に下りる道はありません。
 ただ、個人のお宅の庭からハシゴのような階段が続いています。
 しかし、ロープが張られて、立ち入り禁止となっていました。

 もしかして、この神社って、個人の所有物?
 そもそも神社なのかも分かりません。


 帰ってからネットで調べてみると、かつては鳥居もあり、「河童神社」 の看板もあったようですが、手入れがされていないため、風化して、朽ち果ててしまったようであります。
 残念!
 ぜひ、再建してほしいものです。

 これも後日、分かったことですが、桐生川には 「河童淵」 というカッパが棲んでいた淵があったそうです。
 もしかしたら、あの巨石群があるあたりが、河童淵だったのかもしれませんね。

 謎学の旅は、つづく。
    


Posted by 小暮 淳 at 13:47Comments(2)謎学の旅

2022年08月26日

「ち」 の札のゆくえ


 老若男女を問わず、戦後、幼少期を群馬県で過ごした人ならば、九九の掛け算同様、誰でも 「上毛かるた」 の詠み札を暗唱することができます。

 「あ」 といえば、『浅間のいたずら鬼の押出し』
 「い」 といえば、『伊香保温泉日本の名湯』
 と、スラスラと出てきます。


 44枚の札を全部覚えているのですから、当然、上句を言えば、反射的に下句が口を突いて出ます。

 『碓氷峠の』 といえば、『関所跡』
 『縁起だるまの』 といえば、『少林山』
 『太田金山』 といえば、『子育呑龍』
 と、互いに言いっこして、遊んだものです。

 ただし44枚中、一枚だけ下句が時代によって変化している札があります。
 そう!
 「ち」 の札です。

 『力あわせる○○万』

 他県民のみなさんには、何のことか分からないでしょうから、ちょっと説明しますね。
 この 「○○万」 とは、県の人口なんです。
 ですから、最初に発行された昭和22(1947)年の 「力あわせる百六十万」 から10万人増えるごとに、札の数字を変更してきたのです。

 以下のように、変わりました。

 昭和48(1973)年 「力あわせる百七十万」
 昭和52(1977)年 「力あわせる百八十万」
 昭和60(1985)年 「力あわせる百九十万」

 そして現在は、平成5(1993)年に変更された 「力あわせる二百万」 を、かろうじてキープしています。
 そう、かろうじて!
 というのも、群馬県の人口は10年前から200万人を下回り、年々減り続けているのであります。

 ちなみに、現在の群馬県の人口は、191万5,293人 (7月1日現在)。
 ということは、四捨五入するならば、とっくに 「力あわせる百九十万」 なのですが、かるたの著作権を持つ県は、あえて切り上げて、“200万” の札のままを通しているようです。

 が、しかし!
 ついに、限界に来ているようです!


 現在の人口の減少ペースでいけば、来年にも190万人を切る可能性がでてきたのです。
 となれば、札の変更は必至です。

 さあ、「上毛かるた」 の 「ち」 の札は、来年、変更されるのでしょうか?
 ゆくえが気になります。


 ちなみに僕は、『力あわせる百六十万』 で覚えました。
 年代がバレてしまうのも、「上毛かるた」 の魅力の一つなんでしょうね。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:36Comments(0)つれづれ

2022年08月25日

ぐんま湯けむり浪漫 (19) 川古温泉


 このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


   川古温泉 (みなかみ町)


  偉人たちに愛された渓谷の湯治場


 猿ヶ京・三国温泉郷の一つ、川古(かわふる)温泉は赤谷川の渓谷にたたずむ一軒宿。
 古くから神経痛やリウマチなどの湯治と療養の名湯として知られてきた。

 湯の起源については不明だが、江戸の後期にはすでに温泉が存在し、大正時代には食料を持参で湯治客が入りに来る湯小屋があったという。

 大正5(1916)年、木材を切り出して酢酸などを造る旧日本酢酸製造赤谷工場が、温泉の下流に設立された。
 当時、酢酸は火薬の原料としても使われていたようだ。
 この工場に勤めていた現主人の祖父が、温泉の湯守(ゆもり)から仕事を引き継ぎ、旅館を創業した。


 川古温泉をこよなく愛した偉人の一人に、法学博士の廣池千九郎がいる。
 昭和5(1930)年8月に初めて入湯して以来、翌年にかけて4回、計139日間も滞在している。
 当時、千九郎は大病にかかり、発汗に苦しんでいた。
 その療養に通っていたようだ。

 また彫刻家で詩人の高村光太郎も昭和4(1929)年5月に訪れ、「上州川古 『さくさん』 風景」 という詩を残している。
 詩の中に登場する
 <ひつそりとした川古のぬるい湯ぶねに非番の親爺>
 とは、
 「私の祖父ではないか」
 と、3代目の林泉さんは言う。


  全身を泡の粒が包む新鮮な湯


 ≪川古のみやげは一つ杖を捨て≫
 と言われるほど、昔から湯治場として親しまれてきた。
 現在でも県内外から訪れる長期滞在の浴客が多い。

 温泉の温度は約40度。
 加温されないため、「持続浴」 と呼ばれるぬるい湯に長時間入浴する独特な入浴法が昔から続けられている。
 リウマチの療養に年4~5回来ては10日間滞在しているという老人は、
 「日に8時間、湯に浸かる」
 と言った。
 見れば、湯舟の中にペッボトル持参で、水分補給を欠かさない。

 と思えば、石を枕に昼寝をする人や、本を持ち込んで読書をする人の姿も……。
 思い思いの入浴スタイルで、現代の湯治を楽しんでいた。


 熱い湯は自律神経系の交感神経を刺激するため覚醒作用があるが、逆にぬるい湯は副交感神経に働くのでリラックス効果があるという。
 また長時間湯に入っていられるため、薬効成分が肌から吸収されやすく、皮膚病などに効能があるとされる温泉が多い。
 なによりも、
 「ふだんの生活から離れ、自然環境に恵まれた温泉場に滞在することにより、心と体のバランスが整えられる」
 と林さんは、温泉の持つ “転地効果” の魅力を語る。

 浴槽の底に小石が敷きつめられた内風呂に身を置いてジッとしていると、数分で全身に小さな泡の粒が付き出した。
 足元から源泉を出しているため、空気に触れる前に人肌に触れるので、露天風呂に比べて泡の付きがいい。
 湯が新鮮な証拠である。


 <2019年5月号>
  


Posted by 小暮 淳 at 12:28Comments(0)湯けむり浪漫

2022年08月24日

少女がなりたかったもの


 「死刑になりたかった」

 このところ頻繁に耳にするワードです。
 昭和や平成の時代には、聞き馴染みがありません。
 令和特有の現象なのでしょうか?

 またもや悲惨な無差別殺傷事件が起きてしまいました。
 東京・渋谷の路上で母娘を包丁で襲い、殺人未遂容疑で逮捕されたのは、中学3年の少女 (15歳) でした。
 驚いたのは、容疑者が男性でもなく、大人でもなく、少女だったということ。

 そして、その少女も、犯行動機をこう供述しています。

 「死刑になりたかった」


 “○○になりたい” といえば、それは願望です。
 「将来の夢は?」、「はい、パティシエになりたいです」
 と、目標や可能性を示す言葉のはず。
 なのに少女は、なりたいものとして、“死刑” を選択しているのです。

 ただ、供述には矛盾もあります。
 「母親を殺そうと思った」 「予行練習のためにやった」、
 と言いますが、「死刑になりたかった」 んですよね?

 目的と手段と行動が、ちぐはぐなのは少女ゆえの未熟さでしょうか?
 予行練習で捕まってしまったら、母親は殺せないし、未遂では死刑にもなりません。


 では、少女が本当になりたかったものは?

 単純に考えて、“現実逃避” = “自由” だったのではないでしょうか?


 自由に生きる方法なんて、100通りだってあるのにね (by 浜田省吾)
 ただ中学生という狭い社会の中では、選択肢が少なかったのかな……

 もう少し、まわりの大人たちが “自由” について教えてあげられるといいんですけどね。


 束縛に苦しむ、少年少女の諸君!
 君たちが思っているより人生は、もっともっと自由なんだよ!
 と……
  


Posted by 小暮 淳 at 12:34Comments(0)つれづれ

2022年08月23日

縁もちまして人気者でやんす!


 高崎市民のみなさん、こんにちは!

 今日は地域限定のネタで、おおくりします。
 8月19日発行の 『ちいきしんぶん』 は、ご覧になりましたか?


 『ちいきしんぶん』 とは、高崎市内10万世帯に無料配布されているフリーペーパーです。
 月2回、第1と第3金曜日に発行。
 B3判4ページに、市内外の情報が毎号、てんこ盛りの “使えて” “ためになる” 情報紙です。

 僕はライターとして、定期連載と不定期特集の記事を書いています。


 で、8月19日号の巻頭特集は、シリーズ 「焼きまんじゅうろうが行く」 の第3話。
 『縁もちまして紙芝居と落語になりやした』
 と題して、群馬のニューヒーロー 「焼きまんじゅうろう」 の活躍について書きました。

 「焼きまんじゅうろう」 の誕生は、平成20(2008)年の夏。
 生みの親は、前橋市在住の絵本作家・野村たかあき先生です。
 その時、イラストと一緒に手渡されたのが、テーマソング 「焼きまんじゅうろう 旅すがた」 の歌詞でした。
 この歌詞に僕が曲を付けて、我がオヤジバンド 「じゅん&クァパラダイス」 で歌い出したのが、そもそもの始まりでした。

 当時は引っ張りだこで、祭りやイベントに呼ばれて演奏し、CDを制作するとテレビやラジオにも出演するようになりました。
 そのウワサは東京の出版社まで届き、ついには 同21年11月に出版された 『日本全国ご当地キャラクター図鑑2』 (新紀元社) に、群馬のソウルフード 「焼きまんじゅう」 のPRキャラクターとして掲載されるほどの人気者になりました。


 月日はめぐり、昨年秋。
 「焼きまんじゅうろう」 は、紙芝居になりました。
 ※(当ブログのカテゴリー 「神社かみしばい」 参照)

 そして、今春。
 「焼きまんじゅうろう」 は、なんと! 落語にもなってしまったのです。
 ※(YouTube 「都家前橋」 検索)

 この大活躍の様子を、つぶさに書いたのが、今回の 『ちいきしんぶん』 の特集記事でした。
 まだ先週のことなのに、すでに問い合わせがありました。

 <紙芝居を購入したい>
 という公共施設からの申し入れです。

 当然ですが、紙芝居は一点物で、現在は販売はしておりません。
 が、今後は分かりません。
 著作者と話し合いの結果によっては、絵本化の話にも発展するかもしれませんね。

 ますます 「焼きまんじゅうろう」 から目が離せなくなってきましたよ!
 ぜひ、みなさんも応援してください!


 ※8月19日号の記事は、『ちいきしんぶん』 のHPから閲覧することができます。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:58Comments(0)執筆余談

2022年08月22日

磯部温泉 「小島屋旅館」➁


 「磯部温泉のイメージが180度変わりました!」
 「あまりの湯の良さに驚きました!」
 「一度は泊まってみたかった宿なので感動しています!」

 参加者が、そう口々に感想を伝えてきました。
 一昨日、開催されたNPO法人 「湯治乃邑(くに)」 主催による 『ぐんま温泉かるた』 の発行推進決起集会の会場でのことです。


 会場となったのは磯部温泉 (群馬県安中市) の老舗旅館 「小島屋旅館」。
 温泉ファンの間では、知る人ぞ知る名旅館です。

 創業は明治12(1879)年。
 現在の本館は、昭和2(1927)年の建築。
 2階から路地をまたいで渡り廊下で行き来する浴室棟は、さらに古く大正15(昭和元)年に建てられました。

 その外観は、当時の流行だった大正ロマネスク様式。
 シンメトリーに並ぶアーチ型の窓が美しいモダンなデザインです。

 雰囲気は国の登録文化財に指定されている四万温泉 「積善館」 の 「元禄の湯」 に似ていますが、あちらは昭和5年の建築ですから、こちらのほうが古いわけです。
 ぜひ、文化財に指定してもらいたいものです。


 でも、小島屋旅館の自慢は、建物だけじゃないんです。
 今回、決起集会に集まった参加者は全員が、温泉ソムリエなどの資格を持つ “温泉の達人” 揃いなのです。
 そんな彼、彼女らを唸らせているのは、もちろん! 湯の素晴らしさ!

 かけ流しの湯は、高濃度の強塩泉。
 まずは、その濃さに驚かされます。
 トロトロ、ヌルヌル、スベスベの感触は、一浴の価値があると思います。
 そして、しょっぱ~い!

 達人たちも、称賛の声を連呼していました。


 「なぜ、同じ磯部温泉でも、ここの湯は違うの?」
 その疑問は、ぜひ、自分の目と肌と舌で確かめてみてください。


 決起集会では、法人より、かるたの詠み札の解説と、クラウドファンディングの説明をさせていただき、その後はフリートークの懇親会となりました。

 「小暮さん、持ってきましたよ」
 Kさんがボトルを手に、僕の席へ。
 見れば、鹿児島の芋焼酎 「赤兎馬」 ではありませんか!
 しかも、“青” です。

 赤や紫は群馬県内でも売られていますが、青とは珍しい!
 聞けば、Kさんの実家は鹿児島で、帰省した際に買って来たのだといいます。

 「もしかして、ブログ読んだ?」
 「はい!」

 僕はたびたびブログに、 「赤兎馬」 に目がないことを書いているんですね。
 それを彼は覚えていてくれたのです。
 いやいや、申し訳ない。
 ありがとうございます。

 みなさんで、美味しくいただきました。


 いよいよクラウドファンディングも開始されます。
 詳細は後日、発表させていただきます。
 今後ともNPO法人 「湯治乃邑」 の活動へのご理解、ご支援のほどをよろしくお願いいたします。。 
   


Posted by 小暮 淳 at 11:25Comments(2)温泉地・旅館

2022年08月20日

心の目 心の耳


 「あっ、トトロがいる!」
 突然、娘が前方に見える大きな木を指さしました。
 「トトロって、あのトトロ?」
 「そう、ほら、あの木のてっぺんだよ!」

 僕は、あわてて車を道路脇に停めました。
 30年も前の出来事です。


 昨晩、久しぶりにテレビで、映画 『となりのトトロ』 を観ました

 昔、もう何度も何度もビデオテープが擦れ切れるほどに、子どもたちと見たアニメ映画です。
 この歳になって改めて観ると、あの頃には見えなかった部分が見えてきます。
 物語もサツキやメイのセリフも、全部知っているはずなのにね。


 サツキがネコバスに乗りながら、こんなセリフを言います。
 「みんなには見えないんだわ」

 大人たちには、ネコバスの姿は見えません。
 もちろん、トトロの姿もサツキとメイにしか見えないのです。


 子どもの頃には見えていたものが、大人になると見えないものって、たくさんありそうですね。
 視力が低下するから?
 きっと、それもあるでしょうけど、“心の視力” が低下するんでしょうね。

 視力も低下するのですから、聴力も低下しているはずです。
 「モスキート音」 という若い人には聞こえる音が、歳をとると聞こえなくなるという話は有名ですが、ここで僕が言っているのは、“心の聴力” のことです。

 やはり 「心の目」 同様に、「心の耳」 も大人になると聞こえなくなるようです。


 当時の娘は、メイと同じ4歳でした。
 我が家では、子どもたちが3歳になると “山デビュー” をさせていました。
 週末は決まって、リュックを背負って、家族で山歩きを楽しんでいた頃の話です。

 「おとうさん、あれ見て、あれ! かわいそう……」
 娘が車の中から工事現場を指さしました。
 宅地の造成をしているようで、ブルドーザーが数台、動き回っていました。

 「お山が、『痛い、痛い』 って泣いているよ!」


 あの時の僕は、「本当だね」 と声を返したものの、本当は山の泣き声なんて聞こえていませんでした。
 ウソをついていたのです。

 なぜ、正直に 「お父さんには聞こえないけど、お前には聞こえるんだね」 と言わなかったのでしょうか?
 映画を観ていて、30年前の記憶がよみがえり、胸の奥がキューンと締め付けられました。


 「あの時、お父さんにはトトロも見えないし、山の泣き声も聞こえなかったんだよ」
 今、娘に告げたら、何と言うのでしょうかね。

 その娘も、今では小学6年生の母親であります。
    


Posted by 小暮 淳 at 12:11Comments(2)つれづれ

2022年08月19日

シリーズ第2弾は 「開湯伝説」


 2015年4月に群馬テレビでスタートした 『ぐんま!トリビア図鑑』。
 早いもので、放送開始から丸7年が経ち、すでに8年目に突入しています。
 その放送回数も来月、300回を迎えます。

 僕は、この番組のスーパーバイザー (監修人) をしています。


 ふだんは会議室で行われる企画・構成会議に顔を出しているだけなのですが、ネタによっては、僕自身が現地に飛んで、リポートすることもあります。
 この時の肩書は、「ミステリーハンター」 です。

 心霊現象や妖怪、七不思議など、群馬県内のミステリースポットに出かけて行き、リポートしています。


 でも、よくよく考えてみると、僕が番組のスーパーバイザーに就任したのは、“温泉ライター” としてなんですよね。
 それなのに、今まで温泉ネタの回が無かったという摩訶不思議!
 「群馬=温泉」 というのがストレート過ぎて、“トリビア” に値しなかったのかもしれませんね。

 でもでもでも、苦節7年。
 若手ディレクターの I 君がスタッフに加わり、果敢にも、この直球ネタに挑んだのであります。
 そうなれば、本業である温泉ライターの僕が、しゃしゃり出ない手はありません。

 「ネタなら無尽蔵にあるぞ!」
 「よろしくお願いします」
 ということになり、新シリーズ 『温泉王国ぐんま』 の放送がスタートしたのでした。

 今月2日に放送されたシリーズ第1弾 『温泉王国ぐんま ~泉質が変わった温泉~』 は、ご覧になりましたか?
 反響があり、I ディレクターもますます力が入っています。


 今週、3ヶ月に1回開かれる番組の企画・構成会議がありました。
 この会議上で、早くも I ディレクターが、次なる温泉ネタを提案。
 満場一致で、制作および放送が決定しました。

 そのシリーズ第2弾は、「開湯伝説」 です。


 古湯あるところ、伝説あり。
 伝説あるところ、トリビアあり。

 ということで、取材&ロケハン決定!


 摩訶不思議な温泉の開湯伝説をリポートします。
 放送は12月の予定ですが、このブログで逐一、制作の進捗状況を報告いたします。

 乞う、ご期待!
  


Posted by 小暮 淳 at 12:00Comments(2)テレビ・ラジオ

2022年08月18日

そこに居ないと分かっていても


 「お前、来たんかい」
 オフクロの声が聞こえたような気がしました。
 「ごめん、遅くなって」

 昨日、一日遅れの墓参りに行って来ました。
 盆中は、なんだかんだと野暮用があり、「行かなくっちゃ」 と思いつつも、盆が明けてしまいました。


 そんな盂蘭盆会の最終日に、離れて暮らす長女からメールが届きました。
 <今日3人でお墓参りに行ってきたよ!>

 3人とは亭主と息子です。
 そしてメールには、墓石に張りつく一匹のカエルの写真が添付されていました。
 <着いた時から帰るまで小さなカエルが、ずっといてくれた。>
 <K (孫の名前) と、大っきいじぃじかな?大っきいばぁばかな?って話して……>

 楽しそうな家族の墓参りの様子がつづられていました。
 孫やひ孫たちが来てくれて、さぞかしオヤジもオフクロも喜んだことでしょうね。


 「今頃になって来て、父さん、怒っているよ」
 オフクロの声が聞こえます。
 「えっ、本当?」
 「ウソだよ、喜んでいるよ」

 そう言ってくれていると、勝手に解釈をしました。


 あれから3年。
 令和元年という年は、悲しみに暮れた一年でした。
 2月にオヤジ、5月にオフクロ、そして9月には愛犬のマロまでもが旅立ってしまいました。

 「もう、ここには居ないよね?」

 線香と花を手向けながら、語りかけました。
 盆が明けて、すでに天界へ帰ってしまっているはずです。


 ワン!

 犬の鳴き声がしたような。
 「マロかい?」

 やっぱり気のせいだったようです。
 それでも僕は話しかけました。

 「オヤジとオフクロをよろしくね」
  


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)つれづれ

2022年08月17日

沖縄より北海道のほうが暑いって本当!?


 たびたび昭和ネタで恐縮です。

 半世紀前の話。
 小学生の頃、夏休みになると絵日記の宿題がありました。
 毎日、マメに記せばいいのですが、ついついかまけてしまい、夏休みの終わりに思い出しながら一気にまとめて書いた人も多かったのではないでしょうか?
 ご多分に漏れず、僕も、そんな少年の一人でした。

 ○月×日 何曜日 天気 気温

 僕の記憶が正しければ、最高気温が30度を超える日は、何日もなかったように思います。
 でも、記憶なんて当てになりませんから、気象庁のホームページで昭和40年代の気温を調べてみました。
 すると、やはり、記憶は正しかったんですね。

 7~8月の最低気温は23~25度、最高気温は30~32度でした。

 まれに33~34度の日もあったようですが、どうしていたんでしょうね?
 クーラーのない時代です。
 プールに行ったり、日の当たらない部屋で、ジッとしていたのかもしれませんね。


 「宿題は、午前中の涼しいうちに済ませてしまいなさい」
 毎日、オフクロに言われたことを思い出します。
 でも、理にかなっていたんですね。

 このセリフ、今は通用しません。
 朝から30度以上になりますもの。
 午前午後に関係なく、
 「冷房の効いた涼しい部屋でやりなさい」
 と言うはずです。


 地球温暖化により、世界各地で異常気象による異変が起きています。
 線状降水帯や洪水、山火事などのニュースは、すでにお馴染みですが、先日、こんな見出しを付けた異変が、新聞に載っていました。

 ≪避暑なら北海道より沖縄?≫

 1992年7月~2022年6月までの都道府県庁所在地の気温データによると、最高気温35度以上の 「猛暑日」 が最も少ない都市は、最南の那覇市だったというのです。
 30年間で、わずか5日。

 2番目に少なかったのが、最北の札幌市で7日でした。

 ところが、これが30度以上の 「真夏日」 になると、大きく逆転します。
 那覇市は3,087日で最も多く、札幌市は最も少ない284日でした。

 ということは、猛暑日が最下位でも真夏日が1位の沖縄は、平均的に一年中暑いということですね。


 記事では、他の都市については触れていませんが、日々の天気予報を見ていれば、分かりますよね。
 日本は全国どこへ行っても暑い!ということ。
 そして、昭和は涼しかったということです。

 “熱中症” なんていう言葉は、なかった時代のこと。
 炎天下の “日射病” のみ注意していた夏休みでした。

 「外へ出る時は、帽子をかぶるんだよ。日射病になるからね」
 「水を飲み過ぎるんじゃないよ。体がだるくなるからね」
 なんて言われていたことを、なつかしく思い出します。


 つくづく、昭和の時代に40度超えの日がなくて良かったと思います。
 たぶん、熱中症で搬送される患者の数は、今の桁違いだったでしょうね。

 やっぱり、昭和って、いいな~!
   


Posted by 小暮 淳 at 12:07Comments(0)昭和レトロ

2022年08月16日

売っているものしか買えない


 「小暮さんてさ、お金とお金で買えるもの以外は持っているよね」

 以前、何かの酒の席で知人から、そう言われたことがありました。
 もちろん、親しさゆえから称賛の意を込めて言ってくれた言葉なのでしょうが、後々になって、よくよく考えてみると、それって、「貧乏だ」 ということですよね。

 あの時は、ほめられていると思っていましたが、もしかしたらディスられていたのかもしれませんね(笑)。


 さて、では、“お金で買えないもの” って、何なんでしょうか?
 真面目に考えると、お金で買えるもの以上にありそうですが、中国には、こんな古いことわざがあります。

 ●お金で 「家」 は買えるけど、「家庭」 は買えない。
 ●お金で 「時計」 は買えるけど、「時間」 は買えない。
 ●お金で 「ベッド」 は買えるけど、「睡眠」 は買えない。
 ●お金で 「本」 は買えるけど、「知識」 は買えない。
 ●お金で 「名医」 は買えるけど、「健康」 は買えない。
 ●お金で 「地位」 は買えるけど、「尊敬」 は買えない。
 ●お金で 「血」 は買えるけど、「命」 は買えない。
 ●お金で 「セックス」 は買えるけど、「愛」 は買えない。

 すべて、“物” の豊かさと “心” の豊かさを対比しているんですね。

 両方あるのに越したことはありませんが、どちらか一方を選ぶとしたら、やはり後者ということになるんでしょうね。
 ●家は無いけど、家庭はある。●時計は無いけど、時間はある。●ベッドは無いけど、睡眠はある。……
 ということです。


 僕は、これらに 「自由」 を加えたいと思います。
 「時間」 と似ていますが、「自由」 はそれに “束縛のない時間” が加わります。

 きっと僕が、“お金とお金で買えるもの” を手に入れられなかったのも、「自由」 を求め続けた結果のような気がします。


 最近は年の功もあり、こんなふうにオチャラケています。

 「貧乏だって、個性なんだよ」


 貧乏も、お金で買えませんからね(笑)。
  


Posted by 小暮 淳 at 11:42Comments(0)つれづれ

2022年08月15日

やはり街頭に置け紙芝居


 「オンラインで、お願いできますか?」

 長引くコロナ禍、相変わらず、このようなメールが多く寄せられます。
 仕事の打ち合わせやイベント出演の依頼です。

 申し訳ない話、僕は生粋の “昭和人間” であります。
 仕事柄、仕方なくパソコンは使用していますが、携帯電話は、いまだガラケーです。

 当然ですが、急に非接触を求められるコロナ禍になったからといって、オンラインの環境は整ってはいません。
 ので、すべて丁重にお断りしています。

 ただし無観客でも、会場やスタジオから生配信するオンライン講演だけは、2回ほどお受けしました。
 無観客といえども現場には、主催者やスタッフが数名いるわけですからね。
 いつも通り、マイクを使った講演ができるわけです。


 最近、つくづく時代の未来化が進んでいると実感します。
 コロナ禍がそれに、一気に加速をつけています。

 便利になることは、良いことです。
 だから僕は、あらがいません。
 できることはするけれど、できないことはしないだけです。


 昨日は、月に一度の 「神社かみしばい」 の開催日でした。
 「神社かみしばい」 とは、2年前から僕と仲間が神社の境内で上演している街頭紙芝居のことです。
 ※(詳しくは当ブログのカテゴリー 「神社かみしばい」 参照)

 台風一過の昨日は、絶好の “紙芝居日和” でした。
 4回の口演は、満員御礼とはなりませんでしたが、全回、ほどほどにお客さんが入り、楽しい一日となりました。


 盆休み中ということもあり、市外や県外から来たお客さんが多かったようです。
 その中の一人に、東北から来られた方がいました。
 口演終了後、その方が主催者である紙芝居師の石原之壽(いしはらのことぶき)くんに言いました。

 「オンラインでも出演してもらえますか?」


 僕は隣で、2人の会話を聞いていました。
 石原くんは、
 「できないことはありませんが……」
 と、歯切れの悪い返事です。

 結局、名刺交換をして、後日、連絡を取り合うことになったようです。


 なんでも、かんでも、オンライン?
 ビジネスならば、それも、いいでしょう。
 “拙速をたっとぶ” こともあるでしょうから。

 でも、紙芝居は娯楽です。
 しかも、会場の雰囲気までもを楽しむ総合娯楽です。
 「できないことはない」
 と彼が言ったのは、その辺の不安が頭をよぎったからかもしれません。


 『手に取るな やはり野に置け蓮華草』

 この言葉になぞるなら、街頭で演じるからこそ、“街頭紙芝居” なのであります。

 街の雰囲気や観客の笑い声……
 駄菓子をほおばり、おもちゃで遊ぶ子どもたちの笑顔…… 

 たぶん、これらはオンラインでは、届けられないと思います。


 昭和~平成~令和と、世の中は便利になりました。
 でも、ちょっと足を止めて、“今” を見つめてみませんか?

 「これ以上、便利にならなくてもいいよ」

 そんな時代の本音が聞こえてきませんか?
    


Posted by 小暮 淳 at 11:06Comments(0)神社かみしばい

2022年08月13日

ぐんま湯けむり浪漫 (18) 小野上温泉


 このカテゴリーでは、2017年5月~2020年4月まで 「グラフぐんま」 (企画/群馬県 編集・発行/上毛新聞社) に連載された 『温泉ライター小暮淳の ぐんま湯けむり浪漫』(全27話) を不定期にて掲載しています。
 ※名称、肩書等は連載当時のまま。一部、加筆訂正をしています。


   小野上温泉 (渋川市)


  草むらに眠っていた湯前薬師石堂


 JR吾妻線、小野上温泉駅に降り立つと、背後に奇岩が林立する峰がそびえている。
 岩井堂山 (459m) と古城台 (508m) である。
 岩井堂山は地元では岩井堂砦(とりで)と呼ばれ、その昔、白井城の関門として支城が置かれていた。
 戦国時代、上杉と武田の両勢力が互いに動向を見定める絶好の場所として、激しい奪い合いが繰り返されたという。

 一方、古城台は、なだらかな丘陵である。
 それでも登山ルートのあちらこちらに奇岩が多く、低山ながら稜線からは榛名山や赤城山、遠く浅間山、草津白根山まで望む、ハイカーに人気の山だ。
 そのため、下山後に温泉で汗を流すのを楽しみに訪れる浴客も多い。


 駅から吾妻川へ向かい歩くと、キラキラとした水面が出迎えてくれる。
 ここは桜の名所でもあり、桜並木の前に全国でも日帰り温泉施設の草分けと称される 「さちのゆ」 がある。
 駐車場脇には、薬師如来を祀った湯前薬師石堂があり、こんな一文が添えられている。

 <小野上村大字村上字塩川内、国道353号沿いに古来より温泉が湧出し、その泉源地にこの石堂がありました。(中略) 草むらの中に眠らせて置くことは何としても残念なことであるため、小野上村商工会の村おこし事業で移築しました。>


  塩川温泉から小野上温泉への変遷


 小野上温泉 (渋川市) は、かつては塩川鉱泉といった。
 歴史は古く、湯前薬師の石堂には寛文4(1664)年に創建されたことが刻まれている。
 昭和初期までにぎわっていたが、戦後になってからは湯量の減少や交通の不便さなど、さまざまな事情から衰退の一途をたどってしまった。

 昭和53(1978)年、旧小野上村が新たな源泉を掘削したところ、毎分270リットル、約45度の温泉が湧出。
 浴槽と建物を造り、入浴施設をオープンさせた。
 宿泊施設のない、大広間で休憩するヘルスセンター方式の温泉は、当時はまだ珍しく、またたく間に評判は広まり、村内外から大勢の人がやって来た。

 村は利用客からの要望を受け、より規模の大きい施設を計画し、湯量を得るために新源泉の掘削を行ったところ、毎分550リットル、約50度の温泉が湧出。
 同56(1981)年3月、「小野上村温泉センター」 が誕生した。

 大露天風呂、カラオケステージ付きの休憩室、食堂や個室までもが設置された。
 現在では当たり前の設備だが、当時は全国でも公共の日帰り温泉施設は珍しく、利用客は年間20万人を超える大盛況となった。

 これを機に周辺の旅館や民宿にも分湯され、新たな温泉地としての歴史が始まった。
 いつしか人々は 「塩川温泉 小野上村温泉センター」 を略して、「小野上温泉」 と呼ぶようになっていた。
 その人気のほどは、平成4(1992)年にJR吾妻線、小野上温泉駅が開設されたことでも分かる。


 同11(1999)年、源泉名と温泉地名を正式に 「小野上温泉」 と改名。
 同20(2008)年には温泉センターが全面改装され、「さちのゆ」 としてリニューアルオープンした。

 トロンと肌にまとわり付くアルカリ性の湯は 「美人の湯」 として知られ、現在でも県内外から多くのファンが訪れている。


 <2019年4月号>
  


Posted by 小暮 淳 at 13:58Comments(0)湯けむり浪漫

2022年08月12日

ここが旧役場跡だ!


 “現場百遍”

 僕がライターという仕事をする上で、大切にしている言葉です。
 何回も現場に通うことにより、最初は見えなかったものが、だんだんと見えてくるようになります。


 僕は今、「消えた東村」 を追いかけています。
 ※(当ブログの2022年7月23日 「消えた東村を追え!」 参照)

 かつて群馬県には、5つの東村がありました。
 昭和と平成の大合併により、すべての東村が消滅しました。

 一番最初に消えたのは、群馬郡東村でした。
 明治22(1889)年に10ヶ村が合併して、西群馬郡東村が誕生。
 同29(1896)年に群馬郡東村となりました。
 そして昭和29(1954)年4月、前橋市との合併により65年の歴史に幕を閉じました。


 前回の取材では、残念ながら旧役場跡には、たどり着けませんでした。
 いったい、当時の中心地は、どこだったのか?

 資料をめくる中、こんな一文に出合いました。

 <●●神社に 「東大橋」 と刻まれた古い橋の一部が保存されています。この橋のまわりには、村役場、学校、農協、公民館などがあり、火の見櫓が屹立していました。>

 ところが前回の取材では、●●神社の周辺に、それらしき物は、どこにも見当たりませんでした。
 何かが、おかしい。
 資料が間違っているのだろうか?


 “現場百遍”
 こんな時、この四字熟語が脳裏に浮かびます。
 もう一度、現場に行ってみよう!

 すると……

 ●●神社は、もう一社あったのです。
 そして境内には、こんな道標がありました。

 《右 東村役場 役場ニ通ズ》

 石柱の側面には、「大正十年一月」 と刻まれています。


 「これ、写真に撮っておいて!」
 無理やり同行してもらったカメラマンを呼びました。
 「ついに、見つけましたね!」
 「これが現場百遍の力だよ」


 やがて僕らは、そこから百メートルほど離れた場所で、こう書かれた石柱を見つけました。

 《史跡 群馬郡東村役場跡》


 謎学の旅は、つづく。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:57Comments(2)取材百景

2022年08月11日

ほぼ定員になりました。


 過日、告知しましたNPO法人 「湯治乃邑(くに)」 主催による 『ぐんま温泉かるた』 発行推進決起集会の開催に対して、たくさんの方から問い合わせや賛同、参加希望の連絡をいただきました。
 おかげさまで、ほぼ定員になりました。

 “ほぼ” というのは、まだ少し余裕があるということです。
 ただし、条件があります。
 ①大部屋での雑魚寝が可能な男性
 ➁決起集会 (懇親会) のみの日帰り参加 (男女共)

 以上の条件の方のみ、まだ参加枠が残っています。
 迷っている方は、ご検討ください。


 当日は、代表である僕から 『ぐんま温泉かるた』 の44枚の詠み札の解説と、役員によるクラウドファンディング開設の説明をさせていただきます。
 その後、懇親会となります。

 よろしくお願いいたします。



    『ぐんま温泉かるた』 発行推進決起集会

 ●日時/2022年8月20日(土)
       15時~ 入浴
       17時~ 受付
       18時~ 決起集会 (懇親会)       
 ●会場/磯部温泉 小島屋旅館
       群馬県安中市磯部1-13-22
       TEL.027-385-6534
       ※小島屋旅館は明治12年創業。現存する磯部温泉最古の宿です。
 ●料金/10,000円 (1泊2食、飲み放題)
       ※愛郷キャンペーン利用は5,000円
       日帰り 5,000円 (入浴付き)
 ●申込/湯治乃邑または小暮まで。
 ●主催/NPO法人 「湯治乃邑」
  


Posted by 小暮 淳 at 11:19Comments(3)湯治乃邑

2022年08月10日

Bちゃんの机


 <13年前のメールアドレスに返信しています。届くのでしょうか?>

 先月、突然、懐かしい友人からメールが届きました。

 <27年ぶりに日本で暮らし始めています。お時間があったら、一度お会いしたいと思って連絡しました。> 


 今から27年前。
 僕は36歳、彼は29歳。
 僕は雑誌の編集者、彼は広告代理店のデザイナー。

 仕事で出会い、意気投合して、プライベートでも杯を重ねるようになりました。
 僕は彼のことを、親しみを込めて 「Bちゃん」 と呼んでいました。
 (Bは名字の頭文字です)

 ある日突然、彼は30歳を目前にして、僕に、こう言いました。
 「俺、イギリスに行く」

 「行くって、旅行?」
 「いや、向こうで働く」
 「働くって……」
 「このままじゃダメだと思うんだ。向こうでデザイナーとしての力を試してみたんだよ」

 かくして彼は、妻と子を日本に残したまま、渡英しました。
 (後にイギリスに呼び寄せました)


 あれから27年。
 一時帰国の際に、電話で話したことはありましだか、タイミングが合わず27年間、一度も会えずじまいでした。
 そして、ついに昨日、懐かしい友人との再会を果たしました。

 「分かるかな? 俺、だいぶ老けたよ」
 「こっちなんて、白髪の老人だよ。会って驚くなよ」

 でも、心配は無用でした。
 高崎駅改札口を出た途端、すぐに分かりました。

 「Bちゃん!」
 「ジュンちゃん!」


 それから僕らは、27年間の空白を埋めるように、呑んで、語り、笑い合いました。

 「そういえば、Bちゃんがイギリスに立つ前に、机をもらいに行ったよね」
 「あれ、まだ使っているの?」

 L字型をした大きなデザイナーズデスクです。
 椅子に座ると、正面と左脇にテーブルがあり、執筆作業とパソコン操作が同時にできる優れものです。

 「もちろん! 現役だよ」
 「ということは、ジュンちゃんが今までに出した本は、すべて、その机で書いたってこと?」
 「そうだよ」
 「エーーーッ、うれしいなぁ~!!!」


 そういうことなんですね。
 今日まで一度も思ったことはありませんでしたが、僕は27年間、Bちゃんと離れて暮らしていましたが、ずーっとBちゃんからもらった机で作品を創り続けていたのでした。

 「ありがとうね。今日の僕があるのはBちゃんのお陰だよ」
 「ジュンちゃんは、相変わらず大げさだな~(笑)」


 あっという間の再会でした。
 また会うことを誓い合い、2人は駅へと向かいました。

 なんとか最終電車に間に合うことができました。。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:04Comments(0)つれづれ

2022年08月09日

「神社かみしばい」 8月口演


 テレビの力って、スゴイですよね。

 ていうか、なんだか最近、やたらとテレビで群馬ネタの露出が多いと思いませんか?
 「秘密のケンミンSHOW」 とか 「オモウマい店」 とか、群馬のB級グルメが紹介されています。

 もしかして今、時代は群馬熱?


 僕らも、この群馬熱にあやかっています。
 6月初旬、伊勢崎市の竜宮伝説が 「ナニコレ珍百景」 にて紹介されました。
 すると、口演会場に 「テレビを観ました」 という観客が県内外から、やって来るようになりました。

 僕らとは、紙芝居師の石原之壽くんと画家の須賀りすさんと僕です。
 3人で地元の民話を紙芝居にして、1年半前から毎月、伊勢崎神社の境内で街頭紙芝居を行っています。


 『いせさき宮子の浦島太郎』
 これが 「ナニコレ珍百景」 で放送された龍神宮という神社を舞台にした民話紙芝居です。

 なぜ、海なし県の群馬に浦島太郎伝説なのか?

 謎が謎を呼んで、テレビ放送以降、地元のメディアも取材に来ました。
 ついには、伊勢崎市長までもが視察に訪れました。


 依然、猛暑日が続いていますが、神社の境内には大きなケヤキの木があり、木陰は時おり涼風が吹きます。
 万全のコロナ対策にて、みなさんのお越しをお待ちしております。

 ぜひ一度、なつかしい昭和レトロな街頭紙芝居の世界を体感しに来てください。



     「神社かみしばい」 8月口演
 
 ●日時  2022年8月13日(土)、14日(日)
       10時、11時、12時、13時 
       ※屋外開催 (悪天候時は室内)
 ●会場  伊勢崎神社 境内 (群馬県伊勢崎市本町21-1)
 ●入場  投げ銭制 ※ペイペイ可
 ●問合  壽ちんどん宣伝社 TEL.090-8109-0480

 ☆小暮は14日のみ在社いたします。
  


Posted by 小暮 淳 at 12:40Comments(0)神社かみしばい