2025年03月25日
源氏パイとプラモデル
昨日の毎日新聞の読者欄に、こんな投稿がありました。
<昔々、小学生のころお友達を家に呼んで 「お誕生日会」 をすることがはやった。50年も前のことだ。当時はしゃれた夢のある遊びだった。今思えばはしゃくだけで、親の苦労を思いやることなんてなかったなあと反省。>
僕と同世代の愛知県在住の女性からの投稿でした。
「お誕生日会」 は、全国的な流行だったのですね。
確かに小学校の頃、仲のよい友だちを家に招いて、誕生会というのが開かれていました。
幸か不幸か、僕の家ではしたことがありませんが……
というのも、オヤジが嫌ったからです。
「誕生日なんて、家族だけで祝えばいい。くだらない遊びだ」 と一蹴されていたのです。
それでも仲のよい友だちから、招待状が届いて、出かけて行ったことがありました。
もちろんオヤジに知られれば、「行くことはない!」 と止められかねないので、オフクロにだけ言って、こっそりと参加していました。
でも……
オヤジの言うとおりだったんですね。
苦く辛い思い出しか、残っていません。
近所の幼なじみの女の子の誕生会に、呼ばれたことがありました。
「おかあさん、プレゼントを用意して」
オヤジに知られたら大変です。
それこそ、「行くなら手ぶらで行け!」 と言われかねません。
当日、オフクロから渡された紙袋を抱えて、女の子の家へ行きました。
「おめでとう!」
主役がケーキのロウソクの火を吹き消すと、いよいよ、プレゼントを渡す時が来ました。
女の子たちは、お人形やアクセサリーです。
男の子たちは、絵本や児童書です。
「小暮くんの、その包は何?」
もちろん、僕も知りません。
「開けてみなよ」 と周りにせかされて、主役の女の子が開けると……
中から出てきたのは、源氏パイでした。
知ってますよね!? 昭和40年代に大ブームになったハートの形をしたお菓子です。
「ええーーーっ、なんで源氏パイなの?」
「知らねぇ―よ、おかあさんが持たせてくれたんだよ」
「しかも、数、少ねぇー!」
1袋ならまだしも、まるでお茶菓子のように数枚だけ、包んであったのです。
穴があったら入りたかったと思います。
今でも源氏パイを見ると、あの時のニガイ思い出がよみがえるのです。
こんなこともありました。
クラス1のお金持ちの男の子の家での誕生会です。
よせばいいのに、懲りずにノコノコと出かけて行ったのであります。
でも僕は、オフクロに事情を話し、入念に準備をしました。
彼の父親は大きな会社の社長さんで、大変なお金持ちであること。
家は鉄筋コンクリートでできていて、テラスやベランダがある大きな家に住んでいること。
そして彼は、プラモデルが大好きなこと。
でも……
彼が好きなプラモデルは、モーターと電池で動く、高価なプラモデルなのです。
当時、僕が買っていた100円の安いプラモデルではありません。
それこそ、オヤジに知れたら最大級のカミナリが落ちることでしょう。
でもオフクロに相談すると、こう言ってくれました。
「大丈夫、母さんにまかせて」
と言って、分厚くふくれ上がったノートのようなものを、何冊も持ってきたのです。
ブルーチップです。
今でいうポイントのようなもので、買い物をするたびにシールをもらい、それを指定の台帳に貼り付けるのが、主婦の間で大流行していました。
そして街中には、ブルーチップの景品交換所がありました。
「すごいね!」
「だろう! これで母さんがプラモデルに交換してきてやるからね」
「やったー! ありがう、おかあさん」
ところが……
またもや悲劇が僕を襲いました。
一応、見た目は高そうな自動車のプラモデルだったのですが、中を開けたお金持ちの友だちは言いました。
「なんだよ、モーターと電池が入ってないじゃないか!」
すると、他の友人たちも、
「しょぼ~い!」 「ケチーーー!」
と揶揄しだしたのです。
僕は知りませんでした。
当時の高級なプラモデルは、モーターと電池が別売りだったのですね。
「2度と誕生会なんか、行くもんか――――っ!!!!」
と、泣きながら家まで走って帰った、ジュン少年でありました。
今の子どもたちも 「お誕生日会」 なんて、やっているのでしょうか?
Posted by 小暮 淳 at 13:17│Comments(0)
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