2022年08月24日
少女がなりたかったもの
「死刑になりたかった」
このところ頻繁に耳にするワードです。
昭和や平成の時代には、聞き馴染みがありません。
令和特有の現象なのでしょうか?
またもや悲惨な無差別殺傷事件が起きてしまいました。
東京・渋谷の路上で母娘を包丁で襲い、殺人未遂容疑で逮捕されたのは、中学3年の少女 (15歳) でした。
驚いたのは、容疑者が男性でもなく、大人でもなく、少女だったということ。
そして、その少女も、犯行動機をこう供述しています。
「死刑になりたかった」
“○○になりたい” といえば、それは願望です。
「将来の夢は?」、「はい、パティシエになりたいです」
と、目標や可能性を示す言葉のはず。
なのに少女は、なりたいものとして、“死刑” を選択しているのです。
ただ、供述には矛盾もあります。
「母親を殺そうと思った」 「予行練習のためにやった」、
と言いますが、「死刑になりたかった」 んですよね?
目的と手段と行動が、ちぐはぐなのは少女ゆえの未熟さでしょうか?
予行練習で捕まってしまったら、母親は殺せないし、未遂では死刑にもなりません。
では、少女が本当になりたかったものは?
単純に考えて、“現実逃避” = “自由” だったのではないでしょうか?
自由に生きる方法なんて、100通りだってあるのにね (by 浜田省吾)
ただ中学生という狭い社会の中では、選択肢が少なかったのかな……
もう少し、まわりの大人たちが “自由” について教えてあげられるといいんですけどね。
束縛に苦しむ、少年少女の諸君!
君たちが思っているより人生は、もっともっと自由なんだよ!
と……
Posted by 小暮 淳 at 12:34│Comments(0)
│つれづれ